2024年度版 2024年4月~2025年3月 | |
’25年03月31日(月) | 6:30に長崎を出て倉敷に向かった。私のクリニックの内容はドリルの紹介は皆無で、スクリメージやミニゲームをやらせながらこのチームの問題点を取り上げ、その修正の仕方を指導して返すというのが主流である。ミニゲームの中でひどいファウルをしたのでインテンショナルファウルを取ったが、しょんぼりしてコート外に立っているA選手に向かって「結果はこうなったが心の中に悪意はなかったので大丈夫」と声をかけたがしょんぼりは直らなかった。でも、あれは取り上げてやらなければA子のこれからのプレイにに差し障るもんなあ。 2024年度分はここれでおしまい。次年度分は2025年度の日々の出来事をご覧ください。 |
’25年03月30日(日) | 夕方7:14小林遠征から島原に辿り着き、それから長崎の我が家目指してクルマをとばし8:30に付いた。アタマがパンクしそうだ。通常の練習指導ではなく遠征に帯同して体育館とは違う選手たちの様子に触れ、さらに初めての対外試合の采配をしてみるとこれまで見えなかったことが見えてくる。その中のひとつに私を激怒させることが帰りの車中で発覚した。もう学校に着くところだったので自分の腹の中に納めているがいずれコーチを含めたチーム全員に雷を落とすつもりでいる。 |
’25年03月29日(土) | 初めての対外試合采配。外国人留学生は体調不良で不参加だった。さらに、顔写真及び身長出身中学等が載った選手一覧の資料を手に持って采配を振るったのは初めてだった。まだ4日間しか携わっていないのでそうしないと選手の特徴が判らないのだ。そんな中発見があった。監督から聞いていた情報ではさほど期待されていなかった選手が充分過ぎるほどの働きをしたのだ。たぶん、この子は監督から期待されていないことを自覚し少しがっかり気分で過ごしていたのだろう。それが指導者が変わり自分に出番が回ってきた。張り切らざるを得ない。私はY選手の今日の姿から人間という生き物の奥深さを学ばされた。 |
’25年03月28日(金) | 今日は山崎純男主催で、学校側・保護者側・選手側3者の話し合いを持った。論点は融和である。指導開始4日目にして、選手にどんなことを指導すすかではなく、学校と保護者会の敵対関係まず解くことが最優先だということがわかった。崔コーチの処分問題に関してはJBAの結論が出た。私がこの場で話したのは「この結論に対してそれぞれ言い分があるようだがみんな飲み込め。これ以上議論や言い分を闘わせても選手のためになることは何も出てこない」だった。 |
’25年03月27日(木) | 9:00~12:00中央の指導、14:00~16:00市内中学の指導、明日はその逆で明日島原に戻った後は翌日島原中央に帯同して宮崎遠征だ。さらに、宮崎から帰ってきたら岡山クリニックに出かける。瞬きする間もないほど忙しいが不思議に山崎純男は元気だ。 |
’25年03月26日(水) | 予想通りK子は休んだ。こんな選手はお金を浪費するだけで学校のためには何の足しにもならない。送還した方がよい。一見したところ他の選手の中にやっかいそうなのはいないので残りの選手とともに頑張る。備考:本人の名が永久に残るのは本人の名誉の為にアルファベットに変えた。腹の虫は治まらないが。 |
’25年03月25日(火 ) | K子は昨日休んだ。今日出てきたがシレーッとしている。少し間を置いて注意した。「人が世の中で暮らすのに重要なことは報告・連絡・相談」 だ。「休むのは構わんが出てきたらその事情を報告しなければならない」と。その間K子は俺を見ない。また「人の話を聞くときは相手の目を見ろ!」と注意した。相変わらずふて腐れている。しばらくすると勝手に体育館の玄関からどこかへ行った。他の選手に「連れ戻して来い」と指示した。中央高校の再生はプレイの指導ではなくこんなことから始まる。 |
’25年03月24日(月) | いよいよ島原始動だ。始動といっても組織の再編は大変だ。外圧で組織を潰そうとする輩が出てくるだろうし、内側から足を引っ張る者も出てくるだろう。選手に何を教えるかよりも先にそこに派生する諸問題を片付けなければならない。簡単な仕事ではないのだ。おい山崎、それだけの覚悟をもって引き受けたのか?という声がどこからか聞こえそうな気がする。それにはこう答えよう。「な~に、何もしなくても片足を棺桶に突っ込んでいる身(83歳)だ。何を恐れるものがあろう。 |
’25年03月23日(日) | 3日間クリニックをしたあとの審判2試合はさすがにこたえた。こんな日程はこれまで何回もやってきたがなぜ今回だけこたえたかというと、対象に新入生(有望3名たぶん即戦力)が加わったので手ほどき(私が見本)する回数が多く、私が精一杯声を出して精一杯身体を動かすことが多かったあとの2試合審判だったからだ。疲れて2試合目は審判しながら居眠りするんじゃないかと心配した。 |
’25年03月22日(土) | 下関クリニックを終え、今長崎に帰る途中の佐世保の宿舎に居る。明日行われる西海杯の審判をするためまた大瀬戸に出向かなければならないが、一旦長崎に帰ってから明日また北上するより長崎に戻る途中の佐世保に泊まって明朝大瀬戸→長崎という旅程にした方が楽だと思ってそうしたのだ。この西海杯のお世話で東長崎バスケとの関係は終了する。 |
’25年03月21日(金) | 2日目、今春入学の新入生が慣れてきてどれが上級生かわからなくなった。所用時間は昨日と同じ6時間半、私の身体に疲れや筋肉痛は感じられない。これは受講者の反応の良さから得られる結果である。クリニックに限らず、仕事でも授業でもこんな感じで臨むことができたらいのだが…。付録がある、今日のクリニックには島根の足立氏、会津若松の金道(こんどう)氏、札幌の高橋氏が見学に来られた。ありがたいことだ。 |
’25年03月20日(木) | 今日は朝6:00に出発して下関クリニックに出かけるつもりだったが3:30に目が醒めてしまった。もう一度寝ると出発時間に遅れそうなので目を閉じていたらそのまま目が醒めてしまったのでやむを得ず起きて4:50に家を出た。9:00からのクリニックなので早すぎるのだが寝過ごすよりましなのどこかで仮眠を取るつもりで出かけた。午前3時間半午後3時間、最初どうなることかと心配したが選手たちも慣れてきて午後にはこれならイケそうだとなって落ち着いた。でも疲れたあ。 |
’25年03月19日(水) | 午後はメチャ忙しかった。12:30に長与まで出かけ福岡氏とBSKのことで打ち合わせをし、その業務のことで長崎県財務部まで出かけて手続きをし、東長崎支所で再発行して貰ったマイナンバーカードを受け取り、その後鶴鳴まで行って三根氏と個人的は用件を済ませ、家に帰って明日早朝出発で下関に出かける準備をした。C高校の指導は下関から帰ってきた次の日(24日)からである。 |
’25年03月18日(火) | 午後島原に出かけた。13日、島原半島バスケ協会会長野中氏から受けていた相談というか懇願というかそれの解決のためだ。それはC高校のバスケコーチを1年間限定で引き受けて欲しいという内容だった。内容が深刻だったし誰がやっても解決できるような簡単なものではなく、状況分析からして私が介入しなければ解決ししそうにない問題だったので引き受けた。長崎からの通いでは難しいので私の生活拠点も1年間は寮生活になりそうだ。 |
’25年03月17日(月) | 身体にはダメージが残っている。今日はランの日だが今週から来週にかけてびっしりクリニックが詰まっているのでランはとりやめた。ちょっと後ろめたいものがある。 |
’25年03月16日(日) | 朝4:23に起きて熊本の尚絅高校に向かった。スクリメージの審判をし、クリニックをして、講義もした。忙しい1日だった。通常2泊3日ぐらいでやるのを日帰りでやったので内容を欲張りこんな忙しい1日になったのだ。クリニックは教える側に立ってやるのだが、相手のレベルに関係なくこちらにも学ぶものが必ずある。 |
’25年03月15日(土) | 回を重ねていく内に身体の痛さもヨレヨレさも緩和されていくだろうと思っていたのに一向に改善されない。訓練再開を宣言してから10回目を過ぎたが速くも強くもなった気配がないのだ。やっぱり歳か。 |
’25年03月14日(金) | 前回は後半ヨレヨレになったと述べたが今日の6㎞ランは最初から最後までずっとヨレヨレだった。途中のバス停でバスを待っているおじさんから「ホウ頑張ってますねえ」と言われ、ヨレヨレなのに誉められたのが恥ずかしくて苦笑いをしながらそこを通り過ぎた。やっぱり恥ずかしがろうが何だろうが自分を世間の目に晒すというのは大事なことなのだ。 |
’25年03月13日(木) | クリニックの回数が多くなったが、ほとんどはチームレッスンである。稀に有望新入生を獲得したのでチームのシステムに組み込むための個人技とその要点について特別注文をうけることがあるが今回の個人レッスンはちょっと違う。教え子のJOEがヴェルカのU12部門のヘッドコーチを受け持つのでチーム作りと指導のポイントを教えて欲しいというのだ。 |
’25年03月12日(水) | 夕方NHKBS1を見ていたら西方さんという人の鉛筆画を紹介番組があった。題材はネコ。ネコの毛を一本一本鉛筆で?しかもまるで写真のようなできあがりだ。茨城に市村氏も教員を退職してから鉛筆画教室に通って鉛筆画作品にハマっているといって作品ができる度に送ってくれるが、彼もネコの鉛筆画を2度送ってきた。もっと描きやすい動物が他にいるだろうに…。芸術家の心理はわからん。 |
’25年03月11日(火) | だる~いのは今日も続く。というよりさらに強くなった。家の中で2階に行ったり来たりするのもおっくうだ。間違いなく、審判とランを2日続けてやったからだ。いろんな人から「身体大事にしてくださいよ」と、会う度に言われる。こんな私の生き様を見たり聞いたりして忠告してくれているのではなく、年寄りに対する挨拶の常套句だとは知っているしありがたく受け入れているが、無理をせず長生きしたいとは毛頭思っていない。しかし、自分ごとながら一体いつまで生きるんだろうとは思う。 |
’25年03月10日(月) | 毎週月木はランの日。昨日5時間半ぶっ通しで審判をしたあとだから持ち堪えられるかどうか心配だったがとにかく走った。やっぱり最後の1往復はヨレヨレだった。走ったあとはコミュニティ体育館内にある浴場に行った。前にも述べたがここは広いしジャグジー付きだから快適だ。しかし入浴後はグッタリしてすぐには動けなかった。しばらくロビーのソファに座って休憩していたら眠ってしまっていた。足も腰もだる~い。 |
’25年03月09日(日) | 9時半から4時半まで、昼休みを挟んで5時間半成年女子(ストレッチ)と高校女子2校のスクリメージを審判した。10分×2を1試合としてそれを6セットだ。昼には鴨南ソバを食べたが運動量をカバーするには足りなかったのか午後の最後のセットは血糖値の低下で少し気分が悪くなった。胃ガンの手術後5年経ったが血糖値のコントロールがいまだにうまく把握できない。 |
’25年03月08日(土) | 午後から出島メッセでトムコーチの講演会が開かれた① ② ③。私は指名で登壇するよう依頼があったが「いつまでも年寄りを引っ張り出すな。若者にチャンスをやれ」といって辞退した。トムには息子と娘2人のこどもがいる。私がトムと知り合った頃息子は小学生(日本の)だったが今28歳だという。なまえはドミニクで、トムがホークス在籍時代の同僚であるダンクコンテストチャンピオンと同名だが、それにあやかったのかは不明。 |
’25年03月07日(金) | 今日は疲れて終日グターッとしていた。たぶん、急歩でもランでもたいしてタイムが変わらなかったのがショックだったのだ。まあ83歳だからなと言えば言い訳はできるのだが、その気持ちが少しでも心の内にあるなら今やっていることのすべてに意味がなくなる。 |
’25年03月06日(木) | 今日はランの日、といっても歩く日になってしまった。最初の1㎞は真面目に走った。でもきつかった。だから次の2㎞目は歩いた。急ぎ足で。でもタイムはランより少し遅いだけだった。ガッカリしてあとの4㎞は歩いた。歩いている時の気持ちは「急げ!遅れるぞ」だった。走っている時は「きついなあ、あと何往復?」だった。そんな気持ちの差がこのタイム差?むなしいなあ。 |
’25年03月05日(水) | 昨日の更新をなぜ忘れたのかというと、東長崎のバスケ指導を辞めたからだろう。毎日のルーティンだったのを辞めると毎日気がけておかなければならないことがなくなるので、あれ今日は何曜日?とか明日は歯医者の日だなとか、そんなことがアタマから飛んでいることがあるのだ。気をつけてはいるのだがそれでも抜ける。これはボケとは別次元のできごとだ。 |
’25年03月04日(火) | 今日は更新するのを忘れたようだ。 |
’25年03月03日(月) | ランは毎週月木としているから今日は走る日だ。内容は6㎞ラン。初回は4㎞と8㎞にしたが同じ12㎞なら6㎞を2回の方がバランスがいいからそうした。私が自分のことで決意したことはブログで公表する。公表すれば世間に通知するワケだからみんなが知ることになり簡単に辞められなくなる。そうやって自分を縛るのだ。 |
’25年03月02日(日) | 疲れていたが、今日は福岡第一高校と大濠高校を見るため、というより井手口監督と片峯監督を表敬訪問するためまたスクーターを跳ばした。両高校の試合はもちろん、Wリーグの試合も面白かった。今回来訪する方々の中に知り合いはいないと思っていたが、紡織の佐藤コーチと総括の築館さんから挨拶を受けた。佐藤氏は30年紡織一筋で務めているというし、築館さんは19年になるという、2人とも入社は私の鶴鳴時代だ。審判の1人からも挨拶された。顔をよく見たら中岳さん(千葉)だった。彼女なら青ワッペン時代から知ってる。 |
’25年03月01日(土) | スクーターで大村往復のあとに今日また大村往復するのは億劫だったことと、デンソーの高田とエブリンは試合に出ないだろうと思っていたので行かなかった。明日は福岡第一と大濠が前座で試合をやってくれるし、エブリンは出ないだろうが高田もひまわりも出るらしいので明日は観戦に行こうと思う。 |
’25年02月28日(金) | 明日からのWリーグ大村大会に理事長の高橋雅弘氏が来るという連絡を受けたので出向いた。3人で食事後私は大村に泊まった。泊まったのはVillage BFHという安いホテルで造りが一部屋或いは一棟が戸建ての平屋のホテルだった。こんなのが最近はあるのかと驚いた。 |
’25年02月27日(木) | 午後、昨日の宣言通り走って家を出た。しかし走破できたのは6㎞。83歳で家の周囲3丁目4丁目6丁目にまたがるアップダウンだらけの地域を8㎞走るのは無理だ。それもジョギングではなく急ぎ足で6㎞が精一杯。 |
’25年02月26日(水) | 昨日、身体を鍛え直す宣言をした。昨日は4㎞走り今週はあと1回明日8㎞走る。この㎞設定は島根の出雲2中コーチ足立氏から(66歳)「私は4㎞と7㎞走ってますよ」というコメントがあったからだ。これで身体の衰えはブレーキがかかるだろうがアタマの方はマンガ本から活字本に昨年切り替え、先週から実施していてそれがとても難解な本なので完読するのに約1年かかるだろうからそれでなんとか持ち堪えるだろう。 |
’25年02月25日(火) | 身体が痛~い。一昨日の審判後遺症だ。これまでカップ戦の帯同審判といえば2日間で計4試合だったが一昨日は1日だけの審判でしかも1日だけで終了。なのに身体は2日間やった時より痛い。理由は分かっている.。寒い天気なので思い切り走ったからだ。でも、1日の審判で筋肉痛になるのは情けないので身体を鍛えることにした。今日から家の周辺のいつものコースを4㎞走る。時々歩きを入れながらだったが。東長崎中のコーチを辞めたのでこのままズルズル過ごすと身体が劣化していく。 |
’25年02月24日(月) | 朝メシを食べてから10時半頃までうとうと寝ていた。目が醒めてから録画を4本立て続けに(レンタネコ1時間50分、刑事コロンボ1時間16分、プロフェッショナル45分、囲碁1時間30分)見た。午後は勝海舟著の開国期限Ⅰをようやく読み終えた。原著は漢文だが読み終えたのは現代文に書き直してある。それでも読みにくい。これが全巻読めば21刊まである。さあ闘いだ。 |
’25年02月23日(祭) | 今日は長崎市市内リーグ戦。令和7年度に私の名前で参加申込をしたのは3月末の西海杯が最後になるがこの時私は県外クリニックに出かけていて長崎に不在なので実質○○戦というのに関わるのはこれが最後になる。そう思ったので帯同審判の様子をカメラに収めて貰った。今日の天候は極寒でバイク用の手袋をはめて審判をした。そんなの初めてだ。 |
’25年02月22日(土) | 佐世保強化試合。2つ審判をして2つは役員室(窓からも外からも部屋の中の役員の顔は見えない)でずっとすごしていた。東長崎の選手と出会わないようにするためだ。周りの人は「そんなことないですよ」というが、自分たちの試合の様子を私がじっと見ていれば気になってパフォーマンスが下がる。そう思うから選手の目に触れるところにはチョロチョロしないのだ。私が選手ならきっとそうなる。 |
’25年02月21日(金) | 先日東長崎中のコーチを辞めたばかりだが、今日15年間続けてきた学童クラブの送迎と保育園の行事手伝いからも身を引くことを告げに行った。久住登山をはじめ様々な行事も今は県営バスや長崎バスなどの大型バスを使うことが多くなったので私がマイクロバスを運転して手伝うことは皆無にちかくなっていたのだ。これでボランティアによる様々な活動は私の身辺から今日限りで消えた。学童クラブの送迎は職員である浜本氏が受け持つので何の支障もない。 |
’25年02月20日(木) | 3月末までは、山崎純男の名前で申し込んだ試合や会場借用の事務的手続きはすべて私がやる。保護者に丸投げはしない。今日コミュニティ体育館借用の手続きにいったら事務員から「先生今日は早すぎ!」と言われた。5時開始なのに3時に行ったのだ。事務的な仕事は3月末まで手伝うがコーチとしての仕事は一切やらないのでこんなことが起こるのだ。相変わらずボケだよ俺は。 |
’25年02月19日(水) | メールや電話がジャンジャン。ここで私の思いを述べておこう。自己採点になるが山崎純男がこのまま去って行くのはもったいない。さりとてクリニックに終始するのももったいない。クリニックはあくまでつまみ食いだ主食にはならない。となれば、山崎純男は特定のチームを率いて「鍛えるとはこういうことだ」を世に知らしめなければならないのだ。しかしそれも、オファーがなければどうにもならない。しばらく世間の様子に目を向けながら今後の動きを決めよう。 |
’25年02月18日(火) | 昼過ぎ、早速メールが入った。「59年間特定チームのコーチご苦労さまでした」送り主は教え子のM氏だ。「まだ俺を追いかけているのか」と返信したら「死ぬまで追いかけますよ。何せ私は山崎純男の1番最初の担任の優等生だったんですから」という返事が来た。全国に監視網があるようだ。うかつなことはできない。 |
’25年02月17日(月) | 午後4時、校長室に出かけて行き明日から東長崎中バスケに関わることはしないということを告げた。といっても「俺はもう知らん」と急にそっぽ向いてもチームは困るので次のコーチが手配できるまで特に事務的なことはお手伝いする。これでクリニックであれ特定チームの指導であれ自チーム指導とダブらないよう気を遣う必要はなくなった。ま、オファーがあればの話だけど…追伸:私の外部指導では指導料は一切いただいていない。足代のみ。 |
’25年02月16日(日) | 朝から昨日の残りのクリニックをやり、そのあと急いでシーハットに向かった。九州春季大会の来崎したコーチたちへの表敬訪問だ。やっぱり昼メシを食う暇などなく挨拶に奔走した。日程のすべてが終わるのは15:00頃だったので、それからスターバックスによってサンドイッチとホットラテで昼食にありついた。大村往復の足はスクーターなので天候が極寒じゃなかったのが救いだった。フウ。 |
’25年02月15日(土) | 今日と明日は大村諫早で九州高校春季大会が開催されている。私はこの2日間に前から予約の入っていたクリニックがあるがそれに加えて大阪からインストラクターの黒岡氏が私めがけて来崎されたそうでそれにも対応しなければならなくなり、てんてこ舞いだった。明日はクリニックの続きをやってからシーハットに足を運び他の指導者コーチたちを表敬訪問しなければならない。メシ食う暇あるかなあ。 |
’25年02月14日(金) | 弘文堂書店から電話が入った。入荷連絡だ。ブツはあだちみつる氏の「MIX」野球マンガだ。私は鶴鳴短大教授時代からの常連だが退官したあとも13年間続けて連絡してくれている。彼の作品のどこが好きかというと背景をこんなに丁寧に描く作者が他にいないところだ。午後からさっそく受け取りに行った。 |
’25年02月13日(木) | 今日は月に1回受診している循環器内科に行った。その時院長に不眠症の薬(レンドルミン)の処方を変えてくれと頼んだ。すると院長は「デエビゴを併用しようか」と言って追加した。今日は初日だからその2薬を就寝時(10時)に同時に服用する普通の服用方法でやってみる。その効果により明日から使い方を変えようと思う。 |
’25年02月12日(水) | 午後から電池残量測定器のボタン電池(CR2032)が切れてしまったので買いに行った。今日は天気が悪いので動かないつもりだったが午後から雨が上がったので外の空気を吸いに出たのだ。それで今日の動きはおしまい。 |
’25年02月11日(祭) | 今日から18日まで部活はテスト休みだが、私の身辺には片付けなければならない雑事がある。今日はデジタイマーの点滅不明瞭(多分接触不良だと思う)を修理してもらうため業者に持って行った。とりあえず1件片付け。 |
’25年02月10日(月) | 昨日保護者が見学に来たのは良い意味での重大な出来事だったが今日の選手の練習態度や表情には何の変化もなかった。相変わらずボケーッとしている。1年生が下手なのは仕方がない。経験が浅いのだから。しかし2年生が下手なのは許せない。できることをやらない。気付くべきことを気付かないのだ。もう辞めますという子が出ないよう気配りするのはやめだ。そんな選手が何人出ようがダメな者は罵倒する。 |
’25年02月09日(日) | 今日はA練(08:00~10:30)。驚いたことが2つ。まず、体育館に入ってすぐ温度計を見たが0℃なのだ。壊れたのかなと思って2度見したが正常作動だった。しかし、練習終了時の10時の温度は4度までしか上がらなかった。私の服装は重装備だったが、寒さでしびれてジンジン。もう1つの驚きは保護者が7名見学に来たことだ。家での立ち居振る舞いとコートでのそれとどう違うのかよく見ろ、といって保護者の見学を奨励していたが、指導13年目にしてようやく実現した。私の口からは容赦なくこどもたちを罵倒するセリフが飛び出すが、保護者はそれにどんな感触を持っただろう?しかし、保護者がどう受け取ろうが今日のできごとは東長崎ボランティア指導での最大の出来事だった。 |
’25年02月08日(土) | 朝8時に家の周りの状況を見てすぐ保護者にメールを出した。今日の練習は中止!しかしその後天候は良くなり10時には晴れて雪はなく道の凍結も溶けた。11からの練習は実施しても良い条件になったが実施のメールは出さなかった。1時間前に選手や保護者をばたつかせたくなかったからだ。午後からは松尾久史氏のミニバスクリニックを表敬訪問した。松尾氏は私の訪問を気にしていたようだが、私は監視に行くのではなく表敬訪問だ。でも気にされていたので期待に応えて感想を記す。合格! |
’25年02月07日(金) | 昨日からまた極寒の天候になった。今日の練習は通常で学校の体育館を使用できたが1時間半で切り上げた。日が落ちれば道路が凍結して選手が帰りにくくなると思ったからだ。私の帰路のバイク運転では手がかじかんでウインカー操作ができなかった。帰り着いてすぐ保護者にナインメールを送った。「今夜はこれから道路が凍ります。明日はクルマで家から出られない子もいるかもしれません。そうなれば登校不要です。もし、練習ができるような天候であっても11時開始で2時間とします」と。念のため9時に家の前の道路を撮影したが、雪は薄くしか積もっていないけど完全に凍結していた。 |
’25年02月06日(木) | 今日はコミュニティ体育館で練習する日だったがキャンセルして八郎川ランに切り替えた。保護者のクルマ出しが都合つかなかったし、雪の中を走ってコミュニティまで行くには酷だと思って変更したのだ。そしたら午後は晴れだった。こんなことは60年前からしょっちゅうある。が、重要なのは無理させたり無謀なやりかたで事故が起こるのは避けることだ。 |
’25年02月05日(水) | 吹雪のため長崎市内の全小中学校は休校。もちろん部活はできない。それにしてもテレビ画面に出てくる全国各地の状況はひどい。テレビの天気情報によればウラジオストク沿岸から吹き出る筋状の雲は発生がバイカル湖近辺で、それが日本海を渡り日本上空を過ぎ去るまでに5日ぐらいかかるという。ウワ!今週いっぱい日本人は家から出るなということか。 |
’25年02月04日(火) | 午前中は予約済の歯医者に行った。歳からいって総入れ歯かな?と思っていたが、まだまだ生き延びている歯がある。今日は上の前歯の右横にある則節歯の治療だったが思わずエールを送った。もう死んでると思っていたのに根っこはしっかり歯茎に刺さっており活きているのだ。それから大村の宮本外科まで走ったが吹雪の中バイク走行中にそのまま銅像になるかと思った。途中学校からの連絡で吹雪の為部活は中止という知らせがあった。暇だあ。 |
’25年02月03日(月) | 3日前から東長崎バスケを指導する時はずっと不機嫌だが、それ以外の時は昨日のクリニックで目にした中学生たち(今春高1になるが)がまぶたにチラチラ現れて私のアタマを占領している。3月末まで県外クリニックが詰まっていて、あちこちの選手が目にとまるが、クリニックで教えるというよりクリニックで目にする選手に励まされて続けているというのが現状だ。 |
’25年02月02日(日) | 今日は本来C練(13:00~15:30)実施日だが予定を変更して日吉自然の家で毎年実施される如月遊学に参加させることにしていた。だが、申込者が多く東長崎は午後の部にしか申し込めなかった。私は朝から所長に挨拶をしてクリニックに行く予定だったが事情を言って所長への挨拶は割愛し、選手管理は保護者に任せてクリニックに直行した。クリニックは9時半に始めて午後3時半までやったができばえが開始早々と終盤ではまるで違うものになった。こんなのばっかりだったらクリニックも楽しい。 |
’25年02月01日(土) | 昨夜、怒りのラインメールを書き終えてからは、高橋竹山さんの津軽三味線メドレーを聴きながらそのまま寝てしまった。彼は盲目の三味線奏者で、3歳の時に麻疹をこじらせて半失明しその後戸田重次郎氏から三味線と唄を習い、一地方の芸であった津軽三味線を全国に広めた。私はベートーベンやモーツアルトなど世界史に残る楽器奏者に並ぶ名人だと思っている。 |
’25年01月31日(金) | 今日は体育館割当がない日だが、昨日のランで美術の課題を終了していない子が3人いたからその3人の補習として今日走らせた。私はランの時間に校門に行ったが補習の3人以外でそこに立ち会ったのは私以外に居ない。怒髪天を突くだがそれ以上のことは身内以外には知らせない。 |
’25年01月30日(木) | 朝06:03に目が醒めた。なんでこんな早く目が醒めるの?しかも自宅で。今東京に居るはずなのに。あ、そうか1人Y子が前十字靱帯を切ったので連れて帰ってきたのだ。あ~あ、これであと10ヶ月エース不在で闘わなければならない。困った。・・・と。ここまでは夢だった。なんで30年以上前の出来事を今頃夢で見るんだよ。今頃夢で疲れたくはないよ。 |
’25年01月29日(水) | 昨日私は大学病院で胃ガンの寛解を通知された。その日は、ラジオのアナリストをやっていた森永卓郎さん(67歳)が亡くなった。膵臓ガンのステージ4であらゆる治療を試み、その経過をメディアで克明に報告していた。この日も直前まで局の椅子に座り仕事をしていたそうである。森永さんの死は他人事とは思えない。 |
’25年01月28日(火) | 2020年2月12日に胃の全摘手術を受けてから(胃ガンステージ4)5年経過し、最初は1ヶ月に1回の割合で術後検診を受けていたがそれが2ヶ月に1回となり、最後は3ヶ月に1回となって最後が今日だった。その間腫瘍マーカーの検査にには何の変化もなく遂に大学病院から解放された。ガンに罹患しなくても寿命が近づいている年齢なので、特別の感慨はないが、何の神様の配慮なのか知らないが「お前もう少し生き延びて世の中に貢献しろ」と命じられたようなので そうすることにした。 |
’25年01月27日(月) | 練習が始まろうとする直前T子がつかつかと私に近づいてきて言った。「あのー靴紐がちぎれかけていて練習ができそうにないので今日は見学させてください」。ここまで落ちたか・・・。こんな子たちを相手に私はやらなければならないのか・・・。 |
’25年01月26日(日) | 朝から長崎に戻って午後1時まで成年女子のクリニック。これはコーチライセンスのリフレッシュ研修なので受講するコーチ陣は多かった。このあと私は、2/2に成年女子の強化練習会があるし、同日日吉で行われる如月遊学にも顔を出さなければならない。その次は2/15・16に市内でのクリニック、3/8は出島メッセでトムのクリニック、3/9は成年女子強化、3/16は熊本へ出向いて高校女子の強化と続く。3月末は2泊3日で岡山へ出かける。それらは私が主体の時もあれば私は補助的の場合もある。中には私がそこに顔を出しさえすればその行事がうまく行くものもある。いろいろだ。いずれにしろ私が顔を出せばうまくいくのなら全国どこにでも出かける。すべて恩返しだ。 |
’25年01月25日(土) | 今夜は島原泊まり。明日日高先生の成年女子クリニックがあるが、その前日リハーサルの立会人としての役割だ。日高先生がどんなことを教えるのかよりも、次年度に補強加入させなければならないカマラ(ガンビア182㎝)選手のチェックが重要だ。身長は昨年のエザンギより5㎝低いが体幹が強く身長のハンディを補うには充分である。 |
’25年01月24日(金) | 今日も3年生が2人参加してくれたが、そうすると下級生の動きも俄然よくなる。これこそが縦社会教育の良さなのだが、そこから学んで2年生が目覚めてくれればいいがそれはない。このままだと2年生は確実に社会生活の中で置いてけぼりを食らう。それは当事者(親と子)が気にしなければ絶対に改善はされない。 |
’25年01月23日(木) | 全国的に見ると山崎純男の需要はまだまだある。というよりますます増える傾向にある。が、果たして東長崎に固定してそこにエネルギーを注ぐ意味があるのかどうかは疑問だ。残り少ないコーチ人生、無意味なところで足踏みをするわけにはいかない。 |
’25年01月22日(水) | 今日の現役参加人数は昨日と変わらないが、それに加えて進路が決まった3年生が2人加わってくれた。その効果は単に人数が2人増えただけにとどまらなかった。3年生のちょっとした声かけや目配せ、それに3年生の動きそのものが下級生の動きを誘ってまるで別人の集まりのように機能し始めたのだ。組織力というのは恐ろしいもんだ。 |
’25年01月21日(火) | インフル2名、捻挫後遺症3名、体調不良2名、練習参加者6名。中には「そんなバカバカしいことで?」と思われる現象で練習を休む者が居る。まるで休む権利を行使しているようだ。大人社会の会社人間みたいにだ。 |
’25年01月20日(月) | 大村病院での長岡教授の診察日。たぶん今日が最後だろう。肝機能の数値が上がったので肝機能診断の権威の長岡教授の受診になったのだが、2回目以降の受診では何の異常も見られなかった。帰り際長岡教授から、ひょっとしたら初回受診時にコロナ観戦の終末期だったのかもしれませんねえと言われたが、私の気持ちの中では妙に納得する部分があった。 |
’25年01月19日(日) | 今日は終日引きこもりじいさん状態だった。家から1歩も出ず、かといってずっと本を読んでいたわけでもない。今のところ明日以降の私はどういう生き方をしているのか私も想像できない。 |
’25年01月18日(土) | インフルは下火になったのかそのままなのかはわからない。いずれにしても明日は家庭の日だから練習はオフなのだが、明後日からのことはどうなるのかは一切判らない。ま、明後日になればわかることだからそれまで5年ぶりで罹った風邪の療養でもするか。 |
’25年01月17日(金) | インフルエンザ罹患者が増えたので今日と明日の部活は中止となった。増えた状況は知らされていない。例えば学級閉鎖が出たとか、罹患者が何人だとかだ。実情を知ったからと言って部活中止が緩和されるワケでもないし、昨日の練習状況を見れば練習時間を確保したからといって強化が計れるワケでもないから知る必要もない。崩壊は近いぞ。 |
’25年01月16日(木) | コーチを始めてからずっと、若者批判が嫌いで「昔の若者と今の若者に違いなんかあるもんか」と言い続けてきたがその信念が揺らぎかけてきている。私が心底怒っていても喜んでいてもそれが選手に伝わらなくなってきたのだ。ウ~ン・・・ |
’25年01月15日(水) | 練習が始まって5分も経たないうちにペイントエリア内で1人転んだ。自損事故だ。様子を見ていたが痛そうな顔をして少し足を引きずっている。「もう帰れ」と言ってその選手を帰した。終盤にさしかかった頃今度は踵を誰かに踏まれたのか靴が脱げかかっている選手が出た。エンドラインスローインの選手がその選手を待っていたが「そんなの待ってられるか!」と言って靴紐の選手をコート外に出した。プレイを着実にやるとかではなくこんなことが多いことを選手が気にするようにならなければチームとは言えない。 |
’25年01月14日(火) | 体育館割当がない日なので3㎞ラン。3㎞ランに限らず体育館練習でも全力を出し切る意志がないので当然記録は悪い。鶴鳴時代からの記録は選手たちに提示してあるのだからそれを自覚して臨まなければならないが、選手の顔には「ふーん・・・」としか書かれていない。これでは教えて下さいという相手に失礼千万だ。私に対してではなく、誰に頼むにしてもだ。人としてたたき直すことからやり直しだな。 |
’25年01月13日(祭) | 今日の体育館割当はD練(15:30~18:00) 。それを充分承知で学校へでかけ、3時頃から体育館階段下の番台に座って選手たちを待っていたが誰も私の前を通らない。来ないはずだ、D練というのは土日祭日の割当だから生徒は誰も登校していないのである。それを調べて出かけたのに階段下で生徒を待っていた自分のバカさに今日はあきれた。 |
’25年01月12日(日) | A練を済ませたあとかねてから予約のあったクリニックに出かけた。昼食を済ませ自宅を出たのが13:00。向かった先はJ高校で経路は間の瀬峠越えだが命がけの走行になった。間の瀬峠を越える頃外気温が急に下がり、みぞれが雪に変わり、メガネは曇り風防のシールドにはまともに雪があたって視界はほぼゼロ。路面は凍結しておらずスリップ事故の危険はなかったがもっとも気になったのは私のノロノロ運転でうしろから追い越そうとする車列に邪魔になることだった。天候がよくない時に間の瀬超えは2度とやるまいと思った。 |
’25年01月11日(土) | 今日は体育館気温が6℃しかなかったので手袋をしていても手がしびれた。そんな日は決して長話はしない。B練が終わって家に帰ったあとはずっとテレビを見ていた。まず刑事コロンボだ。次にBリーグの試合。Bリーグの試合は最後まで観なかった。最近バスケの試合が面白くなくなってきたのだ。これはBもミニもすべて含めて言える。個人プレイの陳列会だからだ。 |
’25年01月10日(金) | 今日は、長崎駅・東長崎支所・エネオス給油所・18親和銀行と4箇所も廻らなければならないのに昨夜からの冷え込みでバイク走行は無理ではないかと思っていたが、10時過ぎには日差しが戻ってきて支障なく4箇所を廻れた。ホッ。年末から年始にかけてバスケットだけでなくいろんな用件が入り込み、対処に忙しかった。若いときはこの程度の忙しさはテキパキ処理できたのだが最近はメモをしておいたことさえ忘れる。 |
’25年01月09日(木) | 昨日も今日も、スマホで北朝鮮から派遣された兵がたくさん死んだという記事を見た。太平洋戦争時の赤紙と同じだ。表面上はお国のためにと喜んだふりをして送り出しても本心から喜ぶ肉親がいるはずがない。なぜヒトの命をこれほど軽んずる人間が国家最上位の位置のふかふか椅子に座ってふんぞり返って居られるのだろう。 |
’25年01月08日(水) | 年賀状仕舞の予定でいたが35人の人から年賀が届いた。迷えばきりがないので、年賀状をいただいた方々には申し訳ないが予定通り年賀状仕舞は予定通りとする。 |
’25年01月07日(火) | 新年初行事、学童のこどもたちをマイクロバスで出島メッセまで連れて行った。映画鑑賞だ。題名はモアナの海2。ウオルトディズニー社のアニメはどうしてあんなにすばらしい表情や動きを描けるんだろう。私はテレビでモアナ1しか見ておらず2はまだ見ていないが、おとなの私でもひとりで観に行きたい。 |
’25年01月06日(月) | 昨夜は21時に就寝。今朝目が醒めたのは6時。9時間もねたことになる。起きてベッドから出たら両足のふくらはぎが痛い。合宿の手伝い疲れだろう。少しは手を抜けばいいのだがそれができないのが私の性分。こんなことがこれからもしばしば起こるのだろう。 |
’25年01月05日(日) | 鶴鳴正月合宿2日目。クリニックと審判を2日間続けたが今日は審判だけ。途中自チームの指導で学校に一時戻るが今日は自チームの練習がD練だったがB練だと思い込んでおり、学校に戻ったらガラーンとして誰もいない。スマホでスケジュールを調べたがDだと気付き、急いでまた鶴鳴に戻った。相変わらずドジだ。 |
’25年01月04日(土) | 鶴鳴正月合宿2日目。今日も午後の部はクリニックをやったが胃を全摘していることを忘れて動いたので血糖値が低下して足下がふらつき、慌ててどら焼きを食べながらクリニックの続きをやった。受講した選手たちはビックリしただろう。中学校での指導時はしばしば起こることなので選手たちはおどろきもしないが、県外の選手たちは驚いただろう。 |
’25年01月03日(金) | 鶴鳴正月合宿初日。参加チームは鶴鳴と早鞆の2チーム。両者ともバスケットの理解不足解消と悪いクセの除去に時間をかけなければならず、試合は途中で打ち切って3時過ぎから夕方まではバスケットのおさらいをやった。 |
’25年01月02日(木) | 暮れの26日に瓊浦高校で審判講習を実施した時に校内のどこかに置き忘れたバッグの紛失届を提出しに長崎警察署に出向いたが、もう閉庁したので業務再開は6日からだと言われ、あと1週間は身動き取れそうにない。バカだなあ俺は。 |
’25年01月01日(水) | もうこの話題度に痛いので部分入れ歯を外して食事をした。しかしこんどは部分入れ歯をどこに置いたのかを忘れ、家中を探し回った。なんとも情けない1週間だった。 |
’24年12月31日(火) | コートに立てるようになる前にもう一つの洗礼を受けなければならない。ヘルペスだ。口の周りと口の中に無数にできた。ものを食べる度に痛い。 |
’24年12月30日(月) | やっぱり最初の日の判定が間違いだった。翌日全身筋肉痛で苦しむほど身体は動かしていないのだ。なのにこの症状、その時点でインフルと気付かなければならなかった。身体の状況は3日前と変わらない。それに気付いたのは頭皮をツメでポリポリ掻いて表面に痛みが広がるのだそれで気付いた。これは何十年もまえのインフル症状と同じだぞと。まあ、正月休み明けの4日にはコートに立てるようにはなっているだろう。 |
’24年12月29日(日) | 今日は年が明けたらすぐ東京へ出発する中学女子の練習試合(相手は高校女子)を観て今年の〆にするつもりだったが、自分の身体の状態が昨日とまったく変わらず動けなかった。身体の痛さから、ひょっとしたらインフルかなあとも思ったが今更調べても仕方がないので病院行きは辞めた。3日まではずっと寝ておこう。 |
’24年12月28日(土) | 自分の身体の状況を少し具体的に述べておこう。すべて私が悪い。そこまで無理しなくてよかったのだ。そして、やってるウチにこんなことになった。まずベッドで寝て朝起きるとにきうっかり慌てて飛び起きてはいけない。仰向けから急に起きると胸鎖乳突筋が痛みで悲鳴をあげる。腹筋も同じだ。だから朝はじわーっと横向きに寝ている姿勢を変えてから起きる。ずいぶん歳をとったもんだと思うが。動ける間は動こうと思う。 |
’24年12月27日(金) | 今日はクリニック実施日から2日目。背筋・腹筋・大臀筋・下腿3頭筋・腓骨筋・上腕3頭筋・胸鎖乳突筋・太ももの内転筋群。提示したところはみ~んな痛い。何もそんなに自分の身体を痛めるまで頑張らなくてもいいだろうに。 |
’24年12月26日(木) | 今日は瓊浦高校で審判の研修会があった。ステージでうつらうつらしていたらバッグをどこに置いたか判らなくなった。瓊浦高校のどこかに置き忘れたのだと思うがそれがどこなのか判らない。結局矢上交番に電話で紛失届をだした。加えて身体のあちこちが痛い。「あっ!インフルかなあ」と思ったがそうではなく、昨日のクリニックの反動のようだ。 |
’24年12月25日(水) | 今日は3日前に通知した押しかけクリニックの日。午後2時から5時まで実施した。時間が半分ぐらい経過した頃突然H選手が開眼した。まぐれではないことを念じながら指導を続けたが突然の出来事はその後も続いた。そしてそれは最後まで失せなかった。これと同じ事は平成7年にも経験している。その時は国体の決勝まで駒を進めた。こんなことが起こるんだと驚いたがそれから29年後また起こった。念ずれば通ずかなあ・・・。 |
’24年12月24日(火) | リトルエンジェルス(洋菓子屋)の社長から、日頃お世話になっているお礼にケーキを届けたいという電話がかかってきたので、ウチには要らないがどうしても届けたいと思うならあと2つ持ってきてくれと頼んだ。私が日頃お世話になっている人へのプレゼントに進呈したいからと。そこにはちっちゃい子がいるから短大から衣装を借りてきてサンタさんに扮してバイクで配達した。しかしその子には一瞬でサンタさんじゃないと見破られた。「サンタさんは黒いバッグ持ってないもん」だって。 |
’24年12月23日(月) | 今日と明日はインフル蔓延のため部活禁止になった。25日以降はどうするか終業式の日に改めて通達があるだろう。インフル流行にならずとも今日本の部活動は存続の危機にある。文科省・スポ協・高体連・中体連はこの機を捉えて真剣にその問題に取り組まなければならない。 |
’24年12月22日(日) | 午後1時に自チームの指導を終え直ちにクリニックに向かった。対象は中学女子。これは今年最後のクリニックだったが、私が意図した到達点まで引き揚げることができなかったので自主的に(ひょっとしたら出しゃばってかもしれないが)到達しなかった部分を補うクリニックを申し出た。実施日は25日。依頼されていないのにこちらからクリニックを申し出るのはおそらく史上初だ。 |
’24年12月21日(土) | 7~9月のオーバーワークが祟ってGOTが正常値の20倍まで上がったことはすでに述べたが、そんなことが起こると全国各地の人々から「先生のその情熱はどこから湧き出てくるんですか」と言われる。それに答えよう。それは情熱ではない。意地だ。そこまで世間を甘く観るのならば俺がそれをたたき直してやるという意地から湧き出てくる。言っておくが部活動のコーチは決して楽しいものではない。いっそ、こいつらを張り倒して辞めてしまおうか、と思いながらコートに立つ毎日である。 |
’24年12月20日(金) | 今日は体育館割当なしのオフ日。午前中はゴロゴロしていて午後からBS1でワイアットアープとドクホリデーの西部劇を観て時間を潰し、夜は松山千春のコンサートがあるって新聞の番組表でみたから「エッ!まだ歌えるの?」と思って観たら俺も観に行ったことのある数十年前のコンサートだった。彼のコンサートは歌うっていうよりも喋る方が多く、どっちかというと落語を聞きに行ってるというイメージが強い。 |
’24年12月19日(木) | 12月に入って1年生に飛ばす檄の内容のレベルが上がった。過去を振り返れば素人の新入生が人間らしくなるのは夏休み頃だった。それが今では12月だ。過去と比べれば8ヶ月遅れ。これは技術や体力の遅れではなく人間としての遅れだ。それは社会人になっても尾を引く。保護者の方々にはそれを充分承知して自分のこどもに注目して貰いたい。 |
’24年12月18日(水) | 午後7時半からNHKでオグリキャップの特別番組が放映された。私は1990.12.23有馬記念オグリキャップのラストランはテレビの実況放送で見ていた。競馬関係者やファンの間では「オグリはもう終わった馬だ」と評されていた。騎乗は武豊騎手。そんな評価の中のラストランだったけど観衆は全員オグリキャップを応援していた。そしてオグリは勝った。私は実況を観ながら涙が止まらなかった。今日の番組でも涙を拭うハンカチを手放せなかった。残るバスケ人生、こんな試合を観衆に見せたいなあ。 |
’24年12月17日(火) | このところの山崎純男は鬼だ。素人集団だからといって優しく丁寧に指導するだけでは伸びない。部活はお友達ごっこではなく訓練なのだから叱るべきときは叱る。暴言だパワハラだと批判されることを恐れて猫なで声で指導することなど私の性に合わない。それで批判されるようなら批判する社会風潮の方が悪いのだ。 |
’24年12月16日(月) | 今日の練習は2時間を経過したところで静かに「終わり」と宣言した。5校時で終了の日程だったから冬時間であっても2時間はできたのだがそれ以上はやりたくなかった。「それはだめだと何回も言ってるだろ」というセリフを数人の選手に止めどなく浴びせなければならなかったからだ。いや、止めどなく浴びせなければならないことよりも、それをやってしまったあとのその選手の表情に我慢がらなかったのだ。「これを注意しなければならない」という意識がない選手にどれだけ時間を与えても実は結ばない。 |
’24年12月15日(日) | 朝5時半に起き、6時半に家を出て熊本に向かった。数年の教育委員会勤務を終えて現場に復帰した上村先生(大津高校→教育委員会→済々黌高校)に会うためだ。相変わらず冗談が多く。元気だった。55歳。停年まであと10年ある。どうやら管理職への道は捨てたようだからそれならまた上村節を復活させ、見ている者を楽しくさせるバスケットを展開して欲しい。 |
’24年12月14日(土) | 午前中長与町体育館に行った。寒かったあ。長谷川氏(青学コーチ→日本代表コーチ)のミニバスクリニックに敬意を表するためだ。私は名のあるコーチが長崎に来てくれる場合は敬意を表して必ず会場に顔を出す。中には「高い金取る割には何の参考にもならん」というクリニックもあるがそれでも行く。相手を立ててやるためだ。備考:長谷川氏はそれには該当はしない。明日は朝6時半発で熊本へ向かうのでこれを書いたら今日は寝る。 |
’24年12月13日(金) | 今日は寒かった。練習の後半は手袋をしてジャンパーを羽織った。それでも練習が終わる頃には手指がかじかんできた。数日前に手指がかじかんだ時は外気温は3.9℃だったが今日は11℃だ。でも体感的には先日より寒かった。今日も発熱で早退した選手が出たが、これから全員揃って元気っていう日はないのだろうなあと思う。 |
’24年12月12日(木) | コートに現れる選手はおおむね元気なのだが、12月に入ってから1人の欠席もなく練習ができている日は少なくなった。重症の風邪やらインフルエンザによるものだ。5年前に胃ガンの手術を受けて以来私の身体は鼻風邪すら受け付けないほど元気になったが、私自身が発信源にならないように今日インフルの予防接種を受けにいってきた。 |
’24年12月11日(水) | 昨日、ドジョウが1匹しか残っていなかったから練習に冴えがなかったと言ったが、そのドジョウはインフルだったので今週いっぱいはコートに立たない。しかし、今日の練習はドジョウが2匹いる時と同じように冴えていた。冴えるといってもチームの3分の2が素人集団なのでできばえは知れたものだが、たった2人であってもそんな選手がいればそれが起点になって全体に冴えが波及していくものだ。まあ、焦らずじっくり眺めてみよう。 |
’24年12月10日(火) | ここ5~6年「明日も同じ顔を見られたらいいな」と思ったことはないが今日は久々にそう思った。昨日の選手たちの顔が活きていたからだ。だが、柳の下にドジョウは1匹しか生き残っていなかった。でも今のチーム状態ではそれでもヨシとしなければなるまい。備考:今日の外気温(練習終了時)は9℃。昨日は3.9℃で手指がかじかんだが今日は手袋不要だった。 |
’24年12月09日(月) | 今日の練習は寒かった。選手に何度も「室内温度は何度だ」と、壁に取り付けてある温度計を見に行かせたが12.2℃以下いは下がらない。指がかじかんで感覚的には絶対一桁台の温度だと思っていたのに。家に帰り着いてからスマホで外気温を調べたけど9℃だった。体感温度は8℃を示していた。テレビの天気情報では長崎市3.9℃で今年最低であることに違いはなかったが、それにしても体育館の室内温度は何だったんだろう? |
’24年12月08日(日) | 夕方は古賀ミニバス男子コーチ加藤氏の祝勝会を催した。鶴鳴時代からずっとそうだが私はこのような時は必ず奥さん同伴で出席するように強要する。男だけが手柄を独り占めするのは不公平だ、というのがその理由だ。 |
’24年12月07日(土) | 市会長杯結果報告 newpage3 参照 |
’24年12月06日(金) | 選手のバス送迎をやめてからコミュニティ体育館を借りての練習が減ったのでやむなく八郎川ランを復活させた。現在の選手はまだ4回ほどしか走っていないが参考までに、鶴鳴風軍団1年生の記録と東長崎最強チーム(平成15年)の記録と現在の記録を比較してみた。速い遅いは素質にもよるので一概に優劣は決められないが強い時の選手たちはゴールする時の顔が違った |
’24年12月05日(木) | 25年前、アメリカの大学で活躍している大野慎子を応援しに行った。その時地元の新聞記者にインタビューを受けたがその時のことを話そう。インタビューの内容は「女子の試合の観客の少なさについての感想をお聞かせください」だった。私も実は慎子の試合観戦でもっとも驚いたのは観客の少なさだった。そのインタビューには「ウーン、言葉が・・・」と言ってごまかしたが、私の感想では野球・アメフト・バスケ・アイスホッケーの男子4大スポーツを見慣れているアメリカの観衆にとって女子バスケは評価が低いのだろうなあと思っていた。が、スポーツ後進国の日本からやってきたコーチがそんな偉そうなこと言ったらとんでもないバッシングを受けると思って言葉を濁したのだ。でもその記者もおそらくそんなことを言わせたかったのだろうという察しはつく。 |
’24年12月04日(水) | このところ、テレビ画面に登場していた誰それさんが亡くなったというニュースがひっきりなしに飛び交う。ほとんどが70歳台後半だ。驚いたのが11/14に亡くなった火野正平さん(75歳)だ。何に驚いたかというと彼のふくらはぎだ。こころ旅という番組で全国あちこちを自転車で走り回っていたが、あれは75歳のふくらはぎではなかった。俺も負けないようにガンバロー。 |
’24年12月03日(火) | 4時半過ぎ、コミュニティ体育館で手続きをしていたら顧問の西川先生からメールが届いた。「選手たちは3㎞ランの準備をしていますがそれでいいですか」という内容だ。今日はコミュニティが取れているのにまたまたパソコンのスケジュール表を訂正していなかったらしい。一旦正規に申込をしたあとの補充申込はキャンセルがあればすかさず申し込むという手順になるので、取れたことに安心してパソコン処理を忘れるのだ。というより認知症が忍び寄っているのかもしれないが。 |
’24年12月02日(月) | ケンブリッジ大学大学院在学中にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断され、余命2年の宣告を受けてから車椅子生活ながらも74年間生き延び、多くの宇宙物理学理論を発表し、76歳で亡くなったホーキング博士の実録をもとに作られたテレビ番組を身じろぎもせずに見た。博士は1942年生まれ、私と同い年だ。こんな天才に難病を押しつけてはいけないよ。 |
’24年12月01日(日) | 今日は朝から創成館高校で成年女子(ストレッチ)、純心女子、創成館、北陽台の4チームが集まって強化試合をするというので視察に行った。審判もした。午後からは自チームの練習があるので戻ったが、その途中スマホに電話がかかってきた。古賀ミニバス男子コーチの加藤氏からだった。用件は「先生、全国の切符取りました」だった。スゴーイ。聞けば決勝リーグ4チームでの4つ巴だったそうだ。心臓潰れそうだっただろうな。アッパレ~エ。全国大会は来年3月末、行きたいなあ。 |
’24年11月30日(土) | 今日の東長崎バスケはオフなので市内の高校女子と中学女子のダブルクリニックを行った。私はディフェンスのクリニックをめったにしないが、この両チームは今後ディフェンス強化をメインに行うと伝えた。この両者のオフェンスは滑らかで手を入れなければならない部分は少ない。だが、粘るとか強くという部分が足りないのだ。それは、オフェンス強化では補えない。だからこの両者は当分の間ディフェンスのチェックがたくさん入ることになるだろう。 |
’24年11月29日(金) | 2017年度(平成29)の3年生は11人全員が素人だったが、1個下の学年に古賀ミニバスの主力2人が在籍していたのでチーム作りに苦労はしなかった。もちろん、素人組と経験者組を2つに分けてチームを作る発想など湧いては来なかった。今は素人組と経験者組に分けて指導しているがそれは当たりだった。素人組が経験者組の邪魔にならなくて済むのが当たりだったのではなく、経験者組の指導力不足にストレスを感じなくて済むのが当たりだったのだ。62年のコーチキャリアを積みながら今頃こんなことに気付くなんてバスケットは奥が深いよ。 |
’24年11月28日(木) | レブロンジェームスがキャブスからヒートに移籍し、キャブスと対戦するためにオハイオを訪れたとき、観衆は総立ちでブーイングを浴びせた。レブロンはヒートに移籍するまでキャブスで観衆を楽しませてくれたんだぞ。それがキャブスを出た途端に敵側に回るのか?不愉快だなあ。スポーツファンのこのようなわがままな行為はしばしば熱意とすり替えられることがあるが、それが日本のバスケ界にも八村発言に端を発して侵入しはじめている。ムカつく。 |
’24年11月27日(水) | このところずーっと体育館へ向かうのは気が重かったが今朝は霧が晴れるようにそれが取り払われた。理由は分かっている。チーム編成を混成とせず学年毎に編成したからだ。思ったとおり練習が始まるとどちらの組も動きが滑らかだった。他学年に気を遣わなくて済むからなのだろう。これで当分はイライラせず練習に打ち込める。 |
’24年11月26日(火) | 19:00~20:40まで、NHKがみんなのベスト紅白という生番組を、内村光良氏と大泉洋氏のMCで放映した。ゲストは大レジェンドの北島三郎氏(88歳)。聞けば芸能生活62年目だそうな。62年目といえば私も20歳からコーチをはじめたからコーチ歴62年目だ。北島さんと張り合うつもりは毛ほどもないが、北島さんと同じ歴史を重ねていると思うとつい張り切ってしまう。まだまだやるぞ |
’24年11月25日(月) | 7・8・9月のオーバーワークが祟って倒れ大村の国立療養所で診察を受けたのが9月31日。それから10日間安静を指示されたがその後の再診が今日だった。9/31に600を超えていたGOTの値は30に戻っていた。今日の再診は採血があったので朝食抜きで行ったが、朝食抜きの空腹感よりも朝4:30に目が醒めたので眠気と闘う方が大変で、診察が終わって家に帰り着いてからは午後3時まで寝ていた。 |
’24年11月24日(日) | 今日は良いことがふたつあった。ひとつはホーバスジャパンがグアムをやっつけて来年のアジアカップ出場権を得た。プレイはメンバーが替わったので不揃いの部分があるがそれは練習を重ねながら修正されていくだろう。もうひとつは大谷選手が予想通りMVPを獲得したことだ。それに追加がもうひとつ、武豊氏騎乗のドウデュースが1着でゴールしたのだ。 |
’24年11月23日(土) | 2年生の修学旅行以前は2チーム編成で試合形式の練習をする場合は、2年生の中に1年生の中から使える選手を組み込んでいた。そうすると2年生中心のチームが8人編成となり1年生チームは6人編成となる。が、それを今日から変えた。2年生チームの中に1年生を補充せず。2年チームは2年生だけで組み1年生チームは1年生だけで組むのだ。そうすると各チーム内の質は等質になる。この方が指導しやすい。なぜこんな簡単なことに今まで気付かなかったんだ。自分の頭を殴りたくなった。 |
’24年11月22日(金) | 学童送迎のボランティア活動はなし、バスケは体育館割当なしだからオフ、すると今日はなんにもすることがない。21時から始まるディズニーのアニメ「モアナと伝説の海」を見ながら寝る。ディズニーさんは1966年に65歳で死んでるから現在のディズニー作品はそのお弟子さんたちが描いてるんだろうけど、表情も動作もなぜあんなにリアルに描けるんだろうかと見る度に思う。 |
’24年11月21日(木) | 新生日本代表男子の主将は比江島慎選手。自称”世界一声が小さい主将”だそうな。それを読んで吹き出してしまったが、タイプとしては年下からもいじられるそんなキャラが、若い選手が大量に加わったチームの主将としては最高の人選ではないかと思う。 |
’24年11月20日(水) | 今日は2年生が修学旅行に出かけたから学校が静かだ。体育館の中も同じで隣のコートのバレー部もこちらのコートの男子バスケ部もみんな1年生だから幼稚さが漂っている。下手なのはもちろんだがなんだか顔つきも体つきもランドセルが似合うような子があちこちに居るのだ。女子は中学になってもさほど変わらないが男子は上級生になると体格も風貌もおやじみたいなのがいるから、久々にかわいいこどもたちを目にして少し幸せな気分を味わった。 |
’24年11月19日(火) | 市村夫妻は16:10発の飛行機で帰った。前日述べたように市村先生とは教え子の工藤姉妹が鶴鳴を受験して以来30年の付き合いになるが、古い順に言えば40年前に弟子入りした神村学園の進藤先生、以後いろんな人が弟子入りしたり友達になったりしたが、1番新しいのは昨年私の縄張りに突然参入した出雲の足立氏(多分65歳)、その前年これもいきなり参入してきた大濠の片峯先生(36歳)と男女問わず数え切れないほど友達が増えた。82歳にして見捨てられず、忘れられずこうして声をかけてくれる人が居るというのは実にありがたいことだ。もう少し長生きしようかね。 |
’24年11月18日(月) | 今日市村夫妻はフリー。長崎港と稲佐山をバックに一枚パチリ。2人は市内をあちこち散策したようだが私はボランティアの学童送迎があったし自チームの練習指導もあったので付き合えなかった。夕食は付き合えたのだが、四海楼がちゃんぽん発祥の地だとは知らなかった。 |
’24年11月17日(日) | 茨城からの訪問者である市村夫妻(御主人は風軍団の工藤姉妹の師匠)のお世話で時が過ぎた。御主人とは30年前、姉の洋子が来た時からの付き合いだが、今日は家庭の日でバスケプログラムがないのでもっぱら奥さん優先の市内散策が主体になった。奥さんも元バスケ選手なので話題を探すのに困りはしなかったが私は酒を飲まないので客の接待向き人間ではないようだ。 |
’24年11月16日(土) | 今日は朝9時から東高に高校地区新人戦を観に行き、引き続きカブトガニアリーナに移動して九州総合選手権を観に行き、午後1時に学校に戻って東長崎チームを指導し、3時半からまたカブトガニアリーナに総合選手権の最終戦を観に行った。フウ、忙しい1日だった。私の目を引いたのは福岡代表の精華女子高校だ。速い。チーム作りのあり方を学ばせてもらった。 |
’24年11月15日(金) | 朝からムカムカしている。八村選手がJBAとトムコーチにもの申すとXで表明したからだ。君ごとき若造はまだバスケを極めてもいないし、世間知も低いし、他を批判できる身分ではない。もっともっと自分を磨くことに専念しろ。 |
’24年11月14日(木) | 昼過ぎ、ルカ(卒業生現在高2)のパパから電話がかかってきた。用件は、仕事が休みだから今日の練習を観に行きたいということだった。ルカはミニバス経験なしの素人入部選手だった。もう卒業して2年も経つのに観に来たい?娘の応援に会場に足を運びながらハマってしまったのだろう。有名なチームのコーチの訪問よりも私にとってはルカパパのような人の訪問の方が嬉しいね。 |
’24年11月13日(水) | テスト休み明けに学校で練習するのは初めてで、しかも11月から冬時間となり完全下校(校門通過)は6時だ。「あぶないなあ」と思ったから体育館玄関の上がり框で待っていたらやっぱり1年生全員がの~んびりとした歩調で更衣室から出てきた。私が待っているところに来たのは丁度6時だ。そこから校門までは駆け足で急いでも30秒はかかる。当然怒鳴りつけた。これを暴言だという人が居たら私はさっさとコーチを辞めるよ。 |
’24年11月12日(火) | 10日ぶりの練習再開。2年生が1年生に声かけや指図ができれば自分も上達するのだがなかなかうまくいかない。だからといって私が1年生に直接指導するのは務めて控えている。ほとんど2年生経由で指導する。私が1年生に直接手を出せば2年生を見放したという印象を与えるからだ。 |
’24年11月11日(月) | 今週のコミュニティ体育館申込をしくじった。コミュニティ体育館申込の手順は、ひと月前の月初めから10日までの間ににまずインターネットで大人の私が申し込む。その当落は10日に通知される。通知された当選日の申込は20日までの間に確定の意思を通知しなければ流れる。それをさらに中学生の使用申込に切り替えるのは使用日の1週間前から2日前までの間に切り替え申込をしなければならない。切り替えの申込は通常、コミュニティで練習をする日に次週の切り替えを申請するのだが今週はテスト前の休み期間中なのでコミュニティで練習はしないから切り替え申請をうっかり失念してしまっていたのだ。テスト休み期間中はしばしばこんな失敗をする。フウ・・・ |
’24年11月10日(日) | 次の週末は各地区高校の新人戦が開催される。その情報が入ったので諫早まで観戦(審判)に行った。本番で対戦しないチームが3つ集まって10分セットのスクリメージを繰り返した。折角諫早に来たのだから帰りはウナギを食べて帰ろうと思っていたがずっと雨だったので終わったらすぐ帰った。ウナギは好きだがカッパを着たり脱いだりするのが面倒くさかったのだ。 |
’24年11月09日(土) | 今日は稲佐山へ学童クラブのこどもたちをバスで運んだ。市内全学童クラブの児童が集まってレクレーションをやるのだから壮観だが私にとっては昔ほど壮観ではなくなった。保育園も学童も行事の手伝いをすることがコロナ以降激減したのでこどもたちの顔がまったく判らないから楽しくないのだ。だから朝から送り届けた後は帰りのお迎えの時間までは市内の高校のバスケ練習の見学に出かけた。全国各地のバスケ指導には出かけることが多くなったが、自分の身の周りのこどもたちの世話をする機会が少なくなったのは寂しい。 |
’24年11月08日(金) | パソコンのアドレスに県バスケ協会から通達(連絡?)が入った。内容は、練習或いは競技中の選手のケガの処置についてだが私は「やっと出たか」と思った。というのは競技中のケガの処置特に転倒や衝突による頭部打撲についてはかなり前から各競技団体が慎重な姿勢を示している。特に最近クラブ化が進んでいるバスケ界においてはその指導や運営に携わる人は必ず勉強しなければならない事項なのだ。 |
’24年11月07日(木) | 今日もバスケットのことを考えていたら昼過ぎにツメクサから電話がかかってきた。「あの~今日は学童のお迎えの日ですけど」バスケがテスト休み期間なので私の動きはすべてオフだと思い込んでしまっていた。電話を受けた後すぐ出発してなんとか間に合ったが、ボランティアをふたつ受け持っていたら時々こんなことがある。 |
’24年11月06日(水) | 一日中考えていたが「これだ!」という案は浮かばない。やり方の問題ではなく人選の問題だ。素人の10人には1人も不真面目な子はいないのだが、いくらまじめといっても自分たちだけの力ではうまくなれない。もちろん私は知恵を絞って教える。が、それだけでは足りない。組織の向上に不可欠なのは上級生の関わりだ。即ちミニバス経験4人組。この子たちが引っ張ってくれなければならない。上級生に教えるのは技術や戦術ではない。「人とは」を教えるのだ。それが欠ければどんな組織も動かない。 |
’24年11月05日(火) | 10月当初過労で倒れ、10日間ほど休ませて貰ったがドクターストップ期間なのでその間バスケのことなんか頭に浮かばない。だが今はテスト休み期間中なのでバスケのことばかりが浮かんで来る。素人が10人なのでこれはコツコツ教えていくしかないのだが、それより大変なのが4人のミニバス経験者が身に付けてしまった悪いクセの除去だ。一旦身に付いてしまったものを除去するのは大変な作業になるが、バスケの楽しさを味わわせるためには是非除去しなければならない。 |
’24年11月04日(振) | 今日から11日までテスト休み。組織を作るにはまずリーダーを作り、チームを引っ張る主力にバスケを教えなければならない。それがうまくいくと、リーダーや主力たちが他の選手たちを育ててくれる。しかし今年は代が変わって5ヶ月も経つのにリーダーも主力も力を付けてこない。ここで言う力とはバスケの力ではなく人間としての力だ。だから組織力も向上しない。これは大半が素人の集団だというのが原因ではない。私は大ベテランのコーチだ。だからそのような集団をどう導けばよいかというアイデアが浮かばないわけではない。適切なことばや指導内容を選んで提供しても響かないのだ。これを時代だとことばで片付けたくはない |
’24年11月03日(日) | 南島原杯2日目結果報告 newpage3 参照 |
’24年11月02日(土) | 南島原杯初日結果報告 newpage3 参照 |
’24年11月01日(金) | 明日と明後日は南島原市でカップ戦がある。初日に勝っても負けても泊まろうかなあと思っている。長崎からは最も遠いところにある町だからだ。これまではバスで選手を送迎していたからそんなことを考えもしなかったが、バスを売り払ってしまったので明後日も必ず早朝から島原まで走るのが面倒くさくなったのだ。明日また考えてはみるが・・・。 |
’24年10月31日(木) | ワールドシリーズの決着がつく瞬間までを見てチャンネルを変えた。その後インタビューやセレモニーがあるだろうとは思っていたがそれを見たくなかったので変えたのだ。見たくなかった理由は観客の観戦態度の無様さだ。地元贔屓が度を超えすぎていた。ばかりでなく、ジャッジ選手が安打性の打球処理を誤ってオールセーフになった時観客席からヤジが飛ぶのだ。これまでヤンキースファンはどれだけ彼に楽しませて貰ったことか。ならばジャッジ選手がどんなミスをしてもありがとうだろう。これと同じ事を私はアメリカ大統領選挙戦にも感じる。スポーツにしろ政治にしろ、まずは相手に対する敬意だよ。 |
’24年10月30日(水) | パソコンにアマゾンからメールが届いた。先日プリンターのインクを注文したのだが買い物かごの中身をちゃんとチェックせず注文し、「なんか2重に注文したような気がするなあ」と思いながら「ま、いっか」と適当に処置をしたら案の定今日アマゾンから発送通知が来て、やっぱり2重注文していた。でも、パソコンで仕事をしている限り必ず使う品物だからそのままにしといた。 |
’24年10月29日(火) | 大谷選手を強行出場させるなとか、それくらいなら大丈夫だよとかのコメントを出す立場ではないが、強行出場したためにそれが慢性化して選手寿命が縮まることにならないよう祈る。 |
’24年10月28日(月) | 血液検査がある日は朝メシ抜きだ。検査も朝1番から始まる。今朝は検査を受けるため6時半に家を出た。だから医師の診察が始まる前に院内のフードコートで朝メシを摂る。診断結果の数値は9月末の診断前と変わらず何も異常はない。医師は「なんだったんでしょうかねえ」と言うが、7~9月の超ハードワークが原因だと思うなんて、患者の身分としては言えない。どうやら余命にはまだゆとりがあるようだ。 |
’24年10月27日(日) | 午後2時半から5時まで県内の女子中学生のクリニック。70歳で鶴鳴を辞め、それから12年間ボランティアコーチやクリニックを続けているが、こんなに老いてもまだアイデアが浮かぶ自分に驚いている。体力勝負の仕事は年齢とともに衰えていくが頭脳勝負の仕事は本人が「もう歳だから」と思っていない限り衰えることはないと思うよ。この10年の自分を振り返ってそう思う。 |
’24年10月26日(土) | 昨日の夜からサーバートラブルでインターネットに繋がらずHPの更新ができなかったがさきほど復旧した。多分、7~9月の無理がたたって大村の国立病院にお世話になったという記事を載せた直後だったので私の体調を心配なさった方が居られると思うがそうではない。体調の方は念のため28日(月)に国立病院に出かけ諸検査をするが、その時に私の余命が判明する。それはそれでまた報告する。備考:南島原杯参加案内 newpage3 参照 |
’24年10月25日(金) | 私の口から怒声が飛ばない日はない。もちろん「OK!」と「ヨシ!」も同じくだ。その「OK!」と「ヨシ!」も、単なる励ましだけでなく本気で「この子判ってきたんじゃないか?」という思いが3日ぐらい前から同居するようになった。だからといってこの分だと12月の新人戦は楽しみだぞの域に届くのはほど遠いが、今のところどうせまぐれだろではないのは確かだ。 |
’24年10月24日(木) | 私はクリニックの要請を拒まない。それは「俺が教えてやるよ」と自分は高いところに立っていたいからではない。行けば必ず自分の勉強になる材料を持ち帰れるからだ。現在82歳だがそれはまだまだ続きそうだ。勉強の材料と言うのはバスケに限らない。昨日の二葉百合子さんなんかもその1人だ。ちなみに、来年10月までクリニック要請が入っている。 |
’24年10月23日(水) | 夜、BS1で2時間放送の「歌謡プレミアム二葉百合子2時間スペシャル」を見た。二葉百合子さんと言えば岸壁の母で有名だ。もうお亡くなりになったと思っていたが93歳でお元気だった。しかも今日の番組で岸壁の母を歌われた。岸壁の母は端野いせさんの息子さんが戦争に行ったが、終戦後生きて帰ってくると信じて毎日舞鶴港(京都府)の岸壁で待ち続けた心情を綴った歌だ。私たち家族は満州からの引き揚げ者(このことはこのブログのどこかに書いている)で同じ舞鶴港に命からがら辿り着いたので、二葉さんの岸壁の母は他人事ではない。最後まで画面を食い入るように見ていた。それにしても93歳にしてあの声とは・・・。 |
’24年10月22日(火) | バージニア大学に15年在籍したベネットコーチは、もうどこに勤めなくてもその間に得た契約金で一生暮らせるお金を得ただろうが、私は彼の父母姉と親しくして貰っていてその人柄をよく知ってるが故にあんな人たちがバスケ界から去ってしまうことが悲しくてたまらない。彼の父親であるディックベネット氏は私と同じ歳で、アメリカのコーチ達の投票によるバスケコーチのランキングではトップ4に選ばれたことがある人なのに・・・。 |
’24年10月21日(月) | バージニア大学のヘッドコーチであるトニーベネットが突然辞めた。選手や学校とトラブルがあったり、彼自身が何か問題を起こしたわけではない。まだ55歳。すでにNCAAチャンピオンの栄冠を得ているが、年齢的にもこれから全盛期を迎えようとしている矢先の出来事である。どうやらカレッジスポーツの世界に身を置くことがイヤになったようだが、おそらく最近流行の匿名による誹謗中傷のレベルではなく、もっとドロドロした汚い世界に嫌気がさしたのだろうと思う。コーチKが引退し、ボビーナイトが死に、そしてまたベネットがコートを去った。悲しい。 |
’24年10月20日(日) | 先週岡山クリニックをやり終えたばかりだが昨日と今日は県内高校生のクリニックだった。今月は週末の土曜日に市内中学生のクリニックの予約が入っている。今月はそれでおしまいだが、私のクリニックについて述べておこう。私のクリニックは依頼先の選手にプレイを教えるのではなく、そこの指導者に教え方を教えると言った方が正しい。どこのクリニックへ行っても同じだが、そこのコーチの口から出ることばは核心をついていないことが多いし、セリフが出てもただことばが飛び散っているだけで選手になるほど感をもたらせないからそこに気付かせたいのだ。 |
’24年10月19日(土) | 今日は自チームの指導の他にクリニックが入っていたが、終り頃もうちょっとで私が意図するところを掴みそうになったので「はい時間がきたので今日はここまで」と言って打ち切るのがもったいなく、少し粘っていたら自チームの指導に遅れて(ほんの数分ではあるが)しまった。10日付けのこの欄に「サービス過剰にならないよう要注意だ」と書いたばかりなのに・・・。 |
’24年10月18日(金) | U14league24結果報告 newpage3 参照 |
’24年10月17日(木) | ひと言でまとめてしまえば「残念」な国スポになってしまった。天皇杯を獲得した2014年長崎国体から10年。天皇杯順位は40位に沈み、皇后杯は最下位。過去2年の天皇杯も45位、39位。長崎は10年前の“遺産”を継承できずに再び「スポーツ弱小県」のイメージを定着させてしまった。これはスマホで見つけた記事の内容だが、これを解消するにはそれぞれの指導者が「俺は日本一になるぞ」と強く思う以外にない。 |
’24年10月16日(水) | 週末の市内リーグ戦は、前々から約束があった岡山のクリニックと重なったので市内リーグ戦は顧問の先生にお願いした。その会場での他校の先生と東長崎の顧問との会話「山崎先生の指導って、厳しいでしょ、時々殺すぞ!という言葉も出るとか・・・」。この会話についてコメントしておこう。私は鶴鳴時代(40年以上前)から公式試合や練習試合で暴言やintegrityに反することばは発していない。だからこんな噂話の出どころは身内からだろう。その身内の練習でも上記に該当するようなセリフは発しない。「これはintegrityに反する」と充分判っていて用心しながら叱るからだ。ちなみに「殺すぞと言われた本人から聞きましたよ」と言われてもそれは証拠にならない。なぜなら、それは生徒の作り話でしょと言われたら反論できないからだ。もし証拠を示したいなら音声か画像を私に突きつけるしかない。そこまでして私と闘いたいなら私は受けて立ちますよ。 |
’24年10月15日(火) | 3日ぶりの長崎。3日ぶりの東長崎。代わり映えしないなあ。7・8・9月はクリニックで忙しかったが、私はあくまで東長崎中のコーチだ。その、本家本元の選手達の顔つきがどのクリニックよりも反応が悪いのは残念! |
’24年10月14日(祭) | 倉敷クリニックを終えて新幹線さくらの車内でブログを更新している。気がかりだったのは最終日まで身体が保つかということだった。椅子を持ち出して時々座りながらでないとできないのじゃないかと思っていたが、これまでと何も変わらず最後までやり終えた。だけでなく、教え尽くした感が足りないということもない。少し安心しながら帰途についている。広島から1人、島根から1人、倉敷から1人計3人の見学者が来た。最後にパチリ。 |
’24年10月13日(日) | 午前中はとても難しかった。どの選手を見ても、ミニバス及び中学時代に培ったものを持っているしそれがチームの動きに繋がっている。しかしそれだけでいけばいずれ自滅が待ち構えているのが目に見えている。だからといって個々に身に付いたものを改良しようとすれば本人を否定することになる。どこから、誰から手を付けるか考えあぐねながら午前中が過ぎた。午後になりきっかけができた。ゾーンプレスを仕掛ける時にクローズアウト&ジャンプを教えはじめたら誰かのプレイを契機に次々とそれが伝播していったのだ。ヤレヤレ。 |
’24年10月12日(土) |
岡山は遠い!午前中病院に行って午後肥前古賀からJRで岡山に向かったが、古賀駅の待ち合い所で尻が痛くなった。固い木の椅子に30分以上座っていたからだ。この10日間の安静で尻の筋肉が落ちたのだろう。わかりやすく言えば老化だ。元気ぶっていてもこれが山崎純男の現実だ。 |
’24年10月11日(金) | Drストップ解禁2日目。明日は中学リーグの試合があるが、それよりずっと前に依頼されていた岡山クリニックに穴を空けるワケにはいかないので、中学リーグは顧問に任せて私は岡山に出向く。それを聞きつけた数人から早速研修依頼が舞い込んだ。周囲にどれだけ人が増えようが私の体力消耗には影響しないので断りはしなかった。 |
’24年10月10日(木) | 今日の診断でDrストップが解除された。だから5時から7時までのコミュニティ練習のコートには立った。少しはリフレッシュ感があるのかなと思っていたがそれはなかった。10日間休んだだけでは変化なしなのが当たり前だが。10日間の安静を経て思ったことは、10月以降のクリニックは間引かなければならないのがあるだろうしサービス過剰にならないよう要注意だ。 |
’24年10月09日(水) | いよいよ明日だ。明日、OKなのかNGなのかが判明する。NGと言い渡されたところで入院だとか寝たきりという生活にはならないだろうがNG宣告はやっぱりイヤだ。身体はまだ錆びていないと思うので、錆びていないうちはもうちょっとバスケに関わっていきたい。 |
’24年10月08日(火) | 9日間もじっとしているといろんなことを考える。日常のこまかなことはもちろんだが、今私のアタマの中を占領しているのは10日の採決結果がNGだったら・・・ということだ。もしNGだったら初日の診察の時にそう言われるだろうから悲観的なことは考えなくてもいいのだろうが、そうなった時の心構えだけはしっかり持っておかなければならないのだ。 |
’24年10月07日(月) | 家の中では少し動き始めた。といっても、パソコンのキーボードを触る時間が増えただけなのだが・・・ |
’24年10月06日(日) | 時津長与杯結果報告 newpage3 参照 |
’24年10月05日(土) | 9/30からずっと自宅安静中(病院での絶対安静状態を維持している)だが、時津長与杯の結果を顧問の西川先生から聞いたあとガソリン補給のためちょっとだけ外へ出た。外の空気を吸うためだ。安静を守っているのは命を長らえたいからでもなく、早く復帰したいからでもない。これ以上他人に迷惑をかけたくないからである。 |
’24年10月04日(金) | 終日家でじっとしていたが、夕方ヴェルカの初戦がテレビライブで放送されたので少し気が紛れた。モップを持ってるのはメイコだ(高1)。その横に立ってるのは弟のケイト(小1)。ママはこの会社に勤めている。なんとぴったりなコマーシャルだこと。 |
’24年10月03日(木) | 今日の診察にはパソコンも持って身のまわりのものを揃えて向かった。入院しましょうと言われることに備えてだ。しかしそれは杞憂に終わった。数値はすべて下降していたのだ。たしかに7・8・9月の活動は超ハードワークだった。もう、俺は不死身だなどと粋がるのはよせということだ。普通の80歳を過ぎた老人らしくすごそう。次回診察は10/10。 |
’24年10月02日(水) | 9/30,10/1,10/2と3日間は家の中でじっとしていた。担当医師たちは「静かにしておけと言ってもどうせ聞かないだろう」と思っている。命に未練はないが私がわがままを通したために医師達に迷惑をかけるわにはいかない。そこまでこどもではない。現代医学は発達した。それに身を委ねよう。 |
’24年10月01日(火) | 昨日のことを具体的に記そう。肝臓の値はGOT(正常値13~33)が604、GPT正常値(10~30)が247、γ-GPT正常値(10~47)175を私は前日の会食と結びつけて考えたが、よく考えるとこのところ全身倦怠感が続いていたのだ。そこですぐ肝機能低下を疑った。胃全摘のあとはまず貧血から始まるのだが、今回の検査の結果それは大丈夫だった。が、結果は案の定肝機能低下だった。3日に今後の方針が決まるのでそれまでは静かに暮らすしかない。治療は飲み薬ではなく、葉酸とB12の筋肉注射による。 |
’24年09月30日(月) | 今日はさんざんな目に遭った。昨夜BSKプレディジョン九州の設立を記念して食時会をしたのだがそれからずっと腹の調子が悪い。朝からすぐ宮本外科に走り血液検査をしたが肝機能の数値が良くない。胃を全摘したあとはしばしば見られる症状だが、これは葉酸とビタミンB12の吸収が悪いからなのだ。そこから西諌早病院に回されてアタマのCTスキャン。午後は大村の国立療養所で肝機能の検査。結果、症状が落ち着くまでバスケ活動及び学童送迎は禁止とされた。入院は免れた。 |
’24年09月29日(日) | 今日もA練のあと大村まで走った。慎子の2回戦があるからだ。バスケIQが高い!3回戦も楽しみにしてたら居ない。慎子1人だけ東京に帰ったんだそうだ。最初から2回戦を勝つつもりではなかったので航空券を取っていたらしい。目的は?なんと息子6年生のバスケ練習のためだそうだ。アッパレ!同僚との記念撮影(皆同じ年代)までしたのに。命を削って・・・。 |
’24年09月28日(土) | コミュニティでの練習後大村までバイクを飛ばした。慎子がマスターズの試合で来ているのだ。46歳。気持ちは22歳だね。ハーフタイムにベンチへ行ったら慎子がみんなに「鶴鳴の山崎先生」と紹介した。途端にベンチの選手たちは全員起立。その中のひとりが「今は何をなさってるんですか」と聞いたので「老人をやってます」と答えた。 |
’24年09月27日(金) | 合唱コンクールを鑑賞に行ったが、体育館の入り口がかステージまでは距離が遠すぎ、そのためにズームアップもできないので人物が豆粒のようにしか撮影できない。なので開始直後の1年生の部門だけを撮影して帰った。 |
’24年09月26日(木) | 今、東長崎のチームはダブルチームの仕掛け方の段階に入った。素人ばかりの1年生も含めてだ。1年生には個人的なディフェンスの原則(インライン上の位置を占める)すら教えていないのにそんなのすっ飛ばして2段階先のことをやらせるのは鶴鳴時代からの私の流儀だ。 |
’24年09月25日(水) | 8/11のブログで紹介した市村氏(猫の絵を色鉛筆で描いた人)から電話で、11月中旬に長崎を訪問するという連絡が入った。彼とは30年来の付き合いで、鶴鳴での遠距離国内留学生第1号の工藤洋子は彼の教え子である。クリニックもずいぶん先までオファーが入っているが、個人的にバスケットの話をしたいという理由で市村氏のように打診が入ることが増えた。 |
’24年09月24日(火) | 今日はちょっとだけ嬉しいことがあった。10月分のコミュニティ体育館は4回分しか取れていなかったのが今日新に5回分取れたのだ。毎月21日から月末までの間にキャンセルがあれば誰でも申し込む権利があるのだが東長崎は5回分も取れた。キャンセル待ちはなかなか取れないものだが粘り強くチャレンジしているとこんなこともある。 |
’24年09月23日(秋) | オフ日ではなかった。D練実施日だった。しかし身体の重さは軽減した。単発でのクリニックはとびとびにあるが、近々で大きなのは来月12~14の倉敷クリニックだ。他のクリニックを消化しながらこれを乗り切るための体力を貯えなければならない。 |
’24年09月22日(日) | 私は目覚ましをかけない。早朝に県外へ出かける用事を控えている時でもそれは同じだ。「明日は6時起きだぞ」と自分に言い聞かせて寝るとその時間に起きるのだ。が、今朝は危なかった。5時半に目が醒めたのだが「まだ大丈夫だな」と思ってひと寝入りしていたら7時半になっていたのだ。今日はA練(08:00~10:30)だから飛び起きてバイクを走らせた。危ない危ない。練習後は家に帰って夕方までゴロ寝していた。明日はオフ日なのでこの1週間の疲れを今日と明日で取ろうと思う。 |
’24年09月21日(土) | ①東長崎のB練(10:30~13:00)②市内中学生のクリニック(14:00~17:00)③審判研修の手伝い(19:00~21:00)と3コマ済ませ、家に帰り着いたのが22:20。戦時下のウクライナやパレスチナならまだしも、平和な日本に住んでいて家に帰り着いた時「なんとか生きて辿り着いた」という感想を持ったことはない。 |
’24年09月20日(金) | オオタニさ~ん、すご~い!6打数6安打(うちホームラン3本)、打点10、盗塁2なんて・・・。しかも個人的には51ホームランと51盗塁を同時に達成、チームとしては今日の勝利でプレイオフへの出場権を得られた。なんという人だ君は。 |
’24年09月19日(木) | 足腰立たないというのはこんな状態をいうのだろう。家の中でさえ動き回るのがイヤで終日ゴロゴロしていた。本当はこうしてたった1行の文章を書くのさえ辛い。 |
’24年09月18日(水) | 東長崎の練習を終わってから成年女子の手伝いに行った。下関クリニック中に依頼があったから行ったのだが、内容はゾーンオフェンスだった。3日間の下関クリニックから1日空けての手伝いだったのでさすがに疲れたが、どんなに疲れていても忙しくても依頼があれば断らないと決めたのだから行く。が、家に帰り着いてからシャワーを浴びるまで30分間身動きできなかった。 |
’24年09月17日(火) | クリニックをやれば必ずその出来が良かったか悪かったかが脳裏に蘇りそれがしばらく続く。今日は1日中それだった。その結果やり残したとかこう教えれば良かったということは生じてこない。だが、復習は怠らない。なぜなら自分は完璧だとは思っていないからだ。でも今日はもう寝る。疲れた。 |
’24年09月16日(振) | 前にも述べたがクリニックでもっとも大変なのは身体を動かすことではなく、会場いっぱいに響き渡る声で檄をとばし、誉め、励まし、説明することだ。精一杯声を出し続けると腹筋が攣り、横隔膜が疲れる。21時に帰り着いたが3行の文章を書くのが精一杯で他のことは何もしないで寝た。 |
’24年09月15日(日) | 今日は島根から1人(足立氏60歳台)と山口県下から1人(上田氏60歳台)計2人が見学に来た。私も82歳という年齢になり身に応えはするが、60歳台にしてまだ学ぼうとする人が居て、受講する高校生に「わかったぞ」という反応が見られるからには「もう歳ですから」とは言えない。 |
’24年09月14日(土) | 昨日のブログは23:10に更新したことになっているが気が付いた時はベッドの上で爆睡していた。午前2時だった。部屋の灯りは点けっぱなし、パソコンも点けっぱなし、気持ちの中ではブログ更新したつもりで途中で寝てしまったらしい。それほど疲れていたのだ。今日のクリニックはゾーンオフェンスとゾーンディフェンス。1年生が主体のチームなのでゾーンなど経験したことがない。だが飲み込みは早かった。疲れは残っているがホッとした。あと2日の期間中には仕上げるぞ。 |
’24年09月13日(金) | 18:20に東長崎の指導を終え、すぐに列車に飛び乗り下関に向かった。明日から3日間クリニックだ。どうやら出雲からも参加者が来るらしい。 |
’24年09月12日(木) | 大谷君が47号HRを放ち、48個目の盗塁を決めた。打球角度はテレビでは19度と言っていたが観ている限りほぼ地表と平行に飛び、センター右のスタンドに突き刺さった。スゲー!普通の打者だったらセンターライナーでアウトというところだろう。 |
’24年09月11日(水) | ハリス女史とトランプ氏の直接対決が報じられた。トランプ氏が「移民はこの国に来て犬を食べている」と言った。全世界の人が観ているテレビを通じてだぞ。いくらハリス女史の誹謗中傷が狙いだといっても、大統領選に出ようとしている人物が言うセリフじゃないだろう。お前正気か!本気で大統領選に出るのか? |
’24年09月10日(火) | 一力遼さん(27歳、国内囲碁タイトル3冠)が、4年に1回開催される世界囲碁選手権で優勝した。19年ぶりだ。それまで日本は中国と韓国のどちらかに牛耳られ世界では3番手に甘んじていた。藤井聡太さんが登場してから急激に将棋人気が高まったが私は囲碁の方が好きだ。将棋は駒の進む道が決まっているから素人にも判りやすいが囲碁はルールが素人にわかりにくいから将棋に人気を奪われているのだろう。だが、囲碁の奥深さに私はバスケを重ね合わせる。 |
’24年09月09日(月) | 80歳を過ぎてから目が醒めるのが早くなった。明け方3時だとか4時だとか、そのまま起きてしまうのは早すぎるので時々デパスを半分の割ったのを服用してからまた寝ることがあるが、それも最近服用しなくなった。それだけ疲れが深いのだ。加えて今日はデパスを服用せず2度寝したが起きたのは8時半だった。休めばいいことは判っているがそれがなかなかできない。 |
’24年09月08日(日) | A練指導のあと純心高校に出かけた。数チームが集まって錬成会をするので手伝いに行ったのだ。手伝いは審判だけの時もあるしクリニックだけの時もある。今日は審判だけだった。不覚にも、審判が空きの時間に居眠りをしてしまった。最近こんなことが多い。7月から続いている肉体労働継続のせいだろう。だけどこの活動は辞めない。 |
’24年09月07日(土) | スクリメージではパスを適当に回しながら誰かがドライブを仕掛けるという以外に攻める方法を用いなくなっているが、このまま放置していたらまったく進歩が望めないのでスクリメージをストップさせ「2年生に聞く。昨年度までやっていたことを誰もやらなくなっているがそれが何か言えるものは居るか?」と質問した。回答はゼロ。それを思い出させるためにドリルの復習をさせたが当然できない。「このプレイで注意することは何か覚えているか?」にも回答はゼロ。これでうまくいくわけないだろう。 |
’24年09月06日(金) | 今日は体育館割当なしなのでオフ日だが、私は学童送迎のあとバスケ組織の依頼事があって協会事務局と大浦小学校(会長勤務校)を駆けずり回り半日はそれに費やした。だが、バイクで走り回っても空気は秋の空気なのでバイク運転しながらステーキになってしまうことはなくなった。 |
’24年09月05日(木) | 壊れたのでアマゾンで注文したbluetoothイヤホンが到着した。ペアリングして使ってみたがはじめて買った時(26年前)の製品よりずいぶん使いやすくなってるし安くなってる。私はバイク運転中に電話がかかってくるのでbluetoothイヤホンは必需品なのだ。ヤレヤレ。 |
’24年09月04日(水) | 突き指が頻発している。1年生は素人ばかりでこんなに大きなボールを投げたり受けたりすることがなかったので突き指をするのが多いのはわかるが我も我もと伝染病のように拡散していく。私の知識からすれば「そんなのケガのうちに入らないよ」という突き指でも練習を休む。経験がないし程度が判らないので仕方がないがうんざりする。 |
’24年09月03日(火) | コミュニティ体育館の手続きを終えてコンビニに立ち寄り、帰り際にbluetoothイヤホンが耳に挟まっていないことに気付いたので周囲を探したら入り口前に落ちていた。ヘルメットを脱ぐとき引っかけて落としたらしい。ホッとして拾い上げ家に持ち帰ったがスイッチのオンオフが利かない。よく見ると誰かに踏まれたみたいで蓋の開閉ができなくなっているのだ。仕方ないのですぐアマゾンに注文した。近頃こんなドジばかりだよ。 |
’24年09月02日(月) | 今日は小・中校ともに始業式。バス送迎のためにバス置き場に行き、エンジンをかけたがウンともスンとも言わない。運転席前面にある各種ボタンをよ~く調べたら後部室内灯のボタンがオンになっている。8/21にツメクサから矢上小までこどもたちを送ったがその時、助手席に座った子が「このボタン何?これは?」といろいろ触りながら質問をした時押したままにしていたのだろう。すぐ日野自動車に電話してバッテリーチャージャーを持ってきてくれと頼んだが、始業式送迎には間に合わなかった。 |
’24年09月01日(日) | 会長杯結果報告 newpage3 参照 |
’24年08月31日(土) | 会長杯初日、もちろん負けた。ユキナもダメだった。素人の地肌がモロに表に出てきた。だが、素人から始めてもこんなになるんだという証明にはなった。それより目に付いたのはユイカだ。ユキナ同様素人から始めたがユキナより1年遅れだから素人っぽさは随所に現れるがチャレンジ精神はピカイチだ。今日のデータ処理は明日に回す。 |
’24年08月30日(金) | 今日の練習ではずっとユキナから目を離さなかった。ディフェンスはどれほどひいき目に見てもやっぱり素人である。シュートを撃つ場面の目が的確かというとそうでもなく、シュートを撃つ意志が強いだけである。しかしミニバス経験時代に身に付きやすい悪いクセはない。だけど、ただそれだけで素人がスタメンの座を掴めるものかなあ? |
’24年08月29日(木) | 昨日の試合結果報告の中で触れた素人2人のことについて述べよう。特にこの2ヶ月で急速にスタメン組に浮上したユキナについてだ。「なぜだろう?」とぼんやり考えていたらハッと気がついた。素人はディフェンスがひどい。もちろんユキナもその例に漏れない。だが私はユキナのディフェンスの悪さを指摘した記憶がまったくないのだ。ひょっとしたらそれかなあ。 |
’24年08月28日(水) | 東長崎のチーム力は低い。しかし個人的にはユキナ(2年)とユイカ(1年)に注目している。ふたりともミニバス経験はなく中学から始めた。でも「中学から始めてもこんなになるんだ」と思わせてくれる。特にユキナは2年生だが1年生の時の1年間は「所詮素人だもんな」という1年間だった。それがこの2ヶ月ほどで豹変した。1番危険なのは素人だからとか性格がというレッテルを貼ってしまうことだ。 |
’24年08月27日(火) | コヤスポ杯結果報告及び会長杯参加案内 newpage3 参照 |
’24年08月26日(月) | 東京白鴎高校コーチの佐藤先生がバスケ研修のため長崎に来たので朝9時から午後3時まで集中講義をした。講義の場所は喫茶店2軒。昼食は折角長崎に来たのだから中華街で皿うどん。ほんのちょっとだけ長崎訪問の証拠写真として平和祈念像でパチリ。佐藤先生は親の勤務のために幼少期・小学校・中学校・高校はニューヨークで育ったが、アメリカではストリートバスケ仲間とやっただけで本格的にはやっていない。日本に帰ってからは青山学院大学に入学したがそこでも部活には入らずバスケは独学。しかしよく勉強をしており、そのために背伸びし過ぎが感じられた。だがまだ33歳、これからだろう。 |
’24年08月25日(日) | 倉敷の坪井晶先生からラインが入った。今年の全中はベスト8だったそうだ。倉敷北中で全中2位、倉敷南中で全中3位、そして倉敷駅中でベスト8と行く先々で毎年上位入賞を果たしている。こんな先生はバスケ指導が巧いだけじゃない、きっと先生としても日本の宝なのだ。岡山県教委の方々、こんな人を粗末に扱ってはいけませんよ。 |
’24年08月24日(土) | 今日も審判2試合とベンチ2試合。全敗だった。帰宅後晩メシを食べてゴロンとよこになってテレビを見ていたら寝てしまって目が醒めたのは9時だった。データ処理は明日以降に回して今日はもう寝る。 |
’24年08月23日(金) | 体育館のフロアへの階段を上る途中、尻の筋肉と太ももの筋肉が重だるかった。急激に身体を動かしたあとの筋肉痛ではないが鈍痛がある。間違いなくオーバーワークだ。だが私は決して手を抜かない。鶴鳴時代からずっとそうだ。コーチをする上で私がもっとも重要視しているのが「選手に失礼なことは絶対やるな」だからだ。 |
’24年08月22日(木) | 早鞆・鶴鳴・純心の3者の強化練習会が終わった。最終日なので各監督の要望により最初の1時間はクリニックに当てた。内容は3者に共通のハンドオフによる2対2の根本理解と技術の要点に的を絞った。どのチームもやっていることだが、このプレイで重要なのは緩急の重要性を理解しているかどうかだ。それを理解しておらずスピード1点張りでやろうとすると、その結果待ち構えているのは自爆だ。 |
’24年08月21日(水) | 強化練習会2日目。今日は自チームのA練を済ませ、続いて学童のこどもたちのレク移動も済ませてからの参加だったので午後からだけしか手伝えなかった。連日の肉体労働の疲れなのか、審判交替の休憩時間に玄関のカーペットの上で横になっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。その間に宇部から審判手伝いに来た上田氏が私を起こさないように気を遣ってソッと帰って行ったらしい。申し訳ないことをしてしまった。 |
’24年08月20日(火) | 東長崎のB練を済ませて短大に向かった。早鞆・鶴鳴・純心の3者が集まって強化練習会をするのだ。指導はしない。審判のみ。今年の夏の山崎純男は肉体労働者だ。とにもかくにも30日まではこのまま突っ走らなければ・・・。 |
’24年08月19日(月) | コヤスポカップ初日結果報告 newpage3 参照 |
’24年08月18日(日) | 東長崎の練習はオフなので国スポの手伝いにいった。長崎成年女子・佐賀成年女子・西南女学院3者の強化試合だった。午前中はA級審判3名が手伝いに来たが午後からは2名になったので私がその穴を埋めた。峰氏の提案で私と雅の師弟コンビでふくことになった。私は平気だったが雅が緊張していたようだ。備考:家に帰ってからもコヤスポカップのコメントには手を付けなかった。 |
’24年08月17日(土) | コヤスポカップ初日。今日はベンチ采配2試合、審判2試合だった。いつもは家に帰ったら試合データをパソコンで処理し、コメントをつけて保護者に知らせるのだが今日はパソコン作業が進まない。もちろん予想通りの2連敗だが、コメントの中にグチや泣き言を入れないようにしようと思うと指が動かないのだ。コメントは少し考えてから書くことにする。 |
’24年08月16日(金) | お盆休み明けの練習初日。練習開始後10分でY子が「めまいがする」と訴えた。もちろん涼しいところで休ませた。練習があと10分で終わる頃Y子は「治りました」といって復帰した。これは熱中症?と~んでもない。本人の体調管理不十分だ。常に温度計を用意して練習環境に気を配っている私が熱中症患者を出すようなヘマをするワケがない。長い休み明けは体調を崩しやすいと自覚して生活しなかった選手の後始末を私はしない。 |
’24年08月15日(木) | 朝メシを食べたあと寝そべってテレビを見ていたら知らぬ間に眠ってしまい、目が醒めた時は昼近かった。昼メシを食べてから同じようにしていたらまた眠ってしまった。目が醒めたのは夕方5時。それからシャワーを浴びて晩メシを食べて2階に上がってパソコン作業を済ませたら日が暮れた。3日も休息したのであと2ヶ月ぐらいはいろんな要請には応えられるだろう。明日は朝8時から練習で午後はクリニックだから今日はもう寝る。 |
’24年08月14日(水) | さまざまな要請に応えるには体力を維持しなければならない。昨日も今日もひたすら体力温存で家から1歩も出ないで静かにしていた。 |
’24年08月13日(火) | 先日出雲第二中の足立氏から電話があり「いつかお会いしたい」というオファーがあったが今日は2件立て続けの要請があった。ひとつは東京都白鴎高校の佐藤先生だ。行き詰まったので訪問して質問したいという。8/26だ。もう1つは倉敷でのクリニック依頼だ。これは10/13・14。7月以降、私の身辺は急に忙しくなったが恩返しも最後に近づいたので必要とされるならすべて引き受けることにする。 |
’24年08月12日(月) | 朝9時から夕方5時までずっとカブトガニアリーナに居た。午前中は成年女子、午後は少年男子の強化練習だ。午前中目に付いたのは審判だ。3人ともイヤホンを付けて笛を吹いている。よく見ると壁際に立った福岡氏がコメントを出している。「遅れた!」とか「ナイスジャッジ」とか。この小道具は福岡氏が自腹で購入したらしい。これはいい!。終わってから反省会をするよりも現に動きながら自分をチェックできるのだから。コーチ諸君、長崎の審判は進んでいるぞ。後れを取るなよ。 |
’24年08月11日(日) | 古いバスケ付き合いの市村正巳先生(茨城県在住66歳)は教員退職後色鉛筆絵画教室に通っているそうで、昨日作品を数点送ってくれた。この絵すべて色鉛筆で描いたんだって。猫の毛並みの描き方もすごいけど板の間の描き方はどう見ても色鉛筆で描いたとは思えない。世の中にはすごい人がいるもんだ。 |
’24年08月10日(土) | 昨日わかったことだが、今日はDCの会場に貸し出してるから学校で部活はできない。私がOKと返事しなければこんなことは起こらないはずだが、どこかで返事をしたのだろう。80歳過ぎたらこんなことが多いわ。だからカブトガニアリーナで行われている国体チームの視察に出かけた。こんな日は休めばいいのにやっぱり出かける。性分だな。 |
’24年08月09日(金) | 午後1時から3時までコミュニティ体育館で練習し、そのあと月に1回通っている循環器専門の病院に行って定期検査を受けた。結果は異常なし。ただしその際の体重測定では60.1㎏だった。5年前の胃全摘手術後に61㎏まで下がったことがあったが今日はそれ以下だった。多分オーバーワークだ。だからといってクリニックの要請を断ることはないが。 |
’24年08月08日(木) | D練開始時(14:45)の体育館内温度は35.7℃だった。もちろん、最重要メニューのスクリメージを最初に持ってきてあとのメニューは室温の変化に注意しながら実施した。場合によっては練習時間そのものの短縮も含めてアタマに置き。今日の練習は2時間弱で切り上げたが、終了間際の室温は37.1℃まで上がっていた。今夏最高。こんな状態で部活なんてと~んでもない。 |
’24年08月07日(水) | A練後拘束される仕事は何もないので帰宅後ずっとゴロゴロしていた。その間ほとんど居眠りし、目が醒める度にオリンピックを観た。クリニックや自チームの指導では決して手を抜くことはない。そうすると今日のように時間が空いた時はひたすら体力温存のために時間を使うのだ。今日の練習後は11時間何もしないでゴロゴロしていた。 |
’24年08月06日(火) | チームのB練を済ませ、そのあと協会百年史の編纂打ち合わせで前会長宅へ行き、夕方国体成年女子の手伝いに行き、帰宅後シャワーを浴びてブログを更新したらこんな時間になってしまった。感想を述べる。大久保氏はメモ魔だが、ただメモするだけでなくメモしたことを自分のものとして取り込み選手を指導している。なかなかできないことだ。脱帽! |
’24年08月05日(月) | 自チームの練習をオフにして九州中学大会最終日の観戦に行った。数回クリニックを実施したチームがベスト4に残ったからだ。結果は4位で全国大会出場は成らなかった。観察結果から言えるのは「個の力が足りない」だった。今後もクリニックの依頼があればそこを強調してやりたいと思う。 |
’24年08月04日(日) | 昨日に引き続きカブトガニに出かけ、3試合審判した。成年女子は九州国体まで1ヶ月足らずだが確実に強くなるだろう。家に帰ったあとは日本対ベルギーの試合を観た。大差で負けた。先日述べたことについて補足しよう。人間という生き物は同じ仲間と同じ事を続けていると飽きが来てパフォーマンスが下がる。結束力は東京オリンピック時が最高だった。あとは誰がコーチしても同じメンバーで続ければ下降に向かう。それが現実となっただけで誰が悪いのでもない。みんなよくがんばった。 |
’24年08月03日(土) | A練を済ませたあとカブトガニアリーナへ出向いた。国体成年女子チームが冷房付きで終日借りたところへ高校女子数チームも呼んで錬成会を催したのだ。10分×2を3回審判した。猛暑の夏、冷房付き体育館で練習できる高校生は幸せだ。もっとも、アメリカでは猛暑の夏に冷房なしの体育館で練習や試合をすることはまずない。 |
’24年08月02日(金) | 今日は東長崎バスケの練習日を入れ替えて(2日をオフ、4日に変更)学童のこどもたちを日帰りキャンプで日吉まで送った。そこでカレーを作った。① ② ③ 我が家ではこの手の食品はすべてレトルトである。80歳過ぎの老夫婦2人暮らしで嫁に手作り料理を求めるのは申し訳ないからだ。だから、こどもが作ったものとは言え今日の手作りカレーはうまかった。 |
’24年08月01日(木) | 女子日本代表は今日ドイツに負けた。初戦のアメリカ戦の時から感じていたが、女子代表のパフォーマンスは東京オリンピックの時より確実に低下している。これは選手たちの意欲や熱意やコーチのアイデアや采配等の問題ではなく、このメンバーでやり続けること自体がもう限界なのかもしれない。東京オリンピックは本当によく頑張った。パリオリンピックでも頑張ろうとしている気持ちは充分に伝わってくる。が、メンバーの大半を入れ替えるほど日本の層は厚くないのだ。世界に互するためには我々が若者を育ててもっともっとたくさんの選手を送り込まなければならない。 |
’24年07月31日(水) | 今日の体育館内温度は35.7℃。この温度計は部活動の備品として購入し、常に持ち歩いているがたぶん今期最高室温じゃないかなあ。もちろん、時間配分とメニュー内容はこの温度計を参考にして実施している。熱中症警戒アラートが発せられなくても部活動は根性で乗り切らせる時代ではなくなったよ。 |
’24年07月30日(火) | 今日は大学病院での胃ガン摘出後の定期検査の日である。術後5年経過で今日が最後だと思っていたらまだ4年半で次回が最終回(1/28)だそうである。今日は終日30℃超えの中をバイクで、大学病院・深澤眼科・宮本外科を駆け巡った。朝8時に家を出て帰り着いたのは午後4時だった。私の身体はステーキになる直前だった。 |
’24年07月29日(月) | 部活動の月末会計処理や学童クラブの月末統計処理で拘束されブログ更新できたのが22:20だった。もう寝る。 |
’24年07月28日(日) | C練(12:25~14:25)指導以外は家でじっとしていた。県中総体後スポーツ医科学委員会から協会理事に発せられた文書が私にも届いたが、内容は猛暑の中の開催方法に一考を要するという感想だった。今日は浦和レッズの宇賀神友弥氏がXで「この暑さでサッカーってしていいの?」と疑問をなげかけている。当然の疑問だ。 |
’24年07月27日(土) | 14時間労働のダメージは26日あたりに来るかなと思ったが1日遅れで今日来た。朝飯を食べながら居眠りしそうになった。採血の結果はCEAが4.3CA19-9が5以下で問題なし。今日東長崎の練習はオフDなので国体成年女子のクリニックをした。島原中央高校の留学生を混ぜての初練習なのでその選手の利用の仕方から解説しなければならなかった。過去何人も関わった留学生指導に比して今回の選手は性格もプレイも全く遜色ない。むしろいい選手と言えるだろう。 |
’24年07月26日(金) | A練(08:15~10:15)を済ませてすぐ諫早の宮本外科に向かった。腫瘍マーカー(CEAとCA19-9)検査のための採血だ。この採血結果を持って30日に大学病院でCT検査を受ける。胃の全摘手術後5年経過で、今回の結果に変化がなければ大学病院通いもおしまいだろう。 |
’24年07月25日(木) | B練(10:25~12:25)のあと午後から16:30までクリニック。種別は中学女子と高校女子。久しぶりに味わう悔しいクリニックだった。対象選手たちの理解力とか熱意の足りなさが原因ではないのだが、意図するところがなかなかプレイに反映されないのだ。「ああ、染みついているこのクセを取り除いてやらなければならないなあ」と思いつつも、次の大きな大会が間近に迫っている中でそこをいじるのに躊躇したのである。しかし、そこを通過したらきょうのプレイを武器にできるチームに仕立て上げようと決意した。 |
’24年07月24日(水) | C練(12:25~14:25)が終わって家に帰り、18:30まで寝ていた。けど、バテバテではない。14時間勤務の翌日にしてはダメージが少ない。まあ、明日になってみなければダメージ程度がわからないが・・・。明日のクリニックに備えて今日は体力温存だ。 |
’24年07月23日(火) | 朝7時に家を出て島原まで行き県中総体を観戦した。女子決勝まで観て長崎に帰り着いたのが15時。それから高校女子のクリニックをし、そのあと成年女子のクリニックをして家に帰り着いたのが21:40。今日は14時間労働だった。しかし昨日のように疲れ切って終日ゴロゴロうとうとではない。この疲れは明後日ぐらいにくるかな? |
’24年07月22日(月) | A練(08:15~10:15)の練習のあとはグッタリして終日家でゴロゴロうとうとしていた。 |
’24年07月21日(日) | コロナ患者が出たり個人の都合で昨日は人数が揃わなかったが今日は人数が増えた。だから1人ひとりの負担は減ったが若さは拭えない。こればかりは体験を積み重ねなければならないから、時間の経過を待つしかないなあ。それにしても今日は暑かった。外気温36.5℃。 |
’24年07月20日(土) | 今日の体育館割当はB練。それが終わって島原まで足を伸ばした。成年女子が強化練習で島原中央高校とスクリメージをすると知ったからだ。私の手伝いは審判。感想を言わせて貰えば成年女子はまだプレイが若い。エザンギ(島原中央)が入っていくらか戦力がUPするだろうが、それも周りの選手がうまく立ち回らなければ機能しない。さて・・・・・・。 |
’24年07月19日(金) | 審判研修3回目。ウーン、知れば知るほどバスケ審判の世界は奥が深い。それにしても福岡氏の解説はうまい。なのに停年リタイアとはもったいない。その制度なんとかならんかなあ。 |
’24年07月18日(木) | 技術の未熟さはまったく気にならない。しかし人間としての成長に変化が見られない若者の姿を見るのは寂しい。今のところ1人しかいないがY子の目はしっかりしている。人生の最後に「大丈夫!こんな子が居れば日本はまだ滅びない」と思わせてくれる1人にY子がなってくれればいいのだが。 |
’24年07月17日(水) | この2日間、真っ暗闇の谷底にいきなり突き落とされた気持ちで過ごしている。ああいう人はいつか自分のヘマで転んで大ケガをするぞと思っていたトランプ氏が、たった1日で英雄になってしまったからである。私には政治的な信条も思想もないがトランプ氏が転ぶのを願っていたのだ。この仕打ちは他人の不幸を願って過ごしていたことに天罰が下された結果だと思う。 |
’24年07月16日(火) | 3㎞ランの2回目。バスケット部選手と称するならば1㎞5分ペースをキープしなければならないが合格者は1人もいなかった。これは何もバスケ選手としての基準だけでなく、人としての基準とも言い換えられる。また、これは東長崎のバスケ部員だけでなく、先日観戦した試合でも高校生としての基準に達していない者やコーチとしての基準に達して居ない者があちこちに居る。これは、人を導くおとなが激減していることやものごとに熱心に取り組む若者が激減していることが原因だと思われる。 |
’24年07月15日(祭) | 2年生のY子が前を走っている1年生のA子にパスをしたが取れなかった。理由はA子が状況を判断できなかったからだ。1年生は全員素人だから状況が判らないことを踏まえて「走れ!」とひとことY子がA子に声をかけながらパスをすればよかったのである。これこそが若者が学ばなければならないことで大人が導かなければならないことなのだが、両者にそれが欠けているのでいたるところでこんなことが起こる。 |
’24年07月14日(日) | Wリーグサマーキャンプの審判研修2日目。インストラクターの福岡氏から「今日のブログに載せてください」というコメント付きで画像が送られてきた。中池先生には励まされたが教え子たちには励まされるというより煽られてるなあ。 |
’24年07月13日(土) | 福井の中池氏(最終職歴:福井商業高校校長。今年73歳)からラインが届いた。県大会2連覇(中学男子の外部コーチ)の報告ラインである。福井県教育界を背負って立つ大校長だったのだが現場で指導したい思いを断ち切れずこうして外部コーチとして活動している。2連覇したこともすごいが73歳にしてコートに立ち、声が嗄れるほど檄をとばしているのがすばらしい。 |
’24年07月12日(金) | 7月に入ってからバイクにまたがる瞬間から私は不機嫌になる。体育館でうごめく選手たちの顔を想像するからである。中学生になってまだ2ヶ月少ししか経っていない1年生の間抜けさはがまんできるが2年生の間抜けさは許せないのだ。もちろんその元凶は世のおとなたちなのだが。 |
’24年07月11日(木) | 今日は体育館割当がない日だからオフ。私はオフ日はなく、練習日は3時間も4時間も続けてやるようなスポーツ指導が大嫌いだ。だから理論的にも発育発達学や運動生理学は隅々まで勉強している。しかしそこまで勉強していろんな配慮をしながら指導しても昨日のB子のような分別のない子は減らない。1日絶ったが腹立たしさはまだ消えない。 |
’24年07月10日(水) | バスケ部から2名、A子とB子が駅伝に挑戦する。その練習初日が昨日だった。だから2人は昨日のバスケ練習には参加していない。そして今日、バスケ練習が始まる前にB子が「昨日の駅伝練習で足が攣り、その時の筋肉痛がまだ残っているので今日のバスケ練習は見学します」と申し出た。みんなが揃って練習が始まろうとする時私は全員を集めてこのことを伝え「筋肉痛で部活を見学したいというヤツはスポーツに挑戦するべきじゃない。今すぐ辞めるべきだ」と言ってから練習を開始した。B子は練習に参加した。私は何も言わなかったが腹立たしさは拭えていない。選手たちの認識はこの程度なのだ。B子だけではあるまい。おそらく日本全国のこどもたちがこの程度なのだろう。 |
’24年07月09日(火) | 今日で期末テスト終了。午後3時からコミュニティでの練習だ。バス送迎がないので選手たちは走って行く。バス通りではなくかき道3丁目を抜けていく安全コースを取った。荷物運搬とケガ人運搬に部長ママがクルマを出してくれた。もう1人見守りのために自転車(電動)で伴奏してくれたママがいた。バス送迎はなくなったが、こうして積極的に関わろうとする保護者が居る限り甘えることにしよう。 |
’24年07月08日(月) | 2009年07月07日。鶴鳴短大に勤めていた頃ロビーの階段脇に飾られた七夕の笹竿に結びつけられた飾りの中に私の実名入りの短冊があった。あれから15年経ったが私はこの学生の願いを叶えてやるのに役立っただろうか。 |
’24年07月07日(日) | 今日の韓国戦は試合内容がどうのこうのということではなく、平成3年3月に鶴鳴が韓国遠征した際のことを思い出しながら観ていた。試合後選手たちの目の周りには青たんがあり、ボディには至る所にひっかき傷があった。昔の日本人の所業を考えれば当然だが日本人は憎まれてるのだなあと思った。 |
’24年07月06日(土) | 秦英之・聴乃(旧姓中川)夫妻がわざわざ訪ねてきてくれた。6/2東京のホテルオークラで行われた結婚披露宴に出席してくれたことへの挨拶周りだという。秦氏にはまったく面識がなく、聴乃側関係者として出席依頼があったのだが、その聴乃さえ私の教え子ではない。世話をしたといえば平成15年の国体選手として世話をしただけだ。なのに聴乃は食いついてきた。人との付き合いというのは時間の長い短いではないのだなあと思った。 |
’24年07月05日(金) | 今日は男子の韓国対日本の試合が放映された。この試合のあと最終エントリーを12名に絞るのでコーチのトムさんも選手個人としてもいろんな思惑があり、結果をそのまま評価するのは難しいが、画面から伝わる雰囲気は重苦しかった。まあ48年ぶりの自力出場は快挙に間違いないのだから、12名の最終エントリーが決まったあとどんなパフォーマンスを見せてくれるか期待しよう。 |
’24年07月04日(木) | パリ五輪まであと22日。バスケ女子はニュージーランドを迎え最後の強化試合をした。ランク的にも日本が格上だから勝つのが当たり前という人が居るかもしれないが、勝ち負け以前にバスケの内容がすごい。というより恩塚コーチのアタマの中がすごい。 |
’24年07月03日(水) | 今日は朝起きるのが辛かった。昨日の蒸し暑さが審判に堪えたようで身体のあちこちが筋肉痛で痛かったのだ。だから今日は家の中でゴロゴロしながらずっと本を読んでいた。 |
’24年07月02日(火) | 今日で4回目。国スポ選手成年女子トライアルの審判手伝いに出かけた。蒸し暑かったので汗をかいた。だから、今日はシャワーを浴びる日ではなかったが帰ってからすぐシャワーを浴びた。国スポだけでなく、シニアの部門の全国大会が長崎で開催されるのでその選手たちも集まった。にぎやかだった。何よりも驚くのは年配の人が多いのにプレイスタイルが純粋でまじめだということだ。小学生や中学生に観せてやりたかった。 |
’24年07月01日(月) | 今日から7/8まで試験休みで選手とは会わない。が、1年生8人の顔は全員覚えてしまったので問題はない。そんな中、昨日Y子に聞きたいことがあったので近くに呼んだ。その時私はこの子はなんと澄んだ目をしているのだろうと思った。東長崎を手伝い始めて12年ぶり、鶴鳴時代も含めれば28年ぶりに出会った目だ。短いことばで表せばこれこそが若者の目である。 |
’24年06月30日(日) | 私が本を読み始めたのは30歳台に入ったばかりの頃だ。最初は実録の歴史物だった。それから歴史小説も加わって行き70歳台の半ばに宮本輝氏が35年かけて書いた自伝的小説’流転の海’に出会ってから宮本氏の作品にはまってしまった。それを一休みしてこれを読み始めた。トランプやプーチンや金正恩や習近平よお前たちも読め。 |
’24年06月29日(土) | 福岡氏が講師の審判育成プログラムに顔を出した。長い間の研鑽に裏打ちされた自信と説得力が光った。脱帽! |
’24年06月28日(金) | またまたサーバートラブルで2日間HPが迷子になっていた。それは今日の午後解決した。これからしばらくは大丈夫だと思う。 |
’24年06月27日(木) | 今日はコミュニティでの練習。バス輸送はないので選は保護者の送迎だ。私はバイクで16:50に着いたが選手はまだ居ない。ロビーで待っているとリコが「先生、練習始まってます」といって呼びに来た。17:10だった。親たちは体育館に選手を届けたあと駐車場で待っていたらしい。私が時間を拘束される時間が少なくなり楽にはなったが、なんだか悪いことをしているみたいで少し後ろめたい気分になった。 |
’24年06月26日(水) | クリニックの疲れやパソコンの不具合が戻ったので今日からスッキリした生活に戻った。普通の生活に戻って気付いたことは「俺はまだまだ元気だ」である。82歳を過ぎたのだからあと何年?という約束はできないが当分大丈夫だろう。 |
’24年06月25日(火) | 今日は練習オフ。だから鶴鳴で行われた国スポ選手選考トライアルの手伝い(審判)に行った。私は練習試合などでよく見かける審判スタイル(端っこに立ったままで動かない)が大嫌いだ。だから、審判員が足りなくて1人でやらなければならない時も端から端まで私は走る。そうしなければ選手に失礼だと思うからだ。 |
’24年06月24日(月) | 約10日間にわたってブログを更新できない日が続いた。その間スマホで「先生、身体大丈夫ですか?」という心配のメールが日に日に増えていった。理由を説明する。身体はいたって元気。ブログ更新ができなかったのはサーバーに不具合が起こったからである。それも今日直った。心配かけて申し訳ない。 |
’24年06月23日(日) | 昨夜は床に入ってもなかなか寝付けず、ほとんど徹夜状態のまま今日は終日クリニックだった。午前も午後も種別は中学女子だが、もっとも気をつけたのはことばの使い方だ。中学1年生はつい先日まで小学生だったのだ。そんなこどもたちに「ウンウン、わかる」と感じさせなければならない。それにしても、朝はコンビニで買ったおにぎり1個、昼はT中学保護者の差し入れ弁当を半分。それで午前午後ぶっ通し6時間動きっぱなし声かけっぱなし。自分でもよく身体が保つなあと思った。 |
’24年06月22日(土) | 今日は審判の部門の人材育成組織を立ち上げるための打ち合わせ会。於:創成館高校。深夜までかかったので寮の監督室に泊まった。 |
’24年06月21日(金) | 一旦はキャンセルした7月分のコミュニティ申込が、今日から月末までの間に埋まっていなければ申込可能なのでチャレンジしたら4回分取れた。炎天下の3㎞ランよりはるかに練習効果は上がるのでラッキーだ。しかも、月末までにキャンセルが出たらまたチャレンジできるので月末までは毎日チャレンジしてみる。 |
’24年06月20日(木) | 今日はコミュニティでの練習だがバス送迎はなし。今日からは保護者がクルマ出しをして選手を運ぶ。バスは古くなったので故障や事故が怖く、売りに出したのだ。東長崎の手伝いを始めて12年目、当初はバスケットを教えてやるというよりも保護者の負担を減らしてやるという思いで始めたので、保護者のクルマ出しは私の本意ではないのだが仕方がない。 |
’24年06月19日(水) | 8人の素人新入生の隅から隅に注意を注ぐ。うまくなる要素があるかどうかにではない。人としての要素に欠けるものはないかにだ。入部から2ヶ月経つが欠ける者はいない。どうやら58年前の心境になってバスケ指導の最後が迎えられそうだ。 |
’24年06月18日(火) | 鶴鳴にバスを返しに行ったついでにストレッチ(成年女子チーム)のスクリメージの審判をした。成年の部のチームというのは男女を問わず審判の目を盗んでずるいことをするチームがあるがストレッチは違う。躾の行き届いていない高校生チームは見習えばいい。 |
’24年06月17日(月) | 昨晩残した夕食を今朝食べた。ムカムカはなくなっている。何が起ころうと(例えば胃ガンが転移していようと)こわいものはない。だって思いもしなかった年齢(82)まで生き延びているんだもん、おつりがくるよ。 |
’24年06月16日(日) | 今日は家庭の日で練習はオフ。しかし、な~んにもしないで時を過ごすのも疲れる。夕食の途中にムカムカしてきて半分も食べずにグターッと横になって9時過ぎまでそのまま過ごした。 |
’24年06月15日(土) | 夕方6時から社会福祉法人おおぞらの評議員会及び理事会が開催された。コロナ流行の時期と重なり約5年に渡ってこの会は開かれなかったがその間新しく立ち上げたポランの広場(発達支援センター)の先行きが心配だった。しかし今日の決算報告でその心配も払拭された。やれやれ。 |
’24年06月14日(金) | 先月からずっと気になっていた運転免許証のことで長崎警察署の交通課に相談に行った。雨の日のバイク走行中にサイフを落としたことは前に述べ、誰かが拾って届けてくれたということは前に述べた。しかし運転免許証は通過したクルマに何回も踏まれ、ところどころ文字が不鮮明になっている。折れ曲がってはいなかったがこれがもし不正使用に該当するなら届け出た方がよいと思って相談に行ったのだ。私の「これは不正使用になるか」の問いに署員は「ウーン、なんとも言えない」という。2250円の手数料を惜しんで気になる日々を過ごすよりスッキリした生活をする方がよいと思い、再発行してもらった。 |
’24年06月13日(木) | 今日から外部施設での練習はコミュニティが取れたときだけ。取れていない日は3㎞ランだ。今日のテーマはよいタイムを出すことではなく自分の身体を知ることだ。ストレッチの意味やり方や給水など基本的なことから教えた。だからタイムは目も当てられないほど悪い。それは求めていないので仕方がない。 |
’24年06月12日(水) | 夕方19:00から保護者会。新役員決めと役員引き継ぎのための会だ。その会で、新部長のトモカママから外部施設のクルマ出しは保護者が行うという申し出があったが、外部施設借用がコミュニティ体育館だけだったよいがそれ以外の施設の送迎をママたちが最も忙しい夕方にお願いするのは無理なのでコミュニティが取れなかった時のクルマ出しはなしとした。その時は3㎞ランだ。 |
’24年06月11日(火) | 今日は飯盛体育館での練習だった。保育園バスが買い換えられたので新車での選手送迎がいやになり、中総体以降の外部施設使用はすべてキャンセルしたのだが、飯盛だけはキャンセルができないのでやむなく借りることにした。そのためには鶴鳴まで選手送迎用のバスを借りにいかなければならない。学校から9.3㎞の飯盛まで選手を運ぶのに13㎞の鶴鳴までバスを借りに行くのだ。非能率的だがキャンセル不可だから仕方がない。あと2回がまんすればいいのだから。 |
’24年06月10日(月) | 今日から新チームの練習である。2年生6名1年生8名計14名の所帯である。1年生に手ほどきをさせながら2年生に目配り気配り言葉かけの訓練をする。楽しい。何年ぶりだろう、素人ばかりの集団を教えるのは。これまではミニバス経験者の中に混じった新入生数人の指導だから、素人だけを8人も指導するのは新鮮な気持ちで取り組める。何より楽しいのはまっさらの生地に山崎流の絵が描けることだ。 |
’24年06月09日(日) | 長崎市新人戦結果報告 newpage3 参照 |
’24年06月08日(土) | 今日は長崎市中総体の初日だが東長崎は試合がない日なので学校で1時間半練習した。すでにクラブ組織の7チームは県大会の予選を済ませているので、明日からの中総体は20校の部活動チームで戦うことになる。部活動の地域移行化が進められてこういう状態になり、興味が薄れてしまった。全国中体連はいくつかの種目の開催を中止することにしており、しばらくは選手たちが振り回される状態が続くのだろう。青少年のスポーツ活動を世界の潮流に合わせていくのならば学期制も見直し、高体連中体連という組織の存在意義も見直さなければならない。 |
’24年06月07日(金) | 明日から3日間市中総体だが、その直後からクリニックの連続だ。中総体直後のクリニックはテーマがある。モーションオフェンスの手ほどきをして欲しいのだそうだ。私がモーションオフェンスにはまり始めたのは42歳のときで、こんな感じかな?と実戦で試せるようになったのは54歳の時だからそれまでに12年かかっている。半日の手ほどきでどこまで進めるか判らないが、考え方だけはしっかり抑えようと思う。 |
’24年06月06日(木) | 今日から選手たちのバス送迎はなくなる。理由は5年前に胃の全摘手術をした際私が所持していたバスを保育園に寄贈し、もし私が生還したら東長崎バスケにも貸して欲しいと頼んでいたのだが、それが古くなったので保育園がそれを下取りに出して新車を購入したからである。新車を借りて傷つけたりするのがイヤなのでその旨保護者にも伝えてバス送迎なしとした。みんなさぞや不便なことだと思うだろうが、なに本来の姿に戻っただけ。今までが贅沢過ぎたのだ。 |
’24年06月05日(水) | 全国各地で県総体が開催されており、その報告が舞い込む。それと平行して選手達はさらにウィンターカップまで続けるか県総体までで区切りをつけ、あとは勉学の道に方向転換するかを考え始め、その相談も舞い込む。自分の教え子だけからの相談ではないので立ち入ったことは言えないが、バスケットというカテゴリーだけでなく人生というカテゴリーで話すことにしている。 |
’24年06月04日(火) | 高総体最終日を観に行った。女子決勝の半分まで観て学童の送迎のために帰ったが、男女とも決勝リーグの割には緊張感のない試合だった。少し不機嫌になりながら帰った。学童送迎が終わり自チームの練習の指導を始めると時間の経過とともに不機嫌さが倍増した。東長崎の緊張感のなさは高校総体どころじゃないんだ。な~んか明るいネタが欲しいなあ。 |
’24年06月03日(月) | 県高校総体3日目の観戦に出かけた。感想を述べる。島原中央は外人選手を獲得したから強いのではなくて、決勝リーグの4チームの中ではもっともバスケットらしい展開ができていたと思う。外人以外の選手達が賢いプレイをしていたからだ。観戦後島原中央のM選手と立ち話をした。お前賢いプレイをするなあと感想を述べ「ひょっとしたらアタマいいのか?」と冗談っぽく聞いたら、はいまあオール5ぐらいですかねと平然と言う。 |
’24年06月02日(日) | 羽田周辺の気象状況が悪く、30分遅れで出発。大村空港に着いたのは21:50ぐらい。それからバイクを飛ばして自宅に帰り着いたのが23:00。レンドルミンを持って行ってなかったので寝付かれず結局明け方の1時間くらいにまどろんだだけ。明日からの活動に支障をきたさないようにするにはまず睡眠を取らなければならない。それがちゃんと取れるかどうかで中総体のできばえが違ってくる。今日はそのあと処理に全力を傾ける。おやすみ。 |
’24年06月01日(土) | 上京したら関東近辺に住んでいる鶴鳴卒業生たちが15人集まった(上京の主目的はこれじゃない)。選手たちは懐かしがって集まってくれるが私には緊張の2時間半だ。何度も述べるが昔は立派な指導者ではなかったからだ。中にはミニバスや中学バスケの指導に携わっているものも居る。2度とバスケには関わりたくないと思っているならばそいう行為はしないと思うので、私の力が及ぶ範囲ならば応援してあげたいと思う。 |
’24年05月31日(金) | 今日は部活動の月末精算日だがとんでもないドジを踏んだことに気付いた。5/25・26の2日間佐世保に遠征したのだが長崎に帰り着いたとき燃料タンクがほぼ空っぽだったので満タンにしてしまったのだ。東長崎バスケと学童クラブ送迎の5月分をまず給油してから残量を満タンにすべきところ、一切を含めて満タンにしてしまったので6月分の両者の給油隙間がなくなってしまった。やむを得ず両者には山崎純男手製の領収書で月末処理をして貰った。リッター5㎞で1㍑153円なのはスタンドで貰う領収書でも山崎純男手製でも金額に変わりはないのだがこんなドジが最近増えたのが悔しい。 |
’24年05月30日(木) | 「あっぱれ!」と「喝!」で国民を元気付けた張本勲氏が画面から消えて3年。が、今日のプロ野球の始球式に登場した。しかし私はその姿を見て5秒ぐらい息が止まった。右手で杖を突き、身体は半分くらいに縮み、昔の面影はない。たぶん脳梗塞か何かを煩ったのだと思う。張本氏は83歳。私よりひとつ年上だ。私は自分の逝く年齢が近づいていることに恐怖も不安も感じないが、他人のこんな姿を見ると胸が苦しくなる。 |
’24年05月29日(水) | 5日間のインフル登校停止を経てカナコが復活してきた。佐世保錬成会が終わった後「あと1歩ディフェンスを厳しく追い込めたら今日のようなヨレヨレの試合にならなくて済む」といい、スタメンに1日休養日を与えたあとはそのことを強調して練習している。もういくら注意しても私の要求を果たせない者には目もくれない。部活動は教育活動といえども、聞きもしない見もしないやりもしない者に優しいことばをかけてやるような慈善事業ではない。 |
’24年05月28日(火) | 青バスは車検中。だからバイクで鶴鳴バスを借りに行き、日吉での練習をすませてまたバスを返しに行き、今日は1日中バス運転手みたいだった。練習では1日休養のスタメンは元気だった。私の身には2試合審判2試合ベンチ2日間バス運転の影響はまだ少し残っている。選手とは67の歳の差がある身では仕方ないか。 |
’24年05月27日(月) | ナオ・ミオン・ユウリ・ナナ・ミライのスタメン5人は完全休養日。さらに、1年生には私の指導によりゴール下シュートを今日から加えた。指導補助はリナだ。他の上級生はジャンプショットと1on1とハーフコートゲーム。スタメン不在なので当然出来が悪い。それを指摘されるとふて腐れる。私の指導を受けてふて腐れるのがいるなんて60年間で初めてのことだ。山崎純男の求心力が低下したかな?しかし、1年生は受講態度も返事も私の質問に対する答えもシャキッとしていた。これを崩さないようにしたい。 |
’24年05月26日(日) | 佐世保錬成会2日目結果報告 newpage3 参照 毎月25日は諫早市の外部施設の利用申込解禁日だが佐世保錬成会と重なっているため昨日は行けなかった。だから今日の出発を1時間遅らせて朝から諫早と日吉に突っ走った。その結果6回分取れていなかったうち4回が取れた。あとの2回分は短大に打診しているが結果は27日に判明するだろう。 |
’24年05月25日(土) | 佐世保錬成会初日結果報告 newpage3 参照 |
’24年05月24日(金) | 1年生は8名全員素人だからミニバスで付けてきたクセがないので指導が楽だ。2週間後が市の中総体だが上級生が下級生を指導するというやり方は変えない。もちろん私が直接指導した方が能率的だ。が、今は上級生自らがいかに判っていないかを感じる方が試合に役立つと思うのである。 |
’24年05月23日(木) | このところ、新入生の中にちらほら体調不良で部活を休む選手が出てきた。もうすぐ入学から2ヶ月。緊張が解けてホッとする時期なのかな?私は今年の年末で胃ガンの全摘手術から5年が過ぎるが、その間のもっとも特徴的な出来事は熱が出たり咳が出たりなど、いわゆる体調不良らしきことが皆無だということだ。むしろ元気になったみたい。これはもしかして燃え尽きる前のロウソク現象? |
’24年05月22日(水) | 新入生の氏名と特徴はおおむね覚えた。そうすると今度は教える側の上級生に目が向き始める。そしてこれまでのボロが目につき始める。だが、それを改善するのも今行っている下級生指導という方法が最良なのだ。がまんは続く。 |
’24年05月21日(火) | 10年前の韓国セウォル号沈没事件の番組を見ていたのでブログ更新が遅れた。セウォル号事件は真相が暴かれたものの真相が暴かれずに闇から闇へ葬られて人が死ぬ事件は、これまでもこれからもあとを絶たないんだろうなあ。 |
’24年05月20日(月) | 9月以降の日本が気になる。自民党では国を動かせないし岸田首相では国の舵取りはできない。では野党のどこかや誰かがその代役をできるかというとこれまた皆無だ。明治維新後の井上馨や山県有朋など悪いことをした政治家はたくさんいるが今の政治家は国よりも私利が最優先でしかも小物揃いときている。トランプやプーチンや習近平や金正恩よりも先に日本の政治家を一掃しなければならないようだ。 |
’24年05月19日(日) | 今日は家庭の日で東長崎バスケはオフだからクリニックに出かけた。対象は中高の女子。私のクリニックは相手の要望に応じて行うが、今日の要望に応えるにははおそらく選手達が初めて経験する技術を提供しなければならない。それは選手たちが長い間指導されてきたことに相反する内容なのでやりにくかっただろうが、途中A選手がコツをつかんでできるようになった。その後しばらくして今度はB選手が感じをつかんだ。そうなるとそれがチームに浸透するのは早い。次回が楽しみだ。 |
’24年05月18日(土) | 顧問の西川先生がトヨタの86に乗っていることを初めて知った。部活の帰りが同じ時間になり、その時マフラー音がブロロロ~だったので気付いたのだが西川先生は54歳、そういえば俺もその年齢の頃ハーレーに乗ってた。聞けば長崎東の内田先生もスバルのなんとかってクルマに乗ってるらしい。男はみんなブロロロ~に憧れる時期があるみたいだな。 |
’24年05月17日(金) | 物事をなかなか覚えられない歳になったので予定はすべてスマホのスケジュール表に記載しているのだが、今日はそれらを読み違えてちぐはぐな行動をしてしまった。あ~ぁ、遂に俺もヤキが回ったかなあ。 |
’24年05月16日(木) | 新入生8人を並べて写真撮影し、ペイント加工で各自の胸のところに氏名その他を記入して印刷し、スマホに挟めて持っているのと見比べながら練習を見た。そうしないとなかなか氏名を覚えられない歳になってしまったのだ。 |
’24年05月15日(水) | 今日の長崎新聞に中総体の地域クラブ参加条件と題したコラムが載っていた。近年確かに部活動は行き詰まっている。だが、世界のどこにもスポーツ不要論を唱えている国はない。ならば、日本の部活動の行き詰まりの元凶は誰だ?を突き止めることから始めなければなるまい。 |
’24年05月14日(火) | 自チームの選手と2日ぶりに会った。目は自然に1年生に向かう。1年生が有望だからではない。8人全員が素人だから戦力としての期待は現段階ではできない。だから人物としての査定になる。ここまでで8人中3人までは査定できた。この3人は世に出して大丈夫。一方、1年生に教える立場の3年生の中にも「へ~え、この子がねえ」と思わせる人物が見つかったりもする。 |
’24年05月13日(月) | 天気予報通り晴れたので体育大会は実施。部活は中止。昨日は終日バス運転と指導で身体を動かし続けたがその後遺症としての倦怠感も筋肉痛もまだ発生しない。 |
’24年05月12日(日) | 今日は体育大会の日。だが雨が降って中止になった。しかし私は下関までクリニックに行くことになっていたので部活も中止。明日は体育大会も開催されるだろうが、そうなると部活はしないので2日続けて部活中止となる。仕方がない。さて下関クリニックは1年生主体のチームだが「この気持ちをそのまま3年生まで持ち続けて欲しい」と応援したくなるチームだった。 |
’24年05月11日(土) | 前もって電話があったのだが市内の中学女子コーチのT氏が練習見学に来た。上級生が新入生を指導するってどんな空気感でどんなことをしてるのか観てみたかったのだろう。近年1校だけではチームが立ちゆかなくなったので他校と合同でチームを作るケースが増えている。彼が指導しているチームもそうだ。いわゆる部活の地域移行化だが、この方策が真に人数確保ができないチームの救済策になればよいのだが、私はそうでない方向へ進むのではないかと危惧している。 |
’24年05月10日(金) | 今朝は治ったが、昨日と1昨日の朝は全身倦怠感で起きるのが辛かった。「エ?鹿児島クリニックの後遺症が今頃?」と思い、それだけ俺も歳取ったってことかと思った。ベッドから出たくなかったし、朝食も食べたくなかったが、そうはいかんだろうと思ってしぶしぶベッドを抜け出し朝飯を食った。練習指導も学童送迎もちゃんとやれたが明け方の全身倦怠感は半端じゃなかった。今朝はもう大丈夫だ。 |
’24年05月09日(木) | 今日はコミュニティ体育館での練習。隣のコートでどこかの中学生がバドミントンの練習をしていた。椅子に座って練習を眺めていたコーチが突然立ち上がってコートの真ん中で1人の選手を叱りだした。巻き舌で。それがしばらく続いたあと自分はまた元の椅子にドカッと座り、全員を集めて横1列に並ばせ説教を始めた。なが~い説教だった。俺はそんな態度で選手には接しないと言い切れないので参考になった。人の振り見て我が振り直せだ。 |
’24年05月08日(水) | 部活動の地域移行化についてのアンケートを貰った。質問の中に指導を引き受ける上での条件という項目があった。条件の中には見合った報酬が欲しいなどいろいろあったが私の回答は「条件はない。私が関わるのが活動の運営に役立つのならば何も望まない」だった。キザな言い方に聞こえるだろうが正真正銘の本音だ。 |
’24年05月07日(火) | 新入生が入ってきてからまだひと月経たないが練習の雰囲気は楽しい。それは、教える上級生が新入生に教えることを楽しんでいるからだ。これこそが部活動の真の姿だ。 |
’24年05月06日(月) | 上級生による新入生指導の第1段階が終わった。連休が明けたらフルコートを使える日が制限されるので昨日と今日は上級生チームの中に新入生を混ぜてフルコートゲームを体験させた。実はこのようなメニューで練習させると新入生の将来性ではなく、教える側の上級生の質が問われる。チームの質の向上にはこれこそが重要なのだ。 |
’24年05月05日(日) | さあ、いよいよ筋肉痛だぞと思っていたら何事も起こらない。確かに身体が重いことは重いのだがそれ以上には進まない。4年前胃の全摘手術をした時は「退院しても以前のようなバスケ指導はできないだろうなあ」と思っていたが、術前よりも元気になり動けるしそれがずっと続いているのだ。俺、まだしばらくは大丈夫そうだ。 |
’24年05月04日(土) | 背中と尻が重だるい。朝食後歯を磨いていたら右手の親指が攣った。明日あたりから鹿児島クリニック後遺症としての筋肉痛が全身にはびこり始めるのだろう。 |
’24年05月03日(金) | 昨夜は早く寝たが深夜01:40に目が醒めた。それから明け方までうつらうつら寝ては目が醒めるの繰り返しで、目が醒める度に全身の疲労を感じた。自宅には夜9時頃帰り着いたが今回はその文章のアタマに「命からがら」ということばを付け加えなければならないようだ。筋肉痛はまだ出ない。明日現れるだろう。これを書いたらすぐ寝よう。 |
’24年05月02日(木) | クリニック2日目。今日は疲れた。高校生はゾーンプレスオフェンス、中学生はマンツーマンプレスオフェンスが主体なので2種別指導することになるし、それを指導するには個人技術も2種別になるし、それには私がやってみせる場面が多くなるので疲れるのだ。かたちだけ示せば簡単なのだが私はそれに精一杯を表現を加えようとするので、82歳にして終日自主練をやったようなものだ。多分明日は筋肉痛かな?いや筋肉痛は長崎に帰ってから出るな。 |
’24年05月01日(水) | 今日から3日間神村学園(鹿児島)でクリニック。対象は中・高両方。感想は「なぜここまで判るの?」だ。クリニックにはあちこち行くが「俺が何回来ても判るようにはならないだろう」が大半だ。今の神村の3年生は中学生も高校生も知ってるし教えたことはある。しかし、下級生は知らない顔がほとんどだ。なのに私が意図することの意味を判ってプレイするのだ。長崎にも欲しいなあこんなチーム。 |
’24年04月30日(火) | 上級生が新入生を指導するようになって4回目。教える側の上級生の組合せは日替わりだ。そうしないと、間違った指導のされ方や要点を捉えていない教え方をされている選手は毎日が不毛の時間となるからである。中には「お前は誰と組ませても教える側には回したくない」という上級生もいる。が、それはできない。部活動は教育活動の一環だからである。 |
’24年04月29日(祭) | 春季選手権最終日を観に行った。男子はヴェルカu15が優勝、女子は純心が優勝した。どちらも大差の勝負だった。でも、「これがバスケットだ」と言える試合は少ない。ただ、純心は「うん、これなら可能性ありかな」と思える試合をしていた。どこでもいいしどの種別でもいいからこれなら全国狙えるぞというチームが出てこないとまだ死ねない。 |
’24年04月28日(日) | 春季大会2日目結果UP newpage3 参照 |
’24年04月27日(土) | 春季大会初日結果UP newpage3 参照 |
’24年04月26日(金) | 2024年度初めての部会。東長崎のコーチになって12年目になるが、今回は親子同時参加というかたちを取った。親子揃ったところで言うべきことがあったからである。鶴鳴での35年間ではこんなことはしなかった。 |
’24年04月25日(木) | 新入生を観察し始めて3日目、同時に上級生の指導ぶりも観察している。新入生には時々話しかける。まず聞くのは「どこの小学校から?」だ。中にイギリスですと答えた選手が居た。聞き間違いと思って「え?今なんて言った?」と聞き返したら同じ答えだった。イギリスのどこ?と聞いたらLeedsと言った。地図で言えばマンチェスターの右隣あたりにある。お父さんの転勤で一家転住し4年生から6年生まで3年間居たという。しかも、日本人学校ではなく現地の学校だ。ヒエーッ!うらやましい。 |
’24年04月24日(水) | 5時限授業の時は15:30から部活が始められる。その時間に学校に行ったら体育館の下で多くの部活生がうろうろしている。「どうしたんだ」と聞いたら「5時まで体育館は使えないそうです」という。私は即座にコミュニティ体育館に電話をかけた。空いていたのですぐ予約した。体育館で保護者会が行われていたからなのだが、そんなことは事前に知らせて欲しいなあ。 |
’24年04月23日(火) | 練習指導の前に補食用の食料を買うためコンビニに立ち寄った。店員さんに「下げ袋は要らないよ」と言った。店員の反応は「…」だった。聞こえてないのかなと思ったが品物はそのまま手渡されたので聞こえてはいたようだ。しかし、それならそれで「わかりました」とか「了解です」ということばを返すべきだろう。私は品物を店員から受け取りながら心の中で「お前、それでいっぱしの社会人のつもりでいるんだろう」とつぶやいた。 |
’24年04月22日(月) | 夕食後22:30までパソコンとにらめっこ。JBAのチーム登録手続きである。22:30に修了して「ヨシ!終わった」と思って請求書を表示したら金額が合わない。なぜ?と思ってもう一度メンバー一覧を見たら新入生8人分がすべて承認待ちとなっている。だからまだ修了ではないのだ。毎年この作業をする度にJBAの説明の不親切さには腹が立つ。 |
’24年04月21日(日) | D練オフ。春季大会参加案内UP newpage3 参照 |
’24年04月20日(土) | A練だったのが男子の都合でB練に変更を依頼された。B練は10:30~13:00までなので捕食を取るのだが今日は用意していかなかったので12時を過ぎてから血糖値が下がってちょっと辛かった。家に帰ってからすぐ昼飯を食い、夕方まで寝た。 |
’24年04月19日(金) | 今日は部活動入部希望届の締め切り日。新3年11人、新2年7人、新入生8人の計26人だ。しかも新入生は全員ミニバス経験なしの素人。1昨日述べた人数より少ないが上級生が教えなければならないことに変わりはない。そしてこの1年、年下の者に見下されない日々を送ることに神経をすり減らされる。上級生がこのことに耐えられたら人生が変わるぞ。 |
’24年04月18日(木) | 私の目の前をうごめく選手たちの表情や動きを観察しながら、明日から入部してくる全員素人の新入生をこの選手たちが導いていけるかなあ…。そんな思いがアタマの中を駆け巡った。 |
’24年04月17日(水) | 今日の練習には見学者が3人来た。2人は1昨日も来た生徒でもう1人は新顔だ。併せて12人が見学に来たが、もし全員が入部してきたら現役在校生にとっては人生が変わる出来事になる。12人もの素人が入部してくれば上級生が手取り足取り教えてあげなければならない。もし教え方が上手なら先輩として尊敬されるが下手なら見下される。人生の中で年長者に叱られるのはたいしたことないが自分より年下の者から見下されるのは重大事件なのだ。上級生さあどうする? |
’24年04月16日(火) | 昨日見学に来た11人が全員入部するとは限らないが、これと同じ事は2015年(平成27年)度の入学生で同じ現象があった。その時の新入部員は12人だったが全員が素人。私がコーチをやり始めてから12年、素人部員ゼロという年はなかったが2015年は特別でわんさか入ってきた。私がコーチを始めた頃(昭和41年)はまだミニバスなんかなかったから素人集団しか入部しないなんてどうってことない。楽しみだ。 |
’24年04月15日(月) | 今日から新入生の部活動見学が始まり19日に入部希望届を出して活動が始まる。初日の今日は11人の生徒が見学に来た。全員ミニバス経験なしの生徒だ。このじいさん何者?と思うだろうから全員に名刺を渡した。19日にこの全員が入部届を持ってくるとは限らないがゼロでないことは間違いない。 |
’24年04月14日(日) | 午前中、選手はカブトガニアリーナで車椅子バスケットのTO手伝い。その間私はクリニック。東長崎バスケとしては今日1日でふたつの仕事をこなした。4月のクリニックはこれでおしまいだが、5月に入るとすぐ他県からのクリニック依頼が入っており、さらに北海道からも2件打診が入っている。軸足を外したことはあっという間に全国に広がった。 |
’24年04月13日(土) | 車椅子バスケの担当者が本当に困っていたので選手たちを連れてTOの手伝いに行った。長崎サンライズというチームの主催で昨年骨肉腫で亡くなった(23歳)小川祥汰君の追悼試合だそうだ。九州各県から9チームが集まって賑やかだった。選手たちも生の車椅子バスケの試合は初めて観たはずだ。そして勉強になったはずだ。 |
’24年04月12日(金) | 体育館割当なしの日なのでオフ。2024年度になり、軸足の位置を変えてから割当なしの日も、選手の参加が少ない日も、選手が体育館に顔出すのが遅い日もまったく気にならなくなった。コートに出てきた選手を一生懸命指導しさえすればいいのだから。 |
’24年04月11日(木) | 今度の土日に九州車椅子バスケ大会がカブトガニアリーナで開催されるが、県協会の担当者からTOが足りないので協力してくれというメールが2回に渡って送信されてきたので手を挙げた。2日間とも練習はTO協力に切り替える。協会に協力するだけじゃなく、異種別の競技を目にするのは選手にとっても貴重な経験になると思うからだ。 |
’24年04月10日(水) | 昨日入学式が終わり、今日から新しい体制で授業が始まった。そこで新任の江川健一校長を表敬訪問しコーチとしての挨拶をした。鶴鳴が全国優勝した平成元年に採用されたので、浜口典子が入学した年に私も教員になったのですよ、という話題で盛り上がった。教科は体育、競技は剣道だそうだ。 |
’24年04月09日(火) | 多良見体育館からの帰りがけに窓口で挨拶をしたら「先生、忘れ物はありませんかあ」と言われた。山崎純男はあちこちに忘れ物をしたり落とし物をしたりする男だというのがどうやら全国に広まりつつあるようだ。 |
’24年04月08日(月) | 明日の入学式の会場作成で部活はできない。1昨日の佐世保トーナメントの案内文書にも記したが、私の指導対象の軸足はこれまで東長崎中に置かれていたがそれを取っ払ったので東長崎の練習日であってもクリニックの依頼が入ればどこへでも出かける。県内県外を問わずだ。今はまだアタマも身体も大丈夫だがそれもそう長くは続かないだろうから、このままやる気のない連中に拘束され続ける無駄な時間は私に残されていない。 |
’24年04月07日(日) | 佐世保トーナメント2日目結果UP newpage3 参照 それにしても、毎日テレビに登場する裏金問題の政治家たちにはうんざりするね。特に、二階氏や谷川氏の上から目線発言はまるでごろつきの親分だ。プーチンや金正恩やトランプ同様暗殺処分!。 |
’24年04月06日(土) | 佐世保トーナメント初日結果UP newpage3 参照 昨日、市役所東長崎支所でカードや保険証の再発行手続きをしたあと、担当の女性に「バスケットの監督さんですよね」と言われた。聞けばこどもさんがバスケをやっているらしい。12年前東長崎のコーチを始めたことも知っていた。油断ならん。 |
’24年04月05日(金) | 財布の中にはお金だけでなく、免許証やいろんなカード類も入っていたし、昨日1日中雨の中道端に落ちていてたくさんのクルマに轢かれたのだろう、マイナンバーカード・保険証・エネオスVISAカードは折れ曲がって使えなくなった。今日は各所に出かけてそれらの再発行手続きをした。銀行のVISAカードは折れ曲がっていなかったが不正使用されるのを防ぐために昨日紛失直後に停止届を出したので今日その手続き取消はできず、それは実行されてしまった。フウ・・・ |
’24年04月04日(木) | 今日は82年の人生の中で1番か2番に匹敵する嬉しいことがあった。昨日クリニックの途中で財布がないことに気付いた。矢上を発って諫早に付くまでのどこかで落としたらしい。長崎に戻ってから警察署に財布の紛失届を出したが財布が戻ってくるとは思わなかった。ところが今朝、諫早警察署から「財布を預かってます」という電話があった。諫早在住で72歳の○○さんが拾って警察署に届けてくれたのだ。私はお金が戻ってきたことより○○さんの行為に感激した。日本人はすばらしい! |
’24年04月03日(水) | 終日雨。その中を諫早までクリニックにでかけた。選手はDオフだ。これがそのお土産。可愛いもんだろ。ちなみに鶴鳴時代からずっとそうだが私は企業からの講演依頼以外は一切謝金を取っていない。これまでの講演でちょっとビビったのは五洋建設からの講演依頼だった。五洋建設は国内では瀬戸大橋、海外ではスエズ運河やパナマ運河の工事を請け負っている。世界を股にかけて飛び回っている会社の迫力は違うよ! |
’24年04月02日(火) | A練の時は指導後家へ帰ってからゴロンとしていたら4時頃まで寝てしまうことが多い。毎朝5時頃には目が醒めるのだがまだ早いので一眠りしようとすれば寝過ごしてしまいそうでそのまま起きるから家に帰ってから一眠りすることになるのだ。 |
’24年04月01日(月) | 佐世保トーナメント参加案内UP newpage3 参照 |