2011年度版 2011年4月〜2012年3月
12年03月31日(土)  鶴鳴杯終了。今回は、学校行事の関係で参加者にはずいぶん迷惑をかけた。ジュニアオールスターとも重なってしまったので、高見中と川内北中は来られなかったし、参加してくれたものの淵中の宮本選手と光海中の岩松選手は初日に間に合わず、2日目のみの参加となった。試合結果 画像1 画像2 画像3 画像4
なおこれで平成23年度の日々の出来事は終了です、明日からは2012年度版をご覧ください
12年03月29日(木)  3日間で12ゲームやりました。集まったチームは慶進・翆松・鶴鳴・西南女学院(大学)・下関商業・宇部中央の6チーム。5勝7敗でしたが内容がよかったです。昨日「鶴鳴は強くなったかもしれな」と言いましたが今日もその手ごたえを感じました。ただ、強くなったかもしれないという感じは昨年の9月にもあり、それから失速してしまったので、本当に強くなったかどうかはも少し先まで進まないとわかりません。初日と2日目は慶進高校でやりましたが今日は宇部中央高校でやりました。そこの校長先生はあの小池先生(元国際公認審判)です。帰り際にあいさつに行き、校長室でツーショットの記念写真を撮らせてもらいました。またひとつ宝物が増えました。さらに今日はこんなものまで貰いました。これは榎本日出夫氏のオリジナルTシャツですが、鶴鳴が宇部に合宿に来るということを聞いて、山口県の国体スタッフにプレゼントするために榎本氏が作ったTシャツを、私の分まで追加して送ってくれたのです。友達ってありがたいですね。前回貰ったTシャツの文字はスペルが間違っていましたが、今回のは間違っていないので、雑巾にしないで衣類として着用したいと思います。追伸:実はこのブログを更新したあと、スペル間違いが見つかったのですが、榎本氏には内緒にしておこうと、仲間で連絡を取り合いました。
12年03月28日(水)  27日から3日間宇部合宿。慶進は強いです。翆松も強いのですが今回はフォワードのエースが足首を捻挫して欠場してたので不調でした。鶴鳴も少し強くなったかもしれません。まだ幼稚さは残ったままですが…。ところで今日は、自チームの選手ではないにもかかわらず私は翆松のデラを蹴りたくなりました。戦う意志やチームに貢献したいう意志がこっちに伝わってこないからです。平松先生大変ですね。おつかれさまです。
12年03月24日(土)  五島高校が武者修行に来ました。ほんとは今日の午後にフェリーで到着する予定だったんですが、今日は風が強く、欠航のおそれがあるというので昨夜の最終便で到着しました。大揺れで大変だったようですが、酔って具合が悪くなったのは監督の浦先生だけで選手はみな元気でした。本校新体育館に着くなり布団を敷くはずの大部屋の隅に積み重ねてある長机を並べ始めました。「何するの?」と聞いたら「勉強です」ですって。さっすが進学校の生徒です。 
12年03月22日(木)  風邪は昨日午後3時に治りました。期外収縮も少し治まってきたのでテストランをしました。現在生存中です。 
12年03月21日(水)  まだ期外収縮が時々出るので今日もおとなしくしています。おやすみなさい。 
12年03月20日(祭)  昨日のグラウンドランは5q完走したものの、4q通過後約200bは歩きに毛が生えた程度の走りになった。気分が悪くなって吐き気がしたからだ。それはすぐ持ち直して完走したが、体育館に下りて練習を見ている時何気なく頸動脈に触れたら不整脈がひどいということに気付いた。グラウンドで気分が悪くなったのはこの不整脈が原因だったのだ。風邪が完治していないから気分が悪くなったのだと思い込んでいた。その不整脈は今朝起きたあとも続いており、朝から胸を借りに言った福大若葉とのスクリメージの間中ずっと続いていた。それが帰路につく直前の午後3時頃ようやく平常に戻った。今日はおとなしくしておこう。 
12年03月19日(月)  今日はK県のN先生が、所属校からの出張で学校訪問に来られた。ずっと前からの約束だったのでこの日は何も予定を入れず空けていた。N先生はもう10以上前にK女子高校の監督をなさっていた時代にしょっちゅう鶴鳴に出入りしていた人だ。今は男子高校のチームを指導されている。体育館に入って数分、「ふつうの高校生ですね」が彼の第一声だった。久しぶりに鶴鳴を見た彼の素直な感想はずばり当たっている。
12年03月17日(土)  昨日走ったし今日も走った。走ったといってもまだ咳が出るのでランとカウントする最低基準の時速10qで5qのランしかやらない。昨日は走っている途中で2回ほど咳き込んだが今日は無事だった。が、まだ気管はムズムズする。緑色の痰がなかなか切れないが緑膿菌感染症かなあ?でも、よほど抵抗力が落ちた人しか緑膿菌には感染しないのに…。昨夜保護者の1人から「肺炎かもしれないので病院に行って検査した方がいいですよ」と忠告の電話があった。ちなみにこの保護者は現役の看護師さんだ。 
12年03月16日(金)  咳で夜中に起きることはなくなったが、まだ大きく深呼吸すると肺が痛い。でも今日あたり走ってみようかな。 
12年03月15日(木)  短大の卒業式。咳をこらえるのが大変だった。毎年のことながらあでやかだなあ。 
12年03月14日(水)  昨夜は咳が止まらず、夜中に何回も目が醒めた。今回の風邪は初期処理がまずかったようだ。 
12年03月12日(月)  鼻水(青バナ)と咳が止まらない。今回は長い。風邪を引いて3日目に収束の兆しが見えたと思ったらそこからまた復活しやがった。クソ!昨日の鼻水ハンカチは近撮すると緑色で粘っこい鼻汁がへばりついているが、それを読者に見せるのは酷だと思ったので少し遠くから撮影した。今日も緑色は変わらずだ。ランはお休み。 
12年03月11日(日)  今日は平成23年度ターゲットエイジ(現中学3年生選抜)の最終練習会。昨夜は咳が止まらずに何回も起き、体調は万全ではなかったがこれがあるので休むわけにはいかない。練習中にも咳と鼻水は止まらず、午前中だけで鼻水ハンカチはグチャグチャになり、午後から新しいのに取り替えた。練習会はまず講義を15分ほどして実技に入った。講義は引率してきた保護者も一緒に聞かせた。今年1年ずっと一緒に練習してきた21人を4月以降は一桁に絞り込まなければならない。人を切るというのは何年経っても辛い。しかし、情に流されないで人を動かすのがコーチの責務だ。
12年03月10日(土)  風邪が1週間抜けず、最悪状態になった。今日は高城台ミニバス平成23年度最後の活動日だ。私が指導に行けない日は高城台ミニバス保護者会代表の板倉氏に送り迎えをしてもらって選手数人を派遣して指導に当たらせているが、今日は選手だけを派遣するというわけにはいかない。練習終了後の修了証授与式で修了証書を渡してやらなければならないからだ。というわけで、鼻水、ノドの痛み、気管の痛み、咳で苦しかったが2年生6人を連れて高城台に出かけた。走りながら風邪を治そうと思ってずっと走っていたのと風邪症状が重くなったのとで身体中が痛い。午後は休養だ。
12年03月09日(金)  今日は高校は球技大会。午前中で終了。私は午後1時半から短大教員の研修会でそれが3時過ぎまでなので練習に顔を出せるのは最後の方だけだ。そんなこんなで時間が取れないのと風邪がなかなか抜けず、青鼻水(画像にしようかと思ったがやめた)が出るのでランはお休み。今、バスケットの古い紙資料をPDFファイルにしてパソコンに取り込む作業をしていて、今日の午前中に1995年(平成7年)の分まで終わった。資料を整理しながらボックススコアの右肩に書いてある文字をふと見たらLotus1-2-3と書いてある。懐かしい。今は、エクセルとかSPSSにとってかわられているが、インターネットで調べたら、2006年10月まで現役で働いていたらしい。フーン
12年03月07日(水)  高校の授業の6時間目は長崎女子短大幼児教育学科進学コースの体育の授業で、時間をかけて取り組んできたゴース(gauze=ゴーズともいう薄い布地)を使ってのダンスの発表会がありました。ただ単に練習して最後に試験があるという授業ではなく、こうして最後に発表会をすれば生徒にとっても思い出に残りますよね。 
12年03月04日(日)  今日は平成24年度少年女子国体チームの最初の練習会。昨年末まで36名ほどの名を挙げていましたが一気に絞り込み、今回は16名としました。 夏の九州国体は8月の18/19に沖縄で行われます。8月に沖縄で試合をするのは大変です。暑さが尋常じゃないんです。ですから、人選・準備・策戦すべてに「暑さと戦う」用意をしてかからなければなりません。フーッ。追伸:昨日風邪を引きました。鼻が詰まっています。
12年03月03日(土)  練習OFFDAY。午前中つばさ保育園のリズム発表会(於:橘小学校)を観に行きました。保育園の行事に関わっていつも思うことは「保育園児を持つパパママって大変だなあ」です。だって、どこからみても40歳過ぎていると思われるママがこどもたちと同じようにブリッジをするんですから。 
12年03月01日(木)  渡米2日目にマットの自宅のリビングの本棚で本を見つけました。題名はUNDERDAWGSで、この本の著者はDAVID WOODSという人。序文はあの有名はDICK VITAL氏が書いてます。内容は、BUTLER(バトラー)大学が昨年と一昨年連続でNCAAトーナメントの決勝まで勝ち進んだことについて書かれたものです。バトラー大学というのはインディアナ州の州都インディアナポリスにあります。学生数4000人ほどの小さな大学です。その小さな大学のバスケットボールチームが全米学生選手権の決勝に2年連続進出したことはとてつもなく偉大な業績だと絶賛してある本です。ディックバイタル氏の序文の最後に、優勝したデューク大学も2位になったバトラー大学も(スコアは61-59)、この両者こそがT-E-A-M(チーム)と呼ぶにふさわしいチームだと述べているのがとても印象的でした。TはTOGETHERNESSの頭文字、EはEFFORTの頭文字、AはATTITUDEの頭文字、MはMENTALTOUGHNESSの頭文字です。私はこの本を本棚で見つけた時マットに「この本欲しい、滞在中に手に入るなら買って帰りたいので本屋を紹介してくれ」と言ったら「ボクはもう読んだからあげるよ」と言ってプレゼントしてくれました。私がなぜその本を手に入れたかったかというと、私が読みたいというより、日本協会の事務局員で昨夏のFIBAASIA大村大会のイベントディレクターを務めて私たちを指導してくれた弘田充宏氏にプレゼントしたかったからです。弘田氏は順天堂大学出身ですが、卒業後渡米してバトラー大学に留学されました。そのことを私は知っていたので彼のおみやげにしたくてどうしても手に入れたかったのです。昨日夕方、大会の決算処理の打合せに来崎されたので、打合せのあとホテル手渡しました。少し恩返しができたかな?
12年02月28日(火)  昨夜9時過ぎに帰ってきました。やることがたくさんあってまだ片付いていませんが、マット・ボーラントについて少し話をしますね。1971年3月生まれ。あと2週間ほどで41歳。私が彼と出会ったのは1998年(平成10年)の夏でした。場所はインディアナ州のエバンズビル大学。彼はそこでキャシー・ベネットのアシスタントコーチをしていました。大野慎子フレッシュマンデビューの年です。彼はその時27歳。長女が生まれたばかりでした。マットから「この子を抱っこしてくれ」と頼まれて記念撮影をしたのをはっきり覚えています。その後キャシーがインディアナ大学に移籍した時彼も一緒にインディアナ大学に移籍しましたが、キャシーがそこを辞める時一緒に辞め、その後どこでどうしているかわかりませんでした。ところが5年前、インターネットで彼がウィスコンシン大学グリーンベイ校のヘッドコーチに就任したのを知り、メールで「ボクを覚えている?マットの消息がしばらくわからなかったけど、グリーンベイのヘッドコーチになったというのをインターネットで知って、うれしくてメールしたよ」というメールを送ったら即「忘れるもんですか、あの時の出会いはとても印象的でしたから」という返事が返ってきました。それからです、またメールのやりとりが始まったのは。私は昨年、キャシーの大学(ノーザンイリノイ)とマットの大学(グリーンベイ)の試合を見に行きました。そしてその時「来年はグリーンベイに的を絞って観に行こう」と思いました。理由は、彼が就任4年目にしてグリーンベイをNCWAトーナメントのベスト16に導いたからではなく、グリーンベイの選手の一挙一動と目の輝きに魅せられたからです。その答えが今年わかりました。普通に考えたら大事なカンファレンスリーグの最中に、外国人を4人半、しかも4泊も自宅に泊めて世話をするヘッドコーチなんて見たことも聞いたこともありません。が、初日彼の口から最初に出たことばは「あなた方がこうして私の家を訪問してくれたのは神様のお導きです。私は神様とあなた方に感謝します」でした。彼の生き方の根底にあるものは「感謝」なのです。グリーンベイの選手たちの一挙一動と目の輝きはマットのこの精神から生まれ出てくるのだと私は思いました。おそらくマットは、選手一人ひとりに感謝しながら毎日コートに立っているのだと思います。
マットの自宅のリビングでの会話を二つ紹介します。(慎子の通訳介入あり)
まず一つ目、私が48年もコーチを続けていることを知ったうえで、マット「山崎コーチ、昔の選手より今の選手の方がやっぱり教えにくいですか?」。やっぱりというのはアメリカでも同じ事情なのだろう。山崎「うーん、同じことを教えるのに昔より時間がかかるようになったね」。マット「その理由は何だと思います?」。山崎「うーん、大人に力がなくなったことが一番大きな理由かな」。マット「大人に力がなくなったって…例えば?」。慎子も通訳し辛さそうでしたが、教育力とか躾とか大人の威厳とかいうことばをなんとか伝えました。マット「ウーン…」
二つ目の話は少しだけ私の自慢話です。マット「山崎コーチ、グリーンベイがもっと強くなるには、あと何をやればいいですか?」。山崎「エーッ!そんなのこっちが聞きたいよ」。マットが質問したのは本気少し、外交辞令が大半だと思いますが、バスケット発祥の地で全米ベスト10に入るチームを指導しているコーチがオリンピックにもまだ3回しか出たことのない日本の、しかも県大会ですら勝てないチームのコーチに振る質問内容ではありません。「何か聞きたいことがある?なんでも教えてやるよ」がフツーでしょ。私は外交辞令が大半であったとしても、この質問にマットの謙虚さとひたむきさが表れていると思いました。
余談:ずっと昔日本の某有名コーチがアメリカの超有名大学の練習を見学に行ったら門前払いを食らったという事例があります。門前払いを食らった時のやりとりはこうです。「何しに来た?」「練習を見学させてもらいに来ました」「お前何日居るんだ?」「1週間です」「お前1週間で俺のバスケットが理解できるつもりか?帰れ!」
12年02月26日(日)  更新時刻現地25日20:00。日本時間26日11:00。今日は午後2時からバトラー大学とのゲーム観戦。その前に練習があるので朝8時にコーチの家を出て練習見学に行きました。グリーンベイ到着以来快晴続きで拍子抜けの毎日でしたが今朝は雪!。今日は私に代わってサンちゃんが運転することになっていましたが、アメリカで初めて運転する日が雪では大変なので「代わろうか?」と言いましたが返ってきた返事は「やります!」。体育館に到着したらコーチが全員集めて記念撮影をしてくれました。約2時間練習を見たあとはウオールマートにショッピングに出かけました。女性ってなぜこんなに山ほど買い物をするんでしょうかね。さて、試合は2時開始でしたが、午後は少し早目に出かけました。チケットが売り切れで、駐車場も混雑するのが予想されたからです。試合は自力に勝るグリーンベイが順当勝ち。グリーンベイはワンプレイにかける気迫がビンビン伝わってくるチームです。同行した共栄大学コーチのサンちゃんは熱心にメモをとり、勉強していました。こんな人が日本国中に増えてほしいですね。試合後は親しい人たちや教え子たちに混じって私たちも夕食パーティに参加させてもらいました。明日朝5時半に家を出てグリーンベイ空港に向かいます。充実した4日間でした。 
12年02月25日(土)  更新時刻現地24日22:00。日本時間25日13:00。今日は試合の空き日なので午前中の練習だけで終わり。オフェンスの動きだけで50種類ぐらいある中で明日のバトラー大学戦に使う動きの確認とディフェンスのポイントを繰り返し繰り返し練習する。探究心・根気強さ・知的理解力・想像力がないと絶対についていけない練習だ。練習が終わったあとはヘッドコーチのオフィスに案内されて記念Tシャツを貰った。午後はアップルトンという町のでっかいショッピングモールまでクルマを飛ばし、女性陣はショッピング。私は女性陣がショッピングしている間の3時間、フードコートでずっと寝てた。おかげで時差ボケも解消されコンディションが戻った。
12年02月24日(金)  このブログ更新時刻は、現地では24日の深夜1時です。日本では24日の午後4時だと思います。今回の訪米ではグリーンベイのヘッドコーチであるマット・ボーラントの自宅に4人半(私・ワイフ・楠田香穂里・慎子と麟太郎(2歳))全員が泊ることになりました。マットは我々のために部屋を3つも用意していてくれたのです。空港でナビ付きのレンタカーを借りたのですがこのナビが役立たずで到着までにずいぶん時間がかかりましたがなんとか到着。大きなうちでした。着いてから寝るまでいろんな話をしました。翌日(今日)は試合の前の練習があるのにコーチ自らが、フットボールのグリーンベイパッカーズスタジアムからロッカールームまで案内してくれて至れり尽くせりでした。夕方の試合に備えて午後2時から軽い練習があり、それも見学しましたが、今日はバスケットの記事は載せず、最終日にまとめて載せます。試合が終わって私たちはコーチの家に先に帰りましたが、コーチはリクルートのための訪問があり、遅れて帰ってきました。帰ってきたコーチは自分で自分の軽食を作ります。コートではヘッドコーチですが、家に帰ったら主夫もやるのです。「おーいお茶」などと奥さんに対して生意気な態度は絶対とりません。私も含め、日本のコーチも見習わなければなりませんね。
12年02月21日(火)  昨日夕方、久しぶりにつばさ保育園に寄ったら園長からプレゼントを貰った。少し遅くなったけどバレンタインチョコレートだそうな。開けてびっくり!なんだこれは!箱のラベルにはこんなことが書いてある。昨夜テーブルに置いてじっと眺めていたが食べられなかった。これを食べるには勇気がいる。賞味期限は今月25日となっている。勝負できる期間はあと5日。はたしてそれまでに決着をつけることができるだろうか?
話題をもう一つ。明日アメリカに発つ。6日間走れないので今日は走り溜めをしておこうと思い1万b走った。ところが走り出したら身体が重いし全身が痛い。一昨日の松浦クリニックの後遺症だ。やっぱり3日目に出た。身体が痛いのと1万b走るつもりなのでセーブして走ったのとで、5q通過のタイムは29分21秒だった。それからガクッとスピードが落ち、6qと7qは6分15秒ずつかかった。「こりゃ1万bは完走できないな」と思いながら走ったが不思議なことに8q過ぎたら身体が軽くなり、最後の1qはスパートさえできた。最終タイムは59分47秒で平均時速10qをクリアできた。これで心おきなくアメリカに行ける。 
12年02月20日(月)  ここのところ週に1度歯医者に行っている。歯ぐきの痛みが取れないのだ。治療は歯ぐきの洗浄とクスリの塗布。「そんな治療、週に1度じゃ足りないだろう。自分でやるからそのクスリ俺にくれ」そう言って強引に歯周病治療薬をもらった。これからは毎晩寝る前にうがいで口内を洗浄したあと、歯と歯ぐきの間にこのクスリをシリンジで注入し、ガーゼで押さえて寝ることにする。備考:このクスリは一般の薬局ではもちろん処方箋薬局でも売っておらず、医師が直接患者に処方する。それを強引に奪ってきたのだ。だからこの話は内緒。 
12年02月19日(日)  朝起きると背中がバリバリッと痛い。いや、背中だけじゃなく肩も腕も痛い。昨日のクリニック後遺症だ。学生とバドミントンをやった時の筋肉痛は3日目に出てきたのに今回は早い。若返ったのかな?それとも、それほどダメージが大きかったのかな?通常の練習ではこんなに身体を使うことはないが、クリニックではすべて自分が見本を示してからやらせるし、途中でも頻繁にやりかたを示して見せる。しかも午前3時間午後3時間の計6時間だ。だからといって今日は休養というわけにはいかない。大村のFIBAASIA事務局閉鎖の大掃除があるのだ。8時に自宅を出て松本次長を迎えに行き、事務局に向かった。昼過ぎに済んだ。もう、こんなETCの明細書が送られてくることもないだろう。「おまえもよく頑張ったなあ」とCUBEに言ってやりたい。CUBEは車検のため22日から27日まで野澤自動車に預ける。
12年02月18日(土)  今日と明日部活はオフ。期末テスト直前だからだ。でも私にはオフなんかない。今日は終日松浦市で中学生のクリニックだ。現役を手伝わせるわけにはいかないので卒業前の自宅学習期間である3年生に手伝ってもらった。疲れた。クリニックで終日動いたからではなく、全国的に寒波来襲で、はたして松浦まで行けるのか?はたして長崎まで今日中に帰れるのか?という心配で疲れた。 
12年02月16日(木)  JXの全日本総合選手権優勝記念Tシャツを持って川崎先生の見舞いに行ってきた。丁度シーツ交換だったので車椅子で談話室に移動させた。でも、「先生!」と大声で呼べばこうして片目は開けるがまたすぐ寝る。
12年02月14日(火)  私は5月15日で70歳になる。運転免許の更新年度でもある。70歳以降は高齢者講習をどこかの自動車学校で受けた証明がなければ更新できない。それで今日の午前中に愛宕自動車学校に行って受けてきた。すべてのスコアが標準をクリアしていたが、毎日走り込んで鍛えているのに「年齢相応にいろんな機能が落ちてますねえ」と言われたらどうしようと思ってドキドキしながら受けた。フーッ。
12年02月13日(月)  FIBAASIA大会そのものは昨年8月28日に終了した。が、決算処理が終わり、それが組織委員会総会で承認されなければFIBAASIA大会が終わったとは言えない。それが今日終わった。今日で私の運営本部長としての肩書きも外せる。総会のあとの懇親会盛会だった。しかし、私の気持ちの中では「FIBAASIA大会が終わった」ではなく「FIBAASIA大会はまだ道半ば」である。この大会の運営に関わって得たイベントのノウハウと、労苦を共にした仲間の絆をさらに深めて、長崎県バスケットボール協会の人々が3年後の長崎国体を成功させた時、はじめてFIBAASIA大会が終わったと言えると思う。
余談がある。不愉快な余談だが、現在全国のあちこちでエンデバー事業が実施されている。その中で、「大村で行われたFIBAASIA大会で数千万円の赤字が出て、その穴埋めをしなければならないからエンデバー事業の予算が削られたんだって」という噂が飛び交っているらしい。現執行部を引きずり下ろして自分が政権を取りたい奴等の捏造ネタか?みんな頑張ってくれて1円の赤字も出なかったのに…。バカタレどもが!
もう一つ、「長崎のバスケットボール関係者はFIBAASIA大会を長崎に持ってこられて大迷惑している」と、あちこちで言いふらしているヤツがいるらしい。出てこい!俺の前に!俺の目を見てそのセリフを言ってみろ!
12年02月12日(日)  9日のランのあと久しぶりに体重を計ったら64.4sだった。自分の基準としている64sをわずか0.4sオーバーしているだけだが気になる。それで10日から今日まで3日間ダイエットした。食べたものはこの3日間でタマゴサンド1個とコーンスープ2杯と男爵芋スープ2杯。そして10日と今日7q走った。走ったあと体重を計ったらこの3日間で2.5sも減って61.8sになっていた。慌ててコンビニでおでんを買ってきて食べた。自分をコントロールするのさえこんなに難しいのだから、選手をコントロールするのが簡単にいかないのは当たり前か…。
12年02月09日(木)  昼ごはんを食べた後3時まで、つばさ保育園の年長組(月組)16人をマイクロバスに乗せて干拓の里に行ってきた。引き馬ではあるが乗馬を体験させるためだ。キャーキャー騒いで馬に触る子もいれば、最初から終わりまでずっと馬と目を合わせない子もいる。そんな子には怖い思いをさせてしまうが、こどもたちが喜ぶことだけをやらせるのが教育とは思わない。今日馬に触れた子はまた人生の宝物が1個増えたはずだ。 
12年02月08日(水)  卒研のあとは研究室の大掃除。部屋は見た目普段と変わりないように見えますが、女子学生が頻繁に出入りしたあとはコロコロで掃除するとわたぼこりに混じって砂ゴミと髪の毛がべたべたくっついてきます。なんとなく眺めただけでは見えない髪の毛はフロアの短いケバケバにへばりついていて、これでもかというぐらいコロコロに絡み付いてきます。加えて今日は、昨日の昼休みに彼女たちが食べたカップラーメンの臭いやおにぎりのノリの臭いと様々な化粧品の匂いが充満していました。ドアと窓を全開にして掃除すること約1時間。ようやく仕事ができる部屋になりました。ついでに斜め向かいの中島健一郎先生(広島大院卒心理学。まだ2年目のはりきりボーイ)の部屋に行き、「女子学生が出入りしたあとって、髪の毛がすごいんだよな」と言いながら、入り口付近の床をほんの数回コロコロを転がして見せましたが、こ〜んなに汚れがくっついてきました。これは、女子学生が頻繁に出入りしたからではなく普段から掃除してないな。ダメだよケンちゃん。このままじゃダニが湧くよ。
12年02月07日(火)  今日は、幼児教育学科の学生にとっては学生生活最大のイベントである卒研発表会。そして、山崎ゼミ学生にとっては7年間継続研究を引き継いできた「幼児の足趾形態の発育発達について」の最終章。これまで、発表はパワーポイントを使ってデータの解析このをやってきましたが、今回はデータ解析だけではなく、「保育園や幼稚園の園児の足型測定はこんな方法でやったんですよ」という実演も交えて発表しました。山崎ゼミ学生の感想です。「去年の発表では、データを説明されてもさっぱりわからなかったけど、この実演で今年の1年生にはよくわかったと思いますよ」私がそれを受けて「うん、学生だけじゃなく先生方もよくわかったと思うよ。実演を思いついたのはなかなかいいアイデアだったね」
12年02月05日(日)  わかりました痙攣の原因が。金曜日の1コマ目の授業が原因でした。2年福祉コースの実技の授業。内容はバドミントン。最後にダブルスの試合をしましたが、欠席者がいたので奇数になり、一人余ってしまうので私が入ってペアを組みました。5点先取の勝ち残り形式です。勝った回数が個人のスコアに記録されるので試合は真剣です。私も相棒の学生の足をひぱっては迷惑をかけるので一生懸命やりました。バドミントンをやった方はおわかりでしょうが、久しぶりにやるとお尻とふとももの裏とふとももの外側に、しかも両足ではなく片側の足に筋肉痛が出ます。歳をとると筋肉痛が出るのに時間がかかるし、思い出すのにも時間がかかりました。
12年02月04日(土)  6日ぶりのラン。連日走る時は前日の疲れが残っている場合があるが、間に1日でも休養が入ると次の日のランは身体が軽い。しかし今日は身体が重かった。しかも、4600bあたりから左ふともものうしろがピクピク痙攣し始めた。続いてふとももの前が、走り終わる頃には尻の筋肉までピクピクなりはじめた。これまで30q以上走った時に足が痙攣したことは数回あるが、グラウンドランでは1万b走っても足が痙攣したことなんてない。これって、脳梗塞の前兆かしら? 
12年02月03日(金)  今日は雪は降っていないが寒い。高校の水道は凍っていてどの蛇口を捻っても水が出ない。短大は高校よりも高い所にあるので高校よりも寒い。その寒い短大の中のさらに寒い体育館で、1コマ目(9時〜10時半)に福祉コースの生涯スポーツの授業をしなければならない。靴の中にカイロを張り、手袋の中にカイロを入れ、ニット帽で耳たぶを覆い、マスクで鼻の頭を冷やさないようにして臨んだ。学生用(コートで動いている学生は大丈夫だが、順番待ちの学生は寒い)には研究室のヒーターを持ち出した。ナバホの冬の寒さはこんなものじゃな則しい。鶴鳴を辞めたらナバホ族と暮らすのが夢だったが、この程度の寒さにカイロを4個も使わなければならないのならナバホでなんか暮らせはしない。ナバホ暮らしはあきらめなければならないようだ。
12年02月02日(木) 朝から大雪。ルーティンワークである寮からの高校生のバス輸送も今日はひやひや。雪が降れば平地はそれほどではなくても、短大敷地内と高校グランド入口の坂道はスキーのジャンプ台のようになるので長居はできない。高校で生徒を降ろしてすぐ短大に引き返したが田上あたりはもう一般道路も危ない状態。しかも、短大に向かう三景台付近の坂道はタイヤを高速回転させないように気を配りながら走らないとスリップしそう。短大でCUBEに乗り換えて郊外に向かうために矢の平街道に出たがそこが大渋滞。おそらく、その先の蛍茶屋交差点で国道34号線にぶつかるがそこが詰まっているのだろう。そう判断した私は反転して出島道路経由で高速道路に乗り多良見インターで降りた。高速道路は凍結防止剤を撒くので一般道よりも走れるのだ。多良見で降りる時、公団職員がバイパス通行止めの表示を置く準備をしていた。そうこうしているうちに高校と短大から私の携帯に連絡が入り、短大は午後から休講。高校は部活動禁止で4時には完全下校となった。また、今夜予定されていた協会のエンデバー委員会も明日に延期という連絡が入った。今日は冬眠だな。
12年01月28日(土)  ヘルペスができて4日目。小さな水泡が寄り集まって集団を作り、かさぶたができて大きな島になりました。下唇の島は敗れて血が出ています。食べることが楽しくないことよりも、1日中不快な気分が抜けないのがイヤです。ゾビラックスというウィルス性ヘルペス専用の薬を塗っていますが、大して変化はありません。クソッ。気分が優れないからなのか、またバスケットの悪い夢を見ました。中学生の男子チームを招いて合宿をしている夢でした。夢に登場したシーンは深夜12時の体育館で、小休止のあと練習を再開しようとした場面。しかし、コートに現れた選手は二人だけ。「ボイコットか」ぼそっとつぶやいた私は教官室の片付けや体育館の掃除を始めました。そのあとはムニャムニャで、結末はどうなったかわかりません。
12年01月26日(木)  2月下旬、慎子や私と一緒にグリーンベイに行く楠田香穂里(旧姓川上、宮崎県の小林高校→JOMO→アテネ五輪出場)からメールが来ました。「山崎先生の夢を見ました。練習中ものすごくしかられている夢でした」ですって。なぜ?鶴鳴出身でもないサンちゃんが、小林高校時代の監督北郷先生でもなくJOMO時代の監督金さんでもない私からひどく叱られている夢を見たのやら?夢と言えば、昨夜私も夢を見ました。コートの真ん中でA選手がうずくまって動かない。私が「立てコラあ!」と怒鳴っても動かない。他の選手たちは周囲を取り囲み、A選手をじっと見い詰めている。その後の結末までは夢に登場しませんでしたが、こんな夢を見るというのは私も相当追い込まれているということなのでしょう。遠い昔はこの種の夢を見たことがあるのかもしれませんが、私の記憶の中ではこんな夢を見るのは初めてです。 
12年01月25日(水)  高熱のあとに出現するヘルペスが5つ(唇に4つ、舌に1つ)もできました。痛くて痛くて何を食べても美味しくないです。 
12年01月24日(火)  昨夜9時に体温を計ったら37.5℃だった。インフルのウィルスはほとんど撃退したはずで、もし反撃しようとしてもその力は残っていないと思う。だからこの熱は昨日1日中寒い体育館で授業をした反動か、または普通の風邪熱だと思う。今朝は平熱(36.5℃)に戻っていた。午後4時からの部活指導はおとなしくしていよう。 
12年01月23日(月)  08時14分現在。36.8℃。平熱に戻りました。インフルエンザに罹った時は、治療後熱が下がって2日間は外出を避けてくださいと言われています。ということは、私は火曜日の夕方か水曜日の朝までは外に出られないということになります。月曜日は3コマ連続の授業が入っています。もしこれを休講にすればどこかで補講をしなければなりません。それは学生にとっても困るはずです。私は万全の態勢で授業に臨みました。マスクはもちろん(拡大図はこちら)、手は常に手ピカジェルで消毒し、私がさわったドアノブや器具等すべてこの手ピカジェルで拭き、会話はできるだけことばを発せず手話で済ませました。どうか学生に患者が出ませんように。
12年01月22日(日)  12時12分現在。37.2℃。普通の風邪ならこれくらいの熱はどうってことないのですが、今回はインフルエンザだし、昨夜は高熱との戦いでかなり体力を消耗してるので今日は外に出ないで安静(セルフタイマー撮影)にしています。 
12年01月21日(土)  今日と明日はJX対三菱の試合が行われます。 いずれも午後3時から。今日はカブトガニで。明日はシーハットで。午前中チーム練習して午後から観戦に行きます。いつの頃からか、JXの田中にはカステラをプレゼントするのがしきたりになっています。教え子でもないのに。あいつ、いつも欲しそうな目で訴えるんです。それで1度だけ「田中限定」でプレゼントしたらそれがクセになってしまいました。
上記内容を記載後事件発生。以下緊急速報!
午前練習を12時に終了。出発まで2時間あるのでマシーンで6q走りました。体育館に戻ってシャワーを浴びましたが私の身体の様子がおかしいのです。ちょっと気になりましたがマイクロバスに選手を積んでカブトガニに向かいました。でもやっぱりおかしい。「これってひょっとしたらインフル?」と思ったので選手を置き去りにして田上病院に向かいました。鼻の穴に綿棒を突っ込まれたあと、「あ、インフルAです。しかもこんなに早く反応がありました」ですって。熱はその時38.3度だったのですが、研究室に戻って計ったら39.4度でした。月曜日まで研究室に閉じこもって外部との接触を断ちます。もちろん、明日の大村シーハットには行きません。目薬の容器のようなものに入った粉を吸入するのが治療。名前はなんていったっけ?えっと、えっと、えっと、あ、そうだ。イナビルでした。病院で8回吸入したんですがそれで治療はおしまいですって。高かったですよー。
12年01月18日(水)  つばさ保育園2回目のリハーサル。まずはオープニング。あとはプログラム順に、3歳児5歳児と進め、最後はみんなで合唱。そして先生方はあと片付け。いやいや何回見ても大変です。これが年長さんだけなら少しは楽なんでしょうね。5歳児・4歳児・3歳児の差は高校3年生・2年生・1年生の差とは大違い。それを束ねていく先生方の苦労はほんとに大変だと思います。ごくろうさまです。 
12年01月15日(日)  午後1時から3時まで高城台ミニバスの指導。手伝ってくれる3年生3名は鶴鳴の練習はOFFにします。練習には妹や弟もついてきてなかなか賑やかです。この子は5歳の結子ちゃん。昨年9月23日のこの欄で、慧君(3歳)のことを「将来は田伏を抜くスターになる」と紹介しましたが、お姉ちゃんお兄ちゃんについてくるこんな子たちを見るのも楽しみです。 
12年01月14日(土)  今日は朝9時半から夕方5時まで国体スタッフ研修会。FIBAASIA大会運営の苦労に比べれば国体のコーチは私の専門分野でもあるしそれほど苦にはならないだろうと思っていましたが、このように国体国体ということばが頻繁に飛び交うようになると、勝たなければならないというプレッシャーがずしっずしっと私の両肩にのしかかり、「さあこの選手たちをどう動かそうか」「九州を突破するにはどこから切り崩そうか」などなど、自チームの選手だけでなく、国体チームの主力となるであろう他チームの選手の顔までが浮かんでは消え、浮かんでは消えする日々が多くなってきます。
12年01月11日(水)  水曜日は短大の授業は1コマもないので午前中つばさ保育園の発表会リハーサルの手伝いに出かけました。こどもの姿もかわいいですが、私には先生方の一挙一動の方が目につきます。「こんなちいさなこどもたちをよく動かすなあ」と思いながらいつも見ています。
12年01月08日(日)  今日と明日の二日間選手はOFF。私にはOFFはなく、合宿の会計処理やデータ処理に加えてOFF開けの練習の構想を練る等、手足を休めても頭の中は休まりません。合宿が終わった直後からずっと、釣屋・山中・山下・木原・川口・久松が私の頭の中のコートで絶え間なく蠢いています。特に釣屋・山中・山下の3人は太文字で登場します。追伸:合宿途中から鼻の奥あたりでウロウロしていた風邪ウィルスが合宿最終日の午後遂に気管まで進入してきました。緊張から解放された身体はウィルスに対しても気を緩めるのかもしれませんね。
12年01月07日(土)  10ラウンド過ぎてからの殴り合いの末、何とかリングに立ったまま終わることができました。暮れからずっと続いた合宿。正月休みを挟んだとはいえ、相手は入れ替わり立ち代わり合宿に参加しますが、ホストチームの鶴鳴は初日から最終日までずっと相手をするわけですから疲れないわけがありません。ですから勝てる試合を落としたり、勝つべき相手に負けたりすることが起きます。でもTKOにはならず、最後までリングに立ち続けた彼女たちは立派だったと思います。そして、釣屋・山中・山下を軸にする方策が見えたことと、久松は負担を軽くして泳がせた方がよいとわかったことと、木原をなんとしてもスタメンに定着させられる選手に育てることが必須条件だとわかったことは大きな収穫でした。これから6月まで、木原には地獄を味わってもらわなければなりませんが、木原にだけ地獄を味わわせるのではなく、当然私も木原と一緒に地獄を味わいます。
12年01月05日(木)  正月合宿4日目。2日から今日までのスクリメージ回数は16回(ベンチプレイヤーだけでの試合を含めれば19回)。そのうち勝ったのが9回で負けたのが7回。負けた試合の中で大差がついて試合にならなかったのは2回だけ。それ以外は負けたけどよくやったといえる試合。これは私の予想をいい方に裏切りました。残る2日間。ボクシングで言えば10ラウンド以降の殴り合いの様相になると思いますが、スマートであろうが泥臭かろうが最後にリング上に立っていた方が勝ち。そうなるようがんばらせたいと思います。この合宿で見えたことがあります。それは、攻撃の主軸を久松や川上ではなく釣屋・山中・山下のガード陣とし、久松・木原・川口・川上は合わせに専念させる。その方が攻撃が安定するということです。明日と明後日の2日間でそれを確かめたいと思います。追伸:今日から高松南が初参加。監督の織野先生持参の生さぬきうどんの釜揚げが昼食でした。 
12年01月03日(火)  正月合宿2日目。長丁場を実質7人で乗り切らなければならない合宿なので、選手一人ひとりの心身状態に目を配りながらこまめに選手交代をしているんですが、それでも目がうつろな選手がちらほら出現します。この現状を踏まえて、試合を投げず、選手を罵倒せず、あと4日間の練習試合を成立させなければなりません。
追伸:元旦に対馬から送ってきた天然ブリをさばいて、それをサカナに今夜は歓迎レセプションです。
12年01月02日(月)  正月合宿初日スタート。今日は慶進・慶誠・鶴鳴の3チームだけ。試合の勝ち負けよりも慶進と慶誠がが無事到着してくれたことがなによりです。というのは、大宰府から東背振まで雪のため高速道路が通行止めだったのです。慶進は福岡インターから唐津経由で長崎入り。慶誠は久留米で一般道路に降り、東背振からまた高速道路に乗っての長崎入りでした。アジア大会でも経験しましたが、このようなイベントや行事を遂行するにあたっては、計画を確実に実行することも大切ですが不足の事態が起きたときに適切に対応する判断力とか決断力がとても重要になります。そういう意味で…ホッ。
12年01月01日(日)  あけましておめでとうございます。明日午後から招待合宿が始まりますが、その準備のため鶴鳴は今日の午後から練習開始です。まずはグランドランから。ランといってもタイムトライアルではなく、正月休みの間に恐らくは充分準備してきてはいないだろうと思われる心肺機能の復元のためのJOGです。それから体育館に入っての練習になりますがメニューは川上・川口・木原の1対1の攻撃力強化の一点に絞り込んだ練習。これがこれからのクレインズの生命線になると思います。追伸:昨日のランのあと腕時計が壊れたので今日から新しい時計になりました。神様が「2011年度は捨てて新しい気持ちでやれよ」と言ったのかもしれませんね。
11年12月31日(土)  16:30。2011年の走り納めをしながら昨日の長崎新聞の記事を思い出していた。山本昌克さん(江迎町在住56歳)。11月に行われた全日本剣道連盟主催の八段審査会で見事合格され、八段位を取得されたそうだ。今年は1800人の受験者の中から14人しか合格しなかったらしい。それほど厳しい審査会なのである。私は指導者になりたての頃からバスケットのディフェンスは剣道に学べという持論を持っているのでスポーツ記事の中でも剣道のことはすぐ目に飛び込んでくる。山本さんのインタビューのことばがまたすばらしい。「段位にふさわしい人間になりたい」。そのことばを何度も復唱し、鶴鳴の選手一人ひとりの顔を思い浮かべながら走った。
11年12月30日(金)  今日は起きたのが昨日より30分早くて9時半。まず銀行に行って合宿用の布団と食事の業者への支払いを済ませ、少し雑用をしたあとは報告書のまとめ。と言っても大勢の人間がワード・エクセル・PDFで作成したファイルをまとめるのは大変な作業で、章立てとファイル順の整理だけは私がして、「あとはお前らも目を通せ!」と幹部に丸投げしてしまいました。 それからラン。今日のランはヤバかったです。300bぐらい走ったところで急にウンコしたくなりました。やめてトイレに行き、もう一度走りなおそうかとも思いましたが300bがもったいなくてそのまま走りました。なんとか走り終え、トイレにかけ込みましたが出たのはオナラだけ。なーんだ、オナラだけなら走りながら出せば良かったと思いました。25日から7日までずっと若竹寮の宿直なのですが、今日と明日は練習で居残っていた部活生が一人もいなくなったので宿直はなし。今日は自宅に帰ってみましょうかね。
11年12月29日(木)  今朝もベッドから抜け出たのが10時2分。身体は昨日と変わらず鉛のように重い。しかし、やらなければならないことはたくさんある。まず、高校へ出向いて正月合宿の準備と調整作業。寝具業者と弁当業者への連絡確認等を電話とパソコンで処理し、それが済んだのが午後1時半。明日午前中に業者への支払いを済ませればあとは合宿を待つだけ。で、その作業のあと6日間も休んでいたランに臨みました。晴れていてグランドも風はなかったのですが速度管理のためにマシーンでのラン。7日ぶりなので時速8qで400bのJOGをしてから時速10qで5qのランをやりました。時速10qというのはゆっくりペースですが6日間の空白があるので心配でした。いつ不整脈が出るのかとても気にしながら走りましたがまったくその気配なし。逆に身体が軽く、このままだったら何qでも走れそう。自分の心臓・肺・筋肉から「これって、ランじゃないよね?散歩でしょ?」と聞かれそうなくらいでした。ホッ。合宿業務が済めば次に控えているのがFIBAASIA報告書まとめの仕事です。それは今夜から31日にかけてがんばります。野澤さん遅れてごめん。 
11年12月28日(水)  今朝目が醒めたのは10時4分。身体が動きません。昨夜「明日こそは…」と誓ったランもできませんでした。 
11年12月27日(火)  昨日の午前中は10分のスクリメージを2本やって、あとはずっと旭川北のクリニックをした。クリニックの内容はドライブの個人技とゾーンオフェンスの動きの考え方についてである。鶴鳴の選手をモデルに使ったが、入学後すぐに徹底的に教え込んだはずであったボール保持の瞬間のスタンスがちゃんと身についていない選手が4人もいた。他のチームのクリニックをしていて発見した自チームの甘さ。もちろん私のチェックミスである。選手が疲れているので本当は昨日の午後練習のあと「明日は午前中で終わり。午後はやらない」というつもりだったが予定通り今日は午後の部もやった。本音は明日もやりたい。これをしっかり見直しさえすればゲームの様相ががらりと変わるということがわかっているからだ。しかしOFFを取り上げるわけにはいかない。1月1日の午後まで待とう。そこからもう一度出直しだ。このことに気付かせてくれた旭川北のクリニックに感謝!
追伸:今日こそはランをやるつもりだったが決断の一歩を踏み出せなかった。ランを4日間もやっていないのに体重は史上最低の62.6sに下がっていた。かなり疲れているのだろう。明日こそは…
11年12月26日(月)  午前中で年末招待合宿が終わった。旭川北は午後3時35分の飛行機で帰った。それに間に合うには鶴鳴を午後1時50分に出発すれば充分だったが、初めて長崎に来た旭川北の選手たちのために市内を少し走ってから高速道路に乗った。市内では崇福寺と出島と平和祈念像の3箇所で記念撮影をした。旅行がメインじゃないことはわかっているが初めての訪問なのでこれくらいはいいだろう。合宿は午前で終わったが鶴鳴は午後復習練習をした。明日の午後3時まで復習をもう一度やってOFFに入る。選手も疲れているが私も疲れた。今日は練習が終わった後4日ぶりのランをやるつもりだったが身体に拒否されてやめた。私には選手がOFFの間にやらなければならない宿題がある。それは、2月13日に行われるFIBAASIA組織委員会解散総会で使う報告書のチェックとまとめの作業である。この作業を怠けると正月合宿が地獄になる。フーッ。
追伸:私は崇福寺自体が国宝だと思っていたが、大雄宝殿と第一峰門のみが国宝で、あとは部分的に国の重要文化財・県指定文化財・市指定文化財等こまかく分かれていることを今日知った。 
11年12月23日(祭)  年末招待合宿二日目。今日は合宿の合間をぬって12時から3時まで、中学1年生の県選抜チームのクリニックをしなければなりませんでした。その選抜チームの中に松本清子(旧姓金本清子昭和56年3月卒業)のこども(サキちゃん)が選ばれて参加していました。この写真は平成15年の長崎インターハイの時、諫早の小野体育館に鶴鳴の応援に来てくれた時の写真です。サキちゃんは当時5歳。現在中学1年生です。背番号1/2のユニフォームが可愛いでしょ。この写真見ながらつくづく「俺も歳とったんだなあ」と思います。 
11年12月22日(木)  今日から年末招待合宿。明日からウィンターカップが開催されるというのに地元で合宿というのはやりきれない気持ちではありますが、悔やんでも仕方がないことですから…。さて、午後3時、長崎空港に旭川北高校を迎えに行きました。旭川北といえば旭川市の名門公立進学高校。それがどうして、仙台をとばして、東京を飛ばして、名古屋を飛ばして、大阪を飛ばして、広島を飛ばして、福岡を飛ばして長崎の鶴鳴なの?と思いますが遠征先として鶴鳴を選んでくれたことに素直に感謝し、明日に向かって羽ばたきたいと思います。
11年12月21日(水)  明日から年末合宿がはじまります。正月休みを挟んでまた合宿があります。このふたつの合宿はは鶴鳴にとっては2012年度に向けての天王山の戦いとなります(注:天王山の意味がわからない選手は辞書で調べなさい)。食事こんな感じです。
11年12月19日(月)  もう10個目ぐらいですかねえ。携帯電話用ハンズフリーのbluetoothイヤホンを服のポケットに入れたまま洗濯機に放り込むのは。自分でもいやになりますよ。 
11年12月18日(日)  午前中はターゲットエイジ(現中学3年生)の強化練習会。午後は少年女子国体選抜チームの一次選考会。これまで3年間わがままを言って、長崎商業の山崎コーチと長崎西の尾崎コーチに全権委任で少年女子チームの指導をやってもらっていましたが、もうそんなわがままは言ってられません。今日から長崎国体までの2年と10ヶ月は私が先頭に立って少年女子を引っ張っていきます。ターゲットエイジも少年女子も、今日の練習内容は1対1と2対2だけ。その記録をシートに記入させ、それをコンピュータに入力して選考の基礎資料にします。“国体選手に選ばれたい”ではなく“私はこれで国体に貢献できます”をアピールしろ。それが今日のキーワードでした。 
11年12月17日(土)  今日は練習OFFDAY。7時に一旦目が醒めたんですが昨夜寝たのが遅かったので頑張って9時まで寝ていました。それから10時過ぎに短大を出て板倉家と布志木家の姉妹を小江原グランドまでサッカーの練習に連れて行ってしばらく見学。勝負の世界に身を置いていてギラギラした目ばっかり見続けてきた私にとっては、無心にボールと戯れるこどもたちの姿って癒しになりますね。午後は市民体育館に長崎地区中学新人戦を観に行き、それから高校に戻ってラン(月曜日に不整脈が出て以来、時速10qのゆっくりペースに固定して走っています)。夜はFIBAASIA組織委員会解散総会(2月13日予定)に向けての段取りの打ち合わせ。FIBAASIAという文字が久々に登場しましたが、あの頃に比べれば今は時間がゆっくり流れています。
11年12月16日(金)  夜、松山千春のコンサートに行きました。アルカス佐世保で行われたのですが、佐世保でのコンサートは8年半ぶりだそうです。長崎会場の時は必ず行っていたんですが、長崎市街で行われるコンサートに行ったのは今回が初めてです。理由は、彼が3年半前に狭心症で入院したことと、今日が彼の誕生日で56歳になったからです。心臓に爆弾を抱えていることともうすぐ60歳になろうとすることを思えば、彼の張りのある声を聴けるのは今回を逃したらもうないかもしれないと思ったのです。理由はもう一つありまして、彼は高校時代バスケットの選手で、バスケット大好き人間なんですよ。それで、平成5年にジャパンエナジー(現JX)が長崎に合宿に来た時、当時の中村監督の要請でノーギャラで長崎まで来てくれてJXの紅白ゲームに出てくれたんです。その時千春さんは「柳葉も呼ぼうか?」といって、当時人気急上昇中の柳葉敏郎さんを誘って一緒に来てくれたんですよ。そんなこんなで、バスケットではいろいろお世話になっていることもあって今回は足を運びました。彼のコンサートはいつもそうですが、歌を聴きに行ったのか話を聞きに行ったのかわからないくらい話が多いです。今日の話の中で印象に残ったことばは「あのな、スポーツ界・芸能界・いろんな分野で、東北の人たちに勇気を与えるために私たちはがんばりますとかなんとか言ってるのを聞くけどそれって逆だろ?俺は彼らのしたたかさとたくましく生きる姿に逆に勇気と感動を貰ったぞ」でした。
11年12月15日(木)  今年もサンタさんの季節がやってきました。「サンタさんは何歳ですかあ?」「1600歳だよ」「エーッ!」。サンタさんの起源は4世紀頃なんですからそれぐらい歳とってなきゃならないんですよ。 
11年12月13日(火)  昨日は走り終わってから寝るまでずっと不整脈が続いていました。朝起きたら治っているかなと思って寝たんですが朝はもちろん昼まで治まりません。が、昼過ぎ治まったので実験してみました。1qを6分の超スローペースで3qぐらい走ってみることにしたのです。3qあたりで「こりゃ大丈夫だな」と思ったのでそのまま5q走っちゃいました。途中3回ほど心臓の付近がグルッとなりましたが、それは1回きりで、連続してグルッグルルッとはなりませんでした。タイムトライアルも苦しいですが、走れるのにそれを抑えて走るのもまた辛いです。私の心臓の期外収縮はこどもの頃からです。40歳になって健康診断の心電図検査で「ブルガダ疑い」と言われたのですが、本当のところは何が原因かわかりません。自律神経系に由来するのか心筋そのものに由来するのか電気系統に由来するのか、 でも何が原因にしろずっと前からそう言われながら69歳まで生き延びてきているのですからあまり気にせず、期外収縮とは気楽につきあいながらやっていこうと思います。
11年12月12日(月)  今日は3q過ぎあたりで心臓が止まりそうになったので「やめようかな」と思いましたが、スピードを落として様子を見ているといけそうになってきたので続けました。5q過ぎてからまた止まりそうになりましたが、今日はどうしても7q走らなければならない理由が自分の中にあったので、1q6分ぐらいのペースにはなりましたが残った2qを走りきりました。午後6時現在まだ生存しています。 
11年12月10日(土)  今日の山崎dietは、夜10時40分の記録です。事情を説明しますね。今日は練習がOFFなので、私は朝から16日締切の学生論文の仕上げ作業のチェックをし、午後は用事で県外に出かけました。夕方には帰ってくる予定だったのですが何やかやで長崎に帰り着いたのが夜の10時20分。ですからこんな時間になってしまったのです。「無理しなくてそんな時は休めばいいじゃん」と言われそうですね。ですが、夕方には帰れるので走ろうと思っていたのでどうしても休むわけにはいきません。最初から今日はこれこれこういう事情だから走れないということがわかっていたのなら休んでもいいのですが、「遅くなったから今日は休もう」だと、今後いろんな言い訳を用意して手抜きをする自分になってしまいそうで怖かったのです。
11年12月07日(水)  この画像は本日18:30現在の練習風景です。@の列とAの列は水銀灯が点いていません。本当はBの列も消したいんですが隣のバレー部から睨まれそうなので消していません。事の発端はずっと前、練習が終わって更衣室で着かえて玄関を出るまで全照明を点けっ放しだったので「集合!」「東北大震災のあと毎日のように計画停電とか節電とかテレビで報じられているのを見てないのかお前らは!」と私が選手たちに大喝したことに始まります。今では朝練の時は全く水銀灯を点けません。朝の7時半ごろといえばまだ体育館の中は薄暗いです。その状態でシューティングなのです。「真っ暗闇ならいざ知らずうす明かりがあれば毎日見ているリングの位置ぐらいわかるだろう!」というわけです。シュートを正確に決める方法を教えるよりもこんなことをしつける方が重要だと思っています。 
11年12月04日(日)  今日は10時から12時までは尾崎先生指導下のターゲットエイジ練習に顔を出し、午後1時から3時までは高城台ミニバスの指導にでかけ、それから学校に行って走りました。今日のランはまた茂木までのロードでした。なぜ茂木なのかというと、自分に対するお仕置きです。詳細を説明しますね。通常ならばグランドで5q走るところですが今日はそれでは足りないので8q走るつもりでした。昨日、ロールケーキをつまみ食いしながらパソコン作業をしていたら調子に乗って半分(あの、ロールケーキ1本の半分ですよ)ぐらい食べてしまったのです。もう、ダイエットはしなくていい身体になっているのですが、ダイエット云々ではなくてそんなバカげたことをしてしまった自分に対するお仕置きで今日は距離を伸ばそうと思ったのです。でも、グランドやマシーンでの8qはきついというより飽き飽きします。それで、どうせお仕置きならもっと距離を伸ばして茂木まで走らせよう(自分の身体を)となったわけです。走り終わってシャワーを浴びてから体重を量ったら63.6sだったので大事には至らなかったのですが、こんなことがちょこちょこ積み重なって元の木阿弥になってしまう。「人間って本当に愚かな生き物なんだぞ」と自分に言い聞かせるためのお仕置きでした。。 
11年12月01日(木)  遂にNBAのもめごとが解決した。
現地時間25日(金)に行われた交渉は、15時間という長丁場の末、リーグ側と選手協会側が新協定締結に合意。これにより、2011-12シーズンは12月25日から開幕する予定となり、シーズン消滅という最悪の事態を免れることとなった。リーグがツイッターで発表した内容によれば、基本合意に達した仮協定が承認された場合、レギュラーシーズンは通常のシーズンよりも10日ほど遅い4月26日に終了。各チームには最低でも2度の連戦が求められるという。またファイナル最終戦は6月26日となる見込みで、こちらも昨シーズンのファイナルが終了した日よりも約2週間遅れとなっている。各チームは所属カンファレンスのチームと48試合、別カンファレンスのチームと18試合を行い、全チーム共に3試合連続という日程が3度以上組まれることはない。
よかった。ほんとうによかった。このところずっと、日本でのバスケットボールはマイナー競技だ。しかもナデシコの活躍によりさらに差がついた。バスケットボールはこんなにおもしろい競技なのにこどもたちの目がバスケットボールになかなか向かない。それがとても悲しい。加えてNBAのもめごとだ。これがこのまま続けばバスケットボールのマイナー化が加速する。そんな焦りがあった。それが解決したのだ。嬉しい。
11年11月30日(水)  9月にランを始めてから今日で3ヶ月目。9月には3回走れない日があり、10月には2回走れない日がありました。そこで今月は最初から「1日も欠かさず走るぞ」と思って今日まで来て、その完走記念日に茂木(長崎市の隣の漁師町)までのロードワーク(往復12q)をしようと急に思いつきました。なぜそんなことを思いついたのかを話しますね。昔は今の体育館にバレー部・バドミントン部・新体操部・バスケット部の4部がひしめき合い、バスケット部は火曜日と金曜日は外練習でした。 その外練習はいつも茂木までのロードワークだったのです。その後グランドが整備されて人工芝になり、雨あがりでも走れるようになったし、アスファルトは足首や膝によくないので茂木までのロードワークワークはやめにしましたが、走りにこだわってきたこの3ヶ月のしめくくりとして原点を振り返ってみようと思い立ったわけです。携帯を持って走り出しました。途中の景色を撮ってこのブログに載せれば、もし目を通す卒業生がいたら懐かしいだろうなと思ったのです。スタートは校門、それからやく1q細い旧茂木街道を走り、バス通りの茂木街道に出ます。復路で方向音痴の佐野智子(昭和59年)はここをまっすぐ通過し、繁華街まで走って行って迷子になりました。田上の交差点(当時はこんなに広くなかった)からは約4qずっと下りです。ということは、帰りはずっと上りです。続チームを創るの第5章「なんじゃもんじゃ」の78頁の「駅伝」のところに述べていますが、復路圧倒的有利で首位を走ってきた私はこの地点で背後から忍び寄ってきた松尾朋子に並ばれ、最後に抜かれてしまいました。下りになってしばらく行くと高速道路の出口がありますが、当時はありません。そこからしばらく降りたところで道ばたに居たヘビを見て腰を抜かした原田五月(昭和56年)はそこから先を走れず、泣きながら一人で学校に戻ってしまいました。一見豪快に見える原田五月ですがそんな弱点を持っています。終点は茂木小学校を過ぎたところの信号の柱。ここにタッチして戻ります。さすがに今日は走り終えたら膝が笑っていました。保健室の境脇先生に記念写真を撮って貰いました
11年11月29日(火)  昨日鶴鳴高校卒のMさんから手紙が届いた。Oさんは鶴鳴が県高校総体で初優勝(昭和38年)した時のメンバーである。今年66歳だ。手紙の内容は私が毎年斡旋しているお歳暮のうどんの注文だったが、自分の近況も綴ってあった。ピアノを習い始めて今年で12年目になり、エリーゼのためにを最後まで弾けるようになったとのことだった。短大の幼児教育学科の学生は全員ピアノの練習で苦しんでいる。特に社会人入学の学生にとっては大変だ。その中でもHさんとMさんは60歳過ぎてからの入学。このお二人にとっては大変なんてもんじゃない。そんなことを知っている私なのでOさんの54歳の挑戦には驚いた。先日、栗城さんの生き様をテレビで見て感銘を受けたばかりだが、今度は身近に、しかも鶴鳴バスケットの先輩にこんなすごい人が居てまたまた感動した。現役選手諸君、こんな素晴らしい先輩を排出した鶴鳴バスケットだ。誇りと伝統は受け継ごうな。 
11年11月27日(日)  練習はOFF。研究の原稿は昨日とりあえず一段落したし、午後1時から高城台ミニバスの指導があるがそれ以外は何もなくヒマな1日だ。昼ごろまで寝ているつもりだったがいつもの時間には目が醒めた。それでもふとんの中でがんばっていたが8時まで引っ張るのが精一杯だった。起きだしてきたものの、何もすることがなくて午後1時のミニバス指導までの時間が退屈なこと退屈なこと。アジア大会の準備のように忙しくて目が回りそうなのもイヤだけど、こんな退屈な思いをするのもイヤだ。ミニバス指導には通常選手数名を派遣するが今日は選手が試験勉強のために練習OFFなので私1人で指導することになった。久しぶりに見るこども達はみんな少し逞しくなっていた。
11年11月26日(土)  今日と明日は期末試験前の土日なので練習は2日間OFF。私は短大での補講のあとはずっと研究室で仕事をした。12月16日締め切りの幼児の足型測定研究の原稿がずいぶん捗った。そのあと、高校に降りてグランドを走ったが、グランドランは3日前からやり方を少し変えた。1q5分30秒で5q走るのは必須として、それにその日の気分や体調によって後続距離距離を伸ばすようにしたのだ。だから、日によって5qだけで終わったり、6qだったり8qだったりする。そうした方が気が楽だし長続きするだろう。これ以上痩せると生きたまま干物になってしまいそうだ。
11年11月23日(祭)  自チームの練習は最初だけ顔を出して、あとは午後3時までターゲットエイジ(中学3年生選抜21人)の強化練習会につきあった。それが終わってから学校に戻ってグランドを走った。先々週末に疲れを感じたので8qランをやめ、5qのJOGに切り替えて調整をしてきたがこのところ5qはへっちゃらになった。そこで今日はまた8qに戻してみた。 ゆっくりペース(1qを6分以内)で走るつもりでスタートした。1q走ったところで時計を見たら5分24秒だった。そんなに飛ばしている自覚がなかったので「エッ」と思った。2qも3qも同じぐらいのタイムだ。苦しくない。大丈夫かなあと思いながら最後までそのペースで走りきってしまった。身体が軽い。終わってから体重を量ってみたら63sだった。どうりで走りが軽いはずだ。65sまで戻せばよかったのにちょっとやりすぎたようだ。
11年11月20日(日)  昨年4月からずっと、もう1年以上苦悶の日々が続いています。自分の思いが選手に伝わらないのです。私自身が時代おくれになったのか、指導が甘くなったのか、情熱が薄らいだのか、などなど自問自答する日々が続いています。現在続けているランもその一環です。スマートになるのが目的ではなく、自分を問いただすのが第一の目的です。栗城史多さんに一歩でも近づけるように…。
11年11月16日(水)  街の郵便局に行ったついでに富士男に立ち寄った。何年ぶりか覚えていないが、たぶん15〜6年以上は行っていないと思う。富士男は私の本「チームを創る(改訂版)」の第1章「指導者としての歩み」の中の「出逢い」の6頁目に登場している喫茶店の名前である。まだ私が20歳代のころ、当時の鶴鳴の監督であった中村和雄氏(現在BJリーグ秋田ノーザンハピネッツの監督)とコーヒー1杯で何時間もバスケットを語り合った店だ。当時は金がなかったのでコーヒー1杯しか注文できなかったが、今は当時より金持ちなのでケーキセットを注文した。
11年11月15日(火)  昨夜、登山家の栗城史多(くりきのぶかず)さんの密着取材ドキュメンタリー番組(カンブリア宮殿)を見た。何かにチャレンジしたり、すごい生き方をしている人の話は数えきれないほど読んだり見たりしてきたが、今回はガツーンとハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けた。それは彼の生き様ではなく、彼の口から出たことばから受けた衝撃だった。「自分の中のエベレストを目指せ」。私は彼より40年も長く生きているが、こんなことばを口にできるほど苦難を乗り切ってはいないし、自分を追い込んでもいない。世の中にはすごい人がいるもんだ 
11年11月14日(月)  今日学校に体重計が送り届けられていました。「ニューターサーと合わせてお使いください」というメッセージ付きで。県外のバスケット選手の 保護者Tさんからでした。体脂肪率や基礎代謝量や内臓脂肪レベルなどいろいろわかるすぐれもののようです。こうやって測定するようです。Tさんはおそらく私のダイエット記録をチェックされているのでしょう。3年ほど前K医師から血圧計をプレゼントされましたがほとんど使わず、ロッカーに仕舞いっ放しでした。この体重計はそうならないように活用させていただこうと思います。
11年11月10日(木)  ダイエット開始から丁度2ヶ月経ちました。今日の体重は64.5kgですが、10月18日に65kgに到達して以来1度も65kgになったことはなく、常に65kg未満です。ある時は体重計の針が63.5kgを指したこともありました。たぶん65kgはもう定着したのだと思います。8000m走ると580kcal消費します。もう、そんなことをしなくて、毎日うな丼を2杯食べても太らない計算になりますが、タンパク質はちゃんと取りながらも野菜中心の食生活とランは続けようと思います。これからのランは、ダイエットのためのランではなく、健康のためでもなく、自分を追い込む自分を持続させるためにやってみようと思います。 
11年11月08日(火)  行軍後二日目です。立ったり座ったりするたびに「あいたたた」と言います。腰とふくらはぎの痛みが昨日よりきついのです。昨日選手に聞いてみました。「お前どこが痛い?」「腰です」「ふくらはぎは?」「ぜんぜん」「あそう」腰だけでなくふくらはぎまで痛くなったのも、翌日より二日目の方が痛いのも、歳のせいですよね。というわけで今日は本当に走れないと思いました。でもグランドには出ます。暗く重い気持ちで。「行けるところまで行ってダメならやめよう」と思って走り始めたのですが、1km走ったところで「も少しいけそう」と思い、2km通過時点では「ここまできたら5km走らなきゃバカらしいよな」と思い、5km走ったら「ええい、やけくそだ」と思って8kmまで走ってしまいました。へろへろになりましたが。人間の身体って、なんとかなるもんですね。 
11年11月07日(月) 昨日は行軍のあとだったのでランは5kmで済ませたが、実は今日の方が大変だった。朝起きると腰は痛いしふくらはぎはバンバンに張っている。それが午後になっても抜けない。しかし自分の中での約束を反故にするわけにはいかないので8km走った。鉛を引きずっているようだった。 
11年11月06日(日)  体験入隊2日目。午前中は琴平山の頂上まで往復15kmの行軍だ。あいにくの雨。で、迷彩色のポンチョを着ての出発となった。山頂には999段階段がある。ポンチョの温室効果で登る途中顔面から汗がしたたり落ちる。が、頂上に着いた時は雨が止み、大村湾と市街地が一望できた。そこで私も記念撮影。自衛隊の行軍らしい気分を味わおうと思い、こんな格好で登った。午後からはまずLAV(軽装甲機動車)の体験試乗。誰もが助手席に乗りたがる装備品展示説明。岸上が装着した防弾チョッキを拳で殴ったら手首を捻挫しそうになった。営庭内の移動は昨日習った行進のやり方で移動する。みんな隊員になった気分だ。最後は研修室で感想文を書き、竹内中隊長の講話で終了。本当に充実した2日間であった。感謝、敬礼!
追伸:15kmの行軍をしたので今日のランは5kmを流すだけにしました。 
11年11月05日(土)  アジア大会が終わってからお願いしていた自衛隊大村部隊への体験入隊がやっと実現しました。朝9時、部隊に到着後まず戦車の前で記念撮影。それからオリエンテーション。そして体育館で団体行動訓練。昼食は自衛隊員の方々が食事をされる食堂で同じメニューの食事。午後も少し難度が増した団体訓練で午後3時に終了しました。本当は宿泊させてもらい、朝の起床ラッパで飛び起きて1分で身支度して営庭に集合など、いろんな訓練をしてもらいたかったのですが、女性を20人も宿泊させるには施設設備が充分ではないということでそれは成りませんでした。他人に預けて自分は外から見ていると、選手の意外な一面が見い出せます。 
11年11月03日(祭)  ターゲットエイジ。3年後の長崎国体開催年に高校3年生になる選手たちをそう呼びます。現中学3年生のことです。 バスケットでは男子20名、女子21名が選ばれています。女子の強化練習会は、後期第1回目が10月23日に山崎壽郎監督指導のもと長崎商業で、第2回目が本日尾崎雅史監督指導のもと長崎西で行われました。両監督にはあと1回ずつ(11月23日と12月4日)指導して貰い、12月18日の第5回目からはずっと私がやります。この21名と現中学2年生の数名の中から11名が絞り込まれて長崎国体少年女子のチームを組むことになります。ウーン…小さい。小さいから勝てないとは言いませんが、勝つなら何かキラッと光るものがなければなりません。その、キラッと光るものはプレイの上手さやスピードだけではなく、何もプレイをしていない時の立ち姿かもしれませんし、目付きかもしれませんし、熱意かもしれません。これから3年間、最後に残った11人の選手は全員、キラッと光る何かを持っている選手に鍛え上げていかなければなりません。相当厳しい注文を付けることになると思います。フーッ。
11年11月02日(水)  今日は10時小浜の石合公園スタートで県下高校駅伝。平成2年の初参加から5年連続ひと桁順位をキープし続け、平成6年には5位入賞したこともありますが、平成10年の8位を最後にひと桁順位は遠のくばかり。一つには、当初バスケット部主体で出場していたのが今では陸上部のお手伝いで出場しているという理由がありますが、ではバスケット部主体にして陸上部をお手伝いに戻すと順位が上がるのかというとそうも言えません。そこらへんが最近のバスケット部の現状を表していると思います。選手の誰もが強い思い(強くなりたい。立派になりたい)を持ってコートに立てるようになれば勝ちそうな試合を負けることはないし、駅伝の助っ人としてももっと貢献できると思います。今回は福井を選抜予選に出場させてやれなかったので思い出レースとして参加させてやりました。
11年10月31日(月)  昨日はOFFでした。でも走る暇はありませんでした。夜8時過ぎに身体が空いたので、それから学校に行ってランニングマシーンで走ろうかなと思いましたが、いろいろ考えた挙句それは思いとどまり、ランは休みました。今日は授業満杯の月曜日なのでランは昼休みに田手原までロードを走りました。身体の軽いこと軽いこと、「1日休んだだけでこんなにも身体が軽くなるものかあ 」と思いながら走り、また「俺、毎日自分の身体を相当酷使してるんだなあ」とも思いました。最近時々乗る体重計の針は64.5を指すことが多くなりましたが、65kgが安定したとは言えないので年末まではランと食事制限は続けなければならないだろうと思っています。
11年10月29日(土)  選抜予選で負けてから1週間。負けた翌日からどんな練習をしているのかを公開します。こんな練習です。これはビッグマンの2対2ですが、ガード陣は逆サイドで1対1をやっています。でもそれはついでにやっているのであって、メインはビッグマンの2対2です。これを30分間、シューティングを20分間、毎日それを3セット繰り返します。この1週間これ以外の練習はやってません。思うところは、「ビッグマンが、局面局面で主役になれる力を身につける」です。最近、ビッグマンが成長したためになんとか強豪チームと戦えるようにはなりましたが、それとて、他人がチャンスを作ってくれればそのあと処理はしますよ、という程度。自ら「ここは私にまかせて」というレベルではない。まだまだ草食動物系で肉食動物系ではないのです。そこで、自ら仕掛けて自ら決着をつけなければ何も起こらないという状況を設定し、「どうだ、この状況から逃げ出したいか?それともここを乗り切って一人前になりたいか?お前たちが決めるんだぞ」と、いじめを開始したわけです。
11年10月27日(木)  朝ミャーの墓に行き、墓の横に穴を掘って任務終了のターサーを埋葬しましたが、ミャーの墓石のペンキは6年も太陽に晒されて色が落ちてしまっていました。ミャーごめんね。 
11年10月26日(水)  私の減量作戦を支えてくれたターサー寿命が遂に尽きました。本当にありがとう。心から感謝します。ゴミ箱には絶対捨てません。明日、ミャーの墓のとなりに埋めます。 明日からは、今日購入したニューターサーで走ります。
11年10月22日(土)  ウィンターカップ予選で負け、平成23年度が終わりました。これで3年連続チャンピオンなし。昭和60年から 63年までの4年連続、平成4年から6年までの3年連続に次いで3回目。でも私はまだ萎えてはいません。
11年10月21日(金)  昨日のランはペース配分がまずく、屈辱的な結果に終わったので、今日はランニングマシーンで速度を調整しながら走りました。走り出しが時速10.1q(1q5分56秒のペース)。その後2q毎に時速を0.1ずつ上げて8q完走しました(46分46秒)。今日は8q走り終えてもまだ余裕がありました。ウーン…自分の身体がよくわからん。 
11年10月20日(木)  毎日が競技会モードではとても辛いので、今日からはロングジョックに切り替えようと思い、5kmを30分のペースで8km走ることにしてスタートしました。でも走り出しのペースが早く、5km通過時点で残り3q走るのは無理だと感じました。で、あと2km追加して7kmまで走るのが精一杯。昨日は快調だったのに今日は不調。なぜ?身体は蓄積疲労って感じじゃないのに。
11年10月18日(火)  昨日山中が「今日病院に行きたいので練習を休ませてください」と申し出てきました。22日にもう一度レントゲンを撮りに来いといわれていたのに5日早い診察依頼となったわけです。今週末の試合に出たいからでしょう。結果、今朝ギプスを外してもらった腕を見せ、「できることからやっていいと言われました」と報告。見ているとまずフリースローから打ち始め、それが終わるとスリーポイントシュートを練習し始めました。大丈夫かなあ?と思いながら見ていましたが私は何も言いません。ダメなら使わなければいいのですから。福井の膝にしても山中の手首にしても、できるかできないかは私の観察力如何ですから責任は私がとります。今は本人の「やりたい」を否定するのはよくないと思います。
追伸:今日は10時AMから5時PMまで缶詰で安全運転管理者講習でした。体重が減っていて尻の皮が薄くなっているので、7時間ぶっ続けでパイプ椅子に座っているのが痛くて辛いこと辛いこと。というわけで今日は走る暇がなかったので、練習終了後選手たちを寮まで送り届けたあと高校に引っ返してランニングマシーンで走りました。走ったあと体重計に乗ってみたら65kg。遂に目標値に到達しましたがまだ安定期に入ったわけではないのでランは続きます。
11年10月17日(月)  膝のことについて報告します。やっぱり痛いです。ずっと痛いのではなく、走っている時も歩いている時も、ある瞬間「痛っ!」となるのですが、その瞬間の体重のかけ方とか膝の曲げ方をもう一度やってみても痛みは再現されなません。外から抑えてもどこも痛くありません。でも痛いのは事実。それもサラの前下方と限定されます。ランの時は、走り始めピリッピリッと痛むのですが構わず走っているとそれもなくなります。いずれ自転車のペダル漕ぎしかできない日が来るかもしれませんが65kg安定キープできるまでは続けます。ところで月曜日は短大の授業が3コマ連続。終了が4時10分PM。そのあとすぐ部活に飛んでいくのでグランドを走る時間はとれません。よって1コマ目と2コマ目の間の昼休みにロードを走ります。短大の門を出て甑岩の方に向かい、田手原のバス停の電柱にタッチして帰ってくれば丁度5kmです。行きはずっと登り坂。帰りは下り坂といってもバンバン飛ばすわけにはいきません。ブレーキをかけながら走るので膝にはとってもよくないと思います。 
11年10月15日(土)  今日はウィンターカップ予選初日。しかし、短大は1年幼児教育学科月曜日の補講日。月曜日の私は3コマ連続で1年幼児教育学科の授業。よって今日の試合は引率もベンチもアシスタントコーチの三根氏に一任。授業は4時10分PMに終わり、試合は3時半PMトスアップだから授業終了直後に高速道路を飛ばせば第4ピリオドには間に合うかもしれないけれどもそこまでやる意味がないのでそれはやめた。授業後は短大から高校に移動し、グランドで走った。夕方6時からはFIBAASIA事務局員の慰労会。忙しい1日だった。
11年10月14日(金)  右膝のサラの下の靭帯(膝蓋靭帯)が今日から痛くなった。走りすぎ症候群であることは間違いない。さあ、明日からどうなることか…。しばらく走れないのか、走りながら治せるのか。いずれにしろ、走りをやめることは考えていない。 体重65kgが安定するまでは。
11年10月13日(木)  前歯の神経を抜いた。痛い。69歳と5ヶ月現在で無傷の歯が11本。根っこは残っているが虫歯の処置をして詰め物をしているか金属をかぶせている歯が10本。根っこもダメになってしまい、抜いてしまった歯(ブリッジでつないでいる)が7本。って…ここまでプライベイトを明かすかあ?ともあれ、総入れ歯にはなりたくないなあ。 
11年10月11日(火)  明後日から中間テストがあるし、昨日まで神村学園や慶進高校との死闘が3日間続いたので今日はOFF。私は1人でグランドを走ったが、2qを過ぎたらガクンとペースが落ち、コースも安定しない。右に左にふらつくのだ。血糖値の低下だろう。ふらつきながらも最後の1qはなんとかふんばって走り切った。10月に入って1日も休まず走っているので、そろそろ疲労が溜まってきたのかな。今日はもう仕事はしない(午後4時)。早く寝る。
11年10月10日(月)  合宿終了。山中はケガしましたが実りある合宿でした。明日からは試験勉強に集中(するはずです)。慶進の松本愛美(ナルちゃん1年生)はすごいです。明日からU16の合宿に参加するそうです。拍手
村谷先生へ、インターネットのgoogleでもyahooでもいいですからgom playerと入力して検索してください。出てきた画面の「今すぐダウンロード」をクリックし、手順に従ってインストール(無料)してみてください。動画が見られるようになります。 
11年10月09日(日)  神村学園と慶進高校を招いての強化練習2日目。昨日スタメンガードの山中が左サイドから鋭いドライブインでシュートを決めたあとゴール下で転倒しました。多分骨折?というわけで今日はスタメンの構成を変えて戦いました。結果的にダメージは最小限に抑えて終了。ひょっとしたら残りの選手の自覚が却って高まったのかもしれません。それにしてもいろんなことが起きます。 
11年10月08月(土)  山崎純男の白血球の勝ち〜。今朝、風邪症状はすっかりなくなっていました。 
11年10月07日(金)  昨日の午後風邪を引いた。何ヶ月ぶりだろう?昨日は鼻水が出て鼻の奥の天井がムズ痒いだけだったが今日の午後は風邪が気管まで侵入してきた。熱はない。が、今夜あたり私の肺は白血球と風邪ウィルスとの戦場になるだろう。ところで今日、神奈川のT氏からメノウのブレスレットが送られてきた。身体にいいらしい。左腕に付けてくれと添書に書いてあった。ブログにしばしば不整脈のことが書いてあるので気遣ってくれたのだろう。でも私は装飾品や健康器具と称するものは身につけたり使ったりしない。Tさんゴメン。不整脈というか頻脈は最近出ないが期外収縮は頻繁に出る。でも走る。古くなった身体だから何かは起こる。それをいちいち気にしていたらキリがない。昨日から体重が65.5sと65s台に突入したが、それは体重計に乗らなくても分かっていた。最近Tシャツだけでいると寒いのだ。気候のせいではない。体脂肪が減って保温力がなくなってきているのである。
11年10月06日(木)  注文していた白土三平さんのカムイ伝1部15巻、外伝11巻、2部12巻、全38巻が届いた。しめて4万7千円。今日からは、私の研究室の本棚の主役の座を占めることになるだろう。これまで主役の座を占めていた弘兼憲史さんの島耕作シリーズがちょいと脇へずれることになる。弘兼さんゴメン。 
11年10月05日(水)  一昨日は寮の大掃除だった。年に2回やる。高校生の区域の点検は寮職員ではなくいつも私だ。当日用事があって点検できなかったので昨日の夜、点呼の時間(10時PM)にやった。2人部屋の間取りは図のようになっている。昔は短大生も高校生も毎年満杯だったが年々入寮者が減ってきて、今では2人部屋に1人ずつ入れさせている。が、2人部屋を1人で占有していいというのではない。昨夜、Aのスペースの選手なのにBのベッドの上や棚や机に自分の私物を置いているヤツがいた。「ここはお前のスペースではな〜い!」と言って、私からその私物を床にぶちまけられたのが6人いた(バスケット部だけではない)。こんなことが身辺から消えてなくならなければ本当に強いチームにはなれない。
11年10月04日(火)  FIBAASIAが終わり、体育祭が終わり、文化祭が終わり、国体が終わって、「さあ、チーム練習に集中できるぞ」となった今日の練習は、8月30日以降の中で最悪の出来。神様も意地悪だなあ。備考:今日は文化祭代休日 
11年10月03日(月)  生徒会から「文化祭のために折角作った飾りつけを1日だけで剥がすのはもったいないのであと1週間このままでいいですか?」と言われた。もちろん否やはない華やかでかえっていい。 
11年10月02日(日)  今日は高校文化祭。大いに盛り上がりましたが私にとっては屈辱の出来事が2つありました。1つ目は文化祭の準備手伝いで、大きな段ボール箱を抱えて階段を昇っていた時、私の両手がふさがっているのをねらってが私の足を刺したのです。かゆいけどかけない。その悔しいこと悔しいこと。2つ目も蚊。今度はチーム練習の前に1人でグランドを走っている最中でした。突然左ふくらはぎがかゆくなりました。立ち止っている時ではなく走っている最中なのに蚊に刺された?ウソ!でも走り終わったあとはプックリ。間違いなく蚊に刺されていました。チキショー!カノヤロウ! 
11年10月01日(土)  今年の創立記念式典は高校の体育館で行われた。記念イベントは掛屋剛志君(19歳。佐世保市在住。先天性の病気で、視覚障害と知的障害がある)のコンサート。8本指で弾くピアノ(指はちゃんと10本あるが、8本しか使わない)だけでなく、壁であろうが机であろうがたたけば音がするものは何でも楽器にしてしまう特技も披露してくれた。今日は段ボールの箱をこすって音を出し、自作の曲を聴かせてくれた。感動したのはお母さんの「剛志の視覚障害や知的障害を障害ととらえるのではなく、個性ととらえるようになってから生き方が変わりました」ということばだった。ウーン。深い。 
11年09月30日(金)  今日と明日の2日間は創立記念式典と文化祭の会場設営のために体育館が使えません。予定表では30日はグラウンドランで1日をOFFとしていましたが、30日もOFFにしました。8月上旬のグラウンドランで筋断裂疑いの選手が数人出たのでしランは休止し、現在体育館でスクリメージ主体の練習をやっています。そこへ、体育館が使えないからといってポツンとランを持ってきても意味がないし効果もないと思いそうしたのです。というわけで私は終日マンガを読んでました。 
11年09月28日(水)  今朝の朝練で福井がこんなことをしていた。選抜予選にはなんとしても出たいのだろう。だが、焦ってもダメ。まだ前十字靭帯の強度は受傷以前の80%ぐらいなのだから。というより、福井の場合は強度よりも姿勢制御の方が問題だ。悪い態勢でも果敢に戦いを挑む。用心をしないのだ。それでケガをする。それが彼女のよいところでもあるし弱点でもあるから監督としては起用のし方が難しい。ウーン。
再び備考:動画が見られない人はインターネットからgom player(無料)をダウンロードしてみてください。
11年09月26日(月)  短大の後期授業が始まった。朝練のあとすぐラン。その後短大で3コマ連続の体育実技授業。今年は予定を変えて現在日本のスポーツ界の話題bPであるなでしこジャパン(フットサル)から入ることにした。3コマ目の終了が午後4時10分。終えてすぐ今度は高校の部活へ直行だ。大忙しの1日だったが、FIBAASIAの忙しさに比べれば屁でもない。さて今日の練習。福井と木原を部分練習に参加させてみた。参加させた経緯を話そう。福井は昨年2月28日に左膝前十字靭帯断裂の再建術を受けたあとリハビリに励んでいた。9月13日に「リハビリの先生からスクリメージに半分なら入っていいと言われたので入ってもいいですか」と申し出てきた。「バカヤロー!スクリメージに入る前に個人の練習があるだろう!術後6ヶ月半でいきなりスクリメージに入れるかあ!」と一喝。「4ヶ月で復帰させて見せます」と豪語する医師も中にはいるが、私は生物学的に術後8ヶ月を過ぎないと前十字靭帯再建術後の選手はチーム練習には参加させられないと、自分の中で基準を持っている。もちろん、福井のリハビリ担当の理学療法士は「スクリメージに半分なら入っていいよ」などとは言っていない。福井の勘違いである。一方先日の山口遠征の初日に足首を捻挫して休養していた木原が今日の朝、「治ったのでスクリメージに少し入ってもいいですか」と申し出てきた。そこで私は「イライラを解消させてやるために少しだけプレイさせてやるか」と思い、主力選手のフルコートスクリメ−ジには入れてやれないが、バックアップ選手のハーフコート3on3に2人を参加させてやった。白のTシャツでリバウンドショットを決めたのが福井。黄色のビブスの13番が木原。さてこの二人、10月15日に始まる選抜予選に出してやれると思いますか?
11年09月24日(土)  きょうの練習はAMのみ。午後から用事があるのでAMの練習が始まる前にランニングマシーンで走った。昨日は4q過ぎから不整脈と頻脈が出現したのでペースダウンし、なんとか完走はできたものの今日はまだその余韻が残っていそうで不安。で、最初時速6qの急ぎ歩きから始め、200b増すごとに時速を1qずつ上げ、2qからは時速10qで最後まで走ったが何事も起きなかった。無事生還。ホッ。 
11年09月23日(祭)  久しぶりの高城台ミニバス。女の子は常連の4人だけだったが男の子が増えていた。みんなたくましくなっていた。幹(川口絢)にダンクをやらせてみた。できた。3歳の男の子が見学に来ていた。名前は寺島慧(けい)くん。3歳だそうだ。これは逸材だ。12年後には田伏を抜くスターになること間違いなし。それまで生きていたいなあ
備考:動画が見られない人はインターネットからgom player(無料)をダウンロードしてみてください。 
11年09月19日(祭)  長崎に帰り着いたのが6時50分。まず最初にやったのはラン。暗くなっているのでグランドではなくトレーニング室のランニングマシーンで走りました。それからパソコンでデータ処理。今日の目玉はこの写真。元国際公認審判員の両巨頭楢原先生と小池先生のお二人に笛を吹いてもらっての練習試合。選手たちはこれがどれほどすごいことかなんてわからないだろうなあ。 
11年09月18日(日)  久松は2日目の朝1発目の試合にだけ参加して長崎に帰りました。午後2時から国体チームの練習があったからです。昨日の2試合目、このところ成長著しい木原が左足首を捻挫してしまい、今日は主力2人を欠いての戦いになり、しかも使えるコマは8人しかいないという状況でしたがよく戦ってくれました。午後の2発目と3発目は疲れて失速してしまいましたが、明日死にものぐるいで疲労と闘えたらホンモノになれるかもしれません。 
11年09月17日(土)  昨夜は眠くてパソコンを点けっぱなしで寝てしまったので、18日の朝6時から17日の分の更新をしています。
17日はオープンスクール。朝8時半に学校に着いてまず走り、チーム練習をし、11時からオープンスクールのイベント(部活動体験)を済ませ、12時10分に学校を出発して宇部に向かいました。宇部に向かう高速道路を「ああ、俺はやっと本業に戻れたんだ」と実感しながら走りました。午後3時過ぎに着いたので、夕方の2試合しかできませんでしたが、勝ち負けのことはともかく、合宿以外のいろんな雑念をゴミ箱に捨て、さらにそのゴミ箱のファイルを全て削除し、コート上で動く選手の表情や呼吸や汗だけを肌で感じられた事がとても幸せでした
11年09月16日(金)  今日のランは「俺、本当に今日でおしまいになるんじゃないかなあ」と思うほど辛かった。走り終わったあとかなり長く不整脈が続いた。脈が落ち着いてから体重を量ったら66.5sだった。大村市長との会食で昨夜ずいぶん食べたが思ったより増えていない。しかし今夜はFIBAASIAのLOCスタッフの慰労会だ。大村のシュシュで行ったが、帰ってから体重を量ったら68sだった。明日走ってから量るともちろん減ってるとは思うが、こんな事の繰り返しが続く。本来の姿(65s)に戻れるのはまだまだ先だ。 
11年09月15日(木)  大村市長以下、部長クラスのFIBAASIA慰労会に招待され、先ほど(10時PM)帰ってきた。今日のランのあとの体重は66sだったけど、慰労会の食事でたぶん67sぐらいに戻っているだろう。ここからが大変だ。65sに定着するまでが長い。 
11年09月14日(水)  野菜ジュースとか野菜スープってどんなの?と思っている人のために。パチリ。こんなのです。これに時々キャベツとキュウリの千切りが入ります。今日はラン情報はちょっとだけでバスケットの話を…。「新体操の選手はなぜ身体が柔らかいかわかるか?それは、身体が柔らかくなければ競技者としてやっていけないからなのさ。おまえ達のストレッチングはどう?新体操の選手みたいな気持ちでやってる?」ホワイトボードのセリフはさだまさしさんの色紙を引用したものなんですが、夢ではだめ、「思い」でなければ。追伸PM9:30今日の夕食。その後マッサージをしてもらう。 
11年09月13日(火)  今日は800b地点で「ヤバイ!」と思って走るのをやめた。脈がおかしかったからだ。が、歩いてでもいいからとにかく1qまでは歩を進めようと思い、超ゆっくりペースであと200b進んだ。6分40秒かかった。数日前にも心臓がおかしくなって中断したが、その時は2200b走ったのでその時より短い距離の中断はしたくなかった。そのままのペースで1q進んだ。6分55秒かかった。心臓は復帰したようなのでそのまま走った。スピードを上げてみようと思ったが、今度は足が棒のようになって前に進まない。次の1qは7分00秒かかった。あと2q。何とかタイムを挽回したかったが足が前に出ない。次の1qは7分04秒かかった。最後の1qはもう歩いているのか走っているのかわからない。7分20秒かかった。トータルで34分59秒。過去最悪の記録だが、キャベツとキュウリだけしか食べず、10日も走り続ければこうなるのは当たり前だよな。
11年09月12日(月)  2日から今日まで10日間で9回グランドを走った。しかも9日の夕方から口に入れる物は、みそ汁・キャベツ・キュウリ・野菜ジュース・野菜スープのみである。さすがに今日はほんとに死ぬかと思った。走ったあと手足がしびれてまともに歩けなかった。しかし、こんな無茶苦茶な減量方法は今回が初めてではない。体重が72sまで行ったのは37年ぶりだが70sぐらいまで行ったのは何回もある。その度に減量するのだ。そのやり方は今回と同じやり方でボクサーの減量に似ている。食べながら痩せるリンゴダイエットとかなんとか、そんな虫のいい話は私は嫌いだ。「食べ過ぎたから太ったんだろ。痩せたければ食べなきゃいいんだよ」が私の持論だ。
11年09月11日(日)  断食宣言をしたのが9日。その日の夕食はキャベツとキュウリの千切りを一皿、ポン酢をかけて食べただけ。翌日は、朝野菜スープを飲み、昼は何も食べずに夕食は9日と同じキャベツとキュウリだけ。今朝は味噌汁(具はワカメとジャガイモとタマネギ )一杯、昼は野菜スープ、夕食は定番のキャベツとキュウリだ。走ったあと体重計に乗ったら68.5sだった。2日間で3.5s体重が落ちた。じゃあ、あと二日で本来の65sまで落ちるのかというとそうはいかない。これからが大変だ。FIBAASIAの慰労会があったり、体育祭の打ち上げ会があったりするので、アップダウンを繰り返しながら徐々に落ちていくと思う。過去の経験からして、キャベツとキュウリの断食メニューをあと2ヶ月続けたら65sに落ち着くだろう。
11年09月10日(土)  久々にチーム練習を見て木原の変貌ぶりに我が目を疑ったことは8月30日のこの欄で述べた。以来、木原は崩れないしそれに伴ってチーム全体も40分間安定したゲームが出来るようになった。そこで私は練習スケジュールを修正した。Games & Scheduleの頁の鶴鳴スケジュールをご覧になればわかるとおり、土曜日と日曜日はすべてAM/PMだったのを、土曜日AMのみで日曜日OFFとする日を増やしたのだ。強くなったにもかかわらず練習漬けの毎日が続けば選手の練習意欲が高まらないと思ったからだ。しかし、それで気が緩んだのか今日の練習はさんざんだった。ドヨーンとした締まりのない雰囲気の中で選手がうごめいているだけ。ものすごく腹が立ったが、だからといって・OFFの日を没収するようなことはしない。選手とのこんな戦いを繰り返しながらチームの方向付けをするのがコーチの仕事なのだから。(…と、悟りきったようなことを言ってますが、選手を皆殺しにしたいと思う気持ちを抑えてコートに立つのはとても辛いです。何年経っても)
11年09月09日(金)  不整脈自体は治まっているが胸に違和感は残っている。が、走ってみた。もし途中で倒れることがあっても見つけてもらいやすいように赤い短パンで走った。200bを1分15秒の超ゆっくりペースで走り出した。1000bを過ぎたあたりで「大丈夫そうだな」と思った。ゴールタイムは29分58秒だった。走ったあと体重計に乗ってみたら72s。通常65sぐらいだから7sもオーバーしている。その原因は分かっている。アジア大会期間中の食生活の乱れだ。私は日常、夜9時過ぎたら絶対固形物は食べない。翌日胃がもたれるからだ。深夜作業が多かったアジア大会期間中その習慣をしばしば破った。そのツケがこれだ。今日から断食だ。
11年09月08日(木)  昨夜は10時半に床についた。3時半に目が醒めそのまま眠れなかった。がまんして2時間ふとんの中にいたが5時半に起き出してパソコンをいじり、6時には学校に向かった。気になる案件が昨夜持ち上がったのでそれが原因かもしれない。それも手伝ってか、今日のランは途中で息苦しくなり中断した。頸動脈を抑えてみたら不整脈だった。昨年から時々出る不整脈はストレスが原因なのか心臓自体が古くなったからなのかよくわからない。検査入院すればわかるのだろうがそんな暇はちょっとない。ま、その時はその時だ。 
11年09月07日(水)  ランは1日お休みしたので今日は快調だろうと思って走ったらなんとなんと身体が重いこと重いこと。どうにか走りきりましたが死ぬかと思いました。ところで、挨拶まわりが終了して私の周辺からアジア大会が遠のいてから5日目。朝から学校の仕事を一つ片付けて時計を見たら9時45分。それからこれと言って急ぐ仕事はなくごそごそしていましたが、時計を見ると10時半。「時間って、こんなにゆっくり流れているんだあ」と思いました。
11年09月06日(火)  アジア大会の途中から左の顎関節が痛くなり始めましたが、この数日ガクンと大きな音がして一瞬アゴがずれるようになったので病院に行きました。以前に何回か同じ症状を診ていただいた楢林先生(整形外科)です。一次しのぎではありますが顎関節にステロイドを注射してもらいました。関節内に注射した日は感染予防のためシャワーもひげ剃りもできません。モデル図の中の赤丸の部分に顎関節症は発生しますが、私の顎関節はたぶん関節円板(ディスコイド)が割れていると思われます。それを治すには手術しなければなりませんが、時間がとれないのでそれはやりません。楢林先生から、大きく口を開けることと固いものを食べるのはしばらく控えてくださいよと言われました。それじゃ練習で大声出せないじゃないですかと言ったら楢林先生は手話を覚えなさいと言われました。山崎純男が手話で指導しているところイメージできますか? 
11年09月05日(月)  9時半には床につくようにしてから6日経ちました。朝起きる時身体が鉛のように重く、背中が張って痛い日が続いていたのに今朝は「あれっ?少し軽くなったかな?」と思いました。足はアジア大会終了後復活したランニングのために筋肉痛で太ももはパンパンに張っていますが身体は元に戻りつつあるようです。本来の山崎純男に戻れる日が近いのかな?
11年09月04日(日)  アジア大会が終わり、体育祭が終わって「さあバスケットに集中だ」となるはずの今朝。「このバカ集団があ!」と選手達を大喝。原因は体育祭用具の運び出しや後片付けで体育館のフロアがザラついているにもかかわらず、モップがけもせずに練習を始めようとしていたからです。「確かに最近少し強くなった、しかしだからといってみんなが心から応援してくれるチームではないんだぞ!まだ」。こんなところをまだうろうろしています。鶴鳴の誇りとなり得るにはまだまだ時間がかかりそうです。
11年09月03日(土)  今日は朝から大村の事務局に出かけ、川崎先生にプレゼントするグッズを調達してから愛宕病院に入院している川崎先生(長崎バスケット界の大長老。長崎県協会の育ての親)を見舞いました。アジア大会開催前にも見舞いに行きましたが、私が行くときは川崎先生はいつも寝ています。誰よりもビッグイベントを長崎に呼んでくることに強い思いを持っていた川崎先生を、アジア大会の特別来賓席に招待したらどんなに喜んだことだろうと思いながら寝顔を見ていました。97歳と4ヶ月です。
そのあとは台風の影響のため、テントをすべて取っ払っての体育祭に顔を出しました。ちょうど部活動対抗リレーが始まったところでした。陸上部は、3年生優先の思い出づくりなのでバスケット部が昨年に続いて優勝。
そのあと私はランニング。今日はランニングマシーンを時速10qに設定して30分走りました。まずはこうしたゆっくりペースで循環器系を元に戻し、それから筋肉の鍛錬に移行します。アジア大会は決算処理が済むまで終わったとはいえませんが、もう身体も心も3年後の国体に向けたコーチモードに切り替えてまっしぐらです。
11年09月02日(金)  今日と明日は体育祭準備と体育祭のため練習は休み。私は大村の事務局に残務処理に出かけた。大村市役所内に置いていた事務局は7日に元の森園公園内の事務所に移転する。今どっちの事務所も整理でごった返している。午後、挨拶回りで1ヶ所忘れていた長崎ガードサービスに行き、それからグラウンドをちょっと走って帰る。今日はたくさん寝るぞ。
追伸:挨拶回りのあと、16:30スタートで5q走った。身体は鉛のように重く、完走できないと思ったが走れた。今日のランは貴重だ。「今日は早く帰って寝よう。走るのは明日からだ」などと言っていたらずるずると怠け癖がつく。それを食い止めたという意味で大きい。
11年09月01日(木)  今日は午前10時半から挨拶回りに出かけた。長崎女子高校(龍踊り部出演御礼)・九州電力・長崎船舶装備・三菱長崎機構・KTNソサエティ・県営バス・サムコ・アルカディア・伸和コントロールズ・海上自衛隊・大村市医師会・建設協会・ヤマト運輸の13ヶ所。御礼に回らなければならないところはまだまださくさんあるが、足で回るのはここまでとし、あとはお礼状で勘弁してもらう。フーッ。
さて練習は?木原は今日も変わらず。どうやらスタメン組の他の4人に追いついてきたのは確かなようだ。スタメン組とは、今のところ久松(2年)・釣屋(1年)・山中(1年)・川口(1年)・木原(1年)だが、バックアップ組に回っている山下(1年)もそれに含まれる。加えて、これまで精神面の脆さでスタメン組に入れなかった川上(2年)がこの2日間スタメン組の川口を凌ぐ働きをしている。その他、バックアップ組の赤島(3年)と酒井(3年)もスタメン組にとって非常に邪魔な存在になってきた。本当に人間の中味までコート上のプレイのように変わったのなら、鶴鳴の誇りが復活するかもしれない。
ところで、この4日間の挨拶回りで陸上自衛隊大村部隊の伊崎指令にひとつのお願いをしてきた。それは、クレインズチームの訓練入隊だ。断っておくが体験入隊ではなく訓練入隊だ。期日は、9月17・18・19の3連休か10月8・9・10の3連休のどちらか。もちろん、校長の許可も受けなければならないし、保護者の同意も得なければならないし、大村部隊の行事が詰まっていなくて受け入れ許可を得なければ実現はしないのだが…
なぜ私がそのようなことを思いついたかというと、この半年間選手たちの日常生活を観察していてもっとも重要なことは規律や礼節を選手の身体の細胞の一つ一つにたたき込むことだと感じたからだ。
余計なお世話と言われそうだが、伊崎指令との話の中で出た来年6月下旬に行われるロンドンオリンピック最終予選のことについて話そう。私が「日本代表がこの予選を突破するには鶴鳴みたいに2泊3日とかではなく、もっと長期に自衛隊に訓練入隊させるのがコートで練習するよりいいと思いますが…」と言ったら、伊崎指令が「日本代表なら習志野空挺部隊の訓練がいいんじゃないですかね」と言った。習志野空挺部隊の訓練がどれほどすさまじいものか、興味がある人はインターネットで検索してみてください。
11年08月31日(水)  午前九時、諫早のまるたかを皮切りに夕方5時まで、大村市教育長・議長・財政部長・市民生活部長・トラコン・インターナショナルホテル・九州ガス・銀行協会・シーハット・寿楽・青年会議所・辻印刷・大村ライオンズクラブ・大村ロータリークラブ・大村北ロータリークラブ・競艇局・諫早北ロータリークラブ・諫早ロータリークラブ・澤山商会・ホテルニューながさき・全日空グラバーヒルホテル・純心高校・○○氏の24ヶ所を廻った。目も回った。
さて練習のことに触れよう。FIBAASIA大会の観戦とお手伝いで8日間まったく練習できず、一昨日再開した。再開初日はシーハットの片付けや挨拶回りで私はまったく見られなかったが、昨日は久しぶりに見ることができた。その感想は昨日述べた。今日も開始には間に合わなかったがスクリメージはすべて見ることができた。スタメンチームがバックアップチームに負けた。スコアは68−66。原因は、バックアップチームのやることなすこと全てがうまくいったこと(まぐれではなくホンモノ)と、スタメンチームのやることのほとんどに微妙なズレが生じ、それを修正することに集中力の大半を持って行かれたことだ。これまでしばしばあったような精神面のダレによる負け試合ではない。だから終わってから何も言わなかった。ところで木原は…?昨日と変わらずだった。このままホンモノになればいいなあ。
11年08月30日(火) 今日は、福砂屋・長崎自動車・十八銀行・親和銀行・県教職員課・県民スポーツ課・体育保健課・ラッキーグループ・県立総合体育館・全労済・ダイヤモンドスタッフの11ヶ所を廻った。明日は諫早のまるたかを皮切りに廻るがどこまで廻れるか…
練習には、開始に間に合わなかったけど2週間ぶりに顔を出せた。スクリメージの途中で「エ?」と我が目を疑った。ディフェンスがまったくできず、戦力どころかお荷物だった木原が酒井にドライブで抜かれそうだったのを止めたのだ。目をこすってそれから彼女をしばらく観察していたが今度はちゃんとディナイして酒井へのパスを封じた。私は長田をコートに送り出して木原をコート外に出し、「お前、以前の自分に比べてどう?○とか△とか×で表せば…」と聞いた。「○です」と彼女は即座に答えた。「だろ?いつ頃から?」と私が聞いたら「アジア大会の少し前からです」と彼女は答えた。自分でも「わかってきたぞ」と自覚しているのだ。これがホンモノだとすればチームの大穴は無くなる。少しでも早くFIBAASIAの残務を片付け、コーチ業に専念したいと思った。
11年08月29日(月)  朝から挨拶周り。まず、JBA専務理事の樋口氏と県協会理事長の大塚氏と私の3人で県知事(副知事対応)、長崎市長、大村市長を訪問。大村市長訪問後樋口氏は東京へ帰り、大塚氏は野澤氏と交替して、あとは私と野澤氏の2人でお世話になったところを次々と廻った。大村高校・陸自大村駐屯地・大村商工会議所・陸自竹松駐屯地・大村市観光コンベンション協会・空港ビル・大村警察署・大村消防署・イオン・○○氏の10ヶ所。夜9時までかかった。途中空き時間にシーハットに立ち寄った。LOC委員数人が後片付けをしていた。長期間の施設使用でテープの粘着度が増し、シートに張り付いて剥がれない。薬品を付けた雑巾でゴシゴシこすり取ってから収納しなければならない。根気の要る作業だ。FIBAASIA大会の後始末はまだしばらく続く。みなさん本当にご苦労様。ありがとう。
11年08月28日(日)  今日チャイニーズタイペイに勝つのと負けるのとでは天と地の違いだ。勝って3位になれば来年6月に行われる世界最終予選の出場権を得てまだオリンピック出場のチャンスはあるが、負ければロンドンの芽は摘み取られてしまう。開場1時間前にはすでに観客が並び始めた。30分前には長蛇の列となった。みんなのパワーを借りてなんとしても日本代表を世界最終予選に送り出したい。12:40 
17:20。中国優勝・韓国2位・日本3位で大会は幕を閉じた。スタッフのみなさん、本当にありがとう。挨拶周りや経理処理等の仕事がまだたくさん残っているが、とにかく終わった。「ホッ」これが今の私の心境だ。
11年08月27日(土)  あと2日だ。今日は入れ替え戦と準決勝・決勝の4試合。朝10:30には当日券販売所に列ができはじめ、スタッフも予定時間より早くスタンバイしなければならなくなった。みんな、突然の出来事や変更にもうろたえず文句も言わず、疲労困憊のはずなのにサッサッと対応してくれる。あと1日、なんとしても日本代表が3位になって、来年6月に行われるロンドンオリンピック世界最終予選に出られるよう、我々も最後の力を振り絞らなければ…
11年08月25日(木)  おはようございます。朝7:30情報です。チケット情報をお知らせします。25日と28日のチケットはほとんどありません。27日はまだ少し残っていますが昨夜遅く申し込みがありました。詳しくは事務局(0957-47-9007)にお尋ねください。
追伸:昼過ぎ、FIBA(国際バスケットボール連盟)の会長が到着し、スタッフの激励のために運営本部に顔を出されました。その時たまたま午後の睡魔に襲われパソコンの前で居眠りをしていた私は、隣に座っていたイベントディレクターの弘田氏から「山崎先生、FIBAの会長が見えられました!」と言って肘をつつかれ、飛び起きました。飛び起きたはずみで椅子をひっくり返しましたがともあれ彼のもとに駈け寄り、「わざわざありがとう」と言って握手しました。すると彼は「お前、寝ていてあわてて起き、椅子蹴飛ばしただろ」と、笑いながら冗談を返してきました。FIBA会長来場で緊張が走った運営本部にサーッと和やかな空気が広がりました。ホッ
さて日本対中国の試合、チケット完売で満員の観客のみなさんにがっかりさせる試合になるだろうなと私は思っていました。というのは、今日中国に勝っても負けても27日の準決勝はもう一度同じカードになるので、今日全力を注いで中国に勝っても27日の中国戦で負ければ元も子もなくなる。監督だったらだれもがそう考え、準決勝の中国戦に焦点を合わせます。今日試合を見に来ていただいたみなさんほんとにすみません。というわけで27日の準決勝は絶対白熱の試合になると思いますので、お友達を誘って観に来てください。
11年08月24日(水)  数人のスタッフは自宅に帰っていません。大村高校職員住宅の空き室を借りてそこで寝泊まりしています。運営本部まではクルマで5分。朝6時にはそこを出ます。今朝、オフィスはいつもの風景に戻りました。誰もが脇目も振らずに仕事です。ボランティアスタッフも、アクセスコントロール(誰も通らなくてもこの姿勢で座っていなければならない)担当も、みんな頑張ってくれています。昨日はチケット完売による満員で、会場に入りたいのに入れない人が出て申し訳ありませんでした。今後、25日と27日と28日は同じ事が起こる可能性があります。観戦希望の方は、本日(24日)分のチケットはまだ余裕がありますので、事務局(0957-47-9007)にお問い合わせください。すみません。
追伸:夜8:30試合終了。告知が効いたのかどうかわかりませんが、当日券売り場は上記3日間のチケット購入でかなり長い列ができました。ありがとうございます。今の私は、人の顔が福澤諭吉や樋口一葉に見えます。
11年08月23日(火)  今日は今大会最大のヤマ場。チケットは完売。満員の会場で大熱戦。運営本部で仕事をしているスタッフはまったく試合を観ることができず、ひたすらパソコンに向かって仕事をし続けるという毎日ですが、今日のスタッフたちはさすがにキーボードをたたく手が止まり、ついついモニターに目が行く。本部長自らモニターにかぶりつくわけにもいかず、私はだまって仕事を続けていましたが、手が止まっているスタッフに「コラーちゃんと仕事しろ!」とは言えませんでした。いや、むしろ今日モニターには目もくれずに仕事することの方が不自然。私だって、本部長という肩書きがなかったらモニター観てますって。それが普通の心情ですよ。こうしたコート周りの仕事や運営本部内での仕事以外に、私には金緊急対応と坂本龍馬的な仕事が山積みされています。麟太郎助けてくれ〜
11年08月20日(土)  いよいよ開幕。今日は全日空グラバーヒルで開会式。朝長会長の開会宣言乾杯。そして、大村の郷土芸能くじら太鼓の出演。太鼓をたたく少女の凜とした姿、澄み切った目、風格に魅せられ、ズームアップで彼女の表情を捉えようとしてシャッターを切ったら、その瞬間低い姿勢に変わったので髪の毛しか写せませんでした。髪の毛だけではその雰囲気わかりませんかねえ? 
11年08月16日(火)  隼ジャパン長崎入り。泊まっているホテルもどこで練習するのかも、明かすことはできませんし、試合開始は21日なのですが、我々運営側の者はFIBAASIA選手権が遂に始まったという思いです。
11年08月14日(日)  昼休みに墓参り。今日も幟仕立てのバイクで行きました。行動範囲はほぼ画像の中の円に沿った範囲。途中歩道を歩くおじさんが、立ち止まって「なーんて書いてあるんだろ?」という顔つきで私が通り過ぎてからもじっと見ていました。しばらく行くとこんどはおばさんが同じようにじっと目で私を追いかけていました。11日12日の行動範囲も画像でお知らせしますね。幟バイクでの街頭宣伝に加えてメールや電話でのチケット販売活動もがんばってます。というのは、一時期一般市民の方々がローソンでチケットを買おうとしても残席なしという状況が続いて「チケット売り切れ」という情報が流れてしまい、事務局にはチケットがあるのに売れないという状態が続いたからです。その後、協賛者への提供分として確保しておいたチケットを売りに出したのですが、口コミで伝わった「チケット売り切れ情報」を払拭できなかったのがその原因です。11日から開始したこの活動で、今日までに21日B席チケット25枚、24日A席1枚、25日A席2枚の注文を取りました。みなさん、まだチケット有りますよ。問い合わせ電話0957-47-9007(FIBAASIA事務局)
11年08月12日(金)  幟を立ててバイクで走るのは、幟のサイズが2b×30p以内ならOK。それより大きくなると届け出が必要だそうです。FIBAASIAの幟は縦は2b以内ですが幅は50pぐらいあります。おまわりさん20pまけてくださいよ。どこから見ても私は暴走族に見えないでしょ?と、自分で一応大丈夫だと判定して、今日は鶴鳴から国道34号線を走って大村市役所内の事務局まで行きました。人は歩いていないしクルマもすっ飛ばして走るだけの高速道路ではなく、人と車でびっしりだし信号でクルマも止まる一般国道を、距離にして片道32q、時間にして片道1時間5分走ったので今日は幟300本ぐらいの宣伝になったと思います。 以前ハーレーに乗っていたころ、周囲の視線を感じながら走っていた感触を思い出しました。
11年08月11日(木)  朝から選手とグランドを走った後、FIBAASIAの幟をバイクに縛り付けて走る練習をした。その後着替えて長崎市民エフエムへ出かけ、生放送と収録の2本撮りをした。それから県立総合体育館へ出かけ、FIBAASIAのチケット依託販売のお願いをして学校に戻った。学校を出てからずっとバイクには幟をしばりつけたまま。とってもはずかしかったけど、行き交う人々の視線をいやというほど感じた。松山の市民プール前を通ったとき、女子高校生が「あ」と声を上げたのが聞こえた。私を知っていたからの「あ」なのか、幟を見ての「あ」なのかはわからないが、とにかく道ばたに幟を百本並べるよりも宣伝になったようだ。これからずっと、本大会が始まるまでは幟を付けたまま走ろう。勇気がいるけど、本部長の私がまず意気込みを見せなければ… 
11年08月07日(日)  今日は福岡で国際親善試合の最終戦が行われた。チケットは完売だそうな。悔しい。午前中大村に出かけ、大会期間中にスタッフが宿泊する施設を視察した。昼過ぎ、研究室に戻ってパソコン作業をしていたら知らない間に居眠りし、その間ずっと繰り返し同じ夢を見た。居眠り運転をしている夢だ。だから、パソコン作業は夜やることにして午後からは理子ちゃんと結子ちゃんを連れ出して遊びに出かけた。途中で立ち寄ったゲームセンターで、いつも仲良しの彩花ちゃんと勇歩君姉弟に合った。こどもが遊んでいる様子は心を和ませてくれるが、ゲームセンターではこどもをほったらかして自分がゲームに夢中になっている親を必ず見かける。ムカつく。 
11年08月06日(土)  56−54。2点ビハインドで残り14秒。スローインは日本ボール。残りゼロ秒で三谷の3点シュートが外れて試合終了。1勝1敗で明日福岡で行われる最終戦に臨む。観客は1929人。会場には大村に駐屯する自衛隊3部隊による東日本大震災の復興支援活動のパネルが展示された。フロアでは試合前のセレモニーで大神選手が自衛隊のみなさんに感謝のメッセージを述べた。観客席には支援活動に参加した隊員及びそのご家族を招待して観戦してもらった。ともあれ、これでFIBAASIA大会のリハーサルが終わった。明日から2週間、ラストスパートでチケット販売と運営準備にかかる。いよいよ正念場だ。追伸:後片付け終了19:08
11年08月05日(金)  3月28日以降中止していたグラウンドランを4日前に再開した。3月末に中止した理由は2日の欄で述べているが、今日また同じ兆候が見られる選手が2人出た。1人は大腿四頭筋、もう1人は大腿四頭筋とハムストリングスの両方だ。2人とも軽い筋断裂かもしれないし筋肉痛かもしれないが、こんな時は悪い方の「かもしれない」を想定して対処する。2人とも50b走は即刻除外。それにしても身体が弱い。少し強い負荷がかかると傷害が出る。「近頃の若者は…」ということばで私は”時代の流れ”と妥協したくはない。時代の流れに対して「俺がお前に合わせるのではなく、お前が俺に合わせろ」と言いたいのだが、これと言った解決策が見つからないままここ数年悶々とする日々が続いている。
11年08月04日(木) いよいよ本番。5時開始前には長蛇の列。最終的に2163人の入場者数だった。ホッ。しかし、駐車場が狭いことをテレビコマーシャルやインターネットで告知はしていたものの、遅く来た方々は駐車場がなく、フルゲーム観戦できなかった人が出たのが申し訳なかった。すみません。試合後、カナダと日本の選手が東日本大震災の募金箱に近づくと、観客が我も我もと募金箱に殺到。予想外の出来事だったのでスタッフも対応にあわてたが、思わぬハプニングで最後が大盛り上がり。みなさん本当にありがとうございました。
11年08月03日(水) 今日は朝からずっと県立総合体育館でカナダ対日本代表の国際親善試合の準備だ。昼過ぎにひょっこり小磯典子(旧姓浜口)が現れた。生後6ヶ月のこどもを抱いて。明後日の大村大会のテレビ放映(スカイA)の解説だそうな。こどもを抱っこしようとして手を出したらギャーッと泣かれた。これまで、「噛みますからね」と注意された犬にも、「ひっかきますよ」と言われた猫にも、人間の赤ちゃんにも敬遠されたり攻撃されたりしたことは一度もない。ショックだった。記念撮影でも不安そうな表情で俺を観察している。もう、昔の俺じゃないのに。
11年08月02日(火)  今日から11日までバレー部の招待合宿なのでバスケット部はグラウンドへ。実に4ヶ月ぶりのラン。もちろんみんな記録は悪い。なぜ3月28日を最後に走るのやめたかというと、新入生に相次ぐ筋断裂疑いの症状が出たからである。私も心臓と相談しながら走ったが、タイムもクソもない。5qを走りきるので精一杯だった。そのあとは大村⇔長崎を3往復。今日も大忙しの1日だった。 
11年07月31日(日)  お二人の方から「人間、いつかは死ぬのだから死ぬのは仕方がないけど、他の死因で死んで欲しい」と言われました。「山崎先生亡くなったんだってよ」「え!…なんで?」「あめ玉をノドに引っかけたらしいよ」という死因は山崎純男の死因としてはふさわしくないそうです。 
11年07月30日(土) 昨夜は危うく死ぬか救急車の世話になるかどっちかだと思いました。夜中の2時頃、あめ玉をくわえながらパソコンをしていましたが、知らない間に居眠りしていたらしく、ゲホッとむせて目が覚めました。しかし、その瞬間ヤバイ!と思いました。あめ玉が気管に入ったんです。息が詰まって苦しく、喘息の発作が起きたような呼吸音になりました。 その時、冒頭のことがアタマをよぎったのです。しかし、医学的なことは少し勉強しているのでそんな中でも結構冷静な対応をしました。人差し指を喉の奥まで突っ込んで舌を押さえ、思い切り息を吐き出したらポンという音とともにあめ玉が飛び出してきました。フーッ。
11年07月27日(水)  私の論文「幼児の足趾形態の発育発達」に多大な協力をいただいているつばさ保育園の恒例行事である年長組の久住登山には、毎年運転とバス貸与でお手伝いをしている、今年はそれが26日と27日の2日間だった。しかしその予定を私は携帯のスケジュールに登録していなかった。それで、26日の10時から行われた3者協議(FIBAASIA大会の案件で長崎県・大村市・長崎県の3者が協議する会)と久住登山がダブルブッキングとなった。気付いたのが3日前。久住登山の手伝いはキャンセルできない。で、3者会議は野澤氏にお願いして私は久住に出かけた。久住では今年だけみんなと一緒に登らず、私はバスの中でずっとパソコンで作業をしていた。2日間で受けたメールが51件、処理したファイルが60。ひとまずダウンロードするのが精一杯で、読み込めていないファイルがたくさんある。みんなに送ったエクセルファイルも、間違いを発見して再再再再再送信した。おまけに、マイクロバスのエンジンをかけたまま、シガーライターから電源を取って充電をしながらパソコン作業をしていたらヒューズが飛んだ。運転に支障はなかったが、いろんな電気関係が動かないまま長崎まで走った。フーッ。
11年07月25日(月)  今日は短大の前期最終授業日。その合間にFIBAASIA関係の仕事をした。しかし、空き時間では処理出来ず夜になった。研究室では熱心に観るわけではないがテレビをONにして仕事をするのが私の日常のやり方だ。しかし、私の古いテレビはアナログ対応なので、今日からは観られない。廊下がシーンとして静かだった。
11年07月23日(土 ) 今日から3日間、県中総体。本校も会場となり、選手達はお手伝い。このようなイベントのお手伝いは、練習を熱心にやるだけでは得られない財産が選手に残る。FIBAASIA大会も同じだ。 
11年07月20日(水)  午後から2件、協賛金募集活動に出かけた。夕方6時に終わったが、それから学校に戻っても練習には間に合わない。体育館に電話して、今日は練習に顔を出せないことを黒田に告げ、夜の7時半から大村の事務局で行われるFIBAASIAの会議までには少し時間があるので大村市役所横のスターバックスで夕食を取ることにした。ドアを開けて中に入ると「アラ〜、センセエ!」という声。今春短大を卒業した教え子が3人、なんとテーブルにいっぱい書類を広げて勉強している。 「どした?」と聞いたら「新任保育士研修中で〜す」という答えが帰ってきた。みんななかなかいい顔している。責任を背負っている人間の顔だ。左端のS子は在学中の部活の試合中に膝の靱帯を切って手術した。入院中に保育園実習があったが当然行けない。退院後実習に行ったので卒業が遅れた。しかし、1年遅れの就職ではなく、同僚と同じようにこうして保育園に勤めている。FIBAASIAに追い回されている私にとっては一服の清涼剤になった。よくがんばったなあS子。あと32日、俺もがんばろ。
11年07月18日(月)  16日から今日まで、恒例の光合宿に参加した。山口少年女子、佐賀少年女子、鹿児島少年女子、中村学園、大津高校、長崎女子の6チームだ。帰りの18日は、予報では台風に向かって帰ることになりそうだったが逸れた。強豪相手の合宿のあと台風とも戦うのはイヤだったが逸れたのでホッとした。久松は長崎国体少年女子の練習とダブったので連れて行かなかった。長崎女子のスタメンはオール1年生。大差で負けた試合もあったが目を背けたくなるようなみじめな試合はなかった。これをきっかけに化けてくれえ。台風とは戦わなくてもよくなったが、光合宿は夜の部の戦いがまた疲れる。山口少年女子アドバイザーの榎本氏とのギャグバトルが大変なのだ。ひょっとしたら榎本氏は山口少年女子の強化よりも、俺とのギャグバトルで勝つことの方を重用視しているのかもしれない。追伸:写真は榎本氏の霊がみんなに乗り移っている。
11年07月15日(金)  論文の足型測定が終わった。今日測定の内田ねねちゃんで6年間継続した足型測定が全て終了。今後は6年分のデータ分析をしなければならないが、それはFIBAASIA大会が終わる8月末までちょっとお休み。12月中旬が原稿締め切りだからあまり期間がないが、9月から3ヶ月半で一気にやっつけようと思う。FIBAASIAの協賛金募集活動も論文の足型測定も外回りの仕事だ。両方とも、外回りが一段落すればあとは集計やパソコン上の処理など、部屋の中での作業になるが、部屋の中での作業は他人の都合によらず、自分のペースでできるから外回りに比べればはるかに楽だ。協賛金募集活動はあと数日残っているが、論文の外回り作業が片付いたのでひとまずホッ。 
11年07月12日(火)  鹿児島で行われた九州選抜クラブ選手権大会会場。堂々とというか図々しくというか、大会横断幕のすぐ下に掲げられたFIBAASIAの横断幕。誰?この仕掛け人(…って、知ってるけど)。やってくれるねえ。
11年07月09日(土)  今日は終日開催地実行委員会と日本協会とのミーティング。みんな最初は何が何だかわからず右往左往していましたが、最近は自分達で考え、わからないところは積極的に質問できるようになりました。 昼食、日本協会スタッフは大村カレー大村市はカレーの素となるスパイスを日本に初めて持ち込んだ(天正遣欧使節)地域である。すなわち「カレー発祥の地」なのだそうだ。知らなかったなあ。今日食べたのは大村市の歴史や文化を取り入れた大村あま辛黒カレー。なぜか真っ黒。何の色かはわからない。
11年07月08日(金)  今日は佐世保で開催される九州高専大会の代表者会議に出向き、FIBAASIA大会開催のご挨拶とチケット購入等についてのお願いをさせてもらった。往路も復路も、あちこちからの相談・報告・連絡が携帯電話に入る。大村では接遇委員会がミーティングを開いたようだ。長崎ではチケッティング委員会の割り振り作業が行われたらしい。夏休み前の学期末業務で目が回るほど忙しい中みんな頑張ってくれる。感謝!
追伸:長崎に帰り着いた後、メールをチェックしていたら、明日の日本協会と長崎実行委員会のミーティングに備えて中尾先生から「取り急ぎ、事務局で運営実施要項を30部印刷いたしましたが、余裕がある方は明日各自で印刷して持参いただければ幸いです」とあったので、自分のプリンターで印刷したところ、カラーのベタが多い資料だったので一発でカラーインクが底をついてしまった。ハ〜 
11年07月02日(土)  今日もタイトな日程。午前、高見中のクリニック。昼休みH社へ出かけFIBAASIA協賛依頼。午後高見中クリニック。 夕方佐世保市のホテル万松楼(ばんしょうろう)に出かけ、万松楼カップミニバス大会(九州各県から男女約120チーム)に参加した監督の懇親会に出席してFIBAASIA観戦と日本代表チーム応援のお願いをしてきた。懐かしい顔や教え子に出会った。教え子といえば、今日のH社の取締役も45年前の教え子だった。みんなどこかで繋がっている。ホッ。
11年06月30日(木)  今日は朝10時からの「FIBAASIA大会を成功させる会=於:大村シーハットコミセン」に出席したあと、FIBAASIA事務局が森園公園の緑のふれあい館から大村市役所の大会議室に引っ越しする日だったのでそのお手伝い。なので今日もまた部活に顔を出してやることができませんでした。部活生には申しわけないと思いますが、FIBAASIAが成功すれば部活にはもちろん、長崎県のバスケットボールの普及発展や県民の活力に何倍もの効果となって現れると信じ、あと52日踏ん張ります。 
11年06月28日(火)  毎週月曜日はハードスケジュールである。3コマ連続の授業だ。大学の授業は1コマ90分である。私は学生が90分間集中して人の話を聞くのはとてもきついだろうと思い、講義の間に2回ブレークタイムを設けることにしている。1回のブレークタイムは2分ぐらいなのだが、トイレに行きたい者、化粧直しをしたいもの、あくびをしたい者、携帯電話をチェックしたい者、居眠りしたい者はその間に済ませろというわけだ。その間私は板書を消したり、次のスライド(パワーポイント)の用意をする。授業中に「こらあ、寝るな!」と怒鳴るよりその方が集中して私の講義を聴いてもらえると思っている。学生も午後の授業になると疲れてくるのだろう、昨日の3コマ目の講義の2回目のブレークタイムではほとんど壊滅状態。約半数の学生が机に突っ伏して寝ていた。「オーイ始めるぞお」と私が言うとむっくり起きあがり、受講態勢に入る。起きあがると私の講義の間に居眠りをする学生は一人もいない。みんな集中して話しを聞いてくれるしノートを執ってくれる。熱心だ。ありがとう。
11年06月25日(土) 今日と明日は本校で一般男女の国体選考試合が行われる。選手達には昨日会場準備やFIBAASIAの横断幕取り付け作業を手伝って貰ったが、期末試験前なのでテーブルオフィシャルや駐車場係など、試合当日のお手伝いは無し。今日と明日は2日間ともOFFだ。私はこのあと夕方6時頃から日本協会役員と長崎側の総務委員会とのミーティングに立ち会う。明日は終日残りの委員会の時系列シミュレーションに日本協会側から助言をしてもらう。協賛金集めも来週山場を迎える。本番まであと56日。いよいよだ。
11年06月21日(火)  今日は長崎市内のある保護者からメールがあった。むすめさんが中学3年生で、先日長崎市の中総体で中学生としてのバスケット生活が終わったという報告と感謝のメールだった。感謝されるほどのことをした記憶はない。ひょっとしたら鶴鳴杯に招待したことへの御礼なのか?加えて「私の娘は3歳ですが12年後よろしく」というメールを、別の人からいただいた。「12年後は生きてないよ!」と返信したが「いやいや、先生は不死身でしょ」というメールが返ってきた。私は先日の県総体の敗退でかなりのダメージを受けていた。正直言って、私は神様から幕引きを突きつけられたと思っていた。が、ここ数日のメールで自分に”私”はないのだと痛感した。私には「もう飽きた」とか「もう自信がなくなった」とか「もう歳だから…」など、私的な都合は許されないのだと、あらためて思った。フーッ。
11年06月20日(月)  先週から頻繁にメールや電話がある。関東の中学2年生のバスケットボール選手の娘さんを持つお父さんからだ。娘さんはそこそこのチームでプレイしているらしい。しかし、お父さんはプレイだけではなく人間的に鍛えてもらえるところに行かせたくてずっと情報収集をしていたようだ。そこで私のホームページに辿り着き、まずはメールでのご挨拶となった。何回かのやりとりの中で学校見学と練習見学の申し入れがあった。ウーン…。どこから誰が見ているかわからない。ますます気を引き締めてかからねば… 
11年06月18日(土)  16日から19日まで、私のマイクロバスとETCカードは沖縄の西原高校に貸してある。沖縄のチームがこちらで試合をする時は足がないのでいつもそうしてやることにしている。だから私の足はこの4日間CUBEだけだ。昨夜は大村で会議があったのでCUBEで高速道路を走ったが、ETCではマイクロバスでさえ650円だったのに昨夜は普通車なのに900円も取られた。「え?値上がりしたの」と聞いたら「いいえ、ずっとそうですよ」という答えが返ってきた。ETC使うとそんなに割引されているのかあ。初めて知ったよ。
11年06月12日(日)  胃の痛みはたぶん胃炎(自己診断)。M1ブロッカー配合の胃腸薬を飲み始めて3日目だが効かない。クスリ服用と同時に3日間絶食してみた。絶食といっても朝野菜ジュースは飲む。そしてお茶など水分は補給する。痛みは和らいだが完治ではない。もうしばらく絶食続けてみようかな。
11年06月07日(火)  5月15日で69歳になった。なのにまだ現役で仕事をさせてもらっている。理事長から「先生、元気な間バスケットやってよ」と言われ、8年前短大に移籍して高校のバスケットをずっと見させて貰っている。贅沢な身分だ。しかし、そんな処遇を受けているにもかかわらず2年半県大会優勝から遠ざかっている。本日終了したインターハイ予選も負けたので、10月22日のウィンターカップ予選を落とせばまる3年全国大会から遠ざかることになる。崖っぷちだ。胃の中の正体不明の黒いかたまりが今日はシクシクした痛みに変わった。潰瘍再発か?
11年06月06日(月)  決勝リーグ1発目。長崎西戦に敗れたあと、ステージの役員席に座って次の試合とこれからの練習のことを考えようとしたが、脳は機能低下、身体は鉛のベストを着たように重く、胃の中には正体不明の黒いかたまりのようなものが蠢いている感じがして、なんにも前に進まないまま時を過ごした。神様助けて(冗談ではなく)!
11年06月05日(日)  今日は試合終了が昨日より早かったのでメール処理をしようと思って帰ってきた。まず、昨日の高速道路逆送を画像で説明しよう。この軽ワゴンの運転手を「バカだなあお前は」とは責められない。実は私もこの出島道路で危うく逆走コースに入ろうとしたことがある。長崎市内からで出島道路に入る入り口はほんとにわかりにくいのだ。長崎市なのか道路公団なのかはわからないが、道路を色分けするなどしてドライバーが間違わないように対処して欲しい。それはさておき、学校に着いてからパソコンでメールをチェックしていたら訃報のメールが入っていた。審判長の福岡先生のご尊父が逝去された。通夜は夜8時からだ。明日の葬儀には出られないので通夜に出た。というわけで今日も深夜作業になった。
11年06月04日(土) 高校総体初日。午後3時半からの1試合だけ。出来は6割程度。このチームには不安定な一面が残っていると分かってはいるものの不愉快な試合だった。帰路、マイクロバスを運転しながら何度ため息が出たことだろう。「いかん!」と思いながらつい出てしまう。選手も私のため息に対してため息をつきたかったに違いない。加えて夜8時からFIBAASIA大会の総務部長中尾氏と会場委員長桑原氏と私の3人で打合せをすることになっているのに試合時間が30分遅れ、しかも帰り道に2ヶ所渋滞があり、とどめに高速道路終点のトンネルを逆走しているクルマがあるらしく、そのクルマがトンネルを出てくるまで公団職員に通行を止められて動けず、イライラがつのる。短大で選手を降ろしてすぐCUBEに乗り換えて大村に向かったが打合せには3分遅刻した。ゴメン中尾先生桑原さん。打合せのあとメールをチェックしたが、今日1日で51通来ていた。開封処理せず、51件来ていたことだけを確認して閉じた。開封すれば徹夜しても処理しきれないから。
11年06月02日(木)
 
9:00、茂木保育園で学生の卒研の足型測定。11:00、母の1周忌で深崇寺へ(命日は4日だが、高校総体と重なるため今日にしてもらった)。13:00県庁へ。引き続き長崎市のスポーツ振興課へ。それから聖マリア学院へ出向いて西田先生と打合せ。学校へ戻って練習。19:00研究室に戻ってパソコンのメールをチェックしたらなんと38件のメールが溜まっていた。中には重要案件も…。フーッ
11年06月01日(水) 一昨日と昨日の部活はOFF。二日間とも終日パソコンやってた。いつもは深夜12時すぎても研究室で仕事しているが昨日は夕方6時半に研究室を出て自宅に向かった。パソコンはやらずに早く寝るつもりだった。7時半頃FIBAASIA大会総務部長の中尾先生から携帯電話がかかってきた。「あ、まだ練習中ですか」「いいや自宅だ。部活はOFFにしたので早く帰ってきた。何か?」「いいえ、明日でいいです。ゆっくり身体休めてください」おそらくFIBAASIAのことで報告か連絡か相談があったのだろう。「いいよ。何?」「いえいえ、明日でいいです」忙しすぎる私への気遣いだ。ありがとう中尾先生。昨夜は村上もとかの仁を読んで10時には寝た。Zzzz......
追伸:昼過ぎ、慎子のブログを久しぶりに開いたら昨日更新されていた。麟太郎ダンクシュート覚えたようだ。2月下旬にアメリカに連れて行き、ブルズの試合をフロアから3段目の席で観せたが、その時のデレクローズのプレイに刺激されたのだろう。3月、1歳になったばかりだが20年後はNBA選手か?
11年05月29日(日) この2日間、午前9時から午後5時までみっちり2部練をやった。選手交替なしで2試合分連続のスクリメージが主な内容だ。 できるだけ試合を止めず、刺激語「ここ最初のヤマだぞ!」や判定「ヨシ!まだまだ!ダメだよそれは!」だけでスクリメージを進める。残りの時間は個人技のチェックである。午前の部も午後の部も、2試合目の後半は放心状態になりそう。それをことばで刺激しながら持ち堪えさせるのだ。選手は息も絶え絶えだったがこっちも心不全になりそうだった。木原の脛骨疲労骨折と川口のふくらはぎ痛はこの2日間で痛みが増したがそれは計算の上だ。明日と明後日はオフにして来週は調整に入るから、総体は足がちぎれても乗り切らせる。私は練習の最後に訓辞は述べない。が、今日は午後練終了後に一言述べた。
「弱点を改善できた者と改善できなかった者、長所を伸ばせた者と伸ばせなかった者すべてをひっくるめて、お前たちを高校総体という最高の舞台で活躍させるのは俺の役目だ。あと1週間、もっとうまくならなければとかもっと精神的に強くならなければと気負う必要はない。総体では、今日の自分を出してくれればあとは俺がやる」
11年05月26日(木) 昨夜大村に行く途中のコンビニで飲み物を買った。お金を払った後レジのおばさんから「何のため息ですか?」と聞かれた。自分では意識していなかったがかなり大きなため息だったようだ。何かを考え込んでたわけでもないし何かでとっても困っているわけでもない。クルマに戻って運転しながら「いかんなあ、赤の他人に気遣いをされるようじゃ」と思った。人間、歳を取れば空気みたいな存在にならなければならない。人が安心して生きていくのに空気は絶対要る。しかしだれも空気がそこにあることを意識してはいない。年寄りはそんな存在でなければならないのだ。反省!
11年05月24日(火) 「体調不良ですか?」と、友人からメールいただきました。HP更新の間が空いたからだそうです。身辺雑事の未処理案件がたくさんあってHPを更新する暇がありません。いましばらくお待ちください。
11年05月16日(月) 本学ピアノ室入り口に張り出されポスター。FIBAASIAボランティアの募集。ちゃんと学園からの掲示許可印も押してある。下釜先生の仕業だ。やるなあ。
11年05月13日(金) 今日は大村市役所玄関前でFIBAASIACOUNTDOWN除幕式が行われました。山崎・中尾・太田は東京出張で、野澤氏は福岡出張なので大塚理事長にこの除幕式には出席してもらいました。私たちは日本協会で打合せの後渋谷のホテルに向かいましたが、私は渋谷交差点の人の多さにめまいを覚えました。私は住めませんこんなとこ。
11年05月10日(火) FIBAASIA大会はたくさんの運営委員が要る。協会役員だけではとても足りない。だからバスケットボール関係者からお手伝いを募らなければならない。うちの短大の下釜先生は八面六臂の活躍だ。幼児教育学科の1年生を集めて「ボランティアを募集します!アルバイトじゃないよ、ボランティアだよ。でもね、このボランティアはあなた方のこれからの人生に必ずプラスになって返ってきます!」説得力ある〜。スゴイ。
11年05月09日(月) 今日の朝練の時バルーンカップの結果とコメントをみんなに配った。その後14人の選手は通常通り筋トレ。久松・川上・釣屋・山中・山下・中尾・川口・木原の8人はフリースローだけ。この8人は午後練は見学すらさせずに下校させた。明日この8人は朝練も午後練も休ませる。今日私は、日頃目の届かない選手たちの中からキラッと光るヤツがいないかどうか探し出すために目を皿のようにして練習を見ていた。残念ながら今日は出なかった。明日に望みをつなごう。
11年05月08日(日) 長い強化試合シリーズが一段落した。強くなったと思う。が、今日の結果については腸(ハラワタ)が煮えくりかえる思いだ。しかし、それはそれ。これから高校総体まではいかにして強くするかよりも、いかに休養を効果的に与えるかがカギとなる。1週間に渡り心身ともに追い込まれる日が続いて、「さあこれからだ」とさらに奮起できる選手の集まりならば監督は不要。自分たちで勝手に強くなってくれる。普通の若者なら誰でも一段落したあとはホッとする。鶴鳴の選手たちも今のところ普通の若者たちの集まりだ。だから休養をに効果的にを与え、総体に向けてのエネルギーを引き出さなければならないのだが、休養が緊張感まで消失させてしまうと元も子もなくなる。監督の手腕が問われる1ヶ月だ。
11年05月07日(土) 倉敷遠征から1日置いて今日は佐賀遠征。出場時間の多い選手の疲労度はレベル7を越えているかもしれない。それを知っていて私の口から出る言葉は、入学後1ヶ月も経っていない1年生の選手に対して過酷すぎる。でも、もう高校総体まであと1ヶ月しかないのだ。ゴメン。
11年05月05日(木) 19:40寮に帰り着いた。本当は18:20の予定だった。またしても高速道路での事故。中国道の小郡→美禰間が通行止めだった。なので、山口南インターで降りて国道2号線をノロノロ門司まで走った。そんなこともあり無事合宿を終えた安堵感もあったのか、疲れを感じたので通常より1回多くサービスエリアに立ち寄った。さて合宿の報告だ。合宿報告詳細のエクセルファイル(身内のみ配信)のコメントにこんなことを書いた。
「試合には使えないほどの改善箇所を持ったままの選手を使いながら試合をするのは難しい。勝負のための采配でなければならないし、試合しながら覚えて欲しいという起用もしなければならない」。
この合宿直前までケガでまったく練習をしなかった久松(足首痛)・川口(ふくらはぎ痛)・山中(手首骨折疑い)は本人の調子など聞かずフルに使った。合宿直前には復帰したものの、膝を傷めて長期休養していた木原もフルに使った。連れて行く以上見学しながら勉強しろなどと悠長なことは言ってられない。ケガがひどくなってもかまわないと思って使った。木原はこの合宿で脛骨の疲労骨折が発生したようだ。木原は場面理解と局面理解が不十分なのでオフバランスでプレイすることが多く、このようなケガは他の選手より多くなる。入学して1ヶ月そこそこの選手を即戦力に仕立て上げようとしているのだから、木原のケガも他の1年生のケガも想定内ではあるものの、だれよりも早く強豪相手の試合に使えるようにしたい木原のケガは痛い。1日置いてまた佐賀遠征があるが、それが終わったらまたしばらく休養だろう。フーッ。
追伸:合宿が終わったあと診た山中の手首。皮下出血の痕跡が…。X線画像では異常なしだったけれど、やっぱり骨折だったんじゃないのかなあ。ま、今となってはどうでもいいけど。
11年05月02日(月) 午後4時15分倉敷遠征に出発。通常なら夜10時15分には着く。しかし、今回は鳥栖-筑紫野間で乗用車4台がからむ事故があり大渋滞。だから倉敷に着いたのは夜11時30分だった。選手を翆松高校合宿所に置いた後私はいつもの定宿自転車で移動。ホッと一息だ。実は、今回の長距離ドライブはちょっと心配だった。このところ身辺多忙で蓄積疲労が抜けないままの長距離ドライブだったからだ。でも自信を取り戻した。まったく眠くならず、ビュンビュン走ることができた。俺まだ大丈夫だ。
11年04月30日(土) このところ、ちょっとした故障者が続出しています。新入生にとっては精神的にも身体的にも緊張の連続なのでそろそろ故障者が出てもおかしくはありません。いずれも軽傷だし、治療や休養が長引くケガではないので心配はありませんが、春季戦前に左膝を傷めた木原が復帰し、スクリメージに参加できるようになっていたのに今日また左足首を捻挫したのだけは残念です。なぜなら、彼女は中学時代センターだったのにフォワードにコンバ−トしたので覚えさせなければならないことがヤマほどあるからです。1年生の中ではもっとも時間をかけたい選手なのですが、膝のケガにしろ今日の捻挫にしろ重傷ではないのでヨシとしますか。あと、釣屋は中学時代からのオスグッドシュラッテルが痛みはじめたので激しいメニューは免除です。川口は左足ふくらはぎに痛みを訴えたので休養させています。彼女は入学後目を見張るような成長を見せているので特別休暇扱いでいいでしょう。春季選手権2日目に傷めた山中の手首は、もっとも疑われた舟状骨骨折がX線画像所見(参考資料では4頁目)では何事もなしだったので間もなく復帰でしょう。踏ん張ってるのは山下と中尾。精神的にも身体的にもほとんどの若者が翻弄される5月という鬼門をこの二人が乗り切れるかどうか。さあどうする?
11年04月29日(祭) 今日は午後の練習が終わった後ケータリングの予行練習。それから寮に戻りました。今日から5月1日の夜まで寮の宿直です。2日から5日までは倉敷遠征です。最近、仕事のミスが多くなりました。昨日はA4サイズ7枚の資料をパソコンで作成し、保存したつもりだったのですが今朝見るとどこにもありません。保存したつもりが保存しておらず、そのままシャットダウンしたようです。気持ちはシャキッとしているし、体力の衰えも感じないのですが、脳は老化が進んでいるのかなあ。
11年04月26日(火) 昨年10月25日に左手小指を骨折してちょうど半年。「まだ繋がっていないだろうなあ」と思いながらも一応病院へ。骨折直後のX線画像治療今回の画像。やっぱり!同じ頃に指を骨折し、同じ病院で治療を受けた短大生の稲田はとっくに治り、ピンピンしている。Dr長谷にそのことを言ったら「先生。歳がが違いますから」ですって。そりゃそうだ。
11年04月20日(水) 今日は若竹寮の新入生歓迎パーティ。毎年、2年生が新入生を楽しませてくれる催しをいろいろやってくれる。授業では目立たない学生が意外なエンターテイナーだったりする。忙しい中のちょっとした息抜きだった。ホッ
11年04月17日(日) 16−18は県春季選手権、日本代表合宿、FIBAASIAミーティングの3つが重なってんやわんや。というわけで今日の日本代表チームによるクリニックとイベントには顔を出せず、みなさんに迷惑をかけた。シーハットおおむらからは、私が気にしているだろうと思って三根氏から頻繁にクリニックの様子やふれあいイベントの様子が画像添付メールで送られてきた。三根さん気配りありがとう。みなさんありがとう。
11年04月16日(土) 今日は春季選手権の初日。この写真見てください。試合前に日大の監督から相談を受けて私がそうしたのです。相談の内容というのはこうです。日大「エントリーの15人目の新入生を試合に出したいのですがユニフォームがないんですよ。それで、17番の選手を引っ込める時にそのユニフォームを着せてコートに出すというわけにはいかないでしょうか?」山崎「ということは、17番のユニフォームを着て試合に出る選手が二人いるということですか?」日大「そうです」山崎「私はかまいませんが、それはルール上成立しないでしょうし、テーブルオフィシャルが困りますよ。だからこうしましょ。鶴鳴の青のユニフォームの18番を貸しますからそれを着て試合に出させてください。審判には私から言いますから」。前代未聞の処置ですが、ローカルならではのほほえましい出来事だと思いません?追伸:県内大会の初日だからではなく、たとえそれがインターハイの決勝戦であっても、それが許されるなら私は同じような処置をとりますよ。
11年04月15日(金) 明日から春季戦だというのに、昨日と今日の二日間は朝練だけしかみられなかった。昨日は県競技力向上対策委員会。夕方7:30〜深夜2:30までは大村の野澤氏宅で本日の日本代表合宿レセプションの名札作り。作業自体はパソコンを使えばさほど時間を取るものではないが、レセプション席次の順位付けが難しい。また追加やキャンセルが深夜まであったのでこんな時間になってしまった。今日は日本代表チームの空港出迎え、県知事表敬訪問、大村市長表敬訪問、夕方はレセプション。レセプションではちょっと油断したら居眠りしそうだった。ただいま山崎の疲労度はレベル7。¥$¢£#§☆..........
11年04月10日(日) 第22回鶴鳴杯が終わった。今年の新3年生は長崎国体時に高校3年生になる。昨年まではちょっと心配だった。核となる選手が見当たらなかったからだ。しかし、それは今日ちょっと払拭された。どのチームも少しレベルが上がったようだ。たのむぞみんな!
11年04月07日(木) 今日は始業式。駐車場の桜吹雪。桜が咲いていることもこんなに散っていることも、今日気付いた。
11年04月06日(水) 朝起きて、胃薬を飲んだつもりが間違ってレンドルミン(誘眠剤)をゴクッ。しまった!と思って指を突っ込んでゲロしようとしましたが出てこない。仕方なくマイクロバスで選手を学校まで送りました。そのまま練習するのであれば問題なかったのですが、今日は朝10時から大村市役所で会議。CUBEに乗り換えて高速道路を走りましたが、心配だったので今村サービスエリアで仮眠。会議には3分前にやっと間に合いました。フーッ
11年04月03日(日) 毎年、3月下旬は常連校が集まってJXで合宿をやらせてもらう。一部チームの入れ替えはあるものの、その流れで城北合宿をやる。鶴鳴は最近、短大の授業開始が早くなったので、城北合宿には参加するものの4月1日か2日までが限度だ。今年、JX合宿は中止になったが城北合宿は例年通りやったらしい。鶴鳴は4月1日に2年生の授業開始となったので、JX合宿も城北合宿も参加しなかった。城北の富田先生からメールと写真(サイズが小さすぎるぞ)が送られてきた。城北合宿はあと二日だそうだ。ウーン…ちょっと寂しい。
11年04月01日(金) サーバートラブルで3日間更新できませんでした。すみません。新アドレスは下記のとおりです。
http://www3.nagasaki-joshi.ac.jp/~s-yama1118kakumei191/