2017年度版 2017年4月~2018年3月
’18年03月31日(土)  2017年度はこれでおしまい。明日からは2018年度を見てください。 
’18年03月30日(金)  昼過ぎ、ジャスコのMACでフライドポテトを食べていたらひがながバスケ部の選手2人と会った。が、2人はにこっと笑っただけで「コンニチワ」とは言わない。D練(15:30~18:00)の最初にそのことを取り上げた。「体育館で、"集合!"きおつけ~"礼!"おねがいしま~す"と、型にはめられたあいさつをすることはできるが普段の生活の中でTPO(Time Place Occasion)を踏まえた自然の挨拶ができなければ礼儀正しいとは言えない」。もちろんこんなことは年がら年中指導している。が、実態はこうなのである。
’18年03月29日(木)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。中島監督は明日転勤先の対馬に引っ越すので今日がひがながでの最後の指導だった。東部中の生徒数は男子が41人女子が13人。バスケ部は女子だけあるそうだが、全生徒が入部してくれたとしても公式エントリー数に届かない。1人ひとりによく目が届くだろうと、いい方に解釈して県大会に連れて来られチームを中島監督が作ることを期待しよう。 
’18年03月28日(水)  今日のクリニックは帰りの新幹線の時間の都合で午後は1時半~4時半の指導となった。2日半、私はよく動きよく声を出した。だが、疲れは果てた感はない。それは、選手たちが私の言わんとすることを理解し、吸収してくれたからだと思う。こんなクリニックなら「またお願いします」と言われてもすぐに応じる。 
’18年03月27日(火)  今日のクリニックは午前9時~12時と午後2時~5時の2部練。指導して欲しい内容が盛りだくさんだったのでやってみせる場面が多く、久しぶりに汗をかいた(気温が高かったせもあるが)。明日も今日と同じ2部練。なんとか成果を上げて長崎に帰りたい。なにをやったかはやっぱり秘密。
’18年03月26日(月)  こだま740号で11:54厚狭着。午後5時半まで慶進高校でクリニックをした。今日の収穫をどうやって得させようかと必死で、画像を撮る余裕がなかった。なにをやったかは秘密だ。 
’18年03月25日(日)  ひがながはA練(08:00~10:30)。そのあとは古賀ミニバスの練習(10:00~16:00)を手伝いに行った。昼休みは校庭の隅にある満開の桜の下でお花見。小学生は何をやってもかわいい。 
’18年03月24日(土)  午後2時からBSでWリーグの準決勝2試合が放映された。バスケットに限らず、テレビでスポーツが放映される時はまず観客席を見る。バスケットの試合は観客席の次に審判を観る。試合内容に目を向けるのはその次だ。今日の観客は少なかった。バスケットボールは競技としてもテレビ的にも面白い競技なのにこんなに観客が少ないという現象はそれに関わる人々に問題があるのだと私は思う。今日の試合の審判員の中で私の目を釘付けにさせた人物が居る。JX対シャンソンの笛を吹いた小田中涼子さんだ。シャキーッとしていて気持ちがいい。調べたら盛岡白百合学園卒で芳賀信之先生の教え子だと分かった。是非、東京オリンピックを目指して欲しい。君ならやれる! 
’18年03月23日(金)  午後、野口校長と三谷副校長(体育:バスケット専門)へのこれまでの御礼と挨拶で校長室を訪ねた。2人とも今回の人事異動で転出するのだ。挨拶のあと、昨日も述べたように今後の私の身の振り方を相談した。野口校長は中島監督転出を契機に私も辞めることを告げに来たのかと勘違いし、普段でも大きい目をさらに大きくして「先生!ちょっと…」と言って両手を突き出し、私のことばを途中で遮った。私は、外部コーチの身の振り方は現校長が決めるのか新校長が決めるのかを尋ねに来たのだと言った。野口校長はホッとした表情で「私が決めます。先生が元気で居られる間はずっとお願いします」と答えた。結論は予想できたが、区切りには一応けじめをつけなければならないと思っての私の行動だった。校長は少し気にしていたが、バスケット専門の教員が後任に居ないことはまったく気にならない。
’18年03月22日(木)  今朝の朝刊で教職員の人事異動が公表された。中島監督は対馬の東部中学校(所在地は峰町佐賀)に転勤となった。替わりに来る教員の中にバスケット界で名を聞く人物はいない。さてどうする?私は長崎市教委から委嘱されて東長崎中女子バスケットを指導しているが、身分は毎年更新するものの1年契約の外部コーチである。明日、平成30年度以降の体制について校長に相談に行こうと思う。 
’18年03月21日(祭) 今日は前道美佑(1年生でミニバス経験なし)を話題に取り上げる。3学期に入ってから私は毎日彼女に注目している。オフェンスもディフェンスも狙いどころやタイミングがバスケットになっているのだ。2対2以上のチームプレイになるとそれが反映されないが、1対1ではとても素人から始めたとは思えない。彼女は、育成世代のコーチに「1年あればなんとかなる」という見本として、参考になる事例だと思う。
’18年03月20日(火) 見て聞いて→やってみて→結果(他人の結果&自分の結果)を評価する。これが練習である。コーチの仕事は選手にその習慣が付くための手助けをするのだ。「俺が教えてやる」などと尊大に構えてはいけない。今日の練習の途中、みんなの前でA子にプレイをさせ、「A子のプレイのどこがダメ?」とみんなに聞いた。数人の選手が手を挙げた。B子を指名して答えさせた。B子は「ドリブルの方向が間違っていると思います」と言った。答えが違うのでC子を指名した。C子は「ディフェンスがどの方向からショットブロックに来るのか意識していないと思います」と答えた。正解である。キーワードは「ディフェンス」だ。怒鳴る前にこうして選手に問うてみると選手たちが本当に理解しているかどうかが分かる。その場合、キーワードを外せば全て不正解とする。しかし、このようなやり方は根気が要る。
’18年03月19日(月)  古賀ミニバスの手伝いから帰ってきてすぐ(夕方7時半)、携帯電話が鳴った。登録していない番号だったが電話に出た。「あの~、M子の母ですけど娘が膝が痛いと言っていて、病院に行った方がいいかどうか先生にアドバイスを貰いたくて…」と言う。すぐスクーターに乗って往診に出かけた。膝の裏側に痛みがあり、圧痛点からしてたぶんふくらはぎの筋肉(腓腹筋かヒラメ筋)の起始部を傷めたと思われる。「靱帯でも半月板でもなく筋肉の付け根を傷めたようで、病院に行っても何の処置もできないから行かなくていい。痛みを感じる動作をせずに数日過ごせば自然に痛みは軽減するよ」と言って帰ってきた。 
’18年03月18日(日)  毎月第3日曜日は「家庭の日」で部活は休み。なので今日は、長与南小学校に数チームが集まってやる練習試合に参加する古賀小の送迎を手伝った。古賀小の送迎は私のマイクロバス1台で済むが、他のチームはどこも保護者がクルマ出しをして駐車場はほぼ満杯状態。昨年末文部科学省が教員の働き方改革で出した通達により部活動は毎週1回は休むよう指示されているが、クルマ出しや休日の部活動当番で駆り出される保護者の負担軽減についてはどこからも通達が出ていないし、話題にも上がらない。 
’18年03月17日(土)  アリゾナ大学が1回戦で消えたことを昨日述べたが、ナント!今日は第1シードのバージニア大学も1回戦で消えた。相手はUMBC(メリーランド大学ボルティモア校)でスコアは74対54の20点差だ。UMBCはビッグ10カンファレンスの強豪で有名な、あのメリーランド大学(NCAAで優勝したこともある)ではない。そして今回のUMBCはSOUTHブロック16チーム中16位のチームだ。それが第1シードを破った。アメリカのニュースでも「前代未聞」として取り上げられていた。私は誰かがケガしたか?と思ってESPNのニュースをいろいろ調べたがそれらしい記事はない。ウーン・・・・・・ガックリ。 
’18年03月16日(金)  頑張りすぎて筋肉を傷める選手が出るような練習は間違いなく他に波及する(よい意味で)。このところ、ミニバス経験のない1年生のフルコートドリブル1対1が闘いになっているのだ。門前の小僧習わぬ経を読む。
追伸:NCAAバスケットは今日が初日だが、バージニア大の最初の関門とされていたアリゾナ大が初戦でバッファロー大に負けた。選手募集に絡む金銭トラブルでコーチがFBIから捜査を受けていることが影響したようだ。コーチだけでなく8人の選手も捜査対象になってるらしい。
’18年03月15日(木)  カエデが内側広筋の停止部が痛いと訴えて全ての練習を見学した。練習が終わってからユメノが大臀筋の起止部が痛いと訴えてきた。ミライが傷めた部位も今日の2人が訴えた部位も、筋肉を激しく使用した時に傷める箇所だ。ケガをさせるのはよくないが、練習が激しくなったワケでもないのに筋肉を傷めるのは、本人の動きが激しくなったということだろう。ようやく、ままごとを抜け出して修行の域に入ったということにしよう。
’18年03月14日(水)  今日、長崎市内の中学校は卒業式。部活は禁止だ。なぜだろう? 
’18年03月13日(火)  ミライが「ふとももの裏が痛い」と申し出てきた。程度は軽いが内側ハムストリングス(半腱様筋)の肉離れだと思う。たぶん、フルコートドリブル1対1で傷めたのだろう。しばらく練習から除外しなければならない。昨年夏、世界陸上選手権の400㍍リレーでウサインボルト選手が傷めた箇所と同じだ。足が遅い選手がここを傷めることはめったにない。ミライはひがながチーム随一の俊足で、ふとももの裏側はマグロみたいだし、ふくらはぎは子持ちシシャモだ。無茶な練習でケガをさせるのはよくないが、ひがながの練習は無茶ではない。それでもハムの肉離れを起こすということは、ミライが決して手を抜かない選手だという証明だ。
’18年03月12日(月)  アメリカの大学バスケットは、各地区トーナメントが終了していよいよNITトーナメントとNCAAトーナメントが始まる。NCAAトーナメントはバージニア大学が第1シードで、コーチは大野慎子の恩師キャシー・ベネットの弟トニー・ベネットである。3回戦で当たるアリゾナ大が強敵だ。ガンバレキャバリアーズ! 
’18年03月11日(日)  午前中、前々から練習試合を依頼されていた長与中に出かけた。能率的な活動を図るために、長与中に連れて行ったのは10人(カエデ・モモハ・ヒナタ・ミライ・マロリ・テラホノ・セリカ・ソラ・アユミ・マエミユ)、残りは午後から学校割当時間帯(C練)で練習とした。ところが、午後の練習割当時間帯がダブルブッキング(こっちの把握ミス)で居残り組は練習できなくなった。ゴメン<(_ _)>。長与中との練習試合はハーフゲームを3本やってすべて負けた(動画はB戦)が、「これまでの練習でやった※※が試合の中で出てくるようになったし、K子の意識が間違いなく変わったことを確認できたのは収穫だったかな?と思う。 
’18年03月10日(土)  今日は部活送別会。まず体育館で汗を流し、それから夕食会。夕食会は各学年の出し物記念品贈呈、スタッフへの花束贈呈と例年通りの進行。鶴鳴時代は一切こんな催しはしなかったので、このような場に居るとな~んだか落ち着かない。 
’18年03月09日(金)  元安陽一先生が昨年4月に長崎国際大学に赴任したあといろいろ情報交換をしている中で、私が桜馬場中学に務め始めた頃のバスケ部男子の中村龍文君が国際大学の教授として務めていることを知った。彼は中学の頃抜群の秀才だった。その龍文君(現在65歳)が昨年から私に会いたい会いたいと言っていたらしいが今日それが実現した。場所はホテルニュー長崎13階の桃林だ。50年ぶりの再会。私の中では中学の頃の少年の顔のままで止まっていたが、桃林で会った瞬間少年が突然おじさんに変わったが龍文君だとすぐわかった。貫禄がついている。聞けば、長崎大学医学部→九州大学大学院→アメリカ留学を経て長崎大学病院第1内科に戻り、そこを退官して長崎国際大学の教授をしているそうだ。彼が中学生の頃の私は暴力教師の見本みたいなものだったから、私がいかに凄まじかったかが必ず話題に上がる。その度に私の額には汗がにじむが、それでも懐かしがって会いたいと思ってくれる昔の教え子の気持ちがありがたい。
’18年03月08日(木)  あそこが痛い、ここが痛い、体調不良だ、家の用事がある、学級の仕事がある。全てが事実だろうがカウントすると常連が絞られてくる。ひがながだけではない、鶴鳴在職中もそういうことはあった。そしてそういうことがよくある時のチームは強くなかった。 
’18年03月07日(水)  私が徳島に行っている間にひまわりカップというミニバスの大会が島原で開催された。九州各県から64チームが参加して行われる大きな大会である。徳島に発つ前に古賀ミニバスもその大会に参加することは知っていたが結果は知らなかった。今日城コーチに連絡することがあって電話した時に初めて古賀ミニバスがベスト4に入ったことを知った。すぐcybozuにUPされているトーナメント表を見たが、予選決勝で春日を破ったのが大きかったようだ。アッパレ~(^o^)。 games & schedule の左下参照。 
’18年03月06日(火)  1週間ぶりに顔を見るひがながの選手たち。四国の学生と高校生を思い浮かべながら中学生の練習を見ていたが、ずっと同じチームを見続けるのではなく、他のチームや階層を見てきてからこうして自チームの選手を見てみると「ほー、この子にはこんなところがあったのか」という発見がある。そのような発見はその子の弱点や欠点ではなく、おおむねその子のよい点である。ということは、日頃の練習では「この子はこうだ」と決めつけて見てしまっている場合がたくさんあるのだろうなあ。 
’18年03月05日(月)  本来なら今日の午前中は予定がなく、午後2時のフライトを待つのみだったが富田先生を問い詰めたら実は四国大学の練習が10時からあることを白状した。そこで「行くぞ、練習に」と言ったが富田先生はあまり乗り気ではない。大学生のバスケットは高校生のようにキビキビしていないので私を怒らせる結果になるのではないかと心配し、大学の練習指導を私に頼めなかったのだ。部活動は全て緊迫した雰囲気でやらなければならないワケではない。楽しく和気藹々でやるのも部活動(というより楽しいのがスポーツ本来の姿)だ。大学生はアルバイトや帰省などで全員揃うことがなかなか難しく、今日は6人だけだったが2時間楽しく指導できた。午後のフライトは九州地方の天候が荒れて1時間20分も遅れてしまった。しかし、それを除けばこの3日間は無駄のない有意義な時間を過ごせた。 
’18年03月04日(日)  昨夜11時にブログを更新した後床についたが、1時に目が覚めた。それから目が冴えて眠れない。大学の教員時代、学会の論文発表前夜は気になって眠れないことがあったが今回は違う。講演のことが気になって眠れないのではなく、城北高校のできばえが気になって眠れなかったのだ。そんなことを考えながらフトンの中で悶々としていたが明け方6時過ぎに「そうだ、ハーフコートの3対3から入ってみよう。その練習の中で"間"を意識させるのだ。そうすると今日の不出来が解決するかもしれない」と思った。結果は上々だった。それで安心して午後の講演に向かえた。講演はPPTスライドの全てを説明することができず、数枚飛ばしたが伝えたいことはほぼ伝えられた。これで安心して長崎に帰れる。 
’18年03月03日(土)  福岡空港でJAL3565便に乗り込み、滑走路手前まで進んだところで機長のアナウンスがあった。「只今滑走路が混んでまして本便は5番目だそうです。ご不便をおかけしますがもうしばらくお待ちください」。そこまでは覚えている。ドンという着陸音で目が覚めたが福岡出発から徳島到着まではずっと寝てたらしい。今日の午後は城北高校のクリニック。約2時間半やったが、最後まで私の意図するところまでは届かなかった。明日の午前中また城北高校のクリニックをやるので、明日はなんとかカタチを残したい。
’18年03月02日(金)  学童の1便(矢上小15:05)以外は何もなし。明日から3日間の旅支度のみ。雨降るなよ。 
’18年03月01日(木)  2月18日以降ほぼ毎日徳島講演のPPTと原稿のチェックをしている。「修正はもうないだろう」と思っていたらまた見つかる。今日PPT16頁目の図を差し替えた方が良いことに気付いた。もうないだろうと思い、プロジェクターでの投影テストをした。完璧だ。あとはセリフを噛まないようにするだけ。 
’18年02月28日(水)  今日から3日間部活動は停止。今月中旬、学校にチョコレートを持ってきたのがバレて、その処罰のための部活停止なのだ。校則違反だから処罰を受けるのは仕方がないが、私としてはチョコレートの処罰と昨日のバス窓磨きの件を比べてどっちが腹立つかというと窓磨きの件である。 
’18年02月27日(火)  今日はコミュニティ体育館を借りて練習する日だった。行きは2往復した。1便は2年生のみ。1年生が全員居残りさせられて学年主任の指導があるらしく、それが何時に終わるか分からないというので2年生だけをマイクロバスに乗せて出発したのだ。2便を裏門の前に止めて選手たちを待つ間、雨でフロントガラスが汚れていたので磨いていた。そこへ1年生が4名「お願いしまーす」と言って乗り込んできた。16名の1年生のうち8名が乗り込んだところで窓拭きは終わったが、その間「あ、窓拭き私がやります」と言ってバスから降りてきたのは1人もいない。こんなことに気付くチームならとっくに強くなっているのだが・・・。 
’18年02月26日(月)  佐世保協会杯では1勝3敗だったにもかかわらず、今日体育館に向かう足取りは重くなく、怒りの感情も湧いてこなかった。それは、試合結果報告で「総評として、負けましたが個々の力は上がってると思います」と述べたように、12月11から取り組んできた練習が1人ひとりに目を向けた時「ああ、この練習が効いてるんだ」と確認できたからだと思う。それがチームの総合力としてまとまっていないので試合の勝敗に反映されなかったが、個々の力をこれから総合力アップに繋げていくのは中島・山崎の仕事である。
’18年02月25日(日) 佐世保協会杯最終日結果UP  games & schedule 参照。  
’18年02月24日(土)  佐世保協会杯初日結果UP  games & schedule 参照。 
’18年02月23日(金)  ひがながバスケはオフ。加えて学童の欠席が多かったので送迎は園児用バスだけで間に合い、私のバスでの送迎がなくなった。というわけで今日は終日何もなし。18日(日)は終日講演原稿の読み込みをしたが、1日中家の中に閉じこもっていると身体が錆びるので今日は6㎞走った。自宅を起点に1㎞地点までを3往復するのだが、2往復手前で血糖値が下がりフラフラし始めた。そこでやめればフラフラは解消されるのだが、やめないのが山崎純男の流儀である。あと1往復して自宅に帰り着いた時は死にそうだった。 
’18年02月22日(木)  午前10時、病院でR母子と合流した。待合室ですぐ膝の腫れ具合を診た。少し腫れている。「やっぱりACLを傷めていたか」と思った。医師に呼ばれてR母子と一緒に私も診察室に入ってMRI画像を見た。ACLは間違いなく切れていたが半月板は無事だった。手術は春休みだ。練習に戻れるのは冬休みだろう。フウ・・・ 
’18年02月21日(水)  恐れていたことが遂に起こった。ケガである。鶴鳴時代から私は、新入生1人ひとりに細かく目を配る。素質があるかどうかではなく、ケガをしそうかそうでないかに目を配るのである。特に姿勢や動きのクセには気を付ける。なぜなら、ここに問題があれば膝のケガに直結するからである。入学当初から姿勢や動きのクセが気になっていたR子が今日の練習中、ドリブルシュートをして着地した瞬間に私の目の前で膝崩れを起こした。たぶんACLか半月板のどちらかを傷めているだろう。明日専門医に診て貰う。 
’18年02月20日(火)  愛媛の瀬良先生(新居浜商→丹原63歳)が、ご夫婦での九州~山口一周の旅の途中でひがながに立ち寄った。コミュニティ体育館の練習をしばらく観た後ホテルにチェックインし、ランタン祭りを観て貰っている間に私も合流して一緒に食事をした。1軒目の銀鍋では少し控えめにしてもらい、2軒目で雲龍亭のギョーザを食べてもらった。初めて県外から来る私のお客さんで雲龍亭に案内しない客人はいない。 
’18年02月19日(月)  佐世保協会杯参加案内UP  games & schedule 参照。 
’18年02月18日(日)  ひがながバスケはオフ。3月4日の徳島講演まで、終日自分の時間が持てるのは今日しかない。だから今日は1日中家に籠もり、パワーポイントのチェック・原稿の読み込み・講演のシミュレーションをした。 3ヶ月前には概ね出来上がっていた資料なのに、こうしてチェックしてみると細かいところに修正箇所が見つかる。
’18年02月17日(土)  今日はあちこちの会場でミニの南部リーグお別れ試合が行われたが、ひがなががB練(13:00~15:30)なので古賀小の試合も崎山小の試合も見に行けなかった。B練の合間を縫って朝から崎山小の宿舎のカトリックセンター(浦上天主堂前)まで迎えに行き、試合が終わったあとはまた崎山小を高尾小会場から大波止のフェリー乗り場まで送った。なぜ五島のミニバスチームを山崎先生が・・・?にお答えしよう。鶴鳴を平成8年3月に卒業した野原のこども(6年生)と眞鳥3姉妹の末のエミ(バレー部)のこども(4年生)が南部リーグに参加することを先日の五島講習の時に知ったからだ。ママたちは私に殴られた時代の選手なので、そのこどもたちはしっかり面倒見てやらなければ私は地獄に行く。
’18年02月16日(金)  夜8時、大波止にフェリーで到着する五島の崎山小ミニバスチームをマイクロバスで迎えに行った。明日高尾小学校で行われる南部リーグに特別招待されたのだ。14人のこどもたちと付き添いの大人が7人。バスの中ではこどもたちより付き添いの大人たちの方がはしゃいでいた。 
’18年02月15日(木)  火曜と木曜は体育館が使えない日なので外部の体育館を借りて練習する。今日はコミュニティ体育館でやる日だ。通常は遅くても4時50分には裏門をマイクロバスで出発し、コミュニティ体育館には5~6分で着くので5時から練習を始められるが、今日は放課後体育館で生徒集会があり、5時半の出発となった。しかし部活動は生徒にとって学校での最優先活動ではなく、あくまで授業・学校行事・その他の諸活動が最優先なので、今日のようなことでどんなにいらいらしても、いらいらすること自体が筋違いなのである。
’18年02月14日(水)  ひがながバスケはテスト休みが明け、9日ぶりに対面した。五島講習は対象が高校生で、1昨日のブログで述べたように「日頃の練習環境が違うからわからなくてもしょうがないな」だったが、ひがながバスケに対しては、部員の4分の3が素人でしかも中学生なのに「まだわからないのかお前ら!」と、腹が立つ。だって、五島では昨日と1昨日の2日間だけしか指導していないが、ひがながは毎日体育館に顔を出して教え、声かけをしてるんだもん。
’18年02月13日(火)  五島講習を終えて今日からは、3月4日に徳島県教委から依頼されている講演の予習に大半の時間を費やす。講演に使うパワーポイントも原稿もすでにできあがってはいるが、原稿の読み込みとシミュレーションをしっかりやっておかなければ、講演を終えてから必ず「あ、ここでこれを言うのを忘れていた」が見つかるのである。 
’18年02月12日(祭)  昨日正午から5時まで、今日午前3時間午後2時間、計10時間のクリニックを無事終えた。疲れたあ~。ひがながの練習指導や他のクリニックより私自身が身体を動かす場面が多かったのは確かだが、それで体力的に疲れたのではなく、やってもやっても「お、この子たちだんだん分かってきたぞ」という達成感が得られなかったので精神的に疲れたのである。五島のレベルは低いと言いたいのではない。事実、五島高校に勝てないチームは県内にたくさんあると思う。ただそれは、自分流でやっていいのなら「なかなかやるなあ」であって、ちょっと毛色の変わったチームに難なく対応できるかどうかはわからない。今回の講習で私が思う方向に導けなかったのは、自分のチームのコーチ以外の人に指導を受ける時の学習の仕方が分からないから、演習たちは私が思うイメージを表現できなかったのだろうと思う。それは初日の途中で分かったのだが、それでも「俺はこんなことを学ばせたいんだ」を売り込まなければならない。それであの手この手を駆使して指導したが、最後まで「ヨーシ!」や「ナイス!」がなかなか出てこなかった。ガックリ<(_ _)>・・・・・
’18年02月11日(日)  風が家の周りの木々を揺らす音が気になって今朝は4時半に目が覚めた。いつもならそんなことは気にならないのだが今日は7時40分発のジェットフォイルで五島に行くことになっていたから気になったのだ。ジェットフォイルは波の高さが4㍍になると欠航する。テレビの気象情報で調べたら、波の高さは長崎で3㍍五島で4㍍と出た。大波止に付いたのが7時少し前。何の表示もなかったのでホッとしたが到着して間もなく、今日の午前中のジェットフォイルは欠航するという場内アナウンスが流れた。急遽8時発のフェリーに切り替えて五島に向かったが、45年ぶりに雑魚寝のフェリーに乗った(その時は鹿児島⇔沖縄のフェリーで片道23時間かかった)。 
’18年02月10日(土)  古賀ミニバスはインフルエンザが5人出たので出場辞退となったが、今日は終日ヒマなので村松小会場の試合を観に行った。ミニや中学の試合を観ていつも思うことは「場面理解力も技術も叱るレベルに到達していない選手を怒鳴りつけるのはやめてほしいなあ」である。ミニや中学レベルでは、鍛え上げることよりもバスケット大好き人間を作ることの方が大事だからだ。 
’18年02月09日(金)  雪が降った後の道を走ると、チェーンやスノータイヤで削られたアスファルトの粉を巻きあげるからクルマもスクーターも真っ黒になる。スクーターは昨日洗ったので今日はバスを洗った。いつもはひがながバスケの選手たちが手伝ってくれるのでサッと終わるが、今日は1人でやったので1時間5分かかった。フウ ・・・
’18年02月08日(木)  ひがながバスケはテスト休み期間中なので、昨日と今日は開始から終了まで古賀ミニバスの手伝いに行くつもりだった。しかし、それがダメになった。新たにインフル患者が出て練習中止になったのだ。しかも、今週末行われるミニバスの新人戦にも出られない。ミニは、エントリー(15名)の20%を超えるインフル患者が出たら出場を辞退しなければならないという申し合わせ事項があり、古賀ミニバスはそれに抵触するのだ。ちなみにインフル患者は昨日4人出て、その前に2人出ているので完全にアウトだ。というわけでやることがなくなったので今日は久々に6㎞走った。痛風は沈静化した。五島講習は大丈夫だ。
’18年02月07日(水)  採血の結果が出た。尿酸値8.2だ。7以下に下がるまでまたフェブリクを飲まなければならない。とりあえず1ヶ月分出して貰った。 
’18年02月06日(火)  午前9時。やっぱり家の周りは雪化粧だ。しかし、雪の量が少ないのと気温がそれほど低くならなかったので午後には溶け、スクーターで動き回るには差し支えなかった。ところで、昨日から痛かった左足の親指の関節が今朝は腫れていた。久しぶりの痛風発症だ。午後から病院に行って採血し、ロキソニンを貰ってきた。尿酸値は7より低い方がいいが、採血の結果尿酸値が8以上だったらフェブリクを出して貰い、7レベルだったら放置する。結果は明日分かる。気になるのは11(日)12(祭)の五島講習だ。その時までに痛みが治まっていなければ動きに支障が出る。
’18年02月05日(月)  古賀ミニバスの手伝いのあとスクーターで帰路についたが、雪が激しく降り出したのでスクーターを途中で止めて携帯で動画を撮った。明日朝はまた家の周りが銀世界だあ。 
’18年02月04日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。朝起きて窓の外を見たら一面銀世界。通常はスクーターで7時45分に家を出て練習開始10分前には体育館に着くが、今日はスクーターで行くのは無理なので急いで着替え、朝飯を食わずに歩いて家を出た。学校までの2.2㎞を25分かかり、練習開始に4分遅れた。私の家は高台にあるのでスクーターでは動けないが、下界の道路はクルマがフツーに走っていた。今日は朝9時から鳴見台小学校で古賀ミニバス・福田ミニバス・時津ミニバスの練習試合が組まれていたので、1発目の試合には間に合わないが、11時と2時の試合は見に行くつもりだった。しかし今日は歩きなので試合を見に行くには一旦スクーターを取りに帰らなければならない。間の瀬峠は午前中チェーン規制だったようだが午後から解除され、なんとか午後2時からの試合だけには間に合った。5年生以下の新チームで初めての練習試合なので楽しみにしていたが、状況理解力が足りないので個人の力が発揮されないまま終わった。
’18年02月03日(土)  バレー部が試合のため体育館割当時間を交換し、女子バスケは9時半から12時までだった。9時過ぎ、体育館脇にスクーターを止め、階段を上りながらすでに私の心の中では怒りが膨らんできている。昨日今日のことではない。そんなことがもう1年以上も続いている。 
’18年02月02日(金)  ひがながバスケは体育館割当がない金曜日なのでオフ。ホッとする。練習が休みだからホッとするのではない。怒らなくて済むからホッとするのである。 
’18年02月01日(木)  学校の裏門のところで青木さん母子に会った。弟の勇歩君(小学6年生)には時々高城台小学校で会うことがあったが、姉の彩花ちゃん(中学3年生)にはたおそらく小学校を卒業してから会ってないと思う。2人とも保育園時代から知っている子だ。彩花ちゃんは小っちゃかったのに見違えるほど大きくなっていた。「大きくなったねえ」と言うとママが、「中学になってから15㎝も伸びたんですよ」と言った。男の子ならまだしも、女の子で中学時代に15㎝も伸びるなんて…。たぶん、ママと一緒ではなく彩花ちゃんだけに道端で会ってあいさつされてもわからなかったと思う。バスケットにもそんな子が出ないかなあ。
’18年01月31日(水)  山崎純男のホームページのBooks&Essaysの監督一代の②で述べているが、どこに出しても恥ずかしくないチームであった頃の新入生たちは、入部して半年も経てば幼稚さが消えて戦士の顔になった。このところ、ひがながバスケでは2年も同じ事を言い続けているのに選手の顔つきが変わらないので苛立つ日々が続いていたが、今日監督一代②に匹敵する出来事が起こった。しかもミニバスで。話は先週にさかのぼる。私は先週水曜日に仕事で練習に出られない城コーチの代役を依頼された。そこで私はA子とB子をこっぴどく叱りつけた。それから1週間、A子とB子は変わっていた。私から指摘されたことをはっきり意識して練習しているのである。監督一代では「半年も経てば…」と述べたが、A子とB子は指摘されてから1週間しか経っていない。日本はまだ大丈夫だ。
’18年01月30日(火)  JUSCOのバイク置き場にカートが放置されていた。今月これで3回目だ。毎回私は店内のカート置き場に戻してやる。3回目の今日はさすがにぶち切れて写真を撮り、ブログに載せることにした。カートで買い物をするのはこどもじゃないだろう。たぶん大人、それも家庭持ちの大人だと思う。カート置き場にカートを引っ張って行きながら「こんな人は自分のこどもの躾けなんかまるでできない人なんだろうなあ」と思った。
’18年01月29日(月)  この3日間、中学の県新人戦・高校の県新人戦・Wリーグの試合を観た。総括をする。「おもしろくない!」。プレイがおもしろくないのではなく、オフコートの行動も含めて全てがユルいからおもしろくないのである。会場に居るどの選手を観ても「よくしつけられているなあ」とか「しっかり訓練されているなあ」が感じられない。Wリーグですらそうなのだから、中学生や高校生の試合は推して知るべしである。もちろんそれらの原因はすべて指導者にある。
’18年01月28日(日) 今日のWリーグ2日目は大村市で開催されたが、私は県医師会のスポーツ医学研修会での講演を依頼されていたので観戦には行けなかった。研修会の受講対象者は県医師会に所属する医師の方々である。医師相手に医学的講義をしても釈迦に説法なのでそんなバカげたことはしない。私の体験談をもとに、いまだに神の手とガマの油を信じたがっているスポーツ現場に腹を立てず、コーチ・選手・保護者にスポーツ傷害を理解して貰う努力を根気強く続けるしかないというような話をした。
’18年01月27日(土)  WリーグJXvs富士通戦が島原復興アリーナで行われた。観戦希望者20人をマイクロバスに乗せて連れて行った。前座試合は県中学新人戦の決勝だった。カードは深江中対布津中の南島原勢同士だ。5人で試合前のアップをやっているのは布津中。ベンチには誰も居ない。たった5人で県大会の決勝まで勝ち進んできた布津中にはアッパレと言いたい。が、この現状に心が痛むのも私の偽らざる心境だ。。 
’18年01月26日(金) 昨日まで3日間、2年生が職場体験学習で不在。それを挟んでインフル発症やら普通の風邪やら嘔吐下痢症やらで選手が揃わない日が続く。インフルエンザシーズンに限らず「この子を鍛えるぞ!」と思うとその子が病気でしばらく休むとか、「チームオフェンスでこれを仕込むぞ」と意気込めばエースの選手がケガで外れるなど、チームが弱い時は必ずこのようにチームの士気を削ぐようなことが過去にも起こった。今年も例外ではない。チーム創りは、何を教えるかよりも、チームの士気を削ぐような出来事を如何にして減らすかに神経をすり減らすことの方が圧倒的に多い。 
’18年01月25日(木)  わずかに数匹、風邪ウィルスが気管に取り付いているがそれも今夜消滅するだろうと思い、練習指導は通常通り声を出して動き、本来の姿に戻した。16日に始まって今日まで10日間、今回の風邪はしつこかった。 
’18年01月24日(水)  目覚めは7時半だった。昼過ぎ、桜馬場中の沖島先生から「こんな写真を見つけました!」という短いメッセージ付きのメールが入った。メッセージの結びは「先生、お若い!」だった。44年前の写真なのでお若いのは当たり前だが、無愛想な顔だなあ。
’18年01月23日(火)  昨日の目覚めは9時。今朝は9時53分。いずれも早朝に目は覚めたが、起きるには早過ぎるので一旦トイレに行って2度寝したのである。早朝のトイレと2度寝はいつものことで、2度寝しても8時には目が覚める。しかし、昨日と今日は寝過ぎた。コートで動き始めたからかもしれない。今日は「違う!こうだろ!」と言いながら思わず強い動きをしてしまったので、明日の目覚めはまた1時間遅れかもしれない。 
’18年01月22日(月)  まだ気管が痛くて咳が出るし、皮膚のピリピリ感は残っているが、今日から椅子に座らず普通のバスケ指導に戻した。しかし、大きな声を出して指導すると息切れするし立ちくらみする。風邪の後遺症というより、約5日間ほぼ絶食と言っていいほど食い物を胃に入れていないので力が入らないのだ。いや~、インフルじゃなく普通の風邪でこんなにやられたのは記憶にない。おそらく、生涯最後の風邪だと思う。これから毎日しっかり食べて、まずは28日(日)のスポーツ医学講演をやり遂げなければ…。
’18年01月21日(日)  ひがながバスケはオフ。終日休みなので9時頃起きて、タマゴスープをすすって、またベッドに潜り込んだ。熱は下がっているが皮膚のピリピリ感がまだ残っている。朝、タマゴスープをすすった時に「味がするぞ」と思ったので、夕方は冷凍のチャンポンを鍋で煮込んで食べたが味覚は元に戻ったようだ。今日は、休みを身にしみて有り難いと感じた1日だった。 
’18年01月20日(土)  今日のひがながバスケはA練(08:00~10:30)。朝食は食べずに粉末スープを保温ボトルに入れて7時45分に家を出た。体育館の隅に椅子を出し、おとなしく座って練習を見た。マスクの上からネックウォーマーをして目だけ出し、選手には私が声をかけても10㍍以内には近寄るなと指示した。午後は土井首小学校で行われているNBC杯ミニバス大会を観に行った。古賀ミニバスは3回戦で負けたが、バスケットの試合らしい戦いをする古賀ミニバスを初めて観た。備考:今回の風邪は根気勝負になりそうだ。会場を出ようとしてスクーターをUターンさせた時バランスを崩してヨロッとなり、危うくスクーターと一緒に土井首小の校庭で寝そうになった。もう4日以上スープ類しか摂っていないので力が入らず、普通に歩いていてもコケそになるからスクーターを支え切れないのは仕方がないか…。 
’18年01月19日(金)  収束どころか、昨夜からまた症状が気管に戻ってきた。コラーッ!そこは初日に症状が出たとこなのになぜまた戻るんだよ!咳が止まらないので今日は腹筋と肋骨と背中が痛い。しかも集中力がかなり落ちている。 
’18年01月18日(木)  熱のため今日も身体の節々が痛い。風邪症状そのものは、喉がゼロゼロ言いだし、鼻が詰まってきた。普通の風邪はこの症状が最初に出て、それから気管に広がっていくが私の場合は逆である。しかし、もう一度気管に症状が戻ることはあるまい。このままま収束に向かうのだろう。それより何より、熱のため何を食べても味がしない。朝食は味噌汁に少し口をつけただけでやめた。今日は夕食も抜く。 
’18年01月17日(水)  2~3日前から風邪気味だったが、昨日の夕方から今日にかけて咳が止まらない。風邪は普通、鼻の奥がムズムズして、それから喉がイガイガして、それから気管に炎症が起こるという手順で進む。しかし私の風邪はいきなり気管の炎症から始まり、喉や鼻の奥はなんともないのである。インフルではないようだが、熱があるので皮膚や関節や筋肉が痛い。フウ・・・ 
’18年01月16日(火)  インフルエンザの患者が遂にバスケ部にも出た。Aが1人Bが1人だ。さて明日はどうだろう。私は2012年1月21日に発症して以来6年間インフルエンザに罹っていない。そろそろかな? 
’18年01月15日(月)  鶴鳴時代から私は、通常練習は4時半から7時10分まで、土日に試合がなければ原則どちらか休みとしていた。ウィークデイに休みを設けても精神的には休養にはならない。土日のどちらかを休みにすればまる1日自分の自由時間を取れるので心身ともに休養になるからである。夏休みや冬休みの長期休暇には強化練習として午前午後の2部練をすることがあるが、それを実施する時は長くて1週間。それが済めばひとまず2日連続か5日連続などの休養日を設けていた。日常の練習では決して手抜きをさせないし、手抜きをしない練習は必ず定期的な休養を入れないと続かないからである。今日中学校から渡された文書には「部活動は必ず週1回は休みを入れること。なお、家庭の日の練習は禁止」と記されてあった。その趣旨に異存はないが、こどもの身体や健康を守るよりも教員の働き方改革が優先されている感が否めない。このような通達を出す場合は文科省も教育委員会も、このような通達を出せば事が済むのかどうかよく考えて欲しい。2~3の例を挙げる。学校での部活動には籍だけ置いていて、社会体育と称して夜間に練習している中学生が全国にごまんと居る。そんなことを熟知した上で通達を出して貰いたいと思う。それはJBAのマンツーマンの推奨の通達についても同様である。上記の「社会体育と称して夜間に…」というのは、こどもも親も全国優勝をしたいと思って、そのやり方に賛同して取り組んでいる事例はよくあることで、それ自体を邪道だとか教育的活動ではないなどと批判する気はサラサラない。ただし、そのような部活動選手や保護者の中には、そのような部活動に入ったのだから日常の練習の当番やクルマ出しのために会社の仕事を休むことは苦痛だがやむを得ないとか、家族一緒の食事ができないのは辛いがあきらめている親や子がいるとしたら、文科省は今回の通達を機に、教員だけでなく、部活動に関わる全ての人々の仕事に、家庭に犠牲を強要していないかを考えてみる必要があるだろう。
’18年01月14日(日)  松浦杯最終日結果報告UP  games & schedule 参照。   
’18年01月13日(土)  松浦杯初日結果報告UP  games & schedule 参照。  
’18年01月12日(金)  9日(火)、鶴鳴正月合宿が終わった翌日は疲労困憊を通り越して仮死状態だったが、今日喜々津中との練習試合の審判をした時は疲れは抜けており、快調で足は軽かった。この調子だと50年後の桐生選手といい勝負ができそうだ。選手を送り届けた後マイクロバス置き場(中尾ダム前)からスクーターで帰ろうとしたら、風防が凍り付いており、息を吹きかけてゴシゴシしなければ走れなかった。外気温は0℃だった。 
’18年01月11日(木)  案の定家の周りは銀世界。でも積雪はせいぜい7~8㎝。しかし雪の下の路面は凍り付いていてスクーターではとても走れない。サトウキビしぼりは中止。でも、高城台小学校も東長崎中学校も学校閉鎖ではない。私の家は少し高台にあるので動けないが、どうやら平地は大丈夫らしい。東長崎中学校は実力テスト最終日だが、雪のため開始が遅れたのでテストの1部を残して明日実施することになった。したがって今日まで部活は禁止だ。古賀ミニバスの練習も中止という連絡が入った。今日は冬ごもりだ。 
’18年01月10日(水)  今日までひがながバスケはテスト前オフ。ひがながバスケがオフの時は練習開始から終了まで古賀ミニバスの手伝いに出かける。私の近距離移動手段はどんな天候でもスクーターだが、今日古賀小から帰る時は耳がちぎれそうだった。スクーターの外気温表示は2℃を指していた。路上の雪は降ったらすぐ凍り付いていく。まだクルマが行き交っているから路面の雪は潰されるが、交通量が少なくなる深夜は路面が凍結するはずだ。明日の朝からつばさ保育園のつきぐみさんをマイクロバスに乗せて、雲仙の麓の農家までサトウキビ(つばさ保育園の畑で収穫した)しぼりに行く予定だが、山間部の道路はもっと危ない。行けるかなあ?
’18年01月09日(火)  昨日は創成のクリニックを終えたあと昼頃家に帰ってきたが、パソコンで合宿中のデータを整理していたら古賀ミニバスが午後1時から4時まで練習するということをcybozuで発見した。それを見たからには出かけないわけにはいかない。1時から4時まで手伝ったが、最後に城コーチから頼まれて鶴鳴でやった飛び込みリバウンドのクリニックをした。鶴鳴合宿中に審判36本(フルゲームに換算したら18試合分)。クリニック3回。そして昨日ミニバスのクリニックを1回。合宿中に足の爪が割れたが、違う箇所が痛いので調べたら爪割れに加えて今日はマメが2箇所できていた。もう身体が動かない。
備考:松浦杯参加案内UP  games & schedule 参照。 
’18年01月08日(月)  鶴鳴正月合宿が終わった。札幌創成が今日の午後12時半大村空港発の便で北海道に帰った。朝食後鶴鳴を発つまでに少し時間があるので西側先生の依頼でクリニックをした。"間"と"タイミング"を教えるのが難しいというのでそれだけを取り上げてやった。これは、バスケットの専門書を見てもアメリカから資料を取り寄せても載っていないので、現場で覚えるしかない。たぶん、西側先生に限らず多くのコーチたちがそれを会得するまでには膨大な時間を要すると思う。
’18年01月07日(日)  鶴鳴正月合宿6日目。午後は鶴鳴と創成の2チームだけになったので、A戦10分とB戦10分をやったあとはクリニックに切り替えた。内容は、手(腕)の使い方と足捌きと間合いの問題を取り上げた。基本的な身体の扱い方がちゃんとできていなければいくらシステムを構築しても武器にも戦術にもならないからだ。それはさておき、鶴鳴の三根監督が遂におじいちゃんになった。3日に初孫が生まれたが合宿中なので病院に行けず、今日会いに行ってきたそうだ。めでたしめでたし。 
’18年01月06日(土)  鶴鳴正月合宿5日目。2日間で計16本(フルゲームにしたら8試合分)の審判が堪えたのだろう、足の指が痛いので今朝の1試合目の審判が終わったあと調べたら爪が割れて靴下まで血がにじんでいた。だが、こんなもので私は参らない。今日も6本笛を吹いた。 
’18年01月05日(金)  鶴鳴正月合宿4日目。審判を昨日8本今日8本やった。さすがに疲れた。初日は札幌創成を迎えに行ったのでひがながの試合は見られず、今日初めて見た。驚いたのはミライだ。彼女は素人から始めた選手だが、ミニバス上がりの選手よりも光っていた。ガンガン当たってくる高校生のディフェンスに果敢に立ち向かうのだ。今日のミライを見ていると「ウチはミニバス上がりの選手が少なくて…」と思うのは指導者のいいわけに過ぎないとつくづく思った。
’18年01月04日(木)  鶴鳴正月合宿3日目。今日がピークで9チーム。午後はクリンチが多い試合になった。ところで、鶴鳴合宿に参加するチームの監督さんは期間中外出禁止だ。だから食事は朝昼晩体育教官室で済ませる。夕食のあとは体育教官室でミーティングだ。恒例になって誰からも文句は出ない。 
’18年01月03日(水)  鶴鳴正月合宿2日目。昨日からバンバンやって疲れ気味のチームや今日から参加で元気いっぱいのチームが入り乱れて混戦状態だ。このような強化合宿では、どんなに惨めな思いや悔しい思いをしても、ケガをせず病気もせず、帰る日まで生き残った者が勝つ。 
’18年01月02日(火) 鶴鳴正月合宿がいよいよ始まった。ひがながも参加させて貰うがそちらは中島監督に任せて私は札幌創成を福岡空港まで迎えに行った。13:05着スカイマーク773なのに、12:00過ぎに事故渋滞表示が出た。鳥栖→太宰府間で事故があったらしい。佐賀を過ぎたあたりでは電光掲示板には渋滞7㎞と表示されていたが鳥栖ジャンクションでは10㎞に伸びていた。気が気ではなかったが、飛行機も到着遅れだったのでギリギリ間に合った。ホッ 
’18年01月01日(月)  1年の計は元旦にあり。さっそく 6㎞ 走った
’17年12月31日(日)  今日もコンビニに漫画本を買いに行った以外は家から出ず、身体はまったく動かしていないが、日本のしきたりなので年越しそばだけは食べた。 
’17年12月30日(土)  終日ピクリとも動かなかったので、今日は晩飯を抜いた。 
’17年12月29日(金)  団地内のコース6㎞ラン。最後の1㎞は血糖値低下でフラフラしながらやっと自宅に辿り着いた。フウ・・・
’17年12月28日(木)  年末の練習は今日でおしまい。練習後体育館の掃除をしてバスを洗った。新年の練習開始は4日のB練からだ。西海カップ後ディフェンスを最優先とした練習に切り替えたが、ここで頭角を現してきたのがミライ(2年生でミニバス経験なし)だ。長年バスケットの指導をしているが、中学時代に結構活躍した選手でも、鶴鳴に入って1年目はほとんど使いものにならなかった。理由はディフェンスがまるでできないからだ。だから、素人から始めてディフェンスでミニバス経験者を追い抜くというような事例は非常に珍しい。 
’17年12月27日(水)  10月25日に出して貰ったトラムセット(1日2錠4週間分)が残り少なくなったので、大学病院に行った。Dr宮本から処方箋を貰って診察室を出た直後「ドクターヘリが到着します。各部屋の窓はすべて閉めてください」と館内放送があった。私は診察室の戸をノックして再び開け「先生ドクターヘリ!」と言ったらDr宮本はすでに受話器を耳に当て、私のことばに頷きながら人差し指を屋上に向けた。出動だ。 
’17年12月26日(火)  私がいつも走るコースは、自宅団地周辺か、つばさ保育園がある卸し団地の外周である。今日は練習が終わった後久しぶりに学校の裏の川端を走った。八郎川の上手と下手に架かった橋を渡って戻ってくると丁度1㎞だ。しかし、景色が変わらない同じ場所を何度も回るのは飽き飽きする。今日は身体の疲れよりも飽き飽きにすることに負けてしまって5周で止めた。 
’17年12月25日(月)  今日の体育館割当はD練(15:30~18:00)。ひがながバスケは、土・日・祭のD練割当はオフにしている。休みの日にわざわざ午後3時過ぎに練習に引っ張り出せばまる1日潰れるからだ。そこで今日は走るつもりだったが、鶴鳴正月合宿の変更につぐ変更があり、その資料修正に時間を取られたので走れなかった。 
’17年12月24日(日)  西海カップ最終日結果報告UP  games & schedule 参照。 
’17年12月23日(土)  西海カップ初日結果報告UP  games & schedule 参照。  
’17年12月22日(金)  尻にできものができてスクーターに乗るのもバスを運転するのも痛い。 
’17年12月21日(木)  今日もアメリカのはなしを1つ。12月9日に北九州でWリーグの試合が開催された。古賀ミニバスのY子が母子4人でそれを観に行ったようだ。その時ツーショットで撮って貰ったのがなんとトムホーバスなのだ。私はその写真を添付してトムにお礼のメールを出した。するとサンディエゴから返事が返ってきた。
Hello Yamasaki-san,Thank you for the email.  Yes, of course, I remember you.  I'm glad to hear that you are doing well!  It's been a longtime.  What a small world.  I was happy to hear that I was able to take a picture with one of your player's daughter.  And thank you for sending me the picture.Take care.Best Regards,Tom 
’17年12月20日(水)  毎年アメリカ(オハイオ州)からクリスマスカードを送ってくれる鶴鳴時代の教え子(T子)がいる。今年のクリスマスカードは今日届いた。彼女は30年前に鶴鳴を卒業した。数年後結婚したがご主人の転勤でアメリカに移住した。バスケットの教え子ではない。バスケットの教え子に会うのは、むかし暴力コーチだったのでその仕返しが怖くて会えば脂汗が出る。バスケット以外の教え子でいつまでもこうして懐かしんで貰えるのは嬉しい。バスケット以外の教え子の話が出たついでにもうひとつ。卒業式が終わってから体育教官室に1人の生徒が入ってきた。緊張した表情で「私…ずっと前から思っていたんですけど…1度でいいから先生のハーレーに乗せてください」と言う。私は「乗せるのはいいけど、制服のままじゃまずいだろう。一旦帰ってジーパンか何かに着替えろ。家はどこだ?」と言った。その子は土井首中学校出身だったので鶴鳴からかなり遠い。私は待ち合わせ時間を決めて迎えに行った。その子の在校中私は面識がないし、ハーレーサービス後も何の接触もなく、名前も顔も覚えていない。ただ、そんなことがあったということだけは鮮明に覚えている。私がハーレーに乗っていた頃なので、たぶん30年ぐらい前の出来事だと思う。
’17年12月19日(火)  西海カップ参加案内UP  games & schedule 参照。   
’17年12月18日(月)  今日は鶴鳴幼稚園クリスマス会毎年恒例のサンタさん役。この画像がUPされるのは私がまだ認知症になっていない証明だと思って貰えばいい。 
’17年12月17日(日)  ひがながはA練(09:00~10:30)。それが終わってから小江原小で行われているミニバス南部リーグ新人戦(5年生以下)を観に行った。昨日の長浦小までは片道1時間、今日の小江原小までは片道40分。長崎は昨日から急に冷え込んだのでスクーターでの長距離移動は辛いが、今日の小江原小は長崎市北部の山の上にあるので平地よりさらに2~3℃低いのでさらに辛い。つま先用のホッカイロを貼り付け、手袋は2枚重ねで行ったが半日保たず、3時半の最終戦は予備のホッカイロに替えて観戦した。それでも骨まで染みこんだ冷たさは治まらず、風呂に入ってようやく治まった。感想・・・小学生の試合であっても「観ないで帰ろうかな」という試合もある。それが中学生の試合になればもっと多くなるし、高校生になればもっともっと多くなる。 
’17年12月16日(土)  今日は長崎市新人戦の準決勝と決勝が行われる日。ひがながバスケは中島監督が準決勝を観に連れて行ったが、私は長浦小学校で行われるミニバスの医科学クリニック(講師はDr宮本) に参加した。内容はストレッチングだったが、「ストレッチングなら方法は知ってるしちゃんとやらせている」と思っている参加者が居たとしたら警告する。Dr宮本が「こんな姿勢で、こんな角度でやりなさい」と言ったことばの基になっている発育発達学・解剖学・運動生理学・バイオメカニクス等の理論をしっかり分かっていなければ「知ってる」とは言えないということを。これは、指導者だけではなくそれをやる選手自身についても同じである。
’17年12月15日(金)  体育館割当がない日なのでオフ。最近、メールでトランジッションゲームについての問い合わせやら、合同練習でのクリニックの要請が多くなった。長崎市新人戦の報告書に書いた内容を具体的のコート上で実施しているだけなのだが…。 
’17年12月14日(木)  中島監督が風邪でダウン。だから今日の練習は山崎主導。スピードドリブルでコート中央を突っ切ってのシュート練習後、トランジッションゲーム応用編に入ろうと思っていたがドリブルシュートだけで終わった。主力選手ですら、踏み切りもステップもリリースもサマになっていなかったからだ。ア~モ~!
’17年12月13日(水)  今日は半面しか使えない日である。トランジッションの終盤部分に起こる場面を取り出して即席ドリル化し、反復練習させた。ナイスや!OK!は絶対見逃さないがボケーも見逃さない。私の口から出ることばは決して優しくない。 
’17年12月12日(火)  昨日からトランジッションゲームの応用編に入った。ここからはサバイバルゲームだ。状況理解力が劣る選手は取り残され、そうでない選手は生き残っていく。尾木ママに言わせれば「教育的指導ではない」だろう。私が選手のデキの悪さを「あいつらはアタマが悪くて…」で片付けるコーチだったらそう言われても仕方がないが、私は状況理解力が劣る選手に対してよく分かる指導をとことん追求する。それでも取り残される組と生き残り組の2つに分かれる。これが現実だ。
’17年12月11日(月)  毎月11日は翌月のコミュニティ体育館利用申込み抽選結果発表(メールで通知)の日である。1月の抽選結果は11(木)12(金)16(火)18(木)23(火)25(木)26(金)30(火)の8回分申し込んで当選したのは30(火)のみ。他はみんなハズレだった。今日は終日その対応に追われた。しかも、こんな時に限って日吉自然の家と上長与体育館は全て優先予約で埋まっていて身動きが取れない。夕方までかかって16(火)23(火)は古賀市民センターを押さえ、25(木)はコミュニティ体育館を譲って貰って埋まった。12(金)26(金)はK中学に練習試合を申込み、11(木)18(木)はE中学との合同練習を申込み、返事待ち状態である。どんなことを教えるかよりも練習場所を確保することで神経をすり減らす。これは全国どこの中学でも同じ現象である。JBA育成部のスタッフはそういう現状をしっかり把握して育成プログラムを考えればよい。
’17年12月10日(日)  私の日体協コーチライセンスの更新期限は2019.03.31だ。再来年の春だが、今年義務研修を受けておいた方が安心なので受講した。講師はドクター宮本(アンチドーピング)と長崎国際大学の元安陽一先生(学び続けるコーチング)だ。「なるほど」と「そうだそうだ」が満載だった。
’17年12月09日(土)  長崎市新人戦結果報告UP  games & schedule 参照。 
’17年12月08日(金)  ことばで説明したりホワイトボードで人の動きを示してやっても選手に「分かった」は根付かない。自ら動作をやって見せ、それを選手にやらせる。それでも選手は私が示した動作と自分がやった動作の違いが分からない。そこで「何度同じ事を言えば分かるんだ!」と怒鳴っても選手は分かるようにならない。コーチを怖がるだけだ。「お前の動作と俺の動作はここが違う」といって違いを取り上げ、そこに注意して再度やらせる。これが指導の手順である。こんなやり方を何十年もやってきた。それでも「分からない」選手は年々増える。 
’17年12月07日(木)  11月30・12月02・04・05・06・07と、ずっと外回りだった。今日体育館の照明工事が終わり、明日から平常日程に戻る。明日は学校で半面割当練習なので、ドライブのフィニッシュ部分を重点的にやって明後日の新人戦に臨む。「分かっているけどできない」のではなく「分からない」選手が大半なので、練習したことが試合に反映されるまでにはまだまだ遠い道のりを歩かなければならない。根気だ。 
’17年12月06日(水)  1月27日(土)と28日(日)の両日、島原大村でWJBLの公式戦が開催される。残念なことに、27日(土)は県中学新人大会の準決・決勝と重なり、27日と28日は県高校新人戦の初日と2日目に重なる。だから、観に行ける選手が限られると思うが、上記に重ならないチームは是非観に行って欲しい。練習を休んでも観に行く価値はある。なにしろ長崎開催は13年ぶり(前回はJXvsシャンソン)なのだ。 
’17年12月05日(火)  長崎市新人戦参加案内UP  games & schedule 参照。  
’17年12月04日(月)  今週金曜日までは体育館電気工事のために外回り練習ばかりだが、学校での練習は冬時間で6時完全下校、しかも半面しか使えないのでフルコート展開の練習をやり始めたばかりのひがながバスケにとってはフルコートを7時まで使える外部での練習は却って都合がよい。今日は上長与体育館でリバウンド獲得からのボール運びに練習時間の大半を割いた。明日と明後日は日吉、その次はまた上長与。この4日間にトランジッションゲームに慣れさせ、勢いを武器にできるチームの基礎固めをしたい。 
’17年12月03日(日)  今日は、今年最後のJBAコーチリフレッシュ研修会(於:純心高校)。内容は大久保先生がNTCで受けてきた研修の伝達講習。私はポイントを余るほど持っているので参加義務はないが大久保先生の手伝いで参加することにした。ところが、中島監督は今日の研修を受けなければ来春のライセンス更新をできないことが判明したので急遽参加を申し込んだ。2人ともひがながの練習に顔を出せないのならば練習はオフにするしかない。確保しておいた上長与体育館はキャンセルした。前納しておいた借用料金は返ってこない。 
’17年12月02日(土)  初めての上長与体育館借用。学校からマイクロバスで23分。コートのラインはスリーポイントラインがないし、ペイントエリアは台形のままなのでかなり古い時代に建てられたのだと思うが、床はしっかりしていて日吉自然の家と何等遜色ない。なにより、コミュニティ体育館(575円)に次いで安い(840円)のがいい。難があると言えば、リングの上げ下げが手動である。1人でやると大変だから数人で交代しろと言ったが、モモハが1人でやった。モモハは肉体労働が好きらしいから、今後ディフェンスをビシバシ鍛えてやろう。 
’17年12月01日(金)  12月分の練習会場が確保できたのでホッとして、1月分のコミュニティ体育館申込み解禁日が今日(毎月1日)だということをすっかり忘れていた。夕方思い出し、インターネットで8回分申し込んだ。危ない危ない。 
’17年11月30日(木)  練習会場の確保には毎月苦労する。12月は21日と22日が確保できていなかったが、一昨日取れた。これで冬休みまでは大丈夫だ。ホッ.... higa&yamaschedule17
’17年11月29日(水)  12月9日(土)はつばさ保育園の発表会。その第1回目のリハーサルが今日だった。毎年飯盛コミュニティ会館までバスでピストン送迎をするが、今日は運転席のすぐうしろの2人が園から会場までの移動中ずっと劇の中の台詞の稽古をしていた。これまで何回も送迎を手伝ったがこんなの初めてだった。感心感心。 
’17年11月28日(火)  昨日脚立を片付ける時に挟んだ指は血止めのためにすぐテープで押さえた。そのまま1昼夜傷を見ていなかったので、今日風呂に入る前にテープを外して見た。かぎ裂きでぐちゃぐちゃになっていた。
’17年11月27日(月)  ひがながの練習が終わったあと古賀ミニバスの手伝いに向かった。今日は練習の手伝いではなく、先日途中までしかやっていなかったカーテン修理をした。修理が終わって脚立を片付けている時に指を挟んで血が出た。労災だ。 
’17年11月26日(日)  第6回とどろきカップ最終日結果UP  games & schedule 参照。 
’17年11月25日(土)  第6回とどろきカップ初日結果UP  games & schedule 参照。 
’17年11月24日(金) 9日のブログで述べたM選手のケガは膝のサラの疲労骨折だった。ドクターYから診察結果を聞いた時私は自分の耳を疑った。疲労骨折はほとんど長管骨(長い骨)に起こり、膝のサラのように丸い骨に起こるものではないと思っていたからだ。ドクターYも「珍しい事例です」と言っていた。すぐ入院し、すぐ手術(ねじ釘で骨折部分を留める)し、すぐ退院し、すでにチームの活動に合流している。またひとつ勉強した。
’17年11月23日(祭)  ひがながはA練(08:00~10:30)。そのあと午後1時から5時までの古賀ミニバスの手伝いに行った。終日バスケ漬けだった。古賀小では、ずっと前から2階のカーテンが壊れていて夕日が差し込んでまぶしかったのでそれを修理した。そして、城コーチからの要請で横パス縦パスの連続プレイの指導をした。終盤はジャリーズ(4年生以下)の面倒を見た。今日の私はけっこう役に立った。 
’17年11月22日(水)  部活動終了後の完全下校時刻10分前、隣の子と談笑しながらのんびり靴紐を解いている選手が貴方のチームには居る?居ない? 
’17年11月21日(火)  今月末はコミュニティ体育館を取れない日が3回もあるので、飯盛中学校に無理矢理練習試合をして貰えないかどうか頼み込んだ。すると3回ともOKという返事を貰った。その1回目が今日だった。部活動ではこのように、先方に出かけたり先方がこちらに来たりすることがしばしばあるが、大切なのは先方が「喜んで」なのか「なんとかやりくりして」なのか「しぶしぶ」なのかに気配りをしなければならないということである。 
’17年11月20日(月) 第6回とどろきカップ参加案内UP  games & schedule 参照。備考:ついでに日吉行事案内  
’17年11月19日(日)  ひがながの練習を終えて午後から高校の長崎地区新人戦を観に行った。私は通常、試合は観覧席から観るが、長崎南高校会場の観覧席は人々々で観る場所がなかったので仕方なくステージで観た。男子の試合で私の目はずっと長崎東の谷川選手(小ヶ倉中出身1年生)に釘付けだった。プレイだけでなく目付きや態度すべてを含めて太鼓判だ。将来楽しみである。女子決勝は両チームとも、地区新人戦の時期としては私が鶴鳴を率いていた頃よりもレベルが高いと思う。結果的に鶴鳴が12点差で勝ったが、両者に決定的な差はない。勝ち上がり表はこちら
’17年11月18日(土)  昨日の長崎地区高校新人戦で敗退した五島海陽高校が、今日の夕方のフェリーで五島に帰る前にひがながに立ち寄った。少しだけアドバイスをしたが、アドバイスより何より驚いたのが引率の女性の先生だった。練習後名刺を渡しながら私は彼女に問いかけた。「先生、教科は何?」「体育です」「専門種目は?」「陸上です。短距離、200、400が専門です」隣に居たコーチの田口氏が「日本一になったことがあるんですよ」と口を挟んだ。「え?大学どこ?」「鹿屋です」「なに?旧姓は?」「太田です」「なんだって!」。私は彼女が若い頃トラックで遠目にしか見たことがないがよく知っている。高校時代(諫早商業)から大学時代及び卒業後もずっと日本のトップクラスで活躍したランナーである。聞けば、海陽高校の前は鳴滝高校、その前は西彼農業高校、すべての学校で陸上競技には関われていない。関われたのは西彼農業の前の国見高校時代だけである。こんな大選手が陸上競技に関われず、教師生活の半分を送っているとは…。
’17年11月17日(金)  午後日吉自然の家の所長に会いに行った。今春日吉自然の家の運営が長崎市生涯学習課から指定管理業者に移管され、私はその運営協議会の委員に任命されたものの、長崎市と指定管理業者の間にはどんな約束事があるのか、特にお金の問題について私は何も知らなかったのでその詳細を聞きに行ったのだ。裏事情を知っておかないと、会議に出席しても意見が言えない。
’17年11月16日(木)  昨日長崎市教委から電話で、私の銀行口座の問い合わせを受けた。先日の日吉自然の家の運営協議会の交通費と謝金を振り込むためだ。この委員の委嘱を受けたときに私はボランティア活動だと勝手に思い込んでいた。というのは、県外県内を問わず、バスケクリニックの大半はボランティア活動だし、学童・保育園・ひがながバスケ・古賀ミニバス等で動き回るのも全てがボランティアなのでその延長と思っていたのだ。ま、お金なんかどうでもいい。この歳になってまだお願いされることがあるというのが「生きる」に繋がるのだから。
’17年11月15日(水)  「できない」にはふたつ理由がある。①コーチから指摘されたことをやろうとしているが下手だからできない。②コーチから指摘されたことがまるでアタマにに入っていないからできない。のふたつだ。①を叱ってはならない。②が度重なる選手には厳しい処置をしなければならない。放置は厳禁だ。
’17年11月14日(火)  9日ぶりのひがながバスケ練習。私のアンテナがまた動き始め、27人の目を洩らさず追う。「この目は大丈夫だ」が見つかるまでにはまだまだ時間がかかる。
’17年11月13日(月)  昨日のクリニックでは示範のために身体をかなり動かしたので、明け方ふくらはぎの外側の筋肉が両方攣った。でも、先週金曜日に予定していた6㎞ランを日吉の会議が長引いてできなかったので今日その穴埋めをした。走る前に腰から右足にかけてジンジンしていたがまたトラムセットを飲むのを忘れていた。仕方がないので今日も痛みを無視してトラムセットを飲まずに走った。すると、走っている間は先週と同じように痛くも痒くもなかった。が、夕方ミニバスの手伝いをしている時に痛くなってきたのでそのタイミングで飲んだ。走る時の方がミニバス指導より何倍も身体を動かすのになあ・・・ウーン・・・ワカラン。 
’17年11月12日(日)  午後から大村でクリニックをすることはずっと前に決まっていたが、鳴見台小学校に4チーム(古賀・上長崎・桜が丘・鳴見台)集まって練習試合をするということを木曜日に聞いたので、今日は午前中鳴見台に顔を出し、 それから大村に向かった。私は短大を退官した時に乗用車(CUBE)を手放し、マイクロバスとスクーターを移動手段にしているが、個人で動く時はすべてスクーターである。125CCなので高速道やバイパスは走れない。滑石→長与→大草→喜々津→諫早→大村と一般道を走って大村に向かった。矢上→鳴見台45分、鳴見台→大村1時間半、大村矢上50分の計3時間5分スクーターにまたがっていた。フウ.........。
’17年11月11日(土)  今日は終日学童まつり(於:稲佐山)の引率手伝い。    今日の稲佐山は寒かったあ~。
’17年11月10日(金)  4月1日付けで、旧日吉青年の家が日吉自然の家という名称に変わり、管理者が長崎市からダイヤモンドスタッフに移管された。私はその運営協議会の委員に任命され、第1回の会議が今日行われた。私は過去、公立中学校教員、長崎市の行政、私立の高校、私立の短大に身を置いたことがあるが、行政側から見た現場と実際に現場で動く者との間には若干のズレがある。それを今回も感じた。果たして私がどんな橋渡しをしてやれるのかしら…。 
’17年11月09日(木)  今日も開始から終了まで古賀ミニバスの手伝いをした。その後矢上方面のこどもたちを家まで送り届け、帰宅するのは午後8時頃の予定だったが、自宅に帰り着いたのは8時40分だった。途中でK高校のM選手からの膝の診察依頼があったので立ち寄ったからだ。診たところ重傷ではなく、おそらく使いすぎ症候群(ジャンパーズニーか?シンディングラーセンか?)だと思う。来週大学病院のDr米倉に詳しい診察をして貰うように手配してから帰った。このような事例に出会うたびに、スポーツ現場に医学的知識がなかなか広がっていかないことに残念な思いをする。スポーツとケガ資料参照。
’17年11月08日(水) 古賀ミニバスは2学期になってから新入部員が増えて現在24人の所帯だ。高城台と矢上にはミニバスがないのでこの両校のこどもたちは古賀小に通ってバスケをしている。練習は月・水・木の週3回である。私は放課後毎日、マイバスで学童クラブつめくさの送迎を手伝ってるので、そのついでに高城台と矢上のこどもたちを古賀小に送ってやる。通常は行きの送りだけだが今週はひがながが期末テスト休みなので矢上方面の子は帰りも家まで送り届けてやる。今日は10人のこどもたちを運び、練習も開始から終了まで手伝った。 
’17年11月07日(火)  今日は最初から走るつもりだったので、学童のお迎えはラン用のウェアーでバスを運転した。2便目(4時)を送り届けた後、そのまま卸団地内の例のコースを6㎞走った(学童もつばさ保育園も卸団地内にある)。走る前にトラムセットを飲むのを忘れていたことに気付いた。腰がジンジンしていたが今更飲んでも間に合わないので今日は飲まずに走った。走っている間は痛くも痒くもなかった。何がどうなってんのかなあ? 
’17年11月06日(月)  今日から13日(月)まで1週間期末テスト休み。だが、私の気は休まらない。6月11日にチームの指導を中島監督主体に切り替えてから、選手の指導だけでなく中島監督も見守らなければならないからだ。それも、出しゃばらないよう、丸投げにならないようバランスを取りながらだから気が休まらない。 
’17年11月05日(日)  第12回南島原杯最終日結果UP  games & schedule 参照。  
’17年11月04日(土)  第12回南島原杯初日結果UP  games & schedule 参照。 
’17年11月03日(祭)  第1回長崎市中学校1年生大会結果報告UP  games & schedule 参照。
2試合目が終了してから次の試合(第10試合)まで3時間以上空くので、その間一旦矢上に戻って卸団地内の例のコースを2周走った。1周目のラップタイムが20分36秒だったので「今日はまたタイムを上げられるぞ」と思ったが2周目にペースが上がらず、トータルで前回のタイムに45秒遅れのゴールとなった。走っている間ずっと1年生大会の試合の様相を思い浮かべ、その試合ぶりに対する怒りをエネルギー源として走ったがタイムは落ちた。クソ! 
’17年11月02日(木)  明け方気分のよくない夢を見た。私の目の前でうごめく選手たちを見ながら「このチームは崩壊するぞ」と思っている私がいるのだ。が、うごめく選手たちが誰なのかは分からない。ひがながの選手たちではない。古賀ミニバスの選手たちでもない。ひょっとしたら「このチーム」と思ったのは「長崎のバスケット」かもしれないし、「日本のバスケット」なのかもしれない。いずれにしろ、私の心の奥底にある思いが夢に現れたのだろう。 
’17年11月01日(水)  12月のコミュニティ体育館は、2日から10日までバドミントンの日韓戦で押さえられていて使えないが、それにプラスして18日までは、夕方5時から7時までの時間帯が何かで押さえられていて使えない。だから、申し込めたのは19(火)・21(木)・22(金)の3回分だけだった。それも当選するかどうか分からない。加えて、12月の前半は体育館の照明工事があるので学校の体育館も使えない。そこで先日視察しておいた上長与体育館に問い合わせたら、前半に数日空きがあることが分かったのですぐにスクーターで走った。すると、2(土)・3(日)・4(月)・7(木)・11(月)・14(木)の6回分確保できた。本当は、3日(日)は11月25日のカップ戦の代休としていたが、5(火)・6(水)・8(金)・12(火)・13(水)の5回分で、日吉も飯盛も多良見も取れなかった場合はオフにしなければならない可能性があるので練習日にした。higa&yamaschedule17参照 
’17年10月31日(火)  25日に6㎞走ってから5日空いた。今日再び6㎞に挑戦した。前回は調子に乗りすぎて死ぬ思いをしたので今日は慎重に走った。タイムを前回より丁度6分縮めた。左膝痛の再発と腰痛の悪化が気になりはするが、今後最低でも週2回は走ろうと思う。ランを再開して今日で4回目だが、走るとコート上でも身体がよく動く。膝痛がある時も自ら動いて指導はしていたが、ラン再開後は動きが違う。膝痛がなくなったせいでもあるだろうがシャッと動けるのだ。ヨシ!
’17年10月30日(月)  先日、トランプ大統領が「国家の恥」としてオピオイド乱用に衛生非常事態宣言を出した。アメリカ疾病予防管理センターによると、オピオイド乱用で2015年には3万3000人強が亡くなっており、現在も死亡者は増え続けているという。オピオイドとは、薬の作用としては麻薬系鎮痛剤と考えてよい。私が使用しているトラムセットは、非オピオイド製剤では治療が難しい場合に用いられる弱オピオイド配合製剤である(ガンによる痛みには効かない)。日本の法律上は麻薬扱いされていない。もちろん依存症にもならない。加えて私は時々血液検査によって肝機能や腎機能を調べているので心配はない。だが、安易に鎮痛剤を使用するのは良くない。最近きれいなピルケースに市販の鎮痛剤を入れて持ち歩く若い女性が増えていて、このような薬の飲み方を「カジュアル飲み」というそうだが、とんでもない。クスリは飲まないで済むなら飲まない方がいい。
’17年10月29日(日)  昨日の午後と今日の午前中、瓊浦高校で中村和雄氏のクリニックが行われた。長崎県協会と長崎市協会共催のコーチ研修会。モデルは少年男子30名だ。大人数だから半分に分けて「そっちの方山崎先生頼むね」と投げられるだろうと思っていたら案の定来た。若いコーチたちがたくさん居たが、「私がやります」と言って出てくる者は居ない。中村氏の指導をメモするよりも、自分も指導に加わる方が勉強になるんだが・・・やっぱり出しゃばりにくいかなあ。気持ちは分かるが・・・。
’17年10月28日(土)  K君は昨日の午前中に病院に行ったそうだ。昨日は練習会場が違って会えなかったので今日足を見せて貰った。シーネ固定されていた。レントゲン写真では骨のかけらが宙に浮いていたが、本体に傷はなかったらしい。K君は過去数回捻挫をしているので、その内のどれかが剥離骨折を伴っていたのだろう。今回の捻挫時の剥離骨折ではないと思う。今後の痛みの引き具合にもよるが、まあ4週間はできないだろうなあ。
’17年10月27日(金)  第1回1年生大会及び第12回南島原杯参加案内UP  games & schedule 参照。
’17年10月26日(木)  今日はコミュニティ体育館のAB両コートでひがながの男子と女子が同じ時間帯で練習した。6時過ぎ、男子のK選手がスリーメン速攻のフィニッシュの時ディフェンダーの足に乗って捻挫した。今日男子の指導は監督のM先生が出張で顔を出せず、代理のY先生が務めていた。私は代理のY先生に任せっきりにせず、足首の状態を診てM先生とKママに電話し、「典型的な前距腓靱帯損傷だろう、骨折を伴っているかどうかここでは判断できないが、今から病院に連れて行っても今日はX線撮影はできないしどこの病院でも応急処置しかできない。どうしても心配なら大学病院の救急外来に行くしかないが、高い時間外診察料を払ってそこまで処置を急ぐケガではない。今夜痛み止めを飲んで我慢し、明日の朝病院に行きなさい」と指示した。念のため夜9時過ぎにKママに電話して様子を聞いたら、30分ぐらい前にイブプロフェンを飲み、今はもう眠そうにしているということだった。私は夜中に痛むようだったら6時間経過していなくてもまたイブを飲ませていいから眠れるようにしてあげなさいと言って電話を切った。さて、貴方ならこんな時どんな指示を出す?
追伸:昨日の6㎞ランのダメージが残っており、朝起きる時身体が鉛のように重たかった。 
’17年10月25日(水)  8月16日に4週間分貰ったトラムセットが残り2錠になったので、今朝大学病院に行ってクスリを出して貰った。診察中Dr宮本から「また走り始めたらしいですね」と言われた。私は19日付けのブログの内容について述べ、「自分でも自分の身体に何が起こったのか分からないんですよ」と言った。生き物の身体で軟骨はもっとも再生しにくい部位だからだ。Dr宮本は「先生の身体は、私たち医師が長年研究して積み上げてきた常識を覆すから困るんですよ」と言った。そんなこと言われたって、痛くないものは痛くないもん。Dr宮本の診察とは関係なく、今日は走るつもりだったので午後から走った。コースは矢上の卸団地1周3㎞(図中の赤色のライン)のコースを2周。6㎞だ。500㍍走ったところで「ダメだ今日は!」と思った。でも、やり始めたことを途中で投げ出すのは山崎純男の流儀に反する。死ぬ思いをして完走(完歩?)した。47分32秒もかった。その結果、俺はマグロでもゾンビでもなく普通のじいさんだということが分かった。フウ・・・ 
’17年10月24日(火)  昨日の練習の途中で私はいたたまれずに練習を放棄して体育館から外に出た。鶴鳴時代も含めて、選手を帰した事や練習を途中で打ち切りにしたことは何度もある。しかし、自分が体育館から出て行ったことは・・・あると思うがいつ頃だったか思い出せない。そんな時私は「お願いします!お願いします!」と、選手が私に取りすがって懇願する芝居がかったパフォーマンスは大嫌いなのでさせない。昨日はふて腐れてそのまま帰ったのではない。中島監督が会議か何かでまだ体育館に姿を見せていない間の出来事だったので、外でしばらくアタマを冷やした後、中島監督が姿を現すだろうと思われる時刻を見計らって体育館に戻り、事情を説明した。今日もまだ、私の怒りは治まっていない。 
’17年10月23日(月)  11月は2日(木)だけ体育館が取れていない。21日のコミュニティ体育館キャンセル待ち解禁日からずっと当たっているがキャンセルは出ない。日吉自然の家に問い合わせたら、半面なら空いている。長与町の洗切小学校のすぐ近くに上長与体育館というのがあるという情報を得たので電話で問い合わせをした。すると、毎月ほとんど詰まっているが、2日はたまたま午後4時から6時までなら空いているという返事だった。初めての情報だったのでスクーターで視察に出かけた。間の瀬(まのせ)経由で県道45号線を走って片道12.9㎞。23分かかった。日吉自然の家までとほぼ同じ距離だ。体育館の中を見たら縦に1面ちゃんとしたバスケットコートが取れる。料金は、体育館使用料が1時間210円、照明使用料が1時間210円だ。コミュニティ体育館に次いで安い。しかし、4時から6時であれば、移動時間を計算すると約30分しか練習できない。今回は、今後のための視察だけに留めた。あとは、飯盛体育館と多良見体育館の解禁日(25日)を待って問い合わせをし、そこが空いていなければ最終的に日吉自然の家の半面を申請することになるかもしれない。 
’17年10月22日(日)  今日はC練(13:00~15:30)割当。だが、変則練習になった。本隊8人は午後から中島監督のクルマで喜々津中学校に行って練習試合(4チームで)。残りの19名は私の指導の下で割当通りのC練。現状では試合に出せるのはせいぜい8名。他はまだまだ試合に出せるレベルではないので、部員全員を練習試合に連れて行くのは無駄なのだ。おかげで今日は、日頃痒いところに手が届く指導をしてやれない連中をみっちり指導してやることができた。たぶん、今日ひがながの練習を見に来た人が居たら「こんな選手たちをここまで追い込むのか!」と思ったに違いない。これが山崎流なのだ。だが、どんなに未熟な選手たちの指導であっても私の口から「ナイス!」と「OK!」が出ない指導はない。それが山崎流である。 
’17年10月21日(土)  今日はD練(15:30~18:00)割当。土・日の午後3時半に選手を呼び出して練習するのも酷なので、土・日・祭のD練割当日は基本的にオフとしている。というワケでな~んにもすることがないので、台風の影響による風が少し治まった午後から走ってみた。今日は3㎞ではなく5㎞走った。私の祖先はゾンビなのか人類なのかを確かめたかったからだ。今日は完走が目的なので用心してゆっくりペースで走り出した、1㎞毎にチェックしたら1㎞7分10秒台だ。これでは遅過ぎるので最後の1㎞だけ少しスピードを上げ、なんとか35分台で収めた。走り終わったあと路上に這いつくばることもないし、息切れもしなかったので今後はもっとペースを上げて5㎞走れると思う。今日の結果から私の祖先がゾンビなのか人類なのかは判定できなかった。ランの時私は携帯をSPIBELTで腰に装着して耳にはBLUETOOTHイヤフォンを付けて走る。誰から電話がかかってきても取れるようにするためだ。今日は1㎞走ったところで着信音がなった。走りながらイヤフォンのボタンを押したが応答がない。走り終わったあと着信履歴に残っているKさんに折り返し電話したら「あ、ポケットに入れていたスマホが何かの拍子に勝手にリダイヤルしたのかもしれい」と言う。コラ~!
’17年10月20日(金)  金曜日は隔週で体育館を使えない日があり、その日はオフとしている。今日はオフだ。午前中つばさ保育園と橘小学校の交流学習の手伝いをして、午後学童の送迎をしたあとは何もすることがない。走ろうかなと思ったが、続けて走るのは身体に良くないと思い、今日はよした。 
’17年10月19日(木)  今日は学童の送迎が終わった後古賀ミニバスの送迎がないのでひがながバスケ指導まで時間が空く。だからまた3㎞走った。図1は膝関節の軟骨の状態を示す図(図2の②の部分)である。左端のステージ0は隙間が明瞭で軟骨がピチピチしている。右端のステージ4は軟骨がすり減って上下の骨がゴツゴツ衝突する。図1は膝関節の状態だが、私の膝は図2の①のように、膝蓋骨(サラ)と大腿骨の間の軟骨がすり減ってステージ4の状態なのである。関節面全体ではなく、膝を約30度曲げた状態で互いにぶつかる部分の軟骨がすり減ってツルツルなのでその角度で踏ん張るとピキッと痛むのだ。それを緩和する手術を私は2013年3月に受けた。しかし、30度で痛む症状は残っており、ランや審判の時は競歩に近い走り方をしていたし、ジャンプショットやランニングシュートの指導は痛くてやれなかった。ところが、1昨日走った時は普通に走ることができ、痛みがなくなっていたのである。不思議だ。私の祖先はまぐろではなくひょっとしたらゾンビなのかもしれない。私の腰痛は実は骨盤痛であって、これは手術したらまったくバスケ指導ができなくなるので手術はしない。もし祖先がゾンビならこれもいつの間にか痛くなくなるだろう。 
’17年10月18日(水)  昨日コミュニティ体育館で中島監督が「こんなことを考えたんですが」といって試作品を選手にやらせた。しかしうまくいかない。それは中途半端なまま打ち切りにし、中島監督は「明日、山崎先生が修正してくれるだろう」と言って次のメニューに移った。今日はその後始末をしなければならない。中島監督が強調したいのは①アウトレットパス②ギブアンドゴー③アウトレットパスを受ける際の身体の向きの3箇所だと思ったのでそれをイメージしながら修正版を作ってみた。こんなもんでよかったかなあ? 
’17年10月17日(火)  午後3時頃マイクロバスで学童の送迎をして、そのあとひがながバスケの指導に行き、そのあとわずかな時間ではあるが古賀ミニバスの手伝いに顔を出す、というのが私の日々の生活サイクルである。今日は学童の人数が少なく、学童専属の運転手さんだけで送迎が間に合うと言われ、私の出番がなくなった。時間が空いたので「じゃ、久しぶりに走ってみるか」と思い、いつもの3㎞コースを走ることにした。5月に腰痛が再発して以来ほとんど走っていない。でも「まあ、なんとかなるだろう」と思って走り出した。走ったあとの感想は「75歳を過ぎたのに、時間が空いたからといって思いつきで走ったりするもんじゃない」だ。死ぬ~
’17年10月16日(月)  今年のウィンターカップ予選は佐世保が主会場なのだが、準決勝以降は長崎市民会館に場所が移された。テレビ中継の関係だそうだ。私は女子準決勝の全てと決勝のハーフまでを観て矢上に戻った。学童のこどもたちの送迎があるのでどうしても2時半には戻らなければならなかったからだ。だから、女子決勝の結果がどうなったかは知らなかった。しかし、会場に居たN氏が残り15秒、佐世保南が80-79でリード、しかも佐世保南のスローインという状態から試合終了までを携帯で実況中継してくれた。結果は鶴鳴が82-80で勝った。試合直後から夕方8時までの間に何人もの人から「おめでとうございます」という電話やメールを頂いた。私は、鶴鳴を辞めた瞬間から立場はフリーで鶴鳴バスケには一切口出ししていないと、事ある毎に言い続けているが、世間はそう思っていないらしい。9年ぶりの鶴鳴の勝利に素直に「おめでとう」のエールは送るが、私の本心は鶴鳴に限らず県外に出して誇れるチームが勝ってくれればいいと思っている。もっとも観たくないのは、コーチの哲学や人生観が選手に染みついていないチームである。
’17年10月15日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。今日は終日雨だったので練習後は家に引きこもり、1歩も外へ出なかった。夕方5時半から上海オープンテニスの決勝をBS1で観た。フェデラー選手の試合はいつも、試合後のインタビューまで観る。フェデラー選手の風格と落ち着きが大好きなのだ。 
’17年10月14日(土)  時津長与杯最終日結果報告UP games & schedule 参照。動画参照。 
’17年10月13日(金)  今日はつばさ保育園のつきぐみ・ほしぐみのこどもたちをバスで金比羅山に連れて行く予定だったが、金比羅山には今ハチがブンブン飛び回っているという情報を得たので急遽行き先を変更して諫早市の白木峰町にある"こどもの城"に行った。私はこどもたちが遊んでいる間にとんぼ返りして歯医者に行き、治療後またこどもの城に戻った。私が戻った時こどもたちはすでに昼御飯を食べ終わり、近くのダム湖に遊びに行っていた。後を追いかけたが、私がダム湖に着く前にこどもたちは帰り支度をして上がってくるところだった。というわけで今日は画像を1枚も撮れていない。 
’17年10月12日(木)  昨夜聞いたのだが、ひがなが男子バスケも毎月コミュニティ体育館を申し込んでいて、これまでほぼハズレなしで取れていたのだが、11月は3回しか取れていないらしい。おそらく長崎市が11月から12月にかけて公立の小・中学校体育館の照明工事をするので、体育館を使えない学校がこの時期に集中し、それらの申込みが殺到しいるからだろう。今日あちこち当たった結果、取れなかった21(火)・28(火)・30(木)の3回分は確保できたので、2(木)・14(火)の2回をなんとかすればよい。少し楽になった。
’17年10月11日(水)  毎月11日は翌月のコミュニティ体育館使用申込の当落通知日である。11月分は7回申し込んだ内16(木)・24(金)の2回だけが当選で、2(木)・14(火)・21(火)・28(火)・30(木)の5回はハズレだった。史上最低の当選回数だ。今後コミュニティ体育館キャンセル待ち解禁日(21日)・飯盛体育館申込解禁日(25日)・日吉自然の家申込解禁日(使用希望日の1ヶ月前)をしらみつぶしで当たっていかなければならない。 
’17年10月10日(火)  ひがながはテスト前休み。学童の送迎も人数が少なくて今日は私の出番はない。パソコンの調子がおかしくなったので午後3時過ぎにまた短大の森教授のもとに持って行ったがパソコンはこのまま数日入院だ。そのあと午後7時に茨城からのお客さんである松山夫妻(成井千夏のミニバス時代のコーチ)と7時に街でギョーザを食うことになっていたのでそれまでの時間潰しをしなければならない。まず鶴鳴の三根監督に電話をしたが今日は午後7時から練習するという。それでは間に合わないので長崎西ならやってるかも知れないと思い、アポなしで突然長崎西を訪問した。男女とも練習していた。そうやって時間潰しはできたが、長崎西を出て7時前に浜町のバイク駐車場に着いた時、サイフを含めすべてが入っているポーチを長崎西の体育教官室に置き忘れてきたことに気が付いた。戻る時間はない。宝雲亭で真っ先にその事情を述べ、ギョーザ代もバイクの駐車代もすべて松山氏に支払って貰って久々の出会いは成立した。バカぁ! 
’17年10月09日(祭)  山里中で長崎市選抜の1・2年生の練習が行われると聞いたので様子を見に行った。すると、隣のコートで練習していた桜が原中(大村市)と山里中の合同練習の指導を依頼されてしまった。そこで膝にサポーターを着けている選手が目に留まった。状況を聞くと膝の手術をしたらしい。「前十時靱帯か?」と聞いたがそうではない。本人はうまく説明できないが、ことばを繋ぎ合わせるとどうも膝蓋骨亜脱臼症候群のようだ。受けた手術はおそらくロードではなく外側解離だろう。以前、鶴鳴時代に同じ症状の選手が居たがこの選手の手術はロードだった。膝蓋骨亜脱臼症候群はQ-angleと関係しているが、これは身体の造りに由来するから根本的な治療は難しい。症状が出ないようにする筋トレやフォーム矯正など、日常の行動に気をつけるしかない。また、選抜チームには1人貧血の子が居た。これは、鉄剤を服用すればすぐ治る。いずれにしろ、コーチたちはケガや病気のことを医師まかせにせず、日常の選手の動きに注意(10月1日のブログ参照)して重症になる前に対処する力も身につけて欲しい。
’17年10月08日(日)  今日から10日までひがながバスケはテスト前休み。私は古賀小・愛野小・鳴見台小の3チームが集まって鳴見台小学校でやる練習試合を観に行った。古賀小は最近練習しているプレイ(#15のプレイに注目)が試合中にしばしば出る。昨日のブログで述べたが、ひがながバスケはなかなかそれが出ない。両者を比較して言えることは、古賀小には練習したことを理解して試合で実践しようとする選手が約3人居る。それが他の選手にも波及しているのだ。ひがながバスケは柱とならなければならないカエデとモモハがまだ不安定なので、この2人から他の選手に波及していくプレイが少ないのである。解決法は…根気強く教え込むしかない。
’17年10月07日(土)  時津長与杯初日結果報告UP games & schedule 参照。※2日目(最終日)は1週間後の14日(土) 
’17年10月06日(金)  最近、朝から新聞のスポーツ欄を真っ先に見る。愛媛国体の結果が気になるのだ。私は1996年(H8)から2015年(H27)までの18年間、競技力向上対策本部育成強化推進委員を務めた。この間、頭の中を占領し続けていたのは天皇杯・皇后杯の順位のことばかり。国体は開催年度の天皇杯が取れればいいのではない。開催年以降、その財産が残っていかなければ、開催年度天皇杯獲得の価値は薄れてしまうのだ。3年前の国体開催年は天皇杯1位、皇后杯2位だった。翌年の和歌山国体では天皇杯17位、皇后杯20位。翌々年の岩手国体では天皇杯28位、皇后杯35位だった。今年の国体(長崎国体後3年目)で天皇杯30位台に陥落というのは何としても避けたい。今日から後半戦、残る12種目の選手たちの健闘を期待する。 
’17年10月05日(木) 

つばさ保育園の久住登山が天候不良で中止になり、私もバスも長崎不在ではなくなったが、どこの体育館を当たっても空きがないのでひがながバスケは止む無くオフ。なので今日は古賀ミニバスの開始から終了まで手伝った。ところで佐世保のE氏からさっそく昨日の回答が来た。いろんな視点があるもんだ。
SHOOTING: 骨格・筋力・体幹・関節の可動域・重心の位置などを確認してフォームを修正します。
【キャッチ】ターゲットハンド、ソフトハンド、脱力、指を常に立てておく。
【セット】位置固定、毎回同位置、ヒジがボール下、反動禁止。
【ストローク】反復重要、軌道70度前後(個人差あり容認)、イマジナリーライン。
【スナップ】指を弾く、指先からボールが放たれるまでボールが転がる感覚、手首を返す事を強調しない。
【クイックリリース】速やかなセットが最重要、距離調整は足の力、目標0.4秒。
【フリーフロー】重心位置重要、完全ストップ、垂直に飛ぶ(着地前方15㎝以内)、下半身の力を上半身へ、
【フォロースルー】リリース後は人差し指がリングの真ん中を指す、リリース後は動作確認の為2秒固定。
【ポスチャー】肩が平行、左右均等、重心位置を確認する。
【ボール】ブランド別で重さと表面の材質が違うことを研究する。  

’17年10月04日(水)  中島監督から「T選手のシュートがすっぽ抜けたようになるのはどうにかならないですかねえ」と相談があったので診察して処方した。①掌にべったりボールが張り付いている。②リリースの時に5本の指先でボールを掻いていない。この2箇所を直せば良い。ただし、ボールはフワッとではなく強く壁に叩き付け、跳ね返ってきたボールは直球で元の手の位置に戻らなければならない。なお、この動作の最初から終わりまで、肘の位置と左手は構えてからりリース後まで絶対動かさない。シュート改造は膝の使い方を主体にやる場合もあるし、リリースに至るまでの一連の動作に手を付ける場合もある。さまざまだ。T選手の場合はこの部分だけ改良すればよいと思ったのでここを取り出した。他に、「私はこのような方法で直しました」という事例があれば是非ご紹介いただきたい。 
’17年10月03日(火)  時津長与杯参加案内UP games & schedule 参照。   
’17年10月02日(月)  このところ、パソコンを立ち上げたらこんなメッセージが出てきて、それを無視すれば先に進めないので強制終了して立ち上げ直さなければならない。立ち上げるとこんなメッセージが毎回出てくる。それがイヤなので正常に起動していた頃に戻そうと思い、システムの復元をしようとすると「それはできません」というメッセージが出てくる。いろいろやってみたが私の力量ではどうにもならないので長崎女子短期大学生活創造学科ビジネス医療秘書コース内の森医院に入院させた。夕方院長からメールで「修復しました。退院していいですよ」と回答があった。LabaSoftのweb Companionというソフトが邪魔していたらしい。それを起動時に開始しないように設定したので大丈夫だそうだ。今年1月にインストールされているようだが、そんなソフトをインストールした覚えはない。明日退院させて貰う。森先生ありがとうございました。 
’17年10月01日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。そのあと、2週間後に迫った県大会予選に向けての古賀ミニバスミーティングに顔を出した。アドバイスも何もしない。ただ見ているだけ。コートでちゃんとプレイできる選手はビデオを見る目もノートをとる顔つきもシャキッとしている。午後は古賀小の体育館に移動して練習をしたのでそれも見学した。膝が内折れ(knee in)する選手が気になり、動画に撮って正常な選手と比較して本人に見せたら「エー、私こんなに膝がハの字になってるの?」と驚いていた。将来スポーツ障害に繋がるような悪いクセは小学生時代に矯正しておかなければ、高校生になってから治そうとしてもなかなか治らない。 
’17年09月30日(土)  ここ数年、バスケ行事と重なって観に行けなかったつばさ保育園の運動会を久しぶりに観に行った。私は可愛いこどもたちの演技や競技よりも、職員の目配り気配り動きにどうしても目が行ってしまう。いつまで経っても管理職気質が抜けない。 
’17年09月29日(金)  今日はひがなが祭(文化祭)。体育館割り当てがない日なのでバスケ部はオフである。ひがなが祭では、今年初めてコッコデショ(長崎くんちの有名な出し物)を演るというのでそれをカメラに収めに行った。矢上くんちでもコッコデショを演るそうで、最近そこの長老たちが毎日ひがながに教えに来ていた。これで後継者不足も解消。長老たちも張り切っていた。 
’17年09月28日(木)  昨日の朝、起きたら踵が痛かった。「エ!こんなとこに通風発症?」と思ったがすぐに通風とは違うことに気が付いた。1昨年の3月、同じ症状で楢林医院に出かけたことを思い出したのだ。この時は左足の踵で、診断は「小さな骨棘の骨折があるのかもしれないが、単純X線撮影ではよくわからん」だった。ロキソニンを服用しながら様子を見ることにした。同月の月末の倉敷と山口のクリニックまでには痛みはなくなり、無事両方済ませた。私の身体はこうして、あちこちの修復工事をやりながら使用され続けるのだろう。 
’17年09月27日(水)  「今俺が言ったことをもう一度繰り返してみろ」と言えばほとんどの選手は固まる。または、答えてもとんちんかんである。ひがながの選手だけではない。この兆候は若者の間で年々顕著になってきている。日頃、相手(教師であったり、コーチであったり、親であったり)が話すことばの中からキーワードを外さないように聞き取る習慣や、相手の意図を汲み取って行動する習慣が身に付いていないからである。 
’17年09月26日(火)  クリニックをしたあとは夜中に時々足が攣る。今日の明け方は右足のスネ(前脛骨筋と腓骨筋)とふとももの裏(ハムストリングス)が同時に攣った。同じ側が攣るのなら対処は簡単だが裏(屈筋)と表(伸筋)が同時に攣るとやっかいだ。昨日の対象は手取り足取りのレベルが多かったので、普段より多くの筋肉を使ったのだろう。 
’17年09月25日(月) 1昨日とどろき体育館で練習した時、諫早中の浦山監督から「あのー、月曜日は運動会の代休でバスケ部は午前中に練習するんですけど…」と水を向けられた。私は「分かった、行くよ」と答えた。というわけで今日の午前中は諫早中女子の指導に出かけた。私のクリニックは、どこでやっても、対象がどのカテゴリーであっても、パス・ドリブル・シュートの基本技ドリルや動きの種類のドリルはやらない。①空き地の作り方と探し方②動き出すタイミング③待ち時間、この3つを最優先事項として仕込む。だから私のクリニックは身体の訓練ではなくアタマの訓練が主体になる。もちろん、初めて私から教わる諫早中の女子が、たかだか3時間弱で私の意図を汲み取れるわけがない。それは想定範囲内。しかし、いつかどこかで「そういえば山崎先生がこんなことを言っていたぞ」と思い出してくれればいい。 
’17年09月24日(日)  ひがながバスケはオフ。今日は終日フープガールズカップ(於:小榊小学校)に参加する古賀ミニバスの手伝いをした。マイクロバスでの送迎とB戦の審判だけだと思っていたが、昼休みに実施した大人の部のフリースロー大会に駆り出された。分をわきまえて行動しないと恥をかくということを再確認した。ところで、古賀ミニバスが変わった。練習でやっていることを意識して試合ができるようになったのだ。中学生や高校生でさえ、練習でやったことを試合で出せるようになるまでには時間がかかる。なのに古賀ミニバスはそれをやれるようになった。これまでと何が違うのか?意識だ。全員の意識が変わったワケではない。数人の意識が変わり、それがチームに伝播していった。組織とはそういうものだ。でも、10月14日の県大会予選に間に合うかなあ…
’17年09月23日(土)  今日と明日は、ひがながの体育館がバレーボール大会の会場なので使えない。明日のバスケ部使用割当はD錬(15:30~18:00)。土・日・祭のD錬割当は原則オフにしているのでバレー会場であっても差し支えないが今日は練習できる場所を探さなければならない。諫早の野田氏に電話したら「私もとどろき体育館を借りているのでもうひとつ他のチームを呼んで練習試合をしましょう」ということになった。有り難い。しかし、敵もさるもの。「折角ですから、2周りしたあと残りの時間でクリニックをしてください」となった。お安い御用だ。が、何をやったかは秘密。 
’17年09月22日(金)  金曜日は隔週で半面割当ありで、割当ありの日は女子バスケがコミュニティ体育館に出かけ、フルコート男子バスケに譲っている。割当なしの日は女子バスケはオフである。今日は割当ありの日だがコミュニティ体育館が取れなかったので学校で練習した。女子バスケが外に出て行ってくれれば男子バスケはフルコートを使えるのだが今日は男女で半面ずつ。来月13日(金)も同じで2回続けて男子には窮屈な思いをさせる。ところで、9月8日のブログで体育館の照明工事のことを述べたが、その工事の日程が今日分かった。11月30日から12月15日までの期間のどこかの10日間で済むそうだ。ホッ。higa&yamaschedule17参照 
’17年09月21日(木)  コミュニティ体育館申込当落の通知日である11日の時点で、来月は5回分が当選だったが残りの4回分がハズレだった。それが分かってからすぐに日吉自然の家や古賀市民センターに問い合わせをしたが空いてない。すると21日のコミュニティ体育館キャンセル待ち申込解禁日を待つしかない。今日の朝8時半にパソコンを立ち上げ、市の公共施設借用申込のHPが開かれるのを待った。通常、公共施設の開館や事務作業の開始は午前9時と決まっているが、8時40分にキャンセル待ちの画面がオープンになった。すぐに空き状況を検索したら、ハズレだった4回分がすべて空いていたのでしかさず申し込んだ。ということで来月はハズレなし。ヤッタ!higa&yamaschedule17参照 
’17年09月20日(水)  ケガ4件。小池カップで相談があった2件の内、1件は今日の電話問診の結果問題なし。もう1件は練習軽減後、月末に様子を報せてもらう。今日新たに2件。1件は触診の結果、おそらく左足ヒラメ筋起始部の炎症で強い負荷をかけなければ知らぬうちに元に戻る。もう1件は県外からの相談で、電話問診の結果鼻骨骨折疑いあり。直接顔を見ていないので確たる回答はできないが、女の子だからできるだけ早く形成外科受診が望ましいと言った。フウ…自分の腰も治せないのに..... 
’17年09月19日(火)  昨日、徳島の富田先生(65歳:昨年城北高校監督を引退)が今年から四国大学のコーチに就任したと聞いた。そこで宇部からすぐ仁愛高校の中池監督に電話をさせた。「鶴鳴正月合宿に必ずチームを連れて来いと山崎先生が言ってるよ。連れて来なければ今後仲間外しだって」。倉敷翠松の平松先生(昨年引退して今は地元のミニバス指導をしている:72歳)、現仁愛高校監督の中池先生(元福井商業監督:66歳)と私を加えた4人はもう20年以上の付き合いになる。その繋がりで、私は鶴鳴を辞めたあと、チーム引率じゃなくても個人で5月連休の倉敷カップ(今年から宇部カップに移行)、9月の小池カップ、正月の鶴鳴合宿には必ず顔を出してきた。今年の5月に私は後期高齢者の仲間入りをしたがまだ指導(東長崎中)の現場に立っている。私がこうして現場に立ち続けている以上、この3人には「もう、歳ですから」とは言わせない。
’17年09月18日(祭)  小池カップ最終日。スクリメージは午前で終わったが、午後は居残りの慶進・光・鶴鳴3チームのクリニックを4時半までやった。テーマは3者3様に手直し箇所が違うが、3者に共通する箇所は「シュートにいってよい(いくべき)場面とは」なのでそこに焦点をしぼってやった。2時間半では時間が足りなかった。 
’17年09月17日(日)  小池カップ2日目。今日の懇親会は、私が提案して先月のブロック国体で岡山・広島の2強を破って本国体出場の大快挙を成し遂げた村谷HC・山本AC・今田AC3人の祝勝会に切り替えて貰った。先月21日のブログでも述べたが、私が知っている山口選抜に岡山と広島の両方を破る力はどうひいき目に見てもない。それをやっつけてしまったのだ。だから、快挙ではなく大快挙なのである。本国体でも思う存分暴れて欲しい。
’17年09月16日(土)  道中何事もなし。ま、台風の時速の6倍くらいの速さで北北西に走っているのだから当たり前のことだが。試合は、徳島城北と高松南の四国勢の2校からキャンセルがあっただけで他はすべて参加した。四国と本州をつなぐ橋が台風で通行止めになるから仕方のないことだが、同じ四国勢でも高知県の岡豊(おこう)高校は参加した。岡豊高校は明日から大分で開催される総合選手権2次予選に参加するため、昨日夕方出発したのでセーフだったのだ。岡豊は午後3時の試合をしたあとすぐ陸路大分に向かった。明日、那覇高校と対戦する前に台風と闘わなければならない。午後1時頃、仁愛高校(福井)の中池監督から電話があった。「授業が終わって今から出発するんですが、台風どうですか?」と言うから「台風ごときに負けるようだったら来るな!」と言った。午後4時頃電話したら返事は「今中国道から山陽道に入ったばかりです」だった。ヨシヨシ。
’17年09月15日(金)  明日から3日間、宇部市で毎年恒例の小池カップが開催される。問題は台風18号だ。公共の体育館が閉鎖となったので、主催者はてんてこまいだが、会場を高校の体育館に変えたりして開催することは決定した。四国から参加予定の2チームがキャンセルした。なあに、十数年前の9月の倉敷遠征後、北上する台風と対決しながら長崎に辿り着いた経験があるのでなんということはない。その台風は、私とすれ違ったあと倉敷を直撃した。明日朝7時出発だ。
’17年09月14日(木)  今日は終日、1年生はハウステンボスでのイングリッシュキャンプ参加のため不在。2年生は修学旅行で不在なので学校はガランとしていた。今日のひがながバスケはコミュニティ体育館で練習する日だが、6台のバスを連ねてハウステンボスから1年生が帰ってくる時間帯を避けて私のバスで迎えに行った。1年生だけでの練習は今日が最終日。練習だけではなく、準備や諸連絡まですべてを任された彼女等がやることは手抜かりばかりだった。加えて練習では、主力選手同様私からの容赦ない檄が飛ぶ。目がテンになる選手も居たが、自分を知るには良い4日間だっただろう。 
’17年09月13日(水)  こどものことについて2日連続で述べたら、F県のYママから「こども(幼稚園の年長)が急に"幼稚園に行きたくない"と言い出したんです。"ドキドキするから"と言うんですが、行けば楽しく過ごして帰ってくるんです。どう対応したらいいでしょうか」と相談があった。こんな事例は短大の幼児教育学科に奉職していた頃から数えれば枚挙にいとまがない。Yママへ何と回答したのかここでは述べないが、世の若いママたちへこの事例に乗っかって次のようなメッセージを送りたい。「こどもを溺愛するのではなく、こどもの成長を辛抱強く待ち、こどもと一緒に闘い、こどもと一緒に弾け飛ぶママに成長して欲しい」。ママが成長すれば必ずこどももママと一緒に成長するのだから。 
’17年09月12日(火)  丁度良い事例が起こったので昨日の続編を話す。私はひがながバスケの指導前にほぼ毎日学童クラブの送迎の手伝いをする。3時の1便で真っ先に乗り込んできた子が助手席に座り、ランドセルを肩から外し、持っていた傘を足下に起き、ちょっと戸惑ったあと手に持っていたビニールゴミをポイと足下に捨てた。学童クラブに到着した時、その子はそのゴミを放置したままサッサと降りようとしたので私は、「ちょっと待て!ボクは最後に降りなさい」と言って待たせた。残りのみんなが降りたところで指導員を呼び、事情を説明して「どうします?」と問うた。鶴鳴時代に同じようなことがあった。放課後、職員室の廊下からたまたま下を見たら中庭で近所のこどもたちが遊んでいる。1人の女の子がポケットからキャンディを出して口に入れた。私はその子がキャンディの包み紙をどうするかジッと見ていた。するとその子は何の迷いもなくそれをポケットにしまい込んだ。私は心がほっこりした。この両者はほぼ同じ年齢のこどもである。何が違うのか。生い立ちである。それまでにこの子に関わってきた大人が、自ら正しい行いを示せる大人であったかなかったか、こどもが悪い行いをした時にキチッと叱れる大人であったかなかったか。それにより違いが出る。また、こどもに大人の振るまいを見て学習する資質があったかなかったか、おとなの叱責を素直に受け入れる資質があったかなかったか。それによっても違いが出る。いずれにしろ、今日のバスの中で起こったような出来事に遭遇した時、大人が命懸けでその子に接することができるかできないかで、日本の未来が決まるのである。 
’17年09月11日(月)  2年生が修学旅行に旅立ったので今日から4日間1年生だけの練習である。間抜けさが目立つ。1年生だからではない。これは鶴鳴時代からずっと思っていることだが、間抜けな若者が年々増えている。理由は時代の流れだと私は思う。私は現在75歳。満州生まれで、戦争の悲惨さや引揚者の辛さを鮮明に覚えている最後の生き残り世代である。私たちの少年期は、飢えに耐え、貧しさを苦とせず、親や教師から教えてもらわなくても自ら活路を見出す知恵を身に付けなければ生き延びられない時代だった。現代社会は、若者たちだけでなく、その親の世代も含めて、逞しく生き抜いて行く術を誰かが教え込み、それを体験させなければ、自らそのような知恵を身に付けられる時代ではなくなったのだ。それを教え込み、身に付けさせるのは、戦後の苦難を自ら切り開いてきた我々70歳以上の人間の責務である。そうしなければ日本はやがて滅びる。
’17年09月10日(日)  午前中は長崎市会長杯2日目の手伝い(コミッショナー 於:桜馬場中)に行った。そのあとひがながバスケのC錬(13:00~15:30)の指導をした。昔から私は、練習の終わりに一言喋ることはしない。が、今日は一言喋った。「明日から14日まで2年生は修学旅行。15日はオフ。16日から18日までは俺が不在なので、2年生は合計8日間俺の顔を見なくて済む。その間思い切り羽を伸ばせ」。モモハの顔から笑みがこぼれた。 
’17年09月09日(土)  長崎市会長杯結果(初日で終了)UP games & schedule 参照。   
’17年09月08日(金)  現在、長崎市は学校の体育館照明施設の工事を順番で実施しているそうである。単なる球切れの修理ではなく根本的な工事だから時間がかかるらしい。ひがながの体育館工事の順番が10月28日から12月17までだということが今日わかった。その間、体育館の部活だけでなく、体育館での体育の授業もできない。そうなれば、コミュニティ体育館や日吉自然の家だけではなく、以前のように学校周囲のランも復活させなければならないだろうし、他校にお世話にならなければならない日も出てくるだろう。また一仕事増えた。 
’17年09月07日(木)  来週16・17・18の3連休と再来週23・24両日の練習のことで情報が2転3転し、その調整で終日振り回された。higa&yamaschedule17参照。 
’17年09月06日(水)  朝起きてまず調べるのは「今日はトラムセットやロキソニンは要るかな?」である。その時①「今日は要らないだろう」②「今日はトラムセットだけ要るかな?」③「今日は両方要るかもしれない」と、判定は3つに分かれる。予想は②だったのに①で済んだとか、結果も様々だ。今日は予想が③で結果も③だった。そして、バスケ指導はバリバリやれた。 
’17年09月05日(火)  中島特別注文第2弾。しかも2題。欲張りなヤツ!それを、私のイメージで私がやるのなら簡単だが、「彼はこんなことをイメージしてるんだろうなあ」を描きながらやるのが難しい。「そんなこと、大人同士なのだからことばのやりとりでイメージは把握できるだろう」という人がいると思うが、ことばで互いの思いがすべて伝わると思ったら大間違いだ。特別注文第1弾も第2弾も、山崎作品ではなく中島作品として彼にも選手にも浸透させなければならないので、クリニックとはまた違った気遣いが要る。フ~
’17年09月04日(月)  長崎市会長杯参加案内UP games & schedule 参照。  
’17年09月03日(日)  先月30日から今日までひがながバスケはテスト前オフだった。その内、30と31は城コーチ不在のため古賀ミニバスに全力投球だったし、今日は古賀小に橘・西浦上・愛野の3校が集まって練習試合をするので午前中はそれを観に行った。午後は1時から5時まで大村でクリニックをやったので、バスケットと無縁だったのは1昨日と昨日の2日間だけだ。毎日のひがながバスケ指導やクリニックから帰ったあとは疲れてぐったりするが、退屈なのを2日連続でがまんするよりは疲れてぐったりする方がはるかにマシだ。 
’17年09月02日(土)  homepagebuilder21を立ち上げる時に一瞬出る変なメッセージは表示時間が1秒もないので何と書いてあるのか分からない。だから、連続撮影でその瞬間をデジカメに収めた。すると下記のように書いてあった。
サイト設定または転送設定の情報が壊れています。「はい」を選択して以下のフォルダを削除したあと、設定しなおしてください。必要なファイルは「はい」を選択する前に別のフォルダにコピーしておいてください。
C:\Users\純男\AppData\Roaming\Justsystem\Homepage Builder Version 21\site削除したあと
このフォルダを削除しますか?「はい」「いいえ」

しかし、それを無視して作業を続けるとホームページビルダーは機能する。な~んだろ?
’17年09月01日(金)  今日は始業式。ひがながバスケはテスト前オフ。ミニバスもなし。昼頃学童の送迎を済ませたらな~んにもない。と思っていたらパソコンのATOK辞書が壊れていることを発見。慌てて短大の森先生のところまで走った。ついでにいろいろ用事を済ませていたら夕方5時過ぎまでかかった。家に帰ってからパソコンをいじったが、今度はホームページビルダーが怪しい。立ち上げた瞬間、変なメッセージが一瞬現れるのだ。ア~.....
’17年08月31日(木)  昨日に引き続き古賀ミニバスの臨時コーチ。昨日軽い捻挫で途中から抜けたサヤカが今日は元気で最初のフットワークから頑張っていた。ホッ...... 
’17年08月30日(水)  今日から9月3日までひがながバスケはテスト前オフ。そして今日と明日は古賀ミニバスの城コーチが出張で古賀小には来られないので私が臨時コーチだ。8月24日と同じく、選手を戸惑わせないよう気を配った。 
’17年08月29日(火)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30) 。それは中島監督に頼み、前々から予定を組んでいた学童クラブドッジボール大会の引率手伝いをした。このような特別イベントでは通常の学童送迎では気付かないこどもたちの一面を見ることがある。カイ君(5年生)の運動能力はすごい。まさに獅子奮迅の活躍だった。
’17年08月28日(月)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。中島監督特別注文の練習を汗びっしょりになって指導したが、11回目の今日、目指すカタチがようやく出た。しかも2回続けて。「どうだ!見たか!」って…誰に言いたいのか自分でもよく分からないが「遂に執念が実った!」という気持ちだ。そのあと一旦家に帰ってシャワーを浴び、古賀ミニバスの手伝いに出かけた。5・6年生は昨日と1昨日、佐世保でのカップ戦に出たのでオフ。今日は日頃充分面倒を見てやれない4年生以下(ジャリーズ)をみっちり指導してやるのが目的だ。城コーチは8人のジャリーズのために夏休みを取り、練習開始時刻から体育館に姿を現した。偉いなあ。 
’17年08月27日(日)  コヤスポカップ初日結果報告UP games & schedule 参照。
今日の会場は飯盛中学校だった。そこの監督は尾崎景子先生(平成6年3月鶴鳴卒)だ。カホちゃん(3歳)を連れてきていた。まだ半人前なので2分の1の特注ユニフォームを着せて貰っていた。
’17年08月26日(土)  コヤスポカップ初日結果報告UP games & schedule 参照。 
’17年08月25日(金)  ひがながバスケは後半割当。1年生は体験学習で不在だし、2年生は登校なしなので臨時オフとした。私は9時出発で、つばさ保育園のイルカウォッチングに付き合った。今日は、天気晴朗なれど波少し高し。でもイルカの群れは大サービスであちこちに現れてくれた。イルカウォッチングのあとは隣の浜で毎年恒例の海水浴。波頭が岸近くで巻くのでそれを超えて泳げる子は誰もいない。泳いだあとは、こどもたちがシャワーを浴びている間に、砂だらけになったこどもたちの水着を職員だけでなく理事長自ら水洗い。頭が下がる。
’17年08月24日(木)  ひがながバスケは前半(13:00~15:00)。今日はひがながバスケ指導のあと、古賀ミニバスの手伝いには開始時刻の16:30から顔を出せた。古賀小に着いてから分かったことだが今日は城コーチが来られないらしい。だから今日は終了の19:00まで私が指導した。このような場合に気をつけなければならないのは、山崎流の指導をしてはならないということだ。城コーチがやらせたいことに踏み込み過ぎないよう、また、城コーチの指導と山崎指導の間で選手が戸惑わないよう気を配らなければならない。これがなかなか難しい。
’17年08月23日(水)  福岡教育大学の鈴木淳教授が急遽来崎された(アポは1昨日入っていた)。JRでの来崎で、私と会う以外の用事はないというので、長崎駅よりも福岡に近い諫早駅で落ち合うことにした。近くのファミレスでバスケットの四方山話。あっという間に3時間が過ぎ、彼はとんぼ返りで福岡へ、私はひがながバスケの指導に向かった。退官してもう4年半が過ぎたのに山崎純男はまだ過去の人扱いされていない。それが嬉しい。ありがと。 
’17年08月22日(火)  コヤスポカップ参加案内UP games & schedule 参照。
’17年08月21日(月)  1昨日と昨日、ひがながバスケがゼロカップに参加している最中、全国各地ではブロック国体が行われていた。九州ブロック国体は開催地が長崎市だった。少年女子決勝リーグには福岡・沖縄・熊本が進出したが異変が起こった。常勝福岡が沖縄に負け、本国体出場を逃したのである。中国ブロックでも大変な出来事が起こった。中国ブロックは広島と岡山が抜けており、どちらかが本国体の出場権を得るだろうと予想されたが、ダークホースの山口がこの両者を破って本国体の出場権を得た。国体は難しい。「これならAチーム単独の方が強いだろう」となる国体チームもあれば、選抜された個々の力がかみ合ってすばらしいチームになることもある。山口は、平成8年の広島国体でも決勝まで勝ち進んだ。だから今回の出来事も偶然ではない。そこに至るまでの過程とかスタッフとか組織に、他県とは違う何かがあるのだろう。
’17年08月20日(日)  ゼロカップ2日目結果UP games & schedule 参照。
今日、ふたつ審判割当があったが、佐世保の若手審判を育てるためにひとつ取られた。昨日同様レフリーパンツはブカブカだったが、動きは軽いし終わったあとの腰痛もひどくはならなかった。ランを再開してみようかなあ…Dr宮本には内緒だけど。 
’17年08月19日(土)  ゼロカップ初日結果UP games & schedule 参照。
中島監督初采配なのに彼が公務で同行できず、私が指揮を執った。当然帯同審判も私がやったが、レフリーパンツがブカブカなのに気付いた。腰痛再発でトラムセットのお世話になる日が続いており、5月以降ランをしていないから尻・モモ・ふくらはぎの筋肉が落ちてしまったのだ。かといって息切れするわけでもなく動きに付いていけないのでもないが、トレーニング論の常識である「身体は使わなければ退化する」の実例だ。身体だけではない。脳も同じだぞ。 
’17年08月18日(金)  今日は朝9時出発で学童のこどもたちを佐賀県武雄市にある宇宙科学館に連れて行った。学童に戻ってきたのが午後4時半。今日のひがながバスケはD練(15:30~18:00)。中島監督は県立総合体育館で行われている全国中学大会ソフトテニス競技の役員で朝から貼り付けられていて、夕方5時半に解放されたので練習には顔を出せないかった。私だけが後半に間に合ったが、中島・山崎ともにコートに立てない時間帯があるというのは、私がひがながバスケの手伝いをするようになってから初めてだと思う。
’17年08月17日(木)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。そのあと、日延べになっていた3年生の中総体慰労会(昼食会)を昨年と同じココウォークで実施した。私は40年近く昼食を食べない生活をしているが、みんなと一緒なのに「俺は食べない」とは言えないから食べた。今日は替わりに夕食抜きだ。
’17年08月16日(水)  活動再開。B練(10:30~13:00)。そのあと古賀ミニバス手伝い。さすがに、イタ~イ、ゥゥゥゥ......... 
’17年08月15日(火)  オフ最終日。今日も外出なし。トラムセットもロキソニンもここ3日間服用していない。 
’17年08月14日(月)  オフ2日目。今日は盆の中日なので母の墓参りに行った。大雨注意報が出ている中で、その隙間を縫ってスクーターを走らせた。家に帰り着く少し前に再び雨が降り始めたが、構わず走り続けた。スクーターの風防が大きいのでちょっと濡れただけで済んだ。今日の外出はそれだけ。
’17年08月13日(日)  最初は蚊に刺されたと思っていたが何日も赤みかゆみが続く。これは蚊じゃなくダニだ。長崎女子短大在職中にも同じことがあり、 その時は研究室のドアに目張りをしてバルサンを焚いた。その経験があるので今日も同じことを私の部屋でやった。着火後部屋から急いで出たら中から「火事です!火事です!」と言われたのでまた中に入ったら、煙の真上の火災報知器が叫んでいた。急いで椅子に乗ってボタンを押そうとしたらツルッと滑って椅子から落ちた。ジタバタしているうちに煙をずいぶん吸い込んだ。ダニは退治したが自分が体調不良になったらシャレにならん。夕方まで喉がイガイガしていたが何とか生き延びた。短大の研究室では、バルサンを焚いたあとの部屋の真ん中にムカデが死んでいたが、今日は掃除機をかけた時にめぼしい虫の死骸は見つからなかった。外出なし。
’17年08月12日(土)  明日から3日間ひがながバスケはオフである。その前日の今日、体育館割当はD(15:30~18:00) だ。練習のための拘束時間は2時間半だがD割当は実質1日中拘束されるのと同じである。だからその割当は放棄して鶴鳴を午後1時から借りて練習することにした(鶴鳴は午前中で終り、午後は空いている)。中島監督からの特別注文は昨日も今日もカエデとモモハがジュニアの選抜練習で抜けているので1昨日の6回目で止まったままだ。この状態で19日のゼロカップに臨まなければならない。ちょっと気がかりだが仕方がない。鶴鳴から戻ってきたあと盆休み前の締めくくりとしてバスの掃除をした。
備考:ゼロカップ参加案内UP games & schedule 参照。 
’17年08月11日(金)  国島先生の研修最終日。今日は琴海南部体育館で行われた長崎市ジュニア選抜選考会初日に連れて行った。内容は桜馬場中学校の沖島先生のクリニックだった。国島先生が長崎に来てから、東長崎中の単独練習、高校女子(鶴鳴)の単独練習、ミニバスの単独練習、中学女子の選抜練習と、さまざまな階層の練習に私の解説付きで立ち会わせた。こんなにいろいろ詰め込んだ研修は過去にない。昨日夕方のミニバス指導では、私が1時間指導したあと「昨日は尻込みしたから今日は何かやれよ」とけしかけて50分間国島流指導をやらせたが、国島先生の指導ををチェックすることに集中し過ぎ、画像に収めることを忘れていた。ともあれ、研修は無事終了して国島先生は諫早駅15時11分発のかもめ28号で博多に向かった。ホッ。 
’17年08月10日(木)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。中島監督からの特別注文が入ってから6回目。スタメンとベンチメンバーの力量の差がありすぎるのでなかなか中島監督が描く様相にならないが、今日は「おやっ、この子たち少しわかりかけてきたかな?」という場面がしばしば起こった。ヨシヨシ。そのあとは、国島先生の昼食につきあうためガストに行ったが、満員だったのでイオンの1階のマックに場所替えした。と、そこへ古賀ミニバスのヒナノとミユが来ていた。しかも今日はまた、8月1日のブログで紹介したチビッコ店員の体験学習の日だ。こうなればもう国島先生なんかかまってられない。私は食事が終わっていたヒナノとミユに無理矢理ジュースを注文させ、チビッコ店員から受け取るところを動画に収めた(もちろんママは了解済み)。
’17年08月09日(水)  国島先生の研修3日目。午後1時からのコミュニティ体育館での練習には中島監督が会議のために顔を出せず、私がすべてやった。汗でTシャツがずぶ濡れになったので一旦家に帰って着替えをし、午後4時半から古賀ミニバスの手伝いに行った。城コーチが姿を見せる6時まで、ここでも私が仕切った。古賀ミニバスには国島先生も連れて行った。「城コーチの許可を得ているので貴君が帯広でやっていることをここのミニバスで実験してもいいぞ」と言ったが「いえいえ、何をやらせていいかちょっと…」と言って尻込みされた。そりゃそうだ。いきなり振られたら誰だってできないよ。 
’17年08月08日(火)  国島先生の研修2日目は、コミュニティ体育館でひがながの練習に付き合ったあと、午後は前もってお願いしてあった鶴鳴に出かけた。だが、肝腎の三根監督が緊張してよそ行きスタイルになってしまい、三根監督には気の毒な思いをさせた。監視しに行ったのでもないし、批評しに行ったのでもないのだが…。 
’17年08月07日(月)  帯広第一中学校の国島辰也先生(43歳 数学教師 元々は陸上専門 バスケットボール指導歴約15年)が無事到着した。台風5号の影響が心配だったが、台風の上を飛び越えて札幌→羽田→佐賀空港→JR諫早着で無事長崎入りした。宿舎はひがながのすぐ近くにある川徳。11日の最終日までひがながに置いてある原チャリを国島先生が使えるように中島監督が手配してくれたので、国島先生は自由に動ける。とても助かる。明日からはひがながの練習だけでなく、空いた時間は私の解説付きで他のチームの練習見学に出かけて見聞を広めさせたいと思っている。
’17年08月06日(日)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。それが終わった後、古賀ミニバスの轟峡での滝遊びの手伝いをすることになっていた。ところが、台風5号のせいでそれが中止になった。以前にも同じことがあり、この時は台風ではなく雨天中止だった。自然相手のイベントはこれがあるから計画が難しい。
’17年08月05日(土)  4日ぶりのひがながバスケ指導。今日は、今年のチームにやらせたいことについての特別注文が中島監督からあった。これまでチョコチョコ小さな問題については相談があったが、今日のヤツはテーマが大きい。中島監督がやらせたいことをうまく試合で出せるようにするための練習の手順と考え方とポイントについての特注だが、詳細については中島監督の手の内を公表することになるので㊙である。 
’17年08月04日(金)  最終日の今日の予定は竜門の滝での滝滑り。だが、それも今日は台風5号の影響で変更せざるを得なくなり 、腹案で用意していた別府の水族館(海たまご)へのお出かけになった。今年のつきぐみはついてない。今日中止になった滝滑りはお楽しみだったので変更になっても他のことで代替えができるが、昨日の登山は訓練の要素を含んでいるので、特におとなしすぎる今年のつきぐみにはどこかのタイミングで再チャレンジさせて、「やりとげた感」を持って卒園させたいと思う(お手伝いの身分で言えることばではないが…)。
’17年08月03日(木)  いよいよ久住登山。早朝6時半にヒュッテを出発。玄関の温度計は17℃を示していた。肌寒い。ここから10分程県道11号(やまなみハイウエイ)をバスで上がった牧ノ戸峠から登山開始だ。牧ノ戸峠の標高は1330㍍で久住山の頂上は1786㍍なので、標高差456㍍を歩くだけなのだが、行程はゴツゴツ岩だったり、丸太で作った垂直階段だったり、瓦礫が続く斜面だったりという難所をいくつか通過しなければならない。9年前に初参加した時は「こんなところを5歳児に上らせるのか?」と思ったが、こどもたちはおとなが心配するほどヤワじゃない。だが今日は、霧と風のため登頂を断念して下山しなければならなくなった。ウーン残念。 
’17年08月02日(水)  今日から3日間、つばさ保育園の久住登山のお手伝いだ。初日の今日は、熊本のやまなみこども園での合同学習。室内で一緒にリズム運動をやったあとは江津湖に水遊びに行った。午後2時の外気温は37℃。普段でも冷たい江津湖の水が一層冷たく感じられた。読売テレビのミヤネ屋が取材に来ていた。生放送なのでひょっとしたらつばさの子とやまなみの子をテレビで見た人がいるかもしれない。 
’17年08月01日(火)  私はしばしば、イオン矢上の1階のMACにフライドポテトを食べに行く。今日も午後から時間が空いたので出かけた。と、カウンターからやっと顔が出るか出ないかぐらいのちっちゃい子がMACの制服を着て接客をしているではないか。店の人に「まさか、アルバイトじゃないよね?」と聞いたら、昨年からMAC主催で始めた夏休み限定の体験学習だという答えが返ってきた。店の脇に募集要項日程表が貼ってあった。可愛い過ぎたので、少し離れた席でこどもたちを見守っているママに許可を貰い、ブログにUPさせてもらった。小2と4歳の姉妹だそうだ。このところマスコミでは金正恩を始め、阿倍さん、蓮舫さん、稲田さん、加計さん、森友さんなどのいやなニュースが毎日のように報じられている中で、今日はほっこりさせられる出来事に出会い、もう少し長生きしてみようかなという気持ちになった。
’17年07月31日(月)  地球が危ない。午後1時半。体育館の壁に取り付けてある温度計は35℃だった。
’17年07月30日(日)  ひがながはオフ。しかし早起きして小島中で8時から行われる東部地区ジュニア選抜練習を観に行った。そこには9時半まで居て、橘小で行われているミニバス南部リーグを観に行った。今日もB戦の審判の手伝いをした。腰痛は昨日よりましだった。しっかし不愉快だ。上位に勝ち残るチームの大半がアイソレーションオフェンスをやるのである。こんなバスケットが全国で蔓延しても、ゾーンやボックスワンやトライアングルツーを敷くディフェンスは目先の勝負にこだわっている邪道で、黄色旗や赤旗やテクニカルファウルの対象となり、アイソレーションオフェンスは「好ましくない」の6文字だけで片付けられるのかい! 
’17年07月29日(土) ひがながはA練(08:00~10:30)。そのあと大浦小で行われているミニバス南部リーグを観に行った。古賀ミニバスの試合は、勝ち負けはともかく内容が悪い。第4試合目は片側のみで行われたので、その時間帯にB戦を(4年生以下)やった。私もその審判の手伝いをしたが、腰が痛くて思うように走れず、途中ロキソニンのお世話になった。ひがながの練習はトラムセットを服用し、最近はその1錠だけでその日を乗り切ることが多い。なのに今日は、ミニバス審判後も痛みは治まらなかったので早々に家に帰り、明日に備えて休養した。
’17年07月28日(金)  午前中にデータの移行や各種設定を自力で済ませた。そして旧携帯をdocomoshopに返却した。新携帯は機種が旧機種とまったく同じなのだが少しだけ仕様が違う。困ったのが発着信履歴とリダイヤル履歴の保存と消去の方法が旧携帯と少し違う点だ。どう困ったのかというと、リダイヤルするとすでに履歴から消去したはずの人にダイヤルされてしまい、リダイヤルしたい人にはダイヤルできないのだ。そこでdocomoshopにまた出かけて行って事情を説明し、docomocenterに連絡を取って貰った。すると、履歴の区分けの仕方が旧携帯と少し違っていたので、そこを旧携帯と同じように設定すれば解決することが分かった。
備考:多くの人から「先生まだガラ携使ってるんですか」と言われるが、俺はスマホには絶対変えない。 
’17年07月27日(木)  ゆうパックの最終便で携帯が届いた。今夜から明日にかけて、旧携帯からのデータの移行や各種設定をしなければならない。明日はこれにかかりっきりになるだろう。 
’17年07月26日(水)  昼過ぎ、水没した携帯の液晶画面が真っ白になり、アイコンも文字も表示されなくなった。「あー、やっぱりもうダメかあ」と思ったがまた夕方復活した。復活はしたものの、液晶画面には水がしみ込んだ影があり、それが少し広がっている。今はなんとか死にかけたり生還したりしているがやがてダメになると思い、docomoのセンターに連絡を取り同機種を送って貰うことにした。8640円かかる。それも、保険に入っていたからこそできることで、保険に入っていなかったら機種変更で新たに購入しなければならないらしい。明日の夜届く。 
’17年07月25日(火)  ひがながはA錬(08:00~10:30)。はじめの1時間だけ顔を出して安全運転管理者講習会を受けに行った。安全運転管理者というのは、大型車を所有している事業所が従業員の安全運転を指導するために必ず1人置かなければならない役職である。私の場合は個人所有なので、所有者も安全運転管理者も私である。これは法で定められた講習会で、年1回必ず受けなければならない。時間は10時から5時まで1日中である。5年前から私は、一時停止の場所ではキチンと止まるようになった。停止というのは車輪の回転がピタッと止まることである。それまでの私は、止まっていると思い込んでいただけで、車輪の回転は完全停止していなかったのだ。これは70歳になった時の講習で指摘されて気付いたことである。だから、こうして講習を受けるというのは自分をもう一度チェックするためには良い機会になる。矢上の洋服の青山の角を曲がって矢上団地に入るくねくね登り坂の頂点に一時停止場所があるが、ここでは殆どの車が一時停止をしないで通過する。そしてネズミ捕りによく捕まる。しかし、そういう私も捕まりこそしなかったものの、この人たちと同じ運転を5年前まではやっていたのだ。危ない危ない。
’17年07月24日(月)  昨日、カメラだけでなく携帯も財布もみんなポケットの中に入れたまま滝壺に飛び込んだので、携帯の画面が真っ黒になり通話もできなくなった(防水なのだが)。昨日長崎に着いてから矢上のdocomoに携帯を持ち込んだ時にはうすボンヤリと画面が見え始めたので、「しばらく様子を見ましょう」ということで持ち帰った。今朝、画面の奥には水玉みたいなのが見えるがほぼ正常に動く。後遺症はあるものの生還だ。そこで、昨日水没前に携帯で撮った画像が残っているかどうか見てみたら残っていたので今日UPすることができた。 
’17年07月23日(日)  2日目の今日は昨年同様、玖珠インターから少し入ったところにある龍門の滝で滝滑りだ。下にある浅い滝壺まで20㍍ほど斜めに横たわる岩盤を、幾筋かの流れが走っている。そこを浮き輪で滑り下りるのだ。でっかい浮き輪を持って一番上まで上がった子が、さあ滑ろうかとしたところで手がツルッと滑り、浮き輪だけが滑って下まで降りてきてしまった。それを見ていた私は、その浮き輪を上まで持って行ってやろうとした。中腹まで受け取りに来たその子にまさに浮き輪を渡そうとした瞬間、足が滑って私はダーッと下の浅い滝壺まで滑り落ちた。もちろんカメラも私と心中して水没。というわけで今日の画像はこの1枚だけ。あちこち擦りむいたが、痛いよりなにより恥ずかしくて早くその場から立ち去りたかった。 
’17年07月22日(土)  鳥栖インターを過ぎて九重インターを降りるまでの間は、先日豪雨に見舞われた地域を通る。学童の田中先生に「写真!」と言って撮ってもらったのをあとで見たが大変な被害だ。写真は取れなかったが、車窓から見た逆側の田んぼは一面泥の海だった。長崎からも消防や自衛隊の方々が派遣されて復興に当たっているそうだ。さて私は、予告通り久住には登れなかった。昨日の作業が祟って登山どころではなかった。
’17年07月21日(金)  昨日は、玄関脇に高圧ホースを放置して練習指導に出かけたので、今日のA錬(08:00~10:30)のあと、家に帰ってすぐ残りの作業をやっつけた。2時間かかった。外気温33℃湿度80%の中で通気性のない雨合羽を着て2時間の作業は大変だった。途中ロキソニンを飲まなければ腰が保たなかった。明日久住には上らず、牧ノ戸でこどもたちを待つことにしよう。備考:明日と明後日は学童クラブつめくさの久住登山の手伝いだ。 
’17年07月20日(木)  小・中学校は終業式。梅雨が明けたので午前中は自宅周囲のタイル張りやコンクリ部分に付いたコケやカビを高圧ホースで洗い落とし、汗びっしょりのままひがながバスケを古賀センターに連れて行って指導し、それが終わったらすぐ古賀ミニバスに顔を出し、その途中で理子をサッカークラブ(NJ)に送って行き、また舞い戻って古賀ミニバスに顔を出した。カビ落とし作業は、バイク用のカッパの下に長そでシャツとタイツを着用してやったので汗の量が半端なく、そのままあちこち動いたので家に帰り着いた時は頭がクラクラした。
’17年07月19日(水)  1昨日クリニックをした蕪地区集会施設は自衛隊が寄付してくれた施設だということが今日判明した(有川・西川情報)。地図で調べたら、蕪地区の少し先には自衛隊の大野原演習場がある。私は太平洋戦争の後、佐賀県の北方町に疎開していたが、その当時祖母の知り合いが大野原で茶畑農家をしており、夏休み等の長期休暇の度に口減らしのためそこに預けられ、茶畑の草むしりや牛の餌の草刈り作業をした。その農家から少し歩いたところの水の澄んだ川(龍頭泉の上流)に潜ってアユやイワナを捕まえたことが懐かしく思い出された。 
’17年07月18日(火)  朝4時過ぎ、左足のスネの外側(腓骨筋)・左足のスネの前面(前脛骨筋)・左足のふとももの裏側(ハムストリングス)・右足のスネの外側(腓骨筋)が同時に攣って目が覚めた。ハムストリングスをストレッチしようとすればスネが攣り、スネをストレッチしようとすればふとももが攣る。悪戦苦闘しながらなんとか治まったが、その後また眠りに落ち、8時7分に目が覚めた。攣った原因は昨日のクリニック(9時~17時)だ。日頃ひがながの指導でも自分の身体を動かして教えるが、ひがながでは「サッと動け!」の見本動作をやって見せることもあるがことばで済むこともある。しかしクリニックではすべての「サッと動く」を私がやって見せなければならない。そこが違うのだ。 
’17年07月17日(海)  ひがながバスケはB練(10:30~13:00)。それは中島監督に頼んで、私は午前中大村市の玖島中で中学生男子のクリニック。午後からは東彼杵町で中学生女子のクリニック。午後からのクリニックは東彼杵町の蕪(かぶら)地区の集会施設で行われたが、そこは国道34号線から野岳湖の方に上り、どんどん山奥に進んでいく。あたり一面茶畑。そこに突然大きな建物が現れる。そこが集会施設だ。「??」と思いながら中に入る。すると中にバスケットコートが1面取れる体育館がある。「どうしてこんなところに??」と思ったが、バスケ関係者の誰に聞いても「さあ?」なのだ。茶畑農業を営む人たちの集落に作る施設なら、屋根付きの建物は会議室・台所・小さなホールがあれば充分で、スポーツ施設を作るなら茶畑の一部を切り開いてソフトボールやゲートボールができるグラウンドにすれば安あがりでできるだろうと思うのだが…。ワカラン。
追伸:あとで調べたら、ここは災害避難施設として作られたらしく、それなら屋根付きで多くの人が収容できる建物でなければならない。屋根付きの大きな建物を作るなら災害時だけ使うのではなく、日頃こどもたちや一般の人がスポーツを楽しむ施設として、東彼杵町だけでなく近隣の市町村にも貸し出しができるようにした方がよいという意図で作られたらしい。なるほど。 
’17年07月16日(日)  7月12日(水)の体育館内はとても暑苦しかった。壁に取り付けてある温度計には室温31℃湿度74%と表示されていた。昨日、練習途中体調不良により3人が途中で抜けた。その時の室温は32℃湿度は62%だった。12日よりもしのぎやすい温度と湿度だ。今日はまた1人、体調不良により途中で抜けた。室温は31℃湿度は65%だった。熱中症が云々される室温でも湿度でもない。梅雨明け宣言以降高温の日が続き、熱中症に注意するようテレビのニュース等でさかんに呼びかけられているが、健康な若者がそう簡単に熱中症になりはしない。日常の自己管理をきちんとしておけば解決する問題だと私は思う。
’17年07月15日(土)  ひがながバスケはC練(1時~3時半)。ミニバスの試合時間と丁度かぶった。ひがながの練習も気になることがたくさんあるが、ミニバスの結果も気になる。2時過ぎに33-27で古賀ミニバスが勝ったとメールが入った。明日の1発目の試合に勝てば8月の県大会の出場権を得る。今は、ひがながバスケも中島監督主体でやらせているので私は第3者的立場でコートに立っているし、古賀ミニバスはもっと第3者的立場で見ているのでどちらも直接私が手を下すことはない.。が、第3者的立場で見ている方が実は苦しいかもしれない。
’17年07月14日(金)  9時半から10時半まで、つばさ保育園と橘小学校の交流授業のお手伝いをした。嬉しいことがあった。昨年の3月、交通事故で重傷を負い、治療とリハビリのために院内学級で1年間過ごして今春橘小学校に復帰したCちゃんが、体育館の隅で見学している私を見つけ、駆け寄ってきてハイタッチをしてくれたのだ。「ウワー、覚えていてくれたんだ、ありがと、元気になったねえ」と言ってアタマをなでた。ちょっとウルッときた。
’17年07月13日(木)  学童のお迎えの待ち時間中、石垣に腰掛けて本を読んでいたら足がチクッとした。見ると小さなアリがスネにかじりついている。一瞬ドキッとしてパシッと叩き潰した。が、すぐにホッとした。赤いアリではなく真っ黒なアリだったからだ。しかし、その後のバスケ指導中には足を6箇所蚊に刺された。鶴鳴の体育館にも蚊は多かったがコミュニティ体育館はもっと多い。夏はどこに行く時も虫除けスプレーを持っていくが、それでも人一倍私は蚊に刺される。二酸化炭素の放出量が多い体質なのだろう。 
’17年07月12日(水)  今日は、毎年恒例のつばさ保育園園児の平和学習の引率手伝いをした。場所は原爆資料館。保育園のこどもたちだけでなく、アメリカから研修に来た学生たちが原爆資料館に行く時も私のバスで連れて行く。が、保育園児の引率時もアメリカの研修生引率時も私はロビーで待っていて館内は回らない。悲惨な展示物や写真を直視できないからだ。
’17年07月11日(火)  ISの拠点モスルが陥落した。しかし、手放しでは喜べない。モスルが陥落したことにより、IS戦闘員が世界各国に散らばり、そこでまたテロを仕掛けることが必至だからだ。こうなればもう、ゴルゴ13の力を借りてISだけでなくついでに金正恩も殺処分しなければ世界中の人が安眠できない。さいとう先生やりましょう! 
’17年07月10日(月)  中島監督が「選手が自宅で風呂に入る前にでもやれる体幹トレーニングを取り入れたいのですが…」と私の反応を伺ってきた。私が発育期における児童の筋トレには積極的じゃないということを彼は知っているので、かなり遠慮ぎみである。私は彼のアイデアを実践させ「これは要領をつかめば15分でやれるトレーニングだから、自宅ではなくチーム練習の1部に取り入れよう」と言った。彼は「エーッ、他の種目の時間を食いますが…」と言うから「いやいや、こんなことはこちらの強い意志を選手に示すことが大事だ」と答え「まあ、週3回は絶対だな」と言った。「それなら、火・木・土ということで…」で決着がついた。備考:内容はすべてアイソメトリックスであった。
’17年07月09日(日)  カイリー・アービングがナイキ主催のイベント「CLUTCH BUCKET 東京 KIRIE IRVING」のために初来日する。なんとそのイベントで「俺と1対1の勝負をしよう」と、カイリーから日野中の米須玲音君に招待状が届いた。期日は7月21日(金)。場所は大田区体育館だ。県中総体前日だが、監督の梅崎先生からも「こんなチャンスは2度とないから行ってこい」と背中を押されて玲音君は参加する。幸い、県中総体初日の日野中の初戦は12:40からなので、羽田を22日朝1便で飛び立てば間に合う。俺も観に行きた~い。 
’17年07月08日(土)  ひがながバスケはA練(08:00~10:30)。なので11時半開始の女子総合選手権 を飯盛体育館へ観に行った。一般女子4チームと高校女子4チームの対戦だったが、一般女子で勝ち残ったのはストレッチだけ。残る3チームは高校生だったが、観戦後は腹立たしい感情しか残らなかった。巧さで劣るのは仕方ないとして、動きの強さや速さで一般チームに圧倒的に優る高校がないのだ。
’17年07月07日(金)  最近ずっと、オフェンスのプレイについて考え続けていたことがある。私の場合、マンツーマンもゾーンもモーションオフェンスであることに変わりはないが、マンツーマンオフェンスでは男女を問わずミニから大人まですべてピックアンドロールの技術を身につけなければならない(多岐に渡るので簡単にはいかない)時代になったということがそのひとつだ。もうひとつはポジションのことである。いつの頃からか、バスケット界では①ポイントガード②シューティングガード③スモールフォワード④パワーフォワード⑤センターと区分けするのが定番になっているが、1991(平成3)年頃からずっと「そうかなあ」と思っていた。それが今日、佐世保のE氏から貰った資料で一気に解決した。セルティックスのスティーブンスコーチの画像である。彼は、ポジションは5つも要らない、①ボールハンドラー②ウィング③ビッグの3つあればいいと言っている。これだ!  
’17年07月06日(木)  バーナード・トミック(オーストラリア:24歳)が4日、テニスへのモチベーションを完全に失ったとしたうえで、ウィンブルドン選手権1回戦の試合中、テニスに「飽き」を感じた瞬間もあったと語った。彼は現在ランキング59位だが最高17位まで行ったことがある。オーストラリアでは、ニック・キリオス(21歳)とともに、世界ランク上位の選手である(2人とも問題児だが…)。私は昭和48年8月に全国優勝した直後から12月までの5ヶ月間、目標を見失って燃え尽き症候群に襲われたことがあるが、その後今日に至る(75歳)まで、バスケットの指導が苦しく辛いと感じたことは何度もあるが飽きを感じたことは1度もない。 
’17年07月05日(水)  中島監督がディフェンスリバウンドを取る練習を取り入れた。しばらく経ってから私は、順番待ちの選手数人に「これ、何の練習なの?」と聞いた。4月からバスケを始めた1年生のK子は「ディフェンスリバウンドの練習です」と答えた。ミニバス経験者のX子は「ディフェンスの練習です」と答えた。バスケ歴3ヶ月のK子とミニバス経験者X子とのこの差は何に由来するのか?これを読んだコーチや保護者のみなさん、自チームの選手や自分の子で是非試してみて欲しい。 
’17年07月04日(火)  初日を迎えた「七月大歌舞伎」に出演し、初の宙乗りを史上最年少で披露することになっていた勸玄くんは、稽古も無事成功したが、本番の朝になって「今日出たくない」と言いだし、海老蔵は困って頭を抱えていたらしい。だが、グズってパパを手こずらせたあと舞台直前まで爆睡していた勸玄くんは、パパが起こさなくても自分で目を覚まし、急いで支度して見事な宙乗りを披露した。舞台の最後には海老蔵の腕に抱かれて宙に浮いたまま、満員の観衆に向かって手を振った。ママを亡くして2週間。勸玄くんの心の中には嵐が吹き荒れているはずだが、4歳にして自分の立場をちゃんと理解している。アッパレとしか言い様がない。
’17年07月03日(月)  帯広の中学校のK先生から、8月07日(月)~11日(山)にひがながの練習見学で来崎したい旨の電話があった。私はコートに立っているが中総体以後中島監督主体の練習に切り替えているがそれでも良いか尋ねたところ、それは承知の上だということだった。というわけで、7日のオフ日と4日のD練を入れ替えて日程を調整した。シンガポールあたりへパッキングツアーで旅行する方が圧倒的に安いのになあ… 
’17年07月02日(日)  とどろき体育館でコーチ研修会が行われた。私のリフレッシュポイントは余っているがこれには顔を出した。講師が竹之下秀樹氏(元:長崎県立女子短期大学講師。現:名古屋学院大学教授)なので表敬訪問をしたのだ。彼が長崎を去ってから20年ぶりの再会。彼は変わっていなかった。追伸:7月中旬以降クリニックがいくつか入っているのでその人たちを心配させないよう、腰痛のことについては当分触れないことにした。 
’17年07月01日(土)  市内の全中学校は授業日。よって部活動は午後1時から。朝から吾妻体育館で行われるミニバスの練習試合を観に出かけた。腰は朝起きた時から痛い。7時半にトラムセットを1錠飲んで家を出た。ミニバスは審判の手伝いもしないし椅子に座って観ていただけなのだが、午前中ずっと、ズーンと感じる腰痛が治まらない。正午に吾妻体育館を出る時に2錠目を飲んでひがながに向かった。ひがながの練習指導中ズーンはひどくならなかったものの治まりもしなかった。しかも、練習後そのズーンが少しひどくなり、寝るまで保てそうになかったので午後4時にまたロキソニンのお世話になった。痛みの犯人は判っているので不安にはならないのだが、静かにしていても痛んだり、「少し動き過ぎたかな」と思っても痛まなかったりする犯人の気まぐれさに腹が立つ。
’17年06月30日(金)  ひがながバスケはオフ。古賀ミニバスもなし。身体を動かすのは学童の送迎だけ。腰が少し痛むので2時過ぎにトラムセットを服用して出かけた。送迎終了は午後4時。それ以後は家に帰ってじっとしていた。そして、2錠目は服用しないまま今日が終わった。これからしばらくは、何もない時は家でじっとしていてその時間をひたすら休養に充てる日々が続くのだろう。どうしても動かなければならない日が来るのに備えて… 
’17年06月29日(木)  午前中つばさ保育園のつきぐみさん西浦上保育園の交流学習の手伝いをした。学習内容はお点前。西浦上保育園の子が茶を点ててつばさ保育園の子に出し、つばさ保育園の子がいただく。「ニガーイ!」をモロに顔に出した子がいたが、大半の子はがまんして飲んでいた。が、私の身体には異変が…。西浦上保育園の駐車場から園舎まで歩くのが辛いのだ。交流学習の動画撮影を終えたらマイクロバスに戻り、午前11時にトラムセットを飲んで午後1時半の出発時間までバスの中で休んでいた。痛みは和らいだが服用後5時間経過した午後4時以降が勝負だ。その時間帯は丁度バスケ指導の時間帯になる。それは持ち堪えた。だから今日は追加のトラムセットは飲まずに寝るつもりだったが、痛みが次第に強くなり、このままだと痛みで寝られそうになかったので午後9時にロキソニンを飲んだ。フー… 
’17年06月28日(水)  午後3時まで家でじっとしていた。その後は学童のお迎えと練習指導で身体を動かさなければならない。学童のお迎えはバスの運転で、それは座った姿勢でやるからなんともない。練習指導は立ったままだ。時折ちょっとだけ動きを示して見せるがそれも最小限に抑えた。それでも痛い。だが、トラムセットは服用せず、がまんした。ヨシ!。痛みが出たらクスリで抑えるのではなく動きをセーブして痛みを抑えるのがベストなのだ。 
’17年06月27日(火)  今日は、日本の文化研究や日本語の学習や授業体験をするために、日吉自然の家に宿泊しているミネソタ州からの学生42名のお世話で動き回ったので腰が痛くなり、午前10時にトラムセットを1錠服用した。最近はトラムセットとのつきあい方がわかってきた。1錠目を服用後5時間経過したあたりが2錠目を服用するかしないかの見極めどころだ。今日はそれがひがながのバスケ指導の時間帯にかかる。2時間立ち続けていたら痛くなった。が、がまんできない痛みではない。激しい動きさえしなければ服用しなくても済みそうだったので、今日は動きをセーブして指導し、結局2錠目を服用せずに終わることができた。明日は午前中何もなくて家で静かにしていられるので、服用するなら午後の練習指導時の1錠だけで済む。できたらそれも無しにしたいが、それは明日の痛み次第だ。
’17年06月26日(月)  夜中に足が攣って何度も目が覚めた。原因は下関クリニックでの動き過ぎである。腰痛の具合は、座ったままの作業(パソコンやバス運転等)だとなんともなく、立つと痛みを感じるがそれは我慢できる痛みであり、歩いたりひがながのバスケ指導で身体を動かすぐらいでは支障がないというのが6月中旬までの状況だった。それが15日以降変わった。特に下関クリニックの最終日から今日にかけては立ち続けるのは10分以上我慢できないほどひどくなった。月末のクリニック(3回)に備えて15日から走り始め、日を追う毎に動きが激しくなり、下関クリニックでそのピークに達したからである。トラムセットは1日2錠までしか服用してはならないので、痛みを堪えきれないと思ったらロキソニンを服用しながら下関クリニックを乗り切ったが、今後しばらくは、1日1錠ひがながの練習時間帯だけトラムセットを服用すればよいとなるまで運動量を落とし、「もうトラムセットは服用しなくて大丈夫だ」となる生活に戻して行こうと思う。今日大学病院を訪れ、トラムセットを4週間分貰ってきたが、とりあえず、7月が過ぎて8月になってもまだまだクスリが残っている生活を目指す。とは言っても、無理をしないでひたすらじっとしているのも耐えられないと思うので、「もうこれ以上は一歩も動けない」となるまでやりきる指導を年に1回はやりたいとも思っている。
’17年06月25日(日)  クリニック最終日。トラムセットは午前7時と正午に服用し、最後までクリニックは精力的にやり遂げた。内容は昨日同様公表できない。単独チームではなく選抜チームなので監督が望んでいる選手起用と試合展開にマッチした指導をしなければならないし、個々の選手については母体チームで担っている役割と違うことを求めてはならないが、3日目の今日は、「お前がこういうプレイをもう少し頑張ってくれれば(もちろん母体チームでも求められているプレイ)このチームはがらりと変わるのに」と思ったので我慢できなくなり、N選手を徹底的に追い込んでしまった。そのバチが当たったのか、小倉駅から新幹線さくら565号(18:28発)に乗る頃に再び腰痛に襲われ、ロキソニンのお世話になった。フウ。
’17年06月24日(土)  クリニック2日目。トラムセットは朝8時と昼1時に服用した。今日は1日中腰痛を気にせずに動くことがができた。昨日より今日の方が圧倒的に身体を動かしたのに痛みは昨日の方が圧倒的にひどい。何がどうなっているのかよくわからんが、そういうわけで午前3時間午後3時間のクリニックを無事やり終えた。対象は少年女子の国体候補24人。何をやったのかは公表できない。もっとも気を使ったのは、やったことが8月のブロック国体に反映される内容であることと、個人をいじり過ぎてもともと持っている良さを潰さないことだ。短期間で作り上げなければならないチームのクリニックは、こちらが勝手に用意していったドリルを教え込んでも何の役にも立たない。
’17年06月23日(金)  午前11時にトラムセットを1錠服用した。効き目は5~7時間保つので、午後4時過ぎにもう1錠飲めばそれで充分のはずなのだが今日の腰痛は午後3時から4時にかけてがピークで、それも痛さが尋常ではない。だから午後3時頃、かもめ26号の車中でロキソニンを1錠飲んだ。それで少しは痛みが治まったが、念のためクリニックが始まる1時間前にトラムセットをもう1錠飲んだ。そんなこんなで、クリニックが無事に務められるかどうかとても心配だったが、バリバリ身体は動いて午後6時から8時までのクリニックは無事務め終えた。とりあえず1日目終了だ。ホッ。 
’17年06月22日(木)  コミュニティ体育館に、今月27日と29日の使用許可の手続きと料金支払いに行った。受付の人に「先生、中総体の結果はどうでした?」と聞かれた。「いやいや、今年は弱いので2日目で負けました」と言うと「あら~そうですか。山崎先生が指導しているので東長崎は強いと思っていました」と言われた。私を魔法使いだと思っている人がまだ居る。 
’17年06月21日(水)  コミュニティ体育館の使用申込は使用する前月の1日から10日までの間にインターネットで申し込むことになっている。そして、10日に市役所のパソコンが勝手(人の感情を入れず)に抽選し、翌11日にメールで申込者に当落の通知をする。当選者は11日から20日までの間に当選した日の使用を確定する旨インターネットで通知する。21日から月末までは残りの空き状況をインターネットで確認し、空いていたら申し込むことができる。ひがなが女子バスケは7月6日(木)と7日(金)がハズレだったが、空き状況を調べたら7日(金)が空いていたので直ちに申し込んだ。6日(木)のコミュニティ体育館は塞がっていたので日吉自然の家に問い合わせたら空いていたので申し込んだ。20日(終業式)は学校の体育館は使えるが、半面割当で使用時間も中途半端なので古賀市民センターに問い合わせた。すると希望する時間にフルコートが空いていたので申し込んだ。これで7月分はすべてOKだ。
’17年06月20日(火)  Zzzzzz...............<(_ _)> 
’17年06月19日(月)  今日は古賀ミニバスの城コーチが仕事の都合で練習に来られないのですべて私が仕切った。張り切って大きな声を出し、自らも身体を動かして指導したが、実は2日間続いたクリニックの疲れで身体は鉛のように重く、午前中は自宅でぐったりしていて、午後2時からようやく動き出したのだ。明日はひがながバスケも古賀ミニバスもないので1日中休養しようと思う。 
’17年06月18日(日)  今日は午前9時から午後2時まで古賀ミニバスの手伝い。そのあと午後3時から午後6時まで大村でクリニック。朝8時にトラムセットを1錠服用して出かけ、午後1時にもう1錠服用した。が、今日の腰の痛みはいつもより頑固だったので3時少し前にロキソニンを1錠服用した。鎮痛剤を多用するのはよくないと分かっているが、クリニックに支障を来したらまずいので仕方がなかった。クリニックはバリバリ動けて完遂できた。私の腰痛の犯人は仙腸関節の癒合だということが、5月2日のCT検査の結果分かったので、痛みの増強や軽減で一喜一憂することはない。まあ、こんな調子で本当に身体が動かなくなるまでやっていくのだろう。 
’17年06月17日(土)  午後1時から5時まで諫早市体育館で中学生(男女)のクリニックをした。1コマ4時間というのは教える側よりも教えられる側が集中力の持続という点で大変である。だから、何を教えるかとともにそこに気を配った。何を教えたのかは公表しない。気になるならクリニックを受けにに来なさい。 
’17年06月16日(金)  今日コミュニティ体育館の空き状況を問い合わせたら夕方5時~7時が空いていた。そこで古賀ミニバスの部長さんににこどもたちの学校迎えも練習後の自宅までの送りも山崎バスでやるから、参加希望の子をメールで知らせてくださいと言っていたら、今朝メールで12人の希望者があったという知らせがあった。バス旅行が狙いなのかバスケが狙いなのかよくかわからんが…。 
’17年06月15日(木)  ひがなが部活は今日から22日までテスト休み。午前中は昨日のランの疲れが尾を引き、ずっと部屋でゴロゴロしていて、午後4時過ぎ元気を取り戻して古賀ミニバスに顔を出した。今日を含めて来週の月・水・木は練習開始から古賀ミニバスに顔を出せる。私が顔を出すとこどもたちは喜ぶ。高城台小と矢上小のこどもたちは山崎バスで送迎するからだ。車内は修学旅行気分になる。 
’17年06月14日(水)  昨年は鳴りを潜めていた腰痛が今年2月以降しばしば起こるようになった。最近はトラムセットを1日2錠服用しながら日々を送っている。今週末に県内で小さなクリニック(半日を2回)があり、来週末に下関で大きなクリニック(2泊3日)をしなければならないので今日3㎞走ってみた。痛くて走れないのか、走れば痛みが増すのかを調べてみたかったのだ。結果は、痛みはあるものの走れたし、走ったあとも痛みが増したりはしない。明日からひがながはテスト休みなのでその間走り込み、動ける身体にしてクリニックに臨もうと思う。 
’17年06月13日(火) ひがながは中総体の代休。部活はA練(08:00~10:30)。中島監督主体になっての練習2日目。ツーメンクロスの練習中、中島監督がプレイを止めて要点を説明し、自ら見本を示した。私は「ウマイッ!座布団1枚」と声をかけた。中島監督が「アザース」と言った。選手たちから笑いが起こった。 
’17年06月12日(月)  中総体最終日。第1試合の男子準決勝と第2試合の女子準決勝を観てひがながの練習に戻った。正確に言えば、女子準決勝純心対西浦上の残り20数秒45対45になったところで観ていられなくて会場を出た。話は少しさかのぼる。大接戦ながら純心がわずかのリードで試合が進んでいた。そんな中で後半、西浦上のポイントガードM選手が左手小指の第2関節を脱臼した。M選手はフロアの外の通路に連れ出され、椅子に座って当番校の養護教諭に冷やして貰っている。周りのおとなたちの中には整復できそうな人はいない。この大会に貼り付けられたドクターもいない。このままだとおそらくM選手はどこかの病院に担ぎ込まれるしかなく、この試合にはもう出られない。そう思った私は、その場で整復してやり「関節は戻ったからもう痛みはないはず。だからテーピングをして試合に出ようと思えば出られるけど、怖ければ出ない方がいい。ただし、いずれにしろ関節は元に戻したけど剥離骨折を伴っているかもしれないので病院には行かなければならないよ」と本人及び保護者に説明をして観覧席に戻った。するとそのあとすぐM選手がテーピングをしてコートに戻ってきた。それからしばらく接戦が続き、45対43で純心が2点リードしている状態で西浦上#7がゴール下のシュートを決めて同点になった。残り時間は20数秒。「俺は、純心側から見れば余計なお節介をしてしまったのかもしれない」そう思っていたたまれなくなり、会場を出た。ひがながに戻ってからもずっとそのことを考えていたが、「もし純心の誰かが同じケガをしたとしても俺は同じことをしたはず」と自分に言い聞かせ、この一件を締めくくった
’17年06月11日(日) 暦の上では2017年度になってから2ヶ月しか経っていないが、ひがながバスケの2017年度は今日で終了した。明日から新体制で動き始める。games & schedule 参照。
ひがながの試合は終わったが、第4試合の純心中1年生の中村真都選手を見ようと思って残っていたら、ギャラリーで中年のご婦人に挨拶された。私は初めてお目にかかるがつばさ保育園の理事長赤瀬氏(本業は造園業;株式会社水樹の会長)の奥様だった。「今日はなんで?お孫さんが試合に出てるんですか?」と聞いたら「いえいえ、従業員のお子さんが1年生ながらJ中学校でユニフォームを貰っていると聞いたので、顔を覚えておこうと思って観に来ました」という返事が返ってきた。素晴らしい!。こんな会社は世の中がどんな不況に陥っても潰れることはないと思う。 
’17年06月10日(土)  中総体の1回戦は11時半開始で、対戦相手は緑が丘。学校手配バスが9時発なので、8時から40分ほど学校で練習して出かけることにした。そこでまた私を激怒させる出来事が起こった。だが、大切な試合を前にして長々と説教はできないし、ふて腐れた練習指導もできない。もちろん気が乗らないベンチ采配もできないのですべてを飲み込んで試合の指揮に当たった。今年度重要公式戦で初めての1勝。しかも延長戦。本当は手放しで誉めてやるべきところだが、そんなこんなのあとなので晴れ晴れとした気分にはなれない。
games & schedule 参照。
’17年06月09日(金)  今日は明日から始まる中総体1日前の特別時間割で、女子バスケの部活動割り当ては前半(14:00~16:30)である。しかもハーフコートなのでそれは男子に譲り女子バスケは日吉自然の家に出かけた。日吉は遠くてピストン輸送はできないのでエントリー選手プラス5人の20人とし、5対5のスクリメージが2組できる人数に絞った。他の選手はオフにした。人物・技術・体力すべてにおいて必要不可欠なものを積み残したまま明日戦わなければならない。55年のコーチキャリアでこんなことは初めてではない。明日の戦いでもっとも重要なことは、積み残したものに悔いを残さず、勝つために最善の努力をすることだ。だから、3年生の思い出作りにまで気を回す余裕はない。
’17年06月08日(木)  古賀ミニバスに顔を出したら、「先生ちょっとちょっと」」とキャプテンのナミから手招きされた。付いていくと折り鶴がたくさん平均台の上に置いてあった。ナミが「これ全部先生へのプレゼントで~す」と言う。「いや、俺の誕生日は2ヶ月前に済んだし、何コレ?」と言ったら、みんなが「ま、いいいからいいから、とにかくおめでとうございま~す」と言って私に折り鶴を押しつけた。捨てるワケにもいかず、持って帰って自分の部屋のカーペットの上に並べた。何がおめでたいのかなあ?それがわかるまで撤去できない。 
’17年06月07日(水)  高校総体最終日の昨日、女子決勝リーグで腰を傷めた選手が出たのでDr宮本に緊急出動して貰った。久しぶりに見た彼は細くなっている。「先生痩せたでしょ」と問うと「はい、7㎏痩せました」と言う。「なんで?ダイエットかなんかしたの?」と、さらに問うと「はい、部下を持つ立場(長崎大学病院整形外科准教授、同医局長;46歳)になると、自己管理もしっかりやってることを身をもって示さなければ、と思って…」という答えが返ってきた。エライッ! 
’17年06月06日(火)  高校総体が終わった。毎年マイクロバスでひがながの選手を連れて行って観戦させていたが、今年は思うところがあって行かなかった。最近、思うところがいろいろありすぎる。
’17年06月05日(月)  平成29年度長崎市中総体参加案内UP games & schedule 参照。 
’17年06月04日(日)  ひがながはD練割当なのでオフ(28日のブログ参照)。だから高校総体を観に行った。最初は北陽台高校会場に顔を出し、それから長崎商業高校会場に移動した。長崎商業会場ではものすごく不愉快な出来事があり、その腹立たしさは夜になってもまだ治まらない。断っておくが、不愉快な出来事は試合内容や選手の態度や審判の判定などではない。大人の気配り不足が原因の出来事である。 
’17年06月03日(土)  喜々津中学校に数チームが集まる練習試合が計画され、その中にひがながも招待された。しかし、派遣したのは8名だけ、中島監督のクルマで運べる人数に限定し、残りの選手は学校で練習させた。喜々津での練習試合の采配は5月28日同様中島監督。私は学校で残りの選手の練習指導をした。練習は10時半からだったので、喜々津での初戦だけ顔を出して(ベンチ外で観戦)学校に戻った。午後は長崎東高校に高校総体の日大対西海戦を観に行った。3箇所ともワクワク感がなかったので帰りにJUSCOで宝くじを買った。
’17年06月02日(金)  20歳台の頃は飲み会には顔を出さなかった。歳を重ねる毎にそうもいかなくなり、たまには顔を出すようになったがそれでも最小限に留めている。今日はひがながの中総体前の懇親会(学校職員・保護者・外部コーチ)が行われた。過去4年間顔を出していなかったが、今年は思うところがあって顔を出した。 
’17年06月01日(木)  木曜日はひがながバスケ男女ともコミュニティ体育館を借りて練習する。女子は私のバスで運ぶが男子は体育館まで走る。男子の荷物はクルマ出し当番のママが運ぶ。それを知った私は荷物を私のバスで運んでやることにした。そうすれば当番ママの仕事をひとつ減らしてやることができる。今日はそのことでまた女子バスケ部員が私から怒鳴られた。バスの外では遅れた男子数人が荷物を持って待っている。女子は入り口で渋滞を起こしてグズグズしている。先に乗り込んだ者が着席するのを車内で並んで待っているからだ。「座るよりもまず車内に乗り込むか、乗り込みを中断して男子の荷物を先に入れさせてやればいいだろうが!状況を読め!」。.断っておくが、女子バスケ部の指導をしているので女子バスケ部員の気付き不足や気配り不足のことを書くのが多くなるが、他の部の気付き不足や気配り不足もたくさんあることを女子バスケ部員の名誉のために付け加えておく。部活動の指導は、試合に有効な技術を教えるよりもこんなことの指導の方が圧倒的に多く、また圧倒的に重要なのだ。 
’17年05月31日(水)  つばさ保育園の畑で赤たまねぎがたくさん採れた。つきぐみの子たちは自慢げな顔で「山崎先生、いつもバスでお世話になってるからいくつか持ってっていいよ」。気配りもなかなかだ。 
’17年05月30日(火)  18日のブログで、体育館の上り口の階段にこびり付いている砂のことを述べた。昨日の夕方、それがきれいに掃除されているのに気付いた。そこで部員の1人に「ここ、バスケ部が掃除した?掃除当番の子たちじゃないよね?」と聞いた。「はい、先週の朝練(木曜)の時に掃除しました」という答えが返ってきた。ほうきで隅々まで掃かれており、ザラザラの砂はきれいに取り除かれていた。が、粉状になった砂の微粒子がほうきだけでは掃き取れずにうっすらとまだ張り付いていた。それに気付いたら、ほうきで掃くだけではなく少し湿らせた雑巾で拭き取らなければならない。今回は私から指摘されたことを実行しただけ。その実行途中で、雑巾拭きに気が付くようならすでにひがなが女子バスケ部は強いはずなのだが…。 
’17年05月29日(月) 横浜市立飯島小学校の一般学級と個別支援学級を取材したドキュメンタリー番組を録画で見た。K君は3年3組の一般学級と個別支援学級を行ったり来たりしながら学校生活を送っている。K君は他人とのコミュニケーションが苦手なのだ。そこでお母さんが提案した。「苦しい時は伝えたいことをノートに書けば?」。それからK君は思ったことをノートに書き留めるようにした。
今日の出来事です。中休みに1人でトイレに行くと、あとから入って来た高学年の子に「個別学級の子だよね?」と言われました。「そうだけど」と答えると「個別の子、トイレ長いよね」と言われました。ニヤニヤしながら言われたのでとてもいやな気持ちになりました。
K君のノートの事を知った先生たちは緊急会議を開いた。そして、6年生の担任の先生がクラスでK君のノートの内容をパソコンで拡大して黒板に貼り、みんなに考えて貰うことにした。先生がK君のノートを最後まで読み終わらないうちにたまりかねた男の子が「先生、それ実話?」と問いかけた。怒っている。「個別学級の子はみんなトイレ長いってこと?」と別の子が言う。「個人の事であって個別学級の子はと決めつけるのは差別だよ」と、また別の子が言う。女の子が2人、顔を両手で覆っている。2人とも泣いていた。私もこどもたちの様子を見ていたら涙が出てきたが、一方で「日本はまだ大丈夫だ」とも思った。 
’17年05月28日(日)  今日は急遽片淵中学校との練習試合が入った。が、私は所用で不在。中島先生に采配を委ねた。今日の練習試合に参加する選手はエントリー選手のみ、それ以外の選手はオフである。エントリー選手は昨日をオフにした。ひがながバスケは金曜日が隔週で割当ありと割当なしになっており、割当なしの金曜日は原則としてオフ。土・日・祭はA(08:00~10:30)、B(10:30~13:00)、C(13:00~15:30)、D(15:30~18:00) が各部順番に回ってくるが、土・日・祭のD練は丸1日拘束されてしまうので原則オフとしている。21日(日)はD練割当なのでオフだったがこの日フタバヤカップが入ったので、その代休を今回取らせたのである。
’17年05月27日(土)  Bリーグの初代王者が決まった。リンク栃木ブレックスだ。私は国内の男子の試合をこれまで熱心に見なかった。統合される前のBJリーグやJBLだけでなく、大学生の試合も高校生の試合も中学生の試合もすべてだ。理由はコートから伝わってくるものがなかったからだ。観るのはWJBLの上位チームの試合だけだったが、それも最近は面白くなくなってきていた。が、今日の試合は違った。私は一瞬たりともテレビの画面から目を離さなかった。試合が僅差のシーソーゲームだったからではない。双方の選手たちの目から、この試合にかける気迫と熱意がビシビシ伝わってきたからだ。今日の東京体育館の観客席は超満員(1万人越)。みんな大満足だったと思う。この熱い気持ちが地方のミニバスまで伝わっていき、バスケットボールがメジャーになる日がそう遠くないことを想像しながら表彰式が終わるまで観ていた。
追伸:私の目を引いたのは、田臥選手のバスケットボールIQの高さとウィスマンコーチの賢い采配だった。
’17年05月26日(金)  ひがながバスケはオフ。つばさ保育園のお泊まり保育と蛍狩りの手伝いをした。夕食はカレー。ごはんは飯ごう炊飯。美味しそうにできあがったカレーをお皿に盛って貰い、みんなで一緒に食べた。出発前に、ほしぐみ担任の香島先生作の地図を見てルートを予習。それをバスの窓に貼って出発した。蛍はたくさんいたが、カメラのフラッシュに負けて蛍の光は残念ながら画像には映らない。8時半にバスに乗って帰り、園に着いたらシャワーを浴びて寝る。初めてママと離れて寝る今夜、夜中に泣く子が居るだろうなあ。 
’17年05月25日(木)  新入生は16人と紹介してからちょうど1ヶ月経った。古賀ミニバスからの5人を除く11人は全員素人だ。だが、その11人にも特色が出てきた。私は素人の選手たちであっても、基本的なことをチョコッとやらせたら早めに攻防の練習をさせる。ディフェンスはどっち向きで守ればいいのかまったく分からないのに1対1やフットワークをすっ飛ばしてやらせる。今日の攻防練習中、目良凜奈(メラリンナ)がドリブルで進みながらノーマークの選手を見つけようとしていた。しかも、ただノーマークの選手を探すだけでなく、自分もちゃんと相手を攻めながらのドリブルだ。そこでみんなを集めて「リンナのドリブルを見ていた人」と言って手を挙げさせた。10人ぐらいが手を挙げた。その中で「ここがすごい!と思った人はそのまま手を挙げておけ」と言ったら2人だけ残った。そのうちの1人であるナナを指名したら「周囲を見ながらドリブルしていたことだと思います」と答えた。正解だ。素人から始めてまだ1ヶ月で簡単にできることではない。しかし、26人の上級生と5人の古賀ミニバスを合わせた31人の中から、答えられたのがわずか2人だけだというのはちょっと寂しい。 
’17年05月24日(水)  今朝8チャンネルの「とくダネ!」で偽医師の話題を取り上げていた。西武クリニックという病院に勤めている美容整形外科の偽医師が、これまで12年間に渡って患者を手術してきたという。前の病院で事務員として勤めていた時、見よう見まねで処置を覚え、西武クリニックに医師として入り込んだそうだ。院長も彼が医師免許を持っていないという事を知っていて雇い、手術をさせていた。ちなみに彼の出身大学は京都産業大。もちろん医学部はない。私もスポーツ医学は勉強している。私の医学勉強は大学3年生の時に始まった。医学部で受けた解剖学の授業だ。本物の死体を半年かかってバラバラにする。これは熱心にやった。現場に立ってから最初に勉強したのは本棚の左端に立っている「生活と貧血」の本だ。昭和48年1月、選手の重症貧血を見抜けなかった反省から猛烈に勉強した。それからは、スポーツとケガについてはでの勉強や治療現場に立ち会うことで知識を増やしていった。だが、私は医師法違反となる医療行為は絶対やらない。 
’17年05月23日(火)  昨年の5月からずっと、私を苛立たせる事や怒らせる事が頻繁に起こっている。今日はその総まとめみたいな日だった。昔なら爆発しているところだが、今はそれらを飲み下せるようになった。だが、気持ちのどこかでまだ燻っているものがある。それを一気に消化させてくれたのが稀乃(キノ:古賀ミニバス3年生)ちゃんの笑顔だった。ありがと。 
’17年05月22日(月)  昨日、フタバヤカップ終了後3時前に大牟田を出発できたので5時少し前に学校に着いた。学校では居残り組のD練(15:30~18:00)が行われていた。留守番をお願いしていた浦先生(2児の母)にお礼を言ってあとを引き継いだ。居残り練習は、3年生ゼロ、2年生9人、1年生16人だが、欠席が5人いたので実質20人でやっていた。その中に今年入学したミニバス経験者が5人居るが、他は2年生も1年生も素人ばかり。教えて貰ったことを復習できるレベルの選手達ならば自主練が成立するが、メニューは指示してあったとしてもまだまだ教えて貰わなければ何もできない選手たちが、互いに注意し合ったり褒め合ったりしながら自分たちだけで練習するのは難しい。1時間ほどしかコートに立ってやることはできなかったが、間に合って良かった。 
’17年05月21日(日)  第7回フタバヤカップ最終日結果UP games & schedule 参照。 
’17年05月20日(土)  第7回フタバヤカップ初日結果UP games & schedule 参照。  
’17年05月19日(金)  久しぶりに通風症状が出た。7箇所目だ。しかし、1箇所で2回以上痛みが出たことはない。さて次はどこかしら。この通風も、腰痛(仙腸関節癒合)も、左膝痛(膝蓋大腿関節の軟骨がすり減ってほとんどない)も、心房細動による不整脈も、生涯治ることはないので「俺の身体の中にはいつも友達が4人住んでいる」と思って気楽に生きていくことにしようと、前々から腹は決まっている。 
’17年05月18日(木)  ひがながの体育館は2階にある。上り口の階段は14日以降、下から上までずっと砂がこびり付いたままだ。体育大会の昼食場所として体育館を開放した際に、多くの人々が上り下りして付いたグラウンドの砂である。「掃除当番がちゃんと仕事をしていないのは明らかだが、自分たちの仕事じゃないから放置してるのか!?それとも、砂がこびり付いていることすら気付かなかったのか!?体育大会が終わって3日も経ってるんだぞ!その間お前たちは毎日ここを上り下りしてるんだぞ!」 と、部員を階段まで連れて行って怒鳴りつけた。気付き・気配り・ほうれんそう。毎日毎日言っていても現状がこれだ。どんなに熱心に教えてもこんな集団は巧くも強くもならない。付け加えておくが、女子バスケット部だけがそうなのではない。見かけだけは礼儀正しく、躾が行き届いているように見えるが、中身はこれよりひどい部活動がたくさんある。こどもたちに関わるすべてのおとなたちがキチンと見守っていかなければ、こどもたちの気付き不足や気配り不足は解消しない。
’17年05月17日(水)  第7回フタバヤカップ参加案内UP games & schedule 参照。 
’17年05月16日(火)  選手が当番や係活動で部活動を入れ替わり立ち替わり欠ける学校行事が終わったので、これからはどの部活動も市中総体(6/10)に集中できる。ひがながバスケではこのところ、マユ(左ハムストリングス損傷)・ハルナ(脛骨疲労骨折)・カエデ(ヒラメ筋損傷)・モモハ(筋・筋膜性腰痛)・メイ(突き指による左人差し指中節骨剥離骨折)が時々メニューに入ったり抜けたりしながら練習に参加している。ケガの診断とフルメニュー参加不可の指示は私が出すが、どのメニューに入るか抜けるかは本人の意思による。その意思の根拠になるのは、身体を動かしてみた本人の感触(やれそうとかまだ無理とか)であって、「抜けるとみんなに迷惑をかけるから…」という感情が最優先であってはならない。 これは、市中総体半年前であろうが1ヶ月前であろうが変わらない。
’17年05月15日(月)  今日は体育大会の代休日。ひがながの練習はB練(10:30~13:00)。2月以降腰痛が再発し、トラムセットを服用しながら指導したりクリニックに出かける日が続いている。手持ちのトラムセットは今週使い切ってしまう。大学病院のDr宮本の診察日は月曜日。いつも朝1番に行ってクスリを出して貰うが、今日はDr宮本がタイに出張していて今朝10時に大村空港に着くので、私の診察は朝1番ではなく12時になった。そのためひがながのB練を11時半に抜けさせて貰った。午後は4時に学童の送迎を済ませ、古賀ミニバスには練習開始から顔を出せた。サプライズで75歳の誕生日を祝って貰った。今日から後期高齢者の仲間入りだ。 
’17年05月14日(日)  絶好の体育大会日和だ。R子は予告通りぶっちぎり1着でゴールした。しばらく体育大会を観た後、私は古賀ミニバスに顔を出した。KちゃんとHちゃん(2人とも5年生)は入部して1週間。城コーチが一生懸命この2人にシュートを教えていた。4月26日のブログに「日本代表コーチに関わる可能性のあるスタッフたちは、このような選手を地方のコーチがこれからどう育てていくのか、自分の足で見て歩くといい、それが一番勉強になるよ」と書いた。それは、こういう場面のことを言いたかったのだ。  
’17年05月13日(土)  ひがながバスケはC練(13:00~15:30)。体育館に行く前にグラウンドに立ち寄った。あれだけの雨の後なのにぬかるんでおらず、砂ぼこりもたたない絶好のコンディションだ。ピロティには今日の部活生で保護者席が作られ、あとは明日の朝テントを広げるだけだ。明日のバスケ部練習はオフなので、プログラム1番(9:35開始)の女子100㍍走を観て古賀ミニバスに顔を出そうと思う。 
’17年05月12日(金)  ひがながバスケはオフ(金曜日の体育館割当無しの日は原則オフ)。学校では本来明後日の体育大会の総練習と会場作成をやる日だったが、今日は雨だということが分かっていたので昨日それを済ませ、今日は平常授業。ただし、テントを立てると雨で潰れるので脚は折って設置した。雨は今夜も降り、明日の午後上がって明後日は晴れるようだが、天気はよくなってもグラウンドの水はけが大丈夫なのか少し気になる。「100㍍走は1番になるから見に来てね~っ」とR子に言われた。延期にならなければいいが…。 
’17年05月11日(木)  昨日古賀ミニバスに顔を出せたのは6時50分だった。終了10分前だ。でも行ってよかった。私が到着した時、Mちゃん(4年生)が過呼吸で介抱されていた。過呼吸の原因は練習中に転倒して手首を傷めたショックだった。私はまず過呼吸を治めてから手首を診た。骨折だ。その時の状況をママたちから聞いたが、手首を逆手で着いたのではなく、手の甲の方から床に着いたようである。腫れと変形からして若木骨折ではなくポッキリいっているようだが、今から救急外来や当番医を探して急ぐような腫れや変形ではないので、段ボールの切れっ端とテーピング用テープで副木固定し、翌日朝から整形外科医に診て貰うように指示した。その結果が今日判った。尺骨骨折全治1ヶ月だった。 
’17年05月10日(水)  車検に出しておいたバスが今日返ってきた。12回目の車検だ。このバスは平成17年(2005年)の6月に新車で買った。今のところ、16回目の車検が終えるまでは何が何でも持ち堪えて貰いたいと思っている。その前に私の身体が廃車になるかもしれないが、その時はその時だ。 
’17年05月09日(火)  昨夜録画しておいたNBAイーストのセミファイナルを見た。キャブスがラプターズをスイープしてカンファレンスファイナル1番乗りを果たした。私はレブロンの試合を観るときには野球のイチロー選手のことがアタマに浮かぶ。レブロンはキャブスで活躍し、その後マイアミに移籍したが、マイアミがキャブスのホームタウンのクリーブランドで試合をするときは常に、観客からのブーイングの嵐だった。一方イチロー選手はヤンキース時代も現在のマーリンズでも、古巣のシアトルで試合をする時はいつも、観客はスタンディングオベージョンでイチロー選手を迎える。この現象が、レブロンとイチローの人柄の違いから来るものなのか、クリーブランドのファンとシアトルのファンの気質の違いによるものなのか私には分からない。が、スポーツの試合はどの競技であっても清々しい試合であって欲しいと私は思う。 
’17年05月08日(月)  5月2日に大学病院で腰部CTを撮った。その後連休に入ったので結果が分からないまま宇部(錬成会とクリニック)に出かけた。その結果を聞きに今日大学病院に行った。結論、真犯人が分かった。だが、逮捕しても処罰できない犯人なのでこのまま対症療法を続けるしかない。詳しく説明する。痛む部分は前に予測したとおり仙腸関節上部である。参考のために分かり易いCT画像で示すと、普通の仙腸関節には仙骨と腸骨の間に隙間がある。私の仙腸関節では上部が癒合しており、下部では後仙腸靱帯が骨化して固くなっていて、それが骨棘(こつきょく=とげ状)となり、それがさらに骨折していた。外科的治療をするならば仙腸関節を固定する大手術をしなければならないが、それをやれば運動どころか普通に歩くのも不自由になるのでそれはやらない。そのうち骨棘も削れてトゲトゲがなくなり、いつの間にか痛みも軽くなるだろうから、この腰痛とは気長に付き合いながらこのまま生きていくことにした。 
’17年05月07日(日)  ひがながは本来D練(15:30~18:00)だが、A練(08:00~10:30)枠の卓球男女が試合で居ないことが分かったのでA練枠で練習させてもらった。そのあとヒマ過ぎるので鶴鳴に出かけた。鶴鳴で他校との錬成会があり、その指導を頼まれた際に、その一環で鶴鳴の指導をすることはあるが、鶴鳴単独の指導は決してやらない。今回は、宇部遠征中に診たケガ人の様子を見に行ったのだ。宇部で診た時、練習は全面禁止とはしないが参加する種目を選ぶよう指示しておいた。だが、案の定それは守られていなかった。その動作で使われるのはどの部位の筋肉だとか、ケガが治る課程(組織の破壊→白血球による貪食作用→修復・再生)や治るまでの期間のことなど、どんなに説明してやってもそれを理解できてその後その知識を活かせる人は過去にも居ないので、選手が守れていなかったのは仕方ない。再度説明して帰ってきた。 
’17年05月06日(土)  朝7時に学校を出て喜々津中学校に向かった。ひがなが・喜々津中・明峰中・向陽高校の4チームが集まっての錬成会だった。昨日まで他県の高校生の試合を観たり中学を指導してきて、4日ぶりに自分のチームのプレイや試合運びを見た。当然私の目は他県の高校生や中学生と比べながらひがながを見る。昨日クリニックをしてきた山口の中学生と対戦させるとひがながが大差で負けることは明白だが、それでも「ここがひどい!」という箇所は特別にないのである。もちろんひがながにずっと居座り続けている素人っぽさは随所に出てくる。が、それは折り込み済みでそれがあるから試合にならないというものでもないのだ。だが、選手の試合ぶりを見ていて感動しないのである。ということは、試合をしているひがながの選手に「やったぞ!」や「やられた、クソッ!」がないのだろうと思う。戦いに臨むにはこれがもっとも大切なことなのだが…。
’17年05月05日(祭)  宇部カップ最終日。午後中学生のクリニックをした。その最中に長崎から古賀ミニバスの子が手首を傷めたけどどうしましょうという相談の電話が入った。忙しいクリニックだった。5時少し前にクリニックを終わり、長崎女子短大に着いたのが8時半過ぎ。私のバスは月曜日から車検に出すので代車として鶴鳴バスをそのまま借り、矢上方面の子をそれぞれ家まで送り届けて自宅に帰り着いたのが10時。それからHPの更新をしたので今日は遅くなった。明日は朝7時出発。喜々津中での練習試合だ。過呼吸になりそう。フウ…。
備考:宇部から長崎のDr宮本に診察依頼をしたが、古賀ミニバスの子は手首の若木骨折だった。 
’17年05月04日(祭)  宇部カップ2日目。午後になるとどこも疲れが出てくる。すると、実力通りの試合ならばAチームがBチームに負けるはずがないのに負けたりすることが起こる。「格下だからベンチプレイヤー主体で戦おう」としなくてもだ。こんな試合はほんの些細なできごとから起こった傷口がどんどん広がってこういう結果になる場合が多い。これが少ないチームが真に強いチームである。強いチームの選手は些細なできごとの危険性をいち早く察知し、まだ傷口が小さいうちに傷口を広げない工夫をする。真に強いチームのコーチは傷口がそれ以上広がらないように、タイムアウトや選手交代等で切り抜ける工夫をする。だがそれは、日頃の練習からやっておかなければ今日の試合で急にそれをやろうとしてもできるものではない。 
’17年05月03日(祭)  宇部カップ初日。鶴鳴時代もゴールデンウィークは毎年倉敷カップ(今年から宇部カップ)に参加していた。過去30年間、行きも帰りも逆側は大渋滞だったがこっち側は渋滞に巻き込まれたことがない。それが今回は2度も渋滞(自然渋滞と事故渋滞)に巻き込まれた。三根さん、出発前によっぽど悪いことしたでしょう。 
’17年05月02日(火)  4月11日に「CTがいつ予約できるかはまだわからない」と書いたが、それが今日取れた。2014年の正月から引きずっている腰痛の真犯人を突き止めるのが今回のCT検査の目的だ。大学病院からの帰りには、最近でもっとも激しい腰痛に襲われ、バイク置き場まで行く間に途中でベンチに座って休憩した。このままだと5日の午後から慶進高校でやるクリニックが心配だ。今日、朝からトラムセットを服用したがそれでも効かなかったのでロキソニンも服用した。CT画像をもとにした真犯人突き止めは、連休明けになると思うので、5日のクリニックは、クスリを服用しながらやるしかないだろう。
’17年05月01日(月)  私はひがながの練習が終わったら必ず古賀ミニバスに顔を出す。たとえ練習時間が残り10分しかなくてもだ。3月になって城夫妻コーチに替わってから指導者不在の時間帯が圧倒的に少なくなったので、指導のために顔を出す必要はないのだが、ケガ人の相談が時々あるのでそうするのだ。しかし、今日は昨日の試合のことがあったので古賀小に顔を出すのは気が重かった。 
’17年04月30日(日)  ひがながはA練(08:00~10:30)。だが、バレー部がどこかへ出かけたらしく全面がら空き。だからエントリー主体の練習も初心者たちの指導も腹一杯できた。その後私は、村松小で行われていたミニバスの交流試合の審判をしに行った。今日の古賀ミニバスの試合はどれも、この3年間でもっとも面白くない試合だった。理由は選手たちから戦う気持ちや何かを目指す気持ちがまったく伝わって来なかったからだ。だが、全員がやる気なしなのではない。こういう空気になるには必ずその発信源がある。それが特定の個人であったり、特定の事象であったり、また今日の試合でたまたまそれが出たり、日頃の練習でずっと引きずっていた事が今日発症したりなど様々である。コーチが何かを熱心に教えればチームはそれに比例して強くなるのではない。コーチの仕事は、技術指導よりもこのような問題をうまく処理しなければならないことの方が圧倒的に多い。ただ、2年生になってからバスケを始め、まだバスケ歴3週間の美音(みおん)ちゃん(ピンク14番)だけは見ていて楽しかった。「この人は責任持って私が守りますっ!」という気持ちがビンビンこっちに伝わってくる。この初々しさが6年生になっても中学生になっても色あせないようにするのは、少年期のスポーツ指導に関わる我々大人たちの責務である。 
’17年04月29日(祭)  ひがながはB練(10:30~13:00)。だが、男子が試合に出かけていてA練の時間帯(08:00~10:30)が空いているので9時から11時半まで練習し、長崎新聞社杯女子決勝(12:10開始)と男子決勝(13:30開始)を観に、希望者だけマイクロバスで連れて行った。男女とも目を引く試合はなかったが、1人だけ私の目を釘付けにした選手が居た。純心中1年生の中村真都(マコト)選手だ。オフボールの時の彼女の目を追いかけ、彼女のアタマの中を覗き見るのが楽しい。楽しみといえば、今日ジュニアオールスター男女準優勝の祝賀会があったが、その中の1人米須玲音(ヨネス レオト)君もそうだ。私は彼が1年生の時のプレイしか見たことがない。兄の楽人(ガクト)君のプレイは彼が長崎日大在学中に初めて見て衝撃を受け、私のブログに「長崎のステファン・カリーだ」と書いた。その弟の玲音君が3年生になった今年、どんなプレイをするのか是非見てみたい。 
’17年04月28日(金)  少年期のスポーツが変わってきている。私たちの少年時代のスポーツはほとんどが学校体育の範疇だったが昨今のスポーツ界でマスコミに登場する選手たちはほとんどがクラブ育ちだ。それによって、こどもたちに人気のあるスポーツや関心を持たれないスポーツも昔と今は違う。今後、オリンピックのメダリストたちはクラブ育ちの中から多くが排出され、学校体育の中から出るのはますます少なくなっていくだろう。メダリスト養成が重要であるならばそれでよいが、スポーツの裾野を広げるという観点からは果たしてそれでよいのか。文部科学省はじめ、体協・競技団体・高体連・中体連・高野連等が一体となって国家的視野で取り組まなければならないのではないかと最近つくづく思う。現に、昔は花形スポーツでマスコミに頻繁に登場していたスポーツなのに、最近は人数が少なくて部活動が成立しない部や、大会を開催してもチーム数が少なくて、総当たりリーグをして1日で決着がついてしまう競技が私の身辺でも起こっているのだ。
’17年04月27日(木)  新入生の中に学校の部活以外でサッカークラブに所属している子がいる。母親がおそるおそる兼業OKかどうか聞いてきたがそんなの全く問題ない。練習日が木曜日なのでその子は今日サッカーの練習に行った。また、火・木は塾に行ってる子の母親からその日は少し早く迎えに来てもいいかと尋ねられたがそれも全く問題ない。上級生の中で塾に通ってる子が何人も居るが、その子たちは練習終了後バスで塾まで送り届ける。それは言わないまま「どうぞ、かまいませんよ」と言ったが、様子が分かってくればその子もバスで送り届けることになるかも知れない。ま、最初は子も親もいろんな事を聞いてくるが、それもすぐに落ち着くだろう。
’17年04月26日(水)  素人の新入生の中に、小さいけど足元がしっかりしていてリズム感(これが重要)がいい選手と、162㎝以上の選手3人の中で今後が楽しみな選手を1人見つけた。
’17年04月25日(火)  新入生は16人。写真撮影が完了した。今日はコミュニティ体育館での練習。総勢42人になるのでマイクロバス(定員29)は2往復しなければならない。帰りは中島監督のクルマ(行きは仕事で間に合わない)と、塾や習い事の選手は保護者が迎えに来るのでなんとかなる。それでも、古賀・高城・矢上の3校から集まったので範囲が広がり、練習終了後にそれぞれの家の近くまで送り届けるのに時間がかかる。フウ・・・ 
’17年04月24日(月)  新入生全員が揃ったのでHP掲載用の写真撮影をしたが、撮影順に記入させた名簿と画像が合わない。名簿に記載して貰うべき項目が記載されていない。そんな不手際がいくつかあったので、その処理をしていてHPの更新に手間取った。どうもほうれんそうがうまくいかないなあ。明日再撮影しなければならない。 
’17年04月23日(日)  長崎新聞社杯2日目。ひがながは初戦で負けたので、今日は通常体育館割当通り(C練=13:00~15:30)の練習である。不参加が5人。そのうち不参加の理由が判明しているのが1人。他の4人は理由不明。その内訳は、3年生2人と新入生2人。不参加自体は何も悪いことではない。理由不明なのが問題なのだ。新入生はまだ私の指導を受け始めたばかりなので仕方がないとして、組織の1員としてほうれんそう(報告・連絡・相談)の重要性を何度も私から聞いているのに、まだそんなことをする3年生が居る。そんな組織は解散に値するか、当事者は国外追放に値する。 
’17年04月22日(土)  長崎新聞社杯結果報告UP games & schedule 参照。 
’17年04月21日(金)  新入部員は16人だということが今日判明した。そのうち5人は古賀小でちゃんとミニバスをやった選手だ。他は全員中学から始める子たちである。その中の1人に「なぜ小学校から始めなかったの?」と聞いたら「お母さんが運転免許を持っていないので、やりたかったけどできませんでした」という答えが返ってきた。そうだ、ミニバスはどこでも親が送り迎えできるという条件付きの活動なのだ。古賀ミニバスにはしばしば手伝いに出かけるのでそのことは知っていたのに、なぜひがながにはたくさん素人の子が入部してくるのか?、という思いとは結びつかなかった。バカだなあ俺は。そんな思いをして入部してくる子たちに「バスケット部に入ることができてよかった」という思いを持たせないまま卒業させるわけにはいかない。 
’17年04月20日(木) 

長崎国際大学人間社会学部講師及び男女バスケットボール部監督として元安陽一氏(35歳)が、4月1日付けで着任した。元安氏は山口県徳山高校→早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士課程→秋田ノーザンハピネッツアシスタントコーチ→大阪エヴェッサアシスタントコーチを経て今春同大学講師として赴任した。県協会競技力向上部門にぴったりの人材だと思う。是非長崎県バスケットボール界の底上げに力を貸して貰いたい。 

’17年04月19日(水)  先週金曜日に部活動紹介があって、今週月曜日から新入生が各部の見学に出かけたり実際に入部して活動を始めたりしている。鶴鳴時代もそうだったが、4月いっぱいは上級生が新入生に教えてやることがチーム練習の主体になる。この期間に私の口から出ることばは「うまく教えてやれないということは自分もできないということだ!」である。技術指導だけでなく、新入生がドキドキしながらやっている心情まで察してやらなければならないのだ。鶴鳴風軍団の上級生たちは、教えている時の目つき、チェックの仕方、指導する際のことば、心情把握すべて完璧だった。風軍団以前には小島純子(昭和61年)がそうだったが、風軍団以後同じことができる上級生には出会えていない。 
’17年04月18日(火)  金曜日に2人故障者が出た。1人はカエデ。前に傷めたふくらはぎの上部(ヒラメ筋起始部)の痛みだ。もう1人はモモハ。腰痛だ。モモハの姉(ナツメ)は2年生の時腰痛を訴え、検査したら4と5の2箇所の椎間板ヘルニアだった。姉妹なので同じ傷害を予想したが、モモハのは筋・筋膜性疼痛だった(X線やCTでは特定できない)。2人ともしばらく安静が必要だが、問題は週末の長崎新聞社杯に間に合うかどうかだ。もし間に合ったとしても無理はさせない。週末の試合で良い結果を残すことよりも、これからも続けていくだろう彼女たちのバスケット活動に支障を残さないことの方が重要だからだ。 
’17年04月17日(月)  ミニバスの春季戦会場の山里小学校のすぐ近くに永井記念館がある。それはずっと前から知っていたが、その庭に緑色の花びらを付けた桜の木があるのを1昨日はじめて知った。さくらの花びらはピンクに決まってると私思っていた。それが薄緑色なのだ。葉ではなく花びらがだ。御衣黄(ぎょいこう)という種類だそうな。知らなかったなあ。備考:高校春季・ミニ春季結果UP games & schedule 参照。 
’17年04月16日(日)  今日もひがながはA練(08:00~10:30)。今日は10時開始の高校春季戦女子北陽台対長崎西(於:西陵高校)を観に行くつもりだった。予定通りならばひがながの練習は早退するが終盤の少しだけでいい。ところが昨日のミニバスの試合で古賀が勝ち残ってベストエイトに入り、今日9時から第1シードの高尾と対戦するのでそれを観に行ってやらなければならなくなった。だから今日は昨日より早い早退で山里小に飛んだ。古賀が強くなったとはいえまだ高尾に勝つ力はない。負けを見届けてから西陵に跳び、北陽台対長崎西と鶴鳴対長崎西の試合を観たが、ミニバスの試合は面白いが高校の試合は面白くない。ワクワクしないのだ。具体的に言えば「このチームのこれを観に行こう」とか「あのチームのあの選手を観に行きたい」とか「あの監督の采配を見たい」等の特色がないからだろうと思う。 
’17年04月15日(土)  ひがながはA練(08:00~10:30)。しかし今日は、是非観ておきたい公式戦が3種類ある。09:30開始の高校春季戦女子日大対女商(於:吾妻体育館)と、市ミニバス春季戦女子11:00開始の古賀対城山と14:00開始の古賀対戸町(於:山里小)、それに15:30開始の高校春季戦男子大村対瓊浦(於:大村高校)だ。監督の中島先生に事情を話し、08:40にひがながの練習を早退させてもらって3会場をスクーターで走り回った。総走行距離131.6㎞。何故是非観ておきたかったのか?そして観た感想はどうだったのか?「観ておいてよかった」とは思うが、それ以上のコメントはしない。聞きたい人はメールしなさい。
’17年04月14日(金)  長崎新聞社杯参加案内UP games & schedule 参照。
備考:NBAの順位が決まった。15日(日本時間16日)からプレイオフが始まる。東地区はセルティックスが1位だ。コーチのブラッド・スティーブンス氏はまだ40歳と若い。バトラー大学(インディアナポリスにある学生数5000人弱の小さな大学)を2年連続でNCAAファイナルまで導いた手腕を買われ、37歳の時にセルティックスのヘッドコーチに引き抜かれた。コーチKやロイ・ウィリアムス氏と並ぶ名コーチになるだろう。 
’17年04月13日(木)  ”気付き”の詳細を述べる。月曜日の練習はエントリーメンバー主体(15名ではなく12名に絞り込んで)である。素人から始めた新2年生のA子も将来性を見てその中に入れている。A子はテスト休みに入る前日(土)休んだ。何の連絡もないので体調不良なのか寝坊したのか分からない。休み明けの昨日はエントリー主体の練習なので通常ならA子も休みなのだが、そんなことがあったあとだし、しかもA子はエントリーとはいえほとんど試合には出ないのだから、昨日は練習に来るべきだった。気が利かなさ過ぎる。また昨日は、校長が体育館に激励に来た。校長はいつも上履きを脱いで靴下で体育館に入ってくる。2年前、そんな時にサッと対応できるようにスリッパを常に用意しておけと言った。が、昨日はだれも動かない。校長が戻ったあと、私はみんなを集めて「しまった!と思った人手を挙げて」と言った。半数は手を挙げた。しまった!が数人居るのに誰も動かないので、私は「ひょっとしたら更衣室にスリッパがないのか?」と聞いた。すると数人がコックリした。私は「あ、そうか」でその日は終わったが、それならそれで誰か校舎の玄関の下駄箱までダッシュして取ってくればいい。1分とはかかるまい。だが昨日はチームの半数しかいないのでそれ以上は言わず、全員が揃った今日、練習が始まる前にこの2つの出来事の対応について述べた。ほうれんそう(報告・連絡・相談)の大切さについてはこの2年間ずっとしゃべり続けてきたのだが…。あとで分かったが、スリッパは更衣室ではなく部倉庫に移動させたらしいが、それが全員には伝わっていなかったようだ。
’17年04月12日(水)  テスト休み明けの練習再開初日。今日は学校で半面しか使えない日で、エントリーメンバーはオフ、バックアップメンバー主体の練習日である。気付き、気付き、気付き、気付き…何度チェックしたことだろう。バックアップメンバー主体だからではない。エントリーメンバー主体であっても大差はない。でも投げやりな指導をしてはならない。根気勝負だ。 
’17年04月11日(火)  2014年の鶴鳴正月合宿の最終日に、腰痛で審判を免除して貰ってからずっと腰痛を引きずっている。大学病院で診察して貰ったところ、脊柱管狭窄や椎間板の変性や骨の変形はない。結局4-5間の椎間関節が怪しいということでトラムセットというクスリを貰った。この3年間、痛くて毎日飲まなければならない時もあったが数ヶ月飲まなくても大丈夫な時もあった。だが痛みが完全には消失しない。最初の診断でも「怪しい」であって「こいつが犯人だ!」ではなかったので、今日真犯人を突き止めるべくDr宮本に再診を依頼した。結局大学病院でCTを撮ってから犯人を突き止めることになった。CTがいつ予約できるかはまだわからない。
’17年04月10日(月)  昨日からダイエットしている。朝食だけしか食べない。あと6日で終了し、その後元に戻す。体重はもう何年も量っていないので自分の体重が何㎏なのか知らないが、「動きが重いな」と感じたらこのような調整を年に数回実施する。今日は2日目だが「腹減ったぁ」とは感じない。ま、これまで何回もやっているので、終了近くなっても「腹減ったぁ」はないと思う。
’17年04月09日(日)  テスト休み初日。今日は1日中吾妻体育館で行われたミニバス(愛野・湯江・古賀)3チームの練習試合の審判をした。ミニバスの審判をする時は、プレイに大きく影響しない限り軽いファウルやバイオレーションは吹かないようにしている。今日はラインを踏んだバイオレーションを3回取り上げたが、どれも「ナイス」や「惜しい」や「よく頑張った」と思うプレイだ。気持ちの中では「見てしまったけど見てないふりをしたい」と思いながら笛を吹いているので、さすがに3回目を取り上げた時は笛を吹いたあと「俺の目の前でラインを踏むなぁ!」と言った。 
’17年04月08日(土)  87点しか取れなかった経緯を述べる。元凶は、見せられた16枚の画像を、いくつかの問題を解いた後に思い出して画けという作業である。全部は画けなかったのだがそれは問題ない。たぶん、高齢者でなくても16枚全部は画けないと思う。いけなかったのは次の2つの作業だ。1つ目は各行に書かれた1と2の数字をすべて斜線で消せという作業である。サッと終わった。ところが、1から10までの数字なので1と2は各行に1個ずつしかないのだと私は勝手に思っていた。タイムアップ直前に他にもいくつか1と2の数字があることに気付いたがもう間に合わない。2つ目は8時20分を指す時計の図を描けという作業である。前の設問で「しまった!」という思いを引きずっていたのか、私は長針(20分)と短針(8時)の長さをあべこべに描いてしまった。これも終了と同時に気付いたが手遅れ。なぜそんなことが起きたかというと、「さっきの画像を忘れないようにしよう」と思いながら、数字消しと時計描きの作業をしたからだ。バカぁ!
’17年04月07日(金)  5月15日で75歳になるので、それまでに運転免許の更新をしなければならない。今日はその更新のための高齢者講習受講日である。95点以上は取れたと思っていたが、認知機能検査で「はい終了です」と言われた瞬間に「あ、勘違いしていた」と気付いたがもう間に合わない。合格ではあるが87点だった。クソッ!
’17年04月06日(木)  今日はほとんどの小中学校の始業式。新年度の学童クラブつめくさの送迎も今日が初日。これまで、6年生になっても在籍した児童が居た年もあるが、おおむね5年生になったら辞める子が多い。今年は矢上小で2人、高城台小で2人5年生が残ったが、バスに乗り込んでこないこどもたちの顔を思い浮かべ、「ああ、あの子は辞めたのでもうバスに乗ってくることはないんだ」と、ちょっぴり寂しい気持ちになった。 
’17年04月05日(水)  今日の干潮は午前11時という情報をもとにつばさ保育園のつきぐみさん・ほしぐみさんをマテ貝堀りに連れて行った。島原新港には10時に着いたが潮はいっぱいに満ちている。ネットで調べたら干潮は10時7分。しかも大潮ではなく小潮。今ですら砂浜はまったく見えないのに11時まで待ってるとますます潮は満ちてくる。マテ貝掘りはあきらめて百花台公園で遊んで帰ることにした。せっかく長靴履いて行ったのにい。 
’17年04月04日(火)  今日はD練(15:30~18:00)。昼間時間があったし暖かかったので団地内のいつものコースを走った。札幌クリニック(2月3・4日)から帰ってきて初めて走った。2ヶ月ぶりだ。その間、バスケ指導や審判は通常通りやっていたが、アスファルト道路を走るとやっぱり左膝が痛い。サラと大腿骨の軟骨がすり減っていて、むき出しになっている骨同士がぶつかり合って痛いのだ。かといって、水が溜まって腫れたり熱があったりはしない。まあ、こんな感じが死ぬまで続くのだろう。
備考:NCAA男子トーナメント決勝。ノースカロライナが71-65で勝った。コーチのロイ・ウィリアムス氏は前任のカンザス大でも数々の実績を残している。間違いなく、殿堂入りする名コーチだ。 
’17年04月03日(月)  ボールキープ力がないので一旦主力ローテーション競争から脱落したラムが3月から復活。リバウンドボール奪取の踏み込みジャンプを重点的に指導し始めたら、やたらに目立ち始めたのがその発端だ。このところスタメンから外せない選手になった。ところが今日の練習前に「先週ぐらいから膝が痛いのですが…」と申し出てきた。調べたらオスグッドシュラッテルだ。練習軽減とストレッチを入念にやらせながら発育が止まるまで待たなければならない。ナナ・カエデ・モモハはスタメン常連で、残り2枠を争っているサヤカ・キラリ(リスフラン関節捻挫)・ハルナ(脛骨疲労骨折)・ラム(オスグッドシュラッテル)の4人のうち3人をケガで練習を軽減(または除外)させなければならなくなった。だが焦りは禁物、復帰までには忍耐が大事だ。
備考:NCAA女子トーナメント。コネチカット大の112連勝目を食い止めたミシシッピー州立大は、決勝戦でサウスカロライナ大に負けた。 
’17年04月02日(日)  鶴鳴杯最終日結果UP games & schedule 参照。
備考:NCAA男子トーナメント準決勝。ゴンザガ77-73サウスカロライナ、ノースカロライナ77-76オレゴン。決勝は明後日ゴンザガ対ノースカロライナで争われる。
’17年04月01日(土)  鶴鳴杯初日結果UP games & schedule 参照。
備考:NCAA女子トーナメント準決勝。ミシシッピー州立大とコネチカット大は延長でミシシッピー州立大が勝ち、コネチカット大の連勝が111で止まった。