2018年度版 2018年4月~2019年3月
’19年03月31日(日)  平成最後の練習はA練(08:00~10:30)。 新3年生にとっては2ヶ月余で中学生最後の大会を迎える。それに勝ち残れば7月末まで寿命は延びるが負ければ終わりだ。誰がというわけではないが、コート上の選手たちからその緊迫感は伝わって来ない。あと2ヶ月で少なくとも3人は顔つきを変えなければ・・・。
平成30年度の日々の出来事はこれでおしまい。明日からは2019年度版参照。
’19年03月30日(土) 中学校の部活動だけでなく、ミニバスにも問題が発生している。学校側はこどものスポーツ活動を学校の部活動から切り離して社会体育のクラブにして欲しいと思っている。移行すること自体は問題ないが、体育館の使用料金に問題が発生するのだ。現在の古賀ミニバスは古賀小の児童よりも高城小と矢上小から参加している児童の方が多い。そうなると古賀小の体育館を借用する際に発生する使用料の減免措置ができなくなるのだ。働き方改革にしろ、マンツーマンの推奨にしろ、「こどもたちのため」と言うけれど、実際はこどもの活動に対するしばりがきつくなってきているような気がするなあ。
’19年03月29日(金)  4日ぶりにひがながの体育館に顔を出した。転勤する先生方が次々に挨拶に来た。みんな、ひがながは今日までで、明日からは転勤先の学校へ行くそうだ。校長を残して副校長・教頭・教務主任・主幹の管理職がすべて転出した。新学期はしばらくてんやわんやだろう。問題は男子バスケだ。バスケ経験者の教員が転出したあと適任者は補充できていない。現在外部コーチが指導しているがそれも6月の中総体までという約束らしい。毎年この問題で困る学校が必ずある。この問題は働き方改革だけでは解決できないのだ。 
’19年03月28日(木)  クリニック3日目。今日は午前午後の2部。ハーフコートゾーンオフェンス。特に新入生はつい先日までゾーン禁止のバスケットしかやっていなかったのでゾーンオフェンスの基本的な考え方を提示し、上級生には復習と見直しをさせた。追伸:昨日上腕二頭筋腱は1本切れてももう1本残っているので大丈夫だと言ったが、それは日常生活には何の支障もないという意味であって、バスケットのコーチをするには少々不便だ。パスやシュートの見本を示す際に腕を伸ばしきると痛いので距離のあるシュートやパスの見本が示せないのだ。
’19年03月27日(水)  クリニック2日目。今日は終日ランニングスルー。過去の卒業生たちには教えたことがあるが、現チームにはその財産が残っていないし、有望な新入生にも早い段階でバスケットボールの見方や考え方を理解させたいという監督の要望である。午前の終わり頃少し光が見えてきた。
追伸:ドリブルの指導中、右肩でブチッという音がして激痛が走った。上腕二頭筋の長頭が切れたようだ。4年前に左肩をやった。大相撲の横綱千代の富士(故人)も同じケガをして現役を続けた。手術して腱を繋ぐ方法はあるのだが、繋いでも効果はないのでこのまま放置する。 腱は1本残っているので大丈夫なのだ。
’19年03月26日(火)  クリニック初日。今日は午後半日のみ。まず故障者(軽い重い問わず)の状態を調べ、次に新入生の現状と将来をアタマに入れる。それをもとにチーム指導に入る。テーマは私が決めるのではなく受講する指導者の意向を聞いてから考える。いつものことだ。
追伸:案の定、昨夜のブログ更新ミスで「山崎先生に何かあったのかな」と心配した方が何人かいたようだ。
’19年03月25日(月)  ひがながバスケはC練(10:30~13:00)。隣のコートで練習していたバレー部男子は監督が転勤する。女子バスケのあとに練習した男子バスケの監督も転勤だ。そのあとどちらの部も専門家や経験者が転勤してくるという情報はない。年度替わりの部活動ではこの問題で心配をするチームは多い。
追伸:昨日のブログは作成後転送設定をしていなかったので更新されていなかった。ゴメン。 
’19年03月24日(日)  学校開放日で体育館が使えないので外部施設を借りて練習した。8人の選手が欠席だったが半数以上は欠席理由が"家の用事"である。高校生になると家族で何かをするとかどこかへ行くという理由で部活を休むことは少なくなるが、中学生の生活の基盤は部活や習い事ではなく家族なのだ。鶴鳴時代は「日曜日は原則オフ」という方針だったが、それは寮生が居るのでその子たちのためのストレス軽減策として終日プライベイトタイムを持たせるという意味だった。が、こうして中学生の指導に携わるようになると、選手の生活の基盤は家族であるということを念頭に置いて部活動の指導を考えなければならないということを学んだ。 
’19年03月23日(土)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00) 。「ナイスに続くことばは、これがある・・・これもある・・・と予習してきた者手を挙げろ」・・・・・・・・・皆無だった<(_ _)>。
’19年03月22日(金)  今日は修了式。午前中で学校の行事が終了する日の部活動は、1時から3時半までが前半、3時半から6時までが後半と割り当てられる。今日のバスケ部は後半割り当てである。お昼で行事が終わるのに3時半まで待たせた上に半面しか使えないのは効率が悪いので、こんな日は午後の早い時間帯で外部体育館を申し込む。今日はコミュニティ体育館での練習だった。今は、ナイスをたくさん見つけてそれを声に出すことが重要課題である。と言ってもなかなか出せないので今日は、「ナイスに続くプレイはどんなものがあるか家に帰って予習してこい」と宿題を出した。よく「声出せ!」とコーチや上級生が檄を飛ばしているチームを見かけるが、それは抽象的なので「ナイスをたくさん見つけろ」の方が私は良いと思う。
’19年03月21日(木)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。最後のシューティングは選手たちのみで行わせ、私は長崎東高校に移動した。そこで3チームのクリニックをやり、午後はまた別の場所に移動し、そこで1チームクリニックした。19日の午後3チーム、20日の午前午後ぶっ通しで3チーム、20日の午前3チーム午後1チーム、この3日間で延べ10チームの指導をした。足首からふくらはぎにかけてむくんでしまった。 
’19年03月20日(水)  今日は職員定時退庁日なのでひがなが部活は禁止。よって今日の日吉自然の家は神村・長崎東・古賀ミニの3者だけ。古賀ミニは夕方5時に退所し、神村はそのあと長崎東とスクリメージをやった。古賀ミニも神村も終盤「わかったぞ」が1人2人出てきたと思ったらそれが起点となり、「わかったぞ」が他の選手にも次々と波及していった。こんなことがあると疲れは吹っ飛ぶ。 
’19年03月19日(火)  今日はひがながが日吉自然の家で夕方練習することになっていたが、それに神村学園(宿泊合宿)と古賀ミニバス(お泊まり合宿)が割り込み、さらに夕方日帰りで長崎東が割り込んできて4者での強化練習会となった。私は神村学園に付き合って今日と明日2泊する。というわけで今日の私はエンジン全開。今日は午後からだけだったが明日は終日稼働だ。私のエンジンはインタークーラーターボ付きだからなんとかなるだろう。 
’19年03月18日(月)  少し緊張した気持ちでひがなが体育館の階段を上った。一昨日感じた「この子たちうまくなった」が残っているか無くなっているかが気になったからである。残っていた。が、確実に残っていたと言えるのは31人中5人弱である。しかしその5人が重要なのだ。ゼロはどこまで行ってもゼロ(2年11ヶ月余)だが、1は細胞分裂してこれから2になり4になっていく可能性がある。このまま「桜咲く」になればいいが・・・。 
’19年03月17日(日)  昨日、あるスポーツ指導者に「先生明日の部活動はどうするんですか?」と聞かれた。私は「家庭の日だから部活はオフだよ」と言った。彼は「いいんですよ、学校でやらずにほかのところでやれば」と言ったが、私はそんなことはしない。文科省の方針や県教委や市教委や校長会の決め事には言いたいことがたくさんあるが、一旦決まったならばそれは守らなければ組織の秩序が乱れる。ただ、決められたことは守るが、テスト休みが終わった翌週は必ずしも週休2日でなくてもよい、などの柔軟な決め方をしてくれれば現場としてはやりやすい。
’19年03月16日(土)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。このところずっと練習メニューの中には必ずハーフコート3対2を取り入れていた。さらに昨日と今日、シューティング以外は3対2しかやっていない。そして今日「この子たちうまくなった」と感じた。この3年間で初めての感覚である。私がうまくなったと判定する基準は、できるようになったではなくわかるようになったである。備考:わかるようになった=強くなったではない。
’19年03月15日(金)  今日また、2019年度4月分の部活動予定表を修正した。私は文科省が提示している週2回は休め、そのうち1回は土日のどちらかを休めという方針を遵守するつもりでいるが、学校の方針は市中総体が終わるまでは現行通りとかなんとか、方針が一貫しない。選手は部活動の年間計画が示されなければ、塾に行く日や習い事をする日をいつにするかなど決められないから困るよと、再三言っているがまだ確定しない。 
’19年03月14日(木)  今日は市内全ての中学校で卒業式が行われた。この日は部活動禁止だ。在校生は式が済んだら直ちに自宅に帰り4時半まで外出禁止である。全国どこの中学でも、開放感ではじけた1部の卒後生が目に余る行動を取ることがある。そんな卒業生と在校生がいざこざを起こさないようにという配慮からだ。参考までに「卒業式後特攻服で集結。岡山県警が中学生10人補導」という記事が今日のMicrosoft Edgeに載っていた。 
’19年03月13日(水)  コミュニティ体育館を男女が同時間帯(Aコート男子Bコート女子)で借用する場合。男子の荷物はマイクロバスに積んで私が運んでやる。そうすると男子の荷物運搬当番ママが助かるからだ。だが、これまでに2回てきぱき行動しない男子バスケに業を煮やして私は怒鳴りつけた。部活動では、技術や戦術を教えるよりも空気を読むとか周囲に気を配るというような、人間の本質に関わることを指導するのが重要なのだ。
’19年03月12日(火)  FREE STYLE BOX(株)の金子社長から「3月の3~4週目にDVDの編集に立ち会って貰いたい」というメールが届いた。私は過去に数回ビデオ制作会社から依頼されたことがあるが断り続けてきた。買う人にとって値段が高すぎたので、その価格に見合う内容のビデオを出す自信がなかったからである。しかし、多くの指導者から頼まれたのでやむなく、重い腰を上げて平成8年に自分でカメラを回して解説しながらビデオ(当時はVHS)を作った。自作なので無料である。販売はせず全国の希望者にダビングして切手代だけで送った。今回は業者ではなく協会からの依頼なので断れなかったが、協会の意図・業者の意図・私の意図がぴったり合ったDVDになったという確信が持てないので少々心残りがある。 
’19年03月11日(月)  アシスタントコーチとしてミニバスの指導をしている昔の教え子から電話がかかってきた。コーチと親と選手の間のもめ事で困っているというのだ。コーチは能力のあるA選手に1対1勝負をやらせ、他の4人は片側に寄せてあまり動かないアイソレーションオフェンスをしたい。それにクレームを付けたのが片側に寄せられた選手たちの親である。一方長崎ではまったく逆のケースのもめごとが先月起こった。コーチはパッシングゲームをやらせているのだが、能力のあるB子の親が「うちの子にもっと1対1で勝負させればいいのに」と、コーチの方針に不満をぶつけたのだ。私は、昨年7月30日のブログにこの問題について述べている。 
’19年03月10日(日)  古賀ミニバスのY子ママが「古いものを整理しようとして片付け作業をしていたらこんなのが出てきました」といって1冊の雑誌を私に手渡してくれた。月刊バスケットボール1996年11月01日号。22年前のものだ。特集は"鶴鳴モーションオフェンス"。借りて持って帰り、PDFファイルにしてUPした。
          
備考:私は自分のことが掲載された雑誌や新聞記事や写真は恥ずかしいから一切見ない。この本ももちろん持っていないし、月刊バスケットボールに取材されたこともまったく覚えていない。
’19年03月09日(土)  Bリーグ千葉対横浜の試合をテレビで観た。プレイを観たかったのではなく9月24日・10月22日・1月12日のブログで再三述べているトラベリングの解釈をチェックしたかったのだ。県内の試合では「今のはトラベリングじゃないのか?」とか「え?今のがトラベリング?」と思うことが頻繁にあるが、今日のBリーグでは「え?」はほとんどなかった。備考:私はルール改正の文書は何回も読み、足の使い方のOKとNGはしっかり把握した上で取り込んでいるつもりだが・・・。  
’19年03月08日(金)  メールを開けたらJBAからコーチ・審判・チーム登録の新制度案内が届いていた。昨年制度が変わったのにまた変わる?ちょっとだけ読んだが超めんどくさそう。チーム登録は別にして、コーチも審判も「もういらねえよ!」と言いたくなる。 
’19年03月07日(木)  3月3日。純心の大久保先生から「これおもしろいですよ」と1冊の本を手渡された。持って帰って読んだらおもしろい。第2部以降を借りようと思ったが他人に貸していていつ戻ってくるかわからないという。そこですぐアマゾンに注文した。作家の宮本輝さん(71)が、自らの父をモデルにした実業家とその家族の波乱に満ちた歩みを描いた自伝的小説である。執筆開始から37年かけて昨年10月に完結した。第1部を読み終えたところで私は登場人物をすべて書き出した。そうしないと「この人どこの誰?」となるからだ。今日から第2部。
’19年03月06日(水)  DVD撮影直後はホッしたが、それから3日経った今日、少しだけ悔いる気持ちが湧いてきた。クリニックが目的ならば何も悔いは残らないのだが、今回はクリニックではなくDVDを見る人たちに伝えるやり方でなければならなかったのだ。ずいぶん気をつけてはいたのだが、DVDを見る人たちに伝えるのではなく、目の前にいる選手たちに教えるスタイルになっていたのではないかと思える箇所があったのだ。今更悔いても仕方がなく、あとは編集で調整するしかないのだが…。 
’19年03月05日(火)  2日間DVD作成のモデルとして高校生を指導し、3日ぶりに中学生の指導に戻った。感想は「高校生でもなかなか理解できない選手がいるのに、中学生が分からないのは当たり前だな」である。時々こうして自分を振り返る機会がなければ、気付かない間に理不尽を選手に押しつけているかも知れない。用心用心。 
’19年03月04日(月)  2泊3日で、初日2時間、2日目午前3時間午後3時間、最終日午前3時間、計11時間のクリニックはこれまで何回もやった。しかしそれは、日をまたいだり昼休み休憩が入ったりして区切りがあるから大丈夫なのだ。だが、昨日の午後は7時間立ちっぱなし動きっぱなしだったので足が悲鳴を上げた。昨夜寝る前はふくらはぎがパンパンで、夜中に攣って何回か目を覚ました。これだけ頑張ったのだから、よい遺作ができあがればいいなあと思っている。テーマは"スペイシング" "間" "タイミング"で90分。
備考:これから綿密な編集を経て4~6週間後にできあがるそうだが、版権は長崎県バスケットボール協会にあり、私や作成会社に版権はない。 
’19年03月03日(日)  日程を貰った時、本音は「ほんとに~?」だった。しかし本番は08:00~21:00ではなかったものの08:00~20:04だった。予定と大差ない。モデルの高校生は13:00から17:30までだったが、スタッフと私たちの打合せや編集に時間がかかったからである。私は今日、プロのこだわりを目の当たりにした。ディレクターもカメラも、撮影→チェック→再撮影→チェック→編集→チェックと、納得いくまで何度も何度も作業をやり直すのだ。 
’19年03月02日(土)  午後一杯、明日のDVD作成のリハーサルだった。クリニックと違うところは私が「ストップ」と言ってプレイを止め、チェックを入れる場合、チェックを入れるプレイを撮りやすい位置と角度にカメラが移動する間を取ってやり、その後プレイを再開させなければならないところだ。ヤラセではないが、今プレイを見学している人に説明するのではなく、できあがったDVDを見て指導法やプレイを勉強する人にわかりやすいものにしなければならないのでそうなる。明日、本番の日程は08:00~21:00である。私も選手もかなりの覚悟が要るぞ。 
’19年03月01日(金)  今朝、4月分のコミュニティ体育館の申込みをした。しかし、それが有効になるか無駄になるか現時点ではわからない。その理由は games&schedule  の2019年度山崎スケジュールに書いてある。
’19年02月28日(木) 明日3月1日は4月分のコミュニティ体育館使用申込開始日である。しかし、4月以降の部活動割当や、禁止日等がまだ決まっていないので推量でしか申し込むことはできない。1昨年12月に通達があった教職員の働き方改革の実施をめぐり、校長会がすったもんだしていて2019年度の各校の予定の足並みが揃わないからだ。現実に教員1人当たりの仕事量は減っていないのに、しばりばかりがきつくなるような改革を実施しても、教員や生徒にゆとりが生まれるどころか窮屈になるだけだと私は思う。
’19年02月27日(水)  3月26日肥前古賀駅発08:45同28日肥前古賀駅着21:07の日程で宇部(クリニック)に行く。今日そのJRチケットを買いに諫早駅まで行った。窓口の女性に「行きは発券できるんですが帰りのチケットは明日にならないと発券できません」と言われた。JRチケットは1ヶ月前にならないと発券できないのだそうだ。ゼンリンの地図ソフトで調べたら矢上から諫早までは14.3㎞。悔しいので明日は長崎駅まで買いに行こうと思って距離を調べたら矢上から長崎駅まで10.7㎞だった。最初から長崎駅に行けば良かったのだ。クソッ! 
’19年02月26日(火)  走法をアフリカ式に変えた直後からつま先が痛くなった。しばらくすると爪の下に小さな内出血が見られるようになった。それがいまではこんなに成長した。アフリカ式走法はつま先に荷重がかかっている証拠だ。 
’19年02月25日(月)  今朝は少しよくなったが、昨夜寝る時はふくらはぎがパンパンだった。理由は、1昨日佐世保協会杯で試合采配と審判をし、長崎に帰ってから夕方ミニバスのクリニックをし、昨日佐世保協会杯2日目で試合采配と審判をしたからだ。動き過ぎたからふくらはぎがパンパンなのではなく、走法が原因だ。私は10月7日にシカゴマラソンで日本新記録を出した大迫選手の真似をしてアフリカ式の走法に切り替えた。この走法は土踏まずとふくらはぎにかなりの荷重がかかるが、この方法がよく動けるので元の走法に戻す気はない。 
’19年02月24日(日)  佐世保協会杯最終日結果UP games&schedule 参照。 
’19年02月23日(土)  佐世保協会杯初日結果UP games&schedule 参照。 
’19年02月22日(金)  データの紹介ついでに、1999年1月の九州春季大会県予選の準決勝で鶴鳴が長商に負けた時のボックススコアを紹介しよう。データの中のPOSSはポゼッションの略で、POSS48というのはボールを保持した回数が48回あったという意味である。PPPはpoint per possessionの略で、1回の攻撃で平均何点取ったかを意味する。長年の経験からPPPが1.0を上回る試合はまず負けない。 
’19年02月21日(木)  昨年11月移行、毎月21日は職員定時退庁日。この日は部活動禁止になった。ウーン・・・
ところで、昨日シュートのことについて述べたが参考までに平成8年度(風軍団:山梨インターハイ2位)の6月と7月のシュート練習記録表を紹介する。赤文字はスタメン。センターは3点シュートは撃たない。また、#印の記号は本人がケガか体調不良か何かで練習不参加だったのだ。右端欄外の数字は、例えばハル(主将の工藤)の6月の2点シュートは830本撃って656本成功し成功率79%、同じく3点シュートは1372本撃って889本成功し成功率65%、フリースローは121本撃って103本成功し成功率85%だということを意味している。撃つ本数は自分の持ち場とプレイの種類から考えて本人が設定する。全国上位を狙うチームのシュート成功率の参考にして貰えればよい。 
’19年02月20日(水)  9月13日のブログに私はこんなことを書いた。
6月中旬の市中総体直後からシューティングを最優先課題として練習させている。それから約3ヶ月、セリカのジャンプショットは誰が見てもちゃんとしたジャンプショットだと言えるようになった。しかしセリカは、シュートを撃ってよい場面か撃つべきではない場面かがまだ分からないので、このジャンプショットが試合で使えるようになるにはまだまだ時間がかかる。これからセリカのほんとうの闘いが始まるのだ。
それから5ヶ月経った。が、セリカの闘いはまだ続いている。それほど状況判断が出来るようになるのは難しいことなのだ。状況判断どころか、他の選手はショット動作そのものすらまだ身についていない。今日はスピンをかけることにポイントを置いてシューティングだけで練習を終わった。毎日シュートを撃たせる練習を始めて8ヶ月も経つというのに・・・ 
’19年02月19日(火)  テスト休み解禁。8日間も練習していないが、練習中息があがったり顔色が悪くなった選手は1人もいない。それだけヤワな練習だということだが、鍛えるレベルではないので仕方がない。教えるという域から鍛える域に移行できない状態がもう3年続いている。フウ・・・ 
’19年02月18日(月)  エバンズビルから先日帰ってきた慎子がコーチボーラントから預かってきたお土産(チームシャツ)を送ってくれた。7年前に訪れた時ボーラントはグリーンベイのコーチだったが今はイースタンイリノイのコーチをしている。今年2年目だがチームはだんだん上向きになっているようだ。 
’19年02月17日(日)  精道三川台中学校で県選抜チームの練習が行われていると聞いたので朝から出かけた。これまでにも選抜チームの練習にはしばしば顔を出しているが、コーチ陣の指導を監視する意図ではないし、選手たちの質をチェックする意図でもない。ただただ、スタッフに「ごくろうさん」を言うためである。ではあるが、扉を開けてコートに入ってスタッフたちと目が合った瞬間、彼(彼女)等は固まっていた。
’19年02月16日(土)  今日は6年生最後の交流戦である南部リーグお別れ試合が大浦小学校で行われた。この試合では毎年保護者やコーチも一緒になって楽しむフリースロー大会もある。古賀保護者は木曜と水曜のお迎えの時に、こどもたちの練習が終わったあとフリースローの練習をしていたが、そのかいあって2位になった。アッパレ!
’19年02月15日(金)  佐世保協会杯参加案内UP games&schedule 参照。 
’19年02月14日(木)  毎週木曜、市内の小学校の児童は午後2時に下校する。教員働き方改革の一環だ。木曜日は通常、学童の送迎を終えたあと2時間ほど時間潰しをしてからひがながバスケの指導に向かう。だが中学校は今テスト休み中なので古賀ミニバスの手伝いに行った。酸素補給はこれで充分。今週は生き延びられる。 
’19年02月13日(水)  学童の送迎なしでひがながバスケはテスト休みだったが、古賀ミニバスは練習があり、手伝いに行って身体を動かせたので酸欠にはならず、今日は生き延びた。備考:身体を動かすにはランをやればいいのだが、先月14日に発症した風邪が尾を引いており、6㎞ランをやれるほどまだ呼吸器系が回復していないのだ。 
’19年02月12日(火)  学童の送迎なし。ひがながバスケはテスト休み。古賀ミニバスもない。な~んにもすることがないこんな日は困る。マグロの仲間である私は、こんな日が続けば酸欠で死ぬかもしれない。 
’19年02月11日(祭)  大野慎子が昨日アメリカから帰ってきた。エバンズビル大学の同窓会に行っていたのだ。同窓会といっても仲間内の同窓会ではなく、大学が開催した1998年と2009年の女子バスケットMVC(ミズーリバレーカンファレンス)優勝記念イベントに呼ばれたのだ。当時の選手たちはもちろんコーチベネットとアシスタントコーチのベトウザーとボーラントも来ていたという。ベネットがノーザンイリノイのコーチを辞めてからどこでどうしているのかわからなかったが、慎子情報によれば今はどこのコーチもしていないという。56歳だからまだ引退するには早いのだが。今回慎子からベネットの連絡先を聞いたので近々連絡を取ってみよう。 
’19年02月10日(日)  今日は学校開放日で、該当する施設は体育館と武道場である。だから鶴鳴の練習が終わった後の鶴鳴体育館を借りて午後から練習させて貰った。明日から8日間テスト休みだ。このテスト休みや4月以降さらに部活動への締め付けが厳しくなる文科省の「教員の働き方改革」については言いたいことがいろいろあるが、それは4月以降に回すことにしよう。 
’19年02月09日(土)  今日はA練(08:00~10:30)。私は10分前に体育館に姿を現したがコートには誰も現れておらず、更衣室の中ではワーワーキャーキャーと騒ぐ声がする。開始4分前、選手がドドッと一斉にコートに出てきた。私は常々準備や後始末は無言行動、準備ができた者は待ち合わせをせず、さっさとコートに出てこいと言ってある。だが現実はこうだ。私は「今日の練習は止めよう」と言って選手を帰した。午前中何もすることがないのでミニバスは練習しているのか電話で尋ねてみたら「今日はコヤスポ杯の新人リーグですよ」と言われたのでバイクをすっ飛ばして小江原小まで観に行った。今年になってジャリーズの成長は目を見張るものがある。 
’19年02月08日(金)  3人の選手が遅れて練習に来た。今日中に提出しなければならない課題を居残りでやっていたそうである。クラス全員が課題作成の為に居残りさせられたのならば仕方がないが、期限までに課題をちゃんと提出した生徒は居たのである。それならば話は別だ。部活動というのは、時間が余ったからやる活動ではない。時間を作り出して取り組む活動だ。なんだかんだと理由をつけて部活動に穴を開けることが平気な選手はもう1度部活動の意義から考え直してみなければならない。
’19年02月07日(木)  外部の施設を借りて練習する日は練習後選手をそれぞれの家までマイクロバスで送り届ける。7時に練習を終え、選手を送り届けてバス置き場にバスを止めてバイクで家に帰り着くのはいつも8時20分頃である。考え事をしていると時々選手を降ろす場所を素通りすることがある、そんな時は「○○乗ってま~す」と言われ慌ててバスを止める。今日は一旦家に帰ってから塾に行く子を優先したのでいつものコースと違ったが、もう1人直接塾に行く子が乗っていることを忘れていてマルキョウ前でK子を降ろしたら次の降車場所の彩ヶ丘に向かった。ずいぶん走ってから「私も塾に行くんですけど・・・」とM子に言われ急いで戻った。塾到着時刻を18分過ぎていた。もちろん他の選手も自宅到着がいつもの時刻より遅れた。私のアタマの中に描いているコースを選手は知らない。だから「乗ってま~す」のタイミングが分からなかったのだろう。迷惑をかけた。 
’19年02月06日(水)  有効な声かけだけではない、視線に真剣さが感じられない選手や数分間口が動かない選手にはたちまちチェックが入る。そのチェックが数回重なると体育館から追い出して帰宅させる。今日も2名途中で帰した。 
’19年02月05日(火)  11月10日から12日にかけて、練習中に取り入れた3分間ミーティングのことについて述べたが1ヶ月もしないうちにそれはやめた。危惧したとおり、使い慣れたフレーズを使い回すだけになったからだ。今は私自身が順番待ちの選手がコートサイドから有効な声かけをしているかどうかチェックしている。昨日述べた"目"を鍛えるのはこのやり方が最善だ。見えていない現象に声をかけるのはできないのだから・・・。 
’19年02月04日(月)  2月1日から部活動練習は冬時間(18:00完全下校)から夏時間(18:20完全下校)に切り替わった。しかも今日はD日課(15:05終了)なので練習時間がたっぷりあった。だから3対2だけでなくマンツーマンのハーフコート攻防もやれた。じっと観察しているとやっぱり"目"だ。目がよくならないから仲間のプレイの良い悪いが見分けられない。だから仲間のプレイにも声かけができない。仲間のプレイを見て学習できないから自分のプレイもうまくいかない。その連鎖がもう2年半続いている。数人などと贅沢なことは言わない。1人でいいから目のいい選手が出てくればそこからナイスが広がって行くのだが・・・。 
’19年02月03日(日)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。2年生が職場体験学習の期間中1年生はずっとハーフコート3対2の練習(今日で5回目)。2年生は職場体験学習から復帰後同じメニューでこちらは今日で2回目。1年生はまだまったくサマにならないが2年生は以前練習したことがあるので今日の練習は少しサマになっていた。しかし感性が鈍い。できた喜びやできない悔しさは、選手から私にまだ伝わって来ない。
備考:県新人戦決勝戦は練習と重なったので観に行かなかった。
’19年02月02日(土)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。カブトガニアリーナで行われている県新人戦には、C練を終えて男子準決勝の片淵対諫早戦だけを観に行こうと思っていたが、午前中暇過ぎるので女子の準々決勝も観に行った。私が試合観戦する時は、選手のプレイよりも①このコーチはここに至るまでに選手に何を仕込んできたのか②このコーチの采配は的を射ているか③この審判はプレイをちゃんと見極めて判定しているか④この審判は自分のパフォーマンスに自己万足していないか、等を重点的に見る。
’19年02月01日(金)  今日は体育館割当なしなのでオフ。2年生は職場体験学習と合わせて都合4日間顔を見ていない。過去の経験からして、他人に誇れるチームの選手たちは4日も会わなかったら顔を見たくて仕方がなかった。今のひがながはそこまで到達していない。市中総体まであと5ヶ月。まだ間に合う。奮闘を望む。 
’19年01月31日(木)  29日から今日までの3日間1年生だけでの練習だった。2年生は職場体験学習でこの間学校には来ていない。未熟な1年生ばかりなので、練習はハーフコート3対2を徹底してやった。この練習はオフェンスもディフェンスもゾーン感覚だが、バスケットボールの習熟に不可欠な要素がぎっしり詰まっている。マンツーマンであれゾーンであれバスケットボールを理解したいならこの練習は必須だ。この3日間よい練習ができた。
’19年01月30日(水)  朝ベッドから起き出して1歩踏み出す時が最も痛く、それから徐々に普通に歩けるようになるというのがこのところの踵の状況だったが、今朝は1歩目から普通に歩けた。ケナコルト効果だ。しかし、それは炎症が治まったというだけで、石灰沈着がなくなったのではないので、ストレッチを丁寧にやって慎重に動かなければならない。私はこうして、ケガや病気のことをブログで公表するが、これを見て「うちの選手も山崎先生と同じ注射を打って貰おう。すると来週の試合には出せるかも知れない」などと、重症捻挫の選手を無理矢理試合に出そうとするコーチが出てくるかもしれないから警告しておく。昨日の文言の中で私は、炎症を抑えるのによく効くクスリだが腱や靱帯や筋を脆くするので頻繁には射てない。と述べているが、多くのコーチは「炎症を抑えるのによく効く」という自分に都合のよい部分は読むが、「腱や靱帯や筋を脆くするので頻繁には射てない」という部分は読み飛ばす。ケガの治療にガマの油は存在しないのである。
’19年01月29日(火)  風邪症状が長引いているが、それより気になるのは踵の痛みである。これまで痛い時に時々ロキソニンを服用するだけだったが、最近ロキソニンを1日3回服用している。通常の練習指導程度では問題ないが、2月3日にビデオ作成「タイミングと間」のリハーサルをやるのにこれでは動きに支障を来すので楢林医院にケナコルトを射ってもらいに行ってきた。6年以上射っていないので久しぶりだ。注:ケナコルトはステロイド剤で、炎症を抑えるのによく効くクスリだが腱や靱帯や筋を脆くするので頻繁には射てない。今日は入浴禁止だ。 
’19年01月28日(月)  高校新人戦最終日(とどろき体育館)を観に行った。第1試合の女子準決勝を観てすぐ帰った。観ているのが辛くなったからだ(体調の問題ではない)。 
’19年01月27日(日)  NBC杯ミニバス最終日観戦に出かけた。朝9時に家を出たが、バイクの外気温表示は0℃だった。今冬最低だ。メーターが壊れているのかと思ったが、走っているとだんだん気温が上がり、チューリップアリーナに着いた時は8℃になっていた。往復のバイク走行2時間、観戦1時間。身体の芯まで冷えたので家に帰ってからは終日ホットカーペットに座って本を読んでいた。感想:ミニの指導者はほんとによく頑張ってくれてる。中学の指導者や高校の指導者は、さらにそれをレベルアップさせることに心血を注ぎ、県のスポーツ界の活性化に貢献して欲しい。 
’19年01月26日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。練習は9時までとし、10時開始のNBC杯(チューリップアリーナ)応援に出かけた。10時半以降に予定を入れている者はそちらを優先させてよいことにした。今日でベスト4が決まり、明日準決勝と決勝が行われるが、第1シードの竹松が今日負けた。見ると主力選手が何人も居ない。聞けばインフルにやられたらしい。この時期の試合は毎年そうだが敵は対戦相手だけではない。 
’19年01月25日(金)  9:14。携帯電話の呼び出し音でたたき起こされた。コールはつばさ保育園のD先生からだ。「シマッタ!」と思った。今日は9:15発でつばさ保育園を橘小学校との交流学習に連れて行くことになっていた。それを寝坊してしまったのだ。だが、5分遅れぐらいでなんとか間に合った。もちろん顔も洗ってないし、朝食も食べてないし、歯も磨いてない。寝坊の理由は夜通し続いた咳だ。咳き込む度に腕時計を見たが3時半までは覚えている。そのあとちょっとまどろんだだけだと思っていたが眠りこけてしまっていた。午後3時には学童のお迎えがあるが、今度は携帯でアラームをセットしてそれまでまた寝た。
’19年01月24日(木) 登校停止が解けて今日から練習を始めた選手もいるし、まだシューティングのみ参加の選手もいるし、今日新たにインフルを発症した選手もいるし、なんだかんだで今日も実働は19名。ま、今月はこんなもんかな?それより私の咳が止まらない。咳のし過ぎで腹筋が痛い。今日もハンカチ2枚濡らした。 
’19年01月23日(水)  9人のインフル患者のうち、登校停止期間が過ぎた2人が今日登校してきた。その2人を含め、普通の風邪やら何やらで休んでいた選手も、登校したからといってすぐ練習はさせられない。結局、18人のメンバーで練習した。そのうち5人は不愉快な空気をまき散らしていたので途中で帰した。覚えが悪いとか技術が下手だという理由で私は選手を追い返しはしない。その子の立ち居振る舞いがチームの士気や熱意を削ぐから追い返すのだ。これだけは部活動で絶対譲れない生命線である。 
’19年01月22日(火)  コミュニティ体育館で練習が終わったあと、逆側コートで練習していたバドミントンチーム(中学生)の保護者から「あの、山崎先生ですよね」と声をかけられた。聞けば鶴鳴卒で小磯典子の1級下らしい。弓道部だったそうだ。声はかけられないが「この人俺を知ってるらしい」と思われる人にはしばしば会う。その度にドキッとする。私は昔の自分を好きではないので、昔の教え子に会うのはイヤなのだ。
’19年01月21日(月)  咳をすると血が混じった黄色の痰を吐く。気管の炎症がひどいのだろう。熱はない。 
’19年01月20日(日)  今日は家庭の日なのでひがながバスケはオフ。私は終日寝ていた。風邪がまたぶり返し、咳がひっきりなしに出たからだ。横になって寝てしまうと咳がひどくなるのでベッド脇の壁に寄りかかって寝た。夕方には少し治まった。14日夕方発症して今日で6日目。終息までにはも少し時間がかかりそうだ。長い。 
’19年01月19日(土)  昨日から今朝にかけてインフル欠席の連絡が断続的に入った。計8人、それに家の用事などで3人欠席。しかし私は何人休もうが練習を中止にする気はなかった。なぜなら、今日休みにすると火曜日以降美術の作品が出来上がらず居残り作業をさせられた者にとっては、連続6日間のオフになってしまうからだ。自分の不手際で練習不参加になった者にこんなことでオフをやりたくはない。が、感染には気をつけなければならないので1時までの練習を12時には切り上げた。オフにしなかったのも12時で切り上げたのも予定の行動である。午後はミニバスのNBC杯を観に行った。古賀ミニバスは今日の対戦相手を全て破り、来週(26日)にコマを進めた。インフルで今日出場できなかったアンナとヒマリが来週は出られる。バンザイ! 
’19年01月18日(金)  ひがながバスケは体育館割当のない金曜日なのでオフ。古賀ミニバスは新たなインフル患者が出ていないようなので明日のNBC杯ははなんとかなりそうだ。が、ひがながはインフル罹患の報告が3人。その他にも風邪やら用事やらで数人が明日の練習には不参加。明日の練習はどんな顔ぶれになるのかしら。 
’19年01月17日(木)  昨日はアンナがインフルで休んだ。今日はヒマリがインフルで休んだ。というわけで古賀ミニバスは昨日と今日休みになった。明日は練習日ではないので明後日のNBC杯は練習なしのぶっつけ本番で臨まなければならない。ぶっつけ本番もかわいそうだが、6年生最後の試合に出られない2人はもっとかわいそうだ。 
’19年01月16日(水)  昨夜も壁にもたれて寝た。2晩連続だ。耳や頬を触った感じでは熱は引いたようだ。気管のゼイゼイはずいぶん少なくなったが、午後からはくしゃみと鼻水の垂れ流しだ。ハンカチが半日でグシャグシャになった。インフルではなくやっぱり風邪(重症)だったようだ。今夜は壁にもたれないで寝たい。 
’19年01月15日(火)  昨日夕方から今朝までずっと気管に絡んだ痰が切れず、ひっきりなしに咳き込んでいた。横になって寝ると咳き込むので昨夜はベッドに座って上半身を壁にもたせかけて寝た。だから今日は眠い。たぶん熱は39℃はあると思うが体温計で測ってはいない。39℃だろうが40℃だろうが今日の練習はコミュニティ体育館なので絶対私が選手をバスで運ばなければ練習が成立しないから、計っても無駄なのだ。夕方痰は切れ、喉と鼻の奥がイガイガして症状が風邪らしくなってきた。2012年1月21日に私はインフルAに罹り高熱を出したがあれ以来高熱は7年ぶりだ。でも今回のはインフルではなく重症の風邪だろう。家に帰ってからは嫁にバレないよう咳き込んだり具合が悪そうな態度はせず、さっさと2階に上がってパソコン作業をした。フウ・・・
’19年01月14日(祭)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。そこで午前中は古賀ミニバスの練習を見に行った。マオ(主将)が練習に参加していない。私の姿を見て数日前から股関節が痛いのだと申し出てきた。これまでの事例で股関節を傷めたという本人の申告はほとんどが腸腰筋の損傷である。たぶんマオも同じだろうと思って診察したらズバリ的中した。重傷ではないので小学生最後の大会である今週末のNBC杯には多少痛みが残っていても出られると思う。 悔いなく終わってほしい。
’19年01月13日(日)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。なので9時半から2時半まで、時津東小で行われた練習試合(時津東・玉名・古賀の3チーム)の審判手伝いに行った。古賀ミニバスは練習を見る限り確かに強くなっているが試合に反映されない。悔しいなあ。追伸:Wリーグ決勝放映は見なかった。 
’19年01月12日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。それが終わったら家に帰り、終日全日本総合選手権男女準決勝の試合を観た。見るポイントは2 つ。ひとつ目はプレイの足もとである。最近の中高校生の試合では選手もコーチも審判もゼロステップの解釈がアマいのではないかと思っていたのでそれを確かめたかったのだ。今日の男女4試合を観て思ったのは、上記の感想を私が持つのも不思議ではないということだ。ふたつ目は観客の数である。男子の試合が圧倒的に多い。女子の方が世界的には男子より成績がいいのだが私自身も最近女子の試合を観たいとはあまり思わなくなった。女子の当事者はこの観客数の違いを意識して欲しい。
’19年01月11日(金)  毎月11日はコミュニティ体育館申込の当落通知日である。それによると2月は7回分申し込んで2回分当選した。月末までにキャンセル待ちや他会場を調べて埋めていかなければならない。練習予定表参照。
追伸:昨夜処置した左手クスリ指の爪は、今日も点滴針の穴からジワジワ出血が続いている。
’19年01月10日(木)  鶴鳴正月合宿中にクルマのドアで挟んだ指の内出血はずいぶん治まってきたが、爪の先に溜まった血液の逃げ場所がなくパンパンになったままだ。そこで今日は溜まった血液の排出作業をした。まず、点滴針を爪の下に差し込み小さな傷口を作る。そのあと、爪を押さえると点滴針でつけた傷口から血が滲んで出てくる。抑えては血液を拭き取るという作業を10回ほどやったら血がにじみ出てこなくなったので今日の作業はここまで。明日また溜まってきたら点滴針を刺そうと思う。 
’19年01月09日(水)  ひがながバスケはテスト休み。午前中はつばさ保育園のさとうきび絞りを手伝った。園の畑で採れるさとうきびを毎年島原の農家の機械で絞らせてもらう。今年は開園以来の大豊作だった。 
’19年01月08日(火)  1昨日から頻脈(ドッドッドッドッと脈が速くなる)がしばしば出る。その度に胸が気持ち悪~くなる。私は40歳の時に心電図検査でST上昇と指摘された。その時は「スポーツ心臓でしょう」だった。しかし、50歳を過ぎてから「ブルガダ症候群の疑いあり」に変わった。ブルガダ症候群は突然死の原因になることがある。さらに60歳を過ぎてから心房細動による不整脈ありと診断された。と同時に、頻脈がしばしば起こるようになった。私はこれを毎年体育学会で発表する論文作成のストレスによるものだと思っていた。現に、70歳で短大教授を退官してから頻脈は起こらず、走るのも60歳台の頃より距離が伸びている。今回の頻脈は鶴鳴正月合宿の忙し過ぎが原因ではないと思っている。では何がストレスなのだろう?しばらく自分で経過観察だ。
’19年01月07日(月) 鶴鳴正月合宿2日目にマイクロバスのドアを勢いよく閉めた瞬間、ドアから手を放すのを忘れ、クスリ指を挟み込んでしまった。「ドジだなあ」と自分でも思う。が、今回の合宿はメチャクチャ忙しく、毎日何かをしながら他の事を気にしている日々だった。負傷当初は指を見るのが自分でも気持ち悪く、負傷後4日目の今日はブログに乗せてもさほどグロテスクじゃなくなったので掲載した。
追伸:忙しすぎて負傷したような言い方をしているが私は元来ドジである。 
’19年01月06日(日)  鶴鳴正月合宿最終日。今日は早朝明成高校を福岡空港に送りとどけ、帰ってきて午後から残っている3チーム(創成・神村・鶴鳴)のクリニックをやることになっていた。ところが、帰路佐賀大和インター手前でエンジンのファンベルトが切れた。するとダイナモが回転しないのでバッテリーに充電できない。ファンが回らないのでラジエターの水冷機能が働かずオーバーヒートになる。なのでバスを脇に止めて保険会社に連絡し、久留米から牽引車に来て貰い、引っ張られて長崎に向かった。ところが憑いてないときはどこまでも憑いてなくて、鹿島の祐徳稲荷神社の参拝車で国道207号線は大渋滞。佐賀大和から矢上の自動車修理工場に運ぶまで4時間かかった。というわけで午後のクリニックは中止。みんなごめん。 
’19年01月05日(土)  鶴鳴正月合宿4日目。今日は日吉と鶴鳴を行ったり来たりと審判、それにひがながのD練(15:30~18:00)に顔を出したので目が回るほど忙しかった。今日はケガ人病人は出なかった。ホッ。 
’19年01月04日(金)  鶴鳴正月合宿3日目。初日から参加しているチームは疲労の色が濃くなってくる。審判(今日は5本)をしていてもそれが分かる。そんな時にもっとも怖いのはケガと病気だ。昨日はインフルエンザ発症で1人実家に帰った。今日はAチームの主力選手が2人続けて捻挫した。そこでため息をついてはいけない。こんな時こそなんとかしてそれを乗り切るのがこのような強化合宿なのである。 
’19年01月03日(木)  鶴鳴正月合宿2日目。私は5本笛を吹いた。選手たちは皆今日はスポーツ合宿所泊まりだ。マイクロバス5台で搬送し、指導当番は創成の西側先生(女性)と城北の西山先生(女性)にお願いした。他の監督はみんな鶴鳴泊まりだ。私は例年通り体育教官室のソファーに寝袋で寝た。 
’19年01月02日(水)  鶴鳴正月合宿開始。今日は福岡空港まで北海道勢を迎えに行った。午後1時10分着が旭川明成高校。午後5時10分着が札幌創成高校。明成を鶴鳴に下ろしたら直ちにトンボ返りしてまた福岡へ。創成の便が少し遅れたので午後8時半に鶴鳴に到着。これで今日の私の任務は完了。明日は審判だ。 
’19年01月01日(火)  鶴鳴正月合宿に参加する全チームが3日に宿泊するスポーツ合宿所(鳴滝)の視察に行った。施設の視察ではなく順路の視察だ。鳴滝の道は40年前と変わっていないということを聞いていたし、それだとマイクロバスの運転と離合が難しいからだ。4台のマイクロバスを連ねて行く予定だが、4台同時に敷地内に入るスペースはないので2台先行し、あとの2台は先発の2台が戻ってくるまで旧県立短大(現鳴滝高校)のグランド脇の道路が少し広くなったところで待機させておくことにした。今回の合宿は何かと雑用が多い。 
’18年12月31日(月)  鶴鳴正月合宿に備えて今日は走った。通常団地内のバス道路の片道1㎞コースを3往復(6㎞)するが、今日は4㎞でやめた。3㎞を折り返したところで右踵が痛くなってきたからだ。帰宅後すぐロキソニンを飲んだ。合宿で身体が動かなかったら大変だから明日は走らない。
’18年12月30日(日)  昨日も述べたように今日は14人での練習だった。半数以上が欠席だ。このことについて次の2つの感想を持った。①ひがながバスケは半数以上が欠席しても練習は成立する(部員総数が10名以下のチームが数多くあるのに)。②半数以上が欠席したことに不満を持たず、今日参加した者の中にも本当は予定を入れていたのにやりくりして時間を作り、練習に出てくれた選手が居たかも知れないと思わなければならない。 
’18年12月29日(土) 私は年度当初にその1年の練習計画表を提示する。計画はできるだけ早めに連絡する方が選手は動きやすいからである。ひがながを指導し始めてからずっと、私は年末年始のオフは29日~1日の4日間としており、今年もそうだった。が、冬休みに入る直前に29日~3日までは閉庁日とし、学校での部活動はできないと学校から知らされた。そこで急遽、年末の29日と30日は高校の体育館を借りて練習し、オフは31日~3日の4日間とした。今日の練習は11人が家庭の事情や家の用事で休み20人での練習になった。明日はさらに6人が休み、14人での練習になる。不参加者の中に、30日がオフだったので家族での行動を入れたが急に練習になり、家族での動きをやりくりしようとしたけどどうしても都合がつかなかったという者が居る。集団を動かす(学校・学級・部活すべて)場合、予定を早く伝えるのはとても大切なことなのだ。 
’18年12月28日(金)  バイクの外気温表示計は3℃を示していた。今年最低だ。目の前をフワ~ッと白いものが横切る。初雪だ。でも、昨日の外気温7℃の方が体感的には寒く、ミニバスの手伝いを終えて家に帰る途中は手先足先がしびれた。8年前にいきなりレイノー症状が出てからは、練習中であっても真冬は手袋とカイロが手放せない。 
’18年12月27日(木)  昨日、「定時退庁日は年度当初の行事予定表には入っておらず、今回初登場だ」と述べたが、今日教務主任から聞いた話では実は11月から実施しているらしい。ただし、それはテスト休み等と重なっていたので部活動には差し障りがなかったという。さて1月は…、定時退庁日は普通の日(月曜)だ。そうなると職員には早く帰りなさいと言っておきながら、部活動は通常通りやっていいですよでは矛盾がある。すると部活動禁止の学校長命令が下るかもしれない。事前通告なしで突然そんなことを言われても対処に困るから、今日は1月21日の飯盛体育館を抑えに行った。もし「部活動OKですよ」となっても飯盛はキャンセルしない。 
’18年12月26日(水)  教務主任から年明け1月分の学校行事予定表を貰った。それによると21日(月)に定時退庁日というのがある。年度当初に貰った行事予定表には載っていなかった。今回初登場だ。次年度からは定時退庁だけでなくこの日は部活動も禁止になるらしい。すべては昨年12月26日に文部科学省から通達があった「教員の働き方改革」に基づく。早く帰れと言われるが、教員の仕事が学校の勤務時間中だけで済ませられるように精選されたかというとそうではない。部活動も同じ、週1回はオフを取れ、土日はどちらかを休め、1回の練習時間は2時間を越えるなという通達を出せばブラック部活動が減るかというとそうではない。さてどうしよう?
’18年12月25日(火)  11月1日に楢林整形外科で出して貰ったロキソニンが昨日なくなったので今朝貰いに行ってきた。クスリを出して貰うときは通常1週間分であるが、今回は年末年始を挟むので2週間分出して貰った。私の踵痛は加齢のための石灰沈着が原因のようだが、痛みがなかなかとれないのは、自己診断によれば走法をアフリカ式に変えたからだと思う。アフリカ式は床や地面を蹴る力は増すが、踵や土踏まずに負担がかかるのだ。 
’18年12月24日(振)  昨日の2試合目、ゲーム終了直前に相手のプレスが空振りしてN子がペイントエリアでノーマークになった。そこへ仲間からのパスが飛んできた。それを受けたN子がシュートを撃とうとしたので「まだ撃つな!」と私は言ったがN子はシュートを撃ち、それが入ってしまった。今日N子に「昨日の最後のシュートを"撃つな"と言われた理由が分かるか?」と聞いた。答えは「分かりません」だった。撃つべきではないシュートを撃ってしまったことはいい。未熟だから分かるまい。だが、そのあと「なぜ"撃つな"と言われたのだろう」と思わなかったのが良くない。なぜ?と思うのは学習である。なぜ?と思わないのは学習にならない。何かを試みてそれが学習として積み上げられなければ進歩はない。この"学習"するという習慣を身につけさせるのがコーチの重要な仕事である。
’18年12月23日(天)  西海杯2日目結果UP games&schedule 参照。 
’18年12月22日(土)  西海杯初日結果UP games&schedule 参照。 
’18年12月21日(金)  明日、大瀬戸体育館で行われる西海カップに参加する。練習後、A子に「明日の出発時間は?」と聞いた。答えは「わかりません」だった。B子とC子にも同じことを聞いたが答えは同じだった。私はたぶん答えられないだろうと思われるこの3人を指名したのだが結果は予測どおりだった。しかもこの3人はエントリーメンバーの常連だ。それがチームの現状である。レスリングのアニマル浜口さん(気合いだ!気合いだ!)のパクりではないが、根気だ!根気だ!根気だ!
’18年12月20日(木)  今日は日吉自然の家を借りての練習。18人が参加した。昨日完全下校に遅れた選手6人以外に7人がなんだかんだで不参加だ。もったいない。わざわざ外部施設を借りての練習なのに6名を参加禁止にしたのは確かにもったいないが、練習よりも規則を守る、時間を守る、約束を守る、指示を守る、期限を守ることの方が重要なので、これからもビシバシ躾をする。 
’18年12月19日(水)  11月1日から1月31日まで部活動は冬時間で6時完全下校である。私は以前「完全下校6時の意味は?」と選手に問うたことがある。彼女は「6時には校門を出ろということです」と答えた。正解だ。今日、6時15秒に私は校門を通過していない6人の選手を止めた。「なぜ止められたか分かるか?」と聞いたら「6時に校門を通過しなかったからです」と答えた。その通りだ。その6人には明日の練習参加を禁じた。バスケ部だけがだらしないのではない。6時5分の時点でピロティをたくさんの部活生が急ぐふうでもなくぞろぞろ校門に向かって歩いている。こんなことをなくすには、正門と裏門に時計を設置すればよいと私は思う。そういう環境を整えてやった上でグズグズしている生徒を「急げ!」と怒鳴りつけるのは暴言ではなく正しい指導だ。
’18年12月18日(火)  私は練習前の着替えや用具準備の際は無言で行動せよと常々言っている。口が動けば手足の動きが遅くなるか止まるからである。今日コミュニティ体育館での練習前、選手たちの数人が更衣室外の通路で靴紐を結びながら小声で喋っている場面に遭遇した。昨日あんなことがあった翌日がこれである。これまで何度もそんな場面を目撃しているしその都度「無言準備」の重要性について話すのだが治らない。それは選手たちが「無言準備」の重要性を認識していないからである。「時間を守る」についてもそうだ。彼女たちにとってそれは重要事項ではないのである。しかし、そんなことにグチをこぼしても仕方がない。彼女たちが「これは社会人としてとても重要なことなのだ」と認識するまで根気強く指導するしかない。 
’18年12月17日(月)  練習開始15分で練習を中止し、選手を帰した。理由は、シューティングのあとの休憩の終わりを告げるブザーが鳴ったのに次のメニューが開始されなかったからである。「タイマーは次のプレイ開始までの時間を知らせるためにセットしてるんだぞ!これまで同じ事を何度言ってきたか!」と言い、私はしばし沈黙した。そして沈黙の理由を説明した。「この沈黙は"ここで練習をやめさせよう"と"こんなことでやめさせるのはもったいない"の両方を考えていたからだ」。そう考えて出した結論が「練習をやめて帰れ」だった。実は8月24日にも私は同じことをしている。この時は有料のコミュニティ体育館を借りての練習だった。両方とも感情的になって取った処置ではない。練習するより、ことの重大さを選手に分からせたかった故の処置である。 
’18年12月16日(日)  家庭の日。全県下の部活動は休まなければならない(但し、クラブスポーツと称して活動しているチームにこの通達は届かない)。ひがながバスケもオフなので終日家から出なかった。なのでパソコン仕事は捌けた。 
’18年12月15日(土)  今日は市新人戦の最終日。学校での練習割当はC練(13:00~15:30)。試合観戦ではなくて練習割当を優先して学校で練習した。10時開始の準決勝を観に行ってから学校に戻って練習することはできたが、そうはしなかった。理由は11月4日付けの南島原杯の結果報告による。バスケットをもっと深く勉強したいと思わない者を強引に観戦に連れて行っても時間の無駄だから。 
’18年12月14日(金)  西海杯参加案内UP games&schedule 参照。
’18年12月13日(木)  今日は日吉自然の家での練習。不参加が12人。理由は、小さなケガ、体調不良、係の仕事、家の用事等である。12月1日の新人戦案内に、スタメンは寺島・緒方・江口・木下・西川でその他にどうにか試合に出せるのが小谷川・本田・下釜と書いたが、今日不参加の中にはスタメン+3人=8人中5人が居た。不参加の理由はちゃんとあるのだが、私の55年の経験からしっかりしたチームにはこんなことは起こらなかった。 
’18年12月12日(水)  コミュニティ体育館の申込は毎月1日から10日までの期間と限定されている。そして翌11日に申込の当選と落選の通知がパソコンに送られてくる。年明け1月は、体育館が使えない日が9回あるのでその分を申し込んだが当選通知は2回分のみ、他の7回は落選だった。その結果を受けてすぐ日吉自然の家に空き状況を問合せて7回分を申し込んだが、そのうち6回分がOKだという返事を今日得た。1月はコミュニティが落選で日吉も空いていない24日(木)さえ埋まれば練習できる。今後、飯盛や多良見やあちこちに問合せて(25日以降しか不可)なんとか埋めたい。 
’18年12月11日(火)  F子が体調不良で学校を休んだ。H子が練習の途中でいきなり嘔吐し、吐瀉物をコートにぶちまけた。コミュニティ体育館の事務室からゴム手袋と雑巾を貰ってきて数人で後始末をした。全員をマイクロバスで自宅まで送り届けた後、帰途バイクでH子の自宅に寄って様子を見たが夕食は摂らずにもう寝ていた。熱は平熱だった。インフルではなさそうだが、これからインフルエンザシーズンに入る。用心用心。 
’18年12月10日(月)  昨夜バスケット仲間と夕食会をした。梅の花という豆腐料理店だから肉料理や中華料理のようなボリュームはなかったが、私は食べ物を残すのがあ嫌いなので自分の割当分を食べたら腹一杯になった。こんなことがあったらしばしば私はその週の夕食を抜く。今日から土曜日まで夕食スキップだ。 
’18年12月09日(日)  市新人戦2日目結果UP games&schedule 参照。 
’18年12月08日(土)  市新人戦初日結果UP games&schedule 参照。
今日の審判は1試合だけだった。物足りない。が、足指が痛かったので靴下を脱いでみたら人差し指の爪の下に内出血があった。11月下旬から走法を変えてアフリカスタイルにしているので足先に荷重がかかるのだろう。でも動きは快調だ。 
’18年12月07日(金)  午前中はつばさ保育園発表会最終リハーサルの手伝いをし、午後は2時から4時までカブトガニアリーナで行われたトヨタ紡織とJXの練習の表敬訪問をした。5時~7時はひがながバスケのコミュニティ体育館での練習指導だ。そんなわけで今日は、鶴鳴正月合宿の日程変更や組合せ修正には手が回らなかった。 
’18年12月06日(木)  週末のJX対トヨタ紡織の試合が行われるが、JXが地方で試合をする時はJXのOGが先乗りして現地でクリニックをすることがある。今日カブトガニアリーナでそれが行われた。対象は前座試合に出場するミニバス男女の選手たちである。JXの選手たちはまだチームが2部に居た共石の頃から、日鉱共石→ジャパンエナジー→JOMO→JXと、名前が変わった全世代の選手たちを知っているので顔を出さないわけにはいかない。その後前座試合のための練習が別館で行われたのでそれにも顔を出した。コートで展開されるプレイを観るのも楽しかったが、2階観覧席にずらっと並んだ保護者たちの熱心な目も印象的だった。 
’18年12月05日(水)  夢の中で頻繁に鶴鳴正月合宿の組合せが登場した。早く完成させなきゃ・・・ 
’18年12月04日(火)  午前中に鶴鳴正月合宿参加全チームの名簿が集まった。さっそく組合せ作成だ。これに取りかかったらパソコンから瞬時も目が離せない。ちょっと横の書類を見ようとして画面から目を離すと今どの駒を動かしたか分からなくなるからだ。教務の時間割作成より遙かに難しい。フウ・・・ 
’18年12月03日(月)  ギアを上げてから6日目。厳しい注文が矢継ぎ早に飛ぶ。ただし、主力には超厳しく、ベンチメンバーには少し厳しく、素人部員には優しくと、ちゃんと仕分けをする。選手たちは私の注文に戸惑ったりしてはいない(あってもそれが私には伝わって来ない)。それは、選手の小さなミスや指示を聞いていないことを見逃さないだけでなく「ナイス!」や「ヨシ!」を見逃さずに声かけをするからだと思う。あ~、今の私を50年前に戻したい。
’18年12月02日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。今日は私がコートに居なければ成立しないメニューを先に済ませ、最後の40分は自分たちだけでやれるシューティングを2セット(1セット20分)やらせて私は途中でシーボルト大学に向かった。ゴールデンエイジ(小学生)特別強化対策事業の講演(前半は萩原美樹子氏で後半は宮本俊之医師)を聞きに行くためだ。県から相談を受けた時私は萩原氏を指名した。福島女子高→共石→アトランタオリンピック→WNBA選手→早稲田大学大学院→アテネオリンピック女子日本代表アシスタントコーチ→早稲田大学ヘッドコーチ→JBAU19ヘッドコーチという輝かしい経歴だからではなく、他人には簡単に語れない苦労をした人だからきっとこどもたちの気持ちの中に入り込んで、よい話をして貰えると思ったからだ。Dr宮本(長崎大学病院外傷センター長)はしばしば私のブログにも登場するおなじみのDrだ。午後は古賀ミニバスの手伝いに行った。コーチはコートにちゃんと居るが、6年生は練習の途中自主的にミーティングをしながら練習していた。コーチから習うだけでなく、自分たちで意見を出し合う。これが重要なのだ。
’18年12月01日(土)  市新人戦参加案内UP games&schedule 参照。 
’18年11月30日(金)  ひがながバスケはオフだが私は終日鶴鳴正月合宿の連絡調整(人数確認、到着時間確認、宿泊手配等)でパソコンをいじっていた。今回は人数が多すぎて貸し布団が確保できず、初日到着組は鶴鳴泊、2日目は全員(144名)県スポーツ合宿所泊、3日目と4日目は日吉自然の家泊で実施しなければ回らない。しかしこれからが大変、人数や日程が決まれば組合せ作成(添付は昨年用)だ。冬休みまでにできるかしら? 
’18年11月29日(木)  火曜日から練習のギアを上げて今日で3回目。ビシバシ厳しい注文が飛ぶ。こんな練習でとても大切なのは「OK!」や「ナイス!」を見逃さないことだ。そして、素人部員に決して罵声を浴びせないことだ。 
’18年11月28日(水) つばさ保育園の発表会(12月8日)のリハーサル1回目。行きのバスの中はにぎやかだったが帰りは初リハーサルの疲れからか、みんなグッタリして寝ている子がたくさん居た。 
’18年11月27日(火)  今朝はふくらはぎだけじゃなく足の土踏まずまで筋肉痛だということに気がついた。土踏まずが筋肉痛になるなんて現役選手時代ですらなかった。踵を着けずに動くと軽快に走れるが足には相当負担がかかっているんだなあ思った。たかだか中学生女子の試合を4試合吹いただけなのに。でも、軽快に動けたとは感じているが筋肉痛があっても疲れは感じていない。 
’18年11月26日(月)  10月7日、シカゴマラソンで大迫選手が2時間5分50秒の日本新記録を出した。その時話題になったのが走法のことである。それまでアフリカ勢の走り方は踵着地をしないということは知られていたし、私もそれは知っていたが心のどこかに「アフリカ勢は特別さ」という考えがあった。ところが大迫選手の走法もアフリカ勢と同じだということをテレビで観て「日本人にも適しているんだ」と思い、それから私も外で走る時はそうするようになった。ランだけでなく審判の動きでもそれを取り入れている。とどろきカップは2日間で4試合審判をしたが、この走法だとよく動ける。しかし、今日はふくらはぎがパンパンだ。 
’18年11月25日(日)  とどろきカップ最終日結果UP games&schedule 参照。 
’18年11月24日(土)  とどろきカップ初日結果UP games&schedule 参照。 
’18年11月23日(祭)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。家を出る時の外気温は4℃だった。体育館に着いたらすぐ選手を集めて明日(カップ戦)の出発時間の訂正を伝えた。試合の時間は把握していたが私の審判割当やチームのTO割当を把握していなかったので、当初通知していた時間を訂正しなければならなくなったのである。練習が少し進んでからA子をつかまえて「明日の出発時間は?」と聞いた。A子は答えられなかった。私の話を聞いていなかったのだ。ただちに体育館を出て家に帰るよう命じた。 
’18年11月22日(木)  8日間のテスト休みを経てひがながバスケは練習再開。練習途中に取り入れている3分間ディスカッションの様子を見ていると、話題が尽きて時間を持て余しているか、または最初から話題がないグループがある。なさけないがこれが実態だから仕方がない。 
’18年11月21日(水)  私のパソコンには囲碁ソフトが入れてある。気分転換したい時は時々打つ。私が白番でパソコンがコミなしの黒番で打つ。私の腕前はたぶんアマチュア2段ぐらいである。今日打った碁は私の1目勝ちだった。安い囲碁ソフトは組み込まれた手を打つだけだがこいつは学習して強くなる。だから油断していると大石を殺されることがある。明日からテスト休み明けでひがながバスケは活動再開だ。学習を重ねて強くなってくれよ。 
’18年11月20日(火)  学童送迎なし。ひがながバスケはテスト休み。古賀ミニバスなし。な~んにもすることがないこんな日は時々走る(6㎞)。そして団地内を走る時は最後に園長の飼い犬たち(飼い犬ではなく娘たちと言わなければ園長に叱られる)を誘って散歩させる。久しぶりに会ったらアンジュが首にエリザベスカラーを付けていた。園長に携帯で聞いたら右前足に傷があり、それをなめすぎて血が出るからだそうだ。めんどくさそ~。 
’18年11月19日(月)  東京地検特捜部からカルロス・ゴーン(ニッサン会長)氏が金融商品取引法違反(簡単に言えば脱税?)容疑で逮捕された。内部告発により数ヶ月に渡って調査した結果だそうだ。ゴーン氏はニッサンの経営危機を救った人だ。すでに実績も名声も富も得ている。そんな人がなぜ?。ゴーン氏ほどではなくても、バスケット界で実績と名声をすでに得ているのにバカげたことでバスケット界から去って行った監督がたくさん居る。どちらも人間の業の深さなのだろうか。私は人間の業に振り回されない人生達人になりたい。
’18年11月18日(日)  高校地区新人戦の女子準決勝と決勝を観に行った。どのチームにも傑出した選手がいないのでどんぐりの背比べ感が否めない。前途は暗い。今後しばらく、九州大会や全国大会で活躍するチームが出てくるのは期待できないかもしれない。しかしこんな時だからこそ、それぞれのコーチの哲学がチームの特色となって出てくる試合を期待したい。
’18年11月17日(土)  午前中東高校体育館に高校の地区新人戦を見に行った。というより、五島から参加している五島高校と海陽高校の試合を見に行った。昨年五島でクリニックをした時にこの両チームの指導をしたからだ(高体連の地区分けは五島が長崎地区に、壱岐対馬は佐世保地区に組み込まれている)。午後は一旦自宅に帰り午後3時から古賀地区センターへ古賀ミニバスの練習を見に行った。走って行った。地区センターまでは約5㎞の道程だが、地区センターに着くとすぐこどもを送ってきたママたちに「帰りはダメだ。誰かクルマで送って」と言った。出発時はもちろん帰りも走るつもりだったが、地区センターまで辿り着いたら帰りの侍石(さぶらし)坂を走りきる自信がなくなったのだ。備考:侍石の地名の由来は、かつて壇ノ浦の戦いで破れた平家の落人がここを通る時道端の石に腰を掛けて休んだ場所だからだそうだ。 
’18年11月16日(金)  テスト休み3日目。コートに立たなくても毎日選手の顔がチラチラ脳裡に登場する。しかし、登場する顔とプレイを思い浮かべながら「そうだ、この子にこんなことを教えれば飛躍できるかもしれない」という案はまったく浮かばない。選手それぞれの改良点は私のアタマの中にすべてインプットされているのだが、それを提供した時に食いついてくる顔がイメージの中に登場しないのである。ウーン・・・ 
’18年11月15日(木)  テスト休み2日目。ここで最近囁かれている文科省が通達を出した"学校における働き方改革に関する緊急対策3頁目の部活動"について触れたい。それによると、来春から週に1回は必ずオフ、土日のどちらか1日は必ずオフ、1回の練習時間は2時間を越えない、とされるらしい。ちなみにhiga&yamaschedule18をご覧頂きたい。私は鶴鳴時代から合理的にオフ日を設定する指導をしてきた。それでも上記のスケジュールでオフの日は88日しかない。文科省の通達によれば96日はとらなければならないからあと8回足りない。この8回足りないことを私は深刻にとらえていないし、このような通達を出せば全部活の足並みが揃うかというとそれはないだろう。どんな方策を打ち出しても抜け道を通る者が必ず出てくるものだ。マンツーマンの推奨しかり。通達を出す方は根本の問題を突き詰めて通達を出さなければならないと思う。 
’18年11月14日(水)  11日のブログに、練習の区切りに3人組の小グループで感想戦を取り入れるようにしたと書いた。それは選手が、①聞いてない(聞いていても意味が分からない)、②見ていない(SEEでありLOOKじゃない)、③ことばで表現できないからだ。それで思い出した。鶴鳴時代にこれと同じことを試みたことがあるのだ。それは練習途中の給水後3分間、目を閉じてそれまでの自分のプレイをイメージし「このプレイはよかった」「これはダメだった」と自己評価させるのである。しかし、それは1年ポッキリでやめた。その時の保護者向けの報告書に書いた自分のコメントも思い出した。そのコメントは「このやり方は、選手が本当にアタマの中でプレイを再生しているのか何も考えずに目を閉じているだけなのかがわからない」である。再生したプレイをことばで表現させなかったから効果がなかったのだ。今回のことでそれに気付いた。 
’18年11月13日(火)  とどろきカップ参加案内UP games&schedule 参照。
東長崎中では、テスト直後に試合がある部活動はテスト休み期間中であっても1時間だけ練習してよいことになっている。以前はそれを実施した(全員ではなく、主力12人のみ)ことがある。しかし明日からのテスト休み期間にはそれを実施せず、テスト勉強に集中させる。なぜなら、今のひがながバスケ選手にとってはボールを1時間触って得られる効果よりも授業中に先生の話をよく聞き、黒板にの文字をよく読み(見る) 、文章から出題者の意図を推察する(センス)能力の開発が重要だと思うからである。
追伸;8:50、大谷選手のMLB新人王決定の速報がテロップで流れた。ヤッター! 
’18年11月12日(月)  感想戦は5分と限定する。今の部活動時間は冬時間なのでで完全下校(校門を出る)6時である。通常日程だと練習は5時頃にならないとメンバーが揃わない。完全下校時刻の10分前には練習を終わらなければならないから、練習時間は約50分しかない。その中の5分を感想戦に充てるのだ。もったいないと言えばもったいないが、今のひがながバスケ部にはプレイする以上に聞く・見る・喋るが重要なのでロスタイムにはならない。ただ、今後慣れてくると選手たちは通常使い慣れているいくつかのフレーズを日替わりで使い回してごまかすようになるはずだからそれには厳しいチェックを、入れなければならない。 
’18年11月11日(日)  昨夜遅く、突然思いついて抽選棒を作った。青がエントリー選手用、赤がリザーブ要員用である。これを練習メニューが替わる度に引かせる。そして連番3人組のグループを作る(メニューが替わる毎に抽選して新たなグループを作る)。メニューが終わった後、グループ内でそれぞれが「ナイス!」や「ダメ!」や「こうやればよかったんじゃない?」などの感想を述べ合うのである。聞く・見る・話すができない選手たちにとっては効果的な方法だと思うのだが・・・ 
’18年11月10日(土)  朝8時15分、学童クラブつめくさのこどもたちをマイクロバスで稲佐山(学童祭り)に送り届け、バスケ指導のためにUターンして学校に戻ったあとまた稲佐山につめくさのこどもたちを迎えに行った。忙しい1日だった。バスケ指導では最後の20分間のシューティングは学童送迎のために見てやることができなかったが、練習全体を通して順番待ちの選手たちの目がようやくコート上のプレイから何かを探し出そうとする目つきになってきた。だからといって的を射た声出しはまだまだできないが、それはまあ我慢することにしよう。 
’18年11月09日(金)  つばさ保育園の運動会の時は芝生の紹介をしたが、今日は園舎の裏にある里山を紹介する。こんもりとした森の中に思い切りワイルドな遊びが出来る手作り遊具がたくさんある。バイオパークにも負けない。 
’18年11月08日(木)  児童虐待のニュースが放映されると私は即座にテレビのチャンネルを替える。悲しすぎてまともに見ることができないからだ。しかし、今でこそこども大好きじいさんになったが、昔の私のバスケ指導は厳しさを通り越して選手虐待だった。今、毎日懺悔の気持ちでひがながバスケの指導に携わっているが、死ぬまで昔の罪滅ぼしはできそうにない。参考画像    
’18年11月07日(水)  月・水・木は高城台小と矢上小のミニバス選手をマイクロバスで古賀小に送り届けてからひがながバスケの指導に向かう。今日から新しく高城台小2年のリナちゃんが加わった。リナちゃんが加わっても5年生以下が9人にしかならないので6年生が引退したら来年はオープン参加でしか試合に出られない。お~い、誰か来てくれ~。 
’18年11月06日(火)  4日前のブログに「最近はコート上のプレイを指導するのは3、順番待ちの選手たちの目の玉を観察するのが7の割合である」と書いた。さらに追加する。口元が動いたかどうかもチェックする。コート上で何が起ころうとしているか、何が起こったかが判り、それが声になって出ればそれが自分のプレイに反映されるからである。通常、全く声を出さないF子の唇が動いた。私はF子を呼び「お前の唇が動いたのを見たが何と言ったんだ?」と聞いた。F子は「広がれ!と言いました」と答えた。私は「たぶん誰にも聞こえなかったぞ」と言い「でも、ようやく声を出せたな」と言った。  
’18年11月05日(月)  昨日奈落の底に突き落とされた私は、今日は何をやっても心ここにあらず。パソコンをいじっていても、本を読んでいても選手たちの顔がチラチラ登場し、まったく身が入らない。そんな状態で練習に顔を出したが、昨日の準決勝観戦で最初に観覧席に顔を出したK子(1年生でミニバス経験なし)に「最初に観覧席に来たのはお前だったよな」と言った。彼女がこっくりしたので私は「昼食は?」と聞いた。彼女は「帰りのバスの中で食べました」と答えた。それを聞いて私は、奈落の底から少しだけ這い出せたような気がした。 
’18年11月04日(日)  南島原杯最終日結果報告UP games&schedule 参照。 
’18年11月03日(土)  南島原杯初日結果報告UP games&schedule 参照。  
’18年11月02日(金)  私は近眼だが通常の練習指導ではメガネをかけない。メガネをかけるとめんどくさいし、かけなくても指導に不便はないからだ。ところが最近メガネをかけて指導するようになった。理由は、コートサイドで順番待ちをしている選手の目の玉を見るにはメガネが必要だからだ。選手がちゃんとコート上で展開されるプレイを見ているか、見ているならどこを見ているか、見ながらどんな感想を持っているかなどを観察するのである。最近はコート上のプレイを指導するのは3、順番待ちの選手たちの目の玉を観察するのが7の割合である。 
’18年11月01日(木)  本日の朝日新聞に小磯(旧姓濵口)典子のインタビュー記事が載っていた。このようなインタビューでは(私のブログも同様だが)、特定の個人の批判になるからここまでしか言えないということがたくさんある。小磯が口に出せない苦悩や出来事を私はたくさん知っているので、単なる感動や共感だけでこの記事を読むことはできなかった。 
’18年10月31日(水)  唐突に昨日の記事を書いたのにはワケがある。もちろんひがながバスケの躾について苦悩しているから書いたのだが、ひがながバスケだけではなく、中学の試合を見ていても、高校の試合を見ていても、日本代表の一挙一動を見ていても感じるから書いたのだ。アメリカではケンタッキーハイスクールとデマッッサハイスクールは名門である。そのコーチが技術より躾を重要視しているのだ。40年前と今では時代が違うよなんて言うなよ。正しく生きることはいつの世も同じ、万国共通なのだ。 
’18年10月30日(火)  もう40年くらい前になるが、ケンタッキーハイスクール男子バスケットボールチームのコーチの著書を読んでいたら次のようなことばが出てきた。①食事はきちんと3度摂れ。②間食をするな。③食事はよく噛んで食べろ。④シャワーを浴びたあとハダカでうろうろするな。などなど…。頂点を目指す指導者が考えることは万国共通である。選手からうるさいじいさんだと思われようと何しようと私もこの考えには同感だ。絶対貫く!
’18年10月29日(月)  5時4分、今日の練習が始まった。その時明日の合唱コンクールの準備作業を5時半に開始するので今日は5時20分頃までしか練習できないと、主将のマユに告げられた。私は練習が終わったあとも準備作業の様子を最後まで観察した。動きを見ていればその集団(生徒と職員含めて)の質が判るからだ。
’18年10月28日(日)  シニア大会最終日。私はゴールデンシニアの部の決勝審判を務めた。閉会式では毎年、優勝チームに賞状やカップ以外に副賞として米60㎏が与えられる。その米はシニア大会発祥の地である山形県酒田市八幡町のJAが、毎年開催地に贈ってくれるのだそうだ。全国のバスケット大好きおじさんたちが年に1回集まる大イベントに関われて私は幸せだった。 
’18年10月27日(土)  シニア大会2日目。今日は3試合審判をした。審判以外の時は試合を観戦する。東大阪市シニアギャロップス(青チーム)88番の山口さんは82歳だそうだ。私も歳の割には元気なつもりだが上には上がある。 
’18年10月26日(金)  今日から3日間、第15回全国スーパーシニア(50歳以上)バスケットボール交歓大会、第8回全国ゴールデンシニア(60歳以上)バスケットボール交歓大会が、カブトガニアリーナと三菱重工体育館で開催される。総勢708人(スーパーシニア387人ゴールデンシニア321人)の大イベントだ。審判が足りない。そこで私にもお鉢が回ってきた。今日2試合明日3試合明後日2試合の審判だ。おじさんたちは身体が動かない分口が多くなる。それにカリカリしてはならない。みんな年に1回のこの大会を楽しみにして来ているのだからニコニコしながら対応し、丸く治める。後期高齢者の私にしかできない芸当だ。 
’18年10月25日(木)  8時15分。飯盛体育館に到着した。まだ業務開始前だがすでに2台クルマが止まっていた。やられた、と思った。8時半、窓口が開き「1番の方からどうぞ」と事務員の方が呼んだ。順番が来て呼ばれた私は11月6日と29日の2回分申し込んだ。今月11日にコミュニティ体育館の当落が決まった時点で飯盛体育館に問い合わせ、この2日間は空いていることを確かめてあったが、それから今日までの間に諫早のどこかの団体に抑えられ、6日だけしか空いていなかった。29日はコミュニティも日吉も飯盛も多良見も古賀地区センターもすべて塞がっている。でも、あと1ヶ月あるのでその間になんとかしたい。 
’18年10月24日(水)  30日に行われる合唱コンクールの練習で選手が運動場や体育館に姿を見せるのは遅い。選手たちを待つ間私が体育館の階段の手前にある縁台に座って本を読んでいたら通りがかった生徒が立ち止まって「むかしバスケットをしていたんですか?」と聞いた。「そうだよ、なぜ?」と聞くと「指導がうまいなあと思って」とその子は言った。見れば男子バスケット部の選手だとすぐわかる。「君何年生?」「1年生です」「ミニバス経験はあるの?」「ないです」「ということは中学からバスケ始めたのか?」「はい」。バスケットの経験者や指導者ではなく、バスケットを始めたばかりの1年生が隣のコートから私を観察しながら評価しているのだ。怖い怖い。油断ならんぞ。 
’18年10月23日(火)  声を出せ!と、コーチや上級生が怒鳴っている練習風景はよく見かける。すると、ファイトーとかガンバローと下級生は声を張り上げる。声というのはナイス!や危ない!やチャンス!など、コートで展開されているプレイに関するのが声であって、のべつ大声を張り上げているのは声ではない。選手を観察していると、順番待ちの時にコート上のプレイを見ている目が光っている選手は声が出る。そんな選手はコート上のプレイからナイス!や危ない!やチャンス!を探しているのだ。何十年も前にボビーナイトはこれを「選手はコート上のプレイを見ている(SEE)が実は何も見えて(LOOK)いない」と自著の本で述べていた。 
’18年10月22日(月)  午前中、高校のウィンターカップ予選最終日を観に行った。取り立てて言うほどの感想はない。が、今日はバスケットを話題に取り上げたので、近頃ミニでも中学でも高校でも「これでいいのか?」と思っていることがあるからその感想を述べる。それはトラベリングについてである。なんでもかんでもゼロステップだからOKと判定されている気がしてならないのだ。ルールでは①止まっている状態で…②動きながら…③空中で…と明確に区分けされているのだが試合を見ていると、止まっていようが動きながらであろうが空中であろうがなんでもありという感じがする。これじゃバスケットボールの試合なのかハンドボールの試合なのかわからん。
備考:南島原杯参加案内UP games&schedule 参照。  
’18年10月21日(日)  第3日曜日は家庭の日なので部活動は禁止(全県下)。だから午後から高校のウィンターカップ予選を瓊浦高校会場に観に行った。先日行われた福井国体で長崎県は41位だった。なかでも最近ずっとバスケットは天皇杯得点獲得に貢献していない。みんな頑張ってくれ~。 
’18年10月20日(土)  C練(13:00~15:30)のひがなが女子バスケは男子と替わって貰ってD練(15:30~18:00)。ミニバス秋の県大会の出場権がかかった長崎市予選最終戦(12:401開始)観戦のためだ。長崎市からの出場枠は7チーム。古賀が北陽に勝てば7位で出場できる。が、負けた。ウーン…残念無念。
’18年10月19日(金)  ひがながバスケはオフ。つばさ保育園のつきぐみ(年長)さんのテント泊に遊びに行こうかなと思ったが、園児がテントに現れるのは夜8時過ぎなのでやめた。 
’18年10月18日(木)  9月28日が台風24号で中止になり、予備日の10月6日がまたまた台風25号で中止になり、平日開催となったが今日やっとつばさ保育園の運動会が実施できた。保育園の行事は先生方や保護者の労働力が必須である。ところで、みなさんお気付きかな?グランド全部が芝生だということを。これは人工芝ではなくティフトンという洋芝で、ウィンブルドンのコートと同じ種類の芝生である。しかし、理事長の芝生手入れはウィンブルドンの芝生メンテナンスに決して負けていない。それは毎日見ている私が保証する。そんなグランドで思い切り遊べるこどこたちはしあわせだ。 
’18年10月17日(水)  昨日昼前日吉自然の家に出かけ、先日私が途中退席したあとの運営会議の協議内容を聞き、今後の運営のありかたについて所長と話し合った。その後矢上に戻り、中尾ダム前のマイクロバス置き場に生い茂ったカヤを鎌で切り払ってキレイに掃除し、それが終わってから高城台小学校で行われている小大会を観に行った。丁度女子サッカーの決勝戦が行われていた。赤が古賀小で青が戸石小だ。古賀小には古賀ミニバスキャプテンのマオが出場している。当然私は古賀小を応援しながら観戦したが、試合終了まで残り20秒ぐらいで古賀小がバックコートでボールを奪いカウンター速攻でゴールを決め1対0で勝った。ヨシヨシ。 
’18年10月16日(火)  昼前、倉敷の平松先生から電話がかかってきた。「今日、正式に市教委から文書を貰って中学校の外部コーチを務めることになりました」。平松先生は倉敷翠松高校を定年退職したあと再任用でしばらく勤め、バスケットの指導を続けていたがそれも一昨年辞めた。彼は今年73歳。彼が指導するチームもひがながも弱小チームだが、いつか手合わせして貰う日が来るかことを楽しみに私も頑張りたい。 
’18年10月15日(月)  シューティング2セット(15分×2)以外の時間はすべて1対1の練習に費やした。「この練習を俺がどんな気持ちでやっているかわかるか?」とA子に問うたが彼女は「わかりません」だった。それを聞いて私は「テストでは毎回おおむね350点ぐらい取るのに今回は250点だったらお前どうする?」と聞いた。彼女は「勉強します」と言った。「それだよ」と私は答えた。 
’18年10月14日(日)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。だから昨日ミニバス秋の県大会長崎市予選初日に2勝してベスト8に入った古賀ミニバスの応援に行った。県大会には長崎市から7チームが参加できる。古賀ミニバスは今日の11時からと1時からの2試合とも負けたが20日の敗者戦で勝てば7位となり県大会に出られる。ガンバレ!
’18年10月13日(土)  時津長与杯結果報告UP games&schedule 参照。  
’18年10月12日(金)  今日はつばさ保育園の金比羅山遠足の手伝いをした。園の行事はすべて先生主導で進められるが今回は初の試みで園児主導で進めてみようということになった。まず登り口の道が右と左に分かれているがどっちの道を選ぶかを園児の意見で決める。その結果28人が左26人が右の道を選んだ。右から行っても左から行っても途中で合流するが、合流した後道が3つに分かれている場所がある。そこでどの道を選ぶかをまた話し合わせる。なかなか決まらない。と、そこで誰かが「あ、あそこに人が居る。あの人に聞いてみようよ」と言った。一件落着。昼ご飯をどのタイミングで食べるかもこどもたちに決めさせた。こうしてこどもたちに決めさせると気が利いた子が出てきたり、反対意見ばかり出してみんなを困らせる子が出てきて、日頃見えなかったこどもたちの実態に気付く。感心したのは引率のD先生だ。なかなか決まらない話し合いの進行役を務めるのだが、結論を急がず大人の都合のいいように誘導せず、辛抱強くこどもたちの意見を聞いていた。余談だが、神社の和式トイレに黒いかたまりがへばりついていたので「誰だよウンコしたあと水を流さなかったのは」と思ってよく見るとそれはガマガエルだった。そのまま放置するとツルツルして這い上がれないし、誰かが水を流せば溺れてしまう。そこで私はガマガエルをトイレットペーパーで掴み、草むらに連れて行ってやった。カエルであろうが蛇であろうが命を助けるのは気持ちがいい。 
’18年10月11日(木)  この1ヶ月何回も何回もアタックしたが遂に外部体育館を抑えられないまま今日を迎えた。やむなく今日は3㎞ランをした。最近の3年間3㎞ランはやってなかった。その理由はバスケットそのものがままならないのでスタミナやスピードアップまで手が回らなかったからである。しかし、やむなくこうしてやらざるを得なくなったのでこれを契機に継続しなければならない。トレーニングは単発ではなく継続しなければ意味がないからである。今日は初回なので、タイムトライアルではなく15分を目安にペースランにした。鶴鳴時代もそうだったが、こうして長距離走をやらせると本人の心肺機能だけでなく性格がよくわかる。materials参照 
’18年10月10日(水)  テスト休み解禁。習い事があるので遅れて参加したのが2人。塾があるので早退したのが1人。だが、全員が練習に参加した。これまで病気やら家の用事やら係の仕事やら合唱の練習やら何やらでいつも誰かが欠けていた(と思う)。何があったんだ?
’18年10月09日(火)  マイクロバス所有者は年に1回安全運転管理者講習を受けなければならない。それが今日だった。朝10時から夕方5時まで1日がかりだ。もちろん退屈である。だから私はいつも、講習や研修を受けるときは自分が講師を務める講演や講習の参考にする。退屈だけど絶対外せないテーマにどう興味を持たせるか…など。 
’18年10月08月(祭)  昨日に引き続き古賀ミニバスの手伝いをした。午後は自宅でボケーッとして過ごした。福井に電話をして国体の様子を聞いたが、福井は最終日を待たずに天皇杯皇后杯1位が決まっている。一方残る種目から考えて長崎は40位台の可能性大だ。県の競技力向上対策班にとっては気の毒な結果だが、私にはこれは想定内の事だった。そして今後もそれは変わらないと思う。最大の理由は、一時代を築いた指導者が次々とリタイヤして行く中で、それを引き継ぐ指導者がなかなか現れてこないからだ。ウーン・・・ 
’18年10月07日(日)  今日と明日、ひがながバスケはテスト休み。だから、午後1時から4時まで練習する古賀ミニバスの手伝いに行った。13日(土)が県大会長崎市予選で、6年生にとっては上に繋がる最後の大会となる。私の手伝いは試合形式練習の審判や故障者の管理で、プレイに口出しをすることは一切ない。突き指で左手小指の剥離骨折をしたK子が今日全メニューに参加できるようになった。6年生全員(10名)元気で出場してほしい。 
’18年10月06日(土)  Bリーグ開幕戦である秋田ノーザンハピネッツ対琉球ゴールデンキングスの試合を見た。Bリーグだから当たりが激しいのではなく乱暴だ。特に目立ったのが肘や腕を使うイリーガルプレイ。その中でも、オフェンスの大げさにやられたアピールをするフェイクプレイは不快だった。一方、地方ではやたらに目立つ決めつけ判定と思われるフリーフット側にドライブする際のトラベリングホイッスルは全く鳴らなかった。 
’18年10月05日(金)  台風25号の速度が速まったため、生徒は午後4時完全下校。当然部活練習はできない。明日からの3連休は身体を動かさないので晩飯は抜きだ。 
’18年10月04日(木)  最近ずっと右踵の痛みが続いている。今朝楢林医院に行って診察して貰った。「あら~、久しぶり~。どうしました?」「また踵が痛いんです」。Y先生はカルテを見ながら「1年ぶりですねえ」と言ってエコー画像を撮った。X線撮影もしたが、X線の画像は昨年と変わらず骨棘由来の炎症ではない。エコー画像にははっきりと炎症症状が出ていた。「アキレス腱付着部炎ですね。動き過ぎでしょ」と言ってロキソニンを出してくれた。しばらく激しい動きは抑えなければならない。 
’18年10月03日(水)  あかつきファイブは9月30日に帰国すると知っていたので、旅の疲れを考えて2日置いてからスタッフに慰労の電話をした。国民の期待に添えない結果だったので、表面的には「おつかれさま」のメッセージだったがその裏ではスタッフやチームがどれくらいのダメージを受けているかを探った。大丈夫そうだった。ホッ。 
’18年10月02日(火)  2020年のインターハイ(8月10日から開催)が東京オリンピック(7月24日~8月9日)の影響により、中止になるのではないか?という噂が流れている。私が学生コーチとして長崎西高校を率いて国体に出場したのは新潟国体(1964.6.6~11)だった。その頃の国体は10月に開催されていたが、この年は東京オリンピックが秋に開催されるので(開会式が10月10日=体育の日)、国体開催時期が6月に持って行かれたのだ。北半球でのオリンピックは1968年のメキシコまでは秋に開催されていた。1972年のミュンヘン以降ずっと夏に開催されているが、それは1974年にIOCのオリンピック憲章から「参加資格はすべてのアマチュア競技者」という文言が削除され、プロが参加してよくなったことが大きく関わっている。それと、世界的に見ると北半球のスポーツ大会は秋が盛んで、それにテレビの普及が相まってスポーツがメディアのビッグビジネスの対象と変化して来たことも大きい。オリンピックを秋に開催すると、欧米のプロスポーツの放映権料を巡ってIOCにとってもメディアにとっても難しい問題が生じるワケだ。スポーツに純粋さだけを求める時代は遠い過去のものになってしまった。 
’18年10月01日(月)  時津長与杯参加案内UP games&schedule 参照。 
’18年09月30日(日)  9時から4時まで、愛野と古賀のミニバス合同練習の手伝いをした。午後はA戦(主力戦)とB戦(低学年)を2試合し、私はその審判を買って出た。B戦の1本目、先日入部したばかりのユウリちゃん(矢上小3年)が試合に出して貰い、私の目の前でダブルドリブルをしたが私は一瞬よそ見をした。視線を戻したらユウリちゃんはそのままドリブルを続け、シュートを決めた。Aチームの選手からも観戦していたママたちからも大歓声。ユウリちゃんには記念すべき1日となった。 
’18年09月29日(土)  ドリブルからレシーバーにパスを出す練習に1時間使った。これは現在高3の選手が中2の時(4年前)に徹底して指導したのだが、その後継承されておらず、気が付くと財産はなくなっていた。1からやり直しだ。 
’18年09月28日(金)  ひがながバスケはオフ。朝8時半に家を出てカブトガニアリーナに向かった。午前中はそこで県内専門学校バスケットボール大会の審判を務めた。午後は審判着のまま日吉自然の家の会議に出席し、2時半にそこを抜けて学童の送迎のために矢上に戻り、3時の1便、4時の2便、4時半の小大会練習組の迎えを済ませてから月末調整のマイクロバスの燃料給油に行き、すべて済んだのが5時18分だった。忙しかった~。 
’18年09月27日(木)  今、各小学校では小大会(10/16本番)の練習で放課後賑やかだ。通常は放課後約20分ぐらいしか練習できないが、木曜日だけは2時に授業が終わり、そのあと3時55分まで練習できるので、先生も生徒も熱の入れ方が違う。小大会は中学校の中体連に匹敵するものだが、出場種目に条件がある。たとえばミニバスをやっている子はバスケットの種目に出てはならない。そして、参加できるのは6年生だけだ。  
’18年09月26日(水)  21:12。たった今、スペインで行われている世界選手権でアカツキファイブは中国に負けた。スコアは87対81。試合を観ている人にはコート上で展開されているプレイの出来不出来しか見えないかもしれないが、私はここに至るまでに、思わぬことで路線変更を強いられたり、突発的な事象に緊急対応しなければならない出来事が起こったことを知っているので決勝トーナメントに進めたことを「よくふんばった」と言ってやりたい。トムはいいコーチだ。みんなが結束力を強めてついていけば必ず強くなると思う。
’18年09月25日(火)  20日まで、10月分の外部体育館は5回分確保できていなかった。それが21日のコミュニティ体育館キャンセル待ち申込で当選し、3回分が埋まった。そして今日、残る2回分のうち1回は飯盛体育館が確保できた。あとは10月11日の1回分だけ、どこを当たっても塞がっていてダメだ。ウーン… 
’18年09月24日(祭)  小池カップ最終日。錬成会そのものは午前で終わりだが、午後は1時半から4時半まで場所を慶進高校に変えて、慶進高校と居残りの鶴鳴のクリニックをした。内容は、ゼロステップの拡大解釈や勝手な解釈が現場で横行していることの問題点を取り上げ、最後は、プレイを待つ・プレイを仕掛ける・プレイを捨てるについて各場面毎に理解を深めさせる指導をした。3時間では足りなかった。 
’18年09月23日(日)  小池カップ2日目。西部体育館でのケガ人はなし。ホッ。懇親会は昨年同様、山口少年女子中国ブロック突破のスタッフの慰労を兼ね、村谷・今田両先生の祝勝会とし、彼らは招待とした。 
’18年09月22日(土)  小池カップ初日。13チームが2会場に分かれて戦った。西部体育館会場では7チームが競い合ったが、Aチームのスタメンで2人が前十字靱帯断裂のため、Bチーム(本国体出場確定)で1人アキレス腱断裂のため、同じくBチームで1人腸腰筋損傷のため、戦いに参加できない選手が居た。前十字靱帯断裂の選手は2年生なので3年時にプレイできるチャンスはある。しかしアキレス腱断裂の選手は3年生なので高校在学中の部活動はほぼ絶望的だろう。加えて、私が審判していた試合でCチーム(本告知出場確定)のスタメンが足首の前座をした。どんなにスポーツ医学を勉強してもケガは起こる。仕方がないことだが現実にこうしてケガ人を見てしまうと悲しくなる。 
’18年09月21日(金)  今日はコミュニティ体育館での練習。参加したのは21人。不参加者の内訳は、欠席2、塾1、美術課題2、文化祭準備6。文化祭は今月28日。そのあと10月上旬に中間テストがあるから5日から9日までテスト休み。その後18日に合唱コンクールがあるのでその練習のためにたぶん人数が揃わない日が続く。9月と10月はいつもこんな感じだ。最近部活に追われて親も子もプライベイトがまったくないと言う批判の意味でブラック部活動という言葉が急浮上しているが、学校生活や家庭生活を犠牲にしない正常部活動はこのように充実した練習ができる日は数えるほどしかないのが現状である。 
’18年09月20日(木)  毎月1日21日25日は、翌月の外部体育館確保に奔走する。最優先がコミュニティ体育館、次が日吉自然の家、それがダメなら飯盛体育館か多良見体育館。今日は第3候補でやっと取れた飯盛体育館での練習。しかし、それに参加したのは全32名の部員中11名のみだった。他は、係活動や合唱コンクールの練習等で不参加。これが学校での練習ならば遅れてでも参加できるのだろうが飯盛まで選手は自力では移動できない。拍子抜けするがこんなことでヤケになってはいけない。これが中学生の校部活動の現状なのだ。 
’18年09月19日(水)  昨日格闘家(K1)の山本 Kid 徳郁さん(41歳)が胃がんで亡くなった。今朝microsoft edgeで関連の記事を読んでいたら、Yahooニュースに「試合も弱く、ガンにも負けた」という匿名のコメントが載っていたことを知った。匿名・・・卑怯の最たるもの。自分は遠い場所で傍観しながら他人の批評だけはしたり顔でやるこんなヤツ。世の中から抹殺したい。 
’18年09月18日(火)  N子が土曜日に足首の捻挫をした。その後日曜月曜は連休で個人病院は開いていない。。少し腫れて青紫の血腫があるが、救急病院に行くほどの症状ではないので火曜日に骨折の有無を確かめるため専門医を受診すればよいと母親に指示した。しかし母親は勤めがあるため午後5時過ぎにしかN子を病院に連れて行くことはできない。だから私がN子を朝から専門医に連れて行った。私はむかしからそうだが、保護者が手に負えないことはこうして手助けをしてきた。ケガや病気のことだけではない。ずっとむかしのことだが、キャプテンの父親が知り合いの借金の保証人になったが夜逃げされ、その処理で自営業の店を手放さなければならなくなったのを手助けしたことがある。コートでプレイを教えるだけがコーチの仕事ではないのだ。
’18年09月17日(月)  川棚中学校の合宿最終日。午前中また日吉自然の家まで手伝い(指導)に行った。こうして他チームの指導やクリニックをする度に、ミニ・中学・高校どのカテゴリーにおいてもコーチは選手の聞き取る耳と見つける目を育てることに全力を傾注しなければならないと強く思う。 
’18年09月16日(日)  ひがながバスケはオフ。午前中少年男子の強化練習(対教員男子練習試合)を観に行った。午後は高校女子強化練習会(講師:千葉大学日高先生)を観に行った。みんな頑張ってる。私もまだまだ音をあげるワケにはいかない。 
’18年09月15日(土)  今日から3日間、川棚中学校女子バスケが日吉自然の家で合宿をする。そこへひがながが呼ばれた。「バスケットの本質は」と「このチームの指導ポイントは」に的を絞って指導した。しかし3時間では足りなかった。明日は家庭の日でひがながはオフなので明後日また指導に行く。「少しわかったぞ」を持ち帰らせたい。 
’18年09月14日(金)  ひがながバスケはオフ。昨日と今日カブトガニで開催されている九州農業大学バスケットボール大会の審判に行った。私の担当は決勝戦の鹿児島対大分。相方は佐世保工業の水戸先生だ。農業に携わっているのでさすがにみんな足腰が強い。ずっと前に専門学校大会の審判も務めた。シニアの大会の審判も務めたことがあるが、農業大学の部があるのは初めて知った。様々なカテゴリーでバスケットを楽しむ人が多く、こんなに人気があるスポーツなのだからこどもたちをもっともっとミニバスに誘って、小さい頃からバスケットの楽しさを味わわせ、バスケット人口を増やさなきゃ。 
’18年09月13日(木)  6月中旬の市中総体直後からシューティングを最優先課題として練習させている。それから約3ヶ月、セリカのジャンプショットは誰が見てもちゃんとしたジャンプショットだと言えるようになった。しかしセリカは、シュートを撃ってよい場面か撃つべきではない場面かがまだ分からないので、このジャンプショットが試合で使えるようになるにはまだまだ時間がかかる。これからセリカのほんとうの闘いが始まるのだ。 
’18年09月12日(水)  鶴鳴時代、某新聞社のX記者から取材依頼があった。取材を基にコラムを書くらしいのだが、取材を受けていて「この記者はすでに読者受けするストーリーを作って来ている。ただ、独断で書くワケにはいかないからカタチだけインタビューという形式を取っているのだ」と思った。そこで私は「あなたは私のインタビューを基に記事を書くのではなく、すでに自分でストーリーを決めて来ているじゃない。だからこれ以上のインタビューは受けないよ」と言ってX記者を帰した。日大の反則タックル問題を皮切りに、スポーツ界のパワハラや暴力がひっきりなしに報道されているが、これらの出来事がメディアや評論家が取り上げるのに都合が良くて大衆受けする情報だけで語られているとすれば悲惨だ。それは絶対にないということを願ってやまない。 
’18年09月11日(火)  今日高城台小の小大会練習のため学童の迎えで遅れたのはリュウやんだけだったのでバイクで迎えに行き、とって返してひがながバスケをコミュニティ体育館に送るのにバスで中学校に駆けつけた。ところが月末に行われるひがなが祭の準備に駆り出された選手がいて全員揃わない。毎年9月はこんな感じで落ち着いて部活動をできる日が少ない。今日は主力4人を含む6人が練習に来られなかったが、それでも26人で練習できたのだから、部員が7人しかいないチームに比べれば贅沢すぎるのだからグチってはならないのだ。 
’18年09月10日(月)  私の日常はひがながバスケの外部コーチをメインに、つばさ保育園の行事手伝い、学童クラブつめくさの送迎、古賀ミニバスの送迎、県内県外を問わずクリニックの依頼と、けっこう忙しく動き回っている。今週からそれに加えてひがなが校区の小学校では10月上旬に行われる小大会の練習で、6年生の下校時間にズレが生じる。それにも対応しなければならない。でも、大学の教員時代の忙しさに比べれば「へ」でもない。 
’18年09月09日(日)  2月24日を最終日として計5回実施されるJBA公認コーチ養成講習会の本日実施分の講師を務めた。参加者は98名。5回実施の中で講義と実技の両方を受け持つのは私だけである。他の4回はすべて実技だけだ。私のやり方は、午前中の講義が終わった時に午後からやって欲しい実技の内容をメモ用紙に書いて貰って提出させ、それを午後の部に織り込む。こちらが用意していったものを押しつけるだけでは受講者に「受講してよかった」をお土産に持ち帰らせることはできないと思うからだ。 
’18年09月08日(土)  市会長杯結果UP games&schedule 参照。 
’18年09月07日(金)  練習の途中にH子を呼んでアドバイスをした。アドバイスしたあと「お前叱られ顔をしているよ。俺はお前を叱るのではなくアドバイスをしているんだが…」と言った。私が「ちょっと来い」と言うと選手は「叱られる」と思うからこんな顔になるのだ。そうなる原因はすべて私にある。 
’18年09月06日(木)  錦織選手と大阪選手はアベックベスト4!大谷選手も3番DHで出場し、2打席目に俊足を活かして内野安打を放ったあと3打席目に17号ホームラン、続けてレフト前安打、さらに続けて18号ホームランを打った。昨日に続き万々歳と言いたいところだが、今日の試合前に実施した大谷選手のMRI検査で右肘内側側副靱帯に新たな損傷が見つかった。トミージョン手術は必至だ。すると今後1年間ピッチャー大谷の姿は見られないことになる。残念!私は鶴鳴に移籍して2年目に突然の腎出血(ナットクラッカー症候群)で長期入院した。一時は移籍早々早くもコーチ人生が終わったと覚悟したが、ヤケにならずに地道に取り組んだ結果それから12年後に純長崎産の選手だけでインターハイ優勝を果たした。あの腎出血は慢心しないように神様が私に与えた試練だったのかもしれない。ひたむきで純粋な大谷選手が慢心することはないだろうが、今後の1年をさらなる飛躍のためのステップにして貰いたい。
’18年09月05日(水)  私は70歳で長崎女子短大を退官した。定年だから退官したのだが、実は退官前の数年間は精神的に限界だった。学会発表の論文作成の重圧で潰れかけていたのだ。義務的にではなく自主的に書いている論文なので「今年は書きません」と言えるのだが、それは山崎純男の流儀に反する。退官してよかったのは論文の重圧から解放されたことと、午前中にNBAやMLBの試合を実況で観られることだ。今日は大谷選手が16号のソロホームランを打った。しかも左投手からだ。バンザーイ。 
’18年09月04日(火)  昨日は大谷選手が3ヶ月ぶりで投手復帰。今日は全米オープンで錦織選手と大阪選手がアベックベスト8に進出。こっちも元気貰ってガンバルぞ! 
’18年09月03日(月)  市会長杯参加案内UP games&schedule 参照。 
’18年09月02日(日)  ひがながバスケはテスト前オフ。家に籠もりっきりで終日パソコンをいじっていた。 
’18年09月01日(土)  ひがながバスケはテスト前オフ。午前中、吾妻体育館で行われたミニバスの練習試合を観に行った。ここでミニバスについての私の考えを述べておきたい。今日の試合の感想ではない。常々思っている私の考えである。①ミニバスの指導者こそ技術論戦術論だけでなく、運動生理学や発育発達論等の基礎的学問をしっかり学べ。②ミニバスの時期にこそ正しいプレイを身につけさせ、悪いクセを絶対身につけさせるな。(山崎語録36:悪いクセはすぐ身につく。良いクセが身につくには時間がかかる)。③他のカテゴリーと違うのは、1ピリ専用の戦術、2ピリ専用の戦術、3・4ピリ専用の戦術を選手に習熟させなければならないことである。そこで最も重要なのが各選手のボールタッチの頻度だ。 
’18年08月31日(金)  私は常々返事をする時「は」と「い」の間を伸ばしてはいけないと指導している。今日、A子の曖昧なプレイを執拗に追求していたらA子は「は~い」と言った。「ふざけるなよキサマ!」「・・・」「何がふざけるなよなのかわかるか?」と言ったらA子は「は~いと伸ばしたからです」と答えた。分かっているのだ。分かっていてこんな返事をするのは自分の曖昧さに向き合う気はないし私の指摘を聞く気もない。ふて腐れているか反抗しているのだ。「え!山崎先生に反抗?」と読者は思うかも知れないが、A子にとって山崎純男はどこにでも居るうるさいじいさんなのだ。山崎純男の価値など分かりはしない。こんな子にムキになって怒りまくるのは大人げない。こんな子を世に出しても恥ずかしくない人物に仕立てあげるのがコーチ山崎の仕事だ。
’18年08月30日(木)  午後7時開始の「部活動指導者講習会」に顔を出した。昨年12月26に文部科学大臣から通達があった「学校における教員働き方改革に関する緊急対策」を市教委が現場にどう伝えるかを聞きに行ったのだ。言いたいことはヤマほどある。いつか機会を捉えて述べたいと思う。
’18年08月29日(水)  25日のNew Sports Sevenに作家の甘糟りり子氏のコラムが載っていた。内容は、金足農高の活躍で日本中を湧かせた高校野球のことについての感想だった。要点をかいつまむと、①雑草軍団の金足農高の活躍は世の中の要求にはまった。②一方S高校の投手は審判から「必要以上のガッツポーズをしないように」と注意された。この2つは、高校野球選手にさわやかでピュアな個性しか認めない国民感情から生じた結果だろう。だとすればそれは、一種のハラスメントとも言えるのではないか、という内容だった。同感だ。 
’18年08月28日(火)  今日は終日学童クラブドッジボール大会の手伝い。私が運転するバスの助手席に乗ったいつき君(2年生)が数枚のメモ用紙を取り出して読んでいる。「なにそれ?」と質問したら「今日の試合の作戦」という。昨夜1時間かかって作成したらしい。小学2年生なのにすごい!試合後「作戦うまくいった?」と聞いたら「うまく言ったけど審判がいじわるだった」と言った。私はそれはとがめず「そっかあ」と言った。リュウやんたちがコンソレで生き残っていたがそれも負け、すべてが終わった。
’18年08月27日(月)  1昨日と昨日のコヤスポカップでは1日に2試合、計4試合審判をした。動きは軽快、息も上がらずちゃんと笛を吹けた。昨夜は11時頃就寝したが今朝3時半に目が覚めた。ふくらはぎが攣ったのだ。それと格闘していると今度はハムストリングが攣った。そこを伸ばすと前脛骨筋と腓骨筋が攣った。それを処理していたら縫工筋が攣った。1番やっかいだったのが内側広筋が攣ったときだ。かちかちになって膝を折り曲げられない。脂汗が出た。しばらく闘っていると少し治まったのでうとうとしているとまた4時半に目が覚め、また闘いが始まった。それが治まったらまた5時半に目が覚めて戦闘開始だ。6時40分に起きるまで闘いは続いた。運動し過ぎたあとのような筋肉痛はない。どこかが突然攣るだけだ。今日の練習指導に支障はなかった。
’18年08月26日(日)  コヤスポカップ2日目結果UP games&schedule 参照。  
’18年08月25日(土)  コヤスポカップ初日結果UP games&schedule 参照。 
’18年08月24日(金)  今日はコミュニティ体育館を借りて午後1時から3時までの練習。始まって30分も経たない1時27分。練習を中止して選手をバスに乗せ、コミュニティ体育館を引き上げた。あまりにも愚かな出来事が起こったからである。選手の名誉の為に断っておくが、その出来事とは非行であったり校則違反などではない。私がこだわり続けているヒトとしての気付きの面で妥協できない出来事が起こったのである。ひがながバスケに関わって5年と3ヶ月、外部の施設を借りて行う練習を途中で中止して引き上げたのは始めてだ。怒る(叱るではなくイカる)ことはほぼ毎日あるがほとんど飲み込む。今日の怒りは飲み込むことができなかった。今日の出来事は、先日コメントしたアジア大会男子の事件と同じく、当事者を責めるだけでなく、ここに至るまでに関わった大人たちすべてが猛省しなければならないことである。 
’18年08月23日(木)  昨日今日、テレビの話題は金足農高ばかり。大阪桐蔭の話題は出ない。大阪桐蔭の春夏2連覇は快挙なのに。17日の欄で述べた駅伝の時も、新聞が大きく取り上げたのは壱岐商高の7連覇ではなく鶴鳴バスケの初挑戦だった。7連覇の方がすごいのに。また、2000年にアメリカの大学を呼んで長崎で試合をした時と2003年長崎インターハイの時は無記名の投書が舞い込んだ。いずれにしろ、当事者以外やマスコミは当事者とは違ったストーリーを描き、そのストーリーに合わせて賞賛したり中傷したりする。戦う当事者は戦う相手だけでなく、こういう人たちを敵に回したり味方にすることにも的確な対応をしなければならない。 
’18年08月22日(水)  台風19号接近のため、今日の学校行事である午前中の総合学習と午後の部活動は中止だと、教育委員会から昨日通達があった。通達があったとき「大丈夫なんじゃないかなあ」と思ったし、今日は何事も起きないが通達は解除されていないので家でじっとしていた。公認コーチ養成講習会の原稿をもう1度見直した。
’18年08月21日(火)  コヤスポカップ参加案内UP games&schedule 参照。
’18年08月20日(月)  大ショック!6月29日の欄で「日本代表男子スゴーイ!」と褒めたばかりだが、その時のメンバーとずいぶん入替があったものの、アジア大会最中に男子日本代表チームの4人がとんでもないことをやらかして帰国させられたのだ。FIBAのバウマン氏のテコ入れで刷新されたはずのJBAがまた評価を落とした。この問題は、やらかした4人を非難するだけでなく、それまでに関わった指導者や親その他を含めた全員が「なぜここに至るまでにこの選手たちの人間的な躾をできなかったのか」と猛省しなければならない。残念! 
’18年08月19日(日)  今日は第3日曜日(家庭の日)なのでひがながバスケはオフ。朝6時20分に家を出てバイクで佐世保に向かった。赤崎小学校で行われているウィングホームカップミニバス大会を観に行ったのだ。今年は第12回大会で、九州各地から男子65チーム、女子65チームが参集した。行きは大村湾沿い西廻りのコースを走って2時間2分かかった。帰りは大村湾沿い東廻りのコースを走り、2時間12分かかった。バイクは125CCなのでバイパスも高速も走れないから全行程一般道だ。古賀ミニバスは2位グループで優勝した。イェイ! 
’18年08月18日(土)  ゼロカップ最終日結果UP games&schedule 参照。1試合審判したが今日は余裕だった。 
’18年08月17日(金)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。学校に着くとたくさんの生徒がグランドを走っていた。駅伝の練習である。駅伝練習は外気温が上がる前の早朝にやる。陸上部長距離部門の選手だけでなく、希望者は誰でも走って良い。バスケ部からは2年続けてミライが挑戦した。現在高校生のミナミ(長西)とイホ(鶴鳴)は小江原グランドで走る本番の選手にも選ばれた。それ以後ミライ以外バスケ部からはだれも走っていない。ミライは短距離型で長距離はそれほど速くない。「なぜ走るの?」と聞いたら「高校でもバスケットをしたいので体力をつけておきたいからです」という返事だった。エライ!参考までに、鶴鳴が最初に高校駅伝に挑戦したのはバスケット部である。陸上部の存在を宣伝するためにバスの横に「鶴鳴高校駅伝部」という看板をぶら下げて小浜に向かった。
’18年08月16日(木)  お盆明け、ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。その前に、9時半開始の国体少年女子最後の練習を観に行った。例によって、選手のプレイぶりを観に行ったのではなくスタッフの労をねぎらいに行ったのである。約40分ほど観てひがながに戻った。今日はいつもより涼しく体育館に備えてある温度計は32.8℃だ。それでも体調不良により途中で練習を抜けたのが3人出た。この温度で、しかも風通しの良い室内で、ハードでもない運動を2時間程度して熱中症にはならない。お盆休みの間の過ごし方が悪いのだ。 
’18年08月15日(水)  今日は終日、部屋に籠もってJBA公認コーチ養成講習会の講義PPT(2時間)のチェックをしていた。7月初旬には完成させた原稿だが、何回見ても修正箇所が見つかる。 
’18年08月14日(火)  Dr宮本から呼び出されて昨日レントゲン撮影に行った。指が紫色に腫れていつまでも治らない時はまず感染を疑う。さらに、傷口がなくて膿みが外に出ない場合(瘭疽=ひょうそ)は炎症が骨にまで波及して骨髄炎を起こすことがある。Dr宮本はそれを疑ったのである。結果はセーフだった。
’18年08月13日(月)  墓参りに行った。母は大正7(1918)年2月3日生まれで平成22(2010)年6月4日に死んだ。92歳だった。生きていれば今年百歳だ。合掌。 
’18年08月12日(日)  午前中ひがながバスケの指導をしたあと、琴海南部体育館で行われているジュニア代表長崎市セレクションに出かけた。こうした行事に私が出かけるのはスタッフの労をねぎらうのが主目的である。試合やクリニックの内容を見るためではない。 
’18年08月11日(土)  7月19日に左足小指に痛風を発症してからしばらくバスケ指導は裸足でやっていた。少しよくなってきたので8月5日にゼロカップの審判をしたが、このあとまた痛くなってそれ以来また裸足指導を続けていた。もう大丈夫だろうと思って今日は靴を履き、ゆっくり走ってみた。自分では普通に走っているつもりだが映像を見てみると少しビッコを引いている。痛みが残っているというより気になってそういう走りになるのだろう。 
’18年08月10日(金)  今日は学童クラブつめくさのお出かけの手伝いで、武雄の科学館に行った。毎年恒例の行事だが、単なる見学だけでなくものづくりや冒険など、挑戦することがたくさんあって何時間居ても飽きない。 
’18年08月09日(木)  長崎に原爆が投下された日私たちは満州の大連に居た。1年後の7月1日、満州から引き上げて舞鶴港に着いたので原爆がどれほど悲惨だったか私は知らない。が、終戦後ロシア兵の乱暴や中国人からの嫌がらせに耐えながらひっそりと生きた私たちの1年もかなり辛いものだった。いずれにしろ戦争はもう嫌だ。 
’18年08月08日(水)  コミュニティ体育館でひがながバスケの指導(10:00~12:00)を終えた後、壮年と中年の中間ぐらいでガッチリした体格の男性に「あの・・・鶴鳴の山崎先生ですよね」と声をかけられた。「はあ、そうですけど」といってその男性を見つめていると「いえ、先生は私をご存知ないと思います。私はバスケットとは関係なく、競輪をやってますから」と言われた。話を聞けばプロの競輪選手で今日はジムにトレーニングをしに来たらしい。なぜ私を知っているのか尋ねると、私の本「チームを創る」を読んで知ったということだった。本のことでしばらく話をして別れ際に「いやー、会えてよかった。握手してください」と言われたので握手をして分かれた。プロの競輪選手に握手を求められてこっちが戸惑った。世間は狭い。どこからどんな人が見ているかわからない。誰もいないところでもシャキッとして歩かなければ・・・。 
’18年08月07日(火)  今日は終日、つばさ保育園のイルカウォッチング手伝いなのでひがながバスケはオフ。園児から「先生はつばさ保育園の先生?」と聞かれたので「違うよ、バスケットの先生だよ」と言ったら「帰りもよろしくお願いします」とアタマを下げられた。4歳児ができるあいさつではないなあ。 
’18年08月06日(月)  左足小指の痛さが尋常ではなく、今日はロキソニンを3回飲んだ。夕方Dr宮本から「画像を見ましたが痛風だけではなく感染が疑われ、それが骨に達していたら良くないので1度X線撮影しましょう」 と電話がかかってきた。X線撮影は来週月曜。「痛みをこらえて決して審判などしないように」という但し書き付き。
’18年08月05日(日)  ゼロカップ初日( games&schedule 参照)。1試合だけ審判をしたが、これまででもっとも辛い審判だった。左足小指の痛風症状が癒えておらず、サンダル履きでは平気なのだが審判シューズを履いて走ると圧迫されて痛みが増す。7月20日に症状が出てからもう2週間以上経つ。何か変だ。
’18年08月04日(土)  久住から帰ってくると暑さが尋常ではない。つばさ保育園へ用事で出かけたら、その酷暑の中理事長が芝狩りと水撒きをやっていた。理事長は久住に登っただけでなく、長崎⇔久住の道中園児たちの荷物(個人用リュックやライフジャケットや滝滑り用ヘルメットなど)をバスのうしろに付いてトラックで運搬するのである。その翌日の炎天下にこの作業だ。 「ヒエー!昨日の今日なのに肉体労働ですか」と言ったら「芝生が"水くれ~っ"と言ってますから」と理事長は笑って答えた。頭が下がる。
’18年08月03日(金)  最終日は龍門の滝での水遊び。先週の学童クラブの滝滑りと違って到着時間が早かったので滝壺も滝滑りも渋滞しておらずのびのび遊べた。しかし学童と違って、園児は何をするにも手がかかる。 
’18年08月02日(木)  今日は本命の久住登山。7時に牧ノ戸を出発。朝食は登山途中の最初の休憩(8時半頃)で摂り、下山後ヒュッテで昼食を摂ることにしていたが、今回は史上最悪ペースで7時間かかったので昼食(ソーメン)が午後3時前になってしまった。毎年手こずる園児が出て、できるだけ自力で克服させるようにしてはいるが、今年は最後の階段下り道の終点まで残り百㍍あたりでやむなくおんぶしてやらなければ園児が出た。残念!
’18年08月01日(水)  今日から3日間はつばさ保育園の行事の手伝いで私が不在なのでひがながバスケはオフ。今日はまず熊本のやまなみこども園に立ち寄って合同学習。やまなみのこどもたちはワイルドだ。室内ではみんなで一緒にリズム表現学習をして、昼食後は一緒に江津湖で水遊びに興じ、それからやまなみハイウェイを通って九重に向かった。台風12号戻ってくるなよ、そのまま中国に行け! 
’18年07月31日(火)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。5日前、練習メニューにツーメンクロスを取り入れたと言ったが、昨日から誰かがカッティングしたあと、残っている選手はダウンスクリーンを仕掛けるという約束事を加えた。正確なスクリーンじゃなくても、正しいタイミングでなくてもいい、誰かが動き出せば自然に次の動きが生まれてくるものだという、非常に雑な解説を加えて。私は曖昧さの良さとよく言うが、新しいことを教えるときはいつもこんな感じだ。 
’18年07月30日(月)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。そのあと県中総体の決勝リーグを観に行き、そのあと古賀ミニバスの手伝いに行った。県中総体は台風次第では今日の試合を中止し、九州大会派遣チームは昨日決勝リーグの1発目で勝った2チームとすることになっていたが、台風が何なく通り過ぎたので予定通り今日の試合を実施した。結局男女とも昨日勝った2チームが今日も勝ち九州大会のキップを手にした。観戦した感想は、諫早中がミニバスと間違われるぐらい小さい選手ばかりなのによく仕込まれており、印象に残った。 
’18年07月29日(日)  ゼロカップ参加案内UP games&schedule 参照。 
’18年07月28日(土)  2日目の今日は龍門の滝での水遊び。今回からつめくさはニューヘルメット。これまではここで借りて着用していたが、それは大人用なので滝滑り中にズレて外れることが時々ある。それで理事長がこどもサイズのヘルメットを全員分購入したのだ。こうして理事長の完璧主義でつめくさやつばさ保育園の行事はやる度に整っていく。滝滑りのあとは昼御飯を食べて帰崎。今回は天候に恵まれて楽しい行事になった。 
’18年07月27日(金)  今日は学童クラブつめくさの久住登山。左足小指の痛風症状が残っており、サンダル(踵止め付き)でバスの運転はできるが痛くてバスケシューズが履けず、体育館では裸足で指導している状態なのでこどもたちと一緒に登ることはできない。私は牧ノ戸茶屋で留守番だ。牧ノ戸から少し上ったところにあるあずまやの温度計は24℃を表示していた。登山後、宿舎の九重青年の家の部屋に入ったら牧ノ戸より暑かったので冷房を入れようと思ってスイッチを見たら、冷房の設定はなく暖房のみだった。ヒエ~。 
’18年07月26日(木)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30) 。このところずっと、シューティングとトランジッションしかやっていなかったが、今日ツーメンクロスを新チームになってから初めて取り入れた。このように、全体練習の中で必要と感じたときそのための技術を取り出してメニューに加えるのが山崎流のやり方である。それを、素人軍団の1年生にもやらせる。当然シッチャカメッチャカだ。それでも構わない。 覚えるより慣れろだ。
’18年07月25日(水)  社会福祉法人おおぞら(つばさ保育園・学童クラブつめくさ)は、田中町の卸団地トンネルの上にりっぱなを持っている。そこでは野菜や果物が豊富に採れる。今日は炎天下つめくさのこどもたちがブルーベリー摘みで汗を流した。みんな元気だ。 
’18年07月24日(火) ひがながバスケはC練(13:00~15:30) 。11時開始のエンゼルス対ホワイトソックスの試合で、12時10分に大谷選手がセンター越えホームランを打ち、エンゼルスが3対1とリードを広げたのを見届けてから練習指導に出かけた。帰ってきたら5対3でエンゼルスは負けていた。残念<(_ _)>。
’18年07月23日(月)  7月19日に「左足小指に痛風発症」と述べた。クツが履けないのでバスケ指導は裸足だ。もう発症から4日も経つのにまだ痛いし周辺のむくみがなかなか治まらない。う~ん、むかつく! 
’18年07月22日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。それが終わってから県立総合体育館に、第94回天皇杯・第85回皇后杯長崎県代表決定戦(以前は総合選手権という名称)を観に行った。女子は鶴鳴、男子は浦上自動車学校が優勝した。両者は9月15~17に山口県周南市で行われる1次ラウンドに出場する。女子決勝は延長戦で鶴鳴がストレッチに勝った。男子は昨日長崎教員が長崎西高校に敗れ、今日の準決勝でも長崎西高校は中央クラブに負けたが延長戦だった。これは高校勢の躍進なのか、成年の部の衰退なのか。
勝ち上がり表は games&schedule 参照。 
’18年07月21日(土)  断っておくが、3日前に紹介したDVDはジェイソンのクリニックではない。勘違いしている人が居るようだ。ジェイソンが持ってきたがDVDの内容はフィルジャクソン(ブルズとレイカーズで計9回優勝したレジェンドコーチ)とその時のレイカーズのアシスタントコーチのジムクレモンスとトライアングルオフェンスの生みの親であるテックスウィンターの3者がこどもたちにファンダメンタルを指導しているDVDだぞ(注:全部英語)。 
’18年07月20日(金)  イッターイ!今日は足の甲まで腫れてきた。これまでの痛風症状は1日経つと治まったが今回は2日目の方がひどい。バスケ指導はクツが履けないので裸足でやる。ロキソニンは腎臓に負担をかけるので飲みたくないのだが昨日から飲み始めた。クソ! 
’18年07月19日(木)  6月22日に、長母趾伸筋腱炎だと思っていたら痛風だった、と述べた。その時の採血結果は尿酸値9.2だった(7.0以下が正常)。その後フェブリクを毎日服用しているが、また右手親指の付け根に痛風症状が出た。それが治まったら今度は左足小指にまた出た。約1ヶ月の間に3回だ。痛風には脱水状態がもっとも良くない。このところ猛暑が続くのでこまめに水分補給はしているのだが…。古くなったなあ俺の身体は。 
’18年07月18日(水)  数年前ジェイソンライトを呼んで日本国中をクリニックして回ったとき、彼が持ってきたDVDが引き出しの奥にたくさん眠っているのを発見した。53枚ある。欲しい人無料でさしあげますよ~。内容はたいしたことないが、フィルジャクソン・ジムクレモンス・テックスウィンターの3人でやってるクリニックのDVDなので所有物としては自慢できるかもしれない。 
’18年07月17日(火)  3日ぶりに平常生活に戻った。私は県内の試合でも役員席やステージには上がらず観客席で見る。WJBLサマーキャンプでも同じだったがエントランスや2階席通路ではいろんな人に会い、挨拶された。2日目以降は念のため手持ちの名刺に加えて追加印刷したのを持って行ったのでよかった。それにしても、高校の現場を離れてから5年も経つのに、みなさんずっと昔の私を覚えていてくれる。ありがたいことだ。
’18年07月16日(祭)  サマーキャンプ最終日。今日は10時からの試合と12時からの試合でおしまいだが、私は10時からの試合だけを見てひがながの練習のために長崎に戻った。観戦に来る人たちはコートで繰り広げられる試合しか目に入らないが、裏では選手や審判やコーチ陣はすごいスケジュールで拘束されている。審判の研修、審判とコーチ合同の研修、選手の研修(ルールの研修やマナー指導やメディア対応)などビッシリだ。私はずっと前から、WJBLやJBAレベルではなく地方レベルでも審判とコーチ合同の研修は絶対必要だと思っている。
’18年07月15日(日)  サマーキャンプ2日目。終日シーハットに居た。その間いろいろな情報を得た。先日、日本代表男子がオーストラリアに勝ったことを取り上げて「すご~い」と言ったが、実は日本代表女子もすごいことをやっていたのだ。7月3日から8日まで日本代表女子はスペインに遠征をしたが、そこでスペイン代表と2試合やり、1回目は6点差で負け2回目は1点差で負けたらしい。2試合とも負けだがスペインは世界ランク2位である。しかも今回のスペイン遠征には吉田・渡嘉敷・大崎が欠けている。それでも大善戦。いろいろあって女子を応援するのがイヤになっていたが、もう1回女子を本気で応援してみようかなと思った。 
’18年07月14日(土)  朝9時から10時までユニバチームの練習(於日大)に顔出し。そのあと鳴見台小で11時から行われる市会長杯のミニバス応援(古賀ミニバスは今日で散った<(_ _)>)。それから大村のシーハットで行われているWJBLサマーキャンプに出かけた。スタッフたちへの表敬訪問がメインだ。明日と明後日も顔を出すつもり。
’18年07月13日(金) 中尾ダム前の敷地の一角に、つばさ保育園がバスの駐車スペースを借りて2台のバスを置けるようにしてある。地ならしをして雑草を刈り、そこに砂利を敷いた駐車場だが、夏になって雑草が伸びて砂利が侵略され、駐車場横の斜面の木々が枝を伸ばし、バスの屋根に襲いかかってくるようになった。それを知ったつばさ保育園の理事長が自分の会社(造園業)から職員を派遣して枝と雑草を刈り取ってくれた。草刈り機を借りて自分でやろうと思っていたが、作業をみているとさすがプロだ。こんな仕事は素人の私にはできない。 
’18年07月12日(木)  昨夜9時開始のウインブルドン4回戦の試合を深夜まで観ていた。錦織選手は強くなっている。だが、ジョコビッチ選手はそれ以上に強くなっていた。双方凡ミスがなく、1打1打目を離せない試合だった。しかし、ジョコビッチ選手はキリオス選手に比べればマシだが、審判や観客に対してよくクレームを付けるしケンカを売る。世界の超一流なのだからマナーも超一流であってほしいなあ。 
’18年07月11日(水)  つばさ保育園1歳児のお散歩。カルガモ親子のお引っ越しとおんなじだあ(^o^)。 
’18年07月10日(火)  新チームの選手の居住範囲が広いので、日吉で練習したあとは選手を送り届けて自宅に帰り着くのは9時前になる。グッタリして晩飯も食べる気にならない。 
’18年07月09日(月)  以下のコメントは1部を除きひがなが女子バスケのことではない。一般論である。体育館を訪れたら「集合!きをつけ!礼!」とあいさつする。どこも同じ形式だ。廊下ですれ違った選手が「こんちわ~」と挨拶する。用件を済ませて戻る途中、その選手とまた会うと「こんちわ~」とまた挨拶する。「さっき挨拶したばかりだろ」と不愉快になる。別の日にその選手と公道で会う。その時は私の顔を見ながら何も言わずに通り過ぎる。さらに不愉快だ。挨拶は相手にその日最初に出会った時の1回だけ。TPOを教えるのもコーチの仕事だ。
’18年07月08日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。それが終わったあとまたカブトガニアリーナに行った。アリーナはキャンセルできないし、せっかく遠方から来たので残ったチームで親善試合の続きをやるというので審判に出かけたのだ。昨日のコメントを訂正する。この人たちは懇親会目当てではなく、やっぱりバスケ好きなのだ。 
’18年07月07日(土)  大雨特別警報は8時10分に解除されたので、今日はB練(10:30~13:00)がやれた。そのあと私はカブトガニアリーナに出かけた。九州シニア大会が開催される予定だったが、大雨で来られないチームや全員揃わないチームがあったので親善試合という名に変えて試合は実施することになったのだ。シニアの大会なので私はオールドファッションで審判をした。試合後の懇親会にも呼ばれたので出席した。みんな試合よりも懇親会が目的なのだなと思った。でも、60過ぎたおじいちゃんたちが童心に返ってプレイするのを見るのは楽しい。
’18年07月06日(金)  昨夜は23時開始の錦織選手の試合を見た。相手はオーストラリアのバーナード・トミック。クセ者だ。深夜3時頃まで見ていたが試合が長引いたので、眠くて最後まで見ずに寝てしまった。朝9時に起きてすぐインターネットで調べたら錦織選手が2-6,6-3,7-6,7-5で逆転勝ちしていた。3回戦の相手は同じオーストラリアの悪童ニック・キリオス。MLBでは24歳誕生日の大谷選手がベンチスタートでバースデー代打だったが空振り三振に終わった。大雨警報で部活禁止になったので私はどこにも行かず1日中家の中に居た。 
’18年07月05日(木)  昨日、大谷翔平選手がDHで約1ヶ月ぶりに出場した。朝から私はBS1をずっと見ていた。スイングのタイミングがまったく合わない。結果は4打数無安打3三振だった。「あ~、1ヶ月のブランクは大きいなあ」と思っていたら今日、同じカードでやはりDHスタメン。そして4打数2安打(シングルヒットと2塁打)2得点。1ヶ月のブランクのズレを1日で調整した。私は彼のアタマの中がどうなっているのか解剖してみたくなった。 
’18年07月04日(水)  ワールドカップサッカーで日本中が湧いたが、ピッチ以外のところで世界中のメディアが日本を絶賛している出来事がある。日本チームが敗戦後引き上げたロッカールームの様子だ。「この部屋はまだ誰も使っていないのか?」と思われるほどピッカピカに掃除され、机の上にはロシア語で「ありがとう」のメッセージが置かれていたというのだ。私は試合の内容よりもこっちに感動した。 
’18年07月03日(火)  午後2時、テレビの画面がフッと消えた。停電だ。台風の影響である。5時間後の午後7時にやっと点いた。その間、なんとか明かりが取れる窓際でずっと本(天地静大)を読んでいた。長崎市内の小中学校はすべて休校。もちろん部活動は禁止だ。1日中家の中でゴロゴロしていた。
’18年07月02日(月)  ①コーチの話をしっかり聞いていないし仲間のプレイをちゃんと見ていないからできない。②コーチの話をよく聞いているし仲間のプレイも熱心に見ているができない。②のパターンは次の2つに分けられる。③コーチから言われたことや仲間のプレイと自分のプレイはどこが違うのかチェックしないからできない。④運動能力が低いからできない。①から④までの中で強く叱っていいのは①と③だけ。④は絶対叱ってはならない。 
’18年07月01日(日)  午前中は横尾小学校で行われたミニバスの練習試合(古賀・横尾・鳴見台・上長崎参加)を観に行き、午後1時からのひがながC練指導に戻った。昨夜は就寝が遅かったので今日は何もせず早く寝るぞぉ。 
’18年06月30日(土)  朝、雨が降っていたのでいつも持ち歩くポーチを家に置き、運転免許証と小銭だけ持って出かけた。家に帰ったのは夕方6時だがポーチの中に家のカギを置いたままなので家の中に入れない。しかも今日は家内が親戚の結婚式に出席して何時に帰るか分からない。仕方なく、城未央のママに電話した。「お金、2千円貸してくれ」「どうしたんですか?」「事情はそっちに行ってから話す」。そのお金の中から、未央の家の近くにあるセブンイレブンで漫画本を買い、セブンイレブンのすぐ横にあるガストで晩飯を食いながら時間を潰した。8時20分までそこに居たがずっと座っているのが辛くてガストを出てバイクでマイクロバス置き場まで行き、マイクロバスの後部座席で横になって時々居眠りしながら時間を潰した。10時7分に家内から「今帰りました」と電話があった。4時間半も無駄に時間を潰した。フ~(近頃フ~ばかりだ)。
’18年06月29日(金)  女子バスケ部は月・水が半面割当、金が隔週で半面割当、土日は(A08:00~.B10:30~.C13:00~.D15:30~)のローテーションで全面割当である。それを、火・木の割当なし日は外部施設を借りて練習、割当なしの金はオフ、土日のD練割当はオフ、第3日曜日「家庭の日」はオフで回している。私がクリニックや会議で不在の時はオフとし、そのオフの代替えを上記オフの日(家庭の日を除く)に実施している。今日は5月5日の山崎不在時の代替えだが、公的施設がどこも空いていなかったのでテスト休み中の鶴鳴を借りて練習した。私の疲れは上限に近い。しかしこれが永遠に続くわけではない。「この子は分かるようになったな」という選手が出て来るまでの辛抱だ。それはたぶん、夏休み過ぎだろう。
追伸:9:20FIBAワールドカップアジア地区予選Bグループ(日本・オーストラリア・台湾・フィリピン)初戦で日本はオーストラリアを79対78で破った。快挙だ!すごーい。オーストラリアにはNBA選手のデラベトバが居るのに…。もう1回、すごーい。
’18年06月28日(木)  今日はさらに疲れた。何が疲れるかというと、プレイを教えるのではなく気付きを教えるのに疲れるのだ。ひがながの選手たちはプレイを見る目がまだ未熟なので、コート上のプレイを日常生活の中でよく起こる出来事になぞらえて教えなければならない。この作業に使うエネルギーが膨大なのである。フ~ 
’18年06月27日(水)  疲れている。午後、学童の送迎や練習指導に出かけるまでの間パソコンをいじっているが、途中必ず居眠りをする。山口クリニックの後遺症ではない。素人の新入生を加えた新チームの指導に自分の全精力を注ぎ込むからだ。大声で怒鳴ったりはしない。自らやってみせる場面が増えたワケでもない。が、「ナイス」も「惜しい」も「ダメ」も、基準がまったく分からない選手たちばかりなので軽い指示やアドバイスではダメ。彼女等の心の奥底に響くことばをかけてやらなければならないから、注ぎ込むエネルギーがハンパないのだ。 
’18年06月26日(火)  長崎市中総体終了後初の外部施設利用練習。それまで外部施設での練習時はオフにしていたミニバス経験なしの新入生たちも今日から全員参加。今年の新入生は古賀・矢上・高城台・日見の4校から集まったので、練習後に選手を自宅に送り届けるのが広範囲になった。いつもは8時少し前にはすべて送り届けられるのだが、今日は最後の1人(溝脇真優:つつじヶ丘)を送り届けたのが8時18分。約15分近くオーバーした。途中、古賀地区のママたちには今日の到着予想時刻を私の携帯で連絡させながら送り届けた。ふ~。
’18年06月25日(月)  昨夜、肥前古賀駅到着予定時刻は21:09分だった。しかし実際は22:11分に到着した。博多発18:55分のかもめ39号に乗り遅れ、19:54分発のかもめ43号になってしまったからだ。厚狭駅で新幹線に乗ったあと爆睡してしまい、かもめに乗り換える博多駅を通過して終点の博多南駅まで行ってしまったのがその理由である。身体は鉛のように重くて疲れ切っている上に、発車1分前に飛び乗ったかもめ43号は指定席が取れず自由席の立ち乗りだった。県外クリニックはこれまで何回もやったことがあるがこんなことは初めてだ。
’18年06月24日(日)  山口クリニック2日目。今日も終日5対5。このメンバーでンオフェンス(マンツーマンもゾーンも)を組み立てるならポイントはここだ。このチームでゾーンディフェンスを採用したいならこのゾーンが適している(いずれも監督の要望をもとにアドバイス)。終日その考えを浸透させるために時間を使った。昨日は昼休みを2時間取ったが今日は1時間半で切り上げ、厚狭発17:48の新幹線に間に合うギリギリの時間までやった。フ~。 
’18年06月23日(土)  山口クリニック初日。対象は国体少年女子。今日は最初の招集日である。8月下旬のブロック国体に向けて監督が描いている構想をもとに2日間でこのチームの方向付けをしてやらなければならない。はじめの1時間はいろいろやらせながら個々の見極めをした。そのあとは午後5時までずっと5対5だ。最後まで私が言っていることの意味がわからずウロウロするだけの選手もいた。しかし「この子は私の言いたいことがほぼわかってきたな」と「この子は学びたいオーラ満載だな」を見つけた。T子とF子だ。こんな子が居ると助かる。
’18年06月22日(金)  14日のブログで長母趾伸筋腱炎が痛いと述べたが、どうやら痛風再発だったようだ。明日からのクリニックのためにかもめ26号で諫早(15:38)を発った。痛みはあるがクリニックには支障なしと判定した。
’18年06月21日(木)  不祥事や、不祥事とまではいかないがさまざまなもめごとの相談や報告や連絡が私には舞い込んでくる。そんな情報を得る度に思うことは「事前の目配り気配りや初動対応の素早さにより最小被害で済むのに」だ。 
’18年06月20日(水)  選手が不祥事を起こすとチームが連盟から公式試合の出場停止を食らったり、チームが出場を辞退するケースが日本では多い。不祥事を起こした選手ではなくチームがである。連帯責任と称してだ。これって本当に正しい措置なのか?他のまじめな選手は全員納得するのか?
’18年06月19日(火)  どのチャンネルを回してもワールドカップサッカーが放映されているが、どの試合を観ても不愉快になる場面がある。それは、自分が反則したくせに大げさに倒れてファウルをされた被害者を装うプレイが頻繁に見られることだ。こんなことで、4年に1度の大会を楽しみにしているサッカーファンをがっかりさせないでほしい。 
’18年06月18日(月)  昨日、男子準決勝の前半まで観て会場を出たのは、1月29日Wリーグの試合を観たあとのブロで「"おもしろくない!"プレイがおもしろくないのではなく、オフコートの行動も含めた全ての行動がおもしろくないのである。"よく躾られているなあ"とか"しっかり訓練されているなあ"が感じられない。Wリーグですらそうなのだから、中学生や高校生の試合は推して知るべしである」と述べたことと同じ感想を持った(前述のチームを除く)からである。家に着くと同時に「先生!今どこに居られますか!」と電話が入った。「もう自宅に着いたよ」と言ったら「大事件です!選手が審判を殴りました」。「やっぱりかあ」と思った。教育と躾が抜けたらダメだ。
’18年06月17日(日)  九州高校総体最終日。女子も男子も決勝は福岡同士の対決となった。私は男子準決勝の前半まで観て会場を出た。男子の福岡第一高校と大濠高校はキチッとプレイを教えられているし、躾をされている。外人も含めてだ。ミニ・中学・高校男女を問わず、とても参考になるチームだと思う。 
’18年06月16日(土)  九州高校総体初日。会場は大村市シーハット。午前中観戦したあと、喜々津小学校で午後1時開始のミニバス南部リーグ古賀小の2試合目を観に行き、とんぼ返りしてまたシーハットに残りの試合を観に行った。1日目で長崎勢は全滅したが明日もシーハットに出かけようと思う。理由は、沖縄の安里幸男先生がコザ高校の外部コーチとして復活していたからである。 
’18年06月15日(金)  学童の送迎を終えて帰宅途中、学校の裏門近くのランニングコースを走っている数人のバスケ部員を見かけた。私はバイクで先回りしてランを制止し、「今テスト休み中だ。お前たちがやっているのは部活動で、学校の方針に反している」 と言って学校に戻らせた。1昨日自宅周囲ランと言った意味が分かっていない。
’18年06月14日(木)  22日から3日間県外クリニックでバリバリ身体を動かすので、その準備としてテスト休みの8日間に5㎞ランを4回やろうと思っている。今日1回目が済んだ。ところで、3~4日前から足の親指の付け根が痛い。「痛風再発か?」と思ったが痛みが違う。たぶん長母趾伸筋腱炎だろうと思う。私は長いランニング生活の中でランナーが傷める箇所はほとんど傷めた(足底筋膜炎、アキレス腱炎、鵞足炎、腸脛靱帯炎、半月板損傷)。しかし、長母趾伸筋腱炎は始めてである。インターネットで調べたら「ランニング愛好家に多く発症する」と書いてあった。私は愛好家ではなく、しぶしぶやってるのだが・・・ 
’18年06月13日(水)  明日から21日までテスト休み。22日から3日間私が県外クリニックに出かけるのでオフは都合11日間になる。その11日間に自宅でやる課題を与えた。①この間に計6回の自宅周囲ラン(20分間走)②毎日のストレッチ。ストレッチについては理論と部位別のやり方を教えた。ちゃんとやれるかな?
’18年06月12日(火)  今日は中総体の代休。女子バスケ部の体育館割当はC練(13:00~15:30)。そのすべてを昨日同様シューティングに充てた。ほとんどが個別指導である。そんな中みんなを集めて1回だけ2年生のH子のシューティングを観察させた。そして「H子はミニバス経験なし.。まだ未熟なので試合には出してやっていない。だけど俺が強調したポイントをすべて実行してるぞ」と、N子・S子・O子の顔を見ながら言った。この3人はミニバス経験者で試合に主力として出ているが、いくら指摘しても身についた悪いクセが治らない。クセが治らないミニバス経験者はこの3人以外にもあと3人居る。これから根気強く手直ししていかなければならない。 
’18年06月11日(月)  新チームの初練習を午後1時半から4時までやった。内容は2時間半のすべてがシューティング。ビッグマンはジャンプショット、他はアウトサイドシュート(距離が大丈夫ならスリーポイント)。まずは、フォームとリズムが「これなら入るだろう」にならなければ前に進まないからである。 追伸:新キャプテンには溝脇真優(2年)を指名した。ミニバス経験はない。
’18年06月10日(日)  朝というか夜中というか、3時40分に目が覚めた。それから眠れない。眠れないので仕方なく明日から始まる新チームの練習をイメージしていた。新チームの練習が気になって眠れなかったのではなく、目が覚めたから仕方なくイメージしたつもりだが、実は心の奥底では新チームの練習が気になっていたのかなあ? 
’18年06月09日(土)  市中総体結果報告UP games&schedule 参照。  
’18年06月08日(金)  中総体前の最後の練習が終わった。長い道程だった。長かったと感じたのは、人創りが思うようにできなかったからだろう。そうであっても明日からの中総体は3年生にとって思い出深いものにしてあげなければならない。それが指導者の使命である。 
’18年06月07日(木)  NBAファイナル第3戦はウォリアーズ2連勝のあと、キャブスのホームであるクイックン・ローズ・アリーナで行われた。出だし、キャブスの勢いはものすごかった。しかし、1ピリ終了時は29対28の互角。結局110対102でウォリアーズが勝って優勝に王手をかけた。この試合を私は次のように見た。試合は気合いとか気迫など実態のない精神論では結着を着けられない。その局面でもっとも効果的な方法(オフェンスのプレイの主体・ディフェンスの要点・タイムアウトのタイミングと内容・選手交替などすべて含めて)を最後までブレずに実行することが重要だということを示してくれた試合だったと思う。 
’18年06月06日(水)  あと3日で、大半の中学生にとっては一生の思い出になる市中総体が開催される。その大イベントの直前に人間関係のことでトラブルが起こった。誰が火種で誰が被害者なのかは調べない。こんなことが起こるチームが学校代表の看板を掲げて中総体に出場するのは学校に対して申し訳ない。日大アメフト部は連帯責任でチームが出場停止を食らったが私はそれには反対である。大半の選手がまじめなのだから。日大の問題に比べれば今回の件は比較に」ならないほど幼稚で小さな事件だが、長年「人としての在り方」を最も大切にして指導しているのに私の足下でこんな事が起こったのは非常に残念である。 
’18年06月05日(火)  今日は終日雨。高校総体の最終日。大村までバイクで往復1時間半の道程。カッパを着て観に行って「面白くなかった」ではイヤだから行くのを迷ったが、長崎東の谷川君(2年)の成長ぶりが気になったから出かけてみた。感想は(^o^)。各チームの試合結果は games&schedule の通りだが、これについての感想はない。
’18年06月04日(月)  朝9時からパソコンの楽天TVでNBAファイナル第2戦がライブ放映されたので、高校総体観戦には行かなかった。残り4分06秒、111対93でウォリアーズにフリースローが与えられたところでルーヘッドコーチはレブロンをベンチに下げた。ホームでの3戦目以降に勝負をかけ、今日の試合はこの時点で捨てたのだ。昨日の高校総体の感想の続きを話そう。面白くなかったのは、1人の選手がボールを長~く持って無駄なドリブルの技術をたくさん披露し、最後まで1人でやってしまうプレイが頻繁にあったからだ。この選手はたぶんNBAの見過ぎなのだろう。そんなところを見ないでNBAバスケのもっと深いところを学んで欲しいと思う。
’18年06月03日(日)  ひがながのA練(08:00~10:30)が終わって大村市のシーハットにバイクを走らせた。珍しく男子の試合から観戦したがやっぱり面白くないので前半だけ観てスタバにコ-ヒー飲みに行った。強いから観たい、弱いから観たくないというのではない。これまで訓練してきた過程やコートで展開されているプレイに対する思いにたましいを揺さぶられるものがあれば私はまばたきもせずに見る。
’18年06月02日(土)  今日から5日(火)まで高校総体(中地区開催)。ひがながのB練(10:30~13:00)が終わってからとどろき体育館にバイクを走らせて1試合観た。面白くないので前半だけ見て帰ろうと思ったが我慢して最後まで見た。 
’18年06月01日(金)  ひがながの部活動指導者の懇親会があったのでブログの更新が遅れた。宴会は好きではないが今年は校長が変わったばかりなので敬意を表して出席した。来年は出席しない。ところで、NBAファイナル初戦は延長でウォリアーズが勝ったが後味が悪かった。試合の途中でトリスタントンプソンとドレイモンドグリーンがつかみあいになったからだ。どっちが悪いかは別として、観戦する者にとって挑発や暴力は見たくない。
’18年05月31日(木)  ピピピーッと笛を吹いてプレイを止め、説明しようとしたが力一杯吹いても笛が鳴らない。バスのキーをくわえていた。鳴らないはずでる。「ねえねえ、今日先生ドジッたよ」と、帰ってから家族に告げ口する選手が20人は居るに違いない。 
’18年05月30日(水)  実は昨日、ハーデンについてはもうひとつ嫌な場面を私は見てしまった。ハーデンのドライブをショットブロックで阻止しようとしてデュラントがファウルを犯し、2人とももつれ合ってゴール下で転倒した。先に起き上がったデュラントがハーデンの両腕をとって助け起こそうとしたがハーデンはそれを振り払って拒否した。デュラントはそれを見てその場を立ち去ったが、ハーデンはデュラントの後ろ姿のふとももあたりを平手でたたこうとした。それは空振りに終わった。デュラントのファウルはフラグラントファウルではなかったのでハーデンの見苦しさが目立った。見苦しさと言えば、ずっと前にカップ戦の審判をしていた時、Aチームの保護者席から私の判定に対して「エーッ」という声を発した者が居た。私は2階席を見上げ「今エーッと言ったの誰?」と言った。1人の保護者が手を挙げたので「ダメだよそれ、ルールブックの1頁に書いてあるから」と指導した。試合は①選手②ベンチ③審判④観客の4者が協力してよい作品を作り上げなければならないのである。
’18年05月29日(火)  西地区の第7戦。ケガで出場できないのが双方に1人ずついる。ウォリアーズはイグダーラ、ロケッツはポールである。ポールの存在の方が大きいからチームの打撃はロケッツの方が大きいと思っていた。だが、試合はウォリアーズのプレイが噛み合わず3ピリまでロケッツ有利。しかし、後半集中力をなくしたハーデンがチームのリズムを崩し、辛抱強く戦ったウォリアーズに試合を持って行かれた。不愉快だったのは、試合が終わったあとコートで双方の選手が握手やハグで互いを讃えあっているのにハーデンだけは誰とも挨拶せず、シャツを脱いで上半身ハダカでサッサと更衣室に引き上げたことだ。お前何様のつもりだバカタレが!
’18年05月28日(月)  9時半から12時半までNBA東地区7戦目をパソコンの楽天TVで観戦。午後はひがながの練習を指導して夜は社会福祉法人おおぞらの評議員会に出席し、家に帰ったのが夜10時だったのでブログの後進が遅くなった。今日述べたいのはNBAの7戦目のレブロンについてである。結果はキャブスが勝ってファイナルに進むことになったが、その試合でレブロンは48分間出場して35点取った。言いたいのはレブロンがすごいということではなく、レブロンをフル出場させなければならないほどキャブスの台所事情が苦しいということだ。明日は西地区の決勝があるが、どっちが出てくるにしろファイナルのキャブスは苦しいんじゃないかなあ。
’18年05月27日(日)  鶴鳴杯2日目結果及び市中総体案内UP games&schedule 参照。 
’18年05月26日(土)  鶴鳴杯初日結果UP games&schedule 参照。 
’18年05月25日(金)  毎年5月末につばさ保育園の園児(つきぐみ・ほしぐみ)は現川までホタルを観に行ってこの日は園舎でお泊まりする。夜中にママ~と泣くなよ。ところで数年がかりでやっと闇夜に飛ぶホタルを撮影できた。真ん中上部にチラチラッと映っているが、みんな見えるかなあ? 
’18年05月24日(木)  今日も、BS1で朝8:00live放映開始のMLBブルージェイズ対エンジェルスの試合と、パソコンの楽天TVで朝9:25live放映開始のNBA東地区決勝セルティックス対キャブスの第5戦を観るので忙しかった。エンジェルスは9回まで3対1でほぼ負けだった試合を大谷選手が2者を生還させるセンター前ヒットを放って逆転勝ちした。セルティックスは4ピリの最後に決着をつけて勝った。エンジェルスは最近まで投手陣のケガに泣かされてきた。それは今も尾を引いている。しかしそれをやりくりして采配を振るうのがプロのコーチだ。セルティックスは今シーズン主力2人を欠いてずっと戦ってきた。しかしこっちも監督としてはそんなこと嘆いてはいられない。大谷選手の一挙手一投足を見たいとかテイタム選手のプレイを見たいというだけでなく、両監督の采配ぶりや時々アップされる2人の表情も私にはとても参考になる。
’18年05月23日(水)  今週から6月上旬の市中総体まで部活動の練習時間が10分延ばされた。それはもちろんチーム強化、即ちレギュラー選手の練習時間を確保するのが目的だが、私は昔から試合直前の練習をレギュラー優先にすることはなく、素人新入生に上級生が教えてやる時間は削らない。教える=強化、だと思うからである。 
’18年05月22日(火)  私は35年前からスポーツ現場で起こる傷害について継続的に調べている。それによると、選手がケガをした場合、選手が真っ先に相談するのはコーチではない。ケガの状態についてコーチが選手に「どうだ?」と聞くとほとんどの選手は「大丈夫です」と言う。その結果無理して練習し悪化する。コーチは「選手がコーチに対して"痛いので無理です"とは言えないよな」と、選手の気持ちを忖度してやらなければならないのに、「あいつが大丈夫ですと言ったから練習させたらこうなったんだ」と、悪化した原因をコーチが選手のせいにする事例は多い。この現状は35年前と大して変わっていない。日大アメフト部の問題は氷山の一角に過ぎない。
’18年05月21日(月)  早朝5時からBS1でエンジェルス対レイズのライブ放映があった。そんなに早く起きられないので録画しておいて朝食を食べながら観た。そのあとはパソコンの楽天TVでウォリアーズ対ロケッツの地区決勝3戦目をライブで観た。私がバスケットの試合を観るのは当たり前だが、野球観戦が生活のルーティンになるとは…野球というより大谷選手の一挙手一投足を観たいのが本音だが、バスケでもこんな若者を育てたいなあ。 
’18年05月20日(日)  ひがながバスケはオフ(家庭の日)。鶴鳴杯参加案内UP games&schedule 参照。 
鶴鳴杯は毎年、4月の第2土日に行っていたが今年は丁度入学式や始業式と重なり、日程の調整がつかずに5月の最終土日となってしまった。5月27日は長崎市内ほとんどの小学校が運動会である。ひがながのエントリーの中にも弟や妹が小学校に通っている選手が7人居る。その選手たちには前もって「どちらを優先してもいいよ」と言ってある。だから、2日目はメンバーが替わるかも知れない。中学生の部活動は教育の一環なので「中総体にエントリーされたかったら家族の行事よりバスケを優先させろ!」などと、どこかの大学の△△部のような脅しはかけない。
’18年05月19日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30).。そのあと、午後1時から城山小学校で古賀ミニバスが練習試合をするので手伝いに出かけた。内容はA戦フルゲーム(審判)・B戦ハーフゲーム・山崎クリニック30分・A戦フルゲーム(審判)・B戦ハーフゲームで終了。A戦だけだとBチームがつまらないし、試合だけだと小学生は集中力が保たないので今日のように短時間のクリニックを途中に入れると、こどもたちも飽きずに最後まで集中できる。クリニックの内容はスペーシングとタイミングだけに的を絞った。どんなことをさせたのか一口では語れないので今度会った時にお話します。
’18年05月18日(金) 今日のひがながバスケはオフ。ミニバスもなし。11時から2時まで大谷選手の試合をBSで観た後(エンジェルスは負けたが大谷選手は最後の打席でホームラン)、午後3時10分の学童お迎えの後は何もすることがない。だから走ろうと思ったが雨で走れず、ダラーッと家で過ごした。話は飛ぶが、昨日パソコンでキラウエア火山の爆発の様子の画像を見つけた。噴煙をipadで撮っている人もいれば、噴煙の前でゴルフをしている人もいる。ハワイ島の人は慣れっこになっていて平気なのかなあ。俺なら逃げ出すけど… 
’18年05月17日(木) 昨日は深夜1時まで錦織選手のイタリア国際大会3回戦を観た。対戦相手は世界ランク4位のディミトロフ選手で、紙一重の差で錦織選手が勝ち、ベスト16に勝ち進んだ。今朝は朝1番で馬場医院まで薬を貰いに行き、帰ってきてすぐテレビでエンジェルス対アストロズの試合とパソコンでロケッツ対ウォリアーズの試合を観た。毎週木曜日は小学校が早上がりなので学童お迎えは午後2時。大谷選手最後の打席が13:11。それを見届けてから急いで学童の迎えに出かけた。私はイチロー選手や大谷選手が出る試合は欠かさず観るが、基本的に野球は嫌いだ。特に、大リーグの腹が出た選手を見るのは大嫌いだ。プロの看板掲げてるのに… 
’18年05月16日(水)  今日は血液サラサラの薬を貰いに馬場医院に行くつもりだったが、午前中はテレビで大谷選手の試合が放映され、パソコンではセルティックスとキャブスの2戦目が放映されたので目が離せず、しかも今日は馬場医院が午後から休診なので行けなかった。明日朝10時からパソコンでウォリアーズ対ロケッツの2戦目が放映されるので、馬場医院には朝1番に行き、すぐ帰ってきてパソコンを見なければならない。
’18年05月15日(火)  今日はコミュニティ体育館を借りて練習する日。時間は17:00~19:00。このように外部の施設を借りて練習する日はの☆→①~⑥→②(バス置き場)の経路で選手を家までマイクロバスで送る。バスが通らない狭い路地を入らなければならない選手の場合は本通りまでママに出迎えに出て貰う。10日(木)は飯盛体育館で練習したがK子のママが出迎えに出ていない。携帯電話で呼び出して「コラーッ!K子が連れ去られて線路の上に置かれたらどうするんだよ!」と叱った。昨日、新潟の女児連れ去り事件の容疑者が捕まった。ホッ
’18年05月14日(月)  今日は体育大会の代休。女子バスケ部はB練(10:30~13:00)。1昨日(土)はC練(13:00~15:30)だったが、1年生3人が何の連絡もなく練習に来なかった。2時過ぎにその3人が叱られることを覚悟したような顔で体育館に現れた。「3人揃ってどうした?」と聞いたらM子が「3時からだと思っていました」と言った。私はすぐにピンときた。(13:00~15:30)を午後3時から5時半までだと思っていたのだ。1年生が中学生らしくなるまでにはこんなことがしばしば起こる。でも腹は立たない。1年生はいろんな経験をしながら成長していくのだ。 
’18年05月13日(日)  ひがながは今日体育大会。天気予報は午後から雨。それがわかっていたのでプログラムを短縮して行けるところまで行き、本降りになる前に終われるような計画で進められた。私は午前中大村でクリニックだった。それを終えて午後1時頃学校に戻ってきたが、生徒たちは帰り支度中だった。体育大会前の放課後、毎日行った団体競技や行進練習の成果を充分発揮できなかったかもしれないが、延期して観覧者がパラッとしかいない月曜日に実施するよりも、短縮プログラムではあったが予定通り日曜日に実施できたことをヨシとしなければならない。 
’18年05月12日(土)  今日のひがながバスケはC練(13:00~15:30)。練習前に早速昨日壊れたコンセントの修理をしたが、買ってきた新品の部品からはプラグ差し込み口の白いプラスティック部分だけを利用して、あとは旧部品がそのまま使用できた。ボンド接着は不要だった。ヨシ!
’18年05月11日(金)  練習中にボールが当たってバキッとコンセントが壊れた。壁はめこみ型コンセントだから備品扱いで、事務室に届けて修理か交換を依頼しなければならないが、こんな小さな出来事で業者を呼ぶのも面倒くさいから自分で修理しようと思い、練習後ベスト電器に行って同型のコンセントを購入した。サイズはぴったりだが、壊れた方はねじ止め式、購入したのはねじ穴がない。明日試してみて合わなければボンド接着かな? 
’18年05月10日(木)  NBA東西地区決勝進出チームが今日決まった。東はセルティックス対キャバリアーズ、西はロケッツ対ウォリアーズだ。セルティックスは、ジャズから移籍したヘイワードが開幕戦で足首を負傷(重症)したため、わずか5分で今シーズン欠場となった。また、キャバリアーズから移籍したアービングもシーズン後半に膝の手術をして今期はもう出られない。私は今日の試合を観ながら、2枚看板を欠いて闘っているセルティックスとNBAの大看板3枚を擁しながらプレイオフの1回戦でジャズに負けたサンダーを比較していた。 
’18年05月09日(水)  4月23以降、月・水・土・日は素人新入部員が練習に参加する日である。素人新入生の指導には当番の上級生が当たる。私が直接新入生の指導をすることはない。目配り気配り声かけができない上級生に厳しい注文を付けるだけである。教えることは学ぶこと。それが夏休みまで続く。 
’18年05月08日(火)  ひがながは13日(日)が運動会。そのために、1年生は学校に馴染む暇もなく運動会の学年練習や全体練習で引っ張り回される。それも、このところ天候が悪くて運動場での練習はなかなかできない。今日も体育館とピロティでひしめき合って練習していた。校長は前任の野口校長から今村校長に代わったばかり。週間天気予報は芳しくないが、今年だけは新校長を雨男にしたくない。神様…お願いします。
’18年05月07日(月) 日本時間午前4時半からウォリアーズ対ペリカンズの西地区準決勝、9時からロケッツ対ジャズの準決勝2試合が行われた。ウォリアーズはカリーが復帰してタレントが揃い楽勝。西地区決勝進出に王手をかけた。ジャズはルビオが太もも裏側の肉離れで欠場。他は私が名前を知らない選手ばかり。盛り上がりがなく、ダラーッと試合が進んでロケッツが勝ち、こちらも西地区決勝進出に王手をかけた。タレントといえばロケッツはハーデンとポールの2人が目立つが、今日はポールの独壇場。ハーデンはさっぱりだった。ポールはチームメートも活かしながら自分も活きる。ハーデンは自分のリズムが狂ったらダメ。ここが違う。今日の試合には関係ないが、サンダーのウェストブルック・ジョージ・アンソニーは、個々に見ればすごい選手だがチームとして機能していない。コーチとしての観点に立てば、ここに登場したチームはとても参考になる。 
’18年05月06日(日)  3日~5日の3日間、前ひがなが監督の中島先生が対馬の東部中学校バスケ部を率いて長崎に遠征に来た。この3日間私は宇部カップに顔を出したので長崎には不在だったが、東部中の宿泊(日吉自然の家)や対戦相手の段取りは事前に私がつけた。中島先生は昨夜(深夜0時)博多港からフェリーで対馬に帰る選手たちの世話をしたあと、私が用意したマイクロバスを返しに長崎まで戻ってきた。中島先生は今日の夕方の飛行機で対馬に帰ったが、出発までの時間私はずっと彼につきあった。対馬のバスケ中学生が本土に遠征できるなんてめったにない。それを実現させた中島監督の対馬での株価はストップ高に跳ね上がっただろうと思う。
’18年05月05日(祭)  宇部カップ最終日。試合は午前中で終わったが、私は午後も居残った2チーム(慶進・鶴鳴)のクリニックをした。午後1時から4時までの3時間。バスケットの攻防のとらえ方を下級生に分からせることに3時間のすべてを使った。当然3時間では「分かった」や「できた」は出てこない。しかし、「そういう見方をするのか」という思いでこれからの練習に取り組んでくれればいい。 
’18年05月04日(祭)  今日は9時半開始で5時半まで、宇部高校と宇部中央高校の2会場で各コート9本のスクリメージが行われた。1会場に留まっていると特定のチームしか見られないので、私は長崎からマイクロバスに積み込んで持ってきた折りたたみ自転車で2会場を3往復して各チームの試合をまんべんなく見た。こんな時に大切なことは、どんな試合でも熱心に見ることだ。あとで感想を求められた時に的確にアドバイスができるよう私は気になった選手について「あの選手何年生?出身中学はどこ?名前は?」と聞くことにしている。 
’18年05月03日(祭)  宇部カップ初日。長崎を午前9時に出発し、宇部に着いたのが午後1時半。5月の連休に宇部や倉敷に遠征する時渋滞に巻き込まることはめったにない。帰省ラッシュとUターンラッシュとは真逆の方向になるからだ。それなのに今回は鳥栖インター付近で15㎞の渋滞、関門海峡で10㎞の渋滞と、2回も渋滞に巻き込まれた。たぶん私と交替せずに全行程運転した三根氏(鶴鳴監督)が私の知らないところで神様に睨まれることをしたのではないかと思う。あとで問い質してみよう。 
’18年05月02日(水)  午前11時からBS1でMLBのオリオールズ対エンジェルスの実況放送。インターネットの楽天TVではNBAイーストの準決勝ウォリアーズ対ペリカンズの実況放送。終了はどちらも午後2時過ぎ。この間私は、テレビとパソコンの画面を両方見なければならず、忙しかった。エンジェルスの大谷選手は4打数1安打(2塁打)で試合はエンジェルスが9回裏に3対2でサヨナラ勝ち。ウォリアーズは、ケガでシーズン後半からプレイオフ準決勝1戦目まで休んでいたカリーの復帰戦である。カリー28得点。ウォリアーズ2連勝(5点差)で終わった。しかし、5週間も休んでいて復帰し、いきなり28点も取るかねえ・・・。 
’18年05月01日(火)  1昨日、チーム紹介の頁(newpage4)を更新した。しかし今日カエデから「ユナとユキコの画像がありません」と指摘された。写真は全員撮ったのだが、紹介頁に載せていなかったのだ。家に帰ってさっそく更新した。2名を追加するとA4サイズ2枚に入りきれなくなったので、横3列を4列に修正した。備考:顧問の野田希世美先生の画像は本人の希望である。決して私の独断と偏見によるものではない。それにしてもソックリ!
’18年04月30日(代)  ひがながバスケはオフ。古賀ミニバスもオフ。学童送迎なし。そんな時は走る。その途中でアンジュとシエルをジョギング散歩に連れ出すのがこのところ定番になっている。シエルは高齢だから公園の芝生に座って骨ガムをガリガリかじっている。アンジュは長~いリードで広い範囲を動き回れるようにして私とテニスボールの奪い合いをするのが大好きだ。 
’18年04月29日(祭)  今日はA練(08:00~10:30)。メニューは昨日と同じ。私は新入生に直接指導することはめったにない。新入生を指導している上級生に注文をつける。「この技術の要点は何だ?」 それに明確に答えられない上級生には厳しいことばが飛ぶ。また、素人1年生に「行け!」とか「シュート!」などの指示語が出せない上級生にも厳しいチェックが入る。すべて「教えてやれないということは自分もできないということだ」に由来する。そんな中で、素人1年生のM子は私の行動に常にアンテナを張っており、耳をダンボにして私のことばを拾おうとしている。この子は、ミニバス経験者を差し置いて3年生になった時はキャプテン候補だな。
’18年04月28日(土)  学校でフルコートが使える日に新入生が参加するのは今日が初めてである。素人入部の新入生はボールを受けるのはドッジボールキャッチ、ドリブルはテマリ突き、シュートは運動会の玉入れスタイルしかできない子たちばかりだが、そんなレベルであっても今日はフルコートでのゲーム形式をたくさんやらせた。もちろんバスケットにならない。それでもいいのだ。「バスケットって、こんな感じでやるんだ」を少しでもつかんで貰うのが最優先事項なのだから。 
’18年04月27日(金)  夕方7時から女子バスケ部の保護者会を開いた。中島監督の転出後、顧問として浦先生野田先生が配置されたが保護者会はすべて私が仕切った。これからも2人の顧問には、日常の選手指導はもちろん事務処理やチームの雑用もできるだけ負担をかけないようにしたいと思う。私が仕切ると会議の終了が早い。昔からそうだったが今日も同じだった。
’18年04月26日(木)  今日はコミュニティ体育館(学校からマイクロバスで5分の距離)ではなく日吉自然の家(学校からマイクロバスで25分の距離)での練習だった。外部の体育館を借りる場合は5時から7時の2時間使用で借りる。今日は学校裏門にマイクロバスで乗り付けた(4時25分)時、運動場では全生徒が体育大会(5月13日実施)の行進練習をしていた。私のバスを見たバスケ部員が走ってきて「今日は4時45分まで行進練習です」と告げた。それを聞いて私は一旦バス置き場まで戻り、改めて5時に迎えに行った。日吉での練習は30分遅れの開始、しかも行進練習後にクラスの係の仕事だとかで15人が遅れ、それを待っていたらさらに練習時間がなくなるのでそれは置き去りにして出発した。コミュニティなら遅れた選手はピストンで輸送できるが日吉は遠いのでそれはできない。結局33人で行う練習を19人でやった。3月は卒業式が終わるまで3年生の教室の飾り付けで、それを担当させられた生徒は遅れて練習に参加するか参加できない日が続き、年度が改まって4月になると体育大会の準備でこんな状態が続く。それでも参加できる選手にその日の成果を持って帰らせるのがコーチの仕事である。
’18年04月25日(水)  5月の練習場所は、10日(木)と17日(木)が取れていなかった(コミュニティダメ、日吉ダメ、上長与ダメ)。最後の頼みの綱は、25日解禁の飯盛体育館の諫早市以外のチームの申請受付である。今朝8時前に家を出て飯盛体育館に向かった。私が着いた時はすでに2人が申請に来ていた。おそるおそる「東長崎中の女子バスケットですが、10日と17日の夕方5時から2時間空いてますか?」と聞いた。職員がパラパラと書類をめくっていたが「はい、両日とも空いてますよ」と答えてくれた。ホッ。コーチの仕事は、コートで指導するよりも、このようにコート外の雑用処理に気を使う方が圧倒的に多い。鶴鳴時代からそれは変わらない。 
’18年04月24日(火)  学校で体育館割当(月・水・隔週金使用可)と土・日(家庭の日とD割当を除く)は、素人新入生参加可としており、その日は主として上級生が新入生を指導する日である。昨日がその初回だった。ボールを受けるのはドッジボールキャッチ、ドリブルはテマリ突き、シュートは運動会の玉入れスタイルしかできない子たちを指導するのだ。上級生のスキルアップはその間足踏みさせることになるが、1昨日も述べたようにそれは決してチーム力向上の足を引っ張ることにはならない。
備考:昨夜newpage4(メンバー紹介頁)を更新しましたが、転送設定を間違ったようで画像が表示されていません。近日中に解決して表示させます。少しお待ちください。
’18年04月23日(月)  NBAプレイオフの1回戦、ペリカンズはブレイザーズを4-0で破り2回戦に進んだ。私が首を傾げるのはサンダーである。デュラントが抜けてウォリアーズに行ったあと少し弱くなったが、今期ペイサーズからポール・ジョージとニックスからカーメロ・アンソニーの大物2人が入ったので強いはずだがパッとしない。前々から思っているけど、ウェストブルックがカギなのかなあ。彼はすごい選手だけど時々ゲームをぶち壊すのだ。同じような意味で私はロケッツのハーデンも好きではない。確かにすごい選手なのだがあまりにも長い時間1人でボールを支配する。 
’18年04月22日(日)  今日は長崎新聞社杯2日目だが、ひがながは昨日負けたので今日は割当通り(C練10:30~13:00)練習した。新入生16人の内、古賀ミニバスの5人を除く11人は明日から練習開始だったが、それが今日練習になったので11人に、今日から参加できる子は参加してよいということを上級生から伝えさせた。すると今日は6人の新入生が参加した。素人新入生が参加する日は当番を決めて上級生が新入生にプレイを教えてやることにしている。今日は2年生4人を指名して指導に当たらせた。動画の中でドリブルからレイアップシュートのステップの切り方を指導しているのは、昨年素人で入部してきたリンカだ。それが1年後はこうして新入生の指導する。これまで習う立場だった者が今日は指導する立場である。それがまた本人を成長させる。 
’18年04月21日(土)  長崎新聞社杯結果報告UP games&schedule 参照 
’18年04月20日(金) 今、NBAはプレイオフ1回戦の2戦目から3戦目を行っている。そんな中、昨日NBAの名伯楽ポポビッチ氏(スパーズのヘッドコーチ)の奥さんが亡くなった。67歳。若い。だからウォリアーズとの3戦目の指揮はポポビッチ氏ではなくアシスタントコーチが代行している。8年前、高校総体の前日に私の母が亡くなった。私は初日と2日目を休み、決勝リーグだけベンチに立ったがプロと高校生は違う。そんな状態で高校生が力を発揮できるわけがない。結局4位に終わった。
’18年04月19日(木)  今日が部活動入部希望の締め切り日。新入生は16名入った。そのうち古賀ミニバスから5名、他はすべて素人である。総勢43名(3年11名そのうちミニバス経験者は2名、2年16名そのうちミニバス経験者は5名、1年は上述のとおり)の大所帯だ。外部施設を借りて練習する日(火・木)は全員マイクロバスに乗りきれないので、市中総体終了までは原則1年生の素人部員は火・木をオフとし、学校で練習できる月・水・金(隔週)・土・日(D割当て日と家庭の日を除く)を練習参加日とする。前にも述べたが、私は素人1年生をコート周囲でハンドリングやドリブルの練習だけさせることはない。全員にリングとコートを使わせ、上級生は指導する側に回らせる。指導することもまた自分自身を向上させるために有効なのだ。 
’18年04月18日(水)  学童のこどもたちを送り届けてからひがながの練習に向かう途中、bluetoothイヤホンが「ププッ」と鳴った。これはイヤホンが本体から離れ過ぎたという合図である。私は慌ててポケットを探った。携帯がない!急いでバスに戻り、車内を隈無く探したがない。バス置き場からバイクでひがながに向かう途中で落としたのだと思ってすぐ矢上交番に紛失届けを出した。が、もう1度念の為バスに戻って車内を這いずり回って探したら、運転席とエンジンルームカバーの細い隙間に挟まっていた。携帯を1個なくしてもまた買えば済むが、中に入っている400人分のアドレスを他人に知られるのが重大なのだ。見つかってよかった。ホッ
’18年04月17日(火)  新入生の入部申込は19日だが、今日は古賀ミニバスからの新入生が5人入部し、練習に参加した。古賀ミニバスにはしばしば手伝いに行っていたので5人のプレイぶりも人物評価も全て私のアタマの中にインプットされている。事前の予想では3人ぐらいは入るのかな?と思っていたが5人全員入った。5人に「山崎先生って、怖いんだぞ、知ってる?」と聞いたが返事は「知ってます」だった。知ってて入部するのだから一応覚悟はしているのだろう。
’18年04月16日(月)  NBAプレイオフはアメリカ時間のおおむね夕方7時頃、日本時間のおおむね9時頃放映されるので、これからNBAシーズン終了まで午前中はほとんど毎日楽天NBAスペシャルの観戦で時間が潰れる。今日はキャブスとペイサーズの1回戦とロケッツとウルブス1回戦を観たが、レブロンがまったく精彩を欠いていて面白くなかった。ところで、今日急にひがながは全部活動が停止となった。理由はインフルエンザが蔓延し始めたからである。あら~。
備考:長崎新聞社杯参加案内UP games&schedule 参照 
’18年04月15日(日)  第3日曜日は"家庭の日"で全県下部活動は練習禁止だ。終日家の中でゴロゴロしながらNBAプレイオフ開幕の1回戦2カードを楽天NBAスペシャル(有料)で観戦した。1つはウォリアーズ対スパーズ。もう1つはラプターズ対ウィザーズ。私はウォリアーズのトンプソンとスパーズのジノビリのファンなので観ているのが苦しかった。ウォリアーズのカリーはまだ足首のケガが癒えず、背広を着て観戦していた。山崎語録には"ケガ・病気も実力のうち"と書いてある。 
’18年04月14日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。ところが私が学校に行くと、体育館の階段の下で生徒たちがガヤガヤしている。話を聞くと3チームが指導者からA練と知らされて集まったらしい。女子バスケは私が手持ちの割当表で確かめたから間違いない。他の2チームはまだ指導者が来ていないからどちらが正しいのか分からないので、割当担当のM教諭の携帯に電話で確かめた。その結果Aチームは割当通りでBチームがD練割当なのにA練の時間帯に来てしまったということがわかった。Bチームは一旦自宅に帰り、午後3時半に出直しである。常日頃からホウレンソウは重要だが、教員も生徒も入れ替わった年度替わりは特に重要だ。 
’18年04月13日(金)  今日、5月の連休中の日吉自然の家の使用についての問い合わせが3件あった。終日、その調整や連絡で忙殺された。携帯電話は朝満タン充電したが、夕方5時には電池残量33%になった。ともあれ1件落着。 
’18年04月12日(木)  昨日の夕方古賀ミニバスの手伝い中にに刺された。4月初旬なのにもう蚊が出始めた。1昨日あたりからまた気温の高い日が続いたからだろう。私は蚊に刺されやすい体質なので、これからの外出は常に虫除けスプレーを持ち歩かなければならない。
追伸:ひがながバスケは日吉自然の家で練習した。そこで聞いたのだが、5月の連休の県外からの団体使用申込がキャンセルになったそうだ。3/4/5(午前)の宿泊施設と体育館はガラ空き。もったいない。中学生なら1泊416円。食事は3食1500円。体育館の全面使用は、宿泊を伴えば終日専用使用でも料金がまるまる免除される。体育館は1面しかないので多くても4チームまでだと思うが、この期間に遠征やカップ戦がないチームは呼びかけあって合宿をやればいいと思う。問い合わせは山崎まで090-1876-5918。
’18年04月11日(水)  2日続けて犬を散歩させた。今回はつばさ保育園の理事長が飼っている大型犬(グレート・ピレネーズ=フランス産)のサクラだ。半年ぶりに会ったがまた大きくなっていてシロクマみたいだった。アンジュはリードをグイグイ引っ張って走ろうとするが、サクラは図体がでかいので歩くのが億劫なのかこっちがリードを引っ張ってやらないと足を止める。散歩は好きではなさそうだが、ヒトが大好きな犬で「遊ぼう」といって私の両肩に手をかけてくる。その時のサクラの目の位置は私と同じ高さだ。追伸:新聞社杯組合せUP  
’18年04月10日(火)  昨日から明日まで3日間、ひがながはテスト休みである。今日のランは、家を出て1㎞折り返し点まで1往復半走ったあと、園長の家の犬小屋(1㎞地点のすぐ近く)からアンジュとシエルを散歩に連れ出した。行き先は私の家の近くにある公園である。以前、散歩に連れ出すときはスクーターだったが、ある時自転車やバイクで犬を散歩させるのは道路交通法違反だと聞いてそれからやめた。だから、今は自分の足で散歩に連れ出す。歩いたり小走りだったりだ。公園でボール拾いなどして遊んでやり、それから2匹を犬小屋まで連れ戻ったあと私はまた家までランで帰る。散歩も含めて5.8㎞ぐらいだ。 
’18年04月09日(月)  イチロー選手はすごい。ただ、イチロー選手の場合は5㍍以内には近寄れない雰囲気がある。大谷選手もすごいがこちらは何のためないもなく肩をたたいて祝福したくなる。どちらがいいということはない。どちらも個性なのだから。ただ、日本人の誇りであることは2人に共通した事実である。 
’18年04月08日(日)  2月21日にACLを切ったR子は3月29日に手術し(Dr米倉執刀)、昨日退院した。そして母親に付き添われて今日コートに姿を現した。早い!。私が鶴鳴を指導していた頃、ACL断裂の手術後は1ヶ月ぐらい入院していたように思う。医学的なことは日々勉強しておかないと、アッと間に置き去りにされる。
’18年04月07日(土)  学校以外のアリーナを借りて練習できる時間は2時間(実動1時間50分)。だからジャンプショットは30分、フリースローは15分に短縮される。練習を止めて長話をするとドンドン実動時間が削られるので、指摘する必要があれば順番待ちの時に個人的に指導する。昨日の角度を変えたジャンプショットはひどかったが、今日はコツをつかんだ選手が増えた。コツは、ボール扱いやリリース時の手の問題ではなく、トントントンと軽い助走のあとのキック・ワンツー・ジャンプのリズムをつかむことである。
’18年04月06日(金)  時間の大半をジャンプショットとフリースローに費やす練習を始めて6回目。これまで正面から打たせていたジャンプショットを斜め横の位置に変えた。正面から打たせるとサマになっていた選手も斜め横から打たせるとひどい。あ~、まだまだ先は長い。 
’18年04月05日(木)  サイレント・トリートメント       。大谷祥平選手が本拠地アナハイムで初打席初ホームランを打ったときのベンチの様子だ。大谷選手をワザと無視する態度のあとワーッと大谷選手の周りに集まりもみくちゃの祝福をする。アメリカらしい祝福の表現だが、チームメイトのそんな態度に、最初「ねえねえ、ぼくホームラン打ったんだけど・・・」と、戸惑っている大谷選手がまた超かわいくてハグしたくなった。 
’18年04月04日(水)  昨日はひがながバスケオフ・古賀ミニバスなし・学童送迎なし。そんな日はだいたい走る(6㎞)ことが多い。3月末に山口でクリニックをした時は3日間かなり身体を動かしたが筋肉痛にはならなかった。しかし今日は太ももがパンパンに張って痛い。バスケットで身体を動かすのと単なるランでは筋肉の使い方が違うのか?
’18年04月03日(火)  今日は男子決勝。ヴィラノヴァ対ミシガンは79対62でヴィラノヴァが勝った。後半残り7分、ミシガンのポイントゲッター(Moriz Wagner#13)が密着ディフェンスをスピンで振り切り、ドライブからダンクに持ち込んだが、スピンする時に相手の顔面にエルボーパンチを食らわせてオフェンスファウルを取られた。しかもそのあと相手選手といざこざを起こしてダブルテクニカルファウルを取られ、退場となった。バカタレが!カンファレンスリーグならまだしも一発勝負のNCAAトーナメント、しかも決勝戦という超重要な試合でこんなことをするなんて・・・・・。Wagnerがどれほどすごいヤツであっても、こんな選手は俺のチームには要らない。 
’18年04月02日(月)  NCAA女子の部の準決勝と決勝が男子に先立って行われた。常勝コネティカット大とノートルダム大の準決勝は延長戦でノートルダム大が勝った(91-89)。決勝戦のノートルダム大とミシシッピー州立大はブザービーター(Arike Ogunbowale#24)でノートルダム大が勝った(61-58)。こんな雰囲気の中で日本のこどもたちも プレイをさせたいなあと、毎年思う。
’18年04月01日(日)  中島監督が去った翌日(30日)から私1人で指導をしている。土日祭日及び長期休暇中の練習割当時間は2時間半。最後は片付けて次のチームに引き継ぐ時間を取らなければならないから実動時間は2時間20分である。この3日間の練習では、ジャンプショット40分フリースロー20分を1セットとしてそれを2セットやらせている。それだけで2時間使う。パスもドリブルも走る練習も攻防もやらない。まず素人の域を脱したシュートフォームを身に付けさせたいからである。