恥をかく
解説(意味) | |
生きざま | 本来「ざま」という言葉は、語感がよくないことから、「死にざま、無様、ざまをみろ」といったように悪い表現に用いられる。単に自分の信念を貫く意思を示すときには、「生き方」が自然。 |
陰口を言う | 本当は誤用であるが、使う人が多くなったため、市民権を得た言い方。慣用的な表現では「陰口」は「たたく」ものか「聞く」もの。 |
珠玉の大作 | 「珠玉」は真珠や宝石のことで、転じて、美しいもの、優れたものを指して使われる表現。本来は「小さいが価値の高いもの」に使われる言葉。 |
飛ぶ鳥跡を濁さず | 立ち去る者は跡が見苦しくないように、きちんと後始末をする、という意味の表現に「立つ鳥跡を濁さず」がある。辞書の中にも「立つ鳥跡を濁さず」を「飛ぶ鳥跡を濁さず」と同義語としているものもある。 |
当たり年 | 商売で儲けることを「当たる」といい、損することを「スル」という。本来「当たり年」という言葉は、「かぼちゃの当たり年」「有望新人の当たり年」というように、いいときだけに使う言葉。 |
檄を飛ばす | 「檄」の正しい意味は「自分の主張を述べて同意を求め、行動を促す文書」、つまり、書状を送ることが「檄を飛ばす」こと。 |
悪どい | 「あくどい」は「くどい」に接頭語の「あ」がついたもの。「色などがくどくていやな感じである、どぎつい」という意味で、転じて、「度を越していて、たちが悪い」という意味でも使われるようになった。 |
愛想を振りまく | 「愛嬌」は「相手に好かれようとしてとる言動、好ましさを感じさせる言動、表情」であるのに対し、「愛想」は「人に対応する仕方、人を喜ばせるための言葉、振る舞い」である。「振りまく」のは「愛嬌」であって、「愛想」は言うもの。 |
汚名挽回 | 物事に失敗し一度は名声を失ったものの、再び立ち上がってそれを成功させたとき、「汚名を返上した、汚名をそそいだ」という。「挽回」は取り戻すという意味がある。つまり、「汚名挽回」は、前科のある人が再び罪を犯して、犯罪者としての名を着せられるようなものである。 |
目線 | 大抵の辞書で「目線」は「映画、演劇、テレビなどで使う視線」という定義されている。演技としての目の方向、視線が「目線」ということになる。 |
里帰り | 本来「里帰り」とは、結婚した女性が祝言の三日目、五日目などに実家に帰ることをいい、「はじめて実家に帰る」ことを指して使っていた言葉。 |
けがを負う | 「けが」とは体を傷つけること、あるいはその傷のことで「けが」というだけで、すでに「傷を負った」という意味がある。「負う」を使うのであれば、「重傷を負う」というように傷の程度を形容する表現と一緒に使う。 |
三日と空けず | 正しくは「三日と上げずに」という。「上げず」には「間をおかず」との意味があり、つまり「三日の間もおかずに」ということを表現している。慣用句としては「上げずに」が正しい。 |
公算が高い | 「なにかが起こる見込み、可能性」の意味を持つ「公算」を使うときには「大小」と一緒に使う。「高低」「強弱」は使わない。 |
悪評さくさく | さくさく(嘖嘖)は、もともと人々が口々にいいはやす様、誉めそやす様子を形容する言葉で、「好評さくさく」「評判さくさく」という具合に、いいときに使う。 |
耳障りのいい | 「耳にすると不快に感じる、うるさく感じる」という意味で、悪い表現に使われていた言葉。「耳触り」という言葉もあり、こちらは「聞いたときの感じ」との意味で、「手触り」と同じように使われるので、「耳触りがいい」という言い方もできる。 |
口を濁す | 物事をはっきりと言わずぼかしたり、曖昧な言い方でごまかそうとしたりすることを「言葉を濁す」という。 |
指折りのワル | 「指折り」はいい場合に使い、「札付き」は悪いときに使う。「指折り」は「指を折って数える」という文字通りの意味から発展して、「多くのものの中で、数えられるほど優れていること」の意味を持つ。「札付き」は「正札がついている」ことから転じ、「定評のあること、知られていること」になり、主に悪い例で使う。 |
白羽の矢が当たる | 多くの人の中から選ばれるというとき「白羽の矢が立つ」という。古くは「人身御供に選ばれる」場合に使われたもので、人身御供を求める神が犠牲となる少女の家の屋根に白羽の矢を立てたという俗説からできた表現。 |
心血を傾けて | 「心血を注いで」と「精根を傾けて」は意味が似ているため、混同してしまう。「心血を注いで」は「心」と「血」、「精根を傾けて」は「精力」と「根気、気力」という意味。 |
お愛想 | 飲食店の会計を「お愛想」というようになったのは、お店の側がお客さんに会計を求めるときに使った表現だった。 |
幸先が悪い | 物事の滑り出しがうまくいったとき「幸先」がいいという。「出足」が自然な表現。 |
厚いベール | 「ベール」とは女性が顔を隠すために頭からかぶる薄い布という意味と、ものを覆って見えなくしているものという意味がある。 |
寺小屋 | 江戸時代に、武士や僧侶が庶民に読み書き、そろばんどを教えていた塾のことを「てらこや」という。正しくは「寺子屋」と書く。寺の信者や、檀家の子供を「寺子」といいたのがもと。 |
独壇場 (どくだんじょう) |
本来は「独擅場」と書いて、「どくせんじょう」と読むのが正しい。「思い通りの振る舞いができる場面、一人舞台」という意味であり、「壇上を独り占めにする」と発展して、文字も手偏が土偏に変わり、「独壇場(どくだんじょう)」となった。 |
悪事が明るみにでる | 「悪事が明るみになる」。「明るみになる」は「明白になる」ということで、「明るみにでる」とは「公にされる」という意味。 |
黒一点 | 大勢の男性の中に、女性が一人いることを「紅一点」という。「多くの中で異彩を放つもの」という意味でつかわれることもある。本来「黒一点」という言葉はない。 |
微にはいり 細にわたって |
本来は「微に入り細をうがつ」である。「非常に狭いものの中に入り、細かいものを掘る」ということで、転じて「極めて細かいところまで気を配る」との意味で使われる。 |
熱にうなされる | 「熱に浮かされる」という表現がある。「高熱を出してうわごとを言う」という意味で、転じて「夢中になって分別を失う」との意味でも使われる。「うなされる」のは悪い夢を見たときであって、熱そのものにうなされるわけではない。 |
苦渋をなめる | 「苦渋」は「ものごとが思い通りに進まず、苦しくつらい思いをすること」で、「苦渋の色を浮かべる」という使い方がある。「苦汁」は「苦味のある汁」で、そこから「苦汁をなめる」という使い方をする。 |
将棋を打つ | 原則的に将棋は「指す」、囲碁は「打つ」である。将棋をする人を「将棋指し」、囲碁をする人を「碁打ち」という。 |
住めば都 | どんな辺鄙な田舎であっても、住んでいるうちに都に住んでいるのと同じように快適に思えてくるという意味。 |
一姫二太郎 | 「一番上が女の子で、二番目が男の子」のことを指している。女の子が一人、男の子が二人のことではない。「一」「二」は数ではなく、初夢、「一富士、二鷹、三なすび」と同じ表現。 |
横車を入れる | 間違いやすい類似表現に、「横車を押す」と「横槍を入れる」がある。「横車を押す」は、「車を横に動かすこと、道理にあわないこと、理不尽なこと」という意味で、「横槍」は、「話の途中で横から口をはさんで、妨害すること」である。 |
青田刈り | 「青田買い」とは、田の稲が実るまえに収穫を見込んで買ってしまうことで、企業が卒業見込みの学生に、協定による就職活動解禁の時期よりも早く内定を与えることにも使うようになった。 |
国敗れて山河あり | 正しくは「国破れて山河あり」。国家は滅亡してみる影もないが、自然だけは以前と変わらず、そのままの姿を保っているという意味。 |
眉をしかめた | 正しくは「眉をひそめる」で、不快なこと、心配事がある様子のたとえ。「眉をひそめる」と間違いやすいのが「顔をしかめる」で、痛みや不快のために眉や額のあたりのしわを寄せるという意味。 |
目鼻が利く | 「目端が利く」は、素早く見てとる、抜け目がないという意味で、「鼻が利く」は、利益になりそうなことを巧みに察知するという意味。 |
思いもつかない | 「思いつく」とは、ふと心に考えが浮かぶ、心をひかれるという意味で、普通は前者の意味で使う。「考えがおよぶ」という意味で使うなら、「思いよる」が正しい。 |
門前雀羅の賑わい (モンゼンジャクラ) |
正しくは「門前雀羅を張る」で、鳥をとる網を張っていられるほど、訪れる人も少なく、さびれている様子の意味で使う。雀羅は雀をとる網。 |