2003年度版 2003年11月〜2004年3月 |
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19〜21まで鹿児島遠征。Diatouは2日目に足首を痛めビッコをいひきながらの試合。でも無視。その日私は 会場からホテルまで走って帰る。翌日夕方発熱。関節痛。筋肉痛。咳。頭痛。たぶん風邪でしょうけど久しぶ りにひくとひどい風邪です。21日は死ぬ思いで運転なしがら帰りました。 翌22日は時前に実施しておいたDiatouの貧血検査の結果を聞く。血清鉄8。ヘモグロビン9.3。スポーツ選手の値ではありません。その他のことも含めて自己チェックをちゃんとやって自分を管理していかなければ将来の幸せはつかめないと、説教しました。一応泣いていました。が、明日からちゃんとやるとは限りません。 学園内人事異動のお知らせ すでに新聞等で報じられているようですが、2004年4月1日付けで私の所属が変わります。 鶴鳴学園長崎女子短期大学幼児教育学科 教授 所在地 850-0823 長崎市弥生町19−1 /Fax 095-826-5344 Fax095-826-4772 学 長 田 中 正 明 鶴鳴学園長崎女子高等学校保健体育科 講師 所在地 850-0834 長崎市上小島1-11-8 /Fax 095-826-4321 Fax095-823-4831 校 長 原 田 延 介 自 宅 851-0115 長崎市かき道3-17-10 電 話 095-839-3631 携帯090-1876-5918 E-mail s-yama1118kakumei191@nagasaki-joshi.ac.jp H.P http://www.nagasaki-joshi.ac.jp/~s-yama1118kakumei191/ i-mode s-yama1118kakumei191@docomo.ne.jp これまでの私の身分は高校所属の教員でしたが16年度からは短大所属の教員となり、高校ではバスケッ トボール部の監督及び講師として保健体育科の授業のお手伝いをすることになります。 所属長宛ての公式 文書送付は、通常は短大へ、バスケットボール部の監督としての所属長宛ての公式文書は高校へ、それ以 外の文書はどちらでも可、となります。 これまで通り、高校のバスケットボール部の指導者としては何も変わることなくがんばって行きます。よろしくお願いいたします。 ファイルいろいろの5000mのDiatouのタイム見てくださいよ。アタマにきて血管切れそうですよもう。 再び走り始めて今日で7日目。気温が高く、ホントに今日は死にました。右膝も痛くなってきたし、左膝は相変 わらず水は引かないし、状態は良くありませんがもうしばらく頑張ってみます。徳島の岩瀬先生(整形)と夜電 話で話しました。「そのうち人工関節にしなきゃならなくなりますよ」と言われました。 いつも通り朝7:25マイクロバスで寮に迎えに行く。Diatouは起きてこない。岩永姉が起こしに行く。Diatouが 寝ぼけ顔で起きてくる。バスに乗る。学校に着いた。みんな朝練を始める。Diatouはウロウロ。靴を捜したりウ ェアーを捜したりしている。みんなより15分くらい遅れてDiatouがボールを持った。そこで「集合」と声をかけ、 みんなを体育教官室(暖房で暖かい)に呼ぶ。以下、Diatouに言ったセリフ。 今日、俺はお前に練習させるつもりはない。俺はお前がどんな態度を取るか試しただけだ。このあとお前は職 員室に行って先生方に挨拶し、朝のホームルームで友達にあいさつしたら寮に帰って休め。 昨夜俺は何も言わなかった。だからお前は「明日は普通どおりなんだ」と思わなければならない。それなのに お前は遅刻した。しかも、「すみません」といわずに「おはようございます」と言ってバスに乗り込んだ。そこに お前の人間性が現れている。お前は帰省前の約1ケ月、帰省のことばかり考えていて練習にも試合にも集中 できずに九州大会をボロボロにした。それを俺も選手達も「はじめての帰省なんだから仕方がないさ」とがま んしている。休暇は終わった。お前にとっての2年目が始まる。考えることはだただひとつ、「もっと成長するた めに…!」それだけだ。 このあとDiatouは職員室に行き、担任の先生に挨拶したが泣いてばかりで話しができなかったそうです。そし て、教室に行ってもみんなの前であいさつができずに泣いていたそうです。 金床腰痛、森重補習、コートには岩永姉妹、高岡、杉野、小野原の5人しかいません。新入生早く来〜〜い。 今日からグラウンドは5000bタイムトライアル。私はとぼとぼ競歩並み。Diatouが夜8:00に福岡空港に到 着しました。迎えに行き、寮に帰り着いたのは夜10:30。 6日、時速10q、足を伸ばしきると膝がいたいのでちょこちょこ走り(ピッチ走法)しかできない。7日、同じ。 今日はグラウンド走。最初から時速10。8q。でも3000bを過ぎてから少し痛くなったので10。5qに落とし ました。やっぱり痛いです。走った後は腫れます。でも腰の辺りのぶよぶよが許せないのでがんばります。 昨年11月以降ランニングしていませんでしたが、今日4ケ月ぶりにランニングマシーンで5q走りました。最 初は時速8qにセットしておそるおそる走りだし、400bをすぎて時速9qに上げ、最後の1qは時速10qで 走りました。走り始めた理由は体重が8sオーバー(ベストは64sで今は72s)になったからです。走らな かった理由は左膝に水が溜まり、痛かったからです。じっとがまんしていましたがなかなか治らないので1月 から2月にかけて5回、水を抜いてアルツ(ヒアルロン酸)を注入しました。2月下旬、痛みはあるものの腫れ がなくなったので走ろうと思ったのです。走ったあと少し腫れました。「明日は腫れが引いていますように…」と神様に祈りならが寝ます。この夏には時速12q〜13qで走れるまでに戻したいと思います。 なんとビックリ。Diatouからe-mailがきました。内容は、「元気ですか?アメリカは楽しかったですか。私は家 族に会えてとても嬉しいです」と簡単なもの。でもこのメールで「ちゃんと長崎に戻ってくるつもりなんだ」と思 いました 卒業式。 亡命失敗!受け入れ先がなく、やむなく24日に帰国しました。 参加者:山崎純男・初田亜沙美・北平祐子・立川美礼・林田明佳・二宮可南子・成井可奈 訪問先:ミネソタ州 ミネアポリス・セントポール ウィスコンシン州 リバーフォールス 旅 程:2月17日(火)成田発 14:55 NW050便 2月18日(水)UWRF 対 UW STAUT女子の試合見学 (写真1:左から4番目が中池智里選手です) 2月19日(木)ミネソタ 対 サクラメント プロの試合見学 (写真2:試合終了後特別にコート中央でダンシングチームと記念撮影) 2月20日(金)リバーフォールス高校訪問交歓会:昼 2月21日(土)ミネソタ大学女子練習見学 ミネソタ大学対パデュー大学男子試合見学 リバーフォールス大学対プラットビル大学男子試合見学 2月22日(日)ミネソタ大学対ノースウェスタン大学女子試合見学:昼 リバーフォールス大学日本人留学生との交換会:夜 2月23日(月)ミネアポリス発 13:05 NW019便 2月24日(火)成田着 16:30 感 想:バスケットボールの研修が主体でしたが、3日目のリバーフォールス高校訪問が衝撃的でした。公立 の学校ですが施設は私立並みでしかも機能的で、授業が生き生きしていました。本校生徒は選択科目 で日本語を採っている15人の生徒と一緒に授業を受け、互いにそれぞれの文化の違いや習慣の違い について質問しあったりして有意義な時間を過ごしました。学校のカフェテリアでランチタイムまで共に 過ごして帰ってきましたがまだ時間が欲しかったです。 22日夜の大学生との交換会は遅くまで話題が尽きませんでした。本校生徒が一方的に留学の動機 やアメリカ生活で困った事など矢継ぎ早に質問し、アッという間に時間が過ぎてしまいました。チーム 遠征では得られない貴重な体験が得られました。バスケットボール研修で参考になったのはミネソタ 大学女子の練習見学でした。ビッグテン所属のチームはどれもすごいです。翌日、ノースウェスタン大 学との試合を観戦しましたが、ウィリアムズアリーナは超満員。通常男子の試合は観客が多いのです がビッグテンの試合といえども女子の試合はパラパラとしかいません。そのことだけでもミネソタ大学 の女子の評価が高いことを伺えます。 Diatou、Rama、Mamadouの帰国の世話はたいへんでした。成田で手続きをしようとしたら「マルペンサ空港乗り継ぎの通過ビザがありませんね」というのです。それはイタリア大使館に電話で問い合わせて「空港から出ないなら必要ありません」と回答を貰っていたんです。そのやりとりですったもんだ。次ぎに荷物。各航空会社で重量と個数制限が多少異なります。JTBに問い合わせたらアリタリアはひとり23sが上限だと言われました。それではほんの少ししか運べないのでアリタリア航空に直接電話で問い合わせました。電話に出た女性から「預ける荷物は23sが上限ですが機内持ち込みと合わせて45sまでなら大丈夫です」という回答を貰いました。ところが3人が持ってきた荷物は預けるものだけですでに46〜7s。しかも、預ける荷物の本当に正しい重量は20sまで。それを越えると1sにつき10190円の超過料金を取られます。単純計算だと3人分で約70万円の超過料金になります。困り果てている私を見て41万円にまけてくれたのでカードで支払って送り出しました。参考までに、エアーフランスも荷物についてはほぼ同じで、アメリカ便のノースウェストは1個の荷物が32s未満で2個まで預けられるそうです。 本日夜は博多泊まり。明日(17日)朝早く福岡空港から成田に向かい、同日昼過ぎの便でDiatouたちをセネガルに帰します。私も少し遅れた便でアメリカへ逃亡します。一応24日に帰る便を取ってはいますがそのまま亡命するかもしれません。 Diatouはやっぱりだめでした。試合の事などまるで上の空。気持ちはもうセネガルに飛んでいました。 九州大会参加チームのトップを切って沖縄勢来崎。豊見城南と10分4セットスクリメージをしました。3週間前はまったく初めての帰省のことばかりがアタマにあってまったく練習に集中できなかたDiatouがお色直しで登場。理事長や学長から餞別もらったからかな? ジャパンエナジーがシャンソン戦の事前練習で長崎女子高校体育館に来ました。 左から 浜口・成井・山崎・大野・花田です。成井は左膝の大腿骨頭の軟骨に傷ができて いるのと、同じ膝にガングリオンができて安静中なので試合には出場しません。 明日の試合の花束贈呈は清水→浜口、二宮→大野、成井→成井、初田→花田です。 NTSC/PAL両方対応のDVDをインターネットインターネットで見つけ、注文しました。最近のPAL対応はSECAMにも対応するそうなので、購入してDiatouにプレゼントしてそれがセネガルでOKだとわかったら、他のセネガル留学生は来年購入するということで行こうと思います。 DiatouやRamaが故郷におみやげに買ったDVDプレイヤーは240V→100Vの変圧器を利用してもセネガルでは使えない(佐世保の金子哲雄様に教えてもらいました)とわかり、返品しました。なぜかというと、Region Codeが日本やアメリカはNTSC方式、セネガルはSECAM方式だからどうしても合わないのです。 ミャーがこのところずっと具合悪そうでしたが原因が分かりませんでした。昨日、その原因がわかりました。肛門の周囲にしこりがあるのです。私はガンか腫瘍だと思い、病院に連れて行きました。便秘でした。浣腸では出せないくらい大きく固まってしまっていて、全身麻酔下で掻き出しました。治療費10290円でした。 谷川雅が久留米工業大学に合格しました。 雪。道路凍結。臨時休校。 結局船便は危ないので、電化製品はパッケージをばらして本体だけにし、バッグの中に詰め込んで携行荷物として持って行くことにしました。いやいやほんとに大変です。 02日からずっと招待合宿で、今日は久々のオフ。このところずっと、2月17日から帰省するDiatouの準備でいろいろ大変です。航空券の手配はもちろん、再入国ビザの申請やら何やらありますが、何より大変なのがショッピング。Mr.MAXへ連れて行ったらラマと二人で電化製品(DVD)などをしこたま買い込むんです。母国の人たちへのおみやげなんだそうです。彼女たちは勝手にそんなものを買い込んだのですが私はそれがセネガルで使えるかどうかが心配。今度は電圧の関係、映像電波の仕組みの関係などを調べてやらなければなりません。そして、それらは量が多くて飛行機の携行荷物としては持って行けません。したがって別輸送となります。何が一番安いかしらべなければなりません。船便が一番安い方法だとわかりました。すると今度は船便の正確な輸送料、期間、1個の重量やサイズの上限規定などなどいろんなことを調べてやらなければなりません。昨年末からそんなことばかりに振り回されています。今週内には発送します。 午後2時、例年通りお年玉ゲームで開始。ジャンプショット競争では立川・清水・二宮・峰(土井首中)・森(桜木中)組が優勝し、それぞれ3000円の賞金をGet!。フリースロー競争では成井が優勝し、3000円Get!。2on2トーナメントでは立川・金床組が優勝し、それぞれ3000円Getしました。 みんな帰省しました。寮に残っているのはDiatouだけ。12:17分の高速バスりんどう号でラマ(熊本慶誠高校)が到着。30・31・01の3日間は長崎で過ごさせます。31日と1日は太田さん(鶴鳴が3冠王を取ったときのキャプテン)宅にホームステイです。 選抜大会の表彰式で、ベスト5に桜花3人、成徳1人、そして谷川が選ばれました。おめでとう! シードされての初戦は何が起こるかわかりません。成徳も昭和もあわや初戦敗退かという試合でした。クレインズは無難に初戦を切り抜けました。 開会式セレモニーのスリーポイントコンテストで谷川が3位に入賞!24秒間で10本成功。1位は福島西の菊池選手12本。2位が福井商業の浅田選手11本でした。大野慎子が平成3年に3位入賞して以来2回目の入賞です。明日の初戦に弾みがつきました。 午前中、底冷えのする中Diatouは震えながら試合をしていましたが、とにもかくにも全員無事に動きが低下することもなく大会を迎えることができました。 大阪〜関ケ原まではなんとか通過。しかし、一宮〜名古屋が吹雪で高速道路通行止め。下りて一般道を行ったのですが延々と渋滞。名古屋インターから再び高速道路にのることができましたが、予定時間を3時間オーバー。そのため当日の練習試合はキャンセル。15時到着予定が18:30になりましたがともかく到着。 13:30鶴鳴を定刻出発。途中大雪。新門司発17:30泉大津行きのフェリーに乗りました。 立川美礼が福岡教育大学に合格しました。 12日(金)〜14日(土)の3日間。宮崎に遠征しました。収穫がたくさんありました。公式試合の案内や報告はホームページに掲載しますが、遠征や合宿の結果は身内及び県の競技力向上関係の立場の方々に添付ファイル付きE-mailで送るだけです。クレインズ関係の方々で私にE-mail Addressを知らせてない方はお知らせください。 岩永みゆきの手術は朝8:30から行われました。外側半月板の前方部が約2pほど裂けていました。後遺症の心配なし。 朝6:30〜7:00 KTNテレビ長崎で、鹿児島県バスケットボール協会鮫島氏のヒューマンドキュメンタリー「日本一へ挑戦 レッドシャークス奮戦記」が放映されました。勇気をもらいました。維新は薩摩から…。がんばって欲しいです。 前:鶴鳴高校校長 現:長崎県バスケットボール協会会長 前田英昭先生の文部科学大臣表彰記念祝賀会がセントヒル長崎で行われました。前田先生の鶴鳴時代の経歴は、このホームページ「クレインズの紹介」に詳しく記されています。 ESPN.sports-iで大野慎子のドキュメンタリー番組が放送されました。約10回に渡って放送されたらしいのですが、気付いた時は最終回でした。見損なった人はarchivesで再放送があるかも知れません。下記URLを時々チェックしてみてください。 http://www.movin-you.com/sports-i/index.htm 岩永みゆきが11月17〜19に佐世保で行われた県下新人戦の初日に膝を傷めました。本人談「ディフェンスでストップした時に右膝に痛みを感じたが、大したことはなかったのでそのまま続けた」だそうです。あとの二日間はすべてスタメンで出場し、いつもと変わらない動きで優勝に貢献しました。その後動きが低下することもなく、普段と変わらない練習をしていましたが、30日のスポーツ医科学測定の時に初めて「膝が少し腫れている」という本人の申告を受けました。すぐMRI検査をしましたが、その結果外側半月板に少し傷がついていることが判明しました。9日に鏡視下手術をします。19日出発の選抜大会には同行します。 二宮可南子が東京学芸大学に合格しました。 林田明佳が拓殖大学に合格しました。 |