2008年度版 2008年4月〜2009年3月
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09年03月30日(月) 今日でJOMO合宿が終わりました。20分スクリメージを15本。1勝14敗でした。でもこの1勝は貴重です。今後の大きな励みになります。明日は早朝5時に柏を発って徳島に向かいます。800qの行程です。茨城の保護者群団と食事会をしました。帰り際、脱いでいた私の靴下が見つからりません。するとテーブルの下から成井ママが片方を見つけ、「これですかあ?」その画像を千夏に携帯メールで送ったらすぐ返事が来ました。「それを煎じて飲ませてもらいなさい!」そのメールを見た成井ママは私が制止する間もなくあっという間に靴下をコップの中へ。そしてはいパチリ。みんな爆笑。徳島合宿に向けてのエネルギーを貰いました。
09年03月25日(水) 天晴れストレッチ!22日(日)。札幌で行われた全国クラブチーム選手権で準決勝まで進出。惜しくも敗れたものの第三位。前日21日の準々決勝で活躍した野口てるみママ(40歳東海第五→三菱重工)と鷲尾真優美ママ(31歳鶴鳴女子→長崎県立女子短大)が、22日(日)はこどもの卒園式のために帰崎しなければならず、両者不在での準決勝。残りのメンバーで大奮闘だったそうです。北海道では霰が降っていて飛行機が遅れ、チームが長崎に帰り着いたのは23日(月)の夜9時過ぎ。なのに通常の練習日である火曜日(24日)は全員、いやそれ以上(シャンソンの林田、鶴鳴を今春卒業した松木と山口が飛び入り参加)の選手が練習に参加して鶴鳴体育館はごった返してるんです。普通、全国大会から帰ってきた翌日は休養日にしますよね。昨夜は他の仕事があってHPを更新出来なかったので今朝こうして更新していますが、近頃小生意気な態度で試合をする高校生が増えてきた中で、ストレッチの選手たちにはスポーツの原点、人としての原点を感じさせる清々しさを覚えます。追伸:中里(51歳鶴鳴→安城学園短大→三菱重工)・下田(49歳鶴鳴→共石)まだストレッチで現役続行中。ヒエーッ!
09年03月23日(月) 22日(日)は高城台ミニバスクラブをハウステンボスに連れて行きました。旅行業者の斡旋で割引料金。輸送は私のバス。添乗員は私以外に保護者が一人。申込みは92人。割引指定日の最終日でもあるし、朝から雨なので入場者は少ないだろうからこどもたちを掌握するのは楽だろうとタカをくくっていましたが、人場者が多過ぎて傘しか見えません。大変な一日でした。30
母の事を話します。たぶん今週中には退院になると思いますが、これからずっと膀胱ドレーンは付けたままの生活になります。発熱の原因は平成10年に判明した大腸憩室炎です。無数の憩室で大腸が膨らんで膀胱を上から圧迫し、大腸の一部が膀胱に陥入していてそこに感染が起こり発熱するのです。感染を防ぐためには膀胱に尿を貯めないようにしなければなりません。フーッ。
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08年04月03日(木)
平井さん(昭和16年7月生まれ;67歳※本人の承諾を得て掲載しています)、ご卒業おめでとうございます。
2年前、平井さんが本学幼児教育学科に入学されて最初の体育実技の授業の時、平井さんが私よりひとつ年上だと知って驚き、しかも体協の会議などで大変お世話になった平井清光氏(長崎市体育協会副会長、長崎県軟式野球連盟理事長;平成19年2月ご逝去)の奥様と知ってさらに驚きました。「なぜこの歳になって?」と思いました。本学には、企業に勤めていた人や4年生大学を卒業した人が保育士の免許を取得したくて社会人入学するというケースが毎年数件あります。でも平井さんはこれから保育士としてどこかに就職したいからという理由で入学したのではないはず。そう思いながらずっと聞けずにいたのですが、自分のこどもの子育て中に「保育についてもっと知りたい。もっと勉強したい」と思ったことを40年間暖め続けていてやっと実現されたそうで…。しかも、平井さんが本学に入学された時はご主人が亡くなってから2ヶ月しか経っておらず、失意は癒えていなかったはず。常人にはできない挑戦だと思います。頭が下がります。私がもっとも尊敬する人物は35年間勝海舟ひとりだけだったのですが、今日からそれにもうひとり加わりました。平井さんです。そして神様はちゃんと見てらっしゃる。そんな平井さんに、4月には初孫誕生予定というご褒美を用意してくださっていましたね。生まれてくる赤ちゃんに、保育士免許取りたてのおばあちゃんが「さあいらっしゃい」と言って待ってくれている。こんな心強いことはないでしょう。二重の喜び、本当におめでとうございます。
追伸:私は長年バスケットボールの監督をやっているので選手や生徒の名前を「さん」付けで呼ぶことに慣れていません。それで授業の最初の頃は出席を取るのに「ヒサノ」「ヒダカ」ヒライ……さん」と、間が空いてからサン付けで呼ぶことがしばしばあって慣れるまでに時間がかかりました。

昨日は一日中ひどいでしたねえ。

夜7時から中華街で”長崎市バスケットボールを語る会”が行われました。私は高城台ミニの指導日だったので、遅れて会場に到着しました。ふすまを開けて入ると約40人ぐらいの、知ってる人や知らない人がズラッ。会の狙いは、平成26年度の長崎国体は長崎市で少年男子と成年男子の2種別が行われるので、長崎市協会の組織力を高めようというもの。格式張らないで和気藹々とやるこんな会はいいですねえ。私は酒はあまり飲みませんが酒というのは実にいい。胸襟を開かせる魔力がある。だから、こんな会ではハッと気付かされることがひとつふたつ必ずある。私は尾崎雅史先生からHPの間違いを指摘されて早速訂正しました。

Jason Wrightからのメッセージです。
HELLO COACH!!!
It it so good to hear from you. I just wanted to say THANK YOU for being so kind a generous to me.
I had a great time. You are the greatest. I am looking forward to coming back out there in July. I have talked to Coach Clemmons and told him how great the trip was. He is looking forward to it as well.
 I look up to and hopefully I can be as great as you one day. While I was there I had thought of how I was going to be 30 years from now and you were that image. Thank you for being a great role model
for me as well. I appreciate and respect your kindess, thoughts, well being, comedy  and commitment towards life and the sport of basketball. If there is anything I can do for you out here please feel free
to ask me. Tell everyone I said hello and I miss them.
Sincerely and Respectfully,
Jason Wright
7月中下旬にJason Wright が Jim Cleamonsを連れて再来日します。Guyと私は宇部でのクリニックの帰りに宗像のグローバルアリーナに立ち寄って器の下見をしてきました。今回のように小・中・高校生だけの集団クリニックだけではもったいないのでいろんなパターンを検討中です。それは場所も含めてのことです。何かいいアイデアや要望があればお知らせください。
追伸:一昨日ミニバス連盟の創立20周年祝賀パーティが行われました。その時の写真が届いたので報告します。記念撮影係は峯脇敏郎先生です。最後の万歳ではフラッシュのタイミングが遅れ、すでにザワザワ状態になってからピカッ。カメラマンに気を遣ってフラッシュが光るまで万歳ポーズをしているのは私だけ。峯脇先生はかなり焦っている様子。そこで私はすかさず「みなさん!ただいまの万歳はフラッシュのタイミングが遅れて絵になりませんでしたッ!カメラマンも焦っています!すみません!ヤラセになりますが万歳をもう一度お願いします!」と再撮影をお願いしました。しかし、パニクっている峯脇先生はフラッシュのことばかりが気になってピントが合っていないことに気付いていない。そしてできたのがこの写真。峯脇先生、今年の教員採用試験はバッチリですよ。これだけ多くの先生たちに強烈な印象を植え付けたんですから。

2日のこの欄で、Jasonにつきあって全身バリバリの筋肉痛と報告しました。あれから4日。筋肉痛こそとれましたがドヨーンとした疲労感はまだ残っています。それでも今日は走らなければならない。辛かったこと辛かったこと。「途中で捻挫でもしないかなあ。そうなれば走らなくて済むのに」と思いながら走りました。ところで母がまた入院しました。この1週間熱が下がらず、入所施設のドクターが診察したところCRPが23(CRPとは炎症反応を示す数値で健康ならば0.3以下)。白血球は増えておらず、肺炎の症状もなく、何が原因なのかわからないので詳しい検査をしてもらうために入院することになったわけです。ウーン。なんだろなあ?

今朝高校の合田先生からNumberという本を貰いました。スポーツの話題ばかりのマガジンですが、今日貰った722号の中に”言葉力 2009年の監督論”という項があり、さらにその中の”心に染みた監督の言葉ベストセレクション”という項目があって、その中で小川勝(おがわまさる)氏の”私が選んだベストスリー”の1番手に私が登場していたんです。野村監督、オシム監督等々名将智将が並ぶ中に私が登場していたので畏れ多かったのですが、ちょっと自慢したい気持ちにもなりUPしました。小川氏はフリーのライターで、特にイチローに関しては詳しく、「イチローは『天才』ではない」(角川書店)等多数の著書があります。

朝6:30JR九州ホテルからJasonを送り出しました。27日の朝、彼は風邪を引いて最悪のコンディション。最終日まで持つかなあと思っていたのですが翌28日には回復し、無事予定の計画はすべて実施することができました。最終的に1255名の受講者。お世話をしていただいた方々に感謝いたします。余談をひとつ。
27日の小ヶ倉中学校でのクリニック後の夜。自宅に帰った陽子さん(Guyの奥さん)に、孫のセナ(晴成2歳)が「ねえねえバアバ、見て見て」と言いながら幼児用の小さなボールを持ち出して、首の周り腰の周り足の周りをグルグル回し始めたそうなんです。その日ママと一緒に見学に来ていたセナはじっとJasonのプレイを見ていたんですね。そして今日、純子ママが9時までの夜勤なので私は保育園に理子と結子を迎えに行ったんですが、家に帰り着くやいなや小学校から先に帰っていた綾音(3年生)が、「ねえねえ先生見て見て」と言って駐車場でレッグスルードリブルをやり出したんです。こどもってすばらしいですね。私はJasonのすごさよりもセナと綾音の好奇心と感性に感動し、「やってよかった」と思いました。でも全身バリバリの筋肉痛です。今日は早めに寝ます。

今日は高校の卒業式。なので午前中の西浦上中学校でのJWクリニックはJと慎子とGuyと陽子さんにおまかせ。午後、橘小学校で行われた最終クリニックには顔を出すことができて締めくくりをしました。ところで今日は睡眠不足です。このところ連続して続いた深夜作業のせいだけではなく、昨夜足がつって4回も目を覚ましてしまったからです。理由は、このシリーズずっとJのディフェンスフットワークの相手を務めてきて私の足がいっぱいいっぱいだったからです。しかも、夜中だけではなくそれが卒業式の最中にも起きてしまいました。練習中ならつった足をストレッチさせて治せますが式の最中ではそれができません。椅子に座ったままじっと痛みが去っていくのを待つだけでした。苦しいの何のって…。午後Jに「足がつったのはお前のせいだぞ!」ともんく言ったらJは笑い転げていました。

午前中は城山小学校。宿直明けのDr。Miyamotoが駆けつけてくれて通訳。いつも通訳で忙しい陽子さんは束の間のくつろぎ。っていうか、「慎子!」見本がミスしてはいつくばってボール追っかけてどうすんだよ。
午後は飯盛体育館。NCCの取材。3/2(月)6:30PM放映だそうです。夜は諫早少年自然の家で行われた山崎浜口ジョイントクリニックにJasonと慎子がサプライズの特別出演で顔を出してくれて盛り上がりました。

今日からJasonのクリニックに慎子が参加。指導サインに大忙しでした。私は少々バテぎみ。

4日分のことをまとめて書きます。まず今日のことから。帰ってきたのが16:50。なんとか高城台ミニバスの練習の途中には間に合ったので、マイクロバスに乗り換えて高城台小へ。今日が3年生がお手伝いする最後の日なので、高城台のこどもたちが感謝の気持ちを込めて大きな声でを歌ってくれてお別れしました。それが終わって短大に戻って溜まっていた仕事を処理したのが深夜12:30。それからHPの更新です。JWクリニックは23日がオフ。JWは西澤教授の通訳で市内観光。24日は広島へ。皆実高校クリニックを終えた後、例のお好み焼き八戒へ。最初はおとなしかったんですが、途中で村井先生をモデルにして実演、(手に持ってるのはマヨネーズ)。最後は記念撮影で治まったものの、途中はどうなるかと思いました 。翌朝は平和公園と宮島観光に連れて行ってもらい昼過ぎに宇部に向かいました。終わったあとはフグを食べて、それからGuyとJasonは二次会へ行きましたが。私は翌日運転があるので早々に引き上げて寝ました。聞くところによると、二次会の焼き肉やでもまた実演があったそうです。まったくアイツはバスケットの話になったら場所も相手もわきまえず夢中になる。ハラハラしますよ。
ところで、大失敗をやらかしました。下松サービスエリアで燃料を入れ、出発してからしばらくして後部座席のJasonが「ガイは?」と言うのです。「エッ!」陽子さんも私もてっきりGuyは乗ったままだと思っていましたが燃料を入れている間に彼はスタンドのトイレじゃなくて売店のトイレに行ったのです。それに気付かずに出発してしまいました。最近忘れ物が多くなってきましたが、これまでの中で一番大きな忘れ物でした。追伸:Guyを置き去りにした後の処置が気になる人はメールでお問い合わせください。

今朝の長崎新聞朝刊に記事が掲載されました。そして、古海五月(旧姓原田=対馬豊玉高校→鶴鳴女子高校→ジャパンエナジー→全日本チーム)が自費参加のボランティアでアシスタントを務めてくれました。Guyもサインを頼まれていました。

昨日は、JasonをJR九州ホテルに迎えに行き、ちょっとした市内観光をさせました。今日はクリニックの初日。アメリカではだいたい2泊3日とかで基礎から簡易ゲームまでをマスターさせるのが通例で、今回のように2時間だけのセッションというのはどれかひとつに的を絞らなければできません。Jasonも「もう少し時間くれないか」といいましたが、次の会場に移動しなければならないのでそれは無理。というわけでセッション1はドリブル中心のメニューだけ。次回(7月?)にはもう少し考えます。

今朝高校の校長先生に「山崎先生、ジンギスカン焼き肉にでもするんですか」と聞かれました。もちろん冗談なのですが、昨日のヤギ運搬のことについて説明不足だったので補足します。つばさ保育園で飼っていたヤギ2匹(小太郎と花子)のうち1匹(花子)が昨年暮れに死んでしまったんです。それで一人になった小太郎が寂しがっていたのでわかくさ保育園から貰ってきたわけです。食用ではありません。

つばさ保育園の年長組15名を連れて島原の若草保育園に行ってきました。わらび座の公演後、園庭で昼ご飯をご馳走になり、子ヤギの品定めをし、2匹貰ってバスに乗せて帰ってきました。ヤギを助手席に乗せたのは66年の人生の中で初めてです。

昨日から今日の午前中にかけて神村学園の中学生と高校生両方の合宿の世話をし、午後は下級生指導を3年生に頼んで県立総合体育館へ出かけました。MACのミニバスクリニックに高城台小の参加希望者10人を連れて行ったのです。定員100名のところ130名集まり、MACも汗だく。@ A B C クリニックが終わった後はサイン会。高城台のこどもたちもみんなボールや靴やTシャツにサインをしてもらいましたが、私は逆にMACに私のサインをプレゼントしました。

昨日は、綾音(小3)琴菜(小3)理子(年長)結子(年少)の4人を連れて夕方COCOWALKに行きました。その中にボーネルンドキドキドという大きな室内遊び場があります。いろんな遊具があるんですが、遊具のひとつであるキッチンで料理ごっこしていた綾音が、「はい先生お待たせしましたあ」と言って、材料をたくさん挟み込んだハンバーガーを持ってきました。「何これ!」と聞くと。「多目的ハンバーガー」ですって。そのネーミングに私は笑い転げてしまいました。
今日は母が退院。手続きは私がしましたが迎えは施設から来ていただきました。やっぱり食べる量は少ないままです。気丈に見せて冗談ばかり言ってますが…。追伸:先日92歳になったと書きましたが91歳でした。

今日は長崎女子短大幼児教育学科の卒研発表。朝から研究室でリハーサル。本番では山崎ゼミがトップバッター。キャプテン酒井の挨拶のあと、カミカミの大村が無事通過すれば一安心。安心しすぎて二人分撮るのを忘れてしまいました。@ A B C D フラッシュが焚けないないので画像は少しぼやけています

昨日の朝から水以外は何も口に入れていませんでしたが、今日の昼過ぎにオナラがプッと出たので「多分下痢は止まったな」と思いました。下痢が続いている時はオナラと一緒に下痢便も飛び出すので、オナラが出そうになっても我慢して引っ込めなければなりませんが、昼過ぎのオナラは我慢しなくて大丈夫そうだったので出してみました。でも、ホッとして油断したのか手を洗ったあとでポケットからハンカチを出す時に携帯電話も一緒にするっと出てきて水の中にボチャン。すぐ引きあげてヘアドライヤーで乾かしました。データは失われていなくてメールその他の機能は使えます。しかし、通話時に私の声は相手に聞こえているのですが相手の声が私にはまったく聞こえません。明日午後4時に携帯電話を買いを替えます。少しお待ちください。なお、夕方の7時過ぎにポタージュスープとご飯をよく噛んで食べてみました。明日朝下痢だったらまた絶食です。

今日のチーム練習の指導は3年生に頼んで私は高城台ミニバスをダイヤランドカップに連れて行きました。でも、昨日4回今日8回の下痢(軟便ではなく水便)に襲われ痒いところに手が届く世話ができませんでした。熱は微熱(37.3度)。脱水症状の予防で水しか飲んでおらず、朝から何も食べていないので気力が湧いてきません。ゴメンね高城台のこどもたち。ハーッ。そろそろヤキが回ってきたかなあ…。俺今日はもうダメ。デジカメ画像編集は明日に回して写真は明日UPします。@ A B お気付きになりましたか?こどもたちが着ているユニフォームは、浜松インターハイ(平成3年;松山・浜口・松尾。山口・一瀬)の頃のチームユニフォームと国体ユニフォームです。処分したと思っていたら三根さんが大切に保管してくれていました。

昨日選手達と一緒にグラウンドで走れなかったので、今日の練習の昼休みに1人で走りました。4400b走ったところで強烈な腹痛に襲われたので中断してトイレに駆け込みました。下痢でした。その後、残りの3600bを走り、体育館に戻りましたが、午後のバスケットの練習中に3回トイレに行きました。全部下痢でした。というわけで今私のお腹の中はスッカラカンです。
十善会病院から来週のどこかで母を退院させてよいという許可が出ました。月火は授業と卒研発表会で詰まっているので木曜日に退院させようと思います。3日に誕生日祝いの花を届けたことは述べましたが、夕方家内がまた、私が届けたとは知らずに花を届けたそうです。その時の母のコメント。「スミオが負けてる」

今日2月3日は母の誕生日。91歳になりました。まだ入院中です。1月22日のこの欄で「ようやく食堂で軽い食事を撮れるようになりました」と書きました。その後だんだん普通食になってきました。しかし最近ほとんど食事に手をつけなくなりました。「なぜ食べないの?」と聞くと「運動不足だからだよ」と笑いながらいいます。態度を見ていると、痛いとか苦しいとかを隠しているようではなく、いたって元気なのですが…気になります。

Jason Wright Clinic の現状を報告します。@案内文書 A実施要領 Bhttp://www.jwbasketball.com/
CJim Cleamons

昨日の長崎新聞に載ってたMACの講習会。締め切りになる前に高城台にも紹介しよッ。
昨日は楢林整形外科に膝を診てもらいに行きました。土曜日の午後は院長のDr楢林はオフなのですが、長女のご主人のDr米倉が診察することになっています。平日は、診察して貰いたくても泊まりがけでしか受診できない離島の方々には日帰りで受診できる土曜日の午後の診察というのはとても有り難いです。昨日は米倉夫妻で診察されていました。ご夫婦ともに長崎大学病院整形外科の医師です。膝を診てもらいに行ったのは最近ずっと右膝の外側に痛みを感じていたし、少し水も溜まっているようだったからです。自己診断では外側半月板でも傷めたかなあと思っていました。Dr米倉の診察の結果は、外側の軟骨が5年前より1oすり減ってる。内測の軟骨は変化なし。水腫は少しあるが抜くほどではない。半月板が傷んでいるサインはない。でした。「じゃ、まだ走れるね」と言ったらDr米倉の返事は「…」でした。奥様はただニコニコしながらなにやらカルテに書き込まれていました。Dr米倉が「ヒアルロン酸を入れますか?」と私に聞きましたが私は「要らない」と言ってさっさと帰ってきました。まだまだガンバルゾッ!

立ち上げに関わった高城台ミニバスがダイヤランドカップに参加できることになりました。男子は6年生5年生は無条件で4年生から数人、女子は上級生の人数が少ないから、6年生5年生4年生は無条件で3年生から数人。男女とも15人エントリーして参加させてもらおうと思います。まだまだ公式試合に出せるにはほど遠いチームではありますが、たとえ全敗しても大事な思い出作りになるだろうと思って申し込みました。54人いる中から30人のエントリーを決めるわけですから24人は漏れるわけで、幼稚園の年長さんや1年生や2年生までは漏れてもがっかりしないでしょうが、ボーダーにいる子どもの線引きが難しい。漏れたこどもたちの心のケアのことを考えて今から私の心は揺さぶられています。

今日は日本バスケットボール協会から長崎国体(2014年)の会場視察に3名の役員(有本・柿沼・松岡の3氏)が来崎されました。@ A B 大きなイベントを開催するというのはそれまでの段取りが大変です。大塚先生お疲れ様っ。
Jason Wright Clinicは問い合わせが続いているので申し込み期限を2月上旬まで延期しました。

この数日極寒の日が続き、体育館の中は冷蔵庫状態。今日(月曜日)は3コマぶっ通し(10:40〜16:10)で体育実技の授業。授業が終わった時は手が冷たいというより痛くて感覚がなくなりました。私は床屋さんにはいかず、バリカンを使って自分で丸刈りにするんですが、いつもは12_の刃で刈るのに昨日はうっかりして9_の刃で刈ってしまいました。そして今日は極寒の体育館に一日中晒されっぱなし。寒いの何のって…。どっちみち髪は薄くて隙間だらけなんだから、たった3_の違いなんてどうってことないだろうと思うでしょ。違うんですよそれが。特に頭頂部から後頭部にかけては部屋の中に居てさえ「どこからか隙間風が入ってくるなあ」と思うほどスースーするんですから。

母が十善会病院に入院してから約3週間。入院当初は点滴と尿道ドレーンと酸素吸入でベッドに縛り付けられていましたが、水分摂取は口からOK、流動食はベッド上でならOKという段階を経て、ようやく食堂(看護士さんが向こうを向いてる隙にサッと携帯で撮りました)で軽い食事を撮れるようになりました。肺気腫を持っているし、高齢だし、誤嚥性肺炎が怖いので慎重になりましたがどうやら乗り越えたようです。ホッ。でも、認知症(まだまだら状態ですが)は少し進んだようです。

Jason Wright Clinic(http://www.jwbasketball.com/)の詳細現状です。Jim Cleamons が6月中旬〜下旬に日本に行きたいと言ったらしいということを13日のこの欄でお知らせしましたが、その後7月中旬〜下旬に変わったそうです。そして、その感触がよければ来年夏にNBA選手を何人か連れて来ようかなあと言ってるそうです。が、まだ実現可能かどうかはわかりません。クリニック収入はアメリカで実施する方が高いはずなのにどうしてアメリカのコーチが日本に来たがるのかなあと思って、幼少の時期をLAで過ごし、今も医学の研修でしばしばアメリカに出かけているDr。宮本に聞いてみたら、多分今アメリカのスポーツ界はアジアマーケットに注目してるからじゃないでしょうかねえという答えが返ってきました。フーン。

Jason Wright Clinicに申込みグループを結成できないけど個人で申し込みたい方は山崎までお問い合わせください。どこかに組み込みます。また、レイカーズのアシスタントコーチJim Cleamons がJasonに、「俺も日本でクリニックしてみたい。シーズンが終わったあとの6月中〜下旬にまた日本でお前クリニックやれないか?それが可能ならば俺もその時一緒に連れて行って欲しい」と言ってるそうです。どうしましょ。

雪っ! 短大中庭 短大寮生 俺のバス。しかも、土曜日なのに月曜補講日。俺満杯!ゲーッ。

アカントアメーバ角膜炎について
昨年11月、ある生徒が私のところに相談に来ました。「目が痛くて眼科に通っているけどよくならない。目があけられないほど痛い」というのです。私はDr.佐藤経由で大きな総合病院に紹介してもらいました。彼女はコンタクトレンズを使っていて、目の表面にわずかについた傷からコンタクトレンズに付着していたアカントアメーバが侵入したのです。角膜ヘルペスとアカントアメーバ角膜炎の区別は詳しい検査をしなければ判定が難しいのですが、彼女は検査の結果アカントアメーバ角膜炎と判明しました。この角膜炎に特効薬はなく、治療がとても難しい病気です。彼女は現在大きな総合病院で治療していますが、入院・退院・再入院・退院・再々入院の繰り返しでもう2ヶ月経っています。今回の再々入院はアメーバが卵を産んでいるのが見つかったので、増殖に対する治療のための入院です。コンタクトレンズを使用している方はくれぐれもご注意ください。角膜ヘルペスの治療も困難ですが、アカントアメーバ角膜炎の治療はとてつもなくやっかいです。

昨年11月11日と22日のこの欄で紹介したJason Wright Clinicの詳細が決定しました。今朝早速3件の申し込みがありました。申し込みたい方は早めにご連絡ください。

高校は8日が始業式ですが短大は今日から始まりました。今日は火曜日ですが月曜授業の時間割です。月曜は16:10まで授業が満杯ですから、高校部活もそれに合わせて16:30開始にしました。もうお気付きのことと思いますが、昨日までの私のHPの鶴鳴スケジュールでは今日はOFFになっていたのにOFFはゼロになり、代わりにAM/PMが増えています。これは昨日までの正月遠征合宿の内容によって変わったものです。もちろんふがいない内容だったからなのですが、だからといってしごき目的のOFFDAY剥奪ではありません。追い込みはしますが、身体の細胞の一つひとつが頑張るとか堪えるということを覚えるまでには追い込む回数が必要と感じたからです。優秀な選手は自発的に自分を追い込み、自分をいじめることができます。しかしそれはごくひとにぎりの人間であって大半の人間は自分を甘やかします。それを自覚させるには、他動的に物理的に追い込んでやらなければなりません。
注:ふがいないの意味は「負けたから」「弱いから」ではありません。思いの甘さを意味しています。

元旦の朝9:00頃、母が入所しているシンフォニー稲佐の森Uから電話がかかってきました。母を十善会病院に入院させるという知らせです。選抜大会から帰ってきた翌日(28日)に私が施設に顔を出した時母は点滴を打って酸素吸入をしていました。風邪をこじらせたのです。母は肺気腫を持っています。ちょっと風邪気味だというだけで喘鳴が出ますし、酸素分圧が下がります。その時の母のPaO2は87でした。毎日行きましたがその状態は改善されません。ですから昨日の電話はある程度予測してました。十善会病院で母のCT画像を見せてもらいましたが、母の肺は大部分が肺気腫でつぶれており、残った部分に肺炎を起こしていました。母の病室はナースステーションのすぐ隣りの集中管理室。ドクターから「クスリを投与しますがそれでもダメなら挿管をすることになるかもしれません。でもそれをしたからといってこの状態が改善されるという保障はありません」と言われました。2月に91歳になります。

あけましておめでとうございます。年末の選抜大会では、多くの方々にご心配をおかけし、応援していただき、お世話になったことをほんとうに強く感じました。あらためてお礼申し上げます。今年は戦力ダウンです。しかしこのチームを「鶴鳴がやるから観に行こうか」と言って貰えるチームにする。それは全国上位入賞することに匹敵することだと思っています。ですから気合いを入れて3日からの福岡合宿に取り組みます。そのために選抜から帰ってきた翌日からずっと私は走り続けています。毎日走るのは辛いです。走りたくないです。「階段で転んでケガしたら走らなくて済むのに」と思いながらグラウンドまでの階段を登りますが、ケガもせずグラウンドに到着するので仕方なく走ります。年末に、教え子のこどもにユニフォームを寄贈しました。枚数は3枚。2歳用(背番号1/4)・4歳用(背番号1/3)・6歳用(背番号1/2)です。2歳用は翠月ちゃん(もうすぐ2歳)、4歳用と6歳用は結子ちゃん(もうすぐ3歳)と理子ちゃん(もうすぐ6歳)にあげました。これらのユニフォームは教え子のこどもが適齢期になったら譲って順番に回ります。こうして教え子のこどものユニフォーム姿を見ながら私は自分を励ますわけです。「この子たちが高校生になるまで頑張るぞ」って…

今朝08:30に長崎に帰り着きました。今回ほど多くの方々から応援と激励を受けた大会はありません。心からお礼申し上げます。帰り道、朝日を受けた富士はやっぱり日本一です。が、湾岸を通って名阪にさしかかったとたんに天候が変わってなんと!四日市あたりではそのために大渋滞でした。途中福井の中池先生から携帯で「天気予報では午後から雪だそうですから関ヶ原あたりは気をつけてくださいよ」と警告があったのですが、「俺名神通らないもん。名阪通って帰るから大丈夫だよ」とタカをくくっていました。中池先生の警告通り、一時は「どこかでチェーン巻かなきゃならんかなあ」と思いました。でも、ボタン雪だったし昼間だったので畑や山肌は真っ白になりましたが道路は平気でした。さて、選手は今日から2日までオフです。新チームの選手たち(1・2年生)はどんな顔して来るかしら。

20日に長崎を発ち、21日の朝5:40に泉大津着。名阪・湾岸・東名・常磐を通って松戸着12:00。日曜日なので早かった。いつも車庫状態の首都高速はガラガラ。途中マネージャーに富士山を撮らせ。長崎に写メ送りました。ホテルでは久々のちゃんとした食事。?ヶ月ぶり?

今日は附属幼稚園のクリスマス会。私はサンタ役で登場。「good morning」と挨拶したらそれまでザワザワしていたのが一瞬シーンとなり「エッ?ホンモノ?」って顔。その後「サンタさんってお歳はいくつですか?」「好きな食べ物はなんですか?」「どんなこどもが好きですか」などの質問に英語で答えてましたが、「でも、あの髭は偽物みたいだよ」と園児の中からささやく声が聞こえ始めたし、めんどくさくなってきたので途中から日本語にしました。でもシャレた子がいて、プレゼントをもらう時は「タンキュー」と英語でお礼を言う子がいました。これはその中のひとりがくれたメッセージです。最後はみんなでを歌ってくれて、記念撮影しておしまい。楽しかったけど汗ビッショリになりました。

ムカムカして朝5時40分に目が醒めた。洗面台に行ったらムーッときて嘔吐した。内容はゆうべ食べたソーセージだった。高校に到着してすぐガバガバ水を飲んだ。しばらくするとまた吐き気がしたのでトイレに駆け込んだ。今度はさっき飲んだ水とソーゼージがドバーッと出た。ゆうべパソコンをしながらパクパクッとかじったソーセージだ。丸ごと一本だったので量が多すぎたのだろう。9時間以上消化されないまま胃の中に留まっていたのだ。おまえも狭い胃の中に9時間も閉じこめられたままで苦しかっただろうなあ。その後私は具合が悪くて朝の9時から午後3時までずっと高校の体育教官室のソファで寝てた。昼前にガスター10を飲んだ。それ以外は水しか飲んでいない。それでも毎週火木の夕方5時からやってる高城台のミニバス指導には行かなければならない。@=5・6年 A=4年 B=2・3年 C=4-6歳児 D=たまにはこんなこともある。何も食べていないから寒くて途中でバスにコートをとりに行った。集中力が欠落していたので、バスをバックさせていて保護者の車にぶつけてしまった。さんざんな一日だった。夜9時にガスター10を飲んだ。明日はスープぐらい飲めるかしら。今日は早く寝ヨッ。

13日(土)は広島皆実と佐賀清和が来てくれて3チームの強化試合。今日14日(日)は皆実と鶴鳴だけで強化試合。実はこの合宿は大きな犠牲を伴っての実施だった。13日(土)は18:00からブリックホールで松山千春のコンサートがある。これまで長崎で行われた彼のコンサートを私は見逃したことがない。しかも今回は不安定狭心症による療養の後の復活コンサート。チケットをしっかりゲットし、準備万端で臨んだ。そんなことはすっかり忘れて広島皆実の村井先生から「13・14と遠征したいのですが…」という連絡が入った時は「うん、いいよ。空いてるから」と返事をした。ダブルブッキングだと気付いたのは12月に入ってから。強化試合はせいぜい遅くても夕方5時半くらいまで。だから千春のコンサートに行こうと思えば行けないこともない。しかし、練習試合だけではなく、いろいろバスケットの話もしたいと思って来ている村井先生を「オレ、千春のコンサートだから」と置き去りにするわけにはいかない。だから私のチケットは合田先生の奥さんに寄付してしまった。大きな犠牲というのはそのことである。しかし、今回の合宿はウィンターカップに向けての調整と確認ができたという意味では大きな犠牲を上回る収穫があった。ありがとね、貞松先生、村井先生。

第1話:昨日と同じ場所から同じ時間に写真を撮りました。これです。@ A B
第2話:これが今日の私の朝食です。学生の卒研原稿や紀要原稿の締め切りが迫ってくるとまともな食事をとらず、 コンビニで買ったおにぎりや裂けるチーズなどをパソコン作業しながらパクパクッとやることが多いので野菜不足になります。それで同じパクパクッでも、この方がいいかなあと思い、マーケットで買ってきたニンジンやピーマンを生でかじることにしました。

長崎の街が沈んだあ!朝7:30 @ A B

森は今年の1月11日以来11ヶ月ぶり。松本は今年6月6日以来半年ぶりの5000bタイムトライアル。森は平成19年11月の小浜駅伝では1区6000bを22分14秒で走り、平成3年に松尾朋子が出した22分17秒の記録を破って歴代1位に躍り出た経歴があるのに、今日久々のタイムトライアルでは22分25秒で上位5人のランクにも入らず。でも、ウィンターカップ直前になって全員揃って走れたことをヨシとしましょう。無事これ名馬ですよね…なんてったって。

朝07:07。寮の前の落ち葉。今用務員の浜田さんが喪中でお休みなので毎朝寮生は私のマイクロバス(左側の青いバス)に乗る前にみんなでサッとやっつけてから学校に行きます。浜田さんの日頃のご苦労がわかるいい機会だと思います。
朝10:00。「山崎先生クール宅急便が届きましたあ」と、事務室からインターフォン。対馬の小島憬氏(布志木純子旧姓小島の父親)から送られてきた発泡スチロールの箱。開けてみると立派な鯛の夫婦(上が雄で下が雌)が入っていた。前日に連絡が入っていたので今日は家から出刃包丁と刺身包丁を持ってきていた。早速体育館の前の手洗い場で解体。まずはウロコ取り。次に3枚おろして、それから刺身こしらえて、残ったアラ鍋に入れて吸い物に。吸い物の味付けは中田料理長(社会科)。昼休み。職員室は宴会だあ

games & schduleの頁にウィンターカップ案内を掲載しました。スペースが足りなくて書けなかったことを書きます。実は、まだこの時点でも組合せを見ていません(20:30)。日本協会のHPから組合せ表をダウンロードはしましたが、それを私のHPにUPしたり、メールで案内を送信する作業などをしていて中身を見る暇がないのです。この作業が終わってからゆっくり見てみます。さて、書けなかったことですが、「インターハイの繰り返しはしたくない」の一言です。勝てる試合はちゃんと勝ちたいです。

卒研のデータ処理が今日の昼過ぎにすべて終了しました。12月12日の原稿締め切りまでには結果をまとめられそうです。風邪は今日の午後10時に治りました。ところで、Jason Wright Clinicは反響が大きくてあちこちから問い合わせがあります。Jason側でもいろいろ動きがあるようで、大きなプログラムになりそうです。Jason WrightからGuyに送られてきたメールを下記にコピーします。
It was a pleasure talking to you on the phone last night. Just want to say thank you for the taking the time out to chat with me. The oppourtunity at hand is great. The 2 hour time sessions for the clinics is a great idea. I thinks this will make the breakdowns much easier as well. I also have DVDs I bring and hopefully t-shirts for every player. The Februray time span sounds great as well. Here is a breakdown of what I thought of for a 2 hour clinic:
10-12noon:
10-10:20= intro and warm
10:20-10:40= stationary ballhandling and dribbling
10:45-11:15= Motion movement breakdown moves
11:15-11:30= passing stationary and movement
11:30- 12:00= Shooting technique and drills of the dribble and catch and shoot. Also wrap and of clinic talk and answer session. 
Let  me know what you think about this set up. Looking forward to hearing from you soon.
Jason

火曜日(11日)の夕方6時に風邪を引きました。高城台小学校でのミニバスの指導中だったので、大きな声を出す度にむせて咳き込みました。養生しなかったので一気に気管までウィルスが入り込み、鼻の奥やノドは痛く成らずにいきなり胸が痛くなりました。そんな状況だったので今日の8000b走は地獄でした。最初は胸が痛くて呼吸が苦しかったのですが、後半はそれが治まったものの足腰の関節が痛くなり、スピードが上がりませんでした。このところ、時速12qを維持して8000bを40分のペ−スで走り始め、最終的には39分台でゴールするというのが定着したパターンだったのですが、今日は42分20秒かかりました。ゲーッ。早く寝よッ

今日Guyとの話し合いで Jason Wright を日本に呼ぼうかという考えがまとまりました。彼のことは今夏のロスアンジェスル遠征の時に知り、興味を持っていました。彼はバスケットボールの個人技能のレッスンプロです。アメリカ国内で彼のレッスンを受ける場合は受講料が約75$だそうです。日本にも呼びたいけど受講料は高いし、飛行機代やホテル代を考えるととても呼べないと半ばあきらめていましたが、Guyが再三再四交渉を続けていたら「日本には興味があるので、飛行機代は要らないよ」という返事を貰ったそうです。そこで「それなら呼ぼうよ」という話になったわけです。今のところ、1レッスン2時間。長崎県内数カ所。希望者がどれくらいあるかにもよりますが九州各県も回って約1週間ぐらいやりたいなあと思っています。私とGuyは、彼が飛行機代は要らないと言ってるし、アメリカ国内のレッスンのように1人当たり75$の受講料を取ることはないとわかってはいますが、彼の滞在費ぐらいは捻出してやらなければならないだろうと思っています。すると、受講者1人当たり1000円〜2000円ぐらいの受講料を取ることになるだろうと思います。時期は春休みか、それが不都合ならば5月以降(4月は彼のスケジュールが詰まっていて不可)の平日16:30以降と土日終日を使った1週間ぐらいになるのかなあと思っています。ご意見ください。
追伸:このことを調べている最中に、Guyのofficeで懐かしい新聞が見つかりました。2004年の2月下旬に3年生6名を卒業旅行でアメリカに連れて行ったときの現地新聞です。日付は2004年3月4です。記事は、ウィスコンシン州のリバーフォールス高校を訪問し、総合学習の日本語学習選択授業参加した時のものです。

昨日はつばさ保育園の親子久住登山のお手伝い。6月の登山(園児だけで)には7時間かかったのに今回は5時間。すごい進歩です。@もうすぐ。A先頭グループ休憩。Bしんがりゴール!九重青少年の家で1泊して今日は佐賀の嘉瀬川河川敷で行われているバルーンフェスタへ。世の中にはすごい人たちがいるもんですねえ。

高校のk先生。出先のある場所で、後ろを振り向いた瞬間に開いていたアルミサッシの回転窓の角にイヤというほどアタマをぶつけたんだそうです。私が以前同じ状況でアタマをぶつけたのはシャワー室の洗濯機の角でしたからコブができた程度だったのですが、アルミサッシの角は尖っていて凶器と同じですからねえ。K先生のアタマは血だらけ。病院に行って治療してもらったそうですけど、ホッチキスとは…。糸で縫うのではなくてホッチキスとなると生き物扱いされてないみたいで寂しいなあ。お大事に。

昨日は土曜日にもかかわらず短大は月曜授業の補講日。だから私は10:30〜16:10までぶっ通しで授業。なのでバスケット部の練習は16:30から。練習内容はずっと前から予約が入っていた長崎市ジュニア選抜チーム(3年生)とのスクリメージ。それが終わったのが19:00。それからすぐマイクロバスで寮まで選手を運んだあと私はCUBEに飛び乗って徳島に向かいました。親友の富田先生(徳島城北)が選抜予選の決勝に駒を進めたという連絡が入ったのです。今年の城北は1・2年生のチームなので決勝進出は無理だと思っていたのにこのニュースですから「これは観に行ってやらなきゃ」と思ってほとんど発作的に行動を起こしてしまいました。翌日の練習はOFFなのでその日の夜までに帰ってくればいい。が、この時間の出発ではJRも飛行機も接続便がありません。私は小倉発21:55→翌朝05:00松山観光港着の関西汽船フェリーに乗るつもりで高速道路をとばしました。しかし間に合いませんでした。それでそのまま山陽道を走り続けました。広島県の小谷SAで仮眠をとりました。小谷SAには深夜12:20〜02:20までいたのですが、眠ったのはたぶん30もないでしょう。明け方4時頃までそこで寝て徳島に向かうつもりでしたが眠れないので仮眠を途中でやめてまた走り始めたのです。徳島に着いたのが明け方5時。コンビニの駐車場でまた少し寝てから会場(フラワードーム)に向かいました。男女ともテレビ放送があるらしく、朝早くから報道関係の人々があわただしく動いていました。始まって3分もしないうちに「あ、こりゃだめだ」と思うような試合でしたが、私は片時も目を離さずに最後まで見ていました。来年このチームに変化が起きなかったら富田先生は破門です。男子決勝戦の城東高校の古海先生も親友なので見たかったのですが、時間がなかったのでハーフタイムまで見てすぐ長崎に引き返しました。往復1380q。睡眠時間約2時間。強行軍でした。しかし、強行軍に見合うだけの発見もありました。夜8時に長崎に帰り着きましたが思ったほど疲れは感じませんでした。発作的に着の身着のままで飛び出したので、帰り着いたときの全財産はこれだけでした。明日銀行に行こっ。

またまたやっちゃいました。今日の試合の合間に、ステージの役員席の片隅で伸びた鼻毛をハサミで切っていたらまた身を切ってしまったのです。イッテーッ

新設の小学校のミニバスの立ち上げと指導に関わって今日が3回目。こどもたちも慣れてきて個々の地が出はじめた。保育園の年長児から小学校6年生までの階層から成っているが、どの子も「今日も楽しかったあ」という気持ちで帰さなければならない。こどもというのは本来わがままで、自分だけが勝つ、自分だけが成功することが最優先になる。だから、どんなに公平に班分けをしても必ずだれかが不平を言うし、思うようにならないとみんなを不愉快にさせるような言動をとる子が出てくる。それを「コラ!」で抑えるのはたやすいが、そんな子にも「楽しかったあ」で帰ってもらわなければならないのだ。また、こどもたちの中には小さい子に思いやりと気配りをもって接している子がいる。それも見逃してはならない。私はアンテナの本数が多い方だと思っているが、今日はそれをフル稼働させても間に合わないくらい大変だった。脳みそが沸騰しそうだった。

昨日から今日にかけて忙しいのなんのって…売れっ子芸能人並みでしたよ。昨日は午前中に諫早地区ジュニア選抜チーム(中学3年)のお世話をした後、12:25発のJR特急かもめで広島に向かいました。広島皆実・徳島城北・松江商業・広島大学の合同合宿に顔を出したんですが、本来の目的はその合宿に徳島から同行してきたマリちゃんの教員採用試験合格祝い(苦節13年)をするためです。場所はおなじみのお好み焼き八戒。ビールで酔う前にまたもや八戒の大将の毒舌に酔ってしまいました。今朝は広島発7:30のひかりに乗って長崎へ。長崎駅10:57分着。それから長崎駅の駐車場に置いていたバイクにまたがり長崎女子短大へ。学園の大型バスに鶴鳴の選手と小島中学校の選手を乗せて長崎女子短大を出発したのが11:20。大村市へ向かいました。大村でWJBL(JOMO vs AISIN & JAL vs CHANSON)を観戦後すぐ長崎にとって返して、今日明日の1泊2日で遠征合宿に来た神村学園の中等部と高等部の選手の面倒を見て、このブログを更新しているところです(22:40)。フーッ。しばらく誰もいない無人島に行きた〜い。

練習に間に合うように急いでモンゴルから帰ってきました。今日はグラウンドランがある日なので私は選手たちより一足先にグラウンドに出て8000b走りました。6000bぐらい走ったところで選手達が揃い、走り始めました。走り終わった私は選手たちの走りをしばらく眺めてからシャワーを浴びるために体育教官室に引っ込みました。シャワーを浴びて外に出ると選手たちはすでに体育館に戻ってるではありませんか。「どした?」と聞くと、私が去ったあと強い雨が降り出し続行不可能になったのだそうです。クソーッ。どうして俺が走っている時に降らなかったんだよ!しかも、私がシャワーを浴びて体育館に顔を出した時、雨はパラッとも振ってないんですよ。すっごい損をした気分になりました。

9月25日と30日が長崎西高。10月7日が長崎東高。あわせて121名の高校男子足型を測定させてもらいました。これで幼児147名、高校生男子121名計268名の測定を全部終了しました。昨年高校女子学生の測定をしましたが今年男子サンプルが集まったことで、男女幼児と男女成人の運動群非運動群の比較ができます。楽しみです。これで、今年9月上旬の早稲田での発表の時に某大学の某准教授(博士)から鋭く突っ込まれたことを挽回できるかもしれません。がんばります。これから12月19日まで、延々と画像解析が続きます。ヤルゾーッ!

高校からバイクで短大に向かう途中、長崎南高校の校門を過ぎてすぐのところに信号がある。バイクを止めて信号が変わるのを待っていたら、若い父親がこども(たぶん2歳未満)の手を引いてやってきた。信号が変わったら横断歩道を渡るのだろう。父親は吸っていたタバコを歩道にこすりつけ、足で踏みつけて火を消してタバコはそのままそこに放置した。こどもはジッとその様子を見つめていた。もちろん幼いその子に道徳的な感情はない。火が足で踏み消されたことに興味があっただけだろう。が、私はそのこどもの将来を憂えた。こどもは、自分を取り囲むおとなたちからモラルとか思いやりとか気配りを学ぶ。その中心にいるのが親だ。その父親の様子はこどもを散歩させるのをめんどくさがっているふうではなく、むしろこどもを慈しんでいるように見えた。こどもを慈しんでいる親ならあんな光景をこどもに見せてほしくなかったなあ。

今日もまたDr.宮本から途中経過の報告がずっと入っていた。「73-73で延長です」まではこっちが聞く前にむこうから情報が入った。しかし、延長はもう終わっているはずの時間になっても電話が鳴らない。がまんできずにこっちから聞いた。「おい、延長もう終わっただろ?」「負けました。86-83です。惜しかったです」「そっか」でも、兼頭・出岐・をケガで欠き、永田が仕事で戻ったあとよく踏ん張った。みんなよくやった。ありがとっ!
追伸:新潟がなぜ強いのかって?来年の国体開催地は新潟なんですよ。

長崎成年女子が大坂を下してベスト4に進出した。Dr.宮本からの情報だ。Dr.宮本は帯同ドクターで今大分にいる。昨日タイから直接大分に入った。タイには解剖の勉強をしに行っていたのだ。「今更解剖?大学の時やっただろ」と質問したら、タイでの解剖の勉強は大学時代にやったホルマリン漬けの血抜きしたミイラみたいな死体ではなく、冷凍保存してあるほぼ生体に近い死体なのだそうだ。Dr.宮本は長崎大学病院整形外科の医師で、もうACL損傷の手術は何例やったか数え切れないほどのその道のオーソリティである。それでもまだ解剖の勉強のためにタイに飛んだ。襟を正してみやげ話を聞いた。話を戻す。明日の新潟戦は永田がいない。仕事のために東京に戻ったのだ。が、長崎成年女子の結束力は日本一だ。永田の分をみんなで少しずつ分け合ってがんばって欲しい。

今日は高校のオープンスクールとつばさ保育園の運動会のダブルブッキング。大忙し。まずは寮生を8:00に高校へ送り届け、矢上のつばさ保育園へ@ A B。30分ほどそこにいてすぐ高校に戻ってオープンスクールの世話。今日のオープンスクールは体験学習が主目的で、バスケットの部活動体験志願者が20人いたので私がその場にいないというわけにはいかず、C D てんてこまいでした。フーッ。
追伸:実は昨日、本学園の幼稚園の運動会が行われ、ちゃんと写真を撮ってHPに載せる用意をしていたのですが私のミスで削除してしまい載せることができませんでした。パソコンのフォルダに取り込んだのを削除したのならゴミ箱から戻せばいいのですが、今回はパソコンに取り込む前にカメラのカードリーダーから削除してしまったのでゴミ箱にも残っていません。すみませんでした。

昨年は、女子高校生と女子短大生の運動群と非運動群の足型を測定し、その結果を今月上旬早稲田大学で行われた体育学会で発表しました。今年は男子高校生の測定です。長崎西高校に協力してもらい、昨日と今日の2日間で一気に73人の測定をしました。ゼミの学生は今実習中で補助が出来ません。ですから私一人でやりました。ピドスコープの前後左右を中腰と膝立ち姿勢のまま動きまわったので背筋と大臀筋がバリバリの筋肉痛です。ヒーッ。久しぶりに膝小僧が擦りむけました。イテテテッ。

今日は朝09:00から16:30まで、長与小でミニバスの講習会をやりました。短大に移籍してからこどもの足の研究を始めたので幼稚園児や保育園児と接する機会が多くなり、こども大好き人間になりましたが、たぶん足の研究をしなくても、歳をとったら誰でもこども大好き人間になるんでしょうね。今日はとても楽しい一日でした。G

昨日の試合のベンチは、三菱重工体育館事務室の青木さんから忘れ物で時効になったクツを借りてやりました。昨日は陸上競技の大会とバスケットの大会が重なり、陸上部は人数が多いし、バスケット部の寮生は6人しかいないので、陸上部の林田先生の8人乗りワゴン車を私が使い、私のバスを陸上部に貸したのです。その時の荷物の積み替え作業で一旦CUBEに移した私の荷物の中のクツだけワゴン車に積み込むのを忘れてしまいました。タハッ。試合後そのクツを返しに行ったら青木さんから「あげるよそのクツ」と言われ、持って帰りました。記念品として研究室の本棚に飾っておこうと思います。 
---下記の内容は選抜予選報告書にも同じものを書いてます。---
松本の応急処置にはセレコックスというクスリを使いました。おかげで先週の広島遠征と今大会はパフォーマンスが落ちることなく凌げました。しかしこのあと松本は長期間休ませます。クスリは、痛みを和らげるとか、炎症を抑えるとか、傷害を受けたことによって派生するさまざまな症状を緩和させるために使うもので、傷そのものを治すものではありません。傷を治すのは生き物が本来持っている自然治癒力です。松本のケガ(故障)はセレコックスによって痛みが和らげられたものの、傷めた部分を酷使したので傷そのものはむしろ悪化しているはずです。だから休ませなければならないのです。みなさん、ケガを治すのに「ガマの油」や「魔法」や「神の手」は存在しません。選手のケガについては指導者が「させない」勉強をすることが何より大事で、次に兆候を早期発見する「目」を持つことが大事です。さらに、ケガをさせたら治るのを待つ「根気」がまた大切です。


お好み焼きを食べに行ってきました。お好み村の4階奥の八戒という店。大将(菅方 博さん)が豪傑で、毒気に当たってめまいがしました。@ A B 
追伸:お好み焼きを食べたのは私だけではありませんよ。14日の選手の夕食は、合宿所の食事をキャンセルしてお好み村で食べさせました。

昨年の5月8日以降8000b走ったことはなかったのですが、今日それが実現しました。まだ、あの頃のように余裕はないのですがとにかく走れました。1年4ヶ月ぶりですよ。今日はビール飲もっ!明日から3日間、広島皆実に行ってきます。お好み焼き食べに。

早稲田から今帰ってきました(22:20)。ポスター発表なので、口答発表のようにチンと鳴らされて発表も質問もおしまいというわけではなく、興味のある人はポスターを隅から隅まで読み、質問を浴びせてきます。ここではバスケットの山崎という肩書きは何の役にも立ちません。甘いところがあればズバッと指摘されます。「ありがとうございました。勉強になりました」と、汗を拭き拭きお礼を言いました。フーッ。西澤山崎

昨日本校は9/28オープンスクールの代休。小林高校は体育祭の代休。長崎大学はまだ夏休み中。で、3者本校に集まって強化練習をしました。森がケガする3日前にはキャプテン松本が左足首に痛みを訴え、それ以来休ませていましたが、MRI検査@Aの結果、距骨ドームの離断性骨軟骨炎でした。おそらくたび重なる捻挫で、中学生の時から(或いは小学生の時にすでに…?)抱えていたものでしょう。遊離体(ねずみ)にはなっていませんから摘出手術等は不要です。セレコックス投与で約1週間休ませて活動を再開しました。昨日は小手試しでほんの少し出場させました。大丈夫みたいです。なお、私はこのように部外秘に近い内容をHPで公開します。それは、若い指導者の方々に参考になるだろうと思うからです。その際、本人のプライバシーを著しく傷つけるものであったり、本人の将来にマイナスの影響を与えるような内容であれば公開しません。若い指導者の方々、どうかスポーツ医学をしっかり勉強なさって、選手のケガの予防と治療にまで深く関与してください。ひと昔前ならこの選手のスポーツ人生は終わったというようなケガであっても、今では完全復帰できるほどにスポーツ医学は進んでいます。追伸:11日の早稲田大学での体育学会の発表原稿を手直ししていて遅くなりました。ネムッ。

「…」について、あちこちから問い合わせがあるのでお答えします。8/30は森由紀の復帰記念日でしたが、森が翌日同じACLをまた切ったからです。ハーフコート4対4の簡単な練習でした。接触も何もなく自損事故でした。もともと私は森を12月の試合に出してやれれば御の字と思っていたし、私自身辛酸を嘗めるのには慣れているので今後のチーム運営に深刻なダメージはないのですが、手術もリハビリも順調すぎるくらい順調で、医師も理学療法士も本人も「ヨシいける!」と思っていた矢先のできごとなので、3者の落胆ぶりを思い浮かべ、どうしてもキーボードに向かう気がしませんでした。でも、いずれ皆様にはお知らせしなければならないので、それを今日としました。

「…」

今日は森由紀の復帰記念日。1月3日にACL断裂。2月4日に手術。以後リハビリに励んできましたが、昨日中尾トレーナーに「徐々にスクリメージ参加OK」の許可が出たそうで、今日から復帰。不安定狭心症でしばらく療養していた松山千春さんも昨日復帰し歌手活動を再開したし、9月は何かいいことありそう。

飛行機代・経費・選手のお小遣い等は一括して私が支払ったりドルに変換したりしてアメリカに行ったのですが精算してみるとどうしても50万円以上足りない。「そんなにお金使ったかなあ?おっかしいなあ?」と思いながら4日が過ぎました。でも昨日突然、選手のお小遣い300ドル14人分を私が立て替えて両替していたことを思い出しました。これで収支ピッタリ。ホッ。今日は焼き肉食いに行こッ。Guyの奥さんのYokoの誕生日だし。

5日目と6日目は試合日。試合が行われるのはAmerican Sports Centersというでっかいジム。なんとバスケットコートが15面とれるんです。初日はガラーンとしたジムの1コートだけを使って試合。翌日は土曜日なのでにぎやか。10コートで同時に試合が行われている中でCranesのゲームも行われたので、他のコートで試合が終わったチームは興味ありげにCranesのゲームを見学。Cranesの選手たちもアメリカの選手の保護者や大会関係者からいろいろ質問されたり話しかけられたりして、アメリカで試合している雰囲気を味わいました。試合はまず、プレゼント交換試合、そして記念撮影という手順で進みます。試合報告はこちらをご覧ください。さて、土曜日の試合は午後1時に終わり、その日の深夜0:20にLA空港を発つまで時間があるのでその間少し遊びました。まずはあの有名なサンタモニカビーチ。岸から海までの遠いこと遠いこと。折角来たのだから岸辺で少し泳いで次はハリウッド見学。中心部の石畳には歴代スターの足型があります。その中のひとつ、ドナルドダックの足型と一緒に記念撮影をして帰途につきました。ツアー報告はこれでおしまい!あとは選抜予選に向けて集中します。
追伸:サンタモニカビーチの砂は末竹功先生のおみやげに持って帰りました。といえば聞こえはいいのですが、実はそれはビーチですくってきたものではなく、私のサンダルの裏の溝に挟まっていた砂を、福岡空港から長崎に帰る途中のクルマの中でつまようじでほじくり出したのをちり紙に包んだものです。内緒ですよ

LA4日目はKnott's Berry Farmという遊園地で終日遊びました。話が少し長くなります。ナッツ ベリー ファームは直訳すればナットさんのイチゴ農園となります。が、実は富士急ハイランドのようなでっかい遊園地なのです。では名前がなぜ農園なのかというと、Walter Knottさんというイチゴ農園を経営していた人がそこを潰して作った遊園地だからそんな名前にしたのだそうです。90年の歴史があります。アメリカで最初の遊園地だそうです。ここのマスコットキャラはスヌーピーです。スヌーピーの作者はCharles Schulzさんで彼の出身地はミネソタ州のセントポール市です。ですからミネソタ州の州都ミネアポリスにある北米最大のショピングモール、Mall of America'sの飾り付けはどこもかしこもスヌーピーだらけです。このモールは長崎の浜町全部をひとつのビルにしたようなでっかいモールで、その中央の空間はジェットコースターや観覧車がある遊園地になっています。この遊園地はWalter Knottさんが提案して建設したもので、ここはCamp Snoopyと呼ばれています。そんなわけで、Knott's Berry Farmは独占契約的にスヌーピーをマスコットキャラとして使っているわけです。ですから、Cranesの選手からおみやげでスヌーピーグッズを貰った人は、「スヌーピーは日本のどこでも売ってるぞ」といわずに品物をよく見てください。品物のどこかに書いてあるKnott's Berry Farmという文字。これはKnott's Berry Farmのグッズ売り場にしかない品物だという意味ですから。ちょっと恩着せがましいですけど…。
さて、ホテルからはなんとGuyが手配してくれたリムジンで出発。ヒエーッ!。リムジンの中ではハリウッドスターになった気分のCranes選手たち。到着後すぐ入り口の前で記念撮影。ここの入場料は団体割引で一人約53ドルぐらいなのですが、GuyがCoach Hondaの税金番号で申込んでくれたので、市民割引になったらしく、一人約22ドルになりました。なんと68%引き!その差額が夕食のスペアーリブに化けました。これは一人約29ドル。選手にとってはリッチでとても楽しい一日となりました。それにしてもGuyの気配りはすごい。

今日は高校の始業日。始業式式だけかと思っていたら式終了後普通通り授業があり、ちょっと仕事の段取りが狂いました。さて、LA3日目。この日は終日Westfieldというでっかいモールでショッピング。でも、高校生の買い物って小物かスポーツ用品ばかり。高級な衣類やバッグなどは目当てじゃないので16:30には切り上げてホテルに戻りました。この日の夕食はGuyのおごりでピザのデリバリー。私は一番小さなかけらを食べて満腹。アメリカの食べ物や飲み物はとにかくでかくて私向きではありません。ゲープ。。

昼過ぎに帰ってきました。14人もの命を預かっているのでやっぱり国外逃亡はできませんでした。今日は初日と2日目の報告をします。サプライズは出発の空港で起きました。incehonの空港で背の高い外人が選手に話しかけています。あとで誰だったのか聞いたら「フェニックスサンズのコーチだとか言ってました」ですって。「なにっ!」といって私は彼の姿を捜しましたが彼はビジネスクラスのラインに並んでいるしこっちはエコノミークラスのラインに並んでいるので手を振るだけ。機内で名刺交換だけしましたが、10時間も同じ機内にいながら挨拶しただけとは…もったいないなかったなあ。話しをチームのことにに戻します。着いた日は18日の夕方だったのでホテルでくつろぐだけの時間しかありません。夕食はホテルの隣りのスポーツバーで。その後ホテルのプールでひと泳ぎしてその日はおしまい。翌日は終日ディズニーランド。東京のディズニーランドに私は行ったことがないのでよくわかりませんが、本家本元ってやっぱりどこか違うのかなあ?この日毎晩21:30に打ち上げられる花火を見るまで選手たちはずっとディズニーランドに入り浸りでした。私は退屈で、途中ホテルに戻り昼寝をしました。

昨日からずっと、9/11に早稲田大学で開催れる日本体育学会発育発達部会で発表する原稿を(一応)作っていました。今11:00です。もうやめます。12:30に寮を出発します。25日帰国予定です…が、そのままナバホ居留区に逃亡して日本には帰って来ない可能性がないわけではありません。ごきげんよう。
追伸:ロスにはパソコンを持っていきませんのでHPの更新もメールチェックもできません。

九州国体で成年女子が優勝してくれました。大塚先生から各ピリオド毎に経過報告が入りましたが、最後の報告が来た時、誰もいない体育教官室のパソコンの前で私は「ヨッシャ!」とガッツポーズを作りました。彼女たちの日々の練習と、ふるさと選手の交渉過程をつぶさに見てきた証人としては、どうしてもこぶしに力が入ります。太田さん、一夜にして口の周りに出現するヘルペスと闘いながら続けてきたかいがありましたね。おめでとう。

朝からカッと照りつける日差し。昨日の雨で湿ったグラウンドの人工芝の表面には熱せられてムッとする湿気が漂っています。加えて一昨日引いた夏風邪が今日は最悪。鼻水ズビズビをハンカチでぬぐいながら走りました。暑くても鼻水ズビズビでも今日は7000走ると決めていました。最後の1000bは歩いているのか走っているのかわからない状態。走り始めたのが11:00で終わってシャワーを浴びたのが12:00。その後夕方までは寮の宿直室でずっと寝ていました。身体が動きません。九州国体の結果をUPするためにパソコンの前に座っているこの時間を除けばまた寝ます。それにしても午後からはずっと大雨。なんで朝から降ってくれないんだよ。もう。明日はアメリカ出発前に片付けなければならない仕事がヤマほどあるので寝てるわけにはいきません。Zzzz......

朝からザーッとひと雨来てグラウンドの照り返しの暑さが和らいだので、今日はスタートから7000bを目指しました。6月6に7000b走って以来、体重オーバーやら猛暑やらで6000b走るのがやっとの毎日でしたが今日は雨にも助けられて目標達成。毎日平気で8000b走っていた頃に早く戻したいです。がんばります。

今日は5000b走ったところでカウント8のダウンを喫しました。ですから、記録の6000bは実は5000+1000としなければなりません。カウント8で立ち上がったあとグラウンドの水道でアタマから水をかぶり再スタート。なんとか繋いでトータル6000bに漕ぎつけました。その後銀行へ行きました。アメリカ遠征の現地経費と選手のお小遣いをドルに替えるためです。少額紙幣なのでかさばります。全部で6000$。フエーッ。

体育館の玄関で突然「センセーイ!」と声をかけられました。バレー部の卒業生のお母さんでした。大阪在住の人です。バレーの強化試合が本校体育館で行われているので、卒業生の保護者もお手伝いのために数人集まっておられたのです。「私泣きましたよーッ」て言われました。大逆転で負けた本庄での試合を見てたのだそうです。このお母さんは大阪の高校の体育の先生をしておられて、自分の学校の陸上競技の選手がインターハイに出場したので、それを応援してから熊谷からタクシーとばして本庄まで見に来られたのです。そんな人がいるんです…。隠れファンというか…。身内以外の方から「泣きましたよーっ」と言われたことば。重いです。終生忘れません。

今日は、「おまえたちが死ぬ気でやらないなら俺が先に死んでヤル!」と思いながら走りました。もう少しで死ぬとこでしたが、人ってなかなか死なないもんです。

今日のラスト1000bはほんとに死にそうでした。でも、HPの私の記録欄に6000b未満の距離や「途中棄権」という文言が書き込まれるのがイヤで、これで死んでもいいと思って走りました。ゲーッ。

7月7日に走ってから約1ヶ月。ずっとやっていなかったグラウンド走を開始しました。死ぬかと思いました。加えて64sがベスト体重なのに今は71s。走ると皮膚が揺れてるのがわかるんです。ハーッ。なっさけない。
あと1ヶ月で7s落とさなければ…。

昨日はインターハイ後初のチーム練習。インターハイで負けた直後から昨日まで、練習再開の冒頭のことばは何にしようかとずっと考え続けていました。何度も作りかえて私の口から出てきたことばは、「お前たちの心の中にあるものが、勝つチームにふさわしいものならば選抜では勝つべきチームに負けることはないだろう」でした。そして、「ふさわしいかどうかを知っている者は自分以外の誰でもない」と付け加えました。フーッ。

男子延岡学園、女子桜花学園の優勝でインターハイが終わりました。負けてから4日経ちましたが怒りの炎の火勢は衰えません。たぶんこの火勢はウィンターカップまで衰えないと思います。チームを創る(改訂版)243頁に「負けたその日から練習だ」という項目があります。が、今はそんなことしません。それは憂さ晴らしでしかないのに、熱意の証として自分の無謀さを正当化していただけじゃないのか?と今は思うからです。自分で書いておいて今更こんなことを言うのは無責任かもしれませんが、私の本の中には「30歳台のころはそれでいいいんだよ、でも50歳過ぎたらそれだけじゃだめだぞ」と注釈を加えなければならない内容がたくさんあるように思います。では、あの頃の私と今の私はずいぶん変わったのかというと基本的には何も変わっていません(他人は丸くなったと言いますが)。ただ、打たれ強くはなったと思います。

毎年7月下旬は山口県光市のスポーツ交流村で合宿するのが恒例になっています。今年は19日〜21日まででした。集まったチームは、山口少年女子・山口成年女子・福岡少年女子・熊本商業。そして長崎女子です。この合宿の直前まで中学男子と毎日のようにスクリメージをやりました。本当は18日までやる予定でしたが、「ちょっと疲れてるなあ」と思ったので18日はキャンセルしてその日は完全休養にし、翌19日に山口入りしました。しかし1日だけの休養では疲労が抜けておらず、この合宿で鶴鳴らしさが出たのは初日初戦の福岡少年女子との試合の開始5分まで。あとはボロボロでした。なんとかノックアウトだけは免れましたが最終日の今日はコートに立っているのがやっとという状態でした。この遠征のあとは3日間長崎国体少年女子の強化練習を予定していましたがそれを全てキャンセルし、主力5人はインターハイ出発日の25日までOFFにしました。主力5人とは出発日まで逢いませんが、25日には目元スッキリの彼女たちと逢うのを楽しみに3日間残りの選手たちと練習します。

昨夜10時頃。リリリリーンと研究室の内線電話が鳴った。寮の事務室からだ。「先生っ!娯楽室にヘビが出ましたっ!」と寮姉の浜口さんが電話口で絶叫する。「自分たちで退治しろよ記念になるから」と冷たい私。寮姉の浜口さんと柔道部の稲田とバスケット部の松本・山口の4人で撃退。大騒ぎしたわりには冷静にデジカメで記念撮影をした松本はいったい何者?

朝9時から夕方5時まで、USA SUMMER CAMPに参加させてもらいました。1日で英会話が身に付くわけはないのですが、アメリカ人とコミュニケーションすることで8月下旬のロスアンゼルス遠征を前に度胸を付けさせようと思いましてね。@ A B C D 

足型測定でお世話になっているつばさ保育園のお泊まり研修について行きました。宿泊は九重青少年の家。
目的は久住山登山()。私は高所恐怖症ぎみのMちゃんを励ましながら本隊よりずーっと遅れて登りました。大きな石がゴロゴロしているので確かに登るのが大変ではありますが、5歳のこどもでも立って登れない箇所がまったくないわけではありません。ところが高所恐怖症ぎみのMちゃんはほとんど四つんばい。息づかいもヒューヒューと過呼吸気味。私はこの子に「ガンバレ」という言葉は禁句だと思い「ゆっくりでいいんだよ。ここで少し休もうか」と言って何度も休憩しながら登りました。本当に死ぬ思いで登っているんだろうなあと思い、手を差しのべようとするんですがMちゃんはその手を払います。よほどの難所でしか私の手を握りません。5歳の女の子のプライドに感動し、それを傷つけないように気を配りながら登りました。Yちゃんは高所恐怖症でも体力がないわけでもないのですが、Mちゃんに話かけながらずっと一緒に登ってくれました。Mちゃんの頑張りとYちゃんの思いやりに涙が出そうになりました。最後の百bぐらいになったところでガスに覆われ、ほんの1〜2分の間でしたが視界5bぐらいになったとき「道を間違って本隊とはぐれたらどうしよう」と本気で焦りました。岩のあちこちに黄色のペンキで印がつけてあり、ガスが出てもルートを見失わないように整備してはあるんですが、視界を失って5歳の女の子とポツンと取り残された状況では、バスケットの監督としての百戦錬磨の経歴など何の役にもたちません。いい勉強になりました。

今日は忙しかった。朝から佐世保の長崎国際大学で授業(毎週水曜の10:30〜12:00)。終了後とって返して長崎市内の小学校で足型測定。その後介護老人福祉施設で母の要介護度審査のための面接。小学校の足型測定の窓口はほとんどが教頭先生です。今日の教頭先生は私が桜馬場中学校に勤めていた頃の教え子だそうで。それを聞いた私は一瞬汗が引いて身体が固まりました。でも何か会話を続けなければならないので「え?いつごろ?」と聞くと「ボク、大仁田厚と同級生です」という答えが返ってきた。ずーっと前、大仁田氏はどこかのテレビ局の番組録画のために本校のグラウンドに来ました。ソフトボール部も一緒に何やらワイワイやったらしいのです。そこまでは筋書き通り。ところがソフト部の監督が「実はウチに山崎先生が居るんですが」と切り出したところ、大仁田氏が「呼んできてよ」と言ったらしいのです。監督が体育館まで下りてきてこうこうしかじかと私に説明したのですが、私は「行かない」と突っぱねました。だって、あの当時の私は毎日が暴力で、大仁田氏も相当殴ったんですもの。仕返しが怖いですよ。すると、その伝言を聞いた大仁田氏はカメラのレンズに顔をくっつけて「ヤマサキ出てこーい!」と怒鳴ったそうです。コワ。ちなみにそれは後日ソフト部の監督から聞いた話で私はその番組を見てはいません。私の桜馬場時代を知っている人に逢うのは大仁田氏に限らず誰であってもイヤです。あの頃の指導ぶりを振り返ると恥ずかしいことばかりですから。

8月17日までのフライトは航空チケットを格安料金で入手することはできないが、18日からは値段が下がる。料金の安い会社から当たっているが、今年は United,North West,Korean Air,Asiana 各社とも18日過ぎのフライトでも高い。A社は福岡⇔ロス19万円。B社は17万2千円。A社に決定すれば16人分のチケットはすぐに確保できる。B社は少し待てば16席確保できるかもしれないが現在の状況では確約できないという。A社は、「どうする?予約するのか?取り消すのか?」とさかんに迫る。B社に期待してA社を断ったものの最終的に全員のチケットを確保できなくなってしまったということが起こるかも知れない。月曜日には返事をしなければならない。どうしよう(汗)。7月1日からの原油値上げを見越しての料金設定で、各社駆け引きをしているのは目に見えているが、こちらは相場が読めないからどうしようもない。コートの上の勝負なら読みも駆け引きも少々の相手には負けないつもりだが…フーッ。

5月15日に手術した歯根膜炎の治療痕の痛みがなかなか取れません。最近は歯茎が腫れて右顎下のリンパ腺まで腫れてきました。それで今日また歯医者に行きました。医師「あ〜、溜まってますねえ」私「膿?」医師「はい。抜きましょうか」私「…」カチャカチャという音。歯茎にチクーッと痛み。麻酔注射だ!。続いてガリガリというとメスの音。ことばには出さないが「大丈夫かなあ」と思う私。あの時の大出血の様子が私のアタマの中を駆けめぐります。そんな私の心の中などチラッとも気遣う様子はなく、まるで刺身でもこしらえるようにメスをふるう医師。「はい済みました。溶けてガサガサになっていた根っこの骨を削った箇所にまた炎症が起きていたようですね。膿は全部出して抗生物質を詰め込んでおきました。傷口を塞ぐとまた膿が溜まるので縫いません。また明日来てください」という説明。私はそんな説明よりも「また麻酔が切れる頃に大出血したらどうしよう」と思って夕方まで落ち着きませんでした。練習が終わって選手を寮に送り届け、研究室にたどりついてから恐る恐るガーゼをはずしてみたら、ガーゼには蚊に刺された程度の血しかついていません。ホッとして記念撮影をしました。見てみますう?画像

昨日17:00少し前に中村学園に負け。17:25にべっぷアリーナを発ち。20:05に寮に帰り着きました。ずっと雨でした。ハンドルを強く握っていたので、帰り着いた時は腕が硬直していました。バスから降りる時Aが「明日の予定は…」と言いかけたので、それには答えず「降りろ!」と言ってバスを発車させました。あとでキャプテンの松本に「あの質問は愚問だ。なぜなら、本来なら明日はべっぷアリーナで09:00から15:00まで試合をしているはず。それを考えれば俺が何も言わなくても明日は午前午後の練習のつもりで学校に来ればよかろう。その質問を途中で遮らなかったお前のレベルも低い。あの質問の本意は”ひょっとしたら明日の練習は休みなのかもしれない”という期待があったのじゃないかと思われても仕方がない。それが的中しているならインターハイは辞退し、アメリカ遠征もとりやめにしたほうがいい」と言いました。まだ気分最悪継続中です。というわけで、今日は午前午後の2部練習でした(報復手段としての練習はしませんよ)。練習の途中、別府に残っている人から携帯でリアルタイムの情報を貰い、早く情報を知りたい人々のために勝ち上がり表をHPにUPしました。

10日(火)からずっと大忙し。6日間連続で大村往復。今日はシーハットでJALクリニックがあるので午後から挨拶に行き、それからとって返して長崎バスケットボール80周年記念パーティに出席しました。医学部バスケットボール発足と協会発足がまったく同じ時期なので、医学部の80周年記念に協会が共催参加という形式をとりましたが、この時の資料で県バスケットボール協会が昭和3年6月17日だったということを初めて知りました。懐かしい人々に会い、懐かしい話しをしていて、デジカメを持っていったことを忘れ、1枚も撮らずに帰ってきました。すみません。新聞コピー

私のバスは今、陸上部に貸してます。北九州大会が長崎市の柿泊競技場で行われているんです。で、昨日は下釜氏のバスを借りて大村まで往復しました。下釜氏のバスは、私が新車のバスを買ったので譲ったもので、以前はそのバスで私も全国あちこち遠征してました。ほんとにこれで毎年東京往復していたのかなあと思うくらい走りません。アクセルを目一杯踏み込まないと100q以上出ないのです。下釜さんご苦労様です。これで中学生を乗せてあちこち行ってるんですよね。今のバスは登坂車線など走ったことがないので、久しぶりに当時のことを思い出し、贅沢になっているかもしれない自分の心を戒めました。
陸上は、笠浦の100b5位、入口のヤリ投げ3位についで今日は400bリレーが2位に入り、インターハイ出場権を得ました。明日が残っているので小さくバンザイ!
昨夜、今夏のアメリカ遠征の行き先が決まりました。ロスアンジェルスです。http://www.sgvbbclub.com 。Lyle Honda氏が是非来てくださいといって引き受けてくれました。期間は8/18-8/25の間のどこかです。多分4泊5日ぐらい?泊まりは多分アナハイムのホリデイインになると思います。たくさんの高校生チームが集まってくれるようです。アメリカでは夏休みは単独チームでは活動できないので、あちこちから選抜された選手のチームになると思いますが試合がたくさんできそうです。でも、せっかくロスアンゼルスに行くんですから試合するだけでなく、ハリウッドにもビバリーヒルズにもディズニーランド(本家)にも、サンタモニカビーチにもUCLAにも連れて行きたいです。遠征に参加したい人はどうぞ申し出てください。個人参加でもいいし高校生ではなく中学生でもいいですよ。

17:40トスアップ。シーハットでJOMOと日立の試合が行われた。授業が終わってすぐ、選手全員をマイクロバスで連れて行って観戦。オープニングセレモニーでは松本有万が日立で今期からマネージャーを務める成井可奈(平成16年3月 長崎女子高校卒)へ花束を贈呈。サプライズ企画だったので成井ビックリ。双方若手だけの合宿だったのでレギュラー陣の試合では見られない初々しさがあって、高校生には印象深い試合だったと思う。審判は福岡氏と森田氏。まずまずだった。追伸:西田の膝のケガ大丈夫だったかなあ。

JOMOと日立が10日〜14日まで、大村シーハットで合宿してくれています。大村協会の野澤氏が引っ張ってきて、大村市と大村協会が引き受けた事業です。たとえ全日本チームに選出された選手以外の若手中心のチームとはいえ、WJBL1部のチームが、経費の大部分を自分で出し、辺地長崎までわざわざ合宿に来てくれたということを、私たちは重く受け止めなければなりません。

Chrisは昨年9月に交通事故に遭い、入院とリハビリの生活が続いていたが再びChris Pizza Americanaをオープンした。8ヶ月ぶりだ。場所はこれまでの馬町(冨貴楼先)から、旭町のタワーシティー1階に移した。しかし、そこは9月までしかやらない。その後何をするかというとシンガポールでピザ屋をやりたいのだという。シンガポールの大きなピザ屋のおやじが歳をとってしんどくなったのでその店を手放すことになった。そこをドバイの大富豪が買い取った。先々ドバイにもオープンしたいらしい。しかし、ピザ職人がいないので捜している。Chrisが「その話、乗った!」というわけだ。どこまでも夢を追いかけるヤツ。

諫早市内のU中学校でハシカに罹った生徒が出た。休校になった。そして昨夜11時、明日(7日)から開催される諫早市中総体にはU中学校は参加しないという断が下された。校長としては苦渋の決断だったと思う。結果的に、その生徒だけ自宅休養にするだけで何事も起きなかったということになるかもしれない。しかしそれは「かもしれない」であって、「まちがいなくそうなる」ことではない。こういうことは最悪の事態を想定して断をくださなければならないのだ。辛い。昭和57年。長崎大水害の時は佐世保市で県中総体が開催された。佐世保市内は無事だったので競技会は成立する。長崎市選手団はすでに佐世保入りしていた。しかし、長崎市選手団は撤退という決定がなされた。長崎市は未曾有の大災害に見舞われて混乱している。家族や親戚を失った選手もいる。家をなくした人もいる。関係者だけ帰せばいいという程度の災害ではなかった。やはりこの時も、全員撤退はやむを得なかったのだ。諫早市のU中学校3年の部活生は県大会全国大会への道が断たれた。やりきれない気持ちだろう。でも嘆いてばかりいては前に進まない。「高校に進んでからこの無念を晴らしてやるゾ!」と思って今日からその1歩を踏み出してほしい。

決勝戦後半にふくらはぎを傷めた松本有万は試合終了後帰省し、昨日の夜帰寮したので今朝まで接触する機会がありませんでした。当初は筋断裂の可能性もあると思っていました。1日自宅で休養した後の今朝、受傷機転と試合後から今日までの様子を聞き、触診しました。その結果、現在は腓腹筋内側部の白線の範囲(画像)に圧痛はあるものの腫脹はなく、その他の状況からも筋断裂の可能性は少ないものと判断しました。しかし、筋を傷めていることに変わりはなく、無理をすると今後切れるか切れやすい状態になると思われますのでしばらく無理させません。以上、山崎診療所 所長 山崎 純男 アハッ…。

今日は県総体最終日。新体操・バドミントン・陸上女子総合・バスケットと、4本の優勝旗を獲得しました。15年ぐらい前、全校生徒が1500人以上いた頃の4本と今の4本とは価値が違います。少子化が加速度的に進む中、私学はどこも生き残りをかけて必死です。昔のようにスポーツ選手を優遇措置で受け入れられる学校は少なくなっています。そんな中で優勝旗を4本も獲得できるというのは、「長崎女子でスポーツをしたい」と思って来てくれる生徒、送ってくれる指導者、後押ししてくれる保護者がまだいるからにほかなりません。私たちは「4本も取ったぞ」とふんぞり返る前に、この人たちに心を込めて「ありがとう」と言わなければならないと思います。

昨夜、寮生7人を連れて現川(うつつがわ)までホタルを見に行ってきました。フラッシュを使えばホタルが写りませんし。フラッシュを使わなければどこに写っているのかわかりません。

4月27日(日)はOFFDAY。Jママは日曜出勤。パパは県内のソフトボール大会(4打数2安打2HR優勝)。で、私は綾音(8才)・理子(5才)・結子(2才)をあずかって1日中面倒をみました。短大に連れて行って遊びました。中庭の池でオタマジャクシを捕まえました。綾音が池に落ちてずぶ濡れになりました。研究室に連れて行き、とりあえず私のブリーフをはかせ、Tシャツ(綾音にはワンピースになります)を着せて家に帰りました。途中で3人分の鉢を買いました。オタマジャクシは大中小をそれぞれ綾音用・理子用・結子用にして鉢の中で育てました。一番大きい綾音用に足が生え始めました。でもしっぽが切れる前に死にました。その時、這い上がることができる石を鉢の中に入れておかなかったからだと気付きました。鉢の中に石を置いた理子用と結子用は元気に育ち、しっぽが切れて両足が生えました。そして、水中にいるよりも石によじ登っている事が多くなりました。でも結子用は26日の夜に死にました。今、理子用だけが元気に生きてます。このカエルは、6月になったら雨の日に池から這い上がって短大の校内を横切り、大群で新館横の林の中に移動します。理子ガエルも6月になったら短大に戻して大移動の仲間に入れてやろうと思います。備考:エサは金魚用を与えています

今日はOFFDAY。朝10:00から11:00頃まで外出しましたが、あとズーッと寝てました。昨日のグラウンドランの時、私は草刈り機で砂場周辺の草を刈ってから走り始めたので選手たちよりスタートが遅れ、それを追いつこうとしてちょっとがんばったんです。今日は筋肉痛で身体が動きません。アタタタ。Zzzzz.........。

歯医者に行ってきました。抜糸は県総体後になりました。ここ数日、「どこの歯医者よそれ!」と数人から言われました。「医者の手落ちじゃないの?」と言いたいのでしょう。違います。手落ちも失敗もありません。この写真を見てください。@は私の右手の橈骨動脈です。フツーこれは橈骨に沿ってきて、手首の関節のところで掌側と甲側に分かれています。私の右手はその分かれ方が変で、甲側に分かれる枝が手首の関節部ではなく、手前の骨を乗り上げて甲に抜けています。左手(A)は正常です。このように、外から見てわかる場合はいいのですが、MRIやCTやX線で充分調べたけど開けてみたら違っていたというのはよくあることです。

筑波大学を卒業後ドイツでスポーツ医学を学んでいるHさんは今ドイツでの国家試験を受ける準備で大変です。彼女は自作暗記カードで勉強してます。彼女は国家試験が終わったらこれをクズかごにポイすると言ってます。だめですよそんなことしちゃ。私は同僚から整理魔といわれるぐらいモノを棄てる人間ですが、勉強の記録だけは大切にとってます。Hさんのブログを見ていてふと思い出した私は古いノートを取り出してみました。大学を卒業して2年目(25歳)の部活動指導ノートです(5頁分だけ掲載)。これらの記録があったから私は本を書くことができたんです。Hさん、自分の足跡だけはポイしちゃダメですよ!

今日は火曜日。火曜日はグラウンドランの日。でも、アルバム記念撮影やら生徒集会やらで選手が揃うのがバラバラだったので今日のグラウンドランはとりやめ。生徒集会の間に私だけは5000bを1q5分20秒のゆっくりペースで流してみました。金曜日ほどではなかったのですがやっぱり歯茎に心臓が移動してきました。走った後シャワーを浴びている時に頬からアゴにかけて紫色に変色した部分があることに気付きました。選手に殴られた記憶はありませんから、原因は歯茎の堤防決壊に違いありません。それにしても、頬は歯茎の外側にかぶっている組織なのになぜここに内出血が…?「ひょっとしたら」と思って頬の内側をめくってみましたが、内側には内出血の形跡はありません。なぜ外側に?ワカラン。

15日の66歳の誕生日には数件のメッセージ貰いました。二つ紹介します。「オメデトウでよかったかしら?」がひとつ。もうひとつは郵送でこんなのがきました。バラで来たのでこちらで完成させなければなりません。コラー!これは俺の認知症の進行具合のテストかあ?
追伸:歯根膜治療後の大出血は画像なしとしましたが、気が変わって画像を載せます。ホンモノはグロテスクすぎるのでサンプル画像を加工して載せます。

金曜日はグラウンドランの日。走るつもりでジョックを始めましたが途中でやめました。走り始めると、心臓が右上の歯茎に移動してきたみたいにドッドッドッドッと心臓の鼓動に合わせて痛みが走るんです。いつもならそれくらいでは走ってしまうんですが、昨日の大出血のあとだし、今日は自重してやめました。

午後3時、歯茎を切開して慢性的な歯根膜炎を治療しました。歯茎は3針縫いました。午後6時、練習中に口の中が生臭いので水道で口をすすいだら真っ赤な血。カガミで見たら傷口から血が吹き出しています。ガーゼで歯茎を押さえ、その上からタオルで抑えましたがタオルは見る見る血でそまり、手首を伝って血が床にしたたります。「これは自力では止血できない。何か外科的な処置をしなければ…」と思ってすぐ歯医者に「血が止まらん!。今からすぐ行く!」と一方的に電話をかけ、バイクに飛び乗っていきました。途中、口はタオルで押さえているから右手だけの片手運転。右折も左折も一度もウィンカーを使わずに歯医者まで辿りつきました。口から血を吹き出しながらバイクを運転している間「今日が俺の命日になるかもしれんなあ」と思いましたよ。本気で。でも誕生日が命日というのもカッコいいかもしれませんね。今深夜11:30です。吹き出してはいませんがまだじわじわ血がしみ出てきています。今テレビではミャンマーのサイクロン被害と中国四川省の大地震の様子がひっきりなしに放映されていますが、私の歯茎出血もまさに「堤防決壊」という感じでした。今回は画像なしです。

9月9日〜12日まで、今年は早稲田大学で体育学会があります。その論文発表の予稿締め切りが昨夜12:00でした。予稿を作成して見直しをしている時、今年3月に発行された本学の紀要に載せた私の研究にとんでもない間違いがあるのを発見しました。それはp19の表19です。これは女児の表であるはずなのですが、手違いで右上の男児の表と同じものになっていました。次にすこ〜しとんでもない間違いがひとつありました。それはp22の表23。長/区%の平均値が8.50と8.60になっていますが、これは8.70と8.10が正しい値です。たぶんこれは、データ処理中に範囲指定を一つ間違ったかなにかだと思います。そして極めつけのと〜〜んでもない間違いがもうひとつありました。p22の19-21行です。これは、踵幅÷足幅の比率が小さい方が足幅が広いと私が思いこんでしまったための間違いです。ですから、その後25-27行に登場する「足幅の狭い足の方が足幅の広い足よりも機能的かどうかということには理解しがたい部分がある」という私の疑問は当然で、昨夜それを修正しながら、「バッカだなあオレ。そこでどうしてデータの解釈間違いじゃないのかっていう疑問を持たなかったんだよ」と、相当ひどい自己嫌悪に陥りました。今日は落ち込んで地底に潜りたい気分ですが、それは今日もグラウンドランをやめる理由にはなりません。はあああ〜。

足型測定の二日目。今日は西北小学校8名の児童でした。12:40に出て14:50に帰ってきました。研究室で画像処理をしていると睡魔に襲われ、ウトウト。ハッと目が覚めては作業を続け、なんとか48枚の画像を処理し終えたのが15:40。それから高校におりて練習。今日は金曜日だからグラウンドランがある日。「この身体では完走できない。どうしよう」と、重い気持ちを引きずって研究室を出る。階段を降りてピアノ室の横まで来ると外は雨。思わず心の中で「ヤッタ!」と叫びました。5000bの私の欄に、出張でも会議でもないのに「---」と書かれているのは許せないのです。でも今日は「俺は疲れているから走らない」ではなく「雨だからみんな走れなかった」というちゃんとした理由がある。バンザーイ。神様に感謝!

さあ、足型測定が始まりました。今日は茂木保育園と矢上小学校の2箇所。学生が一巡するまでは何かと手間取ります。この作業は中腰または膝立ちの姿勢で忙しく動き回りますから、私はいつも汗ビッショリになります。倉敷遠征出発日のグラウンドランに加えて合宿最終日の講習、そして今日の足型測定と、自分の身体を目一杯動かす作業が相次いだので、久しぶりの身体的疲労に見舞われています。それも半端じゃない身体疲労です。筋肉痛と全身倦怠感で一瞬でも気が緩めば居眠りしてしまいます。ハ〜〜〜〜〜〜ッ。

18:00。倉敷から帰ってきました。20分のスクリメージを13本やりました。7チームと戦って来ました。8本勝って5本負けました。負けのうち3本は仕方がない負けです。「仕方がない」の基準は3本とも違いますが、詳しい内容は言えません。残りの二つの負けは許せません!このところ安心ムードが漂っていたクレインズに神様がカミナリを落としてくれたんだと思います。さてカミナリの効き目は今後どう反映されるのでしょうか…
毎年最終日は私のクリニックに充てられているんですが、今回は「抜く」という動作についてやりました。これは近年、足もとが非常に雑になっている日本のバスケットへの警鐘の意味もあります。

16:00に長崎を発ち、21:58に倉敷に着きました。明日から6日まで倉敷翠松高校で強化合宿です。

今日はバリバリの筋肉痛です。アタタタ。それにしてもこの2日間。なんですかこの日中の暑さは。私は単に季節はずれの暑さというだけではなく、地球の崩壊が加速度的に進んでいるような気がするんですが…。

今日は、三菱重工体育館で長崎新聞社杯争奪中学生(長崎市)大会の準決勝と決勝が行われた。女子準決勝は10:00試合開始。練習の合間にバイクでひとっ走りして後半だけ観に行った。決勝は12:40から。今度は練習が終わって寮生を送り届けてから走っていった。23分かかった。往路を走ったからには復路も走らなければならない。が、復路は料亭花月の前から校門までの坂道は歩いた。久しぶりのロードは路面の堅さがこたえた。老体にはロードはよくない。膝が痛いっ!
試合を勝負だけにこだわって観れば、あちこちで「そこはそうじゃない!」というプレイが起こる。若さ故だ。しかし、そんなことはどうでもいい。選手もコーチも2階席の保護者もみんな熱い。そこがいい。そして、たった32分の間に、コート上の選手が人間的に成長していくのがわかる。拍手拍手だ。
今日、日本協会の人事案が決まった。19-20年度の役員なのに、19年度のまる1年間すったもんだで空転したので新役員の任期は20年度の1年しかない。が…、今度こそ、このように地方でがんばっている人たちの熱い思いを萎えさせないよう、誠心誠意勤めて欲しいと思う。

平成12年4月11日に、長崎女子高校は真心運動を始めました。趣旨は、明け方の繁華街はゴミが散乱していて汚すぎるので、本校生徒に通学途中ゴミを拾って登校させ、深夜に繁華街でゴミを散乱させる人々への啓蒙と、生徒に奉仕の精神を根付かせることが狙いです。拾ってきたゴミは校門に設置してある真心運動専用のゴミかごに分別して棄てるようにしています。今朝親切な市民の方から「タバコを吸いながら登校している生徒がいますよ」と通報がありました。通報された生徒はバスケット部の1年生でした。彼女は誰かが道端に投げ捨てたタバコの吸い殻を拾って登校し、真心運動を実行していたのです。バスケット部員は一人残らず毎朝この真心運動をやっています。少し時間が経てば繁華街の人たちにも顔を覚えられるのでしょうが、まだ入学したばかりの1年生なので、「不良少女」と「真心運動」が判別できず、通報されたのでしょう。よく注意して見れば、制服の着こなしとか歩きぶりとかで、不良高校生ではないことがわかると思いますが、「近頃の若者は…」とか「近頃の高校生は…」という先入観の方がそれを上回る力で社会全体を覆っているのだと思います。今朝さっそく「世間の目」について部員を集めて話をしました。
追伸:22:40
上記の内容を書いたあともずっと気になっていたので補足します。上記の内容は、通報された選手の弁護の意味もありますが、世間の目が若者全体に批判的であっても、「あ、この子は違うよね」と思って貰える立ち居振る舞いをしなければならないという自戒を込めて選手に言ったことです。決して通報をしてくれた親切な方に批判的な意味を込めて書いたものではありません。誤解を招くような書き方で申し訳ありませんでした。

事件発生!春季戦からの帰り、マイクロバスの中でカランコロンという音がしました。そして前のクルマが止まったのでブレーキをかけたとたん、今度はゴトッボコッという大きな音がしました。振り返って見ると山口がバスのステップに仰向けになってはまりこんでいるんです。最初のラカンコロンという音は助手席の横に置いてあったウェットティッシュの箱がカーブで落ちた音。次のゴトッボコッという大きな音はそれを拾って自席に戻ろうとした山口がブレーキで足もとをすくわれて落ちた音です(代役)。たぶん山口の肩幅と骨盤の幅からして、もう一回はまってみろと言っても実現不可能な出来事だと思います。まさにアンビリーバボー。手首骨折がまだ完全に治っていないので「手首大丈夫だったか?」と聞きました。「大丈夫です」という答えが返ってきましたが、返事を聞きながら笑いをこらえるのに必死でした。ゴメン

見て!見て!イェイ!フロリダ州のタンパで、4月6-8日に行われたNCAA女子ファイナル4のTシャツです。ファイナル4に勝ち進んだ、テネシー大学・スタンフォード大学・コネチカット大学・ルイジアナ州立大学の4校がプリントされたTシャツですから、4校が決定してから作られた限定販売のTシャツです。昨年度まで倉敷翠松高校のALTだったJonathan Murphyが今オハイオ大学でコーチ学の勉強をしていますが、彼が現地(フロリダ)から送ってくれたんです。今到着したばかりです。ありがとジョナサン。

鶴鳴杯最終日。順位決定トーナメント。朝、ボランティアの審判割り当て。ご苦労様。今日私は3試合審判。ステージ゙に陳列されたトロフィー群(今年のやつは高かったので、来年はもう少し安いのにしようと思います)。
賞状。昨日脅かしておいたので処刑者は出ませんでした。フーッ。

鶴鳴杯初日。予選リーグ終了。みんなボランティア。ベンチ態度の悪いコーチは明日処刑します。

山口のギプスがとれました。でもまだ骨癒合は80%です。復帰を急いではなりません。松木の捻挫は、当初の腫れと内出血からすれば回復が早く、長期化はしないみたいです。ホッ。川口の肘はずいぶん回復してきましたが、感染防止のため汗をかくような動作はまだダメです。見た目以上に傷が深く関節包も傷めているかもしれないので、これも復帰を急いではなりません。主力の3人が抜けている練習ですが活気があります。新2年新3年ともに新入生に積極的に声かけをしながらやってます。3ヶ月前には想像できなかった雰囲気です。ジェット気流をとらえた鶴の渡りみたいです。

今日家内が歯医者に行って保険証を出したら「これ3月31日で期限切れですから使えません」と言われました。家内からその報告を受けた私は研究室のくずかごをひっくり返しました。思い当たることがあったからです。4月3日に遠征から帰ってくると書類のヤマ。それを処理しながら「あ、4月になったからこれはもう要らないや」と思って保険証を破いてくずかごに棄てたんです。それがこれ!。新しい方をズタズタに破いて棄てていたんです。明日市役所に行って再発行願い出さなきゃ。ハーッ。

今日は高校の入学式。新入生が全部揃っての初練習です。そして今日はグラウンドトレーニングの日。もちろんタイムトライアルはさせません。上級生をペースメーカーにしてのペース走で、しかも今日は新入生のために特別に1000bを5分20秒の超ゆっくりペースで走らせました。それでも脱落者が3人出ました。グラウンド走のあとは体育館に戻って新入生のための上級生によるクリニックです。途中、私が2回ほど介入して話をしました。2回とも「人間としての値段」について話しましたが、キリッとして私の話を聞き取ろうとする者、ボンヤリしている者と、初日からすでに差があります。これがどう変わっていくのか、というより上級生が変えさせられるのか、楽しみながら観察していこうと思います。

3月30日の合宿最終日、成井と山崎の両マネージャーのためだけに作られた可愛いジャケットを、成井が「これ先生にあげます」と言って私にプレゼントしてくれました。それを着て山崎マネージャーとツーショットの記念撮影。アハッ。翌3月31日に千葉から徳島に移動。本日午前中まで城北高校で合宿。19:20に帰り着きました。長い旅でした。松木の捻挫川口の肘は一応千葉で日曜当番医に診てもらいましたが、徳島で岩瀬ドクターに再度診てもらいました。川口の肘は思ったより重症でした。歯というのはヒトの歯にしろ動物の歯にしろ細菌の巣窟みたいなものですから川口の肘は細菌感染を起こして化膿してしまったのです。おまけに徳島合宿初日の最後に川畑が左膝のサラの下にある靱帯を傷めてしまい、2日と3日は生き残っている選手が6人だけ。しかもそのうちの一人は山口の替わりに出発直前に急遽追加された新入生の峰ですから実質5人だけで2日間を凌がなければならなくなりました。それでもコート上で展開されるプレイはやっぱりクレインズバスケットなんです。「門前の小僧習わぬ経を読む」ということわざを実感した遠征でした。