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長崎市ド・ロ神父記念館


(文化財称名:国指定重要文化財旧出津救助院(鰯網工場))






設立年月日 昭和43年11月7日

深い人類愛の精神とすばらしいフロンティア精神をもって、外海地方の産業・社会福祉・土木・建築・医療・教育文化などに奉仕したフランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父の遺品を一堂に集めて、偉業、遺徳を永久に顕彰することを目的として昭和43年11月に設置した。記念館の建物はド・ロ神父の設計施行により鰯網工場として明治18年に建設されたもので、昭和42年2月に県指定文化財となった。建物の老朽化により平成11年度から3年間をかけて文化財保存修理を実施し、創建時に近い形に修復し、同時に展示改修を行い平成14年5月13日に新たに開館した。記念館野建物は、ド・ロ神父が創設した旧出津救助院の施設の一つとして、平成15年12月25日に国の重要文化財に指定された。(WikiPediaより)


マルク・マリー・ド・ロ


ド・ロ神父について

本名:マルク・マリー・ド・ロ(Marc Marie de Rotz、1840 〜 1914)

 旧長崎県西彼杵郡外海町(現・長崎市西出津町)において、布教活動や貧困に苦しむ人々の為の社会福祉活動に尽力したパリ外国宣教会所属のフランス人司祭である。彼が行った社会福祉活動に関連する遺跡(ド・ロ神父遺跡、旧出津助院)、設計・指導を行った出る出津教会、大野教会、旧羅典神学校、旧大司教館、布教活動の拠点の1つであった黒崎教会は、ユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定一覧表へ登録された「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」に加えられている。

 貴族の家に生まれたド・ロ神父は、施設建設や事業の為に私財を惜しみなく投じ、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を外海の人々に教え、ド・ロさまと呼ばれ親しまれた。ド・ロ神父画建築に携わった数々の教会は、ゴシック様式を踏襲しながらも、扉を引き戸にして大工の技術を生かしたり、木造建築ならではの柱と梁の配置としたりするなど、日本の伝統文化を重んじた建築様式が特徴である。当時の厳しい環境下において実現したこれらには一見の価値がある。
 地域の貧困者や海難事故で未亡人となった女性を進んで雇い、西洋式の機織や日本初のマカロニ製造工場でもあるそうめん工場を造り、人々の宗教的指導者であるとともに、地域の経済発展にも貢献した。
 農業用地を買い取り、フランスから持ち込んだ農耕用具で自ら開墾を行ったほか、当時日本では珍しかったドリルや滑車なども彼が持ち込み、20世紀初頭の西洋と長崎の文化的架け橋となるとともに、あらゆる分野でその功績を残している。(WikiPediaより)


略歴
1840年 3月26日にフランスのヴォスロール村に生まれる
1865年 司祭叙階
1867年 パリ外国宣教会入会
1868年 布教のため、ベルナール・プティジャン神父とともに来日
1873年 大浦天主堂付となる
1875年 大浦天主堂のそばに羅典神学校建設
1879年 隠れキリシタンが多く住んでいた外海地方(黒崎教会、出津教会)の主任司祭に着任
1882年 出津教会堂を建設。ここを布教の拠点とした
1883年 出津救助院を建設。ここを社会福祉事業の拠点とした
1885年 外海の貧しい人々が、自分の村で働き、生活できるようにするために鰯網工場を建設
1898年 出津の野道に共同墓地を新設
1914年 大浦天主堂にて逝去