2014年度版 2014年4月〜2015年3月
15年03月31日(火)  1月28日に再開したが故障者が出たり、ジュニア選抜の練習で選手が揃わなかったりで1時中断していた3qランを4月1日から再開する。その予行練習として私は28日から自主練を開始した。コースは自宅→かき道4丁目経由→橘小学校→かき道2丁目公園→自宅というコースだ。距離は3.3q。選手が走る川端コースは平坦な3qだがかき道コースはアップダウンがあり、川端コースより苦しい。今日で4日連続。さすがにきつい。足が棒になってしまった。心臓が止まりそうn兆候は今のところない。
今日で2014年度版はおしまい。明日からは2015年度版をご覧ください。
15年03月30日(月)  ジュニア選抜チームが21:25大村空港着のJAL1857便で帰ってきた。選抜チームで得られるものは、他人と行動を共にすることによって自分や自分のチームを客観的に見る目が育つということである。ということで、ひがながの3人だけでなく、ひとまわり大きくなったみんなの姿を夏の県中総体で見たい。 
15年03月29日(日)  今日ひがながはオフ。なので古賀ミニバスを観に行った。やってるとしたら午前中だろうと思ってアポ無しで行ったが空振りじゃなかった。コーチ保護者も皆熱心だ。ステージ側では男子がやっていてその中に寺島慧君が居た。慧君はこのブログの2011年9月23日に登場している。当時3歳だった。先日保育園を卒園して4月から1年生になるそうだ。最初に慧君をこのブログで紹介した時私は「田臥を追い越す」と言ったがそれを訂正する。「富樫を追い越せ!」
15年03月28日(土)  来年の主力選手に視点を置いた練習3日目。イホ・ナツメ・カズハ・モモカまでは概ね定着だが5番目が誰かを昨日と今日で試してみた。残る10人のうちミニバス経験者がキョウコ・アサ・アヤメ(少しだけ)・オトハ・ユウカの5人だが、今のところキョウコかアサが鼻の差でリードしている。が、定着の4人も含めて本気度はまだ幼稚園レベルだ。備考:ジュニアオールスター予選リーグ⇒山梨49-44長崎 長崎44-42石川 石川58-57山梨。 
15年03月27日(金)  私は時々つばさ保育園の園長が飼っている犬を散歩に連れて行く。ゴールデンレトリバー(CielとAnge)の2匹だ。歩いて散歩させるとCielとAngeの運動不足解消にはならないし、走ると私の息が保たない。だからスクーターの風防のワイパーの付け根にリードを引っかけてジョギングさせることにしている。スピードは時速11qぐらいだ。今日はその動画撮影を試みた。右手でスロットルとブレーキを調整しながら左手で撮影した。撮れた動画をあとで見たが良く撮れている(左がCiel右がAnge)。「これは神業だ」と自画自賛した。注:道路は公道ではなく公園の周囲でクルマなどまったく通っていない道。目は前方を注視して運転し、動画は「この角度で撮れば2匹がフレームに収まっているはずだ」と勘でカメラの向きを設定して撮った。
15年03月26日(木)  昨日からジュニア選抜の選手が不在。昨日の練習は24日と同じ内容でやったがしっくり来ない。よって急遽、今日から30日までの4日間は(29日はオフなので4日間となる)来年のチームを主体とした練習をすることにした。内容は、個人技やハーフコートの練習もするが来年の主力となるであろうイホ、モモカ、カズハ、ナツメ、キョウコ、アサとジュニア選抜選手が抜けた残りの上級生とのスクリメージがメインである。そうすると視点が残留主力選手たちの出来ではなく来年のチームに向けられるので、新鮮な気持ちで練習に集中することができてストレスが大幅に軽減される。我ながらいいアイデアが浮かんだと思った。
15年03月25日(水)  県競技力向上対策本部から文書が届いた。これで私を拘束するものは何もなくなった。鶴鳴を退職した平成25年3月31日付けでこの文書の役職も辞めさせてくれとお願いしたが「長崎国体が終わるまでダメです」と一蹴された。また、鶴鳴を辞めたのだからということで某県バスケットボール協会からスーパーアドバイザーを依頼されたがお断りした。この文書の役職の有り無しや、国体スタッフから降りたこととは関係なく、長崎で国体が開催されるのに山崎純男が他県の国体強化のお手伝いをするというのはあり得ないことだったからだ。
15年03月24日(火)  今日は終業式。25日からジュニア選抜の練習が再稼働し、30日の夜に東京から帰ってくるまでルナ・ミナミ・ミホの3人が居ない。だから、この3人が居る昨日と今日の2日間で、このところ重点的に取り上げている”決めてくる”プレイを脳細胞(意志)と身体の細胞(技術)にたたき込むことのみに的を絞って練習した。言い換えれば、スポーツ好きの少女を闘う戦士にする作業だが、これは闘争心とかやる気などの精神論で片付けられる問題ではない。手の使い方や足捌きなど細かい点を教え込まなければならない。このことは2月16日から強調してきているが「これでヨシ!」にはまだ遠い。技術練習は繰り返しが重要である。が、それより大事なのは、まだこの問題をクリアできていないという危機意識を選手が持つことだ。プレイがサマになってくることよりも、選手の危機意識が私に伝わってくるようになれば解決は早いのだが、まだ伝わっては来ない。今私は、50年のコーチ人生の中でもっとも難解な局面に立たされているかもしれない。
15年03月23日(月)  カレッジバスケットボールのNCAAトーナメントはベスト16が出そろった。ランキング上位校はほぼ順当に勝ち上がったが、EASTブロック第1シードのビラノバがノースカロライナ州立大に、第2シードのバージニア大学がミシガン州立大にそれぞれ2回戦で負けて姿を消した。カレッジバスケットは10月に練習解禁(ミッドナイトマッドネス)になってから年末ぐらいまではどの大学にもまだ幼稚さが残っているが、3月に入ると全然違ってくる。加えてNCAAトーナメントになるとさらに違う。ここまで辿り付くまでにそれぞれカンファレンスリーグで力を付けてくるのだが、カンファレンスリーグで連戦連勝して上位25位にランクされるチームになったとしても、NCAAトーナメントは最近急に強くなった新参者が勝ち上げって行けるように甘くはない。だが、トニーベネットが優秀であることに変わりはない。前任校のワシントン州立大もこのトーナメントでベスト16に導いた。だから彼は、先日亡くなったディーンスミス氏などの偉大なコーチたちに肩を並べる存在になっていくだろう。ちなみに、ウォリアーズのクレイトンプソンは下級生の頃トニーベネットに習ったはずだ。
15年03月22日(日)  ジュニア選抜の九州強化練習会(2月28と3月1日)のあと2週間を空けて昨日から練習が再開された。昨日は時津中中学校体育館で練習。今日は純心高校体育館で高校生相手のスクリメージだった。回を重ねると練習見学に来ている保護者ともことばを交わすようになる。「月末東京に行くの?」と聞くと大半の保護者が「行きます」と答え。中には家族全員で出かけるという人もいる。ウワー!選手の個人負担でさえ1人6万円ぐらいかかるのに、家族全員で出かければどんだけお金かかるんだろ?
15年03月21日(土)  今日はひがながの送別会。午後3時半から送別試合をして、そのあと飯盛町の大潮でお別れ会をした。みんな芸達者だ。A B C D E F 
15年03月20日(金)  今日ひがながの練習はオフ。だが私のアタマの中はオフにならない。教員になってすぐの頃は、オールコートプレスで相手を粉砕するバスケットだった。だがそれは邪道だとすぐに気が付いた。ディフェンスは重要だが、オフェンスより優先される命題ではないのだ。考え方を切り替えてオフェンス優先で指導したら8年目(昭和48年31歳)に全中を制覇した。が、オフェンスの指導で「これでヨシ!」と思えるものは確立していなかった。ゾーンオフェンスがどうもうまくいかないのである。鶴鳴に移籍してからはそのことばかりを考え続けた。そして、昭和59年3月の合宿(42歳)で初めて、「どんなゾーンでも全員が動きながら三角形を作ったり壊したりすればうまく攻められるのではないか?」と思った。それは現在も変わっていない。さらに、この考え方はマンツーマンオフェンスにも通じるのではないかとも思った。それをより深めながら指導を続け、平成3年(49歳)にインターハイで優勝した。しかし作品としては「これでヨシ!」ではなかった。「こんな感じかなあ」と思えるものに近付いたのは(平成8年54歳)の風軍団である。風軍団はそんな練習を重ねながら、場面理解力だけでなくディフェンス力もシュートを決めてくる力も身に付けていった。ところが、ひがながバスケは場面理解力は風軍団に近付いてきたもののシュートを決めてくる意志と力が風軍団にはるかに及ばないのである。攻撃のカタチは作れるが決定力がないのでは勝利は呼び込めない。7月末までの4ヶ月はこの命題を解決するために死にものぐるいで取り組まなければならない。 
15年03月19日(木)  今日また、フジと浦先生(長崎東監督)が練習見学に来た(左端壁際の2人)。ひがながの練習以外の時間帯ならどんなことでもしてやれるしそのための労力は惜しまないが、ひがながの練習中はこのところ選手の指導でいっぱいいっぱいなので、こうやって見学に来られても解説したり質問に答えてやる余裕はない。ゴメン。
備考:U-19女子残念!
15年03月18日(水)  昨日は10時から12時までの2時間、蛍茶屋のロイヤルホストでマック・ミラ・フジにレクチャーをした。3人とも長崎国体スポーツ専門員としての仕事が今月末で終わり、それぞれ長崎を離れる。マックは埼玉に帰りミラは福岡に拠点を置き、それぞれクリニックをメシのタネにするらしい。フジは故郷山梨に帰って教員採用試験を受ける。3人に共通しているのは他人に教えるという生業に就くので、その際の心得を聞きたいと言うのだ。私はありきたりのドリルを並べ立てるクリニックはするな、対象が幼ければ幼いほど攻防をたくさん取り入れろと言った。日本代表とかオリンピック選手という肩書きでいつまでもクリニックはできない。内容の深さでやれるようになれ、とも言った。レクチャーは2時間では足りなかった。 
15年03月17日(火)  今日は東長崎中学校の卒業式。バスケ部卒業生11人のうち4人(カスミ・スミレ・アヤ・カエ)は、6年前の12月に、その年新設された高城台小学校のミニバスを立ち上げてやった時に入部してきた。3年生だった。最初は週2回指導に出かけていたが、多忙でそれも滞りがちになり、後継者を探したが見つからなくて彼女等が6年生になる頃には消滅してしまった。が、彼女等は中学に入ってからもバスケ部に入った。私は鶴鳴学園を退職してから東長崎中学校のボランティアコーチをすることになり、再び彼女等と巡り会った。彼女等は2年生になっていた。小学校時代に充分指導してやれなかったので随所に未熟さが見られる。不憫だった。しかし、カエとアヤは高校進学後もバスケを続けるらしく、しばしば下級生の練習に顔を出していた。充分指導してやれなかったにもかかわらず、「高校でも続けよう」と思ってくれた彼女たちにありがとう。
備考:今日から4月6日まで、NCAAトーナメントが開催される。組合せはGames & Schedule参照。
15年03月16日(月)  今日はつばさ保育園のお別れ遠足。にじ組(3歳)・ほし組(4歳)・つき組(5歳)を月の丘公園に2台のバスで連れて行った。1時に公園を発って保育園に戻ったが、にじ組さんは30分ほど出発を早めた。保育園での1時はお昼寝の時間になるからだ。だからバスの中では睡魔が襲う。バスの中で寝てしまったらお昼寝中に起きてしまうかもしれないので先生方は園に着くまでこどもたちをできるだけ起こしておこうと「○○チャーン、もうすぐ着くよお。がんばってねえ」と励ます。眠いのをがまんするのと空腹をがまんするのはどっちが大変なんだろ?
15年03月15日(日)  九州中学春季大会勝ち上がり表Games & Schedule参照。男子別府北部、女子二島の優勝で幕を閉じた。ひがながは11時から1時半まで練習した。そのうちの2時間はずっと1対1だった。選手が飽き飽きしようがなにしようが、選手のプレイから「決めに行くぞ!」という意志が感じられ、決めに行く技術が上達し、決めに行く脚力が身に付くまで続ける。
15年03月14日(土)  九州中学春季大会結果報告。Games & Schedule参照。痛恨の極みである。勝ち上がり表は情報を得られなかったのでUPできない。明日の女子準決勝は、二島(福岡1位)対コザ(沖縄2位)、戸次(大分1位)対北谷(沖縄1位)
15年03月13日(金)  九州中学春季選手権大会の開会式が福岡市のアクシオンで行われた。参加者から「宿舎はどこですか?」と聞かれ、「通いです」と答えると「エーッ!」と驚かれる。が、16人の選手が泊まれば約11万円かかり、マイクロバスで往復すれば約1万4千円で済む。しかも、片道所要時間は約2時間。県内の少し遠いところで行われるカップ戦とたいして変わらない。さらに、通えば選手は自宅で寝られて自宅のご飯を食べられる。だから通いの方が経費の面でもストレスの面でも圧倒的に有利だろう。違う?
15年03月12日(木)  昨年、つばさ保育園のつき組(年長)さんをバスに乗せて和仁会病院に併設されている特別養護老人ホーム中の里に慰問に行った。今日は同じような施設で平間町にあるデイサービスセンターツクイに行った。私の目はこどもたちのパフォーマンスではなく20人の通所者の表情にフォーカスされていた。人が生きていくためには水とパンだけでなく刺激も必須なんだとあらためて感じた。
15年03月11日(水)  今朝早く、県外のS氏から「何かありましたか?」と電話がかかってきた。昨日のブログを読んで「アタマにくるような指導現場を見たのかな?」と思ったらしい。何かがあったわけではない。鶴鳴を辞めてから中学バスケやミニバスの選手たちや指導者たちと交わる機会が多くなり、少子化のあおりを受けて中学生や小学生のスポーツ現場は昔より大変難しくなっていることを知った。そんな難しい状況の中で、中学バスケやミニバスの指導者も選手たちもひたむきに純粋に頑張っている。そのことに対して高校以上の指導者は襟を正せと、自戒を込めて書いたのである。口が裂けても「ミニバスでもっと基本的なことを教えておいてくれれば…」とか「中学でもっとこんなことを…」などと言ってはならない。備考:九州中学春季大会案内UPGames & Schedule参照。 
15年03月10日(火)  コーチの指導態度について私見を述べたい。コーチならば誰でも選手を怒鳴りつけたり叱ったりするだろう。優しいことばだけでは指導はできない。だが、どんなにひどいことばを選手に浴びせようとも、心の奥底には選手の努力に対して敬意を払う気持ちがなければならないと思う。@ A B
15年03月09日(月)  今日の練習は30分だけ優子スペシャルの練習をした。試合に優子を出場させた時はこのフォーメーションを使うぞというのを、優子本人はもちろん他の選手にも理解して貰うためだ。私は個人情報やチーム情報はプライベイト侵害1歩手前までHPで公開する。若いコーチたちに勉強してもらいたいからだ。しかし、優子スペシャルの内容はまだ公表できない。現段階では企業秘密だ。
15年03月08日(日)  ひがながの練習(08:00〜10:30)を済ませてからだったので池内氏のクリニックには少し遅れて参加した。昨日から今日にかけていろいろ思い出してみたが、池内泰明氏(拓殖大学コーチユニバチームコーチ55歳)はじめ、昨年クリニックをして貰った小野秀二氏(元日立サンロッカーズコーチ57歳)・内海知秀氏(日本代表女子コーチ56歳)・陸川章氏(東海大コーチ53歳)や、瀬戸孝幸氏(大阪産業大学コーチ55歳)・長谷川健志氏(日本代表男子コーチ54歳)は少年時代から知っているが、みんな50歳を越えている。その他鈴木貴美一氏(元日本代表男子コーチ55歳)はお父様には面識があるが本人とは面識がない。はて40歳台は?30歳台は?と考えてみると、現役時代は日本バスケの牽引者だったとしても、現在指導者として日本を引っ張っている人がすぐには浮かんでこない。日本バスケ界の将来、大丈夫かなあ。
15年03月07日(土)  明日長崎日大高校でバスケットのコーチ研修会が開催される。講師は拓殖大学監督の池内泰明氏(55歳)である。夕方池内氏を囲んでの懇親会に招かれたので顔を出した。彼もとっくに50歳を過ぎたのかあ…。
15年03月06日(金)  ひがながバスケオフ。ブログ休載 
15年03月05日(木)  残り30分まではチーム練習をして、最後の30分は個人練習をするというのが最近のパターンだ。主力8人の個人練習は1対1の攻防である。昨日練習が終わる直前に8人を集め、「1対1を始めた頃はドキドキビクビクやっていたのに、最近”さあ来い!”という気持ちでやっている選手が居る。誰だか分かる人」と言って手を上げさせたが誰も手を挙げなかった。夜になってA子ママに「A子は、ひょっとしたら私?と思わなかったのか聞いてみてよ」とメールした。そしたら「そう思ったらしいけど、”私ですか?”と言う勇気がなかったそうです」という返事が返ってきた。そりゃそうだ。他人から推薦されるのならまだしも、ひょっとしたら?程度で自己推薦できる選手なんて、中学生レベルではいないだろう。ひがながには、最初から”さあ来い!”と思ってプレイしている選手がいるし、A子より先にそんな気持ちでやれるようになった選手がいるし、A子に少し遅れて付いてきている選手がいるし、まだ少し時間がかかりそうな選手もいる。これらがみんな1段階ずつレベルアップすれば「ひがながの試合を見に来て下さい」と言えるようになるのだが…。 今日のA子は少し揺れた場面もあったがほぼ昨日の自分をキープできた。
15年03月04日(水)  佐世保協会杯(2月21・22)以後、主力選手の個の力を引き上げる作業に取りかかったということは前に述べた。それ以来ずっと、何をしていても選手の顔とプレイが3D動画で私の目の前に現れる。その動画の中の選手に私は声をかける。だから、最近の私は1日14時間ぐらいコーチをしているのと同じだ。 
15年03月03日(火)  アメリカ時間2日の午後7時(日本時間本日午前9時)開始でシラキュース大学とバージニア大学の試合が行われた。バージニア大学はシラキュース大学得意のゾーンディフェンスを攻めあぐみ(写真は、米海軍佐世保基地内の江村氏提供)苦しいスタートだったがシステムプレイをやめて個々の力量を優先させたオフェンスに切り替えてから主導権を掴み、アウェイでの試合をモノにした。全米ランキングも2位確保だ。それにしてもコーチのトニーだけでなく、ベネット一家(父ディック、姉キャシー)はすごい。 
15年03月02日(月)  ゴホンと1度咳をしたら連続して咳が出るし、鼻汁と痰でハンカチは相変わらずジュクジュクになるが、峠は越えた。さて、3月20日までジュニア選抜の練習はないので今日から約3週間は主力選手が揃った練習ができる。しかし甘い!。「道を歩むるは易く、道を定むるは難し、道を求むるに迷い多く、道を極むるに歳無し(柳生石舟斎)」ということばをホワイトボードに書いたが、その意味がわかるか?わかるならそんなのんびりした顔つきでコートには立てないよな。
15年03月01日(日)  ひがながの練習はオフ。午後、前々から要請を受けていた岩屋中の指導に出かけた。16人中ほとんどがミニバス経験なし。しかし、ちょっと手ほどきするとバスケらしくなる。だから教えていてイライラすることがなく、3時間がアッという間に過ぎた。
15年02月28日(土)  部員全員を連れて朝6時半に学校を出発し、第13回九州ジュニアオールスター大会を観に行った。話は突然飛ぶ。ずっと前に県内のバスケットのコーチが2人、海外の日本人学校に派遣された(バスケコーチではなく日本人学校の先生として)。任期を終えて帰ってきた2人に私が「どうだった」と聞いたら2人からまったく同じ返事が返ってきた。「日本がよ〜く見えました」。私はメキシコのこどもたちはこうですとか上海というところはこんなところですというような返事が返ってくると思っていたが、言われてみてなるほどと思った。日本に住んでいては気付かない日本の良さや悪さが、海外へ出て初めてわかったというのだ。これは、ジュニア選抜に選ばれているルナ・ミナミ・ミホの3人にも当てはまる。3人ともおおきくなって帰って来いよ。
15年02月27日(金)  体調最悪。今日はパソコンも何もせず、学童のお迎えに出かける直前までずっと寝ていた<(_ _)>。体調は最悪だったが学童のお迎え前にちょっとだけ高城台小学校2年生の授業参観に顔を出した。感想は「小学校の先生って大変だあ」 
15年02月26日(木)  1昨日の朝目が覚めた時にノドが痛かった。風邪を引いたようだ。風邪のウィルスはその日にノドから鼻腔を占領し、鼻水とくしゃみが止まらなかった。昨日はそれが気管まで拡がり肺に到達した。昨日は鼻水・くしゃみ・咳・痰が止まらず、ハンカチがジュクジュクになって1枚では保たなかった。今回のウィルスの活動は素早いし、今日もその活動は下火になってはいない。こどもたちに移さないようにしなければ…。 
15年02月25日(水)  このところ、私の口から出ることばは辛辣である。闘いに強い人間(プロ)を造ろうとしているのだから当然だ。辛辣なことばは相手も傷つけるがこっちも傷つく。だが、今にも泣き出しそうな選手の顔を見て同情心が湧くようではひがながの夏はない。私は鬼になる。
15年02月24日(火)  各県のジュニア選抜チームが月末熊本に集まって強化試合をする。組合せはGames & Schedule参照。
さて昨日のハナシの続きだ。県新人戦後、主力8人の1対1を毎日メニューに入れている。狙いは「やっつけた!」と思うプレイに抵抗された時「なんの!」と思って最後までプレイをやりきる力を付けさせることだ。うまくいかなかった時に自分に対する怒りよりも不安や悲しさが自分を支配する選手は闘いには向かない。これを鍛えたいのだが、これは心の問題なので関わり方が非常に難しい。
15年02月23日(月)  どんなに訓練を積んだ人間でもミスはするし不調な時がある。凡人はそこで不安や恐れが自分を支配する。将来人生達人の域に達する人間はそこで自分に怒りを覚える。これからの私の仕事は将来達人を1人でも多く育て上げることである。72年の生涯の中でもっとも大変な作業になるだろう。しかし、やらなければならない。
15年02月22日(日)  第3回佐世保協会杯最終日。結果報告はGames & Schedule参照。朝5時03分に目が覚めた。今日は学校を7時20分出発としている。まだ時間があるのでトイレに行った後またフトンに潜り込んだ。うとうとしながら選手たちの顔が次々と浮かんできた。昨日の不快感がまだ燻っているのだろう「なんでこんな朝早くからお前らが登場するんだよ!」と思いながらまた少し眠った。7時10分頃学校集合の選手たちをマイクロバスで迎えに行った。定刻になったので発車させようとすると校門の前にどこからか吹き寄せられてきた空のコンビニ袋が落ちていた。バスを止めて「汚いから誰かあの袋を拾ってゴミ箱に棄ててこい」と言ったらA子がそれを拾いに行った。ところが、目の前の袋は拾ったがそこから3メートル離れたところにもう1つ落ちていた袋には気が付かない。「もう1個あるだろ」と私に言われてようやく気付いた。A子だけでなく、校門を通って来た者の中で誰1人そのゴミに気付かなかったことが、昨日から燻っている不快感を増幅させた。 
15年02月21日(土)  今年度最後のカップ戦である第3回佐世保協会杯初日。結果報告はGames & Schedule参照。ひがながを指導するようになってから1年7ヶ月。はらわたが煮えくりかえるような思いをしたのはたぶん初めてだと思う。
15年02月20日(金)  今日は平成26年度長崎県競技力向上対策本部第1回強化助成専門部会が開かれた。今年度最後の最後の会議だ。この部会は私が部会長ではないので1委員として出席した。これで正真正銘の無役になった。ホッ。 
15年02月19日(木)  二宮可南子(鶴鳴→東京学芸大→山梨クインビーズ→長崎県スポーツ専門員)が練習見学に来た。4月から故郷山梨に帰り教員採用試験を受け、指導者になりたいらしい。私の横にくっついてメモを取り私が何を喋るか聞こうとしていたので「メモは取るな。俺のそばから離れて対角から見ろ。そして俺の目を観察しろ」と言った。若い審判員にも同じ事を言う。その人の目を見ていれば、自分と同じ観点でプレイを見ているとか全く違う観点でプレイを追っているというのがわかる。そこから自分の発想が広がる。
備考:佐世保協会杯案内UP(Games & Schedule参照) 
15年02月18日(水)  西保奈美が1昨日の3qランを途中でやめた。理由は腰痛だ。昨日はそれがひどくなり、体育館の練習はまるまる見学した。聞けば小学6年生の時にも腰痛で専門医の診察を受けている。それを聞いて今日は整形外科専門医に診察依頼をした。普通のX線検査しかしなかったのでそれにははっきり出てないが、諸症状からして第5腰椎分離症が疑われる。MRIを取ればそれがはっきりするだろうが、はっきりしたところで今後の生活で注意することは変わらないし、MRIはお金がかかるので今日はやめにした。しばらく痛い動作をさせないで経過観察し、痛みがなかなか改善されないようだったらまたMRI検査を考えようと思う。ところで、分離症というのは足のスネや甲によく発生する疲労骨折と同じメカニズムで起こる。腰椎分離症はだから腰椎の疲労骨折なのだ。原因は、動作の悪さや過度のトレーニングによって、骨のある部分に集中的に負荷がかりすぎることによって起こる。だからスポーツは正しいフォームや正しい運動量でやらなければならない。これは金属にも起こる。例えば飛行機墜落事故など、激しい振動により部品が金属疲労を起こし、それをそのまま使用しているとある日突然壊れて(疲労破断)墜落に繋がったりするのだ。人間の場合、骨の疲労性骨膜炎の段階で痛みを感じるからそこで動きをセーブすることができるが、金属は痛みを訴えることができないので最後までいってバーンとなる。追伸:ひがながの3q走はしばらく中止する。 
15年02月17日(火)  平成26年度長崎県競技力向上対策本部第1回成年選手強化専門部会(私が部会長)が大波止ビル4階会議室で開催された。今年は役員改選の年度なので、このメンバーで開かれるこの会議は第1回であり最終回である。私も3月31日付けでこの役職を降りる。自分のチームの強化、少年女子国体チームの監督、バスケ協会の重要部署の役職に加えてこの役を担い、忙殺された20年間(平成8年に拝命)であったが、学校の教員をやっているだけなら絶対に学ぶことができない県の政策の舞台裏や議会のことなど多くのことを学ぶことができた。自分に「長い間ご苦労さん」。
15年02月16日(月)  試験休みとジュニア選抜の練習で8日間顔を見ていなかったルナ・ミナミ・ミホに会った。8日会わなかっただけだが懐かしかった。みんな揃ったところで次のような話をした。「俺のバスケットは場面理解を最優先させる。1年半かかったがそれは概ね達成された。よって今日から3月末までは個々の力量を高めることに重点を置く。3月末まではジュニア選抜組がしばしば抜けるのでチームプレイよりも個々の力量アップに目を向けるのに丁度良い時期だと思うのだ。3qランも今日から再開。イホは鵞足炎(初期)なので走らせなかったし、JOEもどうやら両足脛骨内側下部に疲労性骨膜炎を発症したようだ。だから、3qランからは外す。たぶん、このような障害との戦いと縁が切れないだろうが、5月の連休までにチームを「あとは突っ走るだけ」まで持って行きたい。
15年02月15日(日)  大原KKカップ最終日。結果報告と勝ち上がり表はGames & Schedule参照。昨夜は寝付けなかった。やむなく夜中1時50分にデパスを1錠服用したが効き目がない。自分では今日の試合のことはまったく気にしていないつもりだったが、昨日家に帰り着いてからずっと「明日の試合ではJOEにどんなことばをかけようかと考えていたので、それが原因かもしれない。イホとナツメは若さと甘さ満載だし、カズハに至っては何を起こすかわからない。JOEとハナに、そんな後輩たちを支配しながら自分のプレイもちゃんとやれというのは酷だとわかっているが、よい経験だと思ってそれを糧に成長して貰うしかない。ガンバレ! 
15年02月14日(土)  大原KKカップ初日。結果報告はGames & Schedule参照。コーチ人生51年目の私はベテランである。しかし、安心してその日を送れた日は記憶にない。優勝した瞬間はホッとする。が、それも束の間、「来年も勝てるだろうか」という不安が襲ってくるのである。ベテランの私でさえそうなのだから、今日のJOEとハナは、頼りになる仲間3人が居ない中、不安材料だらけの1年生を動かしていかなければならないので、心臓がノドから飛び出るほど不安だったろう。しかし、安心は自分を成長させてくれはしない。不安こそが自分を成長させてくれるのだ。潰れるな!ガンバレ! 
15年02月13日(金)  学年末テスト明けで練習再開。明日と明後日は大原KKカップに招待されているが、それにはジュニア選抜の3人は選抜チームの練習と重なるので連れて行けない。だから今日は大原KKカップのスタメン中心の練習となった。県新人戦前の3週間はルナが手首骨折で抜けたが、1人抜けただけでもグチャグチャになるのに3人も抜けたらチームプレイが成り立たない。それでもJOEとハナはチームをまとめなければならないし、出番が回ってきたバックアップの連中は自己アピールの絶好のチャンスだ。さあ、誰でもいいから俺の目を釘付けにしてみろ。今日は1人も居なかったぞ。
15年02月12日(木)  昨日夕方、藤枝明誠高校監督の三上淳先生が亡くなった。52歳だった。1昨年、肝臓と大腸にできたガンを手術し、抗癌剤を飲みながら闘っていたが神様は無情だった。三上さん、早すぎる!
15年02月11日(祭)  結子(ユイコ)〜ぉ。やっぱり3年生になったらミニバス始めようよ。 
15年02月10日(火)  休載 
15年02月09日(月)  休載 
15年02月08日(日)  今日から12日(木)までは試験休み。しかし、ジュニア選抜に選ばれている3人(ルナ・ミナミ・ミホ)にとっては今日が選抜チームの練習日なので県新人戦後の休養なしだ。私は監督の沖島先生にもミナミのジャンパーズニーのことは伝えてあるし、ミナミ自身にも「痛みの具合を見て自分でちゃんと申告しろよ」と言ってあるのでその様子を見に行った。「ウーン」だが、介入し過ぎるのはよくないので黙って見学するだけで帰ってきた。選抜チームは全員で12人だが今日の練習は10人でやっていた。2人の選手がどこかを傷めていて見学していたからだ。それ以外にも「この子の動作はいつかどこかを傷めそうで気になるなあ」という選手がいた。私は、選手がどんなプレイをするのかよりも、ケガをしないで選手生活が続けられるかどうかの方が気になる。 
15年02月07日(土)  県新人戦最終日。結果報告と勝ち上がり表はGames & Schedule参照。決勝で負けたあと、誰とも話しをしたくなくて閉会式が終わるまでずっとマイクロバスの中に居た。昨年8月から12月末まで、1度も停滞することなく成長してきた彼女たちの初めてのつまづきを目の当たりにして怒りが込み上げてきた。閉会式が終わって選手をバスに乗せ、発車させたあともその怒りは治まらなかったが、中学校に着いて荷物下ろしをする頃にはその怒りが自戒へと変わっていた。この半年、奢りや慢心がなかったかもう一度自分を見つめ直してみようと思う。
15年02月06日(金)  今日の練習は昨日と同じで1時間のみだった。家を出る前まではミホの特訓メニューに1品加える予定だったが現場で指導しながらもう1品追加してしまった。追加といっても新しい技ではなくシュートのバリエーションが増えただけだ。明日の大事な試合直前に技をいじくって大丈夫なの?と思う人がいるかもしれないが心配はない。本人が明日の試合で試してみたいと思えば試せばいいし、試すのが怖いのならばこれまで習得した技で明日は戦えばいいだけのことだ。
15年02月05日(木)  ひがながは来週の木・金が期末試験である。だから今日から部活は試験休みだ。ただし、試合直前の部活は例外として練習可である。今週末に試合がある部活は女子バスケだけだ。がらんとした体育館で11人に絞り込んで(5対5が出来る人数にプラス1)1時間だけ練習させてもらった。内容は個人練習30分と5対530分。24人全員に目を配らなければならない通常の練習では行き届かないミホの特訓が充分できた。 
15年02月04日(水)  ミホのゴール下シュートは昨年からあれこれ手直しをしているが、ミホに限らずゴール下のシュートが安定しない選手は同様の問題を抱えている。まず着地の足、次に上体の捻り、そして手の使い方だ。ゴール下のシュートは絶対片手シュートでなければならない。なぜなら、ゴール下は邪魔な手がたくさんあって、それを外してシュートしなければならないからだ。外すためには両手でボールを支えていては邪魔な手を外す幅を作ることができない。ミホはこの課題をクリアすれば残る課題はない(たぶん)。 
15年02月03日(火)  県新人戦2日目に生き残ってから2日が経った。今週土曜日は県新人戦最終日で大事な準決勝以降の試合が残っているが、昨日も今日も練習はランニングスルー(続チームを創る第4章参照)しかやっていない。フルコートを走るメニューやスクリメージは無しである。オフェンスもディフェンスもゆっくりペースで動きを確認するだけだ。大事な試合だからといってムチを入れても無駄だと思っているからだ。たぶん明日も同じ。木・金の練習はまだ考えていない。 
15年02月02日(月)  今日の3q走は辛かった。一生懸命呼吸をしても酸素が取り込めないし、胸が(胃ではない)ムカムカする。走り終わったあとで咳き込んで胸が痛くなったので風邪を引いていることに気付いた。風軍団と一緒に走っていた頃(当時は5q走)、風邪で38.4℃の熱があったのに走った事があるが、あれから18年、この歳になったらそれは無理か。あの時は発熱に負けず先頭集団(19分台)と競り合ったんだがなあ。 
15年02月01日(日)  県新人戦2日目。結果報告と勝ち上がり表はGames & Schedule参照。鶴鳴時代もそうだったが、ひがながの試合でもいつの間にかベンチのうしろにギャラリーが集まる。タイムアウトの時に私がどんなことを喋るのか聞きたいのだろう。小島中戦のタイムアウトの時に選手をベンチに座らせて作戦板を手に取ったら、選手のすぐうしろのステージにあぐらをかいて座っているギャラリーが選手と同じような目付きで作戦板を覗き込んでいる。私は選手をコートに送り出したあとギャラリーに向かって「1人アタマ500円だからな。集金は君だよ(生月中監督の山浦先生)。ザッと数えても6人は居るなあ、3000円か」と言った。
15年01月31日(土)  1月は立て続けにカップ戦があり、うっかりしていて先々週の松浦カップの案内は大会1日前にあわてて作成した。そんなことがあったので、県新人戦の案内は早めに取りかかり、28日にはすでにエクセルファイルは作成していたのだが、早めに準備ができたことで安心してそれをPDFファイルにしてGames & ScheduleにUPするのを忘れていた。それを今日思い出したので、案内と初日報告が同時になってしまった。申し訳ない。 
15年01月30日(金)  スケジュールでは今日はオフになっているが、インフルで活動停止が続いたので今日はランだけ入れた。ミナミは当分の間ランは免除。ジャンパーズニーには堅いアスファルト路面走は良くないし、ミナミは駅伝選手に選ばれるくらいだから心肺機能強化のためのランをやらなくても何の問題もない。 
15年01月29日(木)  昨日の昼、錦織選手の試合をテレビで見た。学童の送迎に出かけなければならなかったので2セット目までしか見られなかったが、錦織選手に勝ち目はないと思った。夕方録画の続きを見たがやっぱりストレートで負けていた。今朝の新聞のスポーツ面には興味ある記事が3つ載っていた。錦織選手のコメントと川淵氏がバスケ協会のタスクフォースのチェアマンになったことと横綱白鵬の審判批判の記事だった。真っ先に読んだのが錦織選手のコメントだった。錦織選手の試合ぶりや表情はひがながバスケの選手に重なるのだ。次に読んだのがタスクフォースの記事だ。この件についての深層には難しい問題があるが、バウマン氏が動き出す前から川淵さんだったらどう解決するのかなあ?と思っていたので、その手腕を見守りたいと思う。3番目に目を通したのが白鵬の記事である。ずっと前に白鵬が相手(遠藤か逸ノ城のどちらかだった)に押しだしで勝ち、相手はもう土俵を割っていて負けましたの態度を示しているのにそれをドーンと土俵下まで突き飛ばした。それを見ていて私は「なんだ、お前も朝青龍と同じか」と思っていたので、今朝の審判批判記事を見て「やっぱり」と思った。スポーツ界に限らず、強くなった者や地位を得た者はそれに見合う振る舞いをしなければならない。
15年01月28日(水)  約1ヶ月近く休んでいた3q走を再開した(materials参照)。当然のことだが貧血治療後のミオ以外はみんなタイムが落ちている。加えて、これまで少しだけ痛かったミナミの膝の痛みが増した。ジャンパーズニーだ。そんなわけで一難去ってまた一難、ルナが復帰してやれやれと思っていたら今度はミナミだ。練習の負荷が強くなったわけではない。前々から言っているように、ひがながの選手はまだ幼児体型なので負荷の強いトレーニングはさせない。ではなぜミナミの膝が痛くなったのか?私はたぶんミナミの身体がパワーアップしたからだと思う。こんなことがあるからコーチは、選手の動きのキレが良くなってきたと手放しで喜ばず、選手1人ひとりの身体的特徴とプレイの難易度をしっかり脳にインプットして選手を観察しなければならないのである。 
15年01月27日(火)  1月12日に倉敷から非公式に、ひがながの倉敷カップ参加への打診があった。倉敷カップは毎年ゴールデンウィークに全国各地から高校生チームが集まって行う強化合宿である。鶴鳴は初回から毎年欠かさず参加していた。鶴鳴を辞めてからも、私は常連の監督さんたちとの繋がりで2回連続個人で顔を出している。だからひがながはこの期間は2回連続中島監督采配でトマトカップに参加している。今年もそうなるだろうと思っていたが上記のようにひがながも参加してくれないかという打診があったのだ。高校生チームの合宿に中学生を参加させて双方にメリットがあるかどうか、打診があってから2週間ずっと悩んでいたが、昨日正式に参加要請があったので、1日考え抜いた挙げ句この要請を受けることにした。この合宿でみなさんに「風軍団Uじゃないですか」と言って貰えるチームになることを最優先の目標にしてこれからのチーム創りに取り組もうと思う。
15年01月26日(月)  ルナは1月6日に手首にシーネを付けてもらい「3週間後にまた来なさい」と言われた。今日がその日だ。診断結果は「完治するにはあと2週間ぐらいかかるだろうけどボチボチバスケット始めてもいいよ。シーネは外してもいいけど不安なら付けておいてもいいよ」である。私はルナにも親にも何もコメントはしない。問題なのは本人の不安だ。医学的には治っていても心理的に治っていなければやらせない方がいい。
15年01月25日(日)  ミナミが復活。主力選手はみんな復帰したが全員揃ってはいない。インフルに罹ってはいないが手首骨折リハビリ中のルナが戦列復帰していないからだ。そんな中今日は梅香崎中学校が胸を借りに来た。しかし、胸を貸すどころかこっちが空中分解。パラシュート降下でやっと助かったという状態だった。ひがながはチームとしても個人としても事件(今回の場合はインフル)に対して強くならなければならない。錦織選手はサーブが良くなったとか身体が強くなったとか言われているが、事件に強くなったことが彼の成長の最も大きな要因だと思う。 
15年01月24日(土)  JOEとハナが登場。ミナミは明日登場となるだろう。ひがなが情報ではないが、倉敷翠松が県新人戦午後3時半開始の就実戦を延長戦で制した。しかも、風邪(インフルではない)でスタメンの2人が体調不良だった。だからこの勝利は大きい。どこも、この時期は練習の成果以外での戦いにも勝たなければならない。
15年11月23日(金)  インフルだった選手が少しずつ戻ってきている。昨日、ヒトミとリノが復帰したのに続いて今日はカズハが復帰した。替わりに今日はユウカがインフル発症で休んだ。スタメンJOE・ルナ・ミナミ・ハナ・ミホ+ホナミ・ユウコ・イホ・ナツメ・カズハ・モモカで生き残っているのはルナ・ミホ・ユウコ・イホ・ナツメ・モモカの6人。そこそこ使える選手の半分はやられた。さあ6人の中から誰が生き残るか?
15年01月22日(木)  全豪オープン2回戦。錦織選手は「決まった!」というプレイを引っかけたりアウトにしたり、なかなか主導権を取れない。かといってリキんでいるのでもないし舞い上がっている様子でもない。ならばそんな時どうする?私はひがながバスケの試合を思い浮かべながらテレビを見ていた。私が思った事は「視点を自分の側だけに置くな。何も悪いところはなく、たまたま結果がそうなっているだけだから、そのまま何も変えずに試合を続ければいい。相手にも決めどころを逃したりするプレイが出るはずだからそこから試合の流れが変わる」である。錦織選手がどう思ってこの試合を組み立てたか分からないが、苦しい試合を凌ぎきって錦織選手が勝った。
15年01月21日(水)  今日は部活動OK。現在インフルで休んでいるのがJOE・ミナミ・ハナ・ヒトミ・リノ・カズハの6人。それを除けば18人だが、手首骨折のルナと半月板手術後リハビリ中のサクラコは練習できないので16人での練習。ハーフコート3対2のあとハーフコート4対4をやっておしまい。学校での練習はハーフコートで、時間も冬時間は実質45分間しかできないので盛りだくさんの内容はできない。それでもチーム全体にはテーマに沿った声かけをしなければならないし、個人のチェックは練習を止めないで順番待ちの時に個別指導をするしかない。長話をしていたら何もできないまま終わる。中学生の指導はこっちも勉強になる。
15年01月20日(火)  錦織圭選手の全豪オープンの試合をテレビで見た。途中「ヤバイぞこれは」と思った。そのあとNBCのひるおびに出演した沢松さんが、錦織選手の勝因はメンタル面が強くなったことだと言った。その通りだと私も思う。メンタル面の強さとは、うまくいかない時に邪念を振り払える力だと私は思っている。邪念とは「やっぱり私たちにはまだ無理なんだ」とか「こんなヤツに負けてなるもんか」などの感情や思いのことである。そういう思いを棄てて今に最善を尽くせる。それがメンタル面の強さなのだ。5月までにひがながをそんなチームに育てたい。
追伸:今日も昨日と同じく部活全面停止。バスケ部ではミナミが今日早退。これでバスケ部11人目。
15年01月19日(月)  県高校新人戦最終日を長与町体育館に観に行った。見ていておもしろいのは、シュートを打つ場面がしっかりしているチームの試合だ。具体的に言えば、監督も選手も、このカタチが出来たらやっつけたと言えるとか、この選手がこんな感じでボールを受けたらほぼいただきだなど、ちゃんと分かって試合を進めているチームのことだ。打っちゃったら入っちゃったで喜んでいるチームの試合はおもしろくない。
追伸:インフルエンザ大発生で今日は全ての部活が活動停止。明日は学級閉鎖が出るかもしれない。 
15年01月18日(日)  松浦杯最終日(結果報告はGames & Schedule参照)。不愉快極まりない試合でした。今日は眠れません。 
15年01月17日(土)  松浦杯初日(結果報告はGames & Schedule参照)。2試合目のハーフタイムに嫁から「午前中病院に行ったらインフルエンザA型だと診断されました」というメールが来た。そのメールを見て、先週の西海カップ初日にインフルエンザに罹って休んでおり、今日久しぶりに部活に顔を出したマナカに「お前何型だった?」と聞いたらマナカは真顔で「O(オー)型です」と答えた。「バカぁ!」
備考:マナカの弁護をしておくが、マナカは学業成績優秀で、とてもよい子である。 
15年01月16日(金)  練習はオフだ。オフなので1人で3q走ってみた。背中と胸が苦しかった。どうやらまた風邪を引いたようだ。走った後もムカムカする。家に帰ってからは1年半に及ぶひがながバスケの指導を振り返ってみた。1昨年は、1昨日と昨日の1年生練習と同じように怒鳴りつけ、叱り飛ばすことが多かった。その後は教える指導に変わっていった。そして、昨年の11月頃から「こうしろ、ああしろ」が少なくなり、選手のプレイを見つめていて、それにコメントする練習が多くなった。叱ったり怒鳴ったりすることが殆どなくなったのだ。私が甘くなったわけではない。それだけ選手が私のアタマの中を覗けるようになったということなのだろう。
追伸:夕方5時半過ぎに修学旅行団(2年生)が帰ってきた。旅行の途中で体調を崩した井手仁美は旅行先の京都で専門医に診てもらったがインフル陰性だった。帰崎後専門医に診て貰ったらインフルA型だった。フウ
15年01月15日(木)  今日新たに山崎嶺美がインフルエンザに罹った。普通の風邪だった衣歩は今日登校した。なつめも登校した。アサは昨日に続いて欠席した。チーム内ではアサが最初にインフルエンザに罹ったので今回の欠席はインフルエンザではないと思う。それに加えて今日は山口優花のロングホームルームが長引いたので置き去りにして飯盛体育館に出発した。今日もプレイヤーは8人。それでフルコートを借り切り、スリーポイントエリア内の4対4、ハーフコートからのラインドリルの4対4、フルコート1往復半の4対4をみっちりやった。こうして1年生だけの集団になると、2年生と1年生の差はとても大きいことが分かる。プレイの差ではなく、気付きが少ないというか幼稚というか、人間としての差が大きいのだ。やはり2年生は伊達に1年歳を食っているだけではない。
15年01月14日(水)  衣歩の今朝の熱は37℃。どうやらインフルエンザではなく普通の風邪のようだ。でも、2年生10人が修学旅行に出かけたので今日から3日間は1年生14人だけの練習となる。そのうちインフルエンザの2人と普通の風邪の衣歩が欠席、さらに今日古場なつめと中田朝咲が早退したし、半月板手術後のリハビリ中の岡部桜子は見学なので、8人だけでの練習となった。しかし贅沢を言ってはいけない。部員が5人に満たないので休部状態のチームもあるし、カップ戦ではベンチメンバーゼロというチームがあるのは珍しいことではなくなってきた。
15年01月13日(火)  今年になってすぐ、中田朝咲(1年)がインフルエンザに罹った。続いて先週西保奈美(2年)が罹った。そして昨日、藤下真奈加(1年)と泉田未来(1年)が相次いで罹った。今日、若杉衣歩(1年)が発熱で早退し、室野圭珠葉(1年)が腹痛で早退したが、若杉は今日の受診では陰性だったようだが、明日まで様子を見ないとわからない。この時期は、敵と戦う前にインフルエンザと闘わなければならない。昭和53年の正月。インフルエンザの蔓延で選手がいなくなり、川井・熊谷・中村の3人だけで練習したことを思い出した。
15年01月12日(祭)  8月末から絞り込んできたジュニア選抜チームの12名が決定し、今日はその活動開始日飯盛体育館で午後1時から行われた。このメンバーで3月末東京で行われる第28回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会に出場する。これに選ばれた選手は大変名誉なことだが、経費の殆どが自己負担になるのが辛い。鶴鳴が強かった頃は経費捻出のお手伝いをしていたが今はもうできない。日本協会なんとかしてくれないかなあ。
15年01月11日(日)  西海カップ最終日(結果報告はGames & Schedule参照)。準決勝の延長戦で小島中に負けた。が、私の感想は「5人揃った」である。これまで、みんな成長したとはいえ難しい局面になると「ルナ頼むぞ」と思う場面がたくさんあったが、今大会ではJOE・ハナ・ミナミ・ミホがみんな独り立ちしてくれたのだ。これで心配な選手は居なくなり、足並みが揃った。 ルナは今月4日のオレンジカップで手首を骨折(若木骨折=前述)して4週間の固定が必要と診断されたが、私はその時点で「もっと早く副え木は外せるよ」と本人と監督に伝えた。おそらく3週間だろう。私は選手の傷害にはとても神経質で、後遺症を残すような傷害ゼロを目指してい指導して来たし、これからもそれは変わらない。だから、月末の県新人戦に間に合わせたくてルナに無理をさせるつもりはまったくないが、26日の診断次第では問題なく間に合うかもしれない。
15年01月10日(土)  西海カップ初日(結果報告はGames & Schedule参照)。チーム自体をある地点に向かって引っ張って行くのは小休止し、ここらで一旦チームを解体して組み立て直そうと思う。再び全員足並みを揃えて動き始めるのはいつ頃になるのかは私にも分からない。 
15年01月09日(金)  オレンジカップ後2日間の実力テスト前休みを挟んで練習再開。骨折のルナの代役である若杉衣歩の特訓に終始した。若杉は、昨年の県中総体後の新チーム練習で「この子はJOE・ハナ・ルナ・ミナミにすぐ追いつくぞ」という感想を持ったが、この半年間で逆に2年生の4人に差を付けられた。2年生が私に激を飛ばされながら積み上げた訓練は伊達じゃなかった。しかし、衣歩にとってはここがチャンス。代役ではなくローテーション入りに命がけでチャレンジしろ! 
15年01月08日(木)  昨日島原から持ち帰った砂糖汁は、つばさ保育園の庭で長時間かけて煮詰められた。園での砂糖造りは石灰を混ぜて煮詰められたが、本当はとっても複雑な工程を経て造られるようだ。だから、園で造られた砂糖は白くなくて黒砂糖のままだが、自分たちが関わって砂糖を造る経験ができる園児もそうザラには居ないだろう。 
15年01月07日(水)  今日は忙しかった。朝からつばさ保育園のつき組さんを、園の畑で育てたサトウキビを積んで島原の農家までさとうきび絞りに連れて行き、長崎に戻って来たら今度はユウコ(松尾優子)のおじいちゃんの畑(古賀町)で毎年恒例鬼火焚きだ。でも、どんなに忙しくてもこどもたちの笑顔を見れば疲れは吹っ飛ぶ。 
15年01月06日(火)  オレンジカップ最終日(結果報告はGames & Schedule参照。但し、勝ち上がり表は明日添付ファイルで送って貰うのでまだだ)。ひがながは強くなった。しかし、昨日も今日もまだこどもだという一面がチラッと顔を出した。小さな事件なのにちょっとだけ心が揺らぐのだ。が、それも半年前に比べれば小さい小さい。強くなる。この子たちはこれからきっと強くなる。
15年01月05日(月)  オレンジカップ2日目(結果報告はGames & Schedule参照)。西川のプレイには良かれ悪しかれずっと声かけをする。昨年暮れに手を付けはじめた西川の改善は功を奏し、着々とホンモノに近づいてきた。しかし、自分で「ヨシ」とか「まだまだ」と自己評価するほど余裕があるとは思えないので声かけをするのだ。「もういいよ、わかってるって」と表情をするようになったら手を引く。
15年01月04日(日)  オレンジカップ初日(結果報告はGames & Schedule参照)。アクシデントが起きた。ポイントガードの梅本琉奈がルーズボール争いで転倒した際に手首を骨折したのだ。レントゲン検査の結果若木骨折だった。 こどもの骨は柔らかいので外力が加わってもポキッと折れずに柳の枝のようにメリッと折れ曲がることがある。これを若木骨折という。だから、レントゲン写真にもヒビは写らず、骨の表面がプックリ膨らんだように写る。昨年、ひがながの選手たちはこども体型なのでまだ負荷の強い筋力トレーニングはできないと言い続けていたが、1年経った今もまだその名残が残っているのだ。センターの西川を除く選手はみんな1年間で8〜10p伸びたが身体はまだ完成形ではない。だからこんなことが起こる。ということは、これからのひがながには身体も技術も伸びしろがたくさんあるということだ。
15年01月03日(土)  やることなすこと裏目に出る日がある。今日がそれだった。8分のスクリメージを4本やった中で、スタメンチーム(城・梅本姉妹・熊谷・西川)がバックアップチーム(西・古場・若杉・室野・横田)にやっと1点差で勝ったのが2本もあった。しかも、2本ともずっと負けてて最後に逆転という内容だ。途中でスタメンチームの選手たちを集め「何をやってもうまくいかないことがこれから何回もある。しかし、その原因が油断や甘さや気の緩みでないかぎりそれも財産になる。今に最善を尽くせ」と言った。最善を尽くしても勝てないことがある。それは悪いことではない。しかし最善を尽くさないのは自分への冒涜だ。部活動で学ぶもっとも重要なことがそれだ。山崎語録#66に「意図的な結果は実になり、偶然の結果はすぐ散る」というのがある。
15年01月02日(金)  4日間の正月休み明けの練習再開初日。鶴鳴時代もひがなが指導に関わってからも、休みが続いたあとの練習は動きが重くて出来が良くないことがしばしばあった。が、今日は違った。最後まで生き生きと鋭い動きが途切れなかった。もうこのチームを怒鳴りつけるようなことは起きないのかもしれない。ただし、西川の個人技改善は始まったばかりだ。しかも、今日新しい技を付け加えた。大変だと思うが「これが出来なければ…」という悲壮感ではなく「さらに高みを…」という前向きな気持ちでチャレンジさせたい。
15年01月01日(木)  私はHPや試合報告書で近況を常に知らせているので、ずっと前から年賀状は出さない。しかし、年賀状を貰った方々にはちゃんと返事を書く。今年の返信賀状はこれだ。PDF
14年12月31日(水)  綾音のスリーポイント手ほどき2日目。筋肉痛で腕が上がらない。なので距離を縮めて時間も短縮した。筋肉痛で腕がブルってしまう時に無理矢理やらせるとフォームが崩れるからだ。でも、試合中に打てるタイミングを掴みさえすればよいという段階までは漕ぎ着けた。あとは本人が練習をどれだけ重ねるかだ。
14年12月30日(火)  布志木綾音は高校でもバスケットを続ける。3年生の中ではただ1人のスタメンだったが、ミニバスを本格的にやっていないので技術やイメージ能力も優れてはいない。彼女の頑丈な脚力を生かし、相手のポイントゲッター潰しのディフェンスのスペシャリストとして起用しただけだ。だが、高校ではたったそれだけの武器では通用しない。身長(163p)からしてフォワードで使われるだろう。それならスリーポイントシュートを身につけさせなければならない。先々週その入門編としてほんのちょっとだけコツを教えた。チームが正月休みに入った今日第2回目の手ほどきをした。これを武器にまで進化させて来年3月に送り出さなければならない。
14年12月29日(月)  岡部桜子は25日に半月板(11月8日の日々の出来事参照)の手術をして和仁会病院に入院している。明日午後退院だ。部員をマイクロバスに乗せて見舞いに行った。和仁会病院は細い坂道をくねくね登った丘の上にあり、路線バスでは行けないし人数も多いので私のバスで一括送迎した。整形外科的疾患を持っている選手はレミ(椎間板ヘルニア12月19日の日々の出来事参照)とナツメ(椎間板ヘルニア10月27の日々の出来事参照)とサクラコだ。レミもナツメも療養したあと、今ではみんなと同じように練習できるようになっている。サクラコの半月板は若年層にはめずらしい水平断裂に縦断列が加わった損傷だったが、Dr米倉の技で縫合はしないで10%切除手術で済ませることができた。しかし、今後長い人生を歩まなければならないので後遺症が残らないようリハビリは丁寧にやらなければならない。ジョギングを始めるのも3ヶ月後ぐらいからだろう。 
14年12月28日(日)  鹿児島遠征2日目。結果報告はGames & Schedule参照。24日に平成8年の山梨インターハイの準決勝ビデオをエントリー選手全員に配った。このチーム(風軍団)を目指してほしいという気持ちで配ったのだ。私にそう思わせるほどこのチームは変わってきた。それを今回の合宿でさらに強く思った。あとは私が迷ったり間違ったりしないことだ。さあ、責任重大だぞ。
14年12月27日(土)  鹿児島遠征初日。結果報告はGames & Schedule参照。風邪が完治していない梅本華奈は様子を見ながら使い、西川のジャンパーズニーも、負荷を与えないように気をつけながら使った。日に日に進歩というわけにはいかないが、起こることのすべてを成長する前にはしばしばある現象だと捉えて見守りたい。
14年12月26日(金)  明日と明後日は鹿児島遠征でその後元旦まで正月休みに入るから学校での年内の練習は今日でおしまい。なので練習を30分早く切り上げて体育館とバスの掃除をした。早めに切り上げたのは掃除のためだけでなく、梅本華奈の体調不良(風邪)と西川の膝痛(ジャンパーズニー)と古葉の膝痛(ランナーズニー)が同時発生したからだ。最近練習が厳しくなったワケではないが、力の入れどころがわかり、選手たちがそこを頑張れるようになってきたので、筋の起始部や停止部に以前よりも負荷がかかるようになってきたのだと思う。
14年12月25日(木)  桃カステラを貰った。桃カステラというのは桃をかたどった長崎の郷土菓子だが、私が貰ったのはサンタさんをかたどったものだ。売れたとしてもこの2〜3日限定だろう。売るためならなんでもする。その根性に敬服。「そこまでやるのお?」と言われそうなことを飽きずに懲りずにやらなければ他人より前には行けないのだ。 
14年12月24日(水)  小・中学校はどこも2学期の終業式。行事が午前中で終わるので、部活動は午後の時間帯をふたつに区切って割り当てられる。バスケ部は後半の割り当てだ。フルコートを使えるのならまだしも、ハーフコートしか使えないのに寒い中3時半まで待たせるぐらいならオフにしてやった方がよいと思い、今日の練習はオフにした。選手はオフにしたが私は1人で3q走った。最近、プレイの見本をやって見せる時ヨロッとすることが時々ある。常に身体を動かしておかないと、急には動かせない歳になってきたようだ。 
14年12月23日(祭)  昨日の今日なので当然のことだが、西川のスキルアップ訓練効果は攻防の練習の中では出てこない。しかし私は、ほかにもいくつかある西川の改良ポイントにはすべて目をつぶり、昨日と今日指導したスキルについてだけ的を絞って声をかけた。そのために、これまですんなりやっていたプレイがギクシャクする場面があったが構わない。飛躍の前には必ず停滞があるものだ。
14年12月22日(月)  今日の3q走も中止。だけでなく今月はもう走らせず、年明け1月16日の2年生修学旅行終了を待って再開したいと思う。心肺機能の向上は小休止して、今日からしばらく個人のスキルアップだ。今日はさっそく西川のペイントエリア内のプレイのレベルアップに手を付けた。私は若いコーチたちのためにできるだけ情報を公開するようにしているが、西川の何に手を付けたのかはまだ言えない。 
14年12月21日(日)  今日のひがながの演習割り当ては8時から10時半までだったが、それをキャンセルして前々から頼まれていた古賀ミニバスの指導に出かけた。小江原ミニバスと上山(こうやま=諫早)ミニバスも誘われたらしく、3チーム26人が集まっていた。ひがながの選手たちは私のクリニックのモデルになったことはあるが、ミニバスの指導アシスタントをやったことは1度もない。だから、始めのうちは戸惑っていたがそのうち慣れてきて声かけをしたり要点を説明するなど、4箇所に分散して小学生を指導できるようになった。@小学生の頃に目を鍛える。A個人技の最優先はドリブル。この2つを強調して3時間があっという間に過ぎた。備考:目配り気配りで忙しく、画像を撮るのを忘れていた。 
14年12月20日(土)  長崎市新人戦最終日。結果報告はGames & Schedule参照。 3年生が退いたあとの最初の公式戦(9月)は純心が優勝。横尾が2位。ひがながは3位だった。それから3ヶ月後の公式戦でひがながは優勝した.。どこもこれから本格的なチーム作りに入るという時期の公式戦で勝って天下を取った気になるつもりはサラサラないが、この大会を通して再度自分に言い聞かせたことは、「こどもへの関わり方を間違えるなよ」ということだ。こどもというのは、ちょっとした言葉かけで大きく伸びる。ということは、言葉かけを間違えばこどもの将来を潰すということでもあるのだ。 
14年12月19日(金)  腰痛で3q走を中止させていたレミのMRI結果を父親に説明した。例によって紙粘土を使って椎間板ヘルニア発生のメカニズムを説明した(右手で立てた黄色い木の枝みたいなものが脊髄及び脊髄神経。左手で押さえている青色の円盤が、中にゼリーを仕込んだ紙粘土製の椎間板模型)。「椎間板は半月板同様栄養血管が通っていない組織なので、破れた箇所が自然治癒することはないが、傷の周辺部分は白血球が掃除をしてくれるので、今後練習も日常生活も姿勢に注意し、さらに腹筋と背筋を強化しながらバスケットは続けてよいと伝えた。ホッとしていたようだ。
14年12月18日(木)  今日は忙しかった。午前中長崎女子短大付属幼稚園のクリスマス会でサンタさん役を務め、午後は大学病院に行って左膝のMRIを撮り(昨年3月のドリリング手術後の経過観察のための撮影であり、再度傷めたり悪化したからではない)、支払い手続き機の不具合で支払いに手間取り、学童のお迎えにぎりぎり間に合い、そのあとひがながバスケを飯盛体育館に連れて行った。このところぐんぐん調子を上げてきていたひがながバスケだったが、今日は足踏み状態だった。が、私は怒鳴りも叱りもしなかった。何をやるにもうまくいかない日が必ずある。過去にもそんなことは数え切れないほどあった。足踏み状態は次の飛躍のために脳が回路を整理しなおしているのだと見ればよいのだ。 
14年12月17日(水)  9月16日に開始した3q走が今日で33回目になる。が、今日は中止だ。理由は、風邪気味の選手が増えてきたからである。さらに、今年中に予定している22日・25日・26日の分も選手のコンディションを見ながら実施か中止かを決めようと思う。トレーニング効果の発現は開始後約1ヶ月とされている(目的ややり方によってもっと細かく計算しなければならないということは承知の上で)ので、そういう意味ではファーストステージクリアーと考え、ここでちょっと間を置いてもいいかなとも思っている。
14年12月16日(火)  1昨日の長崎市中学新人大会の結果報告で述べた「今日の西川の出来は入学以来最高だと思います」は、試合後初めてのフルコート練習日の今日も変わらなかった。その誘因の1つは貧血が癒えたJOEの復活だろうと報告書でも述べているが、それに加えて今日は選手1人ひとりの脳の情報分析回路と情報伝達回路のレベルが一定範囲内に収まってきたのではないかと思った。これまでA選手の回路はレベル3なのにB選手の回路がレベル1など、不揃いだったのでプレイがなかなか噛み合わなかった。それが、今日の練習を見る限り、ひがながの主力選手の回路はレベル4〜3にまとまってきたのではないかと感じた。ちなみに、私のコーチ歴の中でこの回路がレベル5だったのは風軍団である。それに追いつきたい。
14年12月15日(月)  1昨日の夕方は、つばさ保育園の発表会打ち上げ会兼忘年会に招かれた。場所は新築のつばさ保育園園舎の広間。料理は2年前矢上に開店したArroser(アロゼ=和・洋の創作フレンチレストラン)からケータリングしてもらった。園舎の建築途中の画像はしばしばHPでUPしたが、完成後園舎の事務室以外に入ったのは今回が初めてである。どこもかしこも広い!園舎以外の運動場や山羊の森や里山は園舎が新築される前から他の追随を許さない広さを持っていたが、それにこれまた広い新築の園舎が加わった。みんな大きく育てよ。
14年12月14日(日)  長崎市中学新人大会2日目。結果報告と勝ち上がり表はGames & Schedule参照。10月22日から貧血治療のため主戦力から外していたひがながのケビン・デュラントは、12月12日からフルメニュー参加。そして昨日と今日が復帰後の初公式戦。目つきといい、動きのキレといい、「お前の先祖は牛若丸か?」と聞きたいような働きぶりだった。「貧血の兆候には気付いていたのだから、もっと早く治療を勧めればこんなに長く彼女を苦しめずに済んだのに…」と悔いている。 
14年12月13日(土)  長崎市中学新人大会初日。結果報告はGames & Schedule参照。左足小指の骨折でしばらく戦列を離れていたケビン・デュラントが復活した。 
14年12月12日(金)  つばさ保育園発表会最後のリハーサル。明日が本番だが明日はバスケ新人戦と重なっているので私は観に行けない.。みんな落ち着いて普段通りやれよ。
14年12月11日(木)  今日は3年生が先日より1人増えて3人来てくれた。Bチーム側に入って貰ってスクリメージをした.。私は張り切り過ぎて声が大きくなり、動きも多くなった。「ちょっとやばいかな」と思いながら指導を続けたが、案の定夜になって少し熱が出た。でも38度は超えてないと思う。やっぱり年齢相応に古くなっているよ私も。 
14年12月10日(水)  吐き気はまだ少し残っている。ゴホッと咳をした時に出る痰は緑色で血が混じっている(数年前、吐いた痰をデジカメで撮って日々の出来事にUPしたら”こんな気持ち悪い画像をUPしないでくださいよ”と言われたので今回はUPしていない)。思った以上に気管がやられているようだ。でも今日の練習はオフなので助かった。熱は下がったのかまだ少し高いのか、昨夜から計っていないのでわからない。 
14年12月09日(火)  昨夜9時にブログを更新した時「俺にはまだもう少し生き延びる体力がありそうだ」と書いたが、そのあと悪寒が走り、身体がガタガタ震えだした。発熱だ。それも尋常の熱ではない。私は平成24年1月21日にインフルエンザに罹ったが、その時の熱は39.5度だった。しかし今回の症状はそんなもんじゃない。居間に下りて毛布をかぶり、しばらく横になっていたが震えと悪寒は治まらない。嫁が「熱を計ってみたら?」と言ったが私はそれを拒絶した。計った結果を見るのが怖かったからだ。昨夜はそのまま風呂にも入らず2階の自室のベッドにホットカーペットを敷いて寝たが、「明日の朝は生きて目覚めることが出来るのかな?」と思った。今朝は7時半に目が覚めたが、熱は下がっていた。なので昼まで静かにしていて午後から活動を開始した。しかし、夕食後吐き気を催しトイレで吐いた。熱は上がっていないようだが身体は本調子じゃないらしい。まさかRSウィルス感染?
14年12月08日(月)  今日は遠征合宿のスタメン5人はオフにしたので残り19人での練習だ。目一杯がんばった。主力5人が抜けた練習で「どうせ私たちは充てにされていないんでしょ」と思わせないためだ。2年生のM選手に「遠征の2日間ベンチから試合を見ていて”私に少しでも試合に出して貰える力があったらスタメンの5人をもうちょっと楽させてあげられたのに”と思っている顔かその顔が!」と怒鳴りつけた。追伸:昨日引いた風邪は今日肺いっぱいに広がるかと思っていたが気管の入り口あたりで止まっている。俺にはまだもう少し生き延びる体力がありそうだ。 
14年12月07日(日)  昨夜、合宿所の監督室の暖房を点けっぱなしにして寝たので喉をやられ、それが風邪に繋がったようで気分は最悪だ。でも、選手が頑張ってくれたのでそれも帳消し。今日はしっかり寝て明日からまた頑張る。追伸:帰りの車中、スタメン5人は爆睡だった。結果報告はGames & Schedule参照。 
14年12月06日(土)  初めての県外遠征。高校生が相手だからボコボコにやられたけれども、今回の遠征は強化試合をこなすだけが目的ではない。道中の車内での過ごし方とか、合宿所での振る舞い方とか、いろんなことを学ぶために実施した。だから24人の希望者全員を参加させた。本当に正しい部活動になるためには、このような遠征をはじめ、まだまだいろんなことを体験させていかなければならない。
備考:スコアは集計が間に合わずUPできませんでした。すみません。明日は必ず…。 
14年12月05日(金)  今日はつばさ保育園発表会リハーサルの2回目。毎年お手伝いしていて思うこと。「俺が今4歳だとしたら、こお〜んなにたくさんセリフ覚えたり演技したり…絶対できないよなあ」 
14年12月04日(木)  今日の練習には、3年生の本田佳映(カエ)と布志木綾音(アヤ)が来てくれた。2人とも高校でもバスケットを続けたいから来たのだが、下級生の練習相手として有り難いだけでなく、練習の空気にホンワカ感とピリッと感が加わったのが大きい。これこそが部活動の真の姿だ。 
14年12月03日(水)  今日は朝から飯盛コミュニティ会館へつばさ保育園のほし組さんとつき組さんをピストン輸送した。13日に行われる発表会のリハーサルだ。私の目は舞台の上のこどもたちよりも、それを指導する先生たちに注がれる。毎年思うことだが、保育士さんと介護福祉士さんの仕事は大変だ。選挙が終わったら誰でもいいから総理になった人は全国の介護福祉士さんと保育士さんの給料上げてやってよ。
14年12月02日(火)  今日の西川は足踏み状態だった。何をやるにもトントン拍子ということは滅多にない。焦らない焦らない。貧血だった城未央と椎間板ヘルニアの古場なつめ(だったではなく、今後も同居しなければならない)は用心のためにまだ他の選手の半分ぐらいの負荷で練習させているが、そろそろエンジン全開が近づいているかなと思ってる。半月板水平断裂の岡部桜子は25日に手術することが決まった。脊椎分離症疑いの山崎嶺美は、痛みは小康状態だが今月中に念のためMRI検査をする。脛骨疲労骨折のため練習を軽減させていた泉田未来はそろそろフルメニューかな?その他ジャンパーズニーや鵞足炎など数人いるが、いずれも重傷ではなく経過を観察しながら練習には参加させている。24人の選手のちょっとした異変を見逃さないように目を配るのは大変。
14年12月01日(月)  西川美帆は相変わらずゴール下のシュートを落とすしナイスパスをキャッチミスする。が、目が変わった。目の中に思いが宿っている。それも、これまでは自分だけの頑固な思いだったが、それに自分の行動の影響に対する思いが少し加わったのだ。この芽を潰さないようにしたい。
14年11月30日(日)  今日私がオフだということを知っているミニバスの指導者のE氏から「喜々津に仲間が集まって練習試合をするので視察に来てくれませんか」というメールが届いた。朝9時に喜々津東小学校に出かけ、そのあと喜々津小学校にも顔を出した。喜々津東での初戦は西浦上と北諫早が対戦していた。そこにモナ(鶴鳴卒業旧姓神崎。現長崎西高監督尾崎先生の奥さん)が子連れで来ていた。「なんだよお前?」と聞いたら「息子が…」という。西浦上小の4年生だそうだ。動画の黄色12番がそれである。走り方や身のこなしともにパパそっくりだ。 
14年11月29日(土)  昨日のブログを見た山梨のH氏から「Ume Mottoって、どこの店ですか?」と、質問メールが来た。同じ思いをしている人は9月13日付けの日々の出来事を見て下さい。
さて、今日の話題。今日のひがなが練習の途中、西川美帆(171pセンター)にドンピシャのことばを私は見つけた。「マイボールになったら自分で物語りを創れ!」だ。ひがながのスタメンは城・梅本双子姉妹・熊谷の小さい選手4人と西川で構成されている。西川は小さい選手4人が作るプレイのほとんどすべてに遅れる。それにアタフタする。私が彼女のために発した「自分で物語を創れ!」は、「コーナーにボールを落として駆け抜けろ!そのあと私が飛び込むから」とか、「そのままドライブしろ!私が裏に合わせるから」など、ガードに動かされるのではなく自分のアタマの中でプレイを創ってみろという意味である。その物語が他の4人の思いと違っていてもいい。物語を創ることで主体性が生まれる。明日はオフだが、今すぐにでも練習したい。西川の変身ぶりが目に浮かぶのだ。明後日まで待てない。
14年11月28日(金)  Ume Mottoから自家製餃子を貰った。私は全国あちこち行ってその土地自慢の物を食べる機会が多いが、餃子は長崎の雲龍亭が日本一だと思っていた。が、今日その対抗馬が現れた。 
14年11月27日(木)  昨夜11時08分。日本協会からメールで届いたFIBAプレスリリース要旨である。
●日本バスケットボール協会資格停止について スイス・ミース発
FIBAは、Executive Committee Meeting(執行委員会)の結果に伴い、日本バスケットボール協会(JBA)の資格停止処分を発表致しました。資格停止処分により、FIBA 定款に従い、JBA はFIBA の加盟国協会としての権利を喪失し、FIBA およびFIBA Asiaの行事(スポーツまたはその他)に一切参加することが出来なくなることとなります。JBA がこの困難な時期を乗り越え、必要な改革を実行するためのタスクフォース設立に向け、FIBA 代表者を日本に派遣することを決定致しました。
●FIBA 事務総長およびIOC メンバーのパトリック・ボウマン氏のコメント
「後戻りができない状況に達してしまったことは残念ですが、今後の日本のバスケットボールのため、また2020 年オリンピックが日本のバスケットボールに与える機会を活用できるようするためにも、JBA の組織および国内競技大会がFIBA 定款に完全に準拠するために重要な変化をもたらす絶対的な時期であると確信しています。バスケットボールは日本において主要スポーツとなる大きな潜在性を持っていると信じています。我々は日本男女代表チームが参加して、2020 年東京オリンピックのバスケットボールトーナメントが成功することを願っています。バスケットボールを愛するすべての人のために、未来に向けた強いビジョンをもって準備を進める時です。我々はタスクフォースがリードする、重要な改革過程にすべてのバスケットボールのステークホルダーが関わってくださることを期待しています」 
14年11月26日(水) 24・25の両日にFIBAの執行委員会が開かれ、そこでJBAをどうするかが決議された。その決議内容が今日JBAに通知されるはずである(私の情報では)。FIBAによるJBAへの制裁は「いつまで」という期限付きではなく無期限のようだ。2週間前にFIBAの幹部が日本を訪れ、JBAの改革に向けてのtask forceを編成するために動いたそうだ。その際、その幹部は「JBAが改革を実行しない限り制裁は解除されないだろう」と言ったらしい。FIBAが言う「改革を実行」とは、具体的にどこまでを指しているのか私には分からないが、どうやらリーグ統一問題を解決しさえすれば済む問題でもなさそうだ。地方に住む私たちは、この問題が解決される日が来ることを願いながらひたすらこどもたちの指導を続けていく以外に術はない。
14年11月25日(火)  昨夜数人の人から「今夜10時に、仕事の流儀が放送されますよ」と言われた。「ハイハイ」と言ったが見なかった。ライバル意識から見なかったのではない。半年ぐらい前の中村和雄氏を取材した番組も見ていないし、私が取材されたり登場している番組も私は見ない。自分のことに限らず、その人の奥深くを知っている人物が登場した番組は「創っている」とか「美化している」と感じる部分が目に付くので見たくないのだ。井上先生にしろ中村和雄氏にしろ、私は私の目でナマの彼らを見て感動を受けたことだけを自分の中に取り込んでおきたい。
14年11月24日(祭)  とどろきカップ最終日。Games & Schedule参照。部活動は劇団と同じで、主役・脇役・付き人という構成になる。報告文書の中では脇役のことについて述べたが、付き人について補足しておきたい。付き人はまだ役を与えるには未熟なので主役や脇役の人たちの仕事がやりやすいように周辺の雑務を手伝う。或いはイライラさせないように気を配る。しかし、ひがながの付き人の連中にはバスの言動も会場での行動も遠足や修学旅行気分が抜けない者が多い。こんなことも含めて指導して部活動の質を高め、コートでのプレイだけでなく、ひがながの選手達の群れを遠くから見ただけでもピリッとした空気が漂っているように育て上げれば九州や全国のレベルで戦える集団になるのだが…。今のところまだひがながバスケはドサ回り劇団の域から出ていない。
追伸:上記は選手をすべて平等に扱い、脇役が主役に、付き人が脇役に昇格できるよう分け隔てなく日常の指導をしている上でのコメントである。
14年11月23日(日)  とどろきカップ初日。ひがながのチームは、昨年から主力として試合に出ている部員と、スポーツ経験がなくて入部してきた素人部員が混在している。部活動で訓練を続けていくと、プレイの質も人間性もバラけていた格差がまとまってくるものである。例えば、昨年は5段階評価で3と2の集団だったのが今年は4と3の集団になるはずだ。だが、今のひがながのバスケ部は5から1までの範囲に広がっている。プレイの質で言えば、昨年から主力で出場している選手は5にランクが上がり、今年素人で入部してきた選手が1なのは仕方がない。が、同じ指導者から同じ言葉で指導を受けていながら人間的に5から1まで広がるのはダメだろう。コート上ではごまかせても、移動の車中や試合と試合の合間の行動にはその人物の本質が出てくる。世間の目はちゃんとそれを見抜いているんだぞ。
14年11月22日(土)  ひがながの練習はオフでプライベイトの用事もない。私のスケジュール表をちゃんと調べてそれを知ったいた嫁が昨夜「おとうさん、明日は何か用事がありますか?」と聞く。「何もないよ」と言うと、「ちょっとお願いがあるんですが」と言う。24日まで鳥栖のプレミアム・アウトレットでディスカウントセールがあるのだが、道順に自信がないらしくそれとなく私を誘導してきたのだ。その意図が分かったので「いいよ」というと、即座に2人の姉に電話をしていた。「いいよですって!」。昨夜長女(80歳)は嬉しくて明け方3時まで眠れなかったらしい。次女はそれより1時間遅い4時まで寝付けなかったようだ。ディスカウントセールなので人が多いこと多いこと。私はショッピングには興味がないのでフードコートでコーヒーを飲みながらパソコン作業をしていた。テンションが上がりっぱなしの長女は帰りのクルマの中で俳句を詠み出した。大村湾にさしかかった時、夕日を見ながら一句。「旅帰り、夕日に映える、茜雲…どう山崎さん」「ウーン、夏井いつき先生に、旅帰りの部分にチェックを入れられるだろうなあ」と私。ちっちゃなこどもたちをあちこち連れて行くのも疲れるが、平均年齢77歳のご婦人の相手をするのはとっても疲れる。フーッ。
14年11月21日(金)  城未央の血液検査の結果が出た。1ヶ月前は血清鉄13、ヘモグロビン8.8だったが、今回は血清鉄34、ヘモグロビン12.4になっていた。ヘモグロビンはもう正常値になった。血清鉄は運動しない普通人であれば問題ないが、もう少し回復するまで鉄剤は服用させ、鉄を充分蓄えさせてから(過剰摂取によるヘモクロマトーシスには充分注意を払いながら)本格的に復帰させようと思う。今日は全員3q走実施日だったが、城は1qジョギングから再開させた。 
14年11月20日(木)  がんばらんば国体推進会議セントヒルで行われた。気が重かった。天皇杯は獲得できたが皇后杯を逃したからだ。45年前の長崎国体に私はバスケットボール教員男子の部の選手として出場した。27歳だった。この国体は総合成績で天皇杯皇后杯ともに獲得し、種別としてもバスケットボール教員男子の部で優勝した。しかし、当時は天皇杯皇后杯を獲得したことも教員男子の部で優勝したことも私にとっては他人事だった。少しでも早く教員チームを引退してコーチに専念することだけを考えていた。その考えが、鶴鳴に移籍してから少しずつ変わっていった。特に1996年に県の競技力向上対策本部推進委員を拝命してからは、県がスポーツの普及発展や、そのための予算獲得や、県民の活力向上にどれほど腐心しているかが分かるようになった。それが分かる故に、国体が終わって1ヶ月経つが皇后杯を逃したのでまだ心が晴れないのである。
14年11月19日(水)  昨日の練習はKTNの取材が入り、平常心で練習できた選手がほとんどいなかった。特に西川はひどかった。エンデバー全国合宿に参加した自分を取材しに来たと分かっているので緊張して足が床に着いていなかった。これも修行の内。いろんな経験をしてたくましくなっていかなければならない。
14年11月18日(火)  今日はまた朝から赤迫電停横にある古川整形外科クリニックに行った。院長の古川先生は大学病院の整形外科を昨年6月に辞めてここで開業された。大学病院時代は私の肩の障害治療でずいぶんお世話になった。その頃から私の肩は腱板および上腕2頭筋腱の長頭は両方とも傷めていた。南島原カップ初日(土)にバスのドアを閉めようとした瞬間左肩にピキーンと痛みを感じた。しばしばあることだから別に気にも留めていなかったが昨日風呂に入る時に左腕の力こぶがやたらに大きいことに気付いた。しかもその力こぶにはうっすらと皮下出血がある。私は「上腕2頭筋腱の長頭が完全に切れたな」と思った。引っ張っていた腱が切れたので支えを失い、筋が縮んで筋腹がポッコリ状態になったのだ。治療の方法はない。が、私の素人診断が外れか当たりか確かめるために今日受診したのだ。結果は私の自己診断通りだった。腱は2本あって、短頭は残っているので通常の生活には支障ないが、昨日に引き続いてのアクシデントでつくづく自分が古くなったことを感じた。
14年11月17日(月)  昨日の夕方から足の甲が痛くなった。夜中に寝返りをした時足先が布団に触った痛さで目が覚めた。朝起きて足を見たら右足の第2MP関節付近が赤くなって腫れている。「ぶつけた記憶もないし捻った記憶もないのになぜ?」と考えながら「え?これってひょっとしたら痛風?」と思った。そこで朝から大学病院に血液検査を受けに行った。結果は痛風。尿酸値が8.6だった。それにしてもなぜ俺が?大酒飲みではなく、暴飲暴食もしない俺がなぜ?そう思った。痛い。足を床に着けただけで痛い。今日のひがながの練習は3q走を実施する日なのにこれでは走れないかもしれないと思っていたが、夕方になると痛みが引いてきたので恐る恐る走ってみた。すると走れた。痛風なんかに負けるもんか。治療は、初期には尿酸値を下げる薬は使わない方がいいので、腰痛緩和のために最近は時々しか服用していなかったトラムセットを1日2回必ず服用することにした。
14年11月16日(日)  南島原カップ最終日。試合開始までの間、隣の深江中学校体育館で島原半島ミニバス大会が行われていると聞いて観に行った。チッチャ〜イ。カワイ〜イ。動画の左端にちょっとだけ姿を見せる白のユニフォームの10番の選手を見て欲しい。短パンの下は靴下とシューズしか見えない。ひざ小僧も、スネも見えないぞ。 
14年11月15日(土)  南島原カップ初日。夏から3月までの期間はどこの学校も3年生が引退し、2年生と1年生で戦うことになる。だから、5人コートに出るとベンチには2人しか座っていないとか、1チームだけでは5人揃わないから2チーム合同でチームを編成してカップ戦に臨むというチームが多い。毎年選手数減少に悩むチームが増え続ける中、ひがながは24人もの選手が居る。巧くなるとかならないとかよりも、まずそのことに感謝しなければならない。
14年11月14日(金)  期末テスト最終日。5時限で終わったので4時には練習を始められた。今日は5時から飯盛体育館を借りて練習する日だったが、5時まで時間があるので臨時の3qランを入れた。3qランも飯盛体育館での練習も、これまでのテスト明け演習に比べればできがよかった。3qランを継続してきた効果だと思う。さあ、歩みは遅くてもいいからホンモノになっていってくれよ。
14年11月13日(木)  11月に入って高城台小学校と矢上小学校でインフルエンザの患者が出た。今年は早い。私のバスではひがながバスケ選手、つばさ保育園園児、学童つめくさの児童など、たくさんのこどもたちを運ぶので感染拡大を防ぐためにバスに乗せるこどもたちは必ず手ピカジェルで手の消毒をさせる。冬場はバスケの対戦相手対策だけでなくインフルエンザ対策もコーチの重要な任務になる。
14年11月12日(水)  最近また腰が痛い。今年1月、腰が痛くなり始めた頃は立っていたり歩いたりすると痛くて椅子に座っていると痛くはなかった。ところが最近は座ってパソコンをしていても時々ズキーンと痛くなる。が、痛みそのものは痛くなり始めた頃に比べると軽くて、日常生活に支障を来すほどではない。しかも、練習指導中とかランニング中は痛みを感じないのだ。自分の身体ながらなんかよくわからん。大学病院で処方してもらったトラムセットはほとんど服用しないまま2ヶ月近く経っていたが、明日からまじめに服用しようと思う。 
14年11月11日(火)  3q走を都合で走らなかった選手にはその補充をさせることにしている。先日途中棄権したミホと喉痛で休んだキョウコと理由不明欠席のアサは今日その補充をする日だったが中止した。明日の全員ランも中止だ。部活動はテスト前休みだが、今回からは学校にも認めて貰って1日おきのランをやることにした。が、明後日からテストなので直前の2日間は中止することにしたのだ。変革は急がす慌てずやらなければ歪みが生じてくる。 
14年11月10日(月)  つばさ保育園のほし組(年中)さんを連れて金比羅山に行った。バスで出かける行事はほとんどがつき組(年長)さんである。今日はそれより1歳年下のこどもたち。日頃年長さんばかり見ている私の口から出た第一声は「ちっちゃ〜い」だった。歩くのもなが〜い列になってしまう。体力がないからではなく、途中で目に付く物のすべてが珍しく、立ち止まりが多くなるのだ。こんな時「ホラ!早くして!」などと叱りことばを発してはならない。
14年11月09日(日)  ウィンターカップ予選最終日を吾妻町体育館に観に行った。男子第1シードの長崎西が準決勝で佐世保工業に僅差で負けた。私は鶴鳴を除いて特別にどのチームを応援しているということはないが、勝負が決まった瞬間長崎西主将の麓勇士君の顔が浮かんだ。麓君は6月にACLを傷め、リハビリを経て九州大会に臨んだが今度は半月板を傷めたのでやむなく手術を受けた(6月24日のこの欄に詳細記載)。彼は長崎がんばらんば国体の少年男子の部の主力選手であるはずだったがそれも断念し、年末のウィンターカップのコートに立つことだけを夢見てリハビリに専念してきた。その夢が今日断たれたのだ。さぞや無念だったろう。
追伸:苦言をひとつ。試合中に動きすぎてついシャツがパンツの外に出ることはあるが、交替してベンチに下がって再びコートに出る時にシャツが出たままコートに出て来るなんてあり得ないだろう。こんなことは、その本人がダメなだけでなく、審判もコーチもきちっと指導してやるべきだ。そんなことをなくして初めて、スポーツは観客に観て貰える作品になる。勝った負けただけで価値が決まるものではない。
14年11月08日(土)  サクラコのMRI画像結果が出た。そのレポートを見ながら、「手術はしたくないしさせたくない」という本人と親に、例によって骨模型を使い、さらに今日は紙粘土で半月板の模型を作り、横断裂・縦断裂・水平断裂の説明をし、「もし半月板が傷ついているとするならば半月板は自然治癒する組織ではないよ」ということを説明した。 
14年11月07日(金)  ひがながの3q走が9月16日の開始日から今日で丁度20回目になった。まだ様子が分からないまま走った初回と、体調不良や病み上がりなどで極端にタイムが悪かった記録を除いて各自の平均値(平均値算出法は表を表示させてからスクロールダウンする)を出してみた。先日も述べたが、タイムが悪いからダメだということではない。こうして資料を提供することで、自分を追い込む選手が1人でも多く出るようになって欲しいのだ。 
14年11月06日(木)  レミパパの仕事が今日は休みだったので、夕方レミの腰痛について骨模型図解を用いて説明した。保護者が引率して受診した場合は医師の説明に補足することはあまりないが、私が引率して受診した場合はこうして必ず説明する。ついでに「勉強が行き詰まったら家庭教師もしますよ」と付け加えておいた。これは冗談ではなく、桜馬場中の監督時代は本当に私は巡回家庭教師をしていたのだ。懐かしい。 
14年11月05日(水)  レミの腰痛はずっと気になっており、このところ3q走から外していていたが今日やっと専門医の診察を受けることができた。結果は腰椎分離症(最近は疲労骨折と言う)疑いである。2週間後にCTかMRIで精査する。サクラコの半月板損傷もレミの分離症疑いもナツメのヘルニアも、ずっと以前からの障害なのか中学入学後の部活動によるものなのかはわからない。が、ミクの脛骨疲労骨折だけは間違いなく中学入学後の部活動によるものだ。こんなに注意して用心しながら訓練しているのに…。クソッ! 
14年11月04日(火)  6日から13日までテスト前休みが入るので、フルコートを使える練習は今日以降9日間できない。なのでついリキんでしまい、怒鳴りつける場面が頻繁に出た。いかんいかん。
14年11月03日(祭)  ひがながの練習はオフ。朝6時出発で熊本のやまなみこども園の運動会を観に、つばさ保育園の先生たちと行った。昨年も観させてもらったが、おとながこどもたちのために費やすエネルギーはすごい。こどもたちももちろん可愛いいが、私の目はそっちの方に行く。
14年11月02日(日)  9月16日から始めた3q走が、今日で18回目となった。タイムが速いとか遅いというのはそれほど問題ではない。私が期待しているのは、1人残らずその日の体調による自分の精一杯のタイムで走ろうとすることである。その日の気分によってタイムにムラがあったり、乱暴に1周目を頑張りすぎて失速したり、適当にメニューを消化するだけの走りをする選手を1人も出さないのが最終目標だ。そういう基準で選手の走りを査定すると、そこそこの相手には試合に出せる選手が10人いる中で、基準を満たしているのが6人(ヘルニアと貧血で走らせていない2人を除く)。2人は基準に達していない。一方、公式試合にはまだまだ出せない選手の中から2人基準に達している選手がいる。残りの部員は自分は頑張っているのかいないのか、自分は何者なのかさえ分かっていない。あと4人、基準に達する選手が出ればひがながは一流チームの仲間入りが出来るのだが…。
14年11月01日(土)  楓(中2)と理子(小6)を、小江原グランドで行われるNJの練習に連れて行った。楓が小学校高学年で理子が小学校低学年の頃からしばしば見てきたが、楓以外の中学生たちを久しぶりに見るとびっくりするぐらいうまくなっていた。聞けば九州大会でも上位に食い込むそうだ。はつらつとプレイしている彼女たちを見ながらミニバスの将来がちょっと気になってブルーになった。 
14年10月31日(金)  サクラコはやっぱり内側半月板損傷だった。冬休みに入ってから手術となるだろう。本人も私も受傷機転として思い当たることがない。いつのまにか痛くなっていた。こんなこともあるから、コーチは選手が自己申告しなくても小さな異変に気付く眼力を備えなければならないのだ。 
14年10月30日(木)  NBAが始まった。開幕戦は昨年の覇者スパーズ対マーベリックスだ。私はスパーズのジノビリ(アルゼンチン出身)が大好きである。ジノビリが登場した時は、チームプレイではなく彼の一挙一動を追っかける。今日の新聞にもJBA関連の記事が載っていたが、いつまで嘆いていても仕方がない。ひがながの選手たちもNBAが始まったのを喜んでいるはずだから、NBA話題を交えながら選手たちとともにバスケを楽しんでいこうと思う。
14年10月29日(水)  ひがながの練習指導を終えて家に帰り着いた途端に電話がかかってきた。K高校のコーチからだ。「選手が突き指をしたのですが、小指が内側に曲がっているように見えるんです。脱臼かもしれないのであちこち病院を当たったんですが、どの病院も診療時間が終わっていてどうしたらいいか困って先生に電話しました」という。「そのまま学校に居ろ!すぐ行く!」と言って着替えもしないまま私は再びクルマで出かけた。診た結果単なる突き指で脱臼ではなかった。でもコーチの気持ちはわかる。大丈夫だと思って家に帰したあと脱臼だと判明したら学校やコーチの対応の仕方に大クレームを付けられる。今はそんな世の中なのだ。それでも多くのコーチたちが自分の時間を削ってこどもたちの指導をする。そんなコーチたちを安心させられるのなら、私はいつでもどこへでもすっ飛んで行く。
14年10月28日(火)  危惧していたことが現実になった。23日に行われたJBAの理事会で、BJリーグとNBLの統合問題が決裂し、深津会長が引責辞任した。これで、FIBAからの制裁として一切の国際試合が禁止される。加えてJBAはFIBAに対して制裁金を支払わなければならない。国際試合禁止とは日本代表だけではない。U−19以下のアンダーカテゴリーにも及ぶ。現場で一生懸命汗を流しているミニバスのこどもたちは、JBAのゴタゴタや国際試合禁止のことなど、身近な問題としてとらえてはいないだろうが、教えている身としては辛い。
14年10月27日(月)  練習が終わったあと、サクラコとミクが足を見せ合って何か話していた。「どこか痛いのか?」と聞いたら、サクラコは膝の内側が少し痛いといい、ミクはスネの内側が少し痛いという。触診をしたが、サクラコは内側関節裂隙に圧痛があり、ミクは脛骨内側に圧痛がある。2人とも症状は軽いが明日から強い動きの練習は禁止とした。サクラコは内側半月板を傷めているかもしれないので念のため専門医に診察してもらうつもりだ。ミクは専門医の診察を仰ぐまでもない。おそらく疲労骨折の初期症状なので練習軽減で治るはずだ。もう1人、椎間板ヘルニアの症状がとれて復帰したナツメが昨日ゴール下のプレイで相手にはじき飛ばされ、壁にぶつかった際に腰を打って痛いと訴えてきた。ジャンプ後の着地時や身体を捻った際に痛みを感じたのではなく、壁で腰を打った痛みなので、ヘルニアの部分を再度傷めたのか単なる打撲による痛みなのか判明するまでしばらく練習から外して様子を見ることにした。サクラコもミクも私が介入しなければおそらく痛くてどうにもならなくなるまでがまんして練習し、治療に多くの時間を費やしたはずだ。日頃「軽いと思っていても痛みを感じたら即座に報告しろ」と伝えてあるひがながの選手たちでさえ、このようにこちらが介入しなければ自分たちの方から申告しようとはしない。だから、先月コーチライセンス取得のための研修会でも話をしたが、自分はコーチだと自認する人は、選手が自己申告をしなくても異常を見つける目を養うために、スポーツ医学を絶対学んで欲しい。 
14年10月26日(日)  ひがながの練習は選抜の3名を抜いて1時から3時半まで。朝から選抜の3名を深堀中まで送り、戻ってきて先日3q走を欠席した3名と一緒に走り、それから練習指導をした。今日の練習は1年生のイホ・カズハ・ナツメにひがながバスケを教え込むことを主体とした。イホは間もなく2年生に追いつくだろう。カズハは「分かった!」にならなくとも戦力として使える日が迫っているようだ。ナツメは分かっていない部分がたくさんあるが、椎間板ヘルニアを抱えているので急ぐのは危険だ。練習後、選抜強化会を観に行くつもりだったが時間がなく、結果だけを知らせてもらった。どこのHPにもUPされていないのでこの欄でお知らせする。昨日も感想を述べたが今年の女子はなかなかやりそうだ。 
14年10月25日(土)  今日はひがながの練習はオフ。が、ミホ・ミナミ・ルナの3人は、午後2時から深堀中で行われる郡市対抗選抜強化会の長崎市代表練習会に参加しなければならない。私は3人を深堀中に送り届けたあと練習会を始めから終わりまで見ていた。今年の長崎市代表(純心4名横尾3名東長崎3名小島2名)はなかなかいい。明日、9地区で対抗戦をしてその中から20〜25名を選び出し、さらに数回の練習を重ねて12名に絞り込んで来春のジュニアオールスターに臨むのだが、今年の長崎県代表チームは楽しみだ。
14年10月24日(金)  通常は月水と週2回3qランをするが、今週はスケジュールの都合で月水金と3回走った。鶴鳴奉職時代は週5回走っても平気だったが、72歳の私には週3回はきつい。今日はボロボロになった。ゴールしたあとは1歩も動きたくなかったが、掃除当番の生徒に「またお爺ちゃんが道端で倒れてる!」と騒がれたら困るので歩いた。
14年10月23日(木)  つばさ保育園のつき組さん20名をバスに乗せて、和仁会病院に併設されている介護老人保健施設「中の里」に慰問に行った。披露したのは和太鼓の演奏。保育園外での演奏は初めてなのでみんな緊張していたが、終わったあとお土産を貰って記念撮影をする時には緊張が解けたからか放心状態になっていた。国体の試合からも緊張感がひしひしと伝わってきたが、おじいちゃんおばあちゃんの前で和太鼓を演奏する5歳のこどもたちからも同じ緊張感が伝わってきた。人の真剣な顔っていいもんだ。
14年10月22日(水)  9月7日の水泳(シンクロ)を皮切りに始まった長崎がんばらんば国体は、本日カブトガニアリーナで秋篠宮殿下ご観覧のもと開催されたバスケットボール少年男子決勝戦をもって全競技終了した。開催期間は1ヶ月半だがその準備に要した時間と労力は膨大だ。私は、1996年に長崎県競技力向上対策本部委員を拝命してから18年、ずっと国体強化に関わってきた。今は現役を退いているが、バスケットボールという1競技の監督でありながら他競技の成績を常に気にしている18年だった。大会を終えた今、感謝あり、悔しさあり、安堵感ありだがまだまだ気が抜けない。国体は終わっても、それに向けたエネルギーや人材を次に繋げていく作業がまだまだ残っているからだ。
14年10月21日(火)  今日大村市のシーハットでは少年女子と成年女子の決勝が行われた。今朝の新聞には天皇杯皇后杯ともに首位を走っていた東京に長崎が追いついたと書いてあったが、それは昨日の競技終了時点のことであって、それに今日の結果が加わればどうなるのか、そんなことを気にしながら試合を見ていたので心が上の空になることがしばしばあった。あ〜。 
14年10月20日(月)  今日、シーハットでは大村市内の小学生がズラッと試合観戦に来ていた。授業を振り替えての観戦だ。日本のトップアスリートの試合が観られる絶好の機会。当然の措置だ。だが、今日の新聞に載った記事はそれに水を差す内容だった。どうなる日本のバスケ?日本協会では23日に理事会を開き、それで解決しなければ29日に再度開くと聞いているが、頼むから、地方で一生懸命がんばっているミニバスの指導者や選手たちをがっかりさせるような結果を招くようなことだけはしないでくれよ。
備考:動画が見られない人のために。ブログにUPする動画はサイズを縮小した6秒間のmpgファイルにしてあります。クリックしても10秒間くらい待たなければ動画が現れません。10秒待っても動画が現れないなら、パソコンにもともとインストールしてあるメディアプレイヤーでは再生できないのだと思います。その際は無料ソフトのgomplayerをインターネットからダウンロードすると見ることができます。 
14年10月19日(日)  今日は大村には行かず、終日長崎に居た。10時から成年男子、午後1時半から少年男子の応援をした。どちらも惜敗。これで長崎勢はすべて姿を消した。昨日も今日も、ひがながの選手に応援パフォーマンスを仕込んで応援に出かけた。しかし、両日とも観客席は立錐の余地もなく、1箇所に集まって応援することができない。だからパフォーマンスは不発に終わった。私は18年間、県の競技力向上対策本部役員を仰せつかっているので、バスケットボールという競技だけでなく、他の競技の結果もおおいに気になる。計算したら現段階で天皇杯1位は東京、2位が長崎である。残り種目の予想を立ててみるとかなりヤバイ。ウーン。 
14年10月18日(土)  07:30〜08:00山崎単独3q走。08:00〜08:30ひがなが選手3q走。08:30〜09:15ひがながバスケ練習。ひがなが選手たち全員で10:00〜10:40成年男子応援(於:三菱体育館)。11:45〜13:30少年女子応援(於:シーハット)。13:30〜15:15成年女子応援。15:15〜16:45福井成年女子対奈良成年女子を見学。長崎成年女子には勝たせてやりたかった。あ〜〜〜ぁ。 
14年10月17日(金)  川崎周之先生は今年の4月で99歳になった。川崎先生は長崎のバスケットボール界の基礎を気付いた人で、45年前の1巡目国体の時は長崎教員チームの総監督だった。今年、2巡目の長崎国体開催記念と川崎先生の白寿のお祝いをかねて、当時の教員チームの同窓会をやろうと企画した。亡くなった方も居り、旭川の川村先生と東京の奥野氏が都合で参加できなかったが、残りの8人は全員集まった。まず、川崎先生が入院している愛宕病院に見舞いに行き、みんなでバスケットボール型の色紙にサインをして記念撮影し、そのあと街に下りて同窓会をした。山内欣一氏や萩原満氏とは44年ぶりに会う人も居た。集まった中では谷口善治氏が76歳で最高齢(当時教員チームのマネージャー)。1番若いのは川村豊彦氏の67歳。あの当時はみんな20歳台でピチピチしていたが、みんないいおじいちゃんになっていた。 
14年10月16日(木) 今日は不整脈も頻脈もピタッと治まって何事もなし。養生したわけでもなし、クスリを飲んだわけでもなし、むしろ無茶をしたのに、その無茶ぶりに不整脈と頻脈がビビッて引っ込んでしまったのかしら?よくわからん。 
14年10月15日(水) 昨日のランは途中でやめたが今日は走ってみた。走る直前まで不整脈はあった。構わず走った。走ったけれども今日はジョギング程度の速さにした。最初の1qは6分5秒だった。途中4回、心臓をギューッと握りつぶされるような感じになった。昨日はこの時点でやめたのだが今日はそれでも走った。2周目はその症状は出なかった。6分6秒かかった。最終周も何事も起こらず、5分59秒で走れた。走り終わったあとも不整脈と頻脈は続いたが、気にせずバスケ練習指導中も動いた。なーに、どんなに用心していても死ぬ時ゃ死ぬ。。 
14年10月14日(火)  今日は多良見町体育館を借りて5時からの練習だった。ひがながは職員会議のために5時限目で授業を終了し、4時には学校を出発できたが、早く到着しても多良見町体育館は5時からしか使えいないので、3qランをやってから出発した。選手が走る前に例によって私も走ったが、今日は500bでやめた。不整脈に続いて頻脈が出たからだ。それは多良見町体育館での練習指導中にもしばしば出現し、家に帰ってからも治まらない。たぶん、先週末にとってもバカなことをやってひどい自己嫌悪に陥っているので、そのストレスが素で自律神経のバランスを崩しているのだと思う。短大の研究室に入り浸りで論文を書いていた頃は頻繁に不整脈と頻脈が出たが、それ以来久しぶりの症状だ。しっかりしろ山崎! 
14年10月13日(祭)  今日長与町民体育館で行われる予定だった時津長与杯最終日は台風のため中止になった。学校での練習も中止だ。来月中下旬にカップ戦が2つ続くが、それまでに3つの項目(詳細は報告書参照)に的を絞って取り組もうと思う。 
14年10月12日(日)  台風接近で国体の開会式実施が危ぶまれたが大丈夫だった。45年前に私もここを歩いた。今日の選手宣誓は小磯典子。こっちが緊張した。夕方5時からは諫早グランドパレスで県バスケットボール協会主催の壮行会が開かれた。さあいよいよ待ったなしだ。頼むぞみんな。 
14年10月11日(土)  3月末に全国ミニバス大会で優勝した大園小学校のコーチ又村美香の祝勝会を開くよう仲間に働きかけていたがなんだかんだで伸び伸びになっていた。それが今日やっと実現した。集まったメンバーは平成63年卒赤岩真澄美(カマ)。小久保みちる(ルイ)・清水貴代子(勝平)、平成元年卒竹下ゆかり(ヒメ)月川明子(アキ)・又村美香(ログ)、平成3年卒岡田こずえ(ビー)・池田千代(チヨ)・山崎育子(イク)、平成4年卒川原涼子(リョウ)の10人。記念Tシャツまで作ってきていた。みんなは楽しそうに昔話に花を咲かせるが、私にとっては額に脂汗の思い出話ばかりだ。みんな「また会いましょうねえ」 俺「…」 
14年10月10日(金)  2学期中間テストは5教科(国社数理英)のみ。今日1日で終わった。期末テストは1週間試験休みだが1日で終わる中間テストの試験休みは5日間である。本来なら5日(日)から試験休みだったが、バスケ部は土日に佐世保で行われたカップ戦に参加したので月曜日から4日間の試験休みとなった。しかし、たった4日間の休みだったが休み明けの練習はガッタガタだった。これは、鶴鳴で指導していた時も同じだった。では全員がガッタガタになるかというとそうではない。ガッタガタになる選手とならない選手の違いは何かというと調節力である。ガッタガタにならない選手は、久しぶりの練習でリズムが取り戻せなくても、それを取り戻せるまでの凌ぎ方がうまい。ガッタガタになる選手はいつもどおりのプレイができない自分に翻弄される。指導者は翻弄される選手にその日の練習が終わるまでに自分を取り戻せるよう関わってやらなければならない。今日は1人の選手を本来の姿に戻してやれないまま終わった。指導者52年目なのに...........<(_ _)>...............Huuuuuu.........。
14年10月09日(木)  ひがながの練習はオフ。昨日体調不良で3q走をしなかった梅本華奈と渡邊響子の体調が回復していたら今日走らせようと思ったが、まだ回復していなかったのでやめた。よって私は今日は何もすることがない。話は変わるが、私は平成15年10月28日、浜松国体の3回戦で熊本選抜に負けた日の夜から眠れなくなった。報告書には「長崎に戻らずこのままどこかへ行ってしまいたい」と書いている。それ以来レンドルミン0.25mgを手放せなくなった。しかしこのところ、それでも深夜3時頃に目が覚めることがあり、そんな時はデパス0.5mg1錠を飲んでまた布団にもぐる。フウ・・・
14年10月08日(水)  ひがなが3q走の7回目。順当に行けば年内に40回こなせる。私の感覚では今のひがながにはこの訓練がもっとも重要で、この表が埋まってしまう頃には相当強くなっているはずだと思っている。その意気込みはすでに走っている選手1人ひとりの表情からもうかがえる。追伸:今日の私は16分52秒。遂に17分を切った。少しずつ手術前の私に戻っている。 
14年10月07日(火)  今日は長崎の有名なお祭りであるお宮日(おくんち)の初日。長崎市内の小・中学校はどこも午前中で授業はおしまい。午後から3家族5人(6年生3人、3年生1人、2年生1人)を連れてお祭り見物に出かけた。大波止に到着したとたん、諏訪神社から下りに出た3体のみこしのうちのひとつにバッタリ出会った。ナイスタイミング!そのあと、6年生3人は集合時間の5時まで自由行動とし、私は低学年2人の付き人であちこち廻った。射的をしたり、魚釣りをしたり、大道芸人の演技を見たりして、6年生3人と合流したあと回転寿司を食べて帰った。いつものことだが、こどもたちの相手をするのはバスケの2部練習指導よりも疲れるが、もう2度とイヤだとは決して思わない。こどもの持つ力はすごい。
14年10月06日(月)  今週金曜日に1・2年生は中間テストがある。よって今日から木曜日まで4日間部活動はテスト前休みだ。しかし、9月16日から始めた月・水実施の3q走は何があっても継続実施したい。今のひがながには最優先訓練だからだ。そこで、今朝の職員朝会で中島先生に許可申請をして貰った。申請するからにはそれなりの理由がなければならない。それは、今週末に時津長与杯というカップ戦があるからまる4日間身体を動かさずに試合に臨むのは危険だということと、3q走に要する時間はウォームアップを含めて20分足らずで済むということで申請した。追伸・城未央はロードランを除外し、今日もランニングマシーンでのフォーム矯正とした。 
14年10月05日(日)  ゼロカップ2日目。準決勝と決勝の間が空いたので佐世保東部スポーツ広場体育館周辺を散策した。足はマイクロバスしかない。ずいぶん広い敷地だ。がんばらんば国体ではハンドボール会場になるのだそうだ。ひとまわり回ったあとまだ時間があるので早岐駅の近くのガストにマイクロバスで乗り付け(1人で)、そこで時間をつぶした。ドリンクバーでカフェオレを注文した。カップの縁にカフェオレが垂れたのでナプキンペーパーで拭おうとしたらスルッとペーパーがカップの中に落ち、アッ!アッ!と言ってる間にジュワワーッとカフェオレを吸い込み沈殿してしまった。お替わり自由とはいえ、まだひとくちも飲んでいないのを棄てるのは失礼だと思い、そのままズズーッとカフェオレをすすったが、さすがに沈殿しているペーパーまでしゃぶることはできなかった
14年10月04日(土)  昨年は様々なカップ戦に招待されたが、今年も年明け1月のカップ戦まで招待が詰まっている。試合がたくさんできるということよりも、こうして招待されること自体ありがたいということをひがながの選手たちは感じて欲しい。今日は佐世保で行われたゼロカップに招待されたが、満足できる内容(試合内容ではなく)ではなかった。まだまだだ。結果はGames & Scheduleで報告済み。ウーン...........。 
14年10月03日(金)  ひがながの練習はオフ。だが、3q走を早退や欠席で走っていない選手にはその穴埋めをして貰った。城未央は早退でも欠席でもなかったが、鶴鳴のトレーニング室でランニングマシーンを使わせてもらってフォームの矯正をした。彼女の走りは、前に降り出した足の着地時に膝が曲がっているし、つま先から着地するので常にブレーキをかけた走りになっているのだ。だから、膝を伸ばして足を振り出し、踵から着地し、前傾にならずに背筋を地球に垂直になるような走りに矯正した。それに加えて来週貧血検査(昨年も実施した)もやろうと思う。
14年10月02日(木)  私には全国からいろんな相談事が舞い込む。もっとも多いのはケガのことについてだが、イヤなのはもめ事相談だ。その中でも辛いのはミニバスのもめ事。コーチと選手、コーチと保護者、選手同士、もめ事の種類はさまざまだが小学生のスポーツは「楽しい」が最優先じゃないのか?それが、辛いとか苦しいにすり替わってしまうのはおとなに力がなくなってきたからだ。しっかりしろよ大人たち! 
14年10月01日(水)  ひがながバスケが3q走る日は、選手より一足先に走ってから選手たちの走りを指導するようにしている。今日もそうした。今日の1周目(1q)のタイムは、いつもよりがんばったつもりはないのだが5分36秒だった。なので、これは17分を切ることができるかもしれないと思って走ったらそのあと反動が来て結局17分23秒でゴールした。ゴールしたあと歩道で四つん這いになりゼイゼイ言ってたら、それを放課後の清掃作業をしていた生徒が目撃して「あ、おじいちゃんが道端で倒れている」と、ちょっとした騒ぎになったらしい。「あれ、バスケットのコーチのおじいちゃんだよ」と誰かが言って騒ぎは治まったようだが、何をやるにも歳を考えてやらなければ他人に迷惑をかけることになると反省した。 
14年09月30日(火)  今日は長崎市中総体駅伝大会。かきどまりの周回コースで行われた。バスケット部からは1年生の若杉衣歩が2区で走り、2年生の熊谷南海が4区を走った。昨年は長崎を代表するエースの白石が居たので九州大会まで駒を進めたが、今年は県大会出場(2位まで)も逃した。しかし、2人ともなかなか力強い走りをしていた。2人ともおつかれさまッ! 
14年09月29日(月)  今日は27日(土)の代替えで3q走実施日。放課後選手が出てくる前に私だけ走った。タイムは17分36秒。このあたりが今の私の限度かなという感じがする。今日は不整脈は出なかった。だが、走っていて明らかに最大酸素摂取量が減っているのがわかる。心肺機能も落ちているのだろうが、毛細血管も隅々まで行き届いていない感じがする。加えて尻の筋肉(大臀筋)が落ちているので骨盤を前に進める力が出ないのだ。クソ! 
14年09月28日(日)  JBA公認コーチ講習会。今日は私の担当日。朝2時間の講義と午後3時間半の実技。受講者は事前に名簿を貰っていて227人のはずだったが蓋を開けたらそれ以上だった。講義も実技も渾身の力を込めて務めた。来年の4月以降は、コーチライセンスを持っていないと公式試合のベンチができなくなるので今年は受講者が多いのだが、私はライセンスを取らせるための講習会ではなく、実際の指導現場で役に立つものにしようと思って講義も実技も内容を精選した。午前の部の講義は部活動指導総論各論だけでなく、スポーツ医学も加えた。午後の部の実技講習はひがながの選手に協力してもらい、モデルを勤めてもらった。内容は午前中の講義終了後に提出してもらった質問や要望に応えて、できるだけ多くのコーチの痒いところに手が届くように気を配った。内容を欲張って少しでも多くの情報を提供しようとしたので急いだことがちょっと気になったが、やり残した感はないのでヨシとしたい。追伸:私自身は「ヨシ」であっても、自分の知りたい情報が充分得られなかった方がいらっしゃると思います。そのような方はメールでご質問ください。お疲れさまでした。
14年09月27日(土)  今日、本当はチームが3q走る日だったが欠員が多くて中止した。選手たちは替わりに月曜日に走るが私は昨日1人で走った。1q地点で不整脈が出たのでその場駆け足で30秒ほど調整し、残りの2qを走った。1q地点で心臓の調整をしたのでタイムは17分44秒だったが、どのようなコンディションであっても常に18分は切るようになりたい。不整脈は今日頻繁に起こる。ウーン、昨日中断すればよかたのかなあ? 
14年09月26日(金)  ひがながの文化祭を観に行った。私はバスケットの練習だけでなく、駅伝や選抜練習や運動会など、選手が演技や競技をする催しには努めて顔を出す。コートでは気付かない1面を見つけられるからだ。みんながひとつになって何かをやる時のこども達の顔はいい。 
14年09月25日(木)  今日の練習で、梅本琉奈が捻挫(軽い)し、城未央にモモカツが入って途中で練習を抜けた。明日から3日間西川美帆がU14合宿(味トレ)で居ないし、土曜日は熊谷南海と若杉衣歩が午前中駅伝の試走だし、さらにその日はジュニア選抜長崎市代表の練習が午後行われるので、熊谷南海と梅本琉奈(できるかしら)が居ない。なので土曜日の3q走は中止して翌週に3回走ろうと思う。一旦始めたら「今週はなんだかんだで3q走を1回しかできなかった」とはしたくない。 
14年09月24日(水)  美玲ちゃんが遺体で発見された。悲しい。鶴鳴在職中はずっと寮生の登校と下校は私のマイクロバスで送迎していたが、これは自宅外通学の生徒の親を安心させるためだった。女子選手を扱っていると男子の場合と違ってそこらへんは神経質になる。今、ひがながでも同じ事をやっている。生徒はバス停で「ここでいいですよ」と言うけどバス停からまた少し歩かなければならない生徒はバス停ではなく自宅前まで送り届ける。何を教えるかよりも選手や保護者の周りから不安やストレスを取り除くのはコーチとしての重要な仕事なのだ。 
14年09月23日(火)  今朝はずっと審判。昼休みに、午後2時から小島中学校で行われる選抜練習に参加するハナ・ミナミ・ミホの3人を迎えにひがながに戻った。3人を小島中に送り届けたあと、少し時間があったのでまた鶴鳴に顔を出し、鶴鳴対神村のスクリメージを見た。審判をしてやりながら、監督からの罵声のターゲットになっている選手に対しては「そこは強気で行け!」とか「そこで自滅するなよ!」と、審判を忘れて応援者になっている自分が居た。
14年09月22日(月)  神村学園(鹿児島)が鶴鳴に合宿に来た。神村は昨日が体育祭だったので今日は代休だ。朝鹿児島を発ち昼頃長崎に着いた。着いても鶴鳴は平常授業なので練習試合はできない。それはわかっていたのであらかじめ午後1時から3時まで飯盛体育館を借りていて、そこで神村の練習を診た。その後神村は鶴鳴に移動し、私はひがながの練習に顔を出した。夜は私も鶴鳴に泊まってミーティングだ。毎度のことながら、何をどうやらせるかではなく、どういうことばかけをしてやるかが大事だという話に落ち着く。
14年09月21日(日)  昨夜はホームページをリニューアルするのに、おおまかな仕上げは深夜11時に終わったが、修正箇所がいくつもあり、また、試合案内報告の原本であるエクセルファイルのマクロがうまくいかず、結局寝たのは深夜の3時だった。今日のひがながの練習は8時から10時半までだったが、ボーッとしたまま出かけた。昨夜の引き続きでやっと修正が完了したのが午後3時。もう完璧でである。でも今日は早く寝る。携帯も取らないぞ。 
14年09月20日(土)  3q走2回目。初回に比べ「記録を伸ばす」ことに意識を向けられる選手は増えた。記録はmaterialsにUPしてある。さらに、今日は山崎純男のホームページをリニューアルした。games & Scheduleは鶴鳴の試合案内報告ではなくひがながの試合案内報告を優先することにした。またCranes RosterはHiganaga Rosterに変えた。これまでも、これからも、個人の誹謗中傷になるような情報を除き、若い指導者や迷える指導者の参考にして貰いたいので、私の身辺に起こる出来事は細かくUPする。 
14年09月19日(金)  人は誰でもガラス細工で壊れやすい部分を持っている。私はひがながのお手伝いを始めて間もなく、選手全員のガラス細工部分をすべて把握した。ガラスの薄さもひび割れの大きさもそれぞれ違う。部活動というのは技を教えたり体力を養成したりすることよりも、このガラス細工部分をいかに丈夫にするかが最重要課題である。しかし、ガラス細工部分をいじり過ぎると自分を否定する人間を造ってしまうし、いじらないままだと選手の人間力は高まってこない。この命題と戦って52年目。ひがながは外部コーチとしてのお手伝いなので気楽にやれるかと思いきや、毎晩のようにあの選手この選手の顔とガラス細工部分が走馬燈のようにアタマの中を駆け巡る。昨日「抜け出したか?!」と思った選手が今日は元に戻っている。がっかりしていると他の選手に進歩の兆しが見えてフワーッと安堵感が広がる。そんな毎日だ。フー 
14年09月18日(木)  昨日持久力トレーニングを月・水に実施すると言ったが、水・土に変える。土曜日にカップ戦や公式戦が入る場合は土を月に変える。そうやって、週2回は必ず確保したい。明後日は私が選手と一緒に走れないので、その代わりに今日の午後1人で走った。18分43秒かかった。最も遅い選手よりも2分17秒も遅い。でも、左膝の手術後1年半まともに走っていなかったことと、心房細動を抱えていることを差し引いてヨシとしよう。
14年09月17日(水)  実施のタイミングを見計らっていた持久力トレーニングを昨日から始めた。内容は、学校裏門を出発して八郎川にかかる二つの橋を渡って戻ってくる1周1q(CUBEとスクーターで計ってどちらも丁度1qだった)のコースを3周するタイムトライアルだ。原則、月・水の2回、学校体育館半面練習の前に実施する。鶴鳴では5q走らせていたが、平成8年の風軍団の選手たちは毎回4人が最後までもつれ込むデッドヒートだった。タイムは18分から19分台。20分を切れば体力的には全国バスケのトップレベルを狙える位置に居るという目安になる。風軍団はインターハイ2位だった。ひがながの選手たちもいずれ5qまで距離を伸ばしたいが、当分の間3qに慣れさせる。タイムは12分を切る選手が4~5人出れば全国中学バスケ上位を狙えるのだが、まだ基準に達しているのは1人だけである。あと4人、訓練を重ねれば基準に達しそうな選手がいるが、その前に、走っている選手たちから「1秒でも自分のタイムを上げたい」オーラが私に伝わってくるようにならなければならない。スクーターで距離を測ったあと、選手が教室から出てくる前に私は同じコースを試走したが、前日の宇部クリニックに引き続いてのランだったので、心臓が破裂しそうだった。
備考:測定結果はmaterialsのhiganaga3km14にUPしている。
14年09月16日(火)  夜中に何度も足が攣って目が覚めた。原因は昨日の宇部クリニックの前にやったランニングとストレッチとフットワークである。でもバカなことをやったとは思わない。むしろまだ俺は動けるということがわかったので、これからまた少しずつ動ける身体を取り戻していこうと思う。 
14年09月15日(月)  錬成会最終日。強化試合は午前中で終了だが午後は昨年同様私のクリニックである。昨日の試合中にH高校のA選手がハムストリングスの肉離れを起こしたので、クリニックの最中に講師が肉離れを起こしてはあみっともないと思い、今日は入念に自分の身体を手入れして午後のクリニックに臨んだ。まず、俵田体育館の横のグラウンドの外周(1周500b)を6周走った。その後ストレッチングをして体育館に入り、今日やらせるメニューに登場するフットワークを一通りやった。その結果、私はまだまだ動けることに気づいた。ヨシ! 
14年09月14日(日)  宇部錬成会(第1回小池カップ)2日目。宇部での錬成会はずっと前からやってきてはいたが、小池カップという冠で始めたのは今年が最初である。この錬成会は昨年から宇部市協会主催でコンベンション協会や個人スポンサーの小川氏(宇部工業高校OB)の協賛のもと、内容の充実した錬成会に進化した。なんといっても凄いのは、小池カップという名称になる前から審判には小池先生(元国際公認審判)と楢原先生(元国際公認審判)が参加して自ら笛を吹かれることである。今回は楢原先生が丁度近畿大学付属高校の体育祭と重なったために不参加で小池先生1人だけになったが、参加する選手たちにはその凄さをわかって欲しい。
14年09月13日(土)  会長杯最終日。準決勝で純心に負けた。この大会以降、私のHPでは鶴鳴の試合ではなくひがながの試合案内報告を載せることにしたので、この欄で試合のことについて触れることはしない。よって、今後ひがながの試合に関することはGames & Scheduleの項でご覧いただきたい。先日のコヤスポカップで中島監督が食べている弁当がウマそうだった。「どしたんだい?」と聞いたら「梅本ママの手作りです」という返事が返ってきた。弁当にはシールが貼ってありUmeMottoと書いてある。「HottoMottoなんかにゃ負けないぞ」というシャレなのだろう。そのシャレが気に入ったので「私は普段昼飯は食べないがUmeMottoの弁当がウマそうだったので注文したい。500円でご飯小盛りの弁当を作ってくれ」と頼んだ。今日それが届いた。試合後私はJRで宇部に向かったので、三菱体育館ではそれを食べる暇がなく、特急かもめの車中食べた。味よし!盛りつけよし!ゲフッ!ごちそうさまでしたッ(^o^)
14年09月12日(金)  練習前、選手達がズラッと私の周りを取り囲んだ。「ナニナニッ…!」さては集団リンチかと思いきや「先生、敬老の日のプレゼントです」だって。中身はリポビタンDが33本(部員数)だ。しかも、1つ1つに1人1人からのメッセージが書いてある。「これからもご指導よろしくお願いします」。「うん、生きてればな」。 
14年09月11日(木)  今日は体育館の使用割り当ての関係でバスケ練習はオフ。が、ミナミとイホは駅伝の学校代表に選ばれていて、今日は小江原の市営陸上競技場の周回コースで試走だ。応援に行った。たくさんの学校が試走に来ていたがどのチームにも「この子はバスケット部だな」と思われる選手がいた。ミナミ!イホ!負けるな! 
14年09月10日(水)  高校でも中学でも、下級生に戦力として起用可能な選手が居てもそれはオフェンス面であって、ディフェンス面では例外なくザルである。今、ひがながの主力選手のディフェンスの再構築中だが、主力5人だけで戦うのは無理なのでバックアップの選手も鍛えなければならない.。しかし、主力5人ですらまだディフェンスの要領をつかんでいないので、1年生にはまだ手が回らない。フーッ........<(_ _)>
14年09月09日(火)  金曜日までの練習は、今日多良見町体育館を借りて正味1時間半フルコート練習できる以外は、昨日学校で半面1時間20分、明日学校で半面1時間20分、明後日はコート割り当てがなく練習オフ、金曜日は学校で半面1時間20分の練習で土曜日の市会長杯準決勝(純心中戦)を迎えなければならない。土曜日に市会長杯の準決勝があるとかないとかに関わらず、中学の指導はすべての無駄を削ぎ落としてやらなければ先に進まない。ここが、フルコートを毎日2時間半は使える鶴鳴の練習とは違う。
14年09月08日(月)  なつめ不在のオフェンスとディフェンスの再構築初日。今日はディフェンス編。ディフェンスはこれまで普通のマンツーマン、オールコート1−2−1−1ゾーンプレス、ハーフコート3−2ゾーンの3種類だったが、これらすべてを見直さなければならない。今週はディエンスの再構築のメドを付けるためだけに時間を使うつもりだ。 
14年09月07日(日)  会長杯2日目。男女ともベスト4が決まった。13日(土)の準決勝は、男子が小ヶ倉vs滑石、大浦vs土井首。女子が横尾vs小島、純心vs東長崎の組合せになった。ひがながの今日の試合は全員出場させる試合だったが準決勝以降はそう簡単にはいかない。長身者1枚に小さい選手4人の構成で戦わなければならないが、今日の戦いぶりからしてその方がかえって機動力が増すのではないかという一面がちらっと見えた。今回の会長杯が最重要試合ではなく、年明け2月の県大会が最重要の試合になるので、この試合までにこのメンバーで戦うためのオフェンスとディフェンスの再構築をしなければならない。楽しみあり、不安ありだ。 
14年09月06日(土)  今日は会長杯戦の初日。シードなのでもともと1試合しかなかったのだがその相手が棄権したので今日は試合なし。よって9時から12時まで学校で練習した。県中総体後の新チームは、長身者がコートに1人だけでは西川(172p:=U14エンデバー全国合宿に九州代表で選ばれている)の負担が大きくなるので城・熊谷・梅本双子姉妹(4人は実力伯仲だが4人も小さい)の内1人を日替わりでベンチに回し、1年生の古場(168p)をスタメンに入れて練習してきた。が、古場が先日のコヤスポカップで腰を傷めてしばらく使えないので急遽、城・熊谷・梅本姉妹と西川のスタメンで戦わなければならなくなった。小さくてもオフェンスは困らないがディフェンスが問題だ。小さいとディフェンスリバウンドが不利になる。だが、ディフェンスリバウンドに強くなるためにスクリーンアウトの練習をいくら重ねても効果はない。きちっと守れてこそのリバウンド争いなのだ。きちっと守れるための必須要素は@読みとA体幹の強さだ。この両方ともまだレベル3の段階から抜け出せない。フウ(-_-)
14年09月05日(金)  つばさ保育園の園児が5月15日に田植えをした田んぼを見に行った。ここは虫退治のために合鴨を飼っており、それを田んぼに放す。園児たちは田んぼに散らばっている合鴨に餌をやりに田んぼに降りたが大勢のこどもたちに尻込みして合鴨は寄ってきてくれなかった。そうやって虫退治はしても、虫が原因ではない被害は起こる。稲が黄色になって身がすかすかになってしまういもち病は合鴨ではどうにもならない。ウーン残念。 
14年09月04日(木)  昼過ぎ、ひがなが監督の中島先生から「明後日の会長杯初日の対戦相手の香焼中学校は、もともと5人しか居なかったけど、そのうちの1人がケガで出られなくなったので、香焼中は棄権だそうです。なので初日は試合がありません」と電話があった。その電話を受けて私はすぐ長崎市協会副会長の川村先生(会長の石突先生は携帯電話を持たない)に「これこれこういう事情だが、香焼中の残りの4人が可愛そうなので、ひがながの不戦勝は変わらないとして香焼中の3年生を助っ人に入れるなり、ひがながのエントリー外から選手を貸すなりして、オープン戦でもいいから試合を成立してやれないかなあ」と電話で打診してみた。その回答は夜9時少し前に返ってきた。明後日の事なので右から左へとスイスイ事が運ぶとは思っていなかったが、予想通り今回は見送りとなった。が、「今後ケガに限らずメンバー不足やぎりぎりのメンバーで活動をするチームは増えると予測されるので、救済措置は考えます」というコメントも貰った。ありがとうございます。ずっと前、日本協会に対して「ミニバスのルールを、日本の少子化の実情に即したルールに変えろよ」と、この欄で物申したことがある。ルールはこどもたちの幸せに繋がってこそ意味がある。これは、協会や連盟等の組織の問題とせず、こどもたちの指導に携わる我々おとなたちが常に持っていなければならない意識だと思う。
14年09月03日(水)  延期延期となっていたつばさ保育園のイルカウォッチングがやっと実現した。朝、長崎地方は雨だったのでちょっと心配したが、問い合わせたら島原半島方面は薄曇りだったので実施に踏み切った。「あれがイルカの親子連れですよ」と船頭さんから言われるがなかなか見分けられない。今日は海面が少し波立っていたので酔った子が1人出たが、ほとんどの園児は元気だった。イルカウォッチングのあとは浜遊びをして帰る予定だったが、夏休みが終わり、温水シャワー室にカギがかかっていて使えなかったので、浜遊びはやめて小浜温泉の足湯に足を浸けて帰ってきた。帰り道は、数十年前まで島原鉄道の路線だったあとを一般道に改修した道を通って帰った。トンネルは昔の鉄道トンネルのまんまである。「他車と鉢合わせしたらどうしよう」とドキドキしながら運転した。他県にもこんなトンネルの自動車道があるのを知っている方は情報を教えてください。
14年09月02日(火) 今日は飯盛体育館が確保できなかったので多良見町体育館での練習だった。6時過ぎ、監督の中島先生の携帯に学校から連絡が入った。「教え子の上田さんという方が山崎先生に会いたいと言って見えられているんですがどうしましょう?。先生ご存知ですかその上田って子」と監督の中島先生が言った。「知ってるよ。俺の携帯番号教えてそれに電話するよう伝えてくれ」と私は答えた。上田から電話がかかってきて、8時半に東長崎のジョイフルで会うことにした。上田は頑張って勉強し、正看護師として道ノ尾病院に勤めているそうだ。深夜11時半まで話しは尽きなかった。上田は心のバランスを崩して3年の6月に辞めた。卒業してからもずっとそれが気になっていたので今日は二つ返事で会った。すばらしい大人に成長していた。彼女もそうだっただろうが、私も長年の胸のつかえがとれた。「今の私の仕事や生活は、途中で辞めてしまったけど鶴鳴バスケットで経験したことが原点です」と言ってくれた。お世辞ではなさそうだ。フィアンセは決まっているらしい。私の口癖の「こどもは3人以上は生めよ」と最後に付け加えて別れた。 
14年09月01日(月)  ひがなが練習はオフ。1日中何もしないでボーッとして過ごす1日は長い。 
14年08月31日(日)  ジュニア選抜長崎市代表選手選考会2日目。今日は鶴鳴で行われた。内容は東西南北の対抗戦のみ。その試合を見ながら選考委員が個人をチェックする。僅かな回数の合同練習しかしていないのでどこもオフェンスの息が合わない。そんな試合では、アシストがうまいとか場面をよく見てるなどの奥深い能力よりも破壊力があって得点を取れる能力の方が目立つ。それを分かって母体チームではやらない個人プレイに徹した選手がいたらすごいのだが…。
14年08月30日(土)  深堀中で行われた長崎市内ジュニアチーム選手選考会に顔を出した。担当は三重中の沖島先生。沖島先生は数学の先生だ。私の感想は「体育の先生より気合いが入ってるなあ」。終了後沖島先生が「先生何かお言葉を…」と挨拶に来たので「うん、授業は指導案通りにやらなければならない。時間が足りなくなったので項目を飛ばすなんてあってはならない」とコメントした。この批評には経緯がある。沖島先生には以前「キミのバスケット指導ではなく、数学の授業を参観に行きたい。きっとおもしろい授業をするんだろうなあと思うから…」と言ったことがある。本気だ。いつか、校長に申し入れて実現したいと思っている。その経緯があっての今日のコメントなのだ。 
14年08月29日(金)  6月からずっと考えてきたことについて昨日結論を出した。今後のひがながの練習指導も試合のベンチも私がやる。これまで、中学の現場荒らしとか乗っ取りに繋がりかねないなどを気にしてあれこれ思い悩んだが、ひがながの選手たちがもっとも幸せになれるのはどんな方法かを考えて行き着いたのがこの結論だった。このことは昨日、選手全員の前で宣言した。いつまでやれるのかは私にも分からない。ただ、「もう飽きた」とか「気力がなくなった」などの理由で辞めることは決してない。
14年08月28日(木)  学童クラブつめくさの児童50人を2台のマイクロバスに乗せてカブトガニアリーナまで連れて行った。今日は、昨日から始まった学童クラブ対抗ドッジボール大会の最終日なのだ。高学年対抗では女児が多いつめくさは男児が多い他の学童クラブに負けてしまったが、低学年対抗の転がしドッジでは初戦で負けたつめくさイエロー組が敗者復活戦に回って全勝し、優勝してしまった。殺気立ったバスケの試合とは違い、ほんわかした気持ちで手に汗握る。 
14年08月27日(水)  バスのバックミラーを壊したので松尾自動車に修理に持って行ったが、気がついたら景色が違う。考え事をしていて通り過ぎてしまったのだ。そう言えば、昨日から「フー」とか「ハー」とかいうため息が多い。
14年08月26日(火)  昨日「俺は9月の会長杯からベンチには座らず観覧席から観よう」と思った。私がベンチに居ると中島監督が無口になるからだ。そのことを中島先生に告げたら「私は山崎先生が練習指導するのだから試合のベンチ采配も山崎先生にやって貰うのが選手たちにとって最も幸な方法だと思いますと、前から言ってるじゃないですか」と言われた。「それではいつまでも中島先生が自立できない」と言うと「私はひがながでさくさん勉強させてもらって、転勤した次の学校で自立できればいいと思っています」と言われた。どうすることが選手の幸せに繋がる最も良い方法かを最優先にして、もう1度考え直さなければならない。今日は1日中そのことを考えていた。 
14年08月25日(月)  準決勝で負けた。第1の原因は身体の訓練が充分でないからである。それには理由がある。県内のそこそこの試合では出場して貰わなければならない選手10人(全員で22人)のうち、鍛えたら筋肥大が起こる身体を持っている選手が2人しかいないからである。ひとつには、年間8〜10p身長が伸びているので、まだ鍛えられない選手がいること。次に、鍛えても筋肥大が起こる筋肉の質を持っていない選手がいること。の2つが大きい。現に、夏休みの軽い(私にとっては)駅伝練習でさえ、鵞足炎やジャンパーズニーの初期症状を訴えた選手が数人出ている。こんなことがなくならないと身体は鍛えられない。身体を鍛えるというのは、ウェイトトレーニングという意味ではなく、バスケットの練習内容で運動強度の強いメニューという意味なのだが、筋肥大は週5回の訓練を継続したとして、1ヶ月目から効果が現れ、さらにそれを継続しなければ効果はすぐ消える。だから筋肥大を狙う訓練は開始時期を慎重に見極めなければならないのである。第2の原因は「危ない!」「大丈夫!」「遅れた!」「間に合った!」という感覚を本当に自分のものにしていないからである。まだまだだ。
14年08月24日(日)  コヤスポカップ2日目。今日は順位トーナメントだ。今日の2試合とも、ずぶの素人から始めたヒトミ(2年生)とリノ(2年生)の2人を試合に出してやれたことが嬉しい。 
14年08月23日(土)  チーム帯同審判は中田パパが引き受けてくれたので私の出番がなくなり、2試合目までの間がずいぶん空いたので夢彩都のスタバにブランチを摂りに行った。スタバでオーダーするのはいつもホットラテのSサイズとサラダラップだ。社長島耕作の13巻を読みながらラテを飲んでいたら近くの席のアベックが大声で話し始めた。私はわざと不愉快そうな表情でプレートを抱えて反対側の奥の席に移動した。するとその席の近くには7人組の若い女性客が陣取っており、これがまたけたたましい大声で話したり笑ったりしている。その7人は間もなく出て行ったが、その子たちが私の目の前を通り過ぎていく時、私は不機嫌を露わにした目付きで1人ひとりをじーっと見た。3人ぐらい私の目付きに気づいたようだった。でも、こんな若者を作り出したのは私たちおとながちゃんとした躾をしてやらなかったからなのだ。ひがながの選手からは絶対こんな若者は出さないぞ。
追伸:コヤスポカップの結果報告は速い!情報提供はこうでなければならない。アッパレ!
14年08月22日(金)  今日はひがながの練習は午後1時から3時半まで。それを途中で抜けて3時から4時半まで日大高校の職員研修会での講演。帰ってきてシャワーを浴びてから夕方7時半にひがなが新チーム保護者会への顔出し。3つも用件をこなした。明日から3日間はコヤスポカップ。中島監督がふくらはぎの肉離れを起こしていて審判をさせるのは無理なので私がチーム帯同の審判をやる。早く寝よう。 
14年08月21日(木)  7月27日にバスケット部は結の浜でバーバキューと海水浴をして楽しんだ。私の中では夏休み中にもう一度レクリェーションをやりたいと思っていた。1昨日まで誰にも言ってなかったが、1昨日の夜保護者代表にメールで「21日は練習をキャンセルして轟の滝に滝遊びに行く。みんなに伝えてくれ」と頼んだ。轟峡での滝遊びは鶴鳴恒例の行事だった。それを私は再現したかったのだ。今日の練習は午前で終わりだ。だから練習後に行くこともできた。しかし、部活レクリェーションというのは練習後にやってもちっとも楽しくない。練習をキャンセルして遊べるからこそ楽しいのだ。私は夏休み後半の天気予報を常に調べていた。するとずっと雨続きだった天気が今日は一休みしそうなのだ。そこで諫早市役所高木支所に電話をを入れ、今夏の雨続きで轟峡は遊泳禁止になっていないかどうかを確かめた。轟峡の滝壺への通り道に最近の雨風で巨木が折れて落ちており、そこを通過するのが危険なので滝壺では泳げないが上流の浅い場所は安全だとわかった。マイクロバスで学校を出発したのは9時。轟峡の水は冷蔵庫の中に入ったように冷たいのに選手たちはザブザブ水に浸かって遊ぶ。私も水着は一応用意して行ったが心筋梗塞になって迷惑をかけてはならないと思って足だけしか浸さなかった。選手たちは沢下りに挑戦したり、滝に打たれて修行したり、それぞれ工夫して楽しんでいた。泳いだあとはいつも通り清流荘でソーメンを食べ、帰り道に轟アイスを食べて帰ってきた。川遊びをしている間は雨は降らなかった。帰る途中喜々津を過ぎたあたりから猛烈な雨となったが、神様が今年のひがながのがんばりをちゃんと知っていて、遊んでいる間は雨を降らせるのを待ってくれたのだろう。
14年08月20日(水)  アヤ・カエ・ナツミ(3年生)が練習に顔を出してくれた。だから今日は3年生に相手方に入って貰い、ずっとスクリメージをした。3年生が気楽に部活動に顔を出せるのが真の部活動の姿だと私は思う。今日は楽しかった。 
14年08月19日(火)  五島市で8月10日に実施された田臥勇太クリニックのDVDサイン色紙がスポーツ振興課の庄司氏から送られてきた。盛大だったようだ。田臥氏はアメリカ滞在中だったにもかかわらず仕事を中断して来てくれた。しかも、台風真っ只中だったのでジェットフォイルの欠航を恐れて1日早く現地に乗り込んでくれたのだ。感謝。 
14年08月18日(月)  夜10時過ぎに我が家に着いた。帰りの車中、新幹線の中でもハムストリングが攣った。とっても疲れた。講演は受講者層を見てエピソードを1個加えたので5分超過し、1時間35分かかった。いかん。ところで、諫早⇔新鳥栖⇔川内のJR料金は15430円だった。通常の大人料金は25000円以上だ。1万円も安いのは、65歳以上の老人はシルバー割引という制度があって、それを適用してもらったから安いらしい。知らなかった。
14年08月17日(日)  すみません!パソコンのモバイル端末器を自宅に忘れてきて、しかも昨夜は神村学園の監督室に泊まったのでHPの更新が出来ませんでした。今日は鹿児島市内の東横イン泊なのでホテルのランケーブルに繋いで更新しています。今日の午前中は神村学園の手直し、午後からは鹿児島県協会主催の中学生ビッグマンキャンプでの指導。死にそうです。明日の鹿児島市教委主催の講演までにもう一度エネルギーチャージをしなければ明日は乗り切れません。早く寝ます。<(_ _)>
14年08月15日(金)  福岡少年女子対山口少年女子の試合(11時~12時半)で国体夏季強化事業終わった。山口少年女子は6月の県総体で日本のエース池本が前十字靱帯を切って戦線離脱した上に、今回の強化合宿では昨年前十字靱帯を切って1年棒に振り、やっと復帰した主将の荒川が昨日また少し膝を痛めて今日はベンチ。王と飛車を抜いた戦力での戦いとなり、かわいそうだった。総評:一昨日も述べたが長崎成年女子の奮闘ぶりには頭が下がる。強いとか弱いとかではなく、戦いに臨む姿勢がひたむきなのだ。成年の部の試合は手を抜いたり、審判に文句を言う選手が多いので、ミニバスや中学バスケの選手に見せたくない試合が多いが、長崎成年女子は一生懸命の見本として是非見せたいチームだ。
14年08月14日(木)  国体夏季強化事業3日目。インターハイ決勝の昭和学院(千葉)と桜花学園(愛知)を招いただけでなく、審判委員会では日本協会から平氏(インターハイ決勝審判)を派遣して貰っての研修だ。まさに、インターハイ決勝をそのまま再現した事業である。贅沢なカードだ。これで元気が出なければバチが当たるぞ。
14年08月13日(水)  国体夏季強化事業2日目。長崎少年女子はお盆前よりも動きが良くなっている。成年女子は相変わらずがんばる。高校生よりひたむきかもしれない。成年女子の下田弥生選手は実は踝を骨折している。が、本人はケロッとしてプレイをしている。しかも「国体選手から外されたくない」という悲壮感はまったくない。きっと弥生の先祖はトカゲに違いない。
追伸:九州中学総体2日目(昨日)は、安全運転管理者講習で缶詰状態だったので私は観に行けなかったが、琴海が3位に食い込み、8月下旬に香川県で行われる全国大会にコマを進めたようだ。アッパレ! 
14年08月12日(火)  長崎がんばらんば国体夏季強化事業後期開幕。私は安全運転管理者講習会で終日缶詰だったので昼間の強化試合には間に合わず、夜の懇親会にしか顔を出せなかった。明日は終日OK。しっかり観させて貰うぞ。 
14年08月11日(月)  九州中学大会初日。ひがながの選手たちを連れて観戦に行った。大会本部ではスタッフが脇目も振らずにボックススコアと選評作成の作業をしていた。長崎代表は琴海だけが勝ち残り、他は初日で敗退した。ザッと見た感じだが「福岡代表は手練れ揃いだ」という感じがする。福岡第2代表の二島中学は1年生から2人エントリーされていたが、その内の1人が長崎ジュニア(諏訪小)出身の小柳亜結ちゃん(169p)だ。小柳パパは「地元なのでサービスエントリーですよ」と言って謙遜していたが実力エントリーのようだ。 
14年08月10日(日)  最終日の今日、長崎少年女子はがんばり、兵庫少年女子と山口成年女子を連破。しかし3つ目は途中まで粘りながらも3連戦の疲れが出て宮崎成年女子に持って行かれた。昨日も述べたように、コーチの思惑で必勝の選手起用ではないとわかっていても勝つ試合を見るのは気持ちがいい。長崎成年女子は昨日今日と続けて貫禄の全勝。さすがだ。 午後は長崎成年女子のボランティアクリニック。大村市内の女子中学生5チームが参加した。
14年08月09日(土)  山口成年女子は午後からの参加だ。私は今日は午前中しか観に行けなかったので山口成年女子は明日しか見られない。コーチの思惑で選手起用の仕方が必ずしも必勝を期してのスクリメージではないが、全敗の長崎少年女子ガンバレ!
14年08月08日(金)  今日から夏休み国体強化事業の前半が始まった。場所はシーハットで、今日は兵庫少年女子対長崎少年女子の強化試合が行われた。明日からは長崎成年女子・宮崎成年女子・山口成年女子が加わって強化試合を行う。今日の強化試合のあとは兵庫少年女子スタッフと食事会をしたが、昨日は静かだった親和女子高の宮崎先生は酒が入ると豹変し、エンジン全開で質問の嵐。おかげで私は豆腐ひとかけらとゴボウサラダと寿司2貫と刺身3個しか食えなかった。でも、情熱ある人たちと飲む(私はウーロン茶)のは楽しい。
追伸:10日に福江で実施予定の田臥クリニックのために、田臥氏は明日のジェットフォイルで福江入りする予定だった台風接近のために無事福江に入れるのか心配だった。そこで福江の庄司氏に確かめたら田臥氏は1日早めて今日福岡から飛行機で福江入りしてくれたらしい。ホッとした。 
14年08月07日(木)  今日は、夏休み前半駅伝練習の最終日。ヒトの体力は大きく分けて持久力と瞬発力に分けられる。瞬発力は天性だ。だからいくら努力しても元々速い子には勝てない。しかし持久力は訓練によって速い子に勝てるようになる場合がある。だが、ひがながバスケ部の選手たちには訓練以前のこと(=人生哲学)を教え込まなければならない。それが身についていない者をいくら叱り飛ばしても結果は出ないし、訓練は絵に描いモチになる。この作業は気が遠くなるほど時間がかかる。
14年08月06日(水)  今日は朝から2台のマイクロバスに分乗して学童つめくさの児童たちを武雄市にある宇宙科学博物館に連れて行った。私の目は児童達を動かす職員の動きと児童たちの動きに焦点を合わせる。難しい。保育園の園児の方が管理は楽だ。 保育園は0歳から6歳までの階層をあずかり、学童は6年生から1年生までの階層をあずかる。年長から年少までの階層の広がりはは同じだが、年齢が6歳違う。本当は、各階層とも6歳年上の学童の方が保育園より動かしやすいはずだが現実は逆だ。やんちゃざかりの児童を6階級取りまとめるのは至難の業だ。学童の先生方の采配ぶりを見ているとバスケットのコーチの采配など楽なものだとつくづく思った。
14年08月05日(火)  7月31日に和仁会病院で手術して現在リハビリ中の橘中4番福島選手を見舞いに行った。手土産に山崎語録選手心得#60を色紙に書いて持って行った。こうして病院に見舞いに行くと必ずどこかのバスケット選手だろうと思われる前十字靱帯再建術を受けた患者に出会う。女子バスケット選手の前十字靱帯損傷は世界的にも他を圧倒的に引き離して多いのだ。バスケット協会の医科学委員会でもそのことに着目して少しでもその数を減らそうという研究を続けている。女子バスケ選手の前十字靱帯損傷を減らすには、医師任せではなく、コーチも、当事者の選手自身も、保護者も「前十字靱帯を傷める瞬間の機序はこうだ」とか「注意しなければならない動作はこれだ」という知識を専家並みに身につけようとする努力がとても大切だと私は常々思っている。
14年08月04日(月)  朝の駅伝練習後選手達をマイクロバスで自宅に送り届けてから大学病院に行った。雨が土砂降りの中だったがクルマではなく敢えてカッパを着てスクーターで行った。駐車場が空いていないと思ったからだ。予想通り、月曜日でしかも土砂降りの雨の中なので病院の駐車場が空くのを待っているクルマの列は歯学部前の信号までズラーッと続いていた。今日の受診は、前回(5月26日)から2ヶ月と9日ぶりだった。ずいぶん粘った。受診時はいつも、診察して貰うというよりスポーツ現場のあり方についてDr宮本と語り合うことが主になってしまう。
14年08月03日(日)  <(_ _)>Zzzzzz................... 
14年08月02日(土)  今日で県中総体後の練習1週目が終わった。明日はオフだ。このオフを誰よりも待ち焦がれていたのは私だろう。6月から7月にかけての県外クリニックに加えて、新チームに切り替わると自ら動きを示してみせることが多くなり、その疲労が溜まっていたのだ。昨夜はハムストリングスと腓骨筋が攣って目が覚めた。5月26日の診察時に貰ったトラムセットは処方箋通りに飲めば6月9日でなくなるはずだったが、痛みもだんだん薄らいできたので飲まずに過ごす日が多くなり、たくさん残っていた。が、7月に入ってまた時々飲むようになり、今日は残り1錠になった。明後日(4日)大学病院に久しぶりに行こうと思う。というわけで明日はブログも休みます。
14年08月01日(金)  夏休みは、学童クラブの行事が増える。昨日私のバスは、ひがながの駅伝練習の送迎、つばさ保育園の原爆資料館訪問、学童クラブの映画鑑賞に引っ張り出されてフル回転だった。新しく建てているつばさ保育園の園舎は9月に完成して今の園舎よりずいぶん広くなる。来年4月には現在2つに分かれている保育園と学童クラブの舎屋はひとつになり人数も増える。バスもますます忙しくなるだろう。が、どんなに忙しくてもこどもの笑顔を見れば癒やされる。 
14年07月31日(木)  駅伝練習2回目。今日の内容はペースをキープしての30分間走と100bダッシュ3本。陸上部の長距離専門がAグループ、それより少し劣るのがBグループ、さらに劣るのがCグループという3つのグループに分けて走る。バスケット部からBグループで走れるのは3名である。CグループであってもDやEとランク付けをしなければならない選手もいるからCグループは次第にバラけてくる。気をつけて見てやらなければならないのは傷害持ちの選手だ。傷害持ちといってもほとんどが軽い急性の傷害の初期症状だが、それでもしっかり観察してグループから除外して自分のペースで走らせたり、走りをやめさせて歩かせなければならない選手を見逃してはならない。さらに見逃してはならないのが「この痛みが強くなれば走らなくて済むのに…」と心の中で願いながら走り、痛みを心理的に増幅させる選手だ。それとわかっていても「少しぐらいの痛さは我慢しろ!」などと叱り飛ばしはしない。一息入れさせてからまた走らせる。そんな選手を行く行くは自分を追い込める選手に仕立て上げるのがコーチの務めだ。
14年07月30日(水)  新チームの練習は昨日述べたように朝7時から8時20分までの駅伝練習で始まった。辛そうだった。バスケの練習は午後1時開始。私はそれに備えて駅伝練習指導後はずっと家のソファーに横になって休み、体力を温存した。このところオーバーワークぎみで治まっていた腰痛が戻ってきたのだ。練習内容は1年生3人を主力選手側に混ぜて、オフェンスの組み立てを理解させる動きのみとした。1年生の時から主戦力として重圧を背負ってきた2年生には1年生を指導する側に回って貰い、しばらくの間これまでの重圧から解き放してやろうと思う。ちなみに、今日午後3時過ぎの体育館内の温度は35.8度だった。私のTシャツはシャワーを浴びたようにびしょ濡れになった。 
14年07月29日(火)  午後2時から5時まで、1・2年生選手の長崎市東部地区セレクションが東長崎中学校で行われた。このあと長崎地区セレクションと全県セレクションを経て、来年3月末に東京で行われるジュニアオールスターの長崎県代表が決まる。加えて、明日から8月中旬まで9回駅伝の練習が朝7時から8時まである。バスケ部から東長崎中の駅伝代表に選ばれるのは多く見積もっても3名だが、駅伝演習には全員参加させる。セレクション参加メンバーには辛い夏休み前半になりそうだ。 
14年07月28日(月)  県中総体は、女子優勝琴海2位西有家、男子優勝日野2位淵で幕を閉じた。ひがながはオフだったが昨日のサービスの疲労が抜けず、県総体を観に行く気力が湧かなかった。明後日からの新チーム練習開始に備えて今日はエネルギーチャージ。冬眠ならぬ夏眠だ。 
14年07月27日(日)  30日にひがながバスケ全員をキャンプに連れて行くつもりだったが、初日で負けたので保護者の提案で急遽今日結の浜海水浴場でバーベキューをやることになった。早朝からの場所確保、テント設営、材料仕入れなどなど、急遽決まったにもかかわらずパパママパワーの凄いこと凄いこと。海水浴場だから高い岩壁から飛び込んだり、砂浜で泳いだり岸壁から釣りした。ここは水上バイクによるバナナボート引きを商売にしている人がいたが、ひがながバスケパパの友達なのでサービスで全員乗せてもらった。私も汗だくでサービスに勤めた。40年前にはあり得ない私だ。
14年07月26日(土)  思いは届かなかった。初戦で光海中学校に47対43で負けた。しかし、この結果は7月17日のこの欄に書いている通り、私の想定範囲内の出来事でもあった。それは選手に「おとなが介入しなければ行動を起こせない!」と指摘し続け、指導し続けてきた弱点を払拭させてやれないまま県大会の出場権を得てしまったからである。スタメンの大半が2年生だからそれが払拭できなかったのではなく、これまでの人生の中で長年少しずつ選手たちの中に蓄積されてきた結果の弱点なので、「来年のスタメンはこのままだから…」という考えで簡単に片付く問題ではない。ということを、当事者である選手自身はもちろん、ひがながバスケに関わる者のすべてが自覚しなければ来年も同じ結果になる。
14年07月25日(金)  明日から県中総体。今の私は本当に「この子たちを勝たせてやりたい」と思って毎日コートに立っている。41年前、私は桜馬場中学校を全国優勝に導いた。しかしその優勝は、私のコーチ歴から消し去りたいと今は思っている。あの頃の私は「この子たちを日本一にしてやりたい」ではなく「俺は日本一のチームを創りたい」だった。歴史に「たら」「れば」はないが、もし今の私が41年前に戻れるなら、こどもたちをもっと幸せにしてやれたのにと思う。明日負けるのか最終日まで残れるのかわからないが、選手に「やり遂げた!」という思いを持たせて終われるよう全身全霊を傾けてコートに立ちたい。 
14年07月24日(木)  こどもたちは朝5時半頃起こされて準備にかかったが、誰1人ぐずることもなくてきぱき行動して6時30には出発できた。これが自分の家だと朝保育園に行くのに「まだ眠い」とか」「ごはん食べたくない」などママを手こずらせたりするのだ。集団の力というのはすごい。牧の戸峠は雨は降っていなかったが霧で覆われていた。が、予定通り登山開始。帰りは先頭が午後1時10分最後尾が1時13分で全員無事帰還。到着後はご褒美にソフトクリームを食べてこの行事は終わる。毎年、5歳のこどもがあの瓦礫をよく登るもんだと関心する。
14年07月23日(水)  今日はつばさ保育園の久住登山のお世話役。朝7時半に出発して、まず熊本のやまなみ保育園との交流。そのあと阿蘇の大観峰でおやつにトウモロコシを食べ、今日は久住ヒュッテ にお泊まりのみ。明日朝7時に登山を開始する。私は腰に不安があるので今年は登らずに留守番だ。
14年07月22日(火)  私は選手に「どこかが痛くても自分で病院や整骨院に行くな。まず俺が診る」と言ってある。その上で必要があれば専門医に診察依頼をする。7月3日にJ選手が膝痛を訴えてきた(既述)。診ると軽い鵞足炎だった。7月5日の練習試合中、M選手が「足首を捻りました」と申し出た。診ると捻挫ではなく有痛性外脛骨だった。それから数日してY選手が膝痛を訴えてきた。明確な圧痛がるわけでもなく、半月板や靱帯損傷のサインもない。強いて言えば膝蓋靱帯の両側の軟部組織に少し痛みがあるようだ。昨日は1年生のN選手が膝痛を申し出てきた。J選手より軽い鵞足炎だった。いずれも練習軽減で痛みがなくなるか治る症状だ。が、軽いからといって選手が申告せずに練習したり、痛いと知っていながらコーチが練習をさせたりするのはよくない。若い(幼い)アスリートには輝く未来がある。その未来に向かって慢性化した障害や重傷化した外傷を持たせて送り出さないよう、小・中学校のコーチは専用アンテナを1本用意しなければならないと私は思う。 
14年07月21日(祭)  練習開始時にホイッスルがないことに気付いた。家に帰って探したがない。「アッ」と思い出した。昨日純心の胸を借りたあと、純心の教官室で着替えた時、洗面台の上に置き忘れたのだ。慌ててバイクで走った。あった!バリーラととうイタリア製のホイッスルでG・BALDI氏が手作りでこしらえたものだ。見つかってよかった。このところどこかへ行ったら何かを置き忘れて来ることが多い。いかん。 
14年07月20日(日) 

今日は純心高校の胸を借りた。大久保先生の声かけで甘えさせてもらったのだ。もちろんボコボコにやられる。が、「長崎市中総体時点よりも少しはマシになったかな?」という部分も見える。
追伸:純心招待をひがながのスケジュールにUPしたあと私は関係者に下記のメールを送った。
先ほどスケジュール変更をUPしました。変更の中に「純心招待」とあったのを見て「エッ!」と思った人がいるでしょうから説明します。純心高校の大久保先生からのお誘いです。市中総体終了後県中総体までの間、純心高校は毎年中学強化のお手伝いで県中総体出場校を数校呼んで練習試合をしてやっているのだそうです。大久保先生は、私が少年女子国体チームの監督時代に数回に渡ってアシスタントコーチを務めていましたし、今でも共に勉強しあっています。「山崎先生は鶴鳴から純心に鞍替えしたのかしら?」などと了見の狭いことを考えないでください。私は派閥を作るのは嫌いです。勉強したい人がいたらどこにでも出かけていきます。昨年、古賀ミニバスのライバルである長崎ジュニアの小柳監督に依頼されて指導に行ったのも今回純心招待に応じたのと同じ考えです。私は長崎の宮沢賢治です。

14年07月19日(土)  ひがながは今日から夏休み。今日の練習は8時から10時半までだった。練習が始まる前、J選手が「ママが山崎先生にあげなさいって」と言ってタッパーを差し出した。中には金平糖が入っていた。俺、金平糖好きだったっけ?それともママの「夏ばてしないように」という配慮か?練習後、鶴鳴のオープンスクールに顔を出し、そのあと家に帰ってからシャワーを浴び、金平糖をかじって横になり、静かに過ごして明日の練習に備えた。 
14年07月18日(金)  秋田ノーザンハピネッツでプレイしていた富樫勇樹選手がNBAダラスマーベリックスの一員としてサマーリーグに参加している。現地16日、3試合目にして初得点をした。しかも1桁ではなく、スリーポイント2本を含む12得点だ。バスケットボール競技はこのように話題性がある。なのに、東京オリンピック開催が決まっても、開催国枠がないので(後日調べたが、開催国枠がないのではなく、JBAがFIBAのバウマン専務理事から「こんなことでは開催国枠も与えないぞ!」と言われているらしい)現在の男子日本代表は出場すら危ぶまれる。しかも、BJとNBLの統一問題でJBAは揺れており、FIBAからは「10月までに解決しなければ日本の国際大会出場を認めない」と言われている。地方のミニバス指導者はみんな頑張ってるんだよ。頼むから、トップレベルチームに関わっている人たちやJBAの人たちはこどもたちの夢を壊さないでくれ。プライドとか意地とか派閥なんてものはかなぐり捨ててさあ。 
14年07月17日(木)  小学校のEコーチから「21日の練習を小学校の選手たちに見学させてください」という電話があった。「何を?」と聞いたら「県のトップレベルチームのオーラを感じさせたいと思いまして…」という返事が返ってきた。「ひがながはトップレベルのチームでもないし、オーラもないよ」と答えた。たぶんEコーチは、県大会を5日後に控えてひがながは相当気合いが入っているだろうと思っているのかもしれないが、私の練習は試合1日前であっても通常の練習と何も変わらない。Eコーチには期待外れになるかもしれない。
山崎語録選手の部#58―《栄光は特別の行為から生まれるものではない》―(普通のことを普通にできればもう普通以上の人間なんだよ。特別のことをやるのは易しく、普通のことを普通にやるというのは難しいんだぞ) 
14年07月16日(水)  私は、大学時代に高校男子を2年間指導し、大学を卒業して8年間中学女子を指導した。その後3年間(教育委員会在職時代)高校男子や一般男女の指導に携わり、それから鶴鳴に移籍して35年間高校女子の指導に携わった。その中で中学女子8年間の指導と鶴鳴35年間の指導で学んだことがとても大きい。その43年間で指導の手法はずいぶん変わった。が、当初からずっと変わらないものがある。それは自分を追い込むことと選手を追い込むことである。今、48年前に戻ってまた中学女子の指導に携わっている。やっぱり追い込む。追い込むと選手は泣く。泣く選手に対して私は追い打ちをかける。「涙は自分を慰め、自分に同情するためのツール以外のなにものでもない。前進するためには何の役にも立たん!」。しかし、48年前と今は時代背景が違う。追い込むことに変わりはないが、その基準が今のこどもたちにとって厳し過ぎるとドロップアウトに繋がるし、緩いと前進に繋がらない。そのサジ加減が難しい。
14年07月15日(火)  朝食を食べたあとはメールチェック。いつもの日課だ。今日はそのあと少しだけファイルをいじってからまた寝た。雨が降っているので外に出たくないということもあるが、昨日より今日の方が疲れを感じたからだ。ソファーで仮眠とかじゃなく、ベッドでちゃんと毛布をかぶって寝た。起きたのは2時半。それからごそごそやって練習にでかけた。肩に鉛を担いでいるように重いし、ふとももとふくらはぎが痛い。2日目に出てくるのかあ…疲れが。 
14年07月14日(月)  朝起きると右腰がズーンと痛い。普通に身体を動かすのに影響するほどの痛みではないが、まだ宇部クリニックの後遺症が残っているのだろう。身体が痛いだけでなく、声もかすれて出ない。朝トラムセットを1錠服用し、それからずっと部屋で静かにしていて午後3時に2個目を飲み、4時からひがながの指導に出かけた。明日の朝もし今日と同じような痛みを感じてもトラムセットは服用しない。あとは、8月17日(金)の鹿児島中学生ビッグマンキャンプまではクスリなしでやっていこうと思う。 
14年07月13日(日)  朝から腰に違和感を覚えたのでクリニックの前にトラムセットを1錠服用した。午後の部は2時に開始したがちょっと不安だったので開始前にまたトラムセットを服用した。昨日も今日も、身をもって動きを示す場面が多かったのでクスリの助けが必要になったのだ。今日のテーマは、とめどなく動きたがる選手たちが、「待てよ?ところで世の中どうなってるんだ?」とか、「さあて、どう料理しようか」など、ちょっとだけ手を止めて様子を見てみる間(ま)をうまく使えるようになることだった。最初は感じがつかめなかったが、午後の部の終盤になってF選手が少しコツをつかめてきたのをきっかけに、他の選手たちにも散発ではあったがそれらしいプレイが出始め、「なんとか俺の言いたいことが伝わったかな」でクリニックを締めくくることができた。やれやれ。
14年07月12日(土)  今日のクリニックは、5校から集まった選手なので、それぞれの母体チームでの要求のされ方が違うだろうから、それに戸惑いを感じさせないようにしなければならないし、「習って」よかった」というお土産を置いて帰らなければならない。午前中頑張ったがそのメドが立たない。昼休み中ずっと考え込んでいたが、午後になって選手の反応が少し良くなってきた。そして、夕方5時には「明日までにはなんとかなりそうだという感触を得た。でも疲れた。ものすごく疲れた。2週間ぶりにトラムセットも飲んだ。今日は早く寝て明日に備えよう。
14年07月11日(金)  14:04、こだま744号で厚狭(あさ)駅に着いた。今日は慶進の練習のチェックが主体でクリニックの本番ではない。明日と明後日がクリニックの本番だ。慶進に着いてすぐ池本の膝を診た。前十字靱帯・内側側副靱帯・半月板の損傷、それに骨挫傷もあるようだ。鶴鳴の例では、平成17年の6月に高岡が前十時靱帯を切ったが、彼女は保存療法でウィンターカップに出場し、その後手術をした。平成18年の浜本は同じ6月に前十時靱帯を切ったが、まだ2年生だったのでその夏に手術を受けさせ、その学年を棒に振って翌3年生のプレイにすべてをかけた。池本の場合はどうだろう。本来ならU−17のキャプテンで出場する選手だったから、高校3年生を試合に出ないまま終わらせるのもかわいそうな気がする。ウーン…難しいし辛い。
14年07月10日(木)  台風はおとなしくなって九州を通り過ぎた。昨日スクーターを庭の木に縛り付けたが何事もなかった。ホッ。明日からの宇部クリニックは予定通り実施されそうだ。昨日も今日もパソコンばかりいじっていて家から一歩も出ていないから、クリニックに備えて午後から団地内をジョギングした(4q)。コートの上での示範プレイは急激に動いてもなんともないが、アスファルトの上を走るとやっぱり両膝ともサラの周辺が痛い。 
14年07月09日(水)  すごい台風が九州に近づいている。長崎市内の小・中学校は今日の授業は午前中で終了して下校。明日は終日休み。当然部活動もできない。仕方ないので今日はこれまでのカップ戦のビデオを観た。昨年10月の時津長与杯、今年1月の松浦杯、4月の鶴鳴杯の3本だ。時津長与杯の試合ぶりは観られたもんじゃない。それから半年後の鶴鳴杯はというと、少しはマシになっているが幼稚さは相変わらず居座っている。足腰とか精神の問題ではない。先月の長崎市中総体はその弱点を隠しながら決勝進出してしまったが、その結果を選手たちが強くなったと勘違いしているなら今月下旬の県中総体はしっぺ返しを食らう。要注意だ。
14年07月08日(火)  山崎バス三根バスの2台を回して、鶴鳴バスケの寮生送迎と遠征、小ヶ倉中男子バスケの遠征、東長崎中女子バスケの遠征や飯盛練習、学童クラブつめくさの送迎、つばさ保育園の行事等に使っている。山崎バスは平成17年に新車で買った。三根バスは平成9年に中古で私が手に入れ(8年落ち12万q走行)たが、その後下釜氏→三根氏と所有者が替わって今でも働いてもらっている。三根バスのトランクのカギが壊れたので今日東長崎の松尾自動車に持ち込んで新品のカギと取り替えてもらった。鶴鳴学園にマイクロバスを所有する動きがあるが、まだ先のことだろうから三根バスにはもう少し働いて貰わなければならない。
14年07月07日(月)  朝起きるとき身体が痛くて辛い。肩、腰、膝どこも油切れのように動きが悪い。用事がない日は午後4時頃までごろごろしていてそれから練習指導に出かける。「こんなにあちこち痛くて練習指導ができるのか?」と思いながら体育館に向かうが、コートに立つとシャキッとなって動くのだ。だが、家に帰ると翌日の午後4時頃までは相変わらず身体が痛くて立ち居振る舞いもぎこちない。こんな日が続いている。Uuuu....。
14年07月06日(日)  木曜日の練習の途中、F選手に「こんな技を身につけさせればかなり強力な武器になるなあ」と思いついたのでやらせてみた。教えながら「いける!」と思った。しかしその日はもう時間がなく、翌日はオフで昨日は高校生と練習試合。なのでそれをさらに深める時間はなかった。今日までの間にいろいろ考え、これはペイントエリア周辺でプレイするF選手だけでなく、周辺の選手も身につけた方がプレイの幅が広がると思い、今日は全員にそのプレイを教えた。1日でマスターできはしないが、教える楽しみが増えた。 
14年07月05日(土)  平成8年に、清浦先生(教育長→副知事)の仕掛けで発足した日本一の会が6年ぶりに開かれ、招待状が来たので参加した。発足当初は、清浦先生・五輪かまぼこの中野氏・サッカーの小嶺先生・バレーボールの井上先生・バスケットから私・三菱駅伝の児玉氏・報道関係からはNBCの北山氏と長崎新聞の城氏らが参加した。日本一になった監督が手柄を自分のものだけとせず、それを如何にして広げ、日本一になれる指導者を増やすかというのが狙いだった。だからこの会は国体そのものよりもその後が重要だ。若い指導者諸君頼むぞ。
14年07月04日(金)  麓勇士君は和仁会病院に転院した。大学病院のベッドがいつもいっぱいいっぱいなので、術後のリハビリがメインの入院はこのパターンが多い。今日は膝模型を持って行って傷害について学習させた。日頃から傷害についての学習を選手にもさせておくことは、技術や体力の強化と同じくらい大事なことだと私は思う。
14年07月03日(木)  ひがながのJ選手が膝痛を訴えてきた。診たらどうも鵞足炎のようである。使い過ぎ症候群だ。ひがながに関わってから約1年2ヶ月経つが、軽い足首捻挫等を除けば重傷傷害ゼロでここまでやってきた。それは、ひがながの選手は幼児体型の選手が多かったので負荷の強い訓練をしなかったからだ。それでは当たりの強いチームとは戦えないので市中総体が終わってから少し強い動きのメニューを加えた。J選手の鵞足炎はその影響だと思う。ヤワな訓練では強くならないし、やり過ぎると傷害が発生する。そのサジ加減が非常に難しい。
ところで、ケガと言えば慶進高校の池本選手が6月8日、県高総体最中にACLを切った。池本選手は日本代表U−17の選手である。U−17チームは現在チェコで行われている世界選手権に出場している。そこに池本選手は居ない。替わりにカタリナの木村選手が加わった。日本は昨日中国に勝ってベスト8に入った。明日ベスト4をかけてハンガリーと戦う。私は来週、宇部にクリニックに行く。その時池本選手の顔を見るのが辛い。
14年07月02日(水)  夕飯にジャコとワカメとキュウリの酢の物を食べた。ジャコに混じって小さな石ころみたいなのが入っていた。つまみ上げてみるとタコだった。身長4ミリぐらいしかない。いっちょまえにちゃんと足は8本ある。網にかからなかったらあと1年は生きられただろうに(参考までに前回のサッカーワールドカップの予想で有名になったドイツのタコのパウル君は3年で寿命が尽きた)。 
14年07月01日(火)  ウェストポーチが返ってきた。それはゆうパックで送られてきた。午後4時過ぎ、ゆうパックを受け取ってすぐ私は新大阪駅忘れ物係の野中氏にお礼の電話をかけた。このポーチは曰くつきのポーチである。1992年の6月末、中村氏(共石)・本永氏(共石)・中川氏(ナイキジャパン)と私の4人で渡米した。バルセロナオリンピックのアメリカ大陸予選を観るためだ。予選はオレゴン州のポートランドで行われた。ポートランドのすぐ近くにあるビーバートンという町にナイキ本社がある。私たちは大会前のフリーデイにそこを見学に行った。ナイキジャパンの中川氏が同行したので私たちはナイキ社員家族だけしか入れない売店に入ることができた。この売店は、当時全世界をマーケットにして爆発的に人気が出てきたナイキの商品をめちゃくちゃ安い値段で買う事ができる。が、私だけ店に入ることを拒否された。その時腰に付けていたのがこのポーチである。それを見て店員が「あなたはダメです」と言ったのだ。理由はこのポーチがアディダス製だったからである。そりゃそうだ。ナイキの店に入るのにアディダスのポーチを持って入るのは失礼千万。私はポーチをクルマに置きに行こうとしたが、中村氏がそれを制止した。そして、すごそばの棚からナイキのマークのシールをとって私のポーチのアディダスマークの上にペタッと貼り、「イッツオッケー」と店員に言ってウィンクした。店員は苦笑いして「じゃ、いいよ」と言って私を店の中に入れてくれた。
14年06月30日(月)  昨夜 新幹線さくら572号からかもめ45号に新鳥栖で乗り換える際にさくら8号車8番A席にウェストポーチを置き忘れたことに気付いた。さくら572号は新鳥栖に7時50分着だったがウェストポーチを忘れたことに気付いたのは8時4分だった。あわてて駅員に報告し、無線で連絡を取って貰って返事を待った。かなりの時間がかかったがJR職員の方々の誠意ある捜索活動でポーチは回収されたことがわかった。加えて「新大阪駅まで受け取りに来られるのは大変なので郵パックで送ります」とまで言ってくれた。感謝!ポーチが戻ってくるまでは財布も免許証もカードも何もなしで生活しなければならない。困った。けど無事見つかってホッとした。
14年06月29日(日)  昨夜寝る前に少し腰が痛かった。一晩寝れば治るだろうと思ってそのまま寝たが朝起きても痛い。これでは今日のクリニックは保てそうもないのでトラムセットとメジェイド(座薬)の両方を使ってクリニックに臨んだ。メジェイドは2月下旬以降久しぶり、トラムセットは5月26日以来5週間ぶりである。今回のクリニックはクスリを使わなければならないほど身体を動かしたということなのだろう。このブログを読んだ人から「ほどほどに…」と言われそうだがそれができない性分だから仕方がない。 
14年06月28日(土)  9時〜12時ミニバスクリニック。1時から4時半高校生クリニック。5時から7時座学(講演)。息つく暇もない1日だった。ひとつの種別に3時間で「そうなのかあ」を置いてくる。本当に死闘だ。明日は中学生男女約80名。数は多いが午前午後なので今日よりはおみやげを置いて帰れるかな?フーッ。
14年06月27日(金)  11時39分諫早発のかもめ20号で鹿児島に向かった。新鳥栖13時34分発新幹線さくら409号に乗り継ぐ予定だったが、肥前鹿島あたりで列車と乗用車がぶつかる踏み切り事故があり、多良駅で1時間40分待たされた。だが、遅れは1時間40分ではない。かもめ20号の前に18号16号14号が数珠繋ぎで待機している。事故処理が終わっても、長崎本線は単線なので下り線の列車と各駅でそれらがすれ違いながら進むからそれにまた時間がかかる。結局2時間半ぐらい遅れて鹿児島に着いた。ニュースではまだ報じられていないが人の命がなくなっていないことを祈る。
14年06月26日(木)  明日から枕崎クリニックに行く。県内のNコーチから「県外で行うクリニックのコツは何ですか?」と聞かれた。私は「何も用意しないことだ」と答えた。そこに集まった対象のレベルも優先すべき内容も分からないので、それをまず最初に見極めなければならないからだ。その上で、与えられた期日で現地に「なるほど」を置いてこなければならない。そんなやり方をするにはこっちの引き出しの中にないケースが出てきた時、そこで知恵を絞り出さなければならない。だからクリニックは死闘だ。
14年06月25日(水)  日本が江戸から明治に変る少し前、吉田松陰に向かって熱く尊皇攘夷論を語る久坂玄瑞(くさかげんずい)に、「私は黙って君が行うことを見つめることにする。行動したまえ。人に発言するとはそれを命を賭けて話すということだ。あらゆる裏付けがあってこそ発言は尊い価値を持つ。君はその裏付けを持っているのか?」と松陰は言った。重いことばだ。「机上論だけで熱く語っても何も変わりはしないよ」ということか。
14年06月24日(火)  長崎西高校男子キャプテンの麓勇士君のパパのブログhttp://shiroyama-basket.blog.ocn.ne.jp/を読んだ。麓君は県高校総体の時にACLを切った。不完全断裂ではあったがプレイは制限される。リハビリを経て九州大会に臨んだがまた九州大会直前に半月板をやった。ロックしてしまったので保存療法はできない。手術だ。麓君は小学6年生の時にジェイソンライトのクリニックを受けに来た。その時私は「君は間違いなく長崎がんばらんば国体の主役になる選手だ。ガンバレ!」と声を掛けた。それなのに…。ケガは怖い。このような事例をたくさん知っているので私は、講演やクリニックでは技術指導や策戦指導だけでなく、必ずケガ予防のことについても触れる。それが1人でもケガ人を減らすことに役立てば嬉しいのでまだまだスポーツ医学の勉強は続けていこうと思う。
14年06月23日(月)  試験休み明けは体調不良選手続出だったがそれも落ち着いた。テスト前からずっと考えていたことだが、スクリーンプレイに対するディフェンスのやり方を変えてみようと思う。スクリナーを躱すときのディフェンスの身体の向きを変えるのだ。うまくいくかどうかわからないがしばらく取り組んでみたい。 
14年06月22日(日)  九州高総体最終日。9時開始の女子準決勝だけ観て帰ってきた。ひがながの練習割り当てが午後1時から3時半までなので決勝戦を観ていたら間に合わないのだ。 感想:「九州が危ない!」
14年06月21日(土)  九州高総体初日。諫早の中央体育館と小野体育館の両会場で行われた。ひがながの練習割り当てが今日は10時半から1時までだったので九州高総体は観に行かなかった。明日のひがなが練習は午後1時からなので午前中観に行こうと思う。会場で観戦していたE氏から画像添付のメールが届いた。感想は「ガラーンとしていてシーンとしています」だった。ウーン…。 
14年06月20日(金)  夕方6時半から五島町のサンプリエールホテルで催された「長崎がんばらんば国体を成功させる会」に顔を出した。8年前、諫早高校陸上部監督の松本先生から「山崎先生、現場から盛り上げましょうよ」と言われ、北陽台高校の浦先生を巻き込んで3人が発起人となってこの会を発足させた。当初は、参加費は自腹、全競技の現場に携わっている人が一堂に会して情報交換をする、が趣旨だった。年々盛大になり、当初の趣旨とは少し違ってきたが、盛り上がる分に越したことない。さあ、待ったなしだ。
14年06月19日(木)  朝8時40分福岡空港着の西原高校を迎えに行った。その後は、夕方西原と鶴鳴が夕方練習試合をするというので審判をしに行った。西原は最初時差ボケで動きが悪かったが最後は動きがよくなった。一方、鶴鳴の動きもよかった。まだ、長西・長商・純心には追いつかないだろうが、これなら試合を観に行ってもいいなと思った。 
14年06月18日(水) 
昨日は筋肉痛だし1日中雨だったのでずっと家の中にいてパソコンをいじっていた。するとインターネットでぶんきち日記というのを見つけた。午後から夕方までず〜っと読みはまっていた。スポーツイベントフリーランスプランナー今昌司氏のブログである。面白い。今氏には2011年に長崎の大村市で開催されたFIBAASIA大会でいいろいろ指導を受けた。仕事の段取りのまずさにずいぶん叱られもしたが、たくさん勉強させてもらった。このブログはイベント運営の関係者だけでなく、行政に携わる人、競技団体関係者、企業関係者、教師、コーチ等あらゆる階層の人に読んで貰いたい。な〜るほどが満載だ。検索エンジンでぶんきち日記と入力すれば一番上に表示される。
14年06月17日(火)  腕・背中・太ももの筋肉痛で、朝起きる時辛かった。昨日また3q走ったのだ。タイムは19分31秒だった。14日よりも2分15秒も早い。タイムが早くなったのは2回目なので身体が慣れたのだろうが、膝や腰は大丈夫でも心臓はヤバい。「これ以上スピードを上げると心臓が止まりそうだ」という手前でスピードをキープしなければならない。これがなかなか難しい。 
14年06月16日(月)  6月9日の市中総体最終日の欄に、ひがながの選手の軽さについて述べた。それは、決勝戦直前に取った彼女たちのパフォーマンスを指している。試合直前に彼女たちはフリースローサークルで円陣を組み、声を合わせて何か叫んだあと拳を突き上げて「イエーイ」とやった。カップ戦でも他の公式戦でもやったことはない。今回が初めてだ。それを見て私は「気合いが入っている」とは思わなかった。「浮かれてる」と思った。似たような意味で昨日コートジボアールに負けたあとの本田選手の態度もちょっと気になった。メディアが構えているミックスゾーンで、「本田さん!一言お願いします!」の声を無視して不機嫌そうな表情でスーッと通り過ぎたのだ。自分に厳しいのと不機嫌さを露わにするのとは違うのだが…。世界の本田選手であるだけに残念だった。
14年06月15日(日)  ひがながの市中総体慰労会に招かれた。最後に一言と言われたので次のように述べた。「高校の部活動でも中学の部活動でも、総体(市又は県)が終われば3年生は引退とか辞めるということばをよく聞きますが、そういうことばはありません。総体まで続けた3年生が引退したり辞めたりするのは卒業式の日です。3年生が出場する試合がなくなり、受験に専念する3年生や時々身体を動かしにコートに現れる3年生や後輩に何かを教えてやろうとしてコートに現れる3年生や高校でも続けるのでまだ巧くなりたいと思ってコートに現れる3年生などいろいろ居るでしょうが、そのような3年生が卒業式の日まで気楽にコートに現れることができるのが真の部活動の姿です。部活動は、強い部活動がよい部活動なのではなく、人間関係の難しさやみんなで成し遂げる仕事の難しさを学べるのがよい部活動です。そういうことを学びながら苦楽を共にした者同士を仲間と言います。保護者の方々もそのことをよく理解してこどもたちに接してください。」 
14年06月14日(土)  ひがなが試験休み終了まで私は夕食を抜くことにした。部活指導がないので身体を動かすことが少なく、普通に食べていると摂取カロリーオーバーになるからである。加えて今日は、午後から鶴鳴に出かけた。トレーニング室でバイクを漕ぐためだ。でもそれは5分でやめ、グラウンドに出てランニングをした。バイクを漕いでいるとマウスになった気分になっていやなのだ。グラウンドでは3q走った。22分49秒もかかった。これ以上のスピードで走ると不整脈が出そうだし、昨年3月手術した膝を傷めないために競歩状態で走るし、右腰の痛みとも相談しながら走らなければならないのでこんなタイムになるのだ。情けないが仕方がない。 
14年06月13日(金)  今日はつばさ保育園つき組さんの芋苗植えだった。9時半に始めて10時半に終わった。その後はヒマだ〜
14年06月12日(木)  今日から19日まで8日間、ひがながバスケは期末テスト前で部活禁止だ。この間、この1年間のまとめをする。昨年11月26日のブログに私は次のように書いている。
《6月下旬に東長崎中学の校長に会い、東長崎中学女子バスケのお手伝いをすることは既に承認済みで現在活動している。しかし私はその時「練習のお手伝いはしますがベンチには座りませんよ」と告げた。それは、監督の中島先生の上に立つのは良くないと思ったからだ。中島先生は再三再四私に「ベンチにも座ってください」と言っていた。私は「それは乗っ取りに繋がるからダメだ」と言って頑なに断っていた。中島先生は「乗っ取られてもかまいませんから」と言っていたが、それは私に丸投げして自分は楽をしたいという意味ではなく、私を利用できる間にできるだけ多くのことを私から盗みたいと思っていたからだ。ベンチにも座ってくださいの趣旨は、練習では勉強させて貰っているが試合のベンチで私が何を話すのかどんな指示を出すのかは勉強できないからだ。なるほどと思い、今後はベンチにも座ることにした。だが、中島先生1人で大丈夫だと判断したらすぐ撤退する》
その後、ベンチ采配から撤退するのは6月9日の長崎市中総体後と決め、あらかじめ中島先生にも予告はしていた。そのことを中島先生に昨日告げたら「県中総体までやってください」という返事だった。ベンチ采配を任せるのは代替わりする時が自然な流れかなとも思うが、本番のプレッシャーの中で采配を振るうのは、練習試合やカップ戦の気楽なベンチ采配に比べれば数倍勉強になる。まだ県中総体の組合せが分からないので生意気なことは言えないが、県中総体で運良く初日を切り抜けられたら2日目から中島先生にベンチをやって貰おうかな。私が表で動くのはやっぱり中学の現場荒らし感が拭えないので気が進まない。
14年06月11日(水)  長崎市内の中学校は、1昨日中総体が終わり、昨日が代休で今日からまた平常授業に戻る。ひがながはすごい。優勝が柔道男子、柔道女子、剣道男子、バレー女子、卓球女子、ソフトテニス女子(6連覇)、バドミントン女子、2位はバレー男子、卓球男子、バスケ女子、3位が剣道女子と、11チームも入賞した。スポーツ活動が盛んだと学校全体が活気づく。いいことだ。一方、バスケット女子の部では聖マリアと片淵が合同でチーム編成して出場した。1校では人数が足りない故の救済処置だ。この合同チームは、聖マリアが生徒募集をしないことになったので今年は3年生のみしか居らず、来年からはなくなるという特殊事情による。が、そのような特殊事情ではなく、単に児童生徒の減少によって単独校では試合に出られないチームが全国で毎年増えている。以前、このことについては意見を述べた事があるが、文科省や競技団体や各種連盟が早め早めに対策を立て、こどもたちが明るく伸び伸びとスポーツできる環境と整えなければならないと思う。
14年06月10日(火)  ひがながはオフ。私はコーチライセンス義務研修を受けに島原の復興アリーナまで行ってきた。私は1988年8月11に日体協がコーチ資格制度を制定した時の第1期の受講生である。自ら志願したり、県から推薦されたりしたのではない。日体協が指名した受講者として受けたのだ。まる1週間ホテルに缶詰で一歩も外に出られない辛い研修だった。その資格も、競技団体と一本化を図るために1級トレーナー、B級コーチ、上級コーチ、A級コーチと名前が変わっていった。初回の受講以来30年間、私は義務研修を受けた記憶はない。が、毎年日体協から更新手続きの書類が送ってきていた。今年初めて、「あなたは平成27年3月31日に資格が切れますが、継続するならば9月までに義務研修を受けなければなりません」という通知が来た。それでやむなく今日の研修を受けることになったのだ。それまでの25年間はどうなっていたのだろう? 
14年06月09日(月)  準決勝戦で、ひがながは第1シードの橘中を破って決勝に進出してしまった。橘中はエースの福島選手が5月の連休のカップ戦中にACLを切って今回出られなかった。可愛そうだった。バスケットの女子選手は他の競技に比べてダントツにACL損傷が多い。これは日本だけでなく世界中どこでも同じだ。女子バスケットの指導者はこのことをよく知っておかなければならない。さてひがながは、決勝戦では琴海中に見事に負けた。ほんとによくぞここまで成長してくれたということを認めた上で、負けた要因を分析する。そのひとつは軽さである。軽さはどの人間の中にも潜んでいるものだが、チャンピオンになる人間は例外なく、技術や体力を身につけるだけではなく、自分の中に潜む軽さを退治した者である。ひがながの選手達が自分の中に潜む軽さを退治できた時、他人からその立ち姿を見られただけで「この子は何かのスポーツ選手よ。しかも強いチームの」と思って貰えるようになる。言っておくが若さと軽さは違う。
14年06月08日(日)  ひがながは準々決勝でシード校の純心を40対37で破り、明日の結果を待たずに7月下旬開催の県中総体出場が決まった。この1年、なかなか幼稚さが抜けなかった彼女たちがよくぞここまで成長してくれたと思う。しかし自分としては、泣き崩れる純心の選手たちを見ながら手放しでは喜べなかった。やっぱり、山崎純男が中学生のスポーツ現場を荒らしに来た感が否めないのだ。
14年06月07日(土)  長崎市中総体初日。正式に認められたひがながのコーチであるとはいえ、中学生アスリートにとって一世一代の晴れ舞台に、今更私がしゃしゃり出てきて采配を振るうことに気が引けるが、行きがかり上仕方がない。
14年06月06日(金)  3日前、スクーターが突然動かなくなった。バッテリーの寿命だ。バイク屋さんに取りに来て貰って修理したが、バッテリーはもちろん交換し、プラグを取り替え、キャブレターも掃除して貰った。計17820円かかった。その間CUBEで動き回ったがクルマは小回りが利かないので不便不便。屋根付きスクーターはやっぱり便利だ。
14年06月05日(木)  長崎新聞の「水や空」を読んだ。執筆者の哲氏が言うように、勝負の世界では勝者より敗者の方が圧倒的に多い。だが、「勝ち」もその後の人生での活かし方によってはプラスの財産になるとは限らないし、「負け」もその後の人生での活かし方によってはプラスの財産になる。プライベイト資料の公開になるが、私の講演の一部を,、PPT資料JPGに変え、講演原稿はPDFに変えて紹介する。哲さん、同感です。
14年06月04日(水)  九州各地の高校総体が昨日で終わった。長崎は男女共長崎西、佐賀は男子佐賀東女子佐賀清和、福岡は男子福岡第1女子福大若葉、熊本は男子九州学院女子大津、大分は男子柳ヶ浦女子中津北、宮崎は男子小林女子延岡学園、鹿児島は男子川内女子鹿児島純心、沖縄は男子小禄女子那覇が勝ったようだ。沖縄で2位になった西原は九州大会(21・22日諫早市で開催)に参加するので、その時私のバスは西原に貸す。
さて高校総体が終わったら次は長崎市中総体だ。これはいつもの私のやり方だが、試合が近付くと単純に身体を精一杯動かせば結果が出るメニューが増える。私の指導も、言葉より実際にやってみせる動作が多くなる。だからこのところ足だけでなく、背中や肩や腕の筋肉痛で朝起きる時辛い。
14年06月03日(火)  県総体最終日を観に行った。女子決勝は65対63で長崎西が勝った。長崎商業はずっと優位に試合を進めてきたが、4ピリ残り8分過ぎからそれまで噛み合っていたチームオフェンスのリズムが崩れ、ボールを持った選手の単発攻撃が多くなった。プレイ上に現れた勝ち負けの原因を挙げるならばそれかな?と私は思っている。いずれにしろ、この両者が主体となって長崎少年女子チームを編成し国体を迎える。ここまでは敵だったがこれからはオール長崎の仲間意識をもって天皇杯獲得に向けて力を合わせて貰いたい。お疲れ様でした。
備考:男子決勝はひがながの練習に間に合わないので観ないで帰りました。よって戦評は書けません。ゴメン。
14年06月02日(月)  県総体決勝リーグを観に行った。私がこうして試合を観に行く時は、コート上で展開されているプレイだけでなく、指揮を取っているコーチ・アシスタントコーチ、ベンチメンバー、審判、会場内を動いている協会役員、観覧席等、会場内の人々すべてにアンテナを張り、その質をチェックする。2階の観覧席で観ていた私の目の前の座席に陣取った女の子が2人、立ったままぺちゃくちゃ喋り始めた。「座れ」と私は言った。その子はすみませんの一言も発せず無言で座った。座ったあとの彼女の表情をしばらく観察していたが「気付きが足りなかった」と思っている表情ではなかった。スポーツの大会は、指揮者と選手だけで創り上げるものではない。その会場に足を運ぶすべての人で創りあげるものだ。
14年06月01日(日)  昨日国際問題について喋ったのでついでにもうひとつ。南シナ海で中国とベトナムが争っている。中国船がベトナム船に体当たりしている画像もメディアで公開されているのに中国は「ベトナム船のほうが体当たりしてきた」と言っている。こんなの衛星画像で証明すれば一発でどっちがぶつけたか分かるだろう。なのに、周りでワイワイ言っているだけで中国にお仕置きをする国は出てこない。外交というのは難しいもので、全世界の人間が中国という国はやっかいだと思っているが、膨大なマーケットを抱え、地下資源が豊富な中国から「おまえの国とは付き合わないよ」と言われたら困るからどの国もつかず離れず付き合っているのだ。しかし、祇園精舎の鐘の声…である。そんなことしていると中国はそのうち痛いしっぺ返しを食らう日が必ず来るよ。
14年05月31日(土)  このところ、北朝鮮拉致問題が毎日のように取り上げられている。北朝鮮側から「全面調査に協力するが、その見返りに経済制裁を解け」とかなんとか言ってるようだ。バカか!拉致って誘拐だろう?それは犯罪だ。だから全面調査は当然。被害者をすみやかに本国に返し、拉致に関わったヤツは犯罪者として罰するのが当然じゃないのか?なのに、政府間交渉とか全面調査協力とか見返りとかいう言葉が飛び交うのを私は理解できない。
14年05月30日(金)  つばさ保育園のつき組さんとほし組さんは今日はお泊まり。そしてホタル狩り。、毎年のことだがフラッシュを焚けばホタルはどこを飛んでいるかわからない。 
14年05月29日(木)  リオデジャネイロにはファベーラと呼ばれる地区があちこちにある。貧民街である。治安が悪いことで知られている。ブラジル政府はサッカーの世界選手権やオリンピックを契機に治安維持を推進し、かなりの強行手段でこの町の解体や整理を断行しようとした。が、事はそんなに簡単に運ばない。外から見るとここの住人はほとんどが悪者でそいつらが治安を乱していると思われているが実はそうではない。もともとここに住んでいるファベーラの住民はコミュニティを愛して慎ましく暮らしていた。そこに麻薬組織が入り込んで勢力争いを起こすようになってから治安が悪くなったのだ。コミュニティのリーダーがこう言っていた。「我々はちゃんとコミュニティを守って生きてきた。これからもそうだ。だが、最近の若い者には知性がない。そんなヤツらの中にリーダーになりたがるヤツが居るが、知性がないので何をしたらいいかわからないでいる。本来、ちゃんとした能力のある者がリーダーになるべきなんだ。リーダーになりたがっているヤツじゃなくてね」と。小さくても組織を動かしてきた私にはずしっと重く響くことばだった。
14年05月28日(水)  今日はつばさ保育園園児のマテ貝掘りだった。場所はいつもの島原外港。最初は私もこどもたちに混じって掘っていたが、23日以降の疲労が抜け切れておらず、後半はバスの中で寝ていた。ウーン.....ゾンビどうした?
14年05月27日(火)  昨日は大学病院の診察日だった。クスリは2週間分貰うので、診察は2週間毎になる。が、昨日はクスリが9個残っていた。ASKA氏の覚醒剤使用が報道を賑わわせるようになってから、私も1日2錠のところを1錠で済ませてきたので余ったのだ。昨日また2週間分貰ったが、そろそろヤクに依存する生活から抜け出そうと思っている。だから次回は2週間後ではなく、いつになるかわからない。 
14年05月26日(月)  昨夜見ることができなかったBjリーグのファイナルを録画で見た。面白い!私はBjが出来た当初の試合は嫌いだった。二流の外人が日本にやって来てテレテレやっていたからだ。しかし変わった。チームサイドも変わったのだろうが運営サイドの人たちの努力の賜だろう。敬意を表する。今や間違いなく日本のバスケットボール界の普及発展の牽引車になっているのは間違いない。備考:この感想は、大村発信のBjリーグの噂に対する私の思いとは何の関係もない。ファイナルを見た私の素直な感想である。中学やミニバスの指導にまた元気を貰った。 
14年05月25日(日)  初戦の城北戦は51対46で負け、敗者戦の対玉名戦は58対38で負けた。ただ景色を見ているだけの目を、何かを思っている目にしたい。何かを捜している目にしたい。頑張った自分を自分で誉めてやれる選手にしたい。不甲斐ない自分を自分で叱りとばせる選手にしたい。我慢は続く............... 
14年05月24日(土)  大牟田市の田隈中学校で行われたフタバヤスポーツカップに参加させて貰った。福岡・熊本・佐賀・長崎から計16チームが集まり、4つのブロックに分けて予選トーナメントを行った。ひがながは初戦大川中に44対39で勝ったが次の試合は鹿南中に47対44で負け、2位で明日の決勝トーナメントに進むことになった。試合が終わって長崎に帰り着くまで、誰が見ても苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは自分でも分かる。帰途、マイクロバスを運転しながら私の頭の中は、3週間後の中総体を終えたあとの練習メニューが走馬燈のように駆け巡っていた。今すぐにでも心身共に鍛え直したいところだが、あと3週間では間に合わない。あと3週間は追い込み過ぎず、現状の力を充分発揮させることだけを考えて指導しなければならない。我慢だ!明日は6時半出発。
14年05月23日(金)  「…」 
14年05月22日(木)  今日と明日はブログも休みます。休養です。この期間は私に話しかけないでください。Huuuuu.............. 
14年05月21日(水)  朝から歯医者に行っただけで練習まで暇だったので今日も講演資料に目を通してみた。すると見つかる見つかる。内容の差し替えやアニメーション設定の変更など修正箇所がたくさん出てきた。あと3回ぐらいでは済まないようだ。本の執筆もそうだが、文面が思い浮かばない時は適当に書きなぐっておいてしばらく時間を置いてから見るとスラルラッと文章が繋がることがある。書き物をする時は根を詰めてやらない方がいいようだ。
14年05月20日(火)  今日は夕方の練習指導までは何もなかったので、来月の枕崎クリニックの座学の資料作成と、8月の鹿児島市教委主催の講演資料の二つを作った。3月の厚生年金病院での講演の資料は、前年の8月には一旦資料を作り上げ、間を置いて読み返しながら修正を加え、結局「これでヨシ!」という資料が出来上がったのは2月下旬だった。枕崎の資料はバスケットに関する座学。鹿児島市教委の講演は教育講演。どちらも過去何度もやったことがあるから資料作成にはそれほど時間を取られないが、慣れているとはいえ直前にバタバタ用意しても良い資料は作れない。枕崎クリニックまではあと1ヶ月あるが、当日までには少なくとも3回は手直しをするだろう。 
14年05月19日(月)  昨日は運動会だったので練習はしなかったが、代休日の今日は午後1時から3時半までの割り当てで練習だった。が、選手たちはボーッとしていて表情も冴えないし身体の切れも悪い。運動会後遺症だ。こんな時は叱り飛ばしてもしごいても効果はない。だから3時で切り上げた。ホンモノになるにはまだまだ時間がかかる。フー。
14年05月18日(日)  今日はひがながの運動会。午前中は曇りで少し風があり、最高の運動会日和だったが午後から雲が切れたので暑くなった。でも生徒は元気だ。この前の川遊びもそうだが、コートから離れた活動ではまたこどもたちの違った一面が発見出来る。 
14年05月17日(土)  このところずっと朝起きるのがつらい。身体が重く、疲れが抜けないのだ。原因は分かっている。毎日の指導の声出しだ。長話はしないが、プレイの説明は腹筋が痛くなるくらいに渾身の力を込めてする。それに肝心なプレイは師範も加えるのであちこちの筋肉痛も抜けない。その疲れが少しずつ溜まっていくのである。鶴鳴在職中も4月から7月まではいつもそうだった。この期間は新入生が加わって3学年揃ったところで、教育と躾をし直す重要な期間なのだ。フーッ。
14年05月16日(金)  昨日はトピックが2つ重なったので古海五月のトピックだけにした。実は昨日はつばさ保育園のつき組さんたちをバスに乗せて琴海町のたんぼに田植えに行ったのだ。ここは、稲が伸び始めたら虫を退治するのに農薬は使わず、アイガモを放して虫を食べて貰って無農薬米を作るのだそうだ。こどもたちはたんぼを飛び回っているブヨに刺されないようにタマネギ袋をかぶって田植えをした。最初はおっかなビックリだったが田植えが終わるとみんなで隣りのたんぼでどろんこ遊びに興じた。先日のひがながのこどもたちの川遊びもそうだが、自然の中で無心に遊んでいるこどもたちを見ると心が癒され、いつまでも見ていたくなる。
14年05月15日(木)  昨日の日本バスケットボール協会の理事会で、日本代表男子チームのアシスタントコーチに古海五月の就任が決まった。男子チームのスタッフに女性が?と思う人も多いだろう。4月5日の欄でWJBL準決勝の2試合に私が苦言を呈したことを思い出して貰いたい。男子はこれよりもっと面白くない。そこに気が付いた日本協会が古海五月に白羽の矢を立てたのである。プレイだけでなく、選手に人間的な躾をしてくれるのは彼女以外に居ないと思ったのだ。それには根拠がある。過去2年間の彼女の味トレの専任コーチの仕事ぶりや言動を見ていて日本バスケを立て直してもらうのは彼女しか居ないと確信したのだ。これは古海五月が身内だから身びいきで言うのではない。私も心底そう思う。ちなみに私は、WJBLのファイナル2日目(19日)が終わったあと、解説の小畑亜章子さんに電話をかけて「君の解説は的確で奧が深く、面白かったぞ」と感想を述べたし、試合終了間際に痛恨のパスミスをして勝利を逃したデンソーの伊集南選手に電話をかけ「あのパスミスは気にするな。君がWJBLに加入しくれたおかげでWJBLの試合に興味を持つ人が確実に増えたぞ」と伝えた。小畑選手(富岡高→デンソー)も伊集選手(糸満高→筑波大→デンソー)も鶴鳴卒ではない。日本のバスケットボール界を盛り上げるのに「俺の教え子だ」とか「俺のグループではない」などのつまらない派閥意識は要らない。
14年05月14日(水)  現在ひがながの選手たちは33名である。そのうち、強い相手と戦う試合に使う8名(2年6名、3年2名)、強い相手でなけければ試合に使える12名(3年4名、2年2名、1年6名)、素人から始めたので公式試合出場は無理なのが13名(3年5名、2年2名、1年6名)のグループに分かれる。4月中は1年生の素人6人には、3年生から巡回で指導担当を付け、コート外の狭い場所でドリブルやミート等の個人技を練習させていたが、5月になるとそれらの素人1年生も全て主力選手たちの練習に混ぜて練習させている。もちろんそんなやり方をすると主力選手たちの練習時間が少なくなる。が、部活動の効果の中には、試合に勝つということだけでなく、強くなることを目指しながらその中で起こる出来事により人間性を高めるということが含まれるので、そんなやり方をするのだ。素人新入生は「先輩と一緒に練習させて貰った」という充実感が残るし、主力の上級生は、素人新入生に声かけをしてやりながら「教えるって難しいなあ」と学ぶ。長い目で見るとそれが部活動の充実に繋がり、それが個人の人間性を高めることに繋がり、それが試合の際どい場面で踏みとどまるしたたかさに繋がっていくと思うのだ。33人すべてにアンテナを張るのはとても疲れるが、それは指導者の宿命だと思う。
14年05月13日(火)  3日連続で川遊びの事について話す。最初川遊びに出かけたのは3年生3人だった。その話を聞いて、3年生のアヤの妹の結子(小2)をクルマに乗せて行って私も参加した。その時、釣り餌の小エビを買い、釣り竿を3本と網を持っていった。しばらくすると2年生が6人やってきた。そして総勢10人で遊び始めた。私は一緒に遊びながら感動を覚えていた。原宿や渋谷で見かける中学生とは大違いなのだ。小魚を釣り上げては大喜びし、手長エビに怖がり、自然と戯れるこの子たちを見ながら「日本の将来は大丈夫だ」と思った。ずいぶん前にさだまさし氏が鶴鳴に講演に来てくれたことがある。その時体育館の壇上からさだ氏が発した第一声は「君達はすばらしい。純粋だ!」だった。「東京で見かける子たちの髪は赤や金色だし、目の周りは真っ黒なのがたくさんいるぞ」と言った。私は無心に川遊びをするひがながの選手たちと遊びながらさだまさし氏のことばを思い出していた。
14年05月12日(月)  キエが持ち帰ったウナギはお母さんに拒否されてまた川に戻したそうだ。だろうなあ。素人でウナギを捌いて料理出来る人はいないよ。ポリ袋に入れて持ち帰ったが川に戻す時にはまだ生きてたという。生命力あるなあ。キエもこんなしたたかな選手になって欲しい。
14年05月11日(日)  長与中との練習試合は8−2−8のスクリメージを3セットやった。2本目まではなんとか戦えたが3本目はズタズタだった。これが今のひがながの現状だ。怒っても嘆いても仕方がない。根気強く指導するしかない。ところで午後ひがながの選手たちが現川川(字を間違ったわけではない。うつつがわという町を流れている川なのだ)で川遊びをしているというので立ち寄ってみた。すると、キャプテンのキエがなんとうなぎ釣り上げた。キエーッ!お前、そんなすごいことできるんならもっとバスケットに活かせよ! 
14年05月10日(土)  明日は長与中に練習試合に出かける。中総体のエントリー12名だけでの強化事業だ。明日はエントリー外の選手は休みとし、今日はエントリー選手は休みとしてエントリー外の選手だけの練習とした。ただし、エントリー選手の3年生からA子とB子の2人が今日の練習に自主参加した。明日、公立高校のオープンスクールに参加するので練習試合に行けないから今日の練習に参加したのだそうだ。今日の練習は、一通りの練習をしたあと初心者の1年生も含めて2チームに分けてスクリメージをした。AチームのコーチをA子、BチームのコーチをB子として競わせた。そこで思わぬ発見をした。A子もB子もエントリーには入ってるもののスタメンではない。そして日頃の練習ではあまり声を出さず、どちらかと言えば消極的な選手(だと思っていた)だ。ところが今日のコーチぶりには目を見張った。自チームの選手に指示を出す内容も声の出し方も専門家並なのだ。小学4年生からずっと見続けてきたA子たちを、私はまだまだこどもだとしか見ていなかったが、いつの間にかおとなになっていると強く感じた。
14年05月09日(金)  金曜日のひがながの練習は毎週オフだ。4月下旬から5月上旬までクリニックやアドバイザーで出かけることが多く、疲れが溜まっていたので今日のオフは助かった。そんな時絶妙のタイミングで贈り物が届いた。送り主はM氏。贈り物はairweave。4月下旬のクリニックでは神村学園の体育教官室のソファーで寝たというのを知ったM氏が「コレだ!」と思って送ったのだそうだ。「どこに寝ても腰に優しく安眠できるので遠征に持って行ってください」というコメント付きだ。ベルトを肩に掛けてバッグを担ぎ、部屋の中でトリプルアクセルを試みたが半回転もできなかった。
14年05月08日(木)  朝からつばさ保育園のつき組(年長)さん23名をマイクロバスに乗せて、東彼杵町の総合会館段ボールで作ったデコイチを見せに行った。南島原市在住の島英雄さんの作品。15歳の時に作り始めて50年かかって完成したのだそうだ。フエーッ! 
14年05月07日(水)  長崎市田中町の卸団地内にあるつばさ保育園とは、平成17年に始めた「幼児の足趾形態の発育発達」の研究に対する協力依頼をしてから10年のお付き合いになる。理事長が古賀の造園業の社長なので園舎を取り巻く環境整備には独自のこだわりがあり、これまでも「ここはハウステンボスミニ版か?」と思うぐらい自然に恵まれた園だった。しかしそれでは飽きたらず、現在の園舎の前の里山を少し削ってそこに新築することにしたそうだ。8月下旬の完成予定らしい。現在骨組みがほぼ出来上がっているが、外観は「ドーム?」と見間違うほどだ。
14年05月06日(代)  昨夜長距離ドライブで帰ってきて今朝は早朝から飯盛体育館で中学生10チームによる錬成会。さっすがに疲れた。倉敷では鶴鳴に帯同したものの采配を振るうわけではないので1観戦者でもいいはずなのに試合毎に変わっていく鶴鳴から目が離せないし、また合宿アドバイザーの役目もあるので全試合気が抜けないから疲れるのだ。今日のひがながは午後からまったくダメだった。放心だ。こんな時は檄を飛ばしながらもケガをさせたら元も子もないので交替には気を使う。連休中に県外の某高校の監督からケガ人の相談があった。足首をやったらしい。画像を送らせたが外側側副靱帯(前距腓・踵腓・後距腓)損傷ではなさそうだ。指で示した部分が痛いらしく、本人の申告によればゴキッと音がしたという。画像だけの情報ではアキレス腱?腓骨筋腱脱臼?などなどよくわからないが、今日送ってもらった画像を見たら腫れの状態からして踵骨の骨折もあるかもしれないと疑った。明日専門医に診て貰うそうだが短期で治りそうでないのは確かなようだ。この画像のY選手は高校生最後の総体を棒に振らなければならない。しかもチームのエースだ。無念だろう。冬休み・夏休み・春休み・5月連休は中学生高校生問わず、強くなりたいチームはどこも強化錬成会をやる。我々指導者が常に気がけておかなければならないのは「頑張らせることはとても大切だが、それと同じくらいやらせすぎないことも大切だ」ということだ。備考:念のために言っておくがY選手の監督はやらせすぎる監督ではない。不慮の事故によるケガだった。
14年05月05日(祭)  鶴鳴の倉敷カップは9時開始の2連戦で10時半に終了した。合宿総評は、「鶴鳴の選手の目付きが変わった。1人1人から、勝ちたいオーラが出ている」である。これは私の感想ではなく、参加した他校の監督の感想だ。これが鶴鳴の明日に繋がるだけでなく、国体に向けての長崎県バスケットボール界の推進力に少しでも役に立ってくれれば嬉しい。 
14年05月04日(日)  2日目の午後になると、勝つはずのチームが負けたりするケースが出てくる。でもそれもまた財産のひとつである。そんな中で今日は監督のチェックをした。建設的じゃないことばを発した監督にペナルティを与えるのだ。 
14年05月03日(土)  倉敷カップ初日。鶴鳴はみんないい顔をして試合をしていた。いつもこんな試合をしてくれるなら何はさておいても応援に行きたくなる。また、西海町でのトマトカップでひがながはハナ&ルナが居なかった(結婚式)にもかかわらず予選リーグ1位突破だそうな。ハッピーハッピー(^o^) 
14年05月02日(金)  夕方5時1分に鶴鳴を出発して11時10分に倉敷翆松高校に着いた。田口先生が4時間私が2時間運転した。途中神村学園の進藤先生から電話がかかってきた。残された3匹の猫の件だった。2匹は母親が取れ戻しに来たがもっとも身体が小さかった仔猫は死んだそうだ。合掌。
14年05月01日(木)  とっても疲れているし、腰の痛みも強くなった。トラムセットに加えて今日は坐薬も使った。早く寝よう。 
14年04月30日(水)  昨夜は神村学園の体育教官室のソファーで寝た。夜10時過ぎに部屋の隅でガサゴソ音がする。調べると黒猫が潜んでいた。黒猫は私の顔を見るなりパニックを起こして逃げだし口を捜して部屋中を走り回った。「お前どっから迷い込んだ?ほら逃げろ」と言って教官室のドアを開けてやったらダッと逃げ出した。しばらくするとまた音がする。見ると仔猫が5匹身を寄せ合っていた。さっきの黒猫は此処でこどもを産んだのだ。夜は私がこの部屋に寝るので母猫は警戒して入って来ないだろう。そこで段ボール箱に毛布を敷いてやり、体育教官室の外の体育館の隅に置いてやった。今朝見ると2匹居なくなっていた。母猫が連れ戻しに来たのだろう。夕方神村学園のクリニックが終わるまで母猫は現れず、3匹はそのままだった。帰り際、牛乳を買いに行きそれを綿棒に浸して嘗めさせ、「今夜ママに連れ戻しに来て貰えよ」と言って神村学園をあとにした。無事今夜迎えに来て貰えるかしら。ちょっと心配。 
14年04月29日(祭)  鹿屋2日目。課題について改良しなければならない大きな問題点はない。あとは40分間選手の集中力が途切れないようにベンチ采配でカバーするだけである。進藤先生の双肩にかかっている。 
14年04月28日(月)  昨夜は夜通しバスケットの夢を見ていた。琴海戦の再現の夢ではないのだが琴海戦が脳裡に焼き付いていたから見た夢だと思う。ぼんやりそんなことを考えながら朝一番に大学病院に行き、それから諫早発10時38分のかもめ16号に乗って鹿児島に向かった。今日は鹿屋体育大学にスクリメージをやってもらいながら神村学園の手直し。要点は試合の流れのつかみ方やゆさぶりや崩し、その効き目を確かめる目である。
14年04月27日(日)  琴海にボッコボコにやられました。こんな試合の中で抵抗した1本はとても大きな財産になるのですが、それは片方の指で数えられるほどしかありませんでした。先々週の鶴鳴杯で西有家にやられた時も今日と同じく大差で負けた試合でしたが財産に残ったプレイは両手から溢れました。このギャップを埋めてやるには認知レベルを引き上げてやるしかありません。 
14年04月26日(土) 長崎新聞社杯初日。小江原中に勝ちはしたものの「危なっかしいなあ」は相変わらずだ。危なっかしいの原因は「捨てる」がなかなかできないからである。プレイは練習したことをちゃんとやることが大切だが、やらずに捨てることも同じくらい大切である。もちろん「捨てる」ことの重要性は毎日教えている、「捨てるもプレイのうちだぞ」と。でも、理屈では分かっていても「もったいない」と思うのが人間の心情なのだ。
14年04月25日(金)  私の風邪は嫁に移るだろうと思ったいたら案の定移った。今朝計った熱が38.7℃もあった。なぜ嫁に移ると思ったのかというと、この風邪はインフルではないが悪玉風邪という感じがしていたからだ。もう平熱に戻った私の身体もフワフワしていて熱がある時のような感じが続いている。たちが悪い。だから、練習指導でもフラッとなりそうなので急な動きは控えている。怖いのはひがながの選手への伝染だ。飯盛体育館への送迎では私は選手に移さないよう必ずマスクを装着する。さらに、顔とマスクの間の隙間を埋めるためにマスク内側のぐるりに両面テープを貼り付けて使用する。帰宅してマスクを外す時はとても痛い。顔面の皮も持って行かれそうだ。
14年04月24日(木)  私がひがながバスケのお手伝いをするようになってから飯盛体育館を使う回数が増えた。理由は週2回半面のコートしか使えない練習では部活動運ができないからである。しかし、保護者に車出しはさせない。すべて私のバスで送迎する。4月になって新入生部員が増え、総勢33人になった。バスはいつもすしずめである。中尾ダム前に借りている駐車場を出発し、行きは学校でピックアップ→侍石→戸石小学校前→飯盛体育館。帰りは戸石小学校前通過→矢上大橋→番所橋(塾通いの生徒を降ろす)→エレナ前(塾通いの生徒)→高城台団地→東町(彩ヶ丘団地)→鶴の尾団地→松原バス停→古賀バス停→つつじヶ丘団地→天童保育園→古賀→古賀駅付近で最後の生徒を降ろしてバス置き場まで戻る。全行程約38qのコースである。時間は丁度1時間かかる。 
14年04月23日(水)  朝の体温は37.0℃で夕方は36.8℃だった。咳も鼻汁もハンカチ1枚では間に合わないが、今度こそ峠は越えただろう。練習でも今日は声が出せた。しかし、見本を示すとフラッとする。風邪は峠を越えたが身体は復元していないようだ。最近の練習指導はとても苦しい。「こうするんだ」と教えるのはたやすいが、「こうなるかもしれない」とか「こうなるだろう」と判断や推測できる選手がなかなか育ってこないからだ。練習が終わって次の日の練習までの間は、何をしていてもあの選手この選手、あの場面この場面が頻繁に登場し、仕事の手が止まる。 
14年04月22日(火)  朝の体温は37.2℃だったので峠は越えたのかなと思った。だから午後から起き出して少しだけパソコンをいじった。夕方5時頃、身体がビリビリするし節々が痛むので熱を計ってみたら37.7℃だった。まだ峠は越えていないようだ。今日は飯盛体育館が取れなかったし、学校の体育館も使えない日なのでひがながの練習は休みだったから助かった。明日午後3時までにはしっかり治さなければ…フーッ。 
14年04月21日(月)  17日(水)に喉が痛くなった。練習指導で大きな声を出したから咽を傷めたかなと思っていたら風邪だった。昨日の夕方熱が出た。38.5℃だった。皮膚も筋肉も節々も痛い。今朝は38℃だった。熱は午後上がる。今日の午後に38.5℃を越えればひがながの指導を休まなければならないと思ってずっと寝ていたが、午後熱を計ったら37.7℃だったので練習指導に出かけた。指導だけなら中島監督で大丈夫なのだが、今日は飯盛体育館を借りているので選手を運ばなければならない。中島監督もマイクロバスは運転できるが、新入生が入ってきて33人になったので、マイクロバス1台では運べず、中島監督のBOXYも使わなければならない。だから私が休めばひがながの選手は身動きがとれないのだ。だから頑張った。今日は自分にハナマルあげよう。
14年04月20日(日)  本日(20日)午後1時10分開始の、県下高校春季戦の西海学園対鶴鳴の試合を観に行きます。午後1時からはBSでJX対デンソーの決勝生中継がありますが、それは録画で観ます。西海学園対鶴鳴の観戦が優先なのです。鶴鳴と西海学園にとってこの戦いは関ヶ原です。もし負ければ、双方今期残りの大会はすべてベスト4に入れない組合せになると思います。その正念場の試合を監督や選手がどんな顔をしてどんな態度で臨むかを見届けて来ようと思うのです。正念場というのは誰の生活の中にもあり、正念場に置かれた時にその人物のホンモノが露出します。ホンモノというのは、長い間の積み重ねで培うものなので、この試合だけ頑張ってもその成果は現れません。逆に、たとえ負けたとしてもこれまでの生き方がホンモノならば今後の展望に明るいものを見出せると思います。それを見届けてきます。ひがながの選手たちの顔を思い浮かべながら…
上記は本日午前中にひがながの関係者にラインで知らせた内容である。観戦の感想はこの欄では述べない。試合結果は77対70で鶴鳴が勝った
14年04月19日(土)  夕方太田さんから飲み会に誘われた。場所は浜の町の我が母(わがまま)という料理屋だ。私はてっきり太田さんの全国クラブチーム選手権大会2連覇の祝勝会かと思っていたがそうではなく、太田夫妻の還暦祝の飲み会だった。全国レベルで毎回のように上位入賞していればクラブ選手権2連覇なんて偉業ではなくなるのか?いやいやそうではないだろう。先日全国ミニバス大会で長崎ジュニア(女子)と大園小(男子)がアベック優勝した。快挙だ。大園小のコーチは又村(鶴鳴卒)なので、仲間に呼びかけて祝勝会をする段取りをさせている。飲み会や祝勝会が最良の手段だとは思わないが、こんなにすごい人たちが長崎のバスケット界に居るのに、情報が広まらないしもうひとつ盛り上がらないのがもどかしい。
14年04月18日(金)  ひがながの練習はオフ。朝からつばさ保育園のつき組さん(24名)をイチゴ狩りに連れて行った。小雨だったがビニールハウスの中なので大丈夫なのだ。たくさん取りすぎて身動きできない子も居た。昨日から喉が痛かったのはバスケ指導で大きな声を出したからだと思っていたが実は風邪を引いていた。それが今日わかったので、イチゴ狩りのあとは終日家でじっとしていることにした。Zzzzzz...........(-_-) 
14年04月17日(木)  先週末(12日・13日)はBJリーグ秋田ノーザンハピネッツの最終ホームゲームなので、太田さん以下教え子数人が観に行ったらしい。太田さんは監督のカズさんが1面トップ全面に載った秋田さきがけ新聞を持って帰ってきた。私はそれを持って川崎先生が入院している愛宕病院に行った。川崎先生はめずらしく起きていた。新聞を見せて「ほら、カズさんだよ。今秋田でプロバスケットのコーチをしている」と言って新聞を指差したら、川崎先生はジッとそれを見ていたが「オー」と言った。ここ数年は見舞いに行ってもこちらを認識して貰えず、今日もそうだと思っていたので私も「ウワー、わかったあ?」と大声を出してしまった。10日が誕生日で99歳になられた。
14年04月16日(水)  トラムセットを1日2錠服用する場合は朝食後1錠夕食後1錠となっている。それを今週から朝食後1錠だけで済まそうとしたがトラムセットの半減期が7時間なので、夕方のバスケット指導時まで朝1錠の効果は持続しない。だから主治医と相談して朝8時頃1錠、午後は4時頃1錠服用して夕方のバスケット指導をすることにした。あ〜あ、いつになったらトラムセットから解放されるのかしら。もう2ヶ月になるのに…。 
14年04月15日(火)  昨日のひがながの練習は飯盛体育館ではなく学校でやる日だったので家から走って行った。片道2.2qだ。2日続けて鶴鳴杯の審判を1日2回ずつ計4回してもなんともなかったので、これを機に自分を鍛え直そうと思ったのだ。朝からトラムセットを1錠服用していたので大丈夫だと思ったが、痛くて走れなくなり最後は歩いてしまった。帰りは中島先生の車で家まで送ってもらった。帰ってからも痛かったので坐薬を使った。今朝は1錠服用し午後からセントヒル長崎で行われた「長崎県競技力向上対策本部委員会」に出席した。会議は椅子に座っているだけだったので痛みはあまり強くならず、夕方のトラムセットは服用しないで床に着けそうだ。
14年04月14日(月)  水曜日(9日)に長崎女子短大の浦川新学長にご挨拶に伺った際に突然頼まれて、今日の朝の1・2コマ目の生涯学習論で講演をした。水曜日の雑談の中で学長が私に、「先生、勝負のギリギリの場面で勝ちきる力って何ですか?」と質問されたので私は、「技術でも体力でもなく人間力ですよ」と答えたら学長が、「ソレソレ!その話今度うちの学生にしてくださいよ」と言われ、今日の講演になったのだ。
14年04月13日(日)  鶴鳴杯最終日。1位グループ優勝琴海、2位西有家、3位長与第二、4位橘。2位グループ1位東長崎、2位式見、3位光海、4位第一鹿屋、3位グループ、1位城西、2位桜が原、3位梅香崎、4位小ヶ倉で終了。ひがながは2位グループでは2勝したが、試合内容は満足できないものだった。強くはなっているのだが、選手の目と頭に「こうする」はあるが「こうなるだろう」とか「こうなるかもしれない」がなかなか根付かないのだ。
14年04月12日(土)  鶴鳴杯初日。ひがながは佐賀の城西には勝ったものの西有家に負け、明日は2位グループトーナメントに廻ることになった。西有家には大差で負けたが大丈夫だ。強くなっている。メンタル面も、技術面も、場面理解も、鳴門海峡通過中って感じ。抜ければ太平洋、ドンと来いなのだが…
14年04月11日(金)  昨日、倉敷の中野先生から「ゴールデンウィークの倉敷カップには来ていただけますよね」という電話があった。「ウーン、鶴鳴が行かないのに俺1人で行くのもなあ…」と言ったら「鶴鳴は参加すると言ってましたよ」という。鶴鳴の県外遠征は私のバスを使う。バスだけ貸して私が行かないとなれば集まった仲間ががっかりするだろう。そこで急遽倉敷カップには同行することにした。その後すぐ今度は鹿児島から要請があり、5月の月末は鹿児島に行くことになった。ひがながの練習には穴を空けるが、自己チェックのためのよい機会だと思って欲しい。
14年04月10日(木)  11日(金)に実力テストがあるのでひがながは本来10日まで部活禁止である。ただし、試合直前のチームはその規定には縛られない。バスケ部は今週末鶴鳴杯に参加するので、昨日と今日は1時間限定で練習ができる。1時間だけだが、クリニックや合同練習に比べて単一チームの指導というのは個人の課題もチームの課題も明確にフォーカスできるので充実感がある。 
14年04月09日(水)  本日昼過ぎ、カレッジバスケットボール女子NCAAトーナメントは、UConnがNotre Dameを79対58で破って優勝した。男女アベック優勝だ。すごい!私は昼間大学病院での腰の診察だったので外出していてパソコンを見ることができなかったが、実況放送(米軍基地内)を見ていたミニバスの指導者Eさんが逐一メールで進行状況を知らせてくれた。「日本代表が世界で戦うには間宮選手がカギを握っていると思います」という感想付きの報告だった。日本代表のみなさん、片田舎のミニバスの指導者でそこまで考えながらNCAAトーナメントを観ている人がいるということを忘れないでください。 
14年04月08日(火)  昨年の9月27日深夜0時(midnight madness)に始まったカレッジバスケットボールの戦いは日本時間で今日の昼過ぎ、UCONNが60対54でUKを下して決着がついた。UCONNのジム・カルフーンコーチは私と同じ1942年生まれで71歳である。UCLAのジョン・ウッドゥンコーチ(65歳)、ノースカロライナのディーンスミス(66歳)、インディアナ→テキサツテックのボビイナイト(68歳)、さらにケンタッキー大学のアドルフラップコーチ(70歳)をも越えた。私もあっちが痛いこっちが痛いとは言ってられない。訂正:ジムカルフーンは2012(69歳)で辞めてました。その後現在はKevin Ollie(41歳)が引き継いでいます。
14年04月07日(月)  今日ひがながの練習は休みだ。昨日指導中に少し素早いプレイの見本を示したらヨロッとなった。正月明けからずっと腰痛で走っておらず、単発のプレイだけしかやって見せないのでこんなことになったのだろう。これはいかんと思って今日団地内を走った。グーグルマップで調べたら3.6qだった。でも、長〜く走るとやっぱり不整脈が出る。ウー 
14年04月06日(日)  NBL北海道(ペレス)栃木(シレイカ)千葉(ゲーリー)日立(ルイス)トヨタ(ベック)東芝(北)つくば(ヒル)アイシン(鈴木)三菱(ラング)和歌山(ジェリコ)兵庫(ダニー)熊本(ノーマン)
WJBLJX(佐藤)トヨタ(後藤)富士通(藪内)シャンソン(木村)三菱(山下)新潟(衛藤)デンソー(小島)アイシン(山田)紡織(中川)ハイテク(高木)羽田(星澤)
BJ青森(棟方)秋田(中村)岩手(桶谷)仙台(河内)新潟(平岡)富山(ナッシュ)信州(河合)群馬(ブラックウェル)埼玉(石橋)東京(青木)横浜(?)浜松(東野)滋賀(クリス)京都(浜口)大阪(東頭)奈良(遠山)島根(ハンソン)高松(前田)福岡(ダンカン)大分(鈴木)琉球(伊佐)
上記日本のトップレベル44チームのうち28名の日本人ヘッドコーチの方々、7年後の東京オリンピック開催に向けて、日本のバスケ界を奮い立たせてください。ミニバスのこどもたちに希望と勇気をください。
14年04月05日(土)  午後からWリーグ準決勝2試合の実況放送を見た。生ぬるい。昔は、オールジャパンやWリーグの試合を見たあと帰ってから自分のチームの練習を見るとひどく貧弱に見えたものだが、今日はまだヨチヨチ歩きのひがながチームを午前中指導してから家に帰ってテレビを見たのに、「Wリーグの試合はスピードとパワーが違うなあ」という感じをまったく受けないのである。私は日本のバスケットをメジャーにするには女子が頑張らなければならないと思っている。男子は国際大会で上位入賞するのは非情に難しいが女子はその可能性があるからだ。だが、日本のトップのチームがこんな試合をするようではそれも危うい。地方のミニバスの指導者や選手はもっとがんばっている。そういう人たちをがっかりさせるないで欲しい。
14年04月04日(金)  集団の一員として大切なことは、他のメンバーに気を使わせたりシラケさせたりしないことである。集団とは、家族、クラス、部活、会社などなどを指す。その中の1人(図の中の●)が暗い顔や不機嫌そうな顔や悲しそうな顔をしていると他のメンバーはそのことが気になる。それは●だけでなく、その日のその集団全員の前進を阻む。今日のひがながでの訓話である。 
14年04月03日(木)  今日は古賀小ミニバスからひがながバスケ部に入部希望している選手が全員練習に来た。新2年生と新3年生にとっての今日のテーマは”新入生を正しく導く”である。自分はできるけれども教えるのが下手な選手は本当の意味での”できる選手”ではない。それを下級生や小学生に的確に教えることができて初めて”できる選手”と言える。新2年生と新3年生に「今日から当分の間新入生専用のアンテナを1本増やせ」と命じた。 
14年04月02日(水)  右側の腸腰筋が痛いことに気がついた。腸腰筋というのは骨盤内を縦に走っている筋肉でモモ上げをする時に使われる。最近はランニングもしていないし、ひがながのバスケット指導も汗をかくほど身体は動かさない。な〜んでだろうと考えていてふと思い出した。3月末の宇部クリニックはひがながの指導より身体を動かしたのでそれかもしれない。だとすれば症状が出るまでに4日経過している。災害は忘れた頃にやってくる…かあ。
14年04月01日(火)  鶴鳴学園を辞めることを決めたのは一昨年の7月4日だが辞めたのは昨年の3月31日である。辞めてから丁度1年経った。辞める前は、辞めた後の自分がどういう生活をしているのかまったく想像できなかったが、けっこう忙しく動き回っている。何より驚いているのは、トラムセット(消炎鎮痛剤)やディオバン(降圧剤)やプラザキサ(血液サラサラ)等のクスリのお世話にはなっているものの、間もなく72歳になるには動ける身体であることだ。あと何年(何ヶ月?)動き続けることができるかわからないが、がんばってみる。よろしくお願いします。