2022年度版 2022年4月~2023年3月
’23年03月31日(金)  今日で2022年度が終わる。今年はバスケ指導経験のある4人の校長が一斉に退職する。そのうちの1人が再任用で東長崎中に赴任し、これは停年ではないがバスケ指導経験者の副校長も赴任する。バスケ指導経験者が2人増える。彼らがもしバスケ指導を望むのなら私はいつ退いてもいいのだが、私のあとを引き受けるのは難しい。それは①技術指導だけでなく②外部施設借用の手続き③その際の選手の送り届け④諸経費の月末処理などを私が一切引き受けているからだ。私の部活指導は保護者の負担を取り払うことを第一義としている。引き受けるならそこまでやるのがほんとうだと思うからだ。それだけの覚悟があるなら誰にでも譲る。2022年度版は終了。2023年度版はnewpage30参照。
’23年03月30日(木)  昨夜は羽田大村の最終便でJBAの弘田氏が来崎したので大村まで出かけて遇い、大村に泊まった。寝たのは深夜2時だった。FIBAASIAの時に奮闘してくれた大村市協会の方々数人とも12年ぶりに遇った。だが私から積極的にFIBAASIAの話題には触れなかった。死ぬほど苦しかったのであまり思い出したくないのだ。 
’23年03月29日(水)  A練(08:30~10:30)開始1時間弱のところで打ち切った。理由は「不愉快な出来事が起こったので練習を打ち切る」だ。そのあと、選手たちが体育館をあとにするまでずっと観察していたが、不愉快な出来事を起こしたと名指しされた本人はみんなに混ざって後片付けに参加し、みんなとともに普通の顔で帰って行った。私はこのことで選手を叱り飛ばさなかったし、怒りの感情も持っていないし、指導意欲も萎えていない。ただ、最近の若者の現状はこうですよと読者に知らせたかっただけだ。 
’23年03月28日(火)  佐世保フェスティバル参加案内 newpage3 
’23年03月27日(月)  4/1・2に佐世保で行われるカップ戦の審判やTOの割当表がきていないから試合案内文書をUPしていないが、文化体育館での第1試合なのでいずれにしろ学校を7時には出発しなければならないだろう。詳細は後ほどUPするとして今日は組合せだけを載せる。 
’23年03月26日(日)  5月の3・4・5は県外クリニックに出かけるのでその3日間はオフにする。替わりにそれまでのどこかで埋め合わせをするが今日はそのうちの1つでD練(15:30~18:00)を実施した。ガラーンとしていてバスケ女子しかいない。見回すとカーテンがほつれているところがあるし照明の球切れが2個ある。鶴鳴時代は発見したらすぐ脚立を持ち出して修理したが、ここでは外部の人間だからあまり出しゃばれない。 
’23年03月25日(土)  今日は前から依頼されていた練習試合に出かけた。チームは吾妻・西有家・東長崎の3チームだ。今日のベンチは采配というより観察に終始した。その結果スタメン三羽烏ですら「わかっている」域からは遠く、交替で出てくるウタ(2年)や1年のミオン・ナオ・ユウリ・リナ・ナナはさらに遠い。わからなければ鍛える段階には進めない。胃がないから胃潰瘍にはならないがあれば胃潰瘍になりそうだ。 
’23年03月24日(金)  今日は小学校中学校ともにどこも終業式。学童クラブの送迎も今日が最後だ。この学年は、つばさ保育園の行事送迎からずっとお世話しているから長いのは9年間に渡るつきあいの子もいる。一番の思い出は久住登山だ。保育園時代も学童での登山も含めてよく登ったなあ。 
’23年03月23日(木)  1個目の文字を打つのに4時間かかった。80歳を過ぎ人生のベテラン領域に入ったのに、人を導くという作業に苦悩している。 
’23年03月22日(水)  WBC決勝戦9回裏アメリカの攻撃。スコアは3-2で日本リード。2アウトでピッチャーは大谷バッターはトラウト。結果報は三振!どんなに有名な脚本家でも演出家でも、これほど劇的なストーリーは書けない。それが現実に起こってしまった。決勝戦だけでなく、ここまでに負けていった国の行為にも人々の心を打つものがたくさんあった。今回のWBCはまさに「スポーツの試合はこうでなければならない」の見本であり世界一のスポーツイベントだった。 
’23年03月21日(祭)  今日はB練(10:30~13:00).。WBCを途中まで見ていたが後ろ髪を引かれる思いで学校に向かった。3ー0で日本は負けていた。練習中も給水休憩などを利用してスマホのyahooニュースをみていたがそれによれば9回まで負けている。村上選手に同情の思いを持ちながら練習後スマホを見たらなんと!その村上選手の逆転サヨナラ2塁打で日本が勝ったという。最後まで粘り強く戦えばこんなことが起こるんだ!東長崎バスケにも起こしたいなあ。
’23年03月20日(月)  このところ私の心は千々に乱れている。選手たちに社会生活のルールを如何にして教え込むかで苦慮しているのだ。選手は全部で22人だが、社会生活のルールが分かっているレベルがそれぞれ違い22通りに分かれる。分かっている子の心に響くことばをまるでわかっていない子にかけてもそれは教育にはならない。そこで悩むのだ。
’23年03月19日(日)  週末からシューティングメニューの中にゴール下シュートを織り込んでいる。対象はキノ・コナツ・メイコ・ミオン・ナオ・ユウリ・モモカの7人だけである。種類は普通のゴール下シュートとポンプフェイクシュートの2種類だ。注意点は、それができるかできないかではなく私のことばをしっかり聴くか私の所作をしっかり見るかである。上記の中にそれができないのが2人居る。 
’23年03月18日(土)  今日はD割当(15:30~18:00)。D割当は原則オフだ。明日は家庭の日でオフ。2日続けてのオフとなる。コートに立てない日はイライラするが仕方がない。 
’23年03月17日(金)  昨日学校の担当者から貰った体育館割当表をパソコンに打ち込む作業をしていたら深夜1時を過ぎていた。作業は半分までしか進んでいなかったが半分居眠りしながら作業をしていたので途中でやめて寝た。だからHPを更新する時間はなかった。
’23年03月16日(木)  床に寝そべってWBCを観ていた私は思わず起き上がって画面を観た。3回ランナー1塁の場面で大谷選手がバントの構えをしたのだ。そのバントは誰もが予想しないものだったので、1塁走者を3塁に進めただけでなく自らも生きて安打となった。それにしても今世界中のアスリートの中で最も注目されているプロの選手がなりふり構わずこんなことをするのか!そう思うと涙がジワーッと出てきた。 
’23年03月15日(水)  教育の3本柱は知育・徳育・体育である。この10年中学生の部活指導に携わっていて3本柱の中の徳育がひどく落ち込んでいると感じる。教育は学校の教師だけが関わるものではない。大人がこどもと交わる場面ではどこでも行われなければならない。それには「大人ってすごいなあ」とこどもたちが思う大人が増えなければならない。 
’23年03月14日(火)  公立中学校は卒業式。式典は午前中に終わるがその後在校生は速やかに帰宅し、午後4時までは不要不急の外出を控えなければならない。もちろん部活動は禁止だ。このような催しが行われる時は卒業生がブラッとやってきて在校生を巻き込んでトラブルを起こしたりすることが時々あるからだ。 
’23年03月13日(月)  昭和48年に全国中学大会で優勝したあと鶴鳴に移籍してからは高校でも全国優勝して2階級制覇したいと思った。そしてそれは平成3年に果たした。その後は義務感で地元開催の平成15年インターハイ優勝を目指したが、それ以外は日本1の人間集団造りを目指してやった 。それには同志が要る。桜馬場中時代も鶴鳴時代も選手の中にたくさんの同志を得てきたが東長崎での指導は10年経ってもここではまだ同志と言える者を2人しか得ていない。私の側に情熱が醒めたという原因があれば同志を得られないのは仕方がないが情熱はまだ醒めていない。
’23年03月12日(日)  今日も朝早くから夕方までバスケット漬けだった。7チームが集まる練習試合に招かれたのだ。練習試合なのでHPにはUPしない。近頃、バスケットを教えることよりも生活の躾に苦慮することが多い。根気しかないのは分かっているが、選手たちの中に同志と呼べる者がなかなか出現しないのだ。 
’23年03月11日(土)  今日は3年生の送別会。いくつかのチームに分けて試合を行い、そのあと簡単なパーティをやる。私は毎年試合の審判はしてやるがパーティには参加しない。やるなら個人的にやる。鶴鳴時代はマネージャーを慰労してやることが多かった。鶴鳴にはの歴代マネージャーには人生名人が多く、ずいぶんお世話になった。
’23年03月10日(金)  ダルビッシュ選手は力を出せなかったがヌートバー選手のファイトがすごかった。プロなのにあんな目付きで試合をするのかと思った。そんな視点で見れば東長崎女子はアマアマだ。プロと中学生を比べるのは酷だよという人が居るかも知れないがそれは違う。30年ぐらい前に実業団の男子(今で言えばB1)が長崎に来た時テレビ解説を担当した私がコマーシャルタイムでつぶやいたのは「つまらない試合をしやがって、こんな試合なら鶴鳴を連れてきて紅白試合をするぞ」と言った。本音だった。 
’23年03月09日(木)  イチロー選手が出たWBCも観たが今日も試合開始から終了まで熱心に観た。大谷選手はもちろんだが私は昨年からダルビッシュ選手に注目している。風格が出てきたのだ。先日のWリーグも審判の一挙手一投足から目を離さなかったと言ったが、靴紐の結び方から額の汗を拭く動作までしっかり見る。そこにその人の人柄がにじみ出るからだ。 
’23年03月08日(水)  不愉快な出来事が連発する中で、バスのヘッドライトが球切れし修理工場へ持ち込んだ。ウィンカーやストップランプの予備は持っており自分でも取り替えられるが、ヘッドライトは注文取り寄せになるので自分ではどうにもならない。弱り目に祟り目、こうなりゃなんでも来やがれ! 
’23年03月07日(火)  2/28以降、自チームで起こった一連の不愉快事象に加えて長崎県のスポーツ界でも不愉快極まる出来事が起こり、それが怒りや憎しみを封じ込めようとしている私に一気に襲いかかってきて不機嫌な日々を送っている。その不機嫌がいつ頃静まるのか分からないが、今はそれが選手への八つ当たりにならないよう気をつけている。とても難しいが・・・。 
’23年03月06日(月)  私は26歳の時(桜馬場中教諭)と40歳の時(鶴鳴へ移籍後)選手からボイコットされた。26歳の時は87日間、40歳の時は43日間だった。いずれも私の指導方法に選手が反旗を翻したのだ。そんな私が近年のスポーツ指導の在り方に批評めいたことを口にする資格はないが、昨年から今年にかけて県内のスポーツ強豪校の指導者が2人、批判の矢面に立たされて現場に立てない日々が続いている。今年度の国体皇后杯の長崎県順位は47位。踏みとどまれるかなあ。
’23年03月05日(日)  今日はB練を潰して佐世保で行われるWリーグのトヨタ対三菱戦を観に選手たちを連れて行った。出がけに、私の心の傷に塩を塗るようなことが起こったが昔のようにかんしゃくを起こして「今日の観戦は取りやめだ!」なんてことはしない。私が観ていたのは審判の福岡氏と小田中さんだ。一挙手一投足を観ていた。判定ではなく目つきや動作をだ。テレビで観戦する時もそうだが、テレビでは審判が画面から外れることもあるので一挙手一投足観察というわけにはいかない。
’23年03月04日(土)  平常心を取り戻すどころかさらに心の傷を深くするような緊張感を欠く出来事が起こった。現場の指導者や教師は何か起こればスポーツ評論家や教育評論家を標榜する人たちの批評の的にされるが、批評するなら現場の教師や指導者の口からどんなセリフが出、それを生徒や選手がどのように受け取っているかつぶさに観察してから批評して欲しい。自分は安全な風上に居て起こった事象に批評を加えてもこどもたちの現実はなにも改善されない。
’23年03月03日(金)  今日は体育館割当なしなので練習はオフ。封じ込めたはずの怒りと憎しみのリバウンド現象にとまどっているが、今日1日選手の顔を見ずに済んだので明日は少し平常心を取り戻してコートに立てるだろう。イヤ~80歳を越してからこんな心境になるとは思ってもいなかった。 
’23年03月02日(木)  今日はコミュニティ体育館での練習。バスを運転して体育館に着くまでは平常心だったのに、体育館のフロアに足を踏み入れてそこにうごめいている選手たちを目にしたとたんにまた一昨日のことがよみがえって不愉快になった。ダイエットのリバウンド現象もやっかいだが怒りのリバウンド現象も始末が悪い。怒りと憎しみを封じ込めたと思っていたが再度登場したその感情は私を打ちのめすために全力で立ち向かってくる。 
’23年03月01日(水)  バイク運転中は平常心だったが、学校に到着して体育館のフロアに足を踏み入れたとたんに「あ~、俺は昨日をまだ引きずっているなあ」と思った。キリスト様と同じレベルにはなれないからまあ仕方がないか。 
’23年02月28日(火)  今日は日吉での練習。コーチ人生60年の中でワースト5に入るような不愉快な出来事が起こった。だが練習は時間通りやり練習後はいつもどおり全選手を家まで送り届けた。しかし、怒りや憎しみはかなり抑えているものの「右の頬を打たれたら左の頬をも向けよ」と言ったキリスト様のように寛容にはなれない。おそらく一生。 
’23年02月27日(月)  昨夜から今日にかけて「先生!福岡に行ったんですか!知ってたら乗せていったのに」と、クルマで福岡へ行ったA氏とB氏から電話があった。あとの祭りだが複数の人が私の行動を気がけてくれているのがありがたい。 
’23年02月26日(日)  九州中学春季大会は長崎勢同士の対決となった。以前県内の中学男子の試合を観た時日宇中はいいバスケットをするなあとは思ったが、それにしても福岡勢がベスト4に残らないとは・・・。これも時代の流れか? 
’23年02月25日(土)  日帰りで九州中学大会(福岡開催)を観に行った。ちょっと気になることがあったからだ。帰りの列車の時間の都合上最後まで観られなかったが、個人技を教えるコーチは居てもチームプレーを教えるコーチは年々少なくなってきているように思う。それも時代の流れなのかなあ。バスケットの芯は、ネイスミス博士が考案した当初から変わっていないのだが。
’23年02月24日(金)  先日なくしたバイクのキーが見つかった。マイクロバスの運転席横のウインドウポケットにあった。バイクを降りてバスに乗り換えた時上着の右ポケットに入れたキーが、ハンカチを取り出す際に一緒に出てきてポロッとウインドウポケットに落ちたのだ。絶対バスの中のどこかだと思ってシートの隙間や足マットの下まで探したがなかった。でも勘は当たっていた。ヨシ! 
’23年02月23日(祭)  今日はずっと前に呼ばれていた練習試合に出かけた。集まったのは5チーム。私はカップ戦以外の練習試合はめったにやらないが、やったとしてもHPにはUPしない。プライベイト事象だからである。知らせるのは保護者を中心とした身内のみだ。 
’23年02月22日(水)  昨日はバイクのカギをなくし、今日は明日の練習試合の案内文書を保護者には発送済みだと勘違いしていたことに気付き、今日帰宅してからその作業をした。この2月はこんなことが続く。先日クルマの運転免許証更新のため、後期高齢者講習を受けたばかりで認知症検査も運転実技検査も異状なしだったのになあ・・・。 
’23年02月21日(火)  朝からつばさ保育園の年長組をバスで長崎駅まで送って、バスを戻しに帰ってきたら今度はバイクでまた長崎駅に行って今週末の福岡行きのJR切符を買って、昼過ぎに学童クラブの児童送迎をして、それが済んだらまたバスでバスケ部を日吉に運んだ。忙しすぎてバイクのカギをどこかで失い合鍵で帰ってきた。明日の日中に自分の足取りを辿って探さなければ。
’23年02月20日(月)  東長崎中の体育館は2階にあるがそこまで上がる階段には真っ白に砂埃が積もっていた。昨日の春一番で舞い上げられたグランドの砂が積もったのだ。しかも昨日は家庭の日なので部活はどこもやっていない。そして、ここは一般生徒の掃除区域ではなく毎週土日にA練に割当てられたチームが掃除をすることになっているので、誰も手を付けなかったら今週土曜日のA練割当チームが掃除をするまでこのままの状態だ。それまでに気付いて行動を起こす部活があるかなあ。 
’23年02月19日(日)  今日の午後はずっと前から決めていたB2リーグヴェルカ対ヴォルターズの試合観戦だった。観戦というよりヴォルターズのHC遠山向人氏への表敬訪問がメインだが。両者蓄積疲労の極限状態での対戦だった。それがアウェイゲームのヴォルターズの残り2分に噴出した。それ以外に勝敗を分けた理由はない。 
’23年02月18日(土)  今日の午前中は、コーチライセンスリフレッシュ研修(於:創成館高校、講師日高氏=東京医療保健大学コーチ)に顔を出した。実技指導対象はU15県選抜女子。久しぶりに面白いバスケットを観た。何が面白かったかというと、選手たちの顔や動きがはつらつとしており、バスケットが好きだ!巧くなりたい!がこちらにビシビシ伝わってきたからだ。この子たちが今後誰に指導を受けるのか知らないが、この空気感を消さないで欲しい。 
’23年02月17日(金)  今日は体育館割当なしの日なのでオフ。終日本読み。バスケットのことは深く考ずに過ごした。 
’23年02月16日(木)  こういうヤツは嫌いだなあ。そんな感情が今日の指導中私をずっと支配していた。怒りは自分で制御すればよいのだが嫌いという感情は制御のしようがない。そしてコーチが持ってはならない感情だ。コーチ失格! 
’23年02月15日(水)  県協会の広報担当から3月4/5に開催されるWリーグの集客依頼があった。4日は私の身体が空かないので観戦できないが、5日は東長崎中のB練を打ち切ってマイクロバス仕立てで佐世保に観戦に行く。それは集客依頼されたからではなくそれ以前に決めていたことだ。それにしても、久々のWリーグ開催に集客を依頼されるとは・・・。最近中学も高校の試合もおもしろくなくなってきたと再三述べているがこれもその延長なのかなあ。ねえ、みなさん選手に発破かけて面白いバスケットを展開し、昔の活気を取り戻そうよ。 
’23年02月14日(火)  ハァ~、予想したことではあったが9日間も休んだあとの練習で、選手たちは集中力と緊張感を維持できなかった。鶴鳴時代は俺より先に進んでいるんじゃないかという選手に巡り会ったりもしたが、今の私と東長崎の選手は天と地ほどの開きがある。それを承知の上で指導を引き受けているのだからグチは禁止だ。 
’23年02月13日(月)  明日から日吉で練習再開だがさっそく手違いが起こった。予定表では14:00~16:00となっているが申請書には15:00~17:00と記載してある。こっちが正しい。2月~3月は短縮授業や行事が多いので何度も確認をするのだがこんな手違いが起こる。誰が悪いということではなく、こんな手違いが起こる月だということだ。 
’23年02月12日(日)  私が県協会の理事長をしていた頃に副会長だったA氏が昨日亡くなった。85歳だった。今日通夜に行き協会の懐かしい人たちに会えるかなあと思っていたが「ああ、あの人はずいぶん前に亡くなったよ」という情報ばかり。家に帰ってからポツンと一軒家を観たが登場したおばあちゃんは91歳で毎日バイクに乗って畑仕事に出かけていた。こんなの観ると「そろそろ俺の番かな」と思うのは遠い話のような気がする。 
’23年02月11日(土)  今日はコミュニティ体育館3月分の申込当落通知日だ。この日から10日間は毎月戦争のように忙しい日が続くが、今回はバスケ部男子が2枠取れた日があったり、他の部から余分に取れたので譲るという連絡が入ったりして余裕が生まれた。追い詰められてにっちもさっちも行かない月もあるがこんな月もある。人生いいろいろだ。 
’23年02月10日(金)  4日ほど前にプロ棋士の中村菫ちゃんがタイトルを取ったことを述べたが、それがうれしくて私が鶴鳴に勤めていた頃事務長をしていたT氏に電話をかけた。T氏は県内トップレベルの棋士で銀行から出向してきた人だ。もう70歳を過ぎているから今は仕事をしていないが毎週月曜と金曜に碁会所に通っているらしい。そこへ今日出かけた。T氏が鶴鳴を去ってからもう20年以上碁石を握っていないから打ちはしなかったが懐かしかった。 
’23年02月09日(木)  プロフェッショナルさだまさしNHK20:00~21:00を観た。この画像は以前ブログに載せたことがあるが、覚えていない人のために再掲する。私が鶴鳴を離れるときに書いて貰ったものだ。私が頼んだのではない。サムが帰省するときにさださんに頼んで書いて貰ったのだ。さださんはしばしばおしのびで長崎に来た。そしてそのたびに鶴鳴で講演をしたり、内緒でバスケ部をミニコンサートに呼んでくれたりした。お母さんが鶴鳴卒だからだ。 
’23年02月08日(水)  1/31(循環器内科)定期検診、2/2(胃腸外科)胃全摘後血液検査、2/3(同)採血結果、2/7(大学病院)胃全摘後CT検査、2/8胃全摘後CT検査、(歯科)右下犬歯根っこの治療と、連日病院通いだったが昨年までは自己負担1割だったのに今年は2割になったので高い高い。1割が2割になるとこんなに高くなるのか。ファ~。 
’23年02月07日(火)  胃ガンの手術をしてから定期的に検査をしているが今日まですべて異状なし。これで術後3年が経過したので、今回まで3ヶ月に1回の検査だったのを今後は半年に1回にしようということになった。寿命と再発の追いかけっこなので切羽詰まった感がないが、ま、天命を全うするまで生きてみるか。 
’23年02月06日(月)  うゎ!囲碁のプロ棋士中村菫(すみれ)3段が、遂に女流棋聖位を奪取した。すごい!。13歳11ヶ月だ。男女を通じてタイトル奪取の最年少記録を更新した。これまでの女流タイトル奪取最年少記録は藤沢里菜6段が15歳9ヶ月で奪取した女流名人位だった。このところ将棋界で異彩棋士が現れたので囲碁界はかすんでいたがこれでまた注目される。いいぞ!。ありがとすみれちゃん。
’23年02月05日(日)  14日(火)がテスト最終日だからそれまでの9日間部活はテスト休みだ。今日はクラブから2つと部活から2つの計4つで行う九州大会代表決定戦を観に行った。不愉快になってきたので途中で帰った。楽しくない理由はプレイスタイルである。勝利至上主義のコーチでなくてもこんな試合をさせたくなるだろうが、それを観る者はもっと楽しくなくなる。ジュニア層のスポーツがスポーツ本来の姿から遠ざかっているようだ。 
’23年02月04日(土)  今日はA練を打ち切って日吉自然の家主催の如月遊楽に連れて行った。ピザ焼きとか型染めとかもちつきとか皮革クラフトとかを体験したあと津軽じょんから節の演奏を聴いて、自分たちが焼いたピザを食べて終了。こんな催しに連れ出すと選手たちはコート上では見せない顔を見せる。 
’23年02月03日(金)  30年以上私は毎月6冊のマンガ本(ビッグコミック2・同オリジナル2・乱2)を購読していたがそれを今日限りやめた。飽きたのとお金がもったいない(毎月約2500円)からである。このところ活字の本ばかり読んでいる。これはもう活字依存症と言ってよいくらい。残り頁からして今日中に読んでしまいそうな本を持って家を出る時はかならず次の本をバッグに入れて家を出る。 
’23年02月02日(木)  怒りや憎しみを消すことはできない。そう悟った。だが、選手を指導する時に怒りや憎しみを込めた口調にならないようにすることはできる。とても難しいことではあるが、指導内容が怒りや憎しみを伴うものであっても、それを「教える」気持ちで指導すれば私の口から出ることばは怒りや憎しみが排除されて選手に届く。
’23年02月01日(水)  昨夜は1月分の経費処理作業で夜中23:30までパソコンの前に座っていて、その作業が片付いたのでホッとしてバスに乗せたままにしてあるボール等練習用具を今日の昼休みに学校に届ける作業がアタマからパーンと飛んでしまっていて選手に迷惑をかけた。80歳を過ぎてからどうもこんなことがちょこちょこ起こるようになったなあ。
’23年01月31日(火)  ウーン・・・やっぱり自覚だなあ。自分を誉めるにしても、自分を叱るにしても、自覚のレベルが低ければそれが自分に刺さらない。
’23年01月30日(月)  先日バイク走行中に落として壊れたスマホの代替器が届いたとdocomo大村中央店から連絡があったので昼前に受け取りに行って使用可能にした。が、機種を変えればこまごまとした手直しが要り、なんとか従来通りに使えるようになったのが夕方7時すぎだった。でももっとこまごまとしたことで不明な点があり、完璧!になるまでまだ時間がかかりそうだ。 
’23年01月29日(日)  昨夜は右足のふくらはぎと左足ふともも両面が攣って何度も目が醒めた。それは今日も引きずっている。昨日の審判のせいだ。普段1日2試合の審判など平気なのだから昨日の1試合審判の負担が大きすぎたのではない。寒すぎたのだ。初戦で負けた手応えからして日野中は上位進出すると思っていたがやはりベスト4に残った。ということは東長崎も本当に強くなっているのだ。だけど東長崎の選手たちは信じてくれない。 
’23年01月28日(土)  県新人戦試合結果報告UP newpage3  
’23年01月27日(金)  今日は本来オフ日(体育館割当なし)だが、雪で休校だったり部活禁止が県新人戦直前に2日続いたので臨時で日吉を借りた。しかし欠員が9名出た。生徒たちはオフ日に塾を入れたり稽古事を入れたりするので今日のように臨時部活が飛び込んで来るとこんなことが起こるのだ。今日もオフで試合に臨むのはケガが怖かったのでやむを得なかった。 
’23年01月26日(木)  今日は日吉での練習。行き帰りのバスの中でも練習時のコート上でも不愉快な出来事の連発だった。だから叱ったし指導した。が、怒りと憎しみは抑えた。もう大丈夫にはなかなかならない。12~3年で身についた生活習慣や心情がほんのひと月足らずのこちらの態度変化によって変わるワケがない。こんなことを繰り返しながら少しずつ変わっていくのだろう。 
’23年01月25日(水)  昼過ぎバイクで家を出て矢上方面に向かった。するとLALAの前あたりでイヤホンから「プップッ」という音が聞こえ始めた。この音はイヤホンとスマホが離れ過ぎたぞという合図なのだ。「ポケットに入れたつもりが途中で落ちたな」と思った。矢上団地入り口の信号のところで通話したのだから落としたのならそのあとだと思って何回かその道を辿ったが見つからない。そのうち「プップッ」という音すら聞こえなくなったので「あ、クルマに牽かれて壊れたな」と思い、家に帰って自宅電話からスマホに電話してみたが「電源が入っていないか・・・」というメッセージが却ってきたので間違いなく壊れたのだと思った。明日朝一番に矢上交番で紛失届を出してdocomo大村中央店に向かう。それまでスマホは使えない。 
’23年01月24日(火)  猛烈な寒波襲来。横殴りの雪。当然部活動は中止。中止命令が出なくても、今日は日吉での練習で日吉は地表よりも平均3℃気温が低いし、冠雪や周辺道路凍結が予想されたので午前中に日吉に連絡してキャンセルした。週末に県大会を控えているが明後日の日吉がまたキャンセルになっても何の不安もない。 
’23年01月23日(月)  県高校新人戦の最終日を観に行った。バスケットボールに携わって60年。史上初めての不愉快な試合を観てしまった。これ以上の感想は個人やチームの特定を推測させるヒントになるので述べないが、今後もこんなことが起こるならもう観に行きたくない。 
’23年01月22日(日)  昨夜TVで、受刑者に対して世界一人道的な処遇をするノルウェーの刑務所のドキュメンタリー番組を見た。番組の中で取材者が身内を殺された被害者にインタビューをしていた。あなたはノルウェー刑務所の加害者に対する処遇にどのような感想をお持ちですか、と。その人は、身内を亡くしたのは悲しいが加害者に憎しみを抱いたままの人生を送りたくはないと答えた。私は自分の胸にグサリと短刀を突き刺された気がした。 
’23年01月21日(土)  県新人戦参加案内UP newpage3 
’23年01月20日(金)  私はここを直さなければならない、チームはここを直さなければならない、という観点から合格点をやれるのはキノだけである。今日のチームの出来は個々の改良点がたくさん出てきたがキノだけはブレなかった。たぶんホンモノだろう。 
’23年01月19日(木)  今日は東長崎の今後を決断する重大な日だった。焦点はナナだ。入部4日目だが、9ヶ月のブランクがあったにもかかわらずバスケットができている。そこで今日Aチームに入れてみたのだ。すると欠けていたジグソーパズルのピースが見つかってピタッとはまった。落ちたのはリナ。可哀想だが彼女は身体的能力が高いし何より真面目なのでいつかまた浮上してくるだろう。 
’23年01月18日(水)  昨日は日吉での練習だったので落ち着いた話はできなかったが今日は学校での練習だったので昨日の話の続きをした。内容は「この子はここを改良できればOKだけどというのをクリアしたのは1人もいないのだぞ。ただただ俺が怒りを鎮めているだけだぞ。そこを勘違いするなよ」 だ。
’23年01月17日(火)  怒りはしないが叱らなければならないことが今日起こった。何日ぶりだろ?12日ぶりか。こんなことを繰り返しながら少しずつ成長していくのだろう。呪文を唱えればボンッとひがながバスケが生まれ変わるというような簡単なことではない。
’23年01月16日(月)  今日新たな部員が1人増えた。メイコので古賀ミニバスでプレイしていたのだが入学時に1人だけ入部しなかった。その事情は聞いていないし、なぜ今になってという事情も聞かないつもりだ。下地があるので時間をかけず攻防練習に組み込める。戦力が増えたことより、楽しい話題が加わったことが大きい。 
’23年01月15日(日)  第3日曜日は家庭の日で部活は休みだ。そんな日は終日本を読むのだが、目は文字を追っていてもアタマの中には選手たちの映像が出てきてあれこれ思いを巡らし、また戻って文字を追いかけるということを繰り返す。今気になっている子は2人。K子とR子だ。「これができれば大丈夫だ」という思いを持たせてやらなければならない。 
’23年01月14日(土)  吾妻へ練習試合に行ってきた。報告 
’23年01月13日(金)  憎しみという感情を捨て去るというのは選手に対してだけである。口もききたくないし目も合わせたくない大人たちはたくさんいる。それは今後も継続だ。 
’23年01月12日(木)  今日は年明け初めての日吉練習。日吉に行った時は時々畑で採れたものを貰う。今日は里芋とチンゲン菜を貰った。バスケットはキノ・コナツ・メイコが堂々とプレイするようになって6日目。教えることはまだまだあるだろうがブレることはもうないと思う。 
’23年01月11日(水)  自分自身に不安を抱きながらコートに立った。80年も生きてきて今更これまでの自分を変えられるだろうかと。が、今日の2時間半では「大丈夫だ」という気持ちを持った。棺桶に半歩足を突っ込んでいる私としては少々遅すぎる気がするが、まだ生きているうちにそんな気持ちになれた自分にOKと言ってやろう。
’23年01月10日(火)  私は長い間、日本国を壊した人々に、その思想を引き継いだ大人たちにずっと憎しみ抱き続けてきた。お前たちが日本の若者をダメにしてしまったのだ、と。それが若者に対する憎しみに繋がっていった。しかしよく考えるとそんな若者を造ったのは大人たちであり若者は被害者なのだ。その被害者に憎しみを抱くのは本末転倒だ。 
’23年01月09日(祭)  私は1991.4.1の選手心得の#47に怒りは進歩の原動力と書いている。が、それを今日から封印する。若者を指導し、躾をするのだから叱ることは避けられない。封印するというのは叱りの中に怒りを持ち込まないということである。大声で叱咤することもあるだろうがその中に決して怒りを持ち込まないのだ。80歳を過ぎて気付くのはあまりにも遅すぎたが、私のコーチ業があと1年であろうが5年であろうがやり遂げようと思う。 
’23年01月08日(日)  SaseboBasketballFestival64最終日結果UP newpage3  
’23年01月07日(土)  SaseboBasketballFestival64初日結果UP newpage3  
’23年01月06日(金)  年明けの練習は昨日からだが、今日まで2回練習して明日と明後日はSasebo Festivalに参加する。その2回の練習では欠席が4人。2人がコロナで1人は本人が陽性、1人は家族が発症。あとの2人は普通の風邪。いずれにしろこの4人は試合には参加させない。さてキノ・コナツ・メイコがどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。 
’23年01月05日(木)  12/29に「あ~、ことばが浮かばない」と書いたが、新年最初の練習でキノ・コナツ・メイコの3人に喋ったことばは「お前たち3人がやりたい放題やれ。そうするとこのチームは変わる」と、実にありふれたことばだった。そのために一体何日かかったことか。その結果がこれだ。 
’23年01月04日(水)  気にかかっていたKチームのC選手とUチームのW選手が、今日の実戦で見事に与えられた課題を自分のものとして取り込み、それがチームの動きにも反映されたので安心して、最後のゲームは不覚にも観戦中に居眠りをしてしまった。ゴメン。それを除けば実り多いクリニックだった。 
’23年01月03日(火)  山口クリニック2日目。全4チームが揃った(山口・高知・福岡・鹿児島)。今日は4チームのゲームチェックと個別のクリニックの2部制。なんとか乗り切った。 
’23年01月02日(月)  山口クリニック初日。いきなりの注文だったが大成功。理由は選手たちの対応力による。はじめは戸惑っていたが慣れてきたらこちらの意図を理解して動きの中で表現できるようになった。(^O^)v 
’23年01月01日(日)  元旦のハウステンボスに初めて行ったが、クルマと人の多さに驚いた。SaseboBasketballFestival64参加案内UP newpage3 
’22年12月31日(土)  茨城の工藤一家が突然訪ねてきた。マイクロバスであちこち連れて行ったが明日はハウステンボスだ。部活が休みの時はたいくつで本ばかり読んでいるが今日明日は忙しい。明後日2日からはクリニックだからのんびりしている暇はない。ちょうど良かった。 
’22年12月30日(金)  池上彰さんの番組で、最近の若者がなりたくない職業は?を取り上げていた。3位は政治家だった。政治家は悪事を働きウソをつくと思われているからだろうが、それは政治家が悪いのではない。人間の本質が悪だからだ。明治維新・日清戦争・日ロ戦争・日中戦争・太平洋戦争と日本の政治家や軍人はどれほどひどいことをやってきたか。それが人間の本性だからである。それがいやなら他人の悪口ばかり言わずに自分の中にも棲んでいる邪悪さと戦え! 
’22年12月29日(木)  あ~、ことばが浮かばない。テレビの実況で福岡第一と開志国際の決勝を見ていたが、キノ・コナツ・メイコのことがチラチラして観戦に集中できなかった。感動的なことばやストーリーにこだわっているわけではないが、単に中学バスケ生活だけでなく彼女たちの一生に役立つことばを探そうとすると「ウン、これだ!」が出てこないのだ。 
’22年12月28日(水)  今日は朝起きてから寝るまで(このブログを書き終えるまで)、年明けの練習でキノ・コナツ・メイコの3人にかけることばをずっと考えていた。それは彼女たちの気持ちを鼓舞するのではなく、薫陶でもなく、もちろん説教でもない。アタマの中のホワイトボードにことばを書いては消し、また書いては消すという作業を1日中続けた。だがまだ明快なことばは浮かばない。 
’22年12月27日(火)  本来明日28日が2022年の練習最終日なのだが、1月分との調整のため今日で最終日とした。体育館の温度は5.6℃。こんな日はシューティングの前にランをやる。ちなみに夏場でも冷たい床の上でのストレッチングを私はやらない。正月明けの練習は5日開始だが、キノ・コナツ・メイコへのテコ入れがポイントだとわかったので楽しみだ。 
’22年12月26日(月)  強くなったのにその意識が伝わってこないとブログにも数回書いた。このチームの土台を支えているのはキノ・コナツ・メイコだということは誰もが認めているところだが、ポジションが問題なのだと今日気付いた。これがガード・フォワード・センターに1人ずつならば問題ないのだが、ガード・ガード・ガードという同種の3人だから「私がムキになってこの場をぶち壊さなくてもあの人もいるじゃない」という気持ちが湧いてしまう。それが人間という生き物の習性だ。これを解決するには私がこの3人に強く関わってやらなければならない。言っておくが、「もっと積極的にヤレ!」などと発破をかけるだけでは解決はしない深い問題だ。 
’22年12月25日(日)  今日から1年生のR子だけ他の選手がシューティングしている間ドリブルの個人練習を命じた。身体能力が高いのでドリブルに難があるまま主力選手側で使っていたがこのままでは将来使えなくなることは明白なので特訓を命じたのだ。もちろんすべての選手に見本提示とことばで明確に教えてきたがR子は習得できなかった。個人練習だからといって放置はしない。気になる箇所はチェックをする。が、その期限も年明け1月一杯までだ。
’22年12月24日(土)  雪が降ったあとの道は汚い。最大の原因はチェーン装着のクルマがアスファルトを削り、雪が止んだあとの路面を覆うからだが、1月6日までバスは使わないので今日学校の駐車場で洗った。バスの中の掃除は選手数人に手伝って貰ったがきれいにしたいという気持ちよりも冷たくて凍えそうで、それに耐えるのが大変だった。 
’22年12月23日(金)  簡単に気持ちを切り替えることはできないがコートには立った。しぶしぶでもなくイヤイヤでもなく。 
’22年12月22日(木)  一昨日こぼれ球奪取の動作を分解して練習し、ミニゲームで試したがその成果が見事だった。なのに昨日は私をがっかりさせる出来事が起こった。体育館に居続けて選手に声かけをする気が萎えたので途中で帰った。新米の未熟なコーチならいざ知らずバカなことをしたが、まだその気分を引きずり不機嫌だ。こんな気持ちでコーチを続けるならコートに立つ資格はないなあ。 
’22年12月21日(水)  3つ目は、17日に行われた市新人戦ベスト4の試合の感想だ。これはここ数年思っていることだが、結局個の力が勝っている選手を持っているチームが勝つ。個の力は劣っていてもチームという組織の中でうまく活かしているチームは少ない。これがJBAが意図している選手育成の姿なのかなあ?違うと思うけどなあ・・・。 
’22年12月20日(火)  2つ目は昨日行われた皇后杯決勝戦の感想である。ずっと私は「デンソーのディフェンス甘いなあ」と思いながら見ていた。にも関わらず前半はデンソーリードで折り返す。しかし4Q残り8分28秒で長岡がスリーを決めた瞬間私はゲームが動いた!と思った。そして「デンソータイムアウトだ!」と思った。が、試合はそのまま流れた。私の采配ミスで選手の青春の1頁を台無しにしてしまったことが過去何回もある。前記も私の第3者的勝手な感想かもしれないが、指揮官は常に試合の勝敗だけでなく選手の人生の一部を背負っているのだと自覚していなければならない。 
’22年12月19日(月)  書きたいことが3つあるが、今日は長崎新聞の「水や空」の記事から述べよう。城氏はそこで某高校の監督に対する誹謗中傷のことを述べていたが私もずっと前からそう思っていた。だが、それだけではこのような現象はなくならない。なくすには、誹謗中傷がUPされれば同時に投稿者本人の身分と氏名もUPされる仕組みを作らなければ。だれかやってよ。 
’22年12月18日(日)  雪だあ!朝8時、カーテンを開けたら積もっていた。が、クルマのわだちの間からはアスファルトの地面が見えている。だから昼過ぎには日が照ってきて雪は消えた。しかし、昨日の体育館内気温は今季最低。今日明日はじっとしておいた方がよかろう。 
’22年12月17日(土)  2年生が修学旅行から帰ってきて久しぶりに全員が揃った。練習前に2年生は自分たちが居ない間に1年生は何を習ったのかを聞き、その要点は何かを確かめ、あちこちで予習をしている。その様子をじっと見ながら2年生の予習にも個人差があるなあと思った。ただ、コナツは私の予想に反して完璧に要点を捉え自分のものにしていた。やはり1年間叱られ続けた2年生はこんなところで1年生に差をつけるのだなあと思った。
’22年12月16日(金)  今日は体育館割当がない日なのでオフ。さらに学童クラブの送迎もないのでまる1日休養だ。家でゴロゴロしていたが身体はだるい。昨日の動画2枚は指導のほんの一瞬を切り取ったもので、やってみせる→教えるの繰り返しを1時間以上続けたのだ。軽い動きだが1時間以上続ければ身体への負担は軽くない。だが、昨日の指導で確認したことがある。それは、俺は燃えかすではない、まだ空気を送れば炎になる火種は残っている、だ。 
’22年12月15日(木)  起きてから練習に出かけるまでずっと、アタマの中でこぼれ球獲得技術の分解練習をさらに分解して教える内容を予習した。結果は予想通りだった。こちらがなにを言わんとしているかを想像する力が足りないので仕方がない。簡単に言えば、相手のボックスアウトを外す技術なのだが、要点は身体を当てに来られたらワンキック下がって下げた足を一瞬のうちにけり足に変えて飛び込むのだ。これがなかなかむずかしい。断っておくが私の要求が高度すぎるのではなく、通常のバスケ動作に登場しない動作なので慣れるまでがむずかしいのだ。 
’22年12月14日(水)  今日も1年生8人だけでの練習。2年生の3人(キノ・コナツ・メイコ)が抜ければ右も左も分からないヒヨコの集まりだが、今日やることは午前中に構想ができていた。一昨日開始したこぼれ球獲得の分解練習だ。1年生だからではなく2年生が戻ってきてもいきなりミニゲームで実践させるには無理がある。そして今日も檄は飛んだ。
’22年12月13日(火)  明日から金曜日まで2年生は修学旅行。その前日である今日は大事をとって2年生の部活は禁止。だから1年生10名だけでの練習になるが、今日はインフル予防接種1名とコロナ陽性1名の2人欠なので8人での練習。1年生だけだろうが8名だけだろうが檄は飛ぶ。昨日のような試合ぶりだったら県大会は辞退したいほど怒りがくすぶっているからだ。 
’22年12月12日(月)  昨日、長崎市新人戦でベスト8に入ったので年明け1月末に行われる県新人戦への出場権を得た。そこで今日から県新人戦までの練習の主眼をこぼれ球の獲得に置くことにした。こぼれ球である。リバウンドボールではない。従ってボックスアウトが練習の重点にはならない。もちろんこの子たちにとっては至難の業である。膝を曲げるとか足を広げるなどの動作ではなく読みが主体になるからである。 
’22年12月11日(日)  長崎市新人戦2日目結果報告UP newpage3 参照 
’22年12月10日(土)  長崎市新人戦初日結果報告UP newpage3 参照  
’22年12月09日(金)  つばさ保育園の発表会リハーサルの送迎。4年ぶりかなあ。保育園から飯盛コミュニティセンターまで園児を3班に分けてピストン輸送。最初の班の出発が8:30、最後の班を飯盛から連れて帰ってきたのが14:30。6往復で総距離122㎞。今日は長距離ドライバーなみの動きだった。でも、園児の世話は6時間ぶっ通しでも疲れない。逆に元気を貰う。 
’22年12月08日(木)  剥離骨折付きの突き指で明後日からの市新人戦に出るのは無理かなと思っていたミオンの骨折は、今日X線撮影をしてもらったら治っていて医師からも「テーピングしてならやっていいよ」という許可が出たらしい。鶴鳴時代に悔しくて体育館の壁をこぶしで殴ったら骨折し、私は治るのに半年かかった。若者は治るのが早いよ。 
’22年12月07日(水)  12月はずっと5校時授業であり、部活開始は15:30である。それはすべてスマホのスケジュール表に記入している。が、外部施設で練習した翌日の昼休みに昨日使ったバスケ用具を学校の部倉庫に届けに行くのは記入していない。案の定そのことはスポッとアタマから抜けていて生徒に迷惑をかけた。認知症が始まったんではないと思うが・・・。 
’22年12月06日(火)  日本語が喋れない。単語は並べられるが文節にならない。仮にひとつの文節ができたとしてもそれをつなげて文章を作ることはできない。そんな若者が日本に激増してきた。ほんとに近い将来日本は潰れる。そう思う。 
’22年12月05日(月)  今月の授業はずっと5校時までだ。教員が事務処理に追われる時期だからだが、もちろん教務は年間35週を確保できることを確認して決める。すると放課後の部活に割ける時間は増えるがそれが即充実した部活動に繋がるかといえばそうでもない。選手の意識の問題もあるし先日述べたようにいろんな縛りがあるからだ。 
’22年12月04日(日)  D割当(15:30~18:00)の日はオフである。今日は朝食後本を読みながらずっとゴロゴロしている。多分今日は一日中こうしているのだろう。昨夜、BS1で「僕たちはこうして医師になる」という番組を見た。初回は2012年に作られたのだが、昨日の番組はそれから10年間の彼らの生き様を描いている。私も鶴鳴に移籍した直後にナットクラッカー症候群という病気で長期入院したのを始め大病や大ケガでしばしば医師の世話になったが、番組を見ながら患者としてはどんなに苦しくても痛くても医師の前で「死にたい」と言ってはならないし、常に人の命と向き合っている医師は医学の勉強だけでなく人生を語る哲学者でもなければならないのだと思った。
’22年12月03日(土)  今日はA練(08:00~10:30)。夜間の冷気が暖められないうちに練習が開始される。練習開始時の室内温度は9.3℃だった。10℃以下に下がったのは今年初めてだ。私の服装もフル装備。コートを着て、手袋にはカイロを貼り、靴下にもカイロを貼り付けた。 
’22年12月02日(金)  私はもう一度全国大会で通用するチームを作りたいとは思っていないが、社会で使える若者を作って世に送り出したいとは思っている。が、それも年々難しくなってきた。部活動に対する縛りがだんだん厳しくなってきているからだ。その縛りが教育とか躾という範疇から次第に遠ざかっている。ハア💨
’22年12月01日(木)  長崎市新人戦参加案内UP newpage3 参照 
’22年11月30日(水)  強くなったのは間違いないが「さあどこからでもかかってこい」と言えるまでにはまだまだだ。主力として試合に出る選手を挙げてみる。キノ②コナツ②メイコ②ナオ①ミオン①ユウリ①モモカ①の7人だ。次に控えるのがウタ②ネイロ②リナ①だがまだ主力ローテーション入りには遠い。主力の7人について言えば1年生の4人のディフェンスがまだ未熟なので「どこからでもかかってこい」とはならないのだ。ディフェンスは足を鍛えれば良くなるのではなくアタマを鍛えなければならない。足を鍛えるのは簡単だが。 
’22年11月29日(火)  今日は短大での練習。21名中10名が欠。しかも、参加した部員の大半が普段試合には出られない選手。指導しながら持った感想は「どんなに檄を飛ばしても近い将来主力部隊で活躍しそうな選手はここにはいないのだが、よくもまあそこまでムキになって怒れるもんだなあ。80歳の誕生日を過ぎて半年経つのに・・・」だった。 
’22年11月28日(月)  昨日家に帰り着いてから今日の練習時まで昨日のある出来事で立腹して練習にすら顔を出したくなかった。が、練習後に「ひょっとしたら?」と思って昨日の出来事についてキノに確かめたところ私の思い違いだと分かった。そして、思い違いを確かめもせずみんなを怒鳴り散らさなくてよかったと思いホッとした。危ない危ない。 
’22年11月27日(日)  雲仙カップ22最終日結果UP newpage3 (勝ち上がり表は画像)参照  
’22年11月26日(土)  雲仙カップ22初日結果UP newpage3  参照 
’22年11月25日(金)  スクーターのナックルバイザーが1ヶ月以上早く入荷した。多分バイク屋の社長が業者を脅かしたんだろう。おまけに社長は私のヘルメットがあまりに貧相なので頑丈なのをサービスで提供してくれた。午後は学童の送迎と5回目のコロナワクチン接種で走り回ったし、アタマの中では1年生のディフェンス強化のことがグルグル回っているし、ちょっと忙しかった。 
’22年11月24日(木)  今日からミニゲームのやり方を変えた。奇数セットはノーマルマンツー、偶数セットはフルコートマンツーだ。変えた理由は1年生の数人をそろそろ主力として本格的に鍛えなければならないからだ。鍛えたいのならなぜ奇数と偶数に分けずにずっとフルコートディフェンスにしないのか?人間の学習活動は緩と急・強と弱を織り交ぜるのが重要だからだ。強くしたいから強ばかり繰り返しているとやがて手を抜くようになる。それが人間という生き物の習性だ。 
’22年11月23日(祭)  今日はD割当(15:30~18:00)なのでバスケ練習はオフ。終日本を読んでいたが、合間に現在の自分について考えてみた。若い頃は80歳まで生きているとは思いもしなかったが、80歳と6ヶ月が過ぎた今現役のコーチとして活動している。この元気の源は何なんだ?その原因を私はストレスだと判断した。世界の権力者に、日本の政治家や教育者やおとなたちに、日本の若者たちに、毎日腹を立てている。その怒りが私の生きるエネルギーを生み出しているのだ。たぶん。 
’22年11月22日(火)  久しぶりに日吉での練習。だがバスで運んだのは14人だけ。3/1は休みだ。それぞれに事情はあるだろうが、四苦八苦して外部施設を取った挙げ句がこれだ。前にも言ったことがあるがむなしいなあ。 
’22年11月21日(月)  雲仙カップ22参加案内UP newpage3  参照 
’22年11月20日(日)  長崎地区高校新人戦の準決勝を観に行った。残っているのは長崎西・純心・鶴鳴・長崎商。どんぐりの背比べだ。面白くないのは君のチームのOKとNGは何?が明確に伝わってこないことだ。速攻を主体とする、外郭シュートを主体とする、ペイントエリアのプレイを主体とするなど、持ち駒によってスタイルはさまざまだろうがそれが伝わってこない。だからどのチームも同じようにしか見えない。困った困った。 
’22年11月19日(土)  resazumascrimage221119 参照 
’22年11月18日(金)  ここまで来るには時間がかかるけどここまで来たら上達は早いぞ、のはずだがその気配が伝わってこない。バスケットの習熟度が低いのではなく人間としての熟成度が低いのだ。これは東長崎のバスケ部に限ったことではない。「最近の若者はこんなもんさ」なのだが少なくとも私の指導を受けた人間にそのことばを使いたくはない。
’22年11月17日(木)  鹿児島でのクリニックは常に東長崎中の出来と比べながら行い、「東長崎もなかなか捨てたもんじゃないぞ」と思って8日間のテスト休み明けの練習を楽しみにして帰ってきたが、捨てたもんがまだまだたくさん残っていた。何かを教え足りないのではなく、選手の意識が足りないので習熟度が低いのだ。もう少し時間がかかるなあ。 
’22年11月16日(水)  8日間選手の顔を見ていないが選手の顔が浮かんでこない日はない。特に今回のように他チームのクリニックが間に挟まった時はクリニックチームと東長崎の両方が浮かんできて比較してしまう。そして、必ずクリニックで指導したことは自チーム指導の参考となって跳ね返ってくる。明日から自チーム指導再開だ。 
’22年11月15日(火) 寝る前にレンドルミンを服用しなければ寝付けなくなってもう20年が経つ。最近はそれでも真夜中2時か3時頃に必ず目が醒める。そんな時はデパスを半分に割ったものを飲んでまた寝る。すると朝7時頃に目覚める。しかしこの2日間は深夜に目は醒めず朝まで寝ている。クリニックの疲れがまだ残っているのだろう。 
’22年11月14日(月)  以前、山口クリニックの帰りに特急カモメの車内で足が痙って苦しんだことがあった。今回はそこまでいかないが、足に加えて手の指の筋肉が攣り、こうしてパソコンを操作しながら途中で指を揉んでいる。なんとかしたいと思って昨日の午後がんばったのでその後遺症だと思う。幸い東長崎は現在テスト休み中なのでその影響はない。終日家の中で披露回復に専念した。 
’22年11月13日(日)  クリニック2日目。9時~17時。ギリギリまでやって新幹線さくら号に飛び乗った。チーム全体としてはどうなのか、個人別に見るとどうなのかが午後になってようやくわかってきた。が、今日は時間がない。もし居残りが可能で、あと2日間あれば開始から無駄なく時間を有効に使い、1人ひとりすべてを掌握してクリニックを進められるのだが・・・。後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた。
’22年11月12日(土)  今日は午後1時から5時過ぎまで鹿児島クリニック。ポイントを絞り込んでやったが、なかなか「見えてきたぞ」までは辿り着かなかった。明日こそはなんとしても決着を付けるぞ。
’22年11月11日(金)  全国制覇の5年後再び鶴鳴は決勝戦まで進んだが、この時の桜花学園はとてつもなく強くて優勝には手が届かなかった。しかしこの時のチームは組織としては史上最高のチームだった。そんなチームなのに私はインターハイ出発の1週間前に数年ぶりに暴力を振るった。その経緯については「大野慎子物語第4章」に詳しく述べている。もう暴力とはずっと前に縁を切ったつもりだったがこうして来し方を振り返ってみると「とっくに卒業しました」と言えるにはキリストやアラーやブッダの高みにまで辿り着かなければ難しいのかなあと思う。
’22年11月10日(木)  ウィンターカップ準優勝の秋に私は腎出血で長期入院し、それが尾を引いて2年間のブランクを食らった。が、それから10年後再び全国制覇を果たした。ここに至るまでに暴力は激減したがゼロにはなっていない。人間の集団を扱えば憎しみを抱かせない者がいない年はない。その対処が難しい。 
’22年11月09日(水)  全国制覇の3年後私は教育委員会配属になった。その途端私は公立中学校の教員を辞め、私立の鶴鳴女子高校に移籍する決心をした。35歳だった。移籍に際し、長崎市内のS子と島原のY子の父親に私の移籍の話をし、娘に私と一緒に鶴鳴でバスケをやるよう進めてくれと頼んだ。その2年後鶴鳴は今で言うウィンターカップで準優勝をした。が、練習を毎日のように見に来ていたS子の父親がある日私の暴力を見るに見かねて2階から「ヤメローッ!」と怒鳴った。当時の私は暴力コーチだった。
’22年11月08日(火)  今日の練習を終えたら8日間のテスト休みに入る。この8日間で私の来し方を振り返ってみようと思う。私の感情の一部を占めている憎しみという感情を抑えるために。私は31歳の時に7人のメンバーで全国制覇を果たした。みんな「たった7人で全国制覇!」ともてはやしたが問題は全国制覇の偉業よりもなぜ7人しか残らなかったのかである。理由はバスケをすることに幸せを感じず大半が辞めていったからだ。こんなことがあったということを完全払拭しないかぎり、昨日の末尾の文言は消えない。 
’22年11月07日(月)  昨夜南島原杯のデータ処理を終えてからずっとあることばがアタマから離れない。そのことばとは憎しみである。何度教えても変わってくれない数人の選手への憎しみだ。この子たちにことばをかける時には気付けば憎しみの感情が交ざっている。これが消えない限り私のコーチは「やり遂げました」とはならないだろう。 
’22年11月06日(日)  南島原最終日結果UP newpage3  参照 
’22年11月05日(土)  南島原初日結果UP newpage3  参照 
’22年11月04日(金)  一昨日だったかなあ、北朝鮮が一晩に23発のミサイルを打ち上げたのは。この夜に打ち上げたミサイルの値段は104億円相当と分析された結果がある。これだけあれば飢えた国民をどれだけ救えるのか?金正恩がそこまで考えるワケないとは思うが。 
’22年11月03日(祭)  今日はD割当のオフ日。なので高校ウィンターカップ予選最終日を観に行った。珍しく男子の決勝戦まで見た。しかし悲しくてむなしかった。どの試合もどっちが勝つだろう?というワクワク感がなく、どっちが勝ってもいいと思う試合なのだ。全スポーツの指導者と選手に言う。コロナで・・・を言い訳には決してするなよ。 
’22年11月02日(水)  3ヶ月ごとの胃全摘手術後の術後検査に行った。結果は異常なし。次回は2/7になるが「その後はどうしましょうか?」と尋ねたら「術後5年間は3ヶ月ごとに検査することにしましょうか」と医師は答えた。次回で打ち切りであろうが、あと5年であろうが10年であろうがなんでもいい。気の済むようにやってくれ。 
’22年11月01日(火)  今日は公共施設がどこも取れなかったので短大の体育館を借りて練習した。終了後用務員室に挨拶に行き、バスの運転席で待っていたら練習を終えた選手たちがバスに乗り込むために昇降口の前に並んだ。そこを用務員さんが体育館の鍵を閉めるために鍵束を持って横切った。その様子をじっと見ていた私は選手たちがバスに乗り込んでから「こんばんわ。おせわになりましたというセリフが言える者は1人も居ないのかあ!」と大喝した。これは躾?暴言? 
’22年10月31日(月)  午前10時にパソコン作業を始めた。通常は大体夕方から夜にかけてその日の出来事を綴るのだが今日は朝からキーボードに向かった。来週の南島原杯に向けての思いを練習前に文字として残したかったからである。3週間前「この子たちひょっとしたら強くなったかな?」と思ったがそれが失速せずに続いているからだ。11月から12月にかけて試合が続くが、皮切りの南島原杯の戦い方でその行方が大きく違ってくる。選手の意識や如何に? 
’22年10月30日(日)  A練(08:00~10:30)の日は辛い。 私にとってもっとも辛いのは食事を急がされることだ。もうダンピング症候群は出ないが、急ぎ気味に食事を摂った時は胸苦しい。10:30に練習を終わって帰ってきてからは捕食を摂ってうつらうつら寝てまた捕食を摂ってと、午後2時過ぎまではそんな生活だった。
’22年10月29日(土) B練のあと、昨日の血液検査の正確な数値と今後の方針を聞きに行ったが、11/01に大学病院で腹部CT検査があるのでその結果を見て今後の方針をきめることになった。今後の方針というのは現在3ヶ月に1回の定期検査を半年に1回にするなどだ。ただ、これまでの医療費は1割負担だったのに10月から2割負担になったのでそれが痛い。
’22年10月28日(金)  朝から諫早の宮本外科(腫瘍マーカーのチェック)に出かけ、次は馬場医院にトンボ返りして不整脈の定期検査をした。80歳になるまで生きたし自分自身では命に未練はないのだが、医師がなかなか手放してくれない。結果は良好だった。 
’22年10月27日(木)  南島原カップ参加案内UP newpage3  参照
’22年10月26日(水)  チームは強くなったが、そうなると意識が低い選手も目立ってくる。下手なのは構わない。しかし意識が低いのはバスケの上達に関わるだけでなく今後のその子の生活にも響いてくる。今直してやらなければ・・・。 
’22年10月25日(火)  今日は短大の体育館を借りての練習。短大を借りるのはコミュニティや日吉や飯盛や多良見のどこもNGだった場合の最後の砦としてしか申し込まない。だが、今日練習に参加したのは6人だけだった。大半が美術の作品未完成のための居残り学習だ。理由は分かっていてもあちこち奔走した挙げ句がこの結果だとは・・・。むなしい。 
’22年10月24日(月)  11/12~13の鹿児島クリニックのJRチケットを取りに長崎駅みどりの窓口に出かけたが、駅周辺の景色がすっかり変わっており、バイクの駐車場はなくなっていたので止められるところを探すのに駅周辺を5周ぐらい回った。バイクなので止めようと思えばそこら辺にちょいと置くことはできるのだが、免許証はゴールドなので次回更新(来年5月)まではきれいな身でいたいのだ。
’22年10月23日(日)  福岡大対西南女学院大の1試合だけ観て長崎にトンボ返りした。関東の上位3つは白鴎・東京医療保健・筑波の順位のようだが、九州は1位が日経で決まり、2位は福大、3位が来週の東海・九産の試合結果如何でその勝者かまたは試合の点差次第では当日対戦のない鹿屋が3位に滑り込むかもしれない。インカレの九州枠は3チームなので来週は3者必死だろう。 
’22年10月22日(土)  ウインドシールドが小さいので小浜までの試運転は風をモロに受けた。でも、走行性能はこれまでの3台の中ではもっとも優れていると思う。明日も10時からの第一試合だけ観て練習に戻るが大学バスケはどこも以前より選手募集の縛りが強くなって強化に苦しんでいるところが増えているようだ。 
’22年10月21日(金)  明日と明後日、小浜体育館で九州地区のインカレ予選が開催される。観戦したいのは両日とも10:00開始の試合で、明日のひがながバスケはオフ、明後日はC練なので練習にも迷惑をかけず観戦できるから行こうと思う。スクーターの試運転も兼ねて。 
’22年10月20日(木)  短大で教鞭を執っていた頃、論文作成のためにパソコン作業をしていたら頻繁に発作性頻脈に襲われた。椅子に座ってキーボードを触っているだけなのに突然脈が速くなる。毎分120回ぐらいで苦しくも痛くもなく、数分で治まるが気持ち悪い。毎分120回といえば5000㍍のタイムトライアル時の脈拍だ。退官してから10年ぐらい頻脈はないので男子バスケ部の八郎川沿いのランニングを見ながら「俺もやれそうかな?」と思ったりした。 
’22年10月19日(水)  昨日のブログを見てバイク屋の社長が業者を急がせた(脅した?)のか、昼過ぎに電話がかかり「ウィンドシールドが入荷したので夕方寄ってください」と言われた。丈は低いがこれがあるのとないのでは風当たりが全然違う。ナックルバイザーはやはり12月にしか入荷しないそうだ。でもスクーター購入時にサービスとして洗濯機で洗える特別製の皮革手袋を貰ったので、こっちは少々遅れても大丈夫だ。 
’22年10月18日(火)  屋根付きスクーターが製造停止になったので3輪スクーターに替え、その時ウィンドシールドは丈の高いのを取り付けたがそれも製造停止になり、今回cygnusgryphusに替えたがウィンドシールドは普通の丈の製品しかなく、それも2ヶ月後にしか入荷しない。そ上最近外気温が下がってきたのでモロに風を受けながら町中を走る。寒い! 
’22年10月17日(月)  13日に「この子たちひょっとしたら強くなった?」と書いたがそれはもう4日間続いている。そうすると今度は怖くなる。「一時的な狂い咲きではないか?ほんものなのか?」と。しかし今日も大丈夫だった。そして今日突然の出来事があった。3年生が3人も練習に来たのである。加えて1年生の入部希望者が見学に来た。このふたつの出来事はチームが強くなることと直接関係はないと思うが、どうもひがながバスケの周辺には何か異変が起こっているようである。
’22年10月16日(日)  家庭の日なので部活はオフ。来月上旬にある南島原カップの資料作成に手を付けたが、キーボードを触っていても文章が浮かんでこない。というより、5番手以降の選手の顔が次々登場して、それぞれの選手の弱点を如何にして矯正するかに思考を持って行かれ、文章が進まないのだ。そうやっているうちに1日が過ぎた。 
’22年10月15日(土)  今日はA練(08:00~10:30)。スタメンは2年生3人に1年生2人だが、1年生2人の順位に変動があった。観察していると追い越された選手は自分の周りで起こっていることから学び取る姿勢が劣る。今持ち合わせている素質だけで戦っているのだ。このような選手はやがて次第に順位を下げ、そのうちみんなの視界から消えていく。 
’22年10月14日(金)  一昨日バイクが動かなくなったが代替車が今日届いた。それも、本体だけでグリップバイザーとウインドシールドは2ヶ月後にしか入荷しない。生産する側はそれほど窮しているのだ。今は買う側がこれがいいあれがいいと選べる時代ではない。 
’22年10月13日(木)  一昨日、「この子たちひょっとしたら強くなった?」と思ったのですがそれを今日確信しました。その理由も分かっています。昨年4月以降シューティングに割く時間を節約しなかったからです」と、昨日保護者にラインで知らせた。それは間違いない事実だが、今日じっくり観察してみたら50年前の中学2年生に比べこの子たちは遙かに幼稚だなあと思った。
’22年10月12日(水)  バイクが壊れたあ。電気系統の2箇所がダメになったのだが、修理すれば乗られるようになるという問題ではない。というより、部品を発注しても在庫ゼロ、いつ入荷するか分からない。コロナ禍も手伝って海外の部品工場が稼働しておらず、部品の補充はどの会社もできない状態なのだ。来年の誕生日に免許更新で、もう免許返上という年齢なのだがまだ元気でしばらくは乗れそうなので免許が要らない状態ではない。やむなく代替え車を購入することにした。ハア~。 
’22年10月11日(火)  今年の国体の長崎は参加47都道府県中45位だった。惨憺たる結果だ。これを私はすでに予想していた。長崎の中学や高校のスポーツで全国レベルの活躍をした種目が少なかったからである。加えて、優秀な少年の部の選手が県外に流出するのに歯止めがかからない。それは単にスポーツの問題にとどまらず県民の人口減へとエスカレートし、県自体から活気がなくなることに繋がる。みんながんばろう。 
’22年10月10日(月)  真城中から練習試合を申し込まれたので出かけた。全員連れて行っても退屈させるだけなので練習試合はAチームだけ、Bチームは学校練とした。学校練は10:30から、練習試合は13:00から。大忙しだった。練習試合は東長崎・真城・諫高付属の3チーム。スタメンとバックアップの差があってもスタメンだけで押し通すのは良くない。が、替えるタイミングとコート上の選手の組み合わせを間違えないようにするのが難しい。 
’22年10月09日(日)  午後4時放送開始の長崎ヴェルカ対香川ファイブアローズのLIVEを見た。解説はなんと中川聴乃(純心→桜花→シャンソン)だった。放送途中でメールを送った。「お前の解説元気あるなあ」16:44。するとすぐ返信が来た「ありがとうございます。解説中に返信笑」17:04。「お前っ!勤務中だぞ」17:06。「あはは、先生お元気ですか」17:49。最後の返信は試合終了後だったが、解説の合間にメールとはなんと大胆なやつだ。 
’22年10月08日(土)  近頃怒り心頭という日々が続いている。かといって毎日怒鳴り散らしているわけではない。私はバスケットよりも社会生活に重要な気付きとか気配りを重要視して指導する。が、選手たちの目つきに「これはバスケより大切なことなのだ」という思いが反映されない。選手が生意気だったり反抗的なのではない。選手たちを取り巻く生活環境がそうではないのだ。ということは選手がダメなのではなく現在の日本の教育が荒廃しているからだ。それに怒り心頭なのである。 
’22年10月07日(金)  アルバルク東京と千葉ジェッツの試合をBSで見た。昔は外人枠は2でオンザコート1だったが、それが廃止になったのか変更になったのか詳しいことは知らないが外人がずいぶん多いようだ。調べてみると混血だったり外人だけど日本国籍を取得した選手がいたりと様々なようだ。それは高校スポーツにも言える。な~んだか手作り感が薄くなって、コーチの手腕というよりリクルート力即ち財力でチーム力が決まる時代になったようで、興味が削がれる気がする。 
’22年10月06日(木)  今日だけはどこの外部施設も取れない日だった。そこで、飯盛の中山先生に「ウチはいつでもいいですよ」と言われていたのを思い出し、練習試合を申し込んだ。快く引き受けてくれたので行ったが、飯盛は3人しか部員が居らず、2人しかいない小野と合同でチームを作っており、今日は小野で練習する日だった。少し遠かったが助かった。 
’22年10月05日(水)  バスケ部から1人だけユウリが市中総体駅伝選手に選ばれたので小江原まで応援に行った。ユウリは1走だったが私の目の前を通る時は団子状態でどれがユウリか判別できなかった。結局最終順位は10位。県大会出場は2位までなので、ひがながは落選だ。鶴鳴時代は初回の駅伝は全員バスケ部、以後駅伝主力はバスケ部だったがひがながにはそれに匹敵する選手がいない。 
’22年10月04日(火)  朝からテレビのチャンネルを回すとどの局も北朝鮮が弾道ミサイルを飛ばしたことを報じていた。今年23回目だそうだ。1回飛ばせばいくらかかるのか見当も付かないが膨大なお金であるのは間違いあるまい。飛ばすのを1回止めれば塗炭の苦しみに喘いでいるたくさんの農民を救えるのは間違いないはずなのだが。
’22年10月03日(月)  インドネシアのサッカー試合で負けたチームひいきの観客が暴動を起こし、警察が出動して鎮圧したがその際使用した催涙弾が問題視されている。バスケットでも数年前からインテグリティと称してマナーや態度が重要視されるようになったが、スポーツは当事者だけではなく観客のマナーも大事だ。ひいきのチームが負けたからといって暴れるようなヤツは観戦に来る資格がない。中学スポーツでも「なぜウチの子を試合に出さないんだ」と監督にクレームを付ける親が居たりする。言語道断だ。 
’22年10月02日(日)  今日は試合開始が9:00なので7:00に学校を出発した。が、多良見インターからバイパスを通っていくのに考え事をしていたので気付いたら佐賀方面へ向かおうとしている。間一髪、慌てて諫早方面ではなく長崎方面にハンドルを切り芒塚インターまで戻ってそこから長崎自動車道で再び多良見インターから長崎バイパスに乗った。バカだなあ俺は。時津長与杯最終日結果 newpage3  
’22年10月01日(土)  時津長与杯初日結果UP newpage3  参照
’22年09月30日(金)  昨日は久住ヒュッテという山深いところにある宿舎に泊まったので電波状態が悪く、画像①②③の解説を入れる余裕がなかった。改めて説明する①はやまなみ牧場の看板②は牧場で牛乳に塩を混ぜて振り回し、バターを作っている様子③はそのバターをパンにつけて食べるところ。今日は久住に登って下りてくる園児たちを撮影できた。園児の一挙一動がすべて可愛い。 
’22年09月29日(木)  3年ぶりに復活したつばさ保育園の久住登山に同行した。もっとも私が必要とされる役割は入浴補助である。男女に分かれて入浴させるが私が行かなければ男手は理事長1人しかないので、14人の男の子たちの入浴世話をするのは大変だ。一緒に登山をするのは胃ガンの手術後はやめたが、その他の雑用まだまだ役に立つ。   
’22年09月28日(水)  駅伝の練習が追い込みだ。女子バスケ部からは5人の選手が選出されているが、バスケ部は次の土日にカップ戦があることを承知の上で、最終エントリー決めを行いたいので3人のタイムトライアルをさせてくれと陸上部の監督から依頼があった。もちろんそれには応じたがタイムが気に入らない。2000㍍のトライアルだが記録が8分台なのだ。 
’22年09月27日(火)  今日は5時から7時まで多良見体育館で練習することになっていた。6校時まで授業があってもこの時間帯でいつもは練習できるのだ。が、今日選手たちが学校を出発できたのは5時4分だった。合唱コンクールの練習があるからだ。それは4:45までに終了することと決まっているがみんな負けたくないからそれが長引く。その上、今は秋時間だから練習終了を7:00ではなく6:10にしてくれと学校からは言われる。学校外の施設でそんな時間設定の貸し方をするところはない。 
’22年09月26日(月)  昨夜メールをしながら居眠りをしていたが、夜中に目が覚めたときとっても疲れていることに気付いた。クリニックで身体を動かしたので下半身が疲れているのは当たり前だが、バイクを運転していて手の指まで疲れているのに気付いた。手の指を動かす筋肉が攣るのだ。パスやドリブルは手を使うのでそのせいだ。やっぱり俺は確実に歳を取っている。
’22年09月25日(日)  案の定帰りは新幹線こだまから博多駅でリレーかもめに乗り換える時、リレーかもめの発着ホームがどこなのか分からずどぎまぎした。2階に上がりまた1階に降り右往左往しながらやっとリレーカモメ発着のホームにたどり着いたがこんどは各号車の乗降口を見つけられずそこでまたあたふた。クリニックより列車乗降の方が疲れた。
’22年09月24日(土)  今日と明日は先週のクリニックが台風でキャンセルになった替わりの補充で県外出張だ。昨日創業開始となった西九州新幹線での移動となった。国鉄時代(まだ機関車はSLだった)から長崎本線は約70年間遣っているが、長崎新幹線は初めてなので景色も初めて駅名も初めてという箇所を通り、自分が車両を間違えていないか気になってそわそわし通しだった。 
’22年09月23日(祭)  時津長与杯参加案内UP newpage3 
’22年09月22日(木)  生徒と私のズレだけでなく、私の周りでうごめく大人たちの中にも認識がズレているのがやたらに目に付きイライラが募る。そんな中1人だけ私の機嫌の悪さに気を遣っている選手がいる。それを目にする度に「俺の人生の6分の1も生きていない選手に気を遣わせる俺も未熟者だなあ」と思って落ち込む。そこから負の連鎖が始まる。
’22年09月21日(水)  今週から部活動は秋時間(完全下校18:20)。今日の開始は17:10だったのでシューティングだけしかできない。それでもシューティングの時間は削りたくない。選手たちに「シューティングは重要だ!時間が足りない!」という意識があってもなくてもだ。 
’22年09月20日(火)  3人が駅伝の試走。濃厚接触でクラス全員が放課後部活禁止のため4人が欠席。その他3人が個人的理由で欠席。計10人が欠員での部活動だった。それぞれに理由があるとはいえ、不愉快なことに変わりはない。 
’22年09月19日(祭)  10時過ぎには台風が過ぎ去ってしまうと分かっていたが、長崎県は昼頃まで暴風圏の中だし学校からの通知も部活禁止は解けていなかったので、迷う選手が居れば困るだろうと思い8時過ぎには一斉に保護者にメールを出し「部活中止」を通知した。 
’22年09月18日(日)  昨日家に帰ってパソコンでJrウィンターカップのデータ処理をしていたら腹筋が攣り始めた。姿勢を反らせたりして対処したがなかなか治らない。仕方なく腰に枕を当てて仰向けに寝、しばらくの間そうしていたが今朝起きたら腹筋痛が残っていた。しかも、左右3段ずつに分かれている腹筋の左の真ん中だけが腹筋痛なのだ。昨日審判はしていないので、ベンチで檄を飛ばした時の後遺症だと思う。今後腹筋痛になっても選手たちを社会に送り出して大丈夫という判定が下せるまで檄を飛ばすのを控えはしない。
’22年09月17日(土)  Jrウィンターカップ予選初日結果報告UP newpage3  
’22年09月16日(金)  台風14号が北上しており18日に長崎直撃。19日は山口直撃のコースを取りそうだ。だから9/17~19の山口クリニックは延期。そのためJrチケットを変更しに長崎駅に行った。その後Jrウィンターカップ予選の会場設営に男女バスケ部を連れて県立総合体育館に行った。シート敷き、ライン引き、椅子並べと選手たちはキビキビ動いてくれたが、こんなに頑張って準備したのに明日は台風のため中止なんてことになれば悲惨だなあと思いながら黙々と働いた。 
’22年09月15日(木)  今日は短大での練習。短大は長崎市の南部ではもっとも高い丘の頂上付近にあって竹藪と雑木林を切り開いて建立された。だから敷地内ではイノシシが我が物顔で闊歩している。イノシシは全国的に農作物を食い荒らす害獣とされており、長崎でも捕まえて市役所に届け出れば1匹につき5000円もらえる。今度見つけたら捕まえてやろう。 
’22年09月14日(水)  昨日は通常通りバスケ指導をして家に帰り、いつも通りパソコン作業をしていつもの時間に寝た。ところが、パソコンをさわったのにHPは更新していないのだ。どうも、ことしになってからそんなことが多すぎる。 
’22年09月13日(火)  近頃私は怒りっぽい。先日の「ほうーれんーそう」事件が原因ではない。世界的にはプーチンや金正恩や習近平には怒りを通り越して殺意さえ抱くが、もっと身近なことで怒りを覚えることが多いのだ。地球規模で人間の質が落ちてきているのかなあ。 
’22年09月12日(月) この数字は分母が2時間20分で分子が1時間という意味である。それをホワイトボードに書き「シューティングに全練習時間の約半分を費やしている。どうでもいい練習にはこんなに時間を割かない。だけどお前たちの中に、これは重要な練習なんだと書いてある顔はひとつもない」と言った。 
’22年09月11日(日)  毎月11日は翌月のコミュニティ体育館申込当落の通知日。10月は8回分申し込んだがそのうち2回分した当選していなかった。すぐに日吉に問い合わせたが11日(火)だけ空いていた。残り5回分は25日過ぎに飯盛か多良見に問い合わせなければならない。フウ 
’22年09月10日(土)  Jrウィンターカップ予選案内UP newpage3 
’22年09月09日(金)  体育館割当なしの日なのでオフ。明日はA練で日曜日はD割当(15:30~18:00)なのでオフ。その上来月末までは合唱コンクールの練習で練習開始は17時と、なんだかんだでまともに練習できない日が続く。加えて個人的な用事で不参加者が出る。さらに、練習に参加する選手の顔にはしまりがない。こんな部活動をどうやって強くしろというのだ。 
’22年09月08日(木)  「ほうーれんーそう、何度言ったらわかるようになるのかーっ!」と大喝した。社会生活の基本中の基本である報告連絡相談ができずに何がバスケットだ。これが身につかない生徒たちに手を加えずに私はバスケットを教えることはできない。周りからパワハラだ暴言だと言われようと、この件で私は決して妥協する気はない。
’22年09月07日(水)  今日は1人の欠席者もなし。その中で的を絞って突っ込みを入れたのは昨日登場した3人だ。それも、人間力を高めるための突っ込みであって、本人を萎縮させるようなものであってはならない。そこが難しい。
’22年09月06日(火)  午前中コミュニティ体育館のキャンセル手続きに行ったあとはずっと本を読んでいた。しかし、目は文字を追いながら内容はまったくアタマに入っておらず、また戻って読み直しを繰り返す。目は文字を追いながらアタマには選手の顔が次々を登場してくるのだ。それもキノとコナツとメイコの3人に限られる。3人とも追加で教えることはなく、自滅を減らすだけなのだが起死回生のアイデアはなかなか浮かばない。 
’22年09月05日(月)  台風11号の影響で今日の部活動は禁止。明日は終日休校となった。午前中のテレビ情報を見ていたら「これは韓国に抜けていくな」と思っていたが夜になって少し右に曲がり始め、このままだと五島や対馬に被害が及びそうだ。しかしそれも明日の午前中には長崎から離れ、午後から天気は回復するだろう。だが、天気は回復しても部活はやらない。
’22年09月04日(日)  会長杯2日目結果報告 newpage3  
’22年09月03日(土)  会長杯初日結果報告 newpage3 
’22年09月02日(金)  カホとミオンとユウリは明日までだめだった。残りは全員来た。ナオは今日生き返った。残念なのはヒナだ。新入生のバスケ経験者の中ではモモカ・リナ・カナコに次ぐ位置にしかいなかったが先週一気に3人追い越し、明日からの試合にはバリバリ使おうと思っていたが、ヒナは明日コロナワクチン4回目接種だそうでダメになった。な~んか、うまくいかないときはこんなふうに何かの不都合が生じる。ま、それも実力のうちなのだが。
’22年09月01日(木)  コロナによる制限は一応今日で解除。だが全員練習可ではない。キノ・コナツ・メイコ・ミオン・ユウリは今日まで不可だ。この5人は主力として試合に出る選手である。主力の中ではナオが復活してはいるが、病み上がりそのものでとても健常者といえる状態ではない。仕方がないことではあるが「ケガ病気も実力のうち」である。 
’22年08月31日(水)  先々週、デジタイマーが点かなくなったが、点検の結果コードの断線だろうと判断した。家に持って帰りナフコにプラグを買いに行って修理した。これまでに何回もこんなことが起こり、何回も修理し、その度に選手には注意するのだが選手たちはプラグを持って引き抜くのではなくコードを持って引き抜くのでこんなことが起こる。何度言っても同じだ。 
’22年08月30日(火)  2ヶ月に1回の胃切除後の検診で血液検査をしているが、昨日の検査の結果では腫瘍マーカーは正常値だったがGOTとGPTの値が高かった。おそらくもう2ヶ月以上服用しているアレルギー性の蕁麻疹の治療薬であるオロパタジンのせいだろう。まだあと1週間分以上残っているが今日で中止する。この薬は眠気も伴うのでいよいよ部活開始だから、まだブツブツは少し残っているが中止するならのこタイミングしかない。 
’22年08月29日(月)  会長杯参加案内 newpage3  
’22年08月28日(日)  9月の外部施設は5回分取れて4回分が取れていない。9月はどこも行事多いらしく難しい。いつもは25日過ぎるとキャンセルが出始めるのでそこを狙うのだが9月はダメだ。今日、短大その他にも当たってみたがどうなるかわからん。 
’22年08月27日(土)  何かにつけて怒りっぽくなっている。コロナのせいだ。今週は余程の用事がないかぎり私に話しかけない方がよいかもしれない。 
’22年08月26日(金)  コロナの新規陽性者なし。しかし、気分は胃ガンの全摘手術を受けた時より重い。 
’22年08月25日(木)  コロナ陽性は昨日1人、そしてまた今日1人と、毎日追加が出ている。これで陽性は計7人だ。放置しておくわけにはいかないので学校には逐一報告しているが、こちらがやれることはそこまでで、それ以上のことは何もできない。9/1までのオフは変わらない。
’22年08月24日(水)  チーム内でコロナ情報が錯綜している中、偽情報が発信された。発信源は部員間のようだ。組織が動く場合もっとも重要なことは報告・連絡・相談である。それが、部長の耳にも入らず、コーチの耳にも入らず、しかも「らしい」という文言すら付かず断定的な情報として1人歩きしている。こういうことを放置しておくと組織は崩壊する。練習は8/31までオフとし、9/3から始まる市会長杯にぶっつけ本番で参加する。その時点で前述の重要事項については究明する。
’22年08月23日(火)  全部員の保護者からその後の様子の変化を報告させているが昨日と変化はない。しかし、このままでは月末(8/28)に実施される佐世保協会杯に参加を表明していたがそれがボツになるかもしれない。誰を恨んでも仕方がないが、可哀想なのはそんな時代に生まれた子供たちだ。このブログを更新しているすぐ側のテレビでは戦後の残留孤児のことを報じていた。
’22年08月22日(月)  コヤスポ敗にも家族兄弟が発熱したというのでコヤスポ杯にも不参加の部員がいたが。それが終わって通常練習になった今日、欠席が13人に増えていた。それぞれPCR検査を受けさせたが5人が陽性、2人がみなし陽性。だが、クラスター発生と判断して明日からとりあえず5日間は部活を自主規制する。 
’22年08月21日(日)  コヤスポ杯2日目結果報告 newpage3 
’22年08月20日(土)  コヤスポ杯初日結果報告 newpage3 
’22年08月19日(金)  帰宅後2人から電話が入り、家族に発熱者が出たので念のため明日のコヤスポ杯は休むと言う。県全般としても昨日の4500人を超え今日は4600人台になった。明日は新たな患者が出るかもしれない。私は勝利至上主義者ではないが、国が基準を示して実行可といえばそこで腰を引くことはなかろうと思ってやっている。
’22年08月18日(木)  今日はD練(15:30~118:00)割当日なのでオフ。今年のチームは新入生が3人主力に食い込んでくるのでいろんなことを教え込まなければならないが、それと同じぐらい2年生の主力3人にも教え込まなければならない。が、昨日述べたように主力選手が揃うことがなかなかなくてチームは足踏み状態である。明日はコヤスポ杯前日なので駅伝は休ませて貰うが、そんなこんなで私は焦っているのに選手たちに焦りを感じられないのが私の不愉快さを増幅させる。 
’22年08月17日(水)  夏休み中にランニングスルーでバスケット競技の成り立ちを勉強させるつもりだったが、なかなかできない。ひとつは駅伝練習で欠員が出るからだ。もう一つは家の用事や体調不良などで欠員が出る日が多いからだ。これらのことを「意識の低さ」ということばで一括りにはできないが、選手も親も部活にいったい何を望むのだろう? 
’22年08月16日(火)  今日は不愉快な1日だった。練習の後半になると選手の動きや表情は冴えない。選手を細かく観察しながら「K子お前は風通しのよい場所で寝ておけ」と言った。間もなく気分が悪くなると思ったからだ。そんな調子で3人の選手を除外した。熱中症ではない。盆休み期間の体調管理が不十分だったのだ。そんなことを見分けられない俺ではない。 
’22年08月15日(月)  私たちは戦後しばらく大連の満鉄アパートで暮らした。期間は覚えていない。その後引き上げてくるまでの間に起こったこと例えば、明かりを消した真っ暗な部屋の中に隠れている時、何やらわめきながら外回りを動いているロシア人が家のドアに酒の瓶を投げつけたことや、大連から㗅芦島までの無蓋車の長旅や、㗅芦島から舞鶴までの貨物船の船底での日本海の長旅、その後の貧乏生活などなど、断片的に覚えてはいるがそれらを戦争と結びつけて考えられるまでにはずいぶん時間がかかった。そして戦争を憎むようになった。私の血の中に日本軍部と同じDNAが流れていることすらも・・・。
’22年08月14日(日)  終戦記念日が近づいてくると戦争に関する番組が多くなるが、戦争はヒトラーやプーチンや日本軍部のような特殊な人間が起こすのではなく、人類が絶滅しないかぎり地球上からなくならないと思う。人間は異種を駆逐して自分が頂点に立ちたいと思う生き物だからである。そして必ず「アジアの開放」などの大義名分やフェイクニュースをまき散らして自分を正当化する。戦争に限らずスポーツの世界でもそれは同じだ。頂点に立つからには相手を潰さなければならない。
’22年08月13日(土)  トムすごーい! 
’22年08月12日(金)  今日はコミュニティ体育館での練習。6人が欠席だ。だからミニゲームは実施できる。だが1人気分が悪くなって途中で抜けた。もう終わりに近かったので最後はフリースローで締めくくった。シューティングの途中で近くにあるナフコで室温計を買いに行った。学校の体育館の壁には室温計が掛けてあるが、他の会場だと室温を見る計器はないところが多いからだ。 
’22年08月11日(木)  ひがながの部員は24名。そのうちマネージャーが2人だから選手は22名。8名が休んだ。そして、練習の途中で気分が悪くなり2名が抜けた。ランニングスルーやミニゲームはできないので少人数でもできる3対2をやって練習を終わった。欠席常連の選手もいるしやむを得ない理由の者もいる。これは選手が部活を自分の生活の中で優先順位のどの位置に置いているかによって決まるが、部活を最優先に置けと強要できないのが中学の部活だ。 
’22年08月10日(水)  コヤスポ杯参加案内UP newpage3 参照 
’22年08月09日(火)  半月以上格闘し続けたセキュリティソフトの更新が今日終わった。1年契約ではなく3年契約とした。その方が割安になるからだ。当然のことながら迷惑メールや「コンピュータが危険に晒されてます」というメッセージはパタッと止まった。パソコンは独学なのでどこかでこうして行き詰まることがあるが、鶴鳴時代には部活指導でパソコンの研修を受ける暇はなかったので仕方がない。 
’22年08月08日(月)  エッ!9日に更新しようとして8日の分をすっぽかしたことに気づいた。すみません。 
’22年08月07日(日)  山崎純男の来し方最終回⑫さらに、満州生まれというのがそれに拍車をかけたのだと思う。こどもの頃はわからなかったが、歳をを重ねるとともに私も学習した。引き揚げ者の私たちは、世界を支配しようとした日本の軍部が仕掛けた無謀な戦争のために、日本国籍を有する人間ではあるが生まれ故郷を持たない日本人になってしまったのだ。
’22年08月06日(土)  どうやっても更新できないので、ESETの会社に私の個人情報を送信して代行更新を依頼した。明日コンビニに行って代金を支払うが、それすら大丈夫かどうか心配だ。 
’22年08月05日(金)  パソコンのセキュリティソフトの更新期限が迫っているので更新手続きをしたが、最後の段階で「本人確認キーが違います」というメッセージが出て更新できない。それで半日費やした。何度も手順を確かめて間違ってはいないはずなのにそこで詰まる。モーいやだ。明日また挑戦してみよう。クソお! 
’22年08月04日(木)  今日の練習はA練(08:00~10:30)。朝目を覚ましたら腕時計の表示が6:51となっている。急いで朝飯を食べ練習に行く準備をしながら時計を見たら地域を示す表示がTHU(木曜日)ではなくGUM(グアム)となっている。寝ている間にどこかのボタンを押したのだろう。日本とグアムの時差は1時間だ。だから私が朝飯を食べたのは5:51だったのである。一寝入りしたら遅刻するのでしばらく本を読んでから家を出た。
’22年08月03日(水)  山崎純男の来し方⑫このように私の幼少から思春期を過ぎるまでの自分を振り返ると、ひもじい思いをいやというほど味わい、加えて兄からのひどい虐待を受け、またあちこち転々と住む場所が変わって仲の良い友達を作る暇も無かった。それを悲しいとか辛いと思ったことは1度もない。山崎純男の来し方を書き残そうと思ったのは「私にはなぜ祖国愛が足りないのか、私はなぜ他人を簡単に容認できないのか」という永年の思いに結論を出したかったからだが、私は誰もがこどもの頃に身に浴びる家族愛とか兄弟愛とか友情という体験が少ないまま育ち、それを運命として受け入れ、知らず知らずのうちに生きることの厳しさを知り、自分にも厳しく、他人を安易に容認しないという性格が形成されていったのではないかと思っている。
’22年08月02日(火)  今日は大学病院での3ヶ月に1回の診察日だった。腹部CT検査によりガンの転移や再発を診るのだが今回も異常なし。7/19には10年前に実施した膝の手術後の経過を診るためにMR検査を受けたが、これは調子が悪くなってきたので検査をうけたのではなく審判をしても走ってもなんともないからそれを調べたくて受けた検査である。俺の身体は一体どうなってるのだろう?
’22年08月01日(月)  今日のD練はオフ。山崎純男の来し方⑪しかし遂に私は兄を勘当した。私が53歳の時だった。兄が勤めている三菱重工から再三兄の無断欠勤について私に電話がかかってきた。兄はアルコール依存症だったのである。そこで私は停年まであと2年残している兄を伴って会社の人事部に行った。そしてそこで会社に自己都合退職願いを出させた。その時兄に言ったことばは「このままだったら会社をクビになる。クビになれば退職金も出ない。だから停年まであと2年あるがクビになる前に自ら退職願いを出せ。そしてこの手続きが終わったら俺との関わりを一切絶て」である。兄はそれから15年後食道ガンで死んだが私は葬儀に立ち会わなかった。兄と絶縁状態になってから思った。どんなに虐待を受けても辛いとか悲しいとは思わなかったのだが、私の心の奥底には兄を許さない気持ちがずっと居座り続けていたのだなあと。 
’22年07月31日(日)  4チームで練習試合をするが参加してくれないかという要請を受けたので参加した。imoriscrimage220731 
’22年07月30日(土)  おにぎりを2つ持って出かけた。練習中に2個とも食べた。フー。山崎純男の来し方⑩だが、後年私は兄に対する負い目はあったものの兄弟愛はゼロだったというのを気付くようになった。兄は秀才ではあったが性格異常であった。私の幼少期は兄による虐待の毎日で青あざが絶えなかった。そんな私に母は兄から殴られたのではないかとしょっちゅう聞くが私は転んだとかぶつけたとごまかして過ごした。兄をかばったワケではない。兄に怯えたり辛いと思ったこともない。事を荒立てたくなかっただけだ。
’22年07月29日(金)  練習は、約1時間強のシューティングのあとランニングスルー(Aチーム)と3分のミニゲーム(Bチーム)をやる。これには1時間20分使う。その1時間20でやれるのは上記の練習を3セットだけだ。なぜなら、機械的に動きを流すだけでは何の効果も得られないので「ストップ!巻き戻し!」を頻繁に繰り返すからだ。巻き戻したあとはゆっくりリプレイさせながら要所で「そこゆっくり」とか「まだ待って待って、はいそこで動き出す」などの声かけをする。だから腹筋が攣るのだ。練習後帰り際には下足箱の前の上がりかまちに腰掛けてしばらく体力回復時間をとらなければすぐには動き出せない。 
’22年07月28日(木)  オフ日。山崎純男の来し方⑨兄が長崎の三菱造船所に勤める事になったので私たちは長崎に移り住んだ。しかし貧乏に変わりはなかった。親子3人で6畳1間の市営住宅を借りて住んだ。やがて兄は結婚してそこを出た。その後私は、結婚するまでの13年間母と2人でそこに住んだ。長崎に来てからも母は、洋裁の技術で私を高校と大学に行かせてくれた。この、私だけが高校と大学に行かせてもらったという事だけはどうしても兄に対する負い目として私の心の奥底に今でもずっと残ったままになっている。 
’22年07月27日(水)  今日はAチームのランニングスルーも超ゆっくりペースにし、パスを受けながら連続してプレイをするのではなく受けた場所でしっかり止まり世間を見回すことを強調した。そうしなければ公式丸暗記のプレイになってしまうからだ。山崎純男の来し方⑧こども心にもその気持はわかる。だから、母の独り言が耳に入っても聞こえないふりをしていた。その独り言が心の片隅から薄らいでいくまで私たちも母の辛さをじっと耐えているしかなかった。兄は秀才だった。父の血を受け継いで特に理数系の学問には強く、さらに英語も得意だった。その兄は、引き揚げに際して無一文になった事とその後すぐ父が死んだために学問追及の道を閉ざされ、中学卒業後長崎の三菱造船技術学校に行く事になった。そこは、学業優秀な生徒しか入れない難しい学校だったが授業料が要らないかわりに三菱造船所が優秀な技術者を養成するために設置した学校だったので、文部省で認可された高校を卒業するのと違いここを卒業しても高卒の学歴はつかないのだった。
’22年07月26日(火)  今日からBチームのランニングスルーはやめてミニゲームに替えた。チンプンカンプン過ぎてまだダメだ。Aチームはそのままランニングスルーである。練習開始前「昨日のイメトレを家に帰ってから違う方法で試みた者居るか?」と言って手を上げさせた。するとコナツが1人だけ手を挙げた。方法は作図だ。これをたった1人?と評価してはならない。1人居たということがすごいことなのだ。事前に私がヒントも指示も出していないのだから。 
’22年07月25日(月)  この画像は選手各々がランニングスルーのイメージを描いている様子である。例えば、Aさんがドリブルでボールを運んでいて、ハーフラインの手前あたりで右サイドのBさんにパスしました。パスしたAさんはゴールに向かって走り、ボールを受けたBさんはAさんが駆け抜けたコースにクロスするようにドライブを仕掛けました。その瞬間逆サイドのCさんはBさんからボールを受けられるようにミートアウトしました、というように…。初心者にはチンプンカンプンだというのは承知の上だ。 
’22年07月24日(日)  ランニングスルーをやり始めてから初めてのオフ。家の中で時々うとうとしながら終日ゴロゴロしていた。山崎純男の来し方⑦ 縫製工場の給料は安かった。そこの給料では私たちを食べさせる事が出来ないので母は毎日残業をして帰る。それでも足りないので帰ってからも夜遅くまで洋裁の内職をしていた。その頃の母の口癖は「死にたい」だった。手内職をしながらぶつぶつ独り言を言う。その独り言の中にこのセリフがつい混じるのである。私たちに対してグチを言うのではない。だから本音なのだ。こども心にもその気持ちはわかる。だから、母のそんな独り言が耳に入っても聞こえないふりをしていたし、その事には絶対触れなかった。その独り言が心の片隅から薄らいでいくまで私たちも母の辛さをじっと耐えているしかなかった。
’22年07月23日(土)  A練の日は朝飯をササッと済ませて家を出るから練習途中でおにぎりを食べる。今日はA練後大村市で行われる県中総体の日宇男子対ひがなが男子の試合を観に行った。日宇の梅崎先生はチーム造りが巧い。こんな指導者が30代40代に欲しいなあ。 
’22年07月22日(金)  昨日の練習後から今日の練習指導までできるだけ体力を使わないよう家でじっとしていた。練習開始前選手たちをホワイトボードの前に集め「昨日ここに書いたことを覚えている者」と言って手を挙げさせたら3名しか挙がらなかった。もちろん怒りがこみ上げてきたがその怒りを熱意に代えて指導した。前にも書いたがこんな生徒たちが大人になったら日本は滅亡する。
’22年07月21日(木)  33年ぶりにランニングスルーを持ち出した。今年の1・2年生に「バスケットボールとはこういう考えの基にやるんだよ」と教えなければならないからだ。それほどバスケットを知らないのかということではなく「この子たちならわかるようになる」と思ったからだ。この練習はゆっくり動くので選手は体力を消耗しない。代わりに私が動き回らなければならないので、私の頭と身体の消耗が激しい。初日にして早くも私自身がこの夏を乗り切れるかどうか心配だ。
’22年07月20日(水)  山崎純男の来し方⑥それからの母は、洋裁の手内職で私と兄を養っていかなければならなくなった。住吉村は農業が中心の小さな村だったので、母の仕事は父の稼ぎの手助けぐらいにはなっても家族を養っていけるほどの仕事にはならない。そこで私たちは、同じ佐賀県の北方という炭坑の町へ引っ越す事になった。母が親戚の紹介で、炭坑が経営している縫製工場に勤める事になったのだ。北方には祖母がいた。しかし私たちは祖母の家にお世話になるのではなく、別に家を借りて住んだ。そこも住吉村の家と同じように、農家の納屋を改造した小屋だった。家賃は安かったが近くを流れている六角川が氾濫して毎年洪水に見舞われた。戸棚やタンスや机などの家具は、みんなどこからか貰ってきたリンゴ箱をそのまま使っていた。母は「買っても毎年洪水でやられるから無駄になるのよ」と言っていたが、実はお金がないから買えないのだった。
’22年07月19日(火)  朝から線状降水帯と戦いながらバイクで大学病院に向かった。10年前に手術した左膝の状態をMRIで調べるためだ。ドリリングといい、骨に40箇所の穴を開け 、そこから骨髄液をしみ出させて軟骨を再生させる手術だ。今回の検査は再発したからではなく、審判してもジョギングしてもなんともないので本当に軟骨が再生したのかどうか知るために依頼した。
’22年07月18日(祭)  天皇杯最終日を小浜体育館へ観に行った。女子準決勝(鎮西対鶴鳴)まるまると決勝(ストレッチ対鎮西)をハーフまで観た。鎮西は指導されたことを忠実にやる。とても重要なことだが、さらに強くなるには忠実にやるだけでなく応用力を身につけるつけることだろう。だが忠実にやるのは、自分がやりたいことしかやらないチームに比べればはるかにアッパレである。 
’22年07月17日(日)  家庭の日でオフ。山崎純男の来し方⑤なんとかこうして生きていく手立てが見つかったのも束の間、突然父が死んだ。昭和23年10月22日、引き揚げて来てから2年目だった。父は肺炎を患って2週間ばかり寝ていた。それも峠を越え、あとは回復を待つばかりであった。その日の朝、私は母に言われて父を起こそうとした。「おとうさん、ごはんだよ」そう言って父をゆすったが首がぐらっとした。私はこども心に異常を感じ、台所で食事の支度をしている母に「おとうさん、変だよ」と告げた。母は食事の支度を中断して土間から上がってきた。父をゆすり、耳を父の鼻や胸に当てて呼吸や鼓動を確かめた。そして「死んでるーっ」と言って父に取りすがった。私は死というものを認識できる年齢ではあったが不思議に涙は出なかった。その時の父の顔ではなく、母が父にとりすがって泣いている姿だけが今でもくっきりと映像に残っている。その日の明け方5時頃、母は父が起きてトイレに行ったのを覚えているという。それから約2時間後に私が起こそうとした時に父は死んでいたのである。私は父の死因は今でいう急性心不全だったと思っている。享年42歳。 
’22年07月16日(土)  今日は長崎市東ブロック1・2年生の強化練習会。ひがながからは2年生3人1年生5人を送り出した。選考会は朝8時から11時まで行われた。なぜこんな早い時間なのかというと、会場のバスケ練習割当がその時間帯だからだ。少し部分練習をしたあとスクリメージを何本もやり採点をしたが、女子バスケも男子同様個人ドリブルから始まり、パスや人の動きは少ない。嗚呼。 
’22年07月15日(金)  山崎純男の来し方④ともかく、私たちを飢えさせないために父は働かなければならない。エンジニアの父はまったく畑違いの仕事を始めた。近くの農家から野菜を仕入れ、佐世保市の市場まで売りに行った。私たちは父が野菜を売って稼ぐわずかばかりの日銭で暮し始めた。それだけではもちろん足りない。母は若い頃に習った洋裁の技術を生かして、引き揚げに際して持ち帰って来た純毛の毛布を解いて毛糸にし、それでセーターを編んで農家の人にお米と交換してもらったりした。稼ぐお金はわずかであっても父が働くようになったので居候生活をするわけにはいかない。私たちはある農家の納屋を借りて住むようになった。そこは昔ニワトリ小屋だったのを改造したものだった。 
’22年07月14日(木)  パソコンとの格闘で睡眠不足の日々が続いたが、それも今日で一件落着したので話題を元に戻そう。山崎純男の来し方③だ。上陸したその日、私たち引き揚げ者の健康状態を把握するために巡回していた看護婦さんが、母に抱かれている弟を見て「あらー、これは大変!早く診療所へ連れて行きなさい!」と母に言った。長い旅の途中我が子がそれほど弱っている事に母親が気づく余裕すらないほど当時の状況は悲惨だったのである。弟の死因は重症消化不良症だった。引き揚げてきた後私たちは佐賀県の住吉村(現山内町)に母方の遠い親戚がいたのでそこに身を寄せた。戦争に負けた日本はみんな貧乏で、他人の世話をしてやる余裕がある家など1軒もなかった時代だから、父や母はずいぶん肩身の狭い思いをしたようだ。
’22年07月13日(水)  午後4時、ついにパソコンをやっつけた。なかなか設定ができなかったメール送受信の再設定が完了したのである。あと、ダウンロードしなければならないソフトやファイルがいくつかあるが、それらのダウンロードに時間がかかったり不可だったりしても旧パソコンで行っていた仕事に支障はない。今回気づいたことは、以前はサクサクッとダウンロードやインストールできていたものが今回はやっかいだったということだが、それは最近ウイルス感染するケースが増えてきたのでセキュリティが二重三重にかかっているからである。こっちも時の経過とともに少しは利口になっていくが、悪い奴らの悪知恵もバージョンアップする。
’22年07月12日(火)  今日は家の中に居てさえ動くのが億劫だ。クリニック終了後2日目。身体のだるさも筋肉痛も今日から表面に出てくる。さりとて練習指導の手を抜くわけにはいかない。さらにこの4日間は新パソコンを使えるようにする作業が加わり、身体だけでなくアタマも疲労困憊だ。明日メール設定の作業が終われば一応完了だが、それもうまくいけばの話しだ。 
’22年07月11日(月)  昨日のクリニックの途中で腹筋が攣った。今日のひがながバスケの指導中にも同じことが起こった。原因は一生懸命しゃべるからだ。一生懸命喋ると腹筋に力が入る。それを2時間続けると足を動かしすぎてふくらはぎやふとももが攣るのと同じように腹筋も攣るのだ。 
’22年07月10日(日)  今日はクリニックと練習試合の最終日。ミニゲーム→クリニック→ミニゲームとフル活動だった。クリニックはポストディフェンスだけにテーマを絞ってやった。どこのクリニックに行っても、目新しい内容や未経験の内容は私が何回も見本を示さなければならない。死にそうだった。加えて昨夜は新パソコンの設定のために時間を食い、寝たのが深夜01:08だったのが応えた。 
’22年07月09日(土)  今日は朝からK高校とK中学のクリニックと審判。審判の途中で血糖値が下がって動けなくなったのでアンパンとザバスとジュースで急場をしのぎ、何とか生き延びた。私は胃を全摘しているので空腹のまま動きの多い動作を長時間継続してはならないと、あらためて悟った。フーゥ。 
’22年07月08日(金)  パソコンに新しいデータベースソフトをインストールしたら、パソコンのスペックが低いので機能せず、やむなく新しいノートパソコンを買った。それに、旧ノートパソコンからデータを移し替える作業に手間取り今日のブログは更新できなかった。ゴメン。 
’22年07月07日(木)  私が短大に勤めていた2009年7月7日。学生の誰かが新館階段の手すりにこんな飾り付けをした。私が67歳の時の七夕である。その時の学生に告ぐ。「お~い、俺は今年の5月で80歳になった。まだ生きてるぞぉ」 
’22年07月06日(水)  夕方7時からバスケ部保護者会。役員交替と任務内容の引き継ぎだ。任務内容といっても面倒くさいことの大半は私がやるからひがながバスケ部の保護者たちにとっては日本一ストレスのない部活動だと思う。私は80歳を超えたが元気で動けるうちはこのやり方を続けていこうと思う。 
’22年07月05日(火) 台風接近のため今日は休校になったが、長崎県を直撃した台風は上陸後ただの温帯低気圧になり何事もなかった。山崎純男の来し方②私の兄弟は4人だった。全部男の子だった。引き揚げの年、私は4才だった。兄が9才で、私の下には1才半になる弟と生まれて半年の弟がいた。2人の弟は相次いで死んだ。1才半の弟は引き上げる直前の2月にアンギーナという喉の病気で死に、下の弟は舞鶴に上陸した翌日に死んだ。下の弟は母の乳が出なくなったのが原因で死んだ。財産をなくして食うものもなく、母がまともな食事をとれないので乳が出ない。それで母は奉天から葫蘆島までの汽車移動の途中、汽車が止まる度に群がり寄って来て何かを売りつけようとする中国人から虎の子の千円でミルクを買って飲ませた。それが良くなかったらしい。 
’22年07月04日(月)  山崎純男の来し方については、チームを創る第1章の1部を再掲してその経緯から自己分析をしなければならないが、再掲と自己分析にはブログ20回分は要すると思う。今日はその第1回①私たちは満州からの引揚者である。父は満州鉄道に勤めていた。だから満州にいた時は経済的には不自由していなかった。しかし引き揚げに際してお金は1人千円以上持って帰ってはならないと政府から言われていたのでほとんど無一文に近い帰国だった。私たちは昭和21年(1946)の6月上旬に奉天(現:瀋陽)を汽車で発ち、何日もかかって葫蘆島(ころとう)の港に着いた。汽車は屋根のない貨車で、しかもぎゅうぎゅう詰めだった。そこから船で日本海を渡って京都の舞鶴に上陸した。船旅は汽車の旅同様鈴なり状態だった。舞鶴上陸は昭和21年7月1日だった。 
’22年07月03日(日)  女子はオフなので(実は長崎市4ブロック強化事業が行われたのだがその通知が私まで届いていなかった)男子の練習試合の審判に出かけた。今日の東長崎中男子に限らないことだが、ミニバスも含めて無駄なドリブルの多いバスケットが年々増えていってる。マンツーマン推奨の良い面ではなく悪い面が表面化しているのだと思う。 
’22年07月02日(土)  ずっと昔から自分自身について「どうしてかなあ?」と思うことがあったのだが、最近になって「ひょっとしたらこれかなあ?」と思うようになった。話せば長くなるので一気に述べることはできないが、このブログでは基本的にバスケ話題や私の身辺に起こる出来事を取り上げながら、そんな話題がない時に山崎純男の来し方と称して自分史話題を書いていきたいと思う。「どうしてかなあ?」の内容は山崎純男はこどもの頃からずっと愛国心が稀薄で日本人贔屓ではないという事実である。 
’22年07月01日(金)  試しに2年生主力の5人(キノ・コナツ・メイコ・ネイロ・ウタ) 対1年生主力の5人(ナオ・ミオン・ユウリ・モモカ・リナ)でミニゲームをやらせてみた。予想通りゲームにならない。いくらミニバスでそこそこやったといっても1年生はまだミニバスの域を出ない。もっともひどい差がディフェンスだ。1年生のザルディフェンスでは中学バスケはできないのである。この惨めさを味わって、夏休みが終わる頃には変われるかしら?しばらくいじめてみよう。
’22年06月30日(木)  月末は毎月パソコンでの事務作業が多いのだが、今月は保護者役員改選があるし会計監査もあるので齟齬なく事務引き継ぎをして貰わなければならないからより丁寧な仕事をしなければならない。おかげで今日もブログ更新が23:00を過ぎてしまった。 
’22年06月29日(水)  60/120。これはシューティングの途中でホワイトボードに書いた数字である。これを指さしながら「練習時間の半分をシューティングに充てる意味が分かるか?それがもっとも大切なことだからさ。試合中お前達の誰かがシュートを身構えたら相手は、あっやられたと思う力をつけなければならないのだ。だがそんな空気感はここにはない」と言った。 
’22年06月28日(火)  今日は、役員交代(7/6) 前の会計チェックで私の処理ミスが見つかりそれを修正①。それにコヤスポ杯の申込②。長崎市4ブロックの強化事業の資料作成③。1年生のウエアー注文の支払い④とそれを保護者に通知するパソコン処理⑤。部費余剰金の返金用封筒印刷⑥等パソコンと格闘した1日だった。
’22年06月27日(月)  令和4年度長崎市ジュニアスポーツ対策事業の申請資料作成とコヤスポカップの申込資料作成に追われた。私は学校ではなく自宅で仕事をするので、郵送とかFAXでの回答を求められるととても困る。 
’22年06月26日(日)  今日はA練(08:00~10:30)。選手は練習開始15~20分前には集まる。自分達の前に練習している部活が無ければ時間潰しをするるよりも全員揃えば開始時間前でも練習を始める。今日は07:45に始めた。そして09:45に終わった。本来なら10:15までやれるのだがそれで充分だ。ただし、途中「寝坊して遅れました」といって遅れてきた子はその場で帰した。
’22年06月25日(土)  長崎地方には大雨警報が出される予定だった、警報が出たら部活は中止だが何事も無く平穏な1日だった。土日の練習割当は各部2時間半だが、私は約2時間しかしない。手を抜く選手が居なければそれで充分だ。しかし、最近B練やC練の時は途中が空腹感に襲われるのが困る。 
’22年06月24日(金)  期末テスト終了!部活再開!欠席なし!ケガ人なし!病人なし!ヨーソロー。 
’22年06月23日(木)  平成3年に佐世保の中里中学校からガードが来た。鶴鳴のキーマンになる選手だったのでキーと名付けた。翌々年にまた同中からガードが来た。これもキーに並ぶ選手だったのでスペアキーという意味でペアと名付けた。翌年またそれに負けないガードが来た。リザーブキーという意味でリザと名付けた。リザはアメリカに留学したがその時いろいろ世話をしたので帰国してからずっと父の日に何か贈ってくる。今年はドラセナだ。「もういいよ」と言うが彼女は送り続ける。 
’22年06月22日(水)  福岡第一の井手口氏の著書「走らんか!」を入手した。読みかけの「田園発港行き自転車」を読み終えたら読んでみようと思う。書くことをメシの種にしていない者にとっては「書く」という作業はなかなか難しい。が、それを商売にしていない者が書いた方が読む人にとっては生々しい思いが伝わる場合がある。楽しみにしておこう。 
’22年06月21日(火)  7月の外部施設は4回分取れていなかったが、今日そのうちの2つが取れた。コミュニティ体育館のキャンセル待ち解禁日だったのだ。これから毎日コミュニティにアクセスし、残る2回分を確保しなければならない。さらに25日には飯盛と多良見に問い合わせる。それで取れなければオフ日と実施日を入れ替えたりして工面しなければならない。 
’22年06月20日(月)  先週からずっと心に重くのしかかっている悲しみと怒りの感情がある。5歳児餓死のニュースだ。この子が死ぬ間際に口にしたことばは「ママごめんね」だった。5歳といえば親からいっぱいの愛情を受けて育つ年齢だ。それが…親には何も恨みの感情は持たず、自分が悪いのだと思ってこの子は死んでいった。ブログを更新しながら涙が止まらない。 
’22年06月19日(日)  昼、キャンプ平和のグループと日吉で昼食を共にし、修了証書授与式に顔を出し、Tシャツをプレゼントして貰って別れた。主にウィスコンシン州とコロラド州の大学生たちだが、いわゆる擦れた学生は1人も居ない。みんな純朴だった。 
’22年06月18日(土)  コロナが沈静化したのでGUYのプログラム(アメリカの学生と日本の学生の相互研修)が再開した。今回の名称は「キャンプ平和」だ。今日は11名のアメリカ人学生をバスで日吉まで送り届けた。一行は明日まで長崎に滞在してその後福岡に発つ。内容は日本語の学習と日本文化の研修だ。もう25年の付き合いになる。 
’22年06月17日(金)  6月いっぱいで部の保護者役員は交代する。そのための事務作業やら連絡調整に忙殺された。でも今日でそれが一件落着したから来月6日の保護者会はバッチリだ。 
’22年06月16日(木) 今日はコミュニティで練習だったが学校行事予定表では今日からテスト休みとなっていた。だから練習は今日からオフだ。このような手違いは頻繁に起こり得るので、関わる者すべてが当事者意識をもってチェックしなければならない。 
’22年06月15日(水)  新チーム練習の2日目。練習の大半はシューティングで、種類はロングシュートとワンドリブルジャンプシュートの2種類だけである。貰い足、フリーフット、ストップ足に厳しく注文を付ける。何度もやってみせるから帰宅後家の階段を上り下りするたびに足がワナワナした。 
’22年06月14日(火)  今日は中総体明けの代休日だが、体育館もグランドもガランとしていて練習しているのは女子バスケだけだ。3年生は引退だが4人しかいなかったので人数は中総体前と変わりがないように見える。主将をキノにすることを告げて練習を始めた。練習時間の大半はシューティングに費やした。ナオは普通に練習していた。捻挫は本人の申告通り「ちょっとだけ」だったのだろう。 
’22年06月13日(月)  中総体最終日。負けたチームの部活は禁止だ。明日から新チームの練習が始まるが、この1年間ずっと考え続けてきたことに結論を出した。それは新チームの主将を誰にするかということである。目安は立てているが自分の弱点を直すのに汲々としている選手に主将の重責を負わせるデメリットのことを何度も何度も考えた。結論は明日みんなに告知する。
’22年06月12日(日)  市中総体2日目結果UP newpage3 参照 
’22年06月11日(土)  市中総体初日結果UP newpage3 参照 
’22年06月10日(金)  5月後半はチョコチョコしたケガ人が多発したが中でも軽いと思っていたナオの捻挫がなかなか治らなかった。それが昨日回復し今日から練習に参加した。ぶっつけ本番にはなるが明日の開幕には間に合いそうだ。試合はミスを少なくすることよりも、選手が気持ちよく楽しくプレイすることが重要だ。ナオだけでなくミオン・ユウリ・モモカ・リナの1年生たちはそれを実践する。
’22年06月09日(木)  市中総体参加案内UP newpage3 参照 
’22年06月08日(水)  大谷君が2塁打を打ち、トラウトが2ランホームランを打ったが、そのあとトラウトは股関節を傷めて戦線離脱、逆転されて遂に13連敗となった。ひがながバスケがドラウトに陥れば私の打つ手はひとつ。全てのシュートをペイントエリア内に持ち込むことだ。リバウンドを取ることでもディフェンスを頑張ることでもない。さてエンジェルスはどうする? 
’22年06月07日(火)  宮本輝さんの作品から離れてネイティヴアメリカンの本を読み始めた。表題はプエブロ族の古老が語ったことばのうちの1つだ。私の鶴鳴在職中の口癖は「教員を辞めたら渡米してナバホ族とともに暮らす」だったのでこれから読むのが楽しみだ。しかもこの本は原文と訳文の両方が載っているので「フムフム、なるほどそう訳したか」と、参考になる意味でも興味深い。 ’
’22年06月06日(月)  8回表まで6-2でフィリーズに勝っていたエンゼルスが8回裏に同点とされた。が、9回表に1点追加した。今日こそは連敗脱出だと思っていたら、9回裏に逆転3ランを打たれ11連敗となった。バスケットで言えばドラウト(drought)が続いている状態だが、バスケットの試合では知恵が湧くものの野球は分からない。大谷君とトラウトに「何とかしてくれ!」と祈るだけだ。
’22年06月05日(日)  昨日オフのところを急遽練習試合を申し込まれてそれを受けたので、今日はその替わりのオフ。終日テレビを見ては居眠りをし、目を覚ましては本を読み、また居眠りして終日ゴロゴロしていた。夜9時過ぎ、本を読みながらテレビのチャンネルをあちこち回していたらBS7CHで田端義夫さんが歌っていた。BS演歌の花道という番組で、私は演歌は好きではないが田端さんが懐かしくてしばらく見ていたら彼が赤とんぼを歌い出した。「夕焼け小焼けのあかとんぼ…」というやつだ。するとじわーっと涙が出てきた。俺も歳取ったなあと思った。 
’22年06月04日(土)  真城練習試合結果報告 shinjoscrimage220604 参照 
’22年06月03日(金)  ミクの突き指は今日診たところ剥離骨折は伴っていないようだ。それよりナオの捻挫の回復に時間がかかっている。明日の練習試合にもダメなようだ。初日に診たときは腫れもなく圧痛部位からして典型的な前距腓靱帯損傷の軽度捻挫と思ったが、生涯で初めての捻挫なので本人も対処の仕方が判らないのかもしれない。もし、私の見立てに誤りがあるようだったら週明け専門医に診て貰うことになるかもしれない。 
’22年06月02日(木)  ミクの見学理由は突き指だ。腫れと内出血の色から判断しておそらく剥離骨折を伴っている。それより少し前に突き指したカリナも同じ。ナオは足首(前距腓靱帯損傷)の軽い捻挫だ。ミニバス開始以来初めての捻挫なので対処の仕方が判らないだろうから練習はさせていない。このように重症ではないがちょこちょこしたケガが多い。これも実力のうちだ。 
’22年06月01日(水)  現在の練習は①シューティング②1対1③ミニゲームの3種類しかやっていない。ミニゲームのグループ分けは毎回手書きでホワイトボードに書き出していたが、それはめんどくさいので今日マグネットボードを買いに行き、それを5㎝四方に切って全員の名札を作りホワイトボードに貼り付けることにした。それにしても、たったこれだけのアイデアをどうして今まで思いつかなかったのか、自分のアホさに腹が立った。 
’22年05月31日(火)  昨日2年生のK子が1年生のY子を捕まえてジャンプショットの着地指導をしているのを目にした。このことについて私の関与は一切ない。今日のシューティングはY子を注視していたがY子はそのことを意識しながら練習していた。これこそが部活動でもっとも重要な縦社会の繋がりである。K子アッパレ!
’22年05月30日(月)  市教委からマスク着用に関する通知がきたので今日から部活中はマスクを外させる。ただし、更衣室内ではマスクを着用し会話は控え、着替えたらすぐ退室するのは以前と変わらない。私は指導中もマスク着用だ。集合させて説明することがあるし、プレイ中は大きな声を出すことがあるからだ。これはコロナが治まっても変えない。 
’22年05月29日(日)  日本ダービー(2400㍍1着賞金2億円)で武豊騎手(53歳)が6勝目を挙げた。9年ぶりだ。A練(08:00~10:30)から帰ってきたあとは昼寝し、起きたあともグッタリしていたが武豊騎手の快挙で目が醒めた。俺もガンバロ。 
’22年05月28日(土)  個人的には今日徴収すると告知していた部費を忘れた者が2人いた。チームとしては木曜日に外部で練習した帰りにバスの中にデジタイマーを置き忘れたままだった。忘れ物やホウレンソウ不履行が多いチームは学校代表を標榜資格はない。というより、その自覚が稀薄なのが問題だ。 
’22年05月27日(金)  6月の練習会場がすべて決まったことと、チームに関するパソコン処理作業がすべて終わったので今日はさわやかな日が送れた。好文堂から相談役島耕作の入荷通知があったので今日はそれを読んで早めに寝る。 
’22年05月26日(木)  6月の外部施設は、7日28日30日の3回分どこも取れていなかった。残る望みは25日以降解禁となる諫早市の施設である。今朝飯盛体育館に空き状況を尋ねたが空いていなかった。そこで多良見体育館にも問い合わせてみたら7日が空いていた。それを聞いてすぐバイクを飛ばし多良見に手続きに行ったら、係の人が先行予約している他団体と交渉してそれをずらし、28日も確保してくれていた。ありがとう。コミュニティ・飯盛・多良見・日吉どの施設の職員も親切でいわゆるお役所仕事の対応はしない。
’22年05月25日(水)  1年生に吸収力はある。それがチーム力に反映するには練習の中で上級生がお姉さん役を果たせなければならない。現在そこを特訓中である。上級生が1年生より巧くやれる必要はない。ことばをかけることができればよいのだ。それができれば上級生のプレイの向上にも繋がる。暑い!今日の体育館内温度は30℃。こんな日もマスクを外してはダメ?
’22年05月24日(火)  10時頃に寝ても深夜2時頃に寝ても朝5時半には目が醒める。そして日中のどこかで必ず居眠りをする。最近紛れもない老人になったのだとつくづく思う。店にバッグを忘れてきたことに気付き、それを取りに行ったら今度はそこにスマホを忘れて帰ったりすることがほんとに多くなった。ハァ・・・ 
’22年05月23日(月)  練習メニューの中にゲームで使用する攻撃の基本的なパターンはあり、それを上級生はミニゲームで使える。1年生はダメだ。しかし1年生に基本的メニューをミニゲームで使えるようになる指導をするよりも、1年生が好んでやる動きを少し改良してミニゲームで使えるようにした方が良いと思い、それを上級生の動きにも取り入れるようにした。1年生が基本パターンを覚えるのと、上級生が改良パターンに慣れるのとどちらがチームにとって得かと考えた時後者の方が良いと思ったのだ。 
’22年05月22日(日)  昨夜は吾妻での練習試合データを処理するのに午前1時過ぎまでかかり、寝たのが午前2時。起きたのが午前5時半。そのまま寝付けず、起きたらすぐ朝食もそこそこにクリニックへ。午後3時過ぎには眠気が最高潮に達して大変だった。このあと、保護者向けの資料を作成してさっさと寝てしまおうと思う。 
’22年05月21日(土)  infoazumascrimage220521及び resazumascrimage220521参照 
’22年05月20日(金)  指摘したことが半年経っても選手のプレイに反映されないという事例をどれほど重ねてきたことか。それが今年は皆無。私の指摘が直ちにプレイに反映されることはないが、指摘した直後から選手は意識下で反復しているのである。80歳にして僥倖が舞い降りてきたか? 
’22年05月19日(木) R子の個人指導中彼女の目玉はよく動いた。落ち着き無くキョロキョロしているのではなく、私の口から出ることばからその状況を描き、イメージを取り込んでいるのだ。案の定彼女は順番待ちの時に私から指摘された動作を復習していた。60年のコーチ人生の中で果たしてこんな選手が何人いただろう。片手かな? 
’22年05月18日(水)  プレイヤーではヒナとコアが欠席。すると4対4の攻防が3組できる。たらいで芋の子を洗うようだ。私のやり方は攻防から学ばせる。だから、1年生の素人であっても攻防に入れる。ダブルドリブルやトラベリングだらけになるがそれらは全てスルーだ。そんな中で上級生がお姉さん役をやれるかどうかを見る。
’22年05月17日(火)  今日は日吉での練習。野鳥が1羽舞い込んで出られずにいた。例によって、2階の窓を1箇所だけ開けてそれ以外はすべてカーテンを閉め、事務室に報告して帰った。明日そこから逃げ出していればいいが。今日の練習は大変だった。1昨日の80歳記念ランのダメージが今日出てきたのだ。背・腰・尻・太股すべてがだるくて重い。それでも1年生のディフェンス指導では身体を動かさなければならない。フー・・・
’22年05月16日(月)  昨日は家庭の日だったが体育大会を実施したので今日はその代休。だからバスケは2日間オフ。明日から再開だが当面は1年生のディフェンスがカタチにならないと戦えないからそこが練習の要点になる。 
’22年05月15日(日) 昭和21年7月に満州から引き上げて2年目の秋に父が突然死した。42歳だった。たぶん寝ている間に急性心不全を起こしたのだと思う。私は37歳の時に特発性腎出血(10年後ナットクラッカー症候群という正式病名を貰った)で長期入院を余儀なくされたが、その時「オヤジの歳までは生きなければならない」と思った。2年前には胃の全摘手術を受けたが、その時は「生き延びなければならない」とは思わず「俺の人生は終わった」と思っただけだった。が、それもなんとか切り抜け今日80歳の誕生日を迎えた。80歳にしてまだコートに立っている記念に夕方3㎞走った。途中、どこかの女子高の部活生に軽く追い越された。
’22年05月14日(土)  昨日は雨の中カッパを着て小浜までバイクを走らせたので快適ではなかったが、今日は晴れたので爽快だった。昨日と今日地元物産を販売している店の前を通っただけなのに店のおばさんと仲良しになった。 
’22年05月13日(金)  今日から雲仙市小浜体育館で開催される九州地区大学春季選手権大会を観に行った。というより、各大学のコーチ達に挨拶に行った。県内の中学や高校の試合もそうだが大学生の試合もコロナ禍で訓練不足の感は否めない。 
’22年05月12日(木)  連続7日間のクリニックを8日に終えて4日目の今日、ようやく足首のむくみがとれた。
’22年05月11日(水)  ケガで見学する8人のうち4人が太股の肉離れだ。軽症ばかりだがみんな体育大会の練習中に負ったものだ。今日の練習ではそれらを東病棟に入院させた。準備運動やストレッチの重要性を認識させるためだ。
’22年05月10日(火)  本来なら明日が体育大会の予行練習日だったが、昨夕急遽本日に繰り上げられた。明日と明後日は雨天の予報だったからだ。バスケ練習はコミュニティ体育館。体育大会練習で遅れた子はいなかったが参加したのは15人だった。ということは13人休みということだ。それぞれに事情があるのだろうが多すぎかなあ? 
’22年05月09日(月)  3日ぶりにひがながのコートに立った。茹で麺の足には筋肉痛が加わり(正確には腓骨筋痛=キックが多い動作後に多い)動く度に痛かったが、1年生のディフェンス指導には自ら動いて見せなければならないから踏ん張った。お姉さん達も、もうちょっと踏ん張って欲しいなあ。 
’22年05月08日(日) 今日は中学生のための早朝クリニックを実施。その後9時半トスアップで高校生と中学生交互のスクリメージの審判をし、午後帰途についた。2日から始まって連続7日間のバスケワークが終わった。さ~すがに疲れた。足は棒ではなく茹でた麺状態になった。干した麺は立てるとシャンと立つが茹でるとぐにゃっと曲がる。 
’22年05月07日(土)  朝6:53古賀駅発の電車に乗り、諫早で特急かもめに乗り換えて宇部に向かった。宇部では午後から高校生2チームと中学生1チームのスクリメージ指導と審判をフルゲームに換算して3試合分やった。足が棒になった。でも反応が返ってくるのは気持ちいい。こんなチームのクリニックはどんなに疲れてもやりがいがある。
’22年05月06日(金)  今日は臨時で割り込んできたクリニック。基本的に私が役に立つなら断らないことにしているが、さすがに5日続けてとなると身体が重い。さらに明日と明後日は県外クリニックに出かける。7日連続だ。こうなりゃ壊れるまでやるぞ。あと9日で80歳にしてクリニック要請があるなんてこんな幸せなことはない。 
’22年05月05日(祭)  今日は朝9時から3時間半休憩なしのクリニック。その後急いで学校に戻りチーム練習2時間半。昨日と1昨日は終日ベンチ采配と審判だったので、さすがに足がパンパン。帰宅後カーペットに寝転んでテレビを見ていたらいつのまにか2時間も爆睡していた。でも、暇を持て余すより忙しすぎる方が心身のためにはいい。 
’22年05月04日(祭)  HOOPCUP最終日結果報告UP newpage3 参照。昨日は平成12年度の選手2人がアポなし電撃訪問で会場にやってきた。おみやげはケニアの民族カラーのシャツhttps://sikunjema-japan.com(備考:発音はシクンジェマではなく、シクで切ってンジェマ。アフリカにはこのようにンで始まることばが多い)。今日はこれを着て週末出張の特急券を買いに長崎駅へ行った。そこでまた市内観光中の千夏とばったり。
’22年05月03日(祭)  HOOPCUP初日結果報告UP newpage3 参照  
’22年05月02日(月)  引き続きJBA登録作業を今日もやるが、一旦請求書請求を破棄してメンバーの登録作業からやり直す。それでもダメなら考え直す。ここまでは学校での作業。このあと家に帰ってから作業の続きをやり、すべて解決した。 
’22年05月01日(日) 1日中JBAの登録作業でパソコンと格闘して日々の出来事を更新するのは忘れていた。申し訳ない。
’22年04月30日(土)  4月7日に通知しましたが私のパソコンメールアドレス
s-yama1118kakumei191@nagasaki-joshi.ac.jpは本日20:00をもって閉鎖いたします。
今後はs-yama1118kakumei191@mopera.netのみとなります。なおHPその他は従来通り。
’22年04月29日(祭)  今日はA練(08:00~10:30)。07:21に目が醒め、朝食を食べる暇がなかったので途中のコンビニでおにぎりを買って学校に向かった。28人の部員全員への目配りで神経を使う毎日がアタマを疲れさせているのだろう、めずらしく寝坊をしてしまった。でも、アドバイスに反応が返ってくる選手が多いので疲れも苦にならない。 
’22年04月28日(木)  現在、バスケ指導は上級生がお姉さん役を務められるようになることに重点を置いている。1年生に何を教えるかではない。お姉さん役を務めるには、過去自分達はどんなことに注意しながら練習してきたか、を思い出さなければならないし、まごついていたり不安そうな1年生はいないか常に気を配らなければならない。
’22年04月27日(水)  HOOPCUP参加案内UP newpage3 参照 
’22年04月26日(火)  1年生のN子を呼んだ。私とN子の距離はコートの端から端だ。私の声が届いたとたんN子はハイッと返事をした。呼んだのはシュートのことでアドバイスするためだった。N子は私の指導中まっすぐ私の目を見つめて相づちを打ち、最後にまたハイッと返事して元の場所に駆け戻って行った。日本の若者に失望感を抱いてから何年経つだろう。今日はジュラシックパークに入り込んだ気分だ。日本の若者はまだ絶滅していない。 
’22年04月25日(月)  部活終了後は保護者会。20:00近くまでかかった。晩メシ食べないままの会議だったので胃のない私は途中で血糖値が下がり具合いが悪くなった。なので会議終了後すぐラーメン屋に走りモヤシラーメンを食べたら落ち着いた。だから忙しい時の私はいつでも口に入れられる何かを携行しなければならない。実は今日の練習指導中にもキャプテンの了承を得てファミチキをパクッとやった。 
’22年04月24日(日)  先週土曜日(16日)はオフだったが他校から練習試合を申し込まれて実施したのでその代休で今日はオフ。だが4月も5月も私にオフはない。補習授業の依頼がびっしりなのだ。今日はS校で午後1時から4時までやった。私の場合こちらが用意したメニューではなく、対象者の改良点を引き出してそこを修正するやり方だ。
’22年04月23日(土)  U15春季大会結果報告UP newpage3 参照
’22年04月22日(金)  〆切りから2日遅れたが陸上部からの転向者とその友達が今日入部してきた。これで新入生は11名となり総勢28名となった。今日は無欠席で全員参加なのでHP用の写真を撮った。新入生の中にはすぐ主力入りができる選手がいるし、少し手入れしたら使えるようになる選手もいる。素人が4人だ。その4人には必ず上級生を当番制で付けてまごまごさせないよう配慮している。気持ちよく練習できることが最優先だ。
’22年04月21日(木)  上級生が新入生に教えている様子をじっと観察する。習う新入生の様子も同じく観察する。毎年この時期の私の習慣だ。その結果、人物としてこの子はOKといえるのが6人いる。逆に、この子には手がかかりそうだなあという子はゼロだ。あとは私の生命力の問題だ。 
’22年04月20日(水) 今日は部活入部希望〆切り日。マネージャーを含めて10名が入部し。26名の所帯になった。しかも、ミニバス経験者は古賀ミニバスの4名だけだと思っていたら、橘小から2名、長与北小から1名経験者が入部してきた。こうなれば、もう少し生き延びることに専念しよう。 
’22年04月19日(火)  バスケットは手と足でやるのではなく目とアタマでやるのだと言い続けて2年。先週末から新入生が練習に参加しはじめたのでそこに視点を置いて新3年生新2年生新入生を観察している。すると見えてくる。ミニバス経験の有り無しにかかわらず、人としての資質に?がある者はバスケも身につかない。 
’22年04月18日(月)  ”忘れられゆく戦場~ミャンマー”の録画を観た。このところ連日ウクライナのことは報道で取り上げられているが、ミャンマー問題は題名のとおり―忘れられゆく―である。が、内容はどちらも同じくらいひどい虐殺だ。なぜ取り上げられる回数がこんなにも違うのだろう?
’22年04月17日(日)  午前中は大谷翔平君の試合をずっと観ていた。5打席目にセンターオーバー弾丸ライナーのホームランを打った。2試合連続だ。午後は2時まで囲碁番組を観て、それからパソコン作業をした。そして6時からWリーグファイナルを観るつもりだ。おそらく、富士通が何もできないまま負けるだろうと思っている。
備考:U15春季大会参加案内UP newpage3 参照
’22年04月16日(土)  今日は吾妻体育館で、吾妻・真城・ひがなが3チームによる練習試合だった。新入生が3人就いてきた。ベンチメンバーは18人で丁度3人分枠があるのでユニフォームを与え、試合にも出した。番号は#1#2#3だ。体験学習のつもりで出したが、2試合目のナオは体験どころか戦力としてフル出場に近い起用となった。 
’22年04月15日(金)  パソコンのメールアドレスのドメインをnagasaki-joshi.ac.jpからmopera.netに変更したらcircle squareの調子が悪い。どこまちがえたかなあ? 
’22年04月14日(木)  マネージャー希望者が入部し、早速今日から仕事を始めた。有り難い有り難い。途中まで新1年生だと思っていたら新2年生だった。昨年は陸上部に所属していたそうだ。仕事の合間に少しだけ会話をしたが中学2年生らしい会話ができた。やれやれ。 
’22年04月13日(水)  1昨日8人の新入生が見学に来たが、今日は1昨日来た生徒を除きさらに6人が見学に来た。その中にはマネージャー志望の子が居た。一方現役上級生の中には練習途中で退場通告を受けた選手が出た。彼女たちも当初は新鮮な気持ちで入部したであろうに…。年々若者の人造りが難しくなってくる。フー 
’22年04月12日(火) 当初、ウクライナ情勢のニュースが報じられると熱心に見ていたが、最近はプーチンの顔が画面に出るとすぐチャンネルを替える。ウクライナ侵攻だけでなく、国家ぐるみのドーピングにしたって、これだけの事実を突きつけられてなお、相手の自作自演だとか敵の陰謀だとかいう。彼のような狂人にはなりたくない。 
’22年04月11日(月)  新入生が8人練習見学に来た。ミニバス経験者4人素人4人だ。いろんな部活を見学して回るのか、バスケ部に入るつもりで見学に来たのか知らない。新2年生12人の中にはマネージャーを含めて素人が6人居るが、1年経った今でも辞めずに居る。戦力にはほど遠い選手が大半だが私はそんな選手にも全員に目を配る。 
’22年04月10日(日)  エネオスがWリーグセミファイナルで富士通に2連敗してファイナル進出を逃した。外側の主力2選手をケガで欠いていたが、だから大幅な戦力ダウンを余儀なくされたということよりも、なぜ大事な試合を前に重要な選手をケガで2人も欠く事態に至ったかを考えるべきだろう。 
’22年04月09日(土)  訓練とは追い込むことである。選手を追い込むには「ミスしたらもう1本追加」というように罰ゲームを織り込むのが手っ取り早い。しかしそれでは練習が「罰ゲームがいやだから必死にやる」となる。練習は「うまくなりたいからやる」のであって「罰ゲームがいやだからやる」ものではない。が、そんなきれいごとを言っていれば選手は自らを追い込むようになってはくれない。
’22年04月08日(金)  体育館割当なし。学童の送迎もなしなので終日ヒマ。先日中村和雄氏クリニックの補習授業でS高校に行った。今日みたいな日はどこかに出かけることはできるのだがそれはオファーがあってこその補習授業であってこっちから押しかけて「俺が教えてやる」はやらない。 
’22年04月07日(木)  パソコンのメールアドレスについてのお知らせ。
①s-yama1118kakumei191@nagasaki-joshi.ac.jp
②s-yama1118kakumei191@mopera.net
私は上記2つのアドレスを持っていて、通常は前者を主に使っています。それが、今月一杯で前者は使用できなくなり、後者だけになります。HPとスマホのアドレスは変わりません。
’22年04月06日(水)  今日からまたバスの出番が多くなる。まず学童クラブの送迎をしてそれからひがながバスケを飯盛練習に連れて行った。日常の活動に戻った。バスケ活動では来月上旬と下旬に県外チームのアドバイザー依頼が入った。昨日UPした補習授業の案内の影響かなあ。 
’22年04月05日(火)  中村氏のクリニックに参加したコーチから補習授業を依頼されたので出張授業に行った。3時間の授業だった。無料のボランティアだ。私が生きていて、まだ利用価値があるのならばどこでも出かけていくよ。 
’22年04月04日(月)  コロナ前のやり方に戻したので、土日や長期休暇中のD割当はオフである。終日家に居るとN子とU子のことがアタマの中をグルグル回っていた。この2人をなんとかして変えたいのである。変われば大化けして活躍しそうな選手ではないが、人を育てる仕事をしている私としてはとにかくこんな子を私の手で変えたいのだ。 
’22年04月03日(日)  大人として扱う年齢が20歳から18歳に引き下げられた。私の個人的な実感としては「と~んでもない」だ。18歳どころか25歳になっても大人扱いできない若者が多い。バスケット部に限らず全ての中・高校生について私が持っている感想である。おとなたちがもっともっと若者を鍛え上げないと日本の将来が危ない。
’22年04月02日(土)  中村氏を招聘してクリニックが行われた。対象は高校男子が2校、高校女子が2校だ。彼を招聘したときはいつもそうだが「Bコートの女子はお前が受け持て」と中村氏言う。そして私はいつも断る。理由は「中村氏から教えて貰えると思ったのに山崎先生だった、と思うコーチや選手が居たらマズい」だ。すると彼は言う「俺が教えてもお前が教えても同じだ」。それはこっちが思うことであって受講者はそうじゃないかも知れない。
’22年04月01日(金)  チェリー豆(雲仙特産)をかじっていたら部分入れ歯が欠けた。砕けて3つに粉砕されていた。これは作り直しでだなと思ったが熱処理と接着剤で修復できた。