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佐多稲子

  • 本名は佐多イネ
  • 11歳の時父の放蕩の末、夜逃げ同然に長崎を去る
  • 上京後、キャラメル工場の女工やカフェに勤めた後同人誌「驢馬」に参加
  • プロレタリア文学の女流作家としてデビュー
  • 作品は自身の体験に取材した作品の他にも、戦後の女性を巡るさまざまな問題を描くものも多い
  • 中には映画やテレビドラマになったものもある
  • 石碑は長崎市内の読者、研究者、教員たちのボランティアにより建立
  • 500万を超える金額が集まり、その寄付金により建立された
  • 本人は「私のためではなく、原爆の、人間にもたらした悲劇を指摘する碑」として石碑の建立を受け入れた
年表
1904(明治37)年長崎に誕生
1915(明治48)年上京。父は定職をもたず貧窮にさらされたためキャラメル工場の女工として働く
1928(昭和 3)年窪川稲子の名で『プロレタリア芸術』に発表。以降小説家の道をたどる事になる
1932(昭和 7)年当時非合法だった日本共産党に入党
1949(昭和24)年長崎川柳社(のち県川柳協会)を創設、翌年柳誌「長崎」創刊
1954(昭和29)年長崎県川柳協会創立
1962(昭和37)年「女の宿」で第2回女流文学賞を受賞
1972(昭和47)年「群像」に2年間連載された「樹影」単行本化、第12回野間文芸賞受賞
1976(昭和51)年「時に佇(た)つ」で第3回川端康成文学賞受賞
1983(昭和58)年「夏の栞」で第25回毎日芸術賞受賞
1985(昭和60)年佐多稲子文学碑「樹影」の除幕式が行なわれる
1996(平成 8)年死去

参考資料