2006年度版 2006年4月〜2007年3月 |
07年03月30日(金) 07年03月27日(火) 07年03月26日(月) 07年03月25日(日) 07年03月20日(火) 07年03月17日(土) 07年03月16日(金) 07年03月15日(木) 07年03月14日(水) 07年03月12日(月) 07年03月05日(月) 07年03月02日(火) 07年02月27日(月) 07年02月21日(水) 07年02月20日(火) 07年02月18日(日) 07年02月11日(日) 07年02月07日(水) 07年02月06日(火) 07年02月01日(木) 07年01月28日(日) 07年01月23日(火) 07年01月19日(金) 07年01月16日(火) 07年01月14日(日) 07年01月07日(日) 07年01月06日(土) 07年01月01日(月) 06年12月31日(日) 06年12月30日(土) 06年12月29日(金) 06年12月20日(水) 06年12月18日(月) 06年12月16日(土) 06年12月12日(火) 06年12月09日(土) 06年12月03日(日) 06年12月02日(土) 06年12月01日(金) 06年11月28日(火) 06年11月26日(日) 06年11月21日(火) 06年11月12日(日) 06年11月10日(金) 06年11月09日(木) 06年11月05日(日) 06年11月01日(水) 06年10月29日(日) 06年10月27日(金) 06年10月19日(木) 06年10月17日(火) 06年10月14日(土) 06年10月09日(祭) 06年10月06日(金) 06年09月30日(土) 06年09月29日(金) 06年09月25日(月) 06年09月20日(水) 06年09月18日(祭) 06年09月15日(金) 06年09月14日(木) 06年09月09日(土) 06年09月05日(火) 06年09月02日(土) 06年08月29日(火) 06年08月28日(月) 06年08月27日(日) 06年08月26日(土) 06年08月21日(月) 06年08月19日(土) 06年08月17日(木) 06年08月15日(火) 06年08月11日(金) 06年08月09日(水) 06年08月07日(月) 06年08月05日(土) 06年08月02日(水) 06年08月01日(火) 06年07月30日(日) 06年07月28日(金) 06年07月27日(木) 06年07月23日(日) 06年07月19日(水) 06年07月11日(火) 06年07月03日(月) 06年06月28日(水) 06年06月13日(火) 06年06月12日(月) 06年06月08日(木) 06年06月06日(火) 06年06月01日(木) 06年05月31日(水) 06年05月30日(火) 06年05月25日(木) 06年05月24日(水) 06年05月21日(日) 06年05月20日(土) 06年05月19日(金) 06年05月17日(水) 06年05月14日(日) 06年05月13日(土) 06年05月09日(火) 06年05月02日(火) 06年04月29日(土) 06年04月28日(金) 06年04月24日(月) 06年04月21日(金) 06年04月20日(木) 06年04月19日(水) 06年04月12日(水) 06年04月11日(火) 06年04月10日(月) 06年04月09日(日) 06年04月05日(水) 06年04月04日(火) 06年04月03日(月) |
24日。影井がまたアキレス腱に不調を訴えてoff the court. 浜本の膝は前十字靱帯は完璧に繋がっているものの、負荷のかかった動きをすれば水が溜まるので春季選手権にはエントリーせず
写真。というわけで、明後日から2007年度になりますが、2006年問題は引きずったままになりました。……。 これで2006年度版”日々の出来事”はおしまい!次回からは2007年度版をご覧ください。 夕方関東遠征中の城北高校の富田先生に電話をかけた。「合宿をしらけさせないように頑張ってよ」と言ったら「一番しらけさせているのは先生ですよ」と切り替えされた。夜、福井の林晃司先生から電話があった。「あ、今研究室にいるってことはやっぱり遠征には行かなかったんですね」と言われた。ウーン…あちこちに迷惑と心配をかけてるなあ。 今日は長崎女子高校の音楽部が茂木保育園へでかけて演奏や歌や遊びでまる1日園児と過ごしました。私は運転手で行きと帰りの送迎。写真1 こどもの顔はいつ見ても癒されますよ。 午前中ジュニアオールスターのチームが胸を借り(貸し?)に来ました。明後日出発だそうです。頑張ってください。 夕方はガイ(Guy Healy=アメリカ遠征のプログラムでいつもお世話になっている私のベストフレンド)の孫のセナ君の1歳の誕生日の餅踏みに招待されました。E。ぞうりは気持ちが悪くてどうしても履いてくれませんでしたが、餅の上にはママ(マイコ)の足にすがってなんとか立ってくれました。そしておとなのわがままにつきあわされていろんなポーズをさせられて写真を撮られたセナは疲れ果てて眠くなり、寝てしまいました。大人って勝手だよな。 今日は高校の1年学年会の送別会。廣島先生と末竹先生が退職されます写真1。 団子とイチゴを串刺しにしてナーニが面白いんだよ写真2。学年主任の内田先生のあいさつ。あれっ! うしろ向いて挨拶?写真3 今日は新入生のテスト日。午後から全員でハウステンボスに出かけました。新入生歓迎会です。写真1では20名しか写っていませんが、総勢で27名になります。一緒にいつものチビッコ軍団も連れていきました。 コトちゃんはバスの中で2回吐いたのでママに連絡して途中で帰宅させましたが、帰宅後病院で診察してもらったらインフルエンザA型だったそうです。かわいそうに。 月刊「潮」(うしお)4月号 124頁〜129頁 「人を育てる”言葉”」 小川 勝 氏(スポーツジャーナリスト)執筆。http://www.usio.co.jp/html/usio/index.php. 内容は小川氏の教育に関する思いを綴ったもので、山崎語録をもとに書いておられます。キャハッ。 10:30〜12:00。短大の卒業式でした。昨年も言いましたが高校と違って制服ではなく着物だからあでやかです(写真1)。高校から3名の先生が招待され(中田・岸本・古賀)、式の前に私の研究室で勝手に紅茶を飲み、卒業生を見送って帰って行きました。今年の卒業式は辛かったです。よい学生に恵まれて今年の研究作業は気持ちよく進めてこられたのに、卒業研究発表の直前になって学生をどなりつけ、それ以来不機嫌なまま今日を迎えてしまいました。本研究に取り組んで3年目。最高の学生に恵まれたのに「卒業おめでとう」の声をかけてやれなかったのが心残りです。歳をとった人間は、怒りや不満を飲み込めるようにならなければダメですね。 今日の午後は寮の大掃除なので部活はどの部も午前中で終わり。明日、バスケット部はOFFなので、今日の午後の便で船橋まで飛ぼうかなと思って手配をしかけましたが、明日午前中は短大の卒業式だった(だからバスケット部はOFFにしたのに)ことをふと思い出し、中止しました。そんな不埒なことを思いながら練習に臨んだから神様が天罰を下したんだと思います。松木が左鎖骨を骨折しました。オフェンスリバウンドに遅れたのに無理矢理相手が取ったボールを奪いに行き、バランスを崩した体勢で相手と衝突したのです。「あ!バカ」そのあとに「やめろ!」ということばを入れるつもりでしたが間に合いませんでした。2ヶ月はダメですね 昨日、WJBLファイナルの第3戦を見に船橋まで行ってきました。第4戦は明日行われます。いい試合をしてください。これまで私が記憶している最高の試合は、昭和50年の全日本総合選手権でのユニチカ(1部1位)対共石(2部1位)戦です。個人的に私の脳裏に焼き付いている選手は、シャンソンの村上睦子(現役時代全ての試合)と共石の中野里美(ジョーンズカップ)です。そんな試合や選手が毎年見られるようになれば、バスケットボ-ルの人気も上がると思います。人気の素は、イケメンだから…? 美人だから…? 違いますよね。鍛え抜いてきた人間や常に精一杯生きようとしている人間からしか出ないオーラですよね。 朝、ファーッと大きなアクビをしたら左耳の横でガクッと音がして痛みが走りました写真2。顎関節症です。先週の月曜日、島根の森山先生が来られた時に私は首つりをしていたじゃないですか。原因はアレですよ。今年はこういうふうに全てのことが災いとなって私に襲いかかります。うまくいかない時ってこんなもんですよね。でもそれもあと24日の辛抱です。24日で年度が変わります。年度が替われば意地悪の神様もしばらく休養に入るでしょう。その隙を付いて一気に挽回します。内緒ですよ。 昨日は卒業式。どの部活動もお別れ会や記念撮影などいろいろやりますが、バスケットはいつもの通り私が3年生に記念品をひとりずつ渡してサッと終わりました。一般の生徒も色紙や卒業アルバムにサインしてくれだの一緒に写真を撮ってくれだのと押しかけて来ますが一度も応じたことはありません。私は別れの儀式だとか昔を懐かしむ会合(例:山崎先生を囲む会)などがどうも苦手でしてね。イヤなんです。 というわけで、今日からいよいよ新チームだけの練習です。「新チームの元旦が今日だぞ」と言って練習を始めました。今日から学年末テストなので練習は1時間弱しかしません。今日は金曜日なのでグラウンドだけ。さあ、やるぞ!ハマモトオオオオオ〜。まだかあああああ。 今日は、島根県協会理事長の森山先生と鹿児島県協会理事長の鮫島先生が慰問に来てくれました。負けて落ち込んでいるんじゃないかと思って慰めに来たんだそうです。森山先生が来られた時、私は丁度6000b走り終わってパソコンで仕事しながら頸椎牽引をしている最中でした。写真。加齢による変形性頸椎症で時々両腕にしびれが走るのですが、その度に楢林整形外科に行くのは面倒なので、院長に頼んで牽引器具を取り寄せて貰い、こうして仕事をしながら牽引をするんです。森山先生に見られてしまったのでみんなに公開することにしました。 昨日、浜本の膝が腫れないように神様に頼みました。今日の朝練ではドキドキしながら浜本を観察していました。「昨日練習に参加したことで何かマズい兆候が見られないか」と思いながらシュートフォームとドリブル直進の動作をカメラに収めました写真.。今日の午後の練習には昨日同様3対2の練習に参加しましたが、今のところ大丈夫みたいです。ホッ。 17日の九州理事総会では、「先生、もうチーム見てないんだって?」と、ある県の理事長から言われるし、今日は「来年鶴鳴に行きたいと思っているA地区のB中学校のC選手が、今年は遠征も何もしないってHPに書いてあったので心配だ」って言ってたらしいですよ。と、教えてくれた人がいました。本当に強くしたいから今年の春は練習オンリイに切り替えたんだし、まだまだやるつもりだから一昨年新車のマイクロバスを買ったんですけどね。噂や憶測はこうして一人歩きします。ま、結果を出せば全てが解決しますけど…。ところで、毎週火金はグラウンドトレーニング(5000bタイムトライアル+100bダッシュ10本)をやってから体育館での練習をしますが、今日浜本が「100bダッシュやります」と申し出てきました。5000bは毎日走っているんですが100bは手術以来走ったことがありません。写真(前から影井・浜本・磯野=寝るなよコラ!3人ともがっちりテーピング=赤矢印)。もしまた膝が腫れたりしなければ春休みはしっかりチーム練習ができます。神様よろしくお願いします。 16日夕、修学旅行に行っていた2年生が帰ってきました。マイクロバスで空港まで寮生を迎えに行きました。 17日午前、久しぶりに全員揃って練習ができました。長崎大学が練習試合に来ました。 17日夕方、九州理事総会で熊本へ出張。その日は熊本泊まり。懇親会で焼酎を飲みました。ウーッ。 18日午後、2年生が修学旅行から戻って2日目の練習。まだまだ危機感が足りません。っていうか…ない? 平成18年度の「ベンツに負けない純国産の軽四輪作り」は失敗に終わりました。部分改良では間に合わず、解体作業と組み立て直しに追われた1年でした。ですから正月合宿は中止する予定でした。しかし、常連の方々の絶っての頼みを断りきれずに実施しました。この合宿では当方の成果もそこそこでした。しかし、「このままではダメ」という状況は変わりません。したがって、ここ当分はチームの解体作業と組み立て直しに時間がかかり、とても他のことには手が回りません。そういう状況なので、毎年行っている事業を下記のとおり変更したいと思います。事情拝察の上ご了承ください。 @3月下旬の関東遠征は今年度だけ中止 A4月上旬の四国遠征は今年度だけ中止 B4月上旬の鶴鳴杯中学生招待試合は今年度だけ中止 C5月上旬の遠征は実施か中止か不明(浜本の復帰状況次第) D年2回の医科学測定は当分の間中止 E今年は3年に1回のアメリカ遠征実施年だが今回は中止。 練習の出来が悪く、説明が多くなったので終わりが10分ほど延びました。だから帰り支度がバタバタになりました。シャワーを浴びた後、急いで着替えをしようとして振り向いた途端、シャワー室内に置いてある乾燥機の角でイヤッというほどオデコを打ちました。ゴキッという鈍い音がしました。目から火花が出ました。タンコブが出来ました。写真。「ヤツ当たりされるに違いない」と思った選手たちは、私から一定の距離を置いて近づきません。キャプテンの浜本は寮に着いた後はアッという間に私の視界から去りました。今日の選手たちはアフリカのサバンナでライオンから攻撃されない距離をキチンと保って草を食べているシマウマ状態でした 階段から落ちた時の肘のケガを先日写真でお知らせしました。実はあの時腰もしたたかに打ったんですよ。さすがに写真で公開することはできませんでしたが…。ヒップの横に出っ張ってる部分(解剖用語で大転子と言います)を打ちましてね、まだ痛みが残っています。「でも大丈夫だろ」と思って今日は選手と一緒に走りました。走り出すと思ったより痛いんですよこれが。しかし、風邪でこのところ少し走る距離を控えていたので「今日は8000b走るぞ」と自分に言い聞かせて走り出した手前引っ込みがつかなくなり、痛かったけど完走しました。ゴール直後久しぶりに大の字になってノビてしまいました。フーッ。 朝6:30。2階の寝室から1階のリビングに降りる階段の途中から下までドテーッと墜落しました。写真1ハ〜ア午後は卒研の準備 写真2 写真3 写真4 学生たちもいよいよ追い込まれてきました。 1月15日から私の体内に潜伏していた風邪のウィルスが昨日の朝遂に登場!でも、昨日は jabba coach clinic の講師だったし、今日は橘中が習いに来る日になっていたので休むわけにはいきません。症状から判断してインフルエンザではありませんが、久しぶりの重症風邪です。くるしい〜〜〜〜。 風邪で休んでいた選手達が復帰してきました。でも、まだハードな練習はできません。ウーン…。夜は短大の若竹寮の学生の新年会でした。若者ってイベントの天才ですね。 私のインフルエンザの検査は(-)でした。でも、今週になって学校でインフルエンザ患者が増えてきてバスケット部にも波及してきました。現在1・2年生併せて17人の部員がいます(選手15+マネ2)が今朝の朝練は7人だけ。寂しいもんでした。欠席の内訳はリハビリ3名、フツーの風邪2名、インフル2名、不明3名。本来なら明日と明後日に行われる九州春季大会の二次予選(エイト大会)に出場しているはずですが、今年は県新人戦の1回戦で負けたので出場できません。しかし、もし出場権を得ていたとしてもこんな状態では勝つのは難しいと思います。今日は5000b走る日なのですが、人数が少ないのでタイムトライアルではなく8000bのペース走に切り替えました(materialsの5000b参照)。私は膝のサラが痛くて今日もバイクでした。負荷は150ワットで毎分60回転で30分漕ぎます。これ以上の負荷だと膝が痛くなります。最後の5分は脈拍が126/minから132/minぐらいまで上がりますが、これでは充分の運動量とは言えません。 今日は朝から小森内科に行ってインフルエンザの検査をしてもらいました。昨日の朝から胸が苦しく吐き気がして一日中調子が悪かったからです。普通、風邪を引くときはまず鼻がむずかゆくなってきて、次にのどが痛くなって、それから気管が炎症してくるという手順になりますが、今回はいきなり気管にきたのでにインフルエンザを疑ったんです。なぜ検査を急いだかというとタミフルは48時間以内に飲まないと効かないからです。検査の結果はシロでした。でも、明日も調子が悪かったらまた検査しようと思います。 火曜日と金曜日の練習はまずグラウンドトレーニングから始まります。毎回その結果はContents−Materials−5000b-06に載せています。今日の私は1000b走ったところでリタイアし、トレーニング室に行ってバイクを漕ぎました。金曜日、走り終わった直後に右膝のお皿にピキッと痛みを感じたのですが、3日間経ったのにまだダメだったのです。しばらくランニングは無理ですねこれは。ハーッ。 追伸;最近自分の写真をさかんに載せます。理由は、私のデジカメはタイマーがセットできて、自分で自分を撮れるんだと最近気付いたからです。 今日は練習OFF。朝から綾音ちゃん(小1)と理子ちゃん(4歳になったばかり)の二人を連れてスケート場に行きました。二人とも生まれて初めての体験です。怖がって手すりから離れられないかなあと思っていたら、こどもってすごいですね。5分もしないうちに手すりから離れて滑るんです。スッテンコロリン。何度転んでもすぐ起きあがってまた滑る。昨日は、家の近くの川原で遊んでいると、綾音ちゃんが「ママあ!理子がね、落ちたけど生き返ったよ」とママのところに駆け寄ってきたそうです。「どこで!」と聞きながらママが綾音ちゃんのあとをついていくと、八郎川の土手の石垣から2bぐらい下の川原に理子ちゃんが飛び降り、先の方の土手から「アーびっくりした」と笑いながら走ってきていることころでした。通りかかった人たちも「大丈夫ですかあ?」と心配して声をかけてきました。誰が見てもこどもが足を踏み外して川原に落ちたとしか見えない構図だったんです。でも本人としては、「跳んでみようかなあ」と思ってエイッと跳んだんですよ。こどものチャレンジ精神ってすごい!午後は吉田美郁ちゃん(7歳)吉田莉子ちゃん(5歳)姉妹のブレイクダンス発表会を見せに公会堂に連れて行き、夕方は公園で自転車(理子)と1輪車(綾音)の練習につきあいました。夕方はミシンでスラックスの補正。ドーハのおみやげをもらったんですが、衣類は困ります。私は足が短いので上はLでも下はMなんです。それでいつも補正しなければなりません。フウ〜。写真2 写真3 今日、創成は市内観光。鶴鳴はダンスレッスン。明日午前中はラインドリルの復習をして創成は午後長崎を発ちます。フーッ。長かった。この合宿で影井が6日に足首を少し傷めましたが、一旦は戦力外通告した川口と川畑のふたりが揃ってスタメンにのし上がってくるという大収穫がありました。バンザーイ。 schedule 2日から始まった正月合宿。8日朝までの予定でしたが今日でやめます。札幌創成と鶴鳴しか残っていないので今日は佐世保清峰を呼んで3チームで回すことにしましたが、鶴鳴と札幌創成はもうガタガタです。明日は終日札幌創成を観光に連れて行きます。写真=先生方の昼食風景。肉のタニガワのメンチカツ1個100円 絶品です。今晩の選手のおかずにも添えます。 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 短大に住みついているネコがいます。学生たちはヤマトと呼んでいます。クロネコだからかなあ? いつもは用務員の浜田さんが食事を与えています。でも正月やお盆の時は誰もいないので、私がこうしてヤマトの食事の世話をするためだけに学校に行きました写真1。その後グランドを走りました写真2。スラムダンクを読むのはやめました。やっぱり絵とストーリーが面白くないです。 朝からバスを洗いました。それから少しマンガ本を読みました。マンガはあだち充氏の作品をすべて制覇し、原秀則氏の作品ををすべて制覇し、最近は井上雄彦氏の作品を読んでいます。井上氏はスラムダンクでブレイクしましたが私はスラムダンクは読みませんでした。絵が稚拙だったからです。彼が書いたバガボンドとリアルを読んでから、ちょっと読んでみようかなと思って今スラムダンクを読んでいます。私は背景を雑に描くマンガ家は嫌いなんです。背景の緻密さにおいてはあだち充氏と原秀則氏が双璧です。午後2時頃からしばらく勉強して、午後6時からはK1を見て、2006年が終わります。と、書いている最中に研究室がグラグラッときました(12:15’40”)。ウワッ地震だ! 10:30-13:00。硫黄島からの手紙を観に行きました。映画を観に行くなんて…何年ぶり?たぶんケビンコスナーのダンスウィズウルブズを観に行って以来だと思います。私も現役指揮官を44年間続けています。ですから、ある時期明治維新に関わった人物や太平洋戦争の指揮官について克明に調べたことがあります。もちろん硫黄島の激戦のことも栗林忠道中将のこともよく知っています。それをクリントイーストウッド監督がどう描きいたかったのか観たかったんです。いつの世も、戦争というのは大国のエゴ・民族のエゴ・宗教のエゴ・個人のエゴを一般人に押しつけるんですねえ。残るコーチ人生、自分のエゴを選手に押しつけるコーチにならないよう務めて行きたいと思います。 昨日で本年度の練習が終わりました。終盤影井がスクリメージに参加し、続いて磯野も少しずつスクリメージに参加しました。二人とも正月の招待合宿を見据えての行動だと思います。ですがまだ本人自身のパフォーマンスはかなり落ちていますし他の選手との波長も合いません。でも気持ちだけは買ってやり、また無理させてリハビリのやり直しにならないよう様子を見ながら使おうと思います。今日は私は残務整理。誰もいなくなった寮の見回り。高校と短大での学校の仕事の整理。母(介護施設に入所中)にカンロ飴を差し入れ。これからウチに帰ります。 追伸:喪中ではないのですが、私は年賀状を出しません。あしからず。よいお年をお迎えください。 昨日のグラウンドトレーニングは身体が重くてきつくて死にそうでした。とりあえずなんとか7000bは走りましたが、途中で何度も「きょうはやめようかな」と思いました。今日はグッタリして9時頃から10時頃まで、高校の体育教官室のソファーで居眠りしました。午後は3年2組(長崎女子短大コース幼児教育学科専攻希望クラス)のピアノ連弾発表会を見に行きましたが、疲れは取れません。たぶん、ゼミの卒業研究論文の原稿締め切り(今日)に間に合ったのでホッとして疲れがドッと出たんだと思います。フーッ。 「先生、近頃迷彩服着てる時が多いですね」と言われます。そのとおりです。「なぜですか?」と聞かれます。 「だって今、私を取り巻く環境が常に戦闘態勢でいなければならない状況じゃないですか。日本の国もチームも…」「え?」「ニューヨークのトレードセンター自爆テロ、ロンドンのバス爆破自爆テロ、あれはまだ遠い国の出来事だった。でもすぐ隣の北朝鮮が核を持った。もうこうなりゃ自分の身は自分で守らなきゃ、国に頼ってはいられませんよ。それに加えてチームも超低迷状態だし、自分で武器を持って闘うしかないでしょ」写真 明日17日がミャーの1周忌です。でも明日は日曜日。練習がOFFで誰も学校にいないので昨日のグラウンドトレーニングの前に済ませました写真1。在りし日のミャー= 写真3 写真4 写真7 金曜日のグラウンド走の時に気づいたのですが私は風邪を引いていました。なぜこんなに息苦しいんだろうと思いながら走っていました。のどがヒューヒュー言うんです。しばらく走っていなくて久しぶりに走った時にそうなったりしますが火曜日も水曜日も走ったし、木曜日に1日空いただけです。4000bぐらい走ったところで氣がつきました。「あ、俺風邪引いてるみたい」 今日は授業でも募集でもないのにグラウンドを休んでしまいましたが、風邪のせいではなく、15日の午前中までにゼミの卒業研究原稿を学生が分担して校正することができるまでに仕上げなければならないからどうしても時間が足りなかったのです。今日は医科学測定の結果説明もありましたがそれも途中で中座させてもらいました。「山口先生すみませんでした」 ハーッ。眠いよ〜。 昨日の午後、松本 剛先生が亡くなられました。61才。香川県出身。善通寺第一高校→日体大。大学卒業後長崎国体(昭和44年)の強化選手として来てくれました。その時県外から強化選手として長崎に来てくれたのは4人。山内欣一先生186p(松江北高校→芝浦工業大学→日本伸銅)、川村健二先生190p(釧路湖陵高校→日体大)、萩原 満先生183p(山梨日川高校→東京教育大)、そして松本 剛先生176pです。他の3人はしばらくして故郷に戻られたり転職されたりして長崎を去られましたが、松本先生は長崎に根を下ろしてくれました。現役時代はジャンプショットが得意で、ブロックショットにいった相手の選手をかわして、その相手がブロックショットを失敗してすでに着地したのに松本先生はまだ空中に止まっていて、それからリリースする。そんな選手でした。「………ゴウさん早すぎるよ」 今日は練習会ではなくて男女とも試合。長崎地区は長崎商業・鶴鳴の混成組と長崎西・純心の混成組の2チームを作り、佐世保地区選抜と中地区選抜相手にそれぞれ1試合ずつ。勝ち負けはともかく、昨日までと はまったく違ってはつらつ鶴鳴でした。久しぶりだなあこんな試合。影井をほんの少しだけ(各試合3分ぐらいの出場を2回ほど)使ったので、それが他の選手のカンフル剤になったのかもしれません。 今日と明日は県下高校3地区強化練習会。初日の今日は長崎商業高校で長崎地区選抜チームの練習でした。選ばれたのは影井・川瀬・上田・松本・松木・川口の6人ですが、まともに練習したのは川口と松木だけ。影井はアキレスのリハビリ中、上田は虫垂炎治療のために抗生物質投与を終わったばかり。川瀬は3日ぐらい前から風邪、松本も同じく風邪気味。あ〜あ。 昨年の暮れは、附属幼稚園にサンタさんを取り付けました。今年はつばさ保育園・茂木保育園・百合幼稚園です。夕方今年最後のサンタさんを取り付けに百合幼稚園に行きました。明日登園した園児はびっくりするぞー写真。 現在のチーム構成は、選手23人(3年生7人・2年生7人・1年生9人)とマネージャー3名の計26人です。今日の5000b走(Materials)をご覧ください。3年生で走ったのは1人(卒業後もバスケットを続ける者は卒業直前まで走ります。該当者は前川・大窄・高崎・峰の4人です)。2年生で走ったのは2人。1年生で走ったのは免除以外の7人中6人。走れる人数が少ないのも寂しいですが、ウオームアップをしている選手たちの姿を見ていて遂に堪忍袋の緒が切れ、今日は暴れました。「キサマらーっ!その顔でこれから5000b走るつもりかあ!」彼女たちのウオームアップは私から見れば単に時間を潰しているだけです。スタート前にランニングをしますが、本番までにできるだけ体力を消耗しないようにチョコチョコッと走るだけです。短いダッシュやもも上げなどをしてエンジンを暖める者はいません。これまで何度も指摘し続けてきましたがダメです。大喝したあとウオームアップを5分延長。それでも気にくわなかったのでさらに5分延長。それでもまだダメなので3分延長。少しはましになりましたが本当に自分の最高の走りをしようと思っている顔にはなかなかなりません。浜本や影井や磯野が復活しても、この実態を改善しなければ強くはならないでしょう。これは私の双肩にかかっています。どこまで続こうが改善できるまで私がギブアップせずに闘い続けることが唯一の解決策です 今日は県立総合体育館で医科学測定でした。エントリーは影井・磯野・上田・川瀬(以上2年)松本・松木・森・川口・山口・川畑・吉谷(以上1年)の11名。しかし、影井・磯野・上田・松木・吉谷は?マーク付き。5人とも病み上がりか又はケガのリハビリ中だからです。膝のリハビリ中の吉谷と磯野は全身持久力とジャンプ系以外の種目に挑戦し、虫垂炎がまだ完治していない上田は全身持久力と筋持久力以外の種目に挑戦しました。10月の地区新人戦で磯野が膝を傷めた時は「彼女の高校時代は終わったな」と一瞬思いました(やった瞬間は前十字靱帯損傷と思いましたから)が、思ったほどひどくはなかったのでどうやら復帰は見込みより早くなりそうです。 先日再入院して鏡視下手術を受けた浜本と長松は揃って24日(金)に退院し、今日は二人とも測定の手伝いをしました。浜本は最近リハビリ中に膝に水が溜まるようになってきたので縫合した半月板がちゃんとくっついていないのかもしれないと思い、それを確かめるために覗いてもらったのです。結果は、再建前十字靱帯の再生状況は良好。半月板もしっかり癒合していました。膝窩筋腱周囲に軽度の滑膜増殖があったのでそれを吸引切除しただけでした。3泊4日の入院でした。長松は、昨年夏に手術した前十字靱帯に緩みがあったことと10月下旬に内側半月板を傷めたのでその治療で再入院したのです。浜本の復帰予定が今回の手術で延びることはありません。長松は今回の手術で復帰が多少延びるかもしれませんが夏には間に合うと思います。 浜本や影井や磯野が順調に回復しているといっても正月には間に合わないかもしれません。しかし、毎年行っている正月の招待合宿は予定通り実施することにしました。申込を受けている高校へは県新人戦で負けたあと「練習試合の相手が務まるような状態じゃないけどそれでも来るか?」とメールで打診しましたがキャンセルなし。それどころか今年の予定には入っていなかったJ高校からも「久々に参加したいけど枠があるか」という問い合わせがありました。ありがたいことです。みなさんの思いやりに感謝します。がんばります。 12月の選抜大会・1月のエイト大会・2月の九州春季大会・これら3大会全ての出場権を失い、来年の4月中旬までチーム練習のみです。落ち込んではいません。浜本・影井・磯野・長松が現場復帰するまで1年生をたたき上げる時間が取れると考えればいいわけですから。その間毎年行っている招待合宿(正月)や関東四国遠征(3月下旬)がありますが、これも上記選手の回復具合次第ではキャンセルして自チームだけの練習になるかもしれません。間に合わせや付け焼き刃はもうしません。試合結果報告(Games & Schedule)でも述べていますが、私の最優先事項は一流のチーム創りと一流の人創りです。協会の運営でも研究論文でもありません。これは私自身が要介護になるまで続けます。 いじめで自殺者が出るし。校長が自殺するし。いやなことが続きます。昨夜、どこのテレビ局でか忘れましたが教育のことについての番組が放送されてました。たけしさんの番組でしたか?久米さんや石原都知事も出てました。途中不愉快になってチャンネルを変えました。その番組の中であるタレントが石原都知事に「でも、昔と今は時代が違うでしょ」とかなんとか言ってましたが、時代が変わっても変わらないもの、いや変わってはならないものがあると私は思います。例えば礼節・尊敬・愛情・友情・協力・思いやりなどは永久不変。おとながこどもに伝えていかなければならない大切なものじゃないですか?こういえば、軍国主義復活か?とことばじりをつかまえて突っ込んでくる人がいるかもしれませんが、「きさまらーっ、整列しろーっ」と、上官が兵士を並べてビンタを食らわしていたのはあの時代でも間違った指導方法であって、あの時代は正しかったという指導方法ではありません。軍国主義と言えばインパール作戦最後の指揮官である宮崎繁三郎少将は言語に尽くせないあの悲惨な戦いの中で、日本の兵士からだけでなく敵国からも尊敬された指揮官でした。宮崎少将が徳を積み重ねた人だったからだと私は思っています。現代の若者を中心とした問題が深刻化していくのは、それを取り囲むおとなが徳を積み重ねないまま次世代の指導をするからだと思います。その次世代の若者がさらに徳を積み重ねないまま大人になりそれを繰り返す。そうしてどんどんエスカレートしていくのだと思います。解決策は、悪いことをしている若者やこどもを見つけたら堂々と、威厳と愛情を持って「コラ!」と言えるおとなになろうと、日本中のおとなが思い続けて生きていくことだと私は思います。 朝、歯医者に行きました。待ち時間に読もうと思ってマンガを持って行きました。バイクで行きました。学校に戻って仕事をしていたらマンガを歯医者さんとこに忘れてきたことに気づきました。午後からグランドを走るつもりでしたが、グランドではなく歯医者さんまで走ってマンガを取りに行くことにしました。往復8q。回収! 今日は附属幼稚園の芋掘りです。短大の芋畑で年小組。高校の芋畑で年中年長組。昨年は年小組を撮影しましたが今年は年中年長組です。母親とこどもがいっしょに何かをしている時の表情って、いつ見ても心がやすらぎます。 今日は九州女子高校(福岡)に日帰り遠征をしました。地区新人戦での負傷による磯野の戦線離脱により川口を投入。この急造チームでの初遠征です。スタメンは川瀬(2年)・上田(2年)・松本(1年)・松木(1年)川口(1年)。松本・松木以外は、本来ならばベンチにいてコート上の主力選手に声援を送る時間が多いはずなのにいきなり責任を負わされた出番が回ってきた選手ばかり。当然、起こる出来事のひとつひとつに翻弄されます。それを落ち着かせるほどのキャリアは松本にも松木にもありません。ですから、誰かが浮き足立てば松本や松木にもそれが波及します。でも、泣いても笑ってもこの選手たちを中心に来春の関東四国遠征まで繋がなければなりません。「さあどうする?」。ヒトは長い人生の中でこのように選択を迫られたり勇気を試されたりする崖っぷちに何度も何度も立たされます。おそらく彼女らにとっては今が人生最大の試練でしょう。そして人生最大の試練はこれから何度も更新されます。就職や進学・仕事・結婚・子育てなどなど、「さあどうする?」はこれでもかというほど襲いかかってくるのです。そんな時に信用できるのは自分だけ。他人をあてにしていたら一歩も前進しません。がんばれ新チーム! このところ忙しくてずっと走っておらず、昨日1週間ぶりに選手と一緒にグランドを走りました。走り終えた後1時間くらいボーッとなり、思考回路がストップしてしまいました。体力的にヘトヘトにバテたわけではないのですが、脳が酸欠状態になったんでしょうか?今も頭の芯が重く、頭をブルブルッと振るとリンリンリンと頭の中で鈴が鳴ります。ヤキが回ってきたのかなあ?でも、今日乳酸除去のために6q軽く走った時はなんともありませんでした。まっ、いいか。 本日から選手募集活動解禁。今日は1校だけ。これからこうして学校訪問が続きます。加えて学生の卒研の原稿締め切りが12月中旬に迫っており、文字通り不眠不休の日々が続きます。ファイトッ! 宮崎翔也君(7歳4ケ月)と宮崎美有ちゃん(2歳11ケ月)で、残っていた個人的協力者の足型測定が全て終わりました。みなさん本当にありがとうございました。翔也君と美有ちゃんは自宅で撮影させてもらいましたが撮影後美有ちゃんから「今夜は泊まっていきなよ」と言われました。涙が出そうでした。 ニュー長崎ホテルで17:00から国体選手団解団式が行われました。天皇杯37位。長年国体に携わっているとこの順位がとても気になります。得点を1点取るのにどれだけの労力とお金と時間をつぎ込んでいるかという裏舞台がわかるようになってきたからです。そして得点獲得の一翼を担うことができなかった年の会議や式典に出る時は針のむしろに座らされている気がします。 昨日磯野のMRIの結果が出ました。最もダメージがひどいだろうと思っていた内側側副靱帯(MCL)損傷は軽度でした。関節面が激しくぶつかったので当然骨挫傷(Bone Bruise)はありましたが、これも時間の経過とともによくなっていくでしょう。あるかもしれないと思っていた外側半月板の損傷は、解像度の高いMRIでも前節に少し怪しい箇所があるという程度です。経過観察をしながら、ストレスをかけて痛みが生じるか生じないかで関節鏡を入れるかそのまま保存療法でいくかを決めます。 鼻の傷はだいぶよくなり、かさぶたが出来てきました写真。奥の方はまだ痛いです。 10月6日に純心からの帰り道で買った宝くじは11組の131887が1000円当たり!半額取り返しました。今日、グランドを走ったあとシャワーを浴びている時に右の鼻の穴をケガしました。「エ?どうやって」と思うでしょ?2対2の練習が間もなく始まるので急いでたんです。で、顔を大急ぎで洗っていたら右手の小指が鼻の穴にグサッと刺さりました。「イッテーッ」と思いましたが傷の具合いを調べている暇はありません。急いで着替えてコートへ出ました。2対2の練習の指導をしている途中鼻がヒリヒリするのでそっと手を当てたら血がタラーッ。小指の爪で鼻の穴の内側を切ってたんですよ。痛いはず写真。 昨日と今日、鹿児島の神村学園が1泊2日で合宿に来ました。昨日夕方20分×2+10分。今日20分×6。磯野・川瀬・上田・松本・松木の5人だけ。1秒も休憩させないで戦いました。ボロッボロになりました。神村に手も足も出させない試合もありましたが、ちょっとしたミスからズルズルーッと負けた試合もありました。負けた試合からも勝った試合からもデッカイ収穫がありました。 今日の昼休み、○○さん親子が足型測定のためにわざわざ体育館まで来てくれました画像。来週からこれらの解析が始まります。12月中旬まで、平均睡眠時間5時間とれればいい方だと思います。ヒエーッ。 今日の午後は長崎市内3年生選抜チームが胸を借りに来ました。中学生は8分クオーターですから1セット16分です。それを5セット。上記5人を除いた1年生を主体に相手をさせました。川口と森は交代なし。長松・上村・山口・吉谷・川畑・花房を交替させながら使いました。こっちもボロボロになりました。どっちが胸を貸したんだか?まだまだ幼稚さが抜けません。 午後6時から Saint Poul's Saints(アメリカミネソタ州セントポール市の独立リーグ野球チーム)とあのドカベン香川(大阪浪商高校出身→南海ホークス入団)率いる社会人野球チームの福岡ブラッサムズの試合が Big-Nスタジアムで行われました。寮生14名はその手伝いに行きました。来週の月曜日は歌劇ドンジョバンニを観劇に長崎市公会堂に行きます。 昨日、国体事後処理を終えて午後からその書類を長崎西の尾崎先生と純心の大久保先生に届けに行きました。また走っていきました。今回も帰りのことを心配してタクシー代2000円と路面電車代の100円計2100円を持って走り出しました。行きは長崎西経由で純心へ。帰りは純心→鶴鳴の直行。大丈夫そうなのでまた走り出しました。しかし、長崎駅前近くになるとはやはり前回同様身体が参って来ました。駅手前あたりから「やっぱり駅からタクシーにしようかなあ」と思いながら走っていましたが、駅前広場を通過したところに宝くじ売り場があり、「1等1000万円の100円くじ本日発売開始」という案内が目に入ったのでタクシー代の2000円で連番10枚とバラ10枚を買いました。そうなると身体が参っていても走る以外の選択肢はありません。前回は丸山公園から高校までの急な坂だけ歩きましたが、今回はその200bぐらい手前の楢林整形外科医院あたりから足が動かなくなり、歩きに変えました。これで宝くじが当たっていなかったらみずほ銀行襲うぞ! 今日は開会式。選手は朝10:30に出て今16:30に帰ってきました。みんな日焼けしてます引率は長崎西の尾崎先生でした。私はずっと部屋にこもりきりっきりでパソコンで仕事をしてました。 今朝6:30に長崎を出て、14:30に兵庫文化体育館に着きました。16:00〜17:00現地練習。皆元気です。 今日は金曜日。cranesはグラウンドトレーニングの日です。マネージャーからメールでタイムが送られてきました。影井は5ケ月ぶりのタイムトライアルです。4月21・25・28の3回、20’22” 20’18” 20’36”で連続トップを維持した後ずっと走っていませんでした。PT(AT)の中尾さんからもメールが入っていました。「影井さんはチーム練習に加わってもいいレベルまで回復しました」という内容でした。でも、私が参ったのは中尾さんの次のセリフでした。「長くかかってすみませんでした」ですって。これはこっちのセリフでしょう。ケガをしないように、ケガをさせないように、ケガをしたら少しでも早く復帰出来るようにリハビリに取り組む、というのは当事者の問題です。それを逆に謝られて胸が苦しくなりました。影井!なにがなんでも中尾さんに恩返ししなきゃならんぞ!わかっとるか? 昨日クレインズの平成18年度が終わりました。今日から新チーム始動です。今年の国体監督は再三の辞退願いを受理されませんでしたが来年以降はやりません。また、今年と来年の1期2年間だけ県協会の理事長をやりますが、協会の組織を整えたらそれも辞め、以後はクレインズを再び全国レベルに引き上げる作業だけに専念します。とりあえず2巡目長崎国体まであと8年。マイクロバスのハンドルは他人には譲りません。 そして今日、足型測定がすべて(個人的協力者は除く)終了しました。初年度に保護者の承諾を得た測定対象児童は268名。そのうち今年退園・転校・連絡不能で測定継続中断となった児童が22名。だから今年の測定対象児童は246名。そのうち今年度以降の測定は辞退したいと願い出た保護者が3名。残る243名はすべて測定することができました。パソコンによるデータ処理作業は学生の分担作業でやらせることができますが、デジカメ撮影だけは解剖学的知識に基づいた定点撮影をしなければならないので学生に分担させるわけにはいきません。本当に辛かったです。でも、ビクビクしながら測定の申し入れをした22校の小学校すべてから「大変ですね、お疲れさまです」と、快く受け入れてもらったのは涙が出るほど嬉しかったです。自画自賛と言われるかもしれませんが、測定を終えた今、あらためて「必ずやりとげてみせる」という気迫がいかに大切かということをあらためて学びました。この気持ちを忘れず、バスケットも研究もがんばります! 今日は国体の結団式。大忙しでした。ところで、13号台風が長崎直撃の日、広島(呉)では日本マスターズが開催されました。長崎県選抜の活躍は? diploma ご覧ください。やりますねえなかなか。ひょっとして賞状のモデルは太田京子さんかなあ?それとも徳島の古海五月? 昨日、台風13号長崎を直撃!短大は長崎市でもっとも南側にある高台に建っているのでその影響をまともに受けます。午前中で練習を終え、寮に選手を送り届けてから研究室で仕事を始めましたがだんだん雨風がひどくなり、午後4時50分にピアノ室出入口のガラス戸が吹き飛ばされたのを皮切りに、新館エントランスのドアが3枚、本館3階階段踊り場の窓、南側校舎3階の階段踊り場の窓、2階山口先生の研究室の窓と、次々に破壊され、校舎内は吹きさらし状態。すると、あちこちの防火扉が風にあおられて閉まり、非常ベルが鳴り響きます。現場に駆けつけてそこを復旧させるとまた別の扉が風にあおられて閉まり、また鳴る。もうにっちもさっちもいかないので、事務室の操作盤を停止させました。午後6時15分、台風の目に入ったので居残って動きがとれずにいた福祉の先生たちを急いで帰し、停電で真っ暗闇の中私は残って被害状況を確認してから学校を出ました。帰途、周囲の全てが停電で信号さえも点いていません。文字通り真っ暗闇です。江戸時代の深夜ってこんなだったんだろうなあと思いながらソロソロ運転でクルマを走らせました。自宅まで5分というところ(ペンギン水族館の前の分かれ道)で渋滞。道路脇におじさんがうずくまっています。できたての事故でした。こわ〜。 写真1・写真2=新館エントランスとホール(テルアビブ空港状態$&☆◎ちょっと古いかな?) 写真3=グランドの人工芝がベラリと剥がされる。写真4=たしか藤棚の天井は材木の格子があったはずだがなあ?写真5と写真6=短大職員と高校部活動生大量動員で復旧作業(短大生は夏休み中でいない) ここ数日は時津方面の測定が続きました。途中の国道206号線沿いさばくされ岩というのがあります。二つの岩はくっついていません。昔、行商の魚売りが「落ちはしないか」とハラハラしながら眺めているうちに、売り物の鯖が腐れてしまったのでこの名が付いたそうです。県外の人への紹介ででした。 小学生の足型測定が中盤を過ぎました。最大の山場が11日(月)の愛宕19名。この日は丁度高校の体育祭代休日で高校部活のマネージャーに手伝ってもらい助かりました。次ぎの山が昨日(西北5名)今日(時津5名)明日(茂木14名)の3日間です。これは12日に保育園実習が終わった市内在住のゼミ学生が手伝ってくれてギリギリセーフです。幼稚園保育園での測定はすでに2年目だから受け入れ側も慣れていてスムーズに行きますが、小学校は今年初めてです。「セキュリティがますます厳しくなってきた小学校で果たして協力体制が得られるだろうか」と心配しましたが、そんな危惧は吹っ飛びました。全ての学校とも快く場所を提供していただき、先生方も手伝ってくださいます。ありがとうございます。もう一息ですがんばります日程表。 今日は高校の体育祭。毎年思いますが、授業中は眠そうな目をしている生徒もこの日ばかりは目がランランと輝いているし、集団ではリーダーの指揮の下自衛隊にも負けないキビキビした行動をとります。仲間意識というのはすごいエネルギーを生み出します。 バスケットの練習は、昨日と今日と明日3連休です。1日中太陽にさらされてグッタリした身体で練習しても成果があがりませんからね。「甘くなったなあ」ですか?違います。合理的になったと言ってください。昔は過酷な条件下で選手を苦しめることが厳しさだと思いこんでいただけです。ホントにバカでした若い頃は… 2日は死ぬ目に遭いましたが翌3日は乳酸除去のために5000b走り、昨日は休んで今日はまた7000b走りました。まだ時速11.5qぐらいのゆっくりペースでしか走れません。 昨日から小学校での足型測定が始まりました。私の「こどもの足」の研究は昨年、2歳から6歳までの幼児を対象にスタートし、以後同じこどもを5年間継続して測定させてもらいます。初年度の昨年は80名とか50名というまとまった人数を各幼稚園や保育園で測定することができましたが、昨年年長組だったこどもは今年は小学生になり、それぞれの小学校にお願いして測定しなければなりません。それも、みんな各園の所在地周辺の小学校に進んでくれれば測定も楽なのですが、例えば百合幼稚園を卒園した園児は10の小学校に分散していますし、私立の小学校に入学したり、引っ越ししたこどももいますから大変です。今日は北大浦小学校と西城山小学校に出向いて測定させてもらいました。それぞれの学校ともに対象児は1名だけです。12:30に学校を出て、戻ってきたのが15:30。2人測定するのに移動時間も含めて3時間かかりました。昨年の測定は3時間あれば30〜40人の測定ができました。しかも、測定器財(5月30日付けのこの欄で紹介)を測定場所まで運ぶのがまた大変です。幼稚園や保育園では高いところはありませんでしたが、小学校はまちまちです。昨日の矢上小学校は3階の教室でした。今日の北大浦小学校は玄関のすぐ前の会議室でしたが駐車場から玄関まで行くのに長い階段があり、器財を運ぶだけで汗びっしょりになりました。でも、そんなことを億劫がっていたら経年監察や追跡調査の研究はできません。研究というのはネクタイ姿ではできないものです。企業の猛烈営業マンや遠洋マグロ漁と少しも変わりません。本当に辛いです。 今日は2部練習。午前は9時から12時まで、午後は2時から5時まで3時間ずつの練習ですが、私は2時から4時まで純心高校で行う国体少年女子の練習に顔を出さなければなりません。昼休みにグランドで走ってから国体の練習に行くつもりでしたが雑務を処理しているうち1時近くになりました。「ありゃー、今から走っていたら国体練習に間に合わないなあ、どうしよう」と少し考えた後「あ、そうだ純心まで走って行けばいいじゃない」と思いつき、携帯と500円玉を持って走り出しました。500円玉は完走できない時にバスに乗るためのバス賃です。鶴鳴→純心7qの道程を行きは平均時速12qでちゃんと走りました。純心に着いた直後は「帰りはダメだな。500円持ってきてよかった」と思いましたが、国体チームを指導しているうちに元気が戻ってきて帰りも走りました。ところが、長崎駅付近からふとももやふくらはぎがピクピクしはじめ、大波止を過ぎる頃は頭もボーッとしてきて「俺死ぬのかなあ」と思いました。フラフラしながら丸山公園までは走りましたが、丸山公園から学校の門までの急な坂道はもう走れません。歩いてやっと辿り着きましたが48分かかりました。 夕方ちょっと仕事をしてこのホームページを更新していますが、これ終わったらもう寝ます。 27の夜以来アタマから離れないことがあるので書きます。 24−26と3日間、4人のこどもの面倒を見たことは前に書きましたね。その時の写真をCDにコピーしたので27日の夕方矢上まで届けに行きました。その時、夕方ちょっとだけ綾音ちゃんと理子ちゃんをジャスコのゲームコーナーに連れて行って遊ばせました。そこで4歳ぐらいの女の子が自動販売機で紙パックのジュースを買い、ストローを剥がそうとして苦戦していたので「どれ、おじちゃん(おじいちゃん?)が剥いてあげようか」と言って手伝ってあげました。すると、すぐ近くから「あら、すみません」という女性の声がします。振り向くとコインゲームにどっぷりはまりながら私に愛想笑いをしている女性と目が合いました。この子の母親です。私は綾音ちゃんと理子ちゃんを遊ばせながら二人の様子をチラチラうかがっていました。その子はゲームコーナー内をうろうろしてましたが、「ママあ〜、退屈だよ〜」とか「ママあ〜このゲームしたい〜」などと、こどもらしいおねだりは一切しません。一方母親は、自分のこどもをまったく気にせずコインゲームに夢中です。 こどもって、思いっきりわがままで、思いっきり甘えん坊で、ママを手こずらせるのがフツーじゃなんですか?私はこの光景を見ていてとっても悲しい気持ちになりました。それをまだ引きずったままです。 私の友達?(にしては若すぎるんですが)森崎威夫(もりさきたけお)君 1980.11.04生まれ。長崎南山中学校→長崎南山高校→ウィスコンシン大学リバーフォールス校卒業 NASA(Natinal Strength & Conditioning Association)公認 CSCS(Certified Strength & Conditioning Specialist)の資格を保有している若者は、EASTWEST FITNESS( http://www.ewfitness.com)からオファーがあり、やっと活躍の場を得ました。9月初旬に上京します。彼は、日本ではまだまだ認められていないトレーナーの身分を確立したいし、日本の青少年の医科学サポートに少しでも役に立ちたいという熱い思いを持っています。今日は彼の就職祝いと送別会をしました。 追伸:24-26の綾音ちゃん理子ちゃんたちへのサービスで腰痛と腕の筋肉痛がまだ残っています。だから今日のグラウンドは「選手と同じように5000b走れるかなあ」と心配でした。走り始めた途端「ゲッ重い!こりゃダメだ今日は」と、心配が確信に変わりました。が、結局今日も7000b走ることができました。ホッ。 午前中だけ、練習の途中からすぐ隣の小島中学校で行われている小柳杯中学生バスケットボール大会を観に行きました(短パンで、裸足で)。15分ほど観てすぐ学校に帰り、すぐまた審判着に着替えて会場に戻りました。もちろん審判をするためです。会場に顔を出したのさえびっくりなのに審判する格好をしているので、ステージの役員はみんな「先生何ですか…※☆£$?」と、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしています。「俺にもどれか吹かせろ」と強引に割り込み、第二試合の小島中対諫早中の試合を吹かせてもらいました。理由ですか?最近「理不尽」ということばに執着しており、それを自分で確かめたかったからです。 具体的に説明しますね。私は遠征や招待を重ねる中で最近しばしば、コーチ(自分を含めた)の口から出る言葉や審判の笛に「これって理不尽?」と考えることが多くなってきました。その思いに拍車をかけたのが、お盆の山口遠征の時、小池氏の「笛の重みをもっと自覚しなければならない!」の激の下、朝の8時から会場周辺をランニングした審判団の行為でした。コーチも審判も選手のプレイを取り上げ、その批評や判定を言葉か笛で表現します。選手の年齢が低くなればなるほど、その言葉や笛が理不尽であっても素直に従います。それは、おとなが早く気づいてやり、おとなが襟を正して自分の言葉や笛に注目しなければ、彼(彼女)等が自己主張をできる年齢に達するまで解決されません。それって、悲しいと思いませんか?小柳杯は中1と中2にとっては新チームになって始めての公式戦。本当に幼くてヨチヨチしています。だから自分の思いを確かめるために、強引に割り込んで笛を吹かせてもらいました。すみません。 念のために申し添えておきますが、割り込んだのはコーチ陣の指揮ぶりや審判員に見本を示したかったとか、そんな思い上がった考えは毛頭ありません。自分に対して「お前大丈夫か?」という問いを投げかけたかったし、確認したかったからです。 選手にとっては夏休み最後の3連休。私にとってこの3日間はグラウンド走よりきついハードトレーニングになりました。布志木綾音ちゃん(小1)布志木理子ちゃん(3歳)ヨシヒロシュウカちゃん(小1)ヨシヒロリンカちゃん(3歳)の4人の面倒を見たんです。幼児とつきあうというのは精神的にも肉体的にもとっても疲れます。全国の子育て中のママとパパご苦労様です。 24日 メルヘン村へ 25日 轟きの滝から小浜温泉へ(冷たい水に入ったから暖かい温泉に行きたいって言うんですよ。6歳と3歳のガキがですよ?) 26日 ハウステンボスへ 昨日、「今夜あたりポコッと死ぬんじゃないかな」と思いました。苦しいとか痛いとか食欲がないとか眠れないとか、そんなこと何もないんですがそんな感じがしたんです。でも、今朝目が覚めたら生きてました。またがんばります。よろしくお願いします。 今日はメチャクチャ忙しい日でした。午前中の10:30以降のメニューは選手だけでできる個人技能主体の練習とし、足型測定の対象児が通っている小学校18校に2学期当初の測定依頼の電話をかけまくりました。これがすべて終わるのに2時間10分かかりました。午後はちゃんとコートに出ましたが夕方は本国体関係の書類作成。それに加えて3年生の進路資料の作成と息つく暇もありませんでした。仕事って、忙しい時は何もかもいっぺんにどっと来るし、しかも締め切り日がみんな近いんですよね。腹立つ! 近頃8000b走ることはほとんどありません。7000か6000です。今朝は選手と一緒に走りましたが6000でも死にそうになりました。少し疲れているのかもしれません。でも、どんなに忙しくてもどんなに疲れていても走るのとマンガ本を読む時間はなんとかして確保します。それがないと多分ストレスに潰されると思います。 九州国体観戦に熊本まで行ってきました。直前まで行けるかどうかわからなかったので視察は理事長代理として大塚先生に頼み、私はプライベイトで行ってきました。明日の最終結果はどうなるかわかりませんが成年男子は強いです。これまでの最強かな?寮の宿直で夕方ボイラーを点けなければならないので急いで帰ってきました。明日は行けません。 休みが続いた後や遠征から帰った後は文書処理で大変です。その事も気になりましたが今日はどうしてもやらなければならないことがあり、それを先に済ませました。それはミャーの初盆に関するいろいろです。お盆の間は山口遠征だったので、16日にはお墓の周辺の草を刈って一日遅れの初盆をしてやろうと思ったのですが草刈り機が故障していてできず、今日になってしまいました。昼休みの2時間では足りずに午後の練習時間まで食い込み、選手には迷惑をかけましたが2日遅れの初盆をしてやることができました。 「ミャー遅れてごめんな。でも、他の精霊たちは一昨日団体ツアーで西方浄土に帰っていったけど今日帰るのはお前一人だから注目されてよかっただろ」 写真1=精霊船1 写真2=精霊船2 備考:この精霊船はダンボールで作ったもので作図から制作まですべて私自身の手作りです。制作時間は2時間でした。 13−15と、山口市で開催された西日本錬成会に国体少年女子チームを率いて参加してきました。戦績は9勝4敗1引き分け。成果あり!でした。 この大会のすごいところは審判団です。楢原氏・小池氏の元国際審判員と松本現国際審判員、県外からも吉岡(広島:A級)氏をはじめA級及びA級候補がたくさん参加してくれました。これは、国体やインターハイの最終日なみの顔ぶれです。しかもその審判団が今朝は、小池氏の「笛の重みをもっと自覚しなければならない!」の激の下、8時から会場周辺のランニングですよ。すごいと思いませんか? ここまでの経緯を少し述べさせていただきます。敢えて長崎女子からは1名も選ばず、2月にはヘッドコーチの辞退願いも出したのですがそれは却下され、いろんな思いを引きずったまま半年間長崎少年女子チームのヘッドコーチをやってきました。6月中旬の常任理事会で国体選手とスタッフが正式決定した時私は、「今年はツープラトンで尾崎・大久保両コーチに采配をふるわせ、私は総括コーチ的な活動をしよう、その方がコーチ陣と選手たちの力を発揮させられる」と思いました。そして7月下旬の遠征まではその考え方で進めてきました。しかし、それでは県選抜チームとしての真の力は発揮できないとわかりました。それでツープラトンを廃し、今回は選手個々の能力を重視して組合せを考え、いろんなことを試しました。半年間苦しみましたが最終日の最終戦でやっと光が見えました。ホッ。PDF(9勝4敗1引き分け) アッツーイ!暑くて暑くて、今日は練習をやめて轟きの滝に涼みにいきました。 今日の話題@昨日と今日の2日間、長崎大学と練習試合をしました。川口栞に収穫あり…かな? 今日の話題A長崎女子高校の音楽部の生徒たちが松ヶ枝の旧香港上海銀行で平和コンサートを開きました。長崎大学との練習試合があるので前半しか見ることができませんでしたが私はバスケット部員を全員連れて見に行きました。西山先生のことは2005年度版の3月10日付けのこの欄で”世界一大きな絵”でも紹介しましたが、蛇踊り部といい音楽部といい、長崎女子高校にはがんばる仲間がたくさんいます。 今年の夏休みは、中3日置いてグラウンドトレーニングを取り入れることにしています。今、3年生の泉谷は5月中旬のバルーンカップ決勝で捻挫した足首の後遺症が続いており、夏休みに入ってずっとチーム練習から外れています。1年生の松本は、高校総体直後から脛骨疲労骨折で約1ヶ月チーム練習から外れ、7月中旬に復帰しましたが、3日くらい前からまた痛み始めました。同じく1年生の川畑はジャンパーズニーで今日から激しい練習は除外です。松木は先日のグラウンドトレーニングで熱中症になりました。このように、「さあワンランクアップだ」と、鍛え込もうとするとそれにブレーキをかける何かが起こる。本当に強い人間には起きない現象です。昔のことを引っ張り出すのは嫌いですが、今回は敢えて平成4年の夏の記録を引っ張り出して体育館のハワイトボードに張り付けました。(materials 5000b '92) クッソーッ! 今日は成年女子とゲームをしてもらいました。大野慎子は12日から参戦します。長崎女子の現役はもっとやれるはずなのに強いチームとやったり成年女子とやれば若さや臆病さを露呈してしまいます。腹が立つ前に悲しくなります。ところで、8月1日のこの欄に私は「インターハイの速報は見ません」と書いてるんですが、みなんさんご親切に逐一報告を送ってくださいます。中には各ピリオド毎に経過をメールしてくれる人もいます。ウーン… 31日の夜は小ヶ倉中学校2年連続九州大会出場の祝勝会に顔を出したんですが、昨夜はコーチの三根さん家族を招待してChris' Pizza Americanaで家族祝勝会をしました。Chrisは高校の時に交換留学生で長崎東高校に1年間在籍し、その後ミネソタ大学を卒業して銀行員になったのですがどうしても日本で暮らしたくてやってきたそうです。大学在学中のアルバイトで腕を磨いたピザつくりで生計を立てています。TVチャンピオン・ピザ職人選手権で2位に輝いた実績があります。変わり者です。 8月1日は毎年インターハイの開会式が行われる日ですが今年は長崎で留守番です。インターハイの速報は見ません。見ればあれこれ考えてしまうからです。この間に研究の方を少しでも先に進めます。今日と明日の練習はOFFなので仕事はずいぶん先まで進められると思います。今日は仕事の合間にroadを走りました。短大の門を出て甑岩まで7.6q。グランドと違ってアスファルトは照り返しが強いし、アップダウンが多いので走る前の給水とストレッチをしっかりやってから走りました。スタートは午後2時半。もっとも暑い時間帯です。ゴール付近に待機してもらっていた三根さん(学園本部事務)に写真1を撮ってもらいました。なぜこのクソ暑い時間帯に、しかもロードを走ったかというと、28日のグランド走の時に熱中症を出してしまったことに対し「不覚だった!」と反省はしていますが、一方では「そーんなに暑かったかよ。だったら宮古島で九州大会がある時はおまえは涼しい長崎で留守番だな」と、腐肉っぽく、腹立たしく思っている気持ちもあったからです。だから、もっと過酷な条件の下で自ら走ってみたわけです。ゲーッ。具合悪いよー。 昨日は午前中だけ指導をして午後は自分たちだけで練習させ、私は大村市で行われている県中総体を見に行きました。メイン会場のシーハットに入った途端、「エッ」と思って私はしばらく固まっていました。長与中学校と花園中学校の試合の審判をしているのが楢原先生(福岡県:元国際公認審判)と佐澤先生(福岡県:現役A級審判)なんです。2階のDコートでは山崎先生(福岡県:現役A級審判)も審判をしてくれていました。 長崎県の審判長の福岡先生が「ちょっと手伝いに来てくれませんか?」と誘ったらどっと3人も来たんだそうです。長崎県の審判員が不足しているわけではないのですが、こういうことっていいですよね。その夜は大村に泊まり、審判団の食事会に顔を出し、続いて佐世保高専を30年ぶりの全国大会出場に導いた野澤監督の慰労会に顔を出し、大忙しの一日でした。前回大村で全日本男子大村合宿の歓迎レセプションが行われた時もそうでしたが、私が出席する飲み会になると林田夫妻(明佳=桜が原→鶴鳴→拓大の両親)が大村協会の役員として顔を出します。あれっ??? 火・金はグラウンドトレーニングの日。私のコーチ生活43年にして初めて熱中症で倒れた選手が出ました。私は午後から百合幼稚園での足型測定が予定されていたのでマネージャーに「気温が高いから走る前に充分給水させろよ」と指示してでかけました。しかし、「ハイ」とは言ってもマネージャーに医学的な知識があるわけじゃなし、それが選手に伝えられたとしてもこれまた医学的な知識はなく、暑さに対して充分な準備などできるわけがありません。グラウンドトレーニングとスクリメージは、私が居る時に行うようにしてメニューの調整をしていますが、今日はたまたま指示しただけで出かけてしまいました。測定中の幼稚園から電話で指示して救急病院に運ばせ、3時間の点滴で生還させました。不覚でした。 昨日は高校の終業式でした。昨年よりも6日遅れです。午前中授業をして午後から終業式。終業式の最中、私はグランドを走りました。まだ左足ふくらはぎに少し違和感はありますが、1週間ぐらい前からバイク漕ぎをやめてグランドを走っています。しっかし昨日は暑かった。5000b走ったところでダウン。グランドの水道で水をガブガブ飲み、頭からザブザブかぶって誰もいないグラウンドの木陰でしばらく寝てました。 今日はまたいろいろありました。 @練習中に額を2箇所と頭の中を1箇所、蚊に刺されました。普通頭ん中を蚊に刺されたりはしませんよね。 蚊にとっては私の頭の皮膚に針を差し込むのに髪の毛はまったくじゃまにならなかったってことです。悔し いっす。 A松本(日野中出身1年生)の左上腕部にできていたゴマ粒ほどの小さなできものが次第に大きくなり、化膿 して、掻くと中からチョークの粉のようなものがポロポロ出てきます。形成外科で切り取ってもらいましたが 名前は石灰化上皮腫というヤツだそうで、良性のできものだそうです。私は平気な顔をして病院を紹介しま したが、内心では「悪性のヤツだったらどうしよう」と少し焦っていました。フーッ 一昨日から今日まで、国体少年女子チームを率いて、この時期に毎年山口県光市のスポーツ交流村で行われる錬成会に参加してきました。参加チームは、山口少年女子・福岡少年女子・熊本少年女子・長崎少年女子・倉敷翠松の5チーム。長崎少年女子チームのスタッフは私・尾崎先生(長崎西)・大久保先生(純心)の3人。選手は川上・兼頭・赤尾・中山・笹嶋・西島・藤山(以上長崎西)、平川・小川・高田・西平・坪田(以上純心)、松田(長崎商業)の13人。川上の心身両面の成長と西島が力強くなっているのと笹嶋のプレイが鋭くなっているのが目立ちました。兼頭はまだ前十字靱帯損傷後のリハビリ中なので使いませんでしたが、大腿四頭筋の周径の左右差はまったくありませんでした。相当がんばってリハビリに取り組んでいるのだろうと思います。長崎西がインターハイ直前なのでチームをいじくり回しませんでしたが。「今回初めて合同でプレイをしてもらった結果、西島をスタメンで起用してオフェンスを組み立てるのが有効だとわかった。するとこういう攻撃スタイルになるだろう。さらに、それぞれ個人的にはこういうポジションでこういうプレイを主体にやってもらうことになるだろう」というような基本的な私の考え方をイメージさせるところまでは済ませてきました。次回の強化遠征は8月13−15です。場所は山口市です。 15・16・17の3連休はいろんなことがあってとても忙しい3日間でした。15日の午前中は滑石中学校の男 女が来て指導。その日の午後と翌16日の午前中は福島大学の白石豊教授の講演を聴くために選手全員連 れて県立総合体育館に行きました。17日は成年女子チームとの練習試合。長崎県バスケットボール協会の HPをご覧になればお分かりのように、今年は浜口が参加していませんが、大野慎子と花田有衣が今年から ふるさと登録選手として参加してくれます。福岡教育大の立川は昨年に引き続きふるさと登録選手として参 加してくれますが、この3日間はそれらのふるさと選手を含めて全員が揃ったので太田監督が強化練習を計 画し、その締めくくりが長崎女子高校との練習試合だったのです。久しぶりに慎子のプレイを見ました。感想 …ですか?。湯布院合宿で初めて合流してまだ2回目ですからねえ、まだなんとも言えません。それより、 太田監督はかなりのプレッシャーを感じているようです。口元にヘルペスを3個ほどこしらえていました。昨年 の国体優勝を両肩にドシーッと背負っているんです。太田監督は、通常の物言いや態度からは豪快に見え ますがとてもデリケートな精神の持ち主なんです(冗談抜き)。彼女の性格からして気楽にやれるわけない とわかっていながら「気楽にやれよ」と言うことばしかかけられませんでした。 昨夜、朝長会長とともに大村協会からの招待で全日本男子合宿の歓迎レセプションに出席しました。会長 は帰りましたが私は同ホテルに泊まりました。レセプションが終わってから、同じ会に出席していた林田夫妻 (明佳の両親:桜が原中→長崎女子→拓殖大)に、「今日は泊まるぞ、飲みに行くか?」と言ったら「ワーッ」と 言って7〜8人集まりスナックへ行きました。12時過ぎにホテルに帰り、少ししか眠れませんでしたが今朝 6時にチェックアウトしてちゃんとマイクロバスで寮生を迎えに行きました。昔は保護者を誘って飲みに行くな んて絶対なかった…いや、飲みに行くこと自体絶対なかったんですがね。成長…かな?。 フリーライターの小川勝さんから突然のメールがきました。「潮出版という出版社が出している潮(うしお)とい う月刊総合雑誌9月発売号で山崎語録のコーチ心得に基づいた記事を書いて欲しいという依頼があったが 書いてよいか」という問い合わせでした。情報化社会とはいえ、どこで誰から読まれているか見られているか わかりません。こわいですねえ。 今日は久しぶりのグラウンドトレーニング日でした。暑すぎて選手の記録は最悪でした。私は左足ふくらはぎ の肉離れでずっとバイクばかり漕いでいましたが、今日はゆっくりではありますが選手と一緒にグラウンドを 走りました。とりあえず6000b。「ン−、ヤバイかな」と思う場面もありましたが競歩スタイルのキックを控えた 走りでなんとか走り抜きました。眠いのですが久しぶりにグラウンドを走ったので気分は爽快です。 浜本は今日の昼過ぎ手術を終わりました。担当の米倉医師からすぐメールがありました。半腱様筋を用いた 2重束解剖学的再建術だそうです。薄筋腱は温存したそうです。外測半月板の後節から後角に斜断裂が2カ 所あり、後角部は部分切除し、後節部は縫合したそうです。今日は見舞いに行きませんでした。手術当日は 痛くて誰にも会いたくないという経験を私自身が何度も経験しているからです。 とんでもないことをやらかしました。教師生活40年間で初めて、居眠りをしてしまい授業に遅れたのです。月 曜日は短大の講義が10:30から16:10までずっと詰まっています。しかし今日は唯一の空き時間である9:00か ら10:20まで茂木保育園での足型測定が入り、満杯になってしまいました。12:10に午前中の講義を終え、昼 休みを利用して足型の画像を整理していましたが、疲れていたのでしょういつのまにかパソコンの前で眠って しまったのです。ハッとして目が覚めたのが13:10。午後の講義開始を10分過ぎています。ダッシュで講義室 に飛び込み、「ごめん、研究室で寝てしまっていた」と正直に謝りました。フーッ。面目ない 16日に更新してからずっと更新していませんでしたね。すみません。 こどもの足型測定に追われています。その画像を解析するのに昨年までのソフトではどうしても物足りなくて 新しいソフトを購入しました。そのソフトの使い方をマスターするために時間を取られ、更新する暇がありませ んでした。このところ、寝るのは深夜1時とか2時とかが続いています。 1週間ぐらい前から左足のふくらはぎが痛かったのですが、今日1000bを過ぎたところで痛みが増したので 走るのを中断しました。たぶん軽い筋断裂だと思います。これは少し長くかかりそうだな。 総体前は5000b走を中止していましたが今日からまた再開しました。しかし、選手26人のうち、走ったのが 13人。従前からのケガ人や病人に加えて体調不良で早退した者や補習で遅れた者等が併せて13人もいる のです。「強いチームになったな」と言えるまでにはまだまだ乗り越えなければならないハードルがいくつもあ るようです。フーッ。 浜本の手術は7月11日(火)と決まりました。 松本と松木はまだオンコートではありませんが、9月の選抜予選に向けて高崎・松本・松木をシュート屋とし てリニューアルし、再構築を図るという方針を全員に伝えて練習を進めています。これは、高崎・松本・松木 が他の選手より優れているという意味ではなく、この3人をシュート屋として仕立て、他の選手がそれぞれの 個性を活かしてそれぞれの持ち場を受け持てば組織としての力が発揮できるという意味です。 6日の午後5時。大学病院整形外科の米倉医師に浜本を診てもらいました。触診で、内側側副靱帯(MCL)損傷及び前十字靱帯(ACL)断裂(血腫38t)という診断でした。まず、保存療法でMCLを治し、それからA CLの修復手術をすることになると思います。 昨日7日は高校総体の代休で学校は休み。チームもOFFにしました。今日から練習再開。朝練の時に松本 が「先生、春季選手権の頃からスネの骨が痛いんですが…」と申し出てきました。高校総体が終わるまでは 心配かけたくないから申告しなかったのでしょう。歩きも走りも足首の回内が強い選手なのでどこかを傷める のではないかと思っていましたがやはりきました。おそらく両側脛骨近位部の疲労骨折だと思います。痛い 動作は絶対にさせないで、約1ケ月半はチーム練習から外さなければならないでしょう。疲労骨折は安静以 外に方法はありません。 こうして、今朝の朝練から再スタートはしましたが、45口径主砲の浜本、足関節捻挫の完治していない泉谷、 アキレス腱傷害でリハビリ中の影井、この夏一気に上級生を抜き去ってもらうつもりだった松本と松木(総体 直前に捻挫)など、主力がいません。加えて、この4月からずっと安定した力を発揮してチームを支えてきた 磯野が決勝リーグの純心戦を境に急に不調になりました。 戦後処理は、上記の選手たちの心身のケアとバックアップ選手の育成から始めなければなりません。 県高校総体が終わりました。結果は1月の九州春季選手権予選と同じ4位でした。いろんなことが重なりまし た。たいていのことはなんとか処理できる経験を積んでいるつもりですが、今回は私の処理能力では力及び ませんでした。すみません。でも、気持ちは萎えていません。あと15年は運転するつもりでバスを買ったのですから。今後ともよろしくお願いいたします。 ベルトで走るとかバイクを漕ぐのはいくら汗をかいても精神衛生上よくない。機械に走らされるのは実験用の モルモットみたいでいやです。そこで今日は、おそるおそるグランドを走ってみました。「おとなしくしてろよ。おとなしくしてろよ」と自分の膝に言い聞かせながら1q過ぎ2qも過ぎました。途中「あー、ダメかな」と思う場 面もありましたが少しすると治まり、時速12qペースでとうとう5qまでこぎ着けました。その後同じペーで1 q走りましたが、あと1qは時速10qで流し、そこで今日はおしまいにしました。終わったあと、自分の膝に 「今日はおりこうだったな、次もおとなしくしてろよ」と言い、インドメタシンを塗ってやりました。こんなことしてる と人工関節になるのを早めてしまうかもしれないのですがね。健康に気をつけながら細々と生きながらえるよ りも思い切り暴れてパッと散った方がいいですよ。 膝の痛みがなくなってきたのでグラウンドに出ました。でも400b走ってやめました。あとはトレーニング室でバイクを漕ぎました。いつまで続くのかなあこの痛み。通常64sの体重が今は65.5sです。やばいよ。 昨夜…っていうか、今朝っていうか、パソコンの電源を切ったのが3:40。昨日から開始したこどもの足型測 定データのパソコン取り込み作業に時間がかかったからです。取り込んだ画像は120枚。時間がかかった 理由は、昨年のデータと今年のデータを比較検討しやすくするために昨年の画像2600枚分のデータ番号 を簡素化して書き換えたからです。ねっむーい! 今日は附属幼稚園での測定で160枚の画像を撮りました。昨日の分も今日の分もパソコンには取り込みま したが画像解析は高校総体が終わってからにします。学生の実習が入る関係で次の測定は少し間が空いて 6月19日からになるからそれまでに済ませればいいわけですから。ともあれ、今夜は今日中に寝ますが11 月まではまたこんな生活が続くのだろうと思います。 CUBEの後部トランクにいつも積んでるのは足型測定用のピドスコープです。その一式を積んで学生4人を 乗せて移動するには以前使用していた軽四輪(Mira)では用を成さないので今年の2月に買いました。研究っ て、学問を修めるだけではダメですね。お金と人脈がなけりゃ何もできません。フーッ。 昨日の放課後の練習は、動きは軽かったのですがイージーミスは連発するし、空回りするしでひどい出来で した。休ませすぎたかな?で、今日から3日練習して1日休みというペースで行くことにしました。今日の練習 はまあまあでした。個人的には高崎と大窄は本来の姿にほぼ戻ってきました。浜本の第三の技もほぼ定着 してきました。あとはインフルエンザとケガが敵ですな。 ところで私の右膝の痛みはぶり返しました。痛みはいつも同じ部位で、関節の隙間ではなく前部でも後部で もありません。サラの外側部分なのです。内視鏡を入れれば原因がすぐわかるのでしょうが1分でも時間が 欲しい生活なのでいよいよダメだとなるまでおまじないで治そうと思います(私らしくないですね)。 医科学測定後、昨日と一昨日の2日間レギュラー選手はOFF。今朝の朝練で3日ぶりに全員揃ったので私 は演説をしました。「レギュラー組の9人は、弱点矯正のために医科学測定前日まで徹底して追い込んでき たが今日から高校総体まではは もう気にしなくていい。今の段階の技をうまく組み合わせて試合に臨むこと だけを考えればいいんだ。特にミチ(松本)は地獄を見たと思うが、もう心配することはない。困った時は俺が なんとかするし、先輩が助けてくれる」 今日は医科学測定。1年生はやっぱり甘いですなあ。ま、予想したことではありますが。記録が悪いというの ではなく、自分をオールアウトに追い込めないんです。私の目には「まだまだいける」と映っているんですが、本人はいっぱいいっぱいだと思ってます。でも、あと1週間もすればコンピュータに打ち込んだデータがスポ ーツ科学科から送られてくるでしょうから、その数値を見せながら突っ込みます。覚悟しろよ1年生! やっぱり痛みは残っていました。でも、歩行中にも気になるほどの痛みではありません。それで今日はベルト で走ってみました。その時わかったのですが、体重を足裏前側にかけ、膝を少し曲げるとズキッと痛みが走 ります。そこで体重を出来るだけ足裏全体で受け、膝をやや伸ばしたままの状態即ち競歩スタイルで走って みました、すると痛みは感じないんです。それで今日は6q走ってみました。走ったあとも痛みはありません 今朝8:00頃、学校の階段を下りている時に右膝がピキッと痛くなりました。このところ、右膝に体重をかけて わずかに膝を曲げるとサラの外側に痛みが走り、足を伸ばした状態でしか歩けなかったんです。一昨日「膝 蓋骨亜脱臼症候群かなあ」と書きましたが、今朝ピキッと痛みが走ったあとはウソのように痛みが消えてなく なり、膝を曲げてもなんともないんです。「エッ?ウソ!」と思っていろいろやってみましたが痛くありません。 で、午後から8000b走ってみました。でも痛くないんです。ネズミだったのかなあ? たぶん倉敷遠征の時アスファルトの道路を走ったのがいけなかったんだと思いますが、5月10日に学校の グランドを走った時右膝のサラの外側に痛みを感じました。走っている内に治まってきたのでその日はその まま8000b走りました。翌日は痛みのため6000bで中止。翌々日は選手と一緒に走る日なのでなんとか頑 張りましたがやっぱり痛くて7000bで中止。それ以来走るのを控えていました。今日久しぶりに走ってみよう としましたが50bも走れません。それでトレーニング室でバイクを30分間漕ぎました。一過性のものだと思 っていましたが長引きそうです。たぶん膝蓋骨亜脱臼症候群かなあ? 佐賀バルーンカップ後2日間休養を取らせたレギュラー組が今日は練習参加。動きは軽快でした。総体まで このようにペース配分を考えながらやっていこうと思います。一方新入生の松本と松木は、春季選手権であ れほど頑張ってくれたのに今は地獄。徹底的に弱点矯正のための特訓を受けています。福岡遠征とバルー ンカップで、全国上位に通用するにはまだ遠いことが明らかになったからです。最初の試練です。さあ、徹底 的に痛めつけるぞ! 第1回佐賀バルーンカップ終了(結果)。決勝で小林に負けました。負けた事情の詳細は言えません。が、暗 い材料はありません。浜本の第三の技はもう少し時間がかかりますし前川の課題もまだ少し残っています。 これまで、事前に完璧に仕上がって「これが大会まで維持できるかなあ」と心配しながら練習し、胃が痛くな った経験が何度もありますが、その経験からすると少しだけ課題が残っていて少しだけ焦りながら練習した 方が返って集中力が生まれると思います。高校総体に絶好調に持って行くのは私の調整手腕次第です。 「これ、選手に読まれるとまずいかなあ」 前日も言いましたが、2日休んで1日練習というスケジュールでしばらく心身のリフレッシュをさせようと思いま す。高校総体までグラウンドメニューはやりません。 佐賀遠征(バルーンカップ)初日終了(Games & Scheduleの PDF参照)。一旦帰ってきて明日また出発しま す。節約節約。重い!メッチャメチャ重い!まるでスローモーションビデオを見ているみたいです。倉敷遠征 の初日初戦は「こりゃ強い」と思ったんですが…まだ連休のオーバーワークを引きずっているのかなあ。 ま、明日の戦いを見てまた休養日をどこに入れるか考えます。場合によっては1日練習して2日休みというペ ースになるかもしれません。 2日から7日までずっと遠征でした。で、昨日は休養のためOFFにしました。休養後の今日は火曜日なので 練習メニューはグラウンドトレーニングです。短大の幼児教育科1年生の補講をしなければならなかったの で私が高校の体育館に顔を出したのは6時少し前でした。一緒に走れなかったのでマネージャーから5000 b走の記録表を受け取り、すぐチェックしました。20分台が1人もいません。私はムッとしましたが、コート上 の選手たちを見ると身体が重いんです。「あ、昨日OFFにしただけではまだ疲れがとれていないな」と思いま した。そこで主力組はただちに練習から外し、バックアップと下級生だけでスクリメージをしました。明日も主 力組は休養させます。主力組の中では浜本だけ反対側のコートで軽い個人練習をさせました。第三の技を 覚えさせるためです。第三の技という言い方をすれば高度な技に聞こえるでしょ?でも、たいした技ではなく 難しい技でもないんです。が、浜本にとっては重要な技なんです。「どーんな技だよ」って、これ以上は内緒。 20:42。倉敷に着きました。14:40長崎発。走行距離586q。約6時間で到着。明日から5日まで、北陸・四国・ 中国の強豪と強化試合です。最終日(今年は6日)の午前中は毎年私のクリニックが設定されています。毎 年重荷です。今年は「個人技」というテーマでやります。今日も午前中に8000b走ってから出発しましたが、 左足のマメが潰れて皮がベロッと剥けました。イッテーッ!2月21日には右足にできたマメのことを報告しましたが、今度は左足です。ずっと走り続けてきたのになぜ今になってマメができるの?変だなあ?そろそろ寿命が近づいてる?ダーレだよ、んなこと言ってんのは。 今日、高校は暦通りの休み。短大は月曜日授業で朝から16:10まで連続授業。だから練習はOFF。今日気づ いたのですが私の身体はバリバリの筋肉痛。昨日のタイムトライアルのせいです。毎日時速12qで8000b 走っていますが、ペース走とタイムトライアルではこんなに身体が受けるダメージが違うんだとあらためて知 らされました。でも、乳酸除去のために今日も時速12qで5000b走りました。ウーッ、痛いよお。 26日に強化指定書授与式に行ってきました。毎年のことですが責任の重さでビシッと身が引き締まります。 昨日(27)の夕方は県内の大学体育教師の懇親会に出席しました。64才ながら新参者なので緊張しました 今日(28)のグラウンドトレーニングでは久しぶりにタイムトライアルに挑戦してみました。ほとんど毎日8000 b走っていますがそれは時速12q(1q5分)のペース走です。久しぶりのタイムトライアルなのでドキドキし ながら選手たちについていきましたが何人か抜くことができてホッとしました。 県下春季選手権大会が終わりました。個人特訓を目標に掲げて臨んだ大会でしたが優勝というおまけまでついてきました。前川・浜本・磯野・松木・松本はまったく休ませてやることができず。辛い思いをさせましたが連休遠征からは交代要員が増えます。磯野のバックアップに影井(川口にも少し補ってもらえば万々歳ですが…)、周りの4人の交替要員…っていうか、泉谷・高崎がメインで仕事をして松木・松本が交替要員になると思いますが、ともかく高校総体では1人1人にかける負担をうんと軽くして戦うことができるのでみんなもっと働いてくれると思います。バンザーイ 追伸:今日(月曜)は短大の授業が3コマ入っています。昨年の決勝戦は自分たちでやらせ、私は授業に戻りましたが今年はそんな余裕はありません。それで短大の授業は休講にして試合に専念しました。明日火曜日はその分の補講と高校の授業がいっぱい詰まっているので朝09:00から夕方5:50までず------っと授業です。たまらんなあ。ハーッ。 これまで1年生のグラウンドトレーニングは1000b5分のペース走でしたが今日からタイムトライアル。こうし て日に日に1年生は自分の実態にいやでも気づかされていきます。不安や焦りが襲いかかってくるでしょう。 しかし、それらを排除して前に進むエネルギーは自分自身の中から取り出さなければ誰にもどうにもできま せん。だいじょぶかあ、おまえたち。 春季選手権大会は、松木がなんとかプレイできるようになったので、上村に代えてエントリーしました。 12日付けの春季選手権案内で「部員が29名になりました」と報告しましたが、その後また1人増えて30人 になりました。これは平成5年(主将鴨川)の31名に次いで史上2番目の部員数です。世間ではどんどん少 子化が進んでいる中クレインズの部員数は増えています。何現象というんでしょうか? 突然著者サイン入りの本が送られて来ました(写真)。鶴鳴のことや私のことがいろいろ書いてあるのだと思 いますが、なんだかドキドキしてまだ読んでいません。 新入生が全員揃って初めてのグラウンドトレーニング。ペース走から4人脱落しました。春休み遠征で度肝を 抜かれ、日常練習では毎日厳しい洗礼を受ける新入生たち。でも表情から不安や怯えは見えません。 4月5日に紹介した田中祐未ちゃんの「ミャー物語」をそうしても私のホームページで紹介したくてまた借りて 来ました。PDFファイルにして紹介します。すごいですよ。感動しますよ。Books & Essaysの頁でも紹介。 鶴鳴杯が終わりましたあ。ホッ。昨年までは12チーム。今年は16チーム。大変でした。来年…ウーン、どう しよう? 今日は短大の入学式でした。式が終わって事務室の前を通りかかると女の子が近寄ってきて「田中といい ます。これ見てください」と言いながらノートを差し出します。「エ?ナニ?」とまごついているとお母さんが「突 然すみません。姉の入学式に連れてきたんですが、どうしても監督に自分の作品を見てもらいたいっていう んですよ」と説明してくれました。ノートを開くと自筆のミャー物語が書いてあります。手書きのミャーの絵にセ リフが付いています。私のホームページのミャー物語を見て、ミャーと私のある日の出来事をイメージして作 った短編小説なんだそうです。私がミャーに語りかけているセリフが私の口調で書いてあります。田中?子ち ゃん。今年長与小学校の6年生になるんですって。感動と元気をもらいました。ありがとう。 3月25日に長崎を発ってから11日間、陸路運転距離2470qの長い旅から帰ってきました。溜まっている 仕事を片づけながら、目は書類やパソコンの画面を見てるんですがアタマの中では遠征に連れて行った16 人の選手と、残していった13人の選手ひとりひとりの顔が走馬燈のように駆けめぐっています。3日後に全 選手と再び会うわけですが、それぞれの選手にこれからかけてやることばや仕込んでやらなければならない プレイが次から次と現れ、キーボードをたたいている手が止まってしまいます。ハーッ。 今日一杯と明日の午前中で長かった関東-四国遠征が終わります。前川・浜本・松本(新入生佐世保日野)・ 松木(新入生式見)・川口(新入生長崎岩屋)の特訓を目標に3月下旬東京に向けて発ちましたが、川口はや はり高校生のスピードについていけず、個人練習止まり。松木はちょっと気弱なところがあり、私から殺され んばかりの剣幕でしかられ続けながら懸命に頑張っていましたが、徳島に来て右足を痛め(たぶん有痛性外 径骨)て2日から戦線離脱。前川は徳島での初日に足首を捻挫してその日の午後試合ができませんでした が2日目からはなんとか試合に出ています。浜本が技を二つ覚え、それを試合中にもなんとか使えるように なりました。これは大収穫です。それと、毎日スタメンでフルタイム出場の松本はたぶんボロボロになってい ると思いますが必死で踏ん張っています。これも大収穫です。新入生の中では里がしばしば、川畑が時々 使われます。その他の新入生はなかなか出番が回ってきませんが顔つきや目つきからこどもっぽさが消滅 しました。 がんばります! ことし一年またよろしくお願いします。--徳島より-- |