2016年度版 2016年4月〜2017年3月
17年03月31日(金)  古賀ミニバスを時々手伝いに行きながら最近思うことがある。古賀ミニバスで5年生になってから始めた子の伸びと、ひがながの1年生の伸びが違うのだ。バスケット経験は共に1年だけど古賀ミニバスの子の方がカタチになっている。スキャモンの発育発達曲線によれば、技術系(青線)は低年齢になるほど伸びが急速で14歳ぐらいからほぼ横ばいになる。古賀ミニバスの5年生は開始年齢が11歳。ひがながの1年生は開始年齢が13歳。この2年の差が大きいのかなあ?よくわからん。
備考:2016年度は今日でおしまい。明日からは2017年度版を見て下さい。
17年03月30日(木)  今日も古賀ミニバスには開始時刻から間に合った。そのことを午前中城ママ(アシスタントコーチ)にメールで知らせたら、城パパ(監督)から城ママ経由で「自分が到着するまでの間に○○のワザを教えておいてください」という要望があった。だんだん俺の利用頻度が高くなってきている。
追伸:ミニバス男子黒髪小(全国大会パート優勝)・ジュニアオールスター男女とも準優勝。アッパレ! 
17年03月29日(水)  ひがながはB練(10:30~13:00)。午後は古賀ミニバスの開始時間(16:30)に顔を出せた。城監督は勤務終了後に来る(おおむね18:00頃)ので、それまでは指示されているメニューを選手たちは自主的にやる。私はそれを見ていて声かけをするだけだ。声かけと言っても「こうしろああしろ。そのやり方はダメだ」とは決して言わない。城監督が日頃指導していることと違うことを言えば選手が混乱するからだ。監督が現れたら、あらかじめ指示してあるメニューではなく、城監督のアタマの中にあるアイデアが提供される。今日はハーフコートオフェンスの3人の動きの練習だった。ペイントエリアに1人ディフェンスを置き、その動きを見て3人が正しいプレイを選択する練習だ。そのディフェンス役を私が買って出た。先日のことがあるので城監督は「いやいや、先生今日はいいですよ」と言う。だけど目には「お願いします」と書いてあった。
17年03月28日(火)  先々週からハーフコートオフェンスの動きの手直しをしているが、今日さらにそれに手を加えた。私の場合、スピードや強さを要求するのは最後の段階である。場面理解と正しい動作の習得が最優先だ。だから、ひがながの練習で選手が息を切らせて苦しむ場面はない。体力的には疲れないが、今月のひがながの選手たちはたぶん脳が泡を吹く寸前かもしれない。でも、素人であろうがまだ未熟であろうがもうそこに踏み込まなければならない時期なのだ。
17年03月27日(月)  昨日家に帰ったのは夕方6時頃。テレビを点けたら稀勢の里が花道を土俵に向かって歩いてくる様子が映った。私は思わず「エーッ!」と言った。日本中の誰もが稀勢の里12勝3敗。照ノ富士14勝1敗で、照ノ富士の優勝だと思っただろう。奇跡だ!日馬富士との一番で私は「あ、肩関節の脱臼だ」と思った。しかしその後の様子が違う。千秋楽には左肩の内側に内出血があったという。日馬富士戦の画像を見れば大胸筋上部を抑えているように見えるが、筋断裂か?5月場所の初日(14日)まで7週間。間に合うかなあ。
備考:NCAAベスト4が今日決まった。サウスカロライナ・ノースカロライナ・ゴンザガ・オレゴンの4つだ。ゴンザガは初のベスト4。八村選手はスリーポイントを1本決めた。準決勝は4月1日、決勝は4月3日だ。
17年03月26日(日)  ひがながの練習はオフ。午前中は古賀ミニバスの手伝いに出かけた。1対2のドリブルの攻防練習には3の倍数の人数が要る。今日の参加者は13人だったので、城監督の指名により私と加藤コーチが入った
「ジョーさん俺はあと1ヶ月半で75歳だぞ!」。午後はコミュニティ体育館で行われている第3回ルミネカップを観に行った。これは、土井首・南長崎・畝刈・上長崎・村松・桜ヶ丘・古賀・稲佐の8つの小学校の6年生だけが集まって6つの混成チームを作り、三角リーグをやる親善試合である。ルールは中学生ルールだ。中学のコーチはこのプログラムに顔を出してみるといい。ミニバスの指導者たちにアタマが下がるぞ。
17年03月25日(土)  錦織選手はマイアミオープンの2回戦でアンダーソン(南アフリカ)選手に完勝。ヨシ!NCAAトーナメントは昨日と今日でベストエイトが決まった。フロリダ・サウスカロライナ・ゴンザガ・ザビエル・ケンタッキー・ノースカロライナ・オレゴン・カンザスの8つである。明日と明後日でベスト4が決まる。ベスト4以降の開催地はアリゾナ州のグレンデール。人口22万強の町だが、観戦に行こうと思ってもたぶんホテルは取れないだろう。
追伸:イリノイ大学女子ヘッドコーチのマット・ボーラントが3月14日付でクビになった。寂しい。 
17年03月24日(金)  今日は修了式。学校行事は午前中で終わり、体育館は前半割当で男女ともに使用できるが、半面では狭すぎるのでコートを男子に譲って女子は古賀市民センターを借りて練習した。昨日の続きを述べる。「この子は分かってきたんだ」という選手はエントリー組だけでなく、まだキャッチもロクにできない1年生の中にも増えて来た。やみくもに動くのではなく、ちゃんとした意図を持って動くのである。フーン…。
備考:鶴鳴杯参加案内UP games & schedule 参照。
17年03月23日(木)  先週からハーフコートオフェンスの動きの手直しをしている。それに伴って、これまでOKとしていた動きがNGになるなど、修正が次々と出てくる。こんなことが起きると素人から始めた選手たちはアタマが混乱してグチャグチャになるものだ。が、今のひがながの選手たちの中には「この子は分かってきたんだ」と思わせる選手が日に日に増えている。未熟さや幼稚さは依然として残っているものの「素人から始めてもここまで辿り着けるんだ」と感じている今日この頃である。備考:では、勝つ試合が増えるのかというとそうはいかない。
17年03月22日(水)  ホームページビルダーを立ち上げて更新しようとしたまま、BS3で放映された「怪物オグリキャップ―涙のラストラン」に見入っていて、そのあと更新を忘れて風呂に入ったので更新が遅れてしまった。今日は本来ならエントリー組がオフ日でベンチメンバーの練習日なのだが、20日(祭=月)が全員B練だったので、今日エントリー組をオフにすると不公平なる。そこで今日は全員練習とし、替わりに26日(日)を全員オフ日とした。現在次年度の年間スケジュールを作成中だが、月曜日が祭日や代休になるとこんな不都合が起きてくる。再考が必要だ。
17年03月21日(火)  昨日の続きを述べる。私が聞いた話では、ビラノバが1点リードでウィスコンシンの攻撃。そこでビラノバのガードがファウルゲームに出たらしい。結局そのフリースローを決められてビラノバが負けた。普通、ファウルゲームは負けているチームが仕掛ける。テレビのニュースでも「なぜあそこで?」と話題に挙げられていたそうだ。これには裏事情がある。ビラノバのコーチがガードの選手に「プレッシャーをかけろ!」と言ったのだ。それをガードの選手が「ファウルゲームを仕掛けろ!」と言われたと勘違いしたらしい。ビラノバのコーチは、10秒あるので相手のパスやドリブルに時間をかけさせる意味で言ったはずだ。それがこんな結果になった。百戦錬磨で全米ランキング1位のスタメンの選手でもこんな緊迫した状態では理性を失い、信じられない行為に出てしまう。だから、それよりはるかに未熟な我々の指導対象である中学生には、練習中も試合中も、わかりやすく、選手のイメージを引き出せるよう常に気を配ってことばをかけなければならない。 
17年03月20日(祭)  全米8箇所(バッファローNY・オーランドFL・タルサOK・グリーンビルSC・ソルトレークシティUT・ミルウォーキーWI・サクラメントCA・インディアナポリスIN)で行われていたNCAAトーナメントの2回戦が昨日と今日で終了し、ベスト16が決まった。3日後に場所をニューヨークNY・カンザスシティMO・サンノゼCA・メンフィスTNの4箇所に移して行われる。今日までのところでは、東ブロック第1シードのビラノバがウィスコンシンに負けたのが大番狂わせだ。他に、東ブロック第2シードのデュークがサウスカロライナに負け、ミッドウェストブロック第2シードのルイビルがミシガンに負けたが、この二つは力関係からしてまあ有り得ることかなとも思われる。NCAAに関して私は毎年思うことがある。ひとつは、今回のビラノバのようにランキングが上位であっても絶対勝つとは言えない厳しい世界であるということ。二つ目は、シーズン開始(9月)直後のNCAAのゲームは幼稚で危なっかしくて見ていられないが、クリスマスを過ぎる頃になると落ち着いてきて、3月になるとスゴイ!が連発するゲームになる。日本では、大学であれ高校であれ中学であれ、半年間でこんなに成長するチームを見たことがない。その要因のひとつを私は、アメリカのスポーツのシーズン制と、1年中試合があって1年中練習している日本のスポーツ環境の違いによるのではないかと思っている。 
17年03月19日(日)  九州春季大会初日。本県から参加したチームの中で、1・2位ブロック女子の佐世保南と3・4位ブロック男子長崎東が2回戦を突破し、明日の準決勝に駒を進めた。他は全て今日潰れた。 games & schedule 参照。佐世保南の松本監督は、佐世保の宮中→鶴鳴→東京女子体育大学出身で、教員採用試験を一発で合格した勉強家だ。今年の誕生日で55歳になる。彼女に敬意を表する一方で、若いコーチたちの中に「こいつはなんとかなりそうだぞ」と思わせる人物が見当たらないのが寂しい。
17年03月18日(土)  今日は古賀ミニバスの6年生が見学に来た。6年生は5人居る。だが、K子だけは父親の転勤で4月からひがながではなく県外の中学校に行く。彼女は3年生の時に県外から転校してきてまた今度転校だ。古賀ミニバスには5年生になってから入った。活動開始が遅かったが俊足を生かし、メキメキ上達した。転校先でもバスケットを続けて、いつか九州大会でひがながと当たるといいなあ。
17年03月17日(金)  バスケットがなかなか上達しないのは仕方がない。しかし、社会生活の基本であるほうれんそう(報告・連絡・相談)の習慣が1年過ぎても2年経っても身に付かないのが腹立たしい。 
17年03月16日(木)  今日から4月3日までNCAAトーナメントが開催される。その組合せがこれだ。AP通信のランキングもCOACHSPOOLのランキングも@ビラノバAカンザスBUCLACゴンザガDオレゴンEノースカロライナFアリゾナGケンタッキーと、上位8チームはまったく変わらない。我々の感覚では、ビラノバ・カンザス・UCLA・ゴンザガが外側の4隅シード、オレゴン・ノースカロライナ・アリゾナ・ケンタッキーが内側の4隅シードだと思うのだが、組合せではビラノバ・ノースカロライナ・カンザス・ゴンザガが外側シードでアリゾナ・ルイビル・ケンタッキー・デュークが内側シードである。なぜなの?まっ、とにかくマーチマッドネス開幕だ!
17年03月15日(水)  今日は卒業式。卒業式や立志式は、法的には未成年だがこれからおとなになることを祝い、おとなとしての自覚を促すという意味が込められている。おとなというのは、年齢を重ねれば誰でもなれるというものではない。気配りができ、空気が読めるようになった者だけがなれるのがおとなである。君はどうだ?大丈夫か? 
17年03月14日(火)  ひがながバスケは、月・水が毎週、金が隔週で体育館を使えるようになっている。それも、男女共通の割当てだから使えても半面だけである。なので火・木は外部の体育館を借りて練習し、金は原則としてオフにしていた。ところが、人数が増えすぎたので昨年12月から半面しか使えない月・水は、月曜をエントリーメンバーの練習日とし、ベンチメンバーはオフ。水曜はその逆にした。すると、必ず選手は週1回必ずオフの日が取れる。替わりに原則オフとしていた金は外部の体育館を借りて練習することにした。選手たちは、塾や習い事は練習がオフの金や早く終わる月・水に組み込んでいたが、学校行事等のために外部の体育館での練習が予定外で入ってくると塾や習い事がある選手は練習に参加できない。昨日はそれに加えて体調不良の選手が出て10人が欠席した。とはいえ、全員で10人以下のチームがたくさんある中で、ひがながは10人休んでもまだ16人も居るので試合形式の練習は充分できる。贅沢を言ってはならないのだ。
17年03月13日(月)  15日まで同窓会入会式や卒業式で体育館は使えない。だから今日は日吉自然の家で練習。明日はコミュニティ体育館で練習。卒業式は午前中で終わるが、学校での部活動は禁止だし、午後4時まで在校生は外出禁止なので外部でも練習することができない。だから15日は部活休みだ。16日から通常通り活動する。
17年03月12日(日)   昨日、実は2つのイベントがあった。ひとつはひがながバスケの送別会。これは夕方から。午前中は9時から村松小学校でミニバスのイベントが行われた。内容は、橘小学校の林コーチが4月から転勤で福岡へ行くのでその送別試合が企画されたのだ。急遽決まったので、呼びかけは古賀小・上長崎小・村松小、そして橘小の4チームだけだ。私はちゃんと審判着に着替えて林コーチの長崎での最後の試合となる橘小対古賀小の試合の審判をした。林コーチ、9年とちょっと…お疲れ様でした。
17年03月11日(土)  今日は卒業生を送る会。まず体育館でバスケットボールのゲームやドッジボールのゲームをしたあと、場所を変えて食事会だ。食事会は、在校生のパフォーマンス、卒業生へのプレゼント、キャプテンからの謝辞、最後に監督コーチと卒業生の記念撮影で締めくくられた。備考:鶴鳴では卒業生への記念品は毎年プレゼントしたが、謝恩会や卒業生を送る会等のセレモニーは一切やらなかった。 
17年03月10日(金)  昨日右手人差し指の突き指で練習を見学したユイを今日病院に行かせた。予想通り剥離骨折だった。若いから繋がるのは早いだろう。それにしても、このところケガ人が続く。ふくらはぎの筋肉を傷めていたカエデは今日から復帰した。思ったより早い復帰だ。 
17年03月09日(木)  昨日A選手とB選手をコートから追放した。2人とも再三指摘した箇所(これまでに何度も指摘している)を修正しないままその日の練習を続けたからである。A選手が指摘された練習メニューはC。B選手が指摘された練習メニューはDである。今日の練習が始まって間もなく、みんなを集めてA選手に「お前が今日もっとも気をつけてやろうと思ってる練習メニューは何だ?」と聞いた。彼女はすぐさま「Cです」と答えた。B選手に同じことを聞いた。答えは「…」。A選手に「お前はわかるか?」と聞いた。A選手は「Dだと思います」と答えた。私はB選手の方を向いて「…だって」と言いながらコートの外を指さした。B選手はすぐに体育館の外に走って出て行った。総勢26人中、バスケット経験者と言えるのは2人だけの素人集団には厳しすぎですか? 
17年03月08日(水)  札幌クリニック(2月4/5)のあとの1週間はランをやめていた。クリニックのダメージが残っていたからだ。次の週からまたランを開始するつもりだったが今だに開始していない。膝が痛いのだ。私は2013年3月11日に膝の軟骨を再生させる手術をした。しかし、その手術では薄い膜のようなものは再生されるが元の厚さの軟骨を再生させることはできない。だから、私の膝はハルナやカエデのように休めば治るというものではない。痛みはありながらも指導に耐えうる身体を維持していくしかない。
17年03月07日(火)  練習が終わったあとに今日はハルナが「先生足が痛いんですが…」と申し出てきた。「どこ?」と聞いてもスネやふくらはぎを、首をかしげながら触っているが「ここです」とは指摘できない。体操座りをさせて「ここか?」と言ってスネの骨の内側を指で押したら「そこです」と言いながら痛そうな顔をした。両側ともにだ。脛骨疲労骨折の初期段階だろう。これは、病院に行っても整骨院に行っても治らない。しばらく強い運動をさせないのが最良の治療法だ。私は使い過ぎ症候群(例:膝蓋靱帯炎・鵞足炎・腸脛靱帯炎・オスグッド・シンディングラーセン・スネの疲労骨折・足の甲の疲労骨折)を出さないように慎重に訓練するがそれでもこうして出る。 
17年03月06日(月)  練習が始まる前にカエデが「膝のうしろが痛いので診て下さい」と申し出てきた。診たらふくらはぎの筋肉の付け根を少し傷めているようだ。ふくらはぎの筋肉は2層あって、外側が腓腹筋、内側がヒラメ筋である。カエデはヒラメ筋の付け根(起始部)を負傷したらしい。昨日の試合中に変な体勢でジャンプかダッシュをしたのだろう。ママは病院に連れて行った方がいいかどうか心配していたが、靱帯や骨や軟骨を傷めたのではないのでそんな必要はない。痛い動作をしなければそのうち治る。その間ストレッチだけは入念にやることだ。 
17年03月05日(日)  佐世保協会杯最終日結果・yama&higaschedule16・yama&higaschedule17UP games & schedule 参照。  
17年03月04日(土)  佐世保協会杯初日結果UP games & schedule 参照。 
17年03月03日(金)  F氏から2日続けて動画を含むとてつもなくデカいサイズのファイルが送られてきた。全てが審判の判定に関するものだ。画像だけでなく、自らの見解も述べてあったが「レフリーはヴァイオレーションやファウルを取り上げることが仕事ではなく、プレーヤーファーストでスムーズなゲーム運営を行い、感動を与えるゲームをつくることです」には座布団3枚あげたい。 
17年03月02日(木)  今日のひがながは短縮授業でいつもより早く終わった。コミュニティ体育館での練習は通常5時ギリギリにしか始められないが、今日は4時20分に到着したので開始時間まで40分もある。練習着に着替えたキャプテンのサヤカが「今日は早く着いたので、開始時間まで外を走ってきていいですか?」と私に聞く。日頃気付きや気配りのなさに不愉快な思いをすることが多かったが、今日は「ホー、そこに気が付いたか」と思った。
17年03月01日(水)  あったぁ!探し回っているうちに靴でふんづけたのか、フレームがグニャグニャになっていた。レンズは無事だった。曲がったフレームを戻して使えるようにはなったがあと1回ふんづけるとたぶんポキッといくだろう。でもこれは古いメガネで、白内障手術後に作った新品のメガネがあるので古いのがポキッといっても大丈夫。 
17年02月28日(火)  今日はコミュニティ体育館で練習。選手たちをそれぞれの家まで送り届けて中尾ダム前のマイクロバス置き場に到着したのが7時40分。そこでスクーターに乗り換えて自宅に帰る。バスからスクーターに乗り換えようとした時何かを落とした。カタンという固い音がしたので書類や本等の柔らかいものではない。「バスのカギ?携帯?イヤホン?」みんなある。スクーターのヘッドライトを点けてそれらしいものを探そうとした時に気が付いた。「あ!メガネがない」。それまでかけていたメガネを落としたのだ。暗くて見つからなかったので明日朝また探しに行くことにした。白内障の手術をする前はメガネなしでスクーターの運転なんてとんでもなかったが、手術後は自宅での生活やパソコンはメガネなしで過ごしているので気にならない。それにしても、今までかけていたメガネを落としたのに気が付かないなんて。認知症が始まったかなあ。
17年02月27日(月)  佐世保協会杯案内・九州春季中学大会結果UP games & schedule 参照。
17年02月26日(日)  今日はD練(15:30~18:00)。倉敷から坪井・三宅・森本の3先生が見学に来た。午前中大濠高校に寄って午後長崎に入ったらしい。練習後少し話しを聞きたいということでジョイフルで1時間ほど過ごした。倉敷に帰り着くのはたぶん深夜1時過ぎになると思う。大変だあ! 
17年02月25日(土)  午後2時からWJBLセミファイナル2試合をLIVEで観た。2試合ともサイレントで観た。前にも誰か(JBAの国際審判か2A審判)に「足元の判定がユルくないかあ?あれで国際試合問題なしかあ?」と聞いたことがある。今日も同じ感想を持った。たぶん、基本的な身体の扱いや基本的なボールの扱いがちゃんとできないまま大人になってしまったんじゃないかなあと思う。これがそのままミニバスまで下りてくるのに…。 
17年02月24日(金)  火・木・金は学校以外の体育館を借りて練習する。大半は学校のすぐ近くのコミュニティ体育館だが、そこが取れない時は日吉自然の家・古賀市民センター・飯盛体育館・多良見町民体育館の順に当たる。昨日と今日はコミュニティ体育館が取れず、2日続けて日吉自然の家での練習となった。日吉は稲佐山より高いので、下界と比べて3℃気温が下がる。昨日はそのことを頭に入れずに出かけ、ひどい目に遭ったので今日はしっかり寒さ対策をして出かけた。とても寒い時の私の手足にはレイノー症状が出るのでカイロは欠かせない。
17年02月23日(木)  木曜日の学童クラブつめくさのお迎えは、矢上小学校に立ち寄ってから高城台小学校に向かう。今日は矢上小学校の人数が少なく、専属のKさんが運転するワゴン車で矢上小のお迎えは間に合ったので、私は高城台小学校に直行した。早く着いたのでグラウンドでやっている体育の授業を見学した。授業を終えたリュウやん(4年生)が私の横を通り過ぎながら「先生、今日ボク学童に行かないからバスに乗らんよ」と言った。リュウやんと一緒に教室に向かっていたもうひとりの生徒が、私の横を通り過ぎたあとリュウやんに「あの人誰?お友達?」と聞いていた。リュウやんは「ん…友達っていうか…なんていうか…」と返事に困っていた。
17年02月22日(水) 

私はひがながの練習が終わった後、必ず古賀ミニバスに顔を出す。今日は男子のコーチのM氏から「先生、お願いです。今日の練習、仕事の都合がつかず行けそうにありません。よろしかったら、男子の面倒もみてもらえないでしょうか?『タタタミート』あたりを」というメールが来た。しばらくして女子コーチのS氏が来たのでバトンタッチしてM氏の要望通り私は男子に『タタタミート』を教えた。実はこの動作、口で言うのは簡単だがやるのはとても難しい。ところが、しばらくすると5年生の2人が完璧にできるようになった。動作ができるだけでなく、「山崎先生がこだわってるのはここんところだよな」と、ちゃんと分かってできるようになったのがすごい。  

17年02月21日(火)  18(土)19(日)の西諫早ロータリーカップは小学校の体育館ではなく、公営の体育館をいくつも使って行われた。公営の体育館のバスケットコートは一般用に作られているのでラインの一部をミニバス用に引き直さなければならない。それには多くの労力を要する。2/12のブログに「長崎県内の試合では気になる選手や監督やプレイや勝敗だけでなく、運営している役員や審判員の動きにも私は目を配る」と書いたが、「これだけ多くの作業が必要な西諫早ロータリーカップのコート作りは誰がやったのだろう?」と気になったのでM氏にそのことを聞いた。すると「保護者さんたちがたくさん手伝ってくれるんですよ」という答えが返ってきた。こんな人たちによってこどもたちのスポーツ活動が支えられているのだということを我々は忘れてはならない。
備考:M氏から開会式の行進画像が送られてきたのでUPする。緊張のためか手と足が合わない選手が居るのがかわいい。 
17年02月20日(月)  パソコンの前に座って30分以上経つがキーボードを打つ気にならない。
17年02月19日(日)  A練のあと、午後から古賀ミニバスの試合を見に行くつもりだったが、午後から急に葬式に行かなければならなくなり、それがダメになった。葬式が終わってから諫早に電話をした。結果を聞くためだ。すると「あと1試合残っていてそれがもうすぐ始まります」と言う。今日の3位グループトーナメントは、初戦プラス勝ち同士か負け同士の試合で終わりだと思っていたが勝ち同士で決勝戦をやるらしい。そこに古賀ミニバスが残ったのだ。それを聞いて私は大橋メモリード社からスクーターをすっ飛ばして諫早まで走った。到着した時は4ピリが始まったばかりだった。スコアは17対13で佐世保の清水小に負けている。そこから6ポイント連続取られて10点差になったが、頑張って盛り返し逆に6ポイント連取した。そこから互いに2ポイントずつ加点し、差は4点のまま。しかし、古賀は残り1分でゴール下のシュートを外して万事休す。結局4点差で負けた。点差が競ったからではなく、1人ひとりの表情にも、試合の内容にも、心を引きつけられた。
17年02月18日(土)  雪が降ったあとのバスはとても汚い。ずーっと気になっていたが今朝選手たちに手伝ってもらってようやく洗えた。バス洗車のあとはB練だったが、練習は中島先生に頼んで私は諫早で行われているミニバスの西諌早ロータリーカップを観に行った。古賀ミニバスはパート2敗で3位に甘んじたが、バスケットの内容は負けていない。「惜しい!」や「もうちょい!」が満載だ。明日行われる3位グループの初戦はひがながのA練とかぶるので観に行けない。2試合目は観に行こうと思う。 
17年02月17日(金)  今月は私のドジで、コミュニティ体育館を抑えるのを忘れていてドタバタした。そのとばっちりで、今日はコミュニティ体育館ではなく、諫早の多良見町民体育館しか取れず、しかも午後6時から8時までの時間しか確保できなかった。中学生の部活を8時までやらせるのは遅すぎるので確保できた時から7時半までしかやらないことにしていたが、最後の1人を家に送り届けたのが8時20分。いつもより40分も遅れた。ゴメン。 
17年02月16日(木)  ジャンプショットは頭上でボールを放つから、自由に撃たせるとミートした瞬間に誰もがボールを頭上に構える。が、ジャンプショットはミートした瞬間はボールがヘソの位置になければならない。ヘソの位置からボールを頭上に振り上げる力を、足で床を蹴ってジャンプする力に加えるのである。しかし、頭上から放つのにヘソの位置でボールを持つというのに最初はなかなかなじめない。A選手(1年生)もB選手(2年生)も素人から始めたが明らかに差がある。AをBにするのがコーチの仕事。根気が要る。
17年02月15日(水)  11(土)12日(日)のミニバス新人戦で古賀ミニ女子は予選リーグで負けたが男子は決勝まで進んだ。それを知らなかったので12(日)はとどろき体育館で行われていた高校生のカップ戦を視察に行った。午前中だけ観て帰ってきたが、あとで古賀ミニ男子のことを聞き、「ア〜、そっちに行けばよかった」と思った。ところで、11日の感想にも書いたが古賀ミニ女子はなかなか面白い。知的なバスケットをするのだ。それにこれが加わればさらに面白くなると思ったので早速実験した。これというのはN子のリバウンドだ。彼女は長身なので棒立ちのままでリバウンドボールを取ろうとする。それを踏み込みジャンプをしてリバウンドボールを取りに行けばゲームの内容がまったく別物になる。是非この実験は成功させたい。 
17年02月14日(火)  6日から昨日までテスト休み。今日から練習再開だ。その間、札幌講習で北海道ジュニアオールスターの男女を指導し、長崎に戻ってからはミニの新人戦や高校生のカップ戦を観たが、札幌での指導中も長崎に戻ってからの試合観戦中も常にひがながの選手たちの顔が脳裡に浮かんでいた。1昨日試合観戦における私の思いについて述べたが、足が向くチームの選手たちからは共通して課題解決意識がこちらに伝わってくる。その視点に立ってひがながを観れば、足が向くチームにはまだまだ遠い。
17年02月13日(月)  血液検査の結果が今日の午後判った。尿酸値は7.4だった。金曜日に出して貰ったフェブリクは、血液検査の結果が判るまで手を付けないことにしていたが今日の夕方から服用することにした。貰ったのが1週間分なので来週また貰いに行くが、この1週間分を服用しても易々とは下がらないだろう。しばらくはフェブリクのお世話になりそうだ。 
17年02月12日(日)  ミニバスの決勝トーナメントが山里小学校で行われたが観に行かなかった。「ミニは可愛い」という理由だけでは足は向かない。そこに、関わりのある選手、関わりが無くとも気になる選手や監督がいるチームがあるからこそ足が向くのだ。長崎県内の試合では気になる選手や監督やプレイや勝敗だけでなく、運営している役員や審判員の動きにも私は目を配る。だから観に行った会場では知り合いの人をつかまえて「あの選手はどこの出身?」とか「あのコーチの経歴は?」とか「あの審判はどこの誰?」とかよく聞く。でしゃばって口出しはしないが、いろいろ観察することによって長崎のバスケット界の今後に思いを巡らすのだ。 
17年02月11日(土)  雪で間の瀬(まのせ)峠が通行止めなので、長崎市内→時津町経由でミニバス長崎地区新人戦を観に行った。会場は村松小学校。片道29qだ。凍死寸前だった。そんな思いまでして観に行ったのは、古賀ミニバス新チームの開幕戦を是非観ておきたかったからだ。予選リーグ1勝1敗で明日の各パート1位チームのみの決勝トーナメントに出ることができないが、古賀ミニバスはこれから楽しみいっぱいだ。組合せ表の中のオープン参加のチームは部員が10人に満たない(大浦7・茂木5・西城山8・大園7・深堀5・式見8)のでオープン参加しかできないのである。前々から言っていることだが、マンツーマンの推奨とかなんとか言う前に、こんなチームや選手の救済措置をまず考えてくれないかなあ(ミニ連?JBA?)。 
17年02月10日(金)  昨日肩すかしを食らった宮本外科に出かけた。Dr「また痛風が出ましたか?」。私「はい、でも今回は手の親指です」。Dr「エーッ!手の指ですか…まあ、通風はどこの関節に出てもおかしくはないのですがねえ…」 。私は目覚めと同時に痛みを感じたことと痛みの質から通風と勝手に決め込んでしまったが、Drはどちらかというと整形外科的傷害の可能性の方が強いと言う。私は他の原因による発症とはまったく思わなかった。このような思い込みがバスケットの指導に現れたら…と思うと恐ろしくなった。でも、一応採血をして週明けの月曜日にその結果が分かるから、その時点で尿酸値が7以上だったら服用するということでフェブリクを1週間分貰ってきた。今日はまた、長崎市内梅香崎町の馬場医院にも出かけた。ここは循環器専門で、毎回4週間分の不整脈による血栓を予防するための血液サラサラ剤を貰う。明日の分までクスリはあるが今日出かけたのは、天気予報によれば明日雪または路面凍結でスクーターに乗れないかもしれないからだ。自宅から宮本外科まで片道15q、馬場医院まで片道13q、計56q。風が強くて雪がチラつく中を走った。スクーターの計器に表示されている外気温は3℃だった。家に辿り着いた時は手も足もしびれて感覚が無かった。
17年02月09日(木)  目が覚めると右手の親指の関節(IP関節)が痛い。昨日ミニバスの指導で突き指をした覚えはないし、何だろう?と思って指を眺めたり痛い部分を押したりしていて気が付いた。「あ!通風だ」 。初めての症状は右足の中指と薬指の付け根の関節だった。2回目は右足の親指の付け根の関節。3回目は左足の中指と薬指の関節。4回目は左足の親指の付け根の関節。5回目は左足首の関節。そして今回が6回目だ。痛風の治療は諫早の宮本外科に通っている。朝から小雨が降っていたのでそれが治まってから行こうと思っていたら昼頃雨が止んだので午後出かけた。病院に着くとカーテンが閉まっている。毎週木曜日の午後は休診なのだ。知らなかった。迂闊!寒風吹きすさぶ中またスクーターで長崎に戻った。手袋と靴には2個ずつカイロを入れていたがそれでも手も足も指先はしびれて白くなった。夕方には痛みがほとんどなくなったが、尿酸値を下げるクスリ(フェブリク)を貰うのと血液検査をして貰うために明日また出かける。しかし天気予報では今夜は雪だと言っていた。大学を退官してから日常生活には不要なのでCUBEを手放し、マイクロバスとスクーターで動き回っているが、こんな時がちょっとだけ辛い。
17年02月08日(水)  朝から大学病院に行った。1月下旬には21錠あったトラムセットが6日(月)には8錠に減ったからだ。1回の処方で2週間分(28個)貰う。札幌から帰ってきた翌日までは服用したが昨日と今日は服用していない。少し痛みはあるが動けないことはないので服用しないで指導も審判もランもやれると思う。しかし、Dr宮本は海外出張が多いので長崎に居ない時にクスリが切れると困るから今日受診したのだ。たぶん今回貰った分は6月まで保つだろう思う。
17年02月07日(火)  先週までずっと週2回走っていた(火・金)。火曜日の今日は走る日だがパス。土・日の札幌講習のダメージがまだ癒えていないからだ。今週はひがなががテスト休みだし、今日は古賀ミニバスの練習もなく、な〜んにもすることがないので、家から1歩も出ず1日中本を読んでいた(天皇の世紀14:大佛次郎著) 
17年02月06日(月)  3・4・5と札幌に居たがその間長崎から持って行ったカイロはまったく使わなかった。最高気温が-6℃で最低気温が-9℃と、長崎と比べれば桁違いに寒いが、それは外気温であって私の活動場所である体育館は全館暖房なのでカイロなど不要なのだ。今日の練習は手袋の中にも靴下にもカイロを貼り付けて指導した。体育館の室温は8℃だった。札幌ではカイロ要らずで長崎ではカイロが要るというのもおかしな話だが、鶴鳴正月合宿に参加するチームの中で一番寒がりなのは北海道勢だ。この感覚は真冬の北海道と真冬の九州の両方で練習したことのある人にしか分からないだろう。 
17年02月05日(日)  札幌講習2日目の今日は北海道選抜の女子12名で午前中のみ。要求する内容を精選したが終了予定時間が迫ってもなかなかプレイに現れない。少し焦ったが終了2分前になって「そうだ!」というプレイがいくつか出たのでなんとかかたちが整った。出発前は生きて帰れるかどうか心配したが、初日も2日目も私の意図することをなんとか札幌に置いて帰れるのでホッとしている。(18:10福岡空港にて) 
17年02月04日(土)  夢にまで登場するほど気になっていた札幌講習初日が終わった。ホッとしている。午後からの講習で選手が私の意図することを理解し始め、互いにアイコンタクトで合図しあって動くようになってきたからだ。最後は北海道選抜チームと記念撮影をして終わった。明日は午前中のみで北海道選抜女子の指導である。今日は能力の高い男子を午前午後とやって、午後の終盤近くになってやっと動きがよくなったが明日は半日で女子チームに「わかったぞ」を置いて帰らなければならない。要求する項目を少なくして徹底せることが肝要だ。 
17年02月03日(金)  雲海をくぐり抜けて機内から地表が見えるようになってガッカリ。一面の銀世界をイメージしていたが、窓から見える景色は森も林も地面もちゃんと見えている。アラスカや北欧に行くような気持ちで構え過ぎていたようだ。でも気温は-6℃。外気温はやっぱり冷たい。 
17年02月02日(木)  札幌講習のためのランは今日で終了。心房細動P。膝蓋大腿関節P。通風P。腰痛F【N(NORMAL)=正常 G(GOOD)=優 P(POOR)=良 F(FAIR)=可 T(TRACE)=不可】。なんとか乗り切れそうだ。今週に入ってからは原稿読みよりもシミュレーションが主体となった。が、対象の顔ぶれが分からないからある程度までしか進まない。札幌の週間天気を調べたら、今日の札幌の最高気温は-6℃で最低気温が-9℃だ。明日は最高-3℃最低-8℃。講習初日の土曜日は最高0℃最低-5℃。最終日の日曜日は最高2℃最低-4℃。講習がうまくいくかどうかよりも、俺は生きて帰れるのかが心配になってきた。 
17年02月01日(水)  1月1日にインターネットでコミュニティ体育館の2月使用分を申し込んだ。10日に受付を終了したらコンピュータが自動抽選をして11日の朝にその結果をメールで通知する。私が申し込んだのは2日・14日・16日・17日・21日・23日・24日・28日だった。メールの通知では23日と24日がハズレで他の日は当選だった。そこですぐ日吉自然の家に問い合わせをしたら23・24の両日とも空いていたので押さえた。昨日コミュニティ体育館での練習時に2月2日以降の分のお金を払おうとしたら係の人が「え?2月の予約は入っていませんよ」と言う。日吉自然の家が取れたのでホッとして、他の当選日を確定日にする手続きを私はしていなかったのだ。「え〜っ!もう空いている日はありませんか?」と聞いたら、私が当選した日の中で17日だけは埋まっていたが幸いにも他の日はすべて空いていた。私はすぐコミュニティ体育館備え付けの端末機でそれを押さえた。17日の分は日吉自然の家や飯盛体育館や古賀市民センターや多良見体育館に次々問い合わせをした。すると、多良見体育館が夕方5時〜7時ではなく6時〜8時なら空いてると分かった。中島監督と相談してそれを押さえることにし、今朝1番で多良見体育館に飛んだ。焦ったあ..........。
17年01月31日(火)  朝5時前に目が覚めた。起きるにはまだ早いので目を閉じていたらうつらうつらしながら夢を見た。札幌講習で私が受講者に何かを教えている夢だった。講習や講演は数え切れないくらいやってきたが、夢の中に講習をしている自分が登場したのはたぶん初めてだ。相当気になっているらしい。 
17年01月30日(月)  毎週火・金はランの日だが、金曜日は札幌に出発する日なので今週は月・木に走ることにした。@午前中フェデラー選手とナダル選手の全豪オープン決勝戦の録画観戦。A午後1時からラン。B午後3時から学童送迎。C午後4時半からひがながバスケ指導。D午後6時から古賀ミニバス助っ人指導。昨日は洗切小のちっちゃい子が可愛いすぎて思わずカメラを向けたが古賀ミニバスの試合も面白かった。何が面白かったかというと知的なプレイが随所に出たからだ。参加10チーム中5位でグループ3位だったけど、自分たちでもいい試合が出来たと実感したのだろう、今日の練習はみんなの張り切っている気持ちが私にも伝わってきた。 
17年01月29日(日)  ひがながはD練なので朝からミニバス南部リーグ新人大会を観に行った。先日のNBC杯で6年生が参加する大会は終わり、今日から5年生以下の大会となる。新人大会では明らかに1年生か2年生で「シュートがゴールに届くか?」と心配になる選手がどこのチームにも居る。そして、ミニバスは4ピリ続けて同じ選手が出られないので、こんな選手もどこかのピリオドで出てくる。ルールもよく知らないのでゴール下でウロウロする。ある審判がピーッと笛を吹いて「3秒!」と言った。そんなの見つけても見ないふりしろよ! 
17年01月28日(土)  高校県新人大会を観に行ってみた。感想は特にない。明日はミニバスの南部リーグを観に行こうと思う。明後日の高校県新人大会ベスト4の試合は学童の送迎があるので行けない。 
17年01月27日(金)  23日から毎日、札幌講習の資料に目を通しているが毎日手直し箇所が見つかる。その都度修正した資料をメールで担当の山田先生に送る。しかし、明日と明後日は資料から目を離して放置する。読み返しは根を詰め過ぎるとかえって修正箇所を見落としてしまうからだ。週明けの月・火・水が最終チェックだ。 
17年01月26日(木)  最近大寒波に襲われた日本だが、歳を取った私は末端部の血液循環が悪く、大寒波でなくてもカイロを手放すことができない。靴下に張るタイプのカイロを手袋の中にも入れてバスケの指導をする。それを見かねたFさんとOさんがヒートテックの肌着靴下をプレゼントしてくれた。今日のバスケ指導時にそれを試着してみたが今日はカイロ要らずだった。ありがとう。 
17年01月25日(水)  今朝パソコンの音が出ていないことに気付いた。いろいろいじっていたら動画の再生も出来ないようになっていることが分かった。しばらくパソコンと格闘していたが手に負えないので短大の森先生のところに走った。元に戻りはしたがいろいろ問題を起こす動画再生ソフトのGOM PLAYERをアンインストールして替わりにVLCをインストールして使うことにした。これらのトラブルは、昨年の夏勝手にwindows8がwindows10にアップグレードされてから頻繁に起こるようになった。腹が立つなあもう。  
17年01月24日(火)  昨年11月15日にランを再開してから週2回必ず走っている。今日で19回目。あと2回走ったら札幌講習だ。初日には夕方の部で講義もやる。私は講義をやる時はずいぶん前に一度原稿を仕上げる。それからしばらく放置しておいて講義が近くなってから見直す。それを昨日の夕方から始めたが、抜けている項目や表現を手直す箇所を見つけた。どんなに完璧に仕上げたつもりでも、ヒトのやることに「これでヨシ!」はない。 
17年01月23日(月)  14日の松浦杯結果報告の追伸で「カップ戦が終わったら貧血検査をさせなければ…」と述べた選手のことについて報告するのを忘れていた。結果はシロだった。なぜ貧血検査をさせようと思ったのかと言うと、K選手は能力があるのに、松浦杯の試合だけでなく通常の練習でも精彩を欠くことが多いからである。現在鶴鳴1年生のJ選手がひがながの2年生の時に精彩を欠くのが気になり、私は親に言って貧血検査を受けさせた。この時は私の直感が当たって結果はクロだった。女子選手を指導する際に重要なことは@前十時靱帯損傷の誘因になるような動作の癖は徹底して直すことA貧血の兆候には常にアンテナを張っておくことである。
17年01月22日(日)  長い間世界ランク1位をキープしていたが、昨年のウィンブルドン大会で左膝を傷め、半年間戦列から離れていたフェデラー選手が錦織選手を迎え撃った。フェデラー選手は半年のブランクで現在17位まで落ち、錦織選手は5位である。なのに迎え撃ったという表現をしたのはコート上でのオーラが違うからだ。試合はフルセットまでもつれ込み、フェデラー選手が勝ってベスト8に進んだ。現在1位のマリー選手(今回は4回戦で負けた)や、同2位のジョコビッチ選手(今回は2回戦で負けた)も強いが、私はフェデラー選手のような風格のあるコーチになりたいと思う。
備考:錦織選手は本当に強くなったし今日もよく戦ったと認めた上での上記コメントである。 
17年01月21日(土)  県体協主催の国体スタッフ研修会の講師で内海氏が来崎した。講演(距離と明るさが足りなかったのでピンボケ)はセントヒル長崎で10時から12時まで行われた。私は協会の役職も引いてるし国体にも関わっていないので受講資格はないが勝手に押しかけた。午後はひがながバスケを指導をして、夕方は雨と雪で実施出来なかった昨日の分のランをした。夜は内海氏との食事会にまた出かけた。今日の移動距離は長い。
17年01月20日(金)  日吉自然の家で練習する予定だっが、昼頃日吉自然の家から「雪がちらついてきましたが予定通り実施しますか」という連絡があった。私が短大に勤めていた頃、下界は大丈夫なのに短大周辺の弥生町や六本松、日吉自然の家がある田手原町・飯香浦町周辺はすぐ道路が凍結するし雪が消えない。それを知っているので今日はキャンセルした。たった1日の練習を惜しんで事故でも起こしたら元も子もなくしてしまう。 
17年01月19日(木)  N子が辞めた。1年生ではこれで3人目だ。今の2年生が1年生の時には2人辞めた。何かに本気で取り組めば自分がそれに向いてるか不向きかがやがて分かってくる。自分は不向きだと思ったり、もうバスケには興味が無くなってきたと思う選手を引き留める手立てはない。それは仕方がない出来事だが「部活動を続けるのが辛い」と思って辞めてしまう選手をコーチは絶対に出してはならない。
17年01月18日(水)  錦織選手今日は3−0勝利。厳しいブロックに入っているので片時も気を許せない。ここまで来ると、相手が格下というのは関係ない。通常は格下かもしれないがこの大会に関しては、力があるからここまで来たのだ。
17年01月17日(火)  鶴鳴正月合宿(2日〜9日)終了を待っていたかのように襲いかかってきた風邪は、鼻水も透明度が増し、身体の節々の痛みも消えた。熱の花のかさぶたがまだ残っているのでまだ鼻や口周辺の髭が剃れないが、風邪は収束したということで今日からランを再開。
17年01月16日(月)  昼間、錦織選手の全豪オープン1回戦をライブで見ていた。相手のクズネツォフ選手(ロシア)は世界ランク48位と錦織選手の方が格上だが、戦いぶりを見る限りクズネツォフ選手はもっと上位に来ても良いと私は思った。強いのだ。案の定試合はもつれた。第4セットの際どいところで「続きはチャンネル102でご覧ください」という表示が出た。だがうまく切り替えられない。気になりながら練習に出かけたが、帰ってからニュースでフルセットまでもつれ込んだものの錦織選手が勝ったことを知った。ホッ。私は錦織選手と大谷選手の戦う姿からいつも元気を貰う。備考:ちなみに私は野球は好きじゃない。大谷選手が好きなだけである。 
17年01月15日(日)  松浦杯最終日結果UP games & schedule 参照。  
17年01月14日(土)  松浦杯初日結果UP games & schedule 参照。 
17年01月13日(金)  今日は本当はランの日なのだがやめた。もう熱は下がっているが、発熱後遺症なのだろう、節々が痛いし筋肉も痛い。アタマの皮や手足の皮膚を擦っても痛い。でも、来週火曜日には走れるようになるだろう。 
17年01月12日(木)  昨日、こどもたちに元気を貰って少し治まったと思った風邪は実は治まっていなかった。体調は最悪。咳も止まらないし、鼻水を拭うのにハンカチ1枚ではたりない。半日でグチャグチャになるのだ。 
17年01月11日(水)  昨日「風邪ではない」と言ったが風邪だった。朝、ゴホッと咳をして出た痰をティッシュで取ったら血が付いていた。鼻をかんだ時にも緑色の粘っこい鼻汁が出てそれにも血が付いていた。ノドと鼻の奥の炎症がひどいのだ。でも、今日はつばさ保育園の年長さんを島原半島の農家に連れて行ってサトウキビ絞りをしなければならない。毎年さとうきび絞りは私も軍手と長靴を着用して手伝うのだが今回は体調不良で午前中バスの中で寝ていた。絞り取った汁は昨年の2倍あった。サトウキビ絞りのあとは小浜温泉の足湯に浸かってそこで昼食を摂った。昼食は雀にも分けてやった。こどもたちは昼食後足湯のグランドでサッカーに興じた。午後からはこどもたちから元気を貰い、私の風邪も少し治まった。
17年01月10日(火)  ノドが痛い。風邪ではない。まる1週間、鶴鳴正月合宿の期間中ずっと暖房の部屋に居ることが多かったので乾燥した空気にノドがやられたのだろう。加えて身体も痛い。座ったままテーブルの上の新聞を取ろうとしただけで筋肉や節々からバリバリッという音が出そうだ。
さて、1昨日ひがながバスケの総評をしたが今日は合宿に参加したコーチたちの総評をしよう。鶴鳴正月合宿では夕方街に繰り出すことはない。昼食も夕食もコンビニから何か買ってきて体育教官室で食べる。もちろんいろんな話をしながら食べる。難しいバスケットの話だけではなくバカッ話も出る。このような合宿ではチームの勝ち負けだけでなく、コート外のこんな時間に起こることや他人の言動から自分を見つめ直す材料を見つけるコーチは伸びる。キーワードは、聞く・見る・話すである。さてあなたは…?
17年01月09日(祭)  鶴鳴合宿最終日。今日参入した日大と美萩野のスクリメージを2本審判して創成を福岡空港まで送った。帰ってきたら鶴鳴・日大・美萩野が最後の1本をやるところだったのでその審判をして合宿を締めくくった。3日から10−2−10のスクリメージを26本と10分だけのスクリメージを1本審判したので、この合宿期間中にランはやらなかった。また通常の火・金ランの生活に戻すが、明日10日(火)は合宿が終わったばかりだから13日(金)から走ろうと思う。札幌講習まであと1ヶ月。アタマも身体も本格的に準備しなければならない。 
17年01月08日(日)  鶴鳴合宿6日目結果UP games & schedule 参照。格言に曰く「無事これ名馬」。今日も足首捻挫が2人。 
17年01月07日(土)  鶴鳴合宿5日目結果UP games & schedule 参照。
長丁場の合宿になると必ずケガ人病人が出る。初日には鶴鳴のセンターが足首を捻挫した。以来スクリメージには出ていない。昨日は鶴鳴のフォーワードが右手小指を脱臼した。今日は創成の選手が39℃の発熱で病院に連れて行った。インフルではなかった。こういう合宿ではナイスプレイをするよりも最終日まで生き延びることが大切である。「ケガ・病気も実力のうち」だ。
17年01月06日(金)  鶴鳴合宿4日目結果UP games & schedule 参照。 
17年01月05日(木)  1日置いてひがながは2回目の参加。games & schedule 参照。昨日の感想にあてはまればナナがOKとまではいかなくとも、目が泳いではいなかった。が一方のカエデがNG。なかなかうまくいかん。 
17年01月04日(水)  今日は高校生チームが渋滞状態で、ひがながを混ぜて貰うのは気の毒なので学校で中島監督の下通常練習をさせ、私だけ鶴鳴に残ってアドバイザーやら審判やらの役目を務めた。感想を述べよう。何がOKで何がNGなのかをちゃんとわかって試合をしているチームは、勝っても負けても応援してやりたくなる。 
17年01月03日(火)  鶴鳴合宿初日結果UP games & schedule 参照。
ひがながは8−2−8のスクリメージを5本やって貰った。もちろん全敗である。私は高校生チームのスクリメージを5本審判した。深夜11時頃神村学園が到着したのでその世話をしたりして、結局HPを更新する時間がなく、4日の明け方5時に起きて更新した。チームの出来は、沈没しそうになりながらそれで終わらず、そこからカエデがなんとか立ち直ったのが大収穫だった。あとはナナがパニックに陥らずに落ち着いてプレイが出来るようになればチームとしての格好がつく。4日は1日休んでまた5日から9日まで参加するが、この5日間にナナの底上げができたら人前に出しても恥ずかしくないチームになる。  
17年01月02日(月)  鶴鳴正月合宿が始まった。今日夕方到着したのは、山口の慶進高校と札幌創成高校と福井仁愛高校。慶進は午後3時半頃到着したので鶴鳴とスクリメージをやった。創成と仁愛は夜8時頃到着したが、両者とも長旅だったので身体慣らしのために夜8時半から9時半まで練習した。やっと正月らしい雰囲気になってきた。 
17年01月01日(日)  昨夜N高校のR選手から電話がかかってきた。年末の遠征で右手小指を突き指したが長崎に戻ってきて整形外科医に診て貰ったらヒビが入っていると言われたらしい。電話相談の内容は薬指と一緒にシーネで固定されたので鉛筆も持てず、冬休みの宿題も何もできないがシーネを取り外してもいいかということだった。私は20年前から指の固定用の特殊なプラスティックの板を持っている。それが引き出しの中にまだ残っていたのでそれを持って今朝R選手の家に出かけた。骨折部位は第5中節骨だったので第5PIP関節と第5DIP関節を固定すればよい。私はプラスティック板を5センチ四方に切り出し、それを湯に浸けて柔らかくしては指に当てはめて形を整えながら小指専用のギプスを作った。この特殊プラスティック板は熱い湯に浸けるとグニャグニャになって加工できるが、冷えるとカッチカチになる性質がある。これでR選手の勉強は大丈夫だ。
追伸:午後8時、R選手の勉強風景画像が送られてきた。もともと付けていたシーネはこれだ。デカい!
16年12月31日(土)  身体を動かさない日は朝食だけしか摂らないことにしているが、今日の夕食は年越しソバを食べなければならないので朝はヨーグルトだけにした。身体は動かさないがアタマは休んでいない。年末の西海杯でひがながのスタメンを大幅に変えたが、年明けの鶴鳴正月合宿ではさらにそれを変えようと思っている。その布陣がアタマの中を駆け巡っているのだ。 
16年12月30日(金)  今年最後のラン。このところ5日間、少し腰痛があってもトラムセットを服用しないでバスケ指導やランをやっているが痛みが増すことはない。今日もそれは同じだ。ホッ。 
16年12月29日(木)  昨日が年末の最終練習日だった。元旦まで4日間オフだ。今日は終日家でゴロゴロしていて半径5bの範囲以上身体を動かしていないので晩飯を抜いた。私はもともと昼は食べないので今日は朝食だけだ。昨日のテレビ報道はしきりにオバマ大統領と安陪首相が一緒に真珠湾を訪問したことに触れていた。キーワードは「寛容と和解」だった。19年前(1995年=平成7年)鶴鳴バスケ部は初のアメリカ遠征をした。その時現地の新聞に載った記事は「鶴鳴の選手の多くはあの原爆投下地の長崎出身である。今年は原爆投下50周年の年だ。しかし、日米の選手たちは今、戦うだけでなく互いの友達を作ろうとしている」だった。 
16年12月28日(水)  9月12日に大学病院で貰ったトラムセット(腰痛緩和のクスリ)が残り4錠になったので今日受診して貰ってきた。1回の受診で出して貰うトラムセットは2週間分(1日2個服用)である。ということは、9月26日にまた貰いに行ってよかったワケだが、昨年夏頃から痛みも和らぎ、痛みが襲って来る周期も間隔が空くようになったので毎月貰いに行くようなことはない。今回受診したのは、12月に入って服用回数が増えてきたので今日貰いに行くことになったのだが、服用回数が増えた理由は最近動き過ぎているからである。では、トラムセットを服用すると腰痛は治るのかというとそうではない。痛みは軽くなるが、痛みをクスリで抑えて無理矢理身体を動かすと痛みの基になっている傷害はむしろ悪化する。私はそれを充分知っていて無理をしている。止むにやまれぬ事情があるからそうしているのだ。みなさんには決して真似して欲しくないし、自分や選手が身体のどこかを痛めても「山崎先生と同じクスリを処方して下さい」と言わないで欲しい。ケガを治す魔法やガマの油はないのである。 
16年12月27日(火) 金曜日に福大若葉で3試合と1ピリ審判をして帰ってきた翌日はさすがに筋肉痛だった。それは日曜日に軽くなったが、昨日ひがながの練習からディフェンスの当たりの強さに対処する方法を取り入れ、その見本を何回もやって見せたので、今日の朝は首から足先までバリバリの筋肉痛だ。でも火曜日はランの日なので走らなければならない。仕方なくいつものコースを走った。コースに1つだけある交差点手前で「赤になれ」と思いながら走ったが、こんな日に限って私が交差点にさしかかった瞬間信号が青に変わった。神様は無情だ。
16年12月26日(月)  今日からスタメンを、#4サヤカ(2年)#6キラリ(2年)#7ナナ(2年)#17カエデ(1年)#18(モモハ)に絞り込んで強化する。これまでこの5人に加えて#5マユ(2年)#8ラム(2年)#9レイナ(2年)#10アイミ(2年)#11ハルナ(2年)#12アンナ(2年)までをなんとかやりくりして試合に出してやっていたが、もう慈善事業は終わりだ。スタメンとして用意した前出の5人も試合に出すには相手に気の毒なくらいの選手たちだが、この子たちには、勝負の世界に身を置く者にとって負けるということがどれほど屈辱的なことかを味わって貰わなければならない。それに続く選手たちには、試合に出して貰えないことがどれほど惨めなことかを味わって貰わなければならない。その次に付いて来る選手たちにはスポーツ活動の楽しさを味わわせることが最優先であることに変わりはない。今後はこの2重構造で部活動を推進していく。
備考:私は勝利第1主義者ではないが、「目先の勝負に拘らずに」スポーツ活動をさせることはこどもたちの将来に何の財産も残してやれないと思っている。半世紀以上続けてきた私のコーチ観である。 
16年12月25日(日)  西海カップ最終日結果UP 
勝ち上がり表は事務局から明日メールで送られてくるので明日UPする。  
16年12月24日(土)  西海カップ初日結果UP games & schedule 参照。 
16年12月23日(祭)  先日福大若葉高校の池田先生から「23日に鶴鳴が来るんですが、その時ひがながの中学生も一緒に連れて来られませんか?」という電話がかかってきた。私の回答は「今年のひがながを若葉に連れて行っても足手まといになるだけだよ」だった。池田先生は「う〜ん、実はウチのチームを先生に診断して貰いたいんですが…今年は弱くて…」と言った。それなら簡単なことだ、ひがながの練習(A練)は中島先生に頼み、私だけが若葉に行けばいいだけの話である。ということで今日は鶴鳴と一緒に福岡に行った。鶴鳴の選手全員をマイクロバス1台では運べない。だから1台を三根監督が運転し、もう1台を私が運転して2台で行った。私はさらに審判もした。若葉のアドバイザーもちゃんとやった。今日は@バスの運転手A審判B若葉のアドバイザーの3役をこなした。審判は10−2−10を1セットとして午前中に3本午後からも3本、それに10分だけのBチーム戦も審判した。正式試合だとすると3試合と1ピリ吹いたことになる。昨日雨でランができなかったので今日福岡から帰ってから走るつもりだったが、これだけ審判をしたら3qラン3回分ぐらいあるからそれで充分だと思い、帰ってから走るのはやめた。 
16年12月22日(木)  今日は終業式。休日ではないが、式典や行事等で午後から授業がない日の体育館割り当ては休日や祭日のABCD割り当てと違い、午後1時〜3時半を前半、3時半〜6時を後半として、バレー男女、バスケ男女、バドミントン男女、卓球男女に割り当てる。今回バスケ男女は後半割り当てだ。午前中で終業式が終わって3時半まで待ち、しかも男女で半面ずつしか使えないのは非能率的なので女子バスケは事前に古賀市民センターを借りていた。縦23b横13bしかないのでとても狭いが、正規サイズで半面しか使えないよりはるかに効率的である今日は3時間みっちり、ハーフコートオフェンスを仕込むことができた。 
16年12月21日(水)  朝からず〜っと鶴鳴正月合宿の資料作成の手伝い(三根氏が学校の工事関係の事務処理に追われて忙しく、その他の雑務に手が回らない)をしていたので日々の出来事更新が深夜になってしまった。 
16年12月20日(火)  朝9時半から長崎自動車道4車線化工事の中尾橋完成記念式典が行われた。その式典アトラクションにつばさ保育園のつきぐみさんが太鼓の演奏を依頼された。それだけでなく連結式にはつばさ保育園のつばさ君とゆいなちゃんが指名された。事前にそれを私は知らなかったのでつばさ君は撮影できなかった。太鼓演奏の前に雨がパラついてきたが大降りにはならず、テープカット記念撮影まですべてのセレモニーが無事終了した。それにしても、高速道路の開通式に保育園児が出演するなんて、一生の記念になるなあ。 
16年12月19日(月)  今日は毎年恒例の鶴鳴幼稚園のクリスマスパーティの日。そして私はそのサンタ役。平成8年に依頼されて以来連続9回目だ。この役は、俺が認知症になるか死ぬまで続きそう。プレゼントを貰ったあとの年長さんのお礼のことばはさすがに「thank you」が多かった。 
16年12月18日(日)  ひがながバスケは昨日と同じく2班に分けての練習。朝7:40にスクーターで家を出たがスクーターのスピードメーター横に表示されている外気温は2℃を示していた。歳を取った私は身体の末端の血液循環が悪いのでこんな日は手足の指先は肌色ではなく白っぽく(レイノー現象)なる。こんな日はカイロ無しでは凍死してしまう。靴下にカイロを貼り付け、てぶくろは2つ重ね、外側と内側のてぶくろの間にカイロを入れてコートに立った。それでも指先がジンジンするので自動販売機でホット缶コーヒーを買ってきて、それを湯たんぽ代わりに握りしめながら指導した。体力的にはまだまだ動けるが、中身がずいぶん古くなってしまった。 
16年12月17日(土)  ひがながバスケは、08:30~10:30エントリーメンバー、10:30~12:30エントリー外メンバーの2班に分けて練習した。こうすると全員に目が届く。そのあと市民会館に市新人戦女子決勝(三重対西浦上)を観に行った。西浦上の試合を初めて観たが逸材揃いだ。が、プレイが幼い分三重に大差をつけられて負けた。私なりの感想はあるが公開しないで問われた人にだけ答えることにする。男子決勝(小江原対土井首)は観ないで帰り、団地周辺を走った。11月15日から週2回走り始めて今日で8回目。体調と相談しながら走っているが、この調子なら2月の札幌講習まではこのペースで行けそうだ。 
16年12月16日(金)  今日はひがながバスケ男女とも体育館割り当てがない日である。女子はコミュニティ体育館を押さえてあったが、男子は明日の市新人戦準決勝を控えているのに練習場所がない。そこで女子はコミュニティ体育館を男子に譲ってオフにした。替わりにオフにしていた日曜日はA練をする。今日は朝9時から1時間、つばさ保育園と橘小学校との交流学習の手伝いをしたあとは、な〜んにもしなかった。というわけで今日は夕食も抜いた。働かざる者食うべからずである。 
16年12月15日(木)  楓花は2年生になってから休部していた。夏休み後戻ってきたが、プレイをする自信がなかったのかマネージャー志願で復帰した。しかし、やっぱりプレイすることに未練があったのだろう10月になってからプレイヤーに戻りたいと申し出てきた。Bチームでプレイさせながらしばらく観察していたが、今週末からエントリー組の中に入れて(試合にエントリーするかどうかは別として)練習させようと思う。さてどうだろう? 
16年12月14日(水)  昨日はランの日だったが、雨だったので中止した。替わりに今日走った。次回は通常金曜日だがこれも1日延ばして土曜日に走ろうと思う。備考:西海カップ参加案内UP games & schedule 参照。  
16年12月13日(火)  明け方近く、ずいぶん長い時間夢を見ていた。バスケット関連の夢だ。夢の中に数人の人が登場したが、なぜか井上真一先生とずいぶん長い立ち話をしていた。何を話していたのかは覚えていないが、目が覚めてから「たぶん俺は4年後の東京オリンピックのことが気になってるんだ」と思った。卓球やバドミントンなど世界で戦える若い選手がどんどん出てきているのにバスケット界の先が見えないのが気になっているのだろう。先日日本代表男子HCの長谷川氏退任のことが新聞に載っており、川口会長と東野強化部長が「アメリカからはシーズンがかぶるのでコーチは呼べないからヨーロッパから優秀なコーチを呼ぼう。いくら金がかかってもいいから」と言ったらしいが、卓球にしろバドミントンにしろ幼少のころから育てられた選手たちが今花を咲かせているのであって、大人になってから急に強くなったのではない。そう言う意味では大人になってしまって伸びしろの少ない日本代表男子にヨーロッパからどんなに優秀なコーチを大枚はたいて連れてきても、金の無駄使いになるような気がするが…。
16年12月12日(月)  高校生と中学生や経験者と素人という枠を取っ払って観察すると、「日頃このコーチはこんなことを大事にして教えているんだろうなあ」とか「日頃この選手はコーチからこんなことを言われているんだろうなあ」ということが伝わってくるチーム(選手)があるし、伝わって来ないチーム(選手)がある。もちろん前者はやがて強くなるし後者はなかなか強くならない。ひがながは後者である。知力を尽くして毎日コートに立っては居るが… 
16年12月11日(日)  昨日と今日の1泊2日で宇部の慶進高校が鶴鳴に合宿に来た。慶進高校からは前々からこの合宿のことは連絡を受けており、チェックして欲しいところも依頼されていたので私も昨日から1泊し、今日の午後4時まで指導した。私は、気になる箇所があったとしても先方から依頼されないかぎりこちらからしゃしゃり出てくちばしを容れることはない。が、今回は宿主である鶴鳴からも指導の依頼が入ったので両チームとも指導した。指導内容は、何かのドリルを教えるのではなく、スクリメージをしながらそれぞれが抱えている問題を取り上げてそこをチェックした。慶進はプレイを成功させる気持ちが強すぎて空回りしたり行き詰まったりする場面が多いのでプレイを捨てるのも選択枝の中に入れることに的を絞った。鶴鳴は自滅プレイやぶち壊しプレイをなくすことに的を絞った。成果は..............公表しない。 
16年12月10日(土)  長崎市新人戦結果UP games & schedule 参照。 
16年12月09日(金)  つばさ保育園最後のリハーサル。いいもりコミュニティ会館まで園児をマイクロバスでピストン輸送した(3往復)。忙しかった。発表会は誰の目もこどもたちの可愛いパフォーマンスに注がれるが、私の目は裏方の先生方の動きも追う。目が回るように忙しい。みんな目が血走っている。明日の本番はひがながバスケの新人戦とかぶっているので観に行けない。残念! 
16年12月08日(木)  量ってはいないので体重が何sあるのか分からないが、お腹周りのスカスカ感からしてこの1週間でたぶん2sぐらい痩せたのじゃないかと思う。だからバスケ指導中も身が軽くなってよく動く。正月鶴鳴合宿と2月の札幌講習に向けてちょうど良いタイミングなのでこのままダイエットを続けようと思う。災い転じて福となすだ。
16年12月07日(水)  今週から、体育館割り当てはあるがコートを半面しか使えない月・水2回の内、月曜はエントリー選手外をオフ、水曜はエントリー選手をオフにしている。だから今日の半面練習はエントリー外の16人だけである。こうすると、未熟な選手にもこまめに声をかけ、手をかけてやることができる。今日は大きな声を出してもクラッとしなかった。体育館割り当てがない火・木・金は外部の有料体育館を借りて練習する(希望日全て取れるとは限らないが…)。外部体育館はフルコート使えるので全員連れて行く。yama&higaschedule16参照
16年12月06日(火)  午前中はつばさ保育園の発表会リハーサルの手伝い。11月15日からランを再開した。実施日は基本的に火・金だ。今日はその日だが、やるかやらないかずいぶん迷った。何しろ3日間ほとんど食い物を胃の中に入れてないので走る自信がなかったからだ。だがずいぶん迷った挙げ句、午後から1q地点を折り返して2qだけ走った。走るのも怖かったが、この歳になると何かちょっと不具合があればそれを理由にズルズルと、めんどくさいことやきついことを先延ばしか中止してしまいそうで、それがもっと怖かった。ホッ.....
16年12月05日(月)  3日は豆乳1杯だけ。4日はカップスープ1杯だけ。今日は朝カップスープ1杯、夕方カップスープ1杯に4等分したリンゴ1かけら。それがこの3日間に撮った食事。昨日のミニバス観戦もひがながD練もきつかったが今日の練習指導はもっときつかった。大きな声を出すと軽い立ちくらみでクラッとする。明日の朝からは脂っこい物は抜いて平常食(と言っても1日2食しか食べないが…)に戻そうと思う。
16年12月04日(日)  今朝の体温は36.8℃だった。平熱に戻っている。昨日は豆乳をコップ1杯、今日はポテトのカップスープを1杯飲んだだけ。2日間で口に入れたのがこれだけなので力が出ないが、ひがながのD練には顔を出した。昨日インフルエンザかな?と思ったのは大量に吐いたものの、過去2回かかったことのある食中毒(強烈な下痢と腹痛がある)とは症状が違ったからである。ま、急性胃腸炎ということで手を打ちましょ。追伸:H氏とN氏から心配のメールを貰った。アリガト。追伸2(23:10)昨夜は体調不良で風呂に入っていないので気付かなかったが点滴のあとがこ〜んなに内出血している。たぶん、血液サラサラのクスリを飲んでるからだ。
16年12月03日(土)  昨日夕方、夕食後胃がムカムカしてきた。熱もあるようだ。身体中の筋肉や関節が痛い。だから9時頃床に着いた。ところが床に入って30分もしないうちに強烈な吐き気に襲われてトイレに駆け込んだ。ドバーッと、すごい勢いで食べたものが全部出た。鼻の穴にも食べ物のカスがびっしり詰まった。食中毒を起こすようなものは食べていない。インフルエンザかな?と思った。昨夜は計らなかったが今朝は熱を測った。37.7℃だった。この熱ではインフルエンザじゃないなと思った。ひがながのA練(08:00~10:30)に顔を出し、中島先生に事の次第を告げてから学校の目の前にある千綿病院に行った。綿棒で鼻の穴をほじくったがインフルエンザの兆候はない。血液検査もした。その結果が分かるまでに2時間以上要するので、その間に胸部X線を撮り、腹部X線及び腹部エコーも撮り、点滴をした。血液検査の結果は炎症反応の目安であるCRP(上限0.3)が1.06と高かった。インフルではないけれども身体の中で何か異常が起こっているのは間違いない。クスリもいろいろ貰ったが抗生物質とカロナールは何かの時に役に立つかもしれないので取っておくが、あとの整腸剤とか吐き気止めはすぐ捨てた。明日ひがながの練習はD練(15:30~18:00)だからなんとかなりそうだが、9時開始のミニバス新人戦は見に行けるかなあ…。 
16年12月02日(金)  桝添さんが失脚し、小池さんに替わってから連日のように東京オリンピックの会場見直し問題がマスコミで取り上げられている。この騒動を見ながら私は2011年に大村で開催したFIBAASIA選手権大会を思い出す。もちろん多くの人々に支えられて無事やり終えたが、外部のみならず内部からも足を引っ張ろうとする者や利権を得ようとしたり、主導権を取ろうとする者も支える人と同じくらい出てくる。グローバルスタンダード(例えば会場のキャパ・ホテルのクラス・交通アクセス・ロゴ使用権等々)というのがまたやっかいで、途中何回も投げ出したくなった。国際大会をやるには言葉に出しては言えないいろんなことが裏にはあるので、テレビ等で伝えられる情報だけでは森さんの勝ちとか小池さんの勝ちとか軽々に言ってはならない。誰の勝ちでも誰の負けでもなく、半世紀ぶりの東京オリンピックだ。是非「呼んで来てよかった」という大会にして欲しい。
16年12月01日(木)  10日にいいもりコミュニティ会館でつばさ保育園の発表会が行われる。それまでに3回のリハーサルをやるが今日がその初回だ。今年は職員の気合いがすごい。こどもたちの演技のBGMは職員たちの生バンド演奏なのだ。 
16年11月30日(水)  長崎市中学新人戦参加案内及び12月スケジュール試作品(緑色の文字)UP games & schedule 参照。
最近のカップ戦は10人の選手を交替させながら最低でも1ピリ、最高4ピリ出場させて回した。今のところ対外試合に出してもいいかな?というのがこの10人。スケジュールに出てくる12人というのは、この10人に1年生からあと2人追加した人数である。10人だけでは通常の練習に支障を来す場合があるので1年生からあと2人追加した。このように区分けしたワケは全員を同じ時間と場所で練習させると、試合に出せる選手(10+2)の強化を足踏みさせるし、まだまだ素人の域から抜け出ることができない選手(16人)に丁寧な指導をしてやる時間が割けないからである。なお、この案はあくまで試作品なので1週間でポシャるかもしれないし、ずっとこれでやっていくかもしれない。 
16年11月29日(火)  1年生だけの指導をしていると「この子たち、来年の今頃にはバスケットらしくなるのかなあ」と心配になる。しかし、いろいろ考えても仕方がないので、練習が終わったあとは「今修学旅行に行っている2年生も昨年はこんな感じだったのだから」と、自分を慰めた。 
16年11月28日(月)  明日から3日間2年生は修学旅行に出かける。今日はその事前指導。そして午前だけ授業を受けて下校。したがって練習は1年生だけである。それにしても、1年生だけの集団になるとこ〜んなに幼いのかあ・・・・。
16年11月27日(日)  とどろきカップ最終日結果UP games & schedule 参照。  
16年11月26日(土)  とどろきカップ初日結果UP games & schedule 参照。 
16年11月25日(金)  火曜日に続いて今週2回目のラン。走りながら思っていることは「これが終われば来週火曜日まで3日間は休める」。それだけ。爽快感も何もない。ただ苦しいだけ。本当に走りたくない。ハァ.... 
16年11月24日(木)  深夜に録画しておいたブルズとナゲッツの試合を朝から観た。スコアは最後の3秒までどっちが勝つか分からない試合だったが、内容はまったく面白くなかった。特にナゲッツのプレイは退屈だった。なので熱心には観なかった。目はテレビの画面を見ているがアタマの中には頻繁に昨日の飛び入り参加の選手たちとひがながの選手たちのプレイが登場する。そして「ひがながの攻撃手法を1部修正しよう」と思い付いた。NBAの試合をその観点で観たが、ブルズもナゲッツも下手クソだった。夕方の練習でさっそくそれを試したがNBAの選手でさえ下手クソなのにひがながの選手がサッとできるわけがない。それは織り込み済み。明後日のカップ戦に間に合わせるためのアイデアではないし、6月にバスケットらしくなればいいので急ぎはしない。
16年11月23日(祭)  9時から12時までは古賀ミニバスの手伝い。ひがながの練習はD練(3時半〜6時)。走った翌日は身体がきついので古賀ミニバスの手伝いのあとは家でずっと寝ていた。ひがながのD練が始まって間もなく、飯盛体育館で行われたジュニアオールスターの二次選考会から流れて来た指導者1人と選手数人が突然アポなしでやってきた。アポなしだがこちらも大歓迎だ。素人集団のひがながバスケには良い刺激になる。一緒に練習させながら、いつの間にか飛び入り参加の選手たちに注文をつける回数が多くなっていた。ま、いいか。 
16年11月22日(火)  2月上旬の札幌講習までの身体造りのために、週2回は走ろうと思って先週から走り始めた。今週は今日が初回だ。「通風も膝も踵も不整脈も2月まではおとなしくしてろよ」と思いながら走った。 
16年11月21日(月)  昨年小柳スポーツに取り寄せて貰って学童クラブつめくさの園庭にバスケットボールゴールを取り付けた。今日社長から「下級生の中にはゴールに届かない子も居るでしょうからコレ使ってください」と言ってKID'S用の軽いボールを寄贈して貰った。これがあれば1年生にもバスケットを楽しんで貰える。社長ありがとう。
16年11月20日(日)  朝5時から7時まで、錦織対ジョコビッチのテニスの試合を観た。8時から10時半までひがながバスケの指導をした。10時半から12時まで古賀ミニバスの手伝いをした。12時半から2時まで長崎地区高校新人戦の女子決勝と順位決定戦を観に行った。決勝戦は「ウーン、今いちだな」。順位決定戦では長商の織田先生の「バスケットの指導ができるのが嬉しくて仕方がない」という態度や表情が印象的だった。でも、今日はバスケットではなくテニスのことが私のアタマを占領している。錦織のバブリンカ戦はすごかった。負けたけどマリーとの試合もすごかった。昨日のチリッチ戦の1セット目もすごかった。が、2セット目以降と今朝のジョコビッチ戦は別人だった。時々映る画面一杯の錦織のアップ顔の目には光がない。疲れか?バスケットの試合なら他の選手と交替させて休ませるなどの策があるが、個人スポーツではそれができない。観ていて辛かった。備考:とどろきカップ参加案内UP games & schedule 参照。
16年11月19日(土)  作家の新田次郎氏の奥様で、ご自身も作家であった藤原ていさんが亡くなった。98歳だった。満州からの過酷な引き上げ体験を綴った「流れる星は生きている」という彼女の著書を読んで私は初めて藤原さんの存在を知った。藤原さんは6年前に死んだ私の母と同じ歳。その母から聞かされた(断片的には私も覚えている)私たちの満州からの引き上げの話は「流れる星は生きている」そのままだった。だから、会ったことすらない藤原さんを私は身内のように感じていた。これでまた一つ満州引き上げ(太平洋戦争)の痕跡が消えた。
16年11月18日(金)  金曜日は隔週で体育館が使えない。その日は原則としてオフにしている。今日がその日だが日吉自然の家体育館が確保できたので昨日オフにした替わりに今日練習した。「練習は学習だ!ただやるだけ、ただ頑張るだけでは何も残らん!」。ミニバス経験なしの1年生に対しても、間抜けな顔をしてコートに居たら容赦せずに檄がとぶ。さあ来い。 
16年11月17日(木)  火曜日と木曜日は体育館割り当てがない日なのでいつも外部の体育館を借りて練習している。ところが今日は外部の体育館がどこも塞がっていたので、やむなくオフにした。以前そんな時は3qランをやっていたが、今年はそんなことをやってもそれが強化に反映するようなチームではないのでやらない。ひがながの練習がないので私は古賀ミニの練習に顔を出した。その前に団地の周りを走った。2月初旬の札幌クリニックまで体調(膝・踵・通風・不整脈)に気を配りながらこうして身体造りをしていこうと思う。
16年11月16日(水) 練習再開。鍛えられることに耐える人間を造るのは簡単だが、そんな人間を造っても試合ができる選手にはならない。学習するという習慣を身につけさせなければ…。それがなかなか難しい。
16年11月15日(火)  昼過ぎに団地の周りを走った。約3qの距離だ。試験休みが明け、今日から練習が再開されるので、体育館に顔を出す前にまず自分を追い込んでおこうとおもったからである。今年のチームはなかなか幼稚さが抜けないので何かしなければならないという焦りもあった。過去を調べたら4月に走ったのが画像で残っていた。それから今日まで、踵の炎症や度重なる通風や左膝の故障(膝蓋大腿関節変形症)などでランから遠ざかっていた。休止前のランはの季節だったが今日のランは落ち葉を踏みしめながら走った。半年のブランクなのでちょっと苦しかった。気になっていた踵や通風や膝の痛みは出なかったし、不整脈も出なかった。 
16年11月14日(月)  ひがながは今日まで試験休み。古賀ミニに練習開始から顔を出せるのは今日で最後だが、ミニの指導中もずっと、アタマの片隅にはひがながバスケが居着いており、「明日からひがながの選手たちをどう導いて行こうか…」という思いがアタマの中を占領していた。
16年11月13日(日)  シーエルとアンジュを久しぶりに散歩に連れ出した。シーエルの動きが遅くなっていた。以前は時速10〜11qで走ったが、昨日は7〜8qでしか走れなかった。シーエルはもうすぐ13歳になる。 
16年11月12日(土)  今日は終日、稲佐山公園野外コンサート場で開かれた学童まつりに参加した”学童クラブつめくさ”に付き合った。こ〜んなにたくさんこどもたちが居れば、まだしばらくは地球も大丈夫だ。つめくさのこどもたち4人がラムネの一気飲み競争に参加した。トップバッターのリイナちゃんは途中でギブアップ。2番手で出場したアオちゃんと結子は昨年に続きアオちゃんが2連覇(12秒)。結子のつぶやき「アオちゃんと同じ組じゃなかったら勝てたのに…」。4番手はリュウやん。時間はアオちゃんの2倍かかったが優勝した。4人中2人優勝だ。
16年11月11日(金) 今日は学童の送迎はなく、古賀ミニバスの練習もない。1日中家に居た。終日、頭の中ではライオン丸と古賀ミニとひがながが入れ替わり立ち替わり登場した。しかし、ライオン丸と古賀ミニは動画で登場するがひがながは動画が途中で止まり、制止画になってしまう。つまり、私が描くイメージが途中で行き詰まるのだ。
16年11月10日(木)   今週のひがながは試験休みなので月・水そして今日と、練習開始から最後まで古賀ミニバスの練習に顔を出した。あのDVDを見たその目で改めてこの3日間4年生以下のフレッシュマンチームを見たが、大半が3年生からバスケを始めた今年のフレッシュマンチームを、1年生から始めた選手が4人も居るDVDのライオン丸チームと比べて見ると、決してあのチームに届かないことはないと思った。フレッシュマンだけではない。5・6年生の上級生チームも巧くなっているのだ。これまでほとんどの選手は周りが見えず自分の世界だけで試合をしていたが、この3日間はパスして動くという全員バスケットになっている。たまたまが3日間続くわけがないのでこれは実力だ。きっかけさえあればこどもたちはこんなに伸びるんだと思い、今日は元気を貰った。
追伸:スクリメージの途中でM子が手のひらに何か乗せて走り寄ってきた。「先生歯が抜けました」。生え替わりが遅れてぐらついていた乳歯を、試合中に舌でいじっていたらボロッと抜けたそうだ。見ると根っこにはまだ血が付いている。ゲッ! 
16年11月09日(水)  動画加工ソフトがダウンロードできたので昨日の動画を差し替えた。高城台小学校の山口先生(ハナちゃんパパ)から「ブログの続きが見たいです」という要請があったので今日原盤を届けた。これからあちこち広まるだろう。当時の古賀ミニバスのコーチの峯脇先生にも電話をかけた。彼はバスケットではなくバレーボールが専門だ。だが、古賀小在職時代にバスケットにはまり込み、それ以来ミニバス指導者の道を歩んでいる。バスケ界に身を置いている私としては、専門外なのにこのようにバスケにのめり込む指導者が出てくることはとても嬉しい。 
16年11月08日(火)  城ママから貴重な映像のDVDを貸して貰った。パソコンの動画加工ソフトのUlead Video Studio11が壊れて使えず、再生画面をデジカメで撮影してUPしたので鮮明ではないがみんなに紹介したい。愛宕小学校と古賀小学校の練習試合のビデオなのだが、双方3年生以下の選手だけの試合である。愛宕は、#10(松永=現鶴鳴1年生)#11(山口=現長西1年生)#12(上戸=現長西1年生)である。古賀は、#12(梅本華=現北陽台1年生)#13(梅本琉=現長西1年生)#14(城=現鶴鳴1年生)#15(松尾=現西陵1年生)#16(西川=現長西1年生)
#17(熊谷=現長西1年生)である。ウマイ!3年生なのにもうバスケットになっている。全体を見回しながらやるのだ。
追伸19:30 10月30日のこの欄で小江原小学校の4年生が作戦盤を使って予習していたことを取り上げたが城ママ曰く「古賀小のあの子たちは3年生の時にやってましたよ」だって。あの子たちならやるだろうなあ。
16年11月07日(月)  来週火曜日から練習再開だ。それまで7日間ある。だが私の頭の中はオフではない。ひがながバスケの練習イメージがひっきりなしに登場する。ただ、イメージの中には通常「A選手にこんな技を教えて…B選手には…」と、選手の顔や動作が浮かぶのだが、今年のイメージの中にはAやBに該当する選手は登場しない。
16年11月06日(日)  南島原カップ最終日結果UP games & schedule 参照。
結果報告では述べなかったことを下記に記す。それは選手起用についての補足説明である。南島原カップ初日のリーグ戦は1ピリオド8分で行われ、最終日のトーナメントは1ピリオド7分で行われた。今大会は1ピリ・2ピリ・3ピリ・4ピリのオンコート選手を最初に発表して試合に臨ませた。公式試合に出せる人数は無理矢理見積もっても10人である。 その10人も力量の差があるから、4ピリすべてオンコートだったり、1ピリだけの出場だったりという違いは生じる。しかし、1試合通して2分とか3分の短時間出場はない。ファウルが嵩んでも、疲れて動きが鈍くなってきてもそのやり方は変えなかった。その意図はファウルを犯したりミスを連発したので交替させられるかも知れないという心配をせずにそのピリオドを精一杯やり切らせるためである。もちろん、勝負を意識した試合ならばこんな選手起用はしない。勝負を意識した選手起用が出来る日が来るのはいつ頃になるのか今のところまだ見当はつかない。
16年11月05日(土)  南島原カップ初日結果UP games & schedule 参照。 
16年11月04日(金)  午後2時に矢上を出発して熊本に行き、夜の11時37分に自宅に帰り着いた。強行軍だった。どうしても会わなければならない人が居て、それが今日しか時間が合わなかったのだ。明日は6時45分出発で南島原カップに行くのでもう寝る。<(_ _)>Zzzzz.... 
16年11月03日(文)  ひがながはC練(13:00~15:30)。なので午前中は桜ヶ丘小学校で行われているフレッシュマン大会を観に行った。ミニバスの現場に顔を出す度に指導者はもちろん保護者を含めたミニバスの選手たちを取り巻く大人たちの熱意が伝わってくる。試合会場だけではない。通常の練習でも私が知りうる限り指導者は教員ではない社会人の方が多いが、彼らは練習終了までにあと10分しか残っていなくても仕事が終わってから体育館に駆けつける。保護者は送迎だけでなく輪番制で当番を置き、こどもたちを見守っている。このような熱意と労力が中学→高校→大学やプロ→オリンピックと繋がっていくよい方策がないものかなあ…といつも思う。と思うのはこの過程のどこかで何かが引っかかってうまくいってないからだ。
追伸:4日朝、主催者から試合結果集合写真が送られてきた1ので1日遅れになったが掲載する。。
16年11月02日(水)  11月1日から1月31日までの3ヶ月間の部活動は冬時間で、6時完全下校である。帰りの会が終われば部活生はすぐ体育館に顔を出せるワケではなく、学級や学校の仕事があったりするのでおおむね部員が揃って練習を開始できるのは4時50分である。6時完全下校なら5時50分には練習を終わらなければならないのでこの期間は1時間しか練習できない。長話や無駄な練習はできない。コーチの手腕が問われる期間だ。
16年11月01日(火)  無念さは残っているが、拗ねて体育館に顔を出さなかったり、体育館に顔を出してもプイッとそっぽ向いて選手たちを無視したりなど、そんなこどもっぽいことはしない。ちゃんと指導はする。が、気持ちは重かった。 
16年10月31日(月)  欠席者以外の選手たちが全員揃ったところで「最初に更衣室からコートに出てきてサヤカがてシュートを撃ったのが4時46分。その時男子は15人の選手が練習を開始していた。これは今日に限ったことではない。なぜこんなことが起こるんだ?」と聞いた。2人の選手が手を挙げた。私はY子を指名した。Y子「更衣室で話をしながら準備してるからだと思います」。私はそれを疑って選手たちに開始が遅い理由を詰問したのではない。が、思わぬ答えが返ってきたので、「エ!そんなことしてるのか?」と私は確かめた。Y子「連絡とか…」私「いやいや、ずっと前にそれもダメだと言った。目や動作の合図でそんなの出来るんだ」。心を静めるために少し間を置いて私は「全員今すぐ体育館から立ち去れ」と言ってみんなを帰した。口が動けば手足の動きは遅くなる。だから練習前の準備は無言でやれと全員に通達している。なのに、男の人が女子更衣室には入って来るわけないからとタカをくくっていたのか、更衣室ではそんな事が起きていた。私は高校生・中学生・小学生を問わず、さらに長期・短期・ワンセッションを問わず、誰かに何かを教える時は私の信念を全身全霊で相手に伝えようとする。それを軽視された。無念だ。
16年10月30日(日)  ひがながバスケはオフ。今日は南長崎小学校で行われたフレッシュマン大会に参加した古賀ミニバスの引率や審判の手伝いをした。体育館横の待機場所で作戦盤を真ん中に置いて小江原小学校の選手たちがプレイを確認していた。コーチが作戦盤を使って説明しているのではなく選手たちが自主的にやっているのだ。フレッシュマン大会は4年生以下が対象なので、作戦盤を囲んでいるのは4年生以下の選手たちだけだ。私は50年以上バスケに関わっているがこんな情景は初めて見た。
16年10月29日(土) 今日はA練(08:00~10:30)。このところ、素人から始めた1年生にも私の口から辛辣なことばが飛ぶ。下手だから叱るのではない。聞かない、思わない、気付かない、確かめないからそこを突くのである。不真面目だから聞かないのではなく、不真面目だから確かめないのでもない。聞く・思う・気付く・確かめる能力が低いのである。能力が低いのならそれを高めなければならない。そこを改善しようとすると当然厳しくなる。部活動は本来楽しいものでなければならないが、部活動の楽しさを味わえるのは自分を磨く努力をしている者だけだ。楽しさは部員であればみんなに等しく分け与えられるものではない。なお、聞かない、思わない、気付かない、確かめないという風潮はひがなが女子バスケだけではなく、私が鶴鳴に在籍していた頃からずっと若者の間に引き継がれてきている。日本が危ない。 
16年10月28日(金)  昨日の明け方、高橋慎子(旧姓大野=鶴鳴→エバンズビル大学)のご主人が34歳の若さで亡くなった。ガンだった。3年前の3月下旬に、私と慎子と彼女の息子2人の4人でアメリカ(イリノイ大学)に行くことは決まっており、下の息子のパスポートもすでに取得していた。しかし、2月中旬にご主人の大腸ガンが見つかったので渡米は中止した。ご主人のガンは詳しい検査の結果腹膜まで拡がって(播種)いた。それから3年、彼は持ち堪えていたが遂に力尽きた。長男は6歳、次男は4歳である。こどもたちはもうお父さんは自分たちのところに戻ってこないということを実感していないらしい。私はこんな理不尽なことをする神様が時々嫌いになる。 
16年10月27日(木)  つばさ保育園のほしぐみ(4歳児)さんの金比羅登山引率をした。この子たちが来年7月には久住に登る。
16年10月26日(水)  1昨日の件で「その選手は誰ですか?」という問いではなく「私は○○高校の△△選手だと思います。理由は@・・・A・・・B・・・」というメールを貰った。人選、理由の説明ともに百点だった。私はNBAの試合を観る時、ウォリアーズの試合ではクレイ・トンプソンだけを観ている。ボールを持っている持っていないに関わらず、彼の目付きやちょっとした動作から目を離さない。スパーズの試合ではマヌ・ジノビリ、ネッツの試合ではジェレミー・リン、クリッパーズの試合ではクリス・ポールだ。それに1昨日1人の高校生が加わった。私はすごいプレイをしたりスリーをポンポン決めることにはあまり興味ない。この選手は自分の立ち位置をどう思っているか、この試合の流れをどう分析しているかを知りたいのだ。今日のメールの主もずばりそこを突いていた。 
16年10月25日(火)  昨日「気になる人はお電話ください」と言ったが、電話をかけてきた人なら誰にでも教えるわけではないという但し書きを付けるのを忘れていた。備考:南島原カップ参加案内UP games & schedule 参照。 
16年10月24日(月)  ウィンターカップ予選最終日。今日の会場は長与町民体育館。今日もスクーターで走ったが、3時に学童のお迎えがあるので女子決勝の前半まで観て帰った。男女通じて、身体能力や得点力や闘争心で目を引く選手はポツポツ居たが「お前バスケットがよくわかってるなあ」という選手は1人しか発見できなかった。それは誰だったのか気になる人はお電話ください。
16年10月23日(日)  ひがながバスケはオフ。なので今日もスクーターで島原まで走った。島原高校で10時開始の女子島商対日大の試合を観、すぐ島原工業に移動して11時半開始の男子島原工業対海星の試合、引き続き女子鶴鳴対西海の試合を観て帰ってきた。近頃、中学の試合を観ていても高校の試合を観ていてもワクワクする試合がない。男子でも女子でもいいから駒が集まったから県内では勝つというのではなく、そろそろ内容の濃さで「今年は全国大会でも暴れてくれそうだぞ(ベスト8以上)」というチームが出てきて欲しいなあ。 
16年10月22日(土)  雨の中スクーター(撮影者:結子)で島原まで走った。私のスクーターは高さが3倍ある風防とナックルバイザーを取り付けてあるので、顔面にも手首にも雨風が直接当たらず悪天候走行はまったく気にならない。片道1時間15分。ラクラク午後のひがながの練習に間に合った。 
16年10月21日(金)  明日はC練(13:00~15:30)。なので午前中島原まで高校のウィンターカップ予選を観に行こうと思っている。島原まで片道1時間半なので、家を8時に出て9時半開始の試合を1試合見て帰ってくれば12時半にひがながに着くので丁度良い。しかし、明日の長崎南部の天気予報は雨だ。スクーターで行くつもりなのに… 
16年10月20日(木)  10月17日の深夜12時即ち18日の午前0時がアメリカのカレッジバスケットボールの練習解禁日である。もちろんそれ以前にいろんなカタチで練習はしている。ただ、堂々とコーチと選手が一堂に会して練習を開始できるのが18日の午前0時(ミッドナイトマッドネス)なのである。各大学のアリーナの観客席は満員になり、0時の時報と同時にコーチと選手がコーナーからフロアに走って現れ、観客はスタンディングオベイジョンでこれを迎える。私は、女子のイリノイ大学と男子のバージニア大学の情報は漏らさずインターネットでチェックしている。イリノイ大学は11月16日のエキジビジョンマッチを皮切りに、バージニア大学は10月23日のエキジビジョンマッチを皮切りにシーズンに突入する。今年はちょっと残念なことがある。イリノイ大学にもバージニア大学にもタトゥーを入れた選手が居るのだ。これまでは両者とも居なかったはずなのに…。
16年10月19日(水)  短大幼稚園の園長から電話がかかってきた。着信の名前を見てサンタの依頼だとすぐ分かった。今年は12月19日だそうな。もちろんOKしたが、最近は頼まれ事にOKを出す時は但し書きが付く。「その日まで俺が生きていればな」
16年10月18日(火)  14日のテスト明け練習再開日から、カッティング・フラッシュ・インサイド及びアウトサイドスクリーン・キックアウト・ピックアンドロール等を使った攻撃手法のドリルを取り入れ始めたと述べたが、昨日からそれをハーフコートゲームの実戦の中で試させている。ドリルを取り入れて3日しか経っていないから選手たちは当然実戦で使うとなるとまごまごする。ドリルはほんのさわりだけやってすぐ実戦での試しに入るのが私のやり方だ。私の考え方はドリルをたくさんやることよりも場面理解優先なのでこうなる。 これが正しいやり方だとは言わない。私のこだわりである。
16年10月17日(月)  土曜日のブログの内容について補足しておく。私はAチームを批判したのではない。Aチームはルールに則って試合を進めており、違反はしていない。むしろ自分たちのメンバーの特徴を活かし、チームを勝利に導く見事な作戦だったと言えよう。ただ私は、このような事例を引き合いに出してFIBAとJBAに、「あなた方が理想とする少年期のバスケットってどんなイメージなんですか?あなた方は”目先の勝利にこだわらず…”と言いますが、チャンピオンシップマッチに参加すれば誰でも勝利を目指して戦いますよ。少年期においてそれは正しい姿とは言えないのですか?」と問うたのである。
16年10月16日(日)  ひがながの部活動は月に1回日曜日に家庭の日というのを設けてあり、この日はA練〜D練の各部割り当てはない。月に1度日曜日は家族とともに過ごしなさいという意味である。しかし、絶対部活動をやってはいけない日ではなく、テスト前休み期間だけど試合直近の部は1時間だけ練習してよいというのと同じで、事情によりどうしてもこの日に部活動をやりたいという部はお互いに時間を繰り合わせて練習する部もある。バスケ部男女は他の部と話し合ってA練(08:00~10:30)の時間帯を貰った。内容は1昨日と同じくハーフコートオフェンスである。単に動くだけでもバスケットにならないレベルではあるが、こんな手法を使えるようになると便利だよというプレイはもう教え込まなければならない時期なのだ。これから時間をかけて、カッティング・フラッシュ・インサイド及びアウトサイドスクリーン・キックアウト・ピックアンドロールの5種類は使い方(足・タイミング・体裁き等)を教え込んでいかなければならない。
備考:体育館の階段の下には卒業生のM子親子が私を待っていた。昨日の夕方捻挫をしたが、どの程度の捻挫なのか病院に行った方がいいか診立てをして欲しいというのである。結果はごく普通の前距腓靱帯損傷捻挫で、病院に行く必要はなく、安静にしておけば2週間ほどで復帰できると回答した。 
16年10月15日(土)  ひがながバスケはD練(15:30~18:00)。だから、県ミニバス大会予選参加の古賀ミニバス(10:05試合開始)のバス運転手を買って出た。女子の試合よりも男子のAチームとBチームの試合が気になった。Aチームは#4と#5が6年生であとは3年生以下のチームである。Aチームの作戦は、1ピリは#4が最初から最後までドリブルでボールを保持しながら1対1で勝負してくる。2ピリは#5が同じようなことをする。3ピリと4ピリは#4と#5の2人だけでボールを保持し、最終的に#4と#5の1対1か2対2で勝負する。他の選手は片側に寄っていてカムフラージュのためにポジションチェンジを繰り返しているだけである。これに対してBチームはボックスワンとかトライアングルツーをやりたくても現行ルールでは実行できない。FIBAもJBAもこのような試合の様相こそがミニバスや中学バスケで個人技能をを高めるための理想の姿と言うのだろうか。
16年10月14日(金)  テスト明けで練習再開。しかし、28日がコーラス大会なのでそれまでは学級練習のために選手がコートに出てくるのはバラバラで5時過ぎにしか揃わない。しばらくはシュートを中心とした個人技の練習をし、みんな揃ってからこれまでの懸念事項であったオフェンスの攻め手の貧弱さに手を付けた。単に動くだけでも「いける!」「無理!」「狭い!」「今だ!」「まだ早い!」が分からないレベルなのに、それにスクリーンプレイが加わってくると選手のアタマはもつれた毛糸玉になってしまう。こんな選手たちには要求する事柄を少なくし、難しい専門用語を使わずに教えてやらなければならない。気骨が折れる仕事だ。 
16年10月13日(木)  今日までひがながは試験休み。だから昨日と今日はまるまる古賀ミニバス(月・水・木が練習日)に顔を出せた。昨日も今日も参加人数が19人だったので。5対5のスクリメージをやるのに、「ウーンどうしようかなあ」と思案していると下級生から「先生がB戦に入れば丁度いいやん」と言われた。A戦とは5・6年生のスクリメージでB戦とは4年生以下のスクリメージのことである。「そうだな」と言ってB戦に入ったが、ルーズボールを追うのに足が出ない。「ウワーッこれが今の俺の現実だ」と思った。ちょっとだけブルーになった。 
16年10月12日(水) 午前中にdocomo大村店の大久保氏に来て貰った。2時間かかってようやくmoperaのメールが使えるようになった。しかし問題点が1つ残された。私はパソコンを2台持っていて、メールアドレスも2つ持っている。インターネットケーブルで立ち上げた時も、moperaのルーターで立ち上げたと時も、どちらのパソコンでも両方のメールアドレスに送られてきたメールが開けるように設定してあった。それがこの事件後、moperaのルーターで立ち上げた時だけ旧メールアドレスからの送信ができないのだ。パソコンからの返事によれば「サーバーの送信メールポート番号が違いますよ」である。ここはいじった記憶がないが、あてずっぽうではなく心当たりのある番号に入れ替えてみても同じ返事なのである。ここをやっつければ元通りになるのだが…。
16年10月11日(火)  今朝、パソコンのmoperaのメールがおかしくなった。どんなにいじくってもダメだ。そこで短大の森先生のところに走った。それでもダメ。そこで今度はdocomo矢上店に走った。そこで店長が対応してくれたがそれでもダメ。森先生のところで1時間。docomoで4時間。合計5時間パソコンのことで走り回った。結果はNG。このところのパソコンの不調はすべて、マイクロソフト社が勝手にwindows8をwindows10にアップグレードしたことから始まった。許せん! 
16年10月10日(祭)  時津長与杯最終日結果報告 games & schedule 参照。
16年10月09日(日)  13日(木)14日(金)が中間テストなので本当は昨日からひがながの部活はテスト前休み中である。ただし、直近に試合がある部活は届けを出して1時間だけ練習してよいことになっている。ひがながバスケは現在時津長与杯(8日と10日に実施)に参加中なので中日の今日は9時から10時までの1時間だけ練習した。その後すぐ、多良見体育館で行われているミニバスさわやか杯を観に行った。ミニバスの試合会場には常に、当日のクルマ出し当番の保護者だけでなく多くの保護者が応援に駆けつける。私はこの光景を見ながらいつも思う。「ミニバスの会場には保護者だけじゃなく、中学の指導者・高校の指導者・大学の指導者・実業団やプロリーグの指導者・日本代表各カテゴリーのスタッフは努めて顔を出せよ。君たちが預かっている選手たちはみんなここから出発してるんだから」。鶴鳴時代の自分を振り返るとあまり偉そうなことは言えないが…
16年10月08日(土)  時津長与杯初日結果報告UP。games & schedule 参照。 
16年10月07日(金)  新しい携帯が入荷したので受け取りに行った。ダメになった機種とまったく同じモノだが、微妙に仕様が違う。もっとも迷惑なのが、ディスプレイにスケジュールが表示されないことだ。今日受け取ったヤツは開いた時のディスプレイにはカレンダーが表示されている。それをスケジュールに変えようと思ったら、メーカー側から今回の機種にはその機能はないんですよと言われた。替わりにいろんなアプリがディスプレイ画面から開けるようになっている。それが現代風なのだろうがそんなの俺は使わない。だんだん俺はガラパゴスゾウガメに近づいて行ってるようだ。 
16年10月06日(木)  尿酸値を下げるクスリが切れたので朝から宮本外科に行ってきた。その帰りに歯医者に行った。右下奥歯を抜歯したあとブリッジで部分入れ歯にしたのだが、それが歯茎に当たって痛かったので調整しに行ったのだ。「また、気持ち悪い画像をUPして!」と読者に叱られるので今回画像は載せなかった。午後は大学病院にMRI検査に行った。その結果のコメントが夜8時過ぎにDr宮本からあった。膝蓋大腿関節変形症(=サラと大腿骨で形成されている関節の軟骨がすり減っている)だそうな。3年前の3月に私は膝の骨40箇所穴を空け骨髄液を滲みださせて軟骨を再生させる手術を受けた。その後、Dr米倉Dr宮本から再三「ランニング禁止ですよ。審判禁止ですよ」と言われていたにも関わらず、それを破って動き回った報いが今日の結果だ。しかし、マグロの生まれかわりである私は動きを止めれば酸欠で死ぬ。ウーンどうしよう。
16年10月05日(水)  最近携帯の調子が悪い。通話中なのに相手の声が聞こえないのだ。docomoshop矢上店に持って行ったらスピーカーの劣化だと言われた。私の携帯は購入後3年半が経過しているのでサービス修理期間を過ぎている。だから、修理すれば2万円以上かかるからポイントを使って同じヤツの新機種を買った方がいいと進められた。何がどうなったのかは知らないが結局1700円出して新品を買うことにした。明後日届くらしい。店を出る前におそるおそる店員さんに「いろんな人から”先生まだガラケイ使ってるんですかあ?”って言われるけど、ガラケイって絶滅危惧種なの?」と聞いたら爆笑しながら「そんなことないですよ」と言われた。ホッ。 
16年10月04日(火)  夕方までにOffice2007・一太郎Pro2・桐v9・Ulead Video Studio・Fujitsu Scan Snap.などをインストールした。しかし、桐はパソコンから「未サポートOSです」と言われた。Ulead Video Studioも同じだ。どちらも、アプリが消える前のWindows10ではちゃんと動いていたのに…。釈然としない。なんといってもやっかいなのがメールだ。アドレス帳の名前が全部消えてしまっているので復活させなければならないが、代替えで使っている小さなパソコンからメールアドレスをUSBにコピーして、それをWindows10のパソコンに移そうとしても一括コピーは出来ず、ひとりずつコピーしていかなければならない。そして、WinSCPを再インストールしたのだが、これもアプリが消える前はちゃんと作動していたのに再インストール後は転送設定がうまくいかなくなった。これが治らなければホームページの更新がWindows10のパソコンではできない。困った困った。 
16年10月03日(月)  7月中旬に突然パソコン(windows8)が勝手にwindows10にアップグレードされた。勝手にグレードアップしたマイクロソフト社にムカついていたがそのうち気にならなくなって使っていた。が、9月になってから次第に重くなり、とても使いにくくなった。私のノートパソコンはメモリが4ギガで、それを増設すればサクサク動くはず。で、インターネットで調べたが、私のパソコン(acer)はメモリが増設できないヤツだと分かった。そこで、コルタナを無効にしたり、パソコンを7月の状態まで復元したり、いろいろやっている内に今日になってアプリが全て削除されてしまった。間違ってパソコンを出荷時状態に戻してしまったらしい。ファイルはすべて残っているがアプリをもう一度インストールしなければこいつは使えない。迷惑千万なハナシだ!アプリを再インストールするまでは以前使っていた少し小型のacerで仕事をしなければならない。これはwindowsxpだがまだ動く。
備考:時津長与杯参加案内UP。games & schedule 参照。
16年10月02日(日)  昨日3件(手首骨折、クスリ指骨折、クスリ指脱臼)今日3件(両手首骨折、アキレス腱断裂、左手首ヒビ)ケガ人が出た。ゴールデンシニアと銘打っているからさぞかし和やかな雰囲気の大会だろうと思っていたらなんとなんと闘争心ムキ出しだ。そりゃケガ人も出るよ。初日に手首骨折した選手が帰り際にスタッフルームに顔を出し「お世話になりました。ケガを治してまた来年頑張ります」と挨拶した。「え?来年もやるの?」と思った。彼女の骨折は橈骨が縦に割れた骨折なので千葉に帰ってから手術しなければならない。それでもまだやるという。女性は強い。追伸:今日は高校生がテスト前だったりテスト中だったりで補助役員が少なくて人手不足だったのでモップ係の手伝いもした。今日は結構忙しかった。 
16年10月01日(土)  オレンジオバチャンズチームはすごい!スリーポイント6本。コフィンコーナーではダブルチームに行く。ショットガンパスからの速攻を出す。1番若い選手が52歳なのに信じられない。榎本氏は「俺は何もしないよ。ベンチはすべてツン(旧姓林田)がやるから」と言ったくせに、いざ試合が始まると「走れ!」「リバウンド!」「戻れ!」と檄を飛ばす。昔の日本代表選手を何人も擁しながらこれはないぞ。今日の試合は弱い者いじめだ。 
16年09月30日(金)  15:50。長崎駅着カモメ25号で来崎する榎本氏(元:日立戸塚監督、日本代表コーチ、日立男子コーチ、ゼクセル男子コーチ=現在75歳。私より1歳上)をクルマで迎えに行った。明日からカブトガニで開催されるゴールデンシニア全国大会の日立戸塚OGチームのベンチをするそうだ。夕方6時からは榎本氏と先乗り選手6人と私の7人で食事会(於:銀鍋酒庵)をした。先乗り6人の選手の中には中学生時代から知っている選手が居て懐かしかった。顔を見た瞬間「マリだ!」と分かった。ちゃんと58歳のおばさんになっていた。 
16年09月29日(木)  古賀ミニバスの4年生にダブルクラッチを教えて欲しいと頼まれていたので、昨日の練習の終わりにほんのちょっとだけ教えた。それにはまず、ランニングジャンプではなくパワージャンプができるようにならなければならない。そこから入った。結子がママに「今日山崎先生からダブルクラッチを教えて貰うことになってる」と言ったら、ママは「山崎先生跳べるかなあ?コケるんじゃない?」と心配したそうだ。結子ママにとって俺はどこにでも居るフツーの74歳のじいさんらしい。もっと頑張って普通のじいさんじゃないことをアピールしなきゃ! 
16年09月28日(水)  先日日大の試合を観た時に「アヤとカエに共通したこの課題さえクリアすれば、アヤとカエだけでなく日大のバスケットの質が飛躍的に向上する」と思った。そのことを兼頭監督に伝え「1日俺に預けろ」と言った。それが今日実現した。2人の課題とは、ドリブルで突破しようとして阻止されたりヘルプされた時に止まらずに継続してドリブルができるようになるというだけのことだ。それには、ステップの緩急、ドリブルの前後や高低の緩急を身につけなければならない。そのコツを今日教えた。あとは今日の反復練習を本人たちがやるだけだ。
追伸:アヤとカエが並ぶとアヤの身長が若干高い。中学時代はカエの方が3〜4p高かったはずだが…。カエに「お前何p?」と聞いたら「164.5pです」と答えた。「アヤは?」と聞いたらアヤは首を傾げた。つあんと計っていないのだ。カエに「お前アヤに抜かれた?」と聞いたらカエは「たぶん」と言った。私はアヤに「お前中学2年の時に膝を傷めて楢林整形に行った時のこと覚えてる?」と聞いた。アヤはこっくりした。「あの時レントゲン画像を見ながら楢林先生と俺が目を合わせて、アラーッと言ったのも覚えている?」と言ったらアヤはまたこっくりした。「あの時お前は161pか2pぐらいだったけど、楢林先生も俺も、この骨は伸びてもあと1p程度だと言った。お前はエーッ170pにはなりたかったのにと言ったなあ」。アヤは私のことばのあとに「その時楢林先生も山崎先生も、アヤが165p以上になったら50万円あげるよと言いましたよ」と言った。私は「エーッ!そんな約束したあ?」と驚いたがアヤは「したした」と、したを2度強調した。私は覚えていないが、大変な約束をしてしまったようだ。アヤの身長が164.9p以上でないことを祈る。 
16年09月27日(火)  5月8日。ハルナのウオノメはウィルス性のイボだった。今週のマユのニキビはマラセチア毛包炎だった。ケガや病気のことで緊急事態が起きても少々のことでは動じない知識と経験は積んだつもりだが、ひがながのコーチをするようになってから未知の症状に次々と出会う。まだまだ勉強しなきゃ。
16年09月26日(月) 

市民病院にサヤカを見舞いに行ってきた。昨日帯状疱疹で入院したのだ。入院期間は5日間ぐらいだろう。顔中にブツブツがあった。発症は先週だ。本人は左頬にニキビができたと思ったらしい。それがだんだん広がるので近くの皮膚科に行った。そこで帯状疱疹と診断された。その時のブツブツは顔だけだったが、今日見舞いに行った時はそれが背中と腹に広がったと言っていた。治療は点滴による抗ウィルス薬注入だ。痛みの峠は越え、今は痛みより痒みの方がひどいらしい。私も平成13年に大やけどの治療で入院した時に経験したことがあるが、痛みより治りかけてきた時の痒みの方が辛い。サヤカにはがんばれというしかない。 

16年09月25日(日)  古賀ミニバスの練習が9時〜12時。ひがながの練習が午後1時から3時半。どちらにも顔を出した。家に帰って録画ビデオを観ていたらいつの間にか眠ってしまっていた。21日22日の5連続審判の疲れが3日後の今日出てきたようだ。こんな時「俺も一人前に歳を取ったんだ」と感じる。実は、今日は疲れて家の中で2階に上がるのも億劫だ。 
16年09月24日(土)  A子が私から何度も指摘されたことをやれていないし、そのことを意識しないままやっているので、プレイを止めてみんなの前でやらせた。そして「お前、みんなの前でやらされている理由がわかる?」と聞いた。彼女はくびを傾げた。そこでみんなに「A子のどこが悪いかわかる人」と言って手を挙げさせたら半数近くしか手が挙がらなかった。「なんだ、半数かあ。ガッカリだな」と言い、答えは言わずに練習を続けさせた。ここからが重要である。3分ほど経ったところでまた集合をかけ、A子に「どこが悪いか分かったか?」と聞いたらA子は「はい」と言った。どうして分かったのか聞いたらB子に教えて貰ったと言った。「B子が教えたんだな?お前の方から聞いたんじゃないんだな?」と言ったら「はい」と答えた。私は「なんだ、それじゃ分かっても半額以下の値段だ」と言った。そこで、「さっき手が挙がらなかった人の中で今は分かる人いる?」と言ったら。多くの選手の手が挙がったが3人だけ手が挙がらなかった。3人以外は3分の間に上級生に聞くか、お互い同士で確認しあってそれを調べたのだ。3人は分からないまま調べもしなかった。こんな子を放置しておくと、部活動だけでなく、その子が所属する組織(家庭も、クラスも、学校も、会社=ずっと先のことだが)もやがて崩壊する。 
16年09月23日(金)  昨日長崎商業のグランドでは、雨で延期になっていた県高校新人ソフトボール大会の準決勝と決勝が行われた。長崎では九州文化学園(全国レベル)・向陽・長崎商業が例年強い。その一角に今年は鶴鳴が食い込んだ。バスケットの錬成会の昼休みにグランドまで観に行った。鶴鳴が2−0で長商に勝っている。バスケットの午後の部が始まるので体育館に戻り、続きを観られなかったが最終的に2−1で鶴鳴が勝ったそうだ。決勝戦は7−0で九州文化に鶴鳴が負けたが、決勝進出は実に42年ぶりらしい。私が鶴鳴に在職していた頃は、部員数が足りなくてバスケ部から貸してやって試合に出たことがある。それが今では22人の部員を抱える大所帯だ。鶴鳴は11月中旬の九州大会の出場権を得た。先日は鶴鳴の陸上部も久々に総合優勝を果たした。400bリレーと1600bリレーも取ったそうだ。リレーは層が厚くなければ取れないので、陸上もソフト部同様層が厚くなったのだろう。スポーツで勝つと学校が活気づく。鶴鳴は2年後に創立120周年を迎える。現在それに向けて校舎を改築している。2年後には外観だけでなく生徒の質もよくなった鶴鳴を期待したい。 
16年09月22日(祭)  朝から私のバスで日大チームの送迎を受け持った。今日は長商・神村・日大の3者でスクリメージを回した。スクリメージは10−2−10を1本とし、それを3者が繰り返す。神村学園が帰る時間に合わせて組合せや時間配分を決めたから、午前4本、午後3本のメニューになった。直前に宇部錬成会に行ってきたが宇部でも長商でも同じで、強いチームは点を取るのが目的でそのために動いている。そしてまた、強いチームの中でもコート外の振る舞いに差があり、観察力・気付き・自己チェックの質が高いチームはなかなか崩れない。なかなか勝てないチームは動くことそのものが目的で動いている場合が多いので得点に繋がらない。また、なかなか勝てないチームはコート外の振る舞いの質も落ちる。その差はどこから出てくるのかというと、コーチと選手の人間関係から出てくる。選手がコーチのアドバイスに耳を傾け「なるほど」と取り込む関係が成り立っているならばコート上でもコート外でも選手の振るまいの質は落ちない。
私は7本全て審判をした。昨日のも加えると10本だ。フルゲームに換算したら2日で5ゲーム審判したことになる。たぶんDr宮本に叱られると思う。疲れも筋肉痛もないが、速攻→失敗→逆速攻などのトランジッション場面でクイックストップやクイックターンをする際に時々膝がピキッと痛くなる。そんな場面以外は痛くないし動いたあとも痛みは増幅しない。ま、10月6日のMRIの結果で詳細が分かり、今後の指針が決まるだろう。 
16年09月21日(水)  神村学園は休日を振り替えて調整し、今日と明日は終日遠征ができるらしい。神村は当初鶴鳴にお世話になるつもりだったが鶴鳴が文化祭のため引き受けて貰えず、長崎商業に打診したら喜んで引き受けて貰えた。今日は神村と長商の2校だけだったが明日はそれに日大が加わる。仲介した私も長商の織田先生に丸投げするわけにはいかないので、ひがながの練習は中島監督に頼み、長商に出向いた。審判もするし明日は日大のバス送迎もする。私は閥をつくらないから利用したい方はいつでも力貸すよ。参考:yama&higaschedule 
16年09月20日(火)  今年(来年も同じだが)のひがながバスケは素人軍団だということをこれまでに何度も述べた。だから当然プレイは未熟だ。ではプレイを教えればそれが上達するかというとそんなに簡単なことではない。人間としての未熟さを引き上げなければプレイは上達しないのである。人間としてのレベルを量る尺度は「察する」とか「気付く」だ。今日もまたそのことで怒鳴りつけてしまった。<(_ _)>..........。
16年09月19日(祭)  午前で小池カップが終了。私はチーム引率ではなくオブザーバーで参加したので全チームに目を通したが、良いチームは共通して監督が示す方針を選手がちゃんと理解して戦っている。下級生が主体のチームはその部分が不安定なのが当たり前である。しかし、最後のスクリメージの鶴鳴対慶進は、両者下級生チームであるにもかかわらず、両チームともそこがこの3日間で飛躍的に伸びた。次回観るのが楽しみだ。 
16年09月18日(日)  小池カップ2日目。スタッフルームでは来年5月の倉敷カップのことが話題になった。来年以降は諸事情により倉敷では2面取れる体育館が確保できなくなり、実施不可能になったのだ。そこで白羽の矢が立ったのが宇部市である。現在行われている小池カップを5月の連休に持って行き、その近辺の日程で開催している宇部日報杯などを調整すればやれなくもないという話になった。まだ案が出ただけでどうなるかわからないが、3年前私が鶴鳴を退官したあと1回だけ鶴鳴正月合宿を休んだことがあるが、毎年この錬成会を当てにしていた常連校には大変迷惑をかけた。宇部がダメでもどこかでやれるようにみんなが考えなければならない。
16年09月17日(土)  小池カップ初日。俵田体育館には慶進・鶴鳴・光・宇部中央・倉敷翆松・岡豊(おこう=高知)の6校が集まり、もう一方の西部体育館には宇部商・東海(福岡)・宇部高・下関商・城北(徳島)・宮崎商・済美(愛媛)の7校が集まってそれぞれ総当たり戦をやった。カップ戦といっても高校の場合は中学と違ってチャンピオンマッチではなく、ほとんどが10ー2ー10のスクリメージを何回も繰り返すのだが、勝ち負けよりもそこに集まった人たちとの会話がコーチたちの財産になる。会話の内容は、指導の事、プレイの事、審判の判定のことだけではない。雑談もある。その雑談もまた財産になるのである。だから、カップ戦に参加したら黙って他人の話を聞いて帰るだけではなく、自分も意見を述べないと損だ。
16年09月16日(金)  新チームの練習は大半がシューティングである。それと、ハーフコートしか使えない時はハーフコートの、フルコートが使える時はフルコートの4対4または5対5の攻防は必ず入れる。それに最近スリーポイントエリア内でのドリブル1対1が加わった。さらに今日からボールを保持している選手のドライブキックアウトとそれを受ける選手のミートアウトの練習を取り入れた。私は指導するのに多くのドリルは用いない。主たる練習にこれを加えると1段階上がると思った時にのみそれを取り入れる。今日取り入れたキックアウト・ミートアウトが今のチーム状況に必要な「これ」である。新種を取り入れる際は当然私が見本を示すことが多くなる。今日はTシャツを着替えなければならいくらい動いたが、左膝の痛みは抱えたままなのにちゃんと動けた。これなら来年2月の札幌講習はイケそうだ。 
16年09月15日(木)  小池カップは3日間ではなく2日に縮めてやるかもしれない。結果は今日午後決定して通知するということだったが、台風16号のスピードが落ちたので予定通りの日程で行うことになった。30年ぐらい前の9月、倉敷に遠征した帰りに、鳥栖インターを過ぎたあたりで台風とすれ違ったことがある。その台風はその後倉敷を直撃したらしい。私が鳥栖インターを通過した直後に九州道は封鎖されたそうだ。確かに私が走っている車線も対向車線もクルマは走っておらず、私のバスだけが走っていたような記憶があるが、ちゃんと長崎にたどり着いた。その時のバスは私が鶴鳴に移籍したあと初めて購入したトヨタコースターのガソリン車だった。そんな経験があるので私は少々の雨風には負けない。 
16年09月14日(水)  今週末から来週にかけては忙しい。今週末は小池カップ(宇部市)のオブザーバーで出かけなければならない。帰ってきた直後の秋分の日は県外のK校と県内のN校S校合同の錬成会にアドバイザーで顔を出さなければならなくなった。でも、台風16号が近付いているので秋分の日までに帰って来られるかしら? 
16年09月13日(火)  中尾ダムの前を通りかかったら、満水になったダムから溢れた水が滝になって流れ落ちていた。梅雨明け以来、関東・東北・北海道は台風の影響による豪雨で大被害が出たにもかかわらず九州は日照り続きでカラッカラ。農作物の被害がテレビで報じられていたがここ2〜3日まとまった雨が降り、ダムにたっぷり水が溜まったのだ。スクーターを停めて「農家の人たちこれで一息つけたかなあ」と思いながらしばらく滝を眺めていた。 
16年09月12日(月)  昨年9月7日のブログで「腸脛靱帯炎がイターイ」と私は述べた。その頃はまだ3qランをやっていた。今年1月に重症の痛風症状に襲われ、引き続き踵骨骨棘の炎症で歩くことさえままならなくなってからずっと3qランはやっていない。というわけで半年以上静かにしていて、もう日常の動作には支障を来さなくなったにもかかわらず、バスケ指導中に動きの見本を示そうとすると左膝が「イタッ!」となる時がある。来年2月上旬に札幌講習がある。それまでに動ける身体にしておきたいので朝から大学病院に行った。今日はレントゲン検査だけして10月6日にMRIを予約してきた。レントゲンとMRIの結果で治療方針が決定するだろう。腸脛靱帯炎と決めつけた自己診断が誤診だったかもしれないし…。 
16年09月11日(日)  ひがながバスケはオフ。今日は昨日に引続き鶴鳴で錬成会が行われた。市会長杯中学大会最終日が山里中で行われた。ミニバス南部リーグが橘小学校で行われた。私は朝からまずミニバス南部リーグに顔を出した。そのあと鶴鳴の錬成会に顔を出した。そのあと市会長杯に顔を出し、女子決勝の1ピリだけ見てまたミニバス南部リーグに戻った。1番おもしろかったのはミニバス南部リーグだった。
追伸:私が山里中に着いたのは女子決勝が始まる直前だった。目の前にひがなが男子チームが居て、準決勝戦後の反省をスタッフ(三谷副校長・山内監督・松尾コーチ)がそれぞれ選手に述べていたが、「ここがよかった」というセリフは私の耳に届かず「こうすべきだったああすべきだった」というセリフばかりが届いたので「負けたのかなあ」と思って遠慮がちに「何点差?」とは聞いたが「勝ち?負け?」とは確かめなかった。家に帰ってから県協会のHPで初めて知ったのだが、実は準決勝では土井首中に67−52で勝ち、決勝に進出していた。ゴメン。そしておめでとう。 
16年09月10日(土)  鶴鳴にストレッチ・大分商業・長崎日大が集まって錬成会をしていた。私が顔を出した途端ケガ人が出た。負傷者の処置には慣れているが、今日の負傷者は泣き叫ぶし過呼吸も起こしていたので私は何もせず、そのまま楢林医院に担ぎ込んだ。処置後楢林院長が私に「さわっただけ元に戻ったよ」と言った。ウーッ。
追伸:「さわっただけで元に戻ったよ」には伏線がある。鶴鳴在職時代、私が居るところで発生した脱臼(肩・肘・手指)患者は、バスケットに限らず誰であっても、まず私が整復してから病院に連れて行った。そうしないと病院に行くまでが痛くて辛いのだ。これまでに整復してやれなかった患者は1人だけである。肩関節の脱臼患者だ。私は「今回は私の手に負えなかったあ(ヒポクラテス法)」 と言って楢林医院にその患者を連れて行った。院長は整復したあと「彼女はもっともポピュラーな前方脱臼ではなくて珍しい後方脱臼だったので整復は難しかったはずだよ」と言った。その時のことを覚えていて今回「さわっただけで入ったよ」と言ったのだ。
16年09月09日(金)  今日は夕方5時から東公園コミュニティ体育館での練習だった。4時50分、キャプテンのサヤカが「1年生が7人来てませんがあとは揃っています」と言った。その時丁度学校外に出かけていた中島監督から「間もなく学校に着きますから、遅れている選手は私がBOXYで連れて行きますからそのままにして出発していいですよ」という電話が入った。そこでサヤカに「残りは中島先生が連れてくるんだって」と言って出発してしまった。コミュニティ体育館で練習している途中中島監督から「学校に戻ってきて校内放送で何回も呼んだのですが1人も来ませんよ」と再度電話が入った。私はこの時、バスに乗り遅れた7人の1年生は歩いて来てるんじゃないか?と一瞬思った。そこで1年生のユラを呼んで「7人が遅れる理由知ってる?例えば学級の仕事とか個人的な用事とか…」と聞いた。するとユラは「さあ?私たちと一緒に着替えていた人もいましたけど…」と言った。この瞬間私は「当たった!」と思った。7人はみんなより少し着替えが遅れ、急いで校門に走ったがバスは出たあとだった。そこで中島先生を探した。すると尋ねた先生から「今日中島先生は外出だよ」と言われた。そこで急いで徒歩でコミュニティに向かったのだ。バスの中でサヤカから「1年生が7人来てませんが」と言われた時、私が「遅れる理由を誰かに聞いてみたのか?」と問えばこんな事件にならずに済んだのだ。ゴメン。 
16年09月08日(木)  今日は古賀ミニバスの下釜コーチが通夜で練習指導に行けない。古賀ミニバスは月水木が練習日で、月と水はひがながの練習が終わってから私も手伝いに出かけるが、木曜日は外へ出かけて練習するので顔を出せない。となれば今日は古賀ミニバスは誰も指導者が居らず、選手は自分たちだけで練習しなければならないことになる。もちろん保護者が必ず当番で付くが、指導はできない。中学生でさえメニューを指示しておけば自分達でちゃんと練習をやれるチームは少ないのに小学生だけで内容のある練習ができるわけがない。ひがながバスケが近くの施設で練習できるのであれば中島監督に頼んで抜け出すこともできるが、今日はひがながからもっとも遠い諫早市高木町のとどろき体育館を借りての練習なのでまったく身動きがとれない。どうにかならないかと朝からずっと考えていたがどうにもならず、重い気持ちを引きずりながら練習に出かけた。ここまでは午後3時に記載。夜9時追伸:とどろきから帰ってきて聞いたのだが、男子のコーチの松尾氏が一緒に面倒見てくれたそうだ。ありがとう。 
16年09月07日(水)  今日の部活は6人が休んだ。その中の2人は夏休みの宿題未提出で居残り学習を課されたからだ。部活動というのはよりよい人間になりたいと思う人間が集まるところである。そういう視点に立てばこれは最悪の部類に属する行為だ。2日前に急に言われたことが今日までに仕上がらなかったのならまだしも、40日も期間があったにも関わらずやらなかったのだから事は重大である。そんな選手が居る部活動が例え優勝したとしても誰も「がんばったね」と言ってはくれない。勝利は、集団のみんながよりよい人間になろうと努力した結果に付いてくるものでなければ価値がない。
16年09月06日(火)  錦織選手がベスト8に進出した。私は今日の相手のカロビッチ選手をもっとも警戒していた。あの211pの長身から繰り出す強烈サーブで小さい身体の錦織選手が揺さぶられたら辛いだろうと思っていたからだ。試合は見ていないが3−0で勝ったので良い試合だったのだろう。嬉しい。私は錦織選手が大好きだし、バスケットではウォリアーズのトンプソンとスパーズのジノビリが大好きで、彼等が試合に出れば彼等のプレイだけでなく目付きやちょっとしたしぐさも見逃さない。「なぜ?どこが好きなの?」と問われても好きなんだからしょうがない。私は日本人の選手はすべて応援するかというとそうではない。日本人でも外国人でも大嫌いな選手がいる。おおむねビッグマウスの選手は大嫌いだ。 
16年09月05日(月)  また痛風発症だ。私の場合夜中はなんともなくて、朝起きてベッド脇のフロアに足を下ろした途端「イタッ!」となって気付く。今回右足首近くだ。程度からすれば、1月11日に発症した右足MP関節と同程度。4月14日に発症した左足第3・4MP関節と7月16日に発症した左足首が台風10号だとすれば、1月11日の痛風も今回の痛風も台風12号並みだが、気になるのはその頻度である。1月から9月までの間に4回だ。1月11日の発症は鹿児島講習の2日目だった。前夜の懇親会でお酒を飲んだための脱水症状がその誘因ではないかと思われるが、その時の講習では示範を示すのにも痛かったが動けたので無事任務を果たせた。通常の練習指導はコートに居られて口が動けば何とかなるが、今後依頼されている講習等で台風12号並みの痛風が発症したらとても講習はできない。それがちょっと気になる。これまで少しは飲んでいたビールも今年から一切飲んでいないし、尿酸値を下げるクスリ(febric)はちゃんと飲んでいるのだが…。 
16年09月04日(日)  長崎市会長杯2日目は(ひがながは初日で負けたので関係ないが)台風12号接近のため次の土曜日に延期された。こいつは自転車で長崎に向かってきているので遅くてイライラする。バカヤロー。 
16年09月03日(土)  長崎市会長杯初日結果UP。games & schedule 参照。
予想したことではあったがやはり初戦で負けた。そのことについては上記の結果報告に述べてあるが、自チームのこと以外での感想がある。それはここ数年述べ続けていることだが、ベンチを見ると1人とか2人しか居ないチームが数校あるということだ。しかも、そんなチームでもミスしたりやられたりした選手がコーチから怒鳴られている。「よくぞバスケット部に入部してくれた。ありがとう」という態度で接してよ。お願いだから。 
16年09月02日(金)  実力テスト最終日。今日はバスケ部には体育館割り当てがない日。公共施設はどこも空いておらず、唯一三菱重工体育館が4時半から6時半まで空いていたが、授業後急いでも5時過ぎにしか到着できないので5時半から6時半までの1時間借りた。時間がないのでプレイを止めて喋ることを控え、プレイタイムを少しでも多く確保しようと努めたが、私の気持ちだけが空回りした1時間だった。 
16年09月01日(木) 今日9月1日は10月の公共施設利用申請解禁日。先月はその仕組みをよく理解しておらずに出足でもたついたので、今日は9時になった途端にインターネットで東公園コミュニティ体育館をバスケットボールの練習使用で4日(火)6日(木)14日(金)18日(火)20日(木)25日(火)27日(木)の7回分申請した。申請はしたがまだ選択抽選という条件付きでの申請なので取れるかどうかはまだわからない。他の利用者もこうやって申請するが、その申請期間が1日から10日までである。それが済むと11日から20日までが確定期間である。選択抽選で当たればこの期間に申し込みを確定する。21日から月末まではまたフリーで申請できる期間となる。1日から20日までの間にキャンセルがあったりして空きができたりすれば、最初の選択抽選で外れてもそこでまた申し込むことができる。この場合は選択抽選ではないので早い者勝ちである。
こうしてコミュニティ体育館に申し込みはしたものの、全部取れるとは限らないのでダブっても構わないから古賀市民センターにも出かけた。ここは、中学の部活動は週に1回までしか申し込めない。しかも、水木金の夕方は優先使用の団体があるので、こちらの希望する火木のうち火曜日だけしかチャンスはない。ここは選択抽選ではなく早い者勝ちなので、解禁1番に申し込んだ私は4日(火)18日(火)25日(火)の3回分確保できた。もしこれと同じ日にコミュニティ体育館が取れたらコミュニティ体育館をキャンセルしようと思う。なぜなら古賀市民センターは市内中学生の部活動使用は無料だからである。ただし、コミュニティ体育館の使用料は513円と安いので、保護者や選手は狭くてやりにくい古賀市民センターではなくコミュニティ体育館を選ぶかもしれない。
次の勝負は21日過ぎだ。その勝負で決着がつかなかったら25日以降の諫早市の公共施設利用申請の解禁日を待つ。これからこういうやりとりが毎月続く。フウ・・・ 
16年08月31日(水)  毎年恒例。夏休み最後の行事である長崎市学童保育ドッジボール大会が県立総合体育館(アリーナかぶとがに)で行われた。3年生以上はガチ勝負。2年生以下はころがしドッジボールである。3年生以上の部は6年生が居る学童がやっぱり強い。つめくさは最上級生が4年生だから早々と負けた。さあ明日から新学期だ。
16年08月30日(火)  9月1日と2日は実力テストである。だから部活動は今日から試験休みだ。ただし、試合目前のチームは届け出をして1時間だけ練習してよいことになっている。バスケ部は9月3日に市会長杯に参加する。だから届け出をして今日からエントリー選手だけ1時間練習をする。今日は9時から10時までやった。練習後A子に中島監督が「A子、家に帰ったら何をする?」と聞いた。A子は「宿題をします」と答えた。宿題をするのは事実だろうし、宿題の中に実力テストの試験範囲が含まれているかもしれないが、答えは「試験勉強をします」でなければならない。なぜなら、今日から9月1日まで本来ならば試験休みだからだ。こんなやりとりを的確にできるようにならなければバスケの練習をいくら熱心にやっても強くはならない。
備考:長崎市会長杯参加案内UP。games & schedule 参照。
16年08月29日(月)  私は長崎女子短大を退官後、すべてがボランティアで、毎日だったり時々であったりと様々だが@つばさ保育園A学童クラブつめくさBひがなが女子バスケC古賀ミニバスに関わっている。その他、県内県外を問わず依頼事が多数舞い込む。そこで重要になるのが人間関係である。人間関係はほうれんそう(報=報告、連=連絡、相=相談)がスムーズに行くかどうかがカギを握っている。毎年思うことだが、コヤスポカップの結果報告は速い。私はインターネットでいろんな情報を得るが、情報を得る側からすれば「早く知りたい!」という思いをこれほど満足させてくれるウェブサイトは他にない。
備考:ほうれんそうは1982年に山種証券社長の山崎富治氏が社内キャンペーンで始めたのが起源らしい。
16年08月28日(日)  コヤスポカップ2日目結果UP。games & schedule 参照。 
16年08月27日(土)  コヤスポカップ初日結果UP。games & schedule 参照。 
16年08月26日(金)  今月はじめにつばさ保育園のつきぐみ(年長)さんをイルカウォッチングに連れて行ったが今日は1個下の年齢のほしぐみさんのイルカウォッチングだった。往路は、千々石から小浜まで旧島原鉄道の線路を撤去してそのあとをそのまま道路にした狭い道を通った。その道に入る前に園児にクイズを出した。「今から通る道は昔は何だったか分かる人いるかなあ?」。おとなもこどもも含めてこの道路を通る時はトンネルの手前で「あ、鉄道だ!」と気付く。今日は翔平君がトンネルのずっと手前の切り通しを通る時に「あ、電車だ!」と言い当てた。鋭い観察眼だ。イルカは前回に比べて圧倒的に今日の方が多く、しかも1bあるかないかの子イルカが1人前にジャンプを繰り返す。園児たちは大喜びだった。 
16年08月25日(木)  8月22日時点で、9月の練習会場が確保できていない日が4回あった。それを埋めるべく今日は朝早く飯体育館に走った。諫早市内の公共施設の使用申し込み解禁日は1日以降だったのが25日以降となり、今日がその解禁日なのだ。飯盛体育館には1番に到着したが、確保できたのは15日の1回分だけだった。それから残り3回分を確保すべく多良見体育館に走った。ここは全部詰まっていた。なので今度はとどろき体育館に走った。ここでは8日と16日の2回分確保できた。あとは2日の1回分だけだが、市内も含めて公共施設を片っ端から当たったがどこも空いておらず、やむなく三菱体育館を1時間だけ借りることにした。「そんなに苦労しなくても体育館が確保できない日は3qランで済ませばいいじゃないか」と思う人が居るかもしれないが、今のひがながに3qランをやらせても効果はない。部活動は、わかる→できる→よりよくできるという段階で上達するが、鍛える(走らせる)のは「よりよくできる」段階にならないと効果が出ない。今のひがながは「わかる」の段階にすら達していないから、ボールとリングを使う練習を少しでも多く取り入れるのが優先事項である。 
16年08月24日(水)  今日も2年生が職場体験なので1年生のみ。今日は男子バスケがオフではないので半面。それでもいつもの芋洗い状態に比べれば充分の広さである。シューティング以外のメニューは昨日と同じで、ドリブル突破力のもっとも基礎になるforward&backward dribbleをやった。素人1年生なので、ドリブラーに付けるダミーディフェンスの目の付け所や位置取りをしっかり教えなければならない。
備考:コヤスポカップ案内UP。games & schedule 参照。
追伸:昨日から腰が痛い。痛みの具合からして筋膜性疼痛だと思うが、変な捻り方をしたのかなあ? 
16年08月23日(火)  今日から3日間、2年生が職場体験に出かける。だから練習に参加するのは1年生だけだ。1年生は13人居るが今日は2人発熱で休んだので11人だけでの練習になった。しかも、男子バスケ部が今日はオフなのでフルコートを11人で使えた。少子化のあおりで、部員が10人未満のバスケ部がたくさんある中で、11人というのは決して少なくない人数だが、普段が芋洗い状態なので今日はガラーンとして静かだった。 
16年08月22日(月)  ひがながバスケはオフ。昨日佐世保から帰ってきた後と今日は9月の練習会場確保に奔走した。9月は9回分練習会場が確保できていない日があったが、その内5回分は昨日確保できた。残りの4回分を埋めようとして今日某所に交渉に行ったが、こちらが確保したい日は空いていたものの1回の使用料金が4000円と、とても高かったので申し込まずに帰ってきた。あとは、25日以降に多良見体育館か飯盛体育館の空き状況を調べて申し込むしかない。それも確保できる保証はない厳しい状況だ。9月に限らず、これからずっと練習会場確保には、あちこち走り回らなければならない状況が続く。たいへんだあ。 
16年08月21日(日)  ゼロカップ最終日結果UP。games & schedule 参照。
追伸:これまでのチームと新チームの差があまりにも大きいので、A氏から「今年はきついですね。3年計画ですか」と言われたが、それは今年の2年生は棄てて1年生が3年生になった時を狙うという意味になる。そんな考えはこれまでのコーチ人生で1度も持ったことはない。それは今頑張っている2年生(今年の2年生は全員素人集団)に対して失礼だからだ。  
16年08月20日(土)  ゼロカップ初日結果UP。games & schedule 参照。 
16年08月19日(金)  昨日はA練(08:00~10:30)でひがながバスケをまるまる、さらに夕方4時半から7時まで古賀ミニバスをまるまる指導した。1昨日も同じパターンで、私は2日連続の2部練となった。だから、今朝は目が覚めても疲れて身体がだるく、朝食を摂ったあとも家の中でゴロゴロしていた。今日のひがながの練習はD練(15:30~18:00) 。辛いだろうなあと思いながら出かけたが、体育館に立った私はシャキッとしていた。疲労感はまったくない。今日の昼間はあんなに身体がだるかったのに、人間の身体って不思議だなあ。この調子なら明日のゼロカップの審判は、2つ吹いても平気だと思う。
16年08月18日(木)  ランニングスルーを取り入れる素になっている考えは私のHPのファイルいろいろの中にある資料に記している。が、この指導法はしっかり自分の頭の中を整理してやらせなければ却って選手を混乱させる。 
16年08月17日(水)  平成元年の夏、この年入学したばかりの浜口と松山のツインタワーをスタメンで起用するために、夏休み中ずっとランニングスルーばかりやった。中学時代は素質だけで試合をこなしてきたふたりに、「バスケットはこうやってやるんだよ」というイメージをたたき込むためだ。それを久々に今日やった。素人にバスケットのイメージを取り込ませるには最良の方法だと思うからだ。
備考:ゼロカップ参加案内UP。games & schedule 参照。 
16年08月16日(火)  今日はお盆休み明け練習再開日。といっても、今日まで閉庁日だから学校では練習できないので古賀市民センターで4時から6時まで練習した。今日は3人の選手がめまいがするとか具合いが悪いとか言って途中で抜けた。年々、少し暑い日が続けば世間は熱中症に注意とか騒ぐが、熱中症なんて、自分に厳しい日常生活を送っている者は罹りはしない〜ッ!
16年08月15日(月)  12時にサイレンが鳴った。今日は終戦記念日だ。私は1995年の8月9日を思い出していた。その日鶴鳴はアメリカに居た。地元の新聞は鶴鳴のことを連日取り上げて書いた。私が感動したのは記事の中の最後の文章である(赤文字表示)。海外遠征では審判ぐるみで日本には勝たせまいとする国があるのを経験したことがある私は、この新聞記事には心を洗われた。別件だが後日談がある。その数年後、鶴鳴はサンアントニオスパーズが主催する高校生の親善試合に招待された。日本の実業団でプレイした経験のある選手がスパーズのスタッフだったことでこの招待が実現したのである。鶴鳴は毎日の昼食を自前で払うだけで、それ以外のお金は全部スパーズが出すというイベントだった。しかし、最終的にこの招待はボツになった。理由は、会議の時に「このトーナメントの決勝戦は12月8日(日本が真珠湾攻撃を仕掛けた日)になる。もし日本のチームが勝ち進んでアメリカのチームと対戦するようになった場合、この期日はちょっとまずいんじゃないか?」と会議に出席していた長老が発言し、「そういえばそうだなあ」という結果になってボツになったらしい。このことを1995年に鶴鳴のアメリカ遠征を企画してくれたG氏に話したら、顔を真っ赤にして憤慨していた。同じアメリカでも、人によってはこんなに違うのだ。追伸:その長老は日本を憎んでいるのではなく、折角のイベントが不愉快なものにならないように気を配ったのだと思う。 
16年08月14日(日)  午前中墓参りに行った。ここには、昭和21年2月9日に3歳で他界した(私の年子の弟)幸男、昭和21年7月2日に1歳で他界した文雄、昭和23年10月23日に42歳で他界した(私が6歳の時)父、平成22年6月4日に92歳で他界した母が眠っている。私より5歳上の兄は5年前に食道癌で他界したが、兄は22歳の時にカトリックの洗礼を受けたのでここには入っていない。兄が他界した時点で私の親兄弟はすべてこの世に居なくなった。
16年08月13日(土)  公立の小中学校は今年、8月11日から16日までを閉庁日とし、特勤も置かずに学校を完全閉鎖することになった。だから学校施設を使っての部活動はできない。しかし、やりたい選手があちこちに居るということを耳にしたので、今日は古賀地区センターを私個人が借りて「個人的に練習したい人いらっしゃ〜い」と言ってクリニックを開いた。クチコミなので知らせる範囲は限定されたが、高校生からミニバスまでの選手が9人(ひがながはオフ)やってきた。9時半から11時半まで2時間。私のTシャツは汗でびしょ濡れになった。 
16年08月12日(金)  練習はオフだったが昼間ココウォーク4階のレストランアレッタで中総体の慰労会が行われた。ひがながは6月中旬の市中総体で負けたが、慰労会がそれから2ヶ月後と間延びしたのは、保護者達がひがながは7月下旬の県中総体まで行けると思ったからだろう。挨拶を求められた私は、「慰労会は周りが選手たちに対して形式上”みんなよく頑張った。ご苦労様”という意味で開いてくれるものだが、当事者は”自分はよく頑張った”と言えるかどうか自問自答しなければならない」と言った。挨拶というより説教になってしまった。その説教の中で私はアトランタオリンピックで銅メダルを得たマラソンの有森裕子さんが、前回のバルセロナオリンピックの銀メダルよりもワンランク下がったにもかかわらず「今回は自分の人生の中で初めて、自分で自分を誉めてやりたいと思います」と言ったことばを引用した。 
16年08月11日(木)  今日は多良見体育館で夕方5時から7時まで練習。多良見練習のあとは明日から4日間お盆休みに入る。フルコートで2時間半練習できる時も、ハーフコートで1時間半しか練習できない時も、今のひがながは練習時間の7割をシュート練習に使う。内容はロングシュート・ミドルレンジジャンプショット・ゴール近辺のパワーシュート・ドライブである。このように練習の大半をシューティングに費やすが、たとえ10分しか時間が取れなくてもスクリメージは必ず入れる。ディフェンスや個人技で、やらなければならないことはたくさんあるがそれらはすべてスクリメージの中で済ませる。時間が足りない。が、だからといって夜練や2部練はしない。
16年08月10日(水)  ゼロカップ(8月20・21)、コヤスポカップ(8月27〜29)、市会長杯(9月3・4・10)、小池カップ(9月17・18・19)の詳細がバタバタっと決まった。小池カップにはひがながのチームは参加しない。私だけオブザーバーとして参加する。新チーム初の対外試合であるゼロカップに向けて日々練習を重ねているが、素人に毛が生えた程度のチームなので、目をつぶってやらなければならない箇所がたくさんある。今もっとも欲しいのは効果てきめんの育毛剤である。 
16年08月09日(火)  初めての東公園コミュニティ体育館使用。「床が板ではなく、コンクリートの上にラバーを張った構造なので膝に良くないですよ」と多くの人が言うが、膝への影響はたいしたことなく、それよりも転倒した時のスリ傷が板の場合よりもひどいだろうなあと私は思った。何より、2時間の使用でわずか513円と安いのがいい。 
16年08月08日(月)  今日から4日間、学校行事や爆破予告などがあってひがながの体育館が使えないので外部の施設を借りなければならない。初日の今日は古賀地区市民センターだ。ここは1949年(昭和24年)に県立諫早農業高校古賀分校として開校。1996年(平成8年)に県立西陵高等学校東長崎分校に移管されて普通科校となり、2007年(平成19年)3月に閉校し、その後現施設として利用されている。造りは諫早農業高校古賀分校の頃のままだ。だからとても狭い。が、こんな施設があるというだけで有り難い。備考:西彼杵郡東長崎町が長崎市に編入されたのは1963年(昭和38年)4月20日である。 
16年08月07日(日)  2日目は久住ヒュッテを朝7時に出発して龍門の滝に向かった。つめくさの滝滑りは7月27日のつばさ保育園の滝滑りを参考にして、ボードではなく浮き輪にしたのでみんな豪快に滑られた。今回はパパ10人ママ3人も一緒に参加したので、昼御飯がまたピクニック気分で楽しかった。みんな今日は楽しい夢を見るだろう。 
16年08月06日(土)  朝7時出発で学童クラブつめくさの久住登山に同行。2週間前、つばさ保育園の久住登山に同行した時は、3年間ブランクだったので登る直前まで迷ったが、今回はバス運転中から私の脳が「今日も登るぞ!」と身体に命令している。だから登ったが、先回りしてHP用の画像を撮るのに四苦八苦した。つばさ保育園の引率は5歳児ばかりなのでまあまあなんとかなったが、今回は4年生(登頂先頭組)〜1年生の学年差があり、先頭の4年生と最後尾の1年生は長〜い列になって、先頭を待ち構えるために先回りするのが大変だった。しかし、登頂後折り返して牧ノ戸に到着した時はつばさ保育園に同行した時と比べてぜんぜん余裕だった。山崎純男74歳。まだまだ大丈夫そうだ。 
16年08月05日(金)  朝8時出発で、つばさ保育園のイルカウォッチングに同行。毎年同行していると、こどもたちが喜ぶのを見るのは楽しいが、一方でたくさんの船に追い回されるイルカが可愛そうだなあとも思うようになってきた。イルカウォッチングのあとは加津佐浜で海水浴。今年のつきぐみは、態度や行動がてきぱきしているのでお世話していて気持ちがいい。 
16年08月04日(木)  私は先日、長崎市の公共施設予約システムで個人登録し、そのシステムを利用して9日と10日は東公園のコミュニティ体育館を予約してある。このシステムでは施設が空いていれば希望する日の1ヶ月前に予約ができる。料金は1265円だ。ただし、このシステムは大人専用である。小中学校部活動の使用料金は308円で済むが1週間前にしか予約できない。しかし妙手がある。3日以降に私が予約している日をキャンセルし、その瞬間に、9日と10日のひがなが女子バスケの使用申し込みを滑り込ませるのだ。今日その手続きを済ませてきた。自分の分をキャンセルして翌日ひがながの分を申し込もうなんて悠長なことをしていたら、その間にインターネット予約でアッという間にかっさらわれてしまう。ちょっと緊張した1日だった。
16年08月03日(水)  今日は終日学童クラブつめくさの児童44人の宇宙科学館(佐賀県武雄市)見学の引率(マイクロバス2台)。毎年の恒例行事だし、何回も行ったこどもたちも居るが、毎回何か新鮮な印象を受けるらしい。帰り着いたのが4時半だったので、古賀ミニバスに顔を出した。備考:ひがながはA練(08:00~10:30)で中島監督担当。 
16年08月02日(火)  D子を練習中に怒鳴り付けたら涙目になった。「ナニ!自分に同情するのか?」と詰め寄ったら目から涙がポロポロ落ちた。「泣きながら練習ができるかーっ!コートから出ろ!」とさらに追い打ちをかける。D子はトボトボ体育館の隅に移動した。移動している途中に彼女の背後に「涙が止まるまでコートに戻るな!練習したくなかったら帰ってもいいし、辞めてもいいぞ!」と私は捨て台詞を吐いた。やがて彼女は私のそばに来て「練習に戻ります」と言った。時計を見ると50分経過していた。長くかかったもんだ。 過去の事例からするとせいぜい10分で涙は止まる。これまで、他人は出来るのに自分だけができないことを味わうことが少なかった今日の彼女にとっては、これが精一杯の回復時間だったのだろう。長くかかったとはいえ、誰からも慰められたり励まされたりせず、自力で復帰したことは彼女のこれからの人生にとって重要な分岐点になったと思う。
16年08月01日(月)  7月12日に「新チームの練習が総合練習から部分練習に移行して行き、個人技術の要求度が高くなり…」と書いたが、夏休みに入ってから最も時間を費やしている個人技術はシューティングである。バスケットらしい動きがどんなにうまくなっても最終的にシュートが入らなければすべてが無に帰す。しかも、シューティングの技術習得には他のどの技術習得よりも時間がかかる。だから、夏休みのように練習時間がちゃんと確保できる時に、誰が見ても「この子は入りそうなシュートフォームで撃つね」まで引き上げなければならない。夏休みに入って10日が経つが、まだ「入りそうな........」までにはほど遠い。
16年07月31日(日)  ひがながバスケはオフ。私は次週末にまた学童クラブの久住登山(児童20人と保護者10人)に同行するので、今日は体力温存のため一日寝太郎だ。Zzzz...............<(_ _)> 
16年07月30日(土)  今日はA練(08:00~10:30)。K子が遅刻してきた。A連の時に遅刻者が出たのはこれで4回目。回数は4回だが該当者は2人である。そう、同一人物が2回ずつ遅刻したのだ。人が信用をなくす行為には色々あるが、遅刻はその代表格だと私は思っている。今後、この子たちが成長して試合に出るようになったとしても、私の気持ちの奥底では、この子たちに対する信用はそう簡単には回復しないだろう。今日の遅刻者を叱りはしないし罰も与えはしないが、丁度良いタイミングだと思ってみんなを集め、”信用”について話をした。
16年07月29日(金)  今日のひがながバスケはB練(10:30~13:00) 。まだ手足がむくんでいるので、練習後は家に帰ってずっと寝ているつもりだったが、緊急事態が発生してそうもいかなくなった。県のHPに、どこかのバカタレが「県内の小中学校を、8月10日27時83分に爆破する」というメールを送ったのだ。それで、10日と11日は学校施設を使用した部活動は自粛してくれと、県から通達があった。だからひがながの練習後、8月10日と11日の体育館確保のためにあちこち走り回ったのだ。それにしても腹が立つ!8月schedule参照。
16年07月28日(木)  朝食を8時に食べたあとは12時まで寝ていた。そしてひがながの練習(C練=13:00~15:30)に出かけ、続いて古賀ミニバスの練習(16:30~19:00)に顔を出した。登山の後遺症でまだ手足がむくんでいる。早く寝よっ。
お詫び:私は自分のスケジュールを紙資料や手帳では持ち歩かない。すべて携帯電話のスケジュール帳に記載する。25日から27日は「つばさ久住登山」としか記載しておらず、バスケの練習時間は記載していても顔は出せないので記載していなかった。ところが、昨日久住から帰る途中に古賀小の門の前を4時半頃通過する時、保護者のクルマが次々に入って行くのを見て「あ、そうか!今日はミニバスの練習日だ」と思ってつばさ保育園で園児を降ろしたあと取って返して古賀小に向かったのだ。しかし今日、ひがながの練習指導をしながら「今日C練ということは昨日はD練(15:30~18:00)だあ。ということは昨日ひがながバスケに顔を出せたんだ」と思って、中島監督に「俺、昨日ミニバスに顔を出したけど、ひがながの練習に顔を出せたんだなあ」と言ったら「そうですよぉ〜」と太文字で言われた。携帯にバスケ練習時間を記載していなかったが、たまたま古賀小の前を通りかかった時に古賀ミニバスの保護者のクルマを見かけたのでそうなっただけで、決してひがながバスケより古賀ミニバスを優先したわけではない。
16年07月27日(水)  最終日の今日は龍門の瀧に立ち寄った。こどもたちは昨日山に登ったのに今日は瀧滑り。元気だ。私は昨日の登山の後遺症であちこち筋肉痛で痛い。が、こどもたちを見ていると癒されて元気を貰うのだ。つばさ保育園に帰り着いたのが午後5時。それからスクーターで古賀小に出かけ、バスケの手伝いをした。こどもたちから元気を貰うとはいえ、今日はさすがにバテバテだ。
16年07月26日(火)  久住には左膝の大手術をして以来3年間登っていない。しかも、今年はそれに加えて重傷の通風に見舞われた。だから今回登れるかどうか心配だった。でも、今年登らなければもう永久に登れないと思ったので思いきって登った。そしたら登れた。これは大きな自信になった。これからのコーチ人生まだまだ頑張れる!
16年07月25日(月)  毎年恒例のつばさ保育園久住登山に出発。初日の今日はこれも恒例になっている熊本のやまなみこども園で交流活動をしてから宿舎の久住ヒュッテに向かう。しかし今回の私の目はこどもたちの様子ではなく熊本市内の景色に奪われた。熊本大地震から3ヶ月以上過ぎたがまだブルーシートの屋根が目立つし、到着後バスから降りて付近を散策してみると、赤色の札や黄色の札が貼られた家があちこちにある。しかも、黄色の札が貼られた家に人が住んでる気配はなかったが、赤色の札が貼られた家には人が住んでいた。ウーン…園に戻って交流活動に加わり、ママからのガンバレメッセージ入りのお弁当を見て少し気持ちが和み、大観峰からこどもたちと見た阿蘇の景色にちょっとだけ心を奪われたが、ブルーシートと赤札黄札の家々が今日はまぶたに焼き付いて離れない。 
16年07月24日(日)  今日は4年生以下のミニバス大会(ミルクカップ)。古賀ミニバスの4年生以下のチームはなかなかやる。しかし、今日の主役は日大バスケ部だった。27時間テレビのスーパーダンクコンテストの予選を勝ち上がり、急遽今朝お台場に向かい、全国大会に出たのだ。しかも準決勝、決勝と勝ち進み、優勝してしまった。日本の審査員の中には田臥・五十嵐・大神が居たが、それよりすごいゲストがDr.Jことジュリアスアービング(NBA初代ダンク王)だ。フジテレビ金かけてる〜。 
16年07月23日(土) 

3週間前からインターネットにアクセスしにくくなっているが、どうもサーバーがDNS(ドメインネームシステム)に対するDDoS(ディードス)攻撃を仕掛けられているようである。
ディードス攻撃=(分散DoS攻撃ともいう)とは、複数のネットワークに分散する大量のコンピュータが一斉に特定のネットワークやコンピュータへ接続要求を送出し、通信容量をあふれさせて機能を停止させてしまう攻撃のことである。そんなことをするヤツって、その結果お金が儲かるというわけでもなく、社会的な地位を得られるわけでもなく、ただただ人が困っている様子を見て満足するだけの、閉鎖的で歪んだ人間性の持ち主なんだろうなあ。現在業者にデータを分析してもらっているが、詳細判明は来週になりそう。 

16年07月22日(金)  今日はA練(08:00~10:30)。眠い。練習のあと家に帰ってパソコンの前に座ったがそのまま12時半まで眠ってしまった。夕方は学童クラブつめくさのお泊まりキャンプ。まず、飯ごうで御飯を炊いて、飯ごうの底に付いたススをこすりおとして、持ってきたタッパーにお焦げ付きの御飯をよそってもらって、その上にカレーをかけてもらって、みんなで食べて、お隣のつばさ保育園の芝生広場でテント組み立てて、今日はここにお泊まりだ。T先生が自宅から天体望遠鏡を持ってきていた。しかし、夜9時の空には星が2~3個見えはするものの満天の星空ではない。残念! 
16年07月21日(木)  昨日は、日吉から帰ってきたあと古賀ミニバスの練習に顔を出した。オールコート3対2の時、キャプテンから「先生、ひとり足りないから入ってください」と言われて入った。今日はとっても疲れていて身体のあちこちが痛い。ひがながはB練(10:30~13:00)で古賀ミニバスは通常通り16:30からだったので、当然古賀ミニバスの練習には最初から顔を出すつもりだ。それまで家に帰ってパソコンで仕事をしたがパソコンの前で爆睡し、目が覚めたのは15:30だった。危ない危ない。
16年07月20日(水) 飯盛体育館の確保が難しくなってあちこち借りなければならなくなったことは前に述べた。今日は初めての日吉自然の家(旧日吉青年の家)での練習だった。窓から入ってくる風が涼しい。標高349bで深い森に囲まれた場所にあるから涼しいのだ。ロープウェイや展望台がある稲佐山(標高333b)より低いと思っていたが日吉の方が高いのだそうだ。へ〜え。 
16年07月19日(火)  明日で1学期が終わる。学童クラブとつばさ保育園とひがながの夏休み行事がほぼ決まった。バスは大忙しだ。他校から部活動の遠征や合宿実施のためのバス借用申し出があちこちから来るが、なかなか応じきれない。ごめん。 
16年07月18日(祭)  土曜日の朝起きたら左足首が痛い。最近動きの見本をやってみせる回数が多いから傷めたのだと思っていたがそうではないようだ。内側も外側も靱帯はなんともないのである。足首には7個(赤線で囲まれた部分)の骨がひしめいているがそのうちのどれかが痛い。ずっと奥の方だ。外見上もくるぶしを中心にパンパンに腫れている。痛くて二足歩行ができない。どこをどう傷めたのか最初は分からなかったが、これまでの経過を考えると痛風だ!痛風は足の指の付け根(MP関節)にしか発症しなかったのだが、足首まで上がって来たのだ。土曜日の朝2錠、昼と夕に1錠ずつ、日曜日の朝・昼・夕に1錠ずつロキソニンを服用したら痛みは軽減し、二足歩行ができるようになった。だが、まだむくみは残っている。次に痛くなるのは膝かなあ。 
16年07月17日(日)  一昨日夜6時17分。福井つぐみが他界した。22歳だった。今日は彼女の葬式。つぐみは鶴鳴を卒業後環太平洋大学に進学し、バスケットを続けていたが一昨年の10月、交通事故で頸椎を損傷した。事故後、倉敷の川崎医大病院に担ぎ込まれた。意識は戻らないまま月日が経ったが、人工呼吸器で生命は保たれていた。治療が長引くので両親は昨年6月にヘリをチャーターして国立長崎病院(田上)につぐみを移した。つぐみは中学2年の3学期にACLを切った。つぐみが鶴鳴に入学した時に私は彼女にACE(エース)というニックネームを付けた。鶴鳴のACEになって欲しいという意味にかけて、「2度とACLを切るなよ」という思いを込めてACEと名付けた。しかし彼女は、高校2年の冬に逆側の膝のACLを切った。そして大学2年の秋に呼びかけても返事が返ってこない身体になってしまったまま、一昨日この世を去った。ことばが出ない。
追伸:サーバー不調の原因が次第に分かってきました。サーバーの不具合が日曜日に自然復旧するパターンが続いているので、日曜日に停止するPCが大量パケットの発信源だろうということのようです。インドから入ってくるメールが多いそうです。そういえば、最近頻繁にSPAMメールが入ってくると思っていました。対策は、セキュリティ対策を強化して応じるか何か…考え中だそうです。 
16年07月16日(土)  11:30。片淵中で行われたジュニア選抜長崎市東部ブロック練習会に顔を出した。その後13:00から山里小で行われた長崎市会長杯争奪ミニバス大会の、古賀小対稲佐小の試合を観に行った。ミニの試合を見る度に強くなるのが「ミニの時代にこそ目を養わなければならない」という思いである。15:30から18:00まではひがながの練習。今日は終日バスケ漬けだった。 
16年07月15日(金)  7月1日に、つばさ保育園のプール開きの準備状況をUPした。プール開きは7月4日の予定だったが、準備直後に何者かが県政相談コーナーに「長崎県内全域の保育施設に硫酸爆弾をできる限り仕掛けた。爆破時刻は、7月4日から8日の午前11時45分14秒から午後3時34分。早く逃げたほうがいい」という、ふざけたメールを送りつけてきた。だから、それ以後こどもたちは園庭で遊ばず、ずっと園舎内に居た。8日過ぎても何事も起きないので外に出てもよくなったが、今度は日本全国豪雨で外に出られず、こどもたちはまた園舎内に閉じ込められたままになった。今日、やっと晴れたので、芝生のグラウンドでスイカ割りをやり、そのあと待望のプール開きができた。こどもたちは太陽の下で元気に遊ぶのがやっぱり似合う。 
16年07月14日(木)  今日は東公園内にあるコミュニティ体育館の借用申請に行った。通常の借用は借りたい日の1週間前に申請受付だが、インターネットによる申し込みだと1ヶ月前に受け付け開始だそうだ。が、それには市役所の矢上支所に届けて登録しなければならない。それも済ませた。とにかく、やれることは面倒くさがらずにすべてやる。それでダメなら仕方がない。追伸:昨夜からまたサーバーの調子がおかしいです。治まったり、また症状が出たりと不安定なので、今回は業者に問い合わせて原因を調べて貰うことにしました。 
16年07月13日(水)  6月1日のブログで述べたが、飯盛体育館の借用が難しくなったので、他の施設を当たらなければならない。午前中はずっと電話問い合わせの作業だった。その結果、ひがなが体育館使用に不都合が生じる日に日吉青年の家に空きがあることがわかった。これはインターネットで書類をダウンロードして申し込めた。もうひとつの不都合な日は古賀市民センターに空きがあった。こちらは直接でかけて書類申請をしなければならない。昼過ぎ、雨が上がったので屋根無しスクーターで出かけたが、またまた俺が外出するのを狙い打ちしているかのような大雨になった。クソーッ!梅雨前線め、いつか仕返ししてやる。そんな思いをしての体育館探しだったが、夏休み中にあと2回確保しなければならない日が残っている。 
16年07月12日(火)  このところ毎日のように深夜に足が攣る。もっとも多いのが腓骨筋。次いでハムストリングス。新チームの練習が総合練習から部分練習に移行して行き、個人技術の要求度が高くなり、私がやってみせる頻度が多くなってきたからである。イタタタタ…。 
16年07月11日(月)  12年間私の足となって働いてくれた屋根付きスクーター(台湾ヤマハのmajesty)が遂にダメになった。この半月ほどで坂道を上る力がガクンと落ちてしまったのである。おそらくピストンリングの摩耗によりシリンダー内でガス抜けするようになったのだと思う。私の気持ちはミャーのお墓の隣に埋葬してやりたいのだが廃車処理をしなければならないのでそうはいかない。代替車は同じ屋根付きがいいし、長く乗れる年齢ではないので中古で充分なのだが、これがいくら探してもない。屋根付きの新車はあるが、限定注文販売なので手に入るのが何年先になるかわからない。仕方なく屋根付きではない新車の国産ヤマハtricityを買うことになった。普通新車を買う時はウキウキするものだが、本当は屋根付きが欲しいので本音を言えばあまり嬉しくはない。昼前に一時小雨になったので郵便局に出かけたが、私の外出を狙い定めたように雨がザンザン降りになった。屋根付きが一層恋しくなり、私の心は真上の雨雲よりも暗く、どんよりとなった。
追伸・私がなぜクルマを持たずに2輪車にするのかというと、クルマは渋滞などにより移動時間が計算できないということと、行き先で駐車場の心配をしなくていいという理由からである。ミニバス練習の送迎などでクルマが必要な時は、たとえ人数が2人であってもマイクロバスで送迎する。 
16年07月10日(日)  JBAコーチ養成講習会が雲仙市の吾妻体育館で行われた。講師は千葉大学の日高哲朗教授(鶴丸高校→東京教育大)である。リフレッシュ研修のポイントは余るほど持っているが、日高先生に敬意を表する意味で顔を出した。講習会の様子を撮ってブログに載せるつもりだったが、U氏とT氏が講習会の間中ずっと私に話しかけてきたのでとうとう写真を撮るチャンスを逃したまま講習会が終わってしまった。コラぁ! 
16年07月09日(土)  夕方6時からひがながバスケ保護者会が開かれた。市中総体で負け、新チームに切り替わったので保護者会の役員も入れ替わり、その引き継ぎのための会である。私はあいさつの中で次の2つのことを述べた。@新チームのバスケレベルはひどい。しかし、こんなチームを育て上げることこそコーチの重要な仕事だと思っている。A会計処理について異議あり。部費徴収をもっと少なくしろ。知恵を使えばやれるはずだ。
16年07月08日(金)  ひがながバスケはオフ。終日雨。山崎純男一歩も動かず。 
16年07月07日(木)  昨日欠席していた選手たちはみんな復活した。昨日追加したRIPの技術を1年生のM子が欠席していたY子に教えている。それをしばらく見ていた私は集合をかけ、主力選手たちに「自分でもまだRIPの要領が分かっていないM子が素人から始めたばかりのY子に教えられるわけがないだろう!」と怒鳴り付けた。これは想定内の出来事であったが、だからと言って私は「Y子は全く分からないはずだから、N子S子K子R子の誰かがY子の面倒をみてやれよ」とは言わない。私の子育て法は、下り坂を走り出したこどもに「走ると危ないよ!」とは言わず、走り過ぎて転ぶまで見ているという手法を取る。その方がこどもの自主性が育つと思うのである。 
16年07月06日(水)  ひがながは2年生2人(体調不良とウィルスイボ治療定期通院)1年生7人(2人体調不良・4人塾及び習い事・1人退部)が欠席。なので19人で練習した。今日は予定に組み込んでいたRIPの追加技術を指導したが欠席が多かったのでまたメンバーが揃った時にやり直さなければならない。古賀ミニバスもケガ人が多いが、1昨日さらにちょっとやっかいなケガ人が2人出た。2人ともスタメンだ。1人は左腓腹筋の外側の肉離れ(中度)だ。もう1人は右足首内反捻挫。その他のケガ人もまだ治っていないのに新たにケガ人が2人追加され、来週末に行われる会長杯大会が危ない。私はひがながの外部コーチだがつきっきりで指導が出来るから,、選手の小さな異常も見つけるし重傷化しないうちに対処できる。古賀ミニバスは時々覗きに行くだけだからそういうわけにはいかない。ちょっと心配だ。 
16年07月05日(火)  一昨日のKAZUCLINICでも、昨日のひがなが練習でも、今日のひがなが練習でも、具合が悪くなった選手が出た。そんなことが起こる度にみんな熱中症だと騒ぐ。ひがながの体育館に設置された温度計では昨日室温30℃湿度73%だった。確かに蒸し暑いと言えなくもない。だが、その程度で具合悪くなるなよ、スポーツ選手だろ?な〜んだか若者がどんどん軟弱になってきているが、社会全体が年々こどもに対して過保護になってる気がするなあ。追伸:昨夜サーバーは一時回復ましたがまだ不安定なようです。原因究明中です。
16年07月04日(月)  新チームの練習は複数人数の攻防から入り、それを3回やったところで、オフェンスをより効率的にやれるように動きの原則を教え込んだ。それは3回で済ませ、昨日からは1対1の攻防の練習を重点的にやり始めた。今日の練習も昨日と同じだったが、今日はボールの貰い方にGO AROUNDを追加し、さらにボールを持ってからの技術であるRIPの要領を教えるのにずいぶん時間を割いた。私のやり方はこのように、全習法から入って分解練習へと進む。だからこの先練習がどういう展開になっていくのか自分でも分からない。
追伸1:PM10:00。原因は何だったのか分かりませんがサーバーが回復したようで、リンクファイルもサクサク開けるようになりました。お騒がせいたしました。
追伸2:PM11:30。錦織選手がウィンブルドン4回戦でチリッチ選手に負けてベスト8進出は成らなかった。脇腹痛による途中棄権だった。私の勝手な憶測だが、錦織選手の脇腹痛はゴルフとテニスに共通して多い肋骨の疲労骨折ではないのかなあと思う。もし私の憶測が当たっていれば、今回無理したことでさらに回復までの期間は伸びる。スポーツ障害は気迫とか根性では治らず、ひたすら休養するしかない。でも、プロ選手は休めばランキングが落ちるというだけでなく、スポンサー契約とかテレビ放映の利権がからんでいるので、自分の都合で「次の大会は出場しませんと」というようなことを簡単にはできない。私は錦織選手のような人柄もプレイも魅力的な選手を、世間がが騒ぎすぎて無理をさせ、選手寿命を縮めることがないよう祈りたい。 
16年07月03日(日)  KAZUCLINIC2日目。昨日が男子メインだったので今日は女子メイン。男子は少年男子ヘッドコーチの岩本先生(大村高校)が動いてくれたので私はヒマだった。2日間通して言えることは(何も今回のクリニックに限ったことではないが)、聞く耳を持たず、見る目を持たず、学習意欲の希薄な者には誰が何を教えてやってもダメだということだ。言い換えれば、我々スポーツ現場を預かるコーチは、技術指導や体力強化よりも、選手の躾を最優先に取り組まなければならないということである。
16年07月02日(土)  ひがながの練習をC練からA練に替えて貰い、午後から中村和雄氏のクリニック(於:東高)に出かけた。ステージ側のコートで中高生男子、入口側のコートで中高生女子計50名の選手に指導する。内容は数年前に彼が編み出し、スパイラルオフェンスと名付けたモーションオフェンスである。クリニックの様子は予測できたし、たぶん手伝わされると思っていたのでそのつもりで行った。案の定、ひととおり説明が終わったあと「山崎先生、女子の方お願いしますね」と来た。「なんで俺があ?若いコーチがたくさん居るのにい」と言いながら入口側のコートに向かったが、ブツブツ言いながらも私のクビにはちゃんとホイッスルがぶら下げられていた。
追伸:最近サーバーの調子が悪く転送設定がうまくいきません。リンクファイルが開きにくいと思いますがしばらくの間ご辛抱ください。ただいま原因究明中です。 
16年07月01日(金)  つばさ保育園のプール開きは7月4日である。今日は園児の昼寝時間中に職員でプール造り。特注のアルミ枠を組み立て、そこにブルーシートを張って水を入れたらできあがりだ。みんなよく働く。 
16年06月30日(木)  新チーム指導に入って4回目。今日は終日ハーフコートオフェンスの動きの原則を教え込んだ。ヴァーティカルスクリーンとホリゾンタルスクリーンを組み合わせた連続的な動きだ。連続的に動くオフェンスには、フレックスをはじめスタンフォードやプリンストンなどいくつもあるが原理はみな同じだ。動画の中で8番のビブスを付けている選手は素人から始めた1年生である。もちろんバスケットに手を染めてまだ3ヶ月だからドリブルもパスもシュートも未熟だ。しかし、そんな選手にいきなりこんな練習をさせるのが山崎純男の流儀である。 
16年06月29日(水)  午前中はつばさ保育園つきぐみさんの県立美術館研修のお手伝い。風と水の彫刻家として有名な新宮晋の宇宙船(インターネットから転載)という企画展が催されていた。 
16年06月28日(火)  今アタマの中にあるのは「近々1対1の攻防の練習を取り入れなければならないなあ」である。ドリブルもパスもロクに出来ないのは分かっているが、単にパス単にドリブルの練習を私はしない。私は攻防の要素が入らない練習はできないのだ。たとえ初心者であっても…。
16年06月27日(月)  7月4日から終業式(7月20日)まで、矢上小学校の下校時間が通常より15分早くなるので学童の送迎に高城台小学校との時間差が出てくる。午後2時。そのための打合せで学童クラブつめくさに出かけた。私のバスとつばさ(つめくさと共有)のワゴン(幼児定員25名)を駆使して配車計画は出来上がった。そのあとひがながバスケの指導だった。本当は新チーム練習開始6回目なのだが、金土日と下関クリニックで不在だったので3日間の空白ができ、今日は新チーム3回目の指導となった。今日はハーフコートしか使えない日だ。そこで28人の選手を能率良く回さなければならない。ハーフコートの5対5や4対4を繰り返した。新チームの選手たちにはまだ教えていないのに、3年生主体のチームで繰り返し指導したことを見様見真似でやる選手を見つけた。しかも素人の1年生にである。こんなの見つけると嬉しくなる。 
16年06月26日(日)  クリニックは無事終了。内容については公表できないが、できばえを5段階評価で表すと4ぐらいだと思う。私の指導は、自チームの練習もクリニックも含めて、パターンは教えない。原則論だけで選手を動かす。今回のクリニックがまずまずの出来だったのは、受講生の中に「このコーチが言わんとしているのはこんなことかな?」とわかる選手が1人また1人と出てきたからである。そんな選手が出てくると、私が意図していることが伝播するのは早い。19:40 カモメ43号車中にて更新。
16年06月25日(土)  山口クリニック初日。疲労骨折疑いの選手はそうではなく、リスフラン関節捻挫だった。練習軽減しながら治るだろう。もうひとり膝が痛い選手がいた。サラの上部が痛いのでジャンパーズニーかなと思ったが、サラの下部と膝蓋靱帯に痛みはない。グリンディングテストをしたら「痛ッ!」と言った。膝蓋大腿関節の障害だ。普通、高齢者にしか見られない。使い過ぎ症候群だとは思うが、痛みが増してくるようなら詳しい検査をしなけらばならない。追伸:「藏本〜ッ、ここで高校総体のリベンジをしても手遅れだろ〜ッ!」
16年06月24日(金)  古賀駅15:53発普通電車→諫早発16:12かもめ32号→博多発18:03さくら566号で下関に着いた。不安だったのは古賀駅での乗車だった。古賀駅は無人駅である。切符はちゃんと持っているが改札も通らずこのままスルーッと乗っていいのかどうか心配だったので、若杉イホママ(古賀駅のすぐ近くに住んでいる)に電話して聞いた。すると「列車の中で車掌さんが廻ってくるのでその時切符を見せれば大丈夫です」ということだったので安心して乗った。明日から2日間山口少年女子のクリニックだ。最初にやる仕事は、選手の中のひとりが中足骨の疲労骨折みたいなのでその診察である。 
16年06年23日(木)  山崎語録コーチ心得(心構え編)14で私は「ライバルの悪口を言いふらすことで自分の評価が上がりはしない」と述べている。これは、自分は何もしないで他のコーチの批判ばかりしたり、敵対するチームの悪口を言いふらして選手を獲得しようとするコーチがあちこちに居るので、全国の若いコーチたちに向けて「君たちはそんな器の小さいコーチにはなるなよ」と忠告する意味で書いた。そんな私だから、選挙の度に「おまえら、敵対政党や敵対政党党首を批判することでしか自分の存在価値をアピールできないのかい!」と思う。参院選が昨日から始まった。 
16年06月22日(水)  昨日、矢上のガソリンスタンドでスクーターに燃料を入れたあと、中尾ダム近くまで走ったところでポーチがないことに気付いた。ポーチはシート下の物入れに収納したつもりだが、後部座席の上に置いたまま走り、途中で落としたらしい。もう一度その経路を走ってみたが発見できなかった。すぐ矢上交番に届け出、VISAカード、ENEOSの給油カード(VISAと一体)、ETCカード(2種類)を止めて貰った。が、今朝エレナのO氏から「ウチの駐車場にポーチが落ちていたので保管しています。中に名刺が入っており連絡先がわかったのでお知らせしました」という電話があった。こんなことなら1日待って様子を見ればカード類を止めなくてもよかったのだがそれは結果論。Oさん本当にありがとうございましたッ!このポーチはいわくつきで、24年前にアメリカオレゴン州ビーバートンのナイキ本社の中にある従業員専用超激安ストアで買い物しようとした時に私だけ入店を断られた。アディダスのロゴ入りポーチだったからである。丁度2年前、鹿児島の枕崎講習の帰りに新鳥栖で新幹線からカモメに乗り換えた際、ポーチを座席に置き忘れたまま降りた。すぐ気が付いたので新鳥栖の駅員さんに座席番号を告げて新幹線の車掌さんに連絡して貰った。対応が早かったのでポーチは確保されたが、確保されたのは博多を過ぎたあたりだったので、ポーチだけ新大阪まで旅をして帰ってきた。バカあ! 
16年06月21日(火)  テストが終わり、今日から新チームの練習が始まった。17日に述べた通り、ひがながバスケは素人集団なのでまだ球技大会レベルの域を越えない。しかし、今日の私は50年前と同じように張り切ってコートに立っている自分を実感した。追伸:私が新チームの練習初日に何を話し、どんな練習をするのかをM中学校のコーチが見学に来た。 
16年06月20日(月)  残り1分20秒、89対89同点の時、ドリブルの多い1対1からカリーがスリーを撃った瞬間、私は「ダメッ!」と思わず声を出した。撃ってもいいがインサイドアウトだ。ごちゃごちゃとドリブルをしながら撃つ場面ではない。一方、終盤ずっとレブロンの1対1の仕掛けからウォリアーズのディフェンスを崩そうとしていたキャブスは、それでは突き放せないので残り1分9秒のタイムアウト後、アービングに1対1を仕掛けさせ、レブロンはコーナーで待機させる作戦に切り替えた。私はこれでキャブス有利になったと思った。試合は残り51秒でアービングがスリーを沈めてシーソーゲームに決着がついた。アービングのスリーもインサイドアウトではなく、カリーと同じようにドリブルの多い1対1からのスリーだったので、落ちたら逆に負けを呼ぶプレイだった。結果的に、同じようなプレイをしてカリーは失敗し、アービングは成功したが、土壇場の場面でこんなプレイを私は自分のチームの選手にさせることはできない。が、ルーコーチが主役をレブロンからアービングに替えたのは正しい判断だったと思う。
16年06月19日(日)  今日は日曜日なので学童の送迎はない。ひがながの練習も試験休みなのでない。古賀ミニバスもオフ。なので、8時に朝食を食べたあとはまたベッドに潜り込み、11時半まで寝ていた。だるい。午後はどこにも出かけず、昨日のテレビ番組の録画を見たりパソコンをいじったりして1日が暮れた。でもまだだるさは抜けない。 
16年06月18日(土)  月曜日までは古賀ミニバスの練習の始めから終わりまで顔を出せる。今日は9時から12時まで手伝った。見学者が1人居た。聞けば、昨日校庭で走っていた時に足首を捻ったのだという。足首の内側が痛いといったが三角靱帯を圧迫しても痛みはなく、舟状骨の出っ張りを押すと痛がった。有痛性外脛骨だ。ジャンパーズニー1名・疲労骨折2名・アキレス腱炎1名に今日新たに有痛性外脛骨1名が加わった。ウーン…。
追伸:16:30 テレビを見ながらパソコンをいじっていたら「ピンポーン、ピンポーン」と玄関のチャイムが鳴ったので「ハイハーイ」と言いながら2階から急いで玄関に降りていってドアを開けた。でも誰も居ない。ピンポンの音はテレビ番組のさんまのまんまにゲストの西川きよしさんが訪ねてきたチャイムの音だった。 
16年06月17日(金)  昨日述べたことの続きだが、しばらくの間ABCFJをスタメンとし、DEGHKをベンチメンバーとして、この両者によるスクリメージを重ねていこうと思う。しかし、スタメンの5人がベンチメンバーの5人より全員力が上なのではない。HはJより力があるのだが、両チームのバランスを取るためにしばらくこの布陣で行くのだ。また、この10人にL(1年生)とM(1年生)も加えて回そうと今日考えた。LとMはJとKに劣らないということと、1年生は塾や習い事で練習を抜ける日があって、10人揃わない日があるからだ。 とはいえ、EFGJKLMはパスもキャッチもドリブルもままならないことに変わりはない。それでも私のやり方は、基本技の練習ではなくスクリメージから入るのである。
追伸:22:00 スティーブ・カー(ウォリアーズのコーチ)に一言苦言を呈する。確かにカリーが取られたファウルは私の目でも少なくともふたつはファウルではなかった。しかし、メディアのインタビューでコーチが審判の判定にケチをつけてはいけないよ。ついでに、国内の試合でも審判として日本公認以上の資格を持っているのに、自分がコーチとなってベンチに座ると審判を牽制したり度が過ぎるクレームを付けたりする審判員が居る。これも絶対にやるべきではない。
16年06月16日(木)  ひがながは試験休み期間中なので私の身体は空いているがアタマは空いていない。新チームの構想がグルグル回っているのだ。A子(1年生)をポイントガードにしようと思っているが、B子・C子・D子・E子・F子・G子(ここまで2年生)・H子・J子・K子(の3人は1年生)までの計10人をどう組み合わせるか毎日考えてる。10人の中にはドリブルはおろかパスもろくにできない選手がいる。だけど何から先に教えようか?とは考えない。そんなアイデアは試合形式の練習をさせながら、そのレベルと状況によっていくらでも湧いてくるものだ。
16年06月15日(水)  尿酸値を下げるクスリ(feburic)が切れたので午前中に諫早の宮本外科に行き、4週間分貰ってきた。夕方風呂に入る時に気が付いたのだが腕がヒリヒリする。よく見たら前腕が真っ赤だ。諫早まで片道30分をスクーターで往復する間に日焼けしたらしい。夏場にスクーターに乗る時は、暑くても長袖でなければならないことを学習した。追伸:錦織選手は2回戦を棄権した。ウンウン、できれば今後のためにもそうした方がいい。 
16年06月14日(火)  ドイツのハレで行われているゲリー・ウェバー・オープンでの1回戦で錦織選手はフランスのプイユ選手に逆転勝ちした。しかし、左脇腹を痛めたようだ。この大会の結果はどうでもいいが、今月27日から行われるウィンブルドン大会への出場が気になる。それを考えると2回戦は棄権すればいいと思うのだが、錦織選手はゲリー・ウェバー・オープンではダブルスにもエントリーしている。ダブルスで組む相手はニュージーランドのM・ビーナス選手(男だぞ)だ。錦織選手が棄権すれば、ダブルスにしかエントリーしていないビーナス選手は試合ができなくなる。ウーン…難しい。プロスポーツ選手ではもう1人気になる選手がいる。NBAウォリアーズのステフィン・カリー選手だ。ファイナルに入ってからキレが悪い。4月25日のヒューストンロケッツ戦で内側側副靱帯を傷めた(グレード1で手術不要。2週間の休養のみ)のがその大きな要因だが、それだけではなく彼はとっても疲れている。彼の表情や態度を追いかけていると、おそらくコートに立っているのも辛いのではないかと思われる。それでもエースは元気に振る舞わなければならないのだ。プロの世界は本当に厳しい!。
16年06月13日(月)  長崎市中総体最終日を観に行った。どこが勝つかに興味はなく、各チームの2年生以下を観に行った。純心の16番山口選手157pスタメン2年生、同18番廣田選手160pスタメン2年生、三重の12番鷲尾選手158pスタメン2年生、同14番藤本選手155pスタメン2年生、同17番筒口選手160pバックアップ1年生、桜馬場の11番永橋選手161pスタメン2年生、同12番林田選手156pスタメン2年生のプレイぶりは、下級生とは思えないほど堂々としたものだった。ひがながの新チームには28人の選手が居るが、その中でミニバス経験者は4人だ。人数は4人だが、ミニバス経験者ですと言えるのは1年生にひとりだけしか居ない。他は素人同然である。その他の選手は中学から始めた初心者ばかりだ。そんなひがながの選手たちを準決勝に勝ち進んだチームの下級生と比べても仕方がないのだが、そのギャップをアタマにたたき込んでおこうと思って観察した。来週月曜日まで試験休みだが火曜日から新チームの練習が始まる。50年前の私の初任地である桜馬場中は今のひがながと同じ状態からのスタートだった。74歳にして初心に帰る。ちょっと遅い? 
16年06月12日(日)  74年も生きていると、どうにかしようとしてもどうにもならないことに何回も出くわす。今年のチーム創りもそのうちのひとつだった。日々の出来事だったか試合結果報告だったか忘れたが、私は「50年に及ぶコーチ人生の中で今年が最も苦しんでいるかも知れない」と述べたことがある。中総体2日目にして敗れ去った今、負けた悔しさとか腹立たしさはない。むしろ昨年9月から今日までの間私を苛み続けてきた重苦しい思いから解放された安堵感の方が強い。備考:長崎市中総体2日目結果UP。games & schedule 参照。 
16年06月11日(土)  長崎市中総体初日結果UP。games & schedule 参照。 
16年06月10日(金)  今日は5時限で終了。あとの時間を前半と後半に分けて部活練習に割り当てられた。女子バスケの割り当ては前半(15:15~16:45)。今日までの私は選手に殺されてもおかしくないほど憎らしい存在だったが、明日からは誰よりも頼りがいのある存在にならなければならない。さあ、鬼でも蛇でも藪から棒でも何でも出てこい!
16年06月09日(木)  午前中はつばさ保育園のつき組さんの芋苗植えの手伝いをした@ A B C。 昼前、急いで帰ってきてNBAファイナルのLIVE放送を観たが、スプラッシュブラザースがさっぱりダメで、ウォリアーズが惨敗した。ひがながは午後5時から飯盛練習だった。今日は山崎デイに戻し、中島監督が気になっている箇所もちゃんと整理した。中総体まであと2日。 
16年06月08日(水)  今日は中島デイ。私は一切口を出さずに見守るだけ。中総体直前にそんなことして大丈夫?と思う人も居るだろうが大丈夫だ。狙いのひとつは中島監督のストレス解消である。日頃そばで見ていると目に付くことがたくさんあり「あれも言いたいこれも言いたい」はずだ。それを腹一杯言わせてやるのである。しかも試合直前なので無責任なことはできない。その緊張感も味わわせてやるのだ。もうひとつは選手のリフレッシュ。私はとっても怖いコーチだ。その怖いコーチの監視から試合直前に選手を開放してやるのがもう一つの狙いである。
備考:長崎市中総体案内UP。games & schedule 参照。
16年06月07日(火)  多くのコーチの方々に、ナツメのことについて述べておきたい。「ナツメは足の甲の疲労骨折の痛みが残ったまま復帰させなければならない。それは承知の上だ。これ以上は待てない」は、彼女の最終学年の中総体なのでやむなくそういう措置を取ったのであって「疲労骨折は2週間休ませれば練習させられるよ」ではない。最終学年でなければ4週間休ませているところだ。
備考:県高校総体最終日結果UP。games & schedule 参照。
16年06月06日(月)  県高校総体3日目結果UP。games & schedule 参照。長崎商業#9の3年生野口春菜選手は3歳の頃からよく遊んでやった。ママがむかし三菱重工の選手だったので背負ってる重圧が半端じゃなかったはずだが、よくここまで成長したもんだと思いながら観戦した。私が見ている前で、スリーを2本、ミドルレンジジャンプショットを1本決めた。ヤッタねハッピー(春菜のニックネーム)!。ひがながは観戦後日宇中と光海中に8-2-8のスクリメージを2本ずつやらせて貰って長崎に戻った。昨日「イホとナツメが合流した動きは前日とは雲泥の差だった」と述べたが、練習のレベルでは雲泥の差でも他校との練習ゲームではまだグチャグチャだ。ナツメの出場時間は半分にしたが復調にはほど遠い。あと4日でこれを元に近い状態に戻さなければならない。それには注文を付けることを少なくすることだ。12日間完全休養させたが、足の甲の疲労骨折の痛みが残ったまま復帰させなければならない。それは承知の上だ。これ以上は待てない。
16年06月05日(日)  県高校総体2日目結果UP。games & schedule 参照。今日は佐世保には行かず、午前中は飯盛東小で行われた飯盛東・岩屋・鳴鼓・古賀のミニバス練習試合を観に行った。飯盛東には短大時代の私のゼミ1期生の福島真美(旧姓田川)のこどもの3姉妹が居た。午後からはひがながの練習。イホはフルタイムで、ナツメはユウカと交替しながら半分の出場時間でスクリメージをした。イホとナツメが12日ぶりに合流した昨日とはチームの動きが雲泥の差だった。明日はまた、佐世保にみんなを連れて行き、県高校総体観戦後日宇中・光海中と練習試合をさせて貰う。 
16年06月04日(土)  県高校総体初日。ひがながの選手を連れて佐世保に行った。目的はひがなが卒業生の応援だ。試合見学だけではもったいないので、会場の九州文化学園の近くの中里中に練習試合を申し込んだら快く引き受けて貰った.。8-2-8を3本やって貰った。あとで聞いたところによると、ひがながは一石二鳥だったが中里中監督の藤井先生の審判割り当てを変更する作業が生じて審判委員会にえらく迷惑をかけたらしい。私のせいです。藤井先生を叱らないでください。備考:県高校総体初日結果UP。games & schedule 参照。 
16年06月03日(金)  午後、県高校総体の開会式が諫早の総合グラウンドで行われた。バスケットボール競技は明日から4日間佐世保で行われる。宮崎県は長崎より1週早く開催され、男子は延岡学園、女子は小林が優勝した。が、男子の部は新人戦も春季大会も2位に50点ぐらい差をつけて勝っていた延岡学園が2位の小林に57対55でやっと勝った。県高校総体のフロアには魔物が棲んでいるのだ。みんな気をつけろよ。 
16年06月02日(木)  飯盛体育館で、瓊浦高校男子バドミントン部監督の林先生と諫早商業高校女子バドミントン部監督の西山先生とバッタリ会った。2人とも国体の得点獲得には欠かせない存在だ。話題は飯盛体育館の借用が難しくなったことに飛んだ。でも、この会話の中で「困った」というセリフは出るがグチは出ない。出るのは「じゃあ次をどうするか」というセリフだ。また元気を貰った。
16年06月01日(水)  毎月の月初めは飯盛体育館の翌月使用申し込み受け付け開始日である。朝7時半に行ったらすでに3人先客が居た。でも、5回全部(5・7・12・14・19)希望通りに取れた。しかし、来月からが大変だ。これまでは諫早市内の学校の部活練習で減免使用の場合は前月の20日以降にしか受け付けられず、我々のように使用料を払って借りる一般利用者は月初めに受け付け開始だった。それが、諫早市内の学校の減免使用部活練習の申し込み受け付け開始日は変わらず、我々のような有料の市外利用者は25日以降しか受け付けられなくなった。ということは、諫早市内の部活動が申し込んだ後の残りしか借りられる日がないということになる。7月中はこれまでの規定通りだし、8月はほとんど借りることがないので困らないが、9月以降が困る。体育館確保のために走り回らなければならない日が多くなるだろう。飯盛体育館は使用料も変わる。これまでは2時間で1000円だったが9月からは1220円だ。フウ.......。
16年05月31日(火)  今日、県内の中学校のコーチが2人訪ねてきた。1人は昼間、もう1人は夕方だ。2人とも「バスケットを勉強させてください」と言ったが、それは建前で実はひがながバスケを偵察に来たのかも知れない。油断大敵。 
16年05月30日(月)  長崎大学病院の新中央診療棟は今年3月に完成した。2002年度からおよそ400億円をかけ進めてきたこの事業の進捗状況は外傷センターのFacebook等で知っていたが、今日その内部が報道陣に公開されたので私のブログでもUPした。おめでとう。
16年05月29日(日)  ひがながはA練(08:00~10:30)。ユウカは常設スタメンと共に出ようが、アヤメ・ナナ・ラムと一緒に出ようが我が道を行くだが、アヤメ・ナナ・ラムは困った時に助けてくれる常設スタメンが居る時とそうでない時では動きが違う。「その場面は自力で解決できなきゃ」という場面で潰れることがまだ多いのだ。6月6日までには目処を付けたい。今日は古賀ミニバスがオフなので、ひがながの練習が終わったあとはヒマだあ〜。 
16年05月28日(土)  ひがながはB練(10:30~13:00)。23日に述べたようにナツメは24日以来体育館に姿を現していない。自宅周辺で自転車を漕いでいる。6月4日に佐世保で行われる高校総体を観に行き、その時中里中と練習試合をするが、その日チームに合流させる。イホはフタバヤカップ後2日間完全休養させ、次の日から体育館に姿を現しているがスクリメージには参加させず、シューティングだけしかやらせていない。スクリメージ中はアシスタントコーチ役である。スクリメージはアヤメ(3年)・ユウカ(3年)・ナナ(2年スタメン)・ラム(2年)・サヤカ(2年)主体のチームにカズハ(3年スタメン)・モモカ(3年スタメン)・キョウコ(3年)・オトハ(3年)・カエデ(1年)チームを対戦させている。狙いは、アヤメ・ユウカ・ナナ・ラムの自立である。まだ目鼻はつかない。 
16年05月27日(金)  ひがながは体育館割り当てがない日なのでオフ。夕方はつばさ保育園のお泊まり保育の手伝いをした。6時過ぎ、園庭カレーライスをみんなで食べ、お片付けをしたあと外出準備をして日が落ちてから現川(うつつがわ)にホタルを見に行くのが毎年のパターンだ。今年はカレーライスを食べるまでは大丈夫だったがだんだん天気が怪しくなり、バスで出発する頃は小雨がパラつき始めた。「小雨に加えて少し風も出てきたし、ホタルは藪に引っ込んだまま出て来ないんじゃないかなあ」と心配しながらバスを出発させたが、現地では数こそ例年より少なかったがみんなホタルを見つけることができた。今夜のお泊まりではきっとホタルの夢を見る子がいるだろう。
16年05月26日(木)  今日は母の7回忌で深崇寺に行った。母は6年前の6月4日(県高校総体初日)に他界した。92歳だった。回忌というのは数え年で数えるので、6年経った今年が7回忌になるのだ。合掌。 
16年05月25日(水)  6月中旬の中総体までひがながの部活は10分延長され、6時50分完全下校である。完全下校時間に間に合うには練習を6時35分に終わらなければならない。今日はそのあと古賀ミニバスに顔を出した。私が古賀小に到着した6時55分には練習を終わって整理運動をしていたが、それは承知の上で顔を出した。ケガ人の状態が気になったからだ。するとケガ人がひとり増えていた。整形外科医院で診て貰い、そこでシンスプリントと言われたらしい。診ると左足脛骨腓骨ともに、足首から3分の1の部分に圧痛があった。ウーン… 
16年05月24日(火)  今日は飯盛練習(17:00~19:00)。ナツメはトレーニング室で自転車漕ぎをさせた。2週間何もさせなかったら筋力が落ちるのでそれをカバーするためだ。ペダルは土踏まずで漕がずに踵で漕ぐように指導した。土踏まずで漕がせると足の甲に負担がかかるので疲労骨折を悪化させるからだ。負荷は120ワットで1分間に60回転のペースで30分漕がせ、少し休憩したあと20分漕がせた。明日からは、バスケ部の自転車を自宅に持ち帰らせ、団地周辺の道路(クルマが少ないので大丈夫)を走らせることにした。団地周辺の道路は丁度良い坂道があるので負荷としては今日の自転車漕ぎ同等のものが期待できるだろう。その間ナツメは体育館に顔を出させず、放課後自宅に帰って自転車を漕がせる。 
16年05月23日(月)  フタバヤカップの結果報告でも述べたがナツメはとりあえず2週間足の甲の疲労骨折治療のため練習から除外する。キャプテンのイホはフタバヤカップで身体を酷使したので今日と明日はオフだ。この2人がコートに居ても居なくても、5月いっぱいはアヤメ(3年)ユウカ(3年)ナナ(2年)ラム(2年)の特訓に時間を費やす。常設スタメンの4人(イホ・ナツメ・カズハ・モモカ)は、この1年間ずっといじってきたので、このあと中総体までどんなにいじっても大化けすることはない。だから、常設スタメンの4人を追い込むよりもバックアップメンバーに視点を移し、アヤメ・ユウカ・ナナ・ラムの4人から「少しでもスタメンの選手たちを休ませてやれるような力を身に付けたい」という思いを引き出すことの方がチーム力アップに繋がると思うからである。
16年05月22日(日)  フタバヤカップ最終日結果報告UP games & schedule 参照。 
16年05月21日(土)  フタバヤカップ1日目結果報告UP games & schedule 参照。 
16年05月20日(金)  市中総体の組合せが決まった。games & schedule 参照。このあと県中総体、九州大会、全国大会と続くが学校あげて盛り上がるのは市中総体である。鶴鳴時代もそうだったが、例えインターハイの上位を狙えるチームであっても、私がもっとも緊張するのは県高校総体であった。市中総体や県高校総体の雰囲気は独特で、コートには魔物が潜んでいる。だから何が起こるか分からない。そこを通過すればあとは、県大会であれ九州大会であれ全国大会であれ、普段通りにやれば実力相応の試合ができるのである。そこで今日の練習の時みんなにレポート用紙を配った。鶴鳴時代には時々やったことがあるがこのようにレポート提出というかたちでひがながでやるのは初めてである。今年のひがながの選手には何を教えるかよりも、自分の思いを文字や声や動作や目で表現できるようにしてやることが大切だと思うからである。
16年05月19日(木)  最近はどこでもそうだが、ミニや中学の部活の保護者の負担は大変だ。私はそれを軽減すべく、ひがながのバスケ指導に関わるようになってから遠征や試合や飯盛練習の際の保護者のクルマ出しを一切排除し、すべて私のマイクロバスで賄ってきた。しかし、今年度は42人の大所帯になり、29人乗りの私のマイクロバスだけでは賄えなくなったので火・木の飯盛練習の日は保護者にも手伝って貰わなければならなくなった。鶴鳴時代は大所帯で動く時は理事長がポケットマネーで買ってくれた55人乗りの大型バスを回していたが、退職した私の今の身分では55人乗りのバスは買えない。保護者の皆様には夏までお世話になります。
16年05月18日(水)  第6回フタバヤカップ参加案内UP games & schedule 参照。
16年05月17日(火)  体育大会が終わり、中総体まっしぐらの日々が送れる。といってもあと3週間しかないが…。あと3週間しかなくても私はスタメン優先の練習はしない。素人の1年生軍団にもちゃんとコートとリングをシェアしてやる。1年生にシェアしてやればスタメンのプレイタイムは少なくなるが、1年生に声かけをしてやることで自分も巧くなるのだ。私からチェックされていることを知ってか知らずか、下級生や仲間のプレイに一言も声かけをしない選手が毎年いる。もちろん、そんな選手は絶対に巧くならない。というよりむしろチームの足を引っ張る。 
16年05月16日(月)  ひがながは体育大会の代休。練習は本来A練(08:00~10:30)だがオフにした。今日は古賀ミニバスの練習開始から手伝いに行くことを昨日から決めていた。今日は充分練習に関われるので、日頃から気になっていたシューティングを修正した。ランニングシュートはさほどでもないが、ミドルレンジのシュートがサマになっていないのだ。そこでシュートの際のボールミートから手を付けたが、シュートは全員ジャンプシュートではなくジャンピングシュートに統一した。その方が身体のバランスをとりやすく、筋力がない選手も身に付けやすいからだ。当然1日だけではモノにならない。これから手伝いに行ける日はここに焦点を絞ってやろうと思う。 
16年05月15日(日)  今日はひがながの体育大会。私は事前練習をしっかり見届けたので今日はひがながの体育大会には顔を出さず、前々から依頼があった長崎市内ミニバス学年別練習会に顔を出した。私は6年生のCチームのベンチを任された。Cチームには古賀ミニバスから1人だけ配属されているが、他のチームに配属されている古賀ミニバスの選手たちもみんな、古賀ミニバスの練習では見せたことがないナイスプレイを連発する。他チームの選手からの刺激を受けてこんなパフォーマンスが生まれるんだと思った。逆側のコートでは4年生以下のフレッシュマンチームの対抗戦が行われている。私は自チームのベンチ采配に集中しなければならないのだが、フレッシュマンチームの試合にも時々目を奪われてしまう。可愛い!最後にいきなり閉会のあいさつをさせられた。そればかりではない。あいさつが終わったら村松ミニバスの中村コーチの指揮のもとみんながハッピーバースデイ山崎を歌い出した。そしてなんと、歌のあとはバスケットボールを型どったバースデイケーキのプレゼントだ。ケーキの上には2本しかローソクが立っていないが、その2本は片方が7でもう一方が4である。74歳の誕生日を思わぬかたちで祝ってもらった。みんなありがとう
16年05月14日(土)  ひがながはB練(10:30~13:00)。この時間帯は中総体のエントリー外の選手に絞って練習した。素人の1年生たちに細かく目が届く練習ができた。エントリー選手たちは長与中から練習試合を申し込まれたのでマイクロバスで長与中に出かけた。トスアップ14時30分で、17時まで8分×2を4セットやった。ナナとラムを起用する試合運びの実験段階なので選手の入れ替えを頻繁に行った。成果とボックススコアは身内のみ開示。 
16年05月13日(金)  今週の金曜日はバスケ部の体育館割り当てはない。だから今日の練習はオフ。グラウンドでは会場設営を含めた体育大会の全体練習が行われた。私はつばさ保育園のつき組さんのポニーランドでの体験学習の手伝いをした。園児たちはポニーに乗るだけでなくおウマさんにニンジンの餌やりもした。引率の先生はボールペンをマイクに仕立てて園児1人ひとりにインタビューをしている。私はこの様子を見ていて「先生たちは動物に触れる体験をさせるだけでなく表現力を育てる教育もしているんだ」と思った。その感想発表は園に帰ってからのお絵かきに活かされる。今日は下絵描きだったが来週これに色付けをするそうだ。 
16年05月12日(木)  ひがながの体育大会本番は毎年観に行く。しかし今年は本番ではなく今日の総合練習から観にいった。昨年完成した新グラウンドで行われる初めての体育大会だからである。1年生2年生は8クラスで3年生が7クラス。生徒総数823名。新グラウンドは古いグラウンドよりも面積は広くなっているが使い勝手が悪く、トラックは1周130bしかとれない(直線コース15b曲線コース50bで、1周130bのほぼ円形に近い)。そこで初めて行われる体育大会の生徒の動きや先生たちの動きを見ておきたかったのだ。私が鶴鳴に移籍した時の体育大会は松山の競技場を借りて行っていた。学校のグラウンドは草ボウボウで、しかも生徒数1300名を動かすには狭くて不適切だからということだった。それを聞いた私は、自前のグラウンドがあるのに体育大会を松山で行うのはおかしいといって、グラウンドの草を刈り、測量してポイントを打ち、200b(直線コース45b曲線コース55b)のトラックを作り、走路は毎回石灰でラインを引かなくてもいいようにクレモナロープで固定して体育の授業や体育大会をやれるように整地した。鶴鳴のグラウンドは校舎からかなり長い坂道を上った高台にある。だから校舎からテントや放送器具やパイプ椅子を運ぶ作業が大変だった。自分が言い出したことではあるが最初の2・3年はずいぶん苦労した。そんなことをいろいろ思い出しながら見ていた。
16年05月11日(水)  ひがながは今日も午後5時まで体育大会のクラス練習。体育館では3年生の組み体操の練習だったが、それが終わったのは5時25分。組み体操は真剣にやらなければケガに繋がるから「ハイ時間が来ました」で終わるわけにはいかない。あと2日しかないぞ!ガンバレ3年生。 
16年05月10日(火)  3ヶ月ぐらいかかっていた奥歯の治療が今日で一段落した。奥歯は2本足で歯槽骨に埋まっているが、私の奥歯は表層が虫歯になっており、さらに縦割れしていて前足と後足が離れていた。前足はさらに途中で横割れもしていた。そこで今回の治療では健康な後足はそのまま残し、前足だけを抜歯した。図解するとAとBの部分は取り去り、Cの虫歯部分を削ってセメントで固めたのである。数年前に奥歯の1個手前の歯を抜歯しているので今回抜歯した前足部分の修復が終われば部分入れ歯にしなければならない。その際、今日抜歯した奥歯を橋脚に使わなければならないのだが果たして一本足で耐えられるのかなあ? 
16年05月09日(月)  15日(日)はひがながの体育大会だ。今週は午後5時まで体育館やグラウンドでクラス単位で体育大会の練習をしてよいということになっているので部活動の練習開始は遅れる。私は鶴鳴に勤めていた頃から部活動を生活の最優先に置くことを選手に強要しなかったので学校行事で部活動開始が遅れるのは一向に構わない。しかし今日は、「俺は5時過ぎに体育館に顔を出したが、体育大会の練習が終わった選手たちがパラパラと体育館に集まってきた。5時20分の時点で男子は25人がコートに散ってシューティングやドリブルの練習を思い思いに始めた。俺が見ていたところ女子も男子と同じぐらいの人数が体育館に来ているはずだが誰ひとりコートには出てこない。5時半過ぎになってようやくゾロゾロッと更衣室から出てきた。こんな光景を見せられてお前達に優しいことばをかけてやるほど俺は器量が大きくないので帰る」と言って体育館を出た。そのあと、古賀ミニバスに顔を出そうと思ってスクーターを走らせたが古賀小の門を入ったところでUターンして家に戻った。ミニバスのこどもたちに私の不機嫌そうな顔を見せるのは良くないと思ったからである。
16年05月08日(日)  ひがながの練習はC練(13:00~15:30)。なので午前中は古賀ミニバスに顔を出した(09:00~12:00)。4月11日以来3週間ぶりだ。その時点では右足だけだったN子のアキレス腱炎は左足にも波及していた。コーチと本人と母親とキャプテンに現状を伝え、本人には「この練習は最初から抜けます」「この練習は途中で抜けます」をコーチまたはキャプテンに申告するよう指示した。さらに、自宅でのアキレス腱のストレッチングを入念に行うことも再度強調した。午後からのひがながの練習内容は昨日と同じ。私には受信電波を最強にしたナナとラム専用のアンテナが用意され、2人をずっと追いかけた。成果は昨日と変わらずだった。
追伸:H子のウオノメは専門医に診て貰ったところウオノメではなくウィルス性イボだった。ウオノメとよく間違えられるらしい。ウィルス性イボは放置しておくと他の人や違う部位にうつる可能性があり、治療も素人療法では治らず、通院治療で長くかかるそうだ。
16年05月07日(土)  今日もシュートの練習で明け暮れた。練習はD練(15:30~18:00)で、練習が始まるまで考える時間があったから何度もシミュレーションして練習に臨んだ。ナナとラムに、誰が見ても「これなら回数重ねれば入るようになるよ」と思って貰えるシュート技術を身につけさせなければならない。しかもあと1ヶ月で。ナナとラムは昨日ミドルレンジショットに的を絞り、イホやナツメのようにキチッとしたジャンプショットではなく、ジャンピングショットでいいということと片手ではなく両手でもいいということでやらせた。まだまだだ。
追伸:山崎純男のスケジュールはひがながの6月以降の行事の詳細が分かっていなかったので、5月分までしかUPしていなかったが、昨夜詳細が分かったので山崎スケジュールとひがながスケジュールを合体させ、2016年度1年分をyama&higaschedule16と名前を変えて games & schedule にUPした。 
16年05月06日(金)  6月の第2週目に行われる長崎市中総体は、3年生が13人居るのでそれを全員エントリーしてやると残りは2枠しかない。その2枠に充てるのはナナ(2年生)とラム(2年生)である。2人ともミニバス経験無しの素人部員だが、先日の倉敷遠征で実験してみたところ2人とも戦力として使えることがわかった。もちろん、現段階では中学になって始めたが故の幼稚なミスがたくさん出るし、補わなければならない技術がたくさんある。それを、あと1ヶ月で充分使えるスタメンに仕立て上げなければならないのである。「あれとこれをやらせて…これはあとまわしにして…」と考えていたらアッという間に時間が過ぎた。結局今日はシュートの特訓で終わった。 
16年05月05日(祭)  倉敷カップ最終日結果UP games & schedule 参照。
16年05月04日(祭)  倉敷カップ2日目結果UP games & schedule 参照。  
16年05月03日(祭)  倉敷カップ初日結果UP games & schedule 参照。 
16年05月02日(月)  午後4時少し過ぎに出発するつもりだったが学校行事で遅れ、4時45分出発となった。倉敷到着は夜中11時過ぎになるだろう。今日は風呂に入る時間もない。ただ寝るだけ。 車中にて(徳山あたり)更新。
16年05月01日(日)  ひがながはD練(15:30~18:00)。倉敷遠征の前の最後の練習だ。昨日からナナのスタメン起用の実験を始めている。ナナはミニバス経験なしで身長154pの2年生だ。バックアップに回るユウカは古賀ミニバス出身の3年生で身長166p。新チームになってからこのポジションはキョウコ(古賀ミニバス出身163p3年生)で始まり、それがうまくいかなくてしばらくユウカでやっていた。それがしっくりいかなくて昨日ナナに白羽の矢を立てた。ナナを登用するとかなり小さくなる。しかし今ひがながに欲しいのは、高さや巧さや無難さよりも元気よく動き回る選手である。2日間の実験だけで倉敷に乗り込むのだが、その2日間にナナ(ピンクビブス7番)の素人っぽいミスがずいぶん出た。だが、それで倉敷カップをやりきって来ようと思うし、中総体に向けてもこの布陣で実験を重ねていこうと思う。
追伸:昨夜は社会福祉法人おおぞらの新人歓迎会だった。保育士たちは日頃こどもたちに歌や身振り手振りで接しているのでみんな芸達者である。
16年04月30日(土)  ひがながはA練(08:00~10:30)。3月下旬に突然踵痛に襲われ、さらに4月4日に史上最大の痛風に追い打ちをかけられてここ1ヶ月走っていなかったので練習後走ってみた。明後日出発して倉敷に向かうし、倉敷では審判もするだろうからそのためのテスト走行だ。踵は少しだけ痛い。痛風は左第3MP第4MP関節と右第1MP関節に少しだけ痛みが残っている。しかし、審判やバスケ指導で身体を動かす分には差し支えない。ヨシ!
追伸:ウオノメのH子は5月6日(金)夕方5時に葉山町のさくら形成外科の予約が取れた。 
16年04月29日(祭)  保護者からも選手からも、病気やケガのことでよく相談を受ける。今日はH子が「足を診てください」と申し出てきた。診ると、骨や関節や靱帯の傷害ではなく鶏眼(通称ウオノメ)だった。こんなの私の手には負えないので形成外科に紹介することにした。50年のキャリアの中でこんなに立派な鶏眼は初めてみた。 
16年04月28日(木)  倉敷カップ参加案内UP games & schedule 参照。部員写真全員(42名)UP Higanaga Roster 参照  
16年04月27日(水)  明け方4時半。トイレに行きたくなって目が覚めた。途端にスクリーンいっぱいにB子が登場し、終日私を独占していた。今日は学校練習。半面で42人が動き回るので強化よりも普及の色合いが濃い練習になるが、ごった返した練習の中で私にはB子専用のアンテナが用意され、彼女を追いかける。彼女には部門@で誰よりも早くモノにした技術があるのだから、それをきっかけに他の部門も成長が見られてもよいはずなのだが、専用アンテナを用意して彼女を追いかけても、彼女の思いや意志が私には読み取れない。 
16年04月26日(火)  飯盛練習(17:00~19:00)。今日も朝からずっと入れ替わり立ち替わり選手の顔が浮かんでくる。答えは分かっているのだが登場する選手1人ひとりを再分析してみる。そして起死回生の手が見つからないまま時だけが過ぎる。選手が成長しない要因は以下の4項目に問題がある場合である。@技術A体力B技術を使える場面を判定する目Cヒトとしての性質(逆上型、臆病型、向上心欠如型、注意散漫型、なげやり型など)。それが単独で現れる場合もあるし幾つかの要因が重なって現れる場合もある。50年のキャリアの中でものすごく成長した選手も見てきたし、弱点が改善されないまま卒業した選手も私は見てきた。ひがながの現状をその経験に照らし合わせて見ると、一言で言えば「改善は難しい」である。ではこれからどうするのか?それは、個人の改善が望めない箇所をいじり過ぎず、個人の弱点が露出しないような戦い方を工夫することである。しかし、改善が難しい中で1人だけ@の改善の余地が残されている選手が居る。もしこの改善が市中総体までに間に合えば、他の選手への波及効果も含めて新聞社杯とは違った戦いができるようになるかもしれない。
16年04月25日(月)  昨日からずっと、何をしていても引っ切りなしに選手の顔が脳裏に浮かぶ。全員ではない。A子とB子がほとんどだがC子とD子も時々登場する。選手の顔を思い浮かべると腹立たしくもあるが仕方がないという思いもある。そんな感情に混じって「このあと…」という具体的なアイデアについても思い巡らそうとするのだが、脳裏に浮かぶ選手の顔をどの角度から見ても起死回生のアイデアは湧いてこない。これまでずっと、「この子がこれを分かるようになれば…」「このチームをこんな方向に進めれば…」と思い、そのために必要な内容だけに絞り込んで、過剰な情報を与えないよう注意しながら取り組んできたのだから今更起死回生のアイデアが出るワケがないのだ。練習直前までそんなこんなを考えながら体育館に顔を出したが、怒りもせず、グチもこぼさず、結局予定に沿った練習を淡々と済ませて帰ってきた。 
16年04月24日(日)  新聞社杯2日目結果報告UP games & schedule 参照。  
16年04月23日(土)  新聞社杯初日結果報告UP games & schedule 参照。 
16年04月22日(金)  バスケ指導中の動きを控えているわけではないが、この2日間夜中に足が攣ることはない。動くことに身体が慣れてきたのかもしれない。一昨日の受診で尿酸値が7.5だったのでfeburic服用を再開したが、febricは尿酸値を下げる効果はあっても痛風発作を抑えてくれるとは限らない。しかし、私が先頭に立って動かなければ今年のチームは先に進まない。踵の炎症や痛風発作を恐れて動きをセーブするわかにはいかないのだ。
16年04月21日(木)  今日は飯盛練習の日。フルコートが使える。ミニバスや中学の部活動は「新入生はコートサイドで見ておけ」とか「新入生は端っこでボールハンドリングの練習をやれ」などを極力減らし、上級生下級生の垣根やミニバス経験者と素人の垣根を外して可能な限り平等に扱ってやらなければならない。部活動は強くなることと勝つことを目指してやる。しかし、それだけが先行して教育が後回しになっては部活動本来の意義がなくなる。 
16年04月20日(水)  今日からひがながの部活動は新入部員活動開始。14名が入って来た。内訳は、2人がミニバス経験ありで12名は素人。今日は学校で練習できる日だが、学校練習日は半面しか使えない。そこで41名(3年生13名、2年生14名、新入生14名)が練習することになる。すしづめだ。ウヮー。(白の体操服が新入生)。 
16年04月19日(火)  最近足が攣って夜中にしばしば目が覚める。今朝も5時に目が覚めてそれから眠れなかった。痛風と踵の炎症がかなり治まり、コートで身体を動かす回数が増えたからだろう(まだ3qランは開始していない)。チームは現在ディフェンス10割の練習をしているが、ハーフコートのディフェンスでは「ウン、それでヨシ」が時々出てくるようになった。しかし、フルコートのトランジッションになるとまだまだダメだ。5月の連休後までにトランジッションで「それでヨシ」が出てくるようになれば展望が開けるのだが…。ところで、4月になってからシュートの改善に着手したが、ナツメだけはそれを完全にモノにした。新聞社杯参加案内UP games & schedule 参照。 
16年04月18日(月)  10時開始の県高校春季選手権大会を長与町民体育館に観に行った。女子決勝のハーフまで観てひがながに戻ってきた。試合の勝ち負けよりも各チーム個々の選手に注目しながら観た。上級生は九州大会以上でどれだけ戦えるかという観点から、新入生はどの選手が有望かという観点から見た。新入生が楽しみなのは鶴鳴と長崎西だが、今後新入生をすくすく伸ばしながらチームとしてまとめていくのはなかなか難しいぞお。技術向上やゲームプランだけでなく、チーム内の人間関係も含めて…。
16年04月17日(日)  ひがながの練習は午前練(09:00~12:00)。そのあと、北陽台高校で行われている県高校春季選手権大会を観に行った。昨日「ここはこうするところ」が分かっていない選手が多いと述べたが、今日は「お前バスケがよく分かっているなあ」という選手を1人見つけた。しかも彼女は1年生だった。実はミニバスでも去年同じような選手を見つけていた。戸町小学校の6年生(4番)だった。冗談で、戸町中の監督に「住所変更させてひがながに取ろうかなあ」と言った。こんな選手を見ると嬉しい。ウチの嫁(70歳台)やその姉(80歳台)はスマップやゴルフの石川遼君を追っかけているが、私は今日の高校1年生や戸町の4番の将来を追っかけたい。 
16年04月16日(土)  ひがながの練習はA練(08:00~10:30)。新入生の部活動参加希望受付が締め切られていないので1年生の部員は未定だが、2年生と3年生だけで28人の部員が居る。その中で「ここまではなんとか公式戦に出せる」という選手は甘く見積もって9人。しかも、あとの19人との力の差が大きすぎるので練習メニューを考えるのが難しい。加えて、主力選手の誰かがケガや病気や用事で欠ける日が多いので、チーム強化のための練習がなかなか出来ないのが辛い。ひがながの練習のあと、村松小学校で行われているミニバスの長崎市春季大会を観に行った。そのあと瓊浦高校で行われている県高校春季選手権大会を観に行った。ミニバスの試合で目に付いたのは「ここはこうするところ」が分かっていない選手が非常に多いということだ。だが、高校の試合を観に行ってもそれは大差なかった。違いがあるのはパワーの差だけである。悲しかった。が、鶴鳴の教え子の菊川仁美(旧姓野田)のこども(生後7ヶ月)を抱くことができたので、その悲しみも少し薄れた。 
16年04月15日(金)  昨夜9時半頃家がガタガタガタッと揺れ、家の電話と携帯電話が地震警報で鳴った。テレビの情報によれば熊本で直下型地震が起きたらしい。震度6.5。私の家は揺れたが何の被害もない。が、テレビで刻々と明らかになっていく被害状況はかなり深刻だ。地震発生直後に県外のN氏とI氏から「大丈夫ですか」と携帯電話がかかってきたが、それ以後はこちらが電話をかけてもどこにもつながらない。今朝になって携帯が自動電源ONになったとたん昨夜から今朝までの着信履歴がズラーッと出た。無事かどうか気になる人が居るが今のところ無事を祈るしかない。追伸:夕方判明したがハルナの家が(なんとか住めるけど)傾いたらしい。 
16年04月14日(木)  長崎新聞社杯組合せUP games & schedule 参照。年度が変わっても層の薄さは変わらない。が、5人揃えるのが大変なチームが毎年増えていく中で贅沢は言えない。
16年04月13日(水)  昼過ぎ、札幌市からクリニックの依頼があった。対象は中学男子。期日は来年の2月3日〜5日。私のホームページのyamaschedule16を見て決めたらしい。「エーッ!サッポロ〜っ!遠いねえ」「ダメですか?」「いやいや札幌には上島さんがいるし、東北・関東・東海あたりにもたくさん講師候補は居るだろう?それをすっ飛ばしてかい?」「ダメですか?」「いやいやダメじゃないけど、九州⇔北海道じゃ飛行機代が高いでしょ」「いえ、それは構いません。都合が悪くなければ山崎先生にお願いしたいのですが…」「わかった、俺に何を期待するのかわからんが、俺で間に合うのなら引き受けるよ」。2月の北海道かあ…生きて帰れるかなあ。
16年04月12日(火)  中島監督は昨年に引き続き今年も3年生の担任になったということを今日知った。3年生は進路決めがあるから大変なのだ。私は新卒2年目で3年生の担任を受け持った。当時の調査書はすべて手書きだった。ベテランの先生たちは秋になって調査書作成に手を付けるが私は夏休みからそれを始めた。生徒にとって初めて遭遇する人生の岐路。そのための書類に不備があってはならないからだ。当時はまだ職員持ち回りの宿直という制度があったが、家庭持ちの先生達はそれを嫌がる。私はそんな先生方の代直を買って出て通勤のための往復の時間を節約し、宿直室で必死になって進路資料作成と教材研究に取り組んだ。50年前の話だ。
16年04月11日(月)  明日実力テストなので今日のひがながバスケはオフ。だから古賀ミニバスの練習には最初から顔を出せた。3人の選手が痛みの相談に来た。1人は男子部員。昨日サッカーをやっていて足首を捻ったらしい。腫れはないが圧痛がある。軽度の前距腓靱帯損傷捻挫だ。そのうち治る。あとの2人は女子部員。1人は第5中足骨の疲労骨折か基部骨折(通称下駄骨折=ジョーンズ骨折)だろう。エックス線検査をしなければ詳細がわからない。もう1人は明らかにアキレス腱炎。この子は姉も身体が硬かったので、他人よりストレッチを入念にしなければならないことを伝えた。それにしても、古賀ミニバスは猛練習じゃないないのに小学6年生にしてスポーツ障害発症かあ…。近頃のこどもたちは昔に比べて身体の頑丈さがなくなってきているのかなあ? 
16年04月10日(日)  鶴鳴杯最終日結果UP games & schedule 参照。 
16年04月09日(土)  鶴鳴杯初日結果UP games & schedule 参照。ひがながの試合が終わって審判をしているところを盗撮された。携帯に「少し遠目ですけど先生の審判姿撮りました」というメッセージ付きでこの画像が送られてきたので「誰?」と返信したら鶴鳴時代の古いお教え子のJ子だと判明した。 
16年04月08日(金)  学童送迎・ひがながバスケ・古賀ミニバス、今日は全てがなかった。な〜んにもない日というのも暮らしにくいものだ。「ストレスも栄養の一種なんだ」とあらためて感じた。 
16年04月07日(木)  愛知県清須市立清洲中学校からひがながバスケ部に転入生(3年生)が入って来た。甲斐美羽。清洲と言えば織田信長の出発拠点。甲斐と言えば武田信玄の本拠地。2人の超有名戦国武将を背負ってるんだから戦いには強いんだろうなあ。しかし、身長が154pだからなあ…どうなんだろ? 
16年04月06日(水)  小学校も中学校も今日は始業式。お昼で下校する学童クラブつめくさの児童をマイクロバスで迎えに行った。痛風の左足はまだ腫れているが、痛みがずいぶん引いたのでクラッチは踏める。午後はひがながの練習指導だが今日は明日の入学式の式場作成で体育館が使えず、3qランだけとなった。そのあと諫早の宮本外科に出かけて痛風と踵骨の炎症の今後の対処について相談した。「これまで何度も、歳に見合った活動をしてくださいと言ってあるでしょ」と叱られた。もっともだ。尿酸値を下げるフェブリクは4月に入ってから服用していなかったが、痛みがある今は服用しない方がよいらしく、痛みが治まってから服用再開となった。ロキソニンは痛風の炎症と踵骨の炎症を抑えるためにすぐ服用することになり、10日分貰って帰った。 
16年04月05日(火)  昨日は足がパンパンに腫れて靴を履けず、バスケ指導もスリッパで出かけたが、今日は腫れが少し減って靴は履けるようになった。が、まだ椅子から立ち上がることはできない。 
16年04月04日(月)  右足踵の炎症と右足第1MP関節の痛風症状は完治とはいかないが現在落ち着いている。ところが、今朝(というか深夜)3時半、左足が痛くて目が覚めた。見ると第3MP関節当たりが赤く腫れている。痛風発症だ!しかも今回の痛みは尋常じゃない。これまで4〜5回痛風症状が出たがその時は普通に歩けた。しかし今回の症状はこれまでとは痛みのレベルが全然違うのだ。ステッキを使っても歩くのは辛い。ロキソニンは山口講習以後所持していないし服用もしていない。水曜日に定期検診で諫早の宮本外科まで行くのでその時まで様子を見ようと思う。今日の練習指導はもちろん、椅子に座って眺めるだけである。
16年04月03日(日)  今日の練習はA練(08:00〜10:30)。1時間ほど基本練習をしたあと、下級生は反対側のハーフコートで攻防の練習をさせ、こちら側のコートにはイホ・ナツメ・カズハ・アヤメ・ユウカ・ナナ(下級生)の6人を残してずっとナツメとユウカのディフェンス特訓に時間を費やした。終了まで残り30分ぐらいになるとナツメもユウカも目の光がなくなってきてガクンと動きが悪くなる。バテてそうなるのではない。ナツメは3qランではいつも上位3人の中に入るので体力はある。ディフェンスの練習では常に相手の意思を読まなければならないのでアタマが疲れてそうなるのだ。しかし、読むことと考えることがめんどくさくなくなってきたら、ナツメはバスケット選手としてではなく一人前の人間として世に送り出せる。そうなるまで私は鬼にならなければなるまい。
16年04月02日(土)  今日の練習はB練(10:30〜13:00)。右足踵がこれ以上傷まないよう用心しながら指導したがついつい動いてしまう。左足踵を傷めた時はステッキがなければ歩けなかったのでロキソニンを服用したが、右足の踵痛は、歩く時少し足を引きずるもののステッキは不要なのでロキソニンは服用せず(腎機能への影響)、動きをセーブすることで治そうと思う。ナツメは昨日に比べて今日は、私から「ヨシ!」「そうだ!」の声を多く貰った。備考:鶴鳴杯参加案内UP games & schedule 参照 
16年04月01日(金)  倉敷・宇部の後遺症はまだ残っている。足底筋・背筋はまだ痛い。加えて右足の踵も痛くなってきた。今日の練習はC練(13:00〜15:30)。ナツメのハーフコートディフェンスを徹底的にやろうと思って練習に出かけたが、ナツメだけでは集中力が保たないので今日はユウカも加え、2人交互のディフェンス特訓となった。モモカは用事で3日まで居ないのでモモカが戻ってきたらモモカを加えた3人の特訓だ。