| 2025年度版 2025年4月~2026年3月 | |
| ’26年03月30日(月) | イターイ!首筋から背中腰にかけて、腹筋も、足は脛だけ。でも2日間じっとしてれば治りそうだ。すべて予想通り。明後日の長崎工業は初めてのクリニックだから見極めを間違えないようにしなければならないが、4・5の早鞆はsの下級生たちがどう変わっているだろうかと興味がある。さあ、始まるぞ。 |
| ’26年03月29日(日) | 再始動2日目。身体はどうなんだろう?今夜寝て明日の朝起きればその状態は分かるが、それによって私の今後が予想できる。すでに足腰があちこち少しずつ痛いから明日にはその筋肉痛が広がっているだろう。しかし、それは「これじゃハイペースすぎるぞ」にはならない程度だと思う。昨日の続きでクリニックの継続について述べよう。私が昨日と今日まったく同じ内容でクリニックを実施したする。しかしそこで述べることばや内容は昨日と今日では微妙に違う。それが60年分上積みされているのが今の私のクリニックである。だから「一発でモノにしようとは思うなよ」と言うのだ。 |
| ’26年03月28日(土) | さて、山崎純男再始動初日。対象は島原中央高校と純心女子高校。内容は明かせない。知りたければオファーを入れるしかない。なお、オファーについて言っておくが、本を読んだり映画を見たりするのと同じでクリニックというのは何回も受けて何回も復習してはじめて「ああ、そういうことだったのか」と気付くものであって、1回のクリニックで大収穫を得ようなんてとんでもなく虫が良すぎる考えだ。私は15歳でバスケを始めたが75歳の時に初めて「ああ、そういうことか」と気付かされたことがある。その間60年費やしてるんだよ。バスケットはそれほど奥の深いスポーツだぜ。 |
| ’26年03月27日(金) | 昨夜は寝付きが悪く、眠りに落ちたという記憶は夜中の1時頃。だから今日の日中は飯食う時間以外はほとんどうつらうつら状態。でも、明日はクリニックで島原まで出かけるので今日は早く寝る。山崎純男いよいよ本格始動だ。 |
| ’26年03月26日(木) | 3/13の島原中央任務を終えてから初めてのクリニック。本当は14日にクリニックがあったのだけれどそれは急な飛び込みだったのでカウントナシとして、今日からが私の人生締めくくりのクリニックだ。久々のU15男女。受講対象の質の差にもよるが男女のクリニックを同時にやると微妙な点で性差が出るのでやり方を少し変えなければならない。その点が久々に難しかった。 |
| ’26年03月25日(水) | 長崎は朝からずっと雨。移動手段にバイクしか持たない私にとっての最大の敵は雨だ。雨が降れば家でじっとしているしかない。今日は1日中読書だった。 |
| ’26年03月24日(火) | 長期単身赴任のダメージは意外に深く、1週間ほど休ませて貰っていたが明日の審判研修会からバスケ活動に戻ろうかなと思っていたら明日の研修が会場の都合で中止になった。それならそこにクリニックを入れようかなと思ったがクリニックはこちらから押しかけるものではない、あくまでオファーがあって動くものなのでクリニックは明後日の島原クリニックから始めよう。 |
| ’26年03月23日(月) | 学童クラブつめくさからお誘いがあったので結の浜まで出かけた。お昼はバーベキューだった。1年ぶりの再会だったが、何より驚いたのは子供たちの成長だ。私が在職中から居る職員に「あの人たち誰?」と聞いた。「3人とも6年生です」という返事が返ってきた。私はてっきり若い職員だと思って聞いたのだが・・・。体格が大きいだけでなくちょっとした立ち居振る舞いがもう大人なのだ。こどもの成長は早い! |
| ’26年03月22日(日) | 次のクリニックは26日、その次が28・29。今月はそれでおしまい。それが済むまではクリニック以外は家でじっとしていて体力を蓄える。4月になればすぐ県外からの依頼が入ってるがそれを皮切りにほぼ土日なしの日々が続くのだろう。島原での最終日までは5日間残って次のクリニックに臨むリハーサルは済ませてきたのでネタには事欠かない。 |
| ’26年03月21日(土) | スマホを見ていたら”教員のわいせつ行為監視のためにカメラを設置することにした”という記事が目に入った。そんな教員をクビにするためじゃなくて監視するためにか?それを決めた人に聞きたいが、それを本当に最良の解決策だと思っているのか? |
| ’26年03月20日(金) | 昨夜は遅くまで、米倉涼子さん主演のドクターX大門未知子地上波完全版を最後まで観たので寝るのが遅くなって今日はまだ眠い。彼女の決めぜりふは「私失敗しないので」だが、山崎純男のコーチ人生最後の決めぜりふはどんなことばだろう? |
| ’26年03月19日(木) | 何年も前からプーチン・金正恩・習近平の暗殺をゴルゴ13に依頼したいと言っていたが、さいとう・たかをさんが死んじゃったのでそれは不可能になった。その後外国人旅行者の評判として日本人のマナーの良さが取り沙汰されたりしているが私はそれも全否定した。さらに、教育者と称する人間のわいせつ行為がやたらに増えたのはどうしたことか。加えて、国会議員の質疑の場での”おじさん”おばさん”発言に至っては、日本民族消滅の証ではないのか?質の低下などというレベルの話ではないぞ。 |
| ’26年03月18日(水) | しかし、身体が疲れていないワケではない。1年間島原通い島原暮らしだったのだから。島原最終日は3/13で、それからもう5日経っているが疲れはまったく抜けない。めまいの症状もまだ抜けないが、こんな症状を甘く考えてると返り討ちに遭う。自分の体力への過信がもっとも危ない。27日までは休めるのでその間に身体を戻すことを最優先にした生活をしよう。 |
| ’26年03月17日(火) | 島原から持ち帰った荷物の整理で半日費やした。できるだけ野球部の寮生が生活している学生寮で過ごすようにしたが、片道1時間半の道程を往復して長崎まで行かなければならない用件が生じる。中にはそれが3日間続く日もある。それが一番辛かった。でも、のどもと過ぎれば熱さ忘れるである。気持ちはもう、次の予約のクリニックに向かっている。 |
| ’26年03月16日(月) | 予定通り、朝10時に近所の耳鼻咽喉科に行った質問されることも医師の解説内容も100パーセント予想通りだった。投薬も何も要らなかったがこんなに熱心に処方してくれたのだから。漢方薬だけ処方して貰ってかえった。帰ったあとは夕方までずっと寝ていた。なにしろまる1年間単身赴任の学生と同じ寮生活。どこかが狂わない方がおかしい。 |
| ’26年03月15日(日) | 昨日のクリニックが終わるとき「明日は終日ベッドインだ、絶対起きないぞ!」と思って寝た。が寝てたのは10時までだった。島原に持って行った荷物の整理やいろいろあって1日中寝てるワケにはいかなくなった。しかし疲れた。ぐったり! |
| ’26年03月14日(土) | 朝10時にバイクで家を出て佐世保に向かった。13時からのクリニックに間に合い、16:30の終了まで3時間半同じテーマに基づいて一貫指導をした。選手たちがやっているプレイは今日のクリニックにかぎらず局面とは無関係の技の品評会に過ぎない。滑り出しの主導権争いの場面、ゲームが落ち着いてきて双方得意なプレイが飛び交って良さそうな局面もそれは変わらない。そんなこと気付いて選手がかかってこなければ練習しているとは言えない。 |
| ’26年03月13日(金) | 今朝は人生初めてのめまいに襲われた。ベッドから立ち上がろうとしたらいきなり景色がグルグル回り始め、壁のどこかを支えにして踏ん張ろうとしたが空振り、そのままドテーッと転んでしまった。明日は予約を受けているクリニックがあるのでそれが終わったらちゃんと耳鼻科に行って処方して貰おうと思う。多分月曜日になるだろう。 |
| ’26年03月12日(木) | 今日の午後練からピタッとめまいが止まった。まだ動きに不安定感はあるがめまいはない。明日長崎に帰るがそのあと専門医の受診を経て対処を決めよう。長崎に帰った後は土日連続でずっとクリニック依頼が入っているし、それを断るわけにはいかない。それが落ち着いてから自分の身体の手入れに手を付けよう。それにしても、まる1年間単身赴任というのは堪えるぞ。なんとかなるさと思って始めたがそう簡単にはいかなかった。 |
| ’26年03月11日(水) | めまいはなぜ起こったのかは自分なりに分析している。おそらくこの1年間の島原単身赴任のストレスが介在していると思う。特に任務終了直前の睡眠不足の連続だろう。こう書けば依頼主の島原中央が気にすると思うので書くのを1日遅らせたのだ。で、なぜ今日書いたかというと「頼まれごとを受け入れるならそれぐらいの覚悟でやれ」と読者に言いたかったからだ。この依頼を受け入れるのは、協会がお世話になっている島原中央への恩返しだし、やれるのは現役を退いた私しかいないと思ったからだ。即ち、いやいやながらやったのではなく私自身の自発的行為だったからだ。だから、今も依頼が続いているあちこちからのクリニックはこんな身体状況ながらも受け入れるつもりでやっている。治すのは3日後に長崎へ戻ったあとに専門医と相談して決める。自分で蒔いた種の後始末は自分でする。心配ご無用。 |
| ’26年03月10日(火) | 今日は街へ出かけてめまいの相談をした。医師は月に1回診て貰っている循環器内科の医師だ。めまいだから神経内科かとも思ったがもう1人医師を増やすのも面倒なのでついでに従来の医師に相談したのだ。予想通り特別な治療は要しない。だから寮から自宅に荷物を運ぶ作業も今日いっぺんにやってしまった。めまいは、急に立ち上がったり向きを変えたりするとふらっとする。めまいそのものはたいしたことないがその拍子に転んだりしないよう気をつけなければならない。 |
| ’26年03月09日(月) | 3/7・8が入試二次募集だったので今日は代休。練習もオフ。今日から任務終了のあと始末をするつもりだったがそれは一旦中止。後始末作業は明日から開始することにした。というのは、今日は朝からグルグルめないがひどくて動く気になれないのだ。たぶん、2日間睡眠不足が続いたので良性発作性頭位めまいを発症したのだと思う。これは無理矢理立ち歩き、アタマをわざと動かしたりするのが治療の早道なので今日1日はそれに時間を費やす。3/28・29、4/4・5、4/11・12と3週続けてクリニック依頼が舞い込んでいるのでのんびりしたり一息入れたりしている暇はない。それまでにめまいの基になっている耳石を取り出さなければならないが、これは耳に水が入った時のようにトントンしても外には出てこないので、アタマを動かす生活をしながら耳石が内耳から鼻の奥を通ってどこかへ落ちていくのを待つしかあるまい。それにしてもアタマが重くて不快だ。最後にトップリーグの報告だが、最後の最後になってチームは最悪のコンディションになって(昨日発熱1人、昨日熱はないが体調不良で身体が重い患者1人、それと2月に傷めた足首捻挫が尾を引いている選手が1人=3人とも主力)チームはガタガタになってしまい。今年になって鶴鳴に2連敗してしまった。神様の中にもいたずら好きで、どうしても私に意地悪をしたいヤツがいるようだ。こうなればプーチンや習近平やトランプだけでなく、このいたずら神も潰してあの世に行かなければならなくなった。 |
| ’26年03月08日(日) | 7日は東京からの研修生の世話、8日は審判員の慰労会で両日とも深夜12時過ぎに寮に帰り着いた。よって、HP更新は2日間サボりました。あと5日間は島原での残務整理に費やしますがそのあとは平常の生活に戻るでしょう。 |
| ’26年03月06日(金) | みなさんほんとうにごめんなさい。パソコン上ではブログの更新をしていたのですが、それをサーバーに転送するのを4日間忘れていました。だから皆さんに「山崎先生、体調崩してるんじゃないだろうか」と心配させてしまったようです。 |
| ’26年03月05日(木) | 明日はWリーグの若手コーチが研修に来る。本当はクリニックを受けに来たかったらしいが私は7日・8日とトップリーグの試合があるし、向こうはその日しか空いていないらしく、結局2日間の試合中ベンチうしろに立たせて貰って私の采配ぶりとタイムアウトなどでどんなことを喋るのかを参考にして持って帰ることにしたらしい。というわけで、島原中央とはあと1週間で縁が切れるがバスケとの縁はず~っと切れそうもない。 |
| ’26年03月04日(水) | 夕方7:30から9:00までの審判研修会に出席した。10時には島原に着く予定だったが、スマホのナビ設定を間違えて40分ロスした。しかも、時間ロスは島原市内に入ってからである。ホント、自分で自分のアタマにげんこつ喰らわしたいくらい腹が立つ。このブログ書き終えたらすぐ寝る。すぐ眠れるかどうかわからんけど。 |
| ’26年03月03日(火) | 昨夜より少し早く寝るつもりだったが、食堂でWBC前の練習試合を見ていたら遅れてしまった。大谷選手は不発。世の中なかなか思うように進まないものだ。 |
| ’26年03月02日(月) | 昨夜は8時に床に就いた。そしたら4時に目が覚めそれからずっと眠れなかった。今日はもうちょっと遅く寝ようと思う。 |
| ’26年03月01日(日) | そんなワケで昨日ベッドに入る時は死ぬほど疲れていて「明日(即ち今日)は指導できるかなあ」と不安だったが、私の疲れのために早上がりをさせることもなく、無事練習指導を務めた。これだと遺言を書かなくてもよさそうだ。 |
| ’26年02月28日(土) | 卒業式なので通常の時間とは違う時間帯での練習になった。そして、きょうから練習メニューを変えた。ディフェンスのやり方をがらりと替えたのだ。メニューを変えると最も疲れるのが私である。しゃべりが多くなり自ら身体を動かすことが多くなるからだ。今日も、練習終了は私がバテたから終わった。これ異常続けていたら多分私は倒れただろう。 |
| ’26年02月27日(金) | 明日が卒業式なので今日は外部でしか練習できない。しかも、夕方7時~9時だ。明日は学校でできるが1週間後に今年度最後の試合が控えているのにオフというわけにもいかない。時にはこういうこともある。 |
| ’26年02月26火(木) | 本当に殴りそうな気持ちになるので、ワンアームの距離より近くには選手に近づかないようにしている。フウ・・・ |
| ’26年02月25日(水) | 今日は終日webとの繋がり状態が悪い。夕方テレビのニュースでwebが繋がりにくくなっていると言っていたが私にはそうは思えない。たぶんキャッシュの問題だと思っていろいろ操作してみたが、パソコンの方は問題なさそうだがスマホがどう操作してもダメなのだ。練習メニューが変わり、説明が多くなってきたので昨日から腹筋が攣りはじめ、今日もそれは続いているが、加えてスマホトラブルが生じて俺の身体は生存の危機にさらされている。だからもう寝る。 |
| ’26年02月24日(火) | ステージ4の大腸がんと闘いながらフルマラソンにチャレンジした警察官の記事をスマホで見つけた。今年は8㎞まで走ったところで時間オーバーとなったが、来年は癌と闘いながら体力も養いまた挑戦すると結んであった。ステージ4なら私と同じ。私は胃癌で全摘後6年半経過し、まだ元気に生きている。日本の片隅で貴君を応援している者が1人居ることを思い、来年もチャレンジしてくれ。 |
| ’26年02月23日(祭) | 身体はクタクタだが朝10時まで寝てたら楽になった。今日は練習オフ。明日から練習再開して、3月7/8両日のトップリーグ戦が終わるまでノンストップでつっ走る。そこで1位になれば九州のトップリーグに参加することになるがその時私は島中央にはいない。ここまで約11ヶ月間立て直しを図ってきたが実情を言うとバスケットを立て直しに来たがバスケットそのものの立て直しに要した時間ははっきり言ってその半分も費やしていない。①立て直しの邪魔をするヤツの排除②日常生活における目配り・気配りの再教育③学校の体制の再構築等々に手を入れなければならないことが多くて正直バスケットを「これで良し!」という域まで引き上げられていない。その中でバスケットの技術としてここまではやっておきたいということが2項目ほどあるがそれをトップリーグの試合を迎える日までに手入れしておきたいのでその2項目をこれから約10日間の突貫工事でたたき込む。かなりの覚悟が要る。その覚悟のためにこうして前もって知らせておく。 |
| ’26年02月22日(日) | 熊本→長崎は自分運転のクルマで1人で佐世保に向かった。今年のコーチライセンス研修は佐世保北高が会場なのだ。午後1時半から4時半まで。昼前には付いたので開始までパソコンwいじっていたら画面が違う。令和26年度版を出したのに令和25年度版になっている。またやらかしたな、と思いながら何もせず島原に持ち帰った。22時過ぎにやっと目処はついたが長旅で疲れ切っているので翌日修正することにして寝た。明日の分は明日やる。 |
| ’26年02月21日(土) | 今日1日は熊本に居られるが明日は長崎に帰らなければならない。コーチライセンスの更新があるからだ。今日の予選リーグでは1勝2敗だった。いずれも僅差だったり延長戦だったりの戦いだ。明日は顧問の川渕先生にベンチ采配をお願いすることにして1日だけバスケコートから離れる。気になることはたくさんあるがそれをいちいち気にしていたら自分の生活が破綻する。 |
| ’26年02月20日(金) | 20日の夜というか21日の早朝はマイクロバスの横に私が運転するクルマを停めて待ったがあたりに人影は見えない。しばらくしてクルマに近づく人が見えたがそれは野球部の監督だった。事情を聞いた監督は「そんな早い時間にフェリーは出ませんよ。それまで部屋に戻って寝た方がいいですよ」と言われたのでやむなくそうした。監督の指摘が当たっていた。そんなワケでフェリーでは爆睡し、係員に起こされて最後の下船客になった。 |
| ’26年02月19日(木) | 明日は朝7時のフェリーに乗るので寮を2時20分に出発しますといラインが崔コーチから入った。フェリーが発着する外港までは学校からクルマで5分ぐらいしかかからない。最近歳のせいか私の思い込みや勘違いで周囲に迷惑をかけることが多いので不審に思いながらもラインに従うことにした。 |
| ’26年02月18日(水) | 九州春季大会 newpage3 |
| ’26年02月17日(火) | ダメだ、抜け出せない。 |
| ’26年02月16日(月) | 昨日からずっと気が重い。負けたからではない。ヨシこれで島原に主導権を引き寄せた!と思ったのに次のプレイでミスが出るとか、そんなちぐはぐが最後まで続いたからだ。選手は悪くない。まあ上記のちぐはぐさは多少残ったとしてもことしの選手たちのファイティングは応援してやるに値するチームだ。その空気感を2/13にお返しできなかったのが心残りだ。13日以降は私が足を運ぶことがなくなるが、,選手に「しっかりやるんだ」という空気感さえ残っていれば必ず良いチームになる。 |
| ’26年02月15日(日) | 決勝戦(精華女子対東海第五)まで見てから長崎に向かった。はっきり言っておもしろくなかった。私は良い外国人留学生が獲得できたチームが勝ち進むのを見るのはもう飽き飽きしているのだ。今日のスマホニュースに大濠の片峰コーチがU18のヘッドコーチを任されたと載っていた。いいことだ、今日の女子決勝の采配を振るった両コーチもやがてそうなるだろう。ただし、日本代表を受け持つならそこに自分の色を付けろよと言っておきたい。いい外人を獲得できましたあ、だから強いチームになりましたあ、では世界の舞台には立てないのだ。 |
| ’26年02月14日(土) | 1回戦、相手は大分1位の明豊。ほんのわずかしか残っていない知力を振り絞って戦ったが3点届かなかった。後味が非常に悪い。昨日から感じていた予感を払拭できないまま終わった。だが、2度とバスケットの世界に踏み込みたくはないという感触ではない。どこかで「バスケは楽しかった」という思いと巡り会える日が来ることを思ってまた一歩踏み出そう。 |
| ’26年02月13日(金) | 今日は代表者会議とチーム練習のみ。動きは昨日と変わらず表情も変わらず。ミイラ化した私のか細い肩でここに至った責任を一気に担いで戦うしかないか・・・ |
| ’26年02月12日(木) | ウーン・・・、明日から九州大会だというのにその直前になってボロが見えた。見えたからといって1日で修正できるものではないので試合をしながら手直しをしていかなければならない。今日になるまで気付かなかった私が悪いのだから、例え1日しかなかろうがそれを手直しする責任はすべて私にある。 |
| ’26年02月11日(祭) | 昨日前半の出来事を述べよう。昨日は朝8時に学校を出てY子の腰痛再発の診察依頼に出かけた。Y子の症状は私が12年前に患った症状とまったく同じだったので原因究明と治療方法についてはすぐに判明すると思っていたがX線撮影・エコー検査・CTスキャン・MRI検査そのどれにも私と同じ症状は現れていないのだ。女性の仙腸関節異常については将来こどもを生む時の障害になるので、なんとしても治してやりたいがあと1人脊柱管異常の専門医の診察が残っているのでそれに賭けるしかない。昨日はこのことで朝8時から夕方7時までほぼ半日費やした。 |
| ’26年02月10日(火) | 今日は2つの出来事があった。どちらか一方を削るワケにはいかないので今日の前半の出来事は明日の記事に譲り後半の出来事を今から述べよう。それは私の任務終了が近づいたので野中会長と打ち合わせをして挨拶を兼ねた食事会を催して貰ったことだ。島原半島協会4人、それに県協会専務理事1人、そして私の計6人での会になった。皆そこそこの年齢の人ばかりなので馬鹿騒ぎにはならないが重苦しい話にもならず丁度よいにぎさやかになった。これくらいなら苦にになることはない。 |
| ’26年02月09日(月) | オフ。終日寮でぼんやり。 |
| ’26年02月08日(日) | 朝飯を食べ終わった時は外気温1℃だった。それから1時間後の9時には2℃になった。そんな感じで1時間に1℃くらいずつ上がっていくのかなと思っていたらそれいじょう上がらず、練習終了の昼にはまた0℃まで下がった。3月になってもこんな感じが続くのなら私は島原から逃げだそうと真剣に考えた。箱根に住んでいる榎本氏はきっと家に閉じ込められていると思って電話をかけたら予想通りだった。 |
| ’26年02月07日(土) | 明日までの辛抱だからがまんするが、スマホの画面を見る度に吐き気を伴う不愉快さを催す。選挙関連の記事やらコメントが溢れていてそれを目にするのがイヤなのだ。君たちは何を目指して政治家になったの?国を良くするためじゃないのかい?そう言いたくなる。 |
| ’26年02月06日(金) | 今日は高齢者の運転免許更新日。朝9時~午前中いっぱいかかった。運転実技指導の時、指導官から「山崎さんつかぬことをお伺いしますが、山崎さんは元鶴鳴のバスケ監督でしたよねえ」と言われドキッとした。もう35年も前のことなのに、いつどこから誰が見てるかわからない。生きてる間はたぶん常にそんなことがつきまとっているのだろうなあ。ヒエーッ! |
| ’26年02月05日(木) | 今日の審判研修は午後8時~10時だった。矢上の自宅に帰ったがそのあとパソコンをいじる元気は残っておらず、帰宅後はバタント寝てしまったのでHP更新はできなかった。 |
| ’26年02月04日(水) | 昼頃九州大会の組合せが協会HPに載った。どこが相手でも渾身の力を振り絞って戦う。2月になってからの私の口からでることばから選手もそれは察していると思う。渾身の力というのは、選手の持てる力という意味だ。それを見届けさせて貰って今回の任務終了とさせて貰う。このあと、3月の7・8にトップリーグというのがあるが、それは付録みたいなもので公的には九州大会が締めくくりということになる。さてどうなるか・・・。 |
| ’26年02月03日(火) | 現在のJBA組織は2014年頃にFIBA事務総長のパトリックバウマンが来日し、半ば脅迫まがいで改革を迫ってできあがった組織だが、それを八村のことばで表現すればバスケの普及よりもバスケで稼ごうとする商業主義の批判ということになる。しかしそこに至るまでには裏事情というやつがあり、話せば長くなるし今のこどもたちに話してもバスケの発展には寄与しないのですっ飛ばすが、他人に批判を加えるならば事前にしっかり下調べをしなければならないよ、ということだ。 |
| ’26年02月02日(月) | 夕方、トム・ホーバス氏解任!というニュースが日本列島を走った。名前あり、匿名ありなどいろんな人がコメントを出しているが、私はそんな人たちに「君はどれほどバスケットのことを知っている?君はどれほど自分のことを知っている?」と問いたい。他人にいろいろ言いたいならまず自分の値段を調べた方がいいよ。 |
| ’26年02月01日(日) | 明日は朝1番に歯医者なので今から帰る。 17:00。 |
| ’26年01月31日(土) | 2年生が修学旅行から帰ってきて最初の練習。半月もしないうちに九州大会を迎える顔つきではなかったので怒鳴りつけた。怒鳴りつけたと言えばスマホのニュースを見ていたら、どこかの高校か中学で門限後に外出して買い物に出た生徒を先生が怒鳴りつけたという記事が載っていた。しかも、怒鳴りつけた先生は上司から不適切教育というのでお叱りを受け謝ったと書いてあった。じゃあ、校則違反をした子への教育的指導はどうやるのか、その上司に聞いてみたいねえ。回答によっては俺ならすぐそんなところ辞める。 |
| ’26年01月30日(金) | 昨日の捻挫は軽かったので今日はできたのだがまた同じ足を今日やった。軽いけどしばらくさせない。あと2週間で九州大会。修学旅行から帰ってくる2年生がどんな顔をして臨むだろうか。 |
| ’26年01月29日(木) | 3対3の後半に1人足首をひねった。5人では3対3はできない。明日2年生が修学旅行から帰ってくるが帰寮するのは夜だ。だから明日も3対3はできない。これで1年生を強化できるのは3日間さけになってしまった。誰のせいでもないが心が晴れない。 |
| ’26年01月28日(水) | 単にシューティングだけだったら内容的に物足りないので3on3(ハーフコート)を加えた。でも時間は丁度1時間だ。仕方がないと言えば仕方がないのだが、起こるプレイの質が悪い。しかも実行した本人がそれに気付かないから練習内容に発展がない。それは本人たちが実施内容のつまらなさに気付かないからなのだ。今言われたことばが刺さらない。少し前に指摘されたことも頭に残らない。目の前で他人が演じていることへの感想もない。という生活を改めなければこれは改善されない。 |
| ’26年01月27日(火) | 2年生が修学旅行(福島へスキー旅行)で不在なので1年生が6人残っているだけである。シューティングを1時間で終わった。もともと6人しか居ないのならばやり方も工夫するが一時的に居ないだけだからそれで充分である。 |
| ’26年01月26日(月) | 選手の動きや表情の生ぬるさに業を煮やし、気合いを入れ直していたので少々疲れ気味だった私には今日のオフは助かった。なので終日自室に籠もってじっとしていた。 |
| ’26年01月25日(日) | 09:00~12:00バスケ指導、12:00~14:30大阪女子国際マラソン観戦、15:00~16:00競馬観戦(武豊氏騎乗せず)、16:00~18:00大相撲観戦。それで1日が過ぎた。女子マラソンでは日本人新記録で堂々4位の矢田みくに選手、彼女の走りにも表情にも悲壮感はカケラもなく見る人に感動を与えた。島中央にもそんな試合をさせたい。 |
| ’26年01月24日(土) | その顔つきで、その動きで、来月熊本に行くつもりか!?と、激を飛ばした。これが暴言と言われようとパワハラと指摘されようとかまわない。この空気感が変わらなければ九州大会の直前であっても私は棄権を申し出る。こんなチームを長崎県代表として九州大会に連れて行きたくはない。 |
| ’26年01月23日(金) | 午後3時半、練習開始時点で外気温6℃。風も穏やかで極寒ではなかった。しかし練習終了の6時過ぎには3℃まで下がった。長崎市内はどうかとスマホで調べたら1℃違う。やはり島原の気温は雲仙の存在に左右されるのだ。出番のない選手には必ず防寒対策をさせなければならない。ちょっとの間だからいいだろうなんて甘い考えでは島原で暮らせない。 |
| ’26年01月22日(木) | 球技大会のためにバスケ練習は午後3時半から始めた。その時点の外気温は3℃。それが1時間後には2℃にさがっていた。さらに1時間後の5時半には1℃になった。しかもスマホ天気予報によれば、体感温度はそれよりさらに1℃下がるという。その時点で練習を切り上げた。そして私は寮の1番風呂に飛び込んだ。最高気温が3℃までしか上がらないのは今日までで、明日からは8℃まで上がりそうだから凍死しなくてすみそうだ。 |
| ’26年01月21日(水) | 新人戦後の初練習。よ~く見ると「甘いなあ」という点がふたつほど見つかった。いずれも私の指摘が甘かった2点である。あと3週間でなんとしても直さなければならない。 |
| ’26年01月20日(火) | 月曜日はオフ日だが昨日は新人戦決勝が割り込んでオフが潰れたので今日をオフにした。私は自宅で午後4時過ぎまで過ごし、その間にパソコンの不具合を修正し、遅延して届いた年賀状の返信処理をした。このふたつが片付いたので明日からまた2月中旬の九州新人戦に全力集中できる。 |
| ’26年01月19日(月) | 出場3・出場4。決勝で鶴鳴にまけた。3点差だった。昨年11月の皇后杯二次ラウンドで日経大学に40点差で負けたがその時の試合と今日の試合は雲泥の差だった。もちろん今日の試合の方ができが悪い。来月中旬に九州大会が熊本の菊池で行われる。理屈的に言えば、それで優勝すれば今日の結果は払拭できるではないかと言えるが、一旦受けた心のダメージはそんなに簡単に拭いされない。それを拭い去ってやるのは選手の自覚ではなく私の仕事だ。 |
| ’26年01月18日(日) | 今日からが本番。ベスト4が出そろう。全員出してやろうなどと生意気なことはできない。出場1・出場2。早速A選手が私に怒鳴りつけられた。自分の存在が、自分の貢献度が、自分の期待度が何も分かっていなかったからだ。無理もない約1年オフコートだったのだから。こうしていろんな洗礼を受けながら選手は成長していくのだ。 |
| ’26年01月17日(土) | 初日だからエントリーした選手は全員出してやろうと思って采配を振るったが、そうするとどこかに歪みが出てくる。教育的配慮にもとづく高校部活のしかも新人戦なので致し方ない。ただ、前年前十字靱帯を切って1年を棒に振った淺野と中学生時代から腰痛を引きずって高校でのバスケ活動を諦めかけていた鵜瀬を公式戦のコートに立たせてやることができたのは、みんなの喜びとして分かち合いたい。 |
| ’26年01月16日(金) | 今日と昨日の練習で気付いた。どんなに優秀なチームでも時には「この野郎」と思わせる選手が居たり、この野郎と感じさせたりする場面があるものだが、今日はそれがない。で、過去を振り返ってみたが11月の皇后杯まで遡ってもない。これは風軍団以来の出来事である。勝つから強いとは限らないが心置きなくバスケをやってる証だと思う。 |
| ’26年01月15日(木) | 年末からずっとパソコンの不具合が続いている。いろいろあった不具合もスマホで撮った画像をパソコンに取り込んでHPにUPしても表示されないという1件だけに絞られた。おおむねその原因は分かっているので新人戦が終わればその問題に手をつけてみようと思う。読者の皆様にはしばらく辛抱していただきたい。 |
| ’26年01月14日(水) | 今日の外気温は昨日より寒かった。私が凍死しそうだったので昨日と同じ2セットで練習を打ち切った。写真は校庭から見た普賢岳遠くにうっすら雪を被っている。手前が1792年5月21日に普賢岳の火山性地震で山体崩壊してできた眉山である。この時は対岸の熊本まで津波が押し寄せた。手前は我々が日常練習している体育館。明日は気温が6℃上がると言われているから少し安心だ。 |
| ’26年01月13日(火) | 今日の島原の寒さは尋常じゃなかった。普賢岳の吹き下ろしが冷蔵庫を開けっぱなしにしてずっとそこに立っているのと同じ冷気なのだ。だから、練習は3セットするところを2セットで切り上げてやめた。理由は「俺がこれ以上ここに居ることができないからやめる!」だった。コーチが「寒いから練習を中止する」なんて、63年間で初めてだ。明日からどうしよう。 |
| ’26年01月12日(祭) | 創成館高校が練習試合に来た。本当は昨日やる予定だったが雪情報のため、諫早から選手を乗せて島原まで運ぶのは延期した方が良いだろうという福岡氏からの提案で1日遅らせたのだ。正解だった。ケガ人なし、病人なし。不調なし。 |
| ’26年01月11日(日) | 今日は出雲から来た足立氏のバスケ研修最終日。練習後島原城の目の前にある具雑煮の店(姫松屋)へ行き昼飯を食べた。食後は島原城をバックに記念撮影。撮影中家族で観光に来ていたらしいこどもたちが3人紛れ込んできたので一緒に撮った。どこの県から来たのか名前はなんというのか親はどこにいるのかも知らない。なかなか愉快な1日だった。 |
| ’26年01月10日(土) | 今日はびっくりの3乗ぐらいの出来事があった。昨日10ヶ月もマネージャー役をやっていたU選手にこのまま高校時代を終わらせるのが偲びなく、最後の頼みの綱でDrMに診察を依頼したのだ。DrMが最新鋭のMRIを使って診察したところ、もっとも危惧していた仙腸関節炎は炎と名が付くほどのものではなく、それと「もしかして」とDrMが気にしていた脊髄腫瘍は影もカタチもなくてバスケ活動再開OKのゴーサインが出たのだ。それで今日は、前十字靱帯再建後の瘢痕切除手術をしたA選手とともにスクリメージの間に挟んでバスケの様相を織り込んだこの2人専用のリハビリメニューを組み込んでみたところ、U選手はブランクなしの選手と変わらない所作および目の運びができたのだ。A選手もU選手に相前後してコートに立てるだろうし、新チームに戦力ダウンの心配事はなくなった。ひょっとしたらびっくりの5乗ぐらいの出来事かもしれない。 |
| ’26年01月09日(金) | 出雲の足立氏から明日昼過ぎに行くからよろしくという電話がかかった。68歳の中学男子コーチだ。島中央の明日の練習はAMなのだが選手に事情を説明して午後練に変えて貰った。出雲→長崎はクルマで約8時間かかる。そんなにしてまでバスケ勉強をしたい68歳のコーチをがっかりさせたくはない。先月末には北海道からS氏(中学男子コーチ)が来ばかりなのに。バスケを研究するのに飽きたり疲れたりはしないが、自分のことなのに「俺、何歳までやるんだろ?」と気になる。 |
| ’26年01月08日(木) | 始業式。練習は午後2時20分~午後5時。チームにも個人にも変化なし。夕方急に寒くなった。俺は雲仙の麓には住めない。 |
| ’26年01月07日(水) | 昨夜はベッドに潜り込んだ途端に腹筋が攣った。試合ベンチ采配・試合の審判・クリニックと終日動きっぱなしだったからだ。今朝起きたら上半身全部と足首周辺はバリバリの筋肉痛だった。 |
| ’26年01月06日(火) | 強化練習会は今日で終わり。最終日の今日は早鞆1チームだけが残ったのでクリニックをやった。昨年春村谷監督の移籍と同時にドドッと選手が集まったので急加速で強くはなったが、今回の合宿では若さが目に付いた。と同時に島中央も同じ、よくなったといえども上辺をつるっと撫でただけだった。見直しだ。 |
| ’26年01月05日(月) | 昨日は島原中央に3チームが集まり新年の強化練習会をした。それぞれのコーチの動きは自チームのベンチ采配を10分×2のあと審判を10分×1。それを朝10時から夕方5時まで。審判のワッペンは昨年5月の誕生日に返上したので約8ヶ月間審判活動はしていない。だから夜は寝付くまで姿勢を変える度に足のあちこちがピリッピリッと攣った。今日もまったく同じ行動だったが攣りはしなかった。安眠できそうだ。明日は強化練習最終日。私のクリニックがメインなのでまた攣るかもしれない。 |
| ’26年01月04日(日) | 年明け練習初日。県外から2チームそれに中央を加えて3チームでの強化練習だ。開始は11時、寒いので待ち時間を少なくするためにチーム戦は各試合10分ずつをグルグル回した。勝ち負けよりも、1人ひとりの出場時間数を少しでも多くしてやることに主眼を置いてやった。16人のオンコート時間が少しでも多くなるように配慮するのは難しい。 |
| ’26年01月03日(土) | 昼、神主さんを呼んでお祓いをしてもらった。会長の生田氏の発想だ。会長は現場仕事の従業員を多数抱えた事業主だからこんな発想が生まれるのだろう。それには逆らえない。 |
| ’26年01月02日(金) | 終日パソコンをいじくり回していたが何の進展もなかった。ファイルの転送に私の操作間違いがあることは分かっているが、それのどこが間違っているのかを突き止めるのができない。我流のつぎはぎだからこんなことが起こるのも分かっているのだが、それのどこをどうすれば解決するのか思いつかないのが歯がゆい。 |
| ’26年01月01日(木) | 終日冬眠していた。明日も同じだろう。ただし、パソコン操作は忙しかった。昨年暮れにかけてあちこちいじったのだが、その際フォルダ名を変えたり、ファイルを移動したのでそれを探し出すのに時間がかかったのだ。3日の練習はじめに保護者会長が神主さんを呼んでお祓いをするそうだが、そこからダーッと3/13まで一気に駆け抜ける。新チームの締めくくりに向けて気に掛かることは何もない。 |
| ’25年12月31日(水) | もうすぐ寝るが、年末はパソコントラブルに振り回された。いや、年明けもそれは続くと思う。これで解消と思っていたのに実は終わっていなかったの繰り返しが延々と続くのだ。ま、これで手を打とうということができない自分の性格が自分を追い込むからそうなるのだが、パソコンに向かいながら「お前どこまでやれば気が済むんだ?」と自分にあきれてしまっている自分と同居していることは分かっているよ。年明け、解決しましたあと言える自分になって新年を迎えたいもちろん思っている。おやすみなさい。 |
| ’25年12月30日(火) | 今日は終日パソコンをいじっていた。昨日整理したファイルの引っ越しとか名前の変更とかで時間を費やしたが2個も3個も同じファイルを保存したりしていたので不要なものを削除してすっきりさせた。でもまだ同じような作業が続きそうだ。年明け3日から練習再開だが、それは大丈夫そうだがパソコンはそれまでに間に合いそうにない。ふう・・・ |
| ’25年12月29日(月) | 夕方までパソコンの不具合修正にかかりっきり。今日の修正で(ほとんどを鶴鳴の事務長三根氏に手伝って貰ったが)これでなんとかHP更新も画像取り込みもスムーズにいきそうだ。 |
| ’25年12月28日(日) | 昨日に引き続き今日はWリーグの長崎大会。途中で観戦希望の生徒を2人拾ってカブトガニアリーナに向かった。私の座席は役員席。こちらへどうぞの誘導に従って館内に入ったがフロアに設えられた役員席は他の感染者の後頭部しか見えない。だから2階の一般席に移って観戦した。審判は小田中さんがクルーチーフで笛を吹いた。彼女の立ち姿・歩き姿・走り姿は完璧だ。高校生時代(盛岡白百合学園)は毎年共石合宿で試合したので彼女が16歳の頃から知っているがこんなカタチで再び出会うとは思ってもいなかった。 |
| ’25年12月27日(土) | 今日は終日Wリーグの島原大会に顔を出した。役員と書いたカードを首からぶら下げて会場の椅子に座っていたが誰も私に仕事を頼まない。みんな私のような高齢者には労働をさせないように気配りしているのだ。なのに役員用の弁当とお茶をも貰った。気が引ける1日だった。 |
| ’25年12月26日(金) | 広報担当の高橋氏に手ほどきを受けてパソコンのトラブルをなんとか解消した。明日と明後日Wリーグの試合を観戦したら3日まで私も自宅でパソコンの勉強をしようと思う。またまた3日もブログ休載してしまってすみません。 |
| ’25年12月23日(火) | 今日の練習をもって令和7年が終わった。練習後私は訓示や苦言を述べないが今日は述べた。話の内容は「年明けの県新人戦だけでなく、その翌月に行われる九州大会でも優勝して私の任務終了としたい」だった。選手たちがどんな思いを持って私の話を聞いたかは知らない。だけどこれは私の本音だ。 |
| ’25年12月22日(月) | 最近急成長した3人について昨日の県新人戦案内文書に書いたが、その中の1人である江原に「お前最近急成長したが、お前の中で何が変わったんだ?」と聞いた。するとちょっと間を置いて「バスケットをすることが楽しくなりました」と答えた。このことばは全世界のコーチが選手から最も言って貰いたいことばだ。それを私は83歳にして聞いた。なんと幸せ者なんだ。 |
| ’25年12月21日(日) | 北海道からの研修生が帰ったのでこれから約1ヶ月は新チーム最初の公式戦である県新人戦に向けて集中しなければならない。だが苦痛に感じられることは毛ほどもない。待ち遠しいばかりである。 |
| ’25年12月20日(土) | 佐保先生研修最終日。泊まりは帰りの交通事情を考えてまた諫早のホテルを取っていた。もちろんそこまでクルマで送る。プラス、諫早に送るのだから夕食はうなぎだ。40年ぶりぐらいの福田屋にした。変わっていなかった。しかし、島原までの帰りはクルマがバウンドする度にウナギが喉まで上がってきそうになった。 |
| ’25年12月19日(金) | 北見(北海道)から研修に来ている佐保先生(59歳、中学男子監督)を連れて姫松屋に行った。長崎ならちゃんぽん・皿うどんというところだろうが、島原名物は具雑煮の姫松屋なのである。正月に食べる雑煮に野菜がたくさん入っている料理だ。高い料理ではないが素朴でうまい。創業は文化10年(江戸後期1813年)。現社長で7代目という。 |
| ’25年12月18日(木) | 恥ずかしくて言いたくないのだが、現実だから素直にUPしよう。4日前自宅に置き忘れたパソコンは後日取りに行った。しかし、パソコンはゲットしたがその時別のものを忘れた。だからまた更新が延びた。それが実情である。ブログを見ている方は山崎純男の実情は現在そういう段階だということを理解して油断しないで欲しい。ごめんなさい。 |
| ’25年12月16日(火) | 朝から和仁会病院に淺野選手を連れて行った。淺野選手は群馬県出身だがそれが4月の試合中に混雑に巻き込まれて前十字靱帯を切ったのだ。その時の術後瘢痕の治りが悪く実家の群馬県には戻らず長崎の米倉医師執刀の下で簡単な手術を行うことになった。というわけで正月休みがなくなったが、故郷に早く帰省したいか早く傷を治したいかは聞くまでもない。正月も入院のままリハビリに励むことになった。退屈な時間は私が相手をして気を紛らわしてやろう。というわけで私に自由時間はない。 |
| ’25年12月15日(月) | インフル明け初日、 ランニングとシューティングだけの約1時間で終わった。私は選手を追い込むが、病気や痛みを抱えている者に絶対無理はさせない。微熱や痛みがあってもそれを隠して練習するのを根性の証明だとして喜ぶ大人がいるがとんでもない方向音痴である。 |
| ’25年12月14日(日) | インフルによる学校閉鎖は17日までと思っていたが12日までだった。12日にバタバタしながら島原に向かったものの、到着してみたらパソコンを家に置き忘れてきたのでHPは更新できず、今日(14日)またパソコンを取りに長崎へ戻った。もう、どこかに何かを忘れるのは山崎純男のルーティンになってしまった。 |
| ’25年12月11日(木) | 島原からのインフル患者が増えたという情報伝わって来ない。だからこれで一応第1波の区切りだと思われるが、第2波第3波が襲って来ないとは限らないので要注意だ。 |
| ’25年12月10日(水) | 夜7時から創成館高校で行われた審判研修会に顔を出した。もう審判はリタイアしたが顔を出すたびに新しいなるほどがある。この会は審判の向上を目指す人だけではなく、バスケに関わろうとする人はすべて顔を出した方が良いと思う。バスケの奥の深さがわかる。コーチ歴53年だがまだ’なるほど’があるのである。 |
| ’25年12月09日(火) | 朝歯医者に行ってから島原に行こうとして歯医者を出て5分ほど走った頃主将の生田からスマホに連絡が入った。「インフルが学校中で広がって、今日の1校時以降18日まで学校閉鎖」。私はトンボ帰りして自宅に戻った。というわけであと1週間は部活もできないがそれ以降は大丈夫という保障は何もない。 |
| ’25年12月08日(月) | しばらく帰っていなかったので溜まっていた録画を終日見た。中でも最後まで見はまったのは近藤正臣さんの実録だ。83歳。私と同じ歳。2年前に奥さんの裕さんを亡くして今は郡上八幡市に猫と2人で住んでいる。久しぶりに見たが「老けたなあ」と思った。が、皺が増えたし歩きも遅くなったが凜とした姿は変わらない。私もそうありたいと思った。 |
| ’25年12月07日(日) | スタメン2人を置いていったので試合内容は良くなかった。相手に申し訳なかった。2人ともインフルAと診断された。1人は県内在住者なので自宅に帰した。もう1人は県外、しかも遠いところなので寮で1人部屋をつくり隔離した。これからしばらくはこんな問題に振り回されるだろう。 |
| ’25年12月06日(土) | 明日は長崎で成年女子と練習試合をする。だから今日私は自宅泊だ。ところが夜になり、キャプテンからラインで発熱者が2名出たと連絡があった。2人ともスタメンだ。もちろん連れて行かない。これから冬休みにかけてインフルが猛威を振るうだろう。みんなそれでも生き残るよう細心の注意を払わなければならない。 |
| ’25年12月05日(金) | 雲仙岳ではなく正式には雲仙普賢岳らしいが、そこから吹き下ろす風は5時半を過ぎたら一気に冷たくなる。昨日だけではなかったのだ。私はここであと3ヶ月暮らさなければならない。胃の全摘手術のあと(6年前)脂身がほとんど削り取られ、体重が12㎏減ったままなので寒さは堪える。しかし耐えるしかなさそうだ。83歳にしてこんな試練が待ち受けているとは思わなかった。 |
| ’25年12月04日(木) | 今年一番の寒さが島原にもやってきた。夕方5時半を過ぎたら体育館内の気温がグーッと下がり、高齢の私の身には堪えた。コート内で動き回っている選手ではなく順番待ちの選手にも直ちに指令を出し、順番待ちをする選手たちにはコート外へ出たらすぐジャージを着用するよう指示した。日本列島の南の端とはいえ、雲仙岳から吹き下ろす風は冷たいよ~ |
| ’25年12月03日(水) | A選手をクルマに乗せて和仁会病院に行った。A選手は4月の春季選手権時に前十字靱帯を切ったのだ。それから8ヶ月経つのでそろそろランを入れたメニューを提供しようと思っていたら本人が「膝の曲げ伸ばしに違和感がある」と言う。そこで大学病院のY医師に診てもらうことになったがDrからは「術後瘢痕です」と言われた。前十字靱帯損傷の再建術では百人に1人ぐらいの割合で出るらしい。術式が悪かったのでもリハビリの手を抜いたのでもない。ただただ運が悪かったのだ。12/11手術。復帰は約3週間後に延びた。 |
| ’25年12月02日(火) | 外国人旅行者が財布を落としたけどそれを拾って警察に届けてくれた人が居て無事戻ってきた、というニュースがしばしばテレビで報じられる。だから日本人は世界に誇れる民族だというのかい?それを自慢するのならば神宮外苑の紅葉見物のマナーの悪さは日本人がやらかした行動じゃないのかい? |
| ’25年12月01日(月) | 今日と明日は歯医者。だから長崎泊。毎回歯をいじられた時は口の中が血だらけになる。しかし、おかげで短大を退官してから13年間新しい虫歯は出現していない。ご夫婦でやっている医師だが二人とも名医だ。このご夫婦は長崎大学歯学部在学中はバスケ部所属だったらしく話が合う。話が合うから名医だということには繋がらないと言う人が居ると思うが、人と人のつながりはコミュニケーションが大事だ。だから話が合うとか合わないというのは重要なのだ。 |
| ’25年11月30日(日) | 明日と明後日は2日続けて歯の治療なので長崎に帰ってきた。明日は練習オフだから歯の治療後火曜日にまた島原に戻る。バスケットの指導は苦にならないが長崎往復の用事が続くと大変だ。長崎で生活していた頃は感じなかったが、島原がこんなに遠いところだと思っていなかったので、往復が続くと苦になる。 |
| ’25年11月29日(土) | 純心中が武者修行に来た。今日で2回目だ。前回同様ずっとリードされていて最後にひっくり返してどうにか勝った。こっちはスタメン落ちではなく全力投球である。1月4日からのジュニアオールスターでは八王子と当たるらしい。私は桜馬場中のコーチ時代に全国優勝を果たしたが、その時は中村監督率いる鶴鳴に日算した。そして、全中に出発する直前の手合わせで初めて準レギュラーチームに1点差で勝った。それから推測すると純心が八王子を食うのは充分可能なのではないかと思う。祈健闘! |
| ’25年11月28日(金) | テスト最終日だが、午後の練習はせずに夜の部の審判研修会に回した。午後7時から9時までの予定だったが、消灯して体育館を出たのは10:10だった。今日は審判のための研修会だったが手伝った高校生たちも、終わってからインストラクターの福岡氏に質問したりしてよい研修会となった。 |
| ’25年11月27日(木) | 午後4時の練習に間に合うつもりで準備していたら今はテスト期間中なので練習は午後1時からだと気が付いた。それなら長崎の自宅を11時半に発たなければならない。気付いたのが朝食を摂っている時だったのでよかったが、島原に着くまで無駄な時間を摂らせた自分に腹が立ってムカムカしていた。 |
| ’25年11月26日(水) | テスト2日目。シューティングだけ50分。午後1時に終わるので選手はそれから昼ご飯を食べるが私はそれまで保たないのでシューティングの途中に食べた。今日の夜は諫早で審判の指導があるのでそちらへ出かける。部屋で時間潰ししているあいだに北見(北海道)の佐保先生(中学男子)から電話がかかってきた。12月の18~20の3日間島原に来たいという電話だった。ホラホラ一昨日話したように島原指導も終わりに近づいたのでみんな狙っているのだ。シンガポールへ行くのが安いのに。 |
| ’25年11月25日(火) | 今日から期末テスト。テスト期間はオフではなくシューティングのみ。午前中は長崎の歯医者に行ったので島原に戻ってももう練習は終わっていた。今週から月末までは私的なことやバスケやいろんなことで長崎往復が多い。用事は30分ほどで済むことばかりだがそのための往復3時間が苦痛だ。でも、どれも外せない用事ばかりなのでやむを得ない。 |
| ’25年11月24日(祭) | 島原復興アリーナでU14の大会が行われるというので観に行った。試合そのものよりもそこに集まるバスケ関係者にご苦労様を言うために行ったのだ。観戦中札幌の山田氏から電話がかかってきた。この冬、どこかのタイミングで島原に行きたいという相談の電話だった。島原の助っ人がそろそろ終わりに近づいたので自分たちの番だと狙いを定めているのだろう。 |
| ’25年11月23日(日) | 私が中学3年まで相撲部だったことを知っているバスケ関係者は少ないだろう。こんなに小兵なので格技とのイメージが繋がらないはずだ。バスケは高校2年生になってから始めた。だから大相撲中継はよく見る。今日は安青錦が優勝したのでとても嬉しい。安青錦は3年前に戦禍を逃れてウクライナからやってきた。日本の里親は関西大学相撲部コーチの山中氏だ。安青錦の何が好きかと言われれば相撲の取り口などについて語らなければならないが、そんなことではなく4歳の時に満州から引き上げて来た自分の境遇に重ねてどうしても応援したくなるのだ。 |
| ’25年11月22日(土) | 皇后杯セカンドラウンド以後1週間、別のチームを指導しているようだ。チーム再建に向けて訓示を与えたわけでもない。努力目標を掲げたワケでもない。でもチームが変わったのは確実だ。新チームになって選手に自覚が芽生えたのか、もしそんな気配があったのなら、ここに私はもう8ヶ月居るのだからその間に「代が変わったらこのチームは化けるぞ」ぐらいの雰囲気は感じていたはずだが何もない。答えはダーウインさん(突然変異説)に聞いてみなければ分からない。 |
| ’25年11月21日(金) | きょうはまた10/29以来の素晴らしい出来事を目にした。順番待ちでコートサイドに待機していたO選手がコートのある地点を指さしたのだ。意味は、ここに走り込みそこへパスすればいい。O選手はこんな出来事をなかなか理解できない選手だった。それが今日は指示役なのである。画期的な出来事だ。チーム力が向上したひとつの現れかもしれない。 |
| ’25年11月20日(木) | 5日前、皇后杯セカンドラウンドで久留米に行った時、宿舎の周りを走った。練習コートの割り当てがなかったのでそうしたのだ。6年前に胃を全摘したが6年経過しているのでもうよかろうと思って選手と一緒に走ったのだが甘かった。あっという間に選手たちに引き離されてホテルの場所が分からなくなった。それだけじゃない。5日も経ってるのに動作を変えるたびに身体のあちこちが痙りそうになる。あ~。 |
| ’25年11月19日(水) | 原因が分かった。選手に声をかけると必ず返事が返ってくるのである。これまでなかなか改善されなかったことだ。現在は2年生10人1年生7人で計17人所帯である。指示や命令が全員に行き届きやすい人数はこれくらいが丁度いいのかもしれない。 |
| ’25年11月18日(火) | 数人の選手に、皇后杯以後新チームの練習は今日で何回目かなあ?と聞いてみた。2回目だった。もう5~6回練習したのかなあと思っていたのだ。15日に皇后杯で負け、翌16日に島原に帰って1回目の練習をし、翌17日(月)は定例オフ日なので火曜日の今日はなるほど2回目なのだ。それにしてはもうずっと前からこのチームで練習しているように思えた。それほど、練習の中身も態度もケチのつけどころがない。これなら堂々と他人に見せられるチームになれるかもしれない。 |
| ’25年11月17日(月) | 練習オフ。今日はバスケ協会馬の会を催した。うま年生まれの者の飲み会だ。私が最長老で83歳。次が理事長の太田夫妻の71歳。次は副会長の大久保氏の59歳。うま年生まれではないが世話焼きの中里氏を入れて5人。場所は思案橋のこころという屋号の飲み屋。帰りのクルマの運転は食べ過ぎのおなかがパンパンで苦しかった。 |
| ’25年11月15日(土) | 皇后杯セカンドラウンド newpage3 参照 |
| ’25年11月14日(金) | 今大会は各チームの練習割り当てはない。だから選手には「試合前の練習にどこかの体育館を借りてボールを使って練習するのは不要だよ。ホテルの周りをランニングするぐらいで明日動く身体は作れる。スマホでコースを探せ」と指示した。最後の一言が余計だったが。それは「おれも走るから」という台詞だ。胃がんの手術をしてから6年間一度も走っていないが自分ではいけるつもりだった。選手に置いてけぼりを喰らいホテルを探していたら散歩に出ていたスタッフに会い、ホテルまで同行してもらって帰り着いた。6年の歳月がこんなに自分を衰えさせていると知り愕然とした。 |
| ’25年11月13日(木) | 3年生が練習に参加するのはこれが最後だ。けがをさせないよう目を配りながら指導した。特に副将の濱田は私がこ こに来たときは前十時靱帯損傷でリハビリ中だった。本当はウィンターカップに連れて行きたかったのだが、いろいろあってそれも叶わなかった。最後の試合こそ存分に力を発揮させてやりたい。 |
| ’25年11月12日(水) | 先週から審判指導の仕事が週2回(水・木)に増えた。が今日はお休み。今週末は久留米で行われる皇后杯二次ラウンドに参加するため久留米に行かなければならないからだ。審判指導は今週お休みをいただいて来週からまたがんばろう。島原~自宅は片道1時間半かかるが、島原~諫早は片道1時間5分だ。それが週2回となればちょっときつい。 |
| ’25年11月11日(火) | 寒い!練習後はスウエット上下を着て、ウインドブレーカーを着て、暖房をつけなければ部屋では過ごせない。夏からいきなり冬か?秋はどこ行ったんだ。 |
| ’25年11月10日(月) | 寮は朝からひっそりしていて静かだ。9時になっても寮生の動きがないので「今日は代休かなあ」と思っていたが、体育館に行ってみるともうシューティングが始まっていた。やっぱり。 |
| ’25年11月09日(日) | ほんとうは今日から練習再開の予定だったが、まだ体育館は文化祭で使った足場がそのまま残っていて、明日それを片付けてから練習再開という運びになるらしい。すべての出来事が1回ぽっきりの出来事になるので私には予測も見通しもない。そんな私の胸中を誰も察してはくれないのでますますイライラが募る。 |
| ’25年11月08日(土) | 昨日はパソコンの修復がちゃんとできているかどうかチェックしたが、旧パソコンから新パソコンにデータを移したつもりだったのにやはり抜けていたのがあった。それらを修正したあと長崎の自宅から島中央に向かった。学校には3時前についたがまだ文化祭の後片付け最中だった。 |
| ’25年11月06日(木) | 昨日も今日もパソコンの修復で駆けずり回った。しかも今日は夜8時から10時まで審判の研修にも顔を出したので朝起きてから夜の10時まで14時間勤務だった。パソコンの修正が正常にできているかチェックしなければならないがそれは明日の仕事に回して今日はもう寝る。皇后杯ファイナルデイの試合情報を見たい人は山崎純男のホームページのgames&scheduleから情報を得てください。今はパソコンの調子が悪く正常復帰するまでもうしばらくかかります。 |
| ’25年11月04日(火) | 今日は歯医者を予約していたので長崎に出てきた。ついでにパソコンの不具合も鶴鳴で直してもらおうと思って島中央の練習は休んだ。歯は先日のウィンターカップ最終戦のベンチでグッと歯を食いしばった際に奥歯が割れたのだ。3分割になったので義歯を新たに作るんだなと思っていたら、バラバラになった歯をじーっと診ていた医師は「作り替えるのはもったいない。つなぎましょう」と言った。プロってすごいよ。 |
| ’25年11月02日(日) | 今日は長崎市内から中学生が練習試合に来ることになっていたのでいろいろ準備していたらそれは明日だということが分かった。私が勘違いしてスマホに入力していたのだ。そんなことは再々ある。それが分かった時点で練習を打ち切った。明日は終日になるので今日は打ち切りでもいいのだ。なので余った時間は寮でMLBの決勝戦を見た。 |
| ’25年11月01日(土) | 佐世保北高の尾上先生が習いに来た。1-1-3のゾーンディフェンスを教えて欲しかったそうだ。いつでもいらっしゃいといって快く迎えた。 |
| ’25年10月31日(金) | パソコン不調だがなんとか皇后杯2次ラウンドの資料をUPした。Games & Schedule 参照 |
| ’25年10月30日(木) | パソコン不調 |
| ’25年10月29日(水) | 今日はすばらしいものを見せてもらった。練習の最後に、攻めているチームがウイングからガードに返したボールをインターセプトされたのだ。ボールを奪った松岡も速かったが、それを奪い返すべく猛然とダッシュした榊原もまた速!かった。過去63年の指導歴の中で、こんな選手がいるのに負けたチームはない。ありがとう。いいもの見せてもらった。 |
| ’25年10月28日(火) | ウィンターカップ予選 UP newpage3 現在パソコン2台使って転送設定をしていますがファイル量が多いのと私の技量が足りないという理由で苦戦中です。という訳でパソコンが軌道に乗るまでしばらく時間がかかると思いますのでそれまでお待ちください。しばらく閲覧できない時があっても健康を害して休んでいるということではありませんので念のため。 |
| ’25年10月27日(月) | 月曜日はオフなので2日間じっくり考えてことばを選ぼう。感謝のことばは外せないのに間違いはないが。 |
| ’25年10月26日(日) | 島中央に来て半年になるがその間で最高の試合ができた。試合後や練習後に私は何も話さないが今日は何か話をしてしてやりたい 。しかし、的確なことばが浮かばない。 |
| ’25年10月25日(土) | 山崎先生何かあったんですか?と聞く人がいるそうだ。21日のブログ文面通りの出来事だ。が、それ以上のことは書けない。それ以上のことを書けば、それが真実だとしても近頃激増したSNSで他人を誹謗中傷して喜んでいる奴らと同じになるからだ。しかし、スポーツ界にあるのはみんなが求めている美談や根性物語ばかりではない。見にくい身内の骨肉の争いやスポーツ界に身を置くのはもちろん、文化社会に身を置くことすら許されない人もまたたくさん居るということも事実だ。 |
| ’25年10月24日(金) | 山崎先生の指導にいくらぐらい払っているんですかねえと、聞いた者がいるらしい。私から答えよう。現在の島原中央の指導ももちろん、何十年も前にやったクリニックも、私はお金を受け取らない。元来、私の指導はそれで金儲けをしようという思いはないし、ただお世話になった方々への恩返しのつもりでやっているからである。謝礼の相場は受講歴のある者同士が意見を出し合って相場を決めているようだが、相場がいくらぐらいなのかも私は知らない。 |
| ’25年10月23日(木) | 昼前に寮を出て帰り着いたのが18:30。往復に使った時間は3時間。パソコンの前に座っていたのは約4時間半。今私の頭の中はフリーズしている。困ったのは、正しく操作したはずなのにインストールができない時だ。何度も何度も確かめながらやったがそれでもNG。よ~く見てみるとyと打つ文字をiと入力していた。パソコンは「番地が違いますよ」と言ってるのだがそれを声には出さない。それだけで約1時間かかった。でも作業完了だ。それさあやるぞ。 |
| ’25年10月22日(水) | 遂にパソコンがダメになったので昨日購入したパソコンに乗り換えるため鶴鳴・短大・諫早等などあちこち走り廻った。新しいデータに変えるためそれらが残存している箇所に駆けずり廻らなければならなかったからだ。アプリにしろデータにしろHPの内容にしろ、こういう作業をすれば今更ながら自分のパソコンの中身の多さにうんざりする。翌日も続く・・・・・ |
| ’25年10月21日(火) | バスケ指導63年間の中でもっとも忌むべき汚らわしい出来事がチーム内で起こった。それも私の知らない間に起こり、知ったのは昨日の試合が終わったあとだった。今は試合後のオフ期間なので再開まで動けないが、心情としてはこの場で切腹し、その内臓を当事者の喉奥に詰め込んでやりたい気分だ。 |
| ’25年10月20日(月) | ウィンターカップ予選 UP newpage3 |
| ’25年10月19日(日) | ウィンターカップ予選2日目。取り立てて面白いことはなし。 |
| ’25年10月18日(土) | ウィンターカップ予選 UP newpage3 |
| ’25年10月17日(金) | 明日からウィンターカップ予選。会場は佐世保なのでとりあえず今日は長崎の自宅に帰った。明日朝一気に島原から佐世保まで行くのは遠すぎるので一旦自宅で休憩して明日朝佐世保に向かう。留学生のアタマの中はどうなっているのか今日もしれーっとして図々しく体育館に居た。もちろん、他の現役選手の中に混ぜてプレイするチャンスは与えない。でも、申込時点ではエントリーに入っていたので連れて行かないわけにはいかないだろう。 |
| ’25年10月16日(木) | 4日前に私からこっぴどく叱られ、ふて腐れて勝手に寮に帰った留学生が今日ひょっこり体育館に顔を出して私に何か話しかけようとした。私は「ちょっと待て俺はお前と話す用件はなにもない。話したいことがあるなら監督に言え」と言った。するとしばらくして監督と一緒に体育館に来た。話の内容は私に詫びを入れて練習に参加させてくれという願いらしい。4日前に厄介払いができたと思ってホッとしていたのにまた再燃だ。俺がここに来てから半年、練習なんかまったくやっていないに等しいヤツが今更練習に参加したとて何ができよう。あとは静観だ。 |
| ’25年10月15日(水) | 長崎の循環器内科でクスリを貰い、島原に帰り着いたのは11:30。ホッとして部屋でくつろいでいたら眠ってしまい、結局練習開始には10分遅れてしまった。バカだなあ、最近こんなことばっかりだ。 |
| ’25年10月14日(火) | 練習が終わってすぐ、循環器科のクスリを貰うのを忘れていたことに気づき、すっとんで長崎に帰った。クスリは当然明日の朝にしか貰えない。だが、明後日からは試合が続くのでどうしても明日朝には貰わなければならないのだ。島原市内だとこんなことは2~30分で片付くのだが長崎⇔島原だと往復3時間かかる。思えば遠くへきたもんんだ。 |
| ’25年10月13日(祭) | 今日は練習オフ日だが、寮にじっとしているのも不健康だなと思い、バイクで街中に出た。久しぶりでかかんざらし(米粉で作った団子をガラスの容器に入れ、甘い密をかけて食べる素朴な食べ物)を食べるためだ。屋号は銀水という。始めて食べたのは約50年前、それからやみつきになり島原へ行く度に必ず立ち寄った。当時は田中はつよしさんというおばあちゃんが1人でやっていたが高齢のために亡くなって後継者もなく約20年閉じられたままだった。その後再開されたという話を聞いたが足は向かなかった。なぜなら、私はかんざらしを食べたいから行っていたというよりもはつよしおばあちゃんと話をするのが楽しかったから足を運んでいたのだ。今回島原勤務になったので20数年ぶりに行ってみたが、内装も外装も当時のままで懐かしさがぶわーっとこみ上げてきた。はつよしおばあちゃんは私より30歳ぐらい年上で、しかも未婚のままだったから後を継ぐ者が居なくて空白の時間が20年も過ぎてしまったが、跡地も建物も島原市が買い取って管理し、市民や観光客の交流の場にしようと、20年前に再開したのだそう。ありがとう島原市。ちなみに、はつよしおばあちゃんは2代目で初代は入江ぎんさんが大正4年に開業し銀水と命名したのだそうである。 |
| ’25年10月12日(日) | ディフェンスにテコ入れを始めてから約10日経つ。私はせいぜい2日もあれば選手は感じをつかめると思っていたが簡単ではなかった。が、今日「少しは感じをつかめたようだな」という反応があちこちで起こり始めた。ホッとした。この遅れは選手の質が低いからでもないし怠けているからでもない。中学時代まで「膝を曲げろ!」とか「走れ!」と檄を飛ばされて指導を受けてきたことに慣れて、檄を飛ばされないと動けない習慣が身に付いているからだと思う。留学生がずっと来ないので日本人だけの小兵軍団でやらなければならなくなったがなんとかなるだろう。 |
| ’25年10月11日(土) | 中央の練習を午前中で終えるとする鶴鳴に向かった。広島皆実が鶴鳴に合宿に来ていると聞いたからである。会うのは18年ぶりだ。最初の出会いは20年前。山口でクリニックをした時に見覚えのない顔がひとり居る。「だれだあいつ、俺の知らないヤツだけど」と山口の連中に聞いたら広島から来た人だという。それが村井先生だった。 |
| ’25年10月10日(金) | 今日はズラーッと不参加者が出てチーム分けが難しかったので5対5をひと組とあとは2対2しか作れなかった。不参加者が多かった理由は3年生が進路決め前でオープンスクールに参加する選手が重なったことと、地域の行事に参加しなければならない選手が居たことなどである。部活動は大事な人間形成の場ではあるが、がんじがらめに縛り付けるものではない。普通の生活をしながらその中に部活が占める部分があるというのが正常なあり方である。。 |
| ’25年10月09日(木) | 今日は遠足。3年生は雲仙地獄巡り、2年生は妙見岳、1年生は島原城周辺と銀水。そんなとこわざわざいかなくても島原に住んでるだけで遠足みたいなものなのに。そう考えると羨ましいなあとも思う。 |
| ’25年10月08日(水) | 今日は中秋の名月。と知りつつ、1回も空を見上げないまま夜を迎えてしまった。今日は中央の練習後すぐ創成館まで向かいBPKの審判研修に顔を出し、なんだかんだやっていたら月を見る暇もなかったのだ。83歳の誕生日に審判はリタイアしたがそれから5ヶ月弱、受講者の相方が1人足りなくなったので補充してやったが、今日のBPK指導でこんなにも身体が動かなくなっていることを知った。リタイアしたという気持ちが身体を動かなくしたのか本当に身体が動かなくなったのか、しっかり検証しなければならない。なぜなら本当に身体が動かなくなったのならコーチングから手を引かなければならないと思っているからだ。 |
| ’25年10月07日(火) | 今日は相手に特殊な選手が居る場合の守り方Ⅱを伝授した。このように手を変えるとその選手が使えるかどうかがすぐわかる。途中で教えることがイヤになったが辛抱して最後まで指導した。判らないのに腹が立つのではなく、判らない自分に焦りもしない選手たちの顔に腹が立つ。 |
| ’25年10月06日(月) | 月曜日の島中央練習はオフ。長崎には帰らず、寮から1歩も出ず、3回のメシを誰も居ない寮の食堂で喰い、トイレに行く以外はベッドでゴロゴロして終日過ごした。次の日曜日の練習までの体力は保つだろう。 |
| ’25年10月05日(日) | 再来週に行われるウィンターカップ予選にケガ人や自己都合や体調不良で全員が戦力として働いてくれるとは限らない。そういう事態が発生した時のためのディフェンスのやり方を用意しておかなければならない。今日はそれにかかりっきりだった。これから毎日その練習をやるワケではないが、選手が忘れないように時々は「ディフェンスの日」を設定しなければならないだろう。 |
| ’25年10月04日(土) | 締切が近いので静観するわけにはいかない。だから今日はちょっとだけ介入した。するとやっぱり練習の流れが滞る。鶴鳴時代はじっと練習を見つめている私の表情から選手が「ヤバい」と察してアクセルを強く踏んだりしていたが、関わって半年のここの選手達はまだそれを感じ取れない。致し方ないいことだがそれなら私が動き出さなければならない。 |
| ’25年10月03日(金) | 声をかけてプレイを停め、説明しなければならないことが頻発する。しかし私が声を出すのはごくわずかだ。声をかけてプレイを停め、説明すれば練習の進行が止まる。それがイヤなのだ。しかし選手は気付かないので今日は遂に声を出した。しかしそれはこれまでに何回も繰り返した。それでも改善されないならそれがこのチームの実力だ。仕方がない。 |
| ’25年10月02日(木) | 3年生の迫力が欠ける。それがチーム全体の空気を淀ませている。しかしそんなのは怒鳴りつけて治るものではない。ウィンターカップ予選があと2週間後に迫っている中、内から湧き上がって来なければならないのだ。 |
| ’25年10月01日(水) | 10時からの歯医者は11時きっかりに終わった。すぐクルマで島原に向かい、途中でうどんを食べたが13時開始の練習には充分間に合った。水曜日のスポーツコースは12時で終わり、午後からは部活をしてよいことになっているから少し焦ったが事故にも渋滞にも遭わずスムーズに走れた。しかし、練習は頭打ちのようだ。日に日に強くなるという症状は見られない。 |
| ’25年09月 30日(火) | 今日まで2年生は校外学習でそれぞれ割り当てられた事業所で実習。だから練習開始は不揃い。加えてボケーッしてるヤツは次々寮に追い返した。私も足朝1番で歯医者だ。だから急いで帰らなければならない。今日はバイクではなくクルマ。 |
| ’25年09月29日(月) | 島中央バスケオフ。終日寮の自室で読書。 |
| ’25年09月28日(日) | 愛知県から2人練習を見学に来た。その内の1人は今年観た中学生ではピカ1じゃないかと思う。しかし、そんな選手が来てくれるかどうかは私にとって重要な問題ではない。なぜならそれらの選手の去就が決まる来年3月には私はもうここには居ないのだから。それより重要なのはなぜ3年連続県内からはごく少数しか来ないのかを学校としても考えるべきである。 |
| ’25年09月27日(土) | コーチという仕事はプレイを教えるだけではない。それ以外の時の観察がとても重要だ。仕事の要領が悪い者。できるだけ楽な仕事を見つけてそれで済まそうとする者。そんな輩を見逃してはならない。 |
| ’25年09月26日(金) | テスト最終日。12時終了。13時バスケ練習開始。明日のオープンスクール準備。 |
| ’25年09月25日(木) | テスト2日目。練習は12時から13時。午後はほとんど部屋のベッドで寝ていた。 |
| ’25年09月24日(水) | テスト1日目。12時にすべての行事が終わるのでシューティングは12:15分から始めて良いかという問いがジェイからスマホであった。そのあとで昼食を獲るらしい。時間の有効利用からして当然だ。明日も同じ。私はこのパソコン作業が終わったら諫早までバイクで走る。審判研修があるからだ。会場に居ても私が仕事をする出番はないが、最高責任者として顔を出さないわけにはいかない。 |
| ’25年09月23日(火) | 明日から中間テストなので練習は1時間・シューティングのみ。練習開始時の円陣を組んだ時カマラが居るのに気付いた。もちろんカマラからは何の挨拶もない。来たというのは練習に参加するつもりなのかと思いきやそうではない。自分はシューティングせず他人の球拾いばかりしている。何の積もりで来たのか問う気もしない。 |
| ’25年09月22日(月) | 島中央バスケはオフ。私は終日寮の部屋で読書。 |
| ’25年09月21日(日) | 明日島中央はオフだが私は長崎に帰らない。片道1時間半の往復がめんどくさいのだ。今日から宮本輝氏の’よき時を思う’を読み始める。 |
| ’25年09月20日(土) | 2人のうち1人は来た。しかし第1声を私から叱られた。「まだ足が痛いので今日もシューティングだけします」と言ったので「何がシューティングだけだ。今日からまたお願いしますだろ」もう1人は今日も来なかったが、どんなに素質があっても存在そのものが不愉快をまき散らすのでずっと来ないならそれでもいい。 |
| ’25年09月19日(金) | やる気が起こらないのなら練習に出てこなければいい。明日からも同じ、やる気が起こる時だけ練習に来ればいい。といって2人の選手を寮に帰した。これは私がチームの再生を依頼された時からずっと感じていたことだが、実行するのに半年かかった。さてこの2人明日から来るのか、このままずっと来ないのか、それはわからない。 |
| ’25年09月18日(木) | 島原は遠い。13・14と試合采配をして(於:長崎日大)息つく暇もなく昨日は同じ諫早市内の創生館高校で審判研修に立ち会った。島原→長崎(自宅)→諫早(試合)→長崎(自宅)→諫早(試合)→島原(寮)→諫早(審判)→島原(寮)と、これだけ移動すればクルマを貸与して貰ったとはいえ移動するのも飽き飽きする。もう、どこにもいきたくな~い。 |
| ’25年09月17日(水) | 毎週水曜日夜7時~9時は審判研修(PBK)の日でこのところ忙しくて(というより片道1時間半の往復がたいへんで)しばらくお休みしていた標記事業に久々顔を出した。今日は終了後島原に戻るつもりだったが会場の創生館高校は自宅のすぐ近くなので島原へは翌朝戻ることにしてこの日は自宅に泊まった。パソコンなしなので研修の様子はUPしていない。すみません。 |
| ’25年09月16日(火) | 自宅を昼過ぎに出て島原に向かった。学校ではまず事務室に立ち寄った。クルマの燃料代精算のためだ。途中3人の女性の先生に出会った。3人とも大喜びで私を迎えてくれた。県内の試合で勝ってこれほど喜ばれたことはないので対応にとまどったが、3人ともお愛想で喜んでいるのではなく心から喜んでくれているのだ。素直に喜びたかったが、私は寮と体育館の往復以外構内ですらうろつくことはないのでまだ先生たちの顔を覚えておらずこの3人も名前は知らない。ごめん。 |
| ’25年09月15日(月) | チーム練習オフ。山崎は長崎の自宅泊まり。 |
| ’25年09月14日(日) | 3SUNCUP25最終日結果UP NEWPAGE3 |
| ’25年09月13日(土) | 3SUNCUP25初日結果別記 |
| ’25年09月12日(金) | 明日から開催される3SUNCUPに備えて1日早く自宅に帰ってきた。自宅から試合会場の長崎日大まではクルマで20分ほどの距離だ。今夜はコロナも寮の喧噪も気にしないでぐっすり寝られる。 |
| ’25年09月11日(木) | 5日以降10日までパソコン上ではブログ更新はしていたのだがそれをサーバーに移すのを忘れていたので読者から「体調悪いのですか」という心配のメールが数件入った。耄碌し始めたのかなあ。身体は元気なのだが私の行為の中に間抜けなことが増えてきた。橋幸夫さん(私よりひとつ年下)の件があったので私の心に動揺があったのかもしれない。なーに、先日は下関クリニックに続いて茨城クリニックをぶっ続けで8日間もやったばかりだから、簡単には死なない。 |
| ’25年09月10日(水) | 来年の3月13日までが私の助っ人としての期限だが、それまでに島中央の選手たちの身体に染みついた悪いクセは直りそうにない。ということは期限まで務めたところで私は何も残せないということだ。それを承知で来年3月までここで時を過ごすのかと思うと気持ちが沈む。 |
| ’25年09月09日(火) | 午後の練習前に寮に戻ったらコロナは1人増えていた。だが、隔離部屋の3人は明日解除されそうなのであとは減っていくのみだろう。練習は今日から時間配分を変えた。理解させることよりも鍛えることを重視しなければならなくなったからだ。 |
| ’25年09月08日(月) | 久しぶりに自宅のベッドで寝たが5ヶ月以上他人の家で寝起きしていたら逆に自宅のベッドは落ち着かない。夜中に何度も目が醒めた。 |
| ’25年09月07日(日) | AM練習終了後クルマを運転して一目散に学校をあとにした。明日は練習オフ。明後日の午後の練習に間に合えば良いからそれまで自宅で静かにしていようと思う。家の帰り着いてから、森保サッカーの試合と日本代表女子バレーの3位決定戦を観たが試合を観るというより、今の自分に重ねていろんなことを考えた。 |
| ’25年09月06日(土) | 練習後寮に戻ったらまら2人増えていた。空き部屋はもうない。管理人さんは大変だ。毎回の食事を病人部屋に運ぶ。風呂の順番やトイレの順番も指示しなければならない。今日の夕食はそのため外注となった。そんな中、ブラーッ食堂にマスクなしで入ってくるヤツがいる。こんなヤツをぶちのめしたらパワハラと訴えられるんだろうが、ではこんなヤツの躾は誰が責任持ってやるのだ? |
| ’25年09月05日(金) | 寮に帰ったら男子寮生にコロナ患者が増え、合計4人になっていた。女子バスケは校外にある別の寮に住んでいて患者はゼロ人だが用心に越したことはない。全員に警告を発した。もっとも注意しなければならないのは男子寮生とともに済んでいる私なので5年前の生活に遡ってマスク生活に戻った。 |
| ’25年09月04日(木) | 9月になってまた全国あちこちでコロナが流行し始めた。それが島原中央高校にも波及してきており、私が寝泊まりしている寮でも罹患者が2人出たのだ。気になるのは女子寮の様子だ。男子寮の2名に合わせるように女子寮に居る2名が学校を休んだのだ。崔コーチからはこの2人は体調不良で練習を休みますという連絡は入っていたのだが周辺にコロナ患者が増えてくると心配になる。と思っていたところへ2人とも今日練習に出てきた。どうやらコロナではなかったようだ。ホッ。 |
| ’25年09月03日(水) | 午後1時半に開始した練習をまた今日も2時半に打ち切った。A子が私がNGと指定しているプレイを簡単にやってしまったからだ。そのプレイをやったからといって直ちにミスプレイに繋がるわけではない。その危険性があるというだけだ。私が許せないのはNGプレイではなく、全く意に介しないで軽率にやってしまう心の奥底が気に入らないのだ。だが彼女等はそこまでわかろうとはしない。 |
| ’25年09月02日(火) | 3SUNCUP UP NEWPAGE3 |
| ’25年09月01日(月) | 島原中央高校はオフ日。よって島原には戻らず終日長崎の自宅でゴローンとしていた。 |
| ’25年08月31日(日) | 会場を移してカブトガニに応援場所を変えたがここも全滅。野澤氏と2日間に渡って会食しながらフィバアジアの回顧録について話し合ったが、選手強化に限らず、スタッフ強化・運営強化、その他すべての面で力を結集しないと勝ち抜けない。おい、みんなで頑張ろうぜ! |
| ’25年08月30日(土) | 九州国体初日、成年男子と成年女子の種別が闘うシーハット会場は全滅した。よって明日大村に留まる必要はない。だから明日は長崎市のカブトガニアリーナで開催の少年女子を応援に行こうと思う。すると、私のクルマで長崎市内の旧友に会いに行っている雅子に大村市まで足を伸ばして貰い、私を回収してカブトガニに向かって貰わなければならない。ゴメン。 |
| ’25年08月29日(金) | 明日と明後日が九州国体本県関係の試合だが、今日は大村市の野澤氏から「久々の大村なので前泊で来い。2日間とも晩メシを食う店を予約した」と言われたので中央高校の練習後にシャワーを浴びて車を走らせた。平日なので道路は混んでおり、約束の時間(午後7時半)ギリギリに大村に着いた。話は当然七転八倒してなんとかやり遂げたFIBAASIAの話から始まる。13年前の事だが、私が初めて知る裏話が3件もあった。相棒の私にも話せない裏話が野澤氏にはあったのだ。 |
| ’25年08月28日(木) | ピッと笛を鳴らす。本人と目が合う。数秒後「お前今何した?」と聞く。本人はキョトンとして取って付けたように「あ、ダブルドリブルをしてしまいました」と言う。そんなことはしていない。私が禁止しているノーキャッチ片手パスをしたのだ。その挙げ句が本人に自覚がない。そろそろ辞めどきかなあ。 |
| ’25年08月27日(水) | 国体成年女子の練習。夕方7時開始。会場は鶴鳴。カマラが参加するのだが、崔コーチは私用で休暇を取っているから私が送迎しなければならない。送迎だけではなく、クローズアウトの要領も指導依頼があって島原に着いたのが22:30を過ぎていた。風呂に入るのも面倒くさいから明日の朝入ることにしてもう寝る。 |
| ’25年08月26日(火) | 昼前、ジェイから電話がかかってきた。「今日は午前中に行事が終わったので練習を午後1時から始めていいですか?」と。スマホに登録してある予定では午後4時開始となっている。こんなことはしばしばある。学校行事表はすでに貰っていてそれに基づいてバスケ予定を作るのだが、学校行事は時々変更になる。その通知が私まで届いてこないことがある。今日もその1つだ。私は「30人もの人間がいながら誰1人予定表を見ていなかったってことか!1人でも間違いに気付いた者が居たら当日ではなく事前に、先生これ間違ってますよ、と連絡があってよかろう!」と怒鳴りつけて練習を打ち切った。こんなの、私が助っ人として手を貸すようなチームではない。 |
| ’25年08月25日(月) | 今日はオフ日なので島原には戻らず自宅で微動だにせず休養を取った。 |
| ’25年08月24日(日) | 長崎市内で国体成年女子との練習試合を済ませたら島原に戻るつもりで身の回りの品物を何も持たずに自宅に着いたがそこで明日はオフ日だと気がついた。そしたら島原に戻る必要はない。ところがパソコンは島原に置いたままだ。すると日々の出来事の更新ができない。だから今日から3日分のブログを更新する。まず24日の試合結果報告から、カマラを国体チームに貸し出しての練習試合だから当然試合にならない。20点以上の差で負けた。 |
| ’25年08月23日(土) | 午後から生田会長のお世話で選手達はバーベキューパーティ。私は鶴鳴時代かrあこんなイベントには参加しない。明日は島中と国体成年女子が練習試合をするのでその審判(ベンチ?かも)をする。だから今から長崎の自宅に帰る。 |
| ’25年08月22日(金) | 昨日の「5ヶ月」がまだアタマにこびりついているのか、今日は苦言が多かった。ACL損傷や前歯骨折やらの大きなケガで戦列を離れている数人が少しずつ戻ってきている。その最後の1人(浅野=群馬県出身)が今夜帰ってくる。これで全員揃うワケだがこれらの選手が戦列に復帰するのは10月のウインターカップ予選以降になるだろう。その間、他のケガ人や事件が発生しないよう細心の注意を払って練習を進めなければならない。 |
| ’25年08月21日(木) | ここにもう5ヶ月滞在しているというのにバスケが表現できない。個々の技術はそこそこなのだが、それをこの場面で使うか?というのがなかなか浸透しないのだ。これは、私のベスケ生活史上初めての出来事である。理由は分かっているのだがそこをつつき過ぎれば混乱させるので思案中なのである。それにしても5ヶ月は長い。 |
| ’25年08月20日(水) | 長期国内出張から戻って2日目、ようやく体調が回復した。茨城ではいろんな人が見学に来たがその中に高島(旧姓)も混じっていた。彼女は茨城で小学校の教員をやっていたが数年前に文科省が主催する青年海外協力隊に応募して合格し、ケニアに出張していた。その時ケニアの女性の貧しさを目の当たりにし、ケニアの女性のために何かできないかと考え、日本に帰ったら教員を辞めて商売をしようと考えた。その商売とは、アフリカの丈夫な綿布を使って洋服を作り、それを世界市場に拡げることである。そのためにケニアの女性たちに洋裁の技法を伝授し、製品が売れたらそれを彼女たちに還元し、生活の糧にしてもらうのだ。自分がこの商売でひと儲けしようなどとはこれっぽっちも考えていない。で、今は教員をやめて3ヶ月交替で日本とケニアを行ったり来たりする生活をしている。今回は私にアフリカ綿のシャツをプレゼントするためにわざわざやってきてくれたのである。 |
| ’25年08月19日(火) | お盆明けの練習再開初日。1時間半で終わった。選手が長いオフのあとだったこともあるが私の身体が保たなかったことが最大の理由である。昼メシと晩メシ以外はひたすら寝て明日からの練習に備える。 |
| ’25年08月18日(月) | 大村空港には18:30に着いた。しかしそれから島原までは1時間半かかる。諫早でウナギを食べ、クルマを運転して島原へ向かい、ブログを更新するのも忘れて寝た。 |
| ’25年08月17日(日) | cranesは3位だった。1位は埼玉2位は宮城のチームだったが私がどんなに手を入れてもcranesはこの両者に勝てるチームにはならない。修正しなければならない箇所がたくさんあるし、それを修正するのにかなりの期間を要するからだ。バスケットボールはそんなに簡単な競技ではない。また、コーチが人間としての年数を重ねなければそう簡単にマスターできる競技ではない。 |
| ’25年08月16日(土) | 今日はクリニックなしで、cranesが参加するカップ戦の視察に行った。2試合とも勝ったので明日もある。だから明日も視察だ。 |
| ’25年08月15日(金) | まだ守谷市滞在2日目だがもう5日ぐらい居る気がする。 |
| ’25年08月14日(木) | 羽田から守谷(茨城)までクルマで送って貰ったからすんなり移動できた。お盆の間は東京から人が居なくなったから町ががら空きになるから車の方がJRより移動が早いのだ。練習は5時から7時まで。どこにつまずきがあったのかというとコーチの教えすぎが浸透しすぎていてこどもたちが「あ、そんなことやってもいいんだ」にならないことだった。そこを徹底的に直した。それを見事に実行したのが小3の小さな体格の子だった。もちろん私はその子を取り上げる。明日はこれを2~3人増やそう。 |
| ’25年08月13日(水) | まだふくらはぎは張っていて足首はむくんでいる。だから今日も早く寝ようと思う。明日は朝8時に家を出て羽田に向かう。明日からの対象はミニバスだが昨日までの3日間のクリニックでしかもこれまでに数回実施したことのある対象だったのでそれほど苦労はしなかったが明日からのクリニックは初対面のミニバスだ。そこがちょっと不安だなあ。 |
| ’25年08月12日(火) | 下関クリニック最終日。立ちっぱなし動きっぱなし声出しっぱなしの3日間だったので、足首はパンパンにむくんでいる。でも明日1日休んだら茨城での5日連続のクリニックが待っているので疲れたとか言ってられない。日本国中どこからでも依頼されたら断らずに引き受ける。だれのせいでもない。自らが招いた宿命だ。そのために今日はこのブログを書いたら寝る。 |
| ’25年08月11日(月) | 昨日のホテルではさんざんな目に遭ったが今日も復旧していない。ホテル側は他ホテルを斡旋するのでそっちに宿泊してくれという。了承したがそれがなんと小倉駅前のホテルだ。なに~。明日のクリニック最終日は小倉から下関まで通えというのか?他の宿泊客の中にも明日は下関市内でどうしても処理しなければならない仕事があるので下関市内にしてくれと頼んでいる人がいる。そりゃそうだろ。ホテル側も客の明日の用件次第では下関市内のホテルも紹介しますぐらいの配慮をしろよ。そんな仕事ぶりでは客をなくすぞ。 |
| ’25年08月10日(日) | 自宅を朝4:43に出て下関に向かった。今日から3日間クリニックである。ホテルは落雷の為に停電で電気は使えない。よってブログも更新できない。以上 |
| ’25年08月09日(土) | 毎年8月9日は祈りの日(原爆記念日)で長崎の生徒達はみんな登校して祈りを捧げる。だから今日の練習は午後からだ。ところが私は朝7時にたたき起こされた。犯人は集中豪雨だ。寮の南側のドアや窓ガラスの隙間を通して雨風が吹き込む。寝ているベッドの上に突然雨粒が落ちてくるので驚いて目が醒めた。練習は1時間半で切り上げた。私のガソリンが切れたのだ。 |
| ’25年08月08日(金) | 今日は午前中時津中学校(ABLAIZE)が練習試合に来た。こっちのメンバーは、カマラを外し、ジェイを外し(脇にひどい湿疹が発症して汗をかかせられない)、松尾をはずし(足首捻挫)たメンバーでやった。窪田は使って試したかったが右手親指のひどい突き指で出せなかった。というわけで、吉田・奥野・高松・松岡の3年生に橋本・生田・本庄谷を加えた7人で闘った。1年生からコートに出してやれるような選手はまだ現れない。 |
| ’25年08月07日(木) | 今日の練習は2時間経過したところで打ち切った。私の体力が保たなかったからだ。なぜ体力が保たなかったのかは声をいっぱい出したからである。なぜ声をいっぱい出したかというとカマラに声をかけるとカマラが反応するからである。それならこれもと欲が出る。声を出すのは身体を動かすより疲れる。寮に帰ったあとはバターンとベッドに寝て4時間くらいそのままだった。 |
| ’25年08月06日(水) | 昨日腰痛で休んでいたカマラは今日来た。このことについて崔コーチに尋ねた。私がここに出入りするようになってからカマラはしばしば腰痛といって休むが何なんだと。ヘルニアだと回答があった。それは母国で診断済の症状なのかこちらへ来てから診断されたのかと問うた。こっちに来てから診断を受けたという回答だった。私はたしかにヘルニアかもしれないが軽いという文言が入り、それを休みたいときにうまく活用しているな、と答えた。私はX線画像もMRI画像も見ていないので信用はしていない。 |
| ’25年08月05日(火) | AM練習。終わればすぐ自室に戻りひたすら安静にしておく。明日のエネルギーをチャージしなければならないからだ。練習時間以外でも明日の練習のことしか考えない。それがあと8ヶ月続く。 |
| ’25年08月04日(月) | 朝4:40に目を覚まし、6:00に長崎市内のホテルを発ち、島原から選手を乗せてくる(JBAのペナルティは選手を直接指導したりはできないが選手は全員寮生なので選手の送迎は校務だからOK)崔コーチと諫早競技場で落合い、福岡市内の福大若葉高校に向かった。前々から誘いがあったのだが今日重い腰を上げてそれを実行したのだ。ところが島原からやってきたマイクロバスにカマラが乗っている。このところ練習をボイコットしてずっと来ていなかったのに。「なんだカマラは」と崔コーチに聞いたら「カマラが山崎先生に話しがあるというので、じゃあバスに乗れといって連れてきました」という。どんな話があるのかは聞いていないともいう。若葉の体育館ではプレイ着姿だ。それで2度ビックリ。選手の誰かに「何だカマラは。プレイするつもりか?」と聞いたら、そうらしいという。カマラが私にどんな話をしたいのか聞く間もないまま若葉とのスクリメージが始まった。1本目のはハーフタイムに「お前、後半も出るのか?」と聞いたらYesという。私はカマラの話は「もう山崎先生の練習にはついて行けないのでやめます」と言いたいのだと思っていたのだが違った。夕方4時頃までスクリメージは続きボロボロに負けて島原への帰途についたが、カマラがどんな話を私にしたかったのか聞かないまま諫早競技場で別れた。明日からカマラはどうするのかも聞かないままだ。なんだこれは???? |
| ’25年08月03日(日) | いよいよ合宿最終日。ほんとに選手はがんばる。この暑い中苦しそうな表情はまったくみせず高校生や県内の強豪中学に果敢に挑んでいく。私も若さを取り戻したい。写真①戦いの様子。写真②顕彰碑1991年インターハイ優勝時。写真③なんじゃもんじゃの木(対馬にしか自生しない天然記念物。1991年の5月に始めて真っ白な花を咲かせた)。 |
| ’25年08月02日(土) | 合宿4日目。今日は武者修行で長崎市内の学校に出かけた。純心高校と純心中学に相手をしてもらい午前午後と2部練。双方やればやるほど活気が増し、試合内容も午後は一段と激しくなった。久々に目にした若者の可能性に心を洗われた1日だった。夜は平成2~3年のチームの同窓会をやったが、残念ながらスマホとパソコンの相性が悪く動画を送れなくてHPにはクリニックの様子を掲載できなかった。 |
| ’25年08月01日(金) | 午前のみBLAZEの面倒を見て午後はイルカウォッチングに出かけた。結果はハズレ。私は15年間こどもたちを連れて毎年行っていたが今年のように1頭も見つからなかったのは初めてだった。でも、バスケは今日まですべてうまくいっていたのだからこんな日もあるさと思わなければなるまい。 |
| ’25年07月31日(木) | 合宿指導2日目。レッグスルードリブル・ビハインドチェンジドリブル・リングから遠い位置でのハンドオフプレイ・ペイントエリア内でのリアターンがやたらに多いのは全国共通の傾向のようだ。しかもその功罪を考慮せずあたかも流行に乗り遅れないためだけの目的でやろうとするプレイにはさすがに私も最後はがまんがならずチェックを入れた。明日の変化に期待しよう。 |
| ’25年07月30日(水) | 神奈川県茅ヶ崎市を拠点とするU15のクラブチーム(BLAZE)が昼過ぎ大村空港着の飛行機で合宿に来た。宿舎は雲仙の麓にある舞岳山荘だがそこを素通りして中央高校へ直行。午後2時から5時までクリニックをやった。クリニックは私自身が身体を動かして説明することが多いので疲れるが、この子たちはこちらの意図をくみ取る能力が優れており指導していても楽しかった。 備考:コーチは浜松インターハイで鶴鳴が優勝した時のポイントガード高山(旧姓松尾)朋子氏である。 |
| ’25年07月29日(火) | カマラは予想通り無断欠席。他はいつものメンバーが揃っていた。カマラは予想通りだが他の選手の危機感がまだ足りない。これは練習量を増やしたり、レクレーションをやったりして解決できる問題ではない。選手1人ひとりの心の奥底から変えていかなければどうにもならない問題なのだ。昨夜ダバが母国に帰ったが替わりがまた来るらしい。だからどうにかなるという問題ではない。日本人自身が自分に問いかけ、危機感をもって取り組んで欲しい。 |
| ’25年07月28日(月) | 本来今日はオフ日なのだが昨日長崎に行った時そのことはアタマからすっぽり抜けており、着替えやクスリやパソコンなど何一つ持って行っていなかったので今日は早々に自宅を引き揚げ、寮に戻って残務処理をした。カマラの一件で明日からの練習がまともにできるかどうかは判らない。 |
| ’25年07月27日(日) | 今日は純心高校で国スポ成年女子の練習があった。それにカマラも参加した。カマラが参加するので残りの中央も参加する。国スポと中央が試合をし、次に純心とカマラ以外の中央が試合をし、さらに中央の主力を抜いた選手たちと純心の主力を抜いた選手と試合するなど、プログラムは忙しかった。そんな中で午後カマラがまた私から史上最大の雷を落とされた。この雷についてはカマラだけでなく、学校・保護者・カマラ以外の現役選手・その他諸々の関係者が真剣に考えなければならない。よそものの私がこんなに怒りまくって、当事者がのほほんとしていてはチームの再建などあり得ないからだ。 |
| ’25年07月26日(土) | 今日佐藤氏に加えて県内の指導者+選手が参加した。指導者だけではなく選手も参加したということは来春入学するつもりの選手だろうがその時私はもう居ない。最近の私は怒りでぶち切れる日が多い。私は1年間の助っ人で依頼されたのだが、チームがそんな危機的状況に置かれていると認識しているのが1人もいないからだ。任期の3分の1が過ぎたが任期が終了するまで私の気持ちが保つかどうか怪しい。 |
| ’25年07月25日(金) | 今日から3日間、都立白鴎高校の佐藤先生が見学に来る。今朝は8:50に海望荘にクルマで迎えに行った。都立だからスポーツより勉学優先なので人数も少ないはずだし練習時間も制限されるはずだ。そんな環境でわざわざ長崎まで研修に来るとはよほどの事情があるのだろう。彼は父親の転勤により小学校から高校までずっとアメリカで過ごしている。そんなことも影響しているのかもしれない。私は自分の体力温存で練習後は島原市内観光にはつきあえなかった。ゴメン。 |
| ’25年07月24日(木) | 学校は夏休みに入っているがバスケ活動は稼ぎ時だ。今日までは自チーム主体の練習だが明日からは見学来客やらチーム合宿やら県外遠征やらクリニックやらが目白押し。8月18日まではずっとそんなことが続く。私も水分をこまめに摂ってミイラ化しないように気をつけなければ。 |
| ’25年07月23日(水) | 夕方7時から9時まで国体成年女子の練習にカマラを連れて行って参加した。今日はスタッフたちが私の疲れ具合を見て審判をやってくれたので死ぬ思いはしなくて済んだ。帰りの車中でカマラに質問した「カマラ少しおりこうになった?」と。カマラは「おりこう」が判らなかったようなので「おりこう means smart」と言ってアタマを指さしたら判ったようではにかんでいた。 |
| ’25年07月22日(火) | 今日は昨日全く出場しなかった部員だけで練習した。昨日試合に出た選手はオフ。12名だったのでそれをふたつに分けて簡易ゲームをした。下級生ばかりなので当然だが目が幼稚だ。この選手たちを新人戦までに使えるようにしなければならない。人育てのノウハウは持っているがはたしてそれが通用するかさえ不安だ。 |
| ’25年07月21日(月) | 寮に帰ってきたら玄関の下足箱の下でムカデ(7㎝)が死に絶えていた。玄関の引き戸周辺に撒いてある白い粉(殺虫剤)をかいくぐって上がり框まで侵入したもののそこで息絶えたようである。恐るべムカデの執念。キャーッ! 備考:reskogohai25UPです。先ほど試合が済んだばかりなので勝ち上がり表は明日UPでしょう。brakogohai25 |
| ’25年07月20日(日) | 島原中央に来てからなんだか用心深くなって試合案内や試合結果をHPにUPしていませんでしたが、全国の多くの人々が知りたがっている情報で、多くの人々が参考にしている情報をコソコソやるのが馬鹿らしくなったので従来通り公開します。該当者で自分の個人情報を公開されるのを都合が悪いと思われる方はお知らせください。スポーツ大会の結果はすべての競技団体で公開されています。reskogohai25 |
| ’25年07月19日(土) | 縦横無尽に動けるようになったカマラだが、カマラの根深いところに巣くっているカッとなる性格はあと数ヶ月の訓練では直せないようだ。ただ、直したい!と思ってプレイしているのは伝わってくるのでこちらが「もう我慢ならない」にならないように付き合っていかなければならないようだ。 |
| ’25年07月18日(金) | 幸いジェイは今日も元気でプレイできた。あとは、松岡がこの大会期間中(皇后杯)にコートに立てるようになるかどうかだ。明日からの久々の公式戦に備えて今日の練習は1時間45分で終わった。カマラは縦横無尽に動けるようになった。 |
| ’25年07月17日(木) | 今日と明日は練習を2時間で切り上げる。ジェイが以前骨折した左手の甲を再受傷したからだ。再受傷したけど医師からはテーピングをしっかりして、2日後の皇后杯には出て良いと言われたから出るらしい。明確な骨折線はX線上では見られいそうだ。しかし予防措置はしておかなければならない。もちろん、私からもやってよいプレイとやってはならないプレイは指示した。今日の練習もジェイ用に特別アンテナを1本用意した。 |
| ’25年07月16日(水) | またムカデが出たらしい。これで3回目だが、今回のは大きくて10㎝を少し切るぐらいあったという。私は洗濯物を裏の者干し場へは干さず部屋干しにした。時々洗濯物に混ざって野球部の選手たちの部屋に持ち込まれるからだ。人間から私の行動を邪魔されるのは予測していたがムカデまでとは・・・。洗濯物干しを部屋干しにするだけじゃなく、戸締まりも隙間なくびっしり閉めなければならない。 |
| ’25年07月15日(火) | 朝10時から2ヶ月に1回の歯医者、そのあと1ヶ月に1回の不整脈の検診。そして午後1時半開始の練習に間に合わなければならない。だからバイクで移動した。クルマだと混雑したり駐車場が見つからなかったりするので時間が読めないからだ。バイクは風を切って走るから爽快だろうと思う人が居るだろうが、30℃以上の猛暑の中を太陽に照らされて片道1時間半往復するのはきつい。サンマの網焼きではないが自分の身体から煙りが出そうだった。 |
| ’25年07月14日(月) | 今日から4日間3者面談で授業は午前中で打ち切り。だから部活は1時半から始められる。今日は1:30に始めて3:50に終わったが、3時半を過ぎた頃から私の足が動かなくなった。明日はまた島原⇔長崎を走らなければならない用事があるのでしばらく寮の自室で休んでから今日の内に自宅に帰ろうと思う。フウ・・・ |
| ’25年07月13日(日) | 日高氏クリニック2日目。今日はずっとスクリメージなので私もずっと審判だった。11時半頃血糖値低下で死にかけたので補液と補食をした。それでも疲労は回復せず、純心の体育教官室で1時間ほど昼寝をさせて貰ってから島原に向かった。1年契約の3分の1が過ぎたが、残り3分の2を無事生き延びられるのかなあ。 |
| ’25年07月12日(土) | 今日と明日、長崎成年女子の指導で東京から日高先生が来られたので島原に引っ込んで居るわけにはいかない。挨拶に出向いた。挨拶だけではない。カマラが国体成年女子に選ばれているのでその補助も含めての行動である。復活したカマラは絶大な影響力をもって貢献するはずだ。さあ、国体を契機に島原中央も再出発だ! |
| ’25年07月11日(金) | 私が島原に常駐するようになってからカマラがまともにプレイをするのは見たことない。それがどんなきっかけで寮にもコートにも顔を出すようになったのか知らないが、再度顔を出したあとのカマラにはしぶしぶとかイヤイヤという感じはなく、私の指示を聞くし普通にプレイをする。それなら私も構想が立てやすい。しかも今日のカマラの出来は「これなら私の闘いも無駄にはならないだろう」という目だったし動きだった。まだ信用し切ってはいないが。 |
| ’25年07月10日(木) | 今日は午後から島原に戻った。今週から来襲にかけてはいろんな行事が立て込んでいて長崎⇔島原の繰り返しが続く。昨日と今日はクルマで往復したがそれでも片道1時間半を何回も繰り返していればそれだけで体力を消耗する。それを倒れずに支えているのはカマラの復活だけだ。雲仙は過去の歴史から激甚災害を起こしている地なので復活カマラもいつ激甚災害を起こすかわからない。それが不安であってもやるしかない。 |
| ’25年07月09日(水) | 今日はBPKの日、また創成館高校まで走った。もう身体は疲労の極地である。しかし、カマラが復活したのでここは私も踏ん張りどころ。泣き言やグチは言ってられない。今日は自宅のベッドで寝るが明日はまた寮のベッド、あさってはまた自宅のベッドと長崎⇔島原の行ったり来たりがめまぐるしい。だけど踏ん張りどころだ。 |
| ’25年07月08日(火) | 昼前にまたバイクで島原まで走ったが、今日は野球の試合で全校応援なのでバスケ練習ができるかどうかはわからない。ジェイとスマホで連絡を取り合ったが、野球の試合は午後4時に終わった。それからマイクロバスで学校まで戻るには1時間半かかるからほぼ練習は不可能だ。そう伝えて私は自室のベッドで横になって休養を取った。 |
| ’25年07月07日(月) | バスケ協会数人と近況報告の食事会をしたので島原の練習は私の出番である後半メニューを先に済ませ、自分たちだけでもできるシューティングを後半に持ってきて私は自分の出番を済ませたら長崎にバイクを走らせた。晩メシを食うためだけに片道1時間半かあと思いながら走った。 |
| ’25年07月06日(日) | 本来中央バスケ部は月曜日がオフなのだが都合で今日(日曜)をオフにして明日(月曜)をr練習日とした。私は長崎には帰らず終日寮で過ごしたが疲労は極限で寮の廊下を歩くにもふくらはぎが痛いのでほとんどベッドでじっとしていた。 |
| ’25年07月05日(土) | そんなにうまくいくもんか。練習後自室に戻って何度も苦笑いした。そんなことが起こるチームなら1ヶ月くらいまえにその兆候は出ている。今日は元の木阿弥。悲惨に戻った。83年も人生を重ねた自分が近頃の若者をコロッと信用してしまったのがはずかしい。 |
| ’25年07月04日(金) | 今日は練習後しばらく体育館の玄関で大の字になって寝ていた。疲労の極限だったのだ。なぜそこまで頑張ったかというと、目も当てられなかったディフェンスが今日の練習で少し活気を帯びてきたからだ。だからこの機を逃すものかという思いで私も踏ん張った。気温は昨日と同じ34℃。暑い!などとは言ってられない。今日の動きが偽物でないならここからこのチームは変わるかも知れないのだから。 |
| ’25年07月03日(木) | 湿度は50%しかないが室内温度は34℃。教える私がヘトヘトだ。特に今はディフェンス強化の練習に集中しているから教える私の身体が崩壊寸前になる。おそらく選手たちもあちこち筋肉痛が起こっているはずだ。でも皇后杯までは手を抜かない。 |
| ’25年07月02日(水) | 審判の研修会(BPK)があるので創成館高校まで出向いた。長崎で催しがあるときは夜島原に戻らず自宅で寝て翌朝島原に向かうが、バタバタしていてHP更新用のパソコンは学校に忘れ、睡眠導入剤も学校に忘れたのでちょっと困った。 |
| ’25年07月01日(火) | 昨日不貞寝をしている間に決心をした。ヨシ!明日からずっとディフェンスの強化だけに特化したメニューを続けよう。おそらく悲惨な状況になると想像しながら練習を始めたが想像通り悲惨な結果になった。悲惨だったのは想像通りだがそれよりショックだったのが自分たちのできばえは悲惨だと選手たちが感じていないことだった。 |
| ’25年06月30日(月) | 練習はオフ日なので1日中寮の部屋で不貞寝をしていた。明日、機嫌を直してコートに立てる自信はない。 |
| ’25年06月29日(日) | 今日は開始から1時間20分で練習を打ち切った。何回注意してもディフェンスを熱心にやらない選手が2人いるからだ。その2人は今日だけじゃない常にそうなのだ。私が指導する内容をやらない選手が居るのならば助っ人が私でなければならない理由はない。 |
| ’25年06月28日(土) | 午前の練習を終わり、すぐ日大高校で実施される国スポ少年女子のセレクションで審判をし、夕方6時からはニューヨークから里帰りした立川美礼たちの同窓会に顔を出した。同窓会の最中には8月のお盆の時期に茨城からのクリニック依頼が舞い込むなど忙しい1日だった。 |
| ’25年06月27日(金) | この前は室温31℃湿度75%。その時は窓をすべて開放し、大型扇風機は4個すべて回して練習した。今日は湿度こそ先日より低く60%だが室温は34℃。しかも気象庁は本日梅雨明け宣言。アチャーッ。9月の声を聞くのはまだ3ヶ月先だぞ。科学者の誰かさん。地球を丸ごと冷やす方法を考えてくれえ。 |
| ’25年06月26日(木) | 夕方6:26に練習を終わって創成館高校までクルマを飛ばした。今日はBPK審判研修会がある日なのだ。片道1時間20分かかった。やっぱり島原は遠いわ。明後日はまた午後から日大高校まで出向かなければならない。少年女子のセレクションがあるのだ。世話係のスタッフや選手たちに「おつかれさま」を言うためだけに顔をだす。これも長老の務めだと思っている。 |
| ’25年06月25日(水) | 夕方7時からの成年女子トライアウトにカマラを伴って顔を出した。9時に終了したが島原に帰り着いたのは22時40分だった。やっぱり島原⇔長崎は遠い。 |
| ’25年06月24日(火) | ノソーッとした動き、たぶんそれが私は嫌いなのだ。それがセネガル人なんですよと人は言う。それを言うなら日本に出てくるな。自国に留まっておけ。日本に来たら日本人になれ、と私は言いたい。 |
| ’25年06月23日(月) | 島原の選手の顔を見るのは久しぶりだが楽しくはない。たぶん、私自身の心の中にセネガル人嫌いが染みこんでいるからだと思う。私は日本国籍を持っている日本人だが日本を好きになれない。それは太平洋戦争でもっとも悲惨な少年時代を日本人として過ごしたからだと思う。それとセネガル人嫌いは別問題だが嫌いなものは嫌いだから仕方がない。 |
| ’25年06月22日(日) | 今日まで九州大会を観て明日島原に戻るつもりだったが、今日の試合は観ないで昼頃長崎を発ち島原に戻った。天気が崩れてきたからだ。1時間半も雨に打たれて島原まで走りたくない。今回はバイクのチェックの件もあって長崎までバイクで戻ったからこんなことになったのだ。前後輪のタイヤ交換、前後輪のディスクパッド取り替えその他プラスヘルメット購入で9万8千円かかった。だけど走りは快適になった。 |
| ’25年06月21日(土) | 九州大会初日。第1試合開始の9時から第5試合終了の4時半まで、ずーっとカブトガニアリーナに居た。見たい試合があったワケではない。いろんな人に挨拶に行かなければならないし、逆に挨拶も受けなければならない。最後は県外コーチ2人と餃子を食べに行った。練習や試合を観るのではなく人と会うことに気を遣うのは疲れる。明るいうちに長崎の自宅に帰り着いたがそのあとは何もしたくなかった。 |
| ’25年06月20日(金) | 今日で期末テスト終わり島原中央の練習は再開できるのだが明日九州大会観戦のためにチームは長崎に来るので、バイクで長崎の戻っている私はまたバイクで往復することになるので、今日の練習は顧問に任せて長崎に留まることにした。 |
| ’25年06月19日(木) | 19:00~21:00創成館高校で行われた審判研修会に顔を出した。もう審判資格の更新はしないが、福岡氏の進行はコーチーングやクリニックの進め方にも参考になる。だから、福岡氏の進行手順や受講者の目付き動きからも目を離さない。しかし、後半は腹が減った。 |
| ’25年06月18日(水) | 新車購入時から3年、どこも手入れしていなかったスクーターの手入れをこのテスト期間中に済ませた。総経費9万8千800円かかった。しかし軽快に走れるようになった。 |
| ’25年06月17日(火) | コーチライセンスの更新は、支払をクレジットカード決済で申請したが何回やってもダメ。結局コンビニでの支払いにしたが。クレジットカードを紛失して再発行して貰ったのに古いカード番号を入力し、何度も失敗したので入力不能になってしまったようだ。コンビニから急いで帰って大谷選手の663日ぶりのピッチングを見たが大谷選手がマウンドに上がると球場内はシーンとなり(熱狂ではなく)不思議な緊張感が漂った。まさに彼はただ者ではない。 |
| ’25年06月16日(月) | コーチライセンスの登録は済ませていたと思っていたが、リフレッシュ研修を受けただけで支払手続きは忘れていたので更新したことにはなっていなかった。時期が東長崎中を辞めて島原中央に移籍した時期と重なってバタバタして失念していたのだ。まったくドジだよ。 |
| ’25年06月15日(日) | 懸案のスクーター無償修理作業のために長崎に帰ってきた。期末試験終了(20日)までは長崎に居るので、起きるのも何時に食事を摂るかも何時に寝るかも自由である。しかも今日は超ハッピーな出来事が続いた。11時に放映開始のBS1で6月は10試合連続HRなしの大谷選手が2打席連続の24・25号を打ったのだ。午後には宝塚記念で7番人気のメイショウタバルに騎乗した武豊騎手が1番人気のベラジオオペラを抑えて優勝した。こんな日はめったにない。 |
| ’25年06月14日(土) | 今日はカマラが風邪で休んだので通訳なし。ダバのシュートフォーム改造に着手したが私の英語説明にうなずきはするものの本当に理解しているかどうかは疑問だ。でも、しっかり聞いて理解しようとする態度は偽物ではないようだ。今日の練習後2日間オフでそのあと期末テストがあり時短練習となるので、2ヶ月前にヤマハから通知が来た無償修理実施をやってもらうために長崎に帰ることにした。何日間の作業になるかはわからない。 |
| ’25年06月13日(金) | カマラが戻ってきて何が便利かというと、ダバの通訳ができることだ。ダバは英語はまったくダメ。こっちはフランス語はまったくダメ。 だから、私の意志が通じるのは私が英語で喋ったことをカマラが現地語であるワラフ語で通訳してくれる時だけだ。留学生との意志疎通がこんなにスムーズにいくのは23年ぶりだ。 |
| ’25年06月12日(木) | 宮本輝氏初の長編大河歴史小説(全4巻)の第1巻を読み終えた。幕末から明治にかけての日本の動きを題材としているが他の歴史小説家とは違った観点と表現でなかなか面白い。詳しく書くとこれから読む人へのネタばらしになるのでここまでしか書かないが、宮本氏の初版(流転の海)は全9巻を35年ぐらいかかって書き上げたのに比べて今回は8年と、約4分の1の時間で書き上げている。プロでも慣れればそんなスピードでかけるのだと感心してしまった。 |
| ’25年06月11日(水) | ダバは正式に測定したら186㎝しかなかった。やっぱり。それより驚いたのはカマラが突然練習に参加したことだ。聞けば3日前から寮には戻っているという。そんな情報が私にはまったく入ってこないのだ。よかったよかったとは思っていない。ダバに加えてカマラ、それに日本人の教育、この3つが重なったとしか思っていない。さてどうする。 |
| ’25年06月10日(火) | 2人目の外国人留学生(セネガル 190㎝)が練習に参加した。私は全く信用していなかったが、少しはバスケを習った形跡がある。それで、どう利用するかやどう育てるかは見当が付いたが、それより日本人の教育に手を焼いた。彼女が参加している時は彼女専用のアンテナを用意しなければならないのだがそれができない。教育はそこから始めなければならなかった。備考:1人目のセネガル人はどこでどうしているのか、もう2ヶ月私の視界に入っては来ない。 |
| ’25年06月09日(月) | バイク走行中にスマホを落として、それが後続車に踏まれて登録していたアドレス帳の大半を失ったが、ドコモの協力で多くが復活したので連絡を取り合っていたら、52年前の全中優勝時のメンバー数人とランチしようということになった。3時間ぐらい梅の花に居座り続けたが、武器を持ち込むのは禁止と言ってあったので実害はなかった。ホッ |
| ’25年06月08日(日) | ジェイと奥野はまだできないし、高松にもオフを与えたので人数は少なくなったが練習時間は短縮されない。理由は、若手中心になるのでどうしてもストップしてチェックが入るのが多くなるからだ。でもシーズン全般のことを考えるとこういう時期も必要なのだと思う。 |
| ’25年06月07日(土) | ジェイはもちろん、奥野も明日は歯茎が腫れて痛いから練習は無理だろう。だから主力トリオのひとりである高松を明日はオフにした。そうするとジェイ・奥野・高松の主力トリオの休養バランスがとれて足並みが整うのではないかと考えた。 |
| ’25年06月06日(金) | 主将のジェイは左手甲の第5中手骨にヒビが入っているのが判明したし、奥野は前歯が折れていることがわかったので留学生が合流したといえども私はまだウィンターカップ予選に向けて体制が整ったとは思っていない。 |
| ’25年06月05日(木) | 2ヶ月遅れで2人目の外国人留学生が到着した。それを受けて私は選手たちに「よかったよかったではなく、自分たち(日本人)がどれだけ頑張るかでウィンターカップ予選の結果は決まるよ」と言った。 |
| ’25年06月04日(水) | 今日は高総体代休で学校や休み。バスケ練習も休み。終日暇なので今日は喧嘩の準備をすることにした。喧嘩といっても不良少年ではないから殴ったり蹴ったりはしない。教唆煽動罪・不法占拠罪・不退去罪・脅迫罪・虚偽告訴罪・肖像権侵害罪などに該当するものを並べて吟味する作業だ。朝7時から夕方5時までパソコンとにらめっこだった。が、まだ充分ではない。 |
| ’25年06月03日(火) | 今日までオーバーワークの選手はオフ。該当するのは3年生3人と2年生3人だが、身辺多忙で多くの選手が休んでいる。したがって練習は下級生10人でやっているが来年も多くは望めそうにない。強いところに行きたいと思ってやってきても、自分が働かなければ自分の給料は上がらないという社会生活の鉄則を教えるがまだピンと来ないようだ。 |
| ’25年06月02日(月) | 2日がかりでエクセルを修復し、ようやく試合結果報告に手を付けた。パソコンは鶴鳴時代の中頃に覚えたが、教員のパソコン研修で学んだのではなく我流で覚えたのでこのようにバグるとどこから手を付けていいかわからなくなる。これを業者に丸投げして自分は手をこまねいているだけならもっと前にさじを投げているかもしれないが、自分でなんとかしようと思ってうやっているうちは「俺にもまだエネルギーが残っている」と思うことにしようと思う。 |
| ’25年06月01日(日) | 昨日バグったパソコンを修正しようと思って体育館まで持って行ったが直らず、家に持ち帰って続きをやったが却ってもつれてしまってまだ直らない.。だから試合データは更新できなかった。代わりに奇異なことを報告しよう。試合中どうやら俺をターゲットにしてカメラを向けている人物がいる。多分俺の言動に不備があったらそれを取り上げてJBAに挙げ、俺を崔コーチの二の舞の生け贄にしようと思っているヤツの仕業だと思うが、俺に喧嘩を売っているのならば受けて立とうと思う。 |
| ’25年05月31日(土) | 午後6時から今日の試合のデータ処理を始めたが、エクセルがへそを曲げていうことを聞かず臨時の応急処置でどうにか今日の分だけは変則処理で切り抜けた。午後11時までかかった。明日はちゃんとできるかどうかわからない。 |
| ’25年05月30日(金) | さて、高総体の練習最終日、スタメン5人は予定通りシューティングのみで帰宅。身体の動きやシュートの格率を観察していたらいつもと変わらず良くもなく悪くもない。ここまできたのだから明日からの結果は私の双肩にかかっている。なんと、私の生涯最後の年度が困り果てた高校の再建ベンチとは・・・。どこにいるどんな神様か知らないがずいぶん無茶ぶりをするものだ。お前しかやれないのだからという意味での無茶ぶりだと思うので渾身の力を振り絞って締めくくろうと思う。 |
| ’25年05月29日(木) | 今日はスタメンの5人が練習に参加する日。練習が始まる前に「明日のスタメンはシューティングの1時間のみ参加してそのあとは帰宅」と告げた。何10年も前の私なら「今日の出来が良かったら明日はシューティングのみ」と条件提示をしたと思う。それで「じゃあがんばろう」と奮起するような安物選手たちなら本番でもだめだろう。予測通り今日のスタメンは最悪の出来だった。でも明日はシューティングのみだ。 |
| ’25年05月28日(水) | スタメン外しの練習だが私は不満だ。3日前目に光りが宿っているのがいないと嘆いたが今日も同じだ。自分にもコーチの目が届くかもしれないと思わないでコートに立って何の楽しみがあろう。これは島原中央の選手がということではなく日本全国の部活動がこんな状態だというのを現している一例だと思う。それほど緩くなっているのだ。将来のオリンピック危うし。 |
| ’25年05月27日(火) | 新粥・高松・奥野・松尾・松岡のスタメン5人は昨日の一昨日の2日間休養させ今日練習に参加させたが明日もオフにして明後日はまた参加させようと思う。本番の出場時間を考慮すればそれくらいで丁度バランスが取れるだろう。選手たちは試合直前にこんな休んで大丈夫かなあと多少心配するかもしれないが私は数10回経験済みだ。大丈夫!追伸:今日は崔コーチの奥さんが生まれたばかりのこどもを連れて見学に来た。こどもはいつ見てもかわいい。 |
| ’25年05月26日(振) | 高総体の案内ファイルがなかなか送信できなかったが今日ようやく送れた。遅れた理由はチーム内のゴタゴタでなかなかメンバーが決まらなかったからである。チームが落ち着くまでまだまだ道は遠い。 |
| ’25年05月25日(日) | 今日はスタメン5人を休養日としたのでそれ以外のメンバーでの練習だった。実際にプレイできるのは14人、これを4人組と3人組のふたつにワケ、4人組はフルコートスクリメージ、3人組はハーフコート3対3を繰り返した。この間私の目はひとり1人の目付きや表情に注がれる。ここをチャンスと見て自己アピールをしようとする者が居るかどうか観察したのだ。いない。残念! |
| ’25年05月24日(土) | 前々から申し込まれていた練習試合を受け入れた。後半点差が開きそうになったのでできるだけ若手を出そうと思って交替をさせたが主力組が支え切れなくて逆転された。私が掌握しきれていない選手の内面が暴露されたのだろう。本番ではサービスなし、どんな相手でも勝負優先で行かなければならない。 |
| ’25年05月23日(金) | 室温27.5℃。過去30℃超えは何度も経験したことがあるがここ最近では今日が1番高いのじゃないかと思う。だけど、動きが悪くなってはいないので練習は通常通り続けた。2時間40分だった。 |
| ’25年05月22日(木) | 今日も一昨日に引き続き暑かった。後半ペースダウンするかなあと思っていたが調子を維持できた。それで今日の練習は最後のスクリメージを省いて「今日の練習はこれで打ち切り!」と宣言した。ここで頑張らせ過ぎてケガでもされたら元も子もない。たまにはこんな日があってもいいのだ。 |
| ’25年05月21日(水) | 可もなく不可もなし。 |
| ’25年05月20日(火) | 18・19と2晩自宅で過ごし島原に戻ったが、自宅に居ても島原に戻っても何も代わりはしない。時間が空いたら本ばかり読んでいる。。仕方なくであって好んで読んでいるのではない。歳だから何をやるにもものぐさになっているのは事実だ。橋幸夫さんが認知症を公表したという記事を見たが彼は82歳、俺よりひとつ下だ。気をつけたからってどうにかなるものではないが認知症だけにはなりたくないなあ。 |
| ’25年05月19日(月) | 中央はオフ日。山崎は長崎の自宅でオフ。ダラダラと過ごす。 |
| ’25年05月18日(日) | 朝1発目の試合は私の審判から始まった。チームは2試合目が初戦だ。審判のことについて述べておこう。吹けと言われればいくらでも吹けるが、ライセンスの更新申請は今日限りで辞めた。カップ戦での帯同審判はもうなかろうし、何より更新後の登録料を払うのがもったいない。練習試合で吹くのにライセンスは不要なのでそれで済ませる。ル-ル変更への対応は自学自習をおこたらなけえば間に合う。シャトルランは122回の記録(54歳時)をもってるので体力的にも大丈夫だ、 |
| ’25年05月17日(土) | 中央高校の練習が終わった後寮の自室でちょっと昼寝をしてから長崎に向かった。明日長崎・佐世保の高校生及び国スポ成年女子チームとのスクリメージをするので一足先に自宅に戻ったのだ。外国人留学生はまだ復帰していないし、先の春季選手権で膝と足首の重傷ケガ人を2人出しており、残りのメンバーで再構築を図って初めての対外試合なのでどうなるか判らないがようやく全員の名前と特徴はほぼ覚えたのでなんとかなるだろう。 |
| ’25年05月16日(金) | 今日から高総体まで短縮授業。水・金は通常でもバスケ部の大半が所属しているスポーツコースは午後2時から練習できるが短縮となればさらに20分早く練習は始められる。私の場合は練習の出来が悪くても決して2時間半を超えることはないから選手たちはずいぶんゆとりを持って練習に臨めるはずだ。それは鶴鳴時代からずっと変わらない。訓練や修行というものは、終わりがはっきり判っているから頑張れるもので、いつ終わるか判らない練習を手抜きせずに頑張れる人間などいない。 |
| ’25年05月15日(木) | 一昨日元ウルグアイ大統領だったホセムヒカ氏が亡くなったことを知った。89歳。死因は食道ガンだった。食道ガンは末期ですでに肺に転移していた。残念! |
| ’25年05月14日(水) | 今日から平常時程に戻り、水曜と金曜は午後2時から練習ができる。スポーツコースは5・6校時から部活をやって良いというシステムだからなのだが、30名居る部員の中で特進クラスにいる子は3名だけなので何の支障もない。今日からシューティングの時間を40分伸ばしたがそれでもスクリメージに当てていた時間は短縮せずにやれた。ストップをかける回数が減ったからだ。そこらへんは中学生の指導に比べると圧倒的に楽だ。ミニや中学のコーチの皆様ご苦労さまです。 |
| ’25年05月13日(火) | 一昨日(体育祭翌日)の練習はすばらしい出来だった。昨日はオフ。そして今日、一昨日の練習は季節外れの線香花火だったのか、それとも実力UPの兆しだったのかこの2日間気になっていたが「なるようにしかならん!」と開き直って普通に練習を始めた。結果は良くもなく悪くもなし。たまたまであれ実力UPの兆しであれ1回できたということは間違いない事実なのだから。 |
| ’25年05月12日(月) | 今日は体育祭の代休で学校は休み。バスケもオフ。先月まではバスケオフの日は時々長崎に帰っていたが今は余程重要な事案がないかぎり1時間半も運転して長崎に帰る気にはならない。今日も寮の自室で本を読みながらゴロゴロして過ごした。 |
| ’25年05月11日(日) | 昨日体育祭だったので今日の練習は1時間遅れの10時開始にした。昨日部員の不埒な行為の情報が耳に入ったので不愉快な気分で出かけたが練習は私が中央高校に関わり始めてから最高のできばえだった。そこでホワイトボードに「看板」と書いて、今日の練習がホンモノならバスケ部は中央高校の看板部活になれると評した。 |
| ’25年05月10日(土) | 今日は体育祭。昨日教頭先生がわざわざ体育館まで来て「先生、明日は是非体育祭に顔を出してください」と招待されたが行く気はなかった。あと10ヶ月のことを考えると、バスケ指導以外の時間は極力体力温存のためじっとしておきたいのだ。しかし、ベッドの上でゴロゴロしているとアタマの中に選手たちが登場してううごめき出す。そうして半日が過ぎたが身体は休まったもののアタマは疲れて結局安息日とはならなかった。これだとコートに立っているのと同じではないか! |
| ’25年05月09日(金) | 今日は長崎の歯医者を予約してある日だ。治療ではなく歯の保全が主目的で2ヶ月に1回の検診である。だから朝食後すぐクルマで長崎に向かった。終日雨だったがクルマを貸与して持っているのでこんな時助かる。循環器内科にも月1回の割合で通っている。今日は診察日ではないが別の日にまた島原から通うのは大変なので事情を説明して今月の診察は今日にしてもらった。忙しい1日だった。 |
| ’25年05月08日(木) | 昨日に引き続き厳しい注文を飛ばした。中でも赴任当初から言い続けているディフェンスのまずさは目も当てられない。赴任してもう2ヶ月経とうとしているのに改善されないから高総体までに間に合わないかもしれないが「もうがまんできん」というこっちの態度を見せなければ変わりはしない。言っておくが、ディフェンスを強化するのに私は足から鍛えることをしない。ディフェンスは知的生産物だから人生経験の少ない1年生には荷が重いのだがそれを承知で檄を飛ばす。 |
| ’25年05月07日(水) | 生身の人間がやることだから練習のできばえが悪い日があるのは仕方がない。しかし、できばえがよくないのは本人たちが肌で感じているはずなので、それが表情や態度に出ないのであれば練習を強行しても意味がないと思い中止した。さて明日は・・・ |
| ’25年05月06日(振) | あれっ!今日も更新忘れている。 |
| ’25年05月05日(祭) | 今日は練習オフ。それで生田パパが寮生のみんなを遊びに連れて行ってくれた。だから私もオフだ。思いついたのが熊本で行われている高校生の錬成会視察。8:25島原港発のフェリーに乗って熊本まで出かけた。会場は大津高校。熊本港から約1時間かかる。10時過ぎにつき午後2時まで居たが疲れが溜まっていたのか午後1時からの試合中ずっとステージで眠ってしまっていた。帰りは道路もフェリーも空いていて、午後5時10分には島原港に着いた。選手のちょっとした目付きや所作に日頃の練習ぶりが現れるが、熊本では際だって目に付くチームはいなかった。残念 |
| ’25年05月04日(日) | 明日はオフ日だが長崎には帰らない。コートに立たない時間は少しでも休養を取っておきたいからだ。クルマを貸与されているといっても長崎まで片道1時間半の運転で帰省はしたくない。運転するのなら寝ておきたい。 |
| ’25年05月03日(祭) | 起床~っ!朝5時に管内放送が響き渡った。ここは野球部とサッカー部がいる男子寮だがどうやら野球部が朝早く遠征するらしい。朝食の時間に野球部の2人と会った。「あれっ!」というとケガをしているので残留組になったという返事が返ってきた。1年生のキャッチャー。肘の故障だそうだ。入部最初の遠征で残留か、辛いだろうと思いそれ以上は聞かなかった。 |
| ’25年05月02日(金) | どれくらい前からなのか覚えていないが、練習はシューティングのあとスクリメージを数本やって終わるという形式をとってきた。高総体まではこれで行く。やり始めた当初はマンツー10分ゾーン10分ミックス10分を2組でやれば丁度3時間ぐらいの所要時間になった。ところが今日は、マンツーもゾーンも10分2セットを2組で2時間半で終わることができた。私がストップをかけて解説する時間を少なくしたからだ。というより解説の必要がなくなってきたのだ。この調子で進めればいいが…。 |
| ’25年05月01日(木) | 高校総体の申込締切は5/7。今日は崔コーチとメンバー決めの相談をした。1ヶ月やそこらの練習で選手の本質を見抜くのは難しい。練習指導で私の目に映る選手はほんとうの自分を晒しだしているのかどうか判別しにくいから過去3年間指導してきた崔コーチの意見が必要なのだ。私が特に注目するのは知的能力と性格だ。これが勝敗を左右する場合が多いからだ。 |
| ’25年04月30日(水) | 今日の練習は途中で血糖値が下がってきて辛い目にあった。しかし、R子が私の血糖値低下に気付いて部の保管としているプロテイン剤を持ってきてくれたのでそれを飲んで時を稼ぎ最後まで持ち堪えた。来年3月13日まではまだまだいろんな事が起こるだろうがそれらすべてを払いのけながら凌がなければならない。 |
| ’25年04月29日(火) | 昨夜は肥前古賀駅に着いてから自宅にも寄らずにスクーターで島原へ急いだ。今朝9時からの練習には昨夜自宅に立ち寄っていたら間に合わないからだ。寒かったあ。今朝練習に顔を出すと1人(帰省)と書いてある。あと数人欠席者はいたがいずれもケガ病気の常連だ。しかし帰省とは…。おまけに今日の練習では1人転倒して手首を骨折したケガ人が出た。三隣亡か…。 |
| ’25年04月28日(月) | 今日も終了30分ぐらい前になって選手たちがわかりはじめた。2日連続で同じ事が起こったがこれは決して偶然やまぐれではない。日頃この下地になることを練習しているからこその結果である。昨日も今日も「似てるけど違うなあ」と思う時間帯があったが、似てるということ自体が日頃の積み重ねの結果だったのである。 |
| ’25年04月27日(日) | 今日のクリニックは終了30分ぐらい前になってようやく選手たちがわかりはじめた。不発に終わらずよかった。明日は先方も都合が悪くなったようなので明後日までの予定を切り上げて明日の深夜に長崎の自宅をスルーして島原まで戻る。明後日の9時に練習開始なので深夜になろうが明け方になろうが明後日の夜が明けるまでには戻らなければならないのだ。 |
| ’25年04月26日(土) | 練習終了後スクーターで自宅に帰った。クルマを提供して貰っているのになぜスクーターなのかというと、明日朝自宅近くの肥前古賀駅からJRで鹿児島に向かうからである。古賀駅には無料の2輪車駐車場はあるがクルマの無料駐車場はないのだ。 |
| ’25年04月25日(金) | 私のHPの読者から「コーチ心得も選手心得も載っていますが保護者心得は載っていません。書かないのですか?」と催促されていた。それにやっと手を付け始めた。まだ3個しか書いていないがこれが30個過ぎるまでには数ヶ月はかかるだろう。だが、こうした注文があるということは読んでくれている人が居ると言うことだ。ありがたい。 |
| ’25年04月24日(木) | 今日はまる半日ケガ人の世話で諫早と島原を行ったり来たり走り回った。3月14日から手伝うことになっていたが実質指導らしきものができるようになったのは4月に入ってからだ。だけど、バスケットの指導というより今日のようなケガ人の世話や生活一般の指導に追われて落ち着いたバスケ指導はまだできていない。高校総体まで約1ヶ月しかないのに…。 |
| ’25年04月23日(水) | 物事を成し遂げるには情熱が大切だということは知っているが、情熱を傾けるに値するこどもたちが少なくなってきているのが大人たちから情熱を奪っているような気がする。だが、残りの人生が少なくなってきても、情熱をなくさないまま一生を終えたいなあと思う。 |
| ’25年04月22日(火) | 今日は練習オフだが終日ケガ人の世話とか連絡に時を費やした。コートで何を教えるかだけでなくこれもコーチの役目だと思っているので苦にはならない。が、チームの勝敗に無関心な子がいるのは許せない。いずれこのような子には鉄槌を下す。 |
| ’25年04月21日(月) | 風邪症状は山崎純男史上最悪だったが、ブログが途絶えたのは試合結果を保護者に連絡するために、一般の皆様には休刊になっただけで健康上はまだ参っていません。ご心配おかけしました。 |
| ’25年04月19日(土) | 今日から春季選手権が始まった。向こう1年間は島原中央のお手伝いなのでボックススコアなどは内輪の連絡網にのみUPすることにした。従って一般の皆様はこれまでのように私のHPを見ればチームの様子がわかるというわけにはいかない。1年間の辛抱をお願いします。 |
| ’25年04月18日(金) | 16:30。練習終了と同時に玄関前にバターンと突っ伏した。疲れたからなのだが原因は過労ではなく風邪だ。とにかく立っているのが辛い。 |
| ’25年04月17日(木) | 私の練習は4時間とか5時間やりつづけることはないといった。それでも私の指導に耳を傾けない者がいる。これはひとつの習慣だ。親やコーチのいうことをちゃんと聞かないと生活がなりたたないということはない。だから聞き流している。それが積もり積もってつまらない人間を作り上げていってるのだ。人の上に立つ者はそこに注目しなければならない。大丈夫かお前…。 |
| ’25年04月16日(水) | 風邪症状がこんなに長引いたことはない。もう2週間以上だ。医師がくれたクスリもめずらしく真面目に飲んではいるが改善は見られない。いずれ治りはするだろうが、当分休養を充分に取る以外に方法はなさそうだ。 |
| ’25年04月15日(火) | 一昨日は百年史編纂の打ち合わせで長崎に出向き、昨日は個人的に高橋氏からスマホの操作を習うためにまた長崎に出向いた。クルマを貸与して貰ったから楽だとはいえ、こう往復が増えると疲れる。今私がもっとも欲しいのは寝る時間だ。睡眠不足だからではない。コートでの活力を保持するために少しでも身体を休めておきたいのだ。 |
| ’25年04月14日(月) | 今日は高橋氏からスマホだけでHPを更新する手順を習ったがアタマがついていかず完遂とはいかなかった。練習指導より疲れた。循環器の定期検診にも行ったが重症の風邪表情を見て院長が錠剤と気管を楽にする吸入器を提供してくれた。それを服用してパソコンもいじる気力が湧かなくてずっと寝ていた。 |
| ’25年04月13日(日) | 百周年記念誌編纂の打ち合わせが終わったらすぐ島原へ向かった。だが道を間違えたので午後2時開始の練習には少し遅れてしまった。明日は練習オフの日だが高橋氏と打ち合わせがあるのでまた長崎に戻る。行ったり来たりがこのように多いとクルマのありがたさ身にしみてわかる。馬渡さんほんとにありがとう。 |
| ’25年04月12日(土) | 午前の練習が終わったらすぐ長崎に帰った。明日の午前中に県バスケ協会主催の百周年記念誌作成の打ち合わせがあるからだ。私は風邪を引いても風邪薬は飲まないので運転していても眠くはならないが疲れた。これがスクーターでの往復だったら相当疲れただろう。アポロの社長様々だ。明日は練習しどうごまた長崎に戻らなければならない。明後日長崎でまた人に会わなければならないからだ。風邪さえ飛んでいってくれればもっと動けるのだが… |
| ’25年04月11日(金) | 若い頃(私の場合60歳以前)と今の違いは、熱があったり風邪を引いたりして、体調に異変があるときのフォーマンスが著しく低下するということだ。今日も3時間びっしり指導はしたがほとんど椅子に座っていた。立ち歩けばフラフラするからだ。そんな中でも気になることがあれば集めて指導をし、見本を示す。多分プライドにしがみついているのだろう。安いプライドなのに…。 |
| ’25年04月10日(木) | 練習開始13:30きっかりに練習を中止して帰らせた。ストレッチは隣の人とおしゃべりしながらやるのではなく、自分が伸ばそうとしている筋肉に意識を集中してやるものだ。と、再三指摘してきているのにそれを考慮に入れず、さらに声高におしゃべりをしている選手がいたからだ。「帰れ」と指示した。すると案の定「おねがいします」と言いやがる。「俺はは昭和の部活動はやらない」と言った。そして「お前達が帰らないのなら俺が帰る」といって体育館を出た。コーチが「これは大切だぞ」といって指導しているのにそれを無視している選手がいるチームの助っ人に来て何の意味があろう。 |
| ’25年04月09日(水) | 今日も絶不調。壁際にパイプ椅子を4つ出し、毛布を持ち出してそれを枕にしてずっと横になったまま練習を見つめていた。風邪症状なのだが尋常じゃない。練習後カマラに明日も会えればいいね、と言って握手した。部屋に戻ってからはずっと寝ていた。 |
| ’25年04月08日(火) | 今日の練習は疲れた。終わった途端玄関で大の字になって寝た。疲れた理由は、倉敷クリニックに行く前にゾーンオフェンスとゾーンディフェンスをしこたまやってクリニックにでかけたのだが帰ってきたらやったことの欠片も残っていなかったからだ。こんなことは今日が初めてではない、過去何回もこんな状況には遭遇しているが、1年生だけでなく上級生にも「思い出してきたぞ」という兆候が見られなかったのが驚きだ。しかも最後まで。 |
| ’25年04月07日(月) | 毎週月曜日はオフなので私は長崎にとどまり、明日の昼頃長崎を発とうと思う。夜スクーターで島原まで走るのは寒いからだ。今日1日中テレビの前にじっと寝そべって過ごした。立ち歩けば3月末から昨日までのクリニック後遺症で足首がむくんだままなのでそれを癒やすためだ。ついでに利尿剤も飲んでいるのでむくみが引くのは早かった。 |
| ’25年04月06日(日) | 今日は、3月中の依頼によるクリニックで下関まで日帰りで行った。今日のプログラムは6チームによるミニゲーム(10+2+10)の繰り返しでクリニックの内容は各チームに私の所感を伝えるものだ。朝6:30に長崎を発ち19:30に帰り着いた。3月に見た時とは見違えるほど成長を見せたチームもあった。もう1つ、審判の手伝いに来てくれた20歳の青年はA級だったが次回見るときはS級になっているだろう。見違えるほどの成長ぶりを見せた選手だけでなく、こんな若者を見るのは楽しい。 |
| ’25年04月05日(土) | このところずっとメインの練習はゾーンオフェンスとゾーンディフェンスの攻防である。理由の1つは1年生の経験値を高めたいからだ。感じたことは東長崎中時代と比べて高校生は理解するのが早いということだ。バスケの経験年数ではなく、人間として生きた3年間の差が大きいのだ。 |
| ’25年04月04日(金) | あれっ!ブログ更新していない。あ、そうか昨日は翌日の入学式準備で体育館には椅子が敷き詰められているから練習はオフで、私はずっと試合案内や試合報告の資料作成でパソコンとにらめっこしていたんだ。しかし、この資料は島原でのお手伝い期間1年かぎりのものなので私のHPにはUPせず身内だけで閲覧するだけにした。 |
| ’25年04月03日(木) | 島原中央は午前中で練習を終わり、明日はオフなので午後は長崎に帰った。家に帰りたかったのではなく家のすぐ近くのコミュニティ体育館内のジャグジー付き大浴場に浸かりたかったのだ。ところがちょっと人騒がせなことをしてしまった。湯から上がって脱衣場で半分着替えて番台に座っていたらウトウト眠ってしまったのだ。完全に寝ていたのではなくウトウトだったので周囲の人々の声は断片的に聞こえている。年寄りが風呂上がりに番台に座ってじっとしているので「この人生きてるのか?死んでるんじゃないか?」と心配していたらしい。気配を感じて立ち上がり残りの着替えを済ませたが周囲の人々の様子で心配かけさせたんだなと判ったので「ご心配おかけしました」と謝った。 |
| ’25年04月02日(水) | ベッドの端に座ってスリッパを履こうとして下を向いたら赤いものがしたたり落ちた。鼻血だ。起きたばかりでなんにもしていないのに…。昨日の手足のむくみと関連があるのかしら。今日は長崎に帰るので午前中のみ。前半が昨日の復習を含むクリニックで後半はスクリメージ。双方ともできばえがよかった。余は満足じゃ。 |
| ’25年04月01日(火) | 17:00、今日のクリニックが終わった。午前中はマンツーマンオフェンスディフェンスとゾーンオフェンスディフェンスの要点解説と実技に時間を使い、午後は1時半から4時半までスクリメージを通して理解度をチェック。午後は解説に加えて審判もやった。労働時間6時間。足は痛くなりませんかと聞かれたがそれはない。ただ、終日こうして立ちっぱなし動きっぱなし喋りっぱなしの行動だとさすがにふくらはぎから下がむくんでくる。明日は午前中終了して長崎に向かう。所用時間6時間半。おそらくクリニック半分スクリメージ半分になると思う。島原に着くのは20時過ぎだろう。まだまだあ! |