2015年度版 2015年4月〜2016年3月
16年03月31日(木)  ジュニアオールスターが終わったので今日からフルメンバー揃っての練習ができる。練習内容は2月21日付の佐世保協会杯の結果報告で述べてたとおり、ディフェンスの練習が主体であることに変わりはない。もう少し具体的に言うと、ハーフコートのマンツーマンディフェンスとフルコートのトランジッションの中でのマンツーマンディフェンスディフェンスである。が、今日の練習の後半からナツメのハーフコートマンツーマンディフェンスの特訓に変わった。明日以降もそれは変わらないが、少し日が経てばこれにモモカとユウカの2人を加えて3人のディフェンスの特訓に時間を費やそうと思う。オフェンスでは1人2人モタモタしているのが居ても影響ない場合があるが、ディフェンスは1人でもヌルい選手が居ると他の選手の努力を徒労に終わらせる場合が多いからだ。備考:2015年度版は今日でおしまい。明日からは2016年度版をご覧ください。
16年03月30日(水)  クリニック最終日。足底筋・背筋・腹筋が痛い上に夜中にはふとももの内転筋が攣って目が覚めた。私が6日連続でクリニックをやるのを知った鹿児島県のN氏から「せんせ〜いっ!生きて帰ってきてくださいよ〜っ!」というメールが来たことは10日付けのこの欄で述べたが、そのN氏がわざわざ私の生死を確かめるためにクルマをとばして鹿児島から視察に来た。身体のあちこちが痛いが命に別状はない。
16年03月29日(火)  宇部2日目。9時から5時まで、午前3時間午後3時間の練習。フルコートの行ったり来たり(トランジッション)の展開の中で、「これはファーストブレイクで勝負できる」「ファーストブレイクでは無理だけどまだアーリーオフェンスでなんとかなる」「ファーストブレイクでもアーリーオフェンスでも崩せないので結局セットオフェンスで勝負するしかない」を判断できる目を養うということ、さらにセットオフェンスでは「次のパスで決着が付きそう」とか「このプレイは頑張らずに捨てた方がいい」とか「強引なプレイでもなんでもいいからここらへんで勝負を決めに行かなければならない」という感覚を養うということに終始した。午後の終わり頃はアタマがずいぶん疲れてきたという表情の選手が増えてきた。明日は、新入生たちに「バスケットって、そんな見方考え方でやればいいのかあ」という感じをつかませたい。 
16年03月28日(月)  舞台は宇部に移動。午後から俵田体育館で半日指導した。私は倉敷で見本動作をやりすぎて足底筋が痛かったので、クリニック開始前に入念にランとストレッチをやってから臨んだ。具体的な内容は倉敷クリニック同様UPできないが、今日は今春入学する新入生にまず何を教えるかが主題だった。 
16年03月27日(日)  倉敷クリニック最終日。練習は9時開始だが私は毎日8時15分には体育館に顔を出す。初日に私は脛骨疲労骨折の選手と有痛性外径骨の選手が居ることを発見した。他にもケガ人がいるが、そんな選手を練習が始まる前にしっかり把握しておかなければならないから早く顔を出すのだ。さて、昨日「ヨシ!」がずいぶん出てくるようになったと述べたが、「これですっきり長崎に帰れる」には至っていない。それで今日の午後はハッパをかけた。特にペイントエリアでのディフェンスの考え方と動きを徹底的に指導した。怒鳴りつけた。2人泣かせた。クリニックで怒鳴ったり泣かしたりはしたくないのだが「このままでは帰れない」という気持ちが私を急き立てた。結果、午後の後半はプレイがストップ高(株式用語)の連続だった。これですっきり長崎に帰れる。 
16年03月26日(土)  午前3時間午後3時間。ただ、メニューをこなせば済む練習ではなく、目の前で展開されているプレーの中で何が有効か、自分はどう関わればいいのかを探す練習、即ち観察力が必要だしアタマを使わなければならない練習なので、午後の終わり頃は翆松高校の選手たちは集中力がずいぶん欠けてきたが、午後からは「わかった!」「ヨシ!」がずいぶん出てくるようになった。 
16年03月25日(金)  午後1時05分倉敷着こだま738号で倉敷に着いた。今日は午後のみのクリニックだったが、マンツーマンオフェンスとかゾーンオフェンス とか言う前に、試合の流れをつかんでワンプレイワンプレイをするということ、即ち場面理解が何よりも先だということから取り組んだ。よくわからんだろうなあ。
16年03月24日(木)  県外のH氏から「最近ひがながバスケの練習の様子がブログに全然載らないので寂しいです」というメールを貰った。私は自分やチームの現状を公開する。行き詰まっていることも閃いたアイデアもだ。しかし、グチや怒りは公開しない。相変わらず死闘が続いているとだけ言っておこう。
16年03月23日(水)  血液検査の結果は、尿酸値6.4(正常値7.0以下)。しかし、尿酸値が正常値になったからといって痛風症状が出なくなるとは限らないらしい。歳も歳だししょうがないか。feburicはあと2週間ぐらい服用してやめることにした(医師の指示)。炎症反応を示すCRPの値は0.04(正常値0.3以下)。踵の骨棘による炎症も終息したのだろう。まだロキソニンは9錠残っているがその服用も中止することにした(医師の指示)。これで心置きなく倉敷・山口クリニックに出かけられる。ホッ。 
16年03月22日(火)  朝起きたら踵もアキレス腱も痛くはなかった。が、右足の親指MP関節にまた痛風症状が出た。軽いので動くのに支障はないが、尿酸値を下げるクスリ(feburic)はちゃんと服用しているのに、まだ尿酸値は下がっていないのだろうか?2週間前に血液検査をしてもらったがその結果は聞いていない。明日結果を聞きに行ってみよう。 
16年03月21日(祭)  ひがながの練習はB練(10:30〜13:00)。今日は指導中ついつい動き過ぎたようだ。終わってからふくらはぎがプルプルする。プルプルするのは3週間ほど踵に体重をかけない生活をしてきたのに、今日動き過ぎたからだと思うが、これ以上やるとアキレス腱が切れそうな感じがする。ヤバイ!自重自重。ロキソニンは明後日まで服用するが、もう痛みはないのでその後は服用しない。
備考:九州ジュニアオールスター交歓大会結果UP Games & Schedule 参照。 
16年03月20日(日)  私は現在、血液サラサラのクスリ(プラザキサ)・尿酸値を下げるクスリ(フェブリク)・踵の骨棘の炎症を抑えるクスリ(ロキソニン)を夕方服用している。プラザキサは4〜5年前から服用しており、フェブリクとロキソニンは今年服用し始めたクスリだが、それ以外に私は2003年(平成15年)から睡眠薬(レンドルミン)を服用しなければ寝られなくなっている。昨日は夕方プラザキサ・フェブリク・ロキソニンを夕方7時頃服用したがその時うっかりレンドルミンも服用してしまった。通常レンドルミンは寝る前に服用するが昨日は7時に服用してしまったので仕方なく8時には寝た。夜中の2時頃目が覚めたので半分に切ったレンドルミンを服用して再度寝た。今朝起きたのは7時半だった。ひがながバスケはオフなので終日ゴロゴロしていた。 
16年03月19日(土)  私はNBAの試合は必ず録画して観る。昨夜は深夜1時にラプターズとペイサーズの録画が放映された。そのあと今朝4時からBNPパリバオープンの準々決勝ナダル対錦織戦がライブで放映された。私は6時に起きてBNPパリバオープンの録画を観た。1セット目の錦織選手の動きは全く悪くなかった。だが、ナダルのクレバーさと冷静さが錦織選手を上回った。2セット目はさらにその差がプレイに現れ、錦織選手が0−2で負けた。私はこの試合を観ながら「世界の一流選手は、すごいというより崩れない」と思った。しかし、錦織選手も負けはしたけれども簡単には崩れなくなっていると思った。もうちょっとでジョコビッチ・フェデラー・マリー・ワウリンカ・ナダルらと並ぶ選手になるだろう。テニスを観た後NBAを観たが、朝起きたのが早すぎたのでNBAを観たあとはまたベッドに潜り込み昼まで寝ていた。
16年03月18日(金)  踵の骨棘(こつきょく)由来による炎症の痛みがずいぶん和らいだので13日(日)に軽いフットワークをやってみたがこれが軽率で、翌日から痛みがぶり返した。その後自重していたが今日普通に戻った。その間ストレッチングだけは入念にやっていたが、これから慎重に調整し、25日までには動ける身体に戻したいと思う。 
16年03月17日(木)  日本時間昼12時9分、アメリカインディアンウェルズ現地時間夜8時9分。BNPパリバオープンの4回戦で錦織選手(世界ランク6位)がアメリカbPで世界ランク11位のイスラー選手を1−6・7−6・7−6で下して準々決勝に進んだ。1セット目は208pの長身から繰り出すイスナー選手のサーブに手も足も出なかった。それを見て私は「アー、錦織選手は4回戦止まりか」と思った。が、そこからが違った。錦織選手は自らのミスを抑えに抑えて持久戦に持ち込んだ。そして、バスケットで言えばブザービーターで勝った。張本さんではないけれど「アッパレ!」である。ひがながバスケもこんな試合が出来るよう仕込みたい。
16年03月16日(水)  今日からダイエットを始めた。24日まで夕食を抜くのだ。太り過ぎたからではない。25日から30日まで倉敷と山口にクリニックで行くがその間現地のスタッフと食事をするだろう。そのための事前ダイエットなのである。私はクリニックを請け負う以上知識の整理もするし身体作りもする。ダイエットは身体作りの一環である。 
16年03月15日(火)  今日は卒業式。パソコンを開いて過去50年間の教え子たちをカウントしてみたら、大学時代の2年間に長崎西で指導した選手、教員になってから桜馬場中学校と鶴鳴で指導した選手、教員を退職してからボランティアで指導したひがながの選手、合わせて約380人だった。途中で退部した選手はカウントしていないから実際に指導した選手はもう少し多いだろうが「380人?もっと多いと思ったがこんなもんか」と思った。380人の中には鮮明に印象に残っている選手もいるが思い出すのに時間がかかる選手もいる。主力選手だから鮮明に印象に残っているとは限らない。補欠であっても「お前には世話になったなあ」と、今でも思っている選手がいる。今日卒業した10人は、これからバスケを続けるにしろ他の道に進むにしろ、関わった人に「君と出会えて良かった」と思って貰える人になって欲しい。
16年03月14日(月)  昨日は調子に乗って動き過ぎたようだ。今朝起きたら踵の痛みが増していた。歩くのには何の不都合もないが走るのはダメだ。フウ.......自重自重。
16年03月13日(日)  昨日あたりから踵の痛みが軽減し、軽く走るくらいでは痛みを感じなくなった。この調子なら今月末の倉敷クリニックと山口クリニックは乗り切れそうだ。宮本先生ありがとう。乗り切ると言えば2年前の2月中旬に熊本のジュニアオールスターのクリニックをした時も同じ状況だった。あの時は踵ではなく、股関節か腰が原因の痛みだった。トラムセットはこの時から服用し始めたのだ。なお、熊本クリニック当日はトラムセットに加えて座薬のメジェイドも使って乗り切った。歳を取るとあちこちの部品が劣化してくる。ハア(-_-)。 
16年03月12日(土)  今日はひがながバスケの送別会。まず体育館で送別試合をしたあと正念公民館に場所を変えて食事会。各学年が出し物を出したあと在校生から卒業生に花束が贈られ、そのあと3年生が1人ひとり感謝のことばを述べてお開きとなる。みんなよく泣く。追加写真 @ A B C D E 
16年03月11日(金)  ひがながの練習はオフ。朝8:20に家を出て大学病院に行き、ドクター宮本に「25日までに動ける足にしてくれ」と頼み、そのあと白内障手術後の定期診察で佐藤眼科に行き、そのあと長崎駅に飛んで今月末の倉敷クリニックと山口クリニックのJRチケットを購入し、そのあとメモリード大橋で行われた元同僚の柳原先生の告別式に参列し、そのあと大村の野澤自動車に行ってマイクロバスのエンジンオイルを交換し、長崎に戻って燃料を満タン(明日マイクロバスを他校に貸さなければならないので)にした。帰宅時刻19:00。フー 
16年03月10日(木)  今月末の28ー30の山口クリニックはずっと前に決まっていたが、昨日倉敷からクリニック依頼が入った。期日は25ー27だ。それを山崎純男の予定表に記入してHPにUPしたら、あまりのハードスケジュールに今朝N氏から「せんせ〜いっ!生きて帰ってきてくださいよ〜っ!」とメールが来た。 
16年03月09日(水)  ひがながの練習は5時に終わったので古賀ミニバスに手伝いに行った。保護者が「足、大丈夫ですか?あまり動かない方がいいんじゃないですか?」という。私はマグロの生まれ変わりなので動きを止めると酸欠で死んでしまうのだ。 備考:3qランの結果UP(もちろん私は走っていない)materials参照
16年03月08日(火)  つばさ保育園のつき組・ほし組・にじ組さんのお別れ遠足の引率。場所は飯盛の月の丘温泉の遊具広場。私のバスにはつき組さんが乗ったが、園児から「ワー、久しぶり〜」という声が出た。今年の月組さんは21人、ほし組さんは27人、にじ組さんも27人。今年購入した園児用のバスの定員は25人なので、園児用バスで送迎出来るのはつき組さんだけ。だから、月くみさんだけの行事は園児用バスで動くことが多かったのだ。
16年03月07日(月)  会う人会う人に「大丈夫ですか?」と聞かれる。大丈夫じゃないよ。また、「お大事に」とも言われる。みなさんから言われるとおり、また楢林・米倉・宮本各ドクターの言い付けを守って日頃お大事にしていればこんなことにはなっていない。だが、これに懲りて痛みがとれたらお大事にするのかというと、それはわからない。
16年03月06日(日)  午前の練習はステッキで立つのがやっとで何もできなかったが、午後からは痛みが和らぎ、近い距離はステッキなしで移動できるようになった。ロキソニンが効いてきたのかなあ。 
16年03月05日(土)  今日の痛みは半端じゃない。ステッキがなければ歩けない。体育館には顔を出したものの、指導どころか立ってることも出来なくて椅子に座って声かけだけしか出来なかった。気になるのが今月末の山口クリニックである。この調子なら実技指導なんてとんでもない.。が、焦ってもどうにもならないので昨日貰ったロキソニンを1週間服用して、その経過を見ながら次にどうするか考えよう。 
16年03月04日(金)  案の定今日まで部活動は禁止になった。ところで踵の痛みだが、痛風症状とは違うようだし尋常な痛みではないので昨日楢林に行った。以前患ったアキレス腱石灰化症のことを院長に告げたが院長は「イヤイヤ、まだ先生は走ってるようなので疲労骨折も考えられるし骨棘も考えられるよ」と言った。私も「あ、そうか」と思った。 結果は院長の推測通りでっかい骨棘があり、さらに「はっきり画像に出ていないがこの線が怪しいので骨折もありそうだな」と院長は指摘した。そして「もう走っちゃダメ」と言った。ウーン…。
16年03月03日(木)  ノロウィルス感染拡大を懸念して、部活動は全面禁止になった。明日もおそらくそうだろう。 
16年03月02日(水)  朝起きたら左足のが痛い。「月曜日の3qランで傷めたのかなあ?」と一瞬思ったが、私は現在痛風治療の為に尿酸値を下げるクスリを服用しているので痛風のこともチラッとアタマをよぎった。踵は腫れてもいないし赤くもなっていない。「ウーン、走り過ぎ?痛風症状は踵にも出る?どっちだろ?」。前2回の痛風は朝起きたら発症していたものの、午後には痛みも和らぎバスケット指導もランも難なくできた。しかし今回は午後になって痛みは却ってひどくなり、3qランどころかバスケ指導もままならなかった。クソ〜ッ。あっ、そうだ、私は楢林整形外科医院でずっと前にアキレス腱石灰化症と診断されたことがある。その再発か?
16年03月01日(火)  飯盛練習から帰ってきてWリーグセミフィナル第3戦(富士通vsシャンソン)の録画を見てから日々の出来事を更新したのでUPが遅くなった。「日本のバスケットは世界のバスケットと比較して足元が緩いんじゃないかなあ?」と思うのは俺だけか?足元が緩いというのはトラベリングに対して甘いという意味だが、それは審判の判定が甘いというのではなく、プレイヤーも甘いし、それを指導しているコーチも甘いし、今日の試合が甘いというわけではなく、日本バスケ全体が甘いんじゃないかなあと、常々思っていることなんだけど…。 
16年02月29日(月)  先週水曜日から3qラン(materials参照)再開だったが、選手への通知が行き届いていなかったので私1人で走ったことは先週述べた。というわけで今日が再開初日だが、今日は先週よりも強い北風で、しかも私が走った時間帯だけ雪交じりだった。選手が走る頃には雪は止んでいた。クソッ!。昨年11月に3qランを中断し、理由はバスケットを習得させるので精一杯だからと述べたが、本当は自分を追い込まない選手たちのタイムを記録してやることがむなしかったからだ。今日再開したものの、むなしい気持ちに変わりはない。 
16年02月28日(日)  ひがながはD練(15:30〜18:00)。なので朝から午後3時まで古賀小学校に出かけた。古賀小・山里小・飽の浦小の3校が集まっていた。最初はシニア層(4〜6年生)とジュニア層(1〜3年生)に分けて各チームのスタッフが手分けしてクリニックを実施。そのあとが練習試合。ミニに顔を出すようになっていつも思うのは、ミニバスに関わる人たちは自分のチームを如何にして強くするかではなく、みんなでミニバスを盛り上げようとする結束力がすごいということだ。 
16年02月27日(土)  入れ替わり立ち替わりケガや病気(4頁目)で主力選手が休み、チーム練習がまともにできない日が今年は特に多い。鶴鳴時代にも同じことはあった。そんな時に親は「ウチの子は小学校の時は休まなかったのに中学に入ってから休みが多くなった。中学の時は休まなかったのに高校に入ってから休みが多くなった。スポーツしてるから身体は丈夫なはずなのに…」と不思議がる。イヤイヤそれは当然のことだ。ひがながでも鶴鳴でも、選手たちにはそれまでの自分(生き方も振る舞いもプレイも)に私から厳しいツッコミが入る。選手たちにとってはそれがストレスになる。ストレスは自律神経に作用し、白血球(身体を守る兵隊)の活動にも影響を及ぼす。ストレスの元凶はもちろん私だ。だから選手たちは、私に勝てなければ病気にも勝てない。 
16年02月26日(金)  ひがながの練習はオフ。そして今日は、学童クラブつめくさの欠席が多くて私のバスでの送迎もなくなった。だから今日は、冬眠中の熊みたいに家の中でじっとしていて体力を温存した。 
16年02月25日(木)  今日は1昨日の4人にマユカが加わって3年生が5人来てくれたが、現役チームはスタメンが揃わない。ディフェンス強化の個人練習を一通りやったあと、なんとか4人までメンバーを見繕って4対4のラインドリルの相手を3年生にして貰った。スタメンで5対5のスクリメージをやって貰うのがベストだが、4対4であってもゲーム形式の練習ができることに感謝しなければならない。部員全員が揃っても6人とか7人しか居ないチームがたくさんあるのだから。 
16年02月24日(水)  大臀筋と背筋が筋肉痛だ。ディフェンスの足捌きやコースチェックやスティールの動作を、昨日と1昨日続けて頻繁にやって見せたからだろう。その身体で今日は3q走った。身体が重くて走りたくなかったが、今日から3qラン再開と選手たちに通知したのに、その初日に休むワケにはいかないので走った。私はいつも、選手たちよりも1足先に走ってから裏門のところで選手たちが出てくるのを待つ。ところが今日はしばらく待っても選手たちが出てくる気配がない。「ひょっとしたら?」と思って体育館に行ってみたら選手たちは練習を始めようとしていたところだった。3qラン再開の通知が選手たちに届いていなかったらしい。ウゥゥ..........<(_ _)>。今日は北風がとっても冷たかったのにい。 
16年02月23日(火)  今日は進路が決まった3年生4人が練習に参加してくれた。しかし、現役の方は昨日の5人に加えて今日ユウカが休んだ(病気ではなく通夜)。3年生が来てくれた時はスクリメージをやって貰うのが現役チームにとってはもっとも有り難いのだが、主力がほとんど居ない現役チームでは3年生とスクリメージをやって貰っても意味がない。3年生にはあちこちに散らばって現役チームの個人技指導に回って貰った。3年生ゴメン<(_ _)>。
16年02月22日(月)  今日の練習開始時にアヤメが「先生、肩が痛いのですが…」と申し出てきた。昨日から痛いらしいが、試合中に転んだりはしていない。診ると肩関節と肩鎖関節と胸鎖関節に圧痛がある。たぶん、試合中に相手にぶつかったか何かで傷めたのだろうが、試合中は必死なのでぶつかったことすら覚えていないのだろう。ナツメは今日早退したらしい。昨日の2試合目の動きが極端に悪かったが、その時から体調不良だったのかもしれない。というわけで、アヤメ・ナツメ・カズハ(腸腰筋損傷)・アサ(溶連菌感染)・オトハ(足関節捻挫)と、試合に使える9人のうち5人が居ない状態で今日は練習した。当然チーム強化の練習はできず、1年生の素人軍団主体の練習になった。それでも声を張り上げ、選手を追い込み、自らも動いた。膝がちょっとだけ痛くなった。 
16年02月21日(日)  佐世保協会杯最終日結果報告UP Games & Schedule 参照。  
16年02月20日(土)  佐世保協会杯初日結果報告UP Games & Schedule 参照。 
16年02月19日(金)  9時半から10時半までつばさ保育園のつき組ほし組さんをバスで引率して行って橘小学校との交流授業のお手伝いをした。私は50年の間に中学生・高校生・大学生・社会人・小学生・園児の指導に関わってきた。今思うことは、小学生までの間におとながこどもにどう関わってやるかがその子の将来にとって非常に重大だということである。最近毎日のようにメディアにこどもを虐待する(しかも死なせる)大人が登場するが、ここに登場するおとなたちもまた、自分がこどもだった頃におとなから健全な関わりを持って貰えなかったのだろう。 
16年02月18日(木)  1月から3月にかけてはジュニアオールスターの練習で土日にイホとナツメが欠ける日が多いということは前に述べたが、それに加えて人数が揃うはずの月〜金に主力選手の誰かが体調不良で欠ける日がずっと続いている。ウーン.............<(_ _)> ケガ病気も実力のうち.............か。
16年02月17日(水)  ディフェンスで、ヘルプローテーションからブロックショットに行く場面の示範を示していたら、選手がイメージできず、そこを通り過ぎているはずの選手がその場所に留まっていたので、ジャンプして着地した際その選手の足に乗って右足首を捻挫した。靱帯損傷はないが、足部が強制背屈されたので距腿関節が痛い。 
16年02月16日(火)  今、私は自分自身が大嫌いだ。なぜなら、憎しみと怒りでコートに立っているからである。でもそれは今年に限ったことではない。鶴鳴を辞める前の数年間はずっとそうだった。コーチをやっていれば楽しくて仕方がない時もあるし、苦しくて仕方がない時もある。そんなこんなを全て承知の上で、常に全力投球でコートに立つのがコーチの仕事なのである。備考:佐世保協会杯参加案内UP Games & Schedule 参照。
16年02月15日(月)  朝起きると部屋の空気が冷たい。カーテンを開けると雪が散らついていた(動画の中のミカンの皮は庭に遊びに来るメジロの餌。ゴミ放置ではない)。今日は佐藤眼科に目の定期検診に行こうと思っていたがスクーターでは手足が凍り付くのでやめた。 
16年02月14日(日)  ひがながはC練(13:00〜15:30)。午前中は鳴見台小で行われた長崎市ミニバス新人戦2日目を観に行った。中学生の試合にもしばしばあるが、小学生の試合ではコーチも選手も夢中になって頑張り過ぎるチームが多い。”頑張る”と”力を抜く”を使い分ければもっといい試合が出来るのだが…。例えば、バックコートのドリブル1対1で相手を抜く。抜き去ったあとのシュートは力を抜けば入るのだが、抜き去る時の頑張りのままシュートを射つのでボードにバーンと当たって跳ね返るのだ。小学生に緩急を使い分けさせるのは無理? 
16年02月13日(土)  ひがながはD練(15:30〜18:00)。それまで時間があるので桜ヶ丘小で行われている長崎市ミニバス新人戦を観に行った。下段に記してあるオープン参加の部というのは、部員が10人未満なので正式参加ができないチームの練習試合という意味である。男子10チーム、女子5チームが10人に満たない。それでもコーチたちはバスケットの灯を中学に繋げようとして一生懸命指導している。JBAさん、ミニバスのルールを少子化の時代に即したものにするよう見直そうという気にはまだならない?と言えば「いやいやミニバスは試合の勝ち負けよりも個人技の向上を目指すのが本筋ですから」と言うのだろうが、それならミニバスの公式戦は撤廃すればいい。代わりに、個人技を競い合う個人戦でもやればいい。それも、競い合い=勝ち負けにこだわるだから、競い合わせるということば自体が良くないと言われるのかなあ。
16年02月12日(金)  今のところ、スタメンの5人はイホ・ナツメ・カズハ・モモカ・ユウカで、バックアップで起用できるのがアヤメ・アサ・キョウコ・オトハまでである。県新人戦後の報告書に「4月初旬の鶴鳴杯まで57回練習出来ますが、その間15回ジュニアオールスターの練習でイホとナツメが抜けます。よって全員揃って練習出来るのが42回。この42回で選手たちを脱皮させ、新年度に臨みたいと思います」と書いた。ところがその42回を上記9人が揃って練習できるかというとそうはいかない。今日はイホが発熱、カズハ・アサ・オトハが体調不良で早退した。残りのメンバーでははっきり言ってチーム強化のための練習にはならない。でも渾身の力を振り絞って指導した。そんなわけで42回の練習が今日41回に減ってしまった。これからもまだまだ減るだろう。それでも気を落とさず、その日を精一杯生きなければならない。 
16年02月11日(木)  死闘(ひがなが練習指導)再開2日目。ひがながはA練(08:00〜10:30)。今日はA練後、小江原小学校で行われているミニバス南部リーグを観に行った。途中、ステージで一瞬居眠りをしてしまった。ミニバスの試合が退屈だったからではない。疲れていたのだ。 
16年02月10日(水)  尿酸値を下げるクスリが今日でおしまい(2週間分)になったので宮本外科に出かけた。今日は4週間分貰ってきた。このクスリがなくなって、次回受診する時に血液検査をする。その時尿酸値が下がっているように飲酒や食事に気をつけようとは思わない。元々暴飲暴食ではなく贅沢食でもないのだからこれまで通り普通に過ごすつもりだ。 
16年02月09日(火)  明日でひがながの学年末テストが終わる。だからテスト休みは今日までだ。大牟田ミニバスクリニックの筋肉痛がまだ少し残っているが、明日からまた死闘が始まる。指導を死闘と変換ミスしたのではない。私にとってひがながバスケの指導は死闘なのだ。今日は家を出ず、じっとしていて体力を温存した。 
16年02月08日(月)  今ひがなががテスト休み中なので先週はミニバスの練習やカップ戦やクリニックにずいぶん関わった。そこで感じたことは、乱暴や理不尽を押し通すチームの方がちゃんとしたバスケットをやるチームに勝つというケースが多いということである。それを勝利第一主義は教育的でないと批判し、それを防止するためにマンツーマンを推奨をするというのは本筋から離れていると私は思う。チャンピオンシップマッチを実施する限り選手は勝ちたいしコーチは勝たせたいと思って指導する。勝利を目指すのに邪道も正道もない。ただひとつの解決法は乱暴や理不尽で負かされるチームがそれに屈しない練習をすることだ。 
16年02月07日(日)  大牟田ミニバスクリニックは、スケジュールがビッシリだったからではなく、「どうやったらこどもたちに伝わり易いか」でアタマを使ったのでとっても疲れた。終わってから泊コーチと食事しながらいろいろ質問を受けたが、その食事にまた面食らった。「大牟田名物を是非」というので連れて行かれたところがお好み焼き屋。「これは本当にお好み焼きか?筵じゃないのか?」と思うぐらいデカかった。 以上JR車中にて更新20:50。追伸:なんだあ?カモメは大牟田鳥栖間の普通電車より遅いぞお.。以上特急カモメ197号車中にて更新21:47
16年02月06日(土)  朝8時半から10時までジュニアオールスターの練習に顔を出してスタッフを労った。そのあと10時半から2時まで、大浦小学校で行われたミニバス南部リーグを観に行った。そのあと家に帰って走った。今日は犬を連れずに単独で走った。身体の状態は昨日と変わらないが、明日の大牟田ミニバスクリニック(福岡県スポーツ振興センターの補助事業)では充分動けるだろう。明日は、朝5時半に家を出て諫早発6時20分のカモメ2号に乗り、8時過ぎに大牟田駅に着く。そのあと、9時から12時までと1時から4時までミニバスの選手50人の実技指導をやり、4時半から5時半まで指導者を対象にパワーポイントでスポーツ医科学の講義をする。そのあと8時31分大牟田駅発の普通電車に乗るまで指導者からの質問に対応し、カモメ197号(臨時便)で11時05分に諫早駅に着くというスケジュールで動く。ちょっと大変だ。 
16年02月05日(金)  月・水・木はミニバスのお手伝いで身体を動かしたが今日と明日は何もない。日曜日に大牟田でミニバスクリニックをやるので、その準備のために今日と明日は走ることにした。今日は合計3q走ったが、内訳は最初と最後の1qが自分だけのジョギング、途中の1qは園長のムスメ2匹を連れ出して走った。これが大誤算だった。大型犬2匹をコントロールしながら走るのは大変だ。おまけに、折り返し地点のかき道2丁目の公園ではAnge(茶色の方)と格闘してやらなければならない。家に帰ったあとパソコンをいじっていたらキーボードを打つ手がプルプル震えた。走ったあとの総評は、腰ヨシ!膝ヨシ!痛風ヨシ!肩ダメ!心臓ヤバイ.....,である。 
16年02月04日(木)  古賀ミニバスの練習日は月・水・木である。通常は、ひがながの練習が終わってから顔を出す。冬時間の今は6時から7時までの1時間お手伝いができる。来週月曜日まではひがなががテスト休みなので練習開始の4時半には顔を出せる。コーチの下釜氏は勤務が終わってから指導に来る。概ね6時頃である。だから4時半から6時までの練習メニューは指示をしてあり、選手たちはコーチが現れるまでそのメニューに従って自主的に練習している。私が顔を出す日は下釜メニューに従わなくてよいから山崎先生の指導を受けろとも言ってあるそうだ。今週月・水・木の3日間面倒を見て痛切に感じたのは「ミニバスこそつきっきりで指導してやらなければならない」である。ミニバスは下釜氏のように、自分の仕事を持ちながら外部コーチとして奮闘している人が多い。当然のことながら、練習開始から終了までつきっきりで指導することはできないし、聞くところによれば平日は勤務の都合で指導はできず、土日しか見てやることができないという外部コーチもいるらしい。そんな実態では、選手に我流のテクニックやバスケット観が身に付いてしまうのもやむを得ない。だが、コーチライセンス講習会の参加者は圧倒的にミニバスの指導者が多い。ミニバスのコーチたちはみんな、時間を工面して「この子たちをなんとかうまくしてやりたい」と思っているのだ。実業団や大学や高校のコーチたちは、時間があればではなく、時間を無理矢理作ってでもミニバスの練習見学に出かけるべきだと思う。そうすると、こどもたちをミニバスの道に引き入れてくれたことに感謝の念が生まれ、ミニバスの指導の大変さが分かるから。 
16年02月03日(水)  右足親指の痛風症状は少し治まった。尿酸値を下げるクスリは飲みはじめに、かえって痛風発作を起こしてしまうことがあるらしいが、この現象は痛風が良くなる過程なのである程度仕方がないようだ。 
16年02月02日(火)  ひがながバスケも古賀ミニバスも今日はオフ。一歩も家から出ず、引きこもっていたがチーム立て直しの妙案は浮かばない。やり方が浮かばないのではなく、それに当てはめるヒトが浮かばないのである。バスケットは5人でやる競技だが5人全員がしっかりしていなくても良い。そこそこの選手が3人居ればなんとかなる。しかし、3人目の顔が入れ替わり立ち替わりで定まらないのである。
追伸:今朝起きた時、右足親指にまた痛風症状が出た。7日の大牟田ミニバスクリニックまで引きずるなよ。 
16年02月01日(月)  朝7時半に3月分の飯盛体育館の予約に行った。3番目だった。9回分申し込んだが全てOKだった。ひがながは明日から9日までテスト休みだが、今日からテスト休みにした。県新人戦で負け、九州大会出場もなくなったのにポコッと1日だけ練習しても効果も無いし士気も上がらない。その間じっくり立て直し案を考える。
備考:Games & Scheduleに次年度の山崎スケジュールを、昨年の学校行事や協会行事予定やカップ戦等をもとにしてUPした。理由は、来年度のクリニック実施等、私のスケジュールを見て申し込む人がボチボチ出てきたからである。なお、ひがながバスケ指導はボランティアなので、ひがながのカップ戦とダブっているのでクリニックは引き受けられないということはない。公式戦とクリニックがダブれば話は別だが…。 
16年01月31日(日)  県新人戦最終日を観に行った。女子の4チーム(動画手前右桜馬場左日宇、ステージ側右広田左純心)は私が「たぶん」と思っていた4チームとなった。日宇の決勝進出を私はチームディフェンスが機能したからだと思っている。以前の日宇は相手を潰しに行ってやり過ぎ、自殺するケースが多かったが、今回はやられないディフェンスをまずしっかりやり、チャンスがあれば潰しに行くディフェンスになっていた。広田の優勝要因を一言で表せば個々の破壊力だと私は思う。チームのスタイルはそれぞれで違うが、このチームにはこれがあるから強い、というものを持っているところが勝つ。
16年01月30日(土)  県新人戦2日目結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月29日(金)  金正恩がとんでもなく馬鹿なことをやろうとしている。そういう私も、規模は桁違いだが45年前は金正恩に似たり寄ったりの独裁者だった。私は30歳の時にサチコが重症貧血になったことで自分を見つめ直して今日に至っているが、金正恩にも自分の愚かさに気付くきっかけが何か必要だ。ゴルゴ13にでも依頼するか…。 
16年01月28日(木)  大寒波の影響で今日身近に感じたのは水道管破裂だ。飯盛体育館での練習を終えて帰ろうとすると隣接している月の丘温泉にクルマがひっきりなしに出入りしている。聞けば、水道管破裂で水が出ない家庭のために諫早市が月の丘温泉を無料開放しているので、あちこちから風呂に入りに来ているのだそうだ。諫早市の粋な計らいに、練習で怒りまくった私の心もほっこりした。
16年01月27日(水)  尿酸値を下げるクスリを貰いに諫早の宮本外科まで出かけた。国道34号線は大渋滞だった。私は午前の診察終了時(12時)までにはラクラク間に合う時間(10時半)にスクーターで家を出たが、病院に着いたのが11時40分だった。通常は渋滞であっても路側帯をすり抜けて進めるが、今日は路側帯に固まった雪があってそこは進めなかった。しばらくは大寒波の影響が続きそうだ。 
16年01月26日(火)  一般道のチェーン規制はあるものの、道路状況はほぼ回復した。が、私が動き回る範囲は他とは違う。まず私の家が少し高台にあるのでそこからスクーターで脱出するのが大変。家を出てまず最初にやる仕事が高城台小学校の児童の学童クラブ送迎。高城台は私の家よりもっと高いところにある。次の仕事はひがながバスケの飯盛体育館での練習。飯盛まで行く時の難所は坂の上のトンネル1箇所だけだがその帰りが大変だ。選手をそれぞれ家の近くとか塾まで送り届けるのだが、東長崎地区は造園業を営んでいる人が多くて人もクルマもあまり通らない道を運転しなければならない箇所がある。さらに、送り届ける先が高城台・彩ヶ丘・鶴の尾・つつじヶ丘と、私の家より高いところがある。でも、結局チェーンが必要な箇所は全くなかった。 
16年01月25日(月)  夕方5時。玄関前の雪は溶けたが周辺の道路はまだ溶けていない。私の家は少し高台にあるので雪が降れば平地より溶けるのが遅いのだ。おそらく学校周辺は雪がもっと溶けていて、学校に置いてあるチェーンを巻いたマイクロバスは動かせるだろうが、私の家から学校までスクーターで出かけるのが命がけなのだ。いつ死んでもいい歳になったがスクーターで転んで死ぬのではなく、ちゃんとした死に方をしたい。明日生徒達は10時まで自宅待機でその後登校し、3時限目から通常通りの授業になるらしい。
16年01月24日(日)  朝8時。玄関前の通りも裏庭も真っ白。ダメだこりゃ。
9時半。転倒や転落事故により、大学病院の外傷センターはコードブルーで千客万来だ。
3時半。高城台小学校も東長崎中学校も明日は休校という連絡が回って来た。家の周りの雪は午前中より深
     くなった。身動きできない。 
16年01月23日(土)  県新人戦初日結果UP Games & Schedule 参照。
大荒れの天候の中県新人戦初日が実施された。今日は1試合だけ。長居は無用と、サッサと会場を引き上げたがバイパスに入ったとたん横なぐり(マネージャーに撮らせた)の風と雪。明日は予定通り実施するか延期するか、事務局から明日朝連絡が入ることになっているらしい。私は選手たちを家まで送り届けた後、学校のピロティにバスを持ち込み、明日に備えてチェーンを巻いた。さあどっからでもかかってこい。
追伸:夕方7時に、明日の試合は延期して30日と31日に残りのカードを実施するという連絡が入った。
16年01月22日(金)  宮本外科から昨日の血液検査の報告があった。尿酸値8.1だった。ロキソニンは鎮痛解熱剤であって尿酸値を下げるクスリではないので、痛風の症状が治まったら尿酸値を下げるクスリを貰いに行くことにした。イホの熱は昨日早退した時は37.3℃で今日は37.1℃だが今日は休んだ。明日の試合はぶっつけ本番だ。 
16年01月21日(木)  朝5時頃目が醒めてトイレに立った。足が痛い。見ると左右の足の第2〜3MP関節あたりが赤く腫れている。痛風症状だ。前回発症時の血液検査では2014年11月17日の尿酸値が8.6で同年12月25日の尿酸値は7.5だった。1年以上前のことである。この時は何の処置もしなかった。今回の発症は鹿児島クリニック最終日の1月11日だったが1昨年同様何の処置もせず放置していた。が、今日は両足に発症したので病院に行った。ロキソニンを貰って帰ってきた。血液検査の結果は後日知らせてくれるだろう。俺は大酒飲みでも美食家でもない。神様に言いたい。世の中にはもっと悪いやつがたくさん居るのになぜ俺に的を絞ったんだよ。県新人戦参加案内UP Games & Schedule 参照。 
16年01月20日(水)  このところ練習指導に出かける前までベッドで寝ている。風邪症状が治らないのと、鶴鳴正月合宿からずっと、練習指導やベンチ采配に注ぎ込むエネルギーが半端じゃないのでそうしないと身体が保たないのだ。 
16年01月19日(火)  昨日からイホとカズハを、県新人戦に備えてチーム練習に参加させている。また少し痛みが増すだろうがそれは折り込み済みだ。県新人戦が終わればまた休養させる。
16年01月18日(月)  2014(平成25)年の鶴鳴正月合宿の途中から股関節痛で審判ができなくなった。Dr宮本に診て貰ったら股関節痛ではなくて腰痛だった。当時はステッキを使わなければ歩けなかったがトラムセット服用でだんだん痛みは和らいできた。トラムセットは開業医では処方してくれないので大学病院でDr宮本に診察を受けてから貰う。1日2錠服用(半減期5〜7時間)する。1回の処方で2週間分貰う。2015年度はトラムセットが無くても日常生活ができるようになったので大学病院に出かける間隔が空くようになった。最近では8月に貰ったが、それがなくなったので今日大学病院に出かけた。4ヶ月以上服用しなかったが、今年の鶴鳴正月合宿と鹿児島クリニックで連続して身体を酷使したので、8月に貰った分を服用し、先週の途中で無くなった。痛みがぶり返したワケではないし、トラムセットがなくても大丈夫だがお守り代わりに持っておくのだ。
追伸:県高校新人戦準決勝決勝が行われたのを忘れていて観に行かなかった。結果だけは9時過ぎにUP
16年01月17日(日)  朝から風邪気味で終日不快。
松浦杯最終日結果UP Games & Schedule 参照(県高校新人戦2日目結果含む)。  
16年01月16日(土)  松浦杯初日結果UP Games & Schedule 参照(県高校新人戦初日結果含む)。 
16年01月15日(金)  「昨日、1週間ぶりにみんなの顔を見たがワクワク感ゼロだったぞ。普通、1週間も顔を見なかったあとの再会はワクワクするもんだ!」。今日の練習指導中私が選手たちに吐き捨てたセリフである。 
16年01月14日(木)  下腿及び足の親指周辺にはまだ少し浮腫が残っているが脱水症状は原状回復と判定。痛風症状の痛みは前回発症した時は何の治療もせず2日で消失した。今回は発症から4日経っているが、練習指導の際動き続けている時は平気だが、止まっていて急に動き出そうとした瞬間にちょっとだけ痛みを感じる。日常の動作には支障ない。備考:松浦杯参加案内UP Games & Schedule 参照。 
16年01月13日(水)  鹿児島での飲酒後遺症の脱水症状を緩和しようと思って昨日は頻繁に水分補給をした。すると昨夜は2時間おきにトイレに行ってよく眠れなかった。朝食後またベッドに潜り込み昼までずっと寝ていたら原状回復した。
16年01月12日(火)  鹿児島クリニックではなんともなかったが、夜中から今朝方にかけて足がピクピク攣った。Dr宮本に痛風症状のことと夜中に足が攣ったことを電話で相談したらすぐ「先生お酒たくさん飲みましたか?」と聞かれた。「飲んではいないけど飲まされた」と言うと「たぶん脱水症状だと思いますよ」と言われた。痛風の犯人は進藤先生と中間瀬先生だと判明した。ところで今日は、正月合宿後イホとカズハに会っていないし、明後日まで試験休みで会わないので下校前に両人の足の診察をした。イホの膝の痛み(オスグッド)は軽減していたが、カズハの足の痛み(第1中足骨と第2中足骨の疲労骨折)は正月合宿時と大差なかった。再来週の県新人戦には少々痛みを抱えたままの出場になるが、その前後は当分の間様子を見ながらの身体作りが中心になるだろう。
16年01月11日(月)  鹿児島クリニック2日目。朝起きたら右足の親指に痛風症状発症。示範が出来るかどうか心配だったが痛みはあるもののビッコも引かず、周囲に気付かれずにどうにか務めた。選手たちの出来は昨日の方がはるかに良かった。今日パフォーマンスが落ちたのは疲れ(特にアタマの)によるもので、鹿児島ジュニアオールスターチームが素晴らしいチームであることに変わりは無い。3月下旬の全国大会では強敵香川・茨城と当たるそうだが、きっと観る者をワクワクさせる試合をしてくれるに違いない。 
16年01月10日(日)  鹿児島ジュニアオールスター男子のクリニック初日。午前3時間午後3時間やったが、午後は「これが午前と同じチームなのか?」と思うほど変わった。何が変わったのかというと、練習開始時はバタバタ動き回るだけの慌ただしいチームだったのが、午後は「やる」「捨てる」「待つ」をちゃんとやれるチームになったのである。もちろんそれは私が指示したことではあるが、いくら私が指示しても選手の聞く態度が出来ていなければ私の意図するものは作品にはならない。今日の選手たちの「指導された事を少しでも多く早く取り込みたい」という思いは、並みの中学生ではなかった。こんなクリニックなら何回やってもやりがいがある。
西海杯最終日結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月09日(土)  鹿児島クリニック。今日は移動のみ。
西海杯初日結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月08日(金)  朝、具が入っていない味噌汁を啜っただけで昼までベッドの中に居た。食欲が無いし、鉛状態の身体が元に戻っていないのだ。午後、学童の送迎をしたらすぐまた家に帰ってじっとしていた。明後日からの鹿児島クリニックまでには身体を元に戻さなければ…。 
16年01月07日(木)  ひがながはA練(8時〜10時半)。正月合宿で奮闘したイホ・ナツメ・カズハ・モモカ・ユウカ・アヤメの6人はオフ。私はつばさ保育園のサトウキビ絞り(雲仙市の農家に毎年お世話になっている)のお手伝いで練習には顔を出せず、中島監督に任せっ放しだった。それにしても今日は身体が鉛のように重い。合宿後遺症だろう。
西海杯参加案内UP Games & Schedule 参照。 
16年01月06日(水)  正月鶴鳴合宿最終日結果UP Games & Schedule 参照。
長い長い合宿(通い)が終わった。1本が8分-2分-8分のハーフゲームだが、それを5日間で22本(私は審判を15本やった)。フルゲームに換算すると11試合したことになる。相手は高校生。主力選手でガンガンやってくれたチームもあるし、Bチームでやってくれたところもある。当然ほとんど負けるが(4勝18敗)、負け方が問題だ。高校生の合宿に割り込ませて貰っているのだから「中学生は邪魔だ」と言われる様な試合をしてはならない。そのことだけを思いながら毎日戦った。4日目が危なかった。戦力として使える選手が5人しか居ない上に高校生相手なので疲れてフラフラなのだ。加えてイホのオスグッドシュラッテルの痛みが増強したし、カズハが「足の甲が痛い」と言い出した。第1中足骨の疲労骨折のようだ。でも勝手に割り込んでおいて途中キャンセルするなどとんでもないので2人を休ませながら戦ったが、天はひがながを見捨てなかった。全く戦力としては計算していなかったアヤメを背に腹は替えられずに使ってみたら戦力になるし、ジョーンズ骨折の治療とリハビリで長い間休ませていたアサを、最終日に恐る恐る使ってみたら大丈夫なのだ。明日からイホとカズハを当分の間休養させて県新人戦に臨もうと思う。合宿参加各高校の監督様本当にお世話になりました。
16年01月05日(火)  正月鶴鳴合宿4日目結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月04日(月)  正月鶴鳴合宿3日目結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月03日(日)  正月鶴鳴合宿2日目結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月02日(土)  正月鶴鳴合宿1日目結果UP Games & Schedule 参照。 
16年01月01日(金)  あけまして おめでとう ございます 今日も走りました。 
15年12月31日(木)  鶴鳴正月合宿の人数や対戦カードに変更が生じたのでその修正に昼前までかかった。滞在日数に見合う試合数にすることと、対戦カードに偏りがないようにすることを観点にして作業したが、あちら立てればこちらが立たずでなかなか難しかった。その後、正月明けの西海杯・松浦杯・県新人戦の組合せUPやそれぞれの案内報告文書作成の準備作業で3時過ぎまでパソコンとにらめっこしていた。そのあとは、正月合宿の審判準備のために家の周りを3q走った。腸脛靱帯炎が痛くて1qぐらいまではビッコ引きながら走った。ウゥゥ.... 
15年12月30日(水)  なーんにもすることがなく、ゴロゴロしていたら日が暮れた。 
15年12月29日(火)  大半の会社や官庁は昨日が仕事納めで今日から正月休みに入った。が、私のアタマにオフはない。練習内容や戦術のことではなく、個人の資質を如何にして向上させるか、これが私のアタマの中の大半を占領しているのだ。加えて、12月7日から始めた練習は、動きも判断も「素早く!」を強調した内容で、それを毎日実演して見せなければならないから夜中に足が攣る症状は改善されない。さらに、回復が長引いている腸脛靱帯炎も悪化し、動き出す瞬間に「痛っ!」となることがしばしばある。4日間の練習オフでは改善されないだろう。
正月鶴鳴合宿参加案内UP Games & Schedule 参照。 
15年12月28日(月)  ひがながの練習はA練(8時〜10時半)。今日は練習納めで、いつもなら体育館の大掃除をして帰るのだが、バスケ女子の練習が終わっても夕方6時までは他の部が練習するので、それを待ってから大掃除をするのでは遅すぎる。だから他の部の練習の邪魔にならないフロア以外の部分だけを掃除して帰した。練習再開は1月2日9時。元気で戻ってこい! 
15年12月27日(日)  ひがながの練習はB練(10時半〜1時)だった。終わって学校を出たらバスケットの臭いがする。クンクン嗅ぎながらスクーターで走ると長崎東高校にたどり着いた。県内だけでなく県外からも数チーム集まって強化練習会をやっていた。鶴鳴時代は自分のチーム作りに夢中でまったく気付かなかったが、ミニも中学も高校もみな頑張っているんだ。これからも、バスケットの臭いを嗅ぎつけたらどこにでも出かけて行こうと思う。
15年12月26日(土)  午前中古賀ミニバスに顔を出して、午後からひがながバスケに顔を出した。古賀ミニは今日が今年の練習納め。だから練習を1時間で切り上げて体育館の大掃除をした。いつもはモップがけだが今日は雑巾がけ。ラインテープがボロボロになった箇所を剥がして新しいテープを貼る作業がなかなか大変だった用具置き場も整理整頓して平成27年が終わった。練習再開は1月4日。みんな一皮剥けた顔を見せろよ。 
15年12月25日(金)  つばさ保育園に用事で行ったら思いがけず、つき組の風流(フール)君から「いつもお世話になります」と言ってクリスマスケーキを貰った。こんな顔、コートでは絶対見せないと、我ながら思った。
15年12月24日(木)  昨夜録画しておいたダラスマーベリックス対トロントラプターズの試合を観ながら、今やっている(7日以来ずっと)練習の質を上げるために有効な技術が突然閃いた。それを今日の練習で試したが、場面理解(脳)と身体の扱い(神経回路)がなかなか「ヨ。シ!」まで到達せず、それに1時間費やした。フゥゥ......。 
15年12月23日(祭)  今日は午後からジュニアオールスター長崎県代表12名の初練習だったが、私はミニバスのハイパーチャレンジカップにゲスト出演を要請されていたのでそっちに顔を出した。チャレンジカップは母体チームをバラし、上級生主体・中級性主体・下級生主体の3階層に分けたチームを作って試合をするのだ。昼休みも母体チーム単位ではなく、みんなで食事をする。午後の試合で私はC組下級生チームのベンチを任された。試合後は優秀選手表彰式サンタさんからのプレゼント等があり、賑わった。後片付けはパパママたちが自主的に動いてアッという間に済んだ。感想:ミニの指導者たちの結束力はすごい。 
15年12月22日(火)  古賀ミニバスにチョコチョコ顔を出すようになってから私の心の中の葛藤がどんどん膨らんでいく。部活動は楽しいが基本である。しかし、強くなりたいとか勝ちたいという欲求も満たしてやらなければならない。それには辛いことや苦しいことを乗り越えさせなければならない。小学校→中学校→高校と、楽しい辛い苦しいの割合は違ってくるが、どの階層にしろ辛いと苦しいだけではダメだ。その配分が難しい。ウゥゥゥ..........
15年12月21日(月)  昨日の古賀ミニバスは7人お休み。練習に参加したのは11人だったので私が入って3人組のグループを4つ作り、練習とスクリメージをした。スクリメージも5対5ではなく、3対3にしたので余りが1人も居ない。私は2時間半フルに動きっぱなしだった。だから、昨夜風呂に入る頃から内側広筋・ハムストリングス・前脛骨筋・腓骨筋がプルプルし始めてそれが今日も続き、立ったり座ったりする際ピクッと攣る。ひがながの指導中にもそれは起きた。昨夜寝る前に「夜中に攣ったらイヤだなあ」と思っていたが、明け方までそれは起きなかった。フー
15年12月20日(日)  ひがながバスケはオフ。古賀ミニバスは午前中練習だが古場コーチも下釜コーチも日曜出勤で指導不可。なので私が助っ人コーチを務めた。最後の1時間はゲームをしたが、今日はとっても寒かったので得点係やタイマー係で試合待ちのこどもたちには部長のモモハママにホットドリンクを提供して貰った。
15年12月19日(土)  長崎市新人戦最終日結果報告UP Games & Schedule 参照。
学校を出発して間もなくバスのエンジンが止まった。急遽保護者に連絡してクルマ出しをして貰って試合には間に合った。バスの方は矢上のオート長崎(いつも車検でお世話になる)にすぐ連絡して整備士に来て貰ったがどうやら燃料ポンプの不具合らしい。これがもし噴射ポンプだったら修理に40万円ぐらいかかる。燃料ポンプならば10分の1以下で済む。月曜日に部品が入るので、修理後火曜日に試走して貰ってから納車となる手はずだ。私のバスは、ひがながバスケ、学童つめくさ、つばさ保育園の送迎に八面六臂の活躍をしているので修理や車検でバスが止まると大変だ。 
15年12月18日(金)  未央パパからルアックコーヒーを貰った。インドネシア出張のお土産だ。インドネシアのコーヒー園ではアラビカ種のコーヒーの木が栽培されており、その果実はジャコウネコによく食べられる。そのタネは未消化のままジャコウネコのウンチとして排泄される。それを拾い集めて焙煎して作ったのがルアックコーヒーだ。ジャコウネコは熟れた果実しか食べないので、ウンチの中の豆はコーヒー豆としては最適のタイミングで摘み取られた豆ということになる。値段も高い。東京の喫茶店では1杯8000円するところもある。 
15年12月17日(木)  今日は長崎女子短大附属幼稚園のサンタ役。2008年12月18日から毎年やっていて今年で8年連続だ。司会の岩永先生が園児たちの前で「サンタさんはどこから来たんですか?」と質問したので「カナダから来ました」と答えたら園児のひとりが「去年もカナダからだったあ」と言った。私は「ノルウェーやフィンランドやアラスカにも住んだことあるけど、カナダが一番住みやすいのでカナダに永住することにした」と言った。 
15年12月16日(水)  新しいメガネが出来上がった。フレーム(made in Italy)36000円レンズ54000円。3割引きで計63000円。フレームは陳列してあるのと実際にかけるのではずいぶん感じが違う。ちょっと成金趣味だったかなあ…。 
15年12月15日(火)  白内障手術後1ヶ月目の診察に行った。もう、視力は安定しているので度数調整メガネではなく新しいメガネを作ってよいということで、Dr佐藤にメガネ屋さんへ持っていく処方箋を書いて貰った。右目が-3.75ジオプトリー左目は-4.0ジオプトリーだった。これで視力検査をすると1.2までくっきり見える。今年の夏、視力が低下したので新しいコンタクトレンズを作りに行ったが、その時の度数は右目が-9.0ジオプトリーで左目が-8.5ジオプトリーだった。コンタクトレンズだから外見上は分からないが、これがメガネの度数だったら牛乳瓶の底みたいなメガネだったと思う。それでも0.8ぐらいまでしか見えなかった。 
15年12月14日(月)  昨夜は11時に就寝したがなかなか寝付けない。時計を見たら1時40分だった。レンドルミンを半錠飲んだ。それでも寝付けない。寝付けないまま次に時計を見たのは4時半だった。ボールが手に付かずにオタオタする選手が次から次に登場して頭の中を駆け巡って寝付けないのだ。この問題はハンドリングやストロングキャッチやピヴォットの練習をいくら積み重ねても解決しない。「密集地帯だ!」「抜け出した!」「まだ危ない!」「もう大丈夫!」 が頭の中で閃かないからこうなるのだ。12月7日から取り入れている練習の質を高めて1日でも早く定着させなければならない。ウーン…人選も含めて。
15年12月13日(日)  長崎市新人戦2日目結果報告UP Games & Schedule 参照。
素人で入部した1年生の植園奈々はこれまでエントリーメンバーにすら入ったことがない。それを今日の試合で使った。プレイは幼稚だが元気一杯動き回るのでスタメンにカツが入るのだ。さあ、次は誰だ?試合に出たければ自己アピールしろ。目が光っていて元気のあるヤツは誰でも使うぞ。 
15年12月12日(土)  長崎市新人戦初日結果報告UP Games & Schedule 参照。 
15年12月11日(金)  私の名刺に今月から肩書きが1つ加わった。 
15年12月10日(木)  モルテンカップ後、チームを3つの階層に分けて練習していることは先に述べた。どんな内容かは企業秘密なので言えないが、ポイントは「今!」を判断できることである。「今!」を判断するためには「だろう」を推測できるようにならなければならない。それが今日で4日目になるが新しい発見があった。それは、試合に出せるようになるとは思いもしなかったA子が、試合に出すどころか戦力として計算できるようになるかもしれないプレイをしばしば見せたことである。化けたら助かる。
15年12月09日(水)  長崎市新人戦参加案内UP Games & Schedule 参照。
今朝は5時に目が覚めたがまた寝た。起きたのは8時17分だった。とくダネを見ながら朝食を摂ったが、食べてる最中も頻繁に選手の顔が登場する。最近はマンガ本を読むペースも遅い。読んでいる途中に選手の顔が登場するので集中して読めないのだ。
15年12月08日(火)  試合や練習が終わった後の私は、しばらくの間とっても不機嫌だ。誰とも目を合わせたくないし誰とも喋りたくない。家に帰ってテレビのおもしろい番組を見ていても笑わない。笑おうとしないのではなく笑わないのだ。そんな生活がもう4ヶ月続いている。 
15年12月07日(月)  今朝は3時50分に目が覚めた。起きるには早いので一眠りしようとしたが寝付けない。5時過ぎに起き出してパソコンに向かった。チーム名簿を印刷し、それを睨みながら練習メニューを考えた。27人の選手たちに同じ事をさせても意味がないし、主力選手だけにコートを独占させるのは部活動の趣旨に反する。そこでチームを3つの階層に分けた。現在のチームの主力となるべき階層、来年のチーム(素人軍団で大変だが)の主力としなければならない階層、バスケットボールをおおいに楽しんで貰う階層、この3つである。3つの階層にまったく違う練習をさせる場合もあるが、コート事情や時間制約上3者とも似たような練習をさせなければならない場合がある。その場合は要求する内容を変えれば良い。たぶん、1月中旬までこのやり方で行くのだろうが、成果次第では期間が延びたり、このやり方をさっさと切り上げて別のやり方にするかもしれない。 
15年12月06日(日)  モルテンカップ最終日結果報告UP Games & Schedule 参照。
打開策が浮かばないことはないのですが、ヒトを扱う仕事ですから「昨年はこれぐらいの期間で目処が付いたから」とか「鶴鳴時代はこうだったから」とか「ミニバスでさえこうなのだから」という経験値を当てはめて今の選手たちを計ることができないのが苦しいところです。コーチ歴50年の中で今が1番苦しいのかもしれません。
15年12月05日(土)  モルテンカップ初日結果報告UP Games & Schedule 参照。 
15年12月04日(金)  つばさ保育園最終リハーサル。@ A B 子供達の緊張感よりも先生達の緊張感がビンビン伝わってくる。
15年12月03日(木)  つばさ保育園2回目のリハーサル。つき組さん・ほし組さんに加えて今日はにじ組さんも参加したので3往復のピストン輸送。走行距離98qだった。フーッ。 
15年12月02日(水)  明け方5時頃夢うつつの中でナツメが登場した。動き出しの遅さに私がイラついている。まだ夢の中なのかもう覚醒していたのか分からないが、あれこれやっている内にナツメの動き出しを速くするメニューを思いついた。それを今日の練習で試した。これが試合の中で自然に登場するようになればイホが少し楽になるだろう。
モルテンカップ試合案内UP Games & Schedule 参照。
15年12月01日(火)  スタメンの5人は昨日オフだったが、イホだけは今日練習に顔を出してもプレイはさせないつもりだった。理由は、とどろきカップでの彼女の体力消耗度は他の4人分を合わせたのと同じくらいだったからだ。が、彼女は今日学校を休んだ。とどろきカップの試合中鼻声だったので風邪なのだろう。結局イホは2日間のオフになったが、病気で休んでオフと元気なのにオフを貰えるのとでは天と地ほどの差がある。元気なのにオフ日を貰えるのはリフレッシュに繋がるが、病気で休むのはリフレッシュには繋がらない。12月は、他の4人の意識改革を促し、イホの負担を軽くしてやる月にしなければならない。 
15年11月30日(月)  イホ・ナツメ・カズハ・モモカ・ユウカのスタメン5人はオフ。カップ戦や遠征になると、スタメンの5人とその他の選手では体力の消耗度に格段の差が生じる。むしろ、試合にまったく出ない選手たちはベンチに座ったままの2日間なので、残留組の1年生よりも運動量が極端に少なくなる。合宿や遠征明けにはその調整をしなければならないのだ。今日の練習参加者は大半が「バスケットボールをやってます」にはほど遠い選手たちだがそれでも怒鳴り付けるし檄を飛ばす。部活動は主力選手たちだけの活動の場ではないからだ。 
15年11月29日(日)  とどろきカップ最終日結果報告UP Games & Schedule 参照。  
15年11月28日(土)  とどろきカップ初日結果報告UP Games & Schedule 参照。 
15年11月27日(金)  先週土曜日のTV佐世保杯で審判をした時にハムストリングを傷めた。明日と明後日はとどろきカップに参加し、また審判をするが1週間の静養で傷めたハムストリングが回復しているかどうか確かめるために3q走った。結果は、心肺機能ハムストリング共に大丈夫! 
15年11月26日(木)  12月5日に飯盛コミュニティ会館でつばさ保育園の発表会がある。今日はその第1回リハーサルだ。つき組さんとほし組さんをバスで3往復ピストン輸送した。私の目は、ステージ上の園児よりもそれを動かしている職員の動きを追ってしまう。 
15年11月25日(水)  主力選手でさえ「門前の小僧…」ではないので3q走を中止してオンコートでの練習時間に回すことにしたが[
「主力選手以外は空いた場所で基本練習をしておけ」という扱いはしない。素人から始めた部員も主力選手と同じようにリングとコートを使わせる。素人部員は主力選手の2倍なので、それを平等に扱えば主力選手の練習時間は全練習時間の3分の1になる。それでもこの考え方は変えない。強いチームになることを目指すが、それよりも大切なことは全員が「部活動でバスケットボールをさせて貰った」という経験をすることだからだ。
とどろきカップ参加案内UP Games & Schedule 参照。 
15年11月24日(火)  長崎市新人戦(12月12・13・19)終了まで3q走を中止してオンコートでの練習時間を確保することにした。理由は、場面理解力をもっともっと付けさせなければならないと痛感したからである。ずっと前、素人から始めた1年生のことについて「門前の小僧習わぬ経を読む」と評した。2年生は3年生と一緒に練習してきたのでそれこそ「門前の小僧…」で、ひとつのプレイを覚えさせるのに3年生にかけた時間よりも少なくて済むと思っていたがとんでもない思い違いだった。今日からギアチェンジだ。
15年11月23日(祭)  TV佐世保杯最終日結果UP Games & Schedule 参照。ハムストリングがまだ危なさそうだったので今日の審判はパスした。 
15年11月22日(日)  ひがながの練習は8時から10時半まで。そのあと佐世保にすっ飛んでレノヴァの試合を観に行った。それが終わると長崎に取って返してカブトガニで行われている全国医師バスケットボール大会(毎年各県持ち回りで行われている医師だけのバスケットボール大会)を観に行った。1500人の医師が全国から長崎に集まった。誰もが「各県の病人や怪我人はどうなるの?」と心配する。今回長崎に集まったのはバスケットボールをするお医者さんだけで、バスケットボールをしないお医者さんはその何倍も居るのだ。心配ない。 
15年11月21日(土)  TV佐世保杯初日結果UP Games & Schedule 参照。
中島監督が2試合審判することになっていた分の1つを私が受け持った。3ピリの途中から両足のハムストリングに痛みを感じ始めた。単なる筋肉痛ではない。かといってビキーッと痛みが走ったワケではないが、たぶん軽い肉離れだと自己診断した。そのあとはモモを高く挙げて走るのをやめてすり足で走って終了まで持ち堪えた。たぶん、他人からは足を傷めたらしいと推測されるような審判ぶりではなかったと思う。現役・コーチ・審判と、バスケットに携わって55年経つが一度もこんなことはなかったのに…、俺も古くなったなあ。ハ〜 
15年11月20日(金)  つばさ保育園と橘小学校の交流学習のお手伝いをした。交流学習は体育館で行われたが、体育館の横のグランドでは体育の授業が行われていた。私はそっちを見ていた。近々長距離走大会があるので体育の授業は全学年その練習だそうだ。私が見たのは1年生の授業だった。イヤイヤ顔で走ったり手抜きをしているこどもはいない。しかし、小学生の時はこんなにひたむきで純粋なこどこたちが中学生や高校生になると、手抜きしたり仮病で逃れたりするようになるのだ。そうなるのは我々おとなたちの責任なのだが…。
15年11月19日(木)  12日(木)の左目の手術で両眼の白内障手術は完了したが、術後は毎週1回経過観察のため通院しなければならない。経過観察でもっとも重要な項目は角膜内皮細胞の状態である。角膜というのは黒目の部分で(白目は強膜という)、ここは透明である。だから光を網膜まで通す。そこで重要な役割を果たしているのが内皮細胞である。内皮細胞(顕微鏡で見ると亀の甲羅のように敷き詰められている)は死滅しても再生しない。死滅を早める原因はいろいろあるが、長年のコンタクトレンズ使用による酸欠がそのひとつである。目の手術で眼球に傷を付けた場合にも死滅する。内皮細胞が死滅して少なくなれば光の通りが悪くなるので物が見えにくくなる。今日の経過観察で、顕微鏡により内皮細胞の状態を調べたが異常なしだった。ひとまず安心。
15年11月18日(水)  昨日の練習前、A子が「膝が痛いので診て貰えませんか」と申し出てきた。診ると、軽度ではあるが鵞足炎である。「しばらく痛い動作はするな」と指示した。今日の練習には最初から参加していた。「お前何してる?」と聞くと「今日から練習に参加します」と言う。「バカヤロー!鵞足炎が1日休んだだけで治るかあ!」と怒鳴り付けて練習から除外した。ひがながの選手たちは、ケガの予防や治療やリハビリについては他のチームより圧倒的に多く、私から話しを聞いている。それでもこうなのだ。A子が特別無知なのではない。このブログを目にするコーチたちは、ほとんどの選手たちの実態がこうなのだということをよく知った上で指導して欲しい。 
15年11月17日(火)  古いETCカードは有効期限が来月までだった。有効期限が2021年12月までの新しいカードが送られてきたので、古い方を処分しようと思ってはさみで切った。切ってしまってからヒョイと見ると新しい方を切ってしまっていた。すぐSaisonに電話して再発行の手続きをしたが、実は私には前科がある。まだ長崎女子短大在職中に健康保険証の切り替え時期が来て、新しいのが市役所から送られてきたがこの時も古い方ではなく新しい方を切り刻んで棄てた。バカあ!
15年11月16日(月)  今週末のTV佐世保杯参加案内をUPした。Games & Schedule 参照。その1週間後とどろきカップ(諫早市高木町とどろき体育館)、その1週間後モルテンカップ(唐津市相知町)、その1週間後が長崎市新人戦である。毎週のカップ戦は多過ぎだが、招待されたのにこちらの都合だけで選り好みするわけにはいかない。
15年11月15日(日)  私はアシックスの審判靴をもう10年以上履いている。それは破棄することにしてダンロップの黒靴を買いに行った。これからはこれを審判とバスケ指導に使おうと思う。バスケ指導にはもうひとつ茶色の靴を持っている。これもダンロップである。いろんなスポーツシューズがあるが私のような甲高幅広の足にはダンロップがぴったりなのである。さあ、公認審判狙うぞ。 
15年11月14日(土)  今日で左目の眼帯が外れた。私を長年苦しめ続けてきた黒目の奥の水晶体は両眼とも超音波で粉砕して吸い出し、替わりにシリコン製の眼内レンズを挿入してある。両眼の眼帯を外して初めての練習指導だったが、メガネやコンタクトレンズなしでもよく見える。が、遠近調節メガネを装着したらクッキリ過ぎるぐらい見える。こんなによく見えるんだったらもう一度日本公認審判を取ろうかなあ。
15年11月13日(金)  5日に始まったテスト前休み(8日間)が昨日で終わり、今日から練習再開。場所は飯盛体育館。コートサイドとコート内の対角線ジョギングから練習を始めた。途中、対角線の半分までダッシュ4回をしばしば織り込んだ。途中からダッシュはおろかジョギングにすらついて来られない選手が出てくる。それを30分続けたところで選手を集めて質問をした。「ここまでの練習についての感想は?」。A子の答えは「テスト休み明けなので身体を動かすことから始めたのだと思います」。B子の答えは「わかりません」。C子の答えは「選手たちはテスト休みの間身体を動かしてなんかいないと思われているんだと思いました」。C子の感想が正解である。B子の答えの「わかりません」に至っては話にならない。A子の答えは当事者意識のないピンボケ感想である。C子の感想を聞いた後「そうだよ、もしこの中の全員がテスト休み期間中に身体を動かして練習再開に備えていたとしても、俺は日頃のお前達を見ていて”こいつらがそんなことするわけない”と思っているんだ」と言い、「信用されるって、簡単なことじゃないぞ」と付け加えた。 
15年11月12日(木)  まだ時々咳き込む。熱はない。手術中に咳が出るとまずいので朝と昼にフスタゾールを服用して臨んだ。2時半からの手術は無事終了。土曜日に眼帯が外れるので、その日から両眼でホンモノの景色を見ることができる。ヨシ! 
15年11月11日(水)  https--fibaamericasreferee.files.wordpress.com-2015-07-2015-individual-officiating-techniques_iot.pdf
上記のサイトの翻訳が九州審判長の福岡氏から送られてきた。これだ。これは審判研修の資料だけでなく、コーチングの資料でもあると私は捉えている。バスケットボールは日々進化している。審判もコーチもそれに遅れないよう研鑽しなければならない。
15年11月10日(火)  昨日から鼻がムズムズしてクシャミが出る。風邪気味だ。12日(木)の手術日に熱が出るとまずいので、昨日と今日はじっとしていた。白血球、あと2日ガンバレ! 
15年11月09日(月)  眼帯が外れた土曜日から風呂に入っている。ただし、顔を濡らしてはならない。だから水泳用のゴーグルを付けて入る。それでも顔に湯がかからないようにするため洗髪したあとは顔を天井に向け、おでこからあたまにしか湯がかからないようにしてシャワーで流す。これがあと2週間続く。フウ。 
15年11月08日(日)  午前中長崎地区高校新人戦を観に行った。午後からは中地区高校新人戦を観に行った。どちらも、新チーム初の公式戦というのを差し引いたとしても、「もうちょっとなんとかならないかなあ」という感想が残った。
15年11月07日(土)  今日の診察で眼帯が外れた。私の裸眼視力は手術前まで約0.02ぐらいだったが、今回の手術で眼内レンズを0.1に合わせた。ジオプトリーで言えば−7以上だったのを−3に合わせたのだ。パソコン作業は裸眼で難なくできるようになった。遠くを見るのもこれまでのような度の強いメガネではなく、度が軽いメガネで済む。来週左目の手術をして、その後約1ヶ月すると視力が安定するのでそれからメガネを作る。それまでは遠近調節レバーが付いたメガネで対応していくことにした(インターネットで購入)。 
15年11月06日(金)  朝9時から白内障手術後の診察をして貰った。眼帯を外されて目を開けた途端私は「アッ」と叫んだ。景色の明るさと色相が全然違う。画像で術前と術後を表せばこうなる。これまで私の目はセピア色のフィルターを付けて世の中を見ていたのだ。もっと早くやればよかった。 
15年11月05日(木) 右目の白内障手術。おとなしくしていなければならないが、手術後ちょっとだけ古賀ミニバスに顔を出した。家に帰ると松尾久史氏からフレッシュミニ大会の結果写真がメールで送られてきていた。片目でパソコンをいじるのは疲れる。 
15年11月04日(水)  日曜日から今日まで、審判・ラン・審判・ランと、連続4日間走った。先週月曜日から今日までの10日間に7回走ったことになる。でも、疲れ果てた感はない。明日、右目の白内障手術をする。それから1週間後左目を手術する。だから、明日から約2週間は激しい運動はできない。その後また徐々に身体を動かしていくつもりだが、私のローソクが燃えつきそうなのかまだしばらく大丈夫なのかはその時わかるだろう。 
15年11月03日(火)  桜ヶ丘小学校で開催されたフレッシュミニバス大会を観に行った。そしたら開会式直後サプライズペップトークをさせられた。この大会は今年10回目だそうだが、内容は4年生以下の大会である。この企画はすばらしいと思った。中学や高校は在籍3年間だが小学校は6年間である。レギュラー選手として試合に出られるようになるまでのがまんの時間が長い。だから、4年生以下の大会は下級生ながら主役になれる唯一のチャンスなのだ。張り切らないワケがない。古賀小は4年生だけで1チーム、3年生以下で1チーム作って出場した。どこのチームも試合をしながら巧くなっていく。イヤー、いいもの見せて貰った。1試合だけ審判をしてひがながの練習のために学校に戻った。
15年11月02日(月)  先週は月水金走った。昨日の南島原カップでは中島監督がふくらはぎを傷めたので替わりに審判をした。よく走れた。「公認審判更新テストのシャトルラン76回なんて軽いぞ」と思った。月曜日はひがながの3kmラン実施日なので今日も走った。先週月曜日から今日までの8日間に5回走ったことになる。が、身体は痛くも痒くもない。まだいけそうだ。それとも、燃え尽きる直前のローソクの輝きなのかなあ? 
15年11月01日(日)  南島原カップ最終日報告UP Games & Schedule 参照。 
15年10月31日(土)  とどろき体育館で終日JBA公認コーチ養成講習会の講師を務めた。約250人の受講者が集まった。みんな真剣だし、コーチライセンスを取得することの重要性を認識している。これは、1977年に日体協が始めた制度で、コーチにスポーツ医科学を勉強して貰ってスポーツ現場から傷害を減らし、無駄な練習や無理な練習から選手を解放してやろうという狙いが含まれている。ところが、中体連や高体連は「そんな制度は必要ない」という立場を取り、中体連主催や高体連主催の試合は「ライセンスを所持していることが望ましい」であり「所持していなければならない」ではない。日体協や競技団体が強引すぎるのか中体連高体連が頑固すぎるのかわからないが、我々現場の人間にとっては「上の方で主導権争いなんかやってないで現場の指導者や選手たちのことを最優先に考えて動けよ!」と声を大にして言いたい。
追伸:南島原カップ案内報告UP Games & Schedule 参照。
15年10月30日(金)  4日ぐらい前からまた右下の奥歯の歯茎が痛み始めた。歯肉炎だ。ずっと前、1個手前の歯を抜いたのでブリッジ治療をして奥歯を橋脚に使ったのだが、それが劣化して隙間から菌が入りしばしば炎症を起こすのだ。今日は抗生物質(サワシリン)を貰ってきて一時的な処置をしたが根本的に治療するには奥歯の抜歯しかない。抜歯した後は抜けたままにしておくか部分入れ歯にしなければならない。ウーン。 
15年10月29日(木)  今日は飯盛体育館で1年生だけの練習だった。そこに3年生が顔を出してくれた。1年生たちは明後日とどろき体育館で行われるJBA公認コーチ養成講習会の実技モデルを務める。その手伝いに来てくれる3年生たちは、何をさせるにも心許ない1年生を心配して事前チェックに来てくれたのだ。感謝!
15年10月28日(水)  2年生は昨日から修学旅行で不在。だから練習は1年生のみ。ミニバスの指導より気を遣い、難しい用語は一切使わないようにして指導するので疲れる。フゥ........。 
15年10月27日(火)  長崎女子短大在職中の私の研究テーマは”幼児の足趾形態の発育発達について”だった。フットプリントやデジカメ撮影による画像解析で土踏まずその他を調べた。しかし、足のことを本当に知りたけれ足の骨を調べなければならない。3年前に体育学会を退会したので論文を書くことはもうないが、バスケットの指導には今でも関わっており、若年層の選手を傷害から救ってやりたいと思うので最近また勉強をし始めた。
15年10月26日(月)  つばさ保育園の稲刈り。9時半琴海町の現地に到着。昨年はいもち病で収穫はゼロに近かったが、今年は順調。説明を受けた後作業に入った。最初はぎこちなかったが慣れたら手際よく刈れるようになる。園児の手作業だけでは手間がかかるのでバインダーも登場し、最後は担任の米倉先生で。刈り取った稲は脱穀唐箕(とうみ)→精米という手順でお米になる。仕事のあとは吉田料理長が作った豚汁とここで取れたお米のご飯で昼食。「おかわり〜」働いたあとはみんな食が進む。いいねいいね。 
15年10月25日(日)  3年生選抜の郡市対抗戦決勝は、長崎対佐世保の対戦になり、49対45で長崎が勝ったらしい。が、勝ち負けよりも怪我人ゼロで大会を終えたことが私は嬉しい。 
15年10月24日(土)  今日と明日は佐世保市で3年生の各郡市対抗戦が行われる。数人の関係者に電話でその様子を聞いた。長崎市選抜チームは予選の三角リーグで2勝して明日のトーナメントに進むようだ。私が電話したのは、勝敗が気になったからではなくケガ人がいないか確かめたかったからである。どこのチームでも3年生は夏に引退して後輩にバトンタッチしている。時々後輩の練習には顔を出していたとはいえ身体はなまっているはずだ。しかし、郡市対抗となれば対抗意識でテンションがあがり、心と身体の間にギャップが生じる。それが重大事故を呼び込むことが時々あるのだ。でも今日の電話ではみんな無事だったようである。ホッ。
15年10月23日(金)  ひがながバスケはオフ。今月末のJBA公認コーチ養成講習会の原稿読み、補足説明の赤入れ、実演のシミュレーションで明け暮れた。原稿は10月7日に一応完成したが、読み返す度に気に入らない箇所が出てくる。
15年10月22日(木)  私の笑顔が消えてからどれくらい経つだろう?もちろんひがながバスケが不調だからである。その素になっているのは中間管理職が未だに出て来ないからだ。過去の良いチームは訓練していく段階で、平社員(選手たち)の中から係長や課長や部長が必ず育ってきた。私がどこかで折り合いをつけ、作り笑いであっても笑顔を取り戻せばチームの不調はいくらか緩和できるかもしれないが、それは前進には繋がらない。フウ。
15年10月21日(水)  このところ、合唱コンクールの練習で練習開始に選手が揃わない日々が続いている。部活動は学校行事より優先される活動ではないのでそれはそれでいいのだが、「合唱コンクールの練習は4時45分までですよ」と言われているのに、その時間を越えて延々と練習するクラスがあるのには参る。
15年10月20日(火)  今週末(24日)に新校舎落成記念式典が行われるので、今日はその代休で休日扱い。バスケ部の体育館割当はD練(15:30〜18:00)だった。だから今日も、私は学童送迎を終えてからの20分遅れ到着となった。昨日の不愉快さは、17日(土)の練習中の出来事に対する怒りを引きずっていたからだが、今日はそれに加えて、何をやるにも全力で取り組めない選手たちに怒り心頭。彼女たちは意図的に手抜きをしようとしているのではないが、自分が全力を出し切っていないことに気付いていないのだ。これはしごきでは解決しない。選手たちの魂に火を付けなければ…。選手の資質からしてそれは来年の夏になっても変わらない可能性があるが、少しでもレベルを上げるには根気強くやり続けるしかない。ウゥゥ..............。
15年10月19日(月)  午後2時半まで長崎市民体育館でウィンターカップ予選を観ていた。結果はGames & Schedule参照。それから学童クラブの送迎を済ませてひがながの練習に顔を出した。今日は職員会議のため5時限で終了だったようで、私が到着した3時45分にはすでに3kmランを済ませ、体育館での練習が始まっていた。しばらく眺めていたが、選手たちの顔つきや動きが不愉快だったので、途中で抜けてウィンターカップ観戦のためにできなかった3kmランを1人でやった。体育館に戻った後も不愉快さは払拭できず、無口のまま練習を終えた。 
15年10月18日(日)  長崎県ジュニア選抜チームの選手選考会である郡市対抗戦が佐世保市福石中学校で行われた。私のバスで長崎市ジュニア選抜チームの選手保護者全員を運んだ。入口(純心)・梅本(横尾)・高比良(桜馬場)の3人はケガで出せなかったが、貧血治療中の吉原(純心)と腰痛から復帰した古場(東長崎)は様子を見ながらの起用となった。決勝戦の前、亀渕監督が私に「古場の出場時間はこれくらいが限度ですかねえ?もうちょっと出してもいいですか?」と尋ねた。私は「母体チームに迷惑かけないようになんて考えるな!壊れたらガレージKで修理して貰うから何も心配しないで使え!」と答えた。
15年10月17日(土)  ひがなが練習8時〜10時半。ミニバス県大会長崎市予選11時10分〜12時30分(於山里小)。ウィンターカップ初日2時〜3時半(飯盛体育館)。今日は忙しかった。明日はひがながの練習がオフなので長崎市ジュニア選抜チームを私のバスで佐世保まで運ぶ。 
15年10月16日(金)  鹿児島の中川浩志氏が23年ぶりに来崎した。彼の来崎は23年ぶりだが、私は毎年のように鹿児島に行ってるので個人的にはしょっちゅう会っている。熱いヤツだ。今回は来月佐世保市と西海市で開催されるレノヴァ鹿児島の試合の事前営業に来たという。久しぶりの来崎なので雲龍亭に連れて行ってギョウザを食べた。明日は私の日程と合わないので一緒に食事はできないが、彼は1人で紅山楼のチャンポンを食べるらしい。
15年10月15日(木)  今日はつばさ保育園つきぐみさん(年長)ほしぐみさん(年中)の金比羅登山のお手伝い。ひがながバスケの選手の中にもこうしてお世話をしたつばさ保育園卒園生が何人もいる。その子たちに「イルカウォッチングや久住登山やマテ貝掘りは全部俺のバスで行ったんだけど覚えてる?」と聞いても「?」。そんなもんかあ… 
15年10月14日(水)  夜7時半から9時10分まで長崎市ジュニア選抜チームの練習が行われた。エントリーは12名だが、傷害や貧血などで5名の選手が離脱している。中にはメニューの内容によって練習に参加できる選手もいるが、フルメニュー見学している選手もいる。いずれにしろ、18日の郡市対抗戦は万全の体制では臨めない。フー。 
15年10月13日(火)  明け方4時半にトイレに行った。起きるにはまだ早いのでベッドに潜り込んだが、目を閉じてもコートを動き回っている選手の姿が次々と浮かんできて寝付けない。そのまま夜が明けた。そのあと、月末のコーチ研修原稿の読み直しをしたり、パソコンで他の作業をしたが、何をやっても集中できない。そんなこんなのまま、夕方の練習に顔を出したが、練習が始まって実際に目の前を動く選手を見ていても、ステップアップさせる妙案は浮かばなかった。なつめが「痛みがとれたので少しずつ練習に参加します」と申し出てきたが、だからといってバンバンやらせるわけにはいかない。アサが復帰するまで焦らず気長にやるしかない。アサが復帰するとイホの負担が減ると思うし、その効果が他の選手にも波及すると思うから…。
15年10月12日(祭)  時津長与杯最終日結果UPGames & Schedule参照。
今日の試合で、桜馬場中学校の高比良選手が足首を捻挫した。時津中学校の井上選手も膝を負傷した。井上選手はおそらく前十字靱帯損傷だろうと思う。その他にも、テーピングしている姿が気になる選手や動きが気になる選手が数人いた。昨日も述べたがジュニア期の選手は国の宝だ。オーバートレーニングにならないようみんなで守ってやらなければならない。とはいうものの「このカップ戦参加を断ったら来年から呼んで貰えなくなるんじゃないか?」と思う現場のコーチの気持ちもよくわかる。ウーン…難しい問題だ。
15年10月11日(日)  今月18日(日)に佐世保でジュニア郡市対抗戦が行われる。それまでに、長崎市選抜チームは今日と14日と17日の3回練習を計画している。今日の練習では長崎市選抜チームのうち、東長崎の古場が腰痛、純心の入口が有痛性外脛骨、純心の吉原が貧血(hb11.2だがフェリチンの値が低いから要注意)、横尾の梅本が左膝骨挫傷で見学していた。この4人の選手が所属するチームは明日時津長与杯の2日目に参加する。時津長与杯の初日の昨日、東長崎の古場は試合前のアップをみんなと一緒にやろうとしていたので「昨日までチーム練習から外れていたのに試合に出るつもりか?バカヤロー!」と怒鳴りつけて練習から外した。このように、ジュニア選抜に選ばれるような選手たちは、自チームと選抜チームの両方で練習するのでどうしてもオーバートレーニングになりがちだし、痛かったり少々具合が悪くてもチームに迷惑をかけたくないので「大丈夫です」と言ってしまうことが多い。ジュニア期の選手の「大丈夫です」をコーチは鵜呑みにしてはならない。
15年10月10日(土)  時津長与杯初日結果UPGames & Schedule参照。 
15年10月09日(金)  原稿チェックはしばらく休止。12日まで寝かせておいて13日から再開する。毎日ではなく、少し間を空けるとまた「ン?」が見つかったりするのだ。今日はつばさ保育園と橘小学校の合同授業のお手伝いをした。先生方の幼児への声かけから、バスケットのコーチとしての声かけに参考になることが必ずいくつか見つかる。 
15年10月08日(木)  原稿や論文は一発で仕上げようと思ってはダメだ。仕上げたあと翌日読み返してみると必ず訂正箇所が見つかる。「これで完璧だろう」と思っても、日をおいて見直すとまた修正箇所が見つかる。昨日仕上げたつもりのJBA公認コーチ養成講習会の原稿だったが、今日5箇所訂正した。 
15年10月07日(水)  今月末、諫早のとどろき体育館で行われるJBA公認コーチ養成講習会の講師を務める。今日、その原稿が一応整った。実技はひがながの1年生をモデルにして行うが、とどろき体育館にはスクリーンがないので講義はパワーポイントを使わず、紙資料とホワイトボードで説明する。230人もの講習なので後ろの方は見えにくいだろうから極太のホワイトボードマーカーで書かなければならない。数日前から探し回っていたが、BUN GOOLという文具専門店で取り扱っているのを知り、今日ようやく手に入れた。インカムを付けたギガホンも充電して使えることを確かめた。あと3週間、これから原稿を何度も読み直し、何度もシミュレーションして当日を迎えたいと思う。 
15年10月06日(火)  私のバスは鶴鳴を辞める前からつばさ保育園の行事に使っているし、鶴鳴を辞めてからはそれに加えてひがながバスケの移動や遠征に使っている。さらに、昨年9月から月〜金の学童クラブつめくさの送迎にも使っている。つめくさの送迎は1台では足りないので三根氏所有のバスを借りて送迎している。しかし、この夏三根氏所有のバスのエアコンが故障した。このバスは、私の今のバスの2台前のバスを譲ったものなのでずいぶん古い。だから修理するには部品がもうない(ガスを充填すればひと夏は使える)。そこでつめくさ(社会福祉法人おおぞら)は児童・幼児用の中型車を購入した。それが今日届いた。もう安心だ。
15年10月05日(月)  10月03日付けで鮫島俊秀氏がレノヴァ鹿児島のヘッドコーチに就任した。11月21日西海市(15:00)22日佐世保市(13:00)で豊田通商と試合をする。ひがながのTV佐世保杯とかぶるので、観戦するには時間調整をしなければならない。
15年10月04日(日)  今日はひがながバスケはオフだったので1日中古賀ミニバスに入り浸りだった。午前中は土井首小学校との練習試合。昼休みを挟んで午後3時まで練習。しかし、こどもたちは昼休みが休憩にはならない。練習よりも汗をかいて動き回っている。でも「そんなに元気があるんだったら練習でもっと頑張らんかいっ!」と言ってはならない。こどもたちにとって練習と遊びは別腹なのだ。
15年10月03日(土)  0時30分。第28回FIBAASIA男子バスケットボール選手権大会準決勝で日本代表は、1ピリ17−16 2ピリ22ー23 3ピリ15−15と善戦しながらも4ピリで16−27と離され、70対81でフィリピンに負けた。しかし、負けても世界最終予選の出場切符はすでに手にしている。先に行われた女子のFIBAASIAでは日本代表が優勝してリオの切符を掴んだし、男子は世界最終予選の切符が取れただけだが、それとてこれまでの低迷ぶりからすれば快挙だ。これを契機に、日本におけるバスケットをメジャーにするためにみんなで頑張ろう。
18時30分追加。9時半からとどろき体育館に野田杯諫早市内中学生大会を観に行った。午後1時からは古賀ミニバスに顔を出し、3時半からひがながの練習に顔を出して日が暮れた。 
15年10月02日(金)  昨日UPした時津長与杯案内文書を見て数人の方からコメントをいただいたので少し詳しい説明をする。
まず、若い時期に個人のスキルアップを図るのは大賛成だし、アイソレーションオフェンスをやるのは私の本意ではないということを断った上で、JBAが8月に出した「15歳以下でのマンツーマンディフェンスの推進について」という文書に対して私の意見を述べる。
2頁目:プレーヤーズファーストを尊重し、目先の勝利に捉われない長期的視点に立った指導の推進。
     これには矛盾がある。チャンピオンシップマッチを開催しておきながら、目先の勝利に捉われず…
     というのは、ミニや中学のコーチは試合の采配よりも選手育成に専念しろということか?それはプレイ
     ヤーズファーストを尊重することになるのか?

3頁目:マンツーマンディフェンスの推進は1対1のスキルアップに役立つ。
     これはその通りである。
     状況判断力、理解力を高める 。
     これは、マンツーマンオフェンスやマンツーマンディフェンスよりも、ゾーンオフェンスやゾーンディフェ
     ンスの方が優ると私は思っている。

もう少し補足する。マンツーマンの攻防は、目の前の敵をやっつけるという局地戦でのスキルは上達する。一方、ゾーンの攻防はコート全体を見ながらスペースを作ったりタイミングを図ったりする状況判断力が上達する。だからゾーンとマンツーマンはバスケットボールの両輪だと私は捉えている。
15年10月01日(木)  毎月1日は翌月の飯盛体育館予約解禁日である。窓口は8時半に開く。私は7時37分に行ったがすでに3人が待っており、私は4番目だった。今日は雨だったので1番の人はブルーシートを敷いていなかった。
備考:時津長与杯参加案内及び組合せUPGames & Schedule参照。 
15年09月30日(水)  9月25日に大村市長の松本崇氏が急性肝不全で亡くなった。FIBA ASIA大会でお世話になったので、シーハットに隣接する教育文化棟のさくらホールで今日午後2時から行われた告別式に行ってきた。だが、さくらホールは行政関係者のみ。一般会葬者の我々は教育文化棟に入ってすぐ左の大会議室だった。そこで、さくらホールで行われている告別式をスクリーンで見ながら賛美歌を歌い(知らないので口パク)、アーメンを唱えた。松本氏は1941年9月生まれ。私より1歳上だ
15年09月29日(火)  私は胃を痛めていても痛めてなくても朝夕の2食しか食べないし、ご飯は一切食べない。おかずだけである。そのおかずも今日の夕食では豆腐と蟹蒲。明日の朝から通常の食事に戻そうと思う。それにしても、食わなければこんなに力が入らないのかと思った。練習中、ちょっとした見本を示すのでさえ膝が笑った。 
15年09月28日(月)  絶食期間中なのに今日はランの日だったので私も走った。走っているのか歩いているのかわからいランだった。途中で「やめようかな」と思ったが、選手に檄を飛ばす立場の私にはそれができなかった。死にそ〜。 
15年09月27日(日)  ひがながの練習はA練(8時〜10時半)。それを済ませて古賀ミニバスを観に行った。古賀ミニバスは9時〜3時までだが、昼休みの間に多良見体育館で行われている県総合選手権を観に行った。女子決勝はストレッチ対長崎商業だった。長崎国体が終わった後の新生ストレッチを初めて見たが、若返っていて知らない顔がたくさんあった。プレイもまだ幼かった。ところで、昨日から胃がシクシク痛むので食事を制限している。昨日の夕食は豆腐と梨を2切れ。今朝は具が入っていない味噌汁だけ。昼食も夕食も固形物は一切摂らず、牛乳と豆乳をコップ1杯ずつだ。明日まで様子を見てだんだん元に戻していこうと思う。過去2回、私は胃潰瘍を患ったことがあるが今回の痛みはそれとは違う。たぶん胃炎だと思う。 
15年09月26日(土)  ひがながの体育館はバレーボールの試合会場でバスケットは使えないので小野中学校と北諫早中学校の練習試合に割り込ませてもらった。もう50年以上ヒトの能力開発に携わってきたが、今日ほどその難しさと自分の非力さを痛感したことはない…と思う…自分の記憶の中では。今日は底が見えないほど落ち込んでいる。.
15年09月25日(金)  別府市協会長杯の勝ち上がり表がメールで送られてきたのでUPした。Games & Schedule参照。
今日はひがながの練習はオフだったが、夜7時半から長崎西高校で長崎市ジュニア選抜チーム(1・2年生)の練習が行われたので観に行った。練習よりも気になったのは、純心の入口選手が時々片手でボールを掴んでいることだった。私もやってみたがツルツル滑って掴めない。そこで入口選手と手の大きさを比べてみたが私の方が大きい。首をかしげながら何回も挑戦していたら小柳氏(長崎市協会強化委員長)から「先生の手は乾燥してるからできないんですよ」と言われた。要するに「山崎先生は歳をとって水気がなくなってるので何度挑戦しても無理ですよ」と彼は言いたいのだ。クソッ! 
15年09月24日(木)  昨日はミニバスの指導者と選手のことについての感想を述べたが、実は別のことも考えながら昨日の試合を観ていた。それは、「中学生以上のプレイをする選手が何人も居るがミニバスの選手が前十字靱帯を切ったという事例はあまり見ないし聞かないなあ」である。そこで今日Dr宮本に「昨日ミニバスの南部リーグを観に行きました。巧い選手がたくさんいます。そんな中で、ミニバス女子の前十字靱帯損傷って、少ないのだろうか多いのだろうか?中学生や高校生になると結構その事例は見聞きするけど…と思いました。そんなことを調べた論文か何かありますか?また、小・中・高校生に頻度の差があるとすればそれは何に起因しますか?」とメールで質問した。すると返事が返ってきた。「小学生は圧倒的に少なく、もし断裂と同じ姿勢となっても靭帯が切れる前に剥離骨折したりします。靭帯と骨では小学生の時には靭帯の強度が強く、大人になると骨が強くなるのが理由です。理由はスピードと体重です。運動エネルギーは重量に比例して増加し、スピードの2乗に比例して増えます。そのため膝にかかるエネルギーが大幅に増加します。以上の理由で同じことをしても中学、高校で損傷が増えると考えています」な〜るほど。 
15年09月23日(祭) 橘小学校で行われたミニバスの南部リーグを観に行った。優勝したのは喜々津小学校だったが、それ以外のチームで個人的に「この子今すぐひがながでもスタメンで出られるよ」という選手が何人も居た。もちろん、そんな選手を見つけて育てるのはミニバスの指導者たちだ。JBAにくどいほど言うが、こんな人たちをほんとにほんとに大事にしてくれよな。
15年09月22日(祭)  別府市会長杯2日目結果報告Games & Schedule参照。
別府アリーナ4面を使って別府市会長杯が行われた。参加したチームも、会場も運営も、公式試合ではないのに国体なみの盛り上がり様である。中学生にとっては贅沢の極みのカップ戦だった。しかし、帰りは大変だった。別府アリーナから別府インターまで2時間かかる大渋滞。4時20分にアリーナを出発したが、長崎に帰り着いたのは9時20分だった。 
15年09月21日(祭) 別府市会長杯初日結果報告Games & Schedule参照。  
15年09月20日(日)  今日は鎮西の試合を観に出かけた。なぜ兼頭・内野の采配ぶりが気になったかというと、2人とも本格的に高校と大学でバスケットをやった選手で、ともに昨年4月に教員として本採用になり、さらに20歳台のバリバリの若手なので、将来少年女子の部のスタッフを任せられる資質があるかどうかを見極めたかったからだ。
15年09月19日(土)  ひがながの練習は午前中だったので、午後からとどろき体育館に出かけた。そこで中地区の高校新人リーグが行われていたのでそれを観に行ったのだ。目当ては日大の試合と鎮西の試合、というより兼頭先生と内野先生の采配ぶり。時間や組合せがわからないまま出かけたので今日は日大の試合しか見られなかった。明日は鎮西の試合を見たい。 
15年09月18日(金)  オフ<(_ _)>Zzzzz............... 
15年09月17日(木)  別府市会長杯参加案内UPGames & Schedule参照。 
15年09月16日(水)  3q走4回目。materials参照。川沿いの看板に黒ペンキで落書きされているのを発見。このままで済むと思うなよ。
15年09月15日(火)  私は、選手のケガや病気を少しでも減らしたいと思ってコートに立っているのでインターネットによる医学関係の検索は今でも欠かさない。今ハマっているのが長崎大学病院外傷センターのFACEBOOKである。おもしろい!今日はどんな人がこのFACEBOOKを発信しているのか知りたくて外傷センターを訪ねた。天田さんという女性だった。私のHPに載せることを了承の上でツーショット写真を撮らせて貰った。 
15年09月14日(月)  昨日の帰りのバス運転は、前半を三根氏、後半を私が受け持った。私は前半ほとんど寝たきりだった。長崎に帰り着いた後も就寝は早かったし、今日の午前中もそれは引きずった。午後から3q走ったが、走ったあとストレッチをしながらうとうと寝てしまっていた。こんなこと始めてだ。相当疲れているらしい。 
15年09月13日(日)  小池カップ2日目。今日は水でっぽうを手に入れ、暴言を吐くコーチを処刑しようと思ったが、私が水でっぽうを持ち歩く姿を見てみんな静かになったので受刑者は出なかった。 
15年09月12日(土)  小池カップ初日。みんな熱い熱い
長崎市会長杯最終日。Games & Schedule参照。 
15年09月11日(金)  明日と明後日の2日間宇部市で小池(元国際審判)カップが行われる。常連の慶進・鶴鳴・仁愛・徳島城北・翠松・下関商・光・宇部高・宇部商・宇部中央・中津北・東海第5が参加する。このメンバーが集まるところに私が居ないワケにはいかない。 午後4時に長崎を発って山口に向かった。今日のひがながは飯盛体育館で練習。そして明日は長崎市会長杯の準決勝と決勝だ。それらはすべて中島先生に任せる。年に数回こんなことがある。仕方がない。
15年09月10日(木)  ひがながの練習はオフだが、古賀ミニバスの練習に顔を出した。いつもはひがながの練習が終わってから様子を見に行くので最後の15分ぐらいしか見られないが、今日は練習開始の4時半から古場コーチが登場するまでの1時間を私が受け持った。身体は疲れているがミニの選手の動きや表情を見ているとそれも忘れる。
15年09月09日(水)  走ったあ!「明日は練習オフだし、次に走るのは月曜日だから4日も休めるだろ?」と自分に言い聞かせながら走った。(^_^;)フウ。 
15年09月08日(火)  2ヶ月ぶりのランは効いた。スネ・太もも裏表・尻・横っ腹の腹筋・背筋、全てが痛い。夜中に腓骨筋が攣った。今年のチームは手がかかる。だから選手をアゴで動かすのではなく、身をもって教えなければならない。「もう歳だから」なんて絶対に言えない。だが、明日のランのことを考えると正直気が重い<(_ _)>。 
15年09月07日(月)  今日から新チームの3q走開始。materials参照。私はまだ腸脛靱帯炎が治りきっていないが、開始初日にパスしたくはなかったので走った。イターイ。 
15年09月06日(日)  長崎市会長杯2日目結果報告UPGames & Schedule参照。
マイクロバスで出かける時はいつも折りたたみ自転車を積み込んで行く。行き先でコインランドリーを探さなければならなかったり、会場から駐車場までが遠かったりする時に歩いて移動するのは大変だからだ。今日附属中の保護者に「え!先生自転車で来られたんですか?」と聞かれた。違う違う。 
15年09月05日(土)  長崎市会長杯初日結果報告UPGames & Schedule参照。
21:55再度更新。中国武漢で行われているFIBAASIA女子。日本対中国85対50。リオオリンピック出場決定!やってくれましたあ! 
15年09月04日(金)  8月31日付けのこの欄で部活動の在り方について述べたが、憎まれ口ついでにもうひとつ。
バスケットボールのルールブックの前書きにこう書いてある。
@プレイヤーは、規則の精神の実行者である。
A審判は、規則を堅持してプレイヤーの足りないところを補いつつ、これに健全な方向を与える。
B指導者は、ゲームの際の審判の役目を日常の練習の間に行ってプレイヤーを導く。
C観衆は、規則のよき理解者としてよいプレイに賞賛を贈り、よいプレイヤーを勇気づける。
先日のカップ戦で審判をした時、交替選手が勝手にコートに入ろうとするから「まてまて、審判が招くまで勝手に入るな」と私は言った。タイムアウトが解けて2回目のブザーが鳴ってもディフェンス側のチームがグズグズしてコートに出て来ないから「はい、急いで」とコートに入るのを促したが急ぎもしないので、私はスローインの準備をしている選手にボールを手渡し「始めていいよ」と言った。スロアーはゴール下でフリーになっている選手にパスを出し、簡単にノーマークシュートを決めた。もっとひどいのがある。数チームが集まって練習試合をする時など、タイムアウトの連発で、しかも1分どころか延々とコーチが話し、ゲームが再開できない場合がある。たとえ練習試合であっても、スポーツはルールに基づいて行われなければならない。上記4者ともに日頃からルールの精神をよく理解し、よい試合を創る努力をしましょうよ。
15年09月03日(木)  ひがながの体育館は雨漏りがする。秋雨前線が停滞しているこのところ、バケツが欠かせない。45年前、私が桜馬場中学校に務めていた時も同じことで困った。事務長を通して市役所に修理を頼んだ。市役所から何度も来て対処してくれたが改善されない。市役所に言わせれば「ここだろうと思ってやってみるんですがそれでも止まらない。お手上げです」だ。そこで私ともう1人の男性体育教師(田中一彦先生=器械体操専門)で体育館のトタン屋根に登って、大小無数にある直径1_サイズの穴も全て見逃さずパテで埋める作業をした。屋根の頂上付近は安全だが、端っこに行くとほとんど絶壁状態である。そこを作業するには、腰に命綱を巻いて1人が作業し、1人が屋根の頂上より少し向こうで足を踏ん張って支える。そうやって1週間ぐらいかかって穴を全て埋めた。以後雨漏りはピタッと止まった。あの頃は20歳代。やろうと決意したことは何でもできた。
15年09月02日(水)  中国の武漢で女子FIBAASIA大会が開催されている。日本代表チームは昨夜57−56で中国を破った。今日の予選リーグ最終戦でタイと戦うが、これは間違いなく勝って予選リーグ1位で準決勝トーナメントに進むだろう。すると、9月4日の準決勝トーナメントでは日本対チャイニーズタイペイ、中国対韓国という組合せになり、翌5日の決勝戦はおそらく日本対中国となる。そこで再び中国をたたけばリオの切符をゲットできる。2011年に大村市で開催した同大会では、予選リーグで中国を破って1位で準決勝トーナメントに進んだ韓国は、決勝戦で中国に敗れてオリンピック出場を逃した。だから、予選リーグで中国を破ったからといって浮ついてはいけない。中国の本気度が分からないから…。いずれにしろ、このところ面白くない話題ばかりだった日本バスケット界にまた日が当たるかどうかは5日の中国戦にかかっている。ガンバレ日本!GO FOR RIO! 
15年09月01日(火)  毎月1日は、翌月の飯盛体育館予約に出かける。受付は8時半開始だが、8時半に行っても遅い。私はいつも7時45分には飯盛体育館に到着するが、その時はすでにブルーシートを敷いて開館前から並んでいる人が居る。今日は、10月9日の分が取れなかったので、多良見体育館に向かった。私が多良見に到着したのは8時半だったが、すでにたくさんの人が順番待ちをしており、私が呼ばれたのは9時55分で、最後から2番目だった。ひがながの部活動は何を教えるかよりも如何にして環境を整えてやるかの方が重要だ。ちなみに、ウィークデーのひがながバスケの体育館割り当ては月曜と水曜の2回だけ、それも男女共通なので男女とも半面しか使えない。半面で30人の部員が満足する練習はできない。土日は8時から6時までを4分割して2時間半の練習ができる。楽しませるだけならそれでも充分だが強化するならそれでは足りない。だから練習割り当てのない火木は体育館を借り歩くのだ。他の部も同じ様なことをしているが、どの部もクルマ出し等で保護者に負担をかけている。女子バスケは私のマイクロバスですべて対応するのでそこは他の部より余裕がある。しかし、体育館割り当てだけでなく中学の部活動は時間制限が厳しい.。ひがながバスケは概ね4時50分から練習は始められるが、終わりは春夏秋冬で完全下校の時間が決められている。夏時間は4月1日からで6時40分。秋時間は9月15日からで6時20分。冬時間は11月1日からで6時。春時間は2月1日からで6時20分である。完全下校に間に合うように練習を終わるには、最低でも10分前には終わらなければならないので、冬時間になると練習できる時間は約1時間程度である。ウダウダと長話しをしていたら身体を動かさないまま練習が終わる。
15年08月31日(月)  もうすぐ2学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。1日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね。
   ---上記は8月25日付けの鎌倉市図書館職員河合真帆さんのツイッターの内容である---
河合真帆さんのツイッターは学校生活でいじめや差別を受けている生徒向けのメッセージだが、部活動がイヤで学校に行きたくない生徒は居ないとは言い切れないのが辛い。桜宮高校バスケ部主将の自殺事件以来部活動での暴力は激減したようだが、暴力が激減したからといって楽しい部活動が増えたとは言えない。いつ終わるか分からない練習、意味のない罰ゲーム、不急不要の作業、理不尽な上級生下級生関係、スポーツ現場では「それも修行のうち」で片付けられることが多いが、その中には暴力よりも質の悪いものがあると私は思う。部活動は選手の自発的参加で成り立つが、自ら選んだ道とはいえ部活動は選手の自由な時間を拘束する。拘束するのならば拘束された時間の分だけ「この道を選んでよかった」という思いを、コーチは選手に返してやらなければならない。このようなことを「自分で選んだ道だからイヤなら自分で辞めればいいじゃないか」ということばで簡単に片付けず、全ての競技のコーチたちは「俺は選手に“この道を選んでよかった”を返してやっているだろうか?」と、時々自分を見つめ直して欲しい。明日から2学期が始まる。
15年08月30日(日)  昨日はバレーボールの試合がひがながで行われることになり、体育館が使えなくなったので武者修行に出かけ、高校生の胸を借りた。相手は3年生を含めたウィンターカップ予選に臨むチームだし、こちらは新チームに切り替わったばかりなので当然ボコボコにやられる。体育館が使えたら1時間で終わったはずの練習が、武者修行に出かけたので午前中で2試合もさせて貰うことになった。2試合目の後半はナツメの足が攣った。しかも、午後からイホ・ナツメ・カズハ・モモカの4人はジュニア選抜長崎市選考会のための練習に参加した。今日2日目は練習ではなく試合だった。4人以外の連中の1時間練習を終えてから様子を見に出かけたが、4人とも身体が重い。高校生との試合の疲労を引きずったままの試合なので重いのは当然だ。明日の1時間練習はこの4人は他の選手の指導に回らせ、身体は休めさせてやろうと思う。
備考:男子の部ではひがながから3人が選ばれていたがその中に田中琉久(白シャツエンジパンツ→ジャンプショット)が居た。彼は私が高城台小学校のミニバスを立ち上げてやった時、1年生で入会してきた。あれから7年。声変わりしてお兄ちゃんになった。
15年08月29日(土)  今日から9月1日までエントリー選手以外はテスト前休みである。エントリー選手は9月5日が長崎市会長杯の初日なので、1時間だけは練習を許可して貰っている(バスケットだけでなく、試合直前の部活動はどの部も同じ扱い)。この夏、1年生は入部当初と違って私から怒鳴られる選手が増えてきて、「楽しい」が「怖い」になっていたと思うので、1息つくには丁度よかろう。 
15年08月28日(金)  昨日結子がミニバスの練習を終わってストレッチをしている時に股が痛くなったと訴えてきた。診ると腸骨筋(資料g@)と内転筋(資料gKM)を傷めている。「1昨日のドッジボールの時は?」と聞いたら「痛くなかった」と言う。「今日の練習中は?」と聞くと「痛くない。最後のストレッチの時に痛くなった」という。ストレッチをしていて筋肉を傷めるはずはないので、ドッジボール大会以後、少しずつ傷めていたのがこの時点で発症したのだろう。しばらくダッシュは禁止だ。それにしても小学3年生の女の子が腸骨筋を傷めるほど激しく動くかなあ?備考:資料は、私が長崎女子短大勤務時に講義で使った資料の中から優秀な学生のペーパーをコピーさせてもらったもの。
15年08月27日(木)  朝から眼科と歯科に行った。眼科は白内障の定期診察だ。当初、10月29日(木)に右目を、11月5日(木)に左目を手術する予定だったが、10月31日にコーチ研修会の講師が入っていることを医師に告げたら日を変えた方が良いということになり、11月5日と12日に延びた。歯科は教え子の荒木歯科にずっと通っていたが、ここも今月は今日までで、目下移転先を探しているという。鶴鳴を辞めてから宝町の荒木歯科まで行くのは遠かったので、これを契機に矢上で探そう。たかかぜ歯科がいいかな? 
15年08月26日(水)  全国中学大会で玉島北中男子は決勝戦で実践学園に2点差で負けた。昨日夕方坪井先生にお疲れ様のメールを送った。返事がすぐ返ってきた。「ありがとうございます。もっと勉強して、生徒達の夢を少しでも叶えるお手伝いができるよう頑張ります」。自分が主役で選手は自分の所有物という監督をたくさん見てきた私にとって、坪井先生のメッセージは私にまた元気をくれた。タスクフォース介入後サッカー色が強くなったような気がする日本バスケット界だが、まだまだ身内にすごい指導者がいるぞ。
15年08月25日(火)  長崎市会長杯案内UPGames & Schedule参照。
台風九州上陸で、部活動はもちろん学校行事や交通機関もストップ。何もしないでじっとしているしかない。1昨日身体を動かして試してみたが、左膝はやはり時間がかかりそうだ。審判程度の動きなら何でもないが、バスケ指導でジャンプショットや飛び込みリバウンドをやって見せようとすると本能的に左膝をカバーするのだ。他の箇所や疲労は時間の経過とともに治って(軽くなって)行くような気がする。今日の台風は私に休養を与えてくれた。ありがと。 
15年08月24日(月)  二宮清純氏はスポーツ選手を取り上げたコラムをビッグコミックオリジナルに載せている。二宮氏は今月21日発売(東京20日発売=表紙には太文字で9月5日号と書いてある)号に吉田亜沙美選手を取り上げていた。2006年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権以降悪い話題ばかりがマスコミに取り上げられていた日本バスケットボール界が、これをきっかけに再び浮上してくれることを願う。 
15年08月23日(日)  コヤスポカップ2日目結果報告UP。Games & Schedule参照。
準々決勝で、時津の当たりの強いディフェンスに翻弄されて負けた。他チームより2ヶ月遅れでスタートした新チームなのに、おいしいところを貰おうというのは虫が良すぎた。付け焼き刃は小さな衝撃でも刃ぼれする。時津中に負けた後ひがながはオフィシャルだったが、それが終わるまでマイクロバスを出せない。だから身体を動かして気を紛らそうと思って中島監督に替わって審判をした。背筋の痛みも大腿膝蓋関節痛も腸脛靱帯炎も気にせず1試合吹けた。
15年08月22日(土)  コヤスポカップ初日結果報告UP。Games & Schedule参照。
試合のベンチでは座ったことがことのない私が今日は座った。疲労のピークでもあるが、風邪も引いてるようだ。先日冷房を消すのを忘れて寝てしまったからだろうか?それと、昨年の1月に発症した腰痛とは違う腰痛を2ヶ月くらい前から感じているが、腰痛ではなく背中の筋肉(右側の背長筋中央部)の痛みに限局されることがこの2〜3日で分かった。気になる。練習指導には全く支障がないが、寝たり起きたりする際の姿勢に気をつけなければピリッと痛む。このまま改善されないようならエコー検査でもしてみるか。また、左足腸脛靱帯炎でこの1ヶ月くらいランをやめていたが、下関クリニックから帰ってきたあたりから左足でジャンプしたり踏ん張ったりするのを私の脳が本能的に制御していることに気付いた。調べて見ると大腿膝蓋関節の痛みを気にしているようだ。ウーン、米倉先生宮本先生、私はあと7年現役継続しなければならなくなったので、よろしくお願いしますよ。
15年08月21日(金)  Zzzzzz.............<(_ _)> 
15年08月20日(木)  疲労がピークである。筋肉痛はないが、ひがながの体育館(2階にある)までの階段を昇りきる頃は尻とふとももが重〜くなっている。乳酸除去ができないのだろう。ひがながの練習は午後3時半に終わった。4時半から古賀ミニバスの練習が始まるが、今日は休もうか行こうか迷っていた。が、ジョイフルでドリンクバーを飲みながらマンガ本を読んでいるうちに、私が登場するのを待ち構えている下級生たちの顔が浮かんできて、「明日ひがながはオフなので頑張ろっか!」と自分に言い聞かせて古賀小に向かった。明日は1日寝太郎だ。
15年08月19日(水)  コヤスポカップ参加案内UP。Games & Schedule参照。
日本バスケットボール協会選手育成委員会より、8月12日付で”15歳以下でのマンツーマンディフェンス推進について”の指針が示された。来年4月以降の試合から実施される。だが私は、日本協会の指針通り公式戦ではマンツーマンディフェンスを採用するが、日常の練習ではゾーンディフェンスもゾーンオフェンスも取り入れる。なぜなら、バスケットボールという競技を本当に理解したいのならばゾーン的な見方が重要だと思うからである。その方が選手が将来高校に進んでバスケットボールを継続する場合に必ず役に立つと思う。 
15年08月18日(火)  今日から1対1強化のディナイドリルを新たに加えた。今日の練習は8時から10時半まで。そのあとは夕方までずっと家の中でゴロゴロしていた。全身の筋肉痛は昨日消失したが疲労感が抜けないのだ。 
15年08月17日(月)  どっしゃぶりの雨の中、スクーターをとばして大学病院に行った。今月は身体を動かし過ぎたのでトラムセットを処方箋通りに服用した日が多く、残りあと4錠になったからだ。そのあと学校に戻り、10時半からバスケの指導。今日は大牟田の銀水ミニバスがマイクロバス仕立てで習いに来たが、3年生が揃って手伝いに顔を出してくれたので大助かりだった。夕方は4時半から古賀ミニバスに顔を出し、あっという間に1日が終わった。トラムセットは1回で2週間分貰うが、前々回は4ヶ月保った。夏休みが過ぎたら自分の身体を酷使するのも少なくなるだろうから、今日貰ったトラムセットは12月まで保たせたいと思う。
15年08月16日(日)  新チーム強化は、場面理解よりも個々の力を向上させることを優先するというのは昨日述べたが、それは来年の長崎市中総体に向けての長期強化方針である。そこに行き着くまでには数々のカップ戦や練習試合をするが、それに勝つためだけの特殊練習も、長期強化計画の合間に加えなければならない。今日の後半約1時間は今月22〜23のコヤスポカップ戦で予選リーグを抜け出すための練習に費やした。 
15年08月15日(土)  新チームの活動開始。3年生チームは2年前に場面理解から入り、今年の5月頃ようやくカタチになった。新チームはオールコートプレスディフェンスを崩せるチーム、オールコートプレスディフェンスができるチームになることを目指してスタートした。言い換えれば、場面理解はとりあえず置いといて1人ひとり強いプレイができるようになることを目指すのだ。と言えば「今年は鍛えられるぞ」と思われそうだが違う。私は鍛えるより教えるを優先する。練習の途中12時にサイレンが鳴った。練習を中断して黙祷を捧げた。練習後母の墓参りに行った。その帰りの路上に精霊流しの船が置いてあった。今日はそのための交通規制があちこちで布かれるからじっとしておこう。追伸:ブログ更新後、吉田賢治先生から「川崎先生精霊船に出会った」と、画像が送られてきた。合掌
15年08月14日(金)  14/15/16の3日間、下関に鳥取・島根・岡山・広島・高知・山口の国体チームが集まって錬成会をやるというのを1昨日聞いた。それまでは、12/13のクリニックを終えたら長崎に帰るつもりだったが、錬成会のことを聞いたので帰る日を1日延ばし、錬成会を視察することにした。クリニックの成果も見てみたかったので丁度よかった。山口少年女子の2試合を見た結果からは、リバウンドボール獲得に対する意識が昨日までと違うことを強く感じた。私なりにその原因を分析してみた。最初の争いにアクションを起こす部隊と、その跳ねっ返りを狙い、少し様子を見てからアクションを起こす部隊に分けたことがひとつの原因だとは思うが、リバウンドボールは「取らなければならない」ではなく「空振りもOKなんだ」という気持ちが選手たちの思い切りの良さを生み出したのではないかと思う。備考:ひがながは今日までオフなので練習に支障はない。
15年08月13日(木)  下関クリニック2日目。今回のクリニックは9月22日競技開催までの間にこのメンバー構成で為さねばならないことの優先順位を決め、それをどこまで高めていくかに的を絞ってやらなければならない。それは今日の午前中にメドがついた。すると午後の開始前に監督から「リバウンドボール獲得争いに強くなりたいのですが…特にセンター同士で争ったあとのこぼれだまを取れない場合が多いので…」という注文が出た。リバウンドボール獲得については誰もがボックスアウトをしっかりやるということを教える。が、オフェンスリバウンドに飛び込むに際し、いかにしてボックスアウトを外すかということを教えるコーチにはまだ出会ったことがない。そこでまず最初にそこから入った。次に、監督から 要請があった”こぼれだま獲得に強くなるには”という問題を考えてみた。そして、オフェンスリバウンドボール獲得については5人全員が同時に行動を起こすのではなく、その局面における3人が初動に加わり、残りの2人は初動の3人に少し遅れて行動を起こすのがよいのではないかということを思いついた。5人同時に行動を起こせばペイントエリアがごちゃごちゃになって混雑するからである。ディフェンスリバウンドも当然、初動の3人の争いで弾かれであろうボールの行方を予測して行動を起こさなければならない。そこに観点をおいて練習をしてみたらリバウンド争いらしい場面が頻繁に出るようになった。私のクリニックは、何も用意して来ず、現地の担当者の要請により、その場で考え、実践してみることがしばしばある。午後からのリバウンド獲得練習もそうだった。やらせてみて、自分で言うのもなんだが「なるほど」と思い、勉強になった。長崎に帰ってからのひがながの練習にも早速取り入れてみようと思う。
15年08月12日(水)  下関クリニック1日目。ずっと前N氏からメールで「県外でのクリニックのコツは何ですか?」と質問されたことがある。そのメールに私は「何も用意しないこと」と答えた。こちらが指導する内容を準備して行っても、現地での受講対象者がそれにそぐわないレベルであればクリニック自体が時間の無駄使いになるからだ。今回もそれは同じ。対象は山口少年女子。30分でチームのメンバーの資質をすべて見抜き、さらに、監督の「この選手の持ち味を活かしたいんですけど」とか「ゾーンディフェンスを採用したいんですけど」というような要望に応えなければならない。それも、午後の練習ですべて軌道に乗った。ホッ。 
15年08月11日(火)  九州中総体最終日結果。Games & Schedule参照。
男子は別府北部・北谷・滑石が、女子は二島・北谷・日章学園が全国大会の出場権を得た。試合の感想についてはGames & Scheduleで述べているのでここでは触れない。6月中旬の長崎市中総体最終日の結果報告に私は「負けて泣く涙は、自分を悲劇のヒロインに仕立て上げ、自分を慰め、自分に同情する手段以外のなにものでもない」と述べた。今日の日章戦後廊下で泣きじゃくっている選手たちを私は長崎市中総体とまったく同じセリフで大喝した。今日2試合とも惜敗したことで、選手たちへのふがいなさや怒りの感情はまったくない。報告書でも述べているようにむしろアッパレだと思っている。頑張った選手に対して酷だと思う人も居るだろうが、それはこれからの人生に於いて非常に重要なことなので敢えて私は鬼になったのだ。
15年08月10日(月) 九州中総体初日結果。Games & Schedule参照。
準決勝進出したにもかかわらず、最終試合後にスタメンの5人を集めて私は「いつになったら大人の介入なしに物事を解決できるようになるんだおまえらは!」と捨て台詞を吐いた。公式戦では初めてだ。  
15年08月09日(日)  九州中総体の公式練習の割り当ては総合体育館で10時20分から11時10分まで。練習途中の11時02分に反対側コートで同時間帯に練習していた純心中とともに黙祷を捧げた(70年前のこの時刻、長崎に原爆が投下された)。午後4時からの開会式までは時間が空くので時間を潰すのが大変だった。佐賀→長崎は1時間で行けるので経費節減のために開会式が終わったら帰りたかったが、中体連事務局から「泊まらなければなりません」と言われたので佐賀にとどまる。ハァ。
15年08月08日(土)  九州大会直前練習は8時から10時半までの割り当て。今日も昨日同様10時に終わった。ケガ人なし病人なしで佐賀に向かえる。朝1番の練習でそのあと時間が空いたのでつばさ保育園に顔を出した。今日は土曜日なので園児は少ない。庭でどろんこ遊びをしていた。ヨシヨシこどもはこうでなくちゃ。 
15年08月07日(金)  まず最初にマイクロバスのエアコンについて。やはりガス漏れだった。パイプに2箇所、針で刺したような小さな穴があり、そこから洩れていた。そこを外科的処置で塞ぐことはできない。修理するなら取り替えだ。しかも古いので部品があるかどうか。あったとしても修理代はバカ高い。だから、ガス充填のみで今年ひと夏保つのがやっとだろう。もう廃車だ。長い間お世話になった。合掌。
さて今日の本題はつばさ保育園毎年恒例イルカウォッチング。そのあとは加津佐の浜で海水浴だ。今年船酔いする子は居なかった。ひがながの練習は、私がつばさ保育園のイルカウォッチングに付きそうので午後3時半からに時間変更して貰った。暑い!今日も2時間で終わらせた。 
15年08月06日(木)  私のバスと三根氏所有のバスで学童つめくさの児童を武雄宇宙科学館連れて行った。福岡から来ていた小学生の団体もあった。帰り道、三根バスのエアコンが効かなくなった。帰り着いてすぐ電装屋さんに持ち込んだが、10日と11日の鶴鳴大分遠征に間に合わせなければならない。ガス充填だけで済めばいいが… 
15年08月05日(水)  九州中総体案内及び組合せUP。Games & Schedule参照。  
15年08月04日(火)  ジュニアオールスター長崎県代表の長崎市東部ブロック2回目の選考会が橘中学校で行われた。東部ブロックは全部で7校あるが、辞退したチームがあるので戸町・片淵・橘・東長崎の4チームから選ぶことになった。今日の選考会で東部ブロックから12名を選び、8月下旬に東・西・南・北ブロックから選ばれた選手を集めて長崎市代表選考会を開き、10月18日の県代表選考会に出す選手を絞り込む。今日の選考会で一際目立つ選手を見つけた。聞けばT中学校のF選手だという。しかも1年生だそうだ。ひがながに転校させたいなあ。 
15年08月03日(月)  朝から大学病院に行った。トラムセットを貰うためだ。1回で2週間分貰うが、前回受診が4月なので4ヶ月保ったことになる。4月の処方以来ほとんど使っていなかったが、7月は通常より身体を動かしたことと、久住でぬかるみにはまったマイクロバスと格闘して腰痛が再発したので一気に残量が減った。トヨタの米国人常務役員が日本に持ち込んだのは強オピオイド系の鎮痛剤だが、私のは弱オピオイド系なので所持していても逮捕はされない。 
15年08月02日(日)  県中総体後2日間のオフ、さらに30・31はつばさ保育園の久住登山に帯同し、昨日はひがながの轟峡納涼だったのでコートでチームを見るのは6日ぶり。ぬかるみにはまったマイクロバスと格闘した時の筋肉痛はまだ残っているが、心身ともにシャキッとしてコートに立てた。42年前の夏同様、練習は短時間シンプルな内容で切り上げる。42年前、残るはディフェンスの強化のみだったが、今会は1対1の強化のみだ。 
15年08月01日(土)  鶴鳴時代もそうだったが、長期休暇中私は必ず息抜きの遊びを入れる。それも、練習オフの日ではなく練習実施日なのに練習を中止して遊びを入れるのだ。ひがながでは今日それを実施した。場所は昨年と同じ轟峡だ。JOEとミホは昨年同様まず滝行から始めた。ダイブの口火を切ったのはナツメ。上流でしばらく遊んだあとは本命の滝壺に移動。水が淀んだところで小魚をすくっている選手に「何が取れる?」と聞いたら「メダカです」という。小さい魚は彼女等にとってはみんなメダカなのだ。反対側に目を向けると小石を横長に積み上げている連中がいる。「何してる?」と聞いたら「滝を堰き止めようと思って…」だって。バカヤロー。最後は流しソーメンをすすってお開きとなった。さあ、明日からまた練習に集中だ。 
15年07月31日(金)  今日は岳切渓谷で川遊びをしたが、私は川に入らず日陰のベンチでゴロゴロしていた。膝痛・腰痛・背筋痛に加えて今日は大臀筋痛になり、立ったり座ったりすら辛いのだ。運転は立ったり座ったりしないで、座位のまま姿勢を変えずにできるので命からがら長崎にたどり着くことができた。フウ.m(_ _)m....... 
15年07月30日(木)  朝7時前、牧ノ戸峠までこどもたちを送り届けて私は九重ヒュッテに戻ったが、そこで大変な目に会った。バスを方向転換させるのに、切り返し回数を少なくしようと思ってアスファルト横の草むらにちょっとだけ入ったが、そこの土が緩くタイヤがはまってにっちもさっちもいかなくなったのだ。JAFにも地元の業者にも電話してみたが、大型車は扱わないという。なんとか自力で脱出しようと思って、車体をジャッキで少し持ち上げ、めり込んでいるタイヤ部分の土をスコップで掘って板を敷くなどしてもがいたがダメだ。そこで、ヒュッテのおかみさんのクルマを借りて牧ノ戸まで走り、下山してきた職員を4人乗せてヒュッテに引っ返した。4人で押したり引いたりしてもらってやっと脱出。すぐ牧ノ戸までこどもたちを迎えに行ったが、そんなこんなで今日は写真を撮る余裕無し。1枚だけ。加えて今日はほぼ半日バスと格闘していたので背筋痛・腰痛・左膝痛で身動きできない。しばらく服用していなかったトラムセットのお世話にならなければならない日が続きそうだ。 
15年07月29日(水)  久住初日。まず熊本のやまなみ保育園に寄って合同学習をし、それから阿蘇の草千里経由で今日から2泊する九重ヒュッテに着いた。明日は朝6時出発で久住アタック。熟慮の末私は留守番することにした。 
15年07月28日(火)  昨夜は疲労困憊なのに寝付けず、レンドルミンを2錠も服用した。明日から2泊3日でつばさ保育園の久住登山に付き合うので今日もしっかり休んで体力回復に努めなければならない。昨年は、左膝の大手術後だったのでこどもたちと一緒に登れなかった。今年平地での3qランはできるようになったし、クリニックやチーム指導で身体を動かしてはいるが、久住頂上付近の瓦礫の連続と、それを下り降りる場面を想像したらまだアタッ(クする自信はない。
15年07月27日(月)  県中総体最終日。結果はGames & Schedule参照。
西有家戦と小島戦の逆転勝利も、純心戦の惜敗も、試合報告書の行数では語り得ない裏話がたくさんある。それも、今大会の試合中の出来事だけでなく、オフコートオンコートを問わず、昨年の冬に遡って語らなければならない出来事もある。今日のヒーローも、ただ単に今日調子が良かったのではなく、2年がかりで自分の心配のタネと戦い続けた結果が今日出たのかもしれないし、それを引き出してくれた仲間が居たからこそ為し得た結果かもしれない。そんなこんなを全部ひっくるめて選手と関わり続けるミニバスや中学の指導者は、大河ドラマのディレクターより大変だと私は思う。今日の私は疲労困憊だ。でも、ミニバスや中学バスケの指導者の大変さがわかるだけに、私がその指標になれるのであれば、へこたれず、命あるかぎり闘い続けたい。
15年07月26日(日)  県中総体2日目。結果はGames & Schedule参照。 
15年07月25日(土)  県中総体初日。結果はGames & Schedule参照。初戦の相手の玖島は本来なら強敵だ。が、今大会直前にエースがACLを切ってしまったので力を発揮できなかった。
私は鶴鳴を退職してから中学バスケだけでなく、中学サッカーやミニバスやミニサッカーにも様々なかたちで関わることが多くなった。そして、この2年4ヶ月で多くのケガ人を見た。小学生では踵骨骨端症やオスグッドシュラッテル、中学生になると足の甲の疲労骨折、スネの骨の疲労骨折、有痛性外脛骨、足底筋膜炎、ジャンパーズニー、ランナーズニー、鵞足炎、腰椎分離症、椎間板ヘルニアなど多岐にわたる。これらの中には指導者に知識があれば予防できるものもあるし、知識があってもどうにもならないものもある。が、スポーツ開始年齢が低くなっている昨今、全てのスポーツ指導者はスポーツ医学を学ばなければならないと私は思う。
備考:女子バスケのACL損傷は他競技に比べて圧倒的に多く、知識があっても予防できないケースがある。
15年07月24日(金) 右下奥歯の1本だけだが、長年歯肉炎に悩まされている。週1回の経過観察と治療のために歯医者に通っている。今週は昨日行ったばかりだが、今朝起きると歯茎がボッコリ腫れているので電話で事情を説明して今日もまた歯医者に行った。腫れていたのは化膿して膿が溜まっていたからなのだが、家を出て歯医者に着くまでの間に腫れがしぼんだ。皮の薄い部分が破れて膿が出てしまったのだ。右顎下のリンパ腺が腫れていて痛いが、皮が破れて膿が出てしまったことを「明日から始まる県中総体を前にして、身体の中の悪いモノが全部外に出てしまった」と考えることにした。
15年07月23日(木)  疲れが抜けない。
15年07月22日(水)  今月25日から27日まで長崎市で開催される県中総体の長崎市代表チーム結団式が市民会館で行われた。その引率は中島先生と山下先生にお任せし、私は残りのお選手の指導をした。2人欠席者がいたが、1年生16名と2年生6名の計22名。最近、スタメンをオフにしてこうして下級生だけの指導をすることがしばしばあるが、1年生の素人軍団は日に日に巧くなっていく。が、下級生指導は疲れる。今日は声が枯れた。
15年07月21日(火)  1昨年,、「そろそろ来たかな(白内障)?」とは思っていたが、昨年後半頃からだんだん視力が低下してきたので今日眼科に行った。外見上分かるように黒目が白濁しているわけではないし、常にモヤの中に居るような実感はないが、目に強い光を当てて黒目を撮影したら、水晶体皮質に融合した点状の混濁があった。10月29日に右目を、11月05に左目を手術する。10月31日にコーチライセンス取得のための講習会の講師を依頼されているが、ま、なんとかなるだろ。この日を逃すと手術できるのは12月まで空いていない。
備考:県中総体参加案内UPGames & Schedule参照。 
15年07月20日(祭)  今日から平成27年度のジュニアオールスター候補の選考会が始まる。まず、長崎市は東西南北の4つのブロックに分けて選考する。ひがながは東部ブロックに入る。各校5人ずつ出すことになっているので、イホ・ナツメ・カズハ・モモカ・アサの5人を参加させた。選考会は11時半から2時半まで片淵中学校で行われた。このあと、各ブロックから絞り込んだ選手で8月下旬に長崎市代表を絞り込む。そのあとは、各地区代表を集めて県代表の1次選考会を10月18日に行い、11月23日の2次選考会を経て県代表が決まる。さあ、ここに居る選手たちはみんな、これからは県代表としてだけでなく自チームの中でも牽引者にならなければならない。そういう自覚をもって今日から取り組め。今日を境に、個人としての自分ではなく、公人としての自分を優先させなければならないんだぞ。 
15年07月19日(日)  強い相手との練習試合はほとんどスタメンの5人でやり、ガード陣の息継ぎにイホ、センターミホの息継ぎにナツメしか起用できないので、練習試合でのスタメン5人の体力消耗は激しい。そんな日の翌日私はしばしばスタメン5人だけオフにする。今日も同じだ。だから今日の練習は、来年のスタメン候補(イホ・ナツメ・カズハ・モモカ・アサ)と、1年生の素人軍団にみっちりバスケットを教え込む2本立て練習となった。フウ…。 
15年07月18日(土)  午前中、エントリー選手は練習試合に出かけた。残りの選手は通常割り当ての時間帯で練習だ。マイクロバス置き場から、学校で待っている中島監督に「今から出ます」と電話しようとしたが、呼び出し音が1回鳴って無音になり、画面には圏外という表示が出た。そこは圏外になるような場所ではない。携帯電話の調子がおかしくなったのだ。そこでバスを途中で止め、携帯の電源をオフにして電池を抜き取り、もう一度入れ直して電源ボタンを押したら通常画面に戻った。そのとたんメール着信音が鳴ったので開いたら中島監督からの電話着信メールが連続で表示された。私の携帯から1回着信音が鳴り、その後無音になったので、中島監督はすぐ電話をかけなおした。が、繋がらないので何度もかけたのだ。学校では、中島監督と城ママは「山崎先生に何かあったらしい。心筋梗塞か脳梗塞で突然倒れたんじゃないだろうか」と、同じ事を思ったらしく、私がバスで学校近くまで行くと中島監督が自分のクルマで私の様子を見るために門を出ようとしているところだった。普段は、「山崎先生はスーパーおじいちゃんだから」とかなんとかおだてているくせに、携帯が繋がらなかったり、私が少しでも遅れたりすると、どこにでもいる普通のおじいちゃん扱いして心配する。どっちが本音だ? 
15年07月17日(金)  昨日のバスケ指導中にふともも(特に内側広筋)の筋肉痛に気付いた。今日もまだ痛い。な〜にをしたんだろう?と思っていたら今日思い出した。11日と12日に2日続けてクリニックをやった。その後遺症が16日に出てきたのだ。歳を取ると筋肉痛も忘れた頃にやってくる。クソ!
15年07月16日(木)  台風11号は長崎を逸れそうだからホッとしたが、四国中国近畿を横断しそうだ。インターハイ開催地の京都は台風の右半分が通過しそうだから、大会関係者は気を揉んでいることだろう。昭和32年。長崎でインターハイが開催されることになっていたが、諫早大水害で中止となり代替開催地は急遽東京となった。そんなことにならないことを祈る。
15年07月15日(水)  ひがながの授業は午前でおしまい。だから練習は午後1時に始められた。しかし、3時には学童の送迎があるので最後の20分はJOEに頼んで私は練習を抜けた。学童送迎のあとはひがながの練習は終わっているので古賀ミニバスを観に行った。後半、ハーフコートで主力選手を古場コーチが指導している間反対側のコートで5月から始めた初心者の指導を私が受け持った。12日(日)にも述べたが初心者の反応は、失敗しても成功しても、すべてが教える側にとっては心地よい。 
15年07月14日(火)  6月23日のブログに「今日から部活動再開。あと29回の練習でやることは1点に絞り込んである。内容は公開できないが絞り込んだ内容に迷いはない」と述べた。そのための練習は1日も欠かしたことがない。思いが強かろうが、毎日欠かさずやろうが、ヒトがやることで一朝一夕に結果が出ることなんてなかなかない。が、今日突然、ミホのプレイが先月の市中総体の頃と違うことに気付いた。「どこが違う?」と思ってミホだけを追っかけて観察していたらその違いに気付いた。ミホを呼んで「お前、それは意識してやってるのか?」と聞いたら返事は「??」だった。本人も無意識なのだ。2年間、そこを強調し、意識させてやってきてもできなかったのに突然できるようになっている。しかも無意識のうちに。こんなことってあるんだあ。
15年07月13日(月)  1昨日と昨日は主力選手にとってハードな練習だったので、主力選手は今日オフにした。今日の練習は1年生全員(17名)と、県中総体のエントリーに入っていない2年生(8名)の計25名だ。日頃初心者指導を丁寧にやりすぎると主力選手の練習が滞るので流してしまう場合がしばしばあるが、今日はアンテナをいっぱいに広げ、すべてに声かけをした。声が枯れた。ミニバスも中学生も、初心者の「ナイス!」や「オーケー」に対する反応は同じだ。50年前の私が今の私だったら、バスケット大好き子供をヤマほど創りあげられたのに… 
15年07月12日(日)  午後、古賀ミニバスに顔を出した。何回か顔を出すうちに顔と名前を覚えるが、今日目に付いた子がいたので得点板担当の子に「あの子何年生?名前は?」と聞いたら「3年生です。マオです」と言った。「いつからバスケ始めたの?」と聞いたら「3年生になってからです」という返事が返ってきた。14番の子だ。マオの後ろにいる15番の子が同じく3年生の結子だ。結子も3年生から始めたが、マオより約1ヶ月遅れで始めた。結子も始めたばかりにしては目がいい方だがマオの目はもっといい。今日は2時間、私の目はマオに釘付けだった。
15年07月11日(土)  午前中はひがながの強化練習。午後は某高校のクリニック。強く!とか速く!という動作をことばで言っても浸透しないから、強く!とか速く!という動作を私が自ら示さなければならない。ちょっと大変だった。スタート!という動作はそれほどでもなかったが、ターンとかストップの動作は左膝にきた。きたといってもクリニック後も尾を引く痛みではないので重症ではなさそうだが、用心々々。 
15年07月10日(金)  ひがながはオフ。今日はつばさ保育園と橘小学校の合同学習のお手伝いを9時から10時までして、その後学童クラブつめくさの送迎を午後3時から4時までした。これ以外はほとんど動かず、家の中でじっとしていた。昨日も今日も暑い。そんな時は体力を温存。明日と明後日のひがなが強化練習に備えることに専念した。
15年07月09日(木)  このところ寝ても覚めても選手の顔が浮かぶ。浮かぶのはスタメンの5人それぞれの弱点が現れた場面とその時のその選手の表情である。ここまできて弱点の矯正はもう考えない。弱点が現れそうになる兆候を早く察知することと、弱点が現れた時の被害を如何にして最小限に抑えるかということと、弱点が出た時の本人のダメージを如何にして少なくしてやるかということについて、あれこれ思いを巡らすのだ。昨夜は11時に床に着いたが深夜1時半まで寝つけなかったのでやむなくレンドルミンを追加服用した。 
15年07月08日(水)  朝からふとももとふくらはぎがパンと張っている。パンプアップだ。走ったのは1昨日なのに、パンプアップは昨日ではなく今日なのかい。クソ!だから、乳酸除去のために今日もゆっくり目に3q走った。夕方にはパンプアップは治ったが、大腿四頭筋が筋肉痛なのに気付いた。この筋肉痛は今日の走りでは起きないはずだからこれも1昨日のラン後遺症だろう。歳を取れば身体の異変は忘れた頃に発生する。これも私の真の姿だ。 
15年07月07日(火)  山崎語録選手の部47で「怒りは進歩の原動力」と述べてるくせに、6月23日のブログでは「県中総体までは怒りを封じ込める」と言い、今日は怒りの感情を込めて声を荒げた。未熟者め!が、どれも私の本音だし、私の真の姿だから仕方がない。ウーン…
15年07月06日(月)  昨日のミニバス指導や高校生クリニックではちゃんと動けたし、腸脛靱帯炎発症から2週間経つので、関節裂隙の痛みは気になるものの今日は試しに3q走ってみた。用心しながら走るので左足は膝をあまり曲げずに棒足状態で走った。走っている間も走った直後も痛くはなかったが、夜になって膝がパンと張った感じになった。大丈夫と言えるまでにはもう少し時間がかかりそうだ。
15年07月05日(日)  今日は、午前中ミニバスの指導をして、午後からひがながの指導をして、夕方某高校のクリニックをした。ひがながの指導をする時ももちろん自ら身体を動かすが、他チームの指導となるとその数倍身体を動かす。今日もちゃんとそれはできた。が、6月22日に発症した腸脛靱帯炎はずいぶん治まってきたものの、今日は関節裂隙(膝関節のすき間)に少し痛みを感じた。ひょっとしたら、あの時半月板も傷めていたのかしら?
15年07月04日(土)  昨日が最終日だったが、約1週間に渡って東長崎中学校は保護者や地域の方々に学校の実態を公開した。私にも校長名の公文書で案内が来た。今、東長崎中学校は荒れている。その実態と、それを先生方が如何にして正常な状態に戻そうかと取り組んでいる様子を見て欲しいのだ。特定の時間を設けた学校参観ではないので見せるためのパフォーマンスは一切ない。私は、その実態を見るには給食・昼休み・5時間目の開始あたりがもっともよい時間帯だろうと思ってその時間に出かけた。給食運搬の作業中に、エントランスホールでそれを指導している女性の先生に対し、ある生徒が「おばちゃ〜ん。俺の給食持ってきてえ〜」と言った。その先生は「私はおばさんじゃないよ。自分で取ってきなさい」と言った。もしこの先生が「誰に向かっておばちゃん呼ばわりしてるんだよ、このクソガキ!」と言ったら、世間はこの先生を「教師にあるまじき言動」と非難するのだろうか。また、この子の親は「ウチの子は教師に暴言を吐かれた」と学校に怒鳴り込んでくるのだろうか。
15年07月03日(金)  先月日本一の会への出席依頼文書が届いた。「俺はもう過去の人間だから辞退するよ」と回答したが、それは受け入れられなかった。この会の仕掛け人は清浦先生(今年80歳。教育長→副知事)である。初回は平成4年だった。招集されたメンバーは小嶺監督、井上監督、児玉泰介氏(旭化成→三菱重工)、中野尚弘氏、私、それに報道関係からNBCの北山氏、長崎新聞の城氏だった(…と思う)。その後日本一になった監督だけでなく、これからなるだろうと思われる若手指導者にも範囲が広がっていった。清浦先生が県体協の理事長を辞められてから約7年ほど中断していたが昨年から復活した。私は今日の会で卒業させて貰おうと思う。 
15年07月02日(木)  やっぱり!ウーン残念。錦織選手は棄権せざるを得なかった。しかし、去年大活躍をして世界ランキング5位まで駆け上ってきたがまだ25歳、これからのことを考えれば賢明な判断だったと思う。ケガは根性では治らない。昨日、ミナミは総合学習でのソーランの練習後膝の裏が痛くなったが、練習に参加しようとしたので止めさせた。県中総体を前にして練習を休むのはみんなに悪いと思って練習に参加しようとしたのだろうが、痛みがひどくなれば却ってチームに迷惑をかける。今は痛みを軽減させるために練習から離れることがチームへの最大の貢献となるのだ。
15年07月01日(水)  ギリシャが心配だ。昨日が借金返済の期日だったのに返せなかった。日本では2007年に北海道の夕張市が破綻した。外国では2013年にアメリカのデトロイト市が破綻した。それまでは、破綻というのは企業には起ることはあっても、町や市や国に起こることがあるとは思ってもいなかった。日本は、発展途上国に援助してはいるものの、日本が抱えている借金は今年の3月末で1053兆円もある。加えて日本は少子高齢化が進んでいる。これからの日本は、私のように(73歳)生産活動には加わらず、生きていくのにひたすら国の税金を使う老人(年金は、前もって納めているので貰って当然と言えばそれまでだが)が増え、若い労働力が減少していく。ギリシャ問題は対岸の火事ではないと私は思う。 
15年06月30日(火)  錦織の試合はフルセットにもつれ込んだ。しかし、危なかったという試合ではなかった。気になったのは最終セットにメディカルタイムアウトを取り、テープを巻き直したことだ。2回戦以降への影響がなければよいが。私は、テニスの試合を観ながらいつもバスケの試合をイメージする。こちらが有利。そこで取る策戦は@ここでたたみかける。A相手は焦っているから無理な仕掛けをせず、相手の自滅を誘う。のふたつである。中学生は幼いからどうしても@で決着をつけようとする。その手綱捌きを間違えると勝ちゲームを落とすことがある。
15年06月29日(月)  いよいよウィンブルドン大会が始まる。先週のゲリー・ウェバー・オープン準決勝戦を見た。錦織は右下腿部にテーピング。結局ふくらはぎの筋膜炎ということで棄権したが、私は筋断裂だと思っている。筋断裂ならばウィンブルドンの出場は危ういと思っていたが出るらし。今夜10時生放送で放映される。徹夜してでも見るぞ! 
15年06月28日(日)  今日の夕方6時から川崎先生を偲ぶ会が開かれたが、昨日の49日法要にも出席した中村和雄氏は昼間時間が空くので、午後2時から3時半まで少年女子国体チームのクリニックをすることになった。昨日の法要の席で私は中村氏から「お前、手伝いに来るよなあ」と言われたので、ひがながの練習後クリニックに顔を出した。中村氏は昨年12月に74歳になったがよく動く
15年06月27日(土)  午後2時から川崎先生の49日の法要が行われた。メンバーは、身内の方々と長崎県バスケット界の長老たちだ。だから、話題は昔話が中心になる。東の新井文定、西の川崎周之。懐かしい名前が出た。 
15年06月26日(金)  夕方6時半からブリックホールで行われた松山千春コンサートに出かけた(ひがながの練習はオフ日)。前回の公演は2011年12月16日。佐世保アルカスだった。この日は彼の56回目の誕生日だった。それより3年前に彼は不安定狭心症で緊急入院し、しばらくコンサート活動を休止していた。彼の心臓には現在ステントが5本入っている。アルカスでは「長崎で彼を見られるのはこれが最後かな」と思ったがまた来てくれた。彼は2年半ぶりの長崎と言ったが、たぶん勘違いしている。3年半ぶりだ。彼が初めて長崎に来たのは1992年(当時37歳)だった。コンサートではなく、雲仙普賢岳が爆発した翌年、共石がチャリティーバスケットを開催した際、特別ゲストとして来てくれたのだ(ノーギャラ)。しかも「ついでにギバちゃんも呼ぼう」とかなんとか言って当時売れっ子だった柳葉敏郎氏(当時31歳)も呼び(松山氏のポケットマネーで)、それならばと共石側は日本のプロバスケット選手第1号の外山英明氏(当時25歳)を呼んで、タレント軍団対共石レギュラーの試合をした。会場は、今では市民プールになっている国際体育館だった。もちろん超満員。松山氏は日本のバスケットが世界で活躍するのを熱望している。新生JBAのみなさん頑張ろうね。
15年06月25日(木)  スポーツ障がいの治療には安静がもっとも効果的だが、じっとしているだけでは身体がますます硬くなるので毎日ストレッチをやることにした。欠かさずやるのは左側の大腿筋膜帳筋ストレッチと大臀筋ストレッチだ。しかし、歳をとってどこもかしこも硬くなっているのでこれが効果的かどうかはわからない。
15年06月24日(水)  誤解されないように断っておくが、怒りを封じ込めるといってもニコニコしながら指導するわけではない。大きな声も出すし不注意は咎める。怒りを封じ込めるというのは、ことばの中に怒りの感情を込めないということだ。怒りをこらえるということではない。しかし、柳生石舟斉のことばではないが、言うは易く行うは難しですぞ。
15年06月23日(火)  今日から部活動再開。あと29回の練習でやることは1点に絞り込んである。内容は公開できないが絞り込んだ内容に迷いはない。さらに、市 中総体直後の怒りは封じ込めて県中総体までの練習に臨もうと思う。最も大切な試合を前にしての怒りは、選手の気持ちを奮い立たせるには何の役にも立たない。むしろ選手を畏縮させるだけだ。追伸:昨日傷めた膝、というより積み重ねてきた無理が昨日発症したのだが、自己診断の結果ランナーズニーだと思う。しばらく走れない。治療は安静しかない。
15年06月22日(月)  今日は終日安全運転管理者講習会だった。私はマイクロバスの所有者なので年1回必ずこの講習会を受けなければならない。本当は、私が指定された日時は11月16日(月)だったが、実施日4回のうちの1つであるこの日(部活がテスト前休み)に受講日時の変更願いを申し出た。長崎警察署の署員も交通安全協会の職員も私のことは誰もが知っていて「あ、ハイハイ、試合か何かですか?」と言いながらすんなり変更を受け入れてくれた。この講習会は今年で27年連続となる。追伸:受講後明日からの練習再開に備えて3q走った。走った後左膝の裏側と外側が痛くなり、膝をまっすぐ伸ばせなくなった。が、選手の膝でなく、私の膝でよかった。 
15年06月21日(日)  九州高校総体で長崎勢は昨日全部潰れたが、男子は福大大濠、女子は小林の優勝で今日幕を閉じた。最近高校の試合をあまり観ないので、女子の小林や若葉が全国でどこらへんまで行けるのかがわからないが、桜花の独走を脅かす(決して桜花の井上氏を憎んでいるワケでも嫌いなワケでもなく、第1人者と認めた上でのことだが)存在が是非九州から出て欲しいと思う。結果はGames & Schedule参照。
15年06月20日(土)  朝から大浦小学校で行われた長崎市内ミニバス南部リーグを観に行った。Aチーム同士の試合で古賀ミニはブロック1位になったが、決勝戦で逆ブロック1位の長崎ジュニアと対戦し、9点差で負けた。合間にBチーム戦もやったが私はこっちの方に興味があった。B戦はバスケットの入口に足を踏み入れたばかりのこどもたちの試合である。この時期にコーチからかけられるひと声は良くも悪くもその子にとって大きい。
15年06月19日(金)  選手の顔を見ない日が4日目。が、スクーターに乗っていても、バスを運転していても、パソコンに向かっていても、純心戦の選手のプレイと表情は毎日登場する。悔いや反省の材料として登場するのではないが、私の脳がリプレイ映像の中から好手を探し出そうとしているのだろう。
15年06月18日(木)  これは試合におけるスタメン5人のパフォーマンスのアップダウンを示したグラフである。もちろん常にこうなのではなく試合毎にその様相は違う。縦軸の5〜4は全国大会でも大丈夫、4〜3は九州大会なら大丈夫、3〜2は県大会ベスト4は大丈夫、2〜1は県大会ベスト4が危ない、という段階を示す。横軸の1〜32は試合開始から終了までの経過時間(分)を示す。このアップダウンが個人の力量に起因するのはもちろんだが、その時コートに居るメンバーとの相互作用によっても大きく変わる。これから約1〜2ヶ月の間に私に嫁された仕事は、お互いの相互作用によって個々の選手のパフォーマンスが2.5を下回らず、チームの総合力が3〜3.5を維持できる試合をさせることである。若者は誰でも危なっかしい一面を持っているが、一方何かのきっかけで信じられない力を発揮することがある。私の選手起用による相互作用でチーム力を3.5まで引き上げてやることができれば、あとは選手たちが自力で4〜4.5まで持って行くだろう。
15年06月17日(水)  NBAファイナル6戦目。ウォリアーズが勝てば40年ぶりの優勝。キャブスが勝てば7戦目で決着をつけることになる。私がウォリアーズの試合を見る時はクレイトンプソンから目を離さない。チーム全体のオフェンスやディフェンスには目もくれず、トンプソンの目つきや表情だけを追っかける。トンプソンが何を思いながらプレイしているのか読み取るためだ。しかし、今日のトンプソンはファウルが嵩んでベンチに下がっている時間が多かった。得点も僅か5点でファウルドアウトになった。トンプソンの表情以外ではレブロンとカリーを休ませるタイミングを考えながら見た。レブロンとカリーの交替を考える場面では常にひがながの選手の顔が浮かんだ。JOEとミホは脳がフリーズする兆候が見えたら替えなければならない。ミナミは心が揺れそうになったら替えなければならない。ハナは気持ちが沈みそうになったら替えなければならない。ルナはカリーやレブロンと同じように、疲労と残り時間の関係を考えながら替えなければならない。
備考:試合はウォリアーズ有利の展開ではあったが、残り8分レブロンの心が折れた時点で勝負が決まった。
15年06月16日(火)  今日から22日(月)までひがながは試験休み。今日は終日、昨日の試合のボックススコアを見ながらアタマの中で純心戦をリプレイさせていた。あと何を教えればいいのか、あの時どうすれば良かったかというのはない。あとは選手を、どんなことが起きてもブレない人間に近づける作業が残っているだけ。それを試験休み明けから29回の練習でどこまでやれるかだ。 
15年06月15日(月)  市中総体最終日。結果はGames & Schedule参照。
バスケットボールの技術や戦術を教えるのはそれほど難しくはない。その何十倍も難しいのが普通の生徒を部活動選手に育て上げることである。ISのように、誘拐や脅しによって洗脳するのではなく、アメとムチを使うのでもなく、選手たちの魂に響くことばと方法で、戦いの場に身を置くにふさわしい人間を育成しなければならない。しかも、勝利至上主義にならずに…。それがコーチの仕事だ。そんな難しい道に自分を踏み込ませた自分自身が時々恨めしくなる。
15年06月14日(日)  市中総体2日目。結果はGames & Schedule参照。
市中総体の会場は、観衆も選手も興奮状態の上に冷房がないので熱気ムンムンである。だから選手の気力体力の消耗が通常の試合より激しい。試合中何度も選手がもつれ合って転倒する場面があった。当然転倒したところは床が汗で濡れている。が、モップ係の生徒はサッと対応できない。かといって審判や大会運営に携わる者がそれを促すわけでもない。私はケガ人が出るのではないかとハラハラしながら男子の試合を観ていた。幸い、ふとももが攣って動けなくなった選手が出ただけでACL損傷などの重傷例は出なかったが、市中総体というのは異様な雰囲気の中で行われるのだということに運営側が気を配らなければならないと思う。今日戦っていた選手の中には、これから高校や大学でさらに上を目指そうと思っている選手がいるはずだ。そんな選手がもしもACL損傷などの重傷を負ったら、その選手は今後1年間足踏みしなければならなくなる。そんな事態を起こしてはならない。
15年06月13日(土)  市中総体初日。結果はGames & Schedule参照。
1昨日の激励式のことについて追加で述べておきたい。あの日私は校長の決意に敬意を表する内容をブログに書いたが、そのあと生徒に視点を置いて考えてみた。いつも風紀や秩序を乱して式典をぶっ壊してしまう輩が激励式で静かにしていたのは、校長以下職員たちの気迫や熱意が彼等を抑えたことがその要因でもあるだろうが、それだけではなく、一生懸命頑張ってきた部活動選手の晴れの舞台をぶち壊すのは気が引けるという気持ちが彼等の心の片隅にあったのではないかと思ってみたのである。もしこの予測が当たっているならば、彼等を更正させる可能性はまだ残っているかもしれない。 
15年06月12日(金)  NBAファイナル4戦目。2戦目と3戦目はレブロンの1対1を軸にしたコントロールゲームでキャブスが勝ったが今日はうまくいかなかった。これで2勝2敗の五分。私は5戦目以降のレブロンの体力消耗が気になる。もちろんチームも当事者もそれは百も承知。試合後の身体手入れは半端じゃない。さすがプロ。 
15年06月11日(木)  3時半からひがながで市中総体の激励式があった。私は先日私の手元に戻ってきたデジカメを持って体育館に出かけた。激励式の様子を見るのはもちろん、集会そのものの様子を見るのが目的だった。私は1昨年から「ひがながは荒れている」ということを耳にしていた。どれくらい荒れているかは集会の様子を見ればわかる。私はそれを見に行ったのだ。激励式は、入場選手紹介校旗授与校長講話生徒会からの激励と、粛々と進められた。私は、校長の講話内容と校長の立ち居振る舞いから、今日の激励式が粛々と進められたのだということを感じ、校長の「必ずこの学校を建て直して見せる」という並々ならぬ決意を感じた。先生方、がんばってください。 
15年06月10日(水)  NBAファイナル3戦目。1戦目でキャブスのアービングが膝のサラを骨折し、延長戦で負けた。だから2戦目以降は圧倒的にウォリアーズが有利だと思っていたが、キャブスが2連勝した。キャブスはレブロンの1対1からの仕掛けを中心に、他の選手がそれに合わせるというコントロールゲームで臨んだ。それが功を奏した。それにしても、2戦目と3戦目のウォリアーズのカリーはひどい出来だった。あれほどやりたい放題だったカリーでもこんなに狂うことがあるのか(・0・)。間もなく市中総体。選手を見る目に幅を持たせなければ…。参考になったぞカリー。 
15年06月09日(火)  県高校総体最終日。男子は長崎西の優勝(4年連続15回目)、女子は純心女子の優勝(13年ぶり12回目)で幕を閉じた。結果はGames & Schedule参照。昨日紛失した私のデジカメは今日観戦に行ったJOEママが体育館の事務室で訪ねたら落とし物として届けてあったそうだ。ウワ−!最近日本には外国人観光客が急増した。その外国人たちが日本の感想を聞かれて口を揃えて言うのが「ニホンデハ、ナクシタモノガカエッテクル。シンジラレナーイ」だ。これは世界に誇れる日本人の気質を表している。届けてくれた人に心からお礼を言いたい。感謝m(_ _)m。録画していた純心対鶴鳴長商対長西の動画は、折角撮ったのでUPすることにした。
15年06月08日(月)  今日は来週の市中総体の前倒し代休日なので、選手をマイクロバスに乗せて県高校総体決勝リーグを見せに行った。観戦の感想と市中総体案内はGames & Schedule参照。追伸:会場のどこかでデジカメを失くしてしまった。一応大会本部に問い合わせたが、今日のところは拾得物の届け出はなかったそうだ。
15年06月07日(日)  古賀ミニバスは午前が9時から11までが自チームだけの練習で、午後は0時から3時まで小野ミニバス(諫早)が古賀に出かけてきて練習試合をすることになっていた。ひがながはA練(8時〜10時半)だったので古賀ミニバスの午前中の練習には顔を出せなかったが、午後から小野ミニバスとの練習試合には顔を出せた。レギュラー選手の試合では古賀ミニバスのカエデとモモハは格が違っていた。Bチーム同士でも試合をさせて貰ったが、小野のBチームには人数が少なくて単独では組めない男の子たちが入っていたし、古賀ミニバスは逆に先日入部したばかりの下級生中心なので、小野のオールコートプレスを破れなくてボールがフロントコートに進まない。だが、バスケットボールという競技の特性を感覚的に捉えている動きが頻繁に出てきたので見ていて楽しかった。明日県高総体決勝リーグ観戦(ひがながは市中総体の前倒し代休)にひがながの選手を連れて行くが「お前ら(決勝リーグに残ったチーム)見ていて楽しくない試合をしたら承知しないぞ!」
備考:県高校総体2日目までの結果UP。詳細はGames & Schedule参照。
15年06月06日(土)  熊本市の泉ヶ丘小学校で行われた保育士の研修会に、つばさ保育園の先生方をマイクロバスで連れて行った。途中休憩で佐賀の金立サービスエリアに立ち寄った。そこでアメ玉を買った。1個が3日前ノドに引っかけたヤツの4倍ある。これで復讐だ! 
15年06月05日(金)  老人ホームにお勤めの介護福祉士Aさんから回答をもらった。@掃除機を使用する時は、細い吸い込み口に替えて口の中に入れてからスイッチを入れること。A但し、掃除機を使うとノドを傷つける場合があるので操作は要注意。さらに、今日までに2人の方から、電話とメールでまったく同じメッセージを貰った。「先生、お願いだから死ぬのはコートの上にしてください。アメ玉をノドに詰まらせて窒息死なんてダメですよ」 
15年06月04日(木)  飯盛体育館での練習帰りのバスを運転しながら「昨夜のアメ玉事件のようなケースは掃除機をノドに突っ込んで吸い出せばいいよって聞いたことあるなあ」と思い出した。でも、理屈では分かるけれども掃除機をノドに突っ込むのはかなり勇気が要る。2度とアメ玉をなめながらクスリを服用することはしないが、参考のためにこのような事例で掃除機を使った成功体験をお持ちの方が居たら要領を教えて欲しい。 
15年06月03日(水)  私は心房細動を抱えているので、朝と夕の2回血液サラサラのクスリ(プラザキサ)を服用している。今日も夕食後いつもの通りお湯で服用したが、ゴックンと飲もうとした時アメ玉を口に入れていることを思い出し、飲み込むのをやめようとしたがタイミングが遅れて変な飲み方になってしまった。だからアメ玉が喉頭部に引っかかった。さあ大変だ。ガハーッガハーッと、大きな咳で吐き出そうとするが出ない。呼吸器専門医?大学病院救急外来?救急車?いろいろ考えながらガハーッを繰り返したがアメ玉は出て来ない。アメ玉が気管を塞いでいるわけではないので呼吸は苦しくないがヘリウムガスを吸い込んだ時のような声しか出ない。「コレでダメなら専門医に頼ろう」と思って、のどぼとけの下(ほぼ胸鎖関節近く)に親指を強く押し当てて上方にしごき上げながらガハーッを2回繰り返したら、カツーンという音をたてて洗面台にアメ玉が飛び出してきた。お年寄りが誤嚥性肺炎で入院したということを時々耳にすることがあるが、たぶんこんな状態なんだろうなあと思った。私も73歳なので充分お年寄りだ。今後、アメ玉とクスリを同時に口に含むことはやめようと思う。
15年06月02日(火)  今日と明日の2日間で、延び延びになっていたつばさ保育園のマテ貝掘りを実施する予定だったが、明日の天気予報が芳しくないので、今日2台のマイクロバスを駆使してつき組さんとほし組さん同時に実施することにした。干潮の時刻が午後3時12分と遅い時間帯なので、午前中に仲良しのわかくさ保育園(島原市内)に立ち寄って、トウモロコシを剥いて茹でたりポニーと遊んだりした。マテ貝掘りはバスを返す時間の都合でつき組さんだけしかできなかった。ほし組さん来年たくさん取ろうね。 
15年06月01日(月)  今日、JOE・ミホ・ルナ・ミナミ・ハナの5人はオフ。だから今日の練習は下級生主体の練習になったが,、この5人は下級生の指導にも顔を出させなかった。いい仕事をして貰うには、アタマの中から仕事のことを空っぽにする日を作ってやることがとっても大切なのだ。 
15年05月31日(日)  フタバヤカップ最終日。結果はGames & Schedule参照。1日3試合はさすがに堪えたらしく、主将のJOEは帰りのマイクロバスが出発するや否や爆睡。 
15年05月30日(土)  フタバヤカップ初日。結果はGames & Schedule参照。新ユニフォーム初おろし〜っ。 
15年05月29日(金)  今日ひがながバスケは定休日。夜、つばさ保育園のつき組さんほし組さんのお泊まり保育の一環で毎年やっている蛍見物に、中島先生にも手伝って貰い、マイクロバスを2台とも出した。蛍はたくさんいたが毎年カメラには1匹も映らない。 
15年05月28日(木)  19日にJOE・ミナミ・ホナミがふともものの筋肉を傷めたし、ユウコは体調不良で入院したので、どこも傷めていないミホ・ハナ・ルナも3q走から除外し、しばらく練習の主体を新入生に置いてきた。が、今日から主力選手が全員復帰して通常の状態に戻った。私は選手のケガには神経質で、ちょっとでも異常があれば休養か練習軽減を優先させる。今回も市中総体を前にして主力選手には約10日間のブランクとなったが、痛みを抱えたまま重要な試合に臨むよりはるかに有効な措置だったと私は思っている。一方、使い過ぎ症候群の兆候があった2年生のA子とB子にはずっと前に「しばらく痛みを感じる動作は禁止だ」と言って3q走はさせなかったが、昨日「いつまで休むつもりだお前達はーっ」と怒鳴りつけた。
15年05月27日(水)  昼間12時から2時まで2時間、高圧洗浄機でガレージや玄関前のコンクリート苔を掃除した。ノズルを地面から離せば苔は取れないから地面すれすれまでノズルを持って行く。だから時間がかかる。レバーを押さえている手は震えてくるし腰は痛くなってくる。昨日の筋肉痛に加えて今日は腕まで痛くなったが、そんなことを理由に「今日の3q走は休もうかな」と思っている自分が許せなくて無理矢理走った。ヘロヘロになった。
15年05月26日(火)  7時半に起きて朝食を食べたあと2時半までずっと眠ったり目覚めたりしながらゴロゴロしていた。身体が疲れている。背筋と大臀筋はバリバリの筋肉痛だ。このところ主力選手に怪我人が多くて新入生に教えることに重点を置き、手取り足取り教える時間が多かったからだろう。ハァ〜
15年05月25日(月)  ひがながの校区の小学校はどこも今日は運動会の代休日。だから学童クラブは放課後ではなく朝から開いている。結子は午後4時からスイミングに行くが、朝から4時まで学童で過ごすのは退屈だと言ったので学童はお休みして牧島の防波堤に釣りに連れて行った。仲良しのアオちゃんも連れて行きたかったが、アオちゃんはスイミングに行かないので4時以降は宙ぶらりんになる。だからアオちゃんはやむなく学童に行き、結子だけしか釣りに行けなかった。釣果は、木っ端グロ11匹。いつもの通り釣った魚は自分で捌かせた。ヨシ!
15年05月24日(日)  今日のひがながの練習割り当ては8時から10時半まで。今日はひがながの校区の小学校すべて(古賀・矢上・高城台)が運動会なので、昨日「妹や弟が居る選手は家族と一緒に運動会を観に行っていいよ」と言っておいたが、9時半で練習を抜けたのが16人。そんなに抜けたのに、体育館にはまだうじゃうじゃ選手が居た。私もちょっとだけ運動会に顔を出したがな〜んだか身体がだるく(風邪が抜けきっていないのかもしれない)、昼過ぎに自宅に帰りゴロゴロしていて一歩も外へ出なかった。 
15年05月23日(土)  ひがながの練習は10時半から1時までの割り当て。だから、まず9時開始の古賀ミニバスに顔を出した。古賀ミニバスは3月まで部員が9人しか居らず、公式試合のエントリー数に満たなかったが4月から下級生の新入部員が増えて総勢16人になった。だが、下級生の新入部員はやらされることの意味も要点も分からないので上級生の練習の足手まといにしかならない。そこでちょいと新入部員の手ほどきをしてやろうと思って出かけたわけだ。ひがながの練習が始まる前の約1時間ほどしか居られなかったが、これからも時間が合えば顔を出そうと思う。ひがながバスケにも初心者が14人も入ったが、初心者には絶対に辛い思いをさせてはならない。「楽しい!」という思いと「出来た!」という喜びを感じさせることが大切だ。
15年05月22日(金)  昨日テレビのニュース番組で「日本代表ハンドボールチームの8人が、味トレで合宿中に禁煙場所でタバコを吸い、厳重注意を受けた」という話題を取り上げていた。多くの人が「日本代表のスポーツ選手がそんなことを?」と思うだろうが、その根っこはもっと遡るところにある。私が鶴鳴に奉職中、インターハイ等の全国大会において、宿舎裏で強豪常連校の選手たちがタバコを吸っているのを数回見かけたことがあるし、大広間での食事は食い散らかして残し、自室に戻ってカップラーメンを食べてその器を窓から宿舎の屋根に投げ棄ててあるという光景も目にしたことがある。また、大学・高校・中学を通じて、程度の差はあっても上級生が下級生に雑用をすべて押しつけて自分はふんぞり返っているという状況が、スポーツ界では当たり前の上下関係のけじめだと思っている風潮が今だにはびこっている。味トレタバコ事件の根っこはこんなところにあると私は思う。これは、選手の周囲のおとなたちが選手の教育や躾をちゃんとできないからに外ならない。東京オリンピックが誘致できても、このような悪しき伝統を引き継いてスポーツ選手が日本代表となってどんなに好成績を挙げても、国民に感動を与えることはできないだろう。 
15年05月21日(木)  ミナミは、ふとももだけでなく左足の甲も痛いと訴えてきた。私は直感的に「え!疲労骨折?」と思ったが靴を脱がせて診るとリスフラン関節を傷めていた。それも軽傷で、第2中足骨の関節だけを傷めており他の4本は無事だった。「いつから?」と聞いたら「先週土曜日(16日)の練習試合の時に踏まれて…」とミナミは言ったがその言葉が終わる前に私は「バカモノーッ」と言ってゲンコツを構えた。ミナミはすっ飛んで逃げたが、すぐ申告しなかったから叱られたということをミナミは充分わかっている。さらに昨日、JOEがハムストリングスの痛みを訴えてきた。たぶん体育大会のリレーその他をムキになって頑張った後遺症の軽い肉離れだと思う。そんなこんなでここしばらくは生き残っている選手の個人技に焦点を絞った練習しかできない。 
15年05月20日(水)  今日の3q走は苦しかった。風邪症状は治まっているはずなのに走ってる間ずっと胸(気管)が痛いのだ。「歳のせいかなあ」と思いながら走ったが、走り終わって気が付いた。空が霞んでいる。「これだ!」と思った。帰ってからネットで調べたが、私が走っている間のPM2.5は43.8だった。日本国内の基準値35の1.25倍の値だ。
15年05月19日(火)  体育大会明けの練習再開初日。ミナミとホナミがふとももの痛みを訴えてきた。体育大会で頑張りすぎたんだろう。軽い肉離れだと思う。もちろんこの2人はチーム練習や3q走から除外する。ミナミは最近シュートのリリースを自分のものにしたし、ホナミも役割は分かっていて大改革しなければならない箇所はないのでこの2人がしばらく休んでも痛手はない。この期間を利用してミホの改造に全精力を傾注しようと思う。 
15年05月18日(月)  「君、何年生?」「2年生です」「ほう、老けてるね」 これが川崎先生と私の初めての会話である。55年前、長崎東高校で行われた高校生の強化練習会での出来事だった。ここ数年、川崎先生は愛宕病院で寝たきりだったが、平成7年10月14日、福島国体(会場はいわき市)でアキレス腱を切ってしまってからそれまでのエネルギッシュな行動が影を潜めていったような気がする。その時の状況は、少年女子の部の決勝戦(愛知県対長崎県)を観に来た川崎先生が、早く試合を観たくて役員送迎用のバスから降りたあと走り出し、雨上がりのグランドに敷いてあった人工芝のマットの端に引っかかって転倒したのだ。「80歳にもなって無理するからだよ」と言えないこともないが、私は80歳になってダッシュしようとする川崎先生の気持ちがすごいと思う。この事件には裏話がある。川崎先生より少し遅れて会場に到着した谷口善治先生(当時の県協会理事長)が、選手に「どうみんな?ケガ人はいない?」と聞いたら、キャプテンの櫻田が「1人います」と言ってステージを指さした。そこにはギプスを付けて車椅子に乗った川崎先生が居た。川崎先生ほどに長生きはできないと思うが、命ある限り長崎のバスケット界発展のために俺たちがんばるからゆっくり休んでくださいよ。合掌
15年05月17日(日)  今日はひがながの体育大会。昨年に引き続き今年も東公園グランドでの実施だ。工事中のひがながグランドは今年の夏に完成する。保育園や幼稚園や小学校の体育大会は可愛いが、中学生や高校生の体育大会はおもしろくない。なぜなら、折角のイベントをぶちこわす行動をする現役生徒や卒業生やその仲間たちが会場内をうろうろしているからだ。おとなのみなさん、こんな輩が闊歩できない世の中を作るためにもっと力を付けましょうよ。 
15年05月16日(土)  川崎先生の通夜は17日午後6時。告別式は18日午前11時。典礼会館(長崎市光町7−1tel0958614433)喪主は長男の川崎秀樹氏。と決まった。
15年05月15日(金)  12日のブログを見たT氏から1昨日の夜電話がかかってきた。「先生!J氏って誰ですか?」「バカヤロー、ノーコメントに決まってるだろ。お前に実名を明かすぐらいならブログも実名で書くよ。何が知りたい?」「いやいや、ボク以外に先生にそんなに食らいついていく人が居るのが悔しくて」「会ったこともなくそのコーチのチームの試合を見たこともないH氏から、もう2年以上メールでのやりとりがあるし、俺の身辺にはいろんなことが起こるよ」
15年05月14日(木)  今朝10:45、川崎先先生が逝去された。100歳1ヶ月。大往生だ。合掌。
15年05月13日(水)  月曜と水曜は3qランをやる日だが今日は中止した。もちろんそれは事前に選手には伝えてある。理由は、今日終日東公園グランドで体育大会のリハーサルが行われたからだ。そんな時にまた日に照らされて3q走らせても効果がない。 
15年05月12日(火)  帰宅したのは夜10時過ぎだ。飯盛体育館での練習が終わって選手をそれぞれの家まで送り届けたのが8時。その後J氏から相談を受けていた事案への対応をした。メールで、電話で、直接会って、いろんなかたちで私は相談を受けることが多い。範囲は全国だ。相談内容は、指導法について、ケガのことについて、チーム管理について、保護者対策についてなど多岐にわたる。そのような相談について私は、若い頃目一杯わがままをして上司や同僚や選手や保護者に迷惑をかけた恩返しのつもりで当たるから決して手は抜かない。
15年05月11日(月)  風邪症状はまだ治まっていない。風邪症状がひどく、金曜日に初めて3qランを休んだので今日は休むわけにはいかないと思って走ったが、走っている間ずっと胸(気管)が痛く、それが帰宅してからも治まらない。昔は38℃の熱でも選手と競争して5qランをやったんだけどなあ。ハァ〜 
15年05月10日(日)  今日もまだ鼻がグスグスする。加えて倉敷遠征後にさらに強化を進めている個人技の要点を身をもって示す回数が多くなったので筋肉痛で身体のあちこちが痛い。だから、練習指導に出かけるまでは家でじっとして体力を温存している時間が多い。倉敷遠征後今日まで、スタメンの5人は他の選手より1時間遅れで練習に参加させ、心身の疲労を抜く時間を取った。明日からはまた通常の練習に戻り、1ヶ月後の市中総体までに個人個人のバージョンアップさせることを目標にして取り組みたい。
15年05月09日(土)  夕方6時に銀鍋に呼び出された。昭和48年全中優勝メンバーが久しぶりに集まるので食事会をしましょうというのだ。行くと6人のメンバーが集まっていた。みんな今年の誕生日で57歳になるおばさんたちだ。懐かしい半面昔の教え子に会ったり昔の事が話題になるとバカだった頃の自分が思い出されて脂汗が出る。
15年05月08日(金)  昨夜また寝冷えをして今日は1日中鼻水とクシャミが止まらなかった。5月になって3回目だ。加えて、倉敷遠征で2日間審判をした筋肉痛が今日になって出てきた。というわけで今日は体調最悪。しかし、自分の身体に何が起ころうとあと7年潰れるわけにはいかない。 
15年05月07日(木)  まだ体育館で履いてはいないが、結子が遂にバスケットシューズを買った。土曜日(9日)初下ろしらしい。あと7年、死ねないしボケられない。さあ大変だ。 
15年05月06日(替)  今日ひがながの練習はオフ。宇部・倉敷遠征報告はデータを報告するのが精一杯でコメントはほんの少ししかできなかったので今日5日間の総評をする。キーワードは”仲間”だ。宇部遠征では慶進高校と宇部中央高校の面倒を見た。倉敷カップでは地元の翠松高校に加えて慶進高校と下関商業が参加した。これらのチームは皆、県内大会か中国地区大会で顔を合わせるはずだ。そんな状況に置かれた場合、相手に手の内を見せたくないのでエースを出さなかったり、日頃練習しているオフェンススタイルを隠したくなるものだが、この仲間達には微塵もその気配がない。「互いに勉強しましょう」という気持ちが満ち溢れている。これがすばらしい。仲間と言えば、倉敷カップでは最長老の私(73歳)をアタマに、69歳・63歳・62歳・62歳と、長老たちが30年前と変わらない姿で選手に激を飛ばしている。これもまたいい。そんな仲間に囲まれながらコートに立てる私は幸せ者だ。 
15年05月05日(祭)  倉敷遠征最終日。ミホの打撲は軽傷で済んだようなので少しだけ使ってみた。大丈夫だった。ミホの負傷のおかげでナツメはずいぶん出番を貰い、勉強になったようだ。ナツメ以外に大きな収穫がふたつある。ひとつはユウコだ。試合に出ると本気でシュートを狙うようになった。もう1つは主力選手のみんなが相手チームが変わる度にしっかり学習して対応することだ。だから1ピリより2ピリの方が内容が良くなる。おおいに収穫ありの遠征だった。 詳細はGames & Schedule参照。帰路の上り車線は大渋滞だった。
15年05月04日(祭)  倉敷遠征2日目。ミホは昨日ふとももを打撲したので今日は出場させなかった。歩けるし小走りもできるが、ふとももの打撲は無理すると化骨性筋炎になることがあり、長引くとやっかいなので大事をとった。
詳細はGames & Schedule参照 
15年05月03日(日)  倉敷遠征初日。夕方は時間がないので昼休みに更新する。午前の2試合目にミホが密かに練習していたオフェンスリバウンドでタップショットを決めた!スゴ〜イ。中島先生から賞金をゲット(ここまでは昼休み時間を利用して更新)。夕方少し時間が取れたので午後の部もUP。詳細はGames & Schedule参照 
15年05月02日(土)  午前中は宇部中央高校でスクリメージ、というよりひがながの選手を使いながら中央高校の手直し。午後は場所を慶進高校に移して同じようなことをやった。今日1番疲れたのは私だった。だから、宇部→倉敷の運転は中島先生に少し長めにやって貰った。 
15年05月01日(金)  宇部・倉敷遠征移動日。学校出発は午後4時半の予定だったが、体育大会の係打合せ会で遅れ、5時出発となった。慶進高校に着いたのが午後8時15分。明日の打ち合わせをしたが、明日午前中は宇部中央高校で練習。午後からは慶進高校で練習しそれから倉敷に向かう。慶進高校も中央高校も、ひがながとスクリメージをするというよりも自分のチームの方向性を見て貰いたいらしい。はいはいやりましょう。、 
15年04月30日(木)  昨夜は暑かったので上はTシャツだけで寝た。明け方4時頃フッと目が覚めて布団と毛布を全部蹴飛ばしていることに気付き、布団を掛け直してまた寝たが案の定寝冷えした。今日は終日くしゃみと鼻水とノドのイガイガで不愉快だった。終日不愉快なままプリンターのインクカートリッジ修理作業そしていたら、ドライバーで親指をブスッと突き刺した。イテーッ!明日から山口・岡山遠征の長距離運転なので今日は早めに寝る。 
15年04月29日(祭)  長崎新聞社杯最終日。結果はGames & Schedule参照。 
15年04月28日(火)  4月26日(日)。結子はママに連れて行って貰って古賀ミニバスの体験学習をしたそうである。自主的に言い出したのだそうだ。その日は最初半べそ状態だったそうだが、帰る頃にはすっかり落ち着いて「ユイちゃんまた来る」と言ったらしい。そして今日、学童送迎のマイクロバスの中で「ユイちゃん明日も行くよ」と私に言った。さらに「でもね、ママも山崎先生も見に来ないで欲しい」と言った。「どして?」と聞いたら「知っている人から観られていると気が散るけん」と言った。恥ずかしいからではない。集中できないからなのだ。ママも私も、しばらくは誰かが付いていって見守ってやらなければ1人で参加するのは無理だろうなと思っていた。あに図らんやこんなセリフが結子の口から出るとは…。加えて、時期をそれに合わせたわけではないが学童つめくさの理事長が前々から計画していた園庭の隅へのバスケットリングの設置が25日(土)に完成した。ワーッ。 
15年04月27日(月)  川崎先生が百歳になられた。すごい!おめでとう。 
15年04月26日(日)  長崎新聞社杯2日目。結果はGames & Schedule参照。勝ち上がり表はどこにもUPされないので分からない。ただ、男女ともシードチームが順当に勝ち上がったようだ。男子は滑石・土井首・淵・小ヶ倉。女子は東長崎・純心・横尾・小島。  
15年04月25日(土)  長崎新聞社杯初日。結果はGames & Schedule参照。 
15年04月24日(金)  新入生を加えてチーム紹介ページを更新したら、2年生と3年生の顔が幼すぎるので撮り直した。「よかった、あの写真はずっと気になっていたんですよ。朝早く撮ったのでみんな目が腫れてるんです」と言われた。そんなの全然気が付かなかった。 
15年04月23日(木)  昨日の深夜1時に放映されたNBAプレイオフの録画を観た。カードはクリーブランドキャバリアーズ対ボストンセルティックスだ。私は、個人的には気に入っている選手、例えばマヌジノビリやクリスポール等がいるが、チームとしては昔からボストンセルティックスのファンである。バトラー大学(インディアナポリスにある小さな大学)を2年連続NCAAファイナルに導いた実績を買われてボストンセルティックスのヘッドコーチに招かれたブラッドスティーブンス氏(38歳。若い!)の采配ぶりを始めて観た。レイアレン・ケビンガーネット・ポールピアース・レイジョンロンドが去ったあとのセルティックスの選手たちを私は知らない。今日の試合も私が知っている選手は1人も居なかった。が、昔デトロイトピストンズに居たアイザイアトーマスと同姓同名の小さな選手(175p)が私の目を引いた。NBAのボストンセルティックスとニューヨークニックスは日本のプロ野球で言えば巨人阪神みたいなもんだ。是非復活を遂げて欲しい…というより、ブラッドスティーブンスコーチにがんばって欲しい。彼のような知的なコーチが私は好きだ。 
15年04月22日(水)  現在、ひがながの女子バスケ部と学童つめくさの送迎に私のローザを使っている。もう1台、三根氏所有となっている古いローザは土日に鶴鳴や小ヶ倉中のバスケ部で使う時があるが原則月〜金は学童つめくさの送迎に使わせて貰っている。これは現在私が使っているローザの前の前に使っていたものでかなり古い。先日ワイパーのモーターが故障して、昨日と今日の2日間でその修理をした。だから昨日と今日のつめくさの送迎はピストン輸送で私のバスだけで回した。てんてこまいだった。フーッ。 
15年04月21日(火)  新入部員を加えての初の飯盛体育館練習。私のマイクロバスと中島監督のVOXYと未央ママにもVOXYを出して貰って輸送した。帰りは全ての部員を自宅のすぐ近く(学習塾に行く子は塾の前)で降ろすのだが、今日は通常より30分以上かかった。これが夏休みまで続く。何とか保護者に負担をかけないような方策を考え出さなければならない。以前、理事長に頼まれて55人乗りの大型バスの中古車を長崎バスから鶴鳴学園が購入するのに関わったが…、ウーン…。備考:長崎新聞社杯案内UPGames & Schedule参照。 
15年04月20日(月)  私が長崎市教委を辞めて鶴鳴に移籍したのは昭和52年4月1日である。鶴鳴はそれから3週間後の県下春季選手権決勝戦で活水高校に負けた。それまで10年間県内では無敗だった。鶴鳴はその夏の高総体で優勝してインターハイに出場したし、秋の国体ではベスト8(青森県八戸市での天覧試合だった)に入ったし、年が明けての全国選抜大会(現在は12月に行われているウィンターカップで、当時は3月に行われており、2月の九州春季選手権で2位以内でなければ出場できなかった)では2位になった。そんなに強いチームだから県内で負けはしないはずだが、組織というのは内部でちょっとした異変や事件が起こると崩壊することがあるというよい実例だった。だから、監督の交代劇があり、しかも1月に行われた県新人戦では3回戦で負けている鶴鳴にとって、今回のベスト4進出というのはとてつもなく大きな出来事だった。Games & Schedule参照。
15年04月19日(日)  今日ひがながの練習はオフだが、4人の選手が高校春季大会を観に行きたいというのでCUBEで連れて行った。会場は佐世保工業高校。未央のお兄ちゃんが日大高校に所属していて、日大の試合はそこで行われるのだ。私は過去男子の試合を熱心に見たことはない。プレイだけでなく、選手たちの立ち姿からオフコートの振る舞いに不快感を覚えることが多かったからだ。しかし今日はすがすがしい高校男子の試合を観せて貰った。中でも、日大高校の米須楽人(よねすがくと=志佐ミニバス→西大村中→日大高校)君に魅了された。長崎の「ステファンカリーだ!」と思った。ガクト君サンキュ〜。 
15年04月18日(土)  16日(木)で今年度の部活動入部希望が締め切られた。昨日はオフだったので今日のC練(13:00〜15:30)に新入生は初登場。入部希望締め切り日にキャプテンJOEが新入生に、「新入生は20日の月曜日の練習から本格的な活動になるけど、希望者は土曜日から始めてもいいよ」と言ったらしい。今日は9名の新入生が参加した。16名の新入生が入ったようだが、20日(月)は学校で半面練習。そこに40人の部員がひしめくことになる。火曜日と木曜日は飯盛体育館に出かけての練習だが、40人はマイクロバス1台では1度に運べない。だからと言って「素人の新入生は隅っこでハンドリングの練習をしておけ」とか「上級生が飯盛練習の日は1年生は3qランだけやってから帰れ」というような扱いはしたくない。大変だあ。
追伸:新チームの顔ぶれはnewpage4参照。
15年04月17日(金)  寺島慧君がこのブログに登場したのは2011年9月23日である。当時3歳だった。次に登場したのは今年の3月29日(日)。保育園を卒園して今年から1年生だ。12日(日)の古賀小の練習見学に3名の新入生が来たそうだが、翌13日(月)慧君は入部申し込みをしたそうだ。コーチ曰く「部員が12名居るので、早く入部しないとユニフォームが貰えないかもしれないという危機感を感じたのでしょう」。さあ、富樫への挑戦が始まったぞ。
15年04月16日(木)  家に帰り着いてスクーターを降りてから玄関まで足がふらつく。歳が歳だから脳梗塞の前兆かなと思った。居間の自分の定位置に座り、テレビを見始めたがふらふらは治まらない。「俺、腹が減ってることに今気が付いた。何か食べるものある?」と嫁に聞いた。ふらつきは血糖値低下だったのだ。もう1ヶ月以上私は朝飯だけしか食べていない。前回の馬場医院受診の時に院長から「今日は久しぶりに診察しましょうか」と言われて診察を受けた。いつもは血圧を下げるクスリ(バルサルタン)と血液サラサラのクスリ(プラザキサ)を4週間分貰って帰るのだが、時々こうして診察を受けて院長と世間話をして帰る。その診察の時に体重を量ったら66sだった。2sオーバーだ。その日から私はダイエットすることを決め、嫁に「今日から朝飯だけしか要らない」と言った。その時以来体重は量っていないが、血糖値が低下するほど摂食するのもバカげていると思って今日は夕食を食べたのだ。食べた内容は、メカブと裂けるチーズ1本とクッキー6枚ほどだ。間もなくふらつきは治まった。しかし、明日から夕食はちゃんと食べるのかどうか今のところ分からない。
15年04月15日(水)  今日の3q走で遂にJOEが12分台に突入した。結果はmaterials参照。JOEは昨年10月22日の血液検査でヘモグロビン8.8、血清鉄13の貧血だということが判明した。その治療のために約1ヶ月半休ませたあと徐々に復帰させてきたが、復帰後は毎回「前回よりもいいタイムを!」と思いながら走っているのがこっちにビンビン伝わってきていた。アッパレ!。これまでの経験上、こんな選手がいるチームは決して沈まない。
15年04月14日(火)  高城台小学校の3年2組は昼休みに担任の先生が審判をしてくれて体育館で男子チーム対女子チームのバスケットの試合をしたらしい。ルールが分からない子もいるので1ゴール1点でやったそうだが結果は11対7で女子チームの勝ち。11点の内訳はアオちゃんと結子が2人で全得点をたたき出したようだ。そのうち9点が結子の得点。しかも最後の1本はブザービーターだったそうだ。でもミニバスに誘うのはまだまだ。焦らず、アオちゃんや結子が自分の方からミニバスをやりたいと言ってくるまで待とうと思う。 
15年04月13日(月)  昨年1月の鶴鳴招待合宿で発症した腰痛はしばらく鳴りを潜めていたが、昨日の審判でまた存在を自己主張しやがった。発症当時のように歩けないとか走れないとかではないが、今日大学病院に行ってトラムセットをまた貰ってきた。カルテを見たらクスリを貰うのは3ヶ月ぶりだった。日頃素早い動きを節約して指導するからこうなったのだと思うので、明日からは示範をする時もシャキッと動こうと思う。大学病院の帰りについでに歯医者にも立ち寄り、右下奥歯の歯茎にメスを入れた。歯周病でずっと痛みが続いていたからだ。歯周病は歯茎のポケットに食べ物のカスが入って感染を起こすのだ。メスでポケットを削ったらポケットの下の骨の1部が溶けていたらしい。年々、こうしたメンテナンスがこの他にも増えてくるのだろう。
15年04月12日(日)  鶴鳴杯最終日。結果はGames & Schedule参照。鶴鳴のセミナーハウスには北九州の篠崎中と佐世保の清水中の2校が泊まった。主催者の三根コーチも当セミナーハウスの監督室に然泊まらなければならない。私も泊まるということを事前に三根氏には伝えておいた。体育教官室でバスケット談義をするためだ。泊まらないコーチで一旦家に帰ってからまた出てきた人もいた。こんな時私は懇親会と称して街に繰り出したりはしない。バスケット談義は深夜11時38分まで続いた。
追伸:昨日と今日審判を2試合したが、ダッシュ力が落ちていることに気付いた。イカン!
15年04月11日(土)  鶴鳴杯初日。結果はGames & Schedule参照。鶴鳴はヘッドコーチ三根正美氏(事務長)アシスタントコーチ天羽菜月先生(純心→東海大→鶴鳴新採用)の新体制でスタートしていた。中学生のゲーム終了後チーム練習を始めたが、ジッと見ていると気になるだろうと思い、体育教官室に引っ込んでパソコン作業をしていた。それでも教官室を出入りする際にチラッとコートに目が行く。雰囲気は良さそうだった。私が生きている間に再び鶴が舞い上がってくれればいいが…。 
15年04月10日(金)  金曜日は隔週で、体育館半面使用可の日と不可の日があるが今日は使用不可の日だった。不可の日は通常練習オフとしているが、今週は今日実施された実力試験のために昨日と1昨日の2日間テスト前休みにしたので今日はオフにせず、飯盛体育館を借りて練習した。出来は最悪。身体が重いとか動きが鈍いというだけでなく、プレイを決めに行く意志にもブレがあり、最後まで噛み合わなかった。怒鳴りつけたりはしなかったが怒り心頭。帰りはいつもの通りマイクロバスでそれぞれを送り届けたが、家の前に到着しても「お〜い、到着したぞ」と言わなければ降りる準備をしないのが3人も居た。バスの中で寝てしまっていたのだ。それを見た私は、「こいつらテスト前は本気で深夜まで試験勉強をしていたんだな」と思って怒り心頭を解くことにした。 
15年04月09日(木)  1昨日は日本中が冬に逆戻りしたが、その際私の身体に風邪のウィルスが数匹侵入してきたようだ。グスッ。 
15年04月08日(水)  金曜日に実力テストがあるので、今日と明日のひがながバスケはオフ。午前中はパソコンにかじりついてコネティカット大とノートルダム大の決勝戦のスコアをプレイバイプレイで見ていた。コネティカット大がノートルダム大を63−53で下して優勝した。昨日は男子の部の決勝戦が行われ、デューク大がウィスコンシン大を68−63で下して優勝した。女子のコネティカット大も男子のデューク大も名門の大学なので順当と思ってる人が多いと思うが、今年の男子は実はケンタッキー大がダントツで強かった。それが準決勝でウィスコンシン大に負け、それをまたデューク大が破ったのだ。私はケンタッキー大に入れ墨だらけの選手がいるので、どこかがケンタッキー大を破ってくれればいいなあと思っていた。よかったよかった。
15年04月07日(火)  このところ漫画雑誌を読むのに4日ぐらいかかることが多くなった。以前は1日あれば読み終えていたのだが最近は1話読めば息継ぎをしてから読まないと次を読めない。読んでいる途中に選手の顔や練習風景がアタマに浮かんできて漫画に集中できないのだ。まだまだバスケ指導に余裕を持てない状況は相変わらず続いているが、最近練習中に怒鳴りつけることが少なくなったのは救いだ。理由は少しだけだが”決めてくる力”が向上したと思える場面が見られるようになったからだ。倉敷遠征まであと24日、カーブも下り坂もアクセル踏みっぱなしで突っ走るぞっ。 
15年04月06日(月)  ほとんどの学校が今日は始業式。今年の学童クラブつめくさは4年生以上の生徒はゼロになった。結子とアオちゃんはバスに乗る前に私のところに駆け寄ってきて「一緒のクラスになった〜。チョー嬉しい」と言った。今年は楽しい学校生活が送れそうだ。備考:鶴鳴杯の組合せに訂正があった。Games & Schedule参照。
15年04月05日(日)  今日はバスケットボール協会の評議員会。6年前に理事長を辞めてから1度も出席していなかったが今日は顔を出した(顧問として)。今年は役員改選期ではないが、国体が終わって会長と理事長が辞任したので組織改革をした。新組織の顔ぶれとその雰囲気を見て長崎県バスケット界の今後を見極めようと思ったから出席したのだ。協会役員はすべてボランティア活動である。それでメシを食っているわけではない。学校現場でも校内人事が行われる時期だが、年々学級担任を引き受けたがらない教員が増えている。協会の役職を担っている人に比べればそんなの言語道断だ。学級担任を外れて楽な仕事をしながら給料は学級担任と同じ額を貰おうとする教師が真っ当な教育活動を出来るはずがない。
15年04月04日(土)  雨の合間を縫って3q走は実施できた。結果はmaterials参照。だが、ここ2〜3日の雨風で桜は散って、路面は桜の花びらだらけだった。 
15年04月03日(金)  私が鶴鳴を退職するまでは毎年、3月末にJXひまわり杯に参加し、それから徳島の城北錬成会に参加してから長崎に帰るというのが定番になっていた。城北高校の富田先生も1昨年定年退職したが、非常勤講師として残ってバスケ部は引き続き指導しており、錬成会も継続してやってるそうだ。「山崎先生の話題をサカナにして飲んでますよ」というメッセージと画像が届いた。みんないい顔している。 
15年04月02日(木)  昨日雨で中止した3q走を今日やった。結果はmaterials参照。昨日左膝の外側が痛いのに気付いたが今日も痛い。3q走再開に備えて4日連続で走ったからだろう。自己診断によればランナーズニーだ。
15年04月01日(水) 朝起きたら雨が降っていた。なので全員に「今日の3qランは中止」とメールで知らせた。3q走再開初日が流れたのを残念に思っている自分と、今日は自分自身も走らなくていいという思いでホッとしている自分が同居している。