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昭和43年11月開館。国の重要文化財に指定されています。 記念館として使用している建物は、明治18年に鰯網工場として用いるためにド・ロ神父自らが設計・施工し、翌年からは保育所として使用されたもの。 現在はド・ロ神父の遺品が展示されています。 建物一番奥の柱時計は今でも正確に時を刻んでいます。 |
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本名:マルコ・マリ・ド・ロ(Marc Marie de ROTZ) フランス人宣教師。 長崎へ渡来してきたのは1868(慶応4)年の事でした。 同年、大浦天主堂に石版印刷所を設け、その後は横浜へ転勤したり神学校や教会を建設したりなど地域や人々のため尽力し、1914(大正3)年11月7日、長崎市南山手で逝去しました。 |
1879(明治12)年に外海地方の主任司祭として赴任したフランス人宣教師ド・ロ神父。 布教はもちろん、困窮を極めた暮らしを続ける人々を心身ともに救うため、農業・漁業の両面に力を注ぎました。 ゆかりの地を訪れると建築、製粉、搾油、パン、マカロニなどの製法、農機具、イワシ網工場などあらゆる知識と能力を持ち合わせていたかがわかります。 また、神父が外海を支えた証である建物が点在する出津文化村以外にも、神父が開墾した農耕地や私財を投じて掘った井戸、農作業小屋などが残っています。 野道キリシタン墓地のド・ロ神父の墓では祭典などが行われることもあり、入り口に立派な墓碑が建て られています。 |
1840(天保11).3.26 | フランス・カルバドス県バイユ郡ヴォスロール村に誕生 |
1865(慶応元)年 | バイユの大神学校を卒業。司祭叙階 |
1866(慶応2)年 | ジュリアン教会の補佐司祭になる。 |
1867(慶応3)年 | パリ外国宣教会入会 |
1868(慶応4)年 | 長崎へ渡来、大浦天主堂に石版印刷所を設ける。 |
1871(明治4)年 | 横浜へ転勤。横須賀造船所の小聖堂司牧を兼務し、石版印刷所を設ける |
1873(明治6)年 | 大浦天主堂付司祭となり印刷事業を始める |
1875(明治8)年 | 大浦神学校建設。(現在、国の重要文化財) |
1879(明治12)年 | 外海地区に赴任、出津教会主任司祭となる |
1881(明治14)年 | 青年教育所を開設 |
1882(明治15)年 | 出津教会を建設。(現在、県指定有形文化財) |
1883(明治16)年 | 救助院創設。 パン、マカロニ、ソーメン、織物などの授産事業を始める。(国指定重要文化財:授産場、マカロニ工場) |
1884(明治17)年 | 外海の変岳裏の原野開拓 |
1885(明治18)年 | イワシ網工場、保育所を開設。(国指定重要文化財、現在ド・ロ神父記念館) 水車による製粉工場を設ける。 砥石崎に防波堤をつくる。 腸チフス流行、薬局を設け治療にあたる |
1886(明治19)年 | 長崎県北松浦郡田平、平戸の紐差へ村人を開拓移住 |
1887(明治20)年 | 大村竹松郷に貧民救済の為の土地を購入 |
1891(明治24)年 | 赤痢発生、避病舎設置、青年救護隊を編成。 原野開拓終了 |
1893(明治26)年 | 大野教会建設(県指定有形文化財) 開拓移住終了 |
1895(明治28)年 | 県道改修工事で飢饉に苦しむ村民に食糧・労賃を与えた |
1898(明治31)年 | 出津の野道に共同墓地新設 |
1901(明治34)年 | 変岳に農作業場を設け、茶園を開き農業の普及につとめた |
1910(明治43)年 | 長崎大浦大司教館の設計、建築監修 |
1914(大正3).11.7 | 長崎市南山手で逝去。 出津共同墓地に葬られる(享年74歳) |