礼儀知らず

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   解説(意味)
役不足 もともと実力のあるベテラン役者が、自分の力に似つかわしくない端役を振られたときに、「役が自分にとっては不足だ」という意味で生まれた表現。実力がないのに重要な役、仕事を任された場合は、「私では力不足で」と言わなければならない。
ご持参ください 「持参」という言葉は、自分がへりくだっていう言葉。それを相手に対して使うと、相手をへりくだらせてしまい、本来であれば失礼にあたる。正しくは「お持ちください」。
娘十八、番茶も出花 どんな女性でも、年ごろになれば相応にかわいくなり、魅力がでてくる、ということを「娘十八、番茶も出花」と表現することがある。しかし、正しくは「鬼も十八、番茶も出花」といい、鬼も年ごろになれば美しく見え、番茶も入れたてならいい香りがするということから、「年ごろの女性はきれいだ」との表現に使われるようになった。
君子は豹変す 「豹変」という言葉は実はいい意味で使われるべき言葉で、豹の毛が季節によって抜け変わり、斑紋が美しくなることから出たもの。「君子は豹変す」は、君子は過ちをすぐにあらため、正しい行いに移るという意味になる。
しめやかに・・・ 「しめやかに」は、動詞の「しみる」と同じ語源をもつ言葉で、「ひっそりともの静かな様子、気分が沈んで悲しむ、しんみりした様子」という意味がある。ひっそりとしたものに使われる言葉であって、祭礼や結婚式などの祝事で使うべき言葉ではない。
つつがなく・・・ 弔事に使うのは避けるべき言葉。「つつがなく」は「無事に、息災に、異常なく」という意味で、「つつがなく旅を終える」「つつがなく日々を暮らす」というように、「何事もなく無事に」といったニュアンスで使われる。
お釈迦になる ものが壊れたり、駄目になったようなときに「お釈迦になる」という言い方をする。もともと鋳物職人の隠語で、地蔵を造っていたのに間違って釈迦を造ってしまったことから、出来損ないの品、失敗する、駄目になるという意味で使われるようになった。基本的にものに対してだけ使う言葉。人には使わない。
晩年 基本的に死亡した人に対して使う言葉であって、生きている人に使うことはない。一生の中で終わりの時期の意味を持つ「晩年」だが、その人が生きている間は、たとえ何歳であっても避けるべき。生きている人には「近年の」や「後期の」を使う。
教え子 自分が教えた生徒、弟子の意味で、教えた側が使うことはできても、教えられた人間が使える言葉ではない。
おそらく・・・ 「おそれることは」という意味の「おそらく」がもともとの表現だったこともあり、本来は悪いことを予想したケースに使われる言葉。ただし、徐々にもとの意味が薄れてきて、いい悪いに関係なく、単なる予想を表す言葉になってきている。
〜ですけれども・・・ 「けれども」は逆説の接続詞。「その時間ならあいてますけれども・・・」と使うと、何か不都合があるのかと思われる。
細君 自分の妻のことを他人に話すときに「細君」という場合があり、仲のいい友だちや後輩の奥さんのことを「きみの細君は」と、軽い敬意を込めて呼ぶこともあるだろうが、本来は自分の妻を謙遜していうときの言葉なので、他人の奥さんに対して使うべき言葉ではなかった。最近は親しい友だちや目下の人間の奥さんにも使われるようになったが、間違っても自分よりも目上の人、上司や先輩の奥さんのことを呼んではいけない。また、「奥さん」「奥方」というのは尊敬を込めた表現であるから、他人に対して使うもの。自分で呼んではいけない。
ご苦労さま 誰に対しても使っていい言葉ではない。もともと、目上の人間が目下の人間に仕事をやらせたときにねぎらう言葉で、目上の人や先輩に対して、本来使うべき言葉ではない。元来目下の人間が目上の人間をねぎらう言葉というのは存在しなかった。「お疲れさまでした」ならば妥当な線。
古式豊かに 「古式豊かに」という表現は存在しない。「古式」は、昔の様子がしのばれるという意味の「ゆかしい」とともに「古式ゆかしく」と使うのが正しい使い方。
足を洗う 悪事やよくない仕事やめて正業につく、真面目になるということ。「ヤクザから足を洗う」という言い方はあっても、別に悪事でもなんでもない「現在の仕事をやめる」という意味で「足を洗う」を使うのはおかしい。
かけがいのない人 家族や恋人など、自分にとってとっても大切な人のことを「かけがえのない人」という。「かけがえ」は予備があって代えることができるものだから、「かけがえない」は代わるものがないほど重要な存在ということになる。
「かけがいのない人」は、かける張り合いのない、かけても仕方がない人となる。

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