☆ チームを創る(改訂版)
 
この本は、1979年(S54)の秋に突然の腎出血で緊急入院し、いつ治るのかわからない長期入院中、絶望の淵に沈んでいた時に書いた本です。内容は、最初の赴任校である桜馬場中学校を8年がかりで全国大会優勝に導くまでの足跡をつづったものです。
前書き 1章 2章 3章 4章 5章 後書き

☆ 続:チームを創る
 
1976年(S51)、公立中学校の教員を辞めて私立の鶴鳴に移籍した翌々年に全国選抜大会で準優勝しましたが、翌年突然の腎出血で長期入院。それが祟って鶴鳴は1986年(S61)の県総体1回戦で負けてしまいました。落ちるところまで落ちた私は、再起を期してそこから同時進行の自分史を書き始めました。そして、それから5年後の浜松インターハイで優勝することができました。それまでの軌跡を綴ったのがこの本です。
前書き 1章 2章 3章 4章 5章 6章 7章

☆ 大野慎子物語
 1996年(H8)。鶴鳴は小兵軍団ながら山梨インターハイで準優勝を果たしました。その時のシューティングガードの大野慎子がアメリカのエヴァンズビル大学のコーチに奨学金選手としてスカウトされました。この本は渡米後慎子が英語勉強に費やした1年間と新人王を獲得した選手としての1年目を中心に書いたものですが、同時に慎子を生み出す温床となった鶴鳴モーションオフェンスの出生と生い立ちを紹介する本でもあります。
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☆ 回顧録
 私は2013年3月31日付けで鶴鳴学園を退職しました。それを契機に、大野慎子物語以降の出来事をまとめて本にしようと思い立ちました。本と言っても出版はしません。HP上でUPするだけです。2014年5月15日完。
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8章 9章 10章 11章 12章 13章 後書き


☆ ミャー物語 T
 1991年(H3)年の3月初旬、一匹の捨て猫が鶴鳴の体育教官室に迷い込んできました。ミャーという名をつけてやり、体育教官室で飼うことにしました。これは、ミャーの生い立ちとミャーが起こした出来事の数々を書いたものです。A4サイズで2枚の短編です。試験勉強中に眠くなった時等の気晴らしに読んでみてください。2005年(H17)12月17日 19:12 永眠。

☆ ミャー物語 U
(長与小学校5年1組 田中祐未ちゃんの作品)
 私のHPをいつもチェックしていた祐未ちゃんが、ミャーの死を知って書いた自作の物語だそうです(2006/04/05)。

☆ 監督一代
 
 1985年(S60)から1986年(S61)にかけて、朝日新聞の地元欄にコラムを持ってくれと頼まれました。毎週1回、水曜日の朝刊に載せる約800字程度のコラムです。
 何回書いてくれという依頼はなかったのですが、だんだん忙しくなり、内容の充実したものを書く自信がなくなってきたので15回書いたところでギブアップしました。

☆ 小論文の書き方(西村教諭の労作) 
 大学受験のための小論文の書き方を西村教諭がまとめてくれました。