如己堂は、白血病と闘いながら、被爆者の救護活動を行っていた永井隆博士が過ごされた場所です。
如己堂のすぐ側には永井隆記念館が建てられています。たくさんの資料があり、永井隆博士について
学習することができます。


永井隆博士について

 1908年2月3日5人兄弟の長男として生ました。島根県松江市出身で、医師である父の影響を受け長崎医科大学に入学する。大学に入学するまではスポーツが苦手な優等生でしたが、大柄な体格だったことからバスケ部に誘われ入部しました。とても熱心に打ち込み、全国大会3位、西日本選手権制覇などに貢献しました。
 1934年8月には、下宿先の一人娘であった緑さんと結婚。一男二女をもうけました。
 1945年6月、放射線研究の影響で白血病と診断され、余命3年と宣告されました。8月9日には長崎に原爆が投下され長崎医大の診察室で被爆し、重症をおいながらも助けを求める人たちのために救護活動を行いました。原爆により妻の緑さんを亡くされました。その後何度か昏睡状態に陥りながらも研究を続けていました。
 1948年には焼けてしまった浦上の町に花を咲かせようと各所に花を寄贈しました。3月には浦上の人たちやカトリック教会の人たちの協力で「如己堂」が完成しました。博士は如己堂で研究や執筆活動を行っていました。
 1951年5月1日、長崎大学付属病院に緊急入院。21時50分 永眠。5月3日には教会葬が行われ、5月14日には長崎公葬が行われました。


如己堂

 如己堂は、被爆者の救護活動や研究による放射線障害と原爆による障害のために病床にあった永井博士のために、1948年に浦上の隣人の方々が建てたものです。
 「如己堂」という名前は建ててくれた人々の心を忘れないよう、聖書の「己の如く人を愛せよ」という言葉から名づけられました。
 2畳1間の住居に2人の子供と永井博士の3人で暮らし、研究や執筆活動を行っていました。


永井隆記念館

 永井隆記念館は如己堂に隣接しており、永井隆博士の遺品や書画、写真などが展示されています。永井隆博士についてたくさんのことを学ぶことができます。
 1階は展示室、2階は図書室になっています。図書室は永井隆博士が原爆の被害にあった子供たちのためにと私財を投じて作られた「うちらの本箱」という読書室が基になっています。


所在地 長崎市上野町22番6号
お問い合わせ 長崎市永井隆記念館
TEL・FAX:095-844-3496
利用時間 9:00〜17:00
利用料金 大人     100円
15歳以下 無料