2020年度版 2020年4月~2021年3月
’21年03月31日(水)  28日(佐世保TM)の代休でオフ。昨日また日替わりでハナとリナを交替させる案が浮かび、それを実行したがそれが功を奏するかどうかはまだわからない。これからだ。今日と明日はその案をじっくり練ろう。
2020年度のブログは今日でおしまいです。明日からは2021をご覧ください。 
’21年03月30日(火)  BSPで放送されたマイアミオープンの錦織対チチパスの試合を見た。1セット目を取られた錦織は2セット目を取り返して5分に持ち込んだ。しかし、勝ったものの2セット目の後半は動きに切れがなくなってきた。観ていて錦織とカリンが重なった。が、テニスは個人競技なので調整は自分次第だ。錦織は3セット目を落とした。
’21年03月29日(月)  ミニゲームの時「しばらくの間実験的にマオとアンナ交替」と言って、アンナを主力側で起用した。中間距離からのシュートが誰よりも安定しているからだ。総合力ではマオの方が上なのだが、マオはなかなかシュートに向かわない。ならばしばらくアンナの弱点には目をつぶって起用して見るかと思ったのだ。さあどうなる?
’21年03月28日(日)  佐世保トレーニングマッチ最終日結果UPnewpage3 
’21年03月27日(土)  佐世保トレーニングマッチ初日結果UPnewpage3  「
’21年03月26日(金)  Y子のちょっとした技術とH子のDEFはいじればあと3ヶ月で少しは改善できると思うが、その他の選手の気になるところはもういじらないことにした。いじらないのは改善をあきらめたということではない。その子のありのままを受け入れて試合に使おうと決断したということだ。この決断はなかなか難しかった。 
’21年03月25日(木)  最近H子のディフェンスが良くなっている。そこで昨日H子に「ディフェンスする時①不安がまだある②不安は薄らいだ③どちらともいえないの3つのうち自分の気持ちはどれだ?」と聞いた。H子は即座に②と答えた。その理由は何か判るか?と聞いたがH子は首を傾げるだけ。私がテコ入れしたことを自然にできるようになってるからなのだが、本人はそれに気付いていないのだ。 
’21年03月24日(水)  今日も日吉。ツーメンクロスのパスする瞬間の分析練習にかなりの時間を費やした。イメージを取り込めない、自分の言葉で説明できない、だから技術が身に付かない、これはひがながの子だけではない。クリニックで指導する子たちにも全国的に言えることだ。日本の行く末が心配になる。 
’21年03月23日(火)  ツーメンクロスはフルコートが使える日でないとやれないので、半面使用可の昨日はメニューに加えることを選手に伝えただけで実技は無しだった。日吉での練習の今日実施したが、練習時間(正味1時間50分)の半分以上それに費やした。それでもOKではない。ミニゲームを省略するわけにいかないのでそうしただけだ。 
’21年03月22日(月)  このところずっとやっていなかったツーメンクロスをメニューに組み入れた。ツーメンクロスができないのではなく、利用の仕方がNGなのだ。50年前にも経験したことだが、これは中学生という階層ではよく起こることなのだ。だからがっかりせず、当たり前の出来事だと思って根気よくまた繰り返せばよい。
’21年03月21日(日) 16:00からBS1で昨日放映されなかった試合の録画再放送があったのでそれを見た。18:00からは第2戦の実況放送があったのでそれを見た。試合の反省として敗者が挙げる原因には、リバウンドが取れなかったとかミスが多すぎたなどいろいろあるが、私が掲げるシュ-トセレクションの a.リズムが有利なら打てb.相手との距離が有利なら打てc.決意がしっかりしているなら打てd.身体的に有利なら打てe.個人的に有利なら打てf.仕方がないというシュ-トもある、の内のどれかを確実に実行すれば敗因の多くは解消できると思っている。そこを観点にしてテレビを観ていたが、ひがながにはそれを確実に実行できる選手があと2人程足りない。 
’21年03月20日(土)  BS1でWリーグ決勝ENEOS対TOYOTA第1戦の実況放送が始まったとたん、宮城沖で発生した地震情報の画面に切り替わり、それがそのままずっと続いた。が、試合よりも地震の被害の方が気になって地震情報を見ていた。津波がすぐ発生したからである。結局被害はなかった。ホッ。それにしても東北大変だ。
’21年03月19日(金)  昨年1月に胃ガンの手術をしたあと定期的に大学病院でCT検査を、宮本外科で腫瘍マーカーの検査をしている。腫瘍マーカーのCEA基準値は5以下、CA19-9は37以下である。大学病院でのCT検査はずっと異常なし。腫瘍マーカーは昨年11月の検査ではCEA4.4だったが、年が明けてからは3回連続わずかに5を越えている。しかし医師の判定は越え幅がわずかだし上昇傾向もないので異常なし。経過観察継続だという。フーン。
’21年03月18日(木)  佐世保トレーニングマッチ参加案内UPnewpage3 
’21年03月17日(水)  私はミスをとらえてすかさずプレイを止め、注意したり解説することはほとんどない。プレイの切れ目に「A子がここに居てB子にパスしたところまでプレイを戻せ」と言い、その巻き戻しプレイについて数人または当事者に感想を聞く。が、ほとんどの選手が巻き戻せない。巻き戻せない選手がプレイできるはずはないのだ。
’21年03月16日(火)  ねむ~い。昨夜は遅くまでWEBクリニックをやり、そのあとHPを更新して床についてのが深夜0:30。その時レンドルミンは呑んだのだがなかなか寝付けず、3:00過ぎに目が醒めたのでそこでまたデパスを呑んだが眠れず、うつらうつら状態で夜が明けてしまった。寝る前に脳を使い過ぎたらやっぱりダメだ。 
’21年03月15日(月)  20:00から22:30まで、岡山の安藤先生から依頼されていたwebclinicをやった。私はそのためにナフコまで行って電子メモパッドを買ってきた。アプリはZOOMを使った。ZOOMは1回の使用が40分で切れるのでその度に再立ち上げをした。対象は28歳が最年長の若手ばかり。またやろうねと約束して今日は終わった。 
’21年03月14日(日)  A子が「ん?今のはちゃんとわかって反応したぞ」というプレイをした。こういうことを繰り返しながらバスケットを自分の中に取り込んでいくのかなあ。ならばこれから最も重要になるのは私の観察眼だ。 
’21年03月13日(土)  中学2年という年代は個性が固まってしまう?ではその殻を破って飛躍させるにはどうしたらいいのか。長所を伸ばす指導などと評論家が言いそうなことばでは解決されないはずだ。短所や弱点はいじらなければならない。ただ、いじるだけではなく一緒に歩む。これが大事なのではないのかなあ。これからじっくり考えよう。 
’21年03月12日(金)  2/26に「このところあたま打ち状態が続いている」と書いたが、少し表現が足りなかった。あたま打ちとか伸び悩みという表現ではなく、選手の個性が固まってきたと表現した方がよかろう。小学生時代には目立たなかった個性がこの時期(中学2年)に固まるのだ。こんなこと、鶴鳴時代には気付かなかった。 
’21年03月11日(木)  今日は終日テレビを見なかった。どのチャンネルを開けても東日本大震災の映像ばかりだからだ。歳をとったせいか事故や震災の悲惨な場面、こども虐待のニュース、スポーツの暴力的指導場面(むかし自分がそうだったからなおさら)を見続けるのは耐えられなくなってきた。 
’21年03月10日(水  A高校から練習試合を申し込まれた。私は「え!俺は中学生のコーチだぞ」と言った。彼女の本音は私にチーム指導のアドバイスをして欲しかったはずだ。それは判っているので私は「お前、選手スカウトがらみだろう」と思われるような言動はNGだぞと警告してやりたかったのだ。 
’21年03月09日(火)  昨日、顧問から「10日(水)は修学旅行前日なので2年生の部活は休止と言われてるんですが」と伝えられた。突然言われたので対処に困ったが、日吉に19日(金)が空いてないか問合せ、空いていたのでそこを予約し、明日(水)は1・2年生ともにオフとした。行事の変更は少なくとも1週間前に通知してほしいなあ。
’21年03月08日(月)  部員は14人だがそれが全員揃った。何ヶ月ぶりだろう?だからミニゲームは4対4が1組と3対3が1組できた。3対3は全員が攻撃の実行部隊だが、4対4は1人だけ出番待ちの選手が出る。この、出番待ちが"今だ!"というタイミングで実行部隊に加わるのが実に難しい。久々の4対4なのでみんなまごついていた。
’21年03月07日(日)  昨夜22:00にはもう眠くなり、今朝起きたのは07:50だった。クリニックの疲れで、起きたらあちこち筋肉痛だろうなあと思っていたらどこも痛くない。ああそうか、年寄りの筋肉痛は数日後に出てくるんだった。 
’21年03月06日(土) 午前中K中学校でクリニックをした。自分たちがやりなれた方法でプレイさせるのは簡単だが、こちらが意図したことをやらせるには3時間ではとても足りない。これはK中学校に限らずどこも同じだ。そんな思いで家に帰ってきたら、県外のA氏から指導者向けのリモートクリニックを近々やってくれという依頼があった。そこで、最近WEB会議等でさかんに用いられているZOOMでアカウント設定しようとしたがうまくいかなった。 
’21年03月05日(金)  昨日の練習後帰り支度をしながらA子に「ミニゲームの後半に、お前のディフェンスに微妙な変化が現れ出したが、自分で"これかな?"と気付くことがあるか?」と聞いた。答えは「わかりません」だった。私も「そうか」と言っただけで答えは言わなかった。こちらが何を言っても本人が気付かなければ財産にならないからだ。 
’21年03月04日(木)  県内交流がOKになってさっそく2件の問合せがあったが期日が重なったので1件は断らなければならなくなった。こんなことがあるので私は1年分のスケジュールをHP上で公開する。途中で変更が生じるだろうが、こうしておくと私に相談の電話を入れる前に誰もが私の動向を知ることができる。 
’21年03月03日(水)  先週から今週にかけて、1年間苦しんだ私の睡眠パターンが確定した。昨年1月、胃ガンの手術をしてから眠れなくなり睡眠誘導剤(レンドルミン)を処方して貰った。が、必ず深夜3時頃目が醒めそれ以後眠れない。1回2錠にしてもいいですよと言われたが結果は同じだ。そこで眠りにつく直前にレンドルミンを1錠呑み、必ず3時頃目が醒めるのでそこで効き目の軽いデパスを1錠呑む。すると7時まで眠れるのだ。ホッ。 
’21年03月02日(火)  明日から県内の交流であれば練習試合OKという通達が出た。だが、マスク・手洗い・密・多人数会食等々をコロナ以前に戻してよいということではない。これらはコロナが沈静化しても当分の間人々の習慣として残した方がよいと思う。この1年、我々はコロナから多くのことを学んだ。 
’21年03月01日(月)  2/23に述べた刷り込みについてもう少し掘り下げる。琉華と桜花はバスケに関する限り卵から孵った瞬間に目の前に居たのが山崎純男だから、私を追っかけない限り生きてはいけない。一方他のミニバス経験者たちはいろんなコーチから刷り込まれた知識や、放置されている間に身についた悪いクセが混ざっているから、これに山崎純男から得た知識を上乗せしたりこれまでの習慣を削除したりするのがなかなか難しいのだ。 
’21年02月28日(日)  県外のコーチから「先生はいつ5対5とか試合形式の練習をするんですか?」と質問された。私が開示したひがながの練習メニュー15番目の項目を、そのコーチは16分の1と解釈したのだろう。15以外のメニューは練習時間の3分の1。3分の2は⑮に費やす。試合に役立つ技術は攻防の練習からしか得られないのだ。
’21年02月27日(土)  12月23日からチーム練習のメニューを固定し、それをずっと継続している。メニューの項目は16だが、これ以上増やす必要はないし減らすものもない。精選された内容だ。なのになぜあたま打ちなのかと言えば個人の課題意識が甘いからだ。私はそれをすべて把握していて指摘もする。が、課題解決とはならない。 
’21年02月26日(金)  このところあたま打ち状態が続いている。解決策は時間だ。だが、漫然と時間が過ぎるのを待っていてもそれは解決しない。選手が何かを探しながら過ぎる時間だけが選手に財産を蓄積させるのだ。それも、コーチの解説や指示が多すぎても少なすぎてもダメ、練習時間が多すぎても少なすぎてもダメ。難しいぞお。 
’21年02月25日(木)  昨日述べた練習試合の件について、私は同地区内同士なら禁止解除と聞いたがA地区のコーチからは県内同士であれば他地区との練習試合もOKだと通知があったと聞いたので、もう一度確かめさせたところ、A地区教委の回答は「地区によって解釈がまちまちなんですよ」だった。これが現場側の勝手な解釈ならまだしも、教委の担当の回答だとはとんでもない。情報は統一して的確に末端に流さなければならない。 
’21年02月24日(水)  今日、長崎市内同士の練習試合が解禁になった。さっそくひがながにも今月末と来月末に練習試合の申込と招待が1件ずつあった。みんな「待ってました!」なのだろう。だが、ここで気をつけなければならないのがケガである。テンションが上がった選手たちは心と身体が一体になってない場合が多いからだ。 
’21年02月23日(祭)  A子が「わかりません」と言ったのは、これまでそのような見方や考え方をした経験がないので当然である。一方、中学からバスケを始めた琉華と桜花は技術的にはまだまだ素人真っ只中だが、ミニゲーム中の彼女たちの目は常に「自分は次に何を為すべきか」を捜している。成長する生物にとって重要なのは刷り込みだ。
’21年02月22日(月)  練習中私の口からは頻繁に「ナイス!」や「OK!」ということばが出る。それがシュート動作であったりリバウンド獲得であれば選手たちにも何がナイスだったのか判る。しかし、プレイの結果ではなく反応しようとした気持ちに対して私はナイスを飛ばすことがしばしばある。ほとんどの選手はこれが判らない。1昨日、順番待ちでコート外に居たA子に「何がナイスだったか判るか?」と聞いたがA子の答えは「わかりません」だった。 
’21年02月21日(日)  昨日、「これができれば質が高まる」という練習がやれているのでストレスは感じていないと述べたが、それより先にできなければならないのが「これがわかれば・・・」である。中学2年生は高校1年生に比べるとそこに時間がかかるのである。もどかしいがそれは自然の摂理だから辛抱するしかない。 
’21年02月20日(土)  今日はD割当(15:30~18:00)で、D割当の日は通常オフにするのだが今月はテスト休みや祝祭日が多いので割当通り実施した。このところ部活動はチーム練習以外は地方の公式戦を除きすべてNGで、多くのチームがストレスを溜めているようだが私は平気だ。これができれば質が高まるという練習がみっちりできるから。 
’21年02月19日(金) 数日前に、今こそひがながバスケにランニングスルーを取り入れるべきだと述べたがそれはやめた。鶴鳴でそれを導入したのは、右も左も分からない1年生をスタメンにしてインターハイに向かわなければならなかったからなのだが、今のひがながは右と左は分かっている。質を高めなければならないだけなのだ。
’21年02月18日(木)  今日の練習は日吉自然の家。雪のため日吉には行けないかと思っていたがなんとか行けた。しかし寒い。体育館の備えてある温度計は2.5℃だ。学校に電話をかけ、福岡先生に中学校の体育館の気温を調べて貰ったら6.3℃だった。今日はプレイを止めて注意することを極力避け、動きを止めない声かけだけにした。 
’21年02月17日(水)  実は1月20日の朝、平間町の国道34号線で交通事故に遭った。私は法定速度とキープレフトを守り諫早方面にバイクを走らせていた。すると突然反対車線からクルマがセンターラインを越えて私のバイクに突っ込んできた。私は空中に放り投げられながらその時の状況をよく覚えている。左肩口から路面に叩き付けられた。そのあとバウンドしてさらに1回転し、仰向け状態で止まった。バウンドした時「ウワ!もう1回転がされるのか」と思った。あとで、人間ってこんな大変な時にこんなことを考えるのかと思った。バイクはグシャグシャになったが廃車にせずバイク屋さんが新品同様に修理してくれた。それが今日納車されたのだ。昨日の術後経過観察ではとりあえず大丈夫だったしこれで2件落着。当分はバスケ指導に専念できそうだ。 
’21年02月16日(火)  今日は3ヶ月に1回やっている大学病院での経過観察日だった。内容は腹部CT検査だ。血液検査での腫瘍マーカーCEAが前回6.1(基準値5以下)で今回5.6だったが、宮本外科でも大学病院でもそれは振れ幅のうちだと言われた。当初の希望であった「今年の夏まではコーチを続けたい」はどうやら達成できそうだ。 
’21年02月15日(月)  先週はテスト休みでバスケ指導がなかっただけでなく、月木金の学童送迎が月曜だけしかなかったので何もすることがなかったのだ。だからといって、私にはパチンコや釣りに行くなどの趣味はまったくないので家の中で冬眠するしかなかった。でも、今週は学童送迎もバスケ指導も通常に戻るので冬眠は終わりだ。 
’21年02月14日(日)  今日は起きてからパソコンに触れていなかったことを寝る直前に気付き、開いたのが23時15分。もう寝る。 
’21年02月13日(土)  テスト休み期間中なので家でゴロゴロしながら本ばかり読んでいるから、入院してもいないのに尻が痛くて床ずれができそう。でも、それもあと2日だ。
’21年02月12日(金)  ステージ3Aの胃ガンの手術をしてから丁度1年経った。熟れたざくろが地面に落ちて潰れたような胃ガンを切り取っても1年生き延びた私のような者が居るかと思えば、私よりはるかに軽い症状なのに亡くなった人もいる。命の仕組みって一体どうなっているのだろう。 
’21年02月11日(祭)  森さん遂に辞めたかあ。過去にも自分が喋ったことばのために辞めた政治家や有名人はたくさんいるし、なんだかんだと言い逃れをしていまだに役職にしがみついている者もいる。この人たちに共通している言い訳は「不適切な発言をお詫びします」だが、不適切なのではない本音なのだ。本音だから始末が悪い。
’21年02月10日(水)  政治家や有名人がちょっとした失態を演じると、それっとばかりにSNS等で批判の嵐を浴びせるヤツが出てくる。失態を演じたくせに尊大に振る舞う政治家や有名人も嫌いだが、それより嫌いなのが自分の名前や顔は出さずにSNS等で他人の中傷をまき散らす奴らだ。 
’21年02月09日(火)  森会長の女性蔑視発言がこのところ物議をかもしている。私は女性政治家のR氏とT氏が嫌いだ。彼女たちが画面に登場するとチャンネルを変える。嫌いな理由は私の個人的な感想だから述べない。しかしその感想を基に「だから女性議員は嫌いだ」と言えば森会長と同じになる。それはダメだ。そのセリフがダメなのではなく、そういう思いを持つこと自体がそもそもNGなのだ。 
’21年02月08日(月)  明け方5時頃ウツラウツラしながらバスケットの夢を見ていた。その時私は「あっ、今こそひがながバスケにランニングスルーを教えるべきだ」という考えがひらめいた。それは平成元年に鶴鳴の新入生3人(松尾・松山・濵口)をスタメンで使わなければならず、急遽思いついた練習方法だ。が、ひがながは今日から15日までテスト休み。仕方ない、この間にじっくり構想を練って春休みに中ランニングスルーを完成させよう。 
’21年02月07日(日)  ミャンマーでクーデターが起こり、軍が政権を握った。部活動における仲間割れやボイコットも同じだ。こういうことは芽が小さいうちに摘まなければならない。暴力や脅しによる制圧に寄らずにだ。6月にはバスケ協会の役員改選が行われる。政権移行がスムーズに行われるかが気になるところだ。 
’21年02月06日(土)  練習中でも私はルールに厳しい。実際にはファウルでなくても、下手な審判だと「その姿勢ではファイルをしたに違いない」と決めつけて笛を吹くことがあるぞと注意を与えたりもする。ファウルのあとのスローインの場所が30㎝ズレていても指摘するし、パスカットした瞬間にショットクロックを切り換えればプレイが止まった時指摘して注意する。バスケ指導は技術や戦術だけではないのだ。ルール理解が第1である。 
’21年02月05日(金)  リングネットが遂に切れたので、バレーの審判台に乗って取り替えた。その時はじめて「あ~、俺も歳を取ったんだ」と思った。真上を向き続けて作業をすると時々身体がフラッとするのだ。鶴鳴時代の俺は、体育館の梁の上で身動きできずに鳴いているミャーを助けに上ったのになあ。もう20年以上も前だけど。
’21年02月04日(木)  しばしば練習見学に来るT氏に「主力選手ではなく、素人1年生のプレイに注目して見た方が勉強になるよ」と言った。この子たちにはボールハンドリング等は皆無で、年度当初に少しだけゴール下シュートやドライブをやらせただけで、以後は上級生と全く同じメニューをさせている。それでもカタチになってくるのだ。 
’21年02月03日(水)  BSPにチャンネルを合わせるとよく出会うのが岩合光昭さんの「世界ネコ歩き」である。その度に見はまる。それが再放送であってもだ。鶴鳴時代に飼っていたミャーを思い出すからである。あの子は飼い猫というより私の分身だった。 
’21年02月02日(火)  今日の指導中はずっと理不尽ということばがアタマの中にあった。コロナ禍であるなしにかかわらず、世界の指導者や日本の政治家の中に理不尽な言動が目立つ。それらのほとんどは国民のためではなく自分の利害や自分の言動の正当化を根源とする場合が多い。自戒を込めてもう一度このセリフを見直したい。 
’21年02月01日(月)  ある日突然夢が現実になった・・・なんて、そんな虫のいいはなしがそこらへんに転がっているわけがない。今日のH子はいつものH子だった。が、昨日のナイスに近い反応がいくつか出た。ナイス反応がゼロではなかったので、焦らず気長に育てていくしかあるまい。6月までに弱点が目立たなくなればいいのだから。 
’21年01月31日(日)  今日のチームのできばえは今年になって最悪。そんな中、H子だけが3回ナイスプレイをやった。いずれもディフェンスの場面。1回目の自己解説は△、2回目の自己解説は○、3回目の自己解説は罰×。ナイスプレイをしただけでなく、解説も全て○なら実力と評価してよいのだが・・・。夢なら醒めないでくれ。 
’21年01月30日(土)  県新人戦は佐世保開催だが、無観客試合なので選手たちを送り届けた保護者は観戦できない。それでは可愛そうだ。だから、女子も丁度オフだしバスで男子を佐世保まで送った。もちろん、待ち時間は私も観戦できないのでバスの中でずっと本を読んでいた。 
’21年01月29日(金)  今日は体育館割当がない日なのでオフ。明日もD割当日なのでオフ。通常のスケジュール通りなのだがテスト休みでもないのに2日続けてオフとなるとなんか損したような気がする。人間の感覚って勝手なもんだ。 
’21年01月28日(木)  今日は2回も日吉自然の家に行った。1度目は昼間。長崎ヴェルカのトライアウト会場の確保を依頼されたので日吉を取ってやり、その橋渡しをするために出向いた。2度目は夕方。ひがながバスケの練習のためだった。夕方の日吉は寒いぞ。下界とは2℃違うそうだ。 
’21年01月27日(水) 練習中にA子B子C子を捕まえて「チーム全体について、強くなった・まだまだ、まったく強くなっていない、のうちお前の感想はどれ?」と聞いてみた。3者3様、私と同じ感想を持つ者もいたが、ひがながバスケに限らず、普通は生意気なことを言って叱られたらヤバイと考えるので本当の自分の感想は言えない。 
’21年01月26日(火)  コロナの現状から見ると今年の夏の中総体も実施できないかもしれない。しかし、練習は1秒の時間も無駄にしないし、ワンプレイの緩みにも妥協しない。たとえ今年の試合がすべて中止になったとしても、選手たちが高校さらにその上までバスケを続けた時に「山崎先生に習って良かった 」を持たせて送り出したいのだ。
’21年01月25日(月)  高校新人戦は無事最終試合まで実施できたが、来月末に長崎市で開催予定だった九州中学春季大会は中止という一報が入った。昨日のS選手のインタビューのことばが胸に刺さる。 
’21年01月24日(日)  高校県新人戦2日目。無観客試合。協会HP掲載の勝ち上がり表では、離島から参加の数チームが棄権したようだ。コロナの当事者ではないが、移動を自粛したのだろう。陸上長距離の女子オリンピック選手にオリンピック開催の是非についてインタビューしているニュースをテレビで見たが「1アスリートとしては開催を望むが、1国民としては中止した方がよいと思う」と述べていた。ウーン・・・・・・みんな苦しんでいるなあ。 
’21年01月23日(土)  夕方BS1でBリーグ(アイシンシーホースとダイヤモンドドルフィンズ)の試合を放映していたのでチラッと見たがすぐチャンネルを替えて他の番組を見た。コーチも選手もその経歴を知らないか、多少知っていても私の目を釘付けにするコーチ(選手)が居ないからだ。NBAも、ジノビリが引退してクレイトンプソンがケガで出場しなくなったのでまったく見なくなった。今、私の目を釘付けにするのはひがなが女子バスケ選手だけだ。 
’21年01月22日(金) 先日北海道のS中学校の監督から試合のDVDが送られてきた。感想が欲しいということだった。個々の選手の特徴のメモも同封されていた。そのメモの中に、A選手は貧血の治療を受けているので体力も集中力も保たないと書かれていた。私は、本当に貧血かどうかはHBの値だけでなく、血清鉄とフェリチンの値まで調べた方がいいよとコメントしたが、数日してすぐその回答がきた。見ると貧血は完全に良くなっている。私はまたコメントした。もう、クスリは必要なし。サプリメントも必要なし。ボクは貧血だから体力が続かないと思い込むことの方がよくない。日常の食事を好き嫌い無く摂れば何事も起こらないはずだと。 
’21年01月21日(木)  1週間ぐらい前に突然尿がワイン色になった。「残っている3個の石が悪さを始めたな」と思い、尿と一緒に石も出てきたかどうか調べたが発見できなかった。ワイン色の尿はその時1回キリで、その後や翌日の尿も普通だった。それが今日また出た。結果は前回と同じ。腰や腹は痛くない。70年も生きてるといろいろあるわ。 
’21年01月20日(水)  水曜日は男女半々でコートが使える日である。県新人戦前に半面では試合形式の練習ができないから男子はコミュニティ体育館に出かけた。だから女子は全面使えた。こうしてやりくりしながら練習しているチームがたくさんあるのだ。おいコロナよ、今月末まではおとなしくしてろよ。これ以上悪さしたら俺がお前を殺す! 
’21年01月19日(火)  女子バスケはコミュニティ体育館での練習。男子は外部施設が取れておらず学校体育館の割当もない。そこで今日は男子部員もバスに乗せてコミュニティ体育館まで運び、女子と半々でコートを使わせた。しかし、交替で男子が練習する間は私と女子選手が周囲でじっと見つめているので緊張してぎこちなかった。
’21年01月18日(月) 月末に県新人戦が行われる。女子は地区新人戦で負けたので出られないが男子は出場権を得た。なので、先週から男女で半面ずつコートを使用する日は5時半以降男子に譲ることにしている。今週は月金だ。 
’21年01月17日(日)  毎月第3日曜日は家庭の日と称して県下全域の小中学校部活動は活動禁止である。1日中家に籠もって本を読んでいた。この半月、歩きとチャリ生活でずいぶん体力を消耗したので丁度よい休養になったと思う。
’21年01月16日(土)  今日はC練(13:00~15:30)。練習の行き帰りは今日からバイク。チャリ生活からバイク生活に戻り、行きたい時に、行きたいところへ、いつでも行ける生活って、なんと幸せなことなんだろうとしみじみ思った。 
’21年01月15日(金) 今日は体育館割当がない日なので練習はオフ。しかし、学童クラブの送迎があるのでバス置き場までチャリで行かなければならない。家の中で1階と2階に行ったり来たりするのでさえふとももや膝がワナワナするのにと思っていたら、バイク屋から部品の調達がうまくいったので修理終了という連絡が入った。天の声だ! 
’21年01月14日(木)  年末年始のオフの6日間は体力維持のため毎日1時間歩いたのに、冬休み明けにバイクが壊れ、移動手段がまたチャリと歩きになった。昨日述べたようにチャリは押して帰らなければならない。しかもこれがあと5日続く。足はパンパンだ。明日は家を出たくな~い。 
’21年01月13日(水)  11:30に歯医者の予約をしていたのでチャリで出かけたが、治療後家には戻らずCoCo1番で昼飯を食べたあとニコセンで読書しながら時間を潰してそのままバスケ指導をした。歯医者は学校の近くの国道沿いにあるのだが、そこから家に帰る道は約2㎞ずっと上り坂なのだ。チャリは押して帰らなければならない。イヤだ。
’21年01月12日(火)  09:00にチャリで家を出た。学校の近くのバス停でバスに乗り、電車に乗り継いで梅香崎町の馬場医院に行った(定期検診)。同じ経路で学校に戻ってチャリでコミュニティ体育館に行き、来週の手続きをした。昼過ぎ再びチャリでバスを取りに行き(中尾ダム前)、選手を乗せて飯盛体育館に向かった。帰宅は20:15。今日1日を振り返ると、坂の多い街を例え電動であれチャリで動くのは無理だ。やはりバイクの修理を待つか・・・ 
’21年01月11日(祭)  朝からずっとインターネットで電動アシスト自転車を調べた。上等を捜せばキリがないが、7~8万円出せばそこそこのものがある。15年ぐらい前に買った安物のチャリはあるがそれも間もなく寿命だ。また、日常の移動手段として坂道が多い長崎の街を動き回るのなら電動でなければならない。そう考えれば、今後次々と部品の劣化が考えられるバイクに今12万円も使って修理するより、自転車がいいかなあと思う。 
’21年01月10日(日) 今日と明日は実力考査前のテスト休み。この2日間は家から動かない。というより動けない。実は1昨日の極寒の日に出かけようとしたがバイクのエンジンがかからず、バイク屋を呼んだ。燃料ポンプとVベルトが劣化しており、修理すると12万円ぐらいかかるらしい。というわけでバイクがないから今動けないが、修理するのにそんなにお金がかかるならもう廃棄しようかなと思っている。じゃこれからどうする?自転車か歩きさ。
’21年01月09日(土)  朝8時、自宅の裏庭は真っ白だった。しかしボタン雪なので午後は溶けると思い、午後3時半からのD練はやるつもりだった。案の定午後から大雪警報は解除されたし、市教委や学校から部活動禁止の指令は出ていないのでオフにする理由はどこにもない。私も歩いて(片道30分)学校に行った。マウスシールドは内側にベットリ飛沫が張り付いてしょっちゅうハンカチで拭かなければならないのでマスクに替えた。マスクでは声が籠もるので、ギガフォンで補うことにした。マスクの内側にはPM2.5もはじく特殊なシールドを貼っている。 
’21年01月08日(金)  朝から路面は真っ白。早朝学校から保護者に通知されたメールでは通常と変わらずだったが、その後また行事は午前で打ち切り、部活動は中止という通知があった。昼過ぎ路面は乾いたが大雪警報が出た以上、市教委は何の対処もしないワケにはいかなかったのだろう。札幌の人が聞けば笑いそうだが・・・。
’21年01月07日(木)  今日はA練(08:00~10:30)。外気温は2℃。こんな日の練習開始はロンTロンパンのままやらせる。こっちが指示しないと、選手は不謹慎な気がして半袖短パンで始めるのだ。 
’21年01月06日(水)  練習後MACに立ち寄ってポテトを食べた。私に少し遅れて4人の若者が入って来た。マスクはしていない。アルコール消毒もしない。というよりアルコール消毒はどこにおいてあるか気にもとめない。意識の低さにものすこく腹が立った。これは部活動でも同じで、57年間のコーチ人生で全員の意識が高かった年は一度もない。自分の意志でスポーツの道に進んだ者がそうなのだから、一般の若者の意識が低いのは当たり前なのだが、批判するだけでなく指導者を標榜する我々が努力しなければこんな若者は減らない。
’21年01月05日(火)  昨日は新春イベントだったので実質練習再開は今日からだ。メニューは①~⑯まで全部並べたが、⑯のミニゲームになった時、⑩とハナスペシャルの応用をみんな忘れているなあと思った。中学生だからこうなのではなく、対象が高校生であっても1週間休めばこうなる。コーチにとっては不可欠の認識事項である。 
’21年01月04日(月)  2021年練習開始日。今日はお年玉イベントだ。シュート競争の部門と2対2のミニゲーム部門。それぞれの部門で1位1000円2位500円3位300円の賞金が部費から出る。用事で1人欠員が出たので人数合わせの為にユイコの姉のアヤに電話をかけて呼んだ。最初は膝が笑ってこけたりしてたが、回数が増す毎に動けるようになった。楽しかったあ。 
’21年01月03日(日)  ウォーキング最終日。途中、電池を買うためにジャスコの2階に立ち寄った。昨年末に買った電子ホイッスルが安物だったためにすぐ壊れ、ネットで新しいヤツ(安物の2倍の値段)を買ったので単3や単2ではない特殊な電池が必要になったのだ。これで、練習時にマウスシールドを付けたまま指導ができる。 
’21年01月02日(土)  5日目になるとイヤになり歩きも遅くなる。今日は健康ウォークのおじさん2人に追い越された。後ろから足音が近付いてくるのがわかったので、スイスイ抜かれるのは悔しいから「そこのコンビニにちょっと買い物に来たんだよ」と思わせるようわざとゆっくり歩いてやりすごした。あ~、あと1日だ。 
’21年01月01日(金)  街中や郊外を歩くと必ず、スポーツウエアーでランニングする若者や早足でウォーキングするおじさんたちと行き交う。みんな健康に気を使っているのだろう。アメリカでもジョギングやウォーキングする人は多いが「あんたはその前に食事から改善しなさい」と言いたいほど太った人が多い。日本人はまじめだ。 
’20年12月31日(木)  昨日は歩き始めたら風と雪が次第に強くなり、寒いので歩くというよりほとんど小走りだった。だから今日はスネの筋肉が痛い。今朝、新聞を取るために玄関を開けたら路面が凍っていた。「今日歩けば凍死するぞ」と思ったが午後は晴れたので昨日より上下1枚ずつ厚着して1時間歩いた。足は一層痛くなった。 
’20年12月30日(水)  昨日はウィンターカップ男子決勝を観た。最近はNBAはじめバスケットの試合はほとんど観ないが昨日は久々に画面に釘付けになった。3年前私は県大会で長崎日大高の米須楽人君を観てブログに「長崎のステファンカリーを見つけた!」と書いた。その時「弟(当時小6)はまだすごいですよ」と聞いた。その後私は弟のプレイを観る機会がなかった。昨日初めて見たが試合は負けた。だが彼は必ず日本を背負う選手になる。 
’20年12月29日(火)  今日から3日までバスケはオフ。その間ほとんど読書三昧だと思うが、それでは身体が腐るので毎日1時間歩いて太陽に当たることにした。今日は市営プールの先まで歩き、その近くにあるナフコでコロコロを買って帰り、カーペットに張り付いている小さなゴミを掃除した。明日はどの方面に出かけるかまだわからん。 
’20年12月28日(月)  昨夜NHKで「患者が命を終えたいと言ったとき」という医療ドキュメンタリー番組を見た。私にとっては他人事ではないガン患者の末期医療(安楽死問題)番組だった。胃カメラの画像は医師から胃壁の少し膨らんでいる部分を示されて「これです」と言われてもほとんどの患者は分からない。昨年12/23日、胃カメラを飲んだが私の場合はカタチも大きさも熟れたザクロを地面に落としたような画像だったのでガンだとすぐ分かった。が、絶望感はまったくなかった。淡々と「俺の人生は終わったな」と思っただけだった。その後大学病院で詳しく検査を受けて手術をした。その時告げられた段階はステージ3Aだった。あれから1年、まだ元気だ。 
’20年12月27日(日)  久しぶりに定番メニュー(①~⑯)のおさらいをした。案の定ちゃんとやれていたはずなのにできなくなっている選手がいる。そんな選手は説明を聞く力がないAか説明を聞き流しているBのどちらかである。コーチの仕事はどちらも減らすことだが、怒鳴りつけるだけではダメだ。自覚を促す自分流の方法を用いなければ。 
’20年12月26日(土)  ハナスペシャルアレンジAは技術的に難しく、ミニゲームで応用できる選手も3箇所の技術的ポイントを完璧にこなせる選手はほぼいない。そこで今日はこの技術ポイントだけを抜き出して指導するのに1時間費やした。コロナが邪魔ではあるが、自チームのみでの練習が主になるのでじっくりやれるという利点もある。
’20年12月25日(金)  昨日の職員会議で、年明け1/26~28に実施予定だった修学旅行が3月11~12に延期された。だから練習計画を変更しなければならない。1/12の分は昨日問い合わせて飯盛体育館が空いているのが分かっていたので諫早市以外の申込解禁日の今朝1番にバイクを飛ばして予約に行った。コロナめ、どこまで邪魔する気だ?
’20年12月24日(木)  今日は飯盛での練習。ハナスペシャルアレンジAの応用はハナ以外の選手もミニゲームで時々やれたがアレンジBはハナも他の選手もまだやれなかった。アイデアが浮かんで2日目だからな、無理か。 
’20年12月23日(水)  家を出る直前に、ハナスペシャルの応用編を少し変えてみんなに教えるアイデアが浮かび、学校に着く前にそれをアタマの中でアレンジしながらバイクを走らせた。全員ではなくても3人できれば試合に使えるが、それはなんとかクリアしたようだ。 
’20年12月22日(火) 昨日の練習が終わった時点で考えていたことだが、今日ハナスペシャルを解体した。ただし、①プレイの出発点が自分の住処から大きく外れない②ボールを得てすぐ仕事ができるプレイ以外は棄てる。この2つを実行できるなら他は何をやってもよいという条件付きだが。これで当分の間は落ち着いてプレイできるだろう。 
’20年12月21日(月)  日吉で練習のあと、選手たちを送り届けて自宅に帰り着いたのが7時34分。家に近付くと路上に止まっているクルマが増え、それらをスラロームのようにすり抜けて自宅に辿り着いたら家の裏の通りを2つ隔てた民家が焼け、鎮火したばかりらしく炎は上がっていなかったが煙はまだ立ちのぼっていた。危ない危ない。 
’20年12月20日(日)  第3日曜日は家庭の日なので部活動はオフ。朝からハナスペシャル+αを思いついた。それをずっとアタマの中で動かしていたら午後になってそれにもう一つ加えたα2を思いついた。複雑で難解な動きではなく選手が理解できる単純な動きではあるが、実際にコートで選手がうまくやれるかどうか明日試してみよう。 
’20年12月19日(土)  A練(08:00~10:30)指導の後、市新人戦女子決勝戦のコミッショナーを依頼されていたので市民体育館に出向いた。初戦で対戦相手の山里中が強くなっているのが判ったので、こっちの山から決勝に進むのは山里じゃないかなあと思っていたが案の定そうだった。そして山里が優勝した。ひがながもガンバレ! 
’20年12月18日(金)  朝から飯盛体育館と日吉自然の家に空き状況を問合せ、21日(月)と24日(終業式)の練習会場確保で走り回った。今日の練習はオフなので午後は暇だったのだが、本を読んでいても選手たちの顔がしょっちゅう目の前を横切り、文言やストーリーがアタマに入らない。ハナスペシャルが行き詰まっているのではない。各々の理解度の違いをどう調整するかがアタマの中を駆け巡るのだ。そんなこんなで日が暮れた。
’20年12月17日(木)  ①手直しは必要なし②小さな手直しの必要あり③大きな手直しの必要ありなどさまざまな選手を抱えながらのチーム作りだが、手直しのレベルをどこに定めるかで私のアタマはグシャグシャである。重要な点はいじりすぎないことと目をつぶりすぎないことなのだが、そのバランスが難しい。う~ん・・・・・・
’20年12月16日(水) ハナスペシャルに絡み、あらためて他の4人にも目を向けているが、選手の磨けば光る資質とこれがお前を邪魔しているという資質にどう向き合うかでまた悩み始めた。40年前にチームを創ると題して本を書いた時にそのことは書いたのだが、書いた本人が40年経った今それで悩んでいる。コーチとは難しい仕事だ。
’20年12月15日(火)  これまでハナと他の4人の局面理解の感覚のズレがどうにもならず苦しんでいたが、昨日の朝その解決策がパッと浮かんだ。ハナスペシャルと命名し、みんなに説明して昨日から始めた。これまでハナと他の4人をどう摺り合わせようかと悩んでいたがそれは不要だとわかったのである。これ以上は今のところ企業秘密。
’20年12月14日(月)  今日は尿路結石初診から10日目の経過観察日。前回と今回のCT画像を比べたら尿管の途中に引っかかっていた結石が1個なくなっている。9日のかたまりはやっぱり結石だったのだ。Dr田出もそう言った。今回のCT画像では左腎に2個、右腎に1個小さな結石が残っているのが確認できた。これが将来どんな悪さをするかだが、尿路結石の70%が再発することは知っているので神経質にならず気長に暮らそう。 
’20年12月13日(日)  市新人戦2日目だが、ひがながは負けたので今日は通常通りのB練(10:30~13:00)。出かける直前までずっと練習冒頭に喋る内容を予習していた。いくら予習しても、喋った後「これを言うの忘れていた」という経験が何度もあるのでキーワードを手の甲に書いて家を出た。わずか5分程度の話だけど甘く見てはならないのだ。
’20年12月12日(土)  長崎市新人戦結果報告UPnewpage3 
’20年12月11日(金)  火曜日のブログの補足をする。若い頃の私はいろんなアイデアを駆使して練習メニューを思いつき、選手にやらせて自己満足していた。熱心に指導すれば選手は間もなくできるようになる。しかしそれは暗記力による結果であって応用力による結果ではない。それに気付いて練習方法を変えたのが28歳の時だった。
’20年12月10日(木)  一旦戦力外通告を受けたK子をよく観察していたら、相手のキーパーソン潰し専門のディフェンダーとしてなら充分使えるということに気がついた。中学生レベルでは自己アピールが下手な選手が大半なので、こっちの観察眼を磨かなければこんな選手を埋没させてしまう。 
’20年12月09日(水)  昼過ぎ、トイレのあと便器の底に小さなかたまりが沈んでいるのを見つけた。古い割りばしでつまみ上げ、スマホで撮影した。撮影後指で押しつけたら土くれが崩れるように潰れた。40年前、私はひどい血尿で入院したことがあり、その時尿に血のかたまりが混じっているのを何回も見た。血のかたまりなので紫色をしており触った感じは生のレバーのようだったが、今回のは土色で押すと崩れた。だから血のかたまりではなさそうだ。ならばこれが結石の正体なのか?しかし、カルシウムのかたまりでもなさそうだなあ。
’20年12月08日(火)  練習メニューは①から⑮まである。だが本当に繰り返しやらなければならないのは⑮のミニゲームだけだ。①から⑭はこれ以上習熟する必要はなく、⑮の中での使い方や使うタイミングが分かりさえすればよい。と、冒頭で述べてから練習を始めたが道遠しだ。ひがながのレベルが特別低いのではない。中学生レベルのこどもたちってみなそんなもんなんだろうなあ。 
’20年12月07日(月)  石は体外に出てしまったのかまだ引っかかっているのかよくわからん。しかし、尿はまだワイン色だから結石は完治していないはずだが、お~い石よどこ行った? 
’20年12月06日(日)  年明けの鶴鳴正月合宿が、県から「県をまたいでの遠征や合宿は自粛するように」という通達が出たので中止せざるを得なくなった。そのような通達が出されていない県からは参加希望校があり、鶴鳴を含めて8校が集まって実施する予定だったがダメになった。対外試合ではなく練習で強くせよということだと思えばよい。
’20年12月05日(土)  今日のA練(08:00~10:30)にはコートに立てた。右脇腹と右腰は押さえれば痛いがじっとしていれば痛くない。みんなから「動いていいんですか?」と言われるが、尿管の石を下げる治療方法に縄跳びや逆立ちがあるぐらいだから大丈夫なのだ。でもまだ、石が尿とともに出てきてはいない。尿はまだワイン色だ。 
’20年12月04日(金)  昨夜から今朝にかけては最悪。どう姿勢を替えても右脇腹と右腰が痛くて眠れなかった。朝8時半、気がつくとベッドではなく床のカーペットに身体を丸くして寝ていた。でも、午後から痛みは減り家の中では動き回れるようになった。今日、運が良かったのは練習がオフだったことだ。選手に迷惑をかけずに済んだ。 
’20年12月03日(木)  和仁会でのCT画像には、尿管の膀胱に近い部分に小さな石だろうと思われる物体が2個映っていた。Dr田出は「これが石だとしても小さいから超音波で砕くことはできませんねえ」と言った。ロキソニンと結石排出薬(チキジウム)の両方で治療しなければならない。長引くなあ。しかも今日は腰痛(腎臓系の病気にはつきもの)が加わり、痛くて立ち歩くことができなかった。 
’20年12月02日(水)  昨夜9時過ぎ、右脇腹が急に痛くなった。ベッドに入っても痛みで寝付けない。私は胃全摘にはつきものの胆嚢炎か胆石だと思い、朝飯も食わずに諫早の宮本外科までバイクを飛ばした。が、胆石ではなく尿路結石だった。Dr宮本に紹介状を書いて貰い、明日朝から和仁会病院の専門医に診て貰うことになった。今日は対症療法のロキソニンで凌ぐしかない。それにしても尿路結石の痛さは半端ない。今夜は眠れるかしらん。 
’20年12月01日(火)  ことばを選んで、わかりやすく、無駄をなくし、無理をせず教えているつもりだがなかなか壁を突き破れない。前にも述べたが1人突き抜けてくれればあとは芋づる式に行くのだが・・・。その1人が出てこない。 
’20年11月30日(月)  昨日クリニックから帰ってきて夕食後、食後に服用する薬(ウルソーとプラザキサ)と一緒に、寝る直前に服用する睡眠誘導剤を服用してしまった。仕方なく8時半にベッドに入った。目が醒めたのは深夜2時。しばらくモゾモゾしていたが明け方4時に起き、パソコンで部費の月末処理をした。こんなドジを私は時々やる。
’20年11月29日(日)  昨日も今日も、ステージ3には指定されていない地域への行き来なので県外クリニックに出かけることができた。疲れ具合も、動きも、ひらめきも、集中力も、胃を全摘した人間のパフォーマンスには見えないと自分自身で思った。まだ当分大丈夫そうだ。 
’20年11月28日(土)  まず、読者にお詫びしなければならない。今日は県外へ出かけたがいつも持参するWiFi端末の充電ができず、インターネットに繋がらなかったのでHPの更新ができない。今日の話は昨日と1昨日の続きだ。私は術後抗ガン剤の服用はしていない。あれほどひどいガンだったのになぜ転移していないのか分からない。前述したように、私が服用しているのは胃全摘後に必ずついて回る貧血と胆嚢炎の薬だけである。 
’20年11月27日(金)  昨日診察が終わったあとでDr宮本が「去年胃カメラの映像を見た瞬間血の気が引いたとか、そんな気持ちになりませんでしたか?」と私に聞いた。ガンの大きさと表面のただれ方が尋常じゃなかったので、無事1年経った今聞いてみたのだろう。私は「私の人生は終わったなとは思ったけど心は静かでしたよ」と言った。
’20年11月26日(木)  胃ガンの手術後、私は大学病院で3ヶ月毎、宮本外科で2ヶ月毎にチェックしている。大学病院ではCTにより転移の有無を調べる。宮本外科ではクエン酸鉄(貧血治療薬)とウルソー(胆汁サラサラ薬)の投薬と、血液検査により腫瘍マーカーの変動を調べる。今月は1昨日が大学病院、昨日が宮本外科と同時期に重なった。結果は両方ともに異常なし。昨年撮った胃カメラの映像を見て私は「俺の人生終わったな」と思った。でも、あれから1年何事もなく生き延びている。ステージ3Aだったのに・・・しかもバリバリ動ける身体で・・・何で? 
’20年11月25日(水)  バレー部がどこかへ出かけたのか体育館は男女バスケ専用になってしまった。そうなると通常通りの練習ではもったいないのでフルコートを使ったスクリメージ主体の練習をした。今日は3つの課題であるLMU・クロス・インターチェンジの応用や崩しが少し出てきた。しかしことばの使い方には相変わらず気を使う。 
’20年11月24日(火)  昨日のDC事業に参加した選手たちは実に楽しそうにやっていた。そりゃそうだ、怖いコーチから解放されてバスケができるのだから。ひがながの5人も例外ではない。今日はいつもの緊張した顔で練習していた。チーム練習でもDC事業と同じ顔でやらせるコーチは名コーチなのだが、どっかに居るかいそんなコーチ? 
’20年11年23日(月)  今日は終日県南DC事業でベンチワークと審判をした。山﨑純男は元気だ。選手たちは1年生56人の中から10名、2年生は61人の中から10名選び次のステップへ。個人としては優秀な選手がごろごろ居る。ひがながの選手たちがそれと比べて著しく見劣りするわけではないが、10名に残るのは難しかろう。 
’20年11月22日(日)  テスト休み明け3回目の練習。休み前2日間で的を絞った5対5のミニゲームを再開した。マオ・リナ・アンナ・カリナの中からどの2人が最善かは相変わらず特定できない。それどころか、スタメン定着のユイコ・ハナ・カリンの3人も未熟さ満載だ。その判定の基になっているのは今のひがながを私が風軍団に近づけようとしているからだ。風軍団は18歳。ひがながは14歳。4年の人生経験の差を埋めるのは所詮無理なのだ。 
’20年11月21日(土)  長崎市新人戦参加案内UPnewpage3 
’20年11月20日(金)  昨日は風が強かった。用事があってバイクで出かけ、帰り道突風にあおられてマスクがズレた。急ブレーキをかけて止まったがバランスを崩した。トットットッと左足で3歩踏ん張ったが立て直せずコテッと横倒しになった。人も車もほとんど通っておらず誰にも迷惑はかけなかったが、とってもはずかしかった。それにしてもバイク走行中に自分のマスクで目隠しされるとは・・・ 
’20年11月19日(木)  テスト休みが今日で終わり明日から練習再開。テスト休み直前に2日間、メニュー#9を試合で使える練習を集中的にしたが、気になるのはそれが何割残っているかだ。休みの間に自主トレ(20分ラン)はしているはずだから身体は気にならないが脳の回路はそうはいかない。それはコートで何回練習したかによるからだ。 
’20年11月18日(水)  循環器内科の定期検診で久々外に出た。髭は剃った。ポカポカ陽気で太陽がまぶしい。バイクの外気温表示計は24℃を示していた。ヒトは太陽を浴びながら活動しなければならない生き物だとあらためて感じた。 
’20年11月17日(火)  ファイザー社のコロナワクチンは90%以上の予防効果、モデルナ社のコロナワクチンは94.5%以上の予防効果があると発表された。今年最大の朗報だ。コロナの驚異に晒された多くの人々はワクチンが開発されたといってもマスク・手洗い・換気を怠らないだろう(トランプ氏以外の人々は)。そして平常が戻ってくる。ヨシ! 
’20年11月16日(月)  まったく外に出ないので5日間ひげを剃っていない。パソコンを扱いながら鏡を見たらゴマ塩髭が繋がっている。黒い立派な髭ならよいが、ゴマ塩でしかも中途半端な伸び方なので貧相(画像なし)だ。でも、水曜日に循環器内科の定期診察に行くまでは剃りたくない。 
’20年11月15日(日)  昨日のテレビで、例年の同時期と比べてインフルエンザの発症率が300分の1だと言っていた。新たな治療薬もワクチンも開発されていないのにこの結果が生まれたとしたら、コロナに対する国民1人ひとりの意識がそうさせたとしか考えられない。それは、スポーツにも学習にも躾にも言えることだろう。 
’20年11月14日(土)  武士の時代から戦中戦後まで、責任を取って自決した高官は数え上げればキリがない。ハラキリを尊いとか清い行いとするのは、有能な人物を使い捨てにする思想だと私は思う。もったいない。もっとも、往生際の悪い大統領や引き際を知らない悪徳政治家が最近目に付くのも困りものだが・・・ 
’20年11月13日(金)  戦後何年も経ってから大本営の策戦失敗や指揮官の判断ミスが戦いを不利にしたという事実がいくつも発覚した。私のコーチ暦の中で同様のことを覚えているのは3つ。①昭和45年九州中学大会準決勝敗戦後、それまでの訓練過程の誤りに気付いた。②平成2年の福岡国体3回戦で相手のキーマンのディフェンスをT子ではなくR子にすれば良かったと試合後気付いた。③平成30年の九州中学大会準決勝残り2.4秒で2点負けの時フリースローを得た。W子が1投目を落としたので「2投目はわざと落とせ」と指示しようと思ったが、ことばの意味が分からなかったら却ってW子を混乱させると思ってやめた。結果はどうあれ指示すべきだった。
’20年11月12日(木)  このところの本読みは太平洋戦争で実在した世界の指揮官や参謀についての本ばかりだ。理由はチームの用兵や策戦が思うようにいかないので、自分を見つめなおしたいからである。4冊はすでに読んでしまったのでこれから読むのは「機動部隊」。これはガダルカナルの攻防を中心とした日米戦闘の記録である。 
’20年11月11日(水)  昨日と今日の練習はシューティングを10分やった残りの時間は全て5対5のミニゲームに費やした。明日から1週間テスト休みに入るので、その前にメニュー#9を実戦で応用できるようにするためにピンポイントでそこに的を絞ったのだ。それを持って20日の練習再開から12月の市新人戦に向けてエンジン全開で進む。 
’20年11月10日(火)  猿腕といえばユイコも猿腕である。猿腕は女子に多い。だが身体的欠陥ではない。特徴である。ユイコのシュートは自分なりにまとめているので修正不要。しかし、カリンは今後のこと考えれば修正してやった方がいい。若いコーチたちのために言っておくが、猿腕の選手のシュートは腕を伸ばしきるのはよくないのだ。
’20年11月09日(月)  明け方4時に目が醒めてそのまま寝付けなかった。マオ・リナ・アンナ・カリナの用兵とカリンの肘関節過柔軟による(通称猿腕)シュートの不安定さ矯正にとうとう着手しなければならなくなったことが、アタマの中をグルグル駆け廻りはじめたからだ。備考:昨日UPしたデータはシュート確率の項目を追加して再掲載した。 
’20年11月08日(日) 佐世保リーグ11月節最終日結果UPnewpage3 。今日は2試合ベンチ、2試合審判、休憩なし、でも元気だ。しかし、日頃選手に分かりやすく教えているつもりなのに、選手には「こんなことをすれば叱られる」としか伝わっていないのかと思う場面があり、非常にショックを受けた。
’20年11月07日(土)  佐世保リーグ11月節初日結果UPnewpage3 
’20年11月06日(金)  下手な選手はなかなかできない。でも教える。性格がルーズな選手はできないのではなくやらない。でも教える。前者を教えるのに腹は立たないが、後者を教えるには怒りが先に立つ。怒らずに教えられるようになれば人生の達人になれるのだろうが、死ぬまでなれそうにない。 
’20年11月05日(木)  今日は5時からコミュニティ体育館での練習である。だが、放課後専門委員会もあるので選手が出てくるのは遅くなる。委員会がない選手6人は4:25発の1便で運んだ。折り返して委員会に出た選手を迎えに戻ったが4:50に4人拾っただけ。あと3人残っているのでまた戻ったが、5:20に2人出てきただけであと1人は来ない。もう待てないので出発した。重要な議題を審議しているから委員会が長引くのならいい。しかし会の進め方がまずいからこんな事態になるのなら、関わる者すべてが再考しなければならない。 
’20年11月04日(水)  今日はカリンが軽い捻挫をした。昨日捻挫したハナはその後のメニューは全て除外した。私はケガが軽くてもケガ直後は絶対無理をさせない。ハナは今日元気でフルメニューやった。カリンもハナと同様ケガ直後は全てのメニューから外したので明日は大丈夫だろう。 
’20年11月03日(祭)  5対5のミニゲームの前にハナが軽い捻挫をした。なので5対5は4対4でやらせた。Aはスタメンからハナを外したユイコ・カリン・カリナ・アンナでBはリナ・マオ・ヒマリ・ヒスイである。すると互角どころか試合内容はBが押し気味。リナとマオにかき回されるのだ。かといってリナとマオをすぐAに戻せば一昨日述べた結果が待ち受けている。さてどうしよう? 
’20年11月02日(月)  今日から1月31日までの3ヶ月間冬時間で午後6時完全下校(校門通過)である。その為には部活動は5時50分に終わらなければならない。実動時間は50分だ。ひがながのコーチを始めた当初はずいぶん戸惑ったが今では慣れて、①メニュー内容の工夫②指示の為に練習を止めすぎないことで能率的な指導ができるようになった。できるだけ全体を止めずに順番待ちの時に個人指導するのだ。根気が要るが・・・。 
’20年11月01日(日)  ミニゲームは、A(ユイコ・ハナ・カリン・アンナ・カリナ)対B(リナ・マオ・ヒマリ・ヒスイ・ホノカ)でやっている。AがスタメンでBがバックアップである。少し前までは、リナとマオがAでアンナとカリナがBだった。最近はAがBに時々負ける。マオとリナにやられるのだ。Aだったころの2人はこんなにやらなかった。Bになると自分が主役でやらなければ試合が成り立たないからやるのだ。思わぬ副産物である。ではこの2人をAに戻せば活躍するのかというとそうはいかない。Bだからこそ主役を張るのであってAに戻すとまた脇役になるのだ。 
’20年10月31日(土)  木曜日の授業中にふくらはぎが痛くなったハナはその日の練習はすべて見学させた。昨日はオフだったのでまる2日のオフを経て今日は元気でフルメニュー参加した。軽い肉離れという診断を下したが、駅伝練習時同様強い筋肉痛だったのかもしれない。しかし、授業中といっても体育ではなく教室での座学中だが・・・ 
’20年10月30日(金)  体育館割当なしのオフ。加えて学童クラブの児童の送迎も今日はなし。そんな日の私はアザラシ君になる。
’20年10月29日(木)  ハナが「今日の昼ふくらはぎが痛くなりました」と申し出てきた。軽い肉離れだ。駅伝練習時に傷めたハムも同じだ。もちろんしばらく休ませる。彼女は昨年まで手足が長くヒョロッとした体型だった。それが最近筋肉が付いてがっしりしてきた。だから、強い動きができるようになりこんなことが起こるのだろう。 
’20年10月28日(水)  練習が終わってすぐ県立総合体育館にかけつけた。コーチライセンスのリフレッシュ研修を受けるためだ。講師は本校男子監督の福岡氏(S級審判)。テーマはインテグリティ。これは今更「このことばや態度はNG」と福岡氏があらためて解説しなくてもールブックの1頁目にずっと前から書いてある。審判以外の人も必読!
’20年10月27日(火)  朝「この技術が身につけばもう少し良いバスケットができるなあ」と思いつき、それをメニュー化して2品付け加えた。2品に要する時間は1分半だから他のメニューにしわ寄せは来ない。これでメニューは15品目になった。無駄や重複はひとつもない。
’20年10月26日(月)  伊藤拓摩氏(長崎まちづくりBリーグ準備室ゼネラルマネージャー)がウィンターカップ予選のテレビ中継解説をするというので表敬訪問のためにカブトガニアリーナまで行った。ケーブルテレビは生中継だがKTNテレビ長崎は後日録画放送になるらしい。 
’20年10月25日(日)  カブトガニアリーナで明日テレビ中継される高校ウィンターカップ予選の会場造りをひがなが男女バスケ部で手伝った。2時間ぐらいで設営を終わり、あとは2時間ほど練習させてもらうつもりだったが設営完了が4:55になり、練習は約1時間しかできなかった。しかし、設営手伝いは練習以上の収穫があった。選手もだんだん仕事の段取りが分かり、時間経過とともに作業能率も良くなった。こんな経験も大切なのだ。 
’20年10月24日(土)  土日のD割当日は通常オフにするのだが、明日のD割当日は午後からカブトガニアリーナに高校ウィンターカップ予選の会場設営手伝いに行くので、替わりに今日のA練をオフにした。オフ日は読書に時を費やすがそれがなかなか先に進まない。バスケの練習場面がアタマをよぎるからだ。練習メニューの改良点はないのだが、そこでうごめく個人々々が次々登場して読書を妨げるのだ。 
’20年10月23日(金)  合唱コンクールが終わった。コンクールは体育館で行われるが観客は3年生だけ。他学年は学級備え付けのテレビでリモート観覧だ。そのセットをしたのはF先生。そのため今朝は5時に出勤したそうだ。本校にはF先生のような人がいるからいいけど、そんな人がいない他の学校は業者に依頼するのだろうか?大変だあ。
’20年10月22日(木)  佐世保リーグ11月節参加案内UP newpage3  
’20年10月21日(水) 5校時で終了。今日はみっちり練習できるぞと思っていたらなんと、部活動は5時終了で5時10分完全下校だそうな。職員の定時退庁日だからなのだが、教員の働き方改革に基づくこの施策は教員の仕事量の軽減にはまったく繋がらないので腹が立つ。 
’20年10月20日(火)  ウーン・・・追加しなければならないメニューはないし、大改善の必要はないのだが、どれもちょっとずつ塩味が足りなかったり、甘みが足りなかったりなのだ。一挙に解決というわけにはいかないと分かってはいるものの、そこから先に進まないのがもどかしい。
’20年10月19日(月)  23日が合唱コンクール本番だから、合唱練習は4:45までと決まっていてもなかなか制限時間までに終わってはくれない。今日も練習開始は5:05。始まりが遅れようがなにしようが練習終了は6:10だ。無駄話はできない。さりとてメニューを流すだけでは練習にならない。順番待ちの時個人に注意するのが精一杯だ。 
’20年10月18日(日)  福大若葉が鶴鳴に来て練習試合をするという情報を得た。鶴鳴の三根監督に「審判に行こうか?」と電話したら、若葉の池田先生から「是非来て欲しい」とという要望があ言われたそうだ。ここ1・2年若葉は福岡で勝てていないので気になっていたが、今日審判した限りでは大丈夫だ。ホッ。 
’20年10月17日(土)  昨夜からの雨が少し残っていたが次第に晴れてくるという天気予報だったので雲仙に向かった。仁田峠に着いた時は上空にまだ雲が被さっており、それが上から降りてくるのではなく下から湧いてくる。外気温は9℃。天気が悪いので普賢岳ではなく手前の妙見岳に登った。私は仁田峠駐車場のバスの中で留守番。 
’20年10月16日(金)  体育館使用割当がない日なのでオフだが、午後から学童のこどもたちの送迎があるので終日読書とうわけにはいかない。でも身体をほとんど動かさなかったのでシャワーはパス。アタマの中にはあと1つだけ試合で活かしてほしい課題が残っているが、それはまだまだあとでいい。あまり急ぐとあぶハチ取らずになる。 
’20年10月15日(木)  コミュニティ体育館での練習後、こどもを迎えに来た保護者に「あら先生、声がかれてますね、風邪引きましたか?」と訊かれた。風邪は引いてないし声がかれている自覚もないが、それが事実だとしたら指導の際の声のボリュームをいっぱいに上げているからだと思う。気合いではまだまだ負けんぞお。 
’20年10月14日(水)  6校時まで授業があって、そのあと合唱コンクールの練習をすれば部活開始は5時になる。秋時間の部活終了は6時10分だから1時間ちょっとしかできない。そこで今日は全てのメニューの時間やセット数を半分に減らした。だから5対5のミニゲームまでやれたが、私もプレイを止めて注意を与える回数を極力減らした。 
’20年10月13日(火)  5対5のミニゲームを残したまま練習終了時間になった。「なぜ5対5ができなかった?」とH子に訊いたら「プレイを止めて注意される回数が多かったからです」と答えた。H子以外の誰かに訊いたらどうだったろう。なぜ?が分からない、分かっているけどうまくことばにできない、がたくさんいるはず。ここから改良だ。
’20年10月12日(月)  ①シューティング②3対2半面(時々挿入)③ミート④ジャンプ⑤3歩ダッシュ⑥フック⑦スタター(半面と全面でやり方が少し違う)⑧リバウンド⑨エルボー⑩ダブルチーム⑪LMU(半面と全面でやり方が少し違う)⑫2対3ミニゲーム(半面と全面の両方ある)⑬5対5ミニゲーム(半面と全面の両方ある)。これで打ち止め、ちょっとずつ追加や修正があるだろうが、大きな変更は当分なし。 
’20年10月11日(日)  C練(13:00~15:30)。1品加えたメニューの改良点を思いつき、1昨日はそれの部分練習に大半の時間を注いだが、今日はフルコート使える日なのでそれを試す日。出来はまあまあ。あとは各々の質を高めるだけだ。 
’20年10月10日(土)  今日はオフ。終日読書。 
’20年10月09日(金)  4:45まで合唱コンクールの練習があるし、今は秋時間で完全下校が6:20だから、実質練習時間は1時間ちょっとしかない。その大半を昨日バスの中で考えた改良点の練習に注ぎ込んだ。最終的には「ヨシ!」だ。もうこれでこのチームに新たに加えなければならないメニューはないだろう。あとは各々百点を目指すだけ。 
’20年10月08日(木)  今日また思いついたことがありメニューに1品加えた。うまく行かなかったので改良点を考えながら帰りのバスを運転していたらK子を下ろす場所を通り過ぎてしまった。が、改良点が浮かんだ。明日は半面しか使えないがこれを試そう。もしそれがうまく行けば、加えなければならないメニューはもうないだろう。
’20年10月07日(水) 試合でよく出てくる場面をメニュー化して1品加えた。入替組の2人にはまだ素人っぽい部分が残っているので彼女等に教え込まなければならないことがいくつかあるからだ。もともとスタメンだった3人にも、もう一度復習させるには丁度よい機会だ。しっかし、私の言葉通りやるだけじゃなく自発的なプレイもやってみろよ! 
’20年10月06日(火)  スタメン入替2日目。昨日はハーフコート練習だったが今日はフルコート。練習の半分は速攻めの練習だった。最後の最後にK子が一瞬過呼吸になった。走らせ過ぎたからではない。急に主役を背負わされた重圧によるものだ。すぐ治ったが、責任を果たすということがどんなに大変なことか、よい経験になっただろう。 
’20年10月05日(月)  練習前の診断ではユイコの疲労骨折はもうちょっと、カリンの捻挫はほぼ大丈夫、ハナのハム痛はちょっとだけ用心。昨日浮かんだスタメン入替(リナ・マオを下げてアンナ・カリナを登用)を実験。1週間もしたらすぐ元に戻すのかずっとこのまま行くのかは不明。ただ、昨日までの私のストレスが減ったのは確かだ。 
’20年10月04日(日)  西彼練習試合最終日結果UP newpage3 
’20年10月03日(土)  西彼練習試合初日結果UP newpage3 
’20年10月02日(金)  体育館割当なしのオフ日。終日本ばかり読んでいて汗もかいてないのでシャワーもパス。 
’20年10月01日(木) 4年前は出走者5人中2人がバスケ部だったので駅伝の応援に行ったが、今回は3人とも最終の5人から外れたので応援には行かなかった。名前も顔も知らない選手を応援に行ってもつまらないから。順位は5位だったらしい。2位までしか県大会には行けないので駅伝も今日でおしまいだ。 
’20年09月30日(水)  今日は駅伝の最終練習日だった。バスケ部から選出された3人の中からは明日の本番で走らせて貰えるのは1人もいなかったようだ。明日9時半開始のレースは観に行こうかなあ、行くまいかなあ・・・ 
’20年09月29日(火)  コミュニティ体育館は隣のコートが空いていた。こちらは駅伝練習に3人取られ、塾が1人、皮膚科通院が1人で5人いないから9人での練習だ。ガランとしている。な~に、この人数しかいないとか、主力選手はこの子とこの子しかいないという練習は数え切れないほどやってきたから大丈夫だ。アイデアはいくらでも湧く。
’20年09月28日(月)  西彼練習試合参加案内UP newpage3  
’20年09月27日(日)  昨日負けたから今日は試合なしで割当通りのD練(13:00~15:30)。今日もっとも重要なのは何を教えるかではなくユイコとハナの診断と全員の観察。ユイコはもうちょっと。ハナは完治。観察の観点は選手の心の中に何があるかだ。「よく戦った」「もう少しやれたはず」「悔いが残る」などいろいろあるが掴みきれなかった。 
’20年09月26日(土)  Jr Wintercup長崎県予選結果報告UP newpage3  
’20年09月25日(金)  試合中に付けるフェイスシールドだけでなく普段の練習中もマウスシールドを付けることにした。理由は、フェイスシールドの内側にしぶきがベットリ張り付いているのを知ったからである。だから、コロナが終息した後もこれは続ける。ところがそれでは口にくわえる笛が使えない。そこで電子ホイッスルも購入した。備考:シールドもマスクも感染予防にはほぼ効果なしというのは百も承知だ。ただただしぶき対策のためである。 
’20年09月24日(木)  ユイコとハナ専用のアンテナを1本ずつ張って観察した。ハナは昨日予定した通りの動きでユイコはメニューの半分を抜かした。明後日の試合でどの程度の動きが出来るか予想はできない。 
’20年09月23日(水)  今日はシューティング以外のメニューには参加させないハナに、四頭筋には負荷がかかってもハムには負荷がかからないように歩幅や速度を調節させ、コート周囲のランを試させた。明日と明後日は少し速度を上げるがチーム練習には合流させない。週末の試合にはぶっつけ本番だろう。それもフルタイムではなく。 
’20年09月22日(祭)  ハナとユイコは昨日と同じ。終盤はカリンも休ませてリナ・アンナ・カリナ・ヒマリに経験を積ませようとしたが不発。「こうやれ!」で指導するのはたやすいが「ここどうしたらいい?」で指導するのは忍耐が要る。さて今日は10月分のコミュニティ体育館のキャンセル待ちを捜して申し込んだ。外れだった日がすべて埋まった。 
’20年09月21日(祭)  シューティング以外の種目は、ハナは全休でユイコは半休とした。ハナの肉離れは軽症で今週末の試合には出せるだろうし、ユイコの足首も医師の指定した療養期間はとっくに過ぎているが、もっとも大切なのは来年夏の中総体にベストパフォーマンスで臨めることなので、今は無理をさせない。 
’20年09月20日(日)  昨日カリンスペシャル改訂版の練習開始直後ハナがハムストリングをピキッと傷めた。軽い肉離れだ。軽いので長引きはしないだろうが、おそらく駅伝・体育大会リレーなどが重なったことが引き金になっていると思う。好事魔多しだ。急成長中の選手はパフォーマンスが上がっているのだから気をつけなければならない。
’20年09月19日(土)  Jr Wintercup長崎県予選参加案内UP newpage3 
’20年09月18日(金)  深夜大雨が降ったが開始は室内行事の部門で、体育大会部門は後半だったので運動場は乾いており東長祭は無事実施できた。さあ練習はさらにギアアップだ。世間には「山崎先生のバスケっトは難しいだろ?」という声があるらしいが、俺ほど分かりやすく丁寧に教えるコーチがいるものか。これは驕りではなく信念だ。
’20年09月17日(木)  明日は、コロナで延び延びになっていた体育大会と文化祭を合体させた東長祭で今日はその予行練習。今日を挟んでこの3日間の天気は悪い。天気予報では今日が最悪だが、雲は厚かったものの夕方まで雨は降らなかったので明日は実施可能だぞと思った。しかし、午後7時過ぎに雨が降り出し、グランドには水溜まりもできた。学校行事の延期はいやだなあ。 
’20年09月16日(水)  昨日はもう1つ話題があった。朝からつばさ保育園の年長年中組をイルカウォッチングに連れて行ったのだ。昨年天候不良で中止になったのでこどもたちは大喜び。しかも、イルカの群れは過去最高で手が届くくらい舟の近くまで挨拶にやってくる。みんな大満足だった。3時帰園だったので練習には充分間に合った。
’20年09月15日(火)  今日はハナ・ヒマリ・ヒスイが駅伝の試走で、ルカが塾だから10人での練習だ。しかも、今週は体育大会の練習が4:45まであるので練習開始は遅くなる。しかし、知恵を絞れば少ない人数や時間でも有効な練習はできる。1昨日浮かんドリルをやった。注意点が3つ。それを復唱させたら誰1人まともに言えない。クーッ・・・ 
’20年09月14日(月)  本読み中に登場するのはチームではなく個人が多い。ユイコは距骨の疲労骨折発症から3週間目。医師は2週間で復帰と言ったが私は今週末までは無理をさせない。カリンの足首はもう大丈夫だが彼女の知覚と情動が一致しない仕組みが分からなくて苦慮している。素晴らしい身体能力を持っているからこれを解決してやらなければもったいない。他にも知覚と言葉の関係を発達させなければならない選手はワンサといる。
’20年09月13日(日)  今日はD割当オフ日。こんな日は終日家に籠もって本を読んでいる。これまでは山崎豊子氏・ 半藤一利氏・山本周五郎氏等の作品をちょこちょこ間に挟みながら宮本輝氏の作品を中心に読んできたがそれをちょっと休憩し、このところ目先を変えて夏目漱石の作品を読んでいる。今読んでいる虞美人草でそれもおしまいにするが、最近なかなか頁が進まない。それは、目は活字を追っているが選手の顔と動きが頻繁に登場するのでまた数行戻って読み返さなければならないからである。今日また新しいドリルが浮かんだ。
’20年09月12日(土)  台風や大雨の警報が出たら原則部活禁止である。7時過ぎに晴れ間が出てきたが直前まで大雨洪水警報が出ていたのでA練(08:00~10:30)が実施か中止か選手は迷うだろう。私は一旦バス駐車場に行ってバスで学校に向かった。中止だと思って来ていない選手が居たら来ている選手をバスで自宅まで送り届けて今日はオフにし、明日のオフを練習に切り換えようと思ったのだ。だが、全員来ていたので練習を実施した。
’20年09月11日(金)  想像力UPの練習に1さじ分塩を加えてちょっと味を変えた。でも、今日はその練習を30分だけやって、あとは男子にフルコートを譲った。男子は明日の市会長杯に勝ち残っているからだ。その30分で私の魂のすべてをぶつけた。フウ・・・
’20年09月10日(木)  グッタリ~。カリンスペシャルと想像力UPの指導は膨大なエネルギーを消費する。身体を動かすエネルギーではなく脳を使うエネルギーが半端じゃないのだ。練習が終わってもしばらくその場にたたずんでいた。すぐには動き出せなかったからだ。フウ・・・
’20年09月09日(水)  カリンスペシャルだけではなく、ほんの1~2人を除きほぼ全員に欠如している想像力を高める練習を考えていたが今日からその実験に入った。しばらくの間、フルコートを使える時はカリンスペシャル、ハーフコートしか使えない時は想像力を高める練習に絞り込んでやっていくことになるだろう。 
’20年09月08日(火)  ずっと考えていたカリンスペシャルの練習方法が今日の午後になってやっと固まった。初回の今日はもちろんダメだ。しかし私の確信は揺るがない。だからこの方法を続ける。あと、先日の試合ではリバウンドボールやこぼれ球の処理が目を覆うほどひどかったが、これはジャンプやダッシュやボックスアウトの練習をいくら増やしても解決しない。このあとどうなる?がわからないから起こる現象なのでそこに視点を置けば良い。 
’20年09月07日(月)  暑かったので夜中の3時半に冷房をオンにしたが涼しくなったのでオフにしてまた寝た。6時に目が醒め、台風の状況を調べようとしてテレビをオンにしたが点かない。停電だ。電気が点かなければ何もできない。仕方なく本を読んでいたら昼少し過ぎに点いた。台風で飛ばされたり壊されたものはない。明日から復活! 
’20年09月06日(日)  今日は終日家の中に居てバスケットのことばかり考えていた。カリンのボール運びの負担をハナに譲り、カリンは先行して攻撃に専念させればどうなる?私のアタマの中は台風情報よりもカリンとハナとユイコのプレイのシミュレーションが台風の風よりも速い速度でグルグル回っていた。 
’20年09月05日(土)  U15長崎市会長杯結果報告UP newpage3 
’20年09月04日(金)  一昨日が台風9号で部活禁止になった上に今日は体育館割当なしの日なので急遽長女短の体育館を借りて練習した。市会長杯は台風10号のために明日のカードのみ実施されるが明後日の分は12日へ、12日の分は13日へずらされる。それによって13日のDC県南事業はどこかへ移動させられる。それにしても、今世紀最大かもしれない台風10号の名前(ハイシェン)が中国名だというのが気に入らない。
’20年09月03日(木)  今日は駅伝試走日で、バスケ部からはハナ・ヒマリ・ヒスイが選ばれているが、明後日市会長杯がある上にテスト前休み+台風のためにずっと練習ができていないので今日の試走はパスさせて貰った。スタメン5人揃っての練習は10日ぶりだ。が、距骨疲労骨折のユイコはさらに練習軽減を続けさせる。 
’20年09月02日(水)  昨日の定期検診での血液検査の結果を聞きに行った。腫瘍マーカーCEAの4.9とCA19-9の5.0未満は前回と全く同じ値だった。肝機能も異常なし。ヘモグロビンは手術後7.3まで下がったが今回は13.0まで回復。でもまだ男性の基準値までは届いていないので鉄剤は飲み続ける。元気は元気なんだけどなあ・・・ 
’20年09月01日(火)  新学期が始まった。今日は実力テスト前のオフで明日のテスト終了後から部活開始なのだが、台風の関係で明日はテスト終了後生徒は午前中で下校。部活禁止と通知があった。コロナ禍の最中の部活再開の時に最も注意したのは、長期休み後の部活再開のケガ防止である。5日の市会長杯も同じ注意が必要だ。 
’20年08月31日(月)  ひがながバスケはテスト前オフ。今日は終日学童クラブ(橘クラブ)のバイオパーク遠足の手伝いだった。猛暑で動物はみんなグッタリしている。従業員の方が入口近辺にホースで水を撒いていたら、囲いの中で飼われているアルパカが「お~い、ボクにもかけてくれ」と言わんばかりに立ち上がった。いつものことなのか、従業員の方が水をかけるとアルパカは首をフルフルさせて喜んでいた。私にはこの光景が1番面白かった。
’20年08月30日(日)  U15長崎市会長杯参加案内UP newpage3   
’20年08月29日(土)  男子バスケが桜馬場中で練習試合をするという情報を得たので、女子バスケのC練を終えてから押しかけ審判に出かけた。9/5の市会長杯で審判をするので(依頼を受けたのではなく自主志願)そのリハーサルを兼ねた手伝いだ。自己採点では動きも判定もま~ったく問題なし・・・だったと思う。 
’20年08月28日(金)  ひがながバスケはオフ。今日は終日学童クラブつめくさの行事(がまだすドーム・百花台公園)のお世話だった。つめくさは矢上小と高城台小の児童で構成されていて、通常私の下校時お迎えは高城台小なので矢上小の児童には会わない。今日は合同なので久しぶりに矢上小の児童と会ったが、こどもの成長は早い。 
’20年08月27日(木)  ふつう、主力が3人も抜けた練習は気が抜けてしまうことが多いものだが、この3日間は私自身の気持ちがとても充実している。素人新人の2人にも頻繁に声かけをするので、選手たちもまた充実した練習ができていると思う。禍転じて福と成すだ。 
’20年08月26日(水)  昨日ユイコ・カリン・ハナの3人はメインメニューから外し、残りのメンバーで練習した。これは市会長杯直前まで続けようと思う。3人の休養と目とアタマの訓練を兼ねた狙いだ。目とアタマはコートでプレイするよりサイドから観た方が効果がある場合がある。さらにベンチメンバーのプレイ機会も増えるし一石二鳥だ。 
’20年08月25日(火)  昨日、早朝の駅伝練習は休みを貰い、午後のバスケD練もオフにした。ユイコとカリンをケガで欠いた試合だったので、普段試合に出ない連中もフル回転だったし、いつもはカリンとユイコにおんぶにだっこのハナが残り全員を背負って踏ん張らなければならず、試合後は息も絶え絶えだったからだ。そのハナが今日腰が痛いと訴えたが、調べたら動き過ぎたための大臀筋起始部の筋肉痛だった。ダイジョブダイジョブ。 
’20年08月24日(月)  コヤスポカップ最終日だが東長崎は昨日負けたので参加はもちろん観戦もできない。が、朗報がある。それはユイコの足首が距骨の離断性骨軟骨炎ではなく、距骨を傷めていることに違いはないが疲労骨折の初期でしかも軽症だったことだ。これで、カリンもユイコも来週末の市会長杯にはコートに立たせてやれるかもしれない(決して無理はさせないが)。追伸:ベンチでは大声を出すのでフェイスシールドを使ったが、給水の時何度もボトルをシールドにぶつけた。 
’20年08月23日(日)  コヤスポカップ2日目結果報告 newpage3  
’20年08月22日(土)  コヤスポカップ初日結果報告 newpage3  
’20年08月21日(金)  駅伝練習は1000㍍のタイムトライアルを2本。バスケはC練(13:00~15:30)。みんなの動きを見ながら、新メニューを2セット減らしてフリースローの時間を長くし、総時間を20分短縮して終わった。私の口から「疲れた時こそ頑張るのがスポーツ活動だろうが!」というセリフはもう何十年も出ていない。 
’20年08月20日(木)  22日(土)からコヤスポ杯が開催されるが、資料の詳細が昨夜23時過ぎにUPされた。newpage3 参照。だがそれも、今日の夕方キャンセルが出たので再度変更という通知が電話であった。コヤスポHP上での修正は明日になるだろうと思っていたら21時前にUPされた。シャチョー、お疲れ様です! 
’20年08月19日(水)  ハナのシュートが最近安定してきた。その原因を今日調査したら、背筋がビシッとしていてブレなくなっていることがわかった。最近までちょっとの接触プレイで体勢を崩すことが多かったのだが、身体が強くなったのだろう。12月生まれだからまだ13歳だけど。 
’20年08月18日(火)  駅伝練習は補強運動をしたあと1000㍍と800㍍のタイムトライアルを1本ずつ。バスケ練習はB練。駅伝練習との間がないので注意して観察し、シューティングと新メニュー4セットだけでに絞り、2時間半の割当を2時間5分で切り上げた。昨日も今日も新メニュー1セット毎に5分間体育館外の風通しのいい場所で休憩させたが、それでも今日は動きが重かった。タイムトライアルの負担は大きい。 
’20年08月17日(月)  5日ぶりの練習。まずは7時から駅伝。バスケ練習はC練(13:00~15:30)。しかも猛暑(温度計の時刻表示は故障)。休み明けの練習では体調不良者が出るものだが今日は1人もいない。ヨシ!4日間自宅で寝っ転がって本ばかり読んでいた私も身体がよく動くし元気。コーチも選手も大丈夫だあ! 
’20年08月16日(日)  お盆休み4日間の内、今日が最も人出が少ないだろうと思ってコロナウィルスを除けながらバイクをとばし、墓掃除に出かけた。毎日あちこちでクラスターが発生しているが、みんなどんな思いなのかなあ?
’20年08月15日(土)  入院中は毎日1時間の散歩をした。だが今は家でじっとして本を読んでいるだけだ。コロナめ! 
’20年08月14日(金)  今日もじっとして動かず。福岡県の高校部活動(室内競技)でまたクラスターが発生した。気になる。 
’20年08月13日(木)  オフ初日。じっとして家から出なかった。コロナの伝播の仕方が気になるからだ。私は今の日本は間違いなく第2波真っ只中だと思うのだが、それなのにみんなの警戒心が緩んでいるような気がする。松江の高校サッカーチームのようなことが長崎の中学バスケット界に起こらなければいいのだが・・・。 
’20年08月12日(水)  教え子が去年作ったTシャツだそうだが、なんだかんだで忙しかったらしく、送ってくれたのが年明けになった。が、私の手元に届いた時は入院中だったので着用するのが78歳になってからになってしまった。コミュニティ体育館の受付係の人が「いいですねえそれ」と褒めてくれた。 
’20年08月11日(火)  今日は9月のコミュニティ体育館利用申込の当落決定通知日。7回申請したうちの6回ハズレだった。9月は日吉で小5のお泊まり研修が始まるので全くダメ。今月21日以降のコミュニティのキャンセル空き待ちと他会場の問合せで奔走しなければならない。9月のD練はオフなしかもしれないなあ。 
’20年08月10日(祭) お盆の山口出張を中止したので長崎駅に切符をキャンセルしに行った。帰りは時間があったのでアミュプラザ1階のスターバックスに入った。たぶん5年ぶりくらいだろう。前後左右が空いている席を見つけて座ったら間もなく隣の席におばさんたちが2人向かい合って座った。甲高い声で喋り続け、時々大声で笑う。椅子のひとつには×印が付いているがそんなのお構いなしだ。私は注文したラテをさっさと飲んで店を出た。 
’20年08月09日(日)  今日の駅伝練習はグラウンドでのペース走。前回は大集団で学校裏の八郎川周辺の1㎞タイムトライアルだったので1人ひとりを把握できなかったが、今日は全員を把握できた。特に注意したのが素人1年生のオウカとルカの2人。頑張り過ぎていたので「無理しなくていいよ!」と声をかけた。早朝の駅伝練習ではみんな一生懸命だったので午後のバスケ練習では走るメニューをすべて削除し、軽い部分練習だけとした。
’20年08月08日(土)  一昨日の早朝左膝が痛くて目が醒めた。あちこち押さえると腸脛靱帯炎と判明した。新チームの指導で動き過ぎたのだ。痛風治療用のロキソニンを服用してその日はじっとして動かず、翌日のバスケ指導も用心しながらやったら痛みは治まった。今日はロキソニンなしで過ごしたが大丈夫そうだ。 
’20年08月07日(金)  駅伝練習参加2回目。今日は1000㍍タイムトライアルだった。陸上部のラビット(白シャツとオレンジ)に続いてゴールしたが、イヤイヤ走る者はいなかったのでアッパレ!備考:アンナは鉄剤投与中なので除外。 
’20年08月06日(木)  大雨が去って部活再開後初のオフ。オーバーヒート気味の私には待望のオフだ。山口出張を中止したのでJR切符をキャンセルに行くつもりだったが、たったそれだけの体力を消耗するのももったいなく、今日は家でじっとしていた。キャンセルは明日か明後日にする。 
’20年08月05日(水)  本日午後、県教委から「8月6日から31日まで、部活動の他校との交流は県内のみとすること」という通達があった。お盆はチーム帯同ではなく私個人での移動だが、県内のコロナ感染が急激に増えた現状を踏まえると個人であっても自粛すべきだと判断して自主規制した。なお、私のスマホには厚労省発行の新型コロナウィルス接触確認アプリをインストールした。自分が罹患しないことよりも、仲介者になることの方が怖い。 
’20年08月04日(火)  今日は昨日よりレベルが上がった。停滞あり、2段階UPあり、急降下あり、こんなことがこれから先も続くのだろう。でも、傾向として右肩上がりならOKだ。新チームには、わからないからできない選手は居るが、分かっているけどやらない選手は極少数しかいないので、右肩上がりになるのは間違いない。
’20年08月03日(月)  順風満帆なんて虫のいい話はヒトの人生にはそうそうない。ひがながバスケのさらなる飛躍は今日はなく、昨日レベルのままだった。でも、練習したことが確実に選手の身体にしみ込んでいるのは感じる。 
’20年08月02日(日)  昨日まで「幼稚だとはわかっていたが」とか「ここまで手がかかるとは…」というグチが多かったが、今日「幼稚レベルは抜けたか?」という感触を持った。このように、ちょっとでも希望の光が見えると疲れなんか吹っ飛ぶ。チェック&チェックでエンジン全開に変わりはないが、どうやら過労死は免れそうだ。 
’20年08月01日(土)  今日はY中学校との合同練習。練習試合ではなくYチームも含めての合同指導だったので、私のエンジンは減速どころかさらに加速されてオーバーヒート気味だった。敵はコロナだけじゃない。自己管理しっかりだ。 
’20年07月31日(金)  エンジン全開で4日目。エンジン全開といってもそれは私だけで、選手は目とアタマの訓練だから身体的に追い込まれることはない。しかし8月中、俺をこのままを突っ走らせると、お前達は俺を過労死で殺すことになるぞ。そうならないための最善の方法は、「わかった」や「できた」が1人でも2人でも出てくることだ。 
’20年07月30日(木)  新種目に改良を加えるのはやめた。選手のレベルに合わないし、実戦にそぐわないからだ。新チームになった当初はこんなことばかりが続く。そして、私の口と手と足の出番が多くなる。今日は準備動作なしからの一瞬のダッシュ(3歩)の見本を示した。フゥ・・・
’20年07月29日(水)  目が覚めて寝返りを打ったら身体中の筋肉が痛い。が、起き上がるまでの少しの間バスケットのことを考えていたら、新種目に改良を加えるアイデアが浮かんだ、それで筋肉痛は吹っ飛んだ。しかし、選手たちにはまだ改良点が理解できるほどのアタマはない。今日も目一杯身体を動かして指導したからグッタリだ。
’20年07月28日(火)  新チーム初練習はD練(15:30~18:00)。指導を終えて家に帰り着いたあとしばらくの間口から出るのは、ハア~とかフウ~というため息ばかり。疲れたのだ。幼稚だとわかってはいたものの、ここまで口と手と足を動かして指導しなければならないとは・・・。だが開始50分、私の要求を全く理解できなかったH子ができた。ヨシ
’20年07月27日(月)  78年も生きてきたので死ぬことはまったく怖くはないが、いつまでコートに立てるかはとても気になる。私の場合のいつまでというのは、チームが切り替わる夏休みまでである。今年それは切り抜けた。すると来年の夏休みまではどうか?ということになる。それについては、市中総体直前に行った定期診察の血液検査で、腫瘍マーカーのCEAとCA19-9が基準値以下で安定していたのでOKだ。あと1年は大丈夫だろう。 
’20年07月26日(日)  市中総体は27日が最終日である。通常、初日で負けたチームは残りの日勝ち残っている自校の他種目を応援に行ったりするが、今年はコロナ禍でそれはダメ、他校のバスケ試合観戦もダメ、自校での練習もダメ。そんな中、ちょっとだけ他校の試合を観戦に出かけ、扉の外から見ていたら運営担当のS先生から「3密回避のため、当事者以外の敷地内入場はダメなのでお帰り願えませんか」と言われた。もちろん謝ってすぐ帰ったが、これだけ運営者が神経を使って開催している大会に、無神経な行動をしたと反省している。 
’20年07月25日(土)  市中総体初日結果報告 newpage3 
’20年07月24日(祭)  2020年度チームの最後の練習を無事終えた。ひとつの仕事を終えた時は誰もが「やれることはずべてやった」と思いたいものだが、今年の私にはやり遂げた感はない。人一倍ケガをさせないように気をつけているのに2人もACL損傷選手を出したからだ。1人は昨年、もう1人は今年6月、しかも2人とも3年生だ。 
’20年07月23日(祭)  新種目はⅠ班Ⅱ班Ⅲ班の3グループに分けてやっている。単なるドリルではなく、攻防のかけひきがめまぐるしく登場する種目なので、言われたとおりにやるだけの選手はできない。Ⅰ班とⅡ班はエントリー選手たちだがその差は大きく、さらにⅢ班になるともうチェックするためのプレイをピックアップすることすらできない。
’20年07月22日(水)  昨日のブログに「平成20年以降の鶴鳴には無理な内容だ」と書いたが、あの当時の私は教え方が下手だったのだと言い換えた方がいい。今の私はあの頃より断然指導がうまい。今日も、ひがながバスケの出来は昨日と変わらなかったが、要点を示すのに私の動きが多くなり、汗びっしょり(Dr宮本には内緒)になった。
’20年07月21日(火)  新種目追加2日目。初日の昨日と出来は変わらない。もちろんそれは想定済み。ただ、私がチェックを入れるのは平成20年以降の鶴鳴には無理な内容だ。では今の中学生の方が当時の鶴鳴よりレベルが高いのかというとそうではなく、今の中学生からは理解しようとする意志が明確に伝わってくるという意味だ。
’20年07月20日(月)  今日から8月4日まで午前中授業で午後は部活だ。午後の部活は1時半開始の前半組と4時開始の後半組に分けられる。しかも男女で1面だから使えるのは半面だ。だから女子バスケはこの割当は使わず、外部施設を借りて練習する。そして今日から新種目を加えた。これは今後の実戦に活かせる有効な練習だぞ。 
’20年07月19日(日)  昨日から天皇杯皇后杯の県予選が行われている。昨日は練習と重なって観に行けなかったが、今日はオフなので役員証を交付して貰って観に行った。観に行ったのは試合ではなく運営である。様々な規制をしなければならないし、チームからも書類を提出させなければならない。次の週末は市中総体。運営大変だ。 
’20年07月18日(土)  市中総体の実施が決まったので、あちこちで練習試合が行われるようになった(バスケットに限らず)。私の場合(鶴鳴時代からそうだったが)こちらから練習試合を申し込むことはほとんどない。練習試合をすると主力選手は出番が多くなるが、下級生は出番がなく応援するだけで終わることが多くなるからだ。
’20年07月17日(金)  部活指導を終えて家に帰る途中、私のバイクの前を宅配便のトラックが走っていた。矢上団地の横断歩道手前でそのトラックはキチッと一時停止した。私は嬉しくなった。私が知る限りブレーキは踏むもののキチッと止まらない(それは一時停止ではなく徐行である)クルマが圧倒的に多いのだ。あなたは? 
’20年07月16日(木)  今日は、男女ともコミュニティ体育館が取れたので女子だけでなく男子の1年生(14名)もピストン輸送で運んでやった。今年の1年生男子は行儀がいい。たぶん、いいチームになるだろう。 
’20年07月15日(水)  授業は通常通りだったが、体育館へはパラッパラッとしか選手が姿を現さない。放課後、専門委員会が開かれ、各委員会の終わりがまちまちなのでこうなるのだ。私はもともとガンガン鍛えるというタイプではないが、中学の部活指導はなかなかみっちりやるというわけにはいかないのがもどかしい。 
’20年07月14日(火)  コミュニティ体育館での練習。帰りは選手を迎えに来てくれたパパママたちが多かったことと、そのパパママたちが相乗りで近所の選手を連れ去ってくれたので、私のバスに乗ったのは3人だけになった。だから私が家に帰り着いたのはいつもより50分も早かった。浮いた50分を何に使おうかドギマギした。
’20年07月13日(月) 今日から24日まで10分間の部活延長。中総体まで充実した練習をしなさいというワケだ。でも、ギアを上げることはない。一瞬一瞬を大切にするだけだ。が、一致団結とはなかなかいかない。コロナ禍でも同じだが、人が集まれば必ず負のクラスターを形成する者が出てくる。その覚悟がなければコーチは務まらない。
’20年07月12日(日)  1週間ぶりの練習。案の定、練習途中で具合が悪くなった選手が出た。外に出して風に当たらせたら元気になったので復帰させた。プレイをしっかりできるかできないかだけでなく、状況の変化に対応できるかどうかも実力のうちだ。真のアスリートを目指すならばいろんなことに慣れなければならない。 
’20年07月11日(土)  テレビ画面の左側には縦に大きな文字で「大雨情報 長崎」と表示されてる。月・火はここに「大雨特別警戒警報」という文字が表示されていた。今朝の東長崎地区は雨も風もなく静かだったので部活をやるつもりだったが、テレビを見続けていると上部に流れているテロップに小さな文字で「避難勧告:長崎市・諫早市・西海市」という文字が表示されてる。私はそれを見て保護者にcirclesquareで「長崎市は避難勧告が解除されていないから部活はできない」と通知した。しかし、この通知が親に届いたのが選手が家を出てしまってからだったら手遅れだ。私はバイクで学校に向かった。7:54に学校に着いたがすでに8名の選手が来ていた。もちろん事情を説明して選手をすぐ帰した。東長崎地区は安全だったのだが、長浦方面の雨の状況と土砂崩れや川の氾濫のことを考慮して市は長崎市の避難勧告を解かなかったのだと思う。こんな場合、市の勧告を無視して「な~に、東長崎地区は大丈夫だよ」と勝手な判断で行動してはならない。  
’20年07月10日(金)  テレビの画面にはテロップで、大雨情報、大雨警報、大雨に厳重警戒、大雨特別警報、避難勧告等々が表示されている。明日のひがながバスケはA練(08:00~10:30)。朝早い体育館割当で連絡をやりとりする暇がないので「朝7時の時点で避難勧告が出されていなければ実施」という通知を回した。 
’20年07月09日(木) 予想はしていたが、昼過ぎに学校から「大雨警報発令により部活中止」の連絡が入った。すぐ、コミュニティ体育館にはキャンセルを入れた。これで今週は水曜日に1回しか練習できなかったことになる。しかし、球磨川や筑後川流域の被災状況をテレビで見ていると、部活が思いきり出来ないぐらいで不平は言えない。
’20年07月08日(水)  今週は6日(月)学校・7日(火)日吉・8日(水)学校・9日(木)オフ・10日(金)オフである。それが6日と7日は大雨で中止になった。ということはこのままだと今日だけしか練習できないことになる。そこで明日コミュニティにキャンセル空きが出たので急遽申込に走った。胃全摘手術・コロナ・大雨、今年はいろいろ大変だ。 
’20年07月07日(火)  生徒は自宅待機、午後からもそれは解けず結局休校。当然部活動は禁止。1日中家の中でゴロゴロしてテレビのニュースを見ていたが他県の状況はひどい。長崎市は線状降水帯の端っこが通過したので他地区に比べたら被害は少なかっが、毎年繰り返される異常気象は地球が人間に怒っているんだと思うなあ。 
’20年07月06日(月)  学童クラブのこどもたちを送りとどけて「さあこれから部活動だ」とバイクに乗り換えたとたんF先生からラインで「部活中止です。大雨警報が出ました」と連絡があった。家に帰ってテレビを見ていたら、はじめは球磨川の氾濫の様子を報じていたが後半は長崎の様子が何回も映し出された。昭和57年を思い出した。 
’20年07月05日(日)  B練を終えて家に帰ってしばらくしたらミニバスのKコーチから携帯に電話がかかってきた。ミニバス男子が4チーム集まって練習試合をしている最中だが膝を傷めた選手が出た。どうしたらいいだろうという相談の電話だった。私は山里小までバイクを飛ばした。診たらサラの最下端をひどく痛がっている。大学病院のN医師に状況を説明し、明日出張先のT医院で診て貰うよう依頼してその場を収めた。たぶん今夜痛いぞお。 
’20年07月04日(土)  朝から綿棒の先にクロマイPを付けて鼻の穴の掃除をしていたら綿棒がツルッと奥まで入ってしまった。鼻先を上に向け鏡で穴の奥を見ると綿棒のしっぽがチラッと見える。指先でつまみ出せる場所ではない。そこでピンセットを差し込み引っ張り出そうとしたがツルツルしてなかなかつまめない。何回もつまんでいるうちに周囲を傷つけ鼻血がダラダラ出始めた。鼻血で綿棒のしっぽも見えなくなったが勘でつかまえ、遂にズルーッと引っ張り出した。仕事やバスケ指導は緻密さを求めるくせに私はこんなドジを時々やる。ばかあ! 
’20年07月03日(金)  ディフェンスの手の使い方が極端に下手だったK子が「ヨ~シ、そうだ!」と、私に思わず大声を出させる手の使い方ができた。が、それと同時に練習終了のブザーが鳴った。私は、終了時刻が来ても「惜しかったからもう1本」という練習はしない。いいかあK子、ひと晩寝たらすっかり忘ましたなんてのは許さんぞお。 
’20年07月02日(木)  5/16のブログに新入生のホノカのことについて書いた。内容は、ホノカの悪いクセが治っていることについてだった。その後ずっとホノカを観察してきたが、ホノカは賢いのだということがわかった。私のことば、先輩のプレイ、自分の失敗、それらすべてを自分に取り込もうとしている。こんな選手が居ると指導が楽しくなる。
’20年07月01日(水)  地球規模ではコロナ騒動で、山崎個人としては胃全摘手術で、双方崖っぷちを歩きながらもう2020年の半分が過ぎ、7月になってしまった。何をどう嘆いても恨んでも仕方が無い。今を精一杯生きることだ。 
’20年06月30日(火)  全ての選手に平等に教えても、不安定層は減らない。それは働きアリの法則で知ってはいるし、それを承知で過去何回もこれらを切り崩してきた。が、今年はどうにもならない。その理由も分かっている。コロナ騒動でおなじみになったクラスターだ。不安定層に属する選手たちが少人数ではあるがクラスターを形成し、そこで小さな社会を営み安住の場とするのだ。緊急事態宣言解除後の東京コロナの現状と同じ。 
’20年06月29日(月)  テスト最終日の26日、練習のできばえが物足りなかったと書いたが、今日のみんなの動きはロケットのようだった。昨日のオフ効果なのかなあ。追伸:私の膝のX線撮影結果は「骨が古くなりすぎ」だった。ハハッ。 
’20年06月28日(日)  とどろき体育館で行われる諫早市中総体を観に行くつもりだったが、3年生の保護者が1家族に2名だけ観戦できてそれ以外は例え県協会役員であってもシャットアウトだと聞いて行くのをやめた。運営大変だ。 
’20年06月27日(土)  力の差はあっても、12人は自分の居場所を持っている。残る12人の中で新入生の4人と長期療養を要するケガ人の2人を除いた6人は居場所があいまいである。居場所は選手が試合に有用な存在であるかどうかで決まるものではない。選手とコーチが部活動に何を求めるかで決まる。それが一致しないのが悲しい。
’20年06月26日(金)  9日ぶりの練習。テスト休み前に「休み明けが楽しみだ」と期待していただけに少し気落ちした。「さあ、テストが終わったし、あとは中総体までまっしぐらだ」という空気が伝わって来なかったのだ。もちろん合格者は何人もいる。ただ、この子の目の色は違っていて欲しかったなあが期待外れだった。
’20年06月25日(木)  膝の痛みで朝4時に目が覚め、階下の居間に降りてロキソニンを服用し、そのままカーペットに朝まで寝た。近所に整形外科医院はたくさんあるがそこには行かない。私の身体を知り尽くしているDr宮本Jrの出張診察当番日が29日(月)なのでそれまで待つ。オイ(サラに向かって)それまで踏ん張れよ。 
’20年06月24日(水)  10日ぐらい前から右膝のサラが痛い。しかも痛みがなかなか引かない。症状はジャンパー膝のようで熱感もある。バスケ指導では術後激しい動きはしないので使い過ぎ症候群ではないはずだ。思い当たる事と言えば指導中に急に動き出し、コート中央のネットに引っかかって転倒したが、その時打撲したのか? 
’20年06月23日(火)  県教委主催の部活動指導者研修会を受けに行った。午前中は橋口講師のスポーツ医学トレーニング、午後は外山講師のスポーツ栄養学。受講者の顔ぶれを見ていつも思うことだが、本当に学ばせなければならない指導者は来ていない。来ているのは常に勉強している熱心なコーチだ。 
’20年06月22日(月)  今の私のアタマの中は、テスト休み明けのバスケのことで占領されている。中でもL子とK子がその大半を占めている。この2人が一皮剥ければチームがまったく違ってくるのだ。しかも、テスト休みに入る直前、K子に「この子大化けか?」という兆候が見えたので、テスト休み明けが待ち遠しい。
’20年06月21日(日)  ひかり557(新神戸13:19発)で帰ってきたが、新神戸駅の改札口には山戸氏(元夙川学院監督→現ボールラインチーム監督)が待ち伏せしていた。私のHPを見て会いに来たらしい。HPでは復活したことを知っているが直接顔を見て私の元気さを確かめたかったのだろう。友というのはありがたいものだ。
’20年06月20日(土)  昨日県境移動が解禁された。どうしても神戸に出かけなければならない用件が発生したので、選手のテスト休み期間の土日を利用して今日神戸を訪れた。車中のトイレの取手や便座は不特定多数の人が直に触れるので、除菌スプレーを持参しての旅になった。人混みには行かなかったが常に周囲に気を配った。 
’20年06月19日(金)  退院後、元気に活動はしているものの「俺はいつまで元気でいられるのか?」というのは常に気がかりではある。次回のCT検査が8/25なので、7月下旬の市中総体は大丈夫だし、3年生の最後の試合までしっかり面倒を見てやることができるが、それ以後はDrにも分からない。ま、やれるとこまで突っ走るしかないが。
’20年06月18日(木)  「CT検査の結果は、すこ~し腹水が溜まってるけど転移はありません。腹水の原因は術前より消化吸収が悪いからなのか、CEAの値が少しずつ上がっている事との関連なのかはっきりしませんがCEAの数値が2桁ならばともかくそうではないので、引き続き経過観察で行きましょう」と、Dr金高談。次回CT 検査は8/25 
’20年06月17日(水)  テスト休み(明日から8日間)前の最後の練習だった。これまで他人より反応が遅かったK子が、それを脱出するかも知れないという気配を見せてテスト休みに入れたのはチームにとって明るい材料だと思う。これは今後のK子個人の活躍だけでなく、他人に刺激を与えてチームの総合力を上げるという意味で大きい。
’20年06月16日(火)  10時から大学病院で胸部腹部CT検査だった。今日は撮影だけ。その画像診断をもとに、明後日Dr金高から説明を受ける。残っているガン細胞はいないのか、残っていたやつらが少しずつ動き出したのか、それは明後日分かるだろう。いずれにしろ私はまな板の鯉だ。じたばたしてもなるようにしかならない。 
’20年06月15日(月)  今日のバスケ指導中、尻の筋肉とふとももの筋肉が張っているのに気付いた。退院直後はやせ細っているだけでなく、力を入れてもプヨプヨしていたのに今日はパンと張っているし、力を入れると固くなる。家の体重計は正確じゃないので計らないが今度病院に行った時に計ってみよう。きっと1㎏ぐらい増えているはずだ。
’20年06月14日(日)  5/31(日)に、長崎西高に高校男女数チームが集まって練習試合をするという情報を得て出かけたが、今日は純心に出かけた、諫早中でも中学男子が練習試合をするという情報を得たがこちらは時間が重なって行けなかった。張り切るのはいいけどみんなケガするなよお。 
’20年06月13日(土)  北海道の指導者から、今夏研修に行ってもいいかという問合せがあった。私の術後経過とコロナの状況を調べながらできれば今夏にチャンスを求めたのだろう。私にまだ利用価値があるのならいつでもどうぞ。
’20年06月12日(金)  シュートに関する新技を導入して2回目になる。特殊な技術ではない。鶴鳴時代を通じてこの技だけを取り出して教えた記憶はない。また、必須でもない。ただ、これができれば便利だなあという程度のものだ。 
’20年06月11日(木)  毎月11日は翌月のコミュニティ体育館使用申込の当落通知日だが、7月は20日以降も午前中授業なので学校の体育館割当が窮屈になり、コミュニティ落選日を日吉に問い合わせたりして大変だった。通常なら日吉は市内小学生の宿泊研修でビッシリ詰まっているのだが今年はコロナ禍でそれが延期になり助かった。
’20年06月10日(水)  コロナ騒動をまだ引きずっている中、本州では気温35℃以上の地域が出てきたり、石垣島がまるごと1個水没するのではないかというような大雨が降ったりする日本(地球?)だが、ひがなが体育館の中も遂に30℃越えの日が来た。コロナだけでなく熱中症という敵がまた増えた。
’20年06月09日(火)  昨日の血液検査の結果がわかった。腫瘍マーカーCA19-9(基準値35以下)は問題ない。CEA(基準値5以下)は、3/28=1.9 4/7=2.5 5/13=3.7 6/7=5.3と、わずかではあるが徐々に上がっている。この数値の変動が何を意味するのか、次回の血液検査(7月中旬)で明らかになるだろう。
’20年06月08日(月)  ジーンズ仕立てのジャケットと半ズボンという服装なので、下に着るのは紺色のTシャツがいいと思って衣装ケースからヒョイと取ってスポッと着て出かけた。指導の途中でプリントに気付いた。昨年保護者からプレゼントされたシャツだった。チーム名が入ったウェアーを着るのは恥ずかしいが、これを機に時々着よう。
’20年06月07日(日)  ひがながバスケはオフ。家から1歩も出ず、ずっと本を読んでいたが、目は文字を追っているのに内容が頭に入らずもう1度読み返すという繰り返しだった。本を読みながら頭の中ではプレイの質ということばが走り回っているのだ。彼女たちはまじめにやる。が、より強くやる、より厳しくやるではない。階段1段の差だが…
’20年06月06日(土)  練習の途中でみんなを集め、ホワイトボードに赤のマーカーで「質」と書いた。新たに身に付けさせなければならない技術はない。今やっていることの質を高めるだけでチーム力はUPする。しかしそれは、それは私の叱咤激励によるものではなく、選手の意識が高まらなければ実現は難しい。そう言いたかったのだ。 
’20年06月05日(金)  今日は体育館割当なしのオフ。ちなみに明後日の日曜日のD割当もオフである。これは文科省通達の週休2日制(その内土日のどちらかはオフ)を忠実に実行したいからではない。スポーツの訓練は週に5回が最も効果的だということを勉強したからだ。したがって、テスト休みが続いたあとの土日は練習することがある。そういうことは規則だから従うのではなく、年間通してバランスよく実施することが最も望ましいのだ。 
’20年06月04日(木)  本来ならば、新入生が加わって間もなく保護者会を開いて新役員を決めたりするのだが、今年はコロナ騒動が治まらないため保護者会の開催はとりやめ、役員決めや諸連絡等のすべてをCirclesquareを使って知らせることにしたと、今日通知した。旧役員と新役員の事務引継や会計監査は7月の中総体以後に行う。 
’20年06月03日(水)  福岡先生とLINEで繋がるようになり、学校行事の変更や体育館割当の連絡が逐一入るようになった。それをもとに今日コミュニティ体育館と日吉自然の家の7月分の申込をした。コロナ騒動で止まったり動いたりしていた歯車がようやくスムーズに回りだした。higa&yamaschedule20参照。 
’20年06月02日(火)  手術後執刀医から「痩せるよ~、10㎏ぐらい減るよ」と言われた。大学病院退院直前は62.7㎏だった。手術前が67.5㎏だったので約5㎏痩せたことになる。転院後の宮本外科を退院する時は61.9㎏まで痩せたが、そこを退院したあと馬場医院(循環器)で5/1に計った時は62.1㎏の横ばい。昨日は63.1㎏まで戻った。感触としてはふとももの張りが戻ってきたなという感じである。しかし、審判はまだダメだと釘を刺されている。 
’20年06月01日(月)  学校の連絡事項やバスケ関係の通知が私に届かないことがしばしばあるので困っていたら、今春本校に転勤してきた審判の福岡先生が私のスマホをチョチョッとさわってLineを設定してくれた。おかげでさっそく市中総体関係の連絡が入ってきたが、こっちから用事がある時の操作が分からない。これから勉強だ。
’20年05月31日(日)  長崎西高で男女数チームが集まって練習試合をするという情報が入ったので観に行った。練習試合解禁後初の練習試合なのでテンションが高くなりすぎ、ケガ人が出ないか心配だったからだ。男子は午前中で上がり、女子はB戦も含めて午後4時に終わったが、男女ともケガ人は出なかった。ホッ...... 
’20年05月30日(土)  昼過ぎから夕方7時過ぎまでずっとインターネットが繋がらず、HP更新ができなかった。ようやく開通したのでこうして更新しているが、Googleは繋がるがYahooは8時過ぎてもだめだ。私のPCやスマホだけでなく、他人に聞いても症状は同じなので全国的なインターネット不調なのだと思う。俺の力では治せない。 
’20年05月29日(金)  5月11日から始めたばかりの素人新入生は、パスやドリブルやシュートの基本技はちょっとやっただけでもう主力選手と同じメニューをやっている。人数が少ないからこそできることだが、そうやりながら上級生が周囲からどんどん声かけをしてやれば、双方にとって良い結果が生まれるのだ。
’20年05月28日(木)  3日前に外科の選手のことを述べたが今日は内科の選手のことを述べる。A子の様子を見ていて「ん?この子また貧血?」と思った。息苦しそうだったり辛そうではないのだが(もっとも私は選手をしごく練習はしない)表情やしぐさから直感的にそう思ったのだ。母親に連絡して血液検査を命じた。結果はHb6.4だった。鉄剤投与で1ヶ月は練習除外だ。だが、中総体には間に合う。手遅れにならないうちに見つけられてよかった。 
’20年05月27日(水)  来月神戸に行かなければならない用があるので、長崎駅まで切符を買いに行った。が、みどりの窓口がなくなってる。矢印の案内に従ってぐるーっと回っていくと、新県庁の近くにそれはあった。鶴鳴を辞めてからJRは諫早駅しか利用しなかったので長崎駅周辺がこんなに変わっているのを知らなかった。県庁や県警の移動、MICEの建設、新幹線の乗り入れなど、今後ここら辺の景色は大きく変わるんだなあ。
’20年05月26日(火)  ひがながバスケは日吉自然の家での練習。選手をバスに乗せて走る私の気持ちは重かった。「ケガをさせてはならない」という思いと判断の基準が少しずつズレてきていたのだと思う。現役時代を含めて60年もバスケットに携わっていてもなおまだ判断にズレが生じる。いったい何年経てば「わかった」になるのだろう。 
’20年05月25日(月) 私の入院とコロナ騒動で部活動が振り回されている中で、もっとも気をつけていたのが「焦ってケガをさせてはならない」だったのに、ACL断裂のケガ人を出してしまった。しかも、長崎市中総体が7月下旬に実施されることになり、中学生最後の大会に出られるようになった3年生に…。痛恨の極み! 
’20年05月24日(日) オフの日の朝はだるくて起き辛い。ホッとして疲れが出るのだろう。最も部員数が多い時は43人居て、今はその半分強の24人しか居ないが今の方がエネルギーを消耗する。胃の手術で入院したから体力が落ちたのではない。まだ、上級生の新入生に対する気配りと、新入生が上級生を見習おうとする態度が身についていないから、その分野に私がかなり介入しなければならないからだ。それに長期の休校が拍車をかけた。 
’20年05月23日(土)  長崎市中総体は7/25~27に実施。終業式は8/4とし、それまでの授業は給食なしの午前中授業。メディアでそのように公表された。7月下旬から8月上旬までの体育館割当等当初予定を変更しなければならない。現場は行事の変更に次ぐ変更でバタバタだ。冗談抜きで、手伝ってもいいのならほんとに手伝うけど。 
’20年05月22日(金)  特別定額給付金(10万円)の申請書が入った封筒が郵送されてきた。「え!俺は年金生活者で働いてはいないのに…」と思った。貰うのに気が引けたが私の分だけではなく家内の分も入っているので「俺は要らん」というわけにはいかず、手続きをした。貰っていいのかなあ。 
’20年05月21日(木)  昨日から今日にかけて「夏の甲子園中止」という報道が流れ、球児の涙顔が画面に頻繁にUPされている。かわいそうだし気の毒でもある。が、山崎語録選手の部41に「涙を流すことによって失敗や過ちは解決できない」というのがある。涙は不運を嘆くために使わず、自らの力で解決できるまでとっておけなのだ。 
’20年05月20日(水)  一昨日新入生のチームウエアー姿を写真に撮り、neapage4を更新したが更新後マイだけマスクして映っているのに気付いたので今日撮影し直した。それにしても、撮る方も撮られる方も周りも気付かなかった? 
’20年05月19日(火)  H子は先月右手小指を突き指したが、剥離骨折を伴っていたのでチーム練習に参加させていない。それにしても復帰が遅いのは同じ箇所のケガが3回目だからだ。骨折を繰り返すと骨折部の骨癒合がうまくいかず、偽関節を形成することがある。たかが突き指と侮ってはいけない。備考:H子のケガは偽関節ではない。 
’20年05月18日(月)  県中総体(7/26~28)中止という通知が本日各学校宛てに届いた。市中総体(当初6/13~15)は今のところ7月上旬に延期ということになっているが、それも実施か再延期か中止になるかはわからない。選手たちには気の毒だが運命を受け入れてもらうしかない。 
’20年05月17日(日)  11日から部活動が再開され、この1週間は主力選手の指導、新入生への声かけ、新入生の面倒を見ている上級生の教え方のチェックで気が抜けなかった。激しく動きはしないが3階層全てに目を配るのは疲れる。今日はオフなのでホッとしたのか、身体に疲労感が残り朝起き辛かった。当然外には1歩も出ない。
’20年05月16日(土)  新入生のマイとホノカはミニバス経験者である。ホノカには独特のクセがあったので、それが消えなければ中学では使えないとアドバイスしたことがある。ところが今日、そのクセが治っていることに気付いた。聞けば、ミニバスの残りの期間、私に指摘されたことを気にかけて練習したという。アッパレ!
’20年05月15日(金)  3ヶ月前の胃全摘手術だけでなく、右膝2回左膝3回の手術、両肩上腕2頭筋腱長頭断裂、仙腸関節癒合、大腸憩室炎疑い、下半身大火傷、特発性腎出血などなど、長期短期の入院生活を経験したけど78年も生き延びてしまった。だが、まだ若くて未熟なコーチ時代の罪滅ぼしは終わっていない。 
’20年05月14日(木)  年度が改まったことで最も重要なことは、新入社員・中堅社員・ベテラン社員の3者間で教育的に良好な言動がどれだけ生まれるかということである。例えば、新入生に「ナイス」の声かけひとつ出来ない3年生はチームに有用ではないし、先輩のプレイを見ながら真似してみようと思わない新入生は将来期待できない。 
’20年05月13日(水)  寝る時間は毎日23時頃だが、目が覚めるのは5時半頃だった。それが、昨日も今日も7時半頃まで寝ていて、朝飯を食ったあとゴロゴロしていたらまた眠ってしまう。月曜から練習を再開したが、椅子に座りはしないもののそんなに激しく動きはしない。でも、目覚めが悪いというのは体力を消耗してるってことなのかなあ。 
’20年05月12日(火)  新入生の中に坪田桜花という選手が居る。ミニバス経験なしの素人だ。「俺はなあ、おうかという発音にはいまだに神経をピリッと刺激され、闘争心が湧いてくるんだ。俺を怒らせないように気をつけろよ」と言ったらキョトンとしていた。素人の1年生にこんな冗談を言っても通じるわけないよな。 
’20年05月11日(月)  22日ぶりの部活再開。退院直後の練習に顔を出した時(3/26)は「休校の期間にちゃんと身体を動かしていたようだな」と感じたが、今日は休校期間中の自己管理の甘さが見られる選手が多かったので不愉快だった。マスク着用は練習に邪魔なので、世間の様子が落ち着いてきたら外そうと思う。
’20年05月10日(日)  新入生は入部届けを受け付け、JBA登録も済ませたが、顔を合わせるのは明日が初めてだ。チームの連絡網で2年生に明日チームウェアーを持ってきてくれるよう頼んだ。1年生からチームウェアーの注文を取らなければならないから、その見本を提示するためだ。いつまた休校になるかわからないので事務作業は急ぐ。
’20年05月09日(土) 明後日から授業も部活も再開される。学校ではその形態について気をもんでいるようだ。私は、練習はマスクを着用させ、コート外で出番待ちの選手は密着せず、1㍍以上間隔を空けて並ばせるつもりだ。その効果云々はこの際どうでもよい。要は選手にも世間にもまだ警戒を解けないと意識させることが大事なのだ。 
’20年05月08日(金)  休校決定後4月の外部施設使用はすべてキャンセルした。5月は11日から部活OKになったので外部施設にすぐ問合せしたが、数チーム集まっての練習試合等ではなくチーム単独の練習使用という条件で使用可とのことだった。コロナがこのまま終息に向かうと3年生は中総体に出られる。フサンとアビガン急げ! 
’20年05月07日(木)  生徒は11日(月)から授業再開だが職員は今日から業務開始。変更された行事予定表を貰ったが、それとて決定とは言えない。また、行事変更はひがながの都合だけでなく中体連等外部団体の意向も踏まえなければならない。管理職の職員は大変だが、その中でも教務主任は大変だあ。俺でよければ手伝うけど。 
’20年05月06日(振)  第1次の外出自粛要請最終日が今日だった。テレビでは相変わらず営業継続のパチンコ店がやり玉に挙げられている。前にもギャンブル依存症の人にも問題があると述べたが、奥様方の中にも毎日買い物に行かないと落ち着かない買い物依存症の人がたくさんいる。コロナを契機にみんな自分を見直せばいい。
’20年05月05日(子)  ずっと家に居るのでテレビを見ている時間が長い。最近はほとんどのチャンネルがコロナ関係の内容だが、私の興味はコロナの状況よりもMCやゲストや解説者の話ぶりに注がれる。バスケ指導や講演では話し方が重要だからだ。私はひるおびの八代氏の解説が分かりやすくてが好きだ。 
’20年05月04日(緑)  今日も散歩に出た。距離は2㎞。時速4㎞で歩くので30分かかる。ただ歩くだけというのは退屈なので走り出したくなるが、さすがにそれは控えた。
’20年05月03日(憲) 朝飯を食べながらテレビの番組がいつもと違うので新聞のテレビ欄を見た。そこで今日は日曜日だということに気付いた。休校中だから曜日感覚がなくなっているのだ。そういえば、4月末からまったく外に出ないし家の中で本を読んでいるだけなので、入院中より身体を動かしていない。なので夕方散歩に出た。
’20年05月02日(土)  クルマも人もほとんど映らないテレビの画面を見ていると、緊急事態宣言が解除されたあとの反動が怖い。それまでの我慢を一気に爆発させて密を作り出す人が出てくると思うからだ。みんな冷静になろうね。
’20年05月01日(金)  バスは平成17年の6月7日に購入した(今年2月につばさ保育園に寄贈したが)ので、毎年の車検有効期間は5月7日から6月6日までである。長崎市の小中高の休校は5月10日まで(一応)と発表されたので、それまでバスは使用しないから今日車検工場に入れた。そうすれば、学校再開でも代車を借りなくて済む。
’20年04月30日(木)  朝のニュースで安倍首相が緊急事態宣言を全国一律で1ヶ月延ばすと言った(9月始業も選択肢に入れながら)。長崎では県知事が緊急事態宣言を5月10日まで延ばすと言い、長崎市長もそれを受けて足並みを揃えた。ならば中総体や高総体はどうなる?と気になるが、我々は3密8割減をひたすら守るだけだ。 
’20年04月29日(祭)  今日、政治家や評論家の方々がにわかに9月入学・始業説を唱え始めた。それには日本の経済年度とどう折り合いをつけるかをもちろん分かっておられると思うが、学生のスポーツ活動に的を絞ればそれだけでは解決せず、各カテゴリー連盟と競技団体の主導権争いも解決しなければならないということはご存知か? 
’20年04月28日(火)  当初は5月6日までの休校要請だったが、このところ9月始業というはなしが持ち上がっている。コロナの現状からしてそれもやむを得まい。今年の中3や高3の生徒は自分の運命を受け入れて前に進むしかない。 
’20年04月27日(月)  アマゾンに注文した本が今日届いた。戦争3部作といわれている作品である。以前、似たような本(実録満鉄調査部と流れる星は生きている)を読んだ。私の父(私が5歳の時に死んだ)は満鉄に勤めていたが、戦争で負けたので私たちは日本に引き揚げた。その時の記憶が断片的に残っていたのでこの2冊は私には生々しかった。今回は家にある本を読み尽くしたので3部作を注文したがさてどんな感想を持つのかしら。 
’20年04月26日(日)  今日夕方のオンライン高体連理事会でインターハイの中止が決まった。史上初だ。現高校3年生にはかわいそうだが仕方がない。そんなニュースの一方で、営業中止要請が出ているパチンコ店で営業をやめないところがいくつかあると伝えられていたが、営業をやめないパチンコ店よりもギャンブル依存症から抜けられない人の方に問題がある。こんな人はコロナ感染が起こらなくてもやがて自分の家庭を崩壊させる人たちだ。 
’20年04月25日(土)  宮本輝氏の本はほぼ読み尽くしたので、興味はありながらまだ読んでいなかった他の本を10冊アマゾンに注文した。これでコロナ禍が長引いても凌げるだろう。 
’20年04月24日(金)  昨日の血液検査の結果がわかった。腫瘍マーカーのCEAとCA19-9は値そのものも変化の様子も正常だった。栄養状態を示す総蛋白、ナトリウム、カリウムの値も「大丈夫だよ」を示していた。Hbの値は手術直後7.7まで下がったが、今回11.6まで回復していた。しかし、今の敵はガン再発ではなくコロナだ。
’20年04月23日(木)  明日宮本外科退院後の1ヶ月検診に行き、ついでに大村まで足を伸ばして運転免許の更新に行くつもりだったが、明日から7月末まで大村の運転免許試験場は業務を停止するとテレビで報じられたので1日繰り上げてどちらも今日済ませた。家に帰るとテレビが岡江久美子さんの訃報を伝えていた。他人事じゃないぞ。 
’20年04月22日(水)  新入生の人数が確定したのでHPのnewpage4をリニューアルした。毎年写真撮影をしてチームウェアーを着た選手をUPするのだが、当分写真撮影ができないのでイラストで間に合わせた。しかし、実物画像よりこの方が可愛いなあ。部活再開となってもこのままにしとくか…。 
’20年04月21日(火)  バスケの名簿作成や登録作業の追加情報を顧問の先生と選手たちから得るため、昼休みの時間に学校に行った。玄関前スペースには先生と生徒が行き交ってごった返していた。2ヶ月以上そんな人混みに入ったことがない私は、できるだけ呼吸する回数を減らして用件を済ませたら急いでその場をあとにした。フゥ… 
’20年04月20日(月)  夕方7時から部活動の顧問会だった。新入生が6人(ミニバス経験者2人で4人は素人)入部し、総勢26人の所帯になった。丁度よい人数だ。明日さっそくチーム登録と個人登録をするが、新入生は5月6日まで何もできない。 
’20年04月19日(日)  昨日の通達が出される直前に顧問から5月の学校行事予定表を貰った。当然それには休校のことは記載されていない。だから、学校に「じゃあ5月の体育大会はどうなるの?」と聞いても誰も答えられはしない。今大切なことは、誰もが「どうなるの?」ではなく何が起こってもいい準備をして日々暮らすことだ。
’20年04月18日(土)  予想通り部活は今日から禁止。市内全小中高校は4/22から5/06まで休校となった。5/06まではまた家に閉じこもって本読み生活だ。本なら何でもよいのではない。昔は幕末明治の歴史小説や太平洋戦争の裏話や実録を読んだが、今は宮本輝氏の小説しか読まない。すでに3回読んだのもある。 
’20年04月17日(金)  長崎市中総体(6/13~15)が1~3週延期されることになった。そうなれば中間テストの日程も変更になるだろう。ひょっとしたら全国小中学校の休校要請が再び出されるかもしれない。すると授業時数不足で夏休みや冬休みに授業を実施しなければならなくなるかもしれない。そんなことが杞憂に終わるか否かは、5月の連休期間の人々の動きにかかっている。不要不急の外出がどれくらい抑えられるか…、さあどうなる? 
’20年04月16日(木)  コロナ患者が遂に長崎市で出た。福岡県在住で仕事のため長崎に来ていた人だ。感染に共通するのは人の移動だ。動かなければ生活も経済も止まってしまうから、真の不要不急移動だけの制限になるが、それは個人の自覚に頼るしかない。安政のコレラでは24万人が死んだが日本全滅ではなかった。がんばろう。 
’20年04月15日(水)  金曜日に点検に出したバイクが出来上がってきた。後輪タイヤ交換、前後輪ローターとディスクパッド交換、キャブレター部品交換、ブレーキレバー両方交換、エンジンオイル交換で9万2千円。高い!。走行距離2万8千㎞なので上記全てが交換時期ではあるのだが、安いバイクではないので1個1個の部品も高いのだ。 
’20年04月14日(火)  17日に実力テストがあるので今日から3日間テスト休みだ。今日の私の行動は、8時・12時・18時に食事を摂る以外は部屋に閉じこもってずっと本を読んでいた。入院生活より動かない。今の敵はコロナだから。 
’20年04月13日(月)  練習の途中、体育館の外ではみぞれが降り始めた。そんな中突き指剥離骨折で見学中のH子が震えていた。「短パンでは寒いだろ、ジャージを穿け」と言ったがH子は持ってきていなかった。天気予報で今日の長崎地方は大荒れと分かっていた。知りませんでした、というのならそれも実力のうちだ。 
’20年04月12日(日)  MACのクーポン券が手に入ったので、家内の買い物のついでにポテトを買ってきて貰った。それが今日の晩飯だ。いっぺんに食えなかったので2回に分けて食べた。家内の「レジにはズラーッとお客さんが並んでいた」というはなしを聞いて少し気持ちがブルーになった。みんなコロナに対する危機感はないのかなあ。 
’20年04月11日(土)  D割当(15:30~18:00) の日は原則オフとしているが、今日のD割当は実施した。理由は14日(火)の外部施設確保ができず、やむを得ずオフにしなければならなくなったのでその代替えである。飯盛体育館や多良見体育館が諫早市以外の中学生への貸し出しをしなくなったのでますます練習会場確保が難しくなった。
’20年04月10日(金)  ひがながバスケはオフ(体育館割当なし)。加えて学童クラブの送迎もないので終日家で本を読んでいた。2日のブログでも述べたがコロナ対策のため。自分が感染したくないからというより、仲介者になりたくないからだ。入院中は消灯が9時だったので退屈だったが、自宅ではそれがないのでまったく退屈ではない。 
’20年04月09日(木)  入院中Kさんからpaul smith(英国)のパジャマをプレゼントされた。一見運動用のトレーナーに見えるので誰も気付かないだろうと思って朝起きたあと着替えず、それにジャンパーをはおって練習指導に出かけた。しかし、すぐY子に見抜かれ「先生パジャマのままでしょ」と言われた。やっぱり手抜きはダメだなあ。 
’20年04月08日(水)  運転免許更新のための高齢者講習日。講義・実技・視力・視野・動体視力・明暗対応の検査で2時間。落ちるとか再検査の心配はもちろんない。動体視力の検査結果が抜群に良くて検査管から「卓球か何かしてるんですか?」と聞かれたが、あとのやりとりがめんどくさくて「バスケットです」とは言わなかった。 
’20年04月07日(火)  今日は大学病院を退院してから初めての外来診察日。まず採血し、そのあと金高教授の診察だった。採血の結果の数値には何の問題もない。だが、教授が術後ずっと気にしていたのは私の癌のほんの1部が胃の外膜に達していたことである。現在の数値には現れていないが、外膜から癌細胞が、たとえ1匹であっても他へ飛び散った痕跡がないか、今後4ヶ月毎に外来でCT検査をしながら追跡調査をすることになった。
’20年04月06日(月)  長崎県内のコロナ感染者は遂に2桁になったが、壱岐を除く小中学校は始業式を迎えた。部活も春休みに引き続き禁止とはなっていない。新学期最初の今日の練習は日吉自然の家だった。バスの窓は少し開けて風を入れ、車内で体温測定をし、日吉玄関では手を消毒して練習に臨んだ。1人ひとりが、甘く考えず、面倒くさがらずに取り組むことが大切だ。
’20年04月05日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30) 。終わって帰ろうとしたら、練習見学に来ていたKパパから「先生ちょっと待ってください。家内が今マックポテトを買いに行ってますから」と引き留められた。3日前のブログを見て差し入れを思いついたのだ。さっそく持って帰って食べた。2ヶ月ぶりかなあ。
’20年04月04日(土)  朝飯の最中にまた食道痙攣が起こった。でも、前兆をつかんだので途中で食べるのをやめ、1時間休憩したら治まったので残りを食べた。ダンピング症候群は胃全摘後の注意事項のマニュアルに載っているので事前勉強できたが、食道痙攣のマニュアルは見たことがない。まだしばらくはいろいろありそうだ。
’20年04月03日(金)  昨日はオフだったので昼飯は家で食べた。その後12:30から15:30まで苦しんだ。ダンピング症候群ではなく食道痙攣を起こしたのだ。これは健康な人でもよく経験する症状で、急いで食べた時食べ物が胸に詰まり、水をごっくんと飲めば治るというあれだ。食道の蠕動運動のリズムが乱れ、食べ物を先に送れない症状である。私の場合、水を飲んでも治らずそれが3時間も続いた。時間を気にせず普通の早さで食べたからだ。
’20年04月02日(木)  退院後はバスケ指導が終わったらすぐ家に帰り、外には出ないようにしている。術後の体調管理のためではない。コロナの感染リスクを避けるためだ。本当は、退院したらすぐMACに行こうと思っていたのだがまだ行ってない。今日はオフ(D割当)なので終日家で本を読む。 
’20年04月01日(水)  今年は運転免許を更新する年である(誕生日は5月15日)。私は今年78歳になるので、認知症テスト・高齢者講習を受けてそれに合格しなければ免許は更新できない。その、認知症テストが今日だった。100点取るつもりだったが「今日は何曜日ですか?」という設問の答えを間違い、100点取れなかった。バカぁ!