2019年度版 2019年4月~2020年3月
’20年03月31日(火)  退院した日「あ、これは12/25以前のバスケットだ」と書いた。それはチーム全体についての感想だが、その後選手1人ひとりを観察しているとH子がとてもうまくなっていることに気付いた。そこで昨日からH子をレギュラー組に入れて使ってみている。若さというのは恐ろしい。何がきっかけで化けるかわからない。
備考:2019年度版は今日でおしまい。2020年度版はnewpage27をご覧ください。
’20年03月30日(月)  今日は苦しく辛かった。昼飯を食べたあとC練(13:00~15:30)の指導に出かけたが、練習の間中腹がキリキリ痛み、生唾が出そうだったのだ。治まったのは練習終了直前。食べたのは小さなおにぎり1個と卵焼き2切れとテルミールだけ。それも時間をかけてよく噛んで食べたのだが…。慣れた頃が用心ということなのか。 
’20年03月29日(日)  今日はD割当(15:30~18:00) 。特殊な事情がない限りD割当日はオフとしている。なので今日は退院後の3日間の練習を振り返って見る。まず、26日の練習の最後のミニゲームで私は「あ、これは12/25以前のやり方だ」と思った。そこで翌27日は12/25に取り入れたメニューを復習させた。彼女たちはすぐ思いだし、28日のミニゲームではそれを使うことができた。私の入院期間中に置き去られていたものは3日で取り返した。
’20年03月28日(土)  今日の練習はA練(08:00~10:30)。朝飯を食べてる時間がないからおにぎりを持って家を出て練習中に食べた。胃切除後の生活は食事が大変だ。食道と小腸を直接繋いでいて、食べ物を溜めておく胃がないから大量に或いは急いで食べ物を飲み込むと小腸が暴走し、ダンピング症候群を起こす。だから1回の食事を少量にして1日5回ぐらいに分けて食べなければならない。なので1日中何か食ってる感じだ。 
’20年03月27日(金)  昨日はサプライズが2つあった。ひとつ目、私が体育館の階段を途中まで上った時、体育館にいるはずの選手たちのアタマがちらほら手すりのところに見えた。「これは何か企んでいるな」と思い、ちょっとだけ躊躇して歩を進めると選手たちが両脇に並んで花道をつくり、声を揃えて「おかえりなさ~い」と私を迎えた。こっちも照れずにせっかくのサプライズに乗ってやらなければならない。ガッツポーズをしながら階段を駆け上がった。2つ目は、福岡敏徳先生(今春からひがながに転勤)が突然体育館に姿を現したことだ。 私の指導姿をスマホで撮り、この画像はHPにUPしてくださいねと言って帰った。2時間半の指導は、もう少しフラッとかヨロッとするのかなあと思っていたが、入院前と変わらず普通にできた。さあいよいよ再スタートだ。
’20年03月26日(木)  午前中に宮本外科を退院した。12月13日に同医院で胃カメラ検査をした時、モニターに映し出された映像を見ながら私は「俺の人生は終わった」と思った。ガンが大きかったし表面がただれていたので、これは胃だけでなく間違いなく他の臓器へ転移して、治療しても手遅れだと思ったからである。だから私はDr宮本に「治療はもういいよ、俺のような高齢者に国が高額の医療費を支払うのはもったいない」と言った。Dr宮本は「そうですかあ…でもCTまでは撮ってみましょう」と言った。その助言には私も従ったが、CT検査の結果を見てDr宮本は「先生、これを治療放棄するのはもったいない」と言った。CT検査では他臓器に転移していなかったらしい。私はDr宮本の紹介により、大学病院で治療を受けることにした。発症から退院までの経緯についてはこれまでに述べてきたので省略するが、私に関わった医療従事者の方々(医師はもちろん看護士や理学療法士等すべて)への感想を述べる。それは、Dr宮本から通達が回っていたとはいえ、この人たちすべてが「この患者は単に病気を治すとか寿命を延ばすというだけでなく、コートに戻してあげなければならない」という共通意識で私の治療に当たってくれたということである。感謝以外のことばが見つからない。 
’20年03月25日(水)  バスケ協会100周年記念誌作成(設立は昭和3年6月12日)の資料編纂会議を宮本外科の理事長(バスケ協会会長)宅で午後2時から開くというので、参考人というか歴史の証人という役割で出席してくれと依頼されたので顔を出した。ということは、俺はもう患者ではなく、元気になったと判定されているのだな。 
’20年03月24日(火)  散歩に出て50㍍ぐらい進んだところで「お、歩速が速い!」と思った。速く歩こうと意識したワケではなく、普通に散歩に出かけたのだが歩きが速くなっていた。たぶん、桜の花びらからプッシュされたのだと思う。
’20年03月23日(月)  宮本外科の病室の前には7本の桜が植えてある。長崎では開花宣言はまだ出されていないし、病室の前の桜も昨日まではまだつぼみだったが、朝食後窓を開けてみたら咲いている花を3個見つけた。開花宣言前に咲いたこの3個は、近々退院する私にエールを送るために咲いたのだと思う。 
’20年03月22日(日)  今日は終日パソコンで事務作業(スケジュール作成)をしていた。病室に籠もってパソコン作業ばかりしていては身体によくないと思ったので散歩に出たが20分ぐらいで部屋に戻った。歩くのが辛かったのではない。パソコン作業を早く終わらせたかったのだ。身体の回復にはまだ時間がかかるが、心はもうコートの上。 
’20年03月21日(土)  首を長くして待っていた学校行事予定表と土・日・祭日の体育館割当一覧を今日病院に届けて貰ったのでさっそく令和2年度のひがながバスケスケジュール作成に取りかかった。そして、私の退院時期について院長に相談した。萩生田大臣の発言により休校解除が早まるかもしれないし、そうなると部活動再開も早まるはずだ。私は部活動再開の最初の練習に顔を出したい。相談したら院長は快くOKを出してくれた。
’20年03月20日(祭)  昨日は自宅に用事があったので院長の許可を得て一時外出した。ついでに団地周辺をバイクで回ったしマイクロバスもちょこっと動かしてみた。なんなく取り回せた。が、採血の結果の数値が示すように、腫瘍マーカーはOKだがHbはじめ他の数値は栄養不足を示しているのでバリバリ動くにはまだまだ時間がかかる。 
’20年03月19日(木)  昨日朝の採血の結果を今日の昼前に知らされた。それによると腫瘍マーカーはCEAが1.9(基準値5以下)、CA19-9が13(基準値37以下)だった。手術前のCA19-9は205だったので、それから考えればとりあえず今のところ癌細胞はやっつけましたよと言えるのかな?大学病院を退院する時のHbは8.6で、今回の検査では10.2まで回復していたが、男性基準値の13.5以上にはほど遠い。前にも述べたがこの勝負は長くかかる。
’20年03月18日(水)  2日間おとなしくしていたし、ロキソニンの効果でもあるのだろう、踵の炎症も痛風も引っ込んだので午後は散歩に出た。病院の裏の団地をグルッと1周して戻った。所要時間は55分。登り坂は右踵を突っ張らないようにガニ股で歩いた。今日も明日もロキソニンは服まない。痛風も骨棘もこのままおとなしくしてろよ。 
’20年03月17日(火)  ロキソニンを処方して貰ったので今日は痛風も踵の炎症もほぼほぼ治まったが、用心のため長距離の散歩はやめて病院の周りをブラーッとしながら太陽を浴びることにした。が、午前中はサンサンと輝いていた太陽は私が外に出たとたん薄曇りの雲に隠れてしまった。だから午後は病室で本を読んで過ごした。 
’20年03月16日(月)  月曜日はシーツ交換の日。廊下に出てストーブの周りの椅子に座っているとNさん(女性)も部屋から出てきて近くの椅子に座った。Nさんは89歳。83歳で左膝を人工関節、84歳で右膝を人工関節、そして88歳の時に右股関節を人工関節にして、現在術後リハビリの入院中だという。いや~、上には上があるもんだ。
’20年03月15日(日)  朝起きたら踵が痛い。骨棘の炎症の再発。たぶん散歩し過ぎだ。加えて、大学病院入院中に発症した痛風がまた出た。宮本外科入院の目的は①食事の取り方がわかる②体力の回復。そのうちの②はしばらく足踏みしなければならない。食事も取り過ぎたらダンピング。運動もやり過ぎたら使いすぎ症候群。焦るな!
’20年03月14日(土)  昼過ぎから腹がゴロゴロ言ってトイレに5回も行った。下痢だ。胃切除後下痢は珍しい現象ではないが今日のように立て続け5回もトイレに行くような下痢は初めてだ。だから今日は散歩も自転車漕ぎもやめた。下痢の話ついでに胃切除後のウンコについて述べる。胃切除後はずっと便の色は濃い緑色だ。しかも泥状で柔らかい。これは胆汁の色なのかクエン酸鉄が充分吸収されてないからの色なのかわからん。
’20年03月13日(金)  10日のブログで述べた栄養補給のための管を今日抜いて貰った。これがあると風呂に入る時にめんどくさいので宮本に入院以来風呂に入っていなかったがさっそく今日入った。管と腹壁と小腸を縫い付けてある糸をハサミでプチンと切って管を抜いた。管の長さは40㎝。せいぜい5~6㎝と思っていたので驚いた。
’20年03月12日(木)  昨夜は11時前に眠りに落ち、今朝6時に目が覚めるまで1度も起きなかった。快眠だ。起きたら背中から下腿にかけて軽い疲労感がある。昨日50分歩いたからだろう。こういうことをブログに書くと山崎は元気になったと思って、見舞いに行きたいという人がちらほら居るという情報が私の耳に入ってくる。再度言っておく。来客に対応できる余裕はないし、他の患者に迷惑をかけるので決して見舞いや訪問はしないで欲しい。 
’20年03月11日(水)  昨日のバイク漕ぎは20分。今日の散歩は中尾町のセブンまで買い物に行ったから50分かかった。息切れがしたり足が痛くなったりはしないが、まだコートで指導できる体力ではない。問題は食事だが、病院食といえども3食完食するのは難しいし、完食したとしてもカロリーが足りないので、今日からは院長が補助栄養ドリンク(テルミール)を用意してくれ、それを間食として摂ることになった。成分を見ると、胃全摘後の患者には欠かせない、クエン酸鉄・葉酸・ビタミンB12がちゃんと入っている優れものだ。 
’20年03月10日(火)  昨日は病院周辺を40分歩いたが今日は天候が悪いので室内でバイクを漕いだ。私の腹にはまだ管が入ったままだ。これは、口から食事を摂れないか摂っても吐くなどして栄養が摂れない時に、直接小腸に栄養を送り込む管だが、まだ一度も使ったことはない。使わない時は1日1回シリンジで水を注入して管が詰まらないようにしなければならない。邪魔だからここで抜いて貰おうと思う。
’20年03月09日(月)  大学病院では夜眠れなくて辛かったが、昨夜は23時前に寝付き、深夜2時過ぎに一旦目覚めたもののすぐまた眠り、目が覚めたのは7時だった。爽快!ここでの目的は①食事の取り方の訓練と②体力の回復だ。①は2日間とも失敗した。焦りは禁物。②は昨日病院の外回りを30分散歩した。体力は相当落ちてる。 
’20年03月08日(日)  大学病院の食事は1日1000Kcalだった。これは普通の成人男性の必要量の半分だ。だからここでは昨日の食事から1600Kcalに上げた。当然1食の量が多い。昨日の夕食はそれを完食した。すると軽いダンピング症状に襲われた。それを経験したので今日は粥を残した。退院して日常生活に戻れば1食の量は抑えて、足りない分は間食で補わなければ毎日がダンピング症状と戦わなければならないことになる。
’20年03月07日(土)  午前11時、宮本外科へ転院。治療の目的は、前に述べたが胆汁の流れをよくするためと貧血の改善のための投薬だ。それより重要なことは食事の調整ができるようになることと、リハビリで身体を動かせるようになること。それに合格すればいよいよシャバへ出られる。入院期間はまだ未定。見舞い訪問は禁止。 
’20年03月06日(金)  貧血には①再生不良性貧血②溶血性貧血③鉄欠乏性貧血④巨赤芽球性貧血などがある。最も多いのは、思春期の女子スポーツ選手などに多い③だが、私の場合は胃切除後の貧血なので④かも知れない。胃を切除すると、赤血球を作る重要な物質である葉酸とビタミンB12が吸収できなくなるので、赤血球が成熟しないまま血管に送り出されるのだ。もし私が④なら、今後の生活は葉酸とビタミンB12を定期的に注射や薬剤で取り込まなければならないかもしれない。そうなると長い勝負になる。 
’20年03月05日(木)  大学病院での最後の採血。CRP0.91(基準値0.3未満)。これは2日の値より少しだけ高め。痛風を反映した数値かな?Hbは8.6(基準値13.5以上)と横ばいのまま、白血球は3100(基準値3300~9000)まで下がっていた。貧血はまだまだ長期の治療が必要だが胆嚢炎は落ち着いたということで転院が決まった。転院は7日(土)の朝10時。転院先は諫早の宮本外科だ。そこでは、胆嚢炎と貧血の治療及び栄養指導が主になる。宮本外科の退院がいつ頃になるかは患者(山崎)の入院態度次第だ。 
’20年03月04日(水)  今日は体重測定の日。62.7㎏だった。手術前よりも約3㎏痩せた。食欲がないわけではないが、胃を切ったので腸に負担をかけないように1回の食事量を少なくし、時間をかけて食べるのでこうなる。退院後身体を動かす生活に戻すと、1回の食事量は増やせないので途中でおやつを食べなければ保たなくなるだろう。 
’20年03月03日(火)  昨日の昼頃から右足第2指の関節が痛み始めた。痛風だ。これは入院前久々に発症し、治まってはきたが沈静化せず、昨日またぶり返したものである。しかも今回は右足第2指だけでなく、左足第2指と右手母指まで付録でついてきた。昨日夜8時の検温では37.5℃。これは胆嚢炎の悪化ではなく痛風の熱だと思う。 
’20年03月02日(月)  朝の採血の結果、CRP0.74(基準値0.3未満)、Hb8.6(基準値13.5以上)、白血球4400(基準値3300~9000)。白血球以外は基準値よりまだ高いが当初に比べたらずいぶん改善された。Dr金高によれば、Hb10.0まで戻してから退院(転院)させるつもりらしい。それでも基準値には届かないが、それは転院先と自宅療養の中(投薬又は外来)で改善させるのだろう。
’20年03月01日(日) 食事は粥にしろおかずにしろ、スプーン一杯の量を口に入れ、それを時間をかけてよく噛んで飲み込む。次を口に入れるのは5分後である。それより早くは入れない。それを正確に把握するため今日から食事の時は腕時計をストップウォッチに設定した。そうすると時間を間違えずに済む。午後4時検温37.2℃ヤバい。 
’20年02月29日(土)  朝からずっとお腹がすいたという感じだ。昨日で点滴による補水と栄養補給が終わり、栄養は食事だけから摂るようになったからだと思う。食事は、急いで食べたり完食すると腸に負担をかけるために、30分ぐらいかけて5割程度しか食べない。これじゃ当然腹が減る。だから今日の昼食は50分かけて8割食べた。 
’20年02月28日(金)  朝の採血の結果CRPは1.08まで下がっていた。最高が11だったのだから、それからするとずいぶん改善されたと思う。それより、昨日夕方発せられた安倍首相の「全国の公立小中高は春休み一杯休校」要請は、今日の教育現場を大混乱させたことだろう。首相を批判する者、賛同する者、要請を拒絶する者など意見は分かれよう。しかし、現場で最も重要なのは批判でも拒絶でも追従でもなく"決断"だ。首相要請を受けて今後どうするのが最善かを明確に決断できることが部下(職員・生徒・選手等々)の上に立つ者の器である。
’20年02月27日(木)  19日の夕食から開始した絶食が今朝解禁。おそるおそる五分がゆを口に持っていった。食欲はあるが、出された量の半分弱食べて済ませた。食後もダンピング症状なし。明日の採血の結果、胆嚢に異常がなければこのまま保存療法。結果が悪ければ胆嚢切除という方向に向かうのだろう。さあ勝負どころだ。 
’20年02月26日(水)  朝から眼科の診察、そして腹部MRI検査と午前中ずっと引っ張り回された。眼科は先日採血の時に見つかったブドウ球菌が眼内炎を起こしていないかを調べるため、MRIは胆嚢の状態を調べるためだそうだ。米田医師によれば「明日実験的に絶食を解いてみて、胆嚢に異常がなければそのまま食事継続。胆嚢が悪化するようであればすぐ絶食に戻し、胆嚢を切除する方向で考えましょうかね」ということだが、私としては迷惑をかける胆嚢はさっさと切ってしまいたいと思う。しかし、医師側としてはそう簡単にはいかないのだろうな。 
’20年02月25日(火)  今朝の検温は37.4℃だった。また上がった。採血もしたがHbは7.3のまま。採血の結果によっては食事再開の予定だったが、胆嚢炎の状況があまり芳しくないので絶食継続。この分だと当初予定の26日退院(転院)はずっと先に延びそうだ。 
’20年02月24日(祭)  祭日にもかかわらず、朝7時半に金高教授、そのあと米田医師、江口教授、女医の砂河(イサガワ)先生が次から次に顔を出してくれた。今日は手術後初のシャワーだった。 
’20年02月23日(日)  絆創膏やガーゼやテープが次々と剥がされ傷がむき出しになった。もう痛くはない。あとは、胆嚢炎を鎮めることとHb7.3の貧血をどうするかが治療のカギとなる。口から食事を入れるのはまだまだ先だろう。 
’20年02月22日(土)  今日も採血。でも今日から3連休なのでいろんな検査はないだろう。とりあえずこの3連休は胆嚢炎を静まらせるための投薬治療なのかな? 
’20年02月21日(金)  今朝の採血は通常の2倍。調べることが多いのだろう。今日は心エコー検査もした。胃全摘では迷走神経も切ってしまうので胆嚢の動きが悪くなり、胆嚢炎を起こしやすくなる。これは胃全摘では定番の合併症だが発症が早い。胃全摘後は貧血にもなりやすいのだが、これも発症が早い。今日の私のHbの値は7.3だった。
’20年02月20日(木) 朝の検温では38.7℃。CT検査をし、感染症専門部門医師団も動員して調べた結果胆嚢炎と判明。今日の昼から当分の間また絶食。採血の結果ブドウ球菌が発見されたので点滴には抗生物質を投与してしばらく治療を続ける。CRP11。身体に入れてあった管はすべて抜けたが、ブドウ球菌のためにまた3本に増えた。
’20年02月19日(水)  終日熱あり。悪寒があり、夕食摂らず。 
’20年02月18日(火)  午前中発熱38.℃。肺炎やインフル感染の可能性がないか。CTと単純X線で調べたが、異常なし。 
’20年02月17日(月)  終日咳。コノヤロウ!いいかげんにしろ。 
’20年02月16日(日)  今日は咳き込みで終日苦しんだ。全身麻酔の時の挿管で傷ついた喉にまだ炎症が残って居るのだ。だから痰が絡まりやすい。痰がからむと咳が出る。すると術後4日目の私の腹筋に激痛が走る。お願いやめて! 
’20年02月15日(金)  今日から3食5分がゆ食になった。1回口に含むと次を含むのに5分かける。そうして約30分かけて食べる。追伸:昨夜まで腸の動きが悪く、ガスが手術後出なかったのだが今朝6時から9時までの間に8回でた。 
’20年02月14日(木)  痛い!しかし今日の午後からは動かなければがまんできる痛さになってきた。 
’20年02月13日(水)  とにかく痛い。が、今日から点滴だけでなく、口からも栄養剤を入れるそうだ。
’20年02月12日(火)  胃ガンの全摘手術は8時半開始、午後4時終了。時間がかかったのは、当初腹腔鏡手術のための穴(約5㎝)から取り出すつもりだったが、ガンが大きくなっていて大きく開腹しなければ取り出せなくなったからだ。 
’20年02月11日(祭)  今朝からDOCOMOのWi-Fi端末機器の調子がおかしく、メールの送受信ができなくなった。今日は人生最後の夕食になるかもしれない画像をスマホで撮ったがパソコンにメールで送れない。退院までにWiーFi端末が直らなかったら画像や添付ファイル付きのブログは更新できないかもしれない。ゴメン。・・・と、ここまで書いてもう一度チャレンジしたらWi-Fiが直った。これからも大丈夫だ。では、行ってきます。 
’20年02月10日(月)  私が服用している血液サラサラの薬は手術するために一旦服用を中止しなければならない。替わりにヘパリンという薬を入れ、手術(12日8時半)直前にその点滴を止める。今日から2日間はそのための入院だ。
’20年02月09日(日)  昼間はY中のBさんがアポなしで突然練習を観に来た。夜は30年来の友人の3氏が、私と最後の晩餐を囲むために遠路はるばる来てくれた。さあいよいよだ。 
’20年02月08日(土)  A練(08:00~10:30)を9:30に中止し、みんなを連れて県新人戦最終日を観に行った。最近、中学の試合も高校の試合も面白くない。パッシングもムービングもスペイシングもタイミングも何もない、「俺が(私が)やる!」という選手が5人ずつ集まって暴れているだけだからだ。特に男子ではそれがひどい。 
’20年02月07日(金)  今日はつばさ保育園と橘小との交流学習のお手伝い。入院前の最後のお手伝いだ。 
’20年02月06日(木)  私はガラ携時代からずっと、bluetoothイヤホンを使い続けている。電話をかけてきた人を待たせるのが嫌だからだ。いろいろ使ってみたがJABRAが1番いい。その、初代JABRAが今日壊れた。だから今日から2代目JABRAを使うことになるが、予備に持っている中国製のイヤホンはあまりよくない。
’20年02月05日(水)  先週、N高校のMさんが練習見学に来た。今日はC高校のUさんが練習見学に来た。みんな「山崎先生が生きてるうちに・・・」と焦っているのかもしれない。しかし、60年間で積み上げたものを1日や2日で伝えるのは難しい。何日通って貰っても伝え切ることはできないが、もし生還できたら続きはまた教えるよ。 
’20年02月04日(火)  今日は大学病院での説明日で、次のように詳細が決定した。①入院日は2月10日(月) ②手術日は2月12日(水) ③術式は胃全摘出 ④退院予定日は2月26日(水)※胃全摘後の食事指導のため他病院へ転院する場合あり ⑤見舞い等 一切断っていただくよう大学病院にお願いしてある ⑥バスケ指導 保護者会と相談の上2名の方々に山崎不在の間の指導をしていただくよう依頼済み。1)代理コーチ布志木純子氏(元実業団選手) 2)代理コーチ加藤一成氏(大学まで現役選手) ⑧見守り等 休日祭日練習の見守りや外部施設での練習時の車出し等は保護者会で割当表を作り、練習が滞りなく行われるよう手配済み。 
’20年02月03日(月)  私はどこへ行くにも必ず小説を一冊携えて出かける。待ち時間にボーッとしているのが嫌だからだ。今日は途中まで読んでた本(宮本輝著「にぎやかな天地」上巻)をなくした。立ち寄った所を探し回るのがめんどくさいのでアマゾンにすぐ注文した。入荷するまで他の本で時間を潰さなければならない。
’20年02月02日(日)  今日は島原復興アリーナで県新人戦のベスト4決めが行われた。私は観戦ではなく公認審判資格取得のための筆記試験を受けに行かなければならなかった。だから数人の観戦希望者を連れて行った。答案提出後通路を歩いていると採点を終えた審判長のM氏が「先生!」と言いながら追いかけてきて「合格です」と告げた。「ということは今後も審判を続けろということだな?」と言ったら彼は「そうです!」とキッパリ言った。「そうです!」に込められた気持ちは「元気になって戻ってきて下さい」だということは分かっている。ありがとう。 
’20年02月01日(土)  2年前までひがながに務めていた中島先生が県新人戦に対馬の東部中を率いて参加した。全校生徒数約30人の離島の学校である。今日、日本代表チームがFIBA2020東京オリンピック(日本は開催国枠で出場権を得ている)予選参加のためベルギーに向けて出発した。オリンピックの成績も重要だが、一方では統廃合寸前の小さな学校でこのように一生懸命バスケットを教えている指導者が居ることも忘れないでほしい。 
’20年01月31日(金)  昨年12月23日に宮本外科で胃カメラ検査をしてから昨日大学病院で大腸スコープ検査を済ませるまでの領収書を整理してみたら22000円強になった。私は後期高齢者で1割負担だから自己負担がそれだけで済むが、実際に国が私のために使ったお金は20万円強になる。もうしわけない。
’20年01月30日(木)  朝7時半から10時まで、モビプレップ200CCと水100CCを1回分として5回飲む。すると便がだんだん水様性になり、最後は混ざり物がまったくないので尿なのか便なのかわからないようになる。私の予約は昼の12時だったが、今日は患者が多くて私の検査が終了したのは午後3時52分だった。自分の検査のことよりも「医師や看護師さんたちはいつ昼食を摂るんだろう?」が気になった。検査結果は小さな(直径5㍉)ポリープが見つかったが放置して問題ない。あとは2月4日のカンファレンスで、入院日・手術日・術式・術後処置・退院日などを言い渡されるのだろう。 
’20年01月29日(水)  今夜寝る前にセンノシドを飲み、明日朝からモビプレップを飲んで強制的に下痢を起こさせ、胃腸をすっからかんにしてから大腸スコープ検査を受けなければならない。19年前に大腸憩室炎疑いで同じ検査を受けたことがあるが、何回やっても平気だよという検査ではないなあ。
’20年01月28日(火)  単学年での練習と多学年混成の練習はどこが違うかというと叱り方である。おとなの集団でも同じだが、年下の者の前で年長者を叱るときは大恥をかかせないように気を配る。これが指導の鉄則である。 
’20年01月27日(月)  今日から30日までひがながバスケは10人での練習だ。明日から3日間2年生が修学旅行に行くからなのだが、出発前日の今日2年生には学校から部活禁止令が出た。たぶん、出発直前にケガでもして修学旅行に行けなくなったら大変だという配慮からだろう。 
’20年01月26日(日)  こやす珠代原作の医療漫画「病室で念仏を唱えないでください」が、テレビドラマ化されて金曜の夜10時から放映されるようになった。主人公の松本照円は医師であり僧侶でもある。先週のドラマの中で、病院の廊下でタバコを吸っている肺ガンの末期患者に松本医師が一言二言話しかけたらその患者は「うるさい!生きるも死ぬも俺の勝手だろ!」と言った。違う、生死に自分の勝手などない。医療従事者は患者に対して如何に最善の最後を迎えさせるかを常に一生懸命考えているのだ。 
’20年01月25日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~1013)。そのあとはな~んにもなかったので女子サッカーの県高校新人戦決勝(鎮西対海星於:柿泊競技場PM2時)を観に行った。14対0で鎮西が大勝し、勝負としては面白くなかったが、さりとて佐世保までバスケ高校新人戦を観に行く気にもなれなかった。 
’20年01月24日(金)  ひがながバスケの質が、冬休み明けからずいぶん上がった。しかし、これまで耳にタコができるほど言ってきた「バスケットは手や足でやるんじゃない。目とアタマでやるんだ」に合格を出せるのは1人しかいない。 
’20年01月23日(木)  私が入院するまでにチームを指導できるのがあと9回か10回。だんだん突っ込みが鋭くなってきている。そんな中、入学以来カリナに追い越されていたマオが追い抜き返して現在その位置を確保し続けている。いいことだ。こうして仲間同士が刺激しあって競い合うようになるとチームは成長する。 
’20年01月22日(水)  09:00MSC(メディカルサポートセンター)で説明を受ける。11:00呼吸器内科で検査を受ける。13:15麻酔科で説明を受ける。14:00歯科外来で検査を受ける(虫歯等があれば全身麻酔の際感染がこわい)。15:15支払い等の事務手続き終了。6時間15分大学病院内に居た。麻酔や手術に支障がある症状なし。 
’20年01月21日(火) 今日は日吉での練習。日吉自然の家運営協議会委員は1期2年務めたので今年度で辞めたが、イベントの告知を依頼されたので紹介する。興味のある人は直接日吉自然の家に問合せください。 
’20年01月20日(月)  ①バリウム検査10:00②術前術後の栄養(食事)指導12:00③心エコー15:00だったので、ひがながバスケの指導には間に合わないと思っていたが検査がスムースにいったので間に合った。大学病院では軽症患者はあまり見かけないのだが、明らかに小学生と思われる子が点滴スタンドを自分で押しながら私の前を通り過ぎた時は心が傷んだ。人生の中でもっとも元気に飛び跳ねて遊び回る時期なのに・・・と。 
’20年01月19日(日)  先週はU13選考会を見に行き、昨日は1・2年生選抜チームの強化会を見に行った。昨日は初めて見る選手が居た。事情を聞くとこれまで地区(母体チーム)から推薦して貰えなかったらしい。DCに限らず少年国体チームでも同じケースが過去にもあった。真の理由は分からないが、それが頻繁に起こるようなら選ぶ方も選ばれた選手を指導する方も事の重大さを考えなければならない。 
’20年01月18日(土)  今日はB練だが、それをキャンセルしてNBC杯ミニバス大会の応援に連れて行った。6年生が出られる試合はこれが最後だ。マイ(主将)の膝のケガとコナツ(5年)のインフルで主力を2人欠き、力を発揮できないまま初戦で負けた。だからその足で午後から県南地区1・2年生選抜(カリンが選出されている)チームが瓊浦高校の胸を借りて行うスクリメージを観に行った。いい選手が目に付くと「県外に引き抜かれるなよ」と思う。 
’20年01月17日(金)  4月8日のブログで私は中等度の心不全と診断されたことを述べたが、胃ガンの摘出手術を実施するにはそれが進行していないかどうかを調べて大学病医院の麻酔科の医師に報告しなければならない。それで今日馬場医院の院長が心エコーを撮って説明してくれた。なかなか簡単にはいかないものだ。 
’20年01月16日(木)  生検をした翌日は黒いウンコが出る場合がある。胃の壁の1部をつまみ取るわけだから当然出血するし、出血がなかなか止まらない場合はそれが消化管を通る間に酸化されて黒くなるのだ。普通酸化。私は血液サラサラのクスリを飲んでるからウンコは黒いかなあと思っていたが、普通の色だった。ホッ。 
’20年01月15日(水)  手術前の検査の初回は特殊光拡大内視鏡と生検である。内視鏡は眠っている間に30分で済んだ。生検は3箇所から組織を取ったそうだ。生検の結果は後日分かるが、内視鏡検査結果からDrは「全摘がいいでしょうね」と言った。検査前に飲んだ粘膜をキレイにするクスリのせいなのか検査後胃がスッキリしている。 
’20年01月14日(火)  山崎語録コーチ心得14で「ライバルの悪口を言いふらすことで自分の評価が上がりはしない」と述べた。長崎新聞の水や空に同じ事が載っていた。相手を貶めるために戦国時代から用いられている手法だがコーチを標榜する人はみな、こんなことにうらみつらみを言わず無言でこんなヤツを屠るコーチになって欲しい。 
’20年01月13日(月)  午前中は飯盛体育館で実施されたDC(U13選考会)を観に行った。JBADCプログラムの伝達講習だ。それが済んでからひがながバスケの指導をしたが、今日は座らずにずっと立って指導した。でも、右靴の踵は潰して履かなければ足が入らなかった。おまけに痛風の真上を結子に踏まれた(>_<)。元気になったらかたき討ちしてやる。今日はまた途中でドライブからのショットの特別メニューを組み入れた。練習効率ヨシ! 
’20年01月12日(日)  家庭の日なのでひがながバスケはオフ。今日は1日中昨日と同じ姿勢で本を読んだりテレビを見たりしていた。足のむくみは痛風発症部位(画像赤丸部分)を除き元に戻った。だが右足に体重をかけるとまだ痛い。 
’20年01月11日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。今日も椅子に座ったまま。家に帰ってから寝るまでずっと、足を高く挙げて寝そべってテレビを見たり本を読んでた。おかげで足のむくみはずいぶん減ったが痛みは半端ない。 
’20年01月10日(金)  椅子に座ってコーチするなど私がもっとも嫌うスタイルだが、痛風でパンパンの右足には靴が履けないのでやむを得ず今日は椅子に座ってコーチした。ゴメン。 
’20年01月09日(木)  久しぶり(何年ぶり?)に右足人差し指の付け根に痛風が発症した。足首まで腫れた。神様は乗り越えられない試練は与えないというが、それにしても次から次と意地悪すぎるぞ。まだ俺を試すってか・・・。
’20年01月08日(水)  1月の私の行動は昨日述べた大学病院での検査日以外これまでと変わらないのだが、ひがながはテスト休みだし、ミニバス送迎は保護者が自力処理をしたので私がやることは何もなかった。明日からは検査日以外はこれまで通り動く。 
’20年01月07日(火)  胃ガンが見つかった。おかしいな?と思ったのは11/13の血液検査の結果を12/13にかかりつけの循環器内科の医師から伝えられた時である。軽い貧血だった。そこでそのことを消化器外科のDr宮本に相談した。Dr宮本も同意見で「胃カメラ飲みましょう」ということになった。それが12/23だった。私も胃カメラの検査を受けながら映像を見ていたが、素人の私にもはっきりわかるでっかいガンが横たわっていた。Dr宮本は直ちに大学病院の第2外科に紹介してくれた。今日が大学病院での第1回目の検査と諸説明だった。15日20日22日30日とあと4回さまざまな検査を受けて手術となるのだが、手術日が2月のいつになるのか、手術は胃の全摘なのか部分摘(3分の2)なのか、術後の抗がん剤治療は必要なのか不要なのか、入院期間はどれくらいになるのかなどということはまだ確定していない。事前に断っておくが、入院期間中の見舞いは一切ダメだ。 
’20年01月06日(月)  鶴鳴正月合宿最終日。朝6時半発で旭川明成を福岡空港まで送ってからトンボ返りしてクリニックをした。神村は2時まで、鶴鳴は4時までだ。この2者に限らず、クリニックをやる度に表面をツルーッと撫でるだけで内容を真に取り込める選手が少なくなったような気がする。情報過多の時代だからなのかなあ・・・ 
’20年01月05日(日)  鶴鳴正月合宿4日目。午前中2回、午後3回審判した。午後の最終試合は「あと半分、あと5分」と、手抜きはしないが試合終了のことばかり考えて笛を吹いていた。明日の午後は空港から戻ってきてクリニックをすることになっているが、「もうごちそうさま」という気分だ。
’20年01月04日(土)  鶴鳴正月合宿3日目。今日は参加チームが増えて空きゴマが出来たので私の審判は午前1回午後1回だけで済んだ。なので午後はひがながの初練習(D練15:30~18:00)に顔を出せた。懐かしかった。 
’20年01月03日(金)  鶴鳴正月合宿2日目。午前中は昨日から宿泊している4チームのみ。午後は高知の岡豊が加わったが、替わりに慶進が帰った。だからカードは空きがない。錬成会は空きチームのコーチが審判を務めるが、今日は空きカードがないので私は11ゲーム中9ゲーム審判した。飽き飽きしてもうバスケットを見たくない。 
’20年01月02日(木)  明成を福岡空港まで迎えに行った。行きは太宰府あたりで渋滞していたので復路が心配だったが、帰りはがら空きだった。太宰府天満宮の初詣のピークが過ぎたのかなあ。というわけで、今日のカードは予定通り進行した。が、体育館内に漂う空気は甘い(プレイだけではない)。明日は厳しくチェックだ。 
’20年01月01日(水)  31日は30日とまったく同じで退屈な1日だったので何も書かなかった。今日で私の年末年始の休業が終わり、明日から6日まで鶴鳴正月合宿に張り付いて身動きできない。今回の参加は11チーム(旭川明成・倉敷翠松・徳島城北・高知岡豊・宇部慶進・宇部香川・福大若葉・佐賀清和・熊本慶誠・神村学園・鶴鳴)だ。
’19年12月30日(月)  本を読みながら居眠りし、目が覚めたらまた読み、そんなこんなで日が暮れた。たいくつ~・・・ 
’19年12月29日(日)  選手は今日から3日まで6日間オフだが、私は鶴鳴正月合宿が2日から始まるので4日間だけのオフだ。オフは退屈だ。でも、今日は中学のチームが11チーム集まって練習納め会をやると聞いたので出かけた。60年もバスケットにどっぷり浸かっているのに、暇になるとバスケ臭に吸い寄せられる自分にあきれる。
’19年12月28日(土)  令和元年最後の練習だった。明けて4日から練習再開だ。今年1年を振り返ってみた。4月から6月までは公式戦カップ戦を含めて3大会。ここまでは3年生が居た。この頃はツープラトーンで戦った。その後新チームになって先日の西海杯までは7回の大会に出たが、「バスケットになってきたなあ」と思ったのは9月になってからだ。そのあと、勝ち星が増えたワケではないがバスケットの質は確実に上がっている。ヨシ! 
’19年12月27日(金)  朝、学童のこどもたちを剣玉大会参加のためにカブトガニまで送り、帰ってきてひがながバスケの指導をし、それからまたカブトガニまで学童のこどもたちを迎えに行った。最近学童祭りもドッジボール大会も剣玉大会も送迎バスを停めたままにしておくのは禁止になった。だからこどもたちの様子は見られない。残念。 
’19年12月26日(木)  A練(08:00^10:30)のあと、2日前に大学病院で前十字靱帯再建術をしたミユの見舞いにいった。ベッドで数学の勉強をしていた。何事もなければ正月2日に退院らしく、そのあとすぐ実力テストがあるからだそうだ。ヨシヨシ。術後の日数が足りないので来年の市中総体の試合出場は無理だが、コートには立たせようと思う。 
’19年12月25日(水)  今日は夕方7時まで分刻みでやることが立て込んでいて息つく暇もなかった。バスケのB練(10:30~13:00)の終わりには間に合わないと思って昨日指示を出しておいたが、12時少し前に間に合った。そこで昨日の練習で気になっていたこと(古いメニュー)を挿入した。まごつくかと思ったがちゃんとやれた。少し成長した? 
’19年12月24日(火)  部活生は、「強くなりたい」や「うまくなりたい」だけではダメだ。「利口になりたい」が真っ先に来なければ・・・ 
’19年12月23日(月)  西海杯に参加するまで強く激しくを強調して練習してきたが、西海杯明けの今日はさらにギアを上げた。しかし、私が求める強さ激しさというのはいわゆる猛訓練ではない。鶴鳴時代からずっとそうだが、私が選手に求めるのは思うことの強さ激しさなのだ。 
’19年12月22日(日)  西海杯初日結果UP newpage3 参照  
’19年12月21日(土) 西海杯初日結果UP newpage3 参照 
’19年12月20日(金)  今日は体育館割当なしの日でしかも職員定時退庁の日だ。こんな日は練習しない。定時退庁はじめ、文科省が進めている教員働き方改革は「なるほど、そうしてくれると職員は楽になるよね」ではないのだが、退職者の身分では発言する場がないのでブログでグチをこぼすしかない。
’19年12月19日(木) 今日はバスケット指導以外のなんだかんだで帰宅が23時過ぎになった。これからいくつかの書類処理をするのでブログにまで手がまわらない。
’19年12月18日(水)  来た!筋肉痛が。下肢・ふともも・肩周り、加えて今回は腹筋も。クリニック終了時のかもめ車中では攣っただけで筋肉痛はなかったが、3日遅れで来た。歳のわりには動けるのだが、出てくる症状は普通の老人だ。 
’19年12月17日(火)  より強くより激しくを強調すればどうしてもディフェンスに目が行く。そのディフェンスではこれまでカトハナの気付きの遅さがやたら目に付いた。それが今日突然、これまでで最高の反応を見せたのだ。鶴鳴のW選手のママが現役だった頃に同じ事が起こった。若さというのは恐ろしい。
’19年12月16日(月)  昨日のブログを更新したのは帰りのかもめの車中だった。諫早駅に着いたので座席から立ち上がったとたんふとももの上部が攣った。そこを伸ばそうとして上体を反らしたらふともものが攣った。ほうほうの体で長崎行きの普通電車に乗り移った。同じ車両には他に2人しか居なかったので座席に寝そべってストレッチをした。油汗が出た。原因はダッシュの見本のやり過ぎだ。備考:西海杯参加案内UP newpage3 参照
’19年12月15日(日)  ディフェンス主体の指導を依頼された。どこの選手もそうだがディフェンスといえばスライディングステップを多用する。それを私は「位置の移動は短い距離でもランニングステップ(ダッシュ)を使え」と強調する。だがそれに慣れるには時間がかかる。今日は何回も見本を示す私がダッシュの練習をしたようだった。フウ・・・ 
’19年12月14日(土)  ずっと前に県外から今日と明日のクリニックを依頼されていたのだが、市新人戦最終日と重なるので保留にしていた。だが、2回戦で負けたので受諾した。今日のクリニックは午後のみ。要になる選手が2人いたので教えることがチームに浸透するのが早かった。要とは点を取る選手ではない。理解できる選手のことだ。
’19年12月13日(金)  今週になってギアを上げたが指導中動悸を感じるようになった。歳かなあと思っていたらそうではなかった。先月の血液検査の結果を今日知らされたのだが、それによると軽度の貧血(赤血球392 ヘモグロビン11.7 ヘマトクリット36.3)だった。私が女ならば値は全てOKだが男だからNGだ。それにしてもなぜ私が貧血に? 
’19年12月12日(木)  今日も日吉での練習。帰り際、バスの運転席に登ろうとしたら右足のふくらはぎが攣った。しかし、足が攣ろうが筋肉痛になろうが、口先だけの指導では強さも激しさも選手たちには身につかない。
’19年12月11日(水)  より強くより激しくプレイするには頑張らなければならない。頑張りは興奮を伴う。頑張った結果有利になった時、興奮を鎮めないままプレイすると自爆する。スポーツの指導で頑張らせることはもちろん重要だがそれと同じくらい興奮を鎮めさせるのも大切なのである。・・・と、口で言うのは簡単だがこれは難しいぞぉ。 
’19年12月10日(火)  ギアを上げた練習は私の身体にダメージを与える。より強く、より激しくはことばだけでは伝わらない。やってみせなければ選手には染み込まないのだ。それが77歳の身体にはこたえる。また、筋肉痛の日々が続く~
’19年12月09日(月)  久々に、県大会にコマを進めさせたいチームだったが叶わなかった。強くなったのは事実だが、まだボロが出ないように気を配りながらのチームだから仕方がない。しかし、ふがいないところはない。今日からメニュー④と⑤を再強化だ。 
’19年12月08日(日)  長崎市新人戦2日目結果報告UP newpage3 参照  
’19年12月07日(土) 長崎市新人戦初日結果報告UP newpage3 参照 
’19年12月06日(金) 今日は日吉での練習。日吉までは25分かかる。5時開始には4時35分に出なければ間に合わない。今日は4時45分まで待ったがA子とB子を置き去りにしたまま出発した。B子は職員室に用事があったそうだがA子は下駄箱の前でそれを待っていただけだと知ったからだ。それがとんでもない行為だとわからないか? 
’19年12月05日(木)  通常、火と木は外部施設を借りて練習する日だ。だが今日はオフ。先月の申請時にこの日は申し込まなかった。理由はこの日学校暦では専門委員会となっていたからである。生徒が練習に出てくるのが遅い日に外部施設を確保しても、パラッとしか選手がいないとむなしいだけ。だから最初から申し込まなかったのだ。 
’19年12月04日(水)  バスケ指導が終わる頃、強い全身筋肉痛に襲われた。昨夜バス置き場でバイクに乗り換えて帰る際、またがって向きを変えた瞬間にバイクのスタンドが地面にめり込んでしまったのだ。こらえたが耐えきれず横に倒れた。スタンドが地面にめり込んで倒れた重量160㎏のバイクを必死で起こしたが息を整えるのにしばらくかかった。今日は夕方まで大丈夫だったのに強烈な筋肉痛は夜にやってきた。現役引退かなあ・・・ 
’19年12月03日(火)  先週金曜日にガラ携からスマホに替えた。docomoから「この機種のガラ携は来年1月以降修理対象機種ではなくなります」という通知が来た。それと示し合わせたように、その日私のガラ携のスピーカーが故障した。そこで「替え時ってことだな」と思って替えた。もう4日経つのにまだ取り扱い方法でまごつく。クソッ!
’19年12月02日(月)  長崎市新人戦参加案内UP newpage3 参照  
’19年12月01日(日)  ひがながバスケはオフ。今日はミニバス南部リーグ新人戦(5年生以下)を見に行った。昨年の同じ時期は部員が8人しかいなくて部の維持を心配したが今では19人に増えた。そして、これまで6年間見てきた中ではもっともバスケットらしい試合が出来る新チームだ。予定(あと3年)よりあと2年ぐらい生き延びようかな。 
’19年11月30日(土)  アミは小3から空手を習っている。明日が試合だそうだ。今日、その練習を見に行った。バスケットコートのアミとは別人だ。すごい。アミが怒って反撃してきたら俺は絶対負ける。今後アミを叱るときは気をつけなきゃ。
’19年11月29日(金)  昨日2年生の主力が3人とも都合で練習に来られなかったので1年生主体の練習になった。だから昨日は常時スタメンに起用するR子とH子の2人をじっくり観察した。まだ未熟だとはいえ技術的には問題ない。が、局面を見る目が幼稚だ。今のひがながの問題はそこだけ。あと半年で2人を俺が変えてやれるかなあ?
’19年11月28日(木)  デジタイマーのプラグの先が折れた。コードごと一体型になってるものはあるが、プラグだけ売っている店は最近少ない。探し回って3軒目にあったので買ってきて修理した。鶴鳴時代にも乾燥機の修理、切れた水銀灯の付け替え、緩んだ水道の蛇口のパッキン取り替え等すべて自分でやった。それが私のやり方だ。 
’19年11月27日(水)  寝る前に足が攣るときがあり、その翌朝は起きるときに少し筋肉疲労を感じる。そんな時「ああ、俺はまだ現役コーチだ」と実感する。このところそれが多い。4番目と5番目のメニューを定着させるのを主眼に置いた練習なので、ポイントを示し、誤りを正し、やってみせる回数が多いのでそうなるのだ。俺はまだまだやれる。
’19年11月26日(火)  冷たい水を飲んだら歯がキーンと痛くなった。「エーッ!虫歯?」と思い、中指の爪で歯をコンコンと叩いてみた。すると下の犬歯が痛い。歯医者でX線撮影をしてもらったが虫歯ではなかった。削り、クスリ、注射など何も処方せず、コンコンして刺激を与えないでくださいと言われて帰された。帰ると少し治まった。何だろ?
’19年11月25日(月)  12月は3日(火)が唯一練習場所未定だったが、今朝1番に飯盛まで走って確保してきた。これで12月は練習場所なしという日がなくなった。朝からはカレーヌードルを食べるのは懲りたので今日はパンにした。 
’19年11月24日(日)  私は毎年、楽天TVと契約してNBAの試合をライブで見る。だが今年はまだ楽天と契約していないし、契約するつもりもない。理由は、ウォリアーズのトンプソンが前十字靱帯断裂で今期はプレイしないからだ。加えて、カリーが10月末に手首を骨折した。2人とも東京オリンピックには出たいと言ってるが間に合うかあ?
’19年11月23日(祭)  ずっと前、組織は安定層・中間層・不安定層で構成されていると述べた。昨日観察したのは中間層の3人である。これを安定層に引き上げたいのだが、A子とB子は理解力がまだまだ安定層に届かない。C子はメンタル面が届かない。指導する上で難しいのはC子タイプだ。責め過ぎてはならない。
’19年11月22日(金)  8日間のテスト前オフを経ての練習再開。オフの間の土日に、シューティングだけでもできる公共施設がないかと探した子がいることも、連れだってダウンタウンに遊びに出かけた子がいることも、ニコセンで勉強していた子がいることも知った上で久々の練習にどんな気持ちで臨んでいるかを1人ひとり観察しながら指導した。新たな発見はなく、予想通りの結果だった。 
’19年11月21日(木)  JBAのルールブックは、ルールの部92頁と解説の部83頁に分けられている。今日は解説の部を読んだ。翻訳文のややこしい言い回しからコート上の情景を思い浮かべるので疲れる。しかも、ルールに照らし合わせるとその解答は違うだろう?と思われる箇所(たぶん私の解釈違いだと思うが・・・)がいくつかあるのでなお一層疲れる。しかし、77歳にしてルールの勉強やり直しを辛いとか苦しいとか感じてはいない。
’19年11月20日(水)  私が持っているル-ルブックは最新版(2018FIBA発行)ではなくそのひとつ前のだ。だから今日は、JBAから最新版をダウンロードして読んだ。FIBA版の翻訳本なので、言い回しがややこしいところが何箇所もある。しかし、これを読み込まないと練習問題を解いても力はつかない。しばらくそれに没頭することにした。 
’19年11月19日(火)  昨日までにルールブックを読み直し、練習問題を150問解いたが、今日は読みかけの本(優駿:宮本輝著)を読んでしまうために終日読書。明日からまたルール勉強だ。3日で150問解く。これをあと20回やる。 
’19年11月18日(月)  生徒は期末テスト勉強中である。私も1昨日から真剣にテスト勉強を始めた。来年度の審判資格更新のためのルールテストが不合格で再テストを受けなければならない。最近、ルールブックの内容が大幅に変わったのは知っていたがそれをナメていた。審判資格が欲しいワケではないが、中学のコーチをしていると帯同審判を義務づけられる。若い人や保護者に帯同審判を頼んでいるコーチもいるが私はそれがイヤなのだ。
’19年11月17日(日)  学童クラブと保育園児の行事参加の手伝いのため平和会館までバスでピストン輸送し、その合間に地区新人戦最終日を観に北陽台高校にも行った。女子準決と決勝を観た。今回は男子の長崎工業の試合も観たかったが、バスとバイクでの2往復を間に挟み、立錐の余地もない2階席からの観戦で疲れて結局男子の試合は観ずに帰った。昨日も述べたが観たいチームはオンコート・オフコート問わず行動にメリハリがある。
’19年11月16日(土)  長崎地区高校新人戦を観に行った。観ていておもしろくないチームには決断する場面が少ない。決断は「ナイス!」や「ヨシ!」だけではない。「仕方がない!」も決断である。さらに、利口な決断もあるし愚かな決断もある。な~んにもないのがいちばんよくない。決断力はどこで培うのか?それは練習の場面以外にない。
’19年11月15日(金)  10時から、カブトガニ大会議場で実施されたスポーツ指導者講習会(講師は高妻氏:東海大教授)に顔を出した。学童の送迎があったので午後からは受講せず、帰ってきて学童の送迎をしたあとニコセンに行った。バスケ女子は2人テスト勉強をしていた。図書室内はいつも静かだ。2階のフリースペイスも静かだったが3階のフリースペイスはざわついていた。私ならこんなところで勉強はしない。生徒からの質問はなかった。 
’19年11月14日(木)  今日から21日までテスト休み。8日間も選手の顔を見られない。辛い。今、教えればこれがわかるようになるしこれができるようになるという時期にさしかかった選手が多い。そんな時期に8日間も足踏みしなければならないのが辛いのだ。選手の生活は部活を最優先で回っていないから仕方がないのだが・・・。
’19年11月13日(水)  昨日、協会のHPに長崎市新人戦の組合せが掲載された。そろそろ公式戦でバスケットらしい試合をさせたいと思い、昨日からずっとその戦い方や人選のことがアタマの中を駆け巡っている。公式戦で使えるのは9人なのだが、戦い方というより「これがベスト5だ!」というメンバーがなかなか確定しないのだ。 
’19年11月12日(火)  10/12付けの時津長与強化会の報告書に「若さを露呈したがほんものの戦士になるのはもうすぐだ」と書いたが、それには何が重要かについて述べる。訓練・鍛錬・躾・教育などいろいろあるが、最も適切なことばは教育だと私は思う。断っておくが、戦士の育成と勝利至上主義はまったく違うぞ。 
’19年11月11日(月) 毎月11日はコミュニティ体育館使用申込の抽選結果発表日である。私の申込は全てハズレ。これで3ヶ月連続ですべてハズレだ。しかし、市内の小学5年生が日吉で実施するお泊まり学習が12月6日で終わるので、3日を除き12月分は全て埋まった。あとは25日の朝1番に3日の分を申込に飯盛まで走るだけだ。
’19年11月10日(日)  昨日、県協会HPに「先日実施したDC練習会において不当な理由により多数の選手が欠席した」という警告文書が掲載された。不当な理由にもいろいろあるだろうが、欠席した本人や母体チームのコーチを批判するだけでは解決しない、もっと深いところにある問題も読み取らなければならないだろう。
’19年11月09日(土)  7:30に家を出てから家に帰り着いたのが22:05。その間、学童のこどもたちを稲佐山に送り届けて、トンボ帰りでひがながの練習を指導し、またすぐ学童のこどもたちを稲佐山に迎えに行き、それからバイクに乗り換えて長崎北高校で日高先生(元千葉大)を講師として行われたコーチ研修会に顔を出したのだ。研修会で私が観察し続けたのは、実技指導を受ける選手はもちろん、集まった指導者たちの態度だ。感想は秘密。 
’19年11月08日(金)  10/30のブログにカリンとリナとカトハナの改良工事に取りかかったと書いたがもう1人気になる選手がいる。この4人が毎日アタマの中にちらつく。改良点が、技術であったり感性であったりイメージ力であったりとさまざまだ。改良点はレベルが低いのではない。レベルをさらに上げたいのだ。今日も1品加えた。 
’19年11月07日(木)  ひがながバスケはオフなので、今日は練習開始時からミニバスに顔を出した。しかし、毎度のことだが私は口出しをしない。気になることがあっても、コーチの方針と違うことを言えばこどもたちが戸惑うからだ。私が手伝うのは試合形式の練習の審判をする時だけ。気になりながらも練習を見守るだけというのは疲れる。 
’19年11月06日(水)  月・水・木は、矢上と高城地区のミニバスの選手をバスで古賀小まで送ってからひがながバスケの指導をする。ひがながバスケ指導を終わってからまたミニバスの手伝いに顔を出す。するとM子が練習から外れていた。どうした?と聞いたら、バスの中で食べる捕食のおにぎりを食べ過ぎてお腹が痛いと言った。(笑)
’19年11月05日(火)  10/12付けの時津長与強化会の報告書に、ほんものの戦士になるのはもうすぐだという感触を得たと書いたが、具体的に言うと戦士とは「教えて貰ったプレイを武器にして闘おうとしている」選手のことである。それがまだ3人しかいない。その3人もプレイはまだまだ幼い。それ以外の選手は「教えて貰ったプレイをただやっているだけ」である。戦士になって欲しい選手があと2人いるが、当人は他人事のような顔をしている。
’19年11月04日(祭)  淵中女子がクリニックを受けに来た。帰り際「またお願いしま~す」と言われたが「またおいでと簡単には言えない」と答えた。時津長与強化会でひがながは淵中に51対45で負けたので、ライバルの強化よりもひがながの強化の方が大事だからだと、ニヤッとしながら(冗談だよという意味で)言った。 
’19年11月03日(日)  南島原杯最終日結果報告UP newpage3 参照 
’19年11月02日(土)  南島原杯初日結果報告UP newpage3 参照 
’19年11月01日(金)  昼過ぎ用事があってつばさ保育園に出かけた。芝生グランドの隅に今を盛りと実を付けた1本の柿の木がある。その下で園児たちが実をもぎ、ふきふきして皮ごとガブッとかじっていた。ウワーワイルド!と感激して写真を撮った。こどもの頃を思い出した。さらに、理事長が使用済みのボートを手に入れてきて、園庭にツインドラゴンを造り、千々石湾を眺めながらドラム缶風呂に入れてやるのだと張り切っていた。スゴ~イ。
’19年10月31日(木)  バスケットってこんなふうにやるんだよと、みんなに同じ事を教える段階から、個人を引っ張り出して改良することに取り組む段階へ移行したということは、個人のレベルアップを図るのが目的ではなく、そうすることによって組織力が高まると、そういう時期が来たと、私が感じたからに外ならない。さあ、これからどうなる?
’19年10月30日(水)  CLUBONLYUCUPが終わったあと、カリンとリナとカトハナの改良工事に取りかかった。さほど難しい工事ではない。でも、これが身についたら今よりもっと活躍できるようになるだろう。どんな工事かは企業秘密だ。試合でその成果が出るようになれば観ている人にも「ああ、ここを変えたんだ」と分かるようになるだろう。
’19年10月29日(火) 南島原杯参加案内UP newpage3 参照
’19年10月28日(月)  昨日と1昨日で計4試合審判をした。今回に限らず、マナーが悪くルールを正しく解釈していない理不尽な指導者があとを絶たない。こんな指導者が居る限り私は米寿(今年は喜寿)になっても審判をしながら指導する。生きてればのハナシだが・・・。追伸:指導者は必ず、ルールブックのまえがき4項目を熟読せよ。 
’19年10月27日(日)  CLUBONLYUCUP最終日結果報告UP newpage3 参照 
’19年10月26日(土)  CLUBONLYCUP初日結果報告UP newpage3 参照  
’19年10月25日(金)  朝食は食べず、7時半過ぎに飯盛体育館に向かった。受付は8時半なのでそれまで玄関の外で本を読みながら待つつもりだったが顔見知りの事務員さんが「どうぞ」と言ってくれたので中に入った。11月26・28両日の空き状況を聞いたら空いている。すぐ申し込んだ。ホッ。今から帰って嫁に「朝メシの用意をしてくれ」というのも気の毒なので近くのファミマのイートインでカレーヌードルを食べた。カレーヌードルは朝メシとして食べるもんじゃないなと思った。サンドイッチにしとけばよかった。ゲフッ・・・。 
’19年10月24日(木)  日本人の飲食店マナーが崩壊の危機、中国人に冷笑される日も近い!? という見出しで、「年々、日本人のモラルは低下しており、飲食店では"お客様は神様"という言葉を勘違いした"モンスター客"のマナー違反が目立つようになっている」という記事が載っていた。教員のいじめしかり、日本人の質が落ちている。俺たち年寄りが"小言幸兵衛"役を買って出なければダメかなあ。
’19年10月23日(水)  ウィンターカップ予選から2日経った。今の私に取り立てて応援するチームはなく、熱心なコーチや選手なら誰でも応援するが、「この選手は全国の舞台に立たせてやりたかったな」と思うのが3人だけ居る。 
’19年10月22日(火)  オフだった27日(日)に、予定していなかった強化試合が入ったのでその代替えのオフを今日取った。暇なので今日はバスのシートの破れとカーテンレールの壊れを修理した。新車から14年。あちこちが傷む。
’19年10月21日(月)  高校ウィンターカップ予選最終日を観に行った。公共の体育館で大会が行われる時私はいつも腹が立つ。観覧席の手すりのところに立って動画を撮っている大人やズラーッと並んでメガホンを持って立ったまま応援をしている部員たちが毎回居るからだ。君たちはうしろの一般観客に迷惑だと気付かないのかい? 
’19年10月20日(日)  日本は今日南アに負けた。しかし、ベスト8はアッパレだ。実は私は高校総体の賞状を2枚持っている。どちらも2位だが、ひとつはバスケット。もう1枚はラグビーだ。バスケットの総体は6月に行われ、ラグビーは12月に行われるので人数が足りないラグビー部に駆り出されたのだ。一見、ラグビーの方が体力消耗が激しそうに見えるが、実際にやった経験からするとバスケットの方がきつい。
’19年10月19日(土)  10月になって日見小学校でインフル患者が数人出て学級閉鎖になったクラスがある、15日(火)はひがながの2年生にインフル患者が複数人出たので部活動禁止となった。そして昨日遂にバスケ部員に1人インフル患者が出た。どうも、日見トンネルからこっち側が怪しい。私は2012年1月21日にインフルに罹って以来罹患していないが、日見トンネル以東が危ないので馬場医院で予防接種をしてもらった。効いてくれよ。 
’19年10月18日(金)  CLUBONLYCUP参加案内UP newpage3 参照 
’19年10月17日(木)  今日は矢上くんち。古賀ミニバスから1人、ひがながバスケから1人出演した。彼女らは今日学校に行かなかったが欠席扱いにはならない。小雨とはいえあいにくの天気でかわいそうだった。くんちは九州北部の秋祭りで、その年の収穫に感謝して奉納される祭だそうだ。語源は9月9日に行われたからだとか、他に宮日や供日が語源だという説などいろいろある。 
’19年10月16日(水)  成長しない選手に苛立ちを感じ、この5年間腹立たしい思いの日々を送ってきた。しかし、時津長与強化会で惜しい負け方をしたあと私の心は変わった。理由の1つは主戦力の数人にもうすぐ普通の子から戦士になる実感を得たからである。もう1つは選手育成についての私の考え方が変わったからである。木に例えると、これまでの私は曲がった木をなんとかまっすぐに育てようとやっきになっていた。それが「どうやってもまっすぐにならない木は曲がったままの使い道を考えればいい」に変わったのだ。曲がり方がひどいから使い道がないのならばそれはそれで仕方がない。そう考えると心が落ち着いた。 
’19年10月15日(火)  朝9時、顧問の先生から「2年生にインフルエンザの患者が複数人出たので今日の部活動は全面中止です」という連絡が来た。日見小では2週間ぐらい前に学級閉鎖のクラスが出ている。日見小には部活動がないのでこれでよいが、中学校では部活動中止だけでよいのか学級閉鎖は要らないのか判断が難しい。
’19年10月14日(祭)  会社組織でも教員組織でもチーム組織でも、重要なことは中間管理職の育成と指名である。私のやり方は50年以上変わっておらず、仕事(プレイ)優先ではなく人物優先である。プレイも人物も優れていてしかもそれが年長者なのがもっとも理想的なカタチなのだが、3拍子揃う人物に巡り会えないまま5年が過ぎた。 
’19年10月13日(日) 昨日の試合結果報告に「ほんものの戦士になるのはもうすぐ」と書いたが、それは全員ではなく主戦力のごく少数の選手である。今日はそれ以外の選手を注意深く観察しながら指導したがやはり能天気だ。こんな選手を排除するのはたやすい。だが、これもチームの構成要員として指導するのが真のチーム作りである。 
’19年10月12日(土)  時津長与協会強化練習会最終日結果報告UP newpage3 参照
時津長与協会強化練習会の時はいつも、T先生が時津饅頭を私のために買ってきてくれる。それを4個食べたので今日は晩メシ抜きだ。 
’19年10月11日(金)  今日は11月のコミュニティ体育館使用申込当落通知日。私の3回分申込み全てハズレ(保護者が2回分カバー)。10月は8回分申込み全てハズレだった。抽選は人の手は入らず、コンピュータによるランダム抽選だから誰かが意図的に私に意地悪をすることはできない。でも、単に運だけじゃないような気がするなあ。 
’19年10月10日(木)  教師の仲間いじめ報道のあと、私の視界に入る教師たちの一挙一動が気になる。君はまともな教師でも世間の目は「近頃の教師は質が落ちた」なのだ。それを払拭するには他人事のようなふるまいはできない。 
’19年10月09日(水)  10月2日の夕方からcircle squareのメール送信機能の不具合が生じてチーム関係者への通知や連絡が不便だったが今日回復した。クルマやパソコンやスマホがなかった時代は別に不便は感じなかったのだが、一旦便利なものに慣れてしまうとそれが使えなくなればとても困る。台風19号が接近している。15号被害の断水や停電でいまだに困っている人たちのことを思えば、この程度の不便を嘆いていたら罰があたるが。
’19年10月08日(火)  10月3日付けの試合案内文書に私は、「成長しない選手の多くは生まれてから今日に至るまで心根が磨かれるような経験が少なかったのだ」と書いた。その一端を担っているのは教師。なのに今日、教師の仲間いじめがTVで報じられた。私はこれを特殊な事例だとは見ない。氷山の一角。教育界はステージ4の癌だ。
’19年10月07日(月)  1昨日の強化会を挟んで選手の顔を見ない日が今日で4日目だ。その間有力な情報を得た。試合中、「K子(1年ポイントゲッター)が疲れているので、K子の負担を減らすためにポストプレイをたくさんやろう。Nちゃん(2年)が飛び込んできたら必ずパスするから」とY子(1年)が提案したらしい。N子は「うん、わかった」と言ったそうだ。これこそが縦割り教育の真の姿だ。ヨシ! 
’19年10月06日(日)  先々週末、対馬沖を通り過ぎた台風17号によって吹き飛ばされた木の葉があちこちに吹きだまりとなっている。1昨日、玄関の外や階段にこびりついたコケを落とした時に、家の周りやガレージの隅に吹き寄せられた木の葉は掃除したが、バス通りの縁石に吹き寄せられた木の葉は誰も手を付けない。前回の市民大清掃は8月4日だったが次回はいつなのだろう?臨時市民大清掃日を設けないといけないんじゃないか? 
’19年10月05日(土)  時津長与協会強化練習会初日結果報告UP newpage3 参照
審判が2試合入っていたが、2試合とも「若手がいますから」といって笛を吹かせて貰えなかった。そこらへんの若手には負けない年寄りのつもりだがなあ。 
’19年10月04日(金)  明日(土)は時津長与強化練習会に参加する。それを挟んで4日間練習できない。昨日は外部体育館が確保できなかったから。今日はもともと体育館割当がない日だから。明後日は体育館開放日で外部に貸し出すから。月曜日は長崎伝統お祭りなので半日日程のため部活動禁止。今回はたまたま強化会を挟んで4日連続練習できない日が続いたが、これに似たようなことはしょっちゅうで、それが中学部活動の現状である。だから今日は家の玄関外や階段にこびりついたコケを落とす作業をした。腰が痛い。 
’19年10月03日(木)  昨夜8時に突然停電になった。周りを見ると我が家だけだ。ブレーカーを点検したら、1階の電灯配線をオンにするとブレーカーが落ちることがわかった。今朝電気工事屋さんに来て貰ったら、台所の換気扇がショートしていることがわかり修理して貰った。ブレーカーを点検した時に、2階の電灯や全てのコンセントは異常なしだったので、換気扇のコンセントは疑わなかったのだが、換気扇は1階の電灯配線から取ってあるらしい。
’19年10月02日(水)  昨夜までの国体情報で、長崎は暫定15位だった。昨年の天皇杯順位は41位だったので一気に挽回と言いたいところだが、後半のプログラムでは長崎が団体得点を稼げる種目が少ない。あとは個人種目でどこまで踏ん張れるかだ。粘れ~長崎! 
’19年10月01日(火)  夕方18:03着信で成井千夏からメールが届いた。今朝「お疲れ様。アカツキファイブの4連覇にアッパレ以外のことばは要らない」というメールを送ったがその返事だった。今朝早く日本に着いたが、記者会見やチームの荷物片付けやらで忙しく、今やっと開放されて電車に乗ったところだ。電車の中で立ったまま寝そうだと書いてあった。ほんとにほんとにお疲れ様。 
’19年09月30日(月)  時津長与協会強化練習会参加案内UP newpage3 参照 
’19年09月29日(日)  第24回FIBAASIA大会(2011年8月大村市シーハットで開催)で日本代表は中国に負け、ロンドンオリンピックの出場権を逃した。その後25・26・27回と3連覇し、今回4連覇を賭けてまた中国と対戦した。昨日世界3位ののオーストラリアを下し、今日世界7位の中国を下しての4連覇にアッパレ以外の言葉は不要だ。 
’19年09月28日(土)  私が初めて「これは誰に観て貰っても誇れるチームだぞ」と思ったのは昭和44・45年のチーム(桜馬場中学校)である。その時の選手は今年65歳と64歳になる。当時の私はとても未熟だった。あれから50年も経った今の私の指導は、その頃と比べて上達したはずだがチームはあの頃のレベルに追いつけない。ウーン
’19年09月27日(金)  橋下元大阪市長の敗訴が確定 (ツイッター名誉毀損訴訟)。大阪高裁の2審は、橋下氏の有田氏に対する侮蔑的な投稿と比べて有田氏の投稿は「適当と認められる限度内」と判断した。という記事を見てニヤッとした。不謹慎かなあ?
’19年09月26日(木)  今日はコミュニティ体育館での練習。外部施設での練習は5時から7時までだ。しかし、5時を過ぎても校門に集まったのは1年生の8人だけ。合唱コンクールの練習でこれから10月24日までこんな状態が続く。今日は1便で1年生だけを送り、引き返して遅れてやってきた2年生を運んだが、練習会場が日吉や飯盛ならば折り返し運転なんかできない。これが、ひがながだけではない中学部活動の現状だ。 
’19年09月25日(水)  10月は5回分外部施設が確保できていなかったので、諫早市施設2次申込み開始日の今日、朝7:30から飯盛→多良見→古賀センターと走り回った。結果、4回分はなんとか確保できたが10/3はどうにもならなかったのでオフにした。higa&yamaaschedule19参照。帰ってから朝食を摂り、そのあとバスを洗った。宇部遠征の時、台風が通過した22日の夜市営駐車場に置いたままだったのでベトベトだったからだ。私は両腕とも上腕2頭筋の腱が切れたままなので、腕を使い続ける仕事をすると辛い。フウ・・・、今日は忙しかった。 
’19年09月24日(火)  4日ぶりに自チームのプレイを見た。テスト休み明けはもっと長い間選手の顔を見ないが、それと今回とは違う。クリニックのあと自チームの選手を見ると選手を比較し、自分を見直すからだ。自チームだけを指導の対象にしていては見えないことがクリニックをやると見えてくる。クリニックは自分の勉強でもあるのだ。
’19年09月23日(祭)  カップ戦の最終日の午後は私のクリニックが通例になっている。今回は3チームが残って受けた。最近の私のテーマはバスケットIQを高めようである。今回はすでにIQの高い選手が1人居た。K選手である。こんな選手が居るとクリニックもやりやすい。そんな選手に刺激されて「わかったぞ」という選手が次々と出てくるからだ。しかし今日は時間が足りず、「わかったぞ」は増えなかった。追伸:帰りは事故渋滞で大変だった。 
’19年09月22日(日)  今日も最終試合の審判をした。昨日福岡敏徳先生に電話して「みんな足元がゆるいよ」と言ったら同意を得たので勇気を持って笛を吹いた。今日は元国際審判の小池先生も会場に居られて「先生が取り上げたあのステップはトラベリングですよねえ」という感想を貰ったの益々勇気を与えられた。最後のリバウンドショットのブロックはファウルだったが、それを取り上げると終了が遅くなるので見てみないふりをして終わらせた。 
’19年09月21日(土)  小池カップ初日。西部体育館第3試合目の審判は割当がなく「チーム対応」だったので1試合だけ審判をした。みんな足元がゆるいなあ。明日は台風の影響を考慮して早く終了するため9時開始となった。 
’19年09月20日(金)  明日から3日間、私は小池カップのゲストで不在だからひがながバスケはオフ。長崎⇔宇部の行き帰り行程は台風と入れ違いになるので大丈夫そうだが、大雨といい台風といい最近の地球はおかしい。 
’19年09月19日(木)  二宮可南子から「高校の教員使用試験に合格しました」というメールが届いた。彼女は、山梨県の甲西中学校から自主志願で鶴鳴を受験し、平成13年4月に入学した。卒業後は東京学芸大学へ進学し、その後数年山梨クインビーズでプレイした。クインビーズを引退後何年教員採用試験にチャレンジしたのか知らないが、その粘りに敬意を表する。
’19年09月18日(水)  今日から古賀ミニバスのメンバーが1人(高城台小5年Kちゃん))増え、バスでの送迎が9人になった。4月には7人のメンバーしか居らず、「今年はオープン参加からスタートか」という出発だったが今では17人の大所帯になった。6年生の親は「先生あと4年は元気でいてくださいよ」と言い、それを聞いていた4年生の親は「いやいや、あと6年は元気でいて貰わなきゃ」という。俺は仙人か? 
’19年09月17日(火)  今日は飯盛体育館での練習。バスのエンジンをかけたがウンともスンとも言わない。ハッして室内灯のスイッチを見たらオンになっている。先週末、久住から帰ってきたとき最後のトンネル内で点けた室内灯のスイッチを切るのを忘れていたのだ。帰ってきたのが夜間ではなくまだ明るかったので点けっぱなしに気付かず、3日もそのまま放置した。帰り着いた時「この時間だと練習に間に合う」と思っていたので、そのことに気を取られて室内灯のチェックがおろそかになった。クルマ屋にバッテリーとブースターを急いで持ってきてもらい、なんとか飯盛での練習には間に合ったが、自分のバカさに腹が立つ。 
’19年09月16日(振)  1年生のチームウェアーが届いたので袖通しをした。newpage4 参照。入部と同時にみんな欲しがるが私は夏休み過ぎまで許可しない。理由の①は保護者に経済的な負担を負わせたくないからである。そんなものは小学生時代のものでも良いし、姉のお下がりでもよいのだ。理由の②はメンバーとして定着してから購入した方がよいからだ。 
’19年09月15日(日)  今日は家庭の日で練習はオフ。ひがながバスケに関わりはじめて今日ほどオフの日がありがたいと思ったことはない。終日ゴロゴロしていたが、寝そべってテレビを観ていて起き上がろうとすると腹筋が攣るし、座っている姿勢を変えればふくらはぎが攣る。最近加えた練習メニューの指導でがんばりすぎているからだと思う。マグロの子孫を自負している私だが、最近酸欠ぎみだ。フウ・・・
’19年09月14日(土)  市会長杯最終日を観に行った。女子ベスト4の試合を観戦したが、危機感を持って帰ってきた。どの試合も個人が仕掛け、個人で完結するバスケットスタイルなのである。個人の仕掛けをきっかけにして他の選手が切り崩し、その次の選手がフィニッシュするというスタイルは皆無に近いのだ。それは長崎市だけではない。クリニックであちこち出かけても、育成世代のバスケットに共通して感じることである。 
’19年09月13日(金)  今日は竜門の滝で滝滑りの予定だったが、雨上がりで水が汚くて冷たかったので滝滑りはやめて、武雄の科学館に予定変更して帰ってきた。予定ではひがながの練習には間に合わないと思っていたが開始から間に合った。しかし、久住から帰ってきたばかりなので体育館内の暑いこと暑いこと、久住スタイル(長袖シャツ長ズボン)で体育館に2時間居るのは苦しかった。 
’19年09月12日(木)  今日は本命の久住登山。いつも牧ノ戸峠から登る。昨夜心配した雨は上がり、無事登山できた。 
’19年09月11日(水)  つばさ保育園の久住登山手伝い。それは明日登る。今日は熊本のさくらんぼ保育園での交流学習だった。しかし、夕方から雨が降り出した。でも、今回は2泊3日だから明日登れなければ明後日登ればいいのだ。
’19年09月10日(火)  8月27日に追加した4番目のメニューのレベルアップを図ろうと思って昨日から部分技術の訓練を臨時で取り入れている。新しいことをやるときはエネルギーを使う。昨日も今日も、怒鳴りはしないが一生懸命教え込もうとするから声を出す度に腹筋に力がはいる。今日は遂に、腹筋の上部が攣った。後半は身体を反らして腹筋を伸ばしながら指導した。77歳のボディ画像をUPするのは、皮が余ってたてじわがあるし、加齢による白なまずがたくさんあるので恥ずかしいが、画像があった方がわかりやすいと思い、敢えて画像をUPした。 
’19年09月09日(月)  昨日の朝起きたら右足親指の付け根が痛かった。「あ、痛風か。久しぶりだなあ」と思い、その日はロキソニンを朝昼晩と1錠ずつ服んだ。が、夕方親指を見たら青黒く内出血している。「あれ、これは痛風じゃないぞ」と思った。靱帯損傷か剥離骨折の内出血の様相なのだ。転んだりぶつけたりした記憶はない。強いて挙げれば1昨日の市会長杯の審判で動き回ったことだが、その時もつまづいたりした覚えはない。何だろ? 
’19年09月08日(日) 昨日の会長杯結果報告の最後に、選手を休ませるための交替に気を使ったのは初めてだと書いた。今日はその続きでカリンとユイコはシューティング(フリースロー)のみで、他のメニューは休養させた。鶴鳴時代は主力で試合に出た選手は翌日オフとし、他の選手だけで練習したことが何度もある。ひがながの昨日の試合は鶴鳴時代と比べたら質が低いし、大差で負けたのだからそんな配慮は要らないとは言えない。私の目には「このまま出し続ければ最後は立っていることさえできないかもしれない」と映ったのだから。 
’19年09月07日(土)  長崎市会長杯結果報告UP newpage3 参照 
’19年09月06日(金)  ひがながバスケはオフ。明日は市会長杯の初日だが、台風13号の影響によっては①平常通り実施②開始時間を送らせて実施③初日を中止して8日と14日の2日間で実施すると通知があった。結果は明日朝6時半に通知される。猛暑・大雨・アマゾン火災・氷河減少など、最近地球が大変だ。これはたぶん人災。 
’19年09月05日(木)  バスケ世界選手権、アメリカ対日本の生放送を観ていたのでブログの更新が遅くなった。日本の初戦であるトルコ戦を観ていて「トルコは強いぞ」と思った。そのトルコにアメリカは延長戦93-92でやっと勝ったことを今日知った。なので、日本がどれくらい戦えるかを楽しみにしながら観たが世界の壁は厚い。でも、こんな大観衆の中でNBA軍団と対戦できたことに自覚と誇りをもって、日本バスケ界の底上げに貢献して欲しい。 
’19年09月04日(水)  今日の部活動は6時終了で6時20分完全下校となった。コンビニ強盗が出てまだ捕まっていないらしい。私が小学生の頃(約65年以上前)、放課後遊ぶこどもたちでグラウンドはあふれていた。それでもケガ人は出なかった。今放課後の小学校グラウンドはガラーンとしている。最近マスコミで報じられるこどもに関する事件や事故を考えると、こどもたちを預かる施設の管理者は大変だ。 
’19年09月03日(火)  学童のこどもたちを送迎するバスの中で、T君(少年野球をやっている3年生)が助手席に乗ってきた。「山崎先生はバスケットの監督をしてるの?」「そうだよ」「どこの?」「東長崎中」「先生はこどもの頃からバスケットをやってるの?」「高校2年生から始めた」「八村選手とどっちがウマい?」「・・・」八村と比べられてもなあ。 
’19年09月02日(月)  長崎市会長杯参加案内UP newpage3 参照
’19年09月01日(日)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30) 。Mコーチ(県内:48歳)が見学に来た。こうして足を運んで来る人がいる限り、私も足踏みをするわけにはいかない。一生勉強、生涯現役だ。
’19年08月31日(土)  昨日、ドッジボール大会の送迎で遅れるが、4種類目のメニューは自分たちだけでやるのは難しいので、3対2まで済ませたら俺が行くまで遊んでおけと言った。遊んでいるバスケ部を見てとなりのコートで練習していたバレー部の岡部監督が叱り飛ばしたそうだ(本日岡部監督談)。いやいや選手に罪はない。 
’19年08月30日(金)  長崎市内の学童クラブのこどもたちが参加して毎年8月末にカブトガニアリーナでドッジボール大会が行われる。今年のつめくさは人数が多くてマイクロバスを3台出さなければならなくなった。1台足りないので鶴鳴から借りた。ひがながバスケはA練(08:00~10:30)だったが学童の送迎のため後半にしか顔を出せなかった。27日から導入している4種類目のメニューは「この子たちはできるようになる」という手応えがある。
’19年08月29日(木)  昨日、佐賀県の六角川が氾濫したというニュースが報じられていた。満州から引き上げてきて私が6年生になるまで、私たちは北方町の六角川堤防から50㍍も離れていないところに住んでいた。六角川は有明海に注いでいるが、有明海沿岸は砂地ではなく潟地なので六角川は泥の川となる。大雨が降ると川の水は堤防を越え、周囲の田んぼや民家を水浸しにした。その度に私は母に背負われて高台に避難した。 
’19年08月28日(水)  大雨特別警報が発令され、学校の全ての活動が中止になった。昭和57年7月23~25の豪雨による長崎大水害の被害を思い出す。この年のインターハイは鹿児島で開催されたが、九州道と長崎道はまだ開通しておらず、長崎→鹿児島の一般道はあちこち寸断されており、迂回路を通ってやっと鹿児島に辿り着いた。
’19年08月27日(火)  間にちょこっと臨時の練習メニューが入るが、メインメニューは①シューティング②ハーフコート3対2③スクリメージの3種類。こんな練習が約3ヶ月続いている。①②③の時間を少し削り、4種類目のメニューを今日から加えた。幼稚さが残るオフェンスにたくましさを身につけさせたいのだ。内容は企業秘密。
’19年08月26日(月)  ひがながは実力テスト初日なので練習はオフ。だからバイクで国道251→グリーンロード(広域農道)を走って島原の復興アリーナに向かった。ミニバス県大会の最終日を観に行ったのだ。 1時間15分で着いた。途中2~3箇所牛小屋の臭いがした。準決勝に残った女子4チームの中に3人、今すぐどこの中学に行ってもスタメンでやれる選手がいた。今日の試合に限らずミニバスの試合を観ていつも思うことがある。それはディンフェンスのやり方だ。ミニバスでの試合では強く当たるディフェンスが多いが、そのやり方はほとんどが間違っている。①接近の仕方が相手のシリンダーを侵している。②ボールを奪いに行く手がチョップではなくつかみに行く。これらはほぼすべてファウルになる。ルールを正しく解釈して練習しなければならない。
’19年08月25日(日)  コヤスポカップ2日目結果報告UP newpage3 参照 
’19年08月24日(土)  コヤスポカップ初日結果報告UP newpage3 参照
’19年08月23日(金)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。そのあとはな~んにもすることがなくヒマだったので、夕方Sミニバスの練習を見に行った。金曜は練習日で、しかも明日から県大会だから必ず練習しているはずだと思って見に行ったのだが体育館はガラーンとしていた。聞けば、今日はコーチ不在なのでオフになったのだという。偶然にも、昨日私がブログに書いたことと同じことがここでも起こっていた。ホッとするとともに、外部コーチと保護者と顧問の間の難しい問題の解決にはまだまだ時間がかかるなあと思った。 
’19年08月22日(木)  M子が右肩を脱臼した。すぐ整復してやったが、こんなことがあると困るので私が練習に立ち会えない日は保護者に当番を頼んだり顧問の先生に代理コーチを頼んだりせずオフにするのだ。M子はぶつかったり転んだりしたのではなく、取りにくいパスを受けようとして腕を伸ばして時に脱臼したので、もともと関節包がユルイのだろう。聞けば小学校6年生の時に道端で転んで右肩を傷めたことがあるという。肩周りの筋トレをしっかりやるしか再発防止策はない。
’19年08月21日(水)  私の身柄が拘束されてひがながの練習に立ち会えない日はオフにする。今日はつばさ保育園のイルカウォッチング引率予定なのでオフだったが天気予報が雨だったのでイルカウォッチングは中止になった。でも、一旦オフにした練習を、しかも2日前の通知によって変更が生じたからといって実施に切り換えることはない。オフの日にやることにしていたことを急に変更することができない選手が必ず居ると思うからだ。 
’19年08月20日(火)  「今のパスミスは?」「パスせずにプレイを棄てればよかったと思います。」こんな程度のやりとりは主力選手の何人かはできるようになった。もちろん半数以上はこんな質問をしても「???」だが、中には「残りのポゼッションのことを考えてA子はこのプレイをしたな」という場面も時々出るようになった。 
’19年08月19日(月)  今日は1日中カンヅメで安全運転管理者講習だった。年に1回の義務講習である。私が受けるのは今回で30回目だ。毎年退屈極まりない講習だが、今日はこのところずっと悩み続けていたひがながバスケの選手起用法のA案B案がひらめいたので退屈ではなかった。 
’19年08月18日(日)  今日は終日アリーナカブトガニで、国体成年女子・国体少年女子の強化試合と、県内外の高校女子数校が集まって強化試合をやるという連絡を受けたので行ってみた。行ってみると、3面あるコートでは切れ目な強化試合が行われている。私は成年女子と少年女子の強化試合を2試合審判した。まだ大丈夫だ。 
’19年08月17日(土)  コヤスポカップ参加案内UP newpage3  
’19年08月16日(金)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。クリニックの疲れを癒やすため昼までじっとしていた。お盆休み直前の練習で"外角シュート開眼!"だったカリンは、直後にお盆の3連休が入ったので元に戻ってしまってはいないかと気になっていたが、今日の練習ではカリンの神経回路にちゃんと残っていた。ヨシヨシ。 
’19年08月15日(木)  ひがながバスケはオフ。終日ごろごろしてクリニックで消耗した体力の回復につとめた。今年から国体少年の部は16歳以下が対象である。だから、昨日までのクリニック対象のチームはどこもプレイが幼かった。そんなチームで本国体出場を目指す(本国体で天皇杯得点を狙う)ならば、選手たちが慣れていないゾーンディフェンスを敷くのが早道だろう。そんなことを考える私は、勝利第1主義の邪道コーチなのだろうか? 
’19年08月14日(水)  クリニック2日目に鹿児島少年女子の1人が捻挫した。3日目の今日は鹿児島少年女子で腰痛のため昨日休養した2人が復帰した。聞けば昨年腰椎分離症と診断されたという。年々ケガや病気の相談が私に舞い込む件数が増えるが、自分のチームの選手でもないのにこんなことで私は苦しむ。 
’19年08月13日(火)  午前中は鹿児島少年女子・大分少年女子・慶進高校の3者で練習試合。午後から慶進と鹿児島両者のクリニック。バスケットIQに的を絞ってのクリニックだったが、鹿児島は初めての経験なので当然??である。しかし、2人だけ「この子は分かってきたな」が出た。クリニックは明日の午前中までやるがもっと増やすぞ。 
’19年08月12日(振) 9時から11時まで多良見体育館でひがながバスケの練習をしてから鹿児島クリニックに出かけた。ひがながのスクリメージの最後に、これまでずっとうまくいかなかったカリンが遂に外角シュートに開眼した。カリンに「今日の練習の1番の収穫は何だ?」と聞いたらカリンは即座に「外角シュートがうまくいったことです」と答えた。練習後ママにすぐ電話して「今日の夕食はステーキにしてやってください」と言った。 
’19年08月11日(山)  今日から15日まで閉庁日なので、学校施設を使用した部活動はできない。閉庁日であってもなくても、ひがながバスケは13~15はオフだが、オフの日以外でも長期休暇中は家の用事やら何やらで入れ替わり立ち替わり誰かが休む。平常授業の日は係活動やら何やらで同じく休むか遅れるかでなかなかメンバーが揃わない。これが義務教育の部活動の現状だ。それを踏まえてうまく練習計画を立てなければならない。 
’19年08月10日(土)  中学生リーグ(8月節)最終日結果UP newpage3   
’19年08月09日(金)  10時半開始の入札会に出席した。こちら側は、社会福祉法人おおぞらの理事長と弓削理事・山崎評議員・設計事務所の4人。相手側は建設会社10社。つばさ保育園の敷地内に来春4月開所する、東部地区児童発達支援センター建設の入札会なのだ。久しぶりの背広ネクタイ姿だった。教育界やバスケット界にだけ身を置いていたのなら学べないことを、70歳過ぎてからいろいろ学んでいる。 
’19年08月08日(木)  ひがながはD練(15:30~18:00)。岩本先生は今日と明日はレンタカーを借りているのでひがながの練習時間帯以外は放置している。今日は平和公園と稲佐山に行ったそうだ。 
’19年08月07日(水)  岩本先生(市立松戸高校→栗ケ沢中学校)がバスケット研修に来た。今日から9日までの3日間だ。ひがながのC練見学はもちろん、そのあとミニバスの選手をそれぞれの家から古賀小に送りとどけるマイクロバスにも。その後バスを一旦バス置き場に戻したあとバイクに乗せて再びミニバスの練習に連れて行き、ミニバスの練習にもつきあわせた。今年5月2日に45歳になった。原点に返ってバスケットを考え直したいそうだ。 
’19年08月06日(火)  オフなので終日家の中でゴロゴロしていたが、頻繁に足が攣った。 攣る箇所は前脛骨筋・腓骨筋・ハムストリングだ。これまで、クリニックのあとに時々こんなことがあったが、このところバスケ指導で見本は示すがそれほど激しく身体を動かしてはいない。先週末で終了予定のダイエットを延長しているからかなあ。
’19年08月05日(月)  ひがながのC練(13:00~15:30)のあと、矢上・高城地区のミニバスの子をマイクロバスで古賀小まで送った。Kちゃんは今週(毎週月・水・木の16:30~19:00が練習)お休みなのでバスに乗らなかった。お休みの理由は昨日の試合中にスネをアシナガバチに刺されたからだそうだ。試合中に~!?
’19年08月04日(日)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。本来、土日のD練はオフとしている。休みの日の午後3時半に引っ張り出して練習させるのは休みの日をまる1日取り上げるのと同じだからだ。今日は7月15日をオフにした代替えでD練を実施した。年に数回こんなことがある。 
’19年08月03日(土)  中学生リーグ(8月節)初日結果UP newpage3  
’19年08月02日(金)  腹周りがボテついてきたといっても、それはコーチとしての自分の基準であって、腹が出てきたわけでもなんでもない。ダイエットのおかげで腹周りはスッキリしてきた。1昨日「今日でやめようかなあ」とつぶやいたが、慣れてきたのでもうしばらくつづけることにした。 
’19年08月01日(木)  Y子が足の裏が痛いと言ってきた。調べたら足底筋膜炎だ。痛み始めたのはいつかと聞いたら昨日からだという。それなら大丈夫だ。治りも早い。痛みを感じる動作をしばらく控えさせればいいのだ。このように違和感を感じたらすぐ申告してくれれば対処も速やかにできるが、長い間がまんしてから申告すると治るまでに時間がかかる。私の練習は一切フットワークを取り入れない。にもかかわらずこんな症例が出るのは本人がより強くより速く動けるようになったからだ。だから、指導者は選手のわずかなパフォーマンスの変化を見逃してはならない。
’19年07月31日(水)  このところ、MACのフライドポテトを連日のように食べていたせいか、少し腹周りがボテついてきた気がするので土曜日からダイエットを始めた。内容は、スライスハムとゆで卵付き野菜サラダ・納豆・味噌汁・クロワッサン1個の朝食以外は、給水のための麦茶を除き、1日中何も口に入れないのだ。今日で5日目。バスケ指導時は集中しているのでなんともないが、それ以外の時は腹が減ってフラフラする。土曜日まで続けるつもりだったが今日でやめようかなあ。 
’19年07月30日(火)  X線撮影の結果石灰化症ではなかった。踵骨からアキレス腱に突き刺さるように新しい骨棘ができていた。
’19年07月29日(月)  23日に大学病院で右膝前十字靱帯再建術を受けたホノカを見舞いに行った。両松葉杖歩行で、整形外科病棟がある5階のフロアは歩行制限なしだそうだ。退院は8月2日と言ってた。1昔前は1ヶ月だった。早い。 
’19年07月28日(日)  中学生リーグ(8月節)参加案内UP newpage3   
’19年07月27日(土)  2日目はいつもの滝滑り。まず陣地を確保し、準備運動をしてから滝壺に向かったが、昨夜ザーッとひと雨降ったので滝滑りには丁度良い水量だった。今年の手伝いパパたちは昨年と同じ顔ぶれ(Hパパ・Oパパ・TNパパ・Yパパ・Mパパ )に、TAパパが加わった。TAパパは長崎市消防局のアクアラング部隊所属。滝滑りにこんなに頼りになる助っ人はいないが、滝滑りだけでなく手伝いパパたちは毎年よく働く。
’19年07月26日(金)  つめくさの久住登山初日。最初の組の下山はとても早く、午後1時半だった。下山したら毎年売店でみんなソフトクリームを食べる。F君は「大盛りでおねがいしま~す」と言ったが却下された。青年の家では例によってオリエンテーション食事をして各部屋に移動したが、疲れたり気分が悪かったりする子はいなかった。 
’19年07月25日(木)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。アキレス腱が痛くて、動きを示すどころか歩くのさえままならない。ロキソニンでここ4日ほど凌ぎ、30日(火)にX線撮影して貰おうと思う。私はこれまで数回、踵骨の骨棘の炎症に見舞われたが今回は骨棘ではなく、アキレス腱付着部のようだ。石灰化症かもしれない。イタ~イ。 
’19年07月24日(水)  今朝起きてベッドから足をおろしたら右のアキレス腱が痛い。5年前に断裂した左の上腕2頭筋長頭断裂に加えて今年3月に右の同じ箇所を傷めて両腕が上がらない上にアキレス腱までも傷めて踏んだり蹴ったりだ。昨日吉居三郎先生に触発されて気合いを入れ直そうと思ったのに出鼻をくじかれた。クソッ・・・ 
’19年07月23日(火)  ビ~ックリ!S中学校バレーボール部のベンチに座っている吉居三郎先生(元:県立短大教授、県バレーボール協会会長)の姿を見た。私を覚えておられるかなあと思いながら挨拶をしに近付いていくと、5㍍ぐらいのところで「お~、お久しぶり」と言われた。すごい!お年を伺ったら95歳だという。3年前からボランティアで指導の手伝いをするようになったそうだ。あと18年かあ、俺にはできそうにないなあ。 
’19年07月22日(月)  このところバスケットIQにえらくこだわっているが、それを高めるにはコート上だけでなく、生活全般での観察力を高めなければならない。普段の生活はボーッとしていてコートでは気が利く選手などいないのだ。 
’19年07月21日(日)  令和元年度長崎市ジュニア育成事業の1年生の部の講師を依頼された。時間は08:30~11:00だったが、早朝大雨洪水警報が発令されたため開始を遅らせて10:00~12:30になった。内容は、16日のブログで述べたようにボールの扱い方や身体の動かし方ではなく、目とアタマを鍛える練習である。中学1年生には難しいでしょうと言う人がいるかもしれないが、わたしはむしろ、もっと早い時期に取り組むべきだと思っている。 
’19年07月20日(土)  組織は、安定層2・中間層6・不安定層2で構成される。不安定層に属するのはストレスをまき散らし、組織に益をもたらさない者たちである。不思議なことにこれらは1人ぼっちにならないし、ゼロにもならない。類は友を呼ぶで、意図的に徒党を組もうとしなくても自然発生的に集まり、少人数で生き延びる。この割合が2で収まってる間はいいが、2を越えるようになると組織は崩壊へと向かっていく。さて貴君のチームは? 
’19年07月19日(金)  バスケットIQを高める練習の成果は、まだ影もかたちも見えない。おそらく先行研究も参考事例もないだろうからオレ流のやり方を切り開いていくしかない。あ~、生きてるうちにかたちにしたいなあ。 
’19年07月18日(木)  日吉で17:00~19:00練習。ギリギリまで待って、ひがながを16:55に出発。13人が参加。日吉に17:20到着。20分のロス。間に合わなかった選手の中には主力選手が7人居た。もったいないが仕方がない。 
’19年07月17日(水)  今の1プレイがこのあとの双方の有利不利に大きく影響したか、或いはたいした影響はないかを質問する。答えられるのは1人かゼロである。これを、スタメンの半数は正解者が出る指導を目指すのである。
’19年07月16日(火)  今回のクリニックは、 私の生涯でも初めて"バスケットIQを高める"をテーマに掲げたので「???」がなかなか「わかった!」にならず、私自身が動きまくりの声出しまくりのクリニックだった。さすがに今日は身体が重い。しかし、クリニック中に息切れもしなかったし、クリニック後に足のむくみも出ないし、むしろ心不全発症以前より元気になったみたいだ。今後のクリニックはどの階層であってもこの"バスケットIQを高める"にテーマを絞ってしばらくやっていこうと思う。
’19年07月15日(祭)  クリニック最終日。この攻撃を早めに仕掛け、そのあともう1回守って次の攻撃権にかけた方がいいのか、この攻撃を丁寧に確実に決め、次を守る作戦がいいのか、と問うても選手たちは「??」だ。無理もない。
’19年07月14日(日)  クリニック2日目。今日は残りのポゼッションについて取り上げた。例えば、このセットは終了までにあと2回の攻撃権を得られる。1回目はどんな攻撃?、2回目は?、タイミングさえよければどの場所からでもシュートを試みる?、なにがなんでもペイントエリア内でのストロングプレイ?、などである。 
’19年07月13日(土)  クリニック初日。今日はKチームとEチーム。午後1時から6時まで、ずっとバスケットIQを高める練習。内容はどこでもだれでもやってる練習だが、観点は7日のブログで述べたようなことをもっと深めたものだ。さっきはOKだったプレイが今度はNGと言われた。選手は「???」である。そこで私が解説する。さっき関わったのはA選手とB選手である。今度はC選手とD選手だったからNGなのだ、と。選手たちはやはり「???」である。それを最終日までに「わかった!」にするのだ。
’19年07月12日(金)  明日からシーハットでWJBLのサマーキャンプがある。私はこの3日間県外でのクリニックで不在なので、練習が終わってからJXの高橋部長に不在を詫びるためホテルへ挨拶に行った。部長は大村で行われる部長会に行って不在だった。福砂屋でカステラを買っていくつもりだったが、金曜日の営業時間は09:00~18:00で店は閉まっていた。手ぶらで行ったのはこの40年間ではじめてだ。
’19年07月11日(木)  県バスケ協会からDVDの件についての通知依頼がありましたので再度お知らせします。申込書を送っただけで代金はまだ振り込んでいなければDVDは送られません。DVDの発送は代金が振り込まれたのを確認してから送るそうです。お間違えのないようにお願いします、だそうです。
’19年07月10日(水)  DVD送付の件について、長崎県バスケットボール協会から依頼がありましたので、下記にお知らせします。
6/14付振込 振込人一般社団法人長崎県バスケットボール協会様と一致する申込書がないのでどこに送ればいいか判らないそうです。たぶん振込先と振込人の記入間違いではないかと思われます。お心当たりの方は右記までご連絡ください。e-mail:fmkyon@mxc.cncm.ne.jp fax:095-895-9555 
’19年07月09日(火)  ウィンブルドンの4回戦、錦織選手の試合をLIVEで観た。終了は昨夜というより今朝03:28。ねむ~い。それにしても、錦織選手の安定感は抜群だ。準々決勝の相手はフェデラー選手だが今回は期待できそう。
’19年07月08日(月)  昨夜思いついて、ハーフコートミニゲームに新たなルールを付け足した。これでたぶん、バスケッIQを高めるには能率的で有効な練習メニューができあがったと思う。 
’19年07月07日(日)  1昨日からハーフコート3対3のミニゲームをやらせている。試合時間は5分。ルールは3by3とほぼ同じ。狙いは実際の試合で出現する勝負を分ける場面を理解させ、そのための知恵を磨くことだ。例えば、1点リード残り10秒という場面でスローインのボールを得た。そんな時どうするかなどである。放っておくと、スローインされたボールをノーマークで得たら10人が10人シュートをする。正解は攻めないでボールをキープをすることだ。こんなことを教えたらJBAの育成部からは「それは勝利至上主義」だとお叱りを受けるのかなあ。 
’19年07月06日(土)  1昨日19:30頃古賀ミニバスのMちゃんママから電話がかかった。「今日の練習でMちゃんが捻挫したんですけど」と。ひがながの選手をバスで送りとどける途中Mちゃんの家に立ち寄って診察した。軽い前距腓靱帯損傷だ。昨日の夕方再診し、今朝7時前にテーピングを施して簡単な動きをさせてから「10時の試合には出てヨシ!」と言って送り出した。もちろん試合後のケアは細かく指示した。私が診たからといって痛みがとれるワケじゃなく、腫れが引くワケでもない。ただ、診て貰ったという安心感が重要なのだ。 
’19年07月05日(金)  月曜日は30分残して練習を打ち切った。火曜日はオフ、水曜日は大雨で部活禁止、昨日は9人しか練習に来なかった。今日は体育館割り当てがない日なのでオフ。だからこの1週間まったく顔を見ていない選手が数人いる。顔を見る見ないにかかわらず、私は毎日練習時間以外でも選手の顔を思い浮かべる。そういう意味で私は毎日コートに12時間以上立っているのと同じだ。思い浮かべる観点は、心・技術・身体の3点である。今もっとも登場する回数の多い選手はA子とB子である。上記3点に心配のタネがあるからではない。現状と将来を見据えてあれこれ考えるのである。 
’19年07月04日(木)  17:00~19:00コミュニティ体育館での練習。16:45に学校を出発。その時点で間に合ったのは9人。今日は男子の荷物を運んでやらなければならない日だったのでピストンで戻ってきて男子の荷物を積んで17:04に出発した。今日は職場体験学習の説明会があったらしいが、それが何時に終わったのかは知らない。男子の荷物を運ぶ時点で間に合った女子はゼロだったので今日は9人で練習した。18人が欠席だった。 
’19年07月03日(水)  九州西方海上にキンクが発生したことで大雨警戒情報が出され、長崎市内の小中学校は午前で授業を打ち切って下校させた。当然部活動はできない。MACにも行かず、終日自宅で本読みだった。 
’19年07月02日(火)  火曜日は通常コミュニティ体育館か日吉を借りて練習する日だが今日はオフである。理由は、体育館で生徒集会があり、生徒が校門に出てくるのがバラバラで何時に出発できるかわからないからだ。こんな日は正味1時間も練習できない時がある。土日の扱いも同じように、7月13~15は私が県外クリニックで不在なのでオフにしているが、その代替え練習は7月7日(7/13分)と8月4日(7/15分)に実施する。ただし、そのようなことを急に告知しても選手は予定を立てられないから早い段階で知らせる。
’19年07月01日(月)  コートサイドから声かけができない者はチームの一員ではなく見学者に過ぎない。5月30日と同じく、見学者があまりにも多いので「こんな練習ならもうやめよう」と言って練習を中止した。手拍子を打って、声を揃えて合唱のような声出しはできるが、意味のある声出しは何一つできない。私は型押ししたようなそんなパフォーマンスは大嫌いなのだ。今後も同じことが続くなら毎日でも同じ処置をする。
’19年06月30日(日)  原則として土日のD練(15:30~18:00)はオフとしているが、テスト休みでオフが続いたり、私の県外クリニックでオフにした日の代替えでD練を実施することがある。今日は長いテスト休み明けのD練だったので実施した。MACでポテトを食べてから練習に向かったが手に持っていた本がない。テーブルに置き忘れたと思って店に戻ったが本はない。店員に本の忘れ物の届け出はないか尋ねたがそれもない。学校に着いてからMACに電話して、紙コップその他と一緒にもゴミ箱に棄てたかもしれないので、ゴミステーションに持って行く前にゴミ箱をチェックしてくれと頼んだ。練習後MACに行ったら店員が「ありました」と言って渡してくれた。ホッ 
’19年06月29日(土)  今日は土曜日だが、PTAやら授業参観やらで午前中生徒は登校しなければならない。部活は午後の時間帯をふたつに分け、バスケ部男女は前半(1時~3時)割り当てで半面しか使えないのでオフにした。1日中家の中でじっとしているのも疲れる。
’19年06月28日(金)  U15カテゴリー部長から、U15プレ大会の要項がメールで届いた。が、7.参加資格の(2)競技者登録の文面の意味がよくわからん。たぶん「市中総体に出場したチームを離れて、U15の試合に出るために新たにチームを編成していいですよ(途中移籍OK)」という意味だろう。JBAは育成世代の改革移籍についての方針を述べている。それによれば、JBAは勝利至上主義を否定しているが、これからは引き抜き合戦があちこちで横行し勝利至上主義が日本のバスケット界に広がっていくだろう。 
’19年06月27日(木)  外部の施設を借りて練習するのは5時~7時である。コミュニティ体育館は学校を4時45分に出発すれば間に合う。日吉は4時30分に出発しなければ間に合わない。飯盛は4時40分だ。が、5時に練習を始めたことはほとんどない。生徒の個人的な理由(ぐずぐずしているか居残りさせられる)又は担任の指導の不手際(係活動や当番活動等)で出発が遅れるのだ。これまでは出発時間に間に合った選手を1便で送り、遅れた選手のために学校へ戻って2便を出したりしていたが、今日からそれはやめた。練習が成立する人数が揃ったら出発し、2便は出さない。キリがないのだ。だからといって、外部施設の借用を1時間ずらして6時~8時とすると、帰宅後の生活に支障をきたすのでそれはできない。今日の日吉は12人欠席だった。
’19年06月26日(水)  「山崎先生から直接DVD買えますか?」と、数人から質問があったので再々確認しておく。私は制作には関わったが販売には一切関わっていない。まだ、自分用のDVDですら手元に1枚も持っていない。
’19年06月25日(火)  7月は11日(木)だけ練習場所が確定していなかった。今朝8時半に飯盛体育館に問合せをした。諫早市外からの申込みは25日以降でないと受け付けて貰えないのだ。職員の回答は「空いてますよ」だった。その返事を聞いてすぐバイクに乗った。30㍍ぐらい走らせたところで携帯電話が鳴った(イヤホン)。「すみません、たった今窓口申込みがありまして東長崎はダメになりました」と言われた。家にかえってすぐ多良見体育館に電話した。空いていなかった。9時まで待って古賀地区センターに電話した。空いていなかった。上長与体育館に電話をかけた。空いていた。すぐバイクをとばした。到着までに窓口申込みはなかったのでセーフだった。コミュニティ体育館はインターネット受け付け。日吉はFAX受け付け。その他は窓口受け付けなので、空いていても移動途中に誰かが窓口で申込みをしたらアウトなのだ。毎月これで神経をすり減らす。 
’19年06月24日(月)  追手門学院の職員研修を担当した外部講師が「腐ったミカンはいらない」などと職員に発言したことがインターネットで取り上げられ、この講師だけでなく学園自体をターゲットとしたパワハラ問題が話題になっている。このニュースを見た私は、宮本輝氏(追手門学院大学卒の小説家)のことがとても気になっている。彼の作品はおもしろい。だからバッシングがエスカレートすれば、彼の作品まで汚されるようでイヤなのだ。 
’19年06月23日(日)  ひがながのA練(08:00~10:30)後、ミニバスのリーグ戦を観に行った。現在古賀ミニバスは3部だ。今日のリーグ戦で2敗したので次回は4部に落ちる。しかし、6年生(現、ひがなが1年生)が去ったあと5年生以下は8人しか居らず単独登録自体が危ぶまれたが、その後次々に部員が増えて今では14人になった。強いとか弱いという前に、まずそのことをヨシとしなければならない。 
’19年06月22日(土)  午後、N-DC県南地区U14の練習会(於:福田中)を見に行った。メニューの内容は、JBA育成委員会の趣旨にしたがって構成してあるが、その中でJBAはドライブキックとピックアンドロールをしっかり指導しろと言っている。このような事業を成功させるには、JBAがその意図をしっかり各県に伝えること、各県のスタッフが選手に「なるほど」を提供できることが重要である。JBAの指導要点の中には選手のバスケットIQを高めるとあるが、それにはJBAのバスケットIQと各県のスタッフのバスケットIQを高めなければならない。 
’19年06月21日(金)  今日は心臓と肺の検査。1ヶ月前と同じように、心肥大は治まっているし肺の水もなくなっている。診察を受けながら私が「先生、私の症状は上皇后様とまったく同じなので、皇族並みになった気分で実は少し自慢なんですけど」と言ったら、院長はのけぞって笑っていた。症状は同じ中等度で、上皇后様は散策で息切れがするそうだが、私は当初からまったく息切れはしない。同じ中等度でも幅があるようだ。 
’19年06月20日(木)  テスト休み最終日。ニコセンで4時から6時まで待機していたが、今日はテスト初日で生徒の下校時間が通常より早いので誰も来なかった。明日からは、スズメやカマキリじゃなく人間を相手にまた闘いが始まる。 
’19年06月19日(水)  今日もニコセンで待機。バイクで行く途中、右目に木の枝のようなものが当たった。しかもそのままへばりついている。じゃまなので手で払ったらそれはバイクの風防に跳ね飛んだ。バイクを停めてよく見るとこどものカマキリだ。おとなのカマキリが移動のために飛ぶのは知っていたが、ここは草むらではなくクルマが行き交うアスファルト道路で、カマキリはまだこども。どこから飛んできたんだろう?スズメの次はカマキリか・・・
’19年06月18日(火)  土日だけでなく、学校帰りにニコセンで勉強してから帰る生徒がいるということを知ったので、昨日から私もニコセンに行って放課後から7時頃まで待機している。今日も、みんなが静かに勉強をしているのに大声で話をしている男子が数人居た。が、1昨日同様黙っていた。もし私が怒鳴りつけたりしたら、生徒たちはこんなところでまで監視されている気分になると思うからだ。指導するのは別の機会にあるだろう。 
’19年06月17日(月)  午前中つばさ保育園の園児を松ヶ枝埠頭に停泊しているクルーズ船見物に連れて行った。3日ぶりにバスを動かしたが、スズメの糞が垂れていた。やつらは鋲の間隔が広いところを見つけ、そこには留まれるということを学習したのだ。スズメが俺に向かって舌を出してあざ笑っている顔が目に浮かぶ。クソッ、捕まえたらヤキトリにする前に舌を抜いてやる。
’19年06月16日(日)  今日も昨日同様9時から5時半までニコセンで待機。日曜日なので出足は遅かったが10時過ぎには2階の図書室も3回のフリースペイスもほぼ満席状態。今日の質問者は1人。科目は数学、理科(物理)、英語。今日アタマにきたのは2組の男女グループだ。昼近く来た2人の女子中学生は昼ご飯を食べながらフリースペイスのソファに座ってデカい声で話したり笑ったりしている。それが去ったら今度は5~6人の高校生男子グループ。同じくうるさい。みんなが静かに勉強しているという空気を読めないこんな若者こそ、おとなたちが叱りつけて躾をしなければならない。反撃やクレームを恐れて腰を引いてはならないのだ。
’19年06月15日(土)  現在ひがながバスケはテスト休み中。昨日一斉メールで「明日と明後日はニコセンの図書室に、朝9時から夜9時まで居るから、質問があるならどうぞ」と知らせた。私とほぼ同時刻に図書室に入ったのは3人の中学生と1人の老人の計5人。10時過ぎにほぼ満席になった。11時頃2人質問に来た。午後から1人追加。科目は、数学・理科(物理)・英語・社会(地理)。私のやり方は答えまで導かず、考え方を示したあとは自力で解かせる。9時までと言ったが、みんな5時過ぎには帰って行ったので私も同じ頃帰った。 
’19年06月14日(金) 第3Q残り2分。速攻でダンクシュートにいったトンプソンはファウルされて体勢を崩し、着地した時に左膝を捻った。リプレイを見たら典型的なACL損傷のパターンだ。試合はどっちが勝つかわからない点差だった。だが、もしこの試合をウォリアーズが勝っても大砲2本欠いた最終戦を勝つ見込みはない。しかし、冷たい言い方だが「ケガ人ばかりで…」と当事者が言ってはならないのだ。「ケガ・病気も実力のうち」なのだから。 
’19年06月13日(木)  長崎県バスケットボール協会のHPで、DVD注文受け付け開始が告知がされた。協会から依頼されて3月3日に撮影をしたが、編集に約2ヶ月半かかってようやく販売という運びになった。前にも述べたが、これは山崎純男が作ったのではなく協会が作ったのだから山崎純男に申し込んでもどうにもならない。さらに、山崎純男のコネを使って安く手に入れようとしてもどうにもならないことを再度通知しておく。 
’19年06月12日(水)  バスの右のミラーに張り付けたテープの端が少しめくれていた。ハサミで切り取って補修したが、切り取ったテープの内側には羽毛が付いていた。持って帰って丁寧に剥がしたら小さい鳥の羽毛のようだ。色は黒と茶が主体。鳥が糞をしている現場を見たことがなく、糞の量から推測してこれまでカラスかハトだと思っていたがどうやらスズメだなこれは。テープのベタベタが張り付いてジタバタしたのだろう。もがいている様子を想像して少しかわいそうになった。 
’19年06月11日(火)  デュラントが復帰したが、試合の空気からウォリアーズ有利という感じは伝わって来ない。そのデュラントは第2Q開始早々右アキレス腱を再び受傷。この時点で今年のウォリアーズは終わったと思ったが、試合はウォリアーズがリードしたまま進んだ。しかし、残り4分それまでずっと不調だったレナードが復活し、連続スリーを決めて遂に逆転。これでラプターズの初優勝が決まったと思ったが、ウォリアーズはカリーとトンプソンが1本ずつスリーを決めて再逆転。ウォリアーズが勝利をもぎ取った。コートからは熱気や活気ではなく、悲壮感しか伝わって来ない。双方とも疲労困憊だ。NBAの長丁場のファイナルの過酷さをひしひしと感じた。 
’19年06月10日(月)  先週3㎞ランでの走りを途中で停止させたA子を、週が明けたらすぐ貧血検査に連れて行くように母親に指示していた。今日その報告を受けたがなんとヘモグロビンが6ポイント台だった。ただちに鉄剤投与だ。2ヶ月以上はハードメニュー禁止。貧血を予防するには偏食を避けなければならないが、貧血になってしまえば肉を食べてもホウレンソウを食べてもサプリメントを摂っても治らない。鉄剤投与のみだ。鉄剤は胃を刺激するので吐き気をもよおす場合があるが、ちゃんと服用すれば必ず治るので2ヶ月辛抱だ。 
’19年06月09日(日)  長崎市中総体2日目。朝から純心会場と桜馬場会場を行ったり来たりして観戦した。個人的に目を引く選手は数人居る。だが、それらを擁するチームが県大会でも勝てるかどうかはわからない。また、県代表チームが九州大会や全国大会で活躍できるかどうかはさらにわからない。あ~、なんとかならんかなあ・・・。 
’19年06月08日(土)  長崎市中総結果報告UP newpage3 
トンプソンは復帰したがデュラントは復帰せず。ウォリアーズが4戦を落としラプターズが王手をかけた。 
’19年06月07日(金)  今日の3㎞ランは大半の選手が自分の力に見合った走りをしたが、まだ最後の200㍍ぐらいだけスパートして全力出したつもりになっている選手や、途中手を腰に当ててとぼとぼ走ったりする選手がいる。そんなのがゼロにならなければ訓練したとは言えない。higanaga3km 
’19年06月06日(木)  NBAファイナル第3戦。ウォリアーズは109対123で負けた。デュラントとトンプソンは、第3戦には出るという噂はあったが出なかった。私は、コーチの顔と選手の顔がアップされる度に、この試合と今後の試合をどう考えているのかを探ろうとした。この試合にトンプソンとデュラントを出さないのならば負けの可能性が高い。それならばこの試合でカリーを無理させず、私ならトンプソンとデュラントが復帰する4戦目以降に勝負を賭ける。が、カーHCは地元で試合を棄てたような采配は出来ない。たとえ本音ではなくても勝ちに行くつもりを装わなければならない。私ならそうするが、カーHCの本音はどうだったろう?探っても分からなかった。
’19年06月05日(水)  とりもちは禁止猟具に指定されていて、とりもちで鳥を捕獲するのは法律違反になることがわかった。そこで画鋲を買ってきてそれをテープでさかさま貼り付けた。留まれば足に刺さるぞお・・・。 
’19年06月04日(火)  バスのミラーにゴミ袋をかぶせた日は用心して糞をしてなかったが、今日はゴミ袋の上から糞をしている。ヤキトリにするには捕まえなければならないから、近々とりもちを買ってきてゴミ袋の上にくっつけようと思う。
’19年06月03日(月)  今日は、今週末から始まる中総体の前倒し代休で中学校は休み。練習割当はD練(08:00~10:30)。基本的に休日のD割当はオフにしているので、10時開始の高校総体決勝リーグを観に行こうと思えば行けた。しかし昨日も述べたように絶対観に行こうという気にならなかったので、家に居てNBAファイナルの第2戦をライブで観ることにした。ウォリアーズは、デュラントがファイナルの前に左ふくらはぎを傷めて欠場している。今日の試合はカリーが体調不良でクスリを飲みながらの出場で精彩がない。ひとり気を吐いていたのがトンプソンだけ。そのトンプソンも第4Qに左内側ハムストリングを傷めて退場した。試合は前半ずっとラプターズが有利に進めており、それを第3Qにウォリアーズが逆転してそのまま逃げ切ったが、私はずっとウォリアーズのコーチと選手たちの表情を観察しながら、この試合をどう創り上げようとしているのか、3戦目以降はどのようなプランで臨もうとしているのか、を探っていた。カーコーチの口から「ケガ人が多くて・・・」というセリフは出ないだろうが、ウォリアーズは満身創痍である。さて、3戦目以降どんなゲームプランで臨む? 
’19年06月02日(日)  高総体2日目。会場は佐世保小佐々スポーツセンター。矢上から片道100㎞。今日のひがながバスケはA練(08:00~10:30)。時間的にはそれが終わってから行こうと思えば行ける。しかし「絶対観に行こう」という気にはならない。行くならバイクなので、片道100㎞という距離と、A練後空模様が怪しくなってきたことを言い訳にして行くのをやめた。brakosotai19 
’19年06月01日(土)  長崎市中総体参加案内UP newpage3  
’19年05月31日(金)  学童送迎のためにバスを動かそうと思ってバス置き場に行ったら今日もまったく同じところに鳥の糞がへばりついていた。昨日はバスをずいぶん後方に停めたのに…。そこで私はハッと気がついた。やつらは上空から糞を落としているのではなくミラーかミラーのアームに留まって糞をしているのだ。だから今日は駐車したあとミラーにゴミ袋をかぶせた。これでもまだ糞をするようなら捕まえて絶対ヤキトリにしてやる! 
’19年05月30日(木)  私のバスは田中町の卸団地の坂を下ってきた中尾ダムの前の空き地を借りて置いてある。つばさ保育園・東長崎中・私の自宅からほぼ等距離の便利な場所である。空き地は雑草を刈り、砂利を敷き、覆い被さっている樹木の枝を払ってマイクロバスが2台置けるスペースを確保している。このところ毎日、正確に運転席側のリアミラーに鳥の糞が落ちている。枝は払ってあるので真上に樹木はない。だから、枝に止まって糞をしているのではなく空中でやっているのだ。今度、現場を押さえたら文句を言おうと思う。 
’19年05月29日(水)  23日のブログで示したように、学校練の日はエントリー選手たちは、前半3㎞ランをしてから体育館に入る。ベンチ組は前半コート練をやり、後半は主戦力組にコートを譲って部活終了とする。今日、主戦力組はベンチ組の練習が30分残っているところで体育館に入ってきたがコートサイドからの声かけは皆無である。10分ぐらいがまんしていたが主戦力組を集め「お前達はチームの一員ではなく見学者だ。チーム練習に見学者は要らないから帰れ」といってみんな帰した。中総体直前の大事な時間をもったいないという人が居るかも知れないが、試合がどうこう言う前に学校代表としてふさわしいかどうかが大事なのだ。 
’19年05月28日(火)  前回の受診から2週間経ち、再診の日が来たので馬場医院に行った。診察前に胸部X線撮影をした。その画像を見ながら院長が「あ~肺の水がなくなってますねえ。そして心肥大も元にもどっている。よかったですねえ」と言った。受診する前に私は「肺の水は減ってるんじゃないかなあ」と思ってはいた。最近足のむくみが消失していたからだ。ビソプロロールとフロセミドが効いたのかな?ま、身体が古くなったので今後もいろんなことが起こるだろう。でも、周囲の手を煩わせる時期が来たなと思ったら自分の始末は自分で付けるから心配ご無用。備考:血液検査から尿酸値が5.4に下がっていることを見つけた。痛風発症後最低値だ。
’19年05月27日(月)  学校練の時、エントリー組は前半八郎川周囲の3㎞ランのあと体育館に入って後半エントリー外の部員と交替してコート練をやる。が、今日は雨だったのでエントリー組は前半ランをやらず、体育館でエントリー外の選手たちの手伝いをさせた。手伝いは気配りができなければ務まらない。エントリー組で試合に出せない選手は気配りができないから手伝いでもやはり役に立たない。
’19年05月26日(日)  鶴鳴杯2日目結果UP newpage3 
’19年05月25日(土)  鶴鳴杯初日結果UP newpage3
’19年05月24日(金)  今日の夜はつばさ保育園のつきほしぐみさんがホタルウォッチングをしたあとお泊まりだ。部屋ではなく芝生のグランドテントを張って寝る。つきぐみさんは昨年に続いて2回目だが、夜中に泣く子はいないらしい。 
’19年05月23日(木)  部活は現在夏時間で6:40完全下校である。それが今日から中総体(6月7日)まで10分延長される。しかし時間を延長されても半面のコートで43人の部員を賄うのは非能率的なので、私の本意ではないがエントリー選手は前半八郎川周囲を走ったあと後半コートでの練習、エントリー外の選手は前半コートで練習をして後半はランをせず、部活終了とした。こうすると全体の練習時間は半分になるが、1人ひとりの選手にとっては自分のレベルに合った練習内容を確保できる。
’19年05月22日(水)  平日開催の体育大会はやはり盛り上がらない。日曜日が雨だったから仕方がないが。だから今日も、10時から昼過ぎまでNBAとMLBの試合を観た。MLBは「どうせ大谷選手は出ていないだろうけど」と思いながらテレビを点けたがなんと大谷選手はスタメン出場。しかも1本ヒットを放った。NBAではレナードが膝上を打撲して動きに精彩がなかったが、ラウリーについでの19得点で星を2勝2敗の五分に戻した。プロスポーツ選手がシーズンを通してケガなく出場するのはほんとに難しい。衣笠選手や金本選手は偉かったなあ。
’19年05月21日(火)  昼間はずっと、テレビでMLBエンジェルスの試合とパソコンでNBA西地区決勝を見ていた。大谷選手は3打数無安打デッドボール1。NBAはウォリアーズがスウィープでNBAファイナルに進んだ。私は、マナーが悪いのでグリーンは好きではないが今日の試合はグリーンの活躍で救われた。もう引退したが、同じ理由でコービーもアイバーソンも私は嫌いだった。しかし、監督を標榜するからにはこんな悪童もうまく扱えなければならないのだ。
’19年05月20日(月)  昼過ぎ、バイクで家を出て橘交番の横から本通りへ出ようとしたら目の前を何かがノソノソそ動いていた。バイクを停めてよく見るとカメだ。アタマから尻まで25~30㎝ぐらいある。でかい。たぶん近所でペットとして飼っているカメが逃げ出したのだろうと思って交番に知らせた。年配のおまわりさんが出てきて「みどりガメですねこれは(2014年以降輸入飼育禁止)」といって預かってくれた。飼い主さん見つかったかなあ。 
’19年05月19日(日)  朝6時過ぎ、今日の体育大会は22日(水)に延期になったという通知があった。体育大会は延期だが今日は家庭の日なので部活はできない。なので今日も佐世保まで大学の試合を観に行った。観に生きたい者が居ればバスを出すと一斉メールで知らせたら5人申込みがあった。初めて大学生の試合を観てどんな感想を持っただろう?。私はこんな時感想を求めたりしないからわからない。感想を求めないのは、観戦すると必ず感想を求められるというのが苦痛になる選手も居ると思うからだ。 
’19年05月18日(土)  B練(10:30~13:00)のあと、佐世保の東部運動公園体育館で行われている全九州大学春季選手権の準決勝を観に行った。観戦目的で大学生の試合を観に行ったのは何年ぶりだろう(審判では数回ある)?と考えた。記憶を辿ると、平成6年に宗像でインカレが行われた時に観に行って以来だということがわかった。26年ぶりだ。感想を述べる。幼いとか未熟だとかしっかりしているとか賢いとか強いとか、各階層によってそれはまちまちだが、今日の大学生準決勝2試合共通して思った感想は「あわただしいなあ」だった。
’19年05月17日(金)  ひがながバスケはオフ。10時から楽天TVのLIVE放送でNBA西地区決勝ウォリアーズ対ブレイザーズの試合を観た。114対111でウォリアーズが2連勝した。試合内容もさることながらカリー兄弟(ステファンとセス)の対決と、観戦している両親の姿が盛んにアップで映し出されたのがおもしろかった。両親が着ているTシャツには、胸にブレイザーズ、背中にウォリアーズとプリントされていた。アメリカ人は楽しみ方がうまい。
’19年05月16日(木)  先月、日赤諫早病院循環器内科受診後1ヶ月経ち、そこから診断結果が私のかかりつけの馬場医院に回っているはずなので今日受診に行ってきた。心電図検査と胸部X線撮影をした。私の心臓を10年来診てきている院長は「不整脈はこれまでと変わりなし。大動脈閉鎖不全もあるが中等度。でもこの程度で肺に水が溜まるかねえ・・・ウーン」と言って首を傾げていた。私が「俺もずいぶん古くなったからねえ」と言ったら、院長が「何がですか?」と問い返したので「身体がさ」と答えたら院長は「いやいや、まだまだいろんな手がありますから」と言った。いろんな手と言ったがいろんな治療法とは言わなかった。これまでのクスリにビソプロロールとフロセミドが加わり、2週間忍容性をみることになった。診察室から出る時に院長が「コーチ業はこっち(笛を吹くゼスチャー)を多くしてこっち(腕振りのゼスチャー)は少なくしてくださいね」と言った。
’19年05月15日(水)  鶴鳴杯参加案内UP newpage3  
’19年05月14日(火)  カリンはジャンプショットを6年生の時からワンハンドで撃っている。ひがながに引き取ったあともそのまま撃たせていたがどうもリリースがおかしい。よく見ると彼女の腕は伸ばしきると肘関節が過伸展になるのでリリース時の指先は外向きになる。それをリング向きにしようとして彼女の手首から先は野球投げになってしまっているのだ。この修正方法は①腕を伸ばしきらないワンハンドか②プッシュパスの要領のボスハンドである。私は後者を選んだ。ジャンプやストップがニーインになるクセが治らないがまずはリリースの改良だ。 
’19年05月13日(月) 東地区準決勝ラプターズ対76ersの第7戦は、残り4.1秒でスローインのボールを得たレナードが、ドライブを試みるも76ersのディフェンスに押し出され、右コーナーいっぱいに追い詰められたままのけぞって放ったシュートがリング手前に当たってポーンと上に跳ねた。「あ~延長かあ」と誰もが思ったが、落ちてきたボールがもういちど度跳ね、それがストーンと入ってラプターズが決勝進出の切符をもぎ取った。先日のウォリアーズ対ロケッツの試合もそうだが、NBAの選手のプロ意識には鳥肌が立つ。そのプロ意識の中でも私の目を引くのはレナードやハーデンなどの得点力ではなく、トンプソンのディフェンス力である。NBAを引き合いに出すのもおこがましいが、ひがながバスケは4月以降日増しにうまくなりたいオーラが強くなってきている。そう遠くない日に、ひがなが選手の目がトンプソンの目付きに近付くことを目指して指導していきたい。 
’19年05月12日(日)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。9日に傷めた左肩が痛いので、ボールを持った示範は何もできない。しかし、うっかり手を大きく動かして指導する時ズッキーンと痛みが走ることがしばしばある。ハア~。 
’19年05月11日(土)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。本来週に2回はオフ、そのうち土日のD割当はオフとしている。だがそれはあくまで原則であって、私の県外」出張で土日をオフにした時はその代替でこうなることがある。今日は、午前中BSTVでMLBエンジェルスの試合とインターネットでNBAウォリアーズ対ロケッツの試合をLIVEの同時進行で見た。大谷選手は5打席ノーヒット。NBAはウォリアーズが勝ってファイナルにコマを進めた。昨日、デュラントが足を痛めた時点でウォリアーズの今シーズンは終わったと思っていたので、残り36.1秒、トンプソンがスリーを決めて結着を着けた瞬間、私の目からポロッと涙がこぼれた。思えば、他人のバスケットの試合を観て涙が出たのは、1984年の女子日本リーグ決勝共石対シャンソン戦以来35年ぶりだ。
追伸:デュラントへのメッセージ―復帰を焦ることはないよ。君のチームメートはすばらしい。1人ひとりが「自分は何をすればチームに貢献できるのか」をわきまえている―。奥さん元気? 
’19年05月10日(金)  昨日選手を送り届けてマイクロバスを降りる時に、ドアの取っ手を持ったまま地面に跳び降りたので肩がガクッとなった。それから左腕をちょっとでも動かすと痛い。パソコンのキーボードも右手だけでしか操作できない。昨夜寝る前(10時半)にロキソニンを服み、夜中の4時半にまた服み、今朝10時半に服み、午後4時半にまた服んでどうにか痛みとは闘わなくてすむようになった。が、まだ左腕は自由に動かせない。今日も寝る前と深夜に服むことになるかもしれない。私の身体はもう東南アジアでも売れないかもしれない。 
’19年05月09日(木)  ウォリアーズ対ロケッツの第5戦。第3クォーター残り2分10秒。デュラントがショートコーナーからジャンプショットを決め、68対65としたところで足を傷めた。それを見ていた私はアキレス腱を切ったと思った。そしてウォリアーズはこの試合を負け、第6戦のアウェイゲームも落として今シーズンを終わると思った。学童の送迎でそこまでしか見られなかったので、夜第4クォーターを録画で見たらスプラッシュブラザーズが目を覚まし、勝利をもぎ取っていた。デュラントのケガの情報は録画では分からなかったが、第6戦に出るのは無理だろうからウォリアーズが王手をかけたとはいえ苦しい状況であることに変わりはなかろう。 
’19年05月08日(水)  矢上と高城のミニバス選手をバスで古賀小に送る4時まで何もない。8時開始のMLB大谷選手の復帰戦をBSで見ながらパソコンではNBAの76ers対ラプターズの試合を同時進行で見た。NBAは引き続きトレイルブレイザーズ対ナゲッツ戦のLIVEを観た。その間、大谷選手がボックスに立たない時やNBAの長いハーフタイム中は読書(草原の椅子:宮本輝著)だ。NBAの観戦終了は午後2時。有意義な時間を過ごせた
’19年05月07日(火)  今日はコミュニティ体育館での練習。外部施設で練習する時はいつも5時から7時までの2時間である。学校行事や放課後の係活動などで出発が遅れる場合がほとんどなので5時に開始できることはまずない。だからといって外部施設での練習を6時から8時までとすれば選手の帰宅後の生活が窮屈になるのでそれは絶対にしない。今日は体育大会(19日)前のクラス練習や係活動や演舞稽古などで各学年と各クラスでの終了がバラバラで、1便・2便・3便と3往復して選手を運んだ。それでも3便に積み残したのが9人も居た。学校行事だから仕方がないが、困るのは「何時に終わるのかわからない、バス出発に間に合うのかどうかわからない、練習に参加できるのかどうかわからない」である。やっぱり報告・連絡・相談・確認だ。これは選手間だけではない。担任も学校もこれをきっちりやらなければ組織は動かない。 
’19年05月06日(祭)  10連休最後の日。ひがながバスケはA練(08:00~10:30) 。3日~5日の3日間、私が宇部に行っている間はオフにしていたので4日ぶりの練習だ。途中、気分が悪くなった選手が出たので練習から外した。オフの間体調管理ができていなかったのがその理由だと思われる。鶴鳴時代にもそんなことはしばしばあった。技術や戦術を教えるだけでなく、こんな事例が発生しないようにするのもコーチの仕事だ。
’19年05月05日(祭)  宇部カップ最終日。会場を慶進高校に移して慶進・神村・鶴鳴の3チームでスクリメージをやるつもりだったが、スクリメージは朝の1発だけでやめて、あとはず~っと午後4時まで3チームのクリニックをやった。みんな私の身体のことを心配するが、息も上がらずパフォーマンスも落ちず声も小さくならずにやり遂げた。 
’19年05月04日(祭)  宇部カップ2日目。数年前城北の富田先生がリタイヤした。続いて倉敷翠松の平松先生がリタイヤした。今回仁愛の中池先生はリタイヤしてはいないけど来ていない。寂しくなったなあ。 
’19年05月03日(祭)  宇部カップ初日。今日の観戦はすべて宇部高校でのゲーム。最終ゲームの神村対宇部中央の試合をTO席の横で見ていたら、TOをやっていた宇部商業の選手に話しかけられた。「どこの方ですか?」「長崎」「え!じゃあ長崎女子ですか?」「うん昔いたことがある」「なら、国体とか出たことあるんですか?」「そんなこと俺の口からは言えないよ、ほかの人に聞け」「じゃあじゃあ、AKB48の寺田美咲(長崎出身らしい)って知ってますか?」「俺は77歳のじいさんだぞ、そんなの知るわけないだろ」 
’19年05月02日(祭)  A練終了後、大村シーハットで行われているU15クリニックの見学希望者をマイクロバスに乗せて大村まで走った。講師は錚々たるメンバーだ(大神雄子・永田睦子・中川聴乃他男子トレーナー)。昼は大会議室で熱中症やバイオメカの講義。午後は体育館で実技。追伸:大神雄子選手はもっと専門的な理論を学びたいと思い、今春から筑波大学の大学院に通っているらしい。エライッ!
’19年05月01日(祭)  総勢43人。練習が軌道に乗ってきた。私が目を配るのは新入生の12人である。ミニバス経験者の9人にはミニバスならではの悪いクセがまだ残っている。今はその除去作業中だ。素人の3人には指導当番の2年生を付けているが細部に目が届かない。今日は指導当番の2年生に3回チェックを入れた。 
’19年04月30日(祭)  平成最後の練習はC練(13:00~15:30)。攻防の練習はこれまで3組のローテーションで回していたが、部員が増えたので4組のローテーションになった。1回の練習で4回順番が回ってきていたのが3回しか回って来ない。しかし、中総体前になっても組数を減らして主力選手中心の「練習にはしない。下級生のプレイを観て声かけをするのも大切な練習だからだ。 
’19年04月29日(祭)  日本列島は10連休真っ只中。しかし6年前から私は365日連休だ。だからといってヒマではない。バスケットの指導や学童送迎の手伝いがあるのでほぼ毎日動き回っている。だが、今日はひがながバスケもオフなので終日ヒマ。しかも雨なので一歩も外には出ずに本読み(おとこ鷹:子母沢寛著下巻)だ。 
’19年04月28日(日)  昨日は長崎新聞社杯のベスト4決め。今日は決勝。どちらも観に行かなかった。練習試合を仲介した手前そっちのチェックに行かなければならなかったからだ。協会のHPで結果を見たら男子決勝は母子対決(母:南山コーチ、息子:小ヶ倉コーチ)で息子の勝ちだったようだ。ヒャ~。 
’19年04月27日(土)  熊本の慶誠高校から練習試合の相手探しを依頼され、鶴鳴と鎮西学院に打診していたのが今日と明日実施されることになったのでチェックしに出かけた。3者ともまだまだだなあ。 
’19年04月26日(金)  ひがながバスケはオフ。朝9時から午後1時までDVDの編集。アフレコで音を入れたり、動画に矢印や円を挿入したり、私が関わらなければならない編集は今日が最後だ。あとは業者が画像の質や色調やBGMをいじって微調整するだけである。いつできあがるのか、いつごろ販売開始になるのか私にはわからん。あとは協会の仕事だ。とにかく私の役目は終わった。 
’19年04月25日(木)  ひがながバスケは毎週火曜と木曜は体育館割り当てがないので、この日は外部体育館を借り歩く。5月は21日(火)と30日(木)の2回分が確保できていなかった。頼みの綱は飯盛体育館である。諫早市以外の利用者の申請解禁日は毎月25日だ。今朝1番に電話で空き状況を問い合わせたら両日とも空いていた。飯盛体育館は電話での予約は受け付けず、直接窓口に行って申請書を書かなければならない。朝飯を途中で放り投げて飯盛体育館までバイクをすっ飛ばした。間に合った。これで5月は全部OK。ヤッター(^O^)
’19年04月24日(水)  新入生が揃って練習に参加して4日目の今日、全員のHP用写真撮影とJBAの登録が終わった。新入生の内訳は、ミニバス経験9人、素人3人だ。毎年、素人部員には日替わり当番で上級生が付き、ゴール下シュートやドリブルやパスを教える。今年は素人が3人だけなので1人ひとりに手厚い指導ができる。 
’19年04月23日(火)  昨日、高校春季戦の会場で松葉杖をついている会長の姿を見た。今日電話をかけて「どうしたの?」と聞いたら、昨年暮れ福岡で行われた全国医師大会で、ゴール下に走り込んでジャンプし、受けたパスをそのまま空中でシュートしようと思ったが途中で思い直し、一旦床に降りてからシュートをした時半月板を傷めたのだそうだ。74歳にもなってアリウープ(Alley-oop)なんかに挑戦するなよお。他人の事をとやかく言える私ではないけど・・・ 
’19年04月22日(月)  午後1時開始の高校春季選手権決勝を観に行った。第4クオーター残り6分でずっとリードされていた鶴鳴が長崎西に追いつき、64対64となったところで学童クラブ送迎のために矢上に戻った。結果は1点差で鶴鳴が勝ったそうだ。長崎西が追いつかれたのは後半パフォーマンスが低下し、個人の単発攻撃が多くなったからである。パフォーマンス低下の原因は体力的な問題だけではない。一方鶴鳴は、何かが良かったから追いついたのではない。双方ここらへんをどう分析してあと1ヶ月を過ごすかがカギとなる。 
’19年04月21日(日)  昨日の夜からず~っと、入れ替わり立ち替わり選手の顔が目の前に現れ、本を読んでいてもストーリーがまったくアタマに入らない。中総体での選手起用構想を描いては消え描いてはの繰り返しなのだ。中総体ではチーム力が落ちないようにしてできるだけ3年生をエントリーしてやるつもりだ。それを、昨日の選手達の立ち居振る舞い(コート上のプレイだけではない)を基準にして選考する。そのことにまる1日費やした。 
’19年04月20日(土)  長崎新聞社杯結果報告UP newpage3  
’19年04月19日(金)  日吉自然の家での練習が終わって外に出たら橘湾の上にまん丸のでっかい月が出ていた。今日は満月?
’19年04月18日(木)  日赤諫早病院循環器内科2回目の受診。採血・尿検査・心電図検査・単純X線撮影のあとDrTの診察を受けた。「あ~、足のむくみもなくなっているし、胸水もずいぶん減っていますねえ。ここでの診察は今日でおしまい」だった。心臓の問題なので多くの方々に心配をかけたが、先週「代役が効かないことを今やっているので入院はしません」と言ったとき、私の症状が重篤なものならばDrTは「いやいやこれは入院安静が絶対です」と言ったはずだ。DrTは「そうですか、では利尿剤をしばらく飲みますか」と言い、そして今日「ここでの診察は今日でおしまい」と言った。これをしてはいけないあれをしてはいけないなどの注文は何もなかった。少し古くはなったが私の心臓はまだしばらく使えるのだろう。調子に乗って6㎞ランを再開さえしなければ・・・
’19年04月17日(水)  今日は、県バスケ協会からの依頼で撮ったDVDの第2回編集日だった。10時から3時まで5時間かかったが全体の3分の2ぐらいしか進まなかった。仕上がりまでにあと3回は顔を出さなければならないだろう。
’19年04月16日(火)  2・3年生は今日からテスト休みである。それを見越した1年生の保護者が5時半から7時半まで地区センターを借りて自主練ができるよう手配していた。私の指導を期待しての行動ではなかったが、それを知った私は指導に出かけた。私の第1声は「俺の心臓はいつ止まるか判らないのでまずAEDがどこに設置してあるか探せ」だった。それを聞いた選手たちは「そうだ!」と言いながら一斉に散ってあちこち探し始めた。説明書を見るとAEDは事務室に設置してあると書いてあった。私が「遠い!」と言ったらみんなが「K子(チーム1の俊足)を走らせますから大丈夫です」と言った。だが、指導が終わるまでAEDの出番はなかった。 
’19年04月15日(月) 1昨年末、文科省から出された"教員の働き方改革"を私は熟読している。その後、①部活動は必ず週2回は休め②土日のどちらかは休め③それは市中総体以降実施④1回の練習時間は2時間半を越えるな④毎月21日は職員の定時退庁日とし、その日は部活動はできないなどなど個人的に聞いたことはあるが、学校が校長名で出した文書としては1度も見たことがない。しかもそのような情報の中には「らしい」などと不確かな要素を含めて飛び回っているものもある。このような情報は通知とか連絡とか指示とは言わない。 
’19年04月14日(日)  長崎新聞社杯参加案内UP newpage3 
これまでcybozuというグループウェアを使って身内への連絡をしていたが、明日でcybozuが閉鎖されるので今後のチーム情報については私のホームページを見て頂かなければならなくなる。
’19年04月13日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。未練について述べる。あと2年はコーチを続けたいと思っていても、1年しか身体がもたないかもしれないし、逆に3年は大丈夫かもしれない。そんなことは考えても仕方がないことだから、今の私にもっとも重要なことは未練を捨てるということだ。帰ってからそんなことを考えた。 
’19年04月12日(金)  ひがながバスケはオフ。注文していた本が入荷したと好文堂書店から連絡があったので取りに行った。優駿宮本輝著。純心の大久保先生に紹介されて流転の海を読んでから私は宮本輝氏の文章の虜になってしまった。今、子母沢寛著の父子鷹の下巻を読んでいるので、それが終わったら読もうと思う。 
’19年04月11日(木)  8・9・11と、新学期になってもう3回日吉自然の家での練習だ。コミュニティ体育館が確保できなかった上に8日は体育館が使えないということがわかって急遽日吉になったのでこんなことになった。日吉は遠いよ。 
’19年04月10日(水) 

https://www.youtube.com/watch?v=ufI6DCB6X2Uこれをブラウザに張り付けて下さい。
                                     このままクリックしても見られません。

http://www.espn.com/mens-college-basketball/game?gameId=401123374
https://www.dailypress.com/sports/dp-spt-uva-final-four-bennett-family-0406-story.html
遂にトニーベネットがNCAAチャンピオンになった。

’19年04月09日(火)  私の心臓の歴史について述べよう。教員は毎年健康診断を受けなければならないが、40歳になると項目がふたつ増える。心電図と胃検診だ。その時私は心電図ST上昇(図に青線で表示。S波が底まで降りずに途中でT波に繋がっている)の指摘を受け、専門医の診察を受けろと言われた。結果は「スポーツ心臓でしょう」だった。それから10数年後右肩の腱板断裂の再建手術を受けるために大学病院で術前検査をした際、循環器担当の医師から「ブルガダ症候群の疑いがありますねえ」と言われた。断定ではなく「疑い」だった。肩の手術をするには心臓の詳しい検査が必要だと麻酔科の医師から言われたがそれは面倒なので肩の手術はとりやめにした。その後70歳になって不整脈を指摘され、さらに今回心不全だと言われた。思えば、40歳でST上昇と指摘された時に(あるいはそれ以前からかもしれない)なんらかの異常があったのだろう。しかし、それ以来36年間生きてきているのであまり気にせずこれまで通りの日常を送ろうと思う。。 
’19年04月08日(月)  4日のブログに「心臓由来など・・・」と書いたが、それは2月下旬から頻繁に出る足のむくみとDr宮本の「肺に水が溜まってるようですね」から「ひょっとしたら心不全由来?」と思ったからなのだがそれは当たっていた。今日日赤諫早病院の呼吸器内科受診のあと循環器内科に回されたが、心エコー検査の結果心臓の4つの弁のうち2つの開閉が悪く、血が少し逆流していた。だから心臓に負担がかかって少し肥大しており、循環が悪くなってむくみや胸水の症状が出るのだ。腎機能の数値はまだ大丈夫だった。本当は入院して安静にしていた方がいいのだがそれは夏休みなど長期休暇の時に考えよう。安静にしていたらむくみや胸水はとれるだろうが、安静で弁が元通りになることはない。弁を元通りにするには手術しかないが、ひとつならまだしも2つも手術するなんてとんでもない。でも決して悲観してはいない。むしろホッとしている。私は母が92歳になるまで15年間、私ひとりで介護を続けたが大変だった。今回のことで「俺は介護で他人に迷惑はかけなくて済みそうだな」と思ったからホッとしているのだ。もう自己鍛錬のための6㎞ランはできないだろうし審判を1日3試合するなど無茶はしないが、お世話になった方々への恩返し活動は続けていこうと思う。
’19年04月07日(日)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00) 。9時から審判ライセンスの更新講習があるので選手達には「練習開始には間に合わないかもしれない」と伝えていたが、最後にルールテストがあったのでそれが昼過ぎまでかかり、練習には顔を出せなかった。5月で77歳。講習担当のO氏が「先生が最長老です」と言った。これから上級を目指すことはないのでもう要らないが、中学のコーチをしていると帯同審判の割当があるのでライセンスは必要なのだ。
’19年04月06日(土)  スクリメージの順番待ち中にN子がシャツの首周りをパタパタさせて風を入れている。暑いのだ。「暑いなら長袖を脱いで半袖になればいいじゃないか」と言ったがN子は黙ったまま固まっている。「おそらく中に半袖を着ていないのだろう。それがお前のヒトとしての本質を表しているよ」と私は言った。 
’19年04月05日(金) ひがながバスケはオフ。具合が悪いワケではないが、今日は1日中家の中でジーッとしていた。 
’19年04月04日(木)  明日、日赤諫早病院は予約で満杯のため私が割り込む隙間はなく8日(月)の朝9時半からにまわされた。咳が頻繁に出るのでも痰が頻繁に絡むのでも熱があるのでもないが、少しの動きで息切れするのは相変わらずだ。感染なのか、それとも心臓由来など、他にやっかいな理由があるのか、な~んなんだろうなあ・・・。 
’19年04月03日(水)  1月14日に罹った重症の風邪がずっと尾を引いており、3月下旬に「これはおかしいぞ」と思ったので専門医に診て貰うことにした。大病院で診察して貰うには紹介状が要るので諫早の宮本外科で書いて貰った。その時胸部X線撮影をしたが、院長が「肺に水が溜まっているようですね」と言った。そのフィルムを持って金曜日に日赤諫早病院の呼吸器内科に行く。これはおかしいぞと思ったのは、呼吸がしづらくなったからである。バスケ指導でちょっと動いただけなのに息があがるのだ。自己診断で肺気腫を疑い、自宅に持っているオキシメーターで酸素飽和度を測ったが数値は98%で異常なし。金曜日の検査で何と言われるのかしらん。 
’19年04月02日(火)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。練習の後半、3班に分けてスクリメージをやっていた。1班が主力、2班がバックアップ、3班が初心者。3班のスクリメージをやっている時、コートサイドの2班の連中がゲラゲラ笑っていた。少し経ってそれは収まったが数人かたまりでいつまでも思い出し笑いをしている。そこで私は集合をかけ、K子に「なにがおかしいのだ?」と聞いた。もじもじして答えない。私は「おそらくプレイ中に何か滑稽な事が起こったのだろう。俺はそれを笑うなとは言わない。しかしその笑いを引っ張りすぎた。笑っている間、お前たちのアタマの中は滑稽な出来事が占領していて、コート上のプレイに注意は向いていない。そんな練習ならもうやめよう」と言って練習を打ち切った。 
’19年04月01日(月) 宮本輝氏が37年かかって書き上げた長編小説「流転の海」を3月7日に読み始め、完結編の第9章を今日読み終えた。作者が37年かけて書き上げた本をわずか3週間で読み終えてしまってなんだか申し訳ない気がするが、それほど引き込まれてしまう本だったのだ。読み始めた頃「メモしておかなければ登場人物各々の関係が分からなくなる」と思って抜き書きした登場人物はA4用紙3枚で計137人。一瞬だけ登場する人物はメモしなかったが、すべてを抜き出すと登場人物は1200人になるらしい。とても覚えられん。