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上野彦馬

  • 1838(天保9)年、長崎生まれ
  • 当時国内外多数容認の肖像や風景風俗を写真として後世に残すととも、に多くの弟子を養成
  • わが国写真業界の基礎を築く
  • 密学(科学)を研究して、感光用(硫酸)、現像用(アンモニア)、定着用(青酸カリ)の薬品製造に苦心のうえ成功
  • それらの写真技術の解説書を作るなどして広く普及させる
  • 国産写真機第一号を作り撮影に成功
  • 写真について迷信は流布していた時期に営業写真場を開設
  • 苦労してそれを営業としても成功に導き、日本に職業としての写真業の基礎を確立
  • 長崎のみならず全国で活躍した多く優秀な門弟を育成した
  • 幕末から明治にかけての多くの志士や内外の要人さらには風俗・風景を撮影して貴重な写真を後世に残す
  • 殺害された英国水平の死体を撮影して、わが国法医学写真撮影の第一号となる
  • 金星太陽面通過観測写真を撮影してわが国天文学用写真撮影第一号にもなる
  • 西南戦争の戦跡を撮影してわが国における報道写真家の第一号となる
  • 2003(平成15)年5月22日は写真の祖上野彦馬の百回忌
年表
1838(天保 9)年8月27日上野俊之丞の四男として長崎で誕生
1853(嘉永 6)年4月広瀬淡窓(1782〜1856)の日田・咸宣園に入門
1856(安政 3)年日田から長崎に帰り、阿蘭陀大通詞名村八右衛門に学ぶ
1858(安政 5)年医学伝習所においてオランダ軍医ポンペに舎密学を学ぶ…そのとき蘭書の中で写真術を知る
1859(安政 6)年津藩の堀江鍬次郎(1831〜1866)などとともにフランス人ロッシュについて写真術を学ぶ
1861(文久元)年津藩主籐堂高献の許しを得てオランダ商社駐在A・J・ボードウインから150両で写真機を購入
1862(文久 2)年長崎に帰り中島川の畔(現伊勢町)に撮影局を開設
1864(元治元)年重富利平を始めとする入門者が相次ぐ
坂本竜馬を始めとして志士や内外の歴史に残る有名人の貴重な写真を撮影
1874(明治 7)年大浦大平山で、アメリカ人ダビッドソン博士の金星太陽面通過観測に際し観測写真を撮影
1879(明治12)年第1回内国勧業博覧会で出品写真が1等賞を受賞
1881(明治14)年初の乾板使用。第二回内国勧業博覧会で出品写真入賞
1887(明治19)年全盛時代で撮影収入年1万5千円

参考資料
  • 長崎伝習所 出島事始め塾,上野彦馬の人物像「その業績とその後の長崎」,出島事始め塾(2003)
  • 長崎さるく